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2024-07-27

anond:20240726232858

『「かつて日本黒人奴隷を使うことが流行した」という事実は、歴史学研究においては支持されていません。

なぜ「黒人奴隷」という表現が誤解を招くのか?

* 「奴隷」の定義: 歴史学において「奴隷」は、所有者がその人に対する完全な支配権を持ち、人身売買対象となるなど、非常に厳格な定義があります

* 日本歴史における人身取引: 日本歴史において、人身取引存在しましたが、それは現代の「奴隷」とは異なる形態であり、人種特定して行われるものではありませんでした。

* 西洋奴隷制との比較: 西洋奴隷制は、大規模なプランテーション農業を支えるために、アフリカから黒人を大量に強制移住させ、生涯にわたって奴隷として酷使するものでした。日本歴史における人身取引は、規模や形態において、西洋奴隷制とは根本的に異なっています

日本における人身取引実態

* 渡来人: 古代日本には、朝鮮半島中国などから渡来人が多くいました。彼らは、技術知識を持ち込んで日本社会に貢献しましたが、必ずしも自由身分であったわけではありません。

* 出稼ぎや売買: 中世以降、経済的理由などにより、人々が身売りしたり、出稼ぎに出たりするケースはありました。しかし、これらは現代の「奴隷」とは異なる概念であり、人種差別を背景としたものではありませんでした。

* 身分制度: 江戸時代には厳格な身分制度が存在し、武士農民、工商人、そして最下層の穢多非人などがいました。しかし、この身分制度は、人種ではなく、職業家系に基づいていました。

なぜ「黒人奴隷」という誤解が広まるのか?

* 西洋史との混同: 西洋歴史における黒人奴隷制の知識が、日本史にも当てはめられてしまうことがあります

* 歴史認識の歪曲: 過去出来事意図的に誇張したり、歪曲したりすることで、特定の主張を正当化しようとする試みが見られます

結論

歴史学研究に基づけば、「かつて日本黒人奴隷を使うことが流行した」という事実は、事実無根です。日本においては、西洋のような大規模な奴隷制は存在せず、人身取引はあったとしても、人種特定して行われるものではありませんでした。

2024-07-26

anond:20240726234932

成長という概念理解できないんだね

30年間成長できない日本人から仕方ないか

平成二年生まれオタクロマンス観(HL・BLGL)を形作った作品たち

もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分ロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。

HL:anond:20240724184142

BL:anond:20240725222040

GL:これ

GL

ガールズラブと項目を立てておいてなんだけど、実は未だによくわからない概念もしかして期待して読みに来たかもしれない人がいたらゴメンなさい)。とりあえず自分ステートオブジアートとして率直な気持ちを残したいと思う。

BLの方で書いたように、筆者は昔からティーン向けの少女漫画少女小説摂取していたので、(少)女同士の関係性は友情(たまに愛憎)のものとしてプリセットされていた。なので女と女の距離が近くても「ああそういう感情ね」として頭の中の知っている感覚にラベルを振り分けていた。そこに特別名前を付けることはなかった。ただ「友情・親愛」と。

その後、オタクとして成長すると共に、だんだん百合という概念が男オタクの間に伸長してきたが、百合市場が出来上がるのを横目に眺めるだけで、自分自身がどうこうということはなかった。

覚えている限りだと、高校生の時(2006年くらい?)にオタク同級生の間で少女同士の関係性を題材にした漫画だったかラノベが友人の男オタクの間で流行っていたと思う。なんだっけ……4コマ漫画で……メガネ女子の眼の前で授業机の中から大量の煮凝りがぬぽって落ちるシーンだけは覚えているんだけど……。当時は百合という言葉は使っていなかった気がするけど、可愛い女の子同士がいちゃいちゃしているのがいいんだ、みたいなことを言っていた気がする。自分はそれに対して、特に思う感情はなかった。いや、逆に今更?という感情だったかも。なぜならば既にその場所は訪れたことがあったから。

自分が初めて少女同士の恋愛にも似た感情のやりとりを意識したのは、小説だった。図書館で借りてきたとある作家小説で読んだS(エス)といううら若き乙女同士の関係女学校に通う少女同士の疑似恋愛。そこにあったのは上辺は花畑を舞う蝶のように煌めき美しいが、内側に潜ると内蔵のようなヌメついた湿った感情だった。疑似恋愛嫉妬、そして混じる疑似ではない気持ち

そんな作品を読んできていたので、かわいい子とかわいい子がかわいいことをしている、みたいな作品に喜んでいるオタ友がどうにも幼く見えてしかたがなかった。

そうして百合とかGLとはあまり仲良くないまま、女同士の関係友情というフォルダに入れて今の年齢まできたのだけど…………ただ……心の中で唯一引っかかっている、消化できなかった少女同士の関係があった(過去形)。それが恩田陸小説「蛇行する川のほとり」に出てくる若い女子高生二人の関係性だ。

タイトル 蛇行する川のほと
作者 恩田陸


本作は、高校美術部に所属する女子部員たちが、野外音楽堂で行う演劇の背景美術を仕上げるために夏休みに川のほとりにある合宿を行うというシーンから始まる。(一応)主人公の毬子は憧れの美術部の先輩である香澄さんに合宿に誘われ、有頂天彼女主催する合宿に参加する。本来ならば年頃の少女たちの楽しいお泊り会となるはずだったのだが、香澄さんをはじめとする他の参加者は、彼女に何かを企んでいるような、隠しているような態度を取る。次第にただの楽しい合宿ではないことが分かってきたころ、毬子本人が忘れていた幼い頃にあった事件が浮かび上がり彼女過去を照らしてくる。そして過去を失い、少女大人になる。

本作のあとがきで、作者の恩田陸は「私が感じていた『少女たち』を封じ込めたいと想って書いた」と記している。その言葉の通り、本作には様々な「少女」が登場する。まだ大人子供奇跡狭間うつろう毬子、過去を持たない完成された香澄彼女相棒天才肌の絵描き芳野、一足先に大人へと羽化した真魚子。4つの章を通じて彼女たちは多様な顔を見せる。無垢でいながらも自分でも把握していない秘密を握っている毬子、どこまでも独立して半身の芳野にすら内心を明かさな香澄、優れた美術家の観察眼で本質を見抜きながらも最も大切な自分の中の香澄への気持ちに気付いていない芳野、そしてとある事件きっかけでその輪に無理やり入れられた真魚子(まおこ)。章ごとに語り手が代わり、一つの側面の形質は、語り手へと姿を変えてると主観となる。

本作には、登場人物のうちに公式に女女カップルと呼べる組み合わせが存在する。香澄芳野だ。常に二人で行動し、二人で一日を過ごし、どこでも二人の世界を作る。互いに互いを引き立て合うようなお似合いの二人。しかし二人は望んで一緒にいるわけではない。過去を共有してしまって、もはや離れられないのだ。お互いに過去という鎖を結びあってしまったと言っても良い。しかし、少なくとも芳野の方は、共に鎖を結びあった相手香澄で良かったと思っている。

門外漢自分が考えるに、多分世の中のGL?百合?好きは、芳野編を大いに好むと思う。そこで繰り広げられるのは、互いに誰よりも近く、親密で、そしてお互いに内面の99%まで理解しているのに、その残りの1%が、相手への愛が本当にそこにあるのか分からないという愛の物語だ。芳野編の、今まで無意識に避けてきた香澄肖像画を描くことで、自分の中の気持ちを形作るという展開はとても美しいものがあると思う。

ただ、自分はこの二人の関係性は処理出来ていた、と思う。友情、親愛、そして強い愛情と。自分が最も咀嚼できなかったのはもう一つの組み合わせ、毬子と真魚子の方だった。

同級生の中でも子供っぽい毬子と、級友に先駆け一足先に大人になってしまった真魚子。恋愛面でもお子様な毬子と既に大学生恋人がいる真魚子。正反対の二人は対極に位置するからか、親友同士であった。香澄芳野という二人と比べると、一生離れずに共にある彼女たちに対し、高校生の間は親友でも卒業したら普通に進路が離れ疎遠になり、それでもたまに会ってお茶をする、というような関係だろう。仲良しで大好きだけど、互いに混じり合う程に近いわけでもなく、恋人よりも好きというわけでもない。そう、それだけなら十分に理解できたんだ。

物語の後半、とある事情により毬子の代わりに真魚子が合宿に参加することになる。自分が一番よくわからなかったのがそこだった。毬子が事情により参加できなくなるのは分かる、でもあん事態になったとは言え、真魚子が嫌っていた香澄たちのところに単身乗り込むようなことをするのか、と。だって毬子と異なり彼女にはなんにも過去事件因縁が無い。だからいくら毬子に頼まれたからって、わざわざ事態を究明するために乗り込む必要はなく、ほとぼりが冷めるまで、物語が閉じるまで放っておけばいい。しかし、彼女は乗り込んだのだ。

この機序がずっと咀嚼できていなかったのだけど、最近、もしか自分の考えは順序が逆であるかもしれないと気が付いた。頼みを受けて乗り込まねばならないほど、本当は彼女にとって、親友は本当に大切な存在だったのだ、と。誰よりも冷静で頭が切れる真魚子であっても、いや毬子の親友彼女からこそ動かざるを得なかったのだと。その時、すとん、と腑に落ちた音がした気がした。

香澄芳野の唯一無二の分かち難い強固な結びつきとはまた違った、同級生親友というどこにでもある女子高生の毬子と真魚子の結びつきも、それはそれで一つの思春期の素朴な輝かしい感情の頂点なのだと。

百合とかGLとか未だよく分からないけど、自分にとってそれらに一番近い感情は、この二人を想うときかなって思った。

https://anond.hatelabo.jp/20240726210550

   こうすけ首都大か何かに落ちたときに、ウエスタンヒル電話から大学電話をして、 うちの次男に何か瑕疵でもあるんでしょうか、落ちること自体おかしいのですが・・・

 晴生が必死になっていたときに発した概念が、 瑕疵

anond:20240726184906

分別必要はない

ありとあらゆる被害不条理不利益はすべてそいつ責任

そいつが悪い

から罵倒され批判され否定されるべきは被害

加害者という概念はない、全て被害者が悪い、本当の悪は被害

いいや、「害者」だ、なにせ害だから

何度でも言う。AI開発に「失敗したので諦めます」は絶対にない。

俺は量子コンピュータ研究してたからわかる。

 

意味がわからいか

お前らはAI以外の科学研究分野になんて興味もないから知らないんだろうが、この業界には「もはやだれもできると信じてないけど、政治的にやり続けなければいけない研究」というものがある。

量子コンピュータがそうで、20年前には「無理。できない。ほぼ間違いなく」という答えが出てる。

それでもなぜ研究を辞められないか? 「ほぼ」でなく「絶対」でない限り、もし万が一にも億が一にも「敵対勢力」に先に開発されたら安全保障に重大なリスクが出るから、というだけの話だ。

かつての原爆宇宙開発と同じだ。

違うのは、これらがある程度の結果にたどりつくことで開発競争にもケリがついたことと違って、量子コンピュータはどこまで行っても何にもならないから、ただ無駄研究費を食うだけなこと。

成果が出ていると強弁するために、「量子超越性」などと20年前はなかった概念が作られた。しかし、今量子コンピュータと呼ばれているものは、20年前に量子コンピュータと呼ばれていたものとは全く違う。

具体的には何が違うか? 今の自称量子コンピュータには「暗号解読」なんてできない。何もできない。

何もできないのに何かをやっていると主張するために「超越性」などという何の根拠もない言葉で誤摩化している。

専門外なので推測だが、「常温核融合」や「常温超伝導」も似たような状況なのではないか

 

量子コンピュータ場合、先に開発した方が情報通信セキュリティ覇権を握る絶大な武器を得る。

常温核融合や常温超伝導も、エネルギー利用に革命的な変化をもたらすのだから、勿論軍事上の脅威になるだろう。

そういう技術は、たとえ「ほぼ無理」でも開発を辞めることはできない。「絶対無理」を誰かが証明でもしない限り。

 

AIがそういう技術に当たるかと言えば、それはその可能性はあるだろう。膨大な生成情報によるネット情報の攪乱はセキュリティ上のリスクになり得る。

少なくとも、その可能性を政治家が信じる限り、そう扱われる。

お前たちが量子コンピュータ可能性をいつまでも信じ込まされていつか何かになると思っているのと同じように、AIも(仮にどこにもたどりつけないとしても)そういう立場を失うことはないだろう。

それが(悪い意味で)研究開発の現実というものだ。

AIでもなんでも良いが、それぐらいの現実感覚は持たないで空回りしているのは傍から見ても忍びないぞ。という忠告

 

素人素人呼ばわりされててワロタ

大学院まで専門にしてても就職全然違うところにいくなんてよくあることなんだがそんなことも知らないのか低学歴はw

量子ゲートが云々とかそれこそ素人向けメディア受け売りばっかで量子チューリングマシンも知らないやつがどの面下げて

そんな次元問題じゃねえんだよ

いくら電卓の桁数をあげてもアプリは作れない

って話をしてるの

まあ、ほんと、お前らみたいなのがいるからある種の研究職はバブルみたいになるんだよな

2024-07-25

平成二年生まれオタクロマンス観(HL・BLGL)を形作った作品たち

もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分ロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。

HL:anond:20240724184142

BL:これ

GL:anond:20240726224920

BL

なのだが、BLについては、実はかなり小さい頃から存在概念自体には触れていた。

ひとつ前で話題に出した図書館には、ティーンガール向けの(おそらく少女漫画卒業した近所のお姉さんたちからの)寄付所蔵があり、その中には白泉社系の漫画が数多く存在していた。当時の自分は、文字と絵があるなら何でも噛まずに飲み込む悪食だったので、男が少女漫画を読むとか特に何も考えずに頭を空っぽにしていろんな作品を乱読していた。そのお姉様方が残した漫画では……まあ割と頻繁に男と男がベッド・インする描写がございまして。たぶん清水玲子さんの作品だと思うのだけど、フツーに女が男と、男が男となんやかんやベッドで一緒に寝ていた。

当時は臥所をともにする意味を知らなかったので、ふーんで流していたけど、たぶんこれが原因でボーイ同士のラブにはじめから拒否感が無かったような気がする。長じて、そこそこの男オタクがBLを〇〇という蔑称で呼んで弄ぶおもちゃにしたり嫌ったりしている(た)のを見て、そんなに嫌う?と思ったこともあった。

あと、漫画の中にラッキーなことに「ぼくの地球を守って」もあって、それを血とし肉とし、年の差カップルやらTSやらやおいやらを学習していった。当時は倫くん精神年齢が近かったから、亜梨子のことをすっげー年上のお姉さんとしか思ってなかったけど、今思えば……いや、今思っても流石に年の差はあるわ。(ぼくたま面白かったなあ……【懐古】。好きなキャラはキャーおよびJrです)。

しかしながら、BLにハマる、つまり男と男のカップリングに熱を上げることはなかった。あくまでも、そういう価値観もあるという認識を持った程度。そんな自分のカチコチに固まった頭をぶっとばしたのが、数年前の自分誕生日近くに発売された某ゲームに出てくるLくんというキャラクターだった。ここまでが前置き。

タイトル
ジャンルRPG

(とくにBのLを主題にした作品ではないし、勝手自分が思っているだけなので作品名はぼかす)

このゲームは、とある学校先生となって選んだクラスの生徒たちを戦乱の時代に生き残れるように育て導いてゆくというもので、作り込まれ世界観に加えて、複数ある学級にそれぞれ個性豊かなキャラクターが何人もいる(しかも完全フルボイス!?)ことで、いろんな育成を試したり、生徒との恋愛シムを楽しんだり、生徒間でカップリングを作ったりと、様々に遊べて大きくヒットしたのだ。例に漏れ自分オキニキャラがおり、それがLくんだった。

いや、はじめはまっとうに可愛い女子陣(LとかMとか)にエへエヘしていたんだけど、なんか気が付いたらLくんのことがすげー気になる存在になっていたのよ。そのゲームはいわゆるコミュ的な、キャラ同士が交流するイベントがあるんだけど、Lくんは初っ端からエンジン全開で仲間に対して自分のことを「容姿端麗にして才気煥発」とナルシ発言カマして、空気の読めない高慢ちきナルシスト変な髪型貴族として高笑いしながら自分フルネームしかもミドルネームあるから長い)を連呼していたんだ。それでおもしれーやつ〈ルビ:コメディリリーフ〉的にLくんが気に入っていたんだけど、ゲームが終盤に近づくにつれて、なんかLくんが覚醒して、おかっぱナルシストからシメ耽美髪美ノブレスブリージュグレート薔薇貴族に大変身したのね。おもしれーやつだと思っていた可愛い生徒が、ウルトラスーパーデラックス紳士になってしまって困惑3割感動7割で、まあ端的に言うと「り゛っば゛に゛な゛っ゛た゛ね゛ぇ(泣)」だった。

それで一周目をクリアする頃にはLくんを含めた学級の全員を超大好きになっていたのだが……話はここから。そう「一周目をクリア」が意味するのは二周目があるということ。実はこのゲームは学級の数だけ、正確にはさらに隠し的なルート一つがあり、何周もしないとストーリーの全容が分からないという恐ろしい作品だったのだ。

そこで、ゲームクリアして二周目を違う学級ではじめたのだけど……完全に元の学級ロスになっていた。新しいルートを進める傍ら、最初ルートファン通称は「実家」)の思い出を反芻する日々。新ルートで元の学級の子達と交流すると、現学級のライバルなのにいい働きをしたら「うちの子立派!」と思わず叫んで親バカの如く他学級を褒めるというしまつ。ついには、日々彼らのファンアートやらキャラ語りを探し回るゾンビになっていた。

このゲームは発売当時にそこそこ話題になった作品だったので、ネット検索すると、それはもうファンアートや感想の海……いや大海原の如く豊穣な熱情(しばしば劣情)にありつけた。そうすると、次は二次創作というグランドラインに正面から向き合うことになるのは必然だった。名支援と呼ばれるLくんとMちゃんを描いた漫画作品平民貴族の組み合わせのLくんとLちゃん小説、声デカ貴族組のLくんとFくんファンアート、そして学級長のCとLくん、LくんとC、またCとLくん、LくんとC……そう、実はLくんは異性とのカップリングよりも、学級長であるC(男)とのカップリングが、多分最も人気があったのだ。

CというキャラはLくんの真逆とも言えるキャラクターであった。級長のくせして腹黒軍師系だし、すぐに策を弄してハメようとするし。だが、内心にとんでもなく大きな野望を抱えているという複雑なキャラクターでもあった。やや高慢だが優等生のLくんと人当たりはいいが腹の底を見せないC。二人はストーリーでもコミュでも犬猿の仲というべきであった。

二次創作という大海原には様々な島が浮かんでいた。デフォルメされた姿でうさ耳が生えて赤面しているLくんがいたと思えば、リアル等身でどシリアスな殺して殺されての戦場汚泥に塗れている姿があり、Cを言葉攻めしていたり逆にされていたり、現代パロ、学パロ、性転換、敵対シチュモブ、死ネタetc... ニュービーだった自分には直接的な官能的な絡み合いこそ刺激が強かったが、ネットの海に放流される彼・彼女たちの漫画イラスト小説イメソンetc……そこには確かにキャラクターへの愛があった。

そんな調子で元の学級への未練(飢え)を同志達の供給で癒やしつつ、数百時間かけて全ルートを回りきり、ついに念願の最初ルートに戻って最高難易度でもう一度やり直すことに。そこにはかつてと変わらぬ愛すべき学級の生徒たちの姿があった。Lくんも相変わらずCに突っかかって、Cはそんな彼のことを面倒臭がって、変わらぬ犬猿の仲……いや、なにかおかしい。

それは衝撃が固体になった瞬間だった。

初見プレイ時にはまだBL筋が十分に発達していたかったため見逃していたのだが、チャクラが開かれた今となって見ると、それはもうコッテリとした男と男のクソデカ感情がこれでもかと描かれていたのだ。

先に少し述べたように、Lくんはナルシストの傾向があれど、基本的には名門貴族の跡取り息子としての教育を受けている礼節を持った男であった。先に紹介した他のキャラとの珍妙コミュにしても、彼は彼なりに真面目に誠実な態度を取っていた、ただ空回りしていただけで。しかしどうだこれは! Cとのやりとりに彼がこれまで受けてきた教養のある態度は認められない。そう、それは嫉妬。内側に秘めていた激情。むき出しの激重感情がそこにあった。

名門貴族の跡取りとして生まれた彼は、諸侯が己が利益を優先し団結をしようとしないこの諸侯連盟の現状を憂え、この国を正しく導くのは自分の責務であると自負していた。学問を修め、領主としての振る舞いを学び、着々と目標に邁進していた。そんな彼の前に現れたのが出自不明でありながらも突如として諸侯長の跡取りとなったCだった。全く貴族らしさを感じさせず、あまつさえ貴族の位なんて屁とも思っていない異物。それがLくんにとってCだった。

自分が欲しくてたまらなかった立場にありながらも、それを歯牙にもかけず、貴族の責務にも無関心で、それでいて何かを企んでいるのに見せようとしない見通せない。だから「君など現れなければ……」と本心が溢れてしまう。悔しそうな声。それは俺先生や他のクラスメイトには見せない、彼の心から嫉妬だった。しかし、その心は、先生とCの隣で彼が望む未来の片鱗に触れていくにつれて変わっていった。領内の、国内ことだけしか考えていなかった彼は、この世界人種差別身分のことまでも変えていこうとするCの考えに触れ、彼こそが皆を率いていく器だと内心は認めるようになる。そして、二人きりのとき「君のいない世界など味気ない」と告げ、自らにとって彼が大切な存在であると言外と認める。

このやりとりを再見した時、なぜ、自分はこの感情ドッヂボールに気が付けなかったのか、と唖然となった。「お前さえいなければ」からの「お前がいない世界など」という完璧な回収。こ、これがブロマンスなのか……と濡れた泥を投げつけられたような衝撃だった。これで完全にチャクラが開いた感覚があった。

この二人はエンディング後の後日談もいいのだ……アニメ化の際は、鹿ルートエンディング曲は風塵回廊でお願いします。

なんか気に食わねえから、とかではなく論理展開やその論理の前提であったり客観的事実において相手意見に疑問を呈する事は普通にやる事だと思うし、それは別に相手に対して攻撃である事を意味しない。

というのが批判意味する所だと思う。まあ「そこで引っかかる?」っていう常識的バランス感はあるけど。

でも完全に非難同義で扱っていて批判(原義)の概念を持たない人にとっては、

批判非難)=有意義な指摘=相手に対する否定発言内容への疑問、反対、及び人格攻撃)を必ず含む=喧嘩である

という事なのかもしれない。

インターネット上では「批判は歓迎だけど喧嘩腰は御免蒙る」という意見に対して「批判を受け入れたくないなら共感されたいだけ」みたいな事を言う人間がいて、その発言の前提を察して整理すると。

こえーよマジで

anond:20240725165710

法律って明らかにおかしいがそういう建前でやらないと裁けなくなるから押し通してる前提みたいなのあるよな。

自由意志とか科学的には存在しない説が有力だと思うが、これを認めると責任能力概念喪失するので存在してることにしてるみたいなの。

フィクションにおける「世界征服」の歴史を知りたい気分だ

いわゆる悪の組織が最終目標に掲げるような世界征服

この概念の形が定まったのはいつ頃のどんな作品群によってなのか

病院の待ち時間暇つぶしに調べるのにちょうどいいお題だ

世界征服目的とした組織自分がまず最初に思いついたのは仮面ライダーショッカーだな

さて、ここから過去に向けて掘っていくか

こういうときニコニコ大百科にだいたい独自研究がまとまっているから助かる

あー、サイボーグ009ブラックゴースト世界征服目的

おっと、仮面ライダーサイボーグ009のどちらも石ノ森章太郎作品じゃないか

じゃあ「石ノ森章太郎作風に影響を与えたものは何か?」のような路線で掘っていけば何か見つかるかもしれないな

そういった観点であれば何か参考文献も見つけやすそうだ

別の観点でも一旦調べるか……アメコミとかだとどうなんだろ

ファンタスティック・フォーに登場するヴィランドクター・ドゥームも世界征服目的として掲げている?

ドクター・ドゥームの初登場が1962年7月

サイボーグ009刊行がいつだっけ?1964年7月

ドクター・ドゥームの方が早いが……

ファンタスティック・フォーを読んだことないんだよな

登場してしばらくして世界征服とか言いだしたかもしれんし

判断できない

しかし興味深いな

確かドクター・ドゥームってのは何かの組織首領みたいな感じではないんだったか

それに対してブラックゴースト組織世界征服を掲げている

ヴィラン個人で掲げる世界征服悪の組織として掲げる世界征服という違いがあるのだなあ

サイボーグ009(というか石ノ森章太郎)が影響を受けている可能性がある作品として007シリーズがあるか

007世界征服を目論む輩はいたっけか

いるわ

スペクターですね

さて、これの初出は?

小説の『サンダーボール作戦』で1961年かな?

なんかこの時代らへんって世界征服をもくろむキャラクターが登場する有名作品が沢山誕生しているんだな……

冷戦下のスパイ小説とかが世界征服をもくろむ悪人キャラクターの源流なのかしら

もっと過去に遡れるのかどうか

ナチス崩壊1945年あたりまで遡れるかも、という勘がある

当時の人にとって「世界征服」はフィクションではなくREALに起こりうる危機という感覚があったのかしら

核戦争による終末はREALの感覚があったかもしれないけれど世界征服はREALだったのかNOT REALだったのか

こういう「当時の人がどのような意識でこれを読んでいたか」という肌感覚を知ることができたらなあ

石ノ森章太郎自伝だかルーツをたどるみたいな本は予想通りあるみたいだな

じゃあ病院帰りにジュンク堂に寄りましょうね……

国会図書館デジタルコレクションで「世界征服」で検索するとだいたい1890年~くらいの資料が見つかる

けれどモンゴル帝国世界征服だったりナポレオン世界征服だったりどこぞの国が世界征服をもくろんでいるので我が国富国していこう(←これ正しく読めてないかも)みたいな文脈での用例になる

今の興味はあくまフィクションでの世界征服なんでね

あー、「世界征服という単語がREALからフィクションでの出来事となったのはいつか?」というテーマにもできるのか

横道にそれた話→現実の話で「世界征服」と言ったとき、「世界」が「地球全土」とか「地球上に存在するすべての地域」とかを意味していない場合がある

1984』の刊行1949年

世界征服とはちょっと違うか?しかし少なくとも隣接ジャンル

石ノ森章太郎SFの人だから海外SF小説に源流を探しに行くのも面白そうだ

宇宙人による地球侵略も隣接ジャンルだけれど……探す範囲が広範になってしまうな

当時のトキワ荘メンバーに源流があるかどうか?も探すか

陰謀論世界征服にまつわる話があるかもしれんな

エンタメとしてフィクションの題材に用いられるような類の陰謀論ネタ歴史が古いモノが何かないか一応見ておくか

ある程度調べたら日記にまとめるか

一旦ここまで

日本という世界最強パスポートがありながらアジア最貧国日本に定住するという決断

自分の頭で考えるって概念無くて流石だと思う

anond:20240725051502

残念ながらその指摘は全くの的外れ自己満足感重視で利益追求自己研鑽もしないような奴らはAI駆逐されてしまえとすら思ってるよ。そう言う奴らが利益度外視不当廉売技術を安売りするから特にイラスト関連に関しては高い技術に対しては適切な報酬を払うって概念根付かない。ココナラとかスキマにいる1枚3000円とかで依頼受ける奴らとか、3000円とかでSkeb受けるような奴らはみんないなくなればいんだよ。

anond:20240725043353

私は真逆であらゆるクリエイターもっと現世的な利益を追求すべきだと思ってるよ。

精神的充足感や自己実現みたいなあやふや概念報酬にするから過程至上主義、手描き至上主義努力至上主義がまん延するんだ。

もっとクリエイターは結果と利益を追求し、過程努力に対してドライになるべきだよ。

2024-07-24

anond:20240724164424

ぼんやりしてると思ってるのお前だけだし、ぼんやりしてると思っちゃうのは理解ぼんやりしたるからなんだよなあ。

 

お前の考える、"気持ちいいことを我慢する能力"みたいな「理性」ってのは、機能としては脳の前頭葉前野にあるんだよね。これは、より具体的には、”感情我慢する機能”として存在する。カッとなって殴ってしまう、美味しそうなものがあったら金払う前に我慢できず食べてしまう、そういうのを抑える能力ってのがある。

で、お前はぼんやりしてるから、同時に”論理的思考する能力"のことも「理性」と呼んでるだよね。それは全然別のもんだよ。日常言語としては、別にその能力のことを「理性」と呼んでもいいけど、両方のことを同時に理性と呼んで同一のものだと考えるのは、単に理解ぼんやりしてる。

論理的思考能力と、感情衝動我慢する能力ってのは、全く別のものなんだよね。カッとなって殴ってる奴は、論理的に考えたら殴ったらいけないことぐらい判ってるけど殴ってるんだよ。論理的に考えているやつが、理性的に行動しているやつではない。

ゴムつけるのが論理的に考えて正しい選択だったとしても、それに従ってるやつが感情我慢してるわけじゃないんだよね。それはただ単に、ゴムを外してぇという感情存在しないだけだったりする。当たり前だろ。なんで遺伝子がもたらすヒトの本能プログラムに、生で中出ししたい、なんて書いてあるんだよ。ただ出せれば満足するのが人の生殖本能だよ。なんか、獣性を持つからには、本能的に産みたいはず、それを我慢してるから理性が働いているはず、その働いている理性は論理的思考能力のはず……という、十重二十重の思い込みがあるんだよなお前には。

 

 

あ、蛇足いれとくね

秋田もっと出生率高くないとおかし

ヒント:都市化とは人が多くてビルが立ち並んでいることではない

村落共同体ではなくなった、ことが主眼の概念なんだ都市化ってのは。

地域コミュニティというのが希薄で、ご近所の付き合いや義務の課し合いというのをしなくなっており、人々とくに若者の将来が自由である状態。それが都市化だ。

人口密度が増えて、労働環境がむかしながらの自家農業から都市的な雇用関係に変化すると、そういうことがおきるって概念なんだよね。

まり秋田は、十分すぎるほど都市化の影響下にあります

anond:20240724150407

合計特殊出生率って概念知らんの?

若者が吸い上げられてようがなんだろうが関係ない数字なの、その土地に残ってる15 歳から49 歳までが30年前の都心より子供を産んでないことが統計的に明らかになってるのよ。

合計特殊出生率すら知らずに少子化の原因やらを語ってるのクソおもろいわ、知能が低けりゃ自制が苦手なのも当然よな。

anond:20240724102015

さっきからいっぱい貼ってるけど

全部「弱者男性」という概念を使う人が既にいる前提の議論じゃねーか

侍や武士定義wikipedia軽く見ただけでもけっこうややこしかった。

元々侍と武士は同じ意味だったが、時代を経ると侍は高位の武士意味になってる。

侍(さむらいサムライ)は、古代から中世にかけての日本における官人身分呼称、あるいはそこから発展的に生じた武士の別名である

「侍」という言葉は元来は、朝廷の実務を担い有力貴族や諸大夫に仕える位階六位下程度の下級貴族官人)を意味した

武芸仕事内容とする技能官人である武士が発達すると、「侍」は武士を指すようになった。

さらに、武士階層裾野は広がり貴族に連なる支配階層に加え、本来百姓身分である地侍徒士、卒、足軽なども武士に含まれるようになると、「侍」は武士の中でも比較的高い地位にある「騎馬戦闘の権利資格を有する階層以上の武士」を指すようになった。

足軽も一応武士

足軽(あしがる)は、平安時代から江戸時代日本存在した歩兵一種

概念によっては、雑兵(雇い兵)と混同されることが多いが、足軽正式登録された下級武士であり、雑兵は戦いがあるたびに金銭で雇われる軍兵のことである


弥助が侍かどうかの話があるが、そもそも侍の定義を明示してないと話が始まらない。

足軽だったとしても下級武士であり武士=侍の時代定義に従えば足軽も侍と言うことも可能なので議論する上で当たり前だがそもそも言葉定義についてはっきりさせておく必要がある。

どのデータを見ても「男性有利」な日本社会なんだから当たり前

男らしさ=男性有利な社会活用できているという評価になる

女性男性結婚して初めて男性と対等になりうるので、パートナーに男らしさを求める

また、男性から評価も男らしい男の方が評価が高い

となると女性にもトロフィーワイフのような概念が生まれて当然で

人としての魅力より、世間評価が高い男性を求める女性が出てくる

そんな文化で数十年生きてきた女性に「だけ」いきなり価値観の変化を求めるのは不毛

急に話が変わるがバチェロレッテ3がSNS話題になった

強者女性であるチェロレッテがまったくモテなかったのだ

SNSでは可愛げがないの連呼。それじゃモテないの連呼

男性女性に女らしさを求めていたのだ

いまだに男性日傘をさすのに躊躇するように

周りの価値観に反して自分価値観を貫ける人なんて少数派だ

じんわり世間が変わるのを待つしかない

anond:20240723065123

anond:20240723090049

せなや

表立って言わんから陰口って概念があるわけやし

2024-07-23

anond:20240723225730

それが社会福祉から

昔は子供を好き放題産んで口減らしに売っていた

子供を産んだ責任なんてもの戦後に生まれ概念だよ

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