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はてなキーワード: 告発とは

2018-01-15

セクハラ童貞問題にアレコレについて、いまだにもやもやしてること

もう過去話題になった感じになってるけど、いまだにもやもやしていること。

ブロガー彼女告発記事が出た時、本当にすごいと思った。相手名前をぼかしたふわっとした「過去の話」ではなく勇気のある名指しの告発だった。仕事、元同僚たちとの人間関係。あらゆることに影響が出ることを覚悟して。

彼女のことは以前から知っていた。SNSうまいことやってるインフルエンサーという印象だった。あのタイミングで本が出ることも色々言われていたけれど、本当に狙っていなかったんだと思うし、狙っていても構わないと思う。応援意味で本も買おうと思ったけど一連の童貞騒ぎで心底がっかりしてしまった。

セクハラ童貞いじりも共通して「人の嫌がることをしてはいけない」ってことが言えると思う。セクハラ加害者の人も「引き上げてやるんだから、これくらい大した問題じゃないだろ」という自己中な思い込みで今まできたんだろう。その「大した問題じゃない」ことが彼女不快であったわけで、傷ついたんだよね。

彼女は以前「売れ残り」という言葉不快だったとツイートしている。もっともだ。独身であることを揶揄されるのはウザいのはわかる。それと同じで「童貞」を面白おかしく『表現』するのを嫌がる人がいるってこと、どうしてわからないんだろう?

セクハラを受けたことは気の毒で、被害者であると同時に無自覚加害者であったということは普通にありえる。周囲の童貞いじりのノリを受け入れてしまっていたのも、被害者であることと矛盾しない。彼女の周りではそれはセクハラではなかったんだろう(そもそも童貞がいなかったのか?少なくとも傷ついたことを『表現』できる童貞が)。そのノリをネットに持ち込んだからたくさんの人の目に触れてしまった。そして複数の人が「傷ついた」(と言っている)。

あのセクハラと同等の罪だとは言わないけど、少なくとも未婚いじりと同程度の愚行ではあるんじゃないか

謝罪文撤回、すごく残念に思った。結局彼女は「自分と、自分の周りではこうだから」が全てで、リアルで遭遇しない人たち(今回は童貞)の気持ちはどうでもいいんだなと思った。童貞を「捨てればいいじゃん」と笑うなら結婚だって「すればいいじゃん」。どちらも相手がいることだ。慎重になるのも無理もないよね?

彼女は今、何を言われても「童貞うぜぇ」だろう。確かに彼女を叩くネット民の口汚さ、下品さには傍から見ててもげんなりする。だけどああいう人たちだけが童貞じゃない(あの人達童貞じゃないのかもしれないけど・・・)。

彼女発言に静かに傷ついてブラウザを閉じる人たちはいないことになってるんだろうか。

今まで彼女に興味がなかった。それがあの記事で一瞬尊敬→一連のあれこれで今はどっちかというとアンチ…かもしれない。誰かが嫌がるからって即刻『表現』を奪うのが良いとは思わない。けど童貞いじりの『表現』は、嫌がる・悲しむ・落ち込む人を無視してまで存在しなくちゃいけないのか。自分にはそうは思えない。書いたらスッキリしたので寝ます童貞と思われても構いません。

2018-01-14

anond:20180114001756

元増田です。

Le Monde のあの記事を読むには、フランスにおける男女関係のあり方という背景を知らないと、正しく読めないなぁ、ということが、いろいろ調べてわかりました。

こちらでは、「不器用告白」と「セクハラ」の境目の曖昧さが熱心に議論されていますが、フランスにおける境目はそんなところで問題になっていません。

一応「ウザがらせる自由」と訳した liberté d'importuner ですが、辞書を引いたぐらいじゃニュアンス全然わかりません。

あるツイートに「 draguer とか séduire はokだけど、importuner は駄目」というのがありました。最初の二つは「ナンパする」とか「口説く」という意味です。

みなさんイメージされるように、フランスの男女の距離感は、日本のそれよりもずっと近いものです。ナンパすることは、男女どちらにとっても、ずっと容易なことです。

レイラスリマニの記事でも、自身が男を誘ったりしていたことがはっきり書かれています

日本ならば、ナンパ自体不快であるという人がいるでしょうがフランスでは、気に入れば付き合い、気に入らなければ振る、というそれだけのことです。

それはウザいかもしれませんが、そこを問題にしていません。だからウザがられる/ウザがらせるは、importuner ではありません。

ではdraguer, séduire と importuner の境目はどうなっているのか。ナンパがimportunerとみなされて不当に告発されることはないのか。

こうした議論ほとんど見受けられません。

なぜなら、前者でも十分近い距離感なだけに、 importuner に転んでしまうと、明白な性的侵害行為踏み込むからです。importuner とは以下のようなものです。

  • 無断での身体接触。急にキスしたり、抱きついたりする。胸やお尻に触る。
  • 直接的な性的表現女性の体を本人の前で品評したり、付き合ってもいないのに性的メッセージをいきなり送りつけたり。ツイートで挙げられていたのは「すげえ胸だな、一晩中やりまくろうぜ」といきなり声をかけられるというもの。(ヨーロッパ映画を見てると、こういうシーンがよく出てきます。本当にあちらはそんな輩が多いのでしょう)。

要するに、importuner はここで議論されているような不器用告白とかそんなものではありません。「ただイケ」でも許されない行為が importuner です。

ですから、liberté d'importuner とは、信じられないかもしれませんが、上記のような「性的侵害をする自由」です。

あの記事は、そんな自由を男に認めてやれ、というものなのです。

このとんでもない主張に賛同している人たちには、かなり特殊な性生活を公にしている方々が含まれていて、とてもフランス人女性代表するものではありません。

彼女たちの主張を噛み砕いていえば、こうです。

ちょっと触られたり、下ネタ言われたりしても、どうってことないじゃない。男の性欲はしょうがないんだから、軽くあしらうか、一緒に楽しめばいいじゃない。

それが女の性的自由よ。気に食わない相手なら、一発叩いてやればいいのよ。」

これが女性側におけるノーという自由です。

これに対してツイッターで紹介されていた記事

通りで急に抱きつかれた女性が男を引き剥がすと、逆上した男がナイフで突き刺した、というもの

これでも、ノーという自由があるのか、と。

先に、#BalanceTonPorc は攻撃的すぎる、と書きましたが、ツイッターではなく、このキャンペーンサイト匿名投稿欄を見ると、そのほとんどがレイプ、残りが未成年に対する性的行為です。

微妙セクハラ行為でっちあげているのではありません。怒るべき人が怒っているだけでした。

結論としては、日本における性的関係問題をこの記事をもとに語るのは、止めたほうがいいんじゃないか、ということです。

実は、はじめあの記事好意的に読もうとしていました。告白ハラスメントとか、おかしいと思っていますし。

ただ、後半に出てくる「痴漢にあっても、大したことないものと思ってもいい」とか「レイプされても、心は自由」とかが、

Le Monde に掲載されている記事とは信じられなくて、自分フランス語読解能力おかしくなったのかと思い、いろいろ調べだしたのです。

結果、あの記事は、穏当な言い方をするならば、私達とは別の世界に生きている人々によって書かれたものでした。何かの参考になるものではありません。

彼女たちは、不器用口説き(彼女たちだけは importuner を不器用さの結果ということにしたいのです)と本物の性的侵害区別はつく、と言っています

でも、その実、巻き込まれしま危険真剣に考えていません。大した事のないものと思っているからです。それが明白になったのが、昨日のテレビ討論会でした。

討論者は、署名者の一人、元ポルノ女優現在司会者として活躍している Brigitte Lahaie と女性の権利省の大臣 Caroline de Haas の二人。

あなた女性の性は弱いものだと思っているけど、そんなことないわ。女性性的魅力はパワーがあるの。母親は娘にそのパワーの使い方を教えてあげるべきなの」

「でも、その性的魅力のせいで、レイプされ苦しんでいる娘たちがいるのです。その人たちについてどう考えているのですか」

Lahaie は言いました。「あなたも知っていると思うけど、レイプされて感じたりすることもあるのよ」。

Haas 自身レイプ被害者でした。

2018-01-13

欧米では」をつまみ食いした #MeTooマウンティング合戦不毛

ハリウッドに端を発する #MeTooで提起されている問題の中核部分が

「ある人物もつ権力濫用人間尊厳という基本的権利侵害し、女性たち(に限定はされないが)に性的被害をもたらした」

であることは、主張者・賛同者一人一人に聞いても「その通りだ」と言ってもらえると思う。

おそらく自由恋愛派のフランス勢もここは否定していない。

まさか、「権力強制力とは関係なく、いやらしいジョーク不快にさせられた」程度のことではあるまい。もしそうだというなら、本家運動と照らし合わせる限り、それは今回の#MeTooとは別のものだろう。

人権侵害ということであれば、個人間の解決を見ない場合法律に訴えるのが筋である

発端となったアメリカ映画界のケースは、"W"なる人物による被害をこれ以上広げないという意思も含めた「緊急避難」として告発を行ったという意味合いもあろかと思う。

法律の外だけで社会的抹殺を行おうという動きではない。きちんと訴訟も行われている。

[ハリウッドセクハラ騒動:ハーベイ・ワインスタインに関する訴訟はどうなっているのか(猿渡由紀) - 個人 - Yahoo!ニュース](https://news.yahoo.co.jp/byline/saruwatariyuki/20171128-00078657/)

メディアを利用した社会的告発に対しては、相手方から名誉棄損などで訴えられる可能性もある。また、復讐心に基づく私刑(リンチ)ではないことを示す必要もあり、訴訟行為は当然と思える。

さらに、現時点の#MeTooは、

https://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/ASL131P4HL13UHBI001.html(「もう終わり」ハリウッド俳優ら、セクハラ訴訟基金設立)

一般社会のケースでの訴訟費用支援話題となっている。#MeTooの結果として相手方から起こされる訴訟も想定しているだろう。

自分の感じ方にすぎないが、本家ハリウッドの人々は自らのアクションに少なから復讐心リンチ性の要素が含まれていることを自覚しており、また「しょせんハリウッドという舞台でのマッチョな人々の内輪喧嘩ではないか、我々の生活とは関係ない」という一般の人々の厳しいまなざしをも感じ取ったうえで、さらなる公益性を目指しているように思う。

本邦の #MeToo

翻って、本邦の#MeTooでは告発者が将来的に払うことになるコスト世間からの好奇の目・加害者から復讐など)の大きさを理由に、これ以上のコストを払う必要はなく、法律の外で加害者社会的抹殺する手法でよいと考えているように見受けられる。

そもそも職場環境内の問題であれば、

日本場合厚生労働省の「お問い合わせ先」がある。

[職場でのハラスメントでお悩みの方へ(セクシュアルハラスメント/妊娠出産育児休業等に関するハラスメント/パワーハラスメント) |厚生労働省](http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyoukintou/seisaku06/index.html)

がある

まずもって、これは雇用された者同士の問題というより、雇用主が解決しなければならない問題である

もし話し合いで済まなかった場合は、まずは訴訟を考えるべきであるメディアを利用した告発とセットでも構わないとは思う。

仮に、話し合いで済んだにも拘わらず、社会的告発をしたいというのであれば、それこそ社会的非難覚悟で行われるべきであろう。

いずれにせよ日本アメリカ同様、法治国家なのだから本来の手順を意識する必要がある。

年末に本邦で見られた #MeTooスタイルは、標的を定めた #HurtYou になる可能性があり、私刑性を否定できない。

日本版#Metooで有名になった方が、

「#metooリンチではありません」と宣言しているが、それは独自解釈であろう。

被害者として名をさらしており、匿名立場から石を投げているわけではないからといって、ただちに私刑としての性質から逃れられるものでもない。

もし、メディアを利用した社会的告発だけで問題が済むというのであれば、少なくともアメリカ発の#MeTooに自らを連ねるのはやめたほうが良いと思う。

もし、法律の外の告発だけでよいとすると、下記のような懸念が考えられる。

  1. 冤罪可能性(そもそも被害を受けたと主張する側が嘘をついていないという保証はあるか)
  2. 時効概念をどうするか(もしこれがないなら、わざと被害を受け、被害を上回る利益が得られるタイミングを選ぶことが可能)。また、過去出来事現在価値観でもう一回評価できてしまうことの是非(現在常識は数年後の非常識になりうる)
  3. 告発された側が受けるべき社会的制裁の程度。また、社会的更生はどのようなものであるべきか。これらについてのコンセンサスがない。
  4. 罪と人の分離問題過去の業績の評価はどうするか。作品仕事個人の分離は可能か)。これについてはハリウッドのほうが深刻かもしれない。
  5. 公益性問題(ある人物社会的告発することに対する社会全体の意義。社会的無名な人を名指しで告発した場合名誉棄損の観点から法的にも危うい)

これらに対して社会的合意形成されない限り、このタイプの#MeToo運動は深刻な問題を起こす。

欧米では」のつまみ食いによる #MeTooマウンティング合戦不毛。これを契機に本邦独自問題として考えたほうが良い。

個人的意見ではあるが、

まず、#MeTooを「アメリカ出羽守」や「フランス出羽守」として我が正義マウンティングに走るより、もっと地べたから考えていくべきであろう。そして、それが#MeTooというハッシュタグのもとに語られる必要は全くない。

セクハラを「力関係濫用」ととらえるか「不愉快行為不愉快言動」まで広げるか(少なくともハリウッドの#MeTooは前者であろう)、本邦ではこの付近こそが争点になっていると見受けられる。それゆえ独自問題系もあるかと思う。

また、#MeTooの周辺問題系としては、過去現在についての個人的救済もさることながら、類似問題を未然に防ぎ、未来に向けてよりよい環境を作ろうというテーマも含まれるように思う。ここについての議論もっと必要なのではないかと感じる。これもまた、本家#MeTooベースで考える必要はない。例えば「就職時のOB訪問のあり方」、「副業解禁による個々人のフリーランス化(新たな上下関係が発生する)」など、具体的な問題をもとに性被害防止に向けたアイデアを出し合うといった、地に足がついた議論があってもよいのではないだろうか。

このことを思うとき、先般の件を受けてD通はどう変わったのであろうか。あくま組織内の問題かもしれないが、社会への還元があってもよいように思う。

ヌーヴに賛成でも教師の生徒への求婚に懲戒自然と思って当たり前

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.mbs.jp/news/sp/kansai/20180112/00000068.shtml

 

62歳既婚教師が生徒に恋心を抱いて猛アタックをかけていたことが学校にばれ、減給懲戒処分となったニュースに対して、ドヌーヴの「口説く自由」を持ち出して皮肉を言うコメントがみられる。

口説く自由」を認めるなら、この教師の行動も女子生徒は認めなければならなくなる、と言うのだ。

 

単純に62歳が18歳に恋して口説いてもいいか、に答えるならば、答えはイエスだ。口説いてもいい。ただし多くの国では未成年と付き合うには本人以上に保護者同意が法的に必要になるが。

次に教師が生徒に恋をして口説いてもいいか、になると、人間としては自由だが、職務上は許されない、となる。なので本気で口説きたいなら卒業してから、となる。

そして、この教師口説き方は問題か、と言われれば、問題があった。朝日新聞記事によれば、教師から口説かれた生徒は、その話を断った、とある。生徒が断った後も、教師からアプローチは続いたという。これドヌーヴの「口説く自由」「うざがられる自由」を超えている。

 

最後に、この「口説く自由」を超えた迷惑に対して、懲戒内容は妥当か、という点がくる。今回は免職ではなく減給である。重すぎることなく、かといって訓戒や注意だけのような軽すぎるものでもなく、表に出ている情報に対する懲戒処分としてちょうどいいものではないか、と個人的には思う。これが懲戒免職が出されたとなると、「報道には出なかった性的な酷い嫌がらせもあったのでは」と類推することになる。

 

ヌーヴの文章が出てくる背景には、「その#MeTooに対してはあまりに罰がひどすぎないか」という私刑の行きすぎ感がある。軽口まがいの性的呼びかけ、挨拶に便乗したキスやボディタッチなどに対して、凶悪性犯罪と同等に扱い、告発を受けた者が仕事を失う、過去の栄光が失われるなどすることは妥当なのか、という罪と罰バランス感覚に対する問題提起である

今回の62歳のケースは、「口説く自由」と「自由行使で発生した迷惑に対する社会の罰」とのバランスが取れてるから良しとするというのが、私の考えである

https://anond.hatelabo.jp/20180113112231

え? 冒頭からレイプ犯罪」であり「権力を乱用する男性のいる職場において、女性に対する性的暴力が法的に認識されるようになりました。それは必然」と書かれてますが?

これをMetoo運動それ自体否定と捉えるのは誤読だと考えます

そも、ドヌーヴらの意見告発自体否定するものでないのならば、口説く権利擁護にならないのだから、やはり彼女らは告発自体否定しようとしており、それはMetoo否定となるために、肯定しない。

というのがあなた意見であるのならばこれは大変驚愕に値する事です、つまりあなたは口説くことが罪になる社会理想社会だと思っておられるということなのですから

その様に、口説く事とセクハラ混同して粛清しようとする言説が蔓延していることへの問題提起としてドヌーヴらが立ち上がったのだということがご理解いただけていないようだ。

そうした粛正主義的態度は女性解放どころかむしろ時代的な差別構造をひっくり返して再生産しているだけであり、ハラスメント解決には資さないという主張であることが。

大体、素朴に考えて口説く権利が認められない社会ってどんな社会なんですか、どう考えてもディストピアじゃないですか。

anond:20180113034454

誤訳の指摘ありがとうございました。

以下、ご指摘の点について修正検討させていただきます

✖そのことがマッチョ侵害行為保証することにはならない。

⇒また、女性に対する慇懃な振る舞いを女性を傷つける男性優位の態度と見なすのは間違いです。

さっそく冒頭で私の訳はダメですね。galanterieをgarantirと完全に読み間違えてます

恋愛のお作法に乗っ取った男性からの誘惑の手順ですね。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Galanterie

agression machisteは痴漢行為と訳すのが良さそうです。

violを指す犯罪crimeは殺人と同じくらいの犯罪なので、そのニュアンスの違いは入れるなら、

強姦殺人と同じくらい重大な犯罪だ。しかししつこかったり不器用だったりするナンパ犯罪ではないし、誘惑のお作法痴漢行為とみなすのも違う。

✖正しく意識されるようになった。

意識されるようになったのは正統なことだ。

プロフェッショナルのせかいにおける性暴力だ。

職業生活の中での性暴力だ。

ここは訂正どおりにさせていただきます

✖いわゆる普遍の名の下で、

⇒誰にとっても善いのはこういうことだと勝手に決めて、

(この下りはかなり皮肉な書き方になっていると思います)

公共利益代表者気取りで

✖実際、報道メディアソーシャルネット上で、#metooが巻き起こしたのは密告と、個人個人に抗弁の余地や弁護の余地を与えることなく、性暴力加害者と同じ俎上糾弾することだった。

事実、#metooを通して、報道メディアソーシャルネット上に密告と公の場での告発キャンペーンが発生した。犠牲になったのは、性暴力加害者たちとまったく同じ俎上に乗せられ、抗弁の余地も弁明の余地も与えられない人びとだった。<<

実際の所、#metoo引き起こしたのは、報道メディアソーシャルネット上での密告と公開の場での糾弾キャンペーンだ。槍玉にあげられた人々は抗弁の余地も弁明の余地も与えられず、性暴力加害者と同じ俎上に乗せられた。

✖「豚野郎」たちを屠殺場へ送り込むこの熱狂だが、女性が自立することを手助けるには程遠かった。 実際には性の自由の敵、宗教的過激主義、最悪の反動主義者に利益をもたらすことになってしまった。この反動主義者は、実質的にはヴィクトリア朝モラルのもとで、女性を「別扱いな」存在とみなし、女性保護することを求めながら大人の顔をした子供とみなすのだ。

⇒「豚野郎」どもを屠殺場へ送り込もうとするこの熱病は、女性自律的になるのをいささかも助けない。それどころか、実際にこの熱病から利益を得るのは、性の自由の敵たち、宗教的過激主義者たち、最悪の反動家たち、そして、実体論的な善概念とそれにともなうヴィクトリア朝風のモラルの名において女性一種「別扱いの」存在と、大人の顔をしていながら子供のように庇護されることを求める存在と見なす人びとなのである

豚野郎」たちを屠殺場に送り込もうとするこの熱狂状態は、女性が自立していくことを手助けするには程遠かった。それどころか実際には、性の自由の敵、宗教的過激主義者、最悪の反動主義者、そして善の本質的概念とそれに伴うヴィクトリア朝的なモラルを掲げ、女性を「別扱い」の存在にし、保護されることを求める大人の顔をした子供と考えるような人々に利益を与えてしまっているのだ。

ミケランジェロ・アントニオーニ映画欲望』を「女性差別」で

ミケランジェロ・アントニオーニ映画欲望』を「女性蔑視」で

mysogineはどちらの訳にもなると思われます

✖「女性として振舞うことのトラウマに苦しんでいる」ことを

⇒「女性登場人物たちが被ったトラウマ」を

✖「スイスで提出されている法案

⇒「スウェーデンで提出されている法案

✖「やりりたいこととやりたくないことに」

⇒「してもいいと思うことと、するのはいやだと思うことに」

ここはご指摘の通りです

中指を立てる自由

⇒人の気分を害する自由

この概念攻撃しようとするのは(神や国家指導者のような)「権力」「権威」とそれをアンタッチャブルものにする空気ですので、「人の気分を害する」は避けたいところでした。

彼女給与男性平等に支払われるように注意しているべきだ。しかし、地下鉄痴漢にあっても、それが犯罪からといって、トラウマを植え付けられたと感じる必要はない。

彼女彼女給与男性平等に支払われるように注意することができる。しかし、地下鉄痴漢にあっても、痴漢行為犯罪と見なされるからといって、一生涯続くトラウマを植え付けられたとは感じないでいることもできる。

彼女給与男性平等に支払われるように注意していることができる。しかし、それは確かに犯罪なのだが、地下鉄痴漢に体を触られたからといって生涯消えないトラウマを植え付けられたと感じなくてもよい。

✖評判だおれだったとさえ考えてもいい。

さらには、大した出来事ではなかったと考えることさえできる。

たいしたことは起こらなかったかのようにさえ考えてもよい

女性としての私たちは、自分たちが、力の乱用を超えて、男性たちとセクシャリティへの憎しみという顔をもったフェミニストになることを認めない。

私たち女性として、権力濫用告発することを超えて男性たちとセクシャリティへの憎しみとして表れるフェミニズムに強い違和感を覚える。

女性としての私たちは、権力の乱用を告発することを越え、男性たちとセクシャリティへの憎しみという様相を呈しつつあるこのフェミニズムを、自分たちのものとして受け入れることはできない。

✖ウザがられる自由無しでは上手く働かないと私たちは考える。

⇒ウザがられる自由が男たちの側にあってこそ意味を持つと私たちは考える。

ここは「ウザがられる自由」が男たちの側にあると解釈するのは無理ではないかと思います

性的提案(これはナンパかもしれませんし既に恋人同士の間で行われるものかもしれません)に対して「ノー」という自由は「ウザがられる自由」が無いと上手くたちゆかないということなので、

誘いを受けた側(これは男性であるとも女性あるとも異性愛者の間のこととも限りませんが)にあると考えるのが自然ではないでしょうか?

子供を持つことを選んだ人々のために、

私たちのうちで子供を持つことを選んだ者について言えば、

✖娘たちが気後れさせられたり罪の意識を感じさせられたりすることなどなく、自分人生を精一杯生きるために十分教育されて自覚を持つことが適切だと考えている。

自分の娘たちが、〔性について〕気後れさせられたり罪の意識を感じさせられたりすることなく、人生をのびのびと生きるのに十分なだけの知識を得て意識的になるように育てることこそ適切だと考えている。

私たちの中で子供を持つことを選んだ人達のために、私たちの娘たちは十分に教育され、気後れさせられたり罪の意識を感じさせられたりすることなく、人生謳歌できるように十分な知識を与えられ、意識的であるように育てられることが適切だと考えている。

✖たとえそれが辛く、生涯残る傷を残すものだったとしても、身体を傷つけられる事故にあった女性尊厳を傷つけられないし、傷つけられるべきでもない。

女性身体に関与するアクシデントは、必ずしもその女性尊厳を傷つけるわけではなく、ときにきわめて辛いものであっても、そのアクシデント理由に当該女性を終身犠牲者のように考えるのは必ずしも適切なことではない。

女性の体を傷つけるようなアクシデントは必ずしも彼女尊厳を傷つけるものではないし、ときには極めて辛いものであったとしても、彼女を当然の様に永遠犠牲者としてしまうべきではない。

まだまだ検討余地はあるかと思いますが、ご指摘の点については以上のように。

カジュアルに誘いカジュアルに断れる社会

改めて書くがそこに出てくるグラドルの人の告白では、別に枕営業する人を否定しているわけではない。あくまで「私にとって枕営業まがいの行為は嫌なことであり意味がなかった。嫌なことはしなくていいから嫌だったらノーと言おう」というメッセージだけ。

からメリットを感じてセクシャル行為を受け入れてる人はそのままでいい。

 

今、過去のことについて告発してる人の多くは、「メリットの有無にかかわらず受け入れなければいけない空気だった」「受け入れても嫌なこと以上にメリットはなかった」というケースであり、そういう人たちの実体験の声を集めることで「嫌なことは受け入れなくてもいい空気」「メリットなければ誰からの誘いでも断れる空気」を社会は作ろうとしている。

 

理想なのは上下立場関係なくカジュアルに誘うことができ、カジュアルに断ることができる環境だろう。このケースに「ハラスメント」は入り込む余地はない。これが、「断ったのに粘着して不利益しかけてきた」「誘っただけなのに粘着して不利益となることをしかけてきた」となれば、お互いに「嫌なこと」となって問題に発展する。

  

上司「二人で飯食いに行こう、おごるよ」

部下「はい食事だけなら」

上司「この後の予定どう?」

部下「それは無理です」

上司「そうか残念、じゃあまた仕事で」

 

こんなあっさりとした関係で終わればハラスメントになんかなるはずはない。

ヌーヴの言う「口説く自由」を謳歌するには、対等となる「断る自由」が保障されていることをもっと知らしめなくてはならず、それが今世界的な運動となっていること。

 

anond:20180111175142

anond:20180113110737

横だけど告発自体否定しないとドヌーヴの言うことは成立しないと思う。事後に告発されるならやっぱり口説けないわけで。

https://anond.hatelabo.jp/20180111175142

あの、さっぱりよくわからないのですが、

あなたのおっしゃる「ドヌーヴの全訳のブコメで#MeTooを貶してるような人たち」というのはどこに存在するんですか?

おかしいなと思って一つ一つ全訳のブコメゆっくり読み直して見たのですが、杳として見つかりません。

言うまでもないですが、ドヌーヴたちのそもそも意見でもそのようにセクハラ被害告発自体否定している箇所は一行もありません。

見当たるのは、勝手にドヌーヴとそのシンパ被害告発自体を萎縮させようとしている、などという誇大妄想に捕らわれ、

自立したフランス女性の口車には乗らないぞ!と、よくわからない空中戦に躍起になっている人ばかりです。



私がおかしいんでしょうか?どうかおっしゃるところの「ドヌーヴの全訳のブコメで#MeTooを貶してるような人たち」と言うのを具体的に提示してください。

anond:20180111072916

『[翻訳] ドヌーヴ「女性口説く権利」 全訳』を掲載された方が、"la liberté d'importuner"を「ウザがられる自由」とお訳しになったのはなかなかの技だと思うのですが、惜しいことに、この全訳はかなりの数の誤訳を含み、その結果、多くの箇所で、原文の文意を正しく伝えていません。

 以下、大急ぎで、主だった誤訳箇所を列挙し、元記事http://www.lemonde.fr/idees/article/2018/01/09/nous-defendons-une-liberte-d-importuner-indispensable-a-la-liberte-sexuelle_5239134_3232.html)の正確な読み取りに基づく改訳を提案しておきます。「✖」で誤訳箇所を示します。「⇒」でその部分について、正確であろう訳文の例をを示します。ご検討ください。

✖そのことがマッチョ侵害行為保証することにはならない。

⇒また、女性に対する慇懃な振る舞いを女性を傷つける男性優位の態度と見なすのは間違いです。

✖正しく意識されるようになった。

意識されるようになったのは正統なことだ。

プロフェッショナルのせかいにおける性暴力だ。

職業生活の中での性暴力だ。

✖いわゆる普遍の名の下で、

⇒誰にとっても善いのはこういうことだと勝手に決めて、

✖実際、報道メディアソーシャルネット上で、#metooが巻き起こしたのは密告と、個人個人に抗弁の余地や弁護の余地を与えることなく、性暴力加害者と同じ俎上糾弾することだった。

事実、#metooを通して、報道メディアソーシャルネット上に密告と公の場での告発キャンペーンが発生した。犠牲になったのは、性暴力加害者たちとまったく同じ俎上に乗せられ、抗弁の余地も弁明の余地も与えられない人びとだった。

✖「豚野郎」たちを屠殺場へ送り込むこの熱狂だが、女性が自立することを手助けるには程遠かった。 実際には性の自由の敵、宗教的過激主義、最悪の反動主義者に利益をもたらすことになってしまった。この反動主義者は、実質的にはヴィクトリア朝モラルのもとで、女性を「別扱いな」存在とみなし、女性保護することを求めながら大人の顔をした子供とみなすのだ。

⇒「豚野郎」どもを屠殺場へ送り込もうとするこの熱病は、女性自律的になるのをいささかも助けない。それどころか、実際にこの熱病から利益を得るのは、性の自由の敵たち、宗教的過激主義者たち、最悪の反動家たち、そして、実体論的な善概念とそれにともなうヴィクトリア朝風のモラルの名において女性一種「別扱いの」存在と、大人の顔をしていながら子供のように庇護されることを求める存在と見なす人びとなのである

ミケランジェロ・アントニオーニ映画欲望』を「女性差別」で

ミケランジェロ・アントニオーニ映画欲望』を「女性蔑視」で

✖「女性として振舞うことのトラウマに苦しんでいる」ことを

⇒「女性登場人物たちが被ったトラウマ」を

✖「スイスで提出されている法案

⇒「スウェーデンで提出されている法案

✖「やりりたいこととやりたくないことに」

⇒「してもいいと思うことと、するのはいやだと思うことに」

中指を立てる自由

⇒人の気分を害する自由

彼女給与男性平等に支払われるように注意しているべきだ。しかし、地下鉄痴漢にあっても、それが犯罪からといって、トラウマを植え付けられたと感じる必要はない。

彼女彼女給与男性平等に支払われるように注意することができる。しかし、地下鉄痴漢にあっても、痴漢行為犯罪と見なされるからといって、一生涯続くトラウマを植え付けられたとは感じないでいることもできる。

✖評判だおれだったとさえ考えてもいい。

さらには、大した出来事ではなかったと考えることさえできる。

女性としての私たちは、自分たちが、力の乱用を超えて、男性たちとセクシャリティへの憎しみという顔をもったフェミニストになることを認めない。

私たち女性として、権力濫用告発することを超えて男性たちとセクシャリティへの憎しみとして表れるフェミニズムに強い違和感を覚える。

✖ウザがられる自由無しでは上手く働かないと私たちは考える。

⇒ウザがられる自由が男たちの側にあってこそ意味を持つと私たちは考える。

✖そして私たちは、このウザがられる自由にどう応えていくかを知らなければならない。性的な獲物の役割に閉じこもる以外のやり方でだ。

⇒そして私たちは、このウザがられる自由に対して、獲物の役割に閉じこもる以外のやり方で対応する能力を持っていなくてはいけない。

子供を持つことを選んだ人々のために、

私たちのうちで子供を持つことを選んだ者について言えば、

✖娘たちが気後れさせられたり罪の意識を感じさせられたりすることなどなく、自分人生を精一杯生きるために十分教育されて自覚を持つことが適切だと考えている。

自分の娘たちが、〔性について〕気後れさせられたり罪の意識を感じさせられたりすることなく、人生をのびのびと生きるのに十分なだけの知識を得て意識的になるように育てることこそ適切だと考えている。

✖たとえそれが辛く、生涯残る傷を残すものだったとしても、身体を傷つけられる事故にあった女性尊厳を傷つけられないし、傷つけられるべきでもない。

女性身体に関与するアクシデントは、必ずしもその女性尊厳を傷つけるわけではなく、ときにきわめて辛いものであっても、そのアクシデント理由に当該女性を終身犠牲者のように考えるのは必ずしも適切なことではない。

以上。

2018-01-12

画面の中がよくなっても、現実は良くならない

アニメやらを見ていても、画面の中のものにあまり価値は感じない。

というのも、現実を変える力は殆どいからだろう。

どんなに3DCGで動きが滑らかになっても所詮ディスプレイの中のものがよく動くだけだったりする。

所詮仮想のものである

卒論研究のためにドキュメンタリー映画を見ているが、どんなに不正告発しても世の中は良くならない。

そのためか、マイケル・ムーアデモに出たりしている。

また、自分顔写真を美しく修正しても、自分現実の肌は良くならない。

自分は画面の中で満足したくない人間だ。

現実を良くしたい。

2018-01-11

anond:20180111175321

はあちゅうなんて#metoo旗手になんかなろうとしなくてもやろうと思えばいつでも告発できたはずだよな

#MeToo は「ノー」と言えなかった人が「ノー」と言えるようにする運動

ヌーヴの全訳のブコメで#MeTooを貶してるような人たちが勘違いしてるのがこれなんだけど、#MeToo運動は今まで「ノー」と言えずにハラスメントを受け続けてきた人が今になってやっと「ノー」と言い始めたという現象であって、それに伴い「『ノー』と言っていいんだよ」「『ノー』と言っても不利益を起こさせないよ」という人権を守る運動に発展したわけで。

それに対して、ドヌーヴの宣言にのっかって「そうそう、最初から『ノー』と言えばいいんだよ」とか「女性でも誰でも『ノー』と言える権利あるのだから今になって告発するのはおかしい」だとか#MeTooを腐してるのは、全くのでたらめでしかない。

 

「ノー」と告発された行為業界から追放されたり仕事を失ったりするに値するものであるかどうか、は議論対象になるべきだが、「それは大したことないから」と言ったりして#MeTooで「ノー」と言う行為を止めさせようとしてはいけない。たとえ「大したことない」と言われようと何だろうと嫌なことには「ノー」ときっぱりと宣言できる。「ノー」ということで人間関係を作っていく。それが#MeToo理想だ。

 

#MeToo文章で一番「これだ」と思ったのがグラビアアイドルで性被害に合い続けたことを告発した石川さん文章で、これからタレントを目指す人に対して「私は嫌なことにメリットあると思い込んで『ノー』と言えずにきてしまったけど、『ノー』と言ってもデメリットは大したことないから嫌だったら『ノー』と言おう」みたいなエールが書かれていると受け取った。

 

#Me Too「私も。」|石川優実note

https://note.mu/ishikawa_yumi/n/n1e73ecf608d1

 

から、#MeToo は今まで「ノー」と言えなかった人が「ノー」と言えるようにする運動であって、それに対して「ノーと言えるはずだから」とマッチョ理論を振りかざすのは間違っている。

 

[翻訳] ドヌーヴ「女性口説く権利」 全訳

https://anond.hatelabo.jp/20180111072916

2018-01-08

anond:20180107204838

匿名サイトでそんなん言って意味あるのかと

前半の妻が死んだくだり要らないし20000万とか桁間違ってるし

しょうもないクレームを入れてくる親がいれば私にご一報ください

>そういった輩も法律によって干渉できないようにしま

>親が教員無用負担押し付け行為にも刑事罰を課しま

この辺りは釣りでもアウトだろ

教師による偽告発無用負担の過大解釈で腐敗する未来が濃厚だし

チェックがこの増田に直だと普通に独裁一直線では?

2018-01-07

高能先生告発なんて生ぬるいことしたいんじゃなくて殺したいってはっきりおっしゃってます

anond:20180107165931

そんな告発存在すると思ってるのは低能だけだしwww

つーかそのパターン何度も突っ込んでるんだが、こいつ新顔なのか?

まあ低能って学習能力いからなあ

anond:20180107165506

自分以外の全人類が低脳だと告発したいなら、

引きこもり憂さ晴らしでもない限りここでは場所が狭すぎるだろ

2018-01-06

anond:20180106200833

元の文章が「ベッキーだけじゃなくて、こんなに犠牲者がいるんだぜ。あいつらもっと重罪」と告発する趣旨であればおっしゃる通り。

でも、「一件だけ告発して他は告発しないのはおかしいか告発自体無効」という趣旨しか読めないから、あなたのいう例とは違う。

2018-01-05

anond:20180105232902

キモくて金のないオッサン日本のどっかに居ることはもちろん疑ってないんだが、それが社会として解決しなればならない、解決できる問題だという実感がないんだよ。黒人差別も、黒人がひどい扱いを受けているのはみんなが知ってても、「それはそういうもんだから仕方がない」とみんなが思っている内は前に進まなかったと思うんだ。

俺は普通に暮らしていく金には困っていないがコミュ障オタクキモいオッサンなんだが、基本的社会にはほっといて欲しい。たまに寂しいとは思うけど、結婚とか友だちづきあいとか面倒くさくて無理だし。キモい状態放置してくれるのであれば、他に社会的要求がない。

金のないという部分はもちろん改善する必要がある。俺は生活保護を誰でも気楽に受け取れるような制度にして、BIに近づけるような形が良いと思う。

もちろんみんな俺のような考え方をしろとは言わないけれど、キモいオッサン社会に何かを求めたり、逆に社会キモいオッサンに何かをしなければならないのかというと、ちょっとよく分からない。

考えてみれば、そこら辺に理論を与えるイデオローグがまず必要なのかな。告発者や文学はその後に一般化する役割だろうし。

俺は無神論者なんで、信仰自由配慮して留置所とかがハラル用意しなきゃいけないとか絶対に間違ってると思うんだが、実際には配慮されてる。だからどうにか理屈を付けて共感されれば、キモいオッサンをどうにかせねばならぬという風潮になること自体は、そんなに無理のあることではないとも思うんだよ。

こちらこそ真摯に返してくれてありがとう。良い自省の機会になった。

2018-01-04

60年代日本人差別意識

これは見るたびに当時の認識のひどさに爆笑してしまうのだけれど、奈良ドリームランド開園時のPVには、ジャングルクルーズで「人食い土人」だの「土人部落」だのの言葉が乱発され、「見世物」になっている様子がよく分かる。

https://www.youtube.com/watch?v=7r7et5aQkRc&t=3m55s

https://www.youtube.com/watch?v=7r7et5aQkRc&t=4m40s

「あっ!人食い土人!」

じゃねーよwと思うのだけど、そういう時代だったのだということである

これは1961年の開園当時ということで見ると、歴史的にはまだ華青闘告発を迎える前のことであり、その華青闘告発があった1970年あたりを境目として、日本人差別意識問題は急速にクローズアップされていくのだけれども、それはまた別の話。

2017-12-30

非モテの男は気持ち悪い。

正確には「モテないことで勝手被害者意識を募らせている男は気持ち悪い」だ。

モテないことは悪いことじゃない。というかモテるかどうかなんてどうでもいい。

モテなくても人間として優れた人はいるし、モテるといってもヤリモクで遊び回っているような人に本当の魅力があるとは思えない。

経験あるかないかなんてどうだっていいじゃないか」という人がいる。それはその通りだよ。一回セックスしたくらいでは何も変わらない。本当にそう思っているなら開き直ればいい。

モテなくても、童貞でも構わない。そうじゃなくてモテないことで勝手被害者ヅラしてるのが気持ち悪いんだよ。お前らは被害者じゃない。

H女史がせっかく身を切る思いでセクハラパワハラ被害告発したのに、途端に「童貞イジり」を蒸し返す奴ら。

本当に気持ち悪い。

セクハラパラパラ権力関係上下関係が背後にあるから問題なんだ。

差別は、自らの意志では変えようのない人種身分性別理由に不当な扱いをしているか問題なんだ。

でも「童貞イジり」はセクハラでも差別でもない。「童貞」という状態はいくらでも変えうるからだ。

H女史の告発を「童貞イジり」なんていう瑣末な問題を持ち出して叩く。セクハラだ、差別だと言いながら、平気で女性差別民族差別をしている。反吐が出そうだ。

一生、一人でマスかきながら死んでくれ。

anond:20171229181306

就活する身です。

Vokersでも見とけって話ですが、はてな界隈に棲息する皆様から見た、外はキラキラ、中はどろどろ、そんな実名企業に関する告発があると就活が楽しくなりますので是非よろしくお願いします。

2017-12-29

はあちゅうさんとヨッピーさんは、まず、だまれ(ばよかったのになぁ

言わずと知れたこの件。

https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.mnWjGlvXk#.ibkRwGQev

 

論点は「セクハラを伴う”パワハラ告発する”」

今回の論点は、

 

セクハラを伴う”パワハラ告発する”」

 

である。パワーを使ってセクハラをする、あるいは、パワハラ手段の一つとしてセクハラを使う、というもの告発しているのである

パワハラセクハラが絡み合い、その根元はパワハラであるというものについての告発である

これに対して過去童貞いじり発言には、パワハラがほぼ存在しない。(中にはちょっとした名のある人の全体に向けた発言勝手にパワーを感じ取ってしまう人たちもいるため、「ほぼ」とした。)

この童貞いじりに突っ込んでいる奴らは、一言で言って

 

「筋が悪い。」

 

この筋の悪い批判は、論点関係ない部分をあげつらって攻撃しているだけであり、過去に実際に童貞いじりがあろうとそれがセクハラであろうと論点関係がない。

論点関係ないのに、論点に絡めた文脈での「童貞いじりセクハラ批判」は、完全に別件であり、誹謗中傷となり、下手すると「ただの人格否定」まで落ちてしまう。

童貞いじりがセクハラかどうかは、「セクハラを伴う”パワハラ告発”」が落ち着いた後にカウンターとして別で行うべきなのである

 

こういった批判は、時間が経てば自然といつものはあちゅうさんが嫌いだから、ことあるごとにdisっている人たち」にまとめ上げられて過疎化するはずだったのだ。

過疎化していくにつれ、まじめに#metooについてやセクハラを伴うパワハラについての議論が活発になったはずだった。

 

また、きちんと考えてから投稿する人間の中には、平日暇ではない人も多い。

土日にいろいろ考えを投稿しようと考えていた人たちが見る見るうちに話が変わっていって「あーあ。」となってしまったケースも多いだろう。

 

では、はあちゅうさんとヨッピーさんはどうすればよかったのか

じっとしていればよかった。 

まりはあちゅうさんとヨッピーさんがすべきだったのは

 

「2週間黙る」

 

ということだけだったのだ。

それができずに、はあちゅうさんからヨッピーさんまで釣れてしまったために、論点の中心から離されてしまった#metooBuzzFeedもいい迷惑である

 

そもそもはあちゅうさんの目的は#metooの後押しなどではない

そもそも、今回の件、まず勘違いしている人も多いし、もしかしたら本人も思い込んでいるのかもしれないが、

はあちゅうさんのやりたかたことは、本当は#metooを後押しするであるとか、社会的意義を感じて立ち上がるなんてものでは全然なかったはずだ。

彼女を突き動かしたのは、

 

「あの岸ってクズやろーに一発かましてやらなきゃ、もう、ほんとどうにも気が済まねぇ!」

 

という一言に尽きるのだろうと思っている。

言ってみればいじめられっ子が、8年越しでいじめっ子に強烈な一撃でぶちかましてやっただけなのだ

 

岸さんの横暴さ、でも確かに仕事はできる理不尽さ、

当時の辛かった記憶、傷つけられた記憶

学生時代自分はやられるタイプではないと思っていたのに自分はいじめられたんだというやるせない気持ち

少し離れればただのクズ行為をするおっさんだという事実、そんなもんに当時傷つけられた自分若さバカさ、

今の自分ならあんおっさんやり返してやれる力を持ったのにという自信、

そんなやつに当時ただ従って人を差し出したんだという強い後悔、申し訳なさ、

ただ従ってただ傷ついた自分純粋さ、やっぱりバカさ。

 

こんな気持ち普段見えない奥底に渦巻いていて、ふとした時に、やっぱり自分は傷つけられたんだという事実が心に影を落としてふと苦しくなっていたのだと思う。

同時に、まあ、別に今はもういいんだけど。とも。

しかしこういった気持ちは、消え去るものではなく何かの弾みで顔を出し、膨らんだりしぼんだりするものである。それは、その人の名前を見たり聞いたりしたときフラッシュバックする。

 

そんななか、岸さんは4月についに電通から出資を受け自分会社を立ち上げ、あげく本も出して世間に注目されてと、自分無視できない場所にどんどんと顔を出してきた。

あんな奴がいまだにチヤホヤされて評価されている理不尽さ、ますます調子に乗りっぷり、…もう、耐えられるわけがない。

証拠は残っている。自らの発信力はある。世間に広めるのに筋のいい媒体も協力してくれる。

そんなところに、#metooの風がキター

 

 

まさに、「刻キタル」である

 

 

まりはあちゅうさんの中で、仕返しをするのにメリットデメリットを天秤にかけた結果、ついに圧倒的にメリットの方が上回ったから実行したというだけの話なのだ

ってか、考えたらデメリット全然なくね?って思ったはずだ。

 

岸さんとは近い業界にいるとはいえ、仕事方向性は全く違うから手を回されたとしても大きな影響はない。むしろ自分はこういったネット上の流れに乗って自分の道を切り開いてきた自負も実績もある。

 

対して、岸さんはもともと電通クリエイティブ個人名前を売っていたとはいえ、所詮狭い業界内で巨大企業庇護恩恵を受けて活動していた中、

ついに独立して本当の意味個人名前勝負しなければならない非常に大事な時なのである

その流れで本も出している。

また、一部上場企業である電通出資も受け、社会的信用が死活問題となった時でもある。結果からもわかるとおり、こういったスキャンダルは致命傷となる。

 

通常、こういった仕返しを一発やってやった場合、正面から暴力を使った場合は、心情的には同情され社会的には許されつつ制度上の違反については(酌量される部分もありつつ)淡々処罰下り淡々と受け入れたりする。

代表例として忠臣蔵とか。

他の手段をとる場合は、誰がやったかからない方法を取るなどやや陰湿的な方法になるため、世の中にあいつが勝ったんだということを見せつけることが難しくなる。

代表例は、なんだろう、まとめサイトの「スカッと」タグあたりでも漁ってみてください。

どちらにしても「完全勝利」はつかみにくい。

 

そんな中、今回は、目的も支持されるものである上に手段も正当であり、めったにない完全勝利が見込めるチャンスがやってきたのである

やらない手はない。

その仕返しの中心的役割を担う媒体として#metooBuzzFeedを利用しただけである

これはこれで全く問題ないし、むしろ#metooはこれを社会的サポートする機能となるだろう。いじめをした人は正直どっかでやり返されるべきなのだ

BuzzFeedにはそれを周知する媒体になれるという社会的意義もあった。

 

なお、追随している人で相手名前を出さない人もいるが、#metoo相手名前を出して実行した時に、よりあなたを守る効果が発揮されるということは頭の片隅に置いておいて欲しい。

 

はあちゅうさんと岸さんの対応の差

最初はあちゅうさんがこの件に関してはもう取材は受けないという宣言をされた時、「すごい!やり遂げるんだな!」とカタルシスに似たものを感じたものだった。

しかしその後の、余計なことからから何まで発言しまくりの現状を見ると、たぶん上記のことは肌で感じてスタートを切っただけで、やった後の自分の動き方の想定まではあんまりしていなかったんだなーと残念に思った。

やはりどこまでいっても、本質自分かわいい女子大生ちゃん止まりなのだなと。

https://lineblog.me/ha_chu/archives/67293039.html

 

それに対して岸さんという人は、さすがメディアの頂点の会社第一線でやってきただけあって、撤退の仕方が完璧である。徹底的に完全撤退。その後完全沈黙。兵法

1.まず、勝ち目のない内容と認識するや、発表前に個別謝罪

https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.mnWjGlvXk#.ibkRwGQev

 

2.つぎに、発表されるとともに即謝罪

それも改ざんの恐れがなく、最後まで通しで自分の主張を読んでもらえる自コンテンツのみで謝罪

岸さん側の感覚に立ってあえて改ざんといっているが、謝罪メール取材相手BuzzFeedに送るとしたらどうなるか。

行間たっぷりはあちゅうさんやBuzzFeed見解差しまれながら発表され、読者が読みながら大きく印象の誘導をされる恐れがあるのだ。

エビデンスのある部分、のちのちバレそうな部分は完全に謝罪し、ファジーでエビデンスが出なそうなところは否定してしっかり楔を打っている。(登壇をやめさせるように相談した経緯については、ついバレないだろうという希望的観測が出てしまったのだろうか。もう電通庇護にないことを忘れてしまっていたのかもしれない。)

https://note.mu/kishiyuki/n/n363633a5776e

 

3.それでも沈静化の目がないと感じるや、代表取締役を即辞任。

http://tkkt.jp/

(2017/12/29現在:今見たら会社ページが「2017年12月18日 代表取締役の異動(辞任)に関するお知らせ」だけになってる!まじか!まっさらに完全撤退最初はまだ通常のいろんな会社情報が載ったままだったんだよ。)

 

 

いじめられっこの復讐の鉄則は「不意をついてピンポイント大将に大ダメージを与え、ヒット・アンド・アウェーである

後は黙して世間評価を任せるのである

 

社会人としての戦い方で、せっかく大きな勝利を収めたのに、自らの自意識から、小さいながらもまたしても1つ負けがついてしまったのだ。

今回は力を持っているはずの自分が、自らの下手クソさで起こした敗戦である

せっかく、消えはしないまでも大きな傷はスカッと仕返しして返せたのに、完全勝利で終われるはずだったのに。

はあちゅうさんの心の中に小さいシミとしてまたしても残ってしまわないだろうか。

 

ヨッピーさんの動き

最悪なのはヨッピーさんである私怨復讐を成し遂げた直後の「友達」が語る擁護言葉には百害あって一利なしだ。

まず、内容云々ではなく、いくらもっともらしいことを言っていても「友達発言」以上には聞いてもらえない。

それが正しいものだとしても(実際、筋として間違った話はしていないしちゃんとしたこと言ってるんじゃないかな)客観的に見ている人であればあるほど「友達発言」をそのままでは聞かないし、聞くと泥仕合に引き込まれる怖さがある。今回はPCデポのケースとは違うのである

鈴木一石原に一発入れたあとに、スンシンがのこのこ出てきて「俺があいつ(石原)は間違ったことをしたからやったほうがいいって言ってやったんだ。トレーニング付けたんだ。」って出てきたら、

 

「お前、、出てくんなや。。」

 

って残念な気持ちになるはずだ。

一通り落ち着いてから、「近くで見ていた人として…」と語りだすくらいがヨッピーさんにできる援護だったはずだ。

インターネット時間の速さの中で生きてきた人たちにとって、数週間黙るという行為こちらが思っている以上に難しい、というか想像範囲外の行為なのかなという感想を持った。

 

 

なお、ここから先は(いや、ずっとそうなんだけど)個人的意見から今後も好きなように続けていただければいいのだが、ヨッピーさんには基本的オモシロ下品(今はどちらかというとオモシロ無礼かな)の世界で生きていてもらいたいのだ。もともと俺パンからのゴブ僕つながりでオモコロへと続いて読んでいった自分にとって、オモコロに書き始めた頃からヨッピーさんの記事面白くて好きなのだが、自サイト等で長文で主義主張をするバージョンヨッピーさんは全然面白くないと思っている。これ以上はやりすぎであると思っていることや、やる必要がないと思っていること、あいつがおかしいだろうということなど、書いている内容のバランスも悪くないし、よく考えられているし、そうだよね。同意するよ。と。

 

「でも、そんなことは知ってるんです。」

 

ヨッピーさんがそんなこと考えているのは知っているのだ。ヨッピーさんの記事を読めば、いつも、伝わっているか、誇張していないか面白く作れているか、でもやりすぎていないか、人を傷つける笑いでないかというギリギリのところを自らに問い続けかつ読者にも問い、問いに回答があればそれを受け止めて、その視点を組み込んだり自分に問い直して組み込まなかったりしながらオモシロ下品(/無礼)な記事を作っていることは明らかだからだ。

長文で主張していることを考えていることなど、記事を読めばわかるのだ。だから完全に蛇足だと思うのだ。ヨッピーさんがTwitterセクハラ発言をする相手だってセクハラ発言に期待して絡みに来ている人たちなのは明らかなのだ

 

フミコフミオさんはTwitterになると途端につまらなくなるから読まないのと同じように、ヨッピーさんがブログに長文を書いても読まないようにするだけだから構わない。

これはこっちの問題であって、本人に顔出しで文章で考えを書いて公開して、それによっていろいろなフィードバックを受けるメリットを捨てさせることまではしてくれとは言えない。どちらかというと本人のためには続けた方がいいことだろうとは思うので続けていただければと思う。

いちいちスタンス説明されるのはこちらとしては面白くないが、やはりそこには、メディア世界で一人の人間として顔を出して立ったことがない者にはわからないレベルストレスプレッシャーがかかり、説明する必要が出てくるものなのだなと感じている。

 

矮小化された社会的意義

本来、今回のはあちゅうさんの告発は、スタート時点では非常に意義深く、社会に絶大なインパクトを与えうるはずのものだった。

なぜなら、 

 

高橋まつりさん、本当はこっちだろ?
業界、本当はこのこと気づいてただろ?

 

ということが言えるからだ。

高橋まつりさんがあのようなことになってしまった原因は、本当は「セクハラ(及び長時間労働)を伴う”パワハラ”」が原因だったはずだ。

 

原因を長時間労働に一本化され、1年かけて社会に対して働き方についての風向きを変えてきたが、それが大きくグルっと回って形を変えて返ってくるはずだったのだ。

 

実は人ひとり亡くなっていたのである

#metooは今とは比べ物にならない大きなムーブメントとなっていたはずだったのだ。

しかしたら周りで見ているだけしかできなかった人たちによる#hertooなども始まったかもしれない。(やり方については非常にセンシティブではあるが。。)

 

また、マスコミ業界広告業界、その中でも特に当事者電通は、傷の癒えないうちに二度目の爆弾を中心(今回は傍流ではないのだ!)に食らい、もしかしたら回復困難な処分が下される危険性すらあった。

二度目のダメージというものはでかい墓所も傷の癒えないうちにガンシップの弾を食らった際には大きなダメージを受けていたことはご存じだろう。

数十年ぶりに構造が激変する可能性すらあったのだ。

 

これが、はあちゅうさんが悪手に悪手を重ねたことによって問題が歪曲、矮小化され、あさっての方角で炎上し、その間に本丸の火がすっかり鎮火してしまい、おそらくあちらの防御態勢もすっかり整ってしまたことだろう。

会長に蟻んコ呼ばわりされても文句は言えない。

 

核弾頭で人を殴り、手が滑って足に落としているのを見せられた気分だ。

 

前述のように、はあちゅうさんは「あの岸ってクズやろーに一発かましてやらなきゃ、もう、ほんとどうにも気が済まねぇ!」という気持ちだけで動いているので、そこまでこちらの期待を負わされる謂われはないのだが、

自分のために#metooBuzzFeedを利用したのだから、そのくらい#metooBuzzFeedに見返りを与えてあげてもよかっただろうとは思う。つくづく惜しい。

 

ただ、黙っててくれさえすればよかっただけなのだ

 

童貞いじりについて

ちなみに、童貞いじりについて、セクハラかといえば、まあセクハラだろう。(個人的にはどうでもいいと思っているが。)

これについては「あなたパワハラセクハラを混ぜられて辛い思いをしたかもしれませんが、仮にセクハラ単体でもいやでしょう?童貞いじりもセクハラですよね?」

という突っ込みをしてやれば、少なから彼女ダメージを与えつつ、一部認めさせることもできたのではないだろうか。

 

そこを論点ずれた中で童貞いじり批判をしてしまったために、

いま彼女の中では「いつもの、話の通じない、頭のおかしい人たち、無視すべき存在、また人気があるから変なのに絡まれた」として十把一絡げにぽいっとされてしまっているのだ。

ここは良く考えずに脊髄反射してしまったあなたたちのミスですね。

 

 

 

なお、職場パワハラをしたことがある人間には、「次はお前の番だよ。」という言葉を送っておくので震えて眠ったらいいと思う。

anond:20171229151353

いっき告発も巻き込みながらそれは誤爆って言っても無意味なんだぞ

anond:20171228141751

告発自体を責めているのではない

盲目な人って冷静じゃないからわからないだろうけど

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