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はてなキーワード: 教養課程とは

2020-10-30

おれはある地方政令指定都市で生まれた。コンビニ電車も走ってるし本屋図書館も徒歩圏にある恵まれ土地だ。おれの両親は両方とも同じ国立大出身だし父親の方は首席だった。それにも関わらずおれはとんでもない阿呆として生まれた。

おれがどれくらい阿呆であるかというと、知性以前に人として当たり前のことができない。例えばコミュニケーションだ。コミュニケーションというものは大まかな枠組みとして通信確立通信本文、通信終了の三つに分けることができ、それぞれで発信者が発信した後に受信者が返信を行なうことでその部分が終わることになる。このプロトコルは不足ないように簡潔にまとめたものであるため、三つすべてを含まないコミュニケーションというものもある。(例:広告広告は"広告を打つ"という段階で通信確立していることは前提と扱われるし通信終了は広告枠の制限で示されるのでそこについても返信は必要ない。)こうしたこと人間として生まれたならだれでもできることだ。人の話は人の目を見て聞く(通信確立)、話を聞いているなら相槌を打つ(通信本文を受信していることの確認)。けれどもおれはそれができないままずっと育ってきたしこれからもできないであろう。

あるいは他に、おれはマルチタスクができない。よく「女性マルチタスクができるが男性シングルタスク向きだ」などという与太を吐くやつがいるがあれは嘘っぱちだ。水を飲むときのことを考えてほしい。口に含んだ水を飲むためにはまず鼻への侵入を防ぐために口蓋帆を上げて鼻への通り道をふさぐ必要があり、それと同時に喉頭蓋を裏返らせて気道を塞ぎかつ呼吸自体も水が通り抜けるまで止めなければならない。都合3種類ものタスクをこなさなければ水を飲むという行動はできず、おれはしょっちゅう一つ抜かしてえらい目に合っている。しかしよほどのバカか力の衰えた老人でもない限り水を飲むということはむずかしいことではないだろう。

そんなわけでおれはどうしようもない愚か者でありおそらく軽度の知的障害を患っているのだが、しかし両親はそんなことを疑わなかった。これはおれが一人っ子であったが故の不幸である。そしておれは適切なケアを受けることな地元公立小学校に通い、当然のように勉強についていけず落ちこぼれていた。テストで満点を取ったことなど小学校でさえ一度もなかった。どうやらクラスメートにもいじめられていたらしく、このままでは地元公立中学校に通わせると深刻なダメージを負うと判断した両親は何を勘違いたかおれを地元学習塾に入塾させた。もっと小学校の授業にさえついていけなかったおれであるから当然箸にも棒にもかからなかったのだが、入学試験ができなかったにもかかわらず県下二番目の中高一貫校入学することとなった。確認はしてないがおそらく裏口入学という奴だろう。

中学校に入ったおれはますます授業についていけなくなり、ノートをとる習慣さえ失った。受けるテストはすべて赤点スレスレであったが中学校義務教育であるからたとえどんな阿呆でもエスカレーター式に高校に進学した。今までの人生が万事こんな調子であるからそのころのおれはたいそう人生をナメており、高校一発目の進路指導で「両親の母校の医学部へ行きたい」などと大言壮語担任に切々と諭されたのであった。当然である。2ケタのかけ算さえ間違え英単語綴りさえ危ういような奴が高校(しか進学校)へ進学しているのが間違いであろう。もっともおれ自身阿呆であるから本一冊まともに通読できないままのほほんと高校へ通い、教師陣のお情けによって卒業した。両親の母校の医学部は最高でもC判定のまま受験をし、お話にならない点数で不合格と相成った。(センター試験は9割を下回っていた。)

どうにもならなかったので予備校入学した。予備校商機を見つけるのがうまいので「医系への進学を目指すボンクラどもを自習室に縛り付け無理やりにでも勉強させるコース」というおれにうってつけのコース存在し、わけがからぬまま通学を続けた。2ケタのかけ算もままならぬままなぜか成績は上がっていたが、今から思えばあんものはあてになるまい。というのも予備校としては「ボンクラが惜しいところまで伸びてもう1年通う」というシナリオが一番稼げるであろうからボンクラであるおれの成績が粉飾されていることは間違いなかろう。予備校の誤算としてはおれの志望校は両親の出身大学であることだった。ボンクラボンクラなまま入試の日を迎え、愚にもつかぬ答案を根拠なき自信に満ち溢れたまま提出し、なぜか合格してしまった。すくなくとも自己採点では0点だった。(センター試験は結局歴史数学理科も満点を取れずじまいであった。)おそらく裏口入学というものだろう。

猫のほうがなんぼか賢かろうという馬鹿大学に入ったが当然授業にはついて行けなかった。勉強する習慣さえないのだから当たり前である教養課程は何らかの圧力ですり抜けたが専門科目は全くどうにもならず、2年生と3年生を2回繰り返している。そもそもこの学部に来たのだって父方の親戚がみな医師医学者で母方の親戚はごたごたして面識がないのだから医師しか職業を知らぬせいであった。モチベーションなどあるはずもなく、解剖は2度やってかろうじて覚えたがそれ以外はどうにもならず教授土下座してお情けで可をもらった始末である現在大学カリキュラムの都合で研究室に遊びに行って研究ごっこをして遊んでいるが、自分が何をしているか微塵も把握していない。ただ聞こえてくる単語が授業で聞いた覚えのあるものからわかったようにうなずいているのだが、先方もおれの阿呆具合など百も承知から深くは追及されない。おれの阿呆を何とかしようと息巻いているのは父親だけで、母など最初からあきらめて「せめて清潔感を身に着けてヒモにでもなっていなさい」と言う次第だ。大学も3年生まで進級したもののここから先どうにかできるとは思えない、ましてどこかの病院で勤務するなど不可能しか言いようがない。かといって阿呆研究者になれるほど世の中甘くない。おれの前に道はない。おれは何一つできないままここまで来てしまった。どうすればいいんだろう。

2020-08-12

anond:20200812184541

経済学とだけ書くからには教養課程でやるような内容なんだろうけど触りだけやってマウント取られてもなー。

2020-05-20

anond:20200520092011

電話線引かなくてもアンテナ建てれば電話網は構築できるんやで。大学教養課程普通習うやろ

2020-04-22

anond:20200422132811

今年度入学だとまだ教養課程殆どなんだが

(多少の専門科目もあるだろうが、1年なら先延ばししても何とかなるだろ)

やっぱ大学行ってないんだろうか

2019-11-17

それでも学問政治活動を分断させてはいけない

とある理系大学文系教養課程。最終日のテーマは「原発についてどう考えるか」であった。震災からまだ数年、明らかに政治的な」設問である。それまでの重厚で如何にも学問的な講義とは、明らかに様子が異なる。先生は、「あなたが望むと望まないとに関わらず、これから社会はこのようになるだろう。そこであなたは何を考える?」と問うた。

私は、問われていることの意味もわからず、ただその時の素直な「気持ち」をレポートに書いて提出した。今思えばそれは全くナンセンスな回答だったのだろう。書き直せるものなら書き直したい。

人間は根源的に自由である」とは、講義中に何度も先生が口にした言葉だ。すなわち、この世界にどのような強制力が働いたとしても、最終的な意思行動決定権を握るのは自分なのだと。その言葉意味を、当時の私も理解していたつもりなのだが、それを実践するまでには至っていなかったのだろう。あの日先生が問うていたのも、結局は「そこ」だったのだ。

原発のあり方に賛成か反対か。賛成/反対だとして、どのような具体案を持っているか。そんなことはどうでも良かったのだ。ただ、「この社会に、私はアクションを起こせる」こと、それだけを問うていたのだろう。それこそ純粋に、ただ学問的に。

そして伝えたかったのは、何らかの政治的思想ではなく、「学問実践できる」ことだったのだろう。


別の授業。上記とは分野も、先生性別も異なる。その先生がふと、自分経験について語る場面があった。

とある論文について、テレビ番組からコメントを求められたのだ。それは嬉しいことだと取材を受けたのだが、どうも番組としては「目指したい結論」があるらしく、そのようなコメントを「断定的に言ってもらえないか」と打診された。先生学者として嘘はつけないと断ったものの、放送された内容を見ると、やはり結論ありきの構成に利用されてしまっていた。

以降、先生はしばらくそのような取材は全て断っていた。しかし、ある時「本当にそれでいいのだろうか?」と考える機会があった。「仮にあの時自分が断ったとして、それで何かが変わっただろうか?」「コメントの場を与えられることは、それ自体社会意識を変えるチャンスなのではないか?」と。

それからは、取材のお願いも可能な限り断らないようにしているそうだ。やはり結論ありきの構成に利用されることは承知の上で、しかし、「その中で自分にやれることを探している」と言っていた。


学問政治活動に毒されてはいけないというのは、確かにその通りだと思う。一方で、政治活動にはもっと学問を持ち込むべきだろう。現状のように、宗教疑似科学、「気持ち」で動くばかりの活動いつまでも続けてはいけない。

そのためには、学問から拒絶するような態度をとり続けていてはいけないと思う。決して迎合するわけではなくとも、ただ一方的な「批判」では為せない仕事もあるのではないか。雲上人のままでいることなく、この汚く泥臭い社会の中に身を投じ、正しい学問実践していく必要もあるのではないか

2019-04-09

東大新入生が「こんなはずでは・・・」となる前に

10年前くらいに東大(文系)に入学したときのことを振り返ると、前期教養課程自由度が高い一方で「こんなはずでは・・・」という失望に包まれやすい期間だと思う。

大学教員は教えるプロとは限らないため、単純な話のうまさやわかやすさのレベルでみると、それまで授業を受けていた予備校講師とかと比べると落差が大きかったりする(もちろん上手い人は上手いが、少ない)。今頃「まさか東大の授業がこんなにつまんないなんて・・・」と頭を抱えている人もいるだろう。

逆評定を見たり先輩の話を聞いたりして楽に単位が取れそう、出席が緩そう、シケプリが充実している授業ばかりを履修した結果、専門課程に入る前に大学の授業、ひいては学問のものにすっかり絶望してしまうかもしれない。

なんだかんだ真面目な人も多いので、つまらないとしか思えない授業に毎回出席してしっかり話を聞いている優秀な同僚を見て、こいつらとは住む世界が違う…という感覚を抱くこともあるだろう。

幸い、大学生活には部活サークルバイト学生団体ボランティアインターン起業麻雀ツイッターその他打ち込めるものがあるし、授業を適当にやり過ごしてもそれなりに充実した生活を送ることができ、課外活動から大きなことを成す人もそれなりにいる。

しかしながら、個人的には前期教養のうちに大学学問絶望してほしくない。知的ディシプリンを身につけることは自信になるし、何かに躓いたときの拠り所にもなりうる。

楽単を稼ぐこと自体が悪いわけではなく、楽単をとりつつも、自分の関心に合わせてハードな授業や少人数の演習科目を履修して、今学期はこの授業は頑張る!というメリハリをつけられればよいかと思う。講義では教科書朗読するだけだったおじさんおばさんが少人数の演習では本来の知性を発揮して学生真摯に向き合ってくれたりすることも多い。しんどい課題を乗り切れば嫌でも体系的な知識を身につけられる。

残念ながら、引退寸前のロートル教員が錆びついた内容の講義を行っているということはそれなりに見られた(その分過去シケプリが充実していて楽だったりするのだが)。

現役で論文をしっかり書いている研究熱心な先生は授業内容も日々アップデートを続けているし、そういう知的生産の先端に意識的に触れて欲しい。そういう先生は授業が下手でも参考文献リストは宝の山ということもしばしばある。それだけ持ち帰って片っ端から読んでいっても良い。

とにかく、大学の授業、図書館書籍部、新聞論文データベースなど、あまり豊富リソース活用する術を身に着けないうちに大学学問絶望するのはまだ早いし、主体的になにかを学ぶことを楽しんで欲しい。逆評定や他の人の評判はあくまで参考であり、第一印象にとらわれず、自分の耳と頭でより深く考えて決定してほしい。

入学おめでとうございます。充実した大学生活になることを心から祈りしています

2019-02-27

anond:20190220020904

そうだね。まあ、東大教養課程のくだらない授業はもう必要ないだろう。

2018-10-16

anond:20181016224403

お前みたいな学部教養課程数学物理すら理解できない低能ノータリン障害者には言っても通じないだろうが、お前が知らないだけで世界未来可能性に満ち溢れてるって話だよ。

お前が理解できないということは即ち存在しないということを意味しないし、お前が「狭い狭い分野」だと信じたがってることは即ち実際に狭いということを意味しない、わかる?

2018-10-10

anond:20181010123331

戦前旧制高校(今でいう大学教養課程)の学生制帽マントはおって寮歌を歌いながら町を闊歩してたとかいうのはよく聞く

憧れるよな

2018-09-21

anond:20180919164125

単純に勉強量が足りんのでは?

教養課程でやるような教科書一冊でも高校三年分の数学ボリュームよりはるかに多い。

ムキムキの大胸筋目指しといて、1日100回の腕立て伏せでヒーヒー言ってるような、

大して時間も負荷もかけない間違ったやり方で勉強して伸びない言ってる感じ。

2018-09-20

anond:20180920183434

そもそも今の大学っていわゆる「教養課程」が存在しないか非常に少ない場合が多いし

一年・半期にとれる上限の単位とかあるし

教養部がないから室の高い教養教育提供できる教員があまり居ないし

リソース的に厳しそうなイメージが有る、昔に比べると。

数学に当てられる時間が増える要素としては第二外国語の削除くらいか

2018-09-07

anond:20180907004942

教養課程って体育の授業みたいなのもあるし、地域の人と交流するフィールドワーク的な講義もあるし、オリンピックボランティア単位がでても全然おかしくはないよねえ

ひょっとして「電磁気学」とか「化学工学」とかそういうのの単位オリンピックボランティアをやれば貰えるみたいなイメージをしてるんだろうか・・・

2018-08-16

オレも感想文嫌いだったー!

anond:20180815104513

お前はオレか!っていうくらい同意w

 

なんていうか、知識吸収の方に全振りみたいな傾向で、小中学生のころは、どんな本を読んでもそのまま素直に受け入れるだけで、「ふ〜〜ん。そうなのか。」という感想しか無い。

別に内容がつまらなくて頭に入って来ないとかじゃなくて、それなりに興味を持って最後まで読むんだけど、特にどこが面白いとか、自分ならどうするだとかいう出力情報がないんだよねー。

他の人が書いた書評というか、解説みたいなのを探してきて、それをパクって無理やりヘンな社会正義ぶった感想文モドキを捏造して提出とか、今考えるとかなりイタい行動をとっていたw

高校になったらそういう宿題は無かったので、やれやれ...と思っていたら、大学教養課程とある著名な学者の著書を読んでレポート出せっていう課題が出て「うゎ〜〜これって読書感想文じゃん?」って思ってしまって頭抱えた。どうにかこうにかヘンなこじつけ文章をひねり出して、ようやく「可」で単位取れたけど、アレ落としてたら卒業も危うかったぜww

2018-06-22

anond:20180621151900

声優になりたい人の根本的な欲求って「声の仕事をしたい」じゃなくて「アニメゲームに関わる仕事に就きたい」なのに、これまでの専門教育経験もったいないと感じて、声の経験が活かせるけど全く興味がない司会業とか俳優業とかに進むことで自分人生台無しにすることを、大学生教養課程で「コンコルドの誤り」と呼ばれる本物の馬鹿だけに許された愚行として「絶対にやらないように」と習うんだよね。

声優になれなかった時に自分人生を豊かにするために検討すべき別の選択肢は「プログラマ」とか「キャラデザ」辺りが正解であって、今まで受けた専門教育が完全に無駄になることを理解した上で情報工学科や美大入学し直したり、全く経験がなくてもそっちの業界就職するのが、馬鹿以外に許された正しい選択

2018-04-26

anond:20180426005051

教養課程数学知識とか数学科じゃなくても理系ならある件について

さらに専門分野の存在なんてぶっちゃけ文系ですら何かしらはあるものだしなあ・・

というかそうなるとバイオはどうなるんだか

2018-04-21

オタク差別存在せず、オタク差別けが存在する

オタク差別」というのはオタクの大好きな言葉で言うと、それこそ「筋が悪い」と思っている。オタク差別があるのではなく、オタク差別があるのであり、要するに容姿差別があるのだろうというのが私の主張だ。

容姿差別反対!」というのは賛同できても、「オタク差別反対!」というのは意味がわからない。そもそもオタク差別などされていないからだ。

アニメゲーム漫画等は日本世界に誇れる文化である宮崎駿世界でも評価されてるということは誰もが知っているし、ジブリアニメ国民作品で、何度も何度も繰り返しテレビ放送されて、いまだに視聴率は悪くない。

日本サブカルに傾倒している外国人もたまにいて、ナルトコスプレなんかをしたりしている。

東大を始め、日本代表する大学であるいわゆる旧帝の生協ラノベが売れているというのは学生なら誰もが知っていることだ。

実際に大学に通ってみるとわかるが、インテリ層にもオタクは多い。うちの大学では教養課程とき教授講義のつかみで漫画ネタを使っていたし、気持ち悪がる学生などおらず、みんな楽しんでいた。それに大学にはサブカル研究自体もあり、アニメ漫画などを研究している人たちも普通にいる。

ONE PIECEドラゴンボール名探偵コナンドラえもんクレヨンしんちゃんなどは広く受け入れられているが、その事実否定する人はいないだろう。

ポケモン国民ゲームだし、ポケモンGOはもう話題にこそならないものの広く浸透して、根強い人気だ。

妖怪ウォッチは大ブームだったとき、いまだに高視聴率をとる国民イベント紅白歌合戦」にも出場もした。

これだけ広く浸透しているオタク文化を愛するオタクのどこが差別されているっていうんだろうか。本気でわからない。

オタクって気持ち悪いよなw」というのは、顔が気持ち悪いということを意味している。

オタクコンテンツ批判されているのではなく、オタクの顔が気持ち悪いことが揶揄されているだけだ。

もちろんそれは許せない。容姿差別反対だ。しかしそれはオタク差別ではない。

オタク差別」などというのは主語がでかい名探偵コナンファン美少女女子高生名探偵コナンファンであるという理由差別されているだろうか?

現実は「オタク趣味オタク顔のオタクバカにされている」ということなのだ。

これは完全に容姿差別だ。

オタク差別されている」では主語がでかく、問題本質を正確に捉えられていない。当然、オタクでかつ美少女という人物差別などされていないという反証可能からだ。

すべてのオタク差別されているわけではない。しかし、差別されているオタクは確かに存在する。私はそのことを否定しない。だが、重要なのは差別されているオタクもいるが、それはそのオタクの顔が気持ちいかである」という事実真摯に受け止めることだ。

そして容姿差別反対の運動をしていこう。

オタクではないにもかかわらず、「絵に描いたオタクっぽい見た目」という理由で「お前オタクだろw」とバカにされる人もいるのだ。これはオタク差別ではなく、容姿差別である

2017-09-12

anond:20170912080042

あなたの言いたいことは

リベラルアーツ的な総合的な知識必要とされる職業が少なくないわけだからアカデミックな面だけでなくリベラルアーツを学べるという面で大学必要

ということやね。

確かにそれは一理ある。

ただ、それは職業によると思う。

確かに分野横断的な教養大事職業もあるわけだけど、

特にWebエンジニアのような専門的な知識経験必要職業では大卒ブランドって必要ないよねって思う。

あと、「楽単」「一夜漬け」「出席のみ」で教養課程を進んできたような大学生果たしてどれだけリベラルアーツ素養が備わってるのか疑問もある。

2017-06-27

発達障害にとって大学のほうが快適だと言ってるみなさんへ

数年前まで快適だったかもしれませんが、今は1年目の教養課程からグループ課題が課されるなど発達障害排除する流れが強くなっております

このままでは、いわゆるペーパーテストの成績だけが良いアスペと呼ばれる人たちは大学卒業するが非常に困難になり、予備校下駄を履かせたような金持ちの子弟だけが卒業して要職に就くようになり、健常者しかできない空気を読む忖度でこの国を大きく変質させるでしょう。

いや、もうなってるか。

2015-12-21

大学つらい

端的に言って大学行きたくない

自分が興味があったり、研究をしたい分野の基礎を固めるために大学に来たはずなのに、それ以前の、いわば教養課程(それも、自分の興味のある分野と関係ない科目)の講義に出て単位を取るのが苦痛しかない。

英語なんかはまあ将来使うだろうし何とかこなしてるつもりだけれど、第二外国語を学ぶのが嫌になった。

前期は真面目に講義に出て、ノートを取って、単位を取ってきたが、後期になって急に出席することができなくなった。

寒いし、硬い椅子に座って、分野に関係ない上に興味の湧かない話を聞いて、必死こいてノートを取るのがつらい。

たぶん4年で卒業するのは不可能だ。

から電話がかかってくるようになったし、はっきり言ってつらい。

講義に出るより、図書館で本を読んだり、ふらっと観光旅行に行ったり、サークルのみんなと集まってわいわいやる方が楽しいに決まっている、という思いが日に日に強くなっている。

講義に出ていないことがばれたり、単位を大量に落としたりしたら、仕送りが止まる可能性がある。

親の管理から独立して、安定して暮らせるようになれば少しは落ち着くのだろうか、と思っているけど、仕送りがなくなるのが怖い。

何より、自分が安定した職に就いてやりくりしている姿が思い浮かべられない。

好きなことだけして暮らしていけたらどんなに楽だろうか。

僕には行動を起こすだけの勇気がない。

もうだめだ。

また日付が変わり、苦痛な日々が続く。

2015-02-13

精神科受診する踏ん切りがつかない

中学生の頃にADHDの可能性を指摘されてから10年以上。

診断は受けずに、親からADHDというのはこういう特性があるらしい、正直、お前は間違いなくADHDだと思う」という話を聞いて、

そういう特性を出しては社会ではやっていけない、なるべく普通であろう、何とか社会適応しようとして自分なりに努力してきたつもりだった。

教養課程で興味のない科目の勉強をするのはきっと無理だろうと考えて自分が好きそうなことの専門学校を選び、

定時とスーツ仕事は無理だと判断して、私服フレックスタイム制会社に潜り込んで5年以上、

仕事中も周囲の気配や音で気が散りっぱなしで日中ほとんど仕事が進まないので、

夜中や、たまに周囲の条件が整って集中できた時に一気に進めて、なんとか遅れを取り戻すような形でだましだましやってきた。

高校の時にできた彼女をがっちりホールドして、なんと結婚もできた。


ところが、最近急に対人恐怖やら社会不安のような症状が重くなって、家から出られない日が増えてしまい、

会社を辞める辞めないみたいな話が出る程度に色々と不都合が出てきた。

これはちょっとマズイと思って改めて調べてみたところ、普通であろうとして無理やり頑張るというのは、どうも二次障害まっしぐらな選択だったらしい。

今まで私のことを「ちょっと変わってるし甘い部分もあるけど、なんだかんだしっかり社会適応できている普通の人」と認識していた妻から理解は今一つ得られないし、

自分自身で今後のことを考える気力も少し萎えしまっていて、投げやりに今の社会的地位放棄してしまいそうな感じがするので、

この機会に一度精神科で診断をしてもらって、現状と今後の対策を立てる上でのバックボーンをはっきりさせるべきなのかなと考えている。

しかし、単なる甘えたクズ認定されてしまうと生きていく自信を完全に喪失してしまいそうで怖いとか、

薬漬けにされるだとかいう話を見るにつけ、受診、診断してもらうことが本当に自分と周囲にとっていいことなのかわからなくなって不安になる。

かといって他に自力で打てる手があるかというと自分では思いつかない状況なので、このままではおそらく破滅を待つばかりだと薄々わかってはいるのだけれど、

これまで多少不安定なことがあっても受診せずにやってきたじゃないかという思いが邪魔をしてどうにも踏ん切りがつかない。

誰か背中を押してほしい。

2014-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20140915133356

俺も遊んでるだけの大学生が減ればいいと思ってるけど、それはどうかなあ。

高校学歴差別するとなると、高校浪人が増えるね。

六四四で大学教養課程まで教えるのが、六三三で短大専門学校に進学するのと比較してどれだけ優位性があるのかいまいちわからない。

俺は単純に、高校大学卒業を厳しくすれば良いと思うけど。

生半可な姿勢では卒業できるかわからないわけだから、自信がない人は入学しなくなるだろうし。

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