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はてなキーワード: 記憶とは

2018-04-21

かに欲望されないのも苦しい

19新卒だけども、やっぱり就職はうまくいきそうにない。

最近、適性検査入社試験)やらを受けるけれども、非言語系の算数みたいな問題がとても出来ない。

そして、最初から落とされたりする。

自分は昔、知能テストを受けて記憶力やら図形やらといった図的処理が全くできないと医者に言われたことがあるから仕方がないのかもしれない。

容姿も頭も悪く、どうにもならない。

自分が持たざるものであり、持てる者をみると惨めな気持ちになる。それは経歴やらでは解決できずに性的魅力が得られたら解決するのだろう。

知事ニュースを見て、ミシェル・ウエルベックの「闘争領域の拡大」という本を読むと感じる。

最近セクハラ報道が盛り上がっている。

自分が入れたチンパンジー大学の三流学部ゼミモデル体型で容姿がいい女が「報道に興味があります そしてダンスサークル所属しています」と自己紹介をしたのを思いだした。

教授が「加計絡みの国会審議が盛り上がっているね」と話返したら、彼女は黙ってなにそれという顔をした。

彼女所詮政治経済世間の不平等不公平などにも関心がなくて、ただ自分容姿が生かせる仕事をしたいだけではないかと感じたものだった。

自分が醜い容姿であって、彼女の数十倍苦労をしていると思った。

最近セクハラ絡みの報道を見ると、個人が嫌だと感じるのは自由だと思うし抗議する権利はあると強く感じる。

しかし、同時にセクハラされてもキー局に入りたい人間は山ほどいそうだと求職者立場から感じる。

なんだかんだ記者というのは強者だ。自分よりも学歴もあるだろうし、収入だってあるだろうし、人が受け取る印象も悪くないのだろう。

事実、たくさんの人が正義感持って記者敵対する相手を抗議している。

セクハラでも持てる者と持たざる者格差があるだろうと感じる。

性的魅力がある者が受けるセクハラは、相手勝手価値見出し性的嫌がらせだ。

しかし、容姿が醜い人間が受けるセクハラゴミを見るような視点で受ける生殖権、生存権否定だろうということだ。

セクハラと一括りになっているが実際には容姿が良い人間と悪い人間では分断がありそうだ。

グロテスク容姿の男である自分セクハラをされても良いから、それなりの会社に受かりたいと思ってしまものだ。

そして、美人が受けるようなセクハラを受けたいと思ってしまう。

欲望される人間にはわからないだろうが、誰かに欲望されないというのはどこまでも痛むものだ。

40歳過ぎたくらいか人生めっちゃ楽しい

自分の強いところ弱いところがはっきりわかるようになった。

・本当にすごい人と、ハッタリだけで大したことない人の見分けがつくようになった。

睡眠時間が少なくて済むようになった。若い頃みたいに、たくさん寝たのに眠くて辛いーみたいなのがなくなった。

風邪とかひきにくくなった。あと病気になっても劇症化しない。ただ単に、体調管理がうまくなっただけかもだけど。

自分必要ないものがハッキリわかってきて、何ごとにも迷うことが少なくなってきた。

物欲が枯れてきて、ほしいものが自分収入範囲内に収まるようになった。

若い時に聞かされてたのは老眼が辛いだの、記憶力が落ちるだの、年とることのデメリットばかりでこんなこと誰も教えてくれなかったよ。

自分ダメさと将来の不安に鬱々としてた20代とかと比べたら、40代めっちゃ楽しい。まじ予想外。

2018-04-20

anond:20180420222121

気にしてないのに雑談の内容を記憶しててネットに書き込むのか…

野糞

久しぶりにやってしまった。

呑み会の帰り、歩いてると便意をもよおしたらしく(らしく、というのは記憶曖昧なので。)、

草むらに隠れてやった。

(野糞したのはちゃんと覚えてる。)

紙なんて持ってないので、靴下で尻を拭き、その場を立ち去った。

その前後自転車をどっかに置いてってしまったんだけど、その場所は思い出せない…

アウトプットって大事

40に差し掛かってきて、記憶力や考える力がとみに落ちてきていると感じる。何とかしよう、と思ったという話

最近仕事でとっさに何か話題をふられても、「あのアレ」てな感じでぼんやりした言葉しか出てこなくて、若手のキビキビして的確な言葉意見にたじろぐばかり。

でも若手の言っていることややろうとすることが何だか拙速な感じもする、でもそれがうまくその場で伝えられない。

あれ、自分は元々こんなに知識が半端で、意見が言えない人だったっけ、とふと思った。

そこで本や資料を読んでみた。

が、いくら資料や本をよんでも、水で紙を張り付けるように、時間が経つと知識は剥がれ落ちていく。意見はもちろん、まとまらない。

「ああ、若くないのかな」

と、思った。

翻って似たような年の同僚を見る。

彼は、別にものすごく賢い訳ではない。でも、同じような仕事をしていたのにふと気づくと「あれこいつこんなに詳しかったっけ」と、思わせる時がある。

何が違うのか。

彼は、いろんなものによく飛び付く。飛び付くだけでなく、すごく知ったかぶる。

見ていないものも、まるで見てきたかのように話す。

から聞いた話を、さも自分が考えついたかのように話す。つつくとすぐボロが出るので、「知ったかカッコ悪い」

と、どこかで思っていたが、自分との差はそこなんだと思う。

読んで聞いて手に入れた知識を、そのまま定着させるには、自分はもう年を取りすぎた。

大学を出てもう15年くらいになるが、あんまり自分インプットした知識意見を、文章や口頭で発表することがなかった。

仕事をするにしてもテンプレや先行事例に頼りすぎていた感がある。安楽さに走って意見のやり取りを避けていたこともある。

若い頃とは違い、手に入れた知識は間違っていようが積極的に使って咀嚼していくしか定着の道はないのだろう。

況んや意見のやり取りなんて打ち合いでしか鍛えられない。

知ったか上等。年を取った分、面の皮も厚くなったことだし、アウトプットを頑張って、せっかくのインプット台無しにしないようにしよう。

anond:20180418235940

男性作家女性主人公物語書いてると「生理関連描写なさすぎやろ」とよく思ってしま

男が女キャラをえがくとき生理周期まで設定してからかくべき

そうしないと大事ときに大変なことになるのに、そもそもその問題無視されてるから性別違うだけで男でもいいじゃんみたいな感じになってる

男がかくやつにそういうのがでてきてそれが原因で犯人逃がしたり戦闘に負けたりとかってマジで見た記憶ねーわ

anond:20180420121939

スマホで調べればいい、と思うと

記憶力が衰えたわ。歳のせいかなー

20年近く前に読んだマイナーマンガが思い出せない 多分小学生スパイモノ

20年近く前に読んだマンガです。タイトルが全く思い出せない。

友達マイナーマンガの話をしていたとき唐突に思い出した内容です。アニメ化なんてされるほど有名でもなく、恐らく打ち切りにあったはずです。両者とも読んだ記憶は持っているものの、肝心のタイトルは全く不明。二人が覚えていることで共通しているものをいくつかピックアップしました。



クレカが十得ナイフのごとく様々なツールとして活用できるので、小学生にはとてもおもしろく感じたのかもしれません。ただ、タイトルストーリーに印象が残っていないことからマンガとしての出来はあまり芳しくなかったのではと思っています

2018-04-19

anond:20180419232111


教員養成課程の教育学部で行われてること全般

教員になるためのだけのくせに余計なことやってる!、場合によっては教員になるのが当然とか言われる

法学部政治学を専攻

法学部なのに法律が専門じゃないとか・・、

スポーツ科学部でスポーツ文化論を専攻

運動するためだけの以下略

東京工業大学に入る

高校で遊んじゃったんだね

ざっと記憶にあるだけでもまあ名前からイメージで過った事柄から非難飛ばしてくるってのはこれぐらいあるものだし

文学部けがそういう被害を受けてるんだってのもちょっと違うのでは

anond:20180419225353

実際の経験ではなく、女性性を憎んでるから

女性性の権化みたいな女が酷い目に遭うシーンを描きたがるんじゃないの

二次創作同人

「攻が恋人の女(「我儘で嫉妬深い」いかにも腐女子が嫌いそうな女、オリキャラ)を喧嘩の末にうっかり殺してしまいました、

攻は(原作における仲間である)受に相談して一緒にバレないよう女の死体を始末しました、

これが攻と受がお互いを意識し合うきっかけです」と言うのを読んで

作者の「女」に対する憎しみがあふれ出し過ぎてて怖いわっつーか攻も受もサイコパスにもほどがあるだろと思った記憶

(攻も受も原作では悪役でもないし平気で人を殺すようなキャラでもない)

福田次官セクハラ改めて否定「全体みれば該当しない」

そのような会話をした記憶はないって言ってなかった?

発言自体はあったと思い出したの?

母が祖母介護で変わってしまった

祖母認知症

80歳半ばになる

記憶曖昧だが10年か15年くらい前は杖を付かないでも歩けることが自慢だったが今は曲がってしまった腰で杖を付きながら狭い歩幅で歩いている

体が痛くて最寄り駅までも歩けなくなった

病院に行く時はもちろん車椅子

認知症の進み具合というのは私は詳しくわからないが症状としては一日に何回も日付や曜日を聞く、会社に勤めていると思っている(明日会社嫌だなあと言ったりする)、少し前の行動をすぐ忘れてしまうのでなくし物が多い、など…

家族や親戚の名前は忘れていない

これはとても嬉しいことだ

幼いころからおばあちゃんっこだったので祖母に忘れられてしまったらとても悲しい

そんな祖母介護を母はしている

祖母と母は実の娘と実の親だ

どのくらいの期間かも曖昧だがもう6、7年はしているだろうか

3、4年間ほど前から母ひ目に見えて祖母にひどく当たるようになった

ひどくといっても暴力ではない

とにかく言い方がキツイのだ

一例を挙げる

祖母認知症になる前は父と母と私が仕事に出ている日中時間祖母は家でひとりでテレビを見たり本を読んだり人を招いたりのんびり過ごしていた

歩けているときバスを使って最寄り駅まで買い物に行ったりしていたのでバス定期券、もしもの時用に携帯も持たせていた

しか認知症が進行してきた数年前からこちらが仕事中にも関わらず1日何回も電話をしてきたりといったことが増えてきたため、祖母デイサービスに通うことになった

その際バスの定期や携帯などは母が預かることになったのだが祖母は未だにバッグの中を探しながら「定期がない」「携帯がない」「どこにやっちゃったのかしら」と

悲しそうに言うのだ

大げさではなく100回はこの行動をしている

私はそう言われたら「お母さんに預けてあるから大丈夫だよ」と祖母に言う

そうすると祖母は「あらそうだったかしら、だめねえすぐ忘れちゃって」と笑って終わる

しかし母に同じことを言うと「何年も前から預かってるでしょう」と返ってくる

ここまではまだ良い

「前すぎて忘れちゃったかしら〜」「私が全部管理しているかあなたは気になさらないくていいのよ〜」「あたまおかしなっちゃったかしら〜」「私が預かってるのに(宝探ししているみたいで)たのしそうねえ」

うまく伝わるかわからないが1を10で返し、小さい子供に言い聞かせるような、だけどもそれよりねちっこく嫌味っぽい言い方で返すのだ

場合によっては「いい加減にして!」「ほんとに頭おかしなっちゃったねえ!」とヒステリックになることもある

その時のしょんぼりした祖母は本当に可哀想で見ていられない

何度か母に「もうちょっと優しい言い方をしてあげてよ」言ったことがある

上記の「(宝探ししているみたいで)楽しそうねえ」に関しては度が過ぎていると感じて「そんな言い方はないでしょ」と言ったこともある

母の返事は「そう」とか「そうかしら」しか返ってこない

母の祖母に対する態度は今日キツイままだ

私が祖母介護をできれば、と思わないわけではない

しかお金を出しているのは全て母なので従うしかない

しかも母と祖母のやりとりを見たくなくて私は家を出た

いつでも駆けつけられるように隣の駅、こまめに帰って祖母と話したり母の手伝いをしているが結局はお金のことや仕事言い訳にして祖母を見て見ぬふりをしている最低の娘で最低の孫だ

母の祖母に対する態度はひどいが介護をしてくれていることは本当に感謝しているし、お金ケチっているわけではない

休日祖母病院に連れて行ったり美容院に連れていったりもしている

わたしが何かの足しにして、と実家に入れているお金も使わないで貯めていてくれる良い母だ

母のことは好きだ

ただ、本当に祖母に当たる母を見るのは本当に嫌だ

何回も同じことを聞かれ、言われ、同じことをされ、突拍子もないことにストレスが溜まるのは痛いほどわかる

何年もそんな状況であれば嫌味のひとつでも言いたくなるだろう

ただ祖母はそういう病気なのだから仕方ないのだ

わたしはどうすることもできない

つらい

anond:20180419143705

すまん、元の話を読めてなかった。

マヨネーズは、そうね…酢の酸性によって卵のタンパク質が変成しているのだから、やはりケミカルで体によくないんじゃないか、きっと。

一応補足しておくとワイはガチ化学に詳しくないから乳化の原理とか覚えてなかったりする。エマルションとか学校で習った記憶ないし…

海外在住独身女が一人で海外中絶をした話

はじめに

人生で初めて中絶を、しか海外(先進国です)で経験してきたのでその一部始終等を書こうと思います

衝動的に書き始めてしまった上に、初めての投稿で思ったより長く、読みにくくなってしましました、すみません

他に同じような内容をポストされてる方がいるかわかりませんが、似たような境遇の人たちの参考にでもなればいいし、そうでない人たちにも暇つぶしにでも読んでもらえれば嬉しいです。

妊娠発覚まで

彼氏とのセックス避妊に失敗した(避妊具が外れた)。

やばいと思ったので12時間以内にスーパー薬局で緊急避妊薬を購入

(私がいる国では薬局処方箋なしで緊急避妊薬が買えます。値段は4000円ほど。)

3週間経っても生理がこないので妊娠検査薬で検査したら妊娠発覚...

確率は諸説あります避妊失敗から12時間以内の緊急避妊薬の服用で90%以上の確率避妊できるのはたしかっぽいのにどうしてこんなことに...

中絶する?しない?

妊娠発覚してから一般的にみなさんどれだけ悩まれるかわからないですが、私の場合はほぼその場で「中絶しよう」と決心していました。

理由としては3点:

1)彼氏結婚するつもりがない

2)経済的余裕がない

3)そもそもそんなに子供が欲しくない

じゃあ普段から低容量ピル飲んどけよって話なんですが、そこについては反省しました。

後でも触れます中絶してからは低用量ピルを飲んでいます

中絶しよう!予約方法は?費用は?

中絶しようと決心した私、早速病院を探します。

地名 abortion clinic」みたいな感じでググる自治体Webページが出て来ました。

基本的中絶自治体承認した少数の病院しか行われません。

今回私が選んだ病院中絶避妊専門の病院で、その病院ではほぼ朝から夕方まで営業時間の間ずっと中絶行為が行われていました。

予約方法基本的ウェブ電話になります

私の選んだ病院はどちらか好きな方を選べて、私は電話が苦手なのでウェブで申し込みました。

最後生理からどれくらい経ってるかとか、持病の有無とか、自治体健康保険に加入してるか否か、みたいな質問が続く問診票を埋めたら仮予約完了です。

病院から連絡が来たのは2日後でした。

病院からメールは、プライバシー保護観点からメール自体にはほぼ何も書いてなくて、ウェブ上のメールサービスへの招待と、そちらでやり取りをしようという内容でした。

こうすることによって中絶情報を、特に職場メールを見る人たちが多いので、他人に見られる可能性が減るのだそう。

費用無料でした。中絶手術そのものに加えて、手術前のカウンセリング、手術後に始めた低容量ピル無料でした。全部自治体健康保険カバーされるらしい。

ちなみに、保険未加入でも日本円で50000円弱と日本に比べてかなり安いみたいです。

中絶手術当日の話

いよいよ中絶手術当日がやって来ました。

予約はお昼でしたが、朝から何も食べるなとの指示があったのでお水を飲んで凌ぎました。

病院に着くと、玄関のドアに鍵がかかっていてインターホンが。押してみると看護師さんが応対してくれて、名前と予約時間を告げるとドアのオートロックを開けてくれました。

びっくりしたんですが、このドア、なんと二重扉になっていました。

1枚目のドアを入ると受付から入った人が見えるように透明な小部屋のようになっている短い通路があって、そこの奥に2枚目の扉があります

看護師さんは怪しい人間がいないことを確認して2枚目のドアを開けるそうです(付き添い禁止病院だったので付き添いを入らせないためでもあるっぽいです)。

受付をすませると緑のガムテープを2切れ渡され、スマートフォンのインカメと外カメを覆うようにはりつけろと指示をされました。ここでもプライバシー保護が重きが置かれていました。

待合室はシンプルです。ソファが並んでいて、ウォーターサーバーがあって。

一つ特殊な点があるとすればサイドテーブルに山盛り避妊具が置かれていて、好きなだけ持っていけるようでした。

15分ほど待つとカウンセラーさんに呼ばれてカウンセリングです。

ここでは手術の具体的な工程説明をされ、その上で中絶をすることに対して罪悪感があるか、どのように罪悪感に対処しているか、など精神科っぽいカウンセリングを受けます

また低用量ピル説明もされ、服用を勧められました。

このカウンセリングで、日本との中絶に対する姿勢の差を強く感じたのは、そのカウンセラーさんが言ってくれた「あなたはきちんと自分のやったことに対して責任を持っているわ」という言葉でした。

こちらの国では中絶も一つの選択肢である、と認められていると感じます

もちろん中絶に反対する活動家の方はいらっしゃるようですが、少なくとも医療関係者患者説教したり、否定的言葉をかけたりすることはありませんでした。

中絶は善でも悪でもなく、医療行為の一つである」という共通認識がしっかりあって、個人選択尊重される風潮がある。

これで随分精神的に楽になりました。

カウンセリングの後はいよいよ手術です。

トイレで下着を脱いで、妊娠確認するための尿検査をした後、病院で渡された巻きスカートのようなものに履き替えます

妊娠確認が取れると、抗生物質と強めの痛み止め・吐き気どめを処方されるので飲んで、薬が効き始めるまで待ちます

30分ほどカーテンで囲われた大きな一人用ソファリラックスしたあと、いよいよ手術室に呼ばれました。

まずは看護師さんが採血をしてくれます。これは梅毒HIV感染の有無を調べるもので、強制ではありません。その後麻酔兼気分がふわっとする薬を注射してくれます

そして先生がやってくると、まずは超音波で再度妊娠の有無を調べます

潤滑剤ベタベタ避妊具をかぶされた直径3cmくらいの器具を挿入されて、具体的にどの位置胎児いるか確認します。

確認が終わるとついに中絶です。

方法としては、吸引法と呼ばれる方法が用いられました。

薬で多少気分がぼけっとしていたので記憶が怪しいのですが、子宮口を器具で広げられ、クラミジア淋病検査(こちらは必須でした)のために細胞?を採取されたあと、吸引機を挿入、吸引開始されました。

この吸引、めっっっっっっっちゃ痛い。麻酔全然効いてない(個人差があるようです)。5分ほどでしたが、これも報いかと思いつつ人生で一番痛い経験しました。

手術が終わるとあらかじめ用意していたナプキン付き下着を履かされ、手術前に座っていた大きな一人用ソファに戻され、麻酔が抜けるまでまた30分ほど休憩です。

そして手術後の出血が酷くないことを確認されたあと、術後の注意点が書かれた紙を渡され、すべての工程が終了しました。

注意点としては2週間膣内に何も入れないこと(タンポンもダメ、お風呂ダメ)、出血やばい時は病院直通電話番号があるのでそちらにすぐに電話することを告げられました。

帰宅に関しては、タクシー帰宅を厳命されたので、タクシーに乗って帰宅、即布団へ倒れこみ次の日の朝まで寝ていました。

術後の経過

術後の経過はいたって良好でした。徐々に出血は減っていき、2週間ほどでほぼ出血がなくなりました。中絶後初めての生理もちょうど3週間後に来ました。

低用量ピルは手術の次の日から始めました。

避妊のためもありますが、低用量ピルの服用は中絶で傷ついた子宮回復と、生理週間を正常に戻す手助けをする作用もあるようです。

特に問題がない場合は術後の診察も必要ないとのことだったので、あれから特に病院へは行っていません。

中絶経験して思ったこ

中絶めっちゃ辛い(精神的にも物理的にも)。もう二度としたくないですし、するようなシチュエーションに陥らないように対策はしていきたいと思います

罪悪感はもちろんあります中絶前・中絶後共に「本当に堕してよい(よかった)のか...この子(胎児)の命を私の勝手で奪ってしまって許されるわけがない...」など考えました。

カウンセリングがなければ精神的な辛さはもっとひどかったと思います

自分選択責任を持って、などと大それたことは言えませんが、自分意思で堕したということはしっかり胸に刻んで避妊を徹底していきます

今回海外中絶をして、社会福祉の一環として中絶サポートされているなと感じました。

低用量ピルを服用していても100%妊娠を防げるわけではない以上、日本でも緊急避妊薬や中絶選択肢として、もう少し身近なものになってもいいなと思います

私はセックスが好きです。彼氏セックスするときはとても幸せです。スキンシップ大事です。

なので妊娠はしたくないですがセックスします。もちろん、自分でできうる限りの避妊しますが、妊娠してしまときには妊娠してしまうと学びました。

ですが女性人生プランにおいて、子供ができるということが必ずしも歓迎できることではないシチュエーション存在すると思います

中絶は褒められたことではないですが、そういう場面に直面したとき、頭ごなしに否定するのではなく中絶も一つの選択肢として受け入れられていけばいいなと思います

終わりに

ここまで読んでいただきありがとうございます

ふと思い立って書いた文章ですので、思ったより長くなってしまいましたし、表現等変な箇所があるかもしれないです、すみません

自分経験、感じたこと・思ったことを書かせていただきました。

賛否両論あるかと思いますが、あくまでも私個人の感想であって、社会がこうあるべきだ!!とか、日本が間違ってる!!とか言いたいわけではないです。

ただ、同じような境遇の方や関係者の方が、本当に追い詰められた時に、中絶が必ずしも悪いことではないと言っていた人がいたな〜くらいに思い出していただければ幸いです。

ぼんやりしていると、わりとよく意味不明言葉意識をよぎるが、

それを口に出している途中で意識が少しはっきりすることがある。

このとき、口に出したこと意図的ではないと思う。

記憶はあるし自分がやったとは思うが。

anond:20180419102335

ヘルシェイク矢野ばりのアゴである「帝」がいるだろ。さすがにあのインパクトはそう忘れられるものではない。

映像で帝を見るまでに寝落ちしてしまう方がおおいのであまり記憶にないかもしれないが)

anond:20180419015251

自分は元来自民党支持安倍総理も人柄含め好きなんですが

もちろん100パーセント正しいなんて思いません。

それぞれの政治観党派性と言ったらいいのか、そういうのはあると思うんですが

いきなり差別主義者と言われたのはびっくりしてます

自民党とか安倍さんって差別してたっけと頭ひねるばかり。

しろ反韓反中の人たちから売国なんて言われてた記憶もあるんですがね。

anond:20180417223141

丸一日の尋問で満足するとはとんだ甘ちゃんである。我が総統などは完成したプログラムにはテスト用のデータはもちろん不正データをたらふく食わせ、それでも正常に動くとウィルス入りデータなどを食わせて誤作動を起こさぬか確かめておられる。斯くも過酷尋問に耐えたプログラム総統自らの手により比類なきリファクタリングを施され、ひとつの処理が不要かつ不可解なまでに多くのローマ字関数に置き換えられるほか、「漢は不要ことなど一切口にせぬどころか必要なことさえ一切言わぬ」という男の美学実践されておるゆえコメントなどは一切残さぬ。それどころか他人の書いたコメントライセンス表記まで正規表現を駆使して削除される始末。

あと、記憶違いでなければ語り部一人称はワシであるぞ。

2018-04-18

最近少女漫画すごい

普段読まない漫画雑誌でも読んでみようと、何の気なしに本屋で「少女コミックCheese!」を手に取った

チーズ」といえば15年前当時ワイドショーで「児童向け漫画誌なのに掲載されているのはエロ漫画ばっかり!」と取り上げられ、

町行く主婦の「こんなもの子供に読ませるなんてとんでもないです!」というコメントを頻繁に放送してバッシングされていた

当時は「セックスシーンの無い少女漫画は売れない」とされ、児童向けだろうが少女漫画過激化する一方だった

結局は各都道府県有害図書指定され、コンビニで売っちゃいけないことになって内容も大人しくなったと記憶しているが

まだ残っていたことに驚いた

さて、2018年現在はどういった内容になっているのかとパラパラ捲っていると

しかに以前よりは大人しくなった印象だ

セックスシーンは完全に無くなった訳ではないが、作品によってセックスしたりしなかったりのようで

以前は少女キャラ乳首はハッキリ描いていたのだが近年は裸は描かず、合体シーンはシルエットにしたりして自主規制している模様だった。

そんな中、少女誌には珍しい時代劇モノが目に留まり読んでみると

イケメンの町民がイケメンの殿様に恋をするというボーイズラブものだった

ボーイズラブって一般少女誌に掲載されるほどメジャーになったのか!と時代の流れに驚いていると

「憧れの殿様とやっとホモセックスできると四つん這いでドキドキしてたら、主人公のケツの穴に突っ込まれたのはチンポじゃなくてチョンマゲだった」

というまさかオチに更に驚いちゃった

アナルにチンポ入れられたと思ったらチョンマゲだった」って、イマドキの女子小学生ウケるギャグなんですね!

小学館さん、勉強になりました!

って、子供に読ませられるかこんなもん!また有害図書指定されろ!

そんなおじさんも、コロコロコミックウンコちんちんで育ちました。

ウンコちんちんアナルにチョンマゲ、ばんざ~~~い!

anond:20180418154347

にわかからよくわからないけど、

etc-etcって人はなんでそういうことをされてるんだ……

なんか前にとげったで、ブコメ関連でなにかされてたっての見た記憶があるけど、それ関連なんだろうか

父が死ぬほど嫌いで憎くて死んでほしくて死にたい

30代中盤になり、将来のことが不安になった私は都会での仕事を辞め、一時的実家に帰ることにした。

差し迫った理由もないのに安易に気ままな一人暮らし生活を捨ててしまった自分を今となっては止めたいが、

そのときはこれで高い家賃も浮くし、家の手伝いもできて親孝行にもなるだろうと気軽に考えていた。

世間人手不足で騒いでいるから、転職にはそれほど困らないはずだ。そんな能天気な期待もあった。

実家田舎ではそれなりに大きな家で、裕福だ。一昔前よりは減ったが親戚付き合いもまだ多い。

長男の私は子供の頃から「跡取り」になるのだという意識を、その言葉意味もわからないのに、当たり前のように持っていた。

私は典型的な「田舎長男」として生まれたわけだ。

家業とはまるで違う学部大学に入っても、家業の役に立たない仕事を始めても、その意識は消えなかった。

今考えると、その時点でおかしく感じる。私は家業を継ぐ気も、実家で一生過ごすつもりもなかった。

自分の住みたいところに住み、やりたいことをして生きるつもりだった。

それなのに心の中ではいずれ家に帰るつもりだったのか。それを既定路線として、どこかで受け入れてしまっていたのだろうか。

昨夜、父と口論した。

きっかけは私に明日(つまり今日)、家業の手伝いをするようにと父が言ったことだった。

別に大した内容ではない。ただ立っていればいいような仕事だし、今までもそういうことはしてきた。それは当たり前のことだったから。

ただそのときは疲れていたのか、本気で拒否してしまい、それからは互いに、というより主に私が、相手を傷付ける言葉を連発した。

(そしてその言葉が数時間後、布団の中にいる私を苦しめ、眠れなくなってこうして書いているわけだ。)

「俺は家は継がない。お父さんが死んだら全部処分するよ」

私はそのようなことを言った。これに対し父が

「そんなこと許されると思ってるのか? これまでおまえにいくらかけたと思ってるんだ」

と返し、以下すべて私。

「俺より早く死ぬ奴のために、自分人生をめちゃくちゃにする気はない」

長男とか継ぐとか、そういう時代じゃないから」

「見返りを求めるって、親として最低だよ」

「親が死ぬはいいよ。介護することになると困るんだよ」

ただし、私の声は異様に震えていた。父と真面目なことを話すときはいつもこうなる。

毒親」という言葉最近知った。父がその毒親ではないのかと思うことがよくある。

父に関する一番古い記憶は、火曜サスペンス劇場だ。

この番組CMに入るときに特徴的な効果音が入る。(ちゃんと見たことはないので、違っているかもしれない。)

夜、寝ていると、父と母が怒鳴り合う声がする。その合間合間にあの効果音が聞こえるのだ。

どんなに耳を塞いでも、布団に潜っても、自分の声でかき消そうとしても、怒鳴り声と効果音は鳴り続けた。

この番組が「火曜」サスペンス劇場と知ったとき不思議な気がした。記憶の中で、あの音は毎晩聞こえていた。

…こんなふうに幼少時の思い出を書くことが何になるだろう?

私は実家に戻って以来、父と生活していることにたまらない不快感を抱いてきた。父は毒親なのだと思ってきた。

だがたぶん、こんな家庭も親もいくらだっている。親は完全な存在ではない。

私はもしかすると、自分が父を不快と思うのを正当化するために、父を毒親の条件に当てはまるよう、

頭の中で自分記憶感情捏造してきただけなのかもしれない。

火曜サスペンス劇場のことだって、たとえば一年前、同じように思っていたか確信が持てない。

第一、昔からそんなにも父との関係が壊れていたら、こんなに軽々しく実家に戻る決心などしなかったはずだ。

毒親」という言葉のあと、真っ先に親を責めるようなこんなエピソードを持ってくること自体共感を求めて甘えている。

人が見れば、父など毒親でも何でもないのかもしれない。

出来の悪い子供ちゃん大学まで行かせて、ニートになっても何も言わずに面倒を見て、

いまは無職となった息子を無料で家に置いている、優しい親なのかもしれない。

というより、書いてて確信したが、きっとそうだろう。

別に父との思い出は嫌なことばかりではない。スーファミソフトをたくさん買ってくれたし、旅行も何度も連れて行ってくれた。

人並みに反抗期だってあったが、大学入学で家を出てからは衝突もなくなり、二人で飲んだりすることも何度だってあった。

30代半ばにもなってパパなんかだいっきらいなどとわめいている私こそがどうしようもなく幼稚で未熟な異常者なのだ

何も考えずに家業を継げばいいのに、下らない自意識自尊心のせいで、父や先祖の築き上げてきたものを無に帰そうとしている。

しかも私はその家業にも家柄にも土地にも、何の興味も持てない。同じ思いをすることになる生命をつくることが罪悪にすら思う。

転職成功して、家を出るときのことを想像する。

想像の中の父は怒り狂って、引っ越しの準備をしようとする私を怒鳴りつけ、家から出すまいとする。

そんな仕事してもどうせダメなんだから、おとなしく家業を継げ。

父のセリフが今から聞こえるようだ。だが、すべて私の妄想だ。

無理矢理家を出れば、父は思い描いていた人生を打ち砕かれ、気落ちして、そのまま死んでしまうかもしれない。それも私の妄想だ。

どうして父との関係をうまく築けないのだろう?

どうしてこんなにも父の存在我慢できないのだろう?

父は普通で、私が被害妄想おかしくなっているだけなのに。

私は父が毒親かどうかなんてどうだっていい。父と仲良くやっていきたいだけだ。

これから二十年、十年、五年、いつまでかわからないが、残りの時間幸福に過ごしてもらいたいだけだ。

なのにそれができない。幸福にするどころか、傷付けてしまう。

父が人間の屑なら、そうできない自分に悩むこともないだろう。だが私は、悩むのが辛くて、父を屑だと思おうとしている。

父が死ぬほど嫌いだ。憎んでいる。生きていてほしくない。いなくなってほしい。死んでほしい。

から死にたい

P.S. 殺人自殺の予定はない。念のため。

夜中にインターホンが鳴った

引っ越して来たばかりの賃貸マンションで、小一時間前にインターホンが鳴った。

まだ首が座ったばかりの娘を寝かしつけてる最中だった私は怖くなって、隣で寝ていた夫を何度か揺すってやっとで起こした。

インターホンが鳴ったことを告げても、反応は薄く、自分が見に行くことに。

人影はなく、女の人の声がした。

「◯◯、いるのかなぁ?」的な声が聞こえて来た。

女の人の声だけだったので、おそらく電話で誰かと話しながらかと推測

しばらく姿を確認できないかとドア穴から外を確認するも、声だけしか聞こえず。

そのまま階段下りるような(或いは上がるような)音がして、そのままインターホンが鳴ることは無かった。

もしかして生活音の苦情なのかな…と早速子育て世帯ありがちな問題に直面したのかと思ったけど、

考えて見てもインターホンを鳴らされた少なくとも一時間前にはうるさい音(娘の鳴き声含め)出した記憶もなかったので、謎。

基本、用のないインターホンは出ない口だから怖すぎる。

しか11時半て。もし苦情でもないとしたら非常識だとおもうんだ…

波風立てずに過ごしたい。

もし何かまたわかったらここに書こうかな。

怖すぎる…

2018-04-17

性的少数者が性被害にあった話 4/18追記

追記

たくさんのコメントありがとうございました。

多くの人にこの現実を知ってもらえただけで、匿名でも公表して良かったと思います

  • 恋人に慰められたかったとのことだが、どんな言葉を掛けられたら嬉しいのかも書いてほしかったな。

もし自分の身近な人間が性被害に遭ったときのために知っておきたい

恋人通報を渋ることを怒ってしまい、萎縮した私は「1人で出歩くときは十分気をつけます」と自分危機管理不足を謝りました。

実はこの件が起こる数ヶ月前に、都内ターミナル駅付近トイレにて襲われ、男性器を口に突っ込まれるを被害を受けていました。

被害を2度も受けたことに、恋人自身も怒りや無力感を味わったのだと思います

それから被害にあってしまったのは、自分のせいだと反省し続けました。

関係性にもよると思いますが、隣にそっといてくれるだけ、自分の味方である宣言してくれるだけで、何よりも心強いです。

また、「辛かったね」「言ってくれてありがとう」といった共感してくれる言葉が欲しかったのだと思います


心身共に男性の方です。

性同一性障害人間自分性自認と同じ性別を好きになることは、数年前まで

性的少数者の中でも仲間はずれにされてきたこと、一般的に混乱を招いてしまうため

今でも誰かにカミングアウトすることは中々ありません。

私は高校生の時に生活する性別女性から男性に変えました。

女子高生男子高生の制服を両方着て、電車通学をしていましたが、両方とも痴漢あいました。

合わせれば片手では足りない回数です。

また、幼少期(当時は女児)に、公衆トイレでいたずらされたこともあります

被害一種類で決められるものではない、それだけではないのが現実です。

嘘だと思う方もいらっしゃるかもしれません。でも、嘘だったら良かったです。

どうか、多くの人に知って頂けたらと思います

-------------

私は女性として生まれ性同一性障害人間である

乳房摘出手術を受け、男性ホルモンの投与をしている。

子宮・卵巣摘出手術はしていない。男性として生活している。

数週間前、夜に都内公園を歩いていたところ

いきなり見知らぬ男に腕を捕まれ男子トイレに連れ込まれた。

辺りはあまり人気がなく、何となく帰り道で歩いていた矢先だった。

そのまま個室に追いやられ、脅された。

「黙ってれば殺さない」

自分よりも背が高く、とても抵抗出来る力は持ち合わせていなかった。

男性ホルモンの投与をしていれば女性よりも体は筋肉質になると言われているが、

日頃から鍛えているわけではなかったので、圧倒的に負けた。

大声を出すということが思いつかないくらいには、パニックだった。

人間、びっくりすると力も声も出なくなる。

体を触られ、股間に手が伸びた時点で、体が女性だということがバレた。

「お前女なのか」

男は私を男だと思って、襲ったようだった。

から解放してくれるかと思った。

そんな希望的観測は、一瞬にして砕け散った。

妊娠させてやる」

「女で生まれてきたくせに」

たくさんの罵詈雑言が降っていたが、私の防衛本能のせいか途中から聞こえなくなった。

ただ、屈辱的だった。

男性器を口に無理やり入れられた。

衣服は脱がされ、女性器に男性器が侵入してきた。

殴られるような衝撃と不快感が一気に襲ってきた。

はいつのまにかいなくなっており、私は何とか家に帰ったようだった。

被害を受けた日から最近までの記憶は少しずつ欠けていた。

一応、恋人には被害を受けてしまった報告をした。

多少は受け止めて慰めてくれるかと思っていたが、恋人は怒りのあまりそれどころではなかった。

話したのは失敗したと思った。この件は自分の心にそっと閉じ込めておこうと思った。

被害を受けた日から今まで、通報を考えたことはあった。

しかし、自分性別カミングアウトすること、事の顛末を事細かく警察に話さなければならないことは、警察へ行くのを躊躇う要素になった。

先日、以前からかかっていた精神科主治医が私の様子を察してくれ、話を聞いてくれた。

警察にとっては、あなたのような被害があると知るだけでも情報になります

それがきっかけで、その後警察匿名通報をした。

電話口での性被害の訴えはそれほど優しいものではなかった。

声変わりをしているため、電話をかけた時点で男性だという認識で話が進んだが

根掘り葉掘り聞かれ、状況を喋っている途中で自分性別を話すことになり、声が震えた。

性別性別なので、刑事課の方も戸惑っていたようだった。

それは当然のことだと思うが、その説明をするのも苦しかった。

名前や住所を聞かれたが、伏せた。

捜査は出来ませんが、大丈夫ですか」

更に戸惑った声が聞こえた。

大丈夫です」

自分セクシャリティ名前とともに公表することは、簡単に譲れることではなかった。

電話を切り、一気に体の力が抜けて、震えた。

その日の夜は恋人と会って抱きしめてもらったが、何も言われなかった。

ただ寝る前に、「頑張ったな」と言われて頭を撫でられ、初めて泣いた。

何も言わずに怖い顔をしていた恋人は、加害者に対する怒りに震えながらも、それを私にぶつけることをせず

ただ冷静にじっと我慢し、現実を受け入れることに徹していたのかもしれないと、ふと思った。

もう泣くのも、この件で悲しむのも、この日で終わりにしようと思った。

女性の方も、男性の方も、私のような性別の方も、そうでない方も

被害に遭い、声を上げられない方は、たくさんいるのかもしれません。

必ずしも声を上げることが正解ではないと思います

得られるものが、失うものよりも必ず大きいとは言えないからです。

でも、声を上げれば、世界が変わるかもしれないというのも、また事実だと思います

私は、この件を乗り越え、そして受け入れるべき過去として抱えながら、前を向いて、生きていこうと思います

ぼくは下戸下戸下戸下戸

子供の頃からアルコール綿で腕が真っ赤になる子供だった

成人してからは、お酒だと缶チューハイ1缶飲んだら尋常じゃないくらい赤くなって動悸がしてくる

それ以上飲むと気持ち悪くなる

どれくらい気持ち悪くなるかというと、50メートルを息止めて全力疾走たらこんな感じだろうか、という苦しさ

そんな感じで日常酒を飲まずに、飲み会には常にシラフで陽気にを信条に参加しながら30代も半ばを過ぎたけれど、正直お酒飲む人うらやましい

まずワインとか日本酒とか、そもそもお店で選んでところを見る時点でなんかカッコいいし大人っぽい

何年もののなんとかーとか、どこそこの蔵のなんとかーとか、お酒ってウンチク豊富だし

私なんて輸入菓子目当てにやまや入るのもなんか気がひけるのにさ

1人でBARとか行きつけのBARとか駆けつけ一杯とか家呑みとか憧れる

私も行きつけのBARマスターとか欲しい

家で熱燗とかつけてみたい

飲みながら料理とかかっこよすぎてドラマみたい

あとスポーツバーサッカー観戦とかもしたい

記憶を失うくらい楽しい思いをしてみたいし、目が覚めたら河原にいたとか電柱抱えて寝てたとかカーネルサンダースと手を繋いでたとか、ハードボイルド経験もしたい

ちょっと美味しいものつまみつつ一杯だけお酒飲んで人を待つ…みたいな小洒落たこともしたい

お酒飲んで誰かに迷惑かけてみたいし、誰かにお酒の勢いで甘えたりもしたい

お酒で失敗してそれを翌朝後悔してみたい

酔っ払って何度も壊れたレコーダーみたいに同じセリフを繰り返したい

公衆面前感情のタガを外してみたい

お酒飲めたほうが誰かと深く仲良くなるの、早いと思うんだよ

いいなー酒飲み

でもこういうことをそれとなーく大酒飲みの人に言ってみたら、

「酒飲みは金かかるよ…」と遠い目をして言われたから、強い人はそれはそれで困ることもあるんだなって思うけれど

人生結構割合お酒飲めないせいで損してる気がするなー

生きづらさの話

ここ最近ずっと悩んでいて、頭の中がぐちゃぐちゃになっているので一度文章にしてみようと思いました。

最近ハタチになった大学三年生。実家暮らし。猫が好き。とある専門性の高い女子大に通ってて、バイト学内と学外でふたつかけもってる。人見知りで集団行動が苦手で、大学にはひとりも友達がいない。典型的な女オタクだけど、学部の特徴的にお仲間がいないのでなお友達ができず、ぼっち生活を二年間送ってきました。不登校になってから今日でちょうど一週間になります

事の発端は、新学期初日前夜に母から「つらいなら大学辞めてもいいんだよ」って言われたことだけど、それがなくてももしかしたら破綻してたかもしれない。私は小さい頃から学校というシステムが苦手で、十数年間毎日のように学校行きたくないって言ってたので(じゃあなんで大学進学したのっていうのは後述)。この春休みバイトに明け暮れ、学んでいる専門的な勉強を一切しなかったので、確かに新学期死ぬほど憂鬱だった。でも辞めるっていう選択肢は当時の私の中になくて、きっとまたなんとなーく、適当に、単位を取ることだけを考えて、寂しい大学生活を送るんだなって思ってた。だけどその母の言葉きっかけに、『学校行きたくない気持ちボロボロとこぼれてきてしまった。

から面倒くさいことが嫌いで、嫌なことはすぐに投げ出しちゃう意志の弱い人間だった。勉強運動も嫌い、やりたくない。「みんな頑張ってるんだからあなたも頑張りなさい」が嫌いだった。地頭と要領がよかったので高校はそこそこレベルの高いところに行けたけど、そこでも勉強しなかったので得意科目以外の成績はふつうに悪かった。でも、通っていた高校似非進学校である反面私のようなのが許してもらえるような場所で、友達先生も「しかたないなぁ」で流してくれた。だから学校は嫌いだったけど高校時代は楽しかったです。後にも先にもちゃん友達のいた学校生活はあの三年間しかない。サンキュー高校時代の友人たち、愛してるよ。

ただまぁ似非はい進学校でしたので、大学受験をしない子はほとんどいなかった。私も、高校卒業してすぐ就職っていうのは怖かったし、モラトリアムが欲しかったので大学進学を決めました。ただ勉強したくなかったので(今思うと怒られそう)、勉強しないでいい大学を考えた。のが今のところで、ずーっと続けていた習い事学問として学べる場所でした。家が近いし、身近に卒業生もいたので、そこ一本で落ちたら大学行かない!って気持ち受験。界隈では有名でそれなりにハードルが高かったはずなんだけど、なぜだか十月AOですんなり受かってしまった。拍子抜け。

もともとちゃんと参戦してたわけでもない受験戦争から早々に一抜けしてしまった十七歳私は、そりゃもう遊んだバイトして遊んでぽけーっとして。それでもまぁ習い事には行っていたけれど、オタク趣味が楽しすぎたのもあって、四月にはすっかり大学へのモチベーションを失ってしまってた。そんな状態入学して、周りには「ここにどうしても入りたかったんです!」って目をキラキラさせた綺麗な女の子たちがいて、授業は思ってた以上にキツくて、新しいことが何ひとつできなくて、友達がまったくできなくて、いろいろあって気づいたら引きこもっていました。これが第一不登校事件です。

その時はまぁなんとか復学(?)したんだけども、今また同じように部屋に引きこもっています。第二次不登校事件真っ最中です。

二年間、なんとかやってきました。友達いなくてもいいやって割り切って、集団を求められることの多い学部なのでそれはそれはしんどかったけれど(好きな人グループ組んで!が一番キツい)、ぼっちなりに誤魔化しながらやってきました。だけど急に限界がきてしまったみたい。寂しいもんは寂しいわ。

それと、今まで大好きだったはずの専攻を続けられる気がしなくなった。三年になって研究室に入って、同じ専攻のひとたちと作品を作らなきゃいけないんだけど、自分にできる気がしないんですね。体力とか技術とか、コツコツ積み重ねないとできないことなんだけど、最近の私はてんで努力をしていなかったので。自業自得なのはわかっています。でもなんだか心が離れてしまって、周りでキラキラ頑張っている子たちを見るのがしんどくて、激しい温度差を感じて、学校に行けなくなりました。座学がめんどいとか朝起きるのつらいとか卒業単位が超ギリギリとか他にも理由はあるけれど、大きいのはこのふたつだと思われます

行こうと思っても行けなくて、玄関までは行けるのにその先が踏み出せなくて、今はリビングにすら出られない。寝すぎて背中が痛いし泣きすぎて目が痛い。二重なのが自分の顔で唯一好きなとこなのに、瞼が腫れちゃって最高にブサイクなおめめになっちゃってる。ここ最近毎日アイメイクを涙で溶かしている。クレンジングいらず。

大学をやめようかな、と思いました。幸い親がとても理解のある人で、今まで投資してきたものを全てパーにしようとする私の行いを責めたりしないんです。兄弟もすごく真摯に私のことを考えてくれて、アドバイスをくれて。だけど私はいっこうに答えを出せなくて、家族迷惑をかけている。それがまたつらくて自己嫌悪して泣いてるんですけど一旦置いておきます

大学を辞めようかなって考えたとこです。昨日そう決めて、でも遺恨を残したまま辞めたくなくて、辞めたあとのことは何も決まってないけど明るい中退をしようって母と話しました。だけど帰宅した父に話をして、「だったら社会人としての責務を果たしなさい」って言われた瞬間、急に現実が襲ってきた。見えない未来が怖くなって、涙が止まらなくて、ぐちゃぐちゃになってそのまま部屋に閉じこもってしまった。

それと、泣きながら気づいたことがあって。大学を辞めよう、辞めたら楽になるって思っていたはずなのに、未練があったんです。それは十数年続けてきた、習い事から専門にした、大学で学んでいることでした。練習しなくなって久しいし、散々「もう嫌になってしまった」って言ってたのに、いざ辞めることを考えるとつらくてつらくてしかたなくて。諦めたくないって思ってしまって。うちの学校は三年と四年で作品を発表する場があるんだけど、そこに憧れた記憶が蘇ってしまって。冷めちゃったって思ってたのに、やりたくないって思ったはずなのに、結局私は捨てられないことに気づいてしまった。私という人間を形作るアイデンティティであったから。

自分や周りが思ってる以上に私はネガティブで、めちゃめちゃ自己評価が低い、らしい、です。しょっちゅう死にたくなるし自分必要とする人間はこの世にいないって思うし周りに迷惑しかかけない自分なんていなくなってしまえばいいのにって思う。正直イベント舞台ライブチケット取れてなかったら身投げしてた。オタクでよかった。だけど唯一、ずっと続けてきたそれは自信になっていた。んだと思います。ただネガティブな反面プライドが高いという面倒くさい性格の私は、思うようにそれをできない自分が許せなかった。できないならやめてしまえって考えた。でもそんな簡単にやめられないことにも気づいてしまった。うわっめんどくせぇ

だったら学校行けばいいじゃん、頑張ればいいじゃんって思いますよね、私も思う。だけどできないんです。今日も行こうと思ったけど、できなかった。バイトには行けたのに。頑張りたい、頑張ろうって思っても部屋から出られなかった。母が優しい言葉をかけてくれたのに何も言えなかった。申し訳なさすぎる。いい加減にしろって思ってるだろうなあ、私もいい加減にしたいです。

ほんっとうに生きづらいなって思います。今まったく未来が見えない。明日が見えない。しにたい。でもしねない。辞めたら楽になるって考えたけどそんなことなさそうだった。社会になんて出たくない。中退っていう経歴を持つのがこわい。でも学校にも行けない。なんでだろ。どうしたらいいんだろうね。

私はただ普通に生きたかった。普通に大学に行って、普通に友達がいて、普通に就職をして、普通にふつうに、ふつうってなんだろうね?世の中は普通に生きてる人たちで溢れているように見えるけど、どうやったらああなれるんだろう。めちゃめちゃ尊敬する。すごいなぁ。

だけど私が引きこもってる間に授業は先に進むし履修登録期間は今週中だし学費の納入期限は迫るし舞台チケットは当たるし推しイベの真っ最中から石砕かなきゃいけない。明日はどうすればいいんだろう。生きづらいのは誰のせいなんだろう。たぶん私のせいだなぁ。自己嫌悪はすすむばかりである

文章ぐちゃぐちゃですみません。読んでいただけたならありがとうございました。

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