はてなキーワード: ブリーチとは
4ヶ月ぶりの美容院だ。髪も染めてるし、本当なら2ヶ月おきに行くのがいいんだろうけど、リモートワークで誰とも会わない日々が続き、美容院にこまめに行く気が失せてしまった。
髪が伸びすぎて耐えられなくなった時か、予定が入った時だけ美容院に行く形式になった。
たまには変化つけたい気もするが、前にウルフにした時あまり良くなかったんだよな。
変化させたければヘアアレンジすればいいということを知ってしまった。
そうなると結果今と大差ない髪型になる。
派手髪、とも思ったけど、それにはブリーチをしなければならなくて、全頭ブリーチはなかなか手入れが大変そうだ。
こまめに美容院行かなきゃいけないだろうし。
ブリーチしなきゃ、赤だろうが紫だろうが色を多少変えたところで微々たる変化になるんだよな。
なんか、私の人生みたいだ。
90年代は、ドラゴンボール、スラムダンク、るろうに剣心あたりで、00年代はナルト、ワンピ、ハンター、ブリーチとかで。
元増田です。たくさんのご意見・アドバイス、ブックマーク、ありがとうございます。
見た目が地味だったり、変わった方に好かれる特徴があったりするのではないか、というコメントがありましたが、確かにそうなのかもな…と思いました。
高校生のころからお母さんみたいな格好だねと友達に言われたり、小柄ではないのですが中学生の頃は尻がデカいねと友達に言われました。。(つらい…)
化粧はちゃんとしているつもりです。髪は染めてますがブリーチまではしたことないです。
小さい頃から皮膚が人より弱く、酒さ・じんましん体質なので顔も腕も肩も背中も足も本当に汚く露出の高い服装などをしたことがあまりなかったのですが、社会人になりお金も貯まりそうなのでこれを機に少しずつ治して派手めな見た目にしていきたいと思います。ありがとうございます!
また待ってちゃダメ、自分からいかなきゃというコメントもたくさんいただきました。身に沁みます…
ハードルが変に高い〜というコメントがありましたが、男女混合の集団で遊び・飲みに行く機会はわりと多く、むしろ女子だけで遊ぶ機会より、男女混合グループで遊ぶ機会の方が多いくらいです。グループの中で女が私1人のこともけっこうあります。2人で遊びに行く経験はあまりないので緊張してしまいますが、集団で遊びに行くのは私からも誘うし全くハードルとも思わないです。
集団で遊んだのち2人で遊びに行く間柄になった人もいたにはいたんですが、9回くらい2人で遊んだ後に彼女ができたみたいです。9回裏で逆転されてしまいました…
こういうところで選ばれないのほんとに悲しいな〜って思ってしまいます。男性から異性としてみられない、友達止まりの女として扱われているんですかね…
あとアプローチの仕方がわからないです。私は好きでも相手にそれが同じ熱量で伝わっていないような気がしていて、、友達に相談したらボディタッチとか?って言われたのですが、付き合ってもない女からベタベタベタベタ触られるのって男性的にはどうなのでしょうか?
小学校時代にいじめられ、蹴られたり菌とか汚いから机を離せと言われた経験から人に触られるのも人を触るのも怖く、パーソナルスペースがかなり広い自覚があるのですが、もし大多数の方にとってボディタッチが良いのであれば私が変わらなきゃな、と思います。
また、イケメンから好かれたい、ということは全くないです。ジャニーズとか韓国アイドルとかのいわゆるイケメンを見ても全員同じ顔にしか見えないし、私自身オタクなのでイケメンと関わるとものすごく気後れしてしまいます。できれば私と同じくらいの陰キャ度合いで、同い年くらいの方とお付き合いできたらな〜と思っています。
・理由
現在の日本アニメ文化の供給源となっていた漫画が、完成期を終えて本格的な衰退期に入るから。
まず、今のアニメが黄金期であることは疑いようがない事実である。
2023年1月現在においても地上波アニメだけで「ぼっちざろっく」やアキバ冥途戦争、水星の魔女、ブリーチ、スパイファイミリー、異世界おじさん、DIYのようなオリジナルかつハイクオリティのアニメたちが競い合い鎬を削る時代である。
また、アニメ映画にしても現在爆走中の完全新作「すずめの戸締り」から過去作オリジナルのスラムダンク、現在連載中のワンピースからFILM REDなど、時代や原作新作問わずで非常に盛り上がりを見せている。
であるにも関わらず、なぜこれから20年の間にアニメは衰退するのか?
・現在のアニメは宮崎駿などの巨匠たちが作り出したハイクオリティ映像作品と、手塚治虫や永井豪などの巨匠たちが漫画で発掘した資源のハイブリッドであり「日本サブカルチャーの完成」そのもの
声優であったり作画であったり音響であったり映像であったりコンテであったり色彩であったりシナリオ、脚本、・・・いろいろとあげだすとキリがない。
この場合の「原作」とは漫画や小説のことではなく、「アニメという作品を作るうえでの軸となる材料」であり、それが監督であろうが脚本であろうがプロデューサーであろうがディレクターであろうが何でもいい。
日本サブカルチャーから原作が枯渇したとき、日本のアニメは終わり、アニメ制作会社は海外の下請け企業としてしか活動しなくなる。
「映像」はそのままの意味で原作を元に作成されたアニメーションそのものだ。
原作がなくともアニメ制作会社たちは映像を作り出す力をレベルの差は違えど各々が持っており、それを商品として経済活動をしている。
・ここまで書いて飽きた
続きを読みたいならブクマしてくれ。