はてなキーワード: 森博嗣とは
他人と比較して自分の価値を測るなんて、優しい証拠だと思うよ。
何か役に立ちたい、価値を残したいっていう感情の発露なんだから。
他人にとって自分のあるべき姿を想像できるだけ、社会性を身につけた人なんだと思う。
私は……これから生きていくことが私にとってどれだけ価値があるかという尺度でしか測ることができない。
葬式を開いてもらうなんてもってのほかだろう。誰の葬式にも出たくないのに。
合理的に行動するなら、今すぐ死んだほうがいい。
ただ私も同様に死ぬのが怖いのでただ生きてる。
森博嗣の小説の中で「苦しまないで死ねるなら、誰も死を恐れない」という台詞があるけど、私は本当にこの一文が好きだ。
コンビニに行くぐらいの気軽さで、自らの生き死にを選べたらいいのにね。
そもそも本を読んだのは20年くらい前。ダールは大好きだけど、まだその時はブラックユーモアは怖くて、短編集はあまり読めなかった。
Twitterでダールの短編の話題が出ていて、あらすじググって色々考えていたんだけど、考察が合わない。
賭けにハマる男を止めるために、奥さんが自らを犠牲にしてきたという話。男が頭がおかしくて、奥さんはストッパー。
ダールは賭け事にハマる人間の危うさ・愚かさを書いていたはずで、もう一捻りしていない?
つまり、男がただただヤバい奴と見せかけて、結局その男から全てを奪うために自分の身体を賭け続けた奥さんだって、十分に一線を超えてるというか、勝つまで止まなかったジャンキーと言えるのでは?
ダールの最後の記述は、奥さんの哀愁、今までの辛さ、負担を当然見せているんだけど、それのツールはあくまで指であって(男がそうじゃないと乗らないんだろうけど)
っていう、止めている人間が、まともに見えて実は…みたいな話なのかなと思った。
まあ、奥さんはあくまで止めているから、一般的な考察でいいんだろうけど、ダールはそれくらいしそうって思っただけです。
せっかく思いついたのでワーイということでチラ裏書いたので、皆の反応知りたかっただけ。
森博嗣がロアルドダールの切れ味は一線を画す。それは飛行機乗りだからって書いてたけど、そういう謎の記載したくなるくらい、ちょっと住む世界が違う発想だよなって思う。
『左近の桜』『咲くや、この花』『さくら、うるわし』に続く、左近の桜シリーズ第4作目。
謎の引き寄せ体質というか拾い物体質というか、とにかくやたら異界の住民と関わりあっては「アッーー!」なことになってしまう、左近桜蔵くんが主人公の幻想小説シリーズ。初期の頃は「アッーー!」の回数がやたら多かったが、新刊が出る度に「アッーー!」成分は減ってきている。
祖父の墓参りをするために、霊園行きのバスをロータリーで待っていた桜蔵は、鍵を拾ってしまった。交番に鍵を届けようとしたものの、交番では奇妙な女性が巡査相手におかしな事を言っていた。ただでさえ引き寄せ体質で拾いもの体質の桜蔵は、また何か厄介なものを拾ってしまったのではないかと怪しむ。
バスに乗ってみれば、今度は「森」のいわれを語る妙な男がおり、いよいよおかしな事になってきたと思う桜蔵。その時、バスが交通事故に遭ってしまう。そして案の定、桜蔵は異界に迷い込んでしまうのだった。
本作は『咲くや、この花』までとはちょっと趣きが違い、まるで番外編のような話。ほとんど過去の話だし。桜蔵の祖父の遺品の一つ〈ざくろ〉という銘の碗、それと対になる〈しろうづ〉、そしていわく付きのお碗〈朱薇(あけび)〉を巡る謎。それに絡んで、柾の生家・白鳥家と、桜蔵の生家・左近家、そして白鳥家の縁戚にあたる白(つくも)家の系譜が明かされるのだが、超ややこしくて訳がわからん。新しく人物の名前が出てくる度にメモしておけばよかったなぁ。まるで『百年の孤独』を読んでるみたいだった。
物語の鍵となるのは「蛇」。互いに絡みあって一本の木のように育ったザクロや、テイカカヅラやアケビなど蔓性の植物、鏡、月、橋(水府の出入口とされる)など、蛇につながるモチーフがやたら出てくる。
何で蛇なのか、それが桜蔵にどう関係するのかというのは、何となくわかった。それからテイカカヅラ(定家葛)の別名から、柾と桜蔵の関係性がなんなのか……要は名実共に柾は桜蔵の保護者である、というのはわかったけど……、なんか核心の部分ははぐらかされたままだなぁ。
白鳥家と左近家の付き合いが今に始まったものではないのはいいとして、しかしそれが分かっても桜蔵の実父の正体とその人と柾の関係性の謎は放置されたままだし。
うーん、よくわからない。
そして今回も、相変わらず他人の悪夢を追体験させられるような読み口であり、更に超絶ややこしい系譜にも惑わされるので、ストーリーにちりばめられた謎を考察するどころじゃない感じ。森博嗣の『スカイ・クロラ』シリーズと同質の幻想文学調ミステリー。これって謎の深堀はしない方がいい感じのやつ? でも気になってつい何度も読み返しちゃうんだよなぁー。
植物の名前や神話伝承や伝統文化に関する知識を求められ、しかも登場人物が超上流階級の人たちばかりなので、頭が全然ついていかない。読んでいて眩暈がしてしまうが、『左近の桜』シリーズのお陰で私の教養は深まったので、頑張ってググりながら時間を溶かすぞ……。
2004年に刊行された『ライトノベル完全読本』(日経BP社)では、「表紙や挿絵にアニメ調のイラストを多用している若年層向けの小説」
←新潮文庫とかで表紙がそういうイラストになってる若年層むけ文学作品が該当、それこそ太宰とか
榎本秋は自身の著書における定義として「中学生/高校生という主なターゲットにおいて読みやすく書かれた娯楽小説」
←中学生と高校生でけっこう違う気がするけど、「SF 純文学っぽい」「ファンタジー 純文学っぽい」で検索すれば出てくるんじゃないかな。
あるいは「青年期の読者を対象とし、作中人物を漫画やアニメーションを想起させる『キャラクター』として構築したうえで、それに合わせたイラストを添えて刊行される小説群」
森博嗣は、著書『つぼねのカトリーヌ』(2014年)において、「会話が多く読みやすく、絵があってわかりやすい小説」
純文学って、文学のための文学というか、言語表現そのものを楽しむものかなと個人的には思っていて、
上の定義にあるような「読みやすさ」と相性が悪いかもしれない。
平山瑞穂とかはどうかな。
菅野彰「海馬が耳から駆けていく」1~4くらいまで文庫と「続海馬~」もある よくみたら上の人も勧めてた
森博嗣「工学部水柿教授の日常」セミフィクション。たまに自動車で高速をぶっ飛ばす記載があるけどフィクションだから大丈夫。
エッセイ漫画「愛がなくても喰っていけます」出てるお店つぶれたとこ多いけど読み物として。あと菅野彰の中の人が友人ででてくる
エッセイ漫画「とりぱん」トリにエサをやったりひっこしたり料理したり親と会話したりする。
エッセイっぽさあるフィクション漫画「大阪豆ゴハン」 猫かわいいとか工事がうるさいとか親が爪楊枝を使うとかそんな日常ネタ。人が多くておもしろい。
育児エッセイコミックもいれてよければ筆頭は「うちの三姉妹」だろうなぁ これで食えるとわかったらめちゃくちゃ大変な数の育児・介護・闘病エッセイのネット海が君を待っている