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はてなキーワード: 教養課程とは

2019-11-17

それでも学問政治活動を分断させてはいけない

とある理系大学文系教養課程。最終日のテーマは「原発についてどう考えるか」であった。震災からまだ数年、明らかに政治的な」設問である。それまでの重厚で如何にも学問的な講義とは、明らかに様子が異なる。先生は、「あなたが望むと望まないとに関わらず、これから社会はこのようになるだろう。そこであなたは何を考える?」と問うた。

私は、問われていることの意味もわからず、ただその時の素直な「気持ち」をレポートに書いて提出した。今思えばそれは全くナンセンスな回答だったのだろう。書き直せるものなら書き直したい。

人間は根源的に自由である」とは、講義中に何度も先生が口にした言葉だ。すなわち、この世界にどのような強制力が働いたとしても、最終的な意思行動決定権を握るのは自分なのだと。その言葉意味を、当時の私も理解していたつもりなのだが、それを実践するまでには至っていなかったのだろう。あの日先生が問うていたのも、結局は「そこ」だったのだ。

原発のあり方に賛成か反対か。賛成/反対だとして、どのような具体案を持っているか。そんなことはどうでも良かったのだ。ただ、「この社会に、私はアクションを起こせる」こと、それだけを問うていたのだろう。それこそ純粋に、ただ学問的に。

そして伝えたかったのは、何らかの政治的思想ではなく、「学問実践できる」ことだったのだろう。


別の授業。上記とは分野も、先生性別も異なる。その先生がふと、自分経験について語る場面があった。

とある論文について、テレビ番組からコメントを求められたのだ。それは嬉しいことだと取材を受けたのだが、どうも番組としては「目指したい結論」があるらしく、そのようなコメントを「断定的に言ってもらえないか」と打診された。先生学者として嘘はつけないと断ったものの、放送された内容を見ると、やはり結論ありきの構成に利用されてしまっていた。

以降、先生はしばらくそのような取材は全て断っていた。しかし、ある時「本当にそれでいいのだろうか?」と考える機会があった。「仮にあの時自分が断ったとして、それで何かが変わっただろうか?」「コメントの場を与えられることは、それ自体社会意識を変えるチャンスなのではないか?」と。

それからは、取材のお願いも可能な限り断らないようにしているそうだ。やはり結論ありきの構成に利用されることは承知の上で、しかし、「その中で自分にやれることを探している」と言っていた。


学問政治活動に毒されてはいけないというのは、確かにその通りだと思う。一方で、政治活動にはもっと学問を持ち込むべきだろう。現状のように、宗教疑似科学、「気持ち」で動くばかりの活動いつまでも続けてはいけない。

そのためには、学問から拒絶するような態度をとり続けていてはいけないと思う。決して迎合するわけではなくとも、ただ一方的な「批判」では為せない仕事もあるのではないか。雲上人のままでいることなく、この汚く泥臭い社会の中に身を投じ、正しい学問実践していく必要もあるのではないか

2019-11-06

anond:20191106140621

高校で止まってるから理解できない

学部化学系ではなかったし、教養課程?はあったが、講師は酷い人だったので、授業が苦痛だった

2019-04-09

東大新入生が「こんなはずでは・・・」となる前に

10年前くらいに東大(文系)に入学したときのことを振り返ると、前期教養課程自由度が高い一方で「こんなはずでは・・・」という失望に包まれやすい期間だと思う。

大学教員は教えるプロとは限らないため、単純な話のうまさやわかやすさのレベルでみると、それまで授業を受けていた予備校講師とかと比べると落差が大きかったりする(もちろん上手い人は上手いが、少ない)。今頃「まさか東大の授業がこんなにつまんないなんて・・・」と頭を抱えている人もいるだろう。

逆評定を見たり先輩の話を聞いたりして楽に単位が取れそう、出席が緩そう、シケプリが充実している授業ばかりを履修した結果、専門課程に入る前に大学の授業、ひいては学問のものにすっかり絶望してしまうかもしれない。

なんだかんだ真面目な人も多いので、つまらないとしか思えない授業に毎回出席してしっかり話を聞いている優秀な同僚を見て、こいつらとは住む世界が違う…という感覚を抱くこともあるだろう。

幸い、大学生活には部活サークルバイト学生団体ボランティアインターン起業麻雀ツイッターその他打ち込めるものがあるし、授業を適当にやり過ごしてもそれなりに充実した生活を送ることができ、課外活動から大きなことを成す人もそれなりにいる。

しかしながら、個人的には前期教養のうちに大学学問絶望してほしくない。知的ディシプリンを身につけることは自信になるし、何かに躓いたときの拠り所にもなりうる。

楽単を稼ぐこと自体が悪いわけではなく、楽単をとりつつも、自分の関心に合わせてハードな授業や少人数の演習科目を履修して、今学期はこの授業は頑張る!というメリハリをつけられればよいかと思う。講義では教科書朗読するだけだったおじさんおばさんが少人数の演習では本来の知性を発揮して学生真摯に向き合ってくれたりすることも多い。しんどい課題を乗り切れば嫌でも体系的な知識を身につけられる。

残念ながら、引退寸前のロートル教員が錆びついた内容の講義を行っているということはそれなりに見られた(その分過去シケプリが充実していて楽だったりするのだが)。

現役で論文をしっかり書いている研究熱心な先生は授業内容も日々アップデートを続けているし、そういう知的生産の先端に意識的に触れて欲しい。そういう先生は授業が下手でも参考文献リストは宝の山ということもしばしばある。それだけ持ち帰って片っ端から読んでいっても良い。

とにかく、大学の授業、図書館書籍部、新聞論文データベースなど、あまり豊富リソース活用する術を身に着けないうちに大学学問絶望するのはまだ早いし、主体的になにかを学ぶことを楽しんで欲しい。逆評定や他の人の評判はあくまで参考であり、第一印象にとらわれず、自分の耳と頭でより深く考えて決定してほしい。

入学おめでとうございます。充実した大学生活になることを心から祈りしています

2019-02-27

anond:20190220020904

そうだね。まあ、東大教養課程のくだらない授業はもう必要ないだろう。

2018-10-16

anond:20181016224403

お前みたいな学部教養課程数学物理すら理解できない低能ノータリン障害者には言っても通じないだろうが、お前が知らないだけで世界未来可能性に満ち溢れてるって話だよ。

お前が理解できないということは即ち存在しないということを意味しないし、お前が「狭い狭い分野」だと信じたがってることは即ち実際に狭いということを意味しない、わかる?

2018-10-10

anond:20181010123331

戦前旧制高校(今でいう大学教養課程)の学生制帽マントはおって寮歌を歌いながら町を闊歩してたとかいうのはよく聞く

憧れるよな

2018-09-21

anond:20180919164125

単純に勉強量が足りんのでは?

教養課程でやるような教科書一冊でも高校三年分の数学ボリュームよりはるかに多い。

ムキムキの大胸筋目指しといて、1日100回の腕立て伏せでヒーヒー言ってるような、

大して時間も負荷もかけない間違ったやり方で勉強して伸びない言ってる感じ。

2018-09-20

anond:20180920183434

そもそも今の大学っていわゆる「教養課程」が存在しないか非常に少ない場合が多いし

一年・半期にとれる上限の単位とかあるし

教養部がないから室の高い教養教育提供できる教員があまり居ないし

リソース的に厳しそうなイメージが有る、昔に比べると。

数学に当てられる時間が増える要素としては第二外国語の削除くらいか

2018-09-07

anond:20180907004942

教養課程って体育の授業みたいなのもあるし、地域の人と交流するフィールドワーク的な講義もあるし、オリンピックボランティア単位がでても全然おかしくはないよねえ

ひょっとして「電磁気学」とか「化学工学」とかそういうのの単位オリンピックボランティアをやれば貰えるみたいなイメージをしてるんだろうか・・・

2018-08-16

オレも感想文嫌いだったー!

anond:20180815104513

お前はオレか!っていうくらい同意w

 

なんていうか、知識吸収の方に全振りみたいな傾向で、小中学生のころは、どんな本を読んでもそのまま素直に受け入れるだけで、「ふ〜〜ん。そうなのか。」という感想しか無い。

別に内容がつまらなくて頭に入って来ないとかじゃなくて、それなりに興味を持って最後まで読むんだけど、特にどこが面白いとか、自分ならどうするだとかいう出力情報がないんだよねー。

他の人が書いた書評というか、解説みたいなのを探してきて、それをパクって無理やりヘンな社会正義ぶった感想文モドキを捏造して提出とか、今考えるとかなりイタい行動をとっていたw

高校になったらそういう宿題は無かったので、やれやれ...と思っていたら、大学教養課程とある著名な学者の著書を読んでレポート出せっていう課題が出て「うゎ〜〜これって読書感想文じゃん?」って思ってしまって頭抱えた。どうにかこうにかヘンなこじつけ文章をひねり出して、ようやく「可」で単位取れたけど、アレ落としてたら卒業も危うかったぜww

2018-06-30

18歳、大学入学直後に鬱病になった話

皆様こんにちは。初めまして?恐らく最初最後匿名投稿です。

ぶっちゃけ匿名である必要はないのですが、自分ブログに書くのもアレだったのでこちらに書かせていただきました。

時系列としては2年前のものになるのでしょうか。

ある種の過去への清算自身の轍、そして自戒です。

投稿日の都合上休日にお読みいただいている場合、気分を害する可能性があります

週末を幸せに過ごしたい方は閲覧をあまりおめしません。是非今すぐにブラウザのタブを消してください。

本稿の内容を簡単にまとめると、

  • 大学入って2か月で鬱病になった
  • 2か月かけて治した
  • 最近再発しかけて何とか踏みとどまった

という感じです。

大学に入って五月病にかかる話は比較的有名(?)ですが、その極端な一例として参考になれば幸いです。

いや参考になるかすら怪しいですけど。

====

大学生活という悪夢の始まり

簡潔に言うと、大学憧憬を抱き過ぎていました。

少しイキらせてもらうと、私は中学でも高校でも優秀な方でそれなりにレベルの高い大学に進んだつもりでした。

レベルの高い講義が待っているとか、ライバルとの競争とか、そうした熱い何かを過剰に期待してしまっていました。勘違い乙って感じですね。

実際に大学生活を始めて一か月、下記の3点において苦しみました。

いずれも須らく精神に悪影響を及ぼしたと考えています

そもそも、私の勘違いが甚だしかったわけでもあります

民度の低さ

講義が静かじゃないんです。

高校の授業に慣れていたので、正直現実認識することができませんでした。

偏見全開で書くと、インカレテニサーの金髪たちが講義室で常に喋り散らしているわけです。

この時点で温室育ち陰属性の私のキャパティが持たなくなってくるわけです。

まりにも酷過ぎて講師に「注意してくれ」と頼みにいったところ、「それをすると自分の授業評価が下がるから嫌だ」と言うわけです。

何も言うことができませんでした。が、非常勤講師制度上、講師にも多少の理解は示せます

非常勤講師制度ゴミなので早く常勤で雇って差し上げろ。

講師の良し悪しはともかく、凄惨環境だったわけであります

この時点で、大学への希望とかそういったありとあらゆるものが消し飛びました。

受験勉強って何だったんだろうな、とか授業料返して欲しいな、とか。

今となってはどこにでも厄介は存在するという社会の縮図を見れたいい経験だったのでしょう。

当時のドキドキワクワクなキラキラ真面目(笑)一年生にとっては、正しく頑張って登った崖の頂上でチャラチャラウェイに突き落とされたわけです。

参考までに、後期でそいつらは消えていました。

教養課程レベルの低さ

レベルが低すぎてモチベが単調現象

これは途中から解決しましたが、最初の1, 2か月は知ってることしか教えてくれないので本当に虚無。

出席を取るなバカ。という気持ちでいました。

見える現実

授業外で何とかモチベを保とうとするわけです。

ところが優秀 of 優秀、失礼な括りをすると、所謂天才」が相当数いるわけです。

どう頑張っても辿り着けない場所に立っている人が、真横にいる。

向こうさんからしたら私のような劣等はライバル未満です。

当時のプライドが超~高かった私にしては、金属バットで後頭部をガンガン殴られる感覚でした。

井の中の蛙大海では即死

加えて、下記の要因もあったのかもしれません。

急激な体力の低下

18歳の誕生日を境に、体力が指数関数的に低下しました。

その上通時間高校の時の倍になり、かつ混雑電車恐怖症(後にノイローゼ精神科診断が出る)になりと不運が重なり。

もともと循環器系が弱く、睡眠回復が遅い身としては文字通り限界を切り詰めた生活に急変していくわけです。

大学に着いたらもう体力の半分が消し飛んでる的な。

帰りの電車では何度も寝過ごしをしました。週3とかで。

鬱病発症

心が弱いので、他にも色々あった気がしますが、鬱病になりました。

時期的にはゴールデンウイーク明けでしょうか。

主な症状としては以下の通りです。



初期のころ、ただの五月病だと思い、無理に大学に通った結果、体が先に死にました。

まあ食事睡眠が取れないので自明です。

延命治療

それなりに仲の良かった内科医先生受診を受けたら、ほぼ間違いなく鬱病とのこと。

精神科へGo!

そのまんまでした。

薬物治療だけは絶対にしたくなかったので、断固として拒否しました。

ので、具体的な治療は家でぐうたらすることです。

5月の後半数週間はほとんど大学へ行きません(行けません)でした。

単位取得のためとはいえ、事情も聴かず講義資料を回してくれた数少ない友人たちには感謝が絶えません。

この辺では、高校同期とか入学直後に仲良くなった人たちのお世話になりっぱなしでした。圧倒的感謝

生へのしみつき

自殺願望を抑えるのが一番大変でした。

快速電車の通過とか、マンション屋上とか、とても魅力的なんですよ。

魔性、といったところでしょうか。吸い込まれそうで、身を任せてしまいたくなる。

こうなったときはどうしようもないので、音楽アニメなどで無理矢理気を紛らわせたりしていました。

どうしても死にたくなる時は舌を噛む、皮膚をつねるといった自傷行為で替わりとしていました。

今思うと、よく死ななかったな~と思います

当時の環境考察

一つ一つは大した要因ではありませんでしたが、一度にいくつも来たことによって、心と体の容量が不足して、脳が耐えられなくなったのかな、と思います

私の場合典型的ノイローゼでした。

なので?アルバイトに行くこととかへの抵抗感は皆無でした。

職場でもカウンセリング擬きをしてもらったりしながら生き永らえていたみたいなところはあります

場所大事

完治まで

バイト代を全額美味しいご飯に費やしながら生きていました。

テストには頑張って出ました。奇跡的に単位が落ちることはなく……!

あとなんだかんだでサークルには顔を出していたような気がします。

自分でやったこ


3日に1度くらいは夜とかに散歩すると良かったです、無理のない範囲でやるといいのかもしれません。

回復

診断後2週: 自宅療養。

3週目: 週2, 3くらいで再び通い始める。

5週目: 週4くらいで頑張る。ときどきツラい。

8週目: 頑張れるようになる。

およそ2か月でほぼほぼ完治?といったところまで辿り着きました。

医者さん曰く、薬物投与なしではかなり早い方だったらしいです。

この回復速度は特例だと思ってもらえれば幸いです。

後遺症?的な

精神的に、再発の怖さがあります

あとは、未だに満員電車に乗れません。

私の場合は、通学に課金してルートを変更することで乗り切りました。

自分上位互換が世の中に多いことについては、素直に受け入れられたので精進させていただきます

時々ツラくなるけれど……

再発可能

つい先月くらいに、これも色々な事象が重なって鬱的精神状況に追い込まれていました。

人を追い込むと成果が出ると思っている人間ども、地獄に落ちろ。

機密性が高い?話なので具体的には書けませんが、無賃金過労状態であったことには間違いないです。

これは本質情報なのですが、毎日のように進捗を煽ってくるメッセージツールは片っ端からブロックするのが最適解です。

人のことを鑑みずに、仕事押し付け人間は総じて無能です。縁は早めに切って、絶つのが最適です。

ナイフを手に取らなかったことは褒めてほしいところです。

すぐに問題は解消させたものの、テストやその他が重なって押し寄せ、気分的には最悪でした。

とりわけ、家庭環境が複雑化し、家が安息の場ではなくなってしまたことがクリティカルだったように思えます

今回については成人していたということもあり、

の3種の神器を駆使することで何とか乗り越えることができました。

特に友人の某氏にいたっては一月に渡り毎週のようにお酒愚痴に付き合っていただきました。

本当にありがとうございます以上の言葉がありません。

また講義認知していただいた教授に進路とか色々の相談に乗っていただけたことは本当に助かりました。

ただ週5とかでお酒を飲むと身体お酒依存してきます

鬱病よりはアル中の方がマシ、というのが持論なので私は気にせずお酒を飲みますが、お酒に弱い方は本当に気を付けてください。

漬かってから禁酒結構しんどいです。

アドバイス的な何か

もし気が病んでしまっている方がこれを読んでいたら、私のやりかたは絶対参考にしないで下さい。

ただ1つ言えるのは、睡眠をしっかりとって、ツラいとき休みましょう、ということだけです。

あと医療関係者相談するのは早い方がいいです。

良くないものが蝕む前に、助けての旗を上げましょう。

助けは求めなければ来ません。

しかし求めれば来ます

高校生の方へ

万一これを読んでる高校生の方がいたら、ごめんなさい。

希望は捨てないでね。

今の気持ち

猫を愛でたい。

2018-06-22

anond:20180621151900

声優になりたい人の根本的な欲求って「声の仕事をしたい」じゃなくて「アニメゲームに関わる仕事に就きたい」なのに、これまでの専門教育経験もったいないと感じて、声の経験が活かせるけど全く興味がない司会業とか俳優業とかに進むことで自分人生台無しにすることを、大学生教養課程で「コンコルドの誤り」と呼ばれる本物の馬鹿だけに許された愚行として「絶対にやらないように」と習うんだよね。

声優になれなかった時に自分人生を豊かにするために検討すべき別の選択肢は「プログラマ」とか「キャラデザ」辺りが正解であって、今まで受けた専門教育が完全に無駄になることを理解した上で情報工学科や美大入学し直したり、全く経験がなくてもそっちの業界就職するのが、馬鹿以外に許された正しい選択

2018-04-26

anond:20180426005051

教養課程数学知識とか数学科じゃなくても理系ならある件について

さらに専門分野の存在なんてぶっちゃけ文系ですら何かしらはあるものだしなあ・・

というかそうなるとバイオはどうなるんだか

2018-04-21

オタク差別存在せず、オタク差別けが存在する

オタク差別」というのはオタクの大好きな言葉で言うと、それこそ「筋が悪い」と思っている。オタク差別があるのではなく、オタク差別があるのであり、要するに容姿差別があるのだろうというのが私の主張だ。

容姿差別反対!」というのは賛同できても、「オタク差別反対!」というのは意味がわからない。そもそもオタク差別などされていないからだ。

アニメゲーム漫画等は日本世界に誇れる文化である宮崎駿世界でも評価されてるということは誰もが知っているし、ジブリアニメ国民作品で、何度も何度も繰り返しテレビ放送されて、いまだに視聴率は悪くない。

日本サブカルに傾倒している外国人もたまにいて、ナルトコスプレなんかをしたりしている。

東大を始め、日本代表する大学であるいわゆる旧帝の生協ラノベが売れているというのは学生なら誰もが知っていることだ。

実際に大学に通ってみるとわかるが、インテリ層にもオタクは多い。うちの大学では教養課程とき教授講義のつかみで漫画ネタを使っていたし、気持ち悪がる学生などおらず、みんな楽しんでいた。それに大学にはサブカル研究自体もあり、アニメ漫画などを研究している人たちも普通にいる。

ONE PIECEドラゴンボール名探偵コナンドラえもんクレヨンしんちゃんなどは広く受け入れられているが、その事実否定する人はいないだろう。

ポケモン国民ゲームだし、ポケモンGOはもう話題にこそならないものの広く浸透して、根強い人気だ。

妖怪ウォッチは大ブームだったとき、いまだに高視聴率をとる国民イベント紅白歌合戦」にも出場もした。

これだけ広く浸透しているオタク文化を愛するオタクのどこが差別されているっていうんだろうか。本気でわからない。

オタクって気持ち悪いよなw」というのは、顔が気持ち悪いということを意味している。

オタクコンテンツ批判されているのではなく、オタクの顔が気持ち悪いことが揶揄されているだけだ。

もちろんそれは許せない。容姿差別反対だ。しかしそれはオタク差別ではない。

オタク差別」などというのは主語がでかい名探偵コナンファン美少女女子高生名探偵コナンファンであるという理由差別されているだろうか?

現実は「オタク趣味オタク顔のオタクバカにされている」ということなのだ。

これは完全に容姿差別だ。

オタク差別されている」では主語がでかく、問題本質を正確に捉えられていない。当然、オタクでかつ美少女という人物差別などされていないという反証可能からだ。

すべてのオタク差別されているわけではない。しかし、差別されているオタクは確かに存在する。私はそのことを否定しない。だが、重要なのは差別されているオタクもいるが、それはそのオタクの顔が気持ちいかである」という事実真摯に受け止めることだ。

そして容姿差別反対の運動をしていこう。

オタクではないにもかかわらず、「絵に描いたオタクっぽい見た目」という理由で「お前オタクだろw」とバカにされる人もいるのだ。これはオタク差別ではなく、容姿差別である

2017-09-12

anond:20170912080042

あなたの言いたいことは

リベラルアーツ的な総合的な知識必要とされる職業が少なくないわけだからアカデミックな面だけでなくリベラルアーツを学べるという面で大学必要

ということやね。

確かにそれは一理ある。

ただ、それは職業によると思う。

確かに分野横断的な教養大事職業もあるわけだけど、

特にWebエンジニアのような専門的な知識経験必要職業では大卒ブランドって必要ないよねって思う。

あと、「楽単」「一夜漬け」「出席のみ」で教養課程を進んできたような大学生果たしてどれだけリベラルアーツ素養が備わってるのか疑問もある。

2017-06-27

発達障害にとって大学のほうが快適だと言ってるみなさんへ

数年前まで快適だったかもしれませんが、今は1年目の教養課程からグループ課題が課されるなど発達障害排除する流れが強くなっております

このままでは、いわゆるペーパーテストの成績だけが良いアスペと呼ばれる人たちは大学卒業するが非常に困難になり、予備校下駄を履かせたような金持ちの子弟だけが卒業して要職に就くようになり、健常者しかできない空気を読む忖度でこの国を大きく変質させるでしょう。

いや、もうなってるか。

2015-12-21

大学つらい

端的に言って大学行きたくない

自分が興味があったり、研究をしたい分野の基礎を固めるために大学に来たはずなのに、それ以前の、いわば教養課程(それも、自分の興味のある分野と関係ない科目)の講義に出て単位を取るのが苦痛しかない。

英語なんかはまあ将来使うだろうし何とかこなしてるつもりだけれど、第二外国語を学ぶのが嫌になった。

前期は真面目に講義に出て、ノートを取って、単位を取ってきたが、後期になって急に出席することができなくなった。

寒いし、硬い椅子に座って、分野に関係ない上に興味の湧かない話を聞いて、必死こいてノートを取るのがつらい。

たぶん4年で卒業するのは不可能だ。

から電話がかかってくるようになったし、はっきり言ってつらい。

講義に出るより、図書館で本を読んだり、ふらっと観光旅行に行ったり、サークルのみんなと集まってわいわいやる方が楽しいに決まっている、という思いが日に日に強くなっている。

講義に出ていないことがばれたり、単位を大量に落としたりしたら、仕送りが止まる可能性がある。

親の管理から独立して、安定して暮らせるようになれば少しは落ち着くのだろうか、と思っているけど、仕送りがなくなるのが怖い。

何より、自分が安定した職に就いてやりくりしている姿が思い浮かべられない。

好きなことだけして暮らしていけたらどんなに楽だろうか。

僕には行動を起こすだけの勇気がない。

もうだめだ。

また日付が変わり、苦痛な日々が続く。

2015-02-13

精神科受診する踏ん切りがつかない

中学生の頃にADHDの可能性を指摘されてから10年以上。

診断は受けずに、親からADHDというのはこういう特性があるらしい、正直、お前は間違いなくADHDだと思う」という話を聞いて、

そういう特性を出しては社会ではやっていけない、なるべく普通であろう、何とか社会適応しようとして自分なりに努力してきたつもりだった。

教養課程で興味のない科目の勉強をするのはきっと無理だろうと考えて自分が好きそうなことの専門学校を選び、

定時とスーツ仕事は無理だと判断して、私服フレックスタイム制会社に潜り込んで5年以上、

仕事中も周囲の気配や音で気が散りっぱなしで日中ほとんど仕事が進まないので、

夜中や、たまに周囲の条件が整って集中できた時に一気に進めて、なんとか遅れを取り戻すような形でだましだましやってきた。

高校の時にできた彼女をがっちりホールドして、なんと結婚もできた。


ところが、最近急に対人恐怖やら社会不安のような症状が重くなって、家から出られない日が増えてしまい、

会社を辞める辞めないみたいな話が出る程度に色々と不都合が出てきた。

これはちょっとマズイと思って改めて調べてみたところ、普通であろうとして無理やり頑張るというのは、どうも二次障害まっしぐらな選択だったらしい。

今まで私のことを「ちょっと変わってるし甘い部分もあるけど、なんだかんだしっかり社会適応できている普通の人」と認識していた妻から理解は今一つ得られないし、

自分自身で今後のことを考える気力も少し萎えしまっていて、投げやりに今の社会的地位放棄してしまいそうな感じがするので、

この機会に一度精神科で診断をしてもらって、現状と今後の対策を立てる上でのバックボーンをはっきりさせるべきなのかなと考えている。

しかし、単なる甘えたクズ認定されてしまうと生きていく自信を完全に喪失してしまいそうで怖いとか、

薬漬けにされるだとかいう話を見るにつけ、受診、診断してもらうことが本当に自分と周囲にとっていいことなのかわからなくなって不安になる。

かといって他に自力で打てる手があるかというと自分では思いつかない状況なので、このままではおそらく破滅を待つばかりだと薄々わかってはいるのだけれど、

これまで多少不安定なことがあっても受診せずにやってきたじゃないかという思いが邪魔をしてどうにも踏ん切りがつかない。

誰か背中を押してほしい。

2014-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20140915133356

俺も遊んでるだけの大学生が減ればいいと思ってるけど、それはどうかなあ。

高校学歴差別するとなると、高校浪人が増えるね。

六四四で大学教養課程まで教えるのが、六三三で短大専門学校に進学するのと比較してどれだけ優位性があるのかいまいちわからない。

俺は単純に、高校大学卒業を厳しくすれば良いと思うけど。

生半可な姿勢では卒業できるかわからないわけだから、自信がない人は入学しなくなるだろうし。

日本の学制って六四四制くらいがちょうどいいんじゃないかと思うんだけど。

義務教育でやること増えてるけど、これ以上詰め込むのはきついから義務教育一年延ばす。

高校大学教養課程くらいの範囲まで教える。

高校単位制にして飛び級も認める。

高卒現在学士と同じくらいの資格を与えて、新卒採用させる。

大学基本的修士まではいものとして、研究専門職目指す人が進学する。

高卒大卒就職後の待遇が違うから無駄大学進学する人が多いんだと思うんだよね。

六四四制からの四年制大学にすると、現在で言うところの中卒と高卒と院卒しかいなくなるから

大学で遊んでるような人はさっさと社会に出せるし、理系研究室に配属したのに院に進まないとか意味ないこともなくせる。

専門教育できないなんちゃって大学も淘汰できる。

学歴差別大学名じゃなくて高校名ですればいい。

だめかねえ。

2014-03-15

東大首席というものはない

時々、東大卒有名人首席を名乗る場合がある。伝記の類でその手の記述がされることもある。一般人でも自称する場合がある(先日は取引先の部長が、自分の息子が東大首席だと言っていた)。そんなものはない。15年ほど前の自分のまわり(文学部しか知らないのでひょっとしたら違っているかもしれない。

前期の教養課程を終える段階で、成績の平均評点がでて、文学部工学部などではそれによって進学先が決定される。我々の時はシンフリと呼んでいた。客観的に示される学業総合指標というのものは、この平均評点しかなかったように思う。この平均評点は、あくまでシンフリ用のものなので、成績表にも載せられていないし、第一、学年で順位が付けられたりだとか、優秀者の実名リスト掲示板で公開されたりだとかそういうものではない。平均評点が1位がだれなのかはわからないし、通常誰も興味がない。

卒業式の総代、というものがある。あれは確かに、1名のみが選ばれて、かつ、同学年のものも誰が総代なのかを認識可能ではある。しかし、総代は成績によって選ばれるものなのか、また、成績優秀な学生は総代に選ばれることを目標学業に励むのか、といった点に関しては私は知らない。おそらく私以外の大多数も知らないはずだ。

あとは、学部学科ごとにどのような評価・表彰をしているのかという話になる。例えば、ある学科では毎年一人の学生に返済不要奨学金を付与していたので、その学科においては奨学生=最優等生ということになる。しかし、特定学科優等生首席を同一と考えることはできない。

ちなみに海外大学では、優等の卒業を示す公式資格呼称のほか、平均評点としてのGPAがあり、Web上で公開されている研究者大学院生履歴書を見ると、その手の記述が書かれている場合が多い。

http://en.wikipedia.org/wiki/Latin_honors

http://en.wikipedia.org/wiki/Honor_society

http://ja.wikipedia.org/wiki/GPA

※追記(3/17)

総代は成績・卒論等によって選出がされる、というツッコミいただきました。内的にそのような基準があるにせよ、在校生一般にはそうした選出過程が知れ渡っているわけではなく、また総代=首席とみなされているわけでもない。ゆえに仮に総代であっても、「首席自称ちゃうのはカッコ悪い」というのが私の認識です。

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