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2019-10-14

俺にはなにもない

タイトル通りなにもない

学歴がない 大学も出てない高卒

地元の小さな運送屋で10年働いている

今はコンビニで朝飯

趣味もない。オナニーする気も起きなくなった

風俗行っても勃たない 荷物を運ぶだけのロボット アイデンティティのかけらも残ってないから人と話すときは誰かのマネをするか聞いた話を自分の話のようにするだけ。

誰であっても相手に合わしてしまうから都合が悪くなる。どっちが良いとか悪いとか

正直なところどうでもいい

俺はただ適当にやり過ごしたいだけ

出来るなら誰とも関わりたく無くて でもできるだけ傷つきたくなくて けど少し寂しくて

今更 彼女とか 結婚とか 無理だなって思ってはいもの家族連れとか見るとやっぱり少し羨ましくて、ただ数年前に適当に合わせて付き合っていた彼女結婚を迫られた時はとてつもなく嫌で嫌でそんな重い責任背負えなくて逃げ出していいよって言った癖に連絡絶ってそれから今まで彼女に殺されるんじゃないかと怯えながら過ごしてきて、昨日LINE彼女名字が変わっていてウエディングドレスの後ろ姿のアイコンに変わっていて久しぶりに涙が溢れてきて飯も喉を通らなくて道も間違えるし事故りそうになるしでも休ませてなんて上司には言えなくて体は勝手に動くし思ってもないようなセリフを吐くし寝る前に起きたら世界が変わっていたらいいのにとか思いながら寝たりしてでもさ覚めても現実は昨日のままで季節が変わったことさえ気付くのに時間がかかる昔彼女同棲してた時にやった街を作るゲームに出てくる住民のように思えてくる。あのゲームに出てくる住民プログラムされたように動くだけで意思がない。まるで俺じゃんとか思っちゃったりして

意味もなく何時間も空とか海とか山を眺めたりして同僚は釣りとかキャンプとか女の話し家族の話ばかりしてなんでそんなに何かに熱中できるんだろうか俺には理解できなくていっそのこと大災害でも起きたらいいのにとか心の中では思っちゃりしてそしたら皆んな平等じゃん本当の本当にいつ誰が死んでも仕方ないって思うくらいの災害そしたら学歴とか地位や名声なんてものは無くなるし自分自分である事を確かめられると思う。でもそんなの不謹慎だよね分かってるよ。この世はちゃん努力して周りの人とちゃんと向き合って生きていくことが正しくてそれが社会に求められる人間でそれでも考えすぎだよとか自分自分らしくとか人それぞれとかありのまま自分でいいとかもう訳が分からなくてどっちにしたらいい?どっちがいいの

それは自分で決めることなのは知っていてそこには大人責任とか付き纏ってきてそんなうじうじしてても誰もお前に興味ないとか心の声が聞こえてきてただ休日は狭い部屋に閉じこもるかYouTube動画見るかスマホゲームやってコンビニスーパーの飯を食べて無駄時間過ごしたら終わっていて自己嫌悪に陥ってテレビを見るたびに平日は会社に行って悪戦苦闘しながらサラリーマンして休日自分趣味家族を大切にしてなんて所謂人生モデルみたいな生き方が正しいって言われてる気がしてそれってつまらないんですけどなにそれ?俺もしたけど全然面白くなかったわ俺が面白いって思った経験を綴ると金出して若い子と話したり酒飲んで若い女性イチャイチャしたり仲の良い友達とつるんで馬鹿みたいなことで笑ったりスノボで飛んだり高い山から見下ろしたり嵐の中外出たり頑張ってる女性アイドルライブを見たり天気の良い日に散歩したり腹減ってる時に丼ものがっつりかきこんだり温泉サウナたっぷりかいた後に冷えた飲み物飲んだりジム死ぬほど走った後に風に当たりながら一服したりSF映画見たり好みの女性お話できたり自己啓発本読んで強くなった気がしたり母親となんでもないような近況報告したり祖母手料理食べたりそんなんだよ。当てはめるなよこれが正しい人生ですとかやめてくれ俺はこういうことしてる時に幸せ感じるんだよ思い出した。悪いことばかりじゃないかもしれない人生ってただちょっとどうしても元気が出ない時はあってでも幸せだなって感じることもあるから頑張ろうと思うきっとこれを繰り返しながらこれからも生きていくんだと思う。人は人俺は俺だ。

[] #79-7「高望みんピック

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高望み、上昇婚が困難とされる理由は何だと思いますか?」

「そりゃあ、ハードルが高いせいで飛び越えられる人が少ないからでしょう」

ちょっと違います。あれの最大の問題点は“高さそのもの”ではありません」

「どういうことです?」

コンサルタントは数年前に担当した、とある相談者の話をした。

「その人は高学歴高収入の方を希望していました」

典型的高望みってやつですね」

「いえ、私から言わせれば、これは高望みと言い切れません。数名マッチング可能でしたから」

「マジか」

そうして希望に合った数名とそれぞれマッチングさせたのだが、なぜか結果は全滅。

相手の用意したハードルを跳べなかったというわけでもない。

最終的に「縁がなかった」と断わったのは、いつもその相談者側だった。

意味が分からない。条件は満たしているのに、なんでそいつは断わってばかりなんです」

「……どうも“その他のハードル”で躓いたようなんです」

「はあ? なんすか、そりゃ」

年齢なのか、容姿なのか、声なのか、仕草なのか。

具体的に何がダメだったのかは説明してくれなかったという。

「どこかしら相性が悪かったのでしょうけれど、本当の理由は分かりません。恐らく、当人もよく分かっていないのだと思います

そいつは“その他のハードル”とやらを妥協する気がなかったんですかい最初にでかいハードルを立ててるくせに」

実際、遠回しにそう訊ねたことはあったらしい。

だが、その人にとって高学歴高収入というのは最低限の条件でしかなく、その上で他のも跳び越えてほしかったんだとか。

「なるほどねえ。ハードルの高さが問題ではないと言った意味が分かりましたよ」

そこまで話を聞いたあたりで、コンサルタントの言いたいことをタケモトさんは理解した。

「つまり高望み最大の問題点は、“その他のハードル”を撤去していないことにあると」

「そうです。高いハードルが一本や二本あるだけなら高望みではありません。問題は全体の“数”なんです」

当然、相手側の設けたハードル自分も跳ばなければならないという側面もある。

高低差の激しい、膨大な数のハードルをそつなく跳ぶことが出来て、その人と結婚したいと思える人間

冷静に考えれば存在するわけがないと分かる。

よしんばいたとして巡り合うことすら難しいか、とっくに別の人と結ばれているだろう。

こちらも仕事ですから、建前は『上昇婚高望み大いに結構何が悪い?』と言います。でも現実問題は是非で決まるとは限りません」

火のついていないタバコを強く噛みしめ、コンサルタントは首を横に振った。

最初から気づくか、後で自ずと諦めるなりハードルを下げるなりしてくれたらいいんですけどね……そうさせない外的要因もあるんです」

「外的要因?」

「長年コンサルタントをやっていますと、稀に上手く結婚までかこつけられたケースもでてくるんですよ。宝くじを毎回買い続ければ当たるのと同じ理屈です」

しか当人たちは、それを宝くじだとは考えない。

多少の運はあると思いつつも、巡るべくして出会い、結ばれたんだと心根では考える。

そうして自分イレギュラーであることに無自覚なまま、上手くいっていない人に説教することがあるらしい。

上手くいっていないのは高望みだからではない、と。

説教とまではいかずとも、『自分は上手くいった』と吹聴する人もいます

「……あれ? でも、それって」

タケモトさんはそこで引っかかりを覚える。

そして、そう感じるであろうことは、コンサルタントは分かっていた。

「察しの通り、私の会社はその“たまたま上手くいったケース”を宣伝に使っています。当時から嫌な予感はしていたんですが……不甲斐ない話です」

実のところ、タケモトさんもその宣伝に釣られたクチだった。

ダイエット商品のビフォアフターに騙されるが如き愚行である

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新潟市死ね

死ね」本当はこんな言葉使いたくない。

でも使わなければ、この国の政治家地方国会も)には届かないんだろうな…

何なんだ。この世の中…

今回の台風19、僕の故郷長野千曲川決壊した。

千曲川は、故郷の誇り。

心が痛い。悲しい。

昨夜のフジ系のMrサンデーを見ていた。

コメンテーターとして出演していた橋下徹さんによれば、「下流都市部を氾濫させないために、上流で川幅をあえて狭めて決壊させている…」

これが、いまの我が国の「治水行政」だという。

そして、この事実をきちんと公表していないという。

下流地域の人たちは犠牲になった地域の人たちへの感謝を忘れるなと。

海なし県で生まれ育った人間として辛い現実であるが、橋下さん、勇気を持ってこの国の闇にメスを入れてくださったことに感謝申し上げます

かに都市部で大災害が起これば、経済損失は大きいし、そうならないように対策をする。これは橋下さんの仰る通りその通りだと思う。

はい長野から新潟に住んで4年が経つ。

過去3回の知事選新潟市長選、参院選などを見てきた。

米山隆一、花角英世、篠田昭、中原八一塚田一郎、石﨑徹。

その中でも特に、花角英世、中原八一篠田昭、塚田一郎、石﨑徹。

この輩ども3人は、選挙の度にこう言う。

新潟拠点性を向上させる」「新潟冬季五輪を」「上越新幹線新潟空港延伸を」と…

これらの公約について否定するつもりはない。

しかし、彼等の口から一言治水行政特に上流地域への配慮言葉を聞いたことなど一度もない。

信濃川水系下流に当たる新潟市が水害の被害にならないように、我々長野県の県民行政は、上流にいる人間責任として治水対策について激論し、浅川ダム建設自分達の出来る範囲のことで努力してきた。

このようにして、新潟県、特に新潟市を始めとする下越地方の人たちの生命財産は守られている。

その裏では、我々長野の人たちは今回の決壊で、いろいろな意味犠牲を背負ったのだ。

これだけの災害なのだから、大切な人を亡くし、家族の大切な思い出を川に流された…

そのような人がいてもおかしくないと考える。

下流にいる人たちは、上流の人たちの犠牲の上に、安全生活環境や経済活動が保証されている…

今後、地価の低下や風評被害が何らかの形で表面化し、立ち向かわなければならない運命にあるのに…

話が反れるけれど…

新潟市は、これまで多くの地域犠牲の上に発展し、80万の政令市まで上り詰めた。

国鉄の大赤字オイルショック最中であったのに、上越新幹線は造られた。

大した苦労をする事なく、易々と手に入れたのだ。

浦佐駅や、上毛高原駅など明らかに利用者数が少ないのに、どの駅にも待避線を備えた2面4線の豪華に造られた。

ホームドアだってこの時代には熱海新神戸に既に導入されていたのに、わざわざ浪費をしたのだ。

そのツケが、国鉄解体民営化に繋がり、その後建設された整備新幹線沿線地域には並行在来線運営を押しつけられたのだ。

長野場合、あるパターンでは運賃JRだったら240円で済むのに、しなの鉄道になったことで同じ区間を350円払う必要がある。

学割適用されない。家計にとってはかなりの負担になる。

長野だけではない、北陸新幹線沿線の、上越糸魚川金沢など整備新幹線沿線地域では同じように値上げで悲鳴を上げている。

しかも、長野県ではフル規格にするのかミニ規格にするのか、時の情勢に引っ掻き回され、振り回され続けてきたのだ。

それによって、いくつも疲弊した地域地域間に確執が生まれたところも現実問題としてあるのだ。

そして、あえて言わせてもらえば、20年経ったいま、その影響が顕著に現れている。

今月、消費税10%に上がった。

この増税で、キャッシュレスサービスが始まっている。

JR東日本管内では、モバイルSuica鉄道を利用すれば、最大で5%、ポイント還元キャッシュバックされるようだ。

しかし、長野ではSuicaは導入されておらず、住む地域によって格差が生まれている。

随分話は反れてしまったけれど。

そう考えたとき選挙於いて上流地域治水問題に一切触れることなく、新潟拠点性の向上などとふざけた戯言をよく言えるよね。

中原八一も花角英世も塚田一郎もいつもいつも上から目線ですよね。偉そうに。

被災地出身の者からすれば、はっきり言って、新潟市、死ね!、ふざけんなよ!、なめんなよ!

あんたたちが、安全生活が送れているのは、上流の人たちの並々ならぬ努力結晶なんだからね!

感謝しなさいよ!

上流の人たちの犠牲や苦しみ、悲しみ、涙や汗が流れていると言うこの事実の上に、新潟市が水害に強く経済活動できているということを忘れるな!

感謝気持ちを忘れるな!

長野県の行政関係者にも一言言わせていただきたい。

今回決壊した箇所には少なくともスーパー堤防及び貯水池を、氾濫が確認された地点には貯水池を、国と新潟県及び新潟市に全額負担させる事を前提に早急に整備計画策定することを求めます

今回の決壊で、我々は犠牲を強いられたのだから、これは当然のことですよね…

長野県民も、下流地域首長がふざけた言動をしないように厳しく目を光らせ監視する必要があります

市民ファースト県民ファーストという意味でもこれは当然のことです。

新潟県や新潟市が、財政難からと言ってしらを切るようなことを新潟市の犠牲の下にある被災地出身の者として絶対に許すわけにはいかない。

勿論、新潟市の住民に痛みが伴うかもしれないし、財政破綻するかもしれない。

しかし、新潟県や新潟市は華々しい政令市妄想して無計画に市内の至る所に大型ホールなどの公共施設を造りまくり無駄であると指摘されている県立病院もきちんと見通しを立てることな建設され…都市高速並の8車線国道バイパス網が整備されていて…

長野には雀の涙程度の予算しか配分されないのに…

ホント、そんなにお金があっていいよね!新潟県と新潟市は。

のしっぺ返しとして、いまの財政難に陥ったのだから財政難理由補償支出は出せませんというのは、言い訳に過ぎないのである。当然だよね。

かに、花角知事中原市長は、財政再建に向けて給料ボーナス20%削減した。

しかしながら、所詮20%。知事市長にとっては、痛くもかゆくもないんだろうな!

加えて、ボーナス支出され、退職金支出される。

我々庶民目線被災地出身目線からすれば、よくもこんな、なめた真似が出来るよね!

これで、この人たちは身を切る改革をしていると言うが、皆さんはこの現状で本当に改革らしい改革努力をしていると思いますか。

財政難であるというのならば、ボーナス退職金のぐらい丸ごと返上してみろよ!

名古屋河村たかし市長みたいに、ボーナス退職金返上で50万とか60万とかにしてみろよ!

大阪府松井知事吉村市長みたいに努力しろよ!

新潟県の人口名古屋市の人口と同等である

当然出来ない事ではないですよね!

軽々しく身を切る改革などと言ってんじゃねーよ!

どうせ最後は保身に走るんだろ。

愛すべきオリキャラ達へ

死なせてくれ

小学生の頃からもう15年くらいオリキャラを描き続けている

数年前から死にたいと思っているが、このオリキャラ達の存在がどうしても引っかかり、踏ん切りがつかなくて困っている。

自分にとってオリキャラは、いない友達よりも冷え冷えの現実家族よりも大切な存在だ。

オリキャラ達の掛け合いを考えてる時が何より楽しい漫画描くのが好きってわけじゃないしどっちかっていえば苦手だけど、キャラ達が楽しそうに話してる場面を映し出せるなら喜んで描く。飽き性なんで超短い1〜3ページの話しか描けないけどそれでも楽しい

言ってしまえば現実逃避だけど、現実逃避しないとやってられないくら社会に適合できない。中学どころか通信高校すらリタイアするほどに根性がない引きこもりニートだし人とまともに話せないし要領悪いし、あと何回恥をかい迷惑をかけるんだろうって考えたら、絶対死んだほうが楽だ…でもオリキャラ達を捨てるということになる、と考えるとやっぱりまだ死にたくない…と思ってしまう。何もできないくせに。

オリキャラ達が自分にとって唯一の心の支えだったのに、その支えのせいで死ねなくて苦しい思いをしている?もうわけがわからん

オリキャラに対してこんな馬鹿かい感情抱えてるの多分自分だけだし気持ち悪いなって思う。でもかわいくてしょうがない。

2019-10-13

anond:20191013193614

現実だと女子ばかり集まって陰口を言う奴がいないわけはないという

クールジャパンもっとうまくやってくれ。

海外で見た酷すぎるクールジャパン実態マレーシア編~

https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20180607-00085979/

 素晴らしい高品質日本文化海外に流布させる―。クールジャパンの基本戦である。が、そのクールジャパン戦略音頭を取る「官」が、日本人でありながら日本文化を全く理解せず、また市場経済も全く理解していない結果、このような酷い現実が出来したと言わざるを得ない。

 その根底には、日本の文化や産品は世界一素晴らしく、幾ら高くとも現地人は買うに違いない、という傲慢無知存在するのでは無いか


悲しい。

外国人観光客の誘致は上手くいっているのに、一方でリンク先のクールジャパン施設はなんでこうなんだ?

クールジャパン旅行客誘致のようにうまくやって欲しい。

加害属性への冷酷さ

このまえツイッターで「性的マイノリティへの差別に反対」てプロフィールに書いてる人が「日本ほどペドファイルが住みやすい国はない」「少女ラブドールを売るのは児童への性的虐待に繋がるので最悪、モラルがない」って書いてるのをみてかなり複雑な気分になった。

俺はペドフィリアでもロリコンでもないし児童への性的虐待が最悪っていうの自体には賛成なんだけど、じゃあどうしてもロリコンしかいられない人ってどうしたらいいんだと思うんだよな。現実に手を出すのはダメだし、二次元とかで紛らわすのも結局現実での犯罪に繋がるからNG貴様変態性欲の持ち主であり、その性欲を解消しようとすることは犯罪である!なんて言われたらやっていけないぜ。

まあ仕方ないんだけど、現代倫理観って加害者に厳しいよなあ。「加害」「搾取」することでしか満たされないものを持つ属性の人って(数は少ないにしろ)いると思うんだけど、彼らへのケアみたいな概念がないよ。

有害人間排除するっていうのが社会を成り立たせるために必要なことだとは思うんだけど、その割に人道的な顔してあくま犯罪行為をするのを待ち、法的に裁いて排除するっていうのがイヤだ。しかるべき年齢になったら全国民精神鑑定を受けさせてペドフィリアと判定されたら即死刑、お前は苦しまなくてすむし社会はお前による有形無形の加害を受けなくてハッピー、良かったですね くらいやってくれる方がムカつかない気がする。

増田利用者情報とか流出しないか

タイトルのとおりだよ、お前ら全員個人情報バレちまえ

名前を伏せて顔隠さなきゃ言えないからな、だから名前を暴かれて顔が晒されたときの反応を見たいんだよ

会社告発を悩んだ末にする奴隷くん、自分の界隈の気に食わない人を影で晒す陰湿女、思うようにいかない現実に怒り狂うKKO人格品位も疑うようなクズ発言してるクズ、壊れたレコードの様に同じことを叫ぶキチガイ自分の信じるものこそが正義と信じて疑わない狂信者パリコレクソ野郎

みんな白日の下に晒し上げられてほしい、そして発狂するなりごめんなさいするなり踊ってくれ

2chの●流出ほどの大炎上(界隈限定)にはならないと思うけど、確実にネットストーキング界隈が探りは入れる、そして「名誉永久ネットフリー素材」が誕生する
















え?俺もバレるだろ?俺は全サイト内に用意してた退避用アカウントに逃げるよ?そして半年ネットから姿消す

炎上したときって自己弁明したり煽ったり謝ったり開き治るよりも、とっとと姿を消して別人になりきる方が安全から

浸水被害が出るとパンダコパンダ洪水回を思い出す

透明な水で綺麗に水没した町を

ベッドの船で探検する回

現実あんなふうだったら見た目綺麗なのにな

マトリョーシカ玉ねぎで唯一違うところがあるとすれば、外の茶色い皮だけか

玉ねぎも剥くとずっと同じものが出続ける

ただそれを認識できるのは目がついている人間だけに許された特権であって……

日常にすりつぶされたまま健気に生きる芸術必要としない階層の脳には余裕がない

極端で間抜け空想現実だと思い込み続けるような人

異物の排除思考に染まり切った閉じた世界を好む田舎者

現実現実として認識できる能力のある人間しか芸術理解できない

何もかもをしみじみとそのようなものもあると実感できない人間芸術は難しい

必要性を理解させることも無理だろう

懺悔差別に荷担してしまたことについて。

から4年前くらいのあるとき、私が「人を馬鹿にするような、差別的表現は控えた方がいい」と言ったことに対して「そうやって規制ばかりしていたら面白いものは作れない」と反論された。

その反論に対して、私は戦えなかった。そんなの絶対に間違ってると思ったのに、何も言えなかった。それがずっと心にしこりとして残っている。

から懺悔したい。懺悔して、もうそろそろ許されたい。

私は演劇が好きで、高校大学3年生までの6年間、演劇部に所属していた。

私が大学所属していた演劇部は所属人数が多く、私の在籍中は40人くらいはメンバーがいたと思う。

その演劇部は毎年の秋、学園祭にて、1チーム2人〜の小さいチームに分かれて短編劇を作り、学園祭の間じゅう、交代制で絶やさず何かしらの劇を上演し続けるという企画をしていた。

ももちろん友人たちとチームを作って参加した。

そしていくつか結成されたチームの中に「ホモクラブ」(※仮名)というチームがあった。

ホモクラブメンバーは私の一つ下の学年の男子を中心に5,6人が集まっていた。

その名前の通り、彼らは「主人公主人公恋人役もゲイ」という設定の劇をやっていた。

設定がそうというだけで、テーマは「純愛」だと彼らは謳っていた。確かにかい設定を無視してストーリーラインだけ見ればそれは「数々の困難を乗り越え主人公恋人が結ばれる」というもので、少女漫画のような「典型的ラブコメ」を過激ギャグ調に演じることで揶揄するような内容だった。

ストーリーラインだけ見れば「純愛」だったと言えなくもない。

ただ、彼らは劇中のキャラクターに「ゲイ」という属性付与していた。

登場人物は全員、男性同性愛者。

主人公は雄々しく熱血な性格男性で、恋人役は「一昔前の少女漫画典型的なか弱くて健気なヒロイン」像をかぶせられた男性だった。

「やめて!僕のために争わないで!めそめそ」といった感じの恋人を、主人公が「俺が守る!」といった感じで熱血に困難を乗り越え、ふたりは結ばれる。

彼らの演劇は「チープで典型的ラブコメが男どうしで、下ネタをまじえつつ繰り広げられる」ことにおかしみを見出すものだった。

私は彼らの演技が不快だった。

彼らの演技に、自分同性愛であることで苦しむ人々への配慮というものはなかった。

自分たちとは違う性自認性的指向の人へのリスペクトは欠片も感じられなかった。

彼らが自分たちとは違う価値観の人を、キモイだとか直接的な表現差別していたわけではない。

だけど彼らは普段生活からホモ」という単語を仲間内相手をふざけて馬鹿にする言葉として使っていて、そのノリがまんま舞台に乗っていた。

彼らに話を聞いてみたことはないけれども、きっと実際に自分たちが演じたいキャラクターと近い性的指向の人に取材をしたり、セクシャルマイノリティに関して勉強したりはしてないのではないだろうか。少しでも勉強していたら絶対にしないだろうという表現を、彼らはしていた。

現実に「やめて!僕のために争わないで!めそめそ」といった感じの男性絶対にいないとは限らないし、そういう人はそれがその人の個性なので、否定するつもりは全くない。

現実同性愛者が下ネタを全く言わないとも限らない。そういうのが好きな人もいる。

自分とは違う性的指向キャラクターを描くときには必ずモデルとなる性的志向の人に取材をして、勉強しなければならないのかと言われれば、絶対にした方が良いと私は思うが義務とも言えない。でないと「どこまで勉強すればOKなのか」なんて話になりかねない。

そして私は「ホモ」という言葉を狩りたいわけでもない。文脈によって、それが実在他人貶めるために使われるのではないと明らかにした上でその言葉を使うのは、なんら問題ないと思う。

私は表現規制したいわけではない、表現自由だ。

ただ彼らは仲間内下ネタを楽しむノリをそのまんま、舞台に上げてしまっていたのである

舞台ということは、少数だったとしても観客がいる。演劇は観客がいてはじめて完成する。

演劇独りよがり自己表現ではない。

観客席を作って発表する以上、その劇は仲間内下ネタ披露大会ではない、自分とは違う価値観もつ観客に見せるものであるはずだ。

彼らは演劇のものが好きなようで、部内でも特に精力的に活動していた。

あるとき地域お祭り特設ステージで彼ら「ホモクラブ」が劇を上演することになった。彼らのいつもの芸風で。

私はこれはまずいと思って、彼らに「あなたたちの演劇は見てひどく傷つけられる人がいるから、やめた方がいい」と告げた。

チケット販売してやる公演ならばある程度客層を絞れる。面白そうだと思った人しか見に来ない。

だけどお祭り特設ステージとなると訳が違う。通りすがりに、何も知らずに観る人が大勢いる。

大通りが一本、歩行者天国になって展開されるような大規模なお祭りだ。年に一度の、市内の人間なら知らない人なんていないようなお祭りだ。

その歩行者天国と繋がっているアーケードに設置された特設ステージが、彼らの舞台になる。

いったいどれだけの人が彼らの演劇を目にするだろう。その中にいったいどれだけ、自分性的指向に悩む人がいることだろう。

だけど彼らが慕うある先輩は「この世の人間みんなに配慮することなんて不可能だ。そうやって規制ばかりしてたら面白い舞台は作れない」と反論した。

私は何も言えなかった。その意見絶対に間違ってると思ったのに。

「この世の人間みんなに配慮することなんて不可能」それは正しいと思う。きりがない。

「そんなことない、ハリウッド作品とか、ポリコレに気を付けた上で面白い作品はたくさんある」と言っても良かったけど、彼らはハリウッド巨匠じゃない。プロじゃない。そんなものを求められるレベルにない。

そして、どんなに観客のひとりである私が不快に感じても、本人たちが「馬鹿にするつもりはない」「真剣だ」と主張する以上、この人たちには何を言っても無駄だと思った。

から何も言えなかった。ただ傷つく人がたくさんいると伝えることしか出来なかった。

それ以来ずっと、私は差別に荷担したという罪悪感を抱いている。

人類配慮することは不可能だけど、意図的とある属性面白可笑しく馬鹿にはしないようにするということは出来るはずだ。

特に、今までいないことにされていたセクシャルマイノリティの人々がネットを通じて手を取り合い発信し、ひどい差別を受けてきたことが顕在化してきたこ時代に、どうしてあえてゲイという属性ネタとして消費できるのか。

彼らはその「ネタ」で傷つく人がたくさんいる、今まで傷つけられてきた、やめてほしいという声を全く無視している。

そしてそういう声を知っていながら彼らを止められなかった私も、加害者だ。

私自身、自分性的指向がよく分かっていない、揺らいでいるというセクシャルマイノリティのひとりだ。

それにもともとぱっとしない性格で、お世辞にも自分磨きに熱心とは言えないせいで、つまり暗くて不細工陰キャなせいで、中学生の頃は息苦しい思いをすることもあった。高校に入ってからは、怖くて男子とは業務連絡以外で口をきけなかった。

から他人の無邪気な言動で傷つけられる苦しさは人並みには分かるはずだった。それなのに、何も言えなかった。

先日、ネットフリックスにて山田孝之氏が主演のドラマが公開された。全裸監督だ。

私は山田孝之氏が好きなので迷ったが、結局not for meな作品だなと思って見ていないが。

全裸監督宣伝で「規制ばかりで息苦しい世の中に風穴を開ける」的なことを謳っていた。正直、推しが主演の作品なのに素直に推せない、残念な作品だなと思った。

差別による抑圧と、差別を避けるための規制による抑圧。どちらも抑圧には変わりないけれども、どちらがより優先的に解決されるべきかというと、前者なのではないだろうか。

私は今も苦しい。罪悪感がずっと消えない。セクシャルマイノリティに関する記事テレビ番組を見る度にそのことが思い出される。

どうしたら消えてくれるんだろうか。

ただこれから一生「規制ばかりで面白い作品がつくれない」という論調に反発し続けるしかないのかと思うと、気が滅入る。

良い「自分の許し方」があればぜひ、教えてほしい。

2019-10-12

anond:20191011141624

オンラインサロンって現実の延長線上の商法しかないと思ってる。

からこういうのも割と腑に落ちるというか、こういうのにのっかる土壌が豊かだからこそ、

リアルでもWebでも幾らでもああいうのが育って出て来るんだと感じています

「見えるところには全部行ける」

現実世界というか社会って案外移動の自由度がないよね。

めちゃくちゃでかいビル街でも実際いつでも気軽に入れる建物ってコンビニ百貨店くらいだし、住宅街に行ったら入れる建物なんてないと言ってもいい。道路はかなりルール守らないと歩けないし、山だって適当に歩くと死ぬし、海とか川なんかはかなり限られた状況下でしか入れない。

まあ全部こっちが勝手自分制限してるだけといえばそうなんだけど、なんていうか下手したらオープンワールドゲームより自由度ないなあと思うとちょっと悲しいぜ とブレスオブザワイルドをやって思った

単に事態が最悪すぎて

 昔からいいことをしてきた奴らが何もやる気が無いだけだろ

そもそも、今やる気がなくなっている人は、今までの人生自然と発奮して

やってやってやりまくってきたわけで、いいことをする人ほど、全くやる気にならない現実が広がっている

台風情報発狂しているやつらアホらしいな

 日本社会台風がきたとき情報を撒き散らして実際に日本人が厳戒態勢でのぞんだのは

明治戦後の話だろ

 そんときは、台風がこようもんなら、実際にまだ建築が弱い家や、社会形成途上で、家が吹き飛んだり

浸水でとんでもないことになるという実態があり、台風がきたら本当に恐いという現実があった

 しかし今の関東周辺では、建築は頑健、板は飛ぶことはあっても極めてまれ、それに直撃したなどというのも

ほぼほぼウソ、みんな家で寝ていて起きたら台風がいなくなってましたというのが現実

 それを気象庁報道ババア必死で、煽ってるだけで、台風に関し、誰も何も思ってない、恐くもないし

被害も出ないし、仮に今でも被害があるとすれば、上陸している間に運動に出たら靴がびしょびしょになってめんどうくさいとか

その程度

anond:20191012060522

現代アートの発展に公金投入が必要さらにはある種のエリート主義必要というのも認めるが、現代民主主義でそれが受け入れられるとは思わない。

アートだけ「税金よこせ、でも素人には分からないんだから庶民役所政治家文句は一切聞かない」という聖域的立場を得ることが許容されるとは思えない。

温泉に行ったぐらいで首長をクビになるぐらい税金の扱いはウルさいというのに、アートだけなぜ?と言われるのが現実ではないか

個人ボーナス作品を買う程度には現代アート好きだが、それでも現代アートハイコンテクストすぎて国民理解を得るのは不可能だと思っている。

税金基本的にわかやすものしかつけられないものなので、本質的現代アート民主主義は相性が悪いのだと思う。

もしタウンミーティングなどで直接民主主義的に作品を一つ一つ審査したら、現代アート、ましてやポリティカルアートなんてまず予算通らないだろう。

こういう話はMOTリキテンシュタイン購入なんかでもあって、今までも薄氷を踏んでいたところがあった。それがいよいよ本当に破れてしまったのがあいトリだと思っている。

  

コメントを見て思い出したので追記

アーティスト美大教員なんかと話しているといつも思うのだが、アート業界の人は現代アートがどれほど好かれて「いない」のかの自覚が弱い。

結構な年のアーティストが「業界外の人と飲みに行ったらあまりアート理解がなくて傷ついた」みたいなことを言っていたりする。

興味ない人なんてそんなもんでしょう?と私が言うと「アート絶対に正しく素晴らしいモノであり、わからない人は無知か騙されているんだ」といったイスラム原理主義者のような返事が返ってくる。

からすれば、現代アートなんて変なガラクタをありがたがっている裸の王様みたいに思っているのが多数派だと思うのだが、彼らにその自覚はないらしい。

無理解人間多数派なのだからアート業界はその意義を相当戦略的説明しないといけないし、それでも徒労に終わることはある程度覚悟しないといけないと思っている(私は後者)。

だがそういった認識は極めて弱く、業界内の内輪に引きこもりあいトリみたい事案が起きれば活動家まがいに騒ぐだけ。粘り強く合意形成を目指すことはなく、熱が冷めたらうやむやになって終わり。

アーティスト左翼が多い業界のはずなのに、アート好きとばかり固まり多様性」がないし、アートに興味ない人と「対話」や「共生」する気はないように見える。

彼らの言う「民主主義」とか一体何なんだろうか?本当は民主主義とかどうでもよくて、単にアート至上主義人間けがまり独裁する社会を望んでいるだけなのでは?と感じている。

オタク異世界に転生したら人生やり直せれると思ってる?

無理。しばかれて終わり。現実でいうなら明日山口組本部に乗り込んで来いっていうようなもの。できる?無理だよね。どんな能力が備わっても無理。絶対に無理。気が小さいんだから無理。

anond:20191012101710

イラ現実では逃げないけどネットでは少しでも都合悪くなったらすぐ逃げるやで。

東京実物大ユニコーンガンダムだけど部品が飛んで事故になるんじゃないか心配されてる

最初ガンダムの時もザク肩に付く大きな盾が風を受けて危険だということでガンダムが選ばれて、同じ理由ガンダムは盾を持つことがなかったと言われている

ガンダムの”リアル”って現実に置き換えるとまだまだ全然突き詰める部分が多くて遊べる伸びしろが多いんだなと思う

アートに関するよくある勘違い

表現不自由騒動きっかけなのか、最近アート」に関する勘違いを頻繁に耳にする。

とりあえずポリティカルなことや特定展覧会人物の動向は抜きに、アートに対して人々が抱いている勘違い淡々と正してみる。

文章が読めない人向けに繰り返すが、別に表現不自由展」など特定展覧会作品の是非について語っているわけではなく、人々が抱く「アート芸術」に対する先入観について語っている。


自費でやれ?

基本的に、人間芸術で食っていけないという前提がある。

前史時代から現代に至るまで、金銭作品発表場所など、なんらかの「補助」なしで歴史に刻まれ芸術作品芸術はいない。

「補助」は大まかに分ければパトロン系、政府系に大別されると思う。

パトロン

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチ…今も知られる芸術家のほとんどは貴族王族庇護のもとにあった。特に有名なのはメディチ家。かなりの数の美術作品メディチ家庇護のもと、もしくは依頼で作られている。

モーツァルトのようにフリー音楽家に転身した例もあるにはあるが、彼ですら転身後、晩年は困窮していた。それどころか、主な収入源はやはり貴族などに委嘱されて作った楽曲によるものだそうだ。

現代だと、欧米では自らの作品を売り込んでファンドを得る、ほとんどビジネスマンみたいなアーティストが多い。ビシッとしたスーツに身を包み、自らの作品に新たな価値付けをして売り込む姿は、ベンチャー起業家のそれと変わらない。

政府

こちらは王政封建制より後の政治体制下の芸術に対する補助。大まかに分けると、プロパガンダ芸術と、政治思想のない(あるいは薄い)経済的補助がある。

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政治思想とは一定距離を置いた経済的補助で、一番大規模かつ有名なのはアメリカが1930〜40年代に行った「連邦美術計画」だ。ニューディール政策の一環として、政府が数千人から1万人単位アーティストを雇い、パブリックアート制作などをさせるというぶっ飛んだ規模の政策である

因みに「連邦美術計画」の効果は凄まじいもので、その後巨匠と呼ばれることになるようなアーティストを多数輩出し(ポロックベン・シャーンなど)、抽象表現主義などのアメリカ発の芸術運動バンバン興った。

それまでヨーロッパ中心だったアートシーンは、この時代前後を境にアメリカに移ることになった。さらに因むと、未だにアートシーンの中心はアメリカである。その市場規模は、世界アート市場の5割弱を占め、日本円にするとおよそ3~4兆円。しかも年々拡大し続けている(参考までに、日本美術市場は2,000億円強 / 中国は1.5兆円弱)。

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一方、プロパガンダ芸術で有名なのはソ連ナチスなど。政府意向政治思想に沿った作品を、政府が補助して制作させるというもの。作られた作品政府思想を広める宣伝ツールとして使われることが多い。

上述した政治思想とは一定距離を置いた経済的補助とは違い、題材やテーマなどは厳密に決められており、メディチ家などのパトロンの元での芸術活動に少し近いかもしれない。

ただ、これらの政府体制下で作られたプロパガンダ芸術は、今のところ芸術としてはあまり評価はされていない。

あくま個人的見解だが、プロパガンダ芸術はその性質大衆向けにならざるを得なく、どうしても前時代的なものになってしまうのが要因かと思われる。 ※ グラフィックデザインなど、一部評価されている分野もある。

なお、これらの国では、現代アート前衛芸術は「退廃芸術」として弾圧対象となっていたことも言及しておく。弾圧されたアーティストアメリカ渡り祖国に残ったアーティストを横目に名声を得たという例はかなり多い。


政治色をもつ作品芸術ではない ?

上述のようにプロパガンダ芸術にあまり価値が見出されていない現状を考えると、一見正しい意見に思える。

だが「20世紀代表する作品の一つ」とまで言われる、ピカソの「ゲルニカ」をはじめ、政治的なアティテュードを有する芸術作品は意外と多い。

現代であれば例えばバンクシーは思いっき政治的な作品で知られるが、今やアートシーンにはなくてはならない存在だ。

文学音楽映画だって政治的な意味合いが強い作品はたくさんある。

政治色をもつ作品アートじゃない」という言説は、「ジョン・レノンの"イマジン"は政治的なメッセージがあるから音楽じゃない」と言ってるのに等しいのだ。


大衆に受け入れられないもの芸術ではない?

しろ現在享受されている芸術作品で、大衆向けに作られたものはあまり多くはない。

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチなどに代表されるような近代以前の巨匠たちは、先述の通り貴族王族むけに作品を作っていた。そもそも一般大衆向けの芸術ではない。

時代大衆向け芸術だと、例えば音楽では吟遊詩人酒場で歌うリュート曲とかがあるが、現代でも聞かれているかといえばNOである。もちろん、歌舞伎ケルト音楽など、現代まで残っている大衆芸術もあるにはあるが、近代以前の大衆芸術ほとんどは淘汰されている。

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現在大衆に受け入れられるアーティストでいえば、おばちゃんが大好きなモネは発表当時ヘタクソだの何だの批判されまくったし、今や知らない者はいないゴッホはご存知の通り作品が1枚も売れないまま精神を病んで死んだ。ストラヴィンスキージョン・ケージなどは、初演で暴動間際になったこだってある。

これらの例から、むしろ後世に残る作品は、同時代に生きた大衆感覚からはかけ離れていたことが分かる。でも、モネは今や企画展花形だし、ストラヴィンスキーバレエ曲の定番だし、ゴッホの絵を見ては「俺の方がうまい」とか宣うおっさん美術館の風物詩だ。どの分野に関してもそうだが、専門性が高くなればなるほど、大衆感覚はあてにならなくなる。自分感覚と相容れない現代美術作品を「こんなの芸術じゃない」と一蹴することは自由だが、それらの作品は100年後にはもしかしたら現代におけるモネのように広く受け入れられているかもしれないのだ。

かつて相対性理論が発表当時「完全に理解できるのは世界で数人しかいない」と言われていたのに、(専攻科にもよるが)現在では大学で習うのと似ている。これまでの価値観をひっくり返すような価値のあるものは、常人には理解できず、時間をかけて少しずつ受け入れられていくものなのだ

グリーンバーグ論文

この問題については、未だ現代美術に大きな影響を与えているグリーンバーグという美術評論家のおっさんが書いた「アヴァンギャルドキッチュ」っていう論文が分かりやすい。

この論文は、日本語訳もされているし、原文はインターネットでも読めるが、大衆感覚芸術作品価値乖離について論じている。要するに、「大衆迎合し消費される美術」と「前衛的な美術」ならば、後者の方が価値があるっていう内容だ。

80年前の論文なのだが、芸術分野では未だに影響力が大きい教科書の一つ。とても短く、すぐ読み終わるので、興味があればぜひ読んでみてほしい。


不快作品公序良俗に反する作品芸術ではない?

作品の題材として「裸の女性」というのは時代を問わずポピュラーだが、19世紀までは神話聖書出来事以外で裸体を描くことは不道徳とされた。端的にいえば、不快であり、公序良俗に反するとされた。

実際、マネによって描かれた「草上の昼食」や、裸体の売春婦を描いたとされる「オランピア」は発表当時大問題になった。「現実女性の裸を描くなんて、淫猥である不道徳まりない!下品メスゴリラを描きやがって!こんなのはアートではない!」というわけだ。

しかし、どちらの作品も今やマネ代表作。オルセー美術館に収蔵されていて、後の時代芸術からオマージュ対象とされるような絵画として扱われている。

一例を取り上げただけだが、時代を問わず同じような現象枚挙に遑がない。


写真みたいに写実的に描けている作品は素晴らしい?

簡単にいえば、写真実用化された時に「じゃあ写真でいいじゃん」ってなった。「写真絵画は違う」という考えに立脚し、ある時点でそれぞれ全く別の路線を歩むことにしたのだ。

で、モネみたいに空気感を描く作家や、セザンヌピカソみたいに多視点的にものを捉えて一枚の絵に表現する作家が登場した。これらの手法写真では(簡単には)表現できない。要は「写真じゃなくて、絵画からこそできる表現」というものが重視されていくようになった。

そして「じゃあ絵画価値ってどこにあるの?本質って何?」って突き詰めていった結果、「絵の具じゃね?」という話になり登場したのがポロックなどの抽象表現主義。「コンセプトじゃね?」という話になり登場したのがコンセプチュアル・アート特に後者現代美術への影響は色濃い。

もちろん、写真のようにリアル作品価値がないわけじゃなく、スーパーリアリズムのような動きもあった。ただ、20世紀以降のほとんどの芸術家は、「写真みたいにリアルであるかどうかとは別の土俵表現をしていることは知っておいてほしい。アーティストにとって「写真みたいリアルですごい」というのは必ずしも褒め言葉ではないのだ。


終わり

分かりやすさを第一に書いたので、表現が正確ではないところもあるし、時代的に前後したり乖離していたりもするが、だいたいこんな感じ。

文章中でも少し触れたが、アメリカ中国欧州比較すると日本美術市場はかなりちっぽけだ。国内アートがよりよく理解され、シーンが活性化することは、大きなマネーが動く「市場」を生み出すことにも繋がる。先述の「連邦美術計画」などは、政府美術に注ぎ込んだ「補助」に対して、「年間3兆円強のマネーが動く市場」という計り知れないくらい大きい対価をもたらした。アートにはそんな力があるし、前衛を受け入れる懐を自ら作り出したからこそ、現在アメリカ立ち位置がある。兆規模の市場から得られる税収は、控えめに言ってもバカにできないはずだ。

アートの受容と活性化は、普段アートに触れない人にも価値がある。少しでもみんなのアートに対する誤解が解けることを願ってやまない。

現実裁判所のあのくそきもい感じが嫌なんだろ

 書くことがあって書く必要があるから書いているように感じられる昭和判決新聞報道

めっきりみられなくなり、要するに裁判所には書くことがないし、平和な世で検察警察も書くことがないか

職員が全体的に不審な動きをして、もはや、書くこと仕事はないから、自分で作って嫌なやつをいじめる段階に入ってるし

 報道も、もう書きたくて書いてるわけでもないし、自然にあったことを書いてないし、国家幹部なども冷静に考えたら

頭脳派として魅力がなく政治家として最低

 既に、裁判所弁護士も、昭和の昔と比べたら、自然と書くことがないから、あたかもヤク中のように、書くことが増えるように

動きを工夫しているし、ただのキチガイしかない。裁判官も、社会を良くしようとして、はいはい書きましょうといって書いてる

わけでなく、やる気もクソもなく、裁判所の分からない部屋に潜み、検事弁護士会社法務担当などから出される書類をかき集め

仕事しているフリをしているだけ

 もう文系社会派は、書くことがいくらでもあって、書きまくっていたあの時代とは比較にならんわ

書きまくっていたとき裁判官と、今のように、「書くことがないから書くことを増やすために設置されている」みたいな感じの

人間とでは天地の差であり、まじで最悪

 もう、在りし日の裁判官面影はなく、物書きとは思えないただの汚い人ばかりだし、自分支配するとメリットいか

できるだけどうでもいい老人の作品展ひまつぶしみたいな判決を書いてアップしているし、そんなクソなもん読みたいわけがない

2019-10-11

映画演出

例えば映画のワンシーンで主人公がもうひとり現れて主人公に詰め寄る とか演出があった場合

俺は「ああコレは主人公葛藤心象風景演出なんだな」とか理解するのだけど

世の中には「主人公が2人!?実は双子だったのか…!!」とか解釈する人が居るみたいだ。

ここまで酷い理解力の人は少ないと思うけど、作品の中で現実幻想解釈が分かれるシーンがあったとして

「このラストシーン現実である。なぜなら○○の演出が~」とか言い出す人は結構多い。

「これは現実かどうかわからない。結末ははっきりと定まっていないが、それを楽しむ作品だ」というスタンス映画評って少ない気がする。

anond:20190626224519

260

百六日目

叩いていいと「みんな」が決めた相手攻撃することを最大の娯楽とする人種結構たくさんいるんだろうなって、ネットを見ても現実を見ても何度も何度もそう思わされてしまう。

その誘惑を乗り越えることが、人間として少しはマシになる有効手段の一つなんだろうなとも

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