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2018-06-17

実家にいて鬱になったが、最近良くなった。

実家は狭かった、精神的にも経済的にも貧しかった、うるさかった。

自分の部屋がない、限られた小遣い、周りに合わすためのゲーム、両親の喧嘩、姉の癇癪。

学者が夢とか幼稚園とき言っていたけど、そんなことは誰にも聞いてもらえなかった。

高校まで地獄だった。

両親、姉、祖父母、教師クラスメイト、こんな繋がりしかなかった。

誰もかれも悪気はなかった。ただ中身のない、文脈のない乾いた笑いで過ごす。

いや、信頼を前提としたかかいというのに慣れていなかった、というか、信頼していなかった。

不毛承認ゲームに参加しないと生きていけないと思っていた。

大学に行こうといった。反対された。

とめどない姉の癇癪。父親うつによる自殺時代遅れ母親大学進学への無理解

死にたかった。やっぱり自分なんて、夢を持っても、こんな家庭に生まれしまって、何も抵抗できない。

他の家庭とは違う。子供の自立を考えようとしない。皆自分のことしか考えていない。

はい終わり。こんな世界もうイヤだ。生まれてこなければよかった。

結果的に推薦で大学合格したけど、溜まりに溜まった鬱が溢れて、学校に行かなくなった。

家に引きこもる。部屋のない実家騒音毎日聞かされる。

父の自殺もあり、死が近くなった。自殺しようと思ったが、できなかった。

本能で死んでないだけ、踏み切れる気力もない。

ただただ、植物状態になっていた。


生きる意味など無い。気づいたのは遅かった。

実家をどうにか出て、一人暮らしになった。

大学サークルにも入ったが、不毛承認ゲームしかできなかった。

講義は退屈だった。不毛すぎる。何もやる気がしない。

そして一年が経ち、すべての関係を切った。

ただ静かな場所が欲しかっただけなんだ。

静かな場所で静かに本を読む。

こんなことが自分の居心地の良い場所で、自分自身のことについて考えられるとは思わなかった。

難しいと思っていた学問も、時間をかければ自分で進めていけることもわかった。

実家おかしいこともわかった。不毛承認ゲーム無駄だとわかった。


育ちがいい家庭の重要な要因とは、「いつか自立するであろう子供」に対し、

自分経験他人経験、また、現在の様々な業界の情勢を織り交ぜた、極力客観的意見が言える親が居ることであり、

そんな人間、周りを見ても簡単に見つからないっていうことをやっと理解できた。

周りに居ないなら自分で獲得するしか無い。そのために本、映画音楽などというものがある。

作品というのは、絶対に全てを知ることのできない他人と、意志を共有するプロトコルにもなりうる。

そのプロトコルを作る人間、使う人間というのがあって、どちらが偉いというわけではない。

でも、意識しなくても、自分でなにかプロトコルを構築した人間というのは、

他人に対して謙虚になれる。自分意志自分で作っているわけだから自信もつくようになる。

そういう人間になりたいけど、文章がうまくまとまらない。

練習しような。今からでも遅くない。

ていうかなんか作ろう。創作なんて馴染みがなかった。

酔いどれ20歳児でした。

2018-06-16

anond:20180616120825

ほほう

じゃあどうぞ?

講義してみてくれる?

2018-06-12

ふるさとってさ

大学講義プロジェクトX映像見たんだけど

その中でダムで沈んでしまう村の桜を移植して再生する、っていう事業があったのね

そしてその桜を移植して、そこは第二のふるさとになったっていう話で、結構感動したんだけど

でもそこでは間違いなくふるさとは壊れてて

でも新しいふるさととしての桜が生まれた、というエピソードなんだけど

俺は地元愛とか持ってないんだけど

これ見て、ふるさとってじゃあ、後天的に人々が決める、共有するものなんじゃなかろうかと

俺はまだ地元愛とか持ってないけど、いずれ何がしか経験コミュニケーションの中で守りたい地域が出てくる

そうなったときふるさとって呼ぶんじゃないかと思ったのね


普通場合でも、ふるさとって長くそこに住んだ経験があって初めて

意識的無意識的かはおいといても)「ふるさと」へとなっていく、守りたいと自覚できるようになる

そういう意味でもふるさと後天的ものであって

まれ場所として最初から決まっているとか、親によって決まるものでもないんじゃないか


どこかに住みついて、そこの人とコミュニケーションをとって、愛着を持つようになる過程ふるさとになる

ということに意識がいくと、こういうことを支援したり、そうしたふるさと意識を持った人々がふるさとを守るため

あるいはこの場合は、新しいふるさとを他の人々と共有するため行動を起こす

そういうことも、何かこう権力関係の中で利権を争うみたいな官僚やら政治家やらの動き以上の

根本的な人々の政治なのかもなと思いました

どっとはらい

2018-06-07

大学辞める

もう、自分にはあの大学に通うのは不可能だ。

憂鬱な毎朝を迎えるのはもう無理みたいだ。

校舎を見ると吐き気がしてくる。

ここ1ヶ月学校から家に帰っても何にもできない気分だった。

講義全然からなくてーみたいなものでもない。

しろ頭を捻っていろいろ思考するのが好きだった。

それがどうだ?

最近はちっとも頭は働かないし、働かせようとも思わなくなった。

2年間しか通ってないのにな。

もう疲れたよ。

ネットに転がっている情報探偵ごっこ



ジブリ第7スタジオってどこにあったんだろう??

ジブリ第7スタジオ」でググる

こんなツイートがあった。

画像を見ると電柱に「○町2丁目」とあり○は左右対称の文字に見えるので【中町】【東町】【本町】のどれかと推測。

亜細亜大学から野川公園の間で片側1車線で歩行者信号がある交差点を重点的に調べた結果


ジブリ第7スタジオ跡はここ!

https://goo.gl/maps/8W3N9nVBsLx

2018-06-06

大学ってこんなにも辛いところだと思わなかった

最近大学への足取りが重い。

バスに揺られて30分のところに私の通っている大学がある。

バスから降りて校舎を見ると、なぜだか吐き気がする。胃の上のあたりがムカムカするような。

講義を受ければ今度は頭が痛くなる時がある。

吐き気頭痛ダブルコンボの日には講義から飛び出したくなる気分。

実際に何度か図書館に逃げ込んだこともある。

これが実習系の講義に起こるとたまらない。だいたい3~4.5時間もガマンしないといけない。でもそれも慣れてくる。

どうして大学ってこんなにも辛いのだろう。

奨学金授業料ニュースを見ているのがつらい



奨学金も、授業料免除も、受けたことがない人が制度を作る。

ヒアリングもしないか的外れ制度になっていく。

利用されることが目的じゃなくて体裁なんだろうな。




数年前に国公立大学で無利子奨学金授業料免除を全額とか半額とか受けて祖父母に支払ってもらって卒業した。

下宿は親せきの家で、家賃25000円で置いてもらって、かなり恵まれていた。



父親とは縁を切ろうとして家を出たのに、奨学金授業料免除も、親の証明がいる。

祖母父親交渉してくれたけど、それはもう毎回、戦争だった。

社会的クズからか、不満の当てつけか、書類が遅れることはいものことで、何度、学生課に頭を下げたかからない。

父親自営業で、実質経営破たんしていたから助かったけど、下手に収入あったら困ってただろうって思う。


それでも、こんなのマシだ。


毒親を想定しない制度の多さ - T.が過去を振り返る http://t-ritama.hatenablog.com/entry/2016/06/03/113152



自分国公立大学に入って驚いたのは、お金に余裕はなくても、親がちゃんといる、ちゃんとした教育を受けている子が圧倒的に多いことだった。

自分の周りは片親か、クソ親で愚痴っている子が多かった。

そりゃそうだ、入る段階で、選別されているんだから

自分は運が良かった、と本当に思う。



堀茂樹教授「どちらかといえば金銭的&文化的に恵まれ若者達の組織」に対する反応と奥田君の苦悩 - Togetter https://togetter.com/li/921944 @togetter_jpさんから


自分も、授業料免除の度に、何の苦労もない人が羨ましくて仕方なかった。

自分の生まれと親と自分自身を何度呪ったかからない。

目の前が真っ暗にならなかったのは、大学での友人の存在と、今は夫になる人がいたからだ。

夫は、親が継父でお金を出してもらえず授業料免除却下され、奨学金を借りて毎日8時間アルバイトをして、大学講義にも出て、ちゃん卒業した。


毎日、八時間アルバイトして、勉強して、息抜きの暇もない。

友人は、バイトしたお金自由に使って遊んでいるし、貯金もある。

そんな格差を目の前で見せつけられた、高校卒業したばかりの若者が耐えられるか、と思うのだ。


今も、日本は、こうして、呪いを貯めこむ学生を増やしているんだろう。

自分も、その一人だ。


奨学金授業料免除に焦点が当たるのは最初は嬉しかった。


でも、これで救われるのは、自分じゃないのだ、と気付いて、気が重くなってしまった。

あの時の、自分のつらさを、他人にも味わってもらわないと平等じゃない、と考えてしまうようになってしまった。


社会人になって数年。

奨学金の返済額は、夫と合わせて五万円弱。消費税もあがった。

大学の時は、これから働いて豊かになるぞ、人生、楽しもう、と思ってた。

だけど、身体を壊してしまって働けなくなって、夫に収入は頼り切りだし、明るくて楽観的だった夫も、残業続きで疲弊している。


高度プロフェッショナル制度も通ってしまったし、夫の会社が、この制度悪用しないことを祈るばかりだ。


他人ちょっとでも幸せそうにしていると、妬むようになってしまった。

それを、国公立授業料免除改善ニュースで、気付いてしまった。


これからも、他人を妬みながら、くらすようになっていくんだろうか。

それは怖くて自分失望する未来だ。そんな時期もあったなと思って無邪気に笑える未来は来るだろうか。

きっともう、どうしようもない。ただ流れに身を任せるしかないんだろうな。

2018-06-01

anond:20180601000559

男が当たり前に育児することに関しては産婦人科や親子学級からしハードルが高い。

うちのケースだけど、まず夫がショックを受けないように定期検診のときから予め言っておいた。

産婦人科には妊婦とか婦人病の人だけでなく中絶する人とか望まない妊娠をして男を憎んでいる人とかいて、もしかしたら男というだけで嫌な思いをするかもしれないけど心得ておいてね」

検診では他の患者がいない時間帯を狙っていったので特に何も無く、イマイチピンと来なかったらしい。

でも次の親子学級も心配で予め釘をさしておいた。

講師先生は『パパたちは家事なんか出来ないんだから今のうちにママに習っておいてね、どうせ男なんて』とかそういうマウント的な発言をする可能性が高いけどイラッとしないでね」

そんで親子学級当日。「パパたちも育児に参加を」とかいブックレットをもらい、それについて講義が始まった。

今日参加のパパたちは、どんな育児をしたいと思っていますか?」

たまたま端に座っていたうちの夫婦に当てられたので夫が「仕事から帰ってきて嫁を寝かせる」と答えた。

「その間の家事は誰がするのですか?」という講師に「僕がしますが」と質問意図がわからないという感じの夫。

後で「あれはミルクとかお風呂とか答えさせて『それ以外の家事育児ひとつです』って参加するママとドヤァする奴だったんだよ」と言うと「そうだったんだ」と納得した夫。

しかモヤモヤするのは「家事は誰がするのですか(まさかあなたが夕飯の後片付けなどするのですか)」とうちの夫が家事が出来ない前提で質問返ししてきた講師

講師に悪気があったわけじゃないのはわかるけど、なんで「パパ=みんな家事出来ない」の前提で話を進めてくるのかわからない。

うちの夫は料理は最低限だけど掃除洗濯はしっかりできるし、趣味家計簿も付けてる。トイレットペーパーや洗剤が切れそうだと思ったら自主的に買ってきてくれるくらいには消耗品管理もできる。

ネットニュースを見てたら『パパ必見!楽に出来る皿洗い!』っていう記事があったから読んだけど『お皿は一枚一枚ではなくまとめてすすぐと水道代の節約になります』とか当たり前すぎてバカじゃねえの、と思ったけどこんな記事需要がありそうなくらい皿洗いのひとつもできない人が多いのか」とのこと。

「世の中には妻が熱を出して寝込んでいても『俺の飯は?』と言うアホタレもいるからね」と話したら「マジでそんな奴いるのか」と手を叩いて大ウケしてた。

それでやっと今まで言われてきたことが理解できたらしい。遅いよ。

他にたまひよクラブ的な雑誌にも「里帰りで夫に殺意」「夫が無責任」「夫が使えないのは妻にも責任が」みたいな記事がたくさんあって、殺意覚える前にやることあるんじゃないかとか思った。読んでると夫に対してヘイトしか湧かないような記事の多いこと多いこと(あと実母姑に対してもすごかった)。

知り合いの子育て世帯を見渡しても「旦那家事を全くしません」という家はほとんどない。

料理は当番制」とか「子供のお迎えは交代で」とか当たり前にやっているし、それでみんな頑張っている。

観測範囲、と言えばそれまでだけど今の子育て世代の男は全く家事をしないという印象は全くないしどっちかというと共働きで動ける人が家事育児をするという家が多いんじゃないかな。

その意識が変わってきたのを育児業界が掴めきれてなくて「イクメン(笑)」とかやってるから「男が育児に参加するしない」で引き起こさなくてもいい憎悪煽りが尽きないと思ってる。

男性育児に参加してもらいたかったら、メディア単位で「育児するパパかっこいい」じゃなくて「子供の世話をするのは別に偉くないし当たり前」にどこかでシフトしなくちゃいつまで経っても「どうせ男は家事育児できないしー」みたいな風潮なくせないと思うけどまだまだ過渡期だから難しいかな。

ひどいパパもいるんだろうけど、世の中の頑張っているパパを褒めているようで見下してるような雰囲気がなくなればいいのになあと思います

2018-05-30

この講義感想自由に書いてください

何書けばいいの?

2018-05-28

怒るという感情封印したら鬱になった

新入社員研修時代だったと思う。

外部講師による「成長するために必要マインド」という題目講義を受けた。

問題に直面したとき他責ではなく自責にすることが成長に不可欠だそうだ。

意識高い系だった私は、この講義を受けていた時はすごくギラギラしていたと思う。

この教えを忠実に守っていた。

とは言ってもただの考え方なので、実際に行動に落とし込まないと成長につながらない。

そこで私が辿り着いた行動のは「怒る」ことの封印だった。

怒るということは、自分は正しい、もしくは自分は間違っていない、と主張していることと同義だと思っていた。

自分が間違っていると思いながらも、怒る人なんてそうそういない。

大体のトラブルは、どちらも自分こそが正しいと思いながら怒っているのだと思っていた。

怒るという行為のものが、傲慢で浅はかで恥ずべき行為だと本気で思っていた。

しかし、実務に入ってみると怒る人はめちゃくちゃ多い。

様々な問題に直面したが、怒っている相手に対してキレること無く、全てグッとこらえた。何事も原因は自分にあると考えて、ただひたすら謝った。

そんな毎日に、愚痴をこぼすことももちろん無かった。自分のしてきた行為を棚に上げ、現状を嘆く愚かなことだと思っていたからだ。

怒る素振りを見せることは無かったが、嫌な相手対峙した時に真っ先にくる「ムッ」とくる感情は、どうしても封印することが難しかった。

そう思ってしまうのは、反射的なことで仕方が無いことかもしれない。

それでも、こうした感情が湧き上がってくる自分自身がとても嫌だった。

そのうち残業がどんどん増えていった。怒られる頻度も増えてきた。

そして、指数関数的に自信が失われていった。

そして、ベッドから起き上がれなくなった。休職を言い渡された。

自分人生はもはや失敗だ、もう取り返しがつかないと絶望し、死んでしまおうと何度も思った。

私の何が悪かったのか、今でも分からない。…いや、そう思うことすら自分自身に驕りがあるように感じてしまう。

私はつくづく生きることに向いていない。

2018-05-27

ライン再開するくらいならウンコ食う

元々ライン高校生の頃から利用していた。

クラスの連絡を受け取ったり友達と連絡したりスタンプを購入したり、かなり重宝してた。なくてはならないものだった。

大学生になっても、色んな連絡を受け取るのにお世話になった。スケジュールとかアルバムとかあみだくじとか色んな機能を使った。

締め切りを長めに設けて○○日○○時までに回答お願いしますって言っても回答しない人がいたり、見ていない間に勝手に話し合いを始めて数人が書き込んだだけでそれを「全員の意見」として扱ったり、なんだかなあって思うことがかなりあった。

昨年9月くらいかサークルとか学部の係とかの仕事の連絡で自分から発信することが増えた。

もともと自分文章を書くのが苦手で時間もかかる。また、サークル等の連絡ではそのメッセージを送るにあたった事情を知らない人もたくさんいる。

読みやすメッセージを書かないといけない……と下手くそ文章を考えるのに10~30分、またはそれ以上かけることがよくあった。

その文章を書いている間に友人から何件もメッセージが来ることもよくあった。20分経ってから返信すると「遅いよ」と文句を言われることもあった。それ以来文句を言う子にはなるべく早く返信するようにした。

ラインは、他の人とのトーク画面を行き来しても送信する前の文章が残る場合がある。でも、書いている間に画面がフリーズして文章がパーになる場合もある。

私はラインメッセージを送る度、文章を書いてはコピー、書いてはコピーを繰り返し、今回は途中で消えませんように、誰からも連絡がきませんように願った。

10月くらいかアルバイトを増やした。講義数が増えたりアルバイトの疲れで帰宅後そのまま眠ったりするため、ラインを見る回数が減った。

授業中ラインの返信をしようと思い、同じ学部の人のトーク画面を開いた。内容を読み、メッセージを打ち込んだ際、グループ討論が始まったためスマホの画面を消した。

既読スルーし、その授業が終わった後「後で返信する」と送り、アルバイトに向かった。その日は帰宅してすぐ寝てしまった。

翌朝返信しようとトーク画面を開くと、その子(以下Aちゃん)からアルバイト長引いてるね? 大丈夫?」というメッセージが届いていた。

謝罪アルバイトが終わった後疲れて寝てたと言い訳メッセージ送信した。

その日、Aちゃんに直接会った際「寝る前にライン見てよ」と念をおされた。

他のアルバイトをやってる人ができることができない私は駄目だなあ、と思った。

ラインが普及したことで格段に早く情報を受信できることになったけど、私個人はそのスピードじわじわとついていけなくなった。

以下のエピソードラインというより知人の性格由来のもので、冷静に考えるとくだらない内容だけど、似たようなことがたくさんあってしんどくなった。

ある時、有志でポスター印刷所に注文した際「大学内で配布するだけなら100枚でいい」とラインアドバイスした。しかし返信は「話し合って200枚に決定した」だった。その話し合いのメンバーに私は含まれていなかったし、そもそも話し合いの連絡などこなかった。(このあとめちゃくちゃ余った)

また、あらかじめ「私はその予定だとこういう理由で受けとることができないので、Aちゃん注文お願いします」とAちゃんラインしていた。こちらの事情は伝えたし、「私ちゃんくらいしか信頼できる人いないから……」と聞いていたので、彼女との友情を信じた。Aちゃんには既読スルーされた。

本来計画の受け取り予定日3日前にAちゃんから「そろそろポスター注文しないとまずくない?」というメッセージが届いた。

現実漫画のようにいかなかった。

他のメンバーアカウントを作るのがめんどくさいとのことだったので、アカウントを急いで作り自腹をきってポスターを注文した。(今思うとやめてよかった)

似たようなことがサークルとか学部とかで何度もあって、返信に追われ1日2時間~4時間ラインをしないといけなくなって、次第に(プレッシャーストレス?)トークを選ぶ画面を開いたまま気づいたら1時間ボーッとしてた、みたいなことが増えた。

あと恋人アルバイト先に来て「連絡してくれないと病む」と冗談を言ったのが冗談に聞こえないくら精神に余裕がなかった。めっちゃ怖かった。

ラインをすぐ返信しないといけない」

「返信しないと迷惑がかかる」

というのが頭でわかっているのに体が動かなかった。

そもそもコミュ障だし、どうして嫌なことに時間かと費やさないといけないんだろうと思った。トーク相手はどう思っていたかからないけど、こっちにとってラインは失敗できないシミュレーションゲームだった。

高校の友人とのラインはすごい楽しかったけど、その楽しさが霞むくらい大学で知り合った人との連絡が苦痛だった。

やりたいことや睡眠後回しで連絡しないといけないのがしんどかった。

次第に「どうせ一部の人勝手に決めたことが全員の意見として扱われて、私個人意見無視されるんだから、私はラインやる必要なくね?」

そして先月「そもそもラインやめたら返信する必要なくなってもっと楽になるんじゃね??」

とアッパラパー(^p^)になって、ラインアンインストールした。

起きてトーク画面開いてるうちに息が荒くなって目の前が白くなったり、返信しないと迷惑がかかるってライン開いてないのに常に焦ってたり、常に不安とか会話が全く頭に入ってこないとか、何も食べたくないときがあれば食べずにはいられないときがあったり、全く眠れない日があれば14時間睡眠講義をサボってしまった日もあった。

その頃は誰々からメッセージというより、ラインというコンテンツ自体が怖くて、スマホの充電が切れて数日放置したときがあった。(その際、Aちゃんに「なんで返信してくれないの? 私なんかした?」とトークSNSのリプでメッセージが来た)

春休み死ねライン開かなくて済むかなあと川に身を投げようとしたが、バス代をケチったのとスマホを部屋に置いてきたせいで迷子になった。それから個人的に死ねない理由があったのを思いだし、結局死ぬのを諦めた。

自腹の話で思い出したけど、別件で雑費を割り勘で返してくださいってライン送信したのに未だに返ってきてない。

ライン送信する文章を考える間に、自分の駄目っぷりに自己嫌悪に陥ったり頭が真っ白になったりするし、ライン関係で嫌なことがたくさんあった。

あと大学の人とつながってるのがしんどくてサークルも他のSNSもやめた。

Aちゃんの話が多くなってしまったが、Aちゃん調子がいい人だなあと思うだけで嫌いなわけではない。

つい先日、ラインがないと連絡とれず迷惑と言われたが、そもそも私はメールアドレス電話番号等連絡先をロッカーマジックペン(太)で書いて貼っている。

また、話し合いができないので困るとも言われたが、開き直って考えてみれば、そもそも以前から私抜きで勝手に行われていたのでいてもいなくても大して変わらない。

今の自分ラインを再開したところで、結局アプリは開かない。

「豚に真珠」は宝の価値を知らない者が宝を持っていても意味がないという意味だが、「私にライン」はスマホ内部ストレージ容量の無駄、もしくはどんなに便利なものでも使わない者が持っていては意味がないという意味である

しかしたら社会に出るときに新しくアカウントを作り直すかもしれないが、ストレスハゲそうなので今年中はやらない。

もし大学の人に「目の前でウンコ食べたらラインやらなくていいよ」って言われたら涙とやる気と気合いと勢いで一回は頑張って食べてみせるかもしれない。

でも人間以外の動物ウンコマジでやばそうなので、本当は食糞ラインもやらずに生きたい。

2018-05-26

今の学生っていいよな〜

courseraとか、その他いろいろなオンラインコース世界有数の講義を聴けるじゃん

ワシが若い頃はそんなものはなかった

2018-05-25

anond:20180525195714

俺もADHDだが、逆に講義(授業)以外で勉強したことがない。

板書もちゃんと書いてないし(書いてもあとで読んだりしない)、自宅での課題ちゃんとやらなくて怒られたし、自制心が弱くて自己学習が苦手だからやってない。

まり授業に出ることでしか勉強してないが、高校専門学校卒業できた。

しろ自己学習できるのがすごいと思う。

ADHDだが講義を聞きながら内容を理解できた記憶がない

タイトル通り。ADHD大学まで出ているのだが、授業で勉強できた記憶が全くない。講義を聴きながらなぜ内容を理解できるのかわからない。

工学系で大学院まで出ているが、中学以降は、全部教科書/ノートの写しを後から自分で読んで復習して学んだもので、講義中に講義を聴きながら理解できたのはほんの一部分。

授業の時間は、先生説明を聞く時間ではなく、板書を写す時間学習時間は後にとってた。

これ見てる人の中には、高校とか大学先生もいると思うのだが、お前らの講義を受けているうちの何パーセントかはこういう人間だと知ってほしい。

なんかなあ。

3月に地元先のバイトをやめて、ゴールデンウイーク明けにバイトを探して、1つとある飲食面接決定まで辿り着いたが、今週、直前になって断られた。なんかもう自暴自棄になりそう。

ツイッターフォロワー大学友達ほとんどバイトしている。自分大学講義が2年なって忙しくなったけど、下宿ということもあるから、少しでもお金でも稼ごうと探した結果これ。なんかもう、将来も真っ黒な気がしてきた。バイト募集なんて星の数あるけど、落ちたらどうしよう、人間関係でどうしようとの葛藤がある。そんなこと気にしてもしょうがないやん、とも思われるかもしれんけど。

なんか周りに合わせようと焦ってる自分が嫌になってきた。バイトもしてない大学生って何してるの?って思われてるけど自分でもわからない。

旅行ちょっとした遠出とかしたいのに、やっぱ地元先でのバイト辞めるべきじゃなかったかな。今思えばみんな優しかったし。仕事飲食多忙だったけど、給料はよかったし、復帰しようかな・・・・・・

大学3年から資格講座で地元に帰れるのは僅かになるけど、せめてもの1年だけでも、復帰できんかなあ。

効率的ではないし、帰れる日も多くはないし、まともに稼げるかはわからないけど。

でもいずれは下宿先でバイトさなければならないのはわかってる。


あああああああああああああああああああああああああああああああああああああもう、たかバイトときでなんでこんなにも悩まなきゃならあないんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

そんな自分が大っ嫌い。お前の本業はなんだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2018-05-23

anond:20180523135459

大学教員は、研究仕事で、講義は毎年同じ教材の使いまわしも多いからな。まあ効く木のない大学生も悪いんだけど。(文系

日大アメフト監督コーチは悪くない

タイトルには悪くないとは書いたが、

これは、「監督選手との認識の違い」という件に関して考察したいものであり、

自分自身教育者としてかつて行ってしまった、誤りを改めて見直す事を目的としたものだ。決して本件が悪くないとは思っていない。

問題なのは、対人に対して成果を求められる、あるいは成果を求める教育者がこういった状況に陥りやすい事について是非知ってもらいたいかである

仮に監督コーチが「ぶっちゃけていうと」どうなったのかを教育者としての経験とそこで起こった状況から、考えたいと思ったからだ。

したがって、私自身がどういう愚かな言い訳をするのか、客観的に見てみたいのだ。

この問題を考えずして、情熱をもって指導をすることを辞めてしまいそうになることが、どうも納得がいかいかである

もう一度言うが、本件は明らかに指導者が悪い。恐ろしい事だと、そう断言する。

監督選手との認識の違い

私はサッカーを少々やっていたことがあるが、サッカーというスポーツはとてもえげつない側面を持っている

(もちろん、この件をしっかり考えて、事実に基づき、その正当性について考える必要はあるが、ここでは「えげつない」という簡単言葉を使ってしまう事にする)

イエローカード程度に調整された意図的なファール、移動が困難になり、転倒寸前まで引っ張られるユニフォーム

次のファールを軽くしてもらえる、あるいはファールを取ってもらいやすくする審判への講義

どれも、ゲーム進行上、違和感なく行われている。

これは、ファールを取ってもらう為に痛がるパフォーマンス絶妙位置で転ぶ等に対して、審判がファールを取らない事から

その行為自体存在している事をが広く認知されている事を証明しているだろう。

よく、ユニフォームを掴んでしまうことに対して「とっさに掴んでしまう、ゲームに熱中していたからだ」という言葉を聞くが

何千男百との試合経験している中で、こういった行為抑制する事など出来ないはずは無い。

これが行われるという事は、試合の中で審判判断範囲内で裁かれないグレーゾーンを上手に渡り歩いているからだ。

この問題にはゲームの進行を止めてしまうとゲームスピード感を損なってしまうし、ロスタイムの増加に繋がるといった、

観戦者やスポンサー等に対するショービジネス的な要素も関わっているはずだ。

ともかく、どんなスポーツも「紳士的に行う事」が大前提とする中で、こういったグレーゾーン戦術的に行う事は、だれしも考える事だろうと思われる。

そこで、今回の件を思い出したい。

選手を潰してこい」といった、事がどのように行われるべきだったかという事だ

アメフトについて、無知である私がこのゲームについてどこまで許されるものかを書いて良いものではないが

すくなくとも、アメフトではボールキャリアに対してとびかかる様なタックルを行って良いものだと多くの人は認識していると思う。

前記したサッカーグレーゾーンについて考えると、監督が指示したのは「全身全霊をかけた、相手破壊する事を厭わないような危険タックルを行え」という指示だという事になる。

試合中にこの様なタックルをしたとして、審判相手チームは選手に対して警告を行ったとしても、今回の様な事態にはならなかったであろう。

それでは、なぜこの様な事が起こったのか、ここでもう一つの監督選手認識の違い」について考えたい、この件が今回私が考えたい本題なのだ

集団個人・また自分自身マネージメント学生教育者という関係性の中で生じる矛盾や歪みについて

選手記者会見で本人は「試合に対するやる気が見えない」と指摘されているまた、この件に対して選手自身に「その自覚が無い」と言っている。

ここから私自身の勝手な推察であるが、もしかすると監督コーチには、選手が以前からこう映っていたのではないだろうか?

選手に対するタックルに躊躇いが感じられる、有効な一撃を逃している」

といった、選手が考えてもいなかった側面、特にメンタル的な要素が起因した問題を何とか排除すべきだったのではないか

これは、学生に対する教育者特に悩む問題で、大きな肉体的、あるいはセンステクニックを持った学生メンタル的な要素で、その才能の邪魔をしてしまっている場合だ。

それを証拠に、試合後、選手に「やさしいから」等といった言葉をかけている事からメンタル的な要素に何か起因する問題があったのではないかと推察される。

こういった時、二次的に集団的にどういった事が起こるかというと、指導者の意図を察知した仲間が、悩む仲間に対して助け舟を出すのだ。

特に誰もが認める優秀な人物に対しては、熱心にそれをする場合が多い、自分の夢をアドバイスにして託す事は親にも指導者にもある、もちろん同じ夢を志す同士であればなおさらだ

問題なのはその仲間が本人に対して適切なアドバイスをしない事があるからだ。

今の私と同じように、ありもしないことを勝手想像し、相手に対して最善だと思う事を自分の中で構築するのだ。まるで親友恋愛話を親身に答えるように。

どうなったかというと「相手選手が潰れれば試合が楽になる」というアドバイスになった。

これは、チームメイトとして、この問題について解決すれば、大きな成長になることを信じて、一歩踏み出せない相手背中を押す行為だったのではないだろうか?

もちろんこの時、アドバイスを与えたチームメイトは、まさか試合中断中にタックルをするとは考えていない。あるいは、この様な大事になるとは考えていない。

そして、最後に念押しして指示される「やらないではすまされない」といった指導

この時、いよいよ思考は停止する。

この選手は、20歳の学生だ、学生の中には指導者の指導絶対である大人は正しい、先生は何でも知っている、そういった考えを持つ物がいる。

選手記者会見で再三「理不尽だと思う事もあるが、指導者に対して言う立場にない」等といった発言が出るのは、こういった側面があるからだと考えられる。

自分が未熟だから、考えも及ばない所で指導が行われている、そう考える学生がいるのだ。

一方で指導者はどうか、ほとんどが恵まれているのに、あと一つの所で伸び悩んでいる、何度も場数を経験させた、そんな選手をどう思うかだ。

こうした者に対して考えてしまう事は、自分の才能が認められたという事に対する慢心だ、その慢心から向上心を失っているという事だ。

もう一つは、先に挙げたような、メンタル的な要素だ。

この問題に対してやりがちな事は、対象を悔しがらせる事だ、まだ未熟だ、やる気を取り戻すまで、練習をするな等と、相手を奮い立たせるような挑発をする。

実際に、練習に参加させないといった、理不尽と思われる事を行っている。

そして、もう一つは、対象を新しい別の環境に置く事だ。

これは、現実は思っているより厳しい、大人もっとえげつない社会は間違っている、世界には間違っていることもある、そういった事を伝えたいというものだ。

とても紳士的で優しい人物であれば特に、この厳しい現実を伝えたくなるのだ、そんな時、自分の分野を引き合いに出すのだ。

厳しい勝負世界にどれほど立ち向かう覚悟があるのか、と考えた末に「殺れ」という言葉が口から出るのだ。

もし、荒くれ物の選手だったら、真逆の事を言っていたのかもしれない。

こうして、自分自身おかしいと思う行為の決行を判断する事になる。

本人は、この問題理解していないのだ、練習も頑張った、代表にもなった、指導のおかげだ、ほかに何が足りないのか

なぜ、自分をないがしろにするのか?なぜ、急に指導が厳しくなるのか?なぜ、特別な指示が出されるのか?

指導の通り頑張った。タックル踏み込みが浅いと指導されているので、きちんと踏み込みには気を付けている。

そんな時に、「確実に潰せ」という簡単課題を出されたときに、その問題解決できると信じてしまうのだ。

チームメイトや他の指導者の言葉さらに後押しをする。

多くの人が同じことを言えば、決して紳士的ではないグレーゾーン問題と同じように、問題ない行為に思えてくるのだ。

以上の事が、私の考える問題の全貌である

事実、幾人かの学生と向き合ったときに、もとい、人と本気で向き合ったときに、自分意図とは全く違う行動をする者がいる。

これは、自分意図という秤が自分基準にしている事が問題である事が分かった、自分だったらこうするだろう、こう伝えたら分かるだろう

といった、自分の秤は、どんなに水準を一般化させて展開させたとしても、学力能力の同等な人間を集めたとしても一致しないという事だ。

特に教育者は、複数人間相手にしなければいけない、問題は彼だけではないのだ。

多くの問題を抱えていて、すべて平等に行われなければならない。

そんな時に行いがちなのが、単純な命令による支配である

簡単かつ誰でもわかりやすい単純な物が良い、ただし、簡単であるが上に矛盾が生じる、一人だけ変更すれば他の物が混乱する、その為に強引に行うのだ。

時には、問題因子を排除する事も厭わない。個別指導するよりよっぽど管理やすいからだ。

次に、指導者を増やすことだ、自分代理複数立てる事だ、しかし、代理自分自身ではない、

どんなに忠実な代理だとしても、伝言ゲームの様に指導内容が違って受け取られてしまう。

それならば、同党の指導者を置けば、本来想定したものと違う指導内容になってしまうことになる。

そうなると、自分の手柄を作って信頼を得なければならなくなる。

その為には、多くの学生指導して、信頼を勝ち得なければならない。という悪循環が起こる。

最後

正直自分にはこのスパイラルをどう解消するべきなのか分からない

今は、教育平等でなければならないという考えを変え、学生自発的活動を見守り、問題は早期に発見して対処するといった事をしている。

しかし、熱心に、あるいは強制的に行う教育効果には遠く及ばない。問題はなくなるが、才能の開花を促進させる手伝いはできない。

適材適所バランスよく相手に合わせて状況判断して実施するという事が望ましいに決まっているが。

自分以外の人間をどこまで知りえる事ができるだろうか?それも複数人も。

何もしないで見守れば、育つ物も当然いる、同じように、愛情を注がなければ開花しないものもいるのだ。

そもそも学生に何らかのきっかけを与えるのが教育者なのではないだろうか?

特に大学スポーツチームとなれば、学生生活の期間、選手生命期間、どちらをとっても期間は限られている

他のチームはどうしたのだろうか?問題を起こしそうな選手排除したのだろうか?

2018-05-22

鼻に付く同級生がいる

今日あいつに会わないといけないのか〜

ある講義グループディスカッションがある)で同じグループの子なんだけど、天然っていうかほわーんとしてて、バカっぽい発言して周りを笑わせる上に最後結論ではめっちゃいい事言うの

お前バカな部分わざとやってんの?って思うくらいギャップが凄くて、男とかみんなその子しかしかけない。私もいるだろ!

先生にもタメ口っぽいのに全然怒られてない、むしろ愛されてる

真面目に課題をこなして真面目に発表して、先生にも丁寧な言葉遣いを心がけてる私が見向きもされないの、何か辛い

あ〜講義切っちゃおうかな

2018-05-21

街頭インタビュー専門チャンネル作りたい

今回のアメフトのやつもそうだけど、当事者の周りには多くの関係者がいるわけじゃないですか。

たとえば学生の中には加害者と一緒に講義受けてる人もいて、「本人落ち込んでました。騒がないでほしい」と言う人がいたり、「怖いか出禁休講にしてほしい」と言う人がいたりするかもしれない。

他にも「同じ日大ってだけでめっちゃいじられるっす」な新卒社員とか、「俺も若いアメフトやってたけどあんなもんだったけどなぁ」なおじさんとか、「アメフト部の飲み会で傷口いじった綿棒を放置して帰った客がいて最悪だった」な居酒屋バイトとか、各々が好き勝手しゃべる感じ。

つーかね、街頭インタビュー好きとしては、テレビの街頭インタビューは少なすぎるし短すぎるし、手を抜きすぎている。その辺理由があるのは想像つくけど、じゃあYoutubeとかでやらしてくんねーかなと思う。

まぁやんないけどな。時間無限にあるならやりたい。あるいは仕事で。人が話してるの聞くのは面白いぞ。

2018-05-18

切実に単位が欲しかったあの頃

目名近代文学の達成B 1

レポート名称講義全体の感想

 私はもともと自ら進んで本を読むタイプではなく、現代文の授業も退屈に全く聞いていなかったので、何だか難しそうである日本近代文学というものも全く知らずに生きてきました。文学部とは反対に、実益価値を置く商学部においてこのような人は多いと思います。それにも関わらず本講義を受講したのは、就活という制約のために労力をそれほどかけることができないという条件に合致し、次に近代文学に触れる可能性のない人生というのは少々勿体無いのものではないかと考え、何か読み始めるためのきっかけになるかもと興味が得られたためです。

 この授業はそういう文学初心者には丁度いいものだったように感じます。扱う題材も文豪たちの探偵小説からということで、ある程度プロットがしっかりしていて初心者にもとっつきやすものでした。また先生もそういう人たちに配慮して少しでも興味を持てるように工夫して授業を行なっていたように思います。大量のパワポの準備や、足を使って村を訪れるなど、手を抜かないところも好印象でした。作品や作者に対する解説解釈も一歩踏み込んだものが多く、ここまで深い読みがあるのかと感心することも多かったです。

 そのおかげか、小中高とあれだけ現代文の授業を毛嫌いしていた私にとっても、この講義面白く興味深いものとなりました。と同時に、ある小説の一篇を長時間かけて解説させられる普遍的現代文の授業スタイルますます害悪のように思えてきました。

 またレポートを提出させ、優秀なものプリントにして共有するというのも良かったです。私の字数を埋めただけのようなレポートに比べて、同じ学生でもなんて中身のあるレポートを書くのかと刺激を受けることもありました。特に氾の妻についてのプロ顔負けの自作小説には驚きました。私も一度くらいプリントに載るようなレポートを書いてみたい気持ちもあったように思いますが、そもそもこれまで二回しかレポートを提出できていないので気のせいだったかもしれません。

 そういえば最近、私は講義を受けていなかったらまず読んでいなかった春琴抄を非常に面白く読み進めています。どうやら講義を受けるにあたって近代文学を知るきっかけにしたいという思いは気のせいではなかったようです。あとは単位さえ得られれば当初の目標をほぼ完璧に達成することができそうです。よろしくお願いいたします。

提出日時:2012/01/30 00:27

就活生の愚痴を吐かせて

就活解禁して何ヶ月か経ったけど、いまだにやりたい仕事が見つからない。

大手企業に入りたいなんていう夢を持っているわけでもなかったので、いわゆる「努力」は全くしていない。

適当に行ったインターンの合説で、適当椅子が空いてた企業ブースにいくつか座り、適当インターンに応募し、そのまま選考に進み、2社から内定をもらった。片方は蹴ったけど、今内定を持っているほうの企業は(知名度はどうだかあんまりよくわからないけど)業界ではそれなりに功績のある企業らしい。

説明会も人並みに数はこなした。3月毎日スーツ着て、いろんなところに行って、たくさん応募した。毎日緊張してたけど、新しい企業出会えるのは結構しかったし、なんとなく面白そう?と感じた企業もあった。でも ES履歴書はかなり我流で締め切り前日とかに書いてるクズだったのでそこで落ちたり面接落ちしたり。

上記企業内定をもらったのは3月末と4月のあたま。応募してた企業が少なかったのかな、4月中に選考ほとんどなくて、ぼーっとした毎日を過ごしてたら、就活飽きちゃった。

というのも、第1志望というものを決めていなかったからで。失敗するのがすごく怖い人間から絶対にここに行きたい!って決めちゃったら、そこに行けなかった時に立ち直れなくなるのが目に見えてて。あえて第1志望は決めておらず、軸も決めないでがむしゃらに気になった企業に応募してた。というか本当に自分の好きなものが分からなくて第1志望なんて決められるはずがなかった。

から就活の終わりを決めてなくて、いつまでやればいいのかわからなくなった。今は、親からは「まだ就活続けるんでしょ?」ってプレッシャー与えられてるし、まわりの友達もまだもう少し選考ある〜!って言ってて、ここで終わらせたら社会不適合者なのか?とか、諦めてるだけなのかな?とか、会社に入ったらもっと他の会社にすればよかったって後悔することになるのかな?とか、ぐるぐるしてきちゃって、もうわからない。内定から承諾書を求められ、5月中に懇親会をやりますと言われ、完全に囲い込まれている(承諾書は法的なものでないから後から断れるというけれど、就活生側にだって良心はあるし、断ってしまったら筋が通らないと思う)。これから先、また選考受けて、全落ちして、結局今内定もらってるところに行くことになったら、その選考のために費やすこれからの数ヶ月全部無駄になるかもしれないと思うと、新しく他の企業に応募するのを躊躇ってしまう。

というか、今の時期から説明会から始めるの、めちゃくちゃ面倒くさい。経団連スケジュール通り6月から説明会開始する企業もあるけど、就活生の感覚的にはかなり遅いよ!って感じ。自分1月くらいかインターン参加したりしてたけど、そこから数えると半年近く就活してることになる。もっとからインターン行ってた人もごまんといる。その人たちは長ければ1年近く就活してることになるわけだ。無理。企業からメールを開く時の心臓が破れそうなほどの緊張の瞬間、お祈り文を見た時の悲しさ、何がダメで落ちたんだろうって悶々とする時間面接で待ってる最中に言いたい内容を反復すること、グループワークで全く初対面の人たちと楽しくもないことを話し合わされて愛想笑いすること、大学講義の数倍メモをとらなくちゃいけない説明会、煽られまくるwebテスト、出題意図が皆目検討もつかない意味不明webテスト、他にもたくさんあるけど、全部何も楽しくなかった。これをもう一度、同じモチベーションクオリティでやれと言われても不可能。何を求めて就活しなきゃならないんだろう?それがわかる人や定まっている人はモチベーションを保っていられるのかもしれないけど、好きなことややりたいことがない自分にはもう続けられる気力もないし、目処も立たない。

就活してると、まるで就職することがゴールのように思えてくる。でも実際は、その後にどう働いていけるのかが問題。そこの点は、就活生には曖昧データしか与えられない。開示していない企業だってある。会える社員も、ほぼ愛想の良い面接官だけ。そんなんで御社のことがわかるわけないだろ!自分がこの会社に入ってどう働かせてもらえるかなんて、面接官も教えてくれない。

からこそ、この内定をどうすればいいのかわからない。ここで決めてしまっていいのか、まだ就活を続けなくちゃならないのか。自分でも半々の考え。決められない。内定をまだ持っていない人からしたら、贅沢な悩みだと言われてしまうかもしれない。ごめんなさい。それでも悩んでいるんです。自分はこれからどうすればよくて、どうなっていってしまうんだろう。

2018-05-17

大学部活動は変われない

大学体育会に入ったことの無い人たちが大半だろうからこの文章を書こうと思った。

少なくとも私の部は異常だと思った。ここでの話は地方田舎大学での数年前の出来事だ。どうやらそれは今でも続いているようだ。

ちょうど今頃は、ある程度の新入部員が入部し終えていることだろう。もう少ししたら、その部のご作法を叩き込まれるはずだ。ここで言うご作法とは部の本質的活動とは全く関係がない。

新入部員たちは基礎練習をしているだろう。上級生たちも今はやさしく指導しているはずだ。あと1ヶ月もすれば部の大きな行事として新歓コンパがやってくる。これが厄介だ。

新歓コンパとは歴代OBOGたちも集めて今年度はこんな部員が入部しました、と報告する会のことである。決して新入部員が歓迎されているとは限らない。彼らはOBOGたちに粗相がないような行動を求められる。その代表例として、自己紹介と酒のマナーについてである。それを紹介しよう。

新歓コンパでの新入部員役割OBOGたちに個別挨拶回りに行くことだ。まず、挨拶回りに行くとき姿勢は中腰だ。OBOGの前に着いたら、「〇〇さん、お隣よろしいでしょうか」と一言挨拶して座る。まあこれはふつうのことだ。自己紹介が終われば、OBOGビールを注ぐ。ちなみに、新歓コンパでの飲み物ビールウーロン茶だけだ。ビールを注ぐときは必ずラベルが上にあって見えるようにしなければならない(もちろん、手でラベルを覆ってはならない。ラベル神聖な何かか?)。注ぎ口は相手のコップにできるだけ近づける(コップに当たってはいけない。注いだときビールがはねないようにする。まるで化学実験のようだ)。OBOGに注ぎ終わったら、次は自分のコップに飲み物を注いでもらう(未成年ならウーロン茶、成人ならだいたいお酒)。注がれた飲み物は「ありがとうございます」と言って一口でもいいから飲まなければならない。その後、談笑をする(そんな状況でできるはずがない)。その最中ビールが無くなったと気づいたらビールを注ぐ。区切りがいいと思ったら、ひと声かけて別のOBOG挨拶にいく。これを時間の限り続ける。目の前に料理はあるがほとんど食べれないと覚悟することだ。そんな時間はない。

入ったばかりの新入生にこんな芸当すぐにできるわけがない。だから新歓コンパの1ヶ月ぐらい前から講義がない空いた時間にみっちり練習することになる。部の基礎練習は二の次だ。まずは酒のルールを身に着けなければならない。何時間もかけて。部の練習ではやさしい上級生もこのときになると態度を豹変する(講義ときはやさしい教授研究室では……みたいな)。恐怖政治の始まりだ。これが1年に4回行われるから、新入部員たちもすっかりその部活動思想に染まる。これで晴れて部員の仲間入りだ。

新歓コンパ完璧にこなせる新入部員ほとんどいない。「もっとしっかりしろ」とコンパが終われば影で上級生たちはOBOGに注意されていたところを見たことがある。そのとき上級生たちの背中は小さく見えた。下級生は上級生に逆らえないし、上級生はOBOGには逆らえない。結局、その部活動思想を作っているのはOBOG年寄株となる。変えようと思っても変えられない構造になっている。

話題となっている大学もこんな構造なのだろうと推察している。上には逆らえないし、上もその上には逆らえない。ただし、一番上はやれとは言ってない。みんな"伝統から"という不文律のなかで動いている。しかし、実質その伝統を変えられるのは一番上の人物だけなのだ。当分この構造は変わらないのだろう。

2018-05-15

エロマンガ表現史』を大学で使う件について

大学で『エロマンガ表現史』を引用しようとした先生が、「そんな本を学生に紹介すること自体セクハラだ」みたいな圧力大学上層部などから受けたという事例を複数の道県で確認聞き取りを進めているところ。」

https://twitter.com/ogi_fuji_npo/status/996168127921586176

大学生なら18歳以上なのは確実(飛び級はあるか?)なので、教材に使うのは一向に問題ないはず。いくらでも引用研究すればいいと思う。

それより『エロマンガ表現史』を教材に使って、いったい何を講義するつもりなのかとても気になる。その辺の詳報を待ちたい。

どうでもいいけどはてな記法使えないんだが……

anond:20180515175749

大学って講義の終了時間もっと伸ばしても良い気がするんだけど

夜の9時までとか

私の考える動画講義の意義とその展望

自分へのメモ

 私が動画講義を見始めたのは、自分高校教員として、授業をするためである最初見たのはNHK高校講座。その後Manabee(現在Manavieの前のサービスである。Manabeeは一度終了後、とらマスク氏によりキュレーションされた。)である。この時期のすぐ後に玉先生によるWEB玉塾が始まったと記憶している。

 現在講義動画の状況について。現在はスタディーサプリをはじめとする塾業界教育無償化世帯所得による格差解消を進めるNPOなどにより、群雄割拠状態である。この流れは日本より少し先に始まったKehan Academyなどの教育WEBサービスから始まったと私は認識している。

 

 日本講義動画の状況は、高校レベルまでなら世界一の水準であるしかし、大学レベルになると明らかに世界に負けている。大学受験までの講義動画業界は飽和しているので、今後このレベル講義動画を安定して供給できるところが、講義動画WEBサービス次世代覇権を握ると私は考える。

 現在、その位置に一番近いWEB教育動画サービスは、私が知る限りでは「学びエイド」である。少し話題がそれたため、話題を戻す。私がそのような経緯を知り、講義動画を見始めたのは、2015年度だったと記憶している。Manabeeも何個かみてみたが、いまいちな出来のものか多かった。とらます先生動画が良さげだったので、それを見るためにユーチューブを見ていたところ、「学びエイド」が始まった。現在は1620円/月だが、始まった当初は880円/月であり、スタディーサプリより安かった。またスタディーサプリ生物の教材が完成していなかった。そのため、学びエイドを契約した。学びエイドは1年半くらい契約して、理科動画生物化学)はだいたい見た。また、他の動画講義にない先生のための動画講義指導者カテゴリーは、参考になった。

 最近高校の生徒がスタディーサプリに興味を持っているので、スタディーサプリ契約した。スタディーサプリ講義感想は、普通講義であるというものであった。ここで良い講義の条件について考えてみたい。

 良い動画講義とは、嫌いな人がいない、正しいことをきちんと説明した講義であると私は考える。今までの予備校校舎でのリアル講義では、これはあてはまらない。なぜなら、予備校校舎でのリアル講義は、食事で例えると外食であるからだ。外食パフォーマンスなどの濃い塩分や辛味、講師過激説明などの非日常演出する必要がある。しかし、動画講義は持ち帰りの惣菜と同じであるため、味が濃すぎるもの敬遠される。

 これを確信的に行い、講師の顔まで失くしてしまったサービスが学びエイである

 次に、スタディーサプリと学びエイドの両者の動画講義を受けてみた私の感想を述べる。

 スタディーサプリ高校生又は予備校に行っていない完全自習動画サービスである。つまり予備校を家庭にIT技術で持ち込んだサービスである。これはシンプル動画講義の利用方法である

 一方学びエイドは講義信者はつきにくい。これは顔を出さな講義スタイルを売りにしているからだと私は考える。また、5教科をキーワード検索できるというこれまでにない新しい試みにチャレンジしている。そのため、個人ターゲットはスタディーサプリの想定する普通高校生ではなく、進学校高校生又は学び直しをする大人に相性が良い。また、学びエイドの経営者個人塾と相性がいいとおっしゃっていたが、既存予備校で学びエイドと最も相性が良いのは、武田であると私は考える。

 予備校システムは、事務員チューターと呼ばれる大学生のバイト、あとは講師からなる。武田塾では授業を行わないため、優秀な大学生を何人雇えるかが予備校の校舎の質となる。しかし、教育業界で働いてみるとすぐにわかることだが、自分がわかることと、人に自分がわかっていることを教えるということは異なる。つまり予備校システムでは、チューターが生徒に教えることはできない。しかし、学びエイドを使えばこれは可能であるチューターはこの動画が良いので見ておくよう指示するだけで良いからだ。また、学びエイドは24時間見ることができ、参考書効率よく理解させる助けとなる。お互いのビジネスモデルも競合しないため、学びエイド×武田塾は既存予備校を倒す(又は弱体化する)システムになると考える。

 長くなってしまったが、以上が動画講義について私が現時点で考えていることである

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