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2019-05-22

体罰必要子供もいること

体罰による躾を肯定した記事を書いた増田ボコボコに叩かれてたのを見て、私も体罰による躾があったからこそ、こうして今がある人間として思うこともあるので、ここに書いておきたいと思う。

はてなには体罰による躾を一切認めない人たちが多い。それについて例の増田じゃないけれど私も疑問を覚える。

その理由は、体罰必要子供も本当にいることを、私は私自身の行動から骨身に沁みて知っているからだ。

幼稚園の頃から私は他人が苦しんだり悲しんだりするのを見るのが好きだった。

絵本でも児童書でも、いじめられてるシーンや恥をかくシーンを見て興奮する子供だった。

何をしたのかはあまり覚えてないが幼稚園の頃から、なんでお友達に意地悪するの!と母によく怒られていたことは覚えている。

小学生とき授業参観の日にクラス大人しい子の教科書を朝にこっそり盗んだ。

後ろに親が並んでるなかで教科書がなくて必死に探して泣き出した子を見て楽しかった。

でもなぜわかったのか、母に家に帰ったら問答無用ランドセルの中を見られてその子教科書が出てきて思いっきり叩かれた。

仕事から帰ってきた父も話を聞いて怒鳴りつけ殴られた。

それが私の受けた体罰最初記憶だ。そのあとから体罰が度々行われるようになった。

あるとき、AちゃんがCちゃん宛てにBちゃん悪口を書いた手紙捏造してこっそり教室に落とそうと考え、その手紙を書いてるところを母に見つかった。

母は号泣して私を殴りつけ父には何度も蹴られた。全身が痣だらけになるくらいで次の日は高熱が出た。

でもそのおかげで「痛み>快楽」の方式自分の中に根付き、他人嫌がらせをすることをやらなくなった。

私物はすべて管理され部屋も与えてもらえなくなったか自由もなくなったことも大きい。

父に自分が行ったことをすべて書かされてから学校に無理やり連れて行かれて、教室先生やみんなの前で読まされたことで、私自身がいじめられる側になり他人に何かを出来なくなったことも影響はあったとは思う。

ただそのすべてで私は私の行動を社会的ルール適応させることを学べたし、犯罪を犯さな人生を歩めた。

両親は私が中学生の頃に、父の兄、私にとっての伯父に当たる人が、女性強姦して逮捕されたことなどの影響で、夫婦関係も難しくなり離婚した(父は五人兄弟だが私が産まれる前にも一人逮捕されている)が、父はその兄と私が似ていると心配していたらしい。

私は女なので強姦逮捕される可能性は低いが、あの体罰がなかったら違う罪を犯してたんじゃないか自分ことながら疑ってしまう。

子供は好きなことをやってしまう。好きなことが社会的に悪いことな場合体罰必要だと感じる。

anond:20190522132915

子供流行大人流行を反映するし、

大人の間であの形の水着トレンドになった事なんか記憶にないけど…

あれ基本競泳用だから(今は競泳用でも面積大きいやつも多いけど)実用品扱いであって

ファッションとしてトレンドになる事はなさそう

ジャージトレンドにならないのと一緒で

anond:20190522113719

ピエール瀧みたいなドラッグ使用被害者が居ないからなぁ。

池袋脱法ハーブキメながら危険運転して人をひき殺した奴は、相当叩かれた記憶がある。

アルコール依存で失職・引きこもり系には比較的同情が集まるけど、

息子をボッコボコに殴るアルコール依存親父などのケースは普通にまれまれてるんだよな。

被害者不在だと「依存症という病気患者、弱い存在治療してあげないと」となる。

被害者存在すると、処罰感情のほうが高まるんだよな。

性犯罪は必ず被害者存在するからなぁ。

anond:20190520021156

記憶障害発生してからやべえなと思い簡単に予約できて当日診療できた精神科行ってきた

でも記憶障害のことを話した記憶がないというか、何したか憶えてない

血圧不安解消みたいな薬出された

大学保健室には「とりま頭の病院行こう」って言われた

なんだかよくわからないけどとりあえず今週は何も考えずに過ごそうと思う

なんかさ、くよくよ悩んだりしてたとき、ふと「アレッさっきまで何に悩んでたっけ?」とか突然どうでも良くなって忘れたり、こうしようと考えてたことが突然どうでも良くなって忘れたりすることあるやん?それが10秒に一度起こってる感覚

そんなフランクな感じで重要なことを忘れてることに気がついてな

自覚したのが昨晩なのでその前から色々忘れてる気がして怖くて大学行けないわ

[]5月21日

○朝食:なし

○昼食:ちらし寿司

○夕食:玉ねぎ人参ほうれん草大根ソーセージコンソメで煮たもの納豆、卵。

調子

むきゅー。

仕事が忙しく残業

スーパー開いてる時間に帰れないの久々だ。

明日も忙しそうだけど、木曜と金曜は大丈夫かも?

グラブル

槍で四箱、杖で四箱開けたので、目標は達成。

ソロ団なので、あとはデイリー勲章だけちゃんともらえるようにして、あとはよしなに。

っていうか、すごい今更なこと書くけど、僕はいつまでグラブルするんだろう?

なんか、最初最初はメインストリー最後まで読みたいとか書いてた記憶があるけど、今の僕の目標はなんなんだ?

ちょっと明日にでも目標を整理しようと思う。

チョロいオタクとチョロい自分

 先日結果発表を迎えた第8回シンデレラガール総選挙。終わってみれば、話題の中心にいたのは常に夢見りあむだった。

 「チョロいなオタク!!

ぼく頑張ったか!?努力なんてムダムダの無じゃん!?

アイドルってなんなんだよぅ!! はー……めっちゃやむ」

 良くも悪くも界隈の耳目を集め続けてきた女の〆の台詞は、彼女のこれまでの歩みを象徴するかのごとく実に「らしい」叫びであった。界隈の反応は言うまでもなく賛否両論。褒め称える声から転載するのも憚られるような罵倒まで、実に多種多様言葉の濁流がこうしてエントリを書いている今この時もTLを流れ続けている。

 筆者個人としては肯定側でありできればそれについての“お気持ち”を述べたいところだが、当エントリの本題はそこではない。この台詞を見たときに真っ先によぎったものは、彼女とは直接関係ない苦々しい記憶だ。


 「あー**さん」

 「(声)つかなそ~」


 事件から8ヶ月が経過した今現在でも、あれほど堪えたことはない。シンデレラガールズのアイドルたちに命を吹き込む声優からあのような言葉が出たこと、収録を経て公開されるWebラジオという形態で世に出されたこと、なにより自分の大切な担当アイドル公然侮辱されたこと。何もかもが悪夢のような日だった。

 例によって界隈は大炎上自分はといえば起こったことにただただ困惑し、嘆き悲しむ以外に何もできなかった。そんな中で目に飛び込んできた、ひとつ意見

 「次のシンデレラガール総選挙で声をつけよう。そしてあの女を見返してやろう」

 冗談ではない。そんな動機で声がついたとして、果たしてそれは喜ぶべきことなのか?悪意(少なくとも当時の自分にはそう見えた)に対し悪意で応酬することは担当アイドルに一生消えない業を背負わせるだけなのではないかそもそもの話、このムーヴメント軌道に乗ったところでそれが総選挙まで続く保証はあるのか?

 そんなことはやめてくれ、と叫ぶ気力はなかった。いち担当Pとしてはこの忌々しい話題が一日も早く沈静化してくれることを、嵐が過ぎ去ることを願うのみだった。


 ……周知の通り、最終結果に顔を並べるアイドル50名の中に「つかなそ~」なアイドルの名はなかった。悔しくないといえば嘘になるが、それ以上に安堵する気持ちの方が強かったのが正直なところだ。レッテルは貼られるだろうが、そのレッテル公式描写に反映されるわけでもないのだから。そう思っていたのだけれど。


 『チョロいなオタク


 そう、確かにオタクはチョロかった。例の発言で何かが変わるのではという声もあったが、自分を含めたチョロいオタクたちが「つかなそ~」を覆すことはなかった。個人レベルでつきあい方を変えた者はいるだろうが、大多数のオタクが選んだ道は良くも悪くも現状を享受することだった。

 このこと自体特別感情はない。あの言葉があったからといって担当アイドルシンデレラガールから抹消されることはなく、モバマスの月末ガチャデレステガチャSR、他にも様々な形で依然として供給は続けられている。外野から向けられる言葉は幾分変わったものの、ゲーム内の彼女が見せる姿は今までどおりのものだ。これを機に身を引くなどとんでもない話で、これから自分なりの距離感コンテンツに付き合っていけばいい。

 それでもどこか釈然としないものが残るのは、オタクの“チョロさ”を否応なく認識させられ翻弄されてきた立場故か。シンデレラ界隈に対する諦念じみた想い。夢見りあむという大暴風雨によって引き起こされた“祭り”が終わり残ったものは、あまりにも空虚感情だった。




 ……ああ、この感情の正体はきっと嫉妬なんだろう。シンデレラガールズの数多のアイドルたちが8年かけて踏み出すことさえできなかった道を数ヵ月で駆け抜けていく女。自分言葉をあれこれとこねくり回し、勝手なことを吐き散らすオタクたちを今なお翻弄し続ける女。担当アイドルが得ることができなかった、いつ得られるか見当もつかないものをまもなく手にしようとする女。

 自分に向けられるあらゆる感情を糧に一躍スターダムへとのしあがった夢見りあむが立とうとしている舞台、そこに担当アイドルの姿はない。その現実が薄れかけていた熱を呼び戻してくれるのなら、もう一度夢を見るきっかけになるのなら、自分はまだプロデューサーでいられる。この思いへと至らせる、アイドルって一体なんなんだ?


 ○○だ、とは敢えて書きません。“チョロい”オタクである自分なりの、冒頭の台詞に対するささやかな回答です。

2019-05-21

https://anond.hatelabo.jp/20190521195743

近頃の頭の良くない教育されてない大人は、怒ったり褒めたりするのが下手なんだろうね。

子供から見ても、親の気分で怒ってるだけで、怒りの強さと、怒られた理由とが、自然な形で繋がらないし

結果を出した時、いいことをした時に褒められたりすることもないんだろうと思う。子供目線で、一部の親が意味の分からない理不尽なだけの存在になってんだろうよ。

俺の親とかも、そりゃ厳しかったし、手も足も竹刀も出て来たけど、怒られた理由には一貫性があったし、成績が良かったり駆けっこに勝つだけでも手放しで褒めてくれたよね。

子供将棋してガン泣きしても手なんか抜いてくれない、わざと勝たせるなんてことは絶対にないし、いびりぬくけどいい手を打ったら褒めてくれてたし、それだけで嬉しかったよ。

普段が厳しかたから、褒めてもらえて事、結果を残して喜んでもらえた事は、今でも忘れられないくらい嬉しかった。

模試県内3位になった時の成績表を神棚に飾って数日は父親が喜んでいた事が、40になった今でも忘れられないよ。

徒競走順位を付けないのかと思えば、小学生から受験一生懸命になった親に抑圧されたりさ。

ちょっとしたことで、何でもかんでも、いい子いい子されてるから、褒められたところで嬉しかった記憶に残るようなこともないんだろうなと。

ちゃんと納得できる怖さ痛さを与えられない未熟な大人が増えてんだろうなと思う。

正しく子供を怒る事が出来る大人を、まともに子供を怒る事が出来ない大人攻撃して排除してきたのが平成時代だったけれど。

かに残ってた料理人格闘技スポーツ世界での厳しさも令和の時代には消えてしまうんだろう。

教育的には、大多数の子供にとっては酷い時代だな。

俺の不幸

 平成中期は普通にブサイクフィーバーしていて勝っていたし俺の中のウンコが狂ったように

うひよおおおおおおお最高ーーーーーーーーーと思っていたが、その後、ブスに対する批判が強まって

段々幸せがなくなって鬱になっていったし、現在の俺はどこぞで作られたものであの夏にキチガイのように

何度も何度もオーガズムに達していたウンコマンコではない別のキチガイなので、あの夏の記憶もないし

幸せだったけど今はどうも、という感が満載

 現在結婚し同居している妻は、その俺がブスだった夏に写真をみたときに、これしかねーと思った女

なのだが、そう思ったとき真夏の俺はもういないので、不条理な思いで頭の中のウンコ発狂

走って寝て忘れるしかない状態

しつけ?の話があるので

3歳ぐらいのときに顔ぶん殴られて鼻から血を流して、そんでそのまま夜中に車で連れ出されて少しだけ山奥の田んぼ放置されたことがあった。

あれが本当にトラウママジで思い出すと毎度ブルーになる。幼い頃の記憶ってほぼほぼないのにそんなのだけ残っている。

書いてて気づいたけどマジで親との間でろくな思い出無いな。楽しかたことなんて殆ど覚えてなくて、一緒にいて辛かったことばっかり覚えている。

anond:20190521201330

俺はほぼ殴られずに育ったけど

小学生時代に、親父に血が出るほど殴られたのは

他人の畑を荒らし遊んだ時、その時は罰として荒らして獲った野菜だけを、その後1ヶ月間たべさせられた。家族焼き肉でもすき焼きでも、自分は芋の煮っ転がしとご飯味噌汁って日々が続いた

山で火遊びをしてボヤ騒ぎを起こした時。他の友達やその親、地主の前で、サッカーボールキックを食らい続けてた。

子供同士で掃除中に喧嘩になって、竹ぼうきで人を叩いて、顔や体に裂傷を負わせてしまった時。謝りに行って、俺は悪くない。最初は奴が馬鹿にしたんだと言い訳したら、ぶっ飛ぶほど蹴りが入って塀に頭ぶつけて縫った。

人の家の犬の散歩を請け負っておきながら、その犬を放してしまって、しばらく行方知らずにしてしまった時。見つけるまで帰ってくんなと、一晩、外に放り出された。

流血騒ぎになるほどではないけど、怒られた記憶があるのは

チャンネル占有権を妹と競って手を出した時

上手く自転車に乗れずベソかいて、逃げようとしていた時

塾をサボって遊んでいた時

そもそもこんなこと一度もしたことねえや

やると言った約束を守らなかったとき

これぐらい抽象的だとないとはいえないけど


なんでそんなに頻繁に暴力を受けないとわからないんだ?

自転車別にそんな激詰めされなくても乗れるだろ

体や頭の障碍だって言われたらなんも以遠けどさ

anond:20190521201131

北斗神拳習得し、死環白(一時的視覚と情愛、記憶を失い再び目が開かれたとき初めてみた人間に情愛の全てを捧げる)を突くのだ

毒親しか知らない不幸なブックマーカーは可哀そう

anond:20190520230346

個人的には、とても分かる話。俺は東大に入って、現在年収1000万程度の30代リーマンだ。世間一般でみたら、子育てには成功したと言っていい結果だろう。

俺の父親も凄く怖い人だった。ただ、怖い時とそうではない時の線引きがしっかりされていたし、その違いを子供ながらも理解していたと思う。

小学生時代に、親父に血が出るほど殴られたのは

他人の畑を荒らし遊んだ時、その時は罰として荒らして獲った野菜だけを、その後1ヶ月間たべさせられた。家族焼き肉でもすき焼きでも、自分は芋の煮っ転がしとご飯味噌汁って日々が続いた

山で火遊びをしてボヤ騒ぎを起こした時。他の友達やその親、地主の前で、サッカーボールキックを食らい続けてた。

子供同士で掃除中に喧嘩になって、竹ぼうきで人を叩いて、顔や体に裂傷を負わせてしまった時。謝りに行って、俺は悪くない。最初は奴が馬鹿にしたんだと言い訳したら、ぶっ飛ぶほど蹴りが入って塀に頭ぶつけて縫った。

人の家の犬の散歩を請け負っておきながら、その犬を放してしまって、しばらく行方知らずにしてしまった時。見つけるまで帰ってくんなと、一晩、外に放り出された。


流血騒ぎになるほどではないけど、怒られた記憶があるのは

チャンネル占有権を妹と競って手を出した時

やると言った約束を守らなかったとき

上手く自転車に乗れずベソかいて、逃げようとしていた時

塾をサボって遊んでいた時

妹に手を上げて泣かせたとき鉄拳が飛んできたし、門限を破った時は締め出されたり、他所の子喧嘩して怪我をさせたりとか、人様に迷惑をかけた時はテレビリモコンとかで殴られて血が出た事もあった。悪いことをした時に頭によぎるのは、父がこれをすれば怒るだろうという事で、悪事が父に露見するのは、この世界で何よりも怖かったから、理屈抜きで善悪分別ってのは沁みついてた。それでもやらかすのが子供ってもんだから、殴られて当然って思いは今もある。自転車の補助輪を外す時も、自転車でこけるよりも出来なくて怒る父親の方が怖かった位だった。俺の幼少期にとって父は恐怖の塊だった。



そんな風に殴られて血が出る事もあるし、時には物で殴られることもあったから、体罰としては非常に厳しかったのは間違いないけど、全く恨んでない。

一方で、両親にはかなりの我儘を通したし愛情を注いでもらったと思う。俺の前に姉が流産していたし、俺自身未熟児で体に僅かに障害を持って生まれていて、もしかすると生涯歩けないのではないか医師に言われていたということらしい。なもんだから、両親の可愛がり方は尋常ではなかったと、祖父からよく聞いていた。実際、体は弱くて3歳になるまで歩行補助器で歩いていたし、何度もこけて、怖い思いをした記憶のうちの幾つかが残ってる。そんな体だったけど、自転車に乗れるようになったのも、泳げるようになったのも、そもそも歩けるようになったのも、怒りながらでも父親時間を気にする事なく、いつまでも付き合ってくれたからでもある。お世辞にも裕福とは言えなかった幼少時代、家に百科事典があり、それをみて知識を増やせたのも、やりたいと言った習い事を一度も断られて事もないのも、両親が俺の事を想ってくれていたからだと言うのは、子供心にも分かってた。年に数回は旅行に連れて行ってくれて、幼少のころから日本中名勝を見て歩いて見聞を広められたことは、とても良い思い出だった。金がない家庭だから、小さなバンに乗って親父が夜通し運転して、車で夜を明かすようなこともあったし、泊るのは素泊まりのぼろっちい宿ばかりだった。それでも、あの頃の親の収入で、それは全て決して簡単な事じゃなかったと思う。両親が家族の事を何よりも大事に思ってくれていたんだなって思える記憶の方が、怖くて痛かった思い出よりも多い。



親父は土方で日常的に体を使っていたし学生時代柔道やっていただけあって、俺が中学に上がっても力では勝てなかったし、何かやらかせば鉄拳が飛んで来て力で抑え込まれ関係は変わらなかったけれど、勉強しろと言われた事もなければ、進路についてとやかく言われた事もない。ただ、いい成績を収めると褒めてくれたり、食事に連れて行ってくれもした。特段教育熱心だったわけでもないけど、塾に行きたいと言えば行かせてくれたし、本が欲しいと言えば何でも買ってもらえた。それもあって、とても成績は良くて、最終的には東京大学表彰されて卒業する程度にはなった。東大に入るために予備校に通うことも、進学で東京へ行くことも、今にしてみれば、親父の収入を考えたら楽だったはずはないのに、常になんとかしてくれてたんだなって思って尊敬してしまう。



不良の学生に絡まれたり殴られたりしても、部活で厳しい指導があっても、受験が辛いと思っても。怒った親父の相手をする事に比べれば鼻くそのようなもんで、逆境や痛みに対する強さを身に付けれらた事も、とても大きなことだったと思う。友人が不良に虐められそうになってる時に、ふざけんなと止めに入って、殴られるのも全く怖いとは思わなかった。それで一度は、小指の骨を折ったこともあったけど、親父に殴られるよりはマシだった。

幼少のころに大人と交わした色々な会話が記憶に残っているけれど、自身の幼少期を振り返ってみて思うに、口で言って分からない子供では絶対になかったと思う。一方で妙な屁理屈を捻りだしたり、大人を騙すような知恵も普通に持ってはいたので、言葉だけで窘められるだけなら、狡さを身に付けていたかもしれない。ダメもの理屈抜きでダメなんだと力で教えて、恐怖で抑え込まれていた事を妥当だと思う。

時々、親父と酒を飲みながら、その頃の父親の気の短さと怖さを笑いの種にするくらいには、家族にとっては怖かった父は懐かしくて、いい思い出になっていると思う。




しかった父親を、恐れていたけれど、好きだったし尊敬もしていたよね。うちが貧しかったのは、父親独立して会社を作ったけど、上手く行かない時期が続いたからで、肉体労働の後に夜中まで事務仕事をしている父親の姿を見ていたから、受験勉強の大変さなんて感じた事もなかった。自分にとっては、父親にできている当たり前の努力しかなかった。親父に露見せず、殴られなかった悪さもかなりある大人馬鹿しか見えてない子供だったけど、親父だけは怖かった。最終的に変な方向に進まずに、優等生になったのも父親の怖さと家族への思いがブレーキになってきたことは否めんだろう。

体罰があるから毒親って、可哀そうな価値観で生きてんなと思う。体罰=悪い事みたいな、リベラルマインドに染まった、つまら子育て自分はしないだろうと思う。厳しさと愛情は両立する。

友人の記憶

長い付き合いの33歳の友人の記憶力がやばくなってきた

昨日の夕飯も思い出すのに時間がすごくかかる

同じことを何度もなんども聞いて来る

なんども同じ箇所を同じミスする

摂生するタイプでもなく、運動もしてる

一般的大学も出て、昔から見てるけど知的障害とかある感じじゃない

から、確かに忘れっぽいなとは思ってたけど

30すぎてから、少し怖くなるくらいになってきた

こいつ大丈夫なんだろうか

近いうちに漢字使用率が下がりひらがなカタカナだけになるようになる

スマホPC使用手書き文字を書くことが少なくなった

その結果、漢字の細部を忘れてしまい、記憶だけで書けなくなってしまった

書く度にスマホでいちいち調べて書いている、そんな状況だから漢字意味曖昧になってきた

スマホで書きたい漢字を調べる、この漢字でいいのか意味は正しいのかスマホで調べ、やっと紙に書く

パフォーマンスが悪くてたまったもんじゃない、けどパフォーマンスを気にするような生活してないからまだ許せるが

一分一秒を大切に生きてる人だったら、シャレにならないことだと思う

みんな口には出さないけど、似たようなことを感じてる人は多いと思う気がする

年号印鑑の次は本当に漢字必要なのか考える時が近いうち来るかもしれない

しかし、何十年も前にペーパレス時代と叫ばれたけど、未だに実現していないから、近くないかもしれない

日中記憶増田飛びそうになる何ウソ人出す間が区沖のウュちっに(回文

おはようございます

せかせかと忙しいような平日があっと言う間に流れて行く、

笹の葉サラサラと笹舟乗せて浮かべたら

気が付いたらもう七夕の時期なんだわと、

どちらかというと

この時期繁忙期的な日中記憶全然無くなる季節なのよね!

から私は毎日毎日蒼井優ばりにココに書くの

ここが私の唯一のパフィーちがうちがう生きる道とは大袈裟だけど

とりあえず23時閉店間際のジャスコには割引おにぎりがなく、

あと1時間早ければあと1時間早ければ!と

ぐすんと涙をこらえて、

本当は泣いてないけど

明日のお昼ご飯半額おにぎりラッキースターちょうだいってなったんだけど

近所の居酒屋「昔の名前出てています」にはいつも冷たいビールがあって

座ったら陸上桐生選手サニブラウン選手さんの100メートル9秒台の記録をも凌ぐ圧倒的速さのジャスト2秒で提供される

ビールジョッキはキンキンに凍ってて十分な気合いの入りようね!って言っちゃいそうなの

そんでもって今日一日のいろんなことを流し込むのよ!

ここは突き出しが美味しくて、

なかなか気の利いたキノコ小鉢お気に入りなのよ。

あとのお料理は「いつもの!」と言うと初めて食べるものが出てきちゃったりなんかして、

ぜんぜんいつものじゃない感をカモシカの肉がかもしつつ。

カマンベールの炙り焼きサーモンはさみチーズって、

これってメニュー名にチーズって2回入っちゃってるけど、

美味しいからいいわねって思っちゃう

テレビシーエムでやたらやってる流水うどんが美味しそうなので、

スーパーを覗いたら完売って

やっぱりテレビの力って凄いわよね!

ガッテンばりに効果抜群じゃない!

流しうどん風流じゃない?って思ったわ。

たまに見失いそうになるとうどんをすすりたくなるの!

うそうあのさ、

5月末に解約しちゃう携帯があるんだけど

SMSでお便り募集!ってしたらお便りくれるかしら?

こういうこと増田でやっていいのかしら?

試しにやってみたいんだけど、

知恵がないわ!

うふふ。


今日朝ご飯

半額おにぎりはなかったけど、

割引サンドイッチがあったわ。

割引シールよく見たらその割引額10円とか!

あの割引シールが貼ってある赤いカラーってそれだけ見て割引率とか見てなかったわ。

たいした割引じゃなく10円引きの割引シールを貼った人はかなりの策士ね!

ミックスサンドは美味しかたからよかったわ!

デトックスウォーター

果物売り場に置いてあった目新しいサンシャインオレンジが目に入ったので、

今日サンシャインオレンジ一択ウォーラーしました!

スッキリちゃんと酸っぱい柑橘系くらった感じよ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

anond:20190521101311

物心つく前ってすごく小さい時じゃん。

そんな小さい子が二人もいるなら家事育児大変だったはずだろ。

ちゃん感謝するもんじゃね?

記憶にも残ってない捨てた父ちゃんなんかゴミ野郎だろ。

そんな貧乏ってことは養育費ももらってないんじゃね?

anond:20190521101128

ワイの物心つく前やけん、選択肢なかったのう…カーチャン行だったわ。

というかトーチャンの記憶が一切ないわ。お蔭でクッソ貧乏生活やったで。

日本には人権があるから

在華坊氏のエントリホッテントリになっている

日本人観光客中国大陸)に行かない問題 http://zaikabou.hatenablog.com/

内容は面白かったし、特にケチをつけたいわけではない。

それより俺は反応の方が気になった。

中国には人権がないか行きたくない」という反応。

これも別に反論したいわけじゃない。

まあそりゃネックに感じる人もいるよね、って感じ。

いざとなったら危なそうだし、怖いし、そこを挽回する材料はない。

じゃあ結局何だ、というとこういう話をみると連想して思い出す話があるからちょっと聞いてほしいなってだけ。

あれは20数年前、俺は小学校の3・4年だったと思う。

ごく普通小学校生活に、ある日転入生がやってきた。

これが強烈なインパクトだった。

カーキ色の人民服をぴっちり着こなし、頭には人民帽、表情は同じ小学生ながら今にも敬礼しそうなほど固く引き締まったもの

そこには当時思い描きやす中国人そのものがいたのだ。

余りにも異質で、教室も静まり返った。

の子名前はもう忘れてしまった。

俺ら小学生は驚きと物珍しさに包まれた後、彼をからかう気持ちがわいてきた。

具体的に言うと、帽子取ったんだな。

よく小学校いじめである「へいパスパース」ってやつ。あれをやったわけだ。

当然許されないことだし、彼も怒りの形相で俺らを追いかけてきた。

確かそれをやったのは俺を含め4~5人。

全員でからかいながら逃げ回っていた。

最終的にそれは屋上まで続いた。

そこでは屋上解放されてたんだな。

屋上まで逃げた卑劣な俺たちは、屋上につながるドアを彼が入る前にバタンと閉めた。

当然彼は怒りのまま、俺たちの方を見ている。

ここで記憶はいつも途切れている。

最終的に大人の誰かがやってきて、怒られつつ俺らは帽子を返したはずである

ただ、子供のしたことで時代もあるとかを考えても、これは「人権が一応ある国」でやっていいことだったのだろうか。

これはやった俺が悪い話で、ほかの日本国民に罪はない。

でも「人権がない国と違い、ある国では」の前フリがあるとこれを思い出して仕方ない。

あるよ、あるけどない所よりひどい目にあわされることもままあるよ。

ってかお前がやったろ?

記憶からいつも怒られる思いがするのだ。

欧米での有色人種日本人含む)差別の話を見ても思いだす。

あるだけで胸を張ってるけど、いつも人権相応の待遇が得られるのかな

ないだけで怖いけど、そこにいる人や社会は必ず唾棄すべきものたちのみなのかな

多分今日も俺は記憶に怒られる。

僕が差別した彼と、ドア一枚隔てて被害者卑劣加害者になって隔離した記憶に謝り続けるしかない。

anond:20190520021156

今度は記憶力低下しすぎてどこに行って何をしたか日中のことも思い出せない

こんな投稿したことも覚えてない

Chromeウィンドウ閉じようとしたら何かあったから思い出した

大学時間割がわからない

キモすぎて吐きそう

2019-05-20

ニートになって約半年になる

年末から休職4月退職した。休職したときから辞めることはほぼ固まっていた。

仕事で疲れすぎていたのか、休み始めた最初の3ヶ月の記憶年末年始を除いてほとんどない。ゲームしたりどこかに出かけていたりしていたはずなのだが、良く思い出せない。最近は思い出せるようになってきた。

仕事してるときは空腹感を全く感じなかったが、それも最近感じるようになってきており安堵している。

とりあえず暫く友人含めてゲーム三昧してるけど、いつから働けるんかなぁ。うつ病らしいけど処方された薬飲まなくても調子変わんなくなってきてはいるのだけど、医者先生になんて言えばいいか分かんねえ。

総選挙が終わったので

第8回アイドルマスターシンデレラガールズ総選挙が終わった。

今回の総選挙は、それまで傍から見ているだけだった私にこのお祭りに参加したいと思わせるような波乱と魅力に溢れたものだった。

その中心に居た夢見りあむというキャラクターを取り巻く環境の一部になるために、この先も続いていくだろう彼女の波乱に加担するために、ここに文章投稿する。

 

まず初めに、私はこれまでアイドルマスターというIPをさほど熱心に楽しんできたわけではないということを断っておく。

多分一番始めにこのIPへ触れたのは、動画投稿サイトかなにかで音MADとして出てきたキャラクターか、あるいは架空戦記シリーズキャラクターとしてだったかもしれない。

多くのPが言う、彼女たちの物語最初に触れたのはシンデレラガールズTVアニメ版だったと思う。

当時私は学生で、学校の友人に熱心なPが居た。彼の勧めで視聴を始めて、特に切りたくなる程つまらないわけではなかったので漫然と視聴をした。放送の翌日にその友人と学校で話をするのが楽しかったのも視聴を続ける動機だっただろう。

そして私は、それをきっかけにこのコンテンツが好きになったりもしなかった。それは、ゲームとして提供されているコンテンツのどれもが私には少し縁遠いものだったからだ(どう遠かったここではあえて記入しない)

結局私にとってアイドルマスターシリーズというのは「熱狂的なファンがいるおばけIP」粋を出ることはなかった。

故に、総選挙というシステムについても簡単しか知らなかった。私がこのイベントについて理解していたことは「アイドル人気投票をし、その結果に応じてキャラクターに何らかのリワードを与える」という程度のものだ。歴代シンデレラガールズについても殆ど知らなかった。

唯一記憶に残っているシンデレラガールズは、安部菜々だ。アニメでも彼女を中心としたエピソードが有ったので記憶に有ったし、Twitterでも大いに盛り上がっていた。選挙終わり、シンデレラガールズとなった彼女を祝うP達のツイートを見て他人事ながらも祝福した。

あのときも十分大きなお祭りだった。7回目という開催数と彼女名前をかけてキャンペーンを張っていたことを覚えている。

しかし、あのお祭りに私は参加しようという気にはならなかった。結局は他人事だったのだ。

第8回総選挙もまた、そういう他人事お祭りであったし、そのまま通り過ぎていくはずだった。あの中間発表を見るまで、私は今年ナターリアが1位になるのだろうとすら思っていた。

あの日、そういった総選挙を楽しんでいるP達のアカウントから流れてきたTweetを見て、私は本当に驚いた。

今年のはじめ頃、シンデレラガールズに新しいアイドル実装されていたことは知っていたし、砂塚あきらという名前キャラクターが特徴的な見た目とキャッチーキャラクターから話題になった事は知っていたが、その時まで夢見りあむというキャラクターについては殆ど知らなかった。見たことぐらいはあったかもしれない。

そんなキャラクターがいきなり中間発表で総合3位の座についている。ありえないことだという感覚があった。あの総選挙で結果を残すというのはあのIPキャラクターにとって大きなことであり、大きな人気、或いはブームのようなものの後押しを受けているキャラクターが立つ場所だという知識はあったのだ。

物珍しさに負けて、夢見りあむについて調べた。実装されてまだ数ヶ月のキャラクターであること、声どころかまともなエピソードも持っていないことがわかった。

それと同時期に、彼女について様々な事を思うP達がここや或いは別の場所にこの様なエントリ投稿していることを知った。

正直に言おう。羨ましかった。1つのコンテンツが持つお祭りにあれだけ熱を上げられるP達が羨ましかった。

そして、彼女総選挙に対して成したことに色々な意味が着けられていくのを見た。私はそれをただ傍観するよりも、その火中に立ちどちらかに加担したいという気持ちを抑えられなくなった。いまこうして文章を書いている動機も、同じところから来ている。

シンデレラガールの座を全うに取ろうとしている陣営、声をつけるために努力をしている陣営、そして総選挙に新しい意味をもたらしてしま陣営、大きく分けて3つの陣営があった。

私は、一番最後陣営に加担することにした。つまり、夢見りあむに票を入れることにした。

このコンテンツは当然ながらフィクションだ。アイドルたちは実在しない。765も、346も、存在しない。

だがあのキャラクターはどうだろう。本来全くバックボーンを持たないはずのキャラクターだが、しかしここまでの動きはまるで彼女のために作られたコミュの様ではないか

Pにスカウトされてアイドル世界に飛び込んだ少女が、その男好きのする外見と奇抜なキャラクター性だけを手軽に解釈されて、総選挙という晴れの舞台で諸先輩方を抑えて3位のポジションに着けてしまう。

夢見りあむというキャラクターの周りだけがメタフィクション様相を呈しているように見えた。そして、実装から日が浅い彼女物語は追いかけ、理解するのが簡単だった。

この選挙を争うキャラクターは、それぞれ年単位歴史を持っている。彼女たちを担当してきたPと同じだけの感慨や感情を持つには、それなりの時間がかかってしまうだろう。しかし、夢見りあむというキャラクターと、彼女を取り巻く状況を理解するだけなら。それは容易く、そして十分な感慨を持ってこの選挙に、お祭りに参加することが出来た。

中間発表後からの参加だ。投票期間は2週間程度、彼女に票を入れるために作ったアカウント資源もなく、投じることが出来た票は僅か100票ちょっとだった。それで良いのだ。そのたった100票は、私が自分時間を投じて集めた100票だ。それを彼女投票する。そうして私は、このお祭りに参加し、当事者ヅラで何か喋る権利を手に入れた、そんな感覚があった。

このコンテンツのものに害意があるわけではない。総選挙を壊してやろうとか、優遇されているアイドルのP達に一矢報いてやろうとか、そういう気持ちさらさら無い。完全な愉快犯だ。面白そうな状況に、過不足無く当事者として加担する土壌が有ったから加担した、昔からこのコンテンツを愛していた人々にとっては邪魔プレイヤーだ。だが楽しかった。

 

ついさっき、総選挙の結果が発表された。夢見りあむは総合3位だった。中間発表の後という事を鑑みれば一番順等な結果だろう。ここからさらにもう1波乱起こすには、古参のP達は強かったということだろうか。

しかしそれでも、実装から僅か3ヶ月でボイスを勝ち取りCDデビューを果たしたのだ。前代未聞らしい。

彼女はまだしばらく皆の話題になるだろう。運営対応によってはまだまだ嵐の中心に居る筈だ。

私は今後も彼女に加担する。他のP達が、運営が、彼女にどういう反応をするのか、そして彼女がどうなっていくのか、本当に楽しみだ。

生活感が気持ち悪い

恋愛依存症不倫ばかりのホステスの母と、ヤクザの父の元に生まれた。

ヤクザの父は、血が繋がっているわけではない。

それでも2人は、自分のことを愛してくれていたと、しっかりと思う。

具体的な虐待はなかった。

何かあれば話を聞いてくれたし、惜しみなくお金を使ってくれて、専門学校まで出してくれた。

2人には感謝している。なんの恨みもない。

父も怒らず、優しい人だった。

全身に入った和彫りの体を、これなあに?と聞く私に、

ぬり絵だよといって、カラーマジックで塗らせて笑っていた。


母はうつ病だった。そのせいか、まともな生活は送っていなかった。

自炊する姿は見たことないし、広い戸建の家はゴミ屋敷

テレビに出て来るような、天井までゴミが積まれているような家だった。

母はそのゴミの中で、ぼーっとして、たまに気を失うように倒れて眠っていた。

父はあまり家に帰ってこなかった。

2人はよくケンカをしていた。

家に帰ってこないのに、母の浮気を防止するために、何度も電話していた。

ひどい時は10分に1回、ヤクザとは存外暇なんだと小学生の時に思った。

それでも自分ふたりに大切にされていたと思う。

なぜかはわからないし、どちらかというとネグレクト虐待扱いに近いと客観的には思う。

でも、愛されていた。そう頭は記憶していて、心でも思っている。

そんな両親は離婚や別居を繰り返し、60近い今なぜか円満に仲良くよりを戻している。

自分人生というと、そこそこ順調だ。

学歴もないけれど、なんだかんだ自営業で人並みの生活を送れている。

恋人友達もいて、仕事メンバーにも恵まれている。

ただ、同棲結婚ができない。

できないというのは、したいのにできないのではなく、不可能という意味でのできないだ。

人に、自分生活感のある姿を見せることに抵抗がある。

人に、自宅が散らかっていたり、ゴミホコリがある状態を見せることに抵抗がある。

人前で、トイレに行けない。

恋人を家に招くときは、必ず隅々まで掃除をする。

前日に掃除を行えなかった時は、恋人は家に入れない。

アイロンを掛けてない服を着ることができない。

キャラクターが描かれたものを家に置くことができない。

市販品のパッケージを視界に入れたくないので、全て剥がすか、別容器に移す。

視界の情報を減らすために、家に置くものは全て無地の白

そういう生活が、恋人含め他人に乱されることが怖くて仕方がない。

恋人は何も悪くない。

神経質すぎる自分が全て悪い。

こうなったのは幼少期のゴミ屋敷のせいなんだと思う。

でもそう思ってしまうのは、母や父を恨むことと同義な気がして、できない。

夜ベッドで、寝入るぼやけた頭の中で、夏場、小学生自分の足を伝って動くゴキブリの姿が浮かぶ

私は確かに、母と父に愛されていた。

それでも、あの当時の様々ななにかが、私の中から、消えない。

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