はてなキーワード: 後者とは
ゲイはセックス時のポジションでタチ(挿れる方)、ウケ(挿れられる方)の2種類に分かれる。
どちらのポジションもできることをリバ、挿入行為をしないことをバニラと呼んだりもする。
ほぼウケしかしてこなかった自分が、ここ1年くらいでタチができるようになって世界が広がったのでその感想を残しておこうと思う。
初めてセックスしたのは19か20の時で、それ以来、人並みにセックスをしてきた。
20代半ばになってウケの気持ちよさを覚えて、それ以来もっぱらウケだった。
たまにタチをしてもイマイチうまくいかない(中折してしまう)ことが多かった。
ちなみに自分の中でのタチが成功することの定義は「手を使うことなく挿入したまま射精までできるようになる」ということである。(もちろんゴム着けた状態でね!)
前者についてはそのままで、自分がウケとして相手をしているタチの姿や、エッチなビデオの中で見るタチの姿を見るにつけ、「そんなに気持ちよさそうなら自分もタチができるようになりたい」という気持ちが日に日に強まっていた。
後者については「性自認」に関係した問題である。自分の性自認は「男性」である。
男性として男性が好きな、シスジェンダーのゲイ男性ということになる。
「挿れられる」という男女間においては女性側が担う行為を行うことは、なんとなく自分の性自認およびそれに基づく性表現にそぐわない感覚があった。
そんな自分だったが、ここ1年くらいでタチができるようになった。
タチができるようになる過程を振り返ってみて、習得のコツ的なものが2つあった。
逆説的なんだけど、タチができるようになるためには、とりあえず1回タチを成功させることが重要だと思う。
自転車に乗るのと一緒で、1回成功するとタチとしての身体的感覚をつかむことができる。
そして何より「自分はタチが全くできないわけじゃないんだ」という安心感を得ることができる。
自分自身1回成功するまでは「今回も中折しちゃうんじゃないか」というプレッシャーがあり、プレッシャーでますますスムーズにことが進まなくなるという悪循環だった。
1回成功して以来は「少なくとも自分はタチのポテンシャルはあるんだ」という自信につながり、仮に一度中折してしまったとしても余裕を持って挽回できるようになった。
これは1回成功した後に始めた習慣なのだけれど、マスタベーションのときに手ではなくTENGA*を使うようになった。
男女のセックスにおいて男性が女性の膣内で射精まで至らない、いわゆる「膣内射精障害」の原因の1つに「強グリップ」マスタベーションがある**。
ゲイなので膣内ではないのだが、多分同じことは言えるだろうと思い、手からTENGAに切り替えた。
そうすることで、これまでグリップ力で快感を得ていたのが、TENGAのヌルヌルした摩擦によって快感を感じられるようになった。
手でやるときよりもタチをしている最中に感じる刺激と近いものを疑似体験でき、本番に備えられている感覚がある。
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*自分が使っているのは洗って繰り返し使えるTENGA SPINNER(https://store.tenga.co.jp/product/EC-SPN-001)という商品。タチ云々より、単純に手より遥かに気持ちいいからおすすめ
**膣内射精障害の原因となるマスタベーションは他にも「足ピン」「床・壁」があるらしい。タチができるようになりたいならそれらも避けた方がいいはず
当たり前なのだけど、ウケしかできなかったときはタチを探すほかなかったのが、ウケも相手ができるようになり、乱暴に言えば楽しめる相手が2倍に増えた。
また、長らくウケをやってきたからこそ感じるタチにやってほしいこと・やってほしくないことをタチ側として実践できるようになった。
具体的には、一度挿入したらいきなり腰を振らずにウケが慣れるまでじっとしている*とか、ウケが射精した後は相手が望まない限りは挿入はしない**とか。
ゲイ向けのデートアプリではプロフィール内にタチ・リバ・ウケを記載している場合が多い。
しかしながら自分がタチをやるようになってから会ったプロフィール上でリバの人の半数以上が実際はウケであった。
「タチもやったことはあるけどほぼウケしかやらない」みたいな。
理由をくわしく聞いたことはないんだけど、なんとなくウケって後ろめたさがあるのかなと思った。
先述の男性性の話にも通じるんだけど、ウケってやっちゃいけないことをやってる感というか、ちょっとヘンタイっぽい印象がある気がする。
実際のところはわかんないし、そんなスティグマがあるならばなくなってしまえばいいと思うけど、自分自身、ウケしかやらない時期も「タチ願望」から来るささやかな抵抗としてプロフィールではリバにしていて、各人フクザツな心理が働いているのかなと推測している。
自分はウケからリバになり、最近のセックスのポジションを振り返るとなんならタチが多いくらいだけれど、タチ・ウケどちらが好きかと聞かれると答えに窮する。気持ちよさの質が異なる。
例えば「醤油ラーメンととんこつラーメンどっちが好き?」と聞かれたら「醤油ラーメン」と答えられるけれど、「ラーメンとスパゲッティどっちが好き?」と聞かれると「その日の気分による」としか答えられない感じ。
自分の中でタチ・ウケは完全なアップルトゥアップルな比較になっていない。
ただ確実に言えるのは、タチの方が楽である。
ウケをするときは事前の準備もさることながら、やはり挿れられることによる身体的負担が大きい。
タチも腰を振るという運動量はあるが、そのエネルギーを受け止めるウケの方がどっと体力を使う感覚がある。
自分の場合「タチをやりたい」ではなく「ウケをやるのがめんどうだから」というモチベーションでその日はタチをやったりすることもある。
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今でも時々思い返しては(あいつやばかったなあ……)としみじみするやつ
ふと探したらまだ残ってたから思い出放流
771 :名無しさん:2016/03/08(火) 02:54:59 ID:???0
あなたは今思い込みで視野狭窄に陥っているし、理屈も破綻してると自分は思う
もしまた書き込むつもりなら、その辺をもう一度意識して、あと文体の癖ももう少し直してくれたらと思う
774 :名無しさん:2016/03/08(火) 21:16:08 ID:DnnW/tWc0
(中略)
知ったばっかりの言葉使いたかったのか、それとも自分を病人扱いしたかったのか
どちらにせよ前者なら「残念な人」後者なら「ブチ切れてる人」
(後略)
775 :名無しさん:2016/03/08(火) 21:48:38 ID:???0
うわー…
776 :名無しさん:2016/03/08(火) 22:06:03 ID:???0
778 :名無しさん:2016/03/08(火) 23:26:33 ID:???0
うん…一応読みました
779 :名無しさん:2016/03/08(火) 23:50:46 ID:DqsMaioU0
江戸時代は読み書きそろばんを覚えて商売人を目指すことこそ庶民のキャリアアップへの道だった
赤松健の、ヒット作を出した制作会社には税制上の優遇をしろとかいう提案は案の定叩かれてて
でも赤松健を叩いている人達って大体は、少子化対策として既に子供を生んだ人間を優遇するという形の「子育て支援」には何故か前面的に賛同しているから違和感あるんだよなあ
だって発想の源は全く同じだよ?
ヒット作を出した後で優遇しようという発想と、既に子供を生んだ後で優遇しようという発想
前者がアニメ業界の改善に繋がらない事が分かるのに、どうして後者が少子化対策に繋がらない事は分からないのかな?
少子化対策の件では既に成果を出した既得権益者を優遇しようという発想を当たり前のように受け入れてきた人達が、同じ発想の赤松健を叩いているのははっきり言って全く意味不明だと思う
表題に関する、とある議員のtwitter発言が炎上している。色々な意見を見てみたが、ベースとなっている議員の財務金融委員会での発言を聞かずに(原典を参照せず)、脊髄反射のように叩いている人もおり、生産的でないなぁ、と感じている。
なので、真面目にこの件について、論点など整理してみた。
https://twitter.com/nico_nico_news/status/1527140266943008768
上記は、結構重要なやりとりもカットされているので全部のやりとりを見るには以下の1:51:00~2:06:20までを参照。
https://live.nicovideo.jp/watch/lv336961008
自分の属性は、国立大学の数学系学科を卒業して現在も仕事で数学をメインで活用して働いている40歳男性です。念のため。
一晩寝て改めて考えてみたけど、
元気を出せないのが人格の問題ならそうかもしれんが、大抵うつ病などの精神的問題を抱えてるか、寝不足とか不摂生でエネルギーが足りてないだけだからなぁ。
うつ病に元気を出せってのは難しいかもしれんが後者なら健康に気を使うだけで改善する問題。
元気があって笑顔のまぶしい相手を好ましいと思うのは生物としての本能だから仕方ないしな。(健康な個体の方が種の保存に有利だから。)
あと、フィクションなんかじゃ根暗を救うみたいな話いくらでもあるだろ。正直ああいうのは余計なお世話にしか見えんが、どこが無視されてんだよ。
そういう被害妄想全開で、自分で出来る努力を何もせずに社会のせいにしてるから「お前は」嫌われんだよ。根暗が嫌われてるわけじゃない。「お前が」嫌われてんだよ。
30代前半の二人で観てきた。
私たちの世代はちょうどウルトラマンがテレビでやっていなかった世代で、今回がはじめて観るウルトラマンとなった。
私はエヴァンゲリオンが好きで、庵野さんの映画を観たくて行ったクチだが、友人はエヴァすら観ていない。
とりあえずの感想としては、シン・ゴジラの焼き直しだなぁと思ったのが第一。
「怪獣やウルトラマンが本当に現れたら日本政府(と官僚)はどう対処するのか」という描写が映画の大部分を占めているが、「それシン・ゴジラで観たよ」という気持ちになった。
初代ウルトラマンだと科学特捜隊は国際組織ということになっているから、日本の官僚組織に位置付ける必要は必ずしも無かったのではないか。
官僚組織のドラマを描く過程で物語が矮小化されてしまった気がする。
成田亨『真実と正義と美の化身』をデザインコンセプトとしたと公式サイトにあって、その経緯は胸を打つものがあったが、実際あんまり格好良くなかった。
全体的につるっとしているデザインがCG感を増幅させてしまっていて、ダメージを受けても傷つかない(体のラインの色が変わるだけ)というのが戦闘の緊迫感を減退させていたと思う。
特に後者について、カラータイマーというのはひとつの発明だったんだなと思った。
最後に思い付きを書くと、終盤にさしかかるところで、これはキリスト教っぽいお話だなということを考えていた。
神に比類するウルトラマンが、有限な人類の姿に身をやつし、人類を救うというのはかなりイエス伝ぽい。
ググってみるとその類似性を指摘する人がたくさんいて、勉強になった。(『ウルトラQ』の「Q」はQ資料から来ている、とか眉唾ものだけれども、結構おもしろい)
そんな感じで、なんやかんや書いたけれども、人の考察を読んでいたりする時間も含めると、結構楽しんでしまった。
初代ウルトラマン、セブン、帰ってきたウルトラマンぐらいは観ようと思わされた一作だった。
毎年吹奏楽コンクールがあるおかげでどちらも盛んで良い文化だと思う。
アマチュア吹奏楽団がコンクールに出る際、「職業演奏家」の参加はチーム失格となるほど大きな罰となっている。
近年、演奏家はYoutuberとして現役の音楽学校に通っている学生や、その後フリーランスで頑張っている方々が投稿していたりする。
自称プロ、という方もいれば、やってみた、という方もいて様々だ。
時代の認知の差でもあるが、私は、難易度の高いソロコンクールの受賞歴があったり、伝統あるオーケストラや吹奏楽団に所属しているプレイヤーはプロだと思っている。
前者はソリストやプレイヤーとしての腕が認められている結果、後者は狭き門であるオーディションを突破し、生業に出来た人たちだ。
定期演奏会等での演奏の質で「さすがプロ」と思いたいところだが、
最近は集客の懸念からゲーム音楽や歌謡曲ばかりを大きなコンサートホールで聴いている。
ゲーム音楽も歌謡曲ももちろん好きだが、何かが知らないうちに変わっていた。
特に吹奏楽は吹奏楽コンクールでの課題曲とゲーム音楽等で1年間の演奏会を回している印象が強い。
若手への教育教養や文化を育てる方法が、少しずつ変化している。
私はそういった演奏会が決して嫌いではない。
しかし、鬼滅の刃やその他の歌謡曲を演奏するために芸術大学や音楽学校は存在するのだろうか?
クラシック音楽だけで生計を立てるのは難しいのは十分に理解しているが、クラシック音楽を普及させない政治が悪いのだろうか?
アニメソングを吹いてすごい、と言われるには将来西洋楽器は必要ないのでは?と思うととても不安である。
先週、とあるプロ吹奏楽団のプレイヤーとお話する機会があった際に
その方の楽器のクラシック音楽がとても好きなので、あれこれ会話が盛り上がると思ったら
この話題に興味ある諸君!いやぁ〜燃えてるね赤松健先生!
漫画家としてはバトルしたい美少女漫画家、コンピュータマニアとしてはレトロPCやハンドヘルドPC好きなのは界隈では有名だよね!
比較的早期に漫画制作環境をデジタル化、デジタル化以前では印刷複合機を用いて自身の絵を縮小化し漫画原稿へ貼り付けるというレイヤー的運用をアナログでやって漫画原稿が分厚くなることへ定評があった。
コンピュータマニアとしては最近はApple系レトロコンピュータで注目を集めてたがハンドヘルドPCの蒐集家でもあったはずだけど、もしかして老眼がきつくなってきてハンドヘルドPC蒐集は抑え気味になってるのかな?GPD WIN 3とか赤松先生は好きだと思うんだけどハンドヘルドPCの方の近況報告頼むぜ赤松先生!
まぁもうこの時点で筆者の〝濃さ〟は伝わったと思う。
そんな筆者が赤松健を擁護しようっていうんだ、赤松健アンチよ・・・何処まで赤松健を語れるか討論《バトル》しようぜ。
そもそもさぁ赤松健が美少女絡めて敵を撃ち倒すっていう筋書きは珍しいもんじゃ無いよな?
それこそ「A・Iが止まらない!」からそうで、むしろ典型的に終始ラブコメをやりきった例の方が少ないってのは赤松健の作風を知っているならヤマーダクエストはむしろ赤松健らしい作風と思うはずだ。
逆に必殺技のルビ芸はバトル漫画としての典型例、そこにあるのはカッコイイか面白いかだけ。完全にノリだ。
表現が古いだの何だの言うが、お前らが好む「新しい表現」を描いたら「それは赤松健」なのか?赤松健を含めた多くの表現者が自由に描く、それが「表現の自由」ってもんじゃないのかい?
〝「表現の自由」の闘い方〟で細かいこと無視して赤松健は自由に描いた、テーマに沿ってるじゃねぇか。な?
赤松健が自由に描いたことがテーマに沿って無いって言うのであれば、お前の赤松健を語ってくれよ。
コッチの界隈へ所属しているのであればアニメの製作委員会方式は知ってるよな?
製作委員会方式では事前に予算が決まっていてアニメーターの報酬は事前に決まった予算内でしか支払われず、完成後にどれだけアニメ作品がヒットしようとも何らインセンティブが発生しないことはコッチの界隈で周知の事実だったはずだぜ?
大衆へウケにくい作品や製作者へ税金から大予算を投入して作らせたほうが良いって言うのかい?
赤松健先生も言ってたが「長年のオタクとしての知見」からそりゃ悪手だろwww
お前らNetfrixの「バブル」観た?
お上よりも自由で柔軟なはずの民間企業でさえあんな感じだぞ?お堅い官僚に「次に来る○○大賞」やらせるつもりかよw
それよりも俺たちが身銭切って「票を入れた」作品へ税金投入してくれたほうが俺たちも制作陣も嬉しいに決まってんじゃん。
なんかさ、この「ヒット作へ税金投入したら勝ち確じゃね?論」へ「ハズレ馬券を買わずに当たり馬券だけを買えば確実に儲かるのではないだろうか?」と揶揄してるヤツ居るけど、そりゃ揶揄の仕方が違うだろ。
前者は1位取ったウマ娘へ投資しよう、後者は1位取るかも知れないウマ娘へ投資しようだ。オリンピックで金メダル取った選手に報奨金支払おうって話だぞ?何が問題なんだ?
問題が起きるとしたら「報奨金少なすぎんぞ!ケチケチせずにもっとクリエイターに報奨金出せや( ゚д゚)ゴラァ!」ってくらいなもんだ。
むしろウケるかどうかわからん作品へ税金投入することが「ハズレ馬券を買わずに当たり馬券だけを買えば確実に儲かるのではないだろうか?」じゃね?
大衆にウケにくい大予算アニメといえば界隈じゃ〝神秘の法〟や〝UFO学園の秘密〟だけど、こういう特定の団体が持つある種の道徳観を刷り込むためのアニメへ事前に税金投入しようって言うのかな?
少なくとも事前に選定するって話になるなら国として許せる道徳観のある作品に絞られると思うぞ。あとみんなが嫌ってる利益誘導手法である「お友達」が出てくるんじゃないかな?
そういう意味では「実社会で売れたモノへ投資する」ってのは特定の団体の意思が介在しにくいという側面はかなり多くあると思うぞ。
今売れてないクリエイターへ投資すべきだって話ならば、そういうのは美大とか専門学校へ予算付けるって話だろ。
それとも何だ?どこぞの経歴もよくわからん自称クリエイターへ税金投入しろって話なの?
「表現の自由戦士が気に食わないなら赤松健対抗候補を擁立しろしか言わなくなった」とか揶揄ってるヤツも居るが、上記へ反論してから揶揄しろ。
何も反論できずに都合の悪いことはスルーして勝手に勝利宣言してんじゃねぇよ。
お前らの非常に興味深い赤松健論とサブカル投資論を俺は目をキラキラさせながら待ってるぜ!俺にとって何も損は無いからな!
いやぁ楽しいね!こういう議題って!www
4630万円誤給付 男性の代理人弁護士「現実的に返還は難しい」 | NHK
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220516/k10013629301000.html
この件もひどいけど、公職選挙法違反で当選したのに歳費を返還しない河井夫妻とどっちが悪質かっていったら圧倒的に後者だとおもうなあ。
????
なんで突然に河合夫妻?
今回の件となんの関係があるの?
記事本文のどこにも「河合夫妻」の話題なんて出てないし、ブコメ欄で河合夫妻について喧々諤々の論争になってるわけでもない。突然このブコメがついて、160もダントツのスターを集めてる。
さらにいえば歳費の受け取りは議員としての地位で働き正当に受け取ったもの、今回のは何ら契約に基づかず相手の誤った行為によって偶然に得た不当利得、事象自体も全く違う性質の話。
なにこれ?
映画監督の性的加害報道のブコメ欄で、「でも選手団会長だった橋本聖子が男性選手に強引にキスしたのどっちが悪質かっていったら圧倒的に後者だとおもうなあ。」なんてブコメがついたら、みな「そうだ、その通り!」とスターつけるん?
列車内での痴漢が多発してるって報道のブコメ欄で「でも強姦事件とどっちが悪質かっていったら圧倒的に後者だとおもうなあ。」てブコメついたらスターつけるん?
「は?なにいってんのこいつ?今の話とそれ何も関係ないじゃん。頭おかしいんか?」て白眼視してスルーして終わりでしょ。
河合夫妻~にスターつけた人たち、それと全く同レベルのブコメなの自覚してる?
世の中には努力ができない人というのがいる。
億万長者を夢見て何をしているのかといえば毎週競馬場にいるみたいな人だ。
宝くじは間違いなく買っているがそれだけで億万長者になろうとしている人だ。
そもそも億万長者なんていうのはそうそうなれるものじゃないという考えがなぜかなく、なぜか自分はいつか宝くじに当たって億万長者になれば幸せになれると思っていたりするからたちが悪い。お金がいつかどこからともなくどさっと降ってくるという感じだろうか。
億万長者になるというのはかなえばいいですね程度に横においておいて、日々仕事をしたり資格を取ったり勉強したり投資したりコツコツと長期計画で動いている人たちもいる。努力ができない人というのは、なぜかこのコツコツやる人たちが馬鹿に見えて仕方がないようだ。
コツコツやっている人たちが総資産1千万超えました!やったー!とか喜んでいる裏で残高10円の通帳を眺めて安酒かっくらいながら「あーやだやだあんなセコセコやるやつになんかなりたくないわwwwww金以上に価値があるものをあいつらわかってねーわwwwww」とか言っていたりする。なぜか勝手に勝った気分に浸っているのも彼らの特徴だ。
わたしとしては億万長者なんて言う身の丈に合わない夢はわきにおいておいて、勉強したり資格とったりして少しでも実入りのいい仕事に就いたほうがいいのではないだろうかと思うのだが、彼らは「いやいや何言ってんの、宝くじあたりゃ一生分の金手に入るのよ?その程度も手に入らない努力に何の価値があるわけ?」などと言ったりする。
だが彼等もまた人間であり、宝くじなど当たらないことは薄々気づいている。気づいているがこういうことを言うのだ。その理由というのが私には何ともわからなかった。
彼らはいつか宝くじに当たると思って生きているのではなく、努力してこなかった自分を肯定するためにこうなっているのだ、と。
努力してこなかったことが余りにもコンプレックスなので努力している人のまぶしさに耐えられない、といってもいいだろう。
そして彼らが大好きなのは一発逆転の瞬間だ。
どうしようもなかった不良がチャンピオンになる
こういう話が好きで好きでしょうがない、、、のではなく、そういう話の一発逆転の瞬間以外はどうでもいいと思っている可能性が高い。
イチローが安打を量産するのは大好きだけど日々真摯に野球と向かい合って鍛錬しているところには全く興味がない。
ビルゲイツがWindowsで大儲けした話は大好きだがそこに至るまでの彼の壮絶な努力には興味がない。
偏差値40代の子どもが難関校に合格した話は大好きだがそこに至るまでの泥臭い地道な受験勉強には興味がない。
だが、後者がなければ前者はないのだがどうしてもこの積み上げるというところが目に入らないか、不快なノイズとしか感じていないようだ。
そうやってどんどんドツボにはまって貧乏になりながら努力して中流の日常を謳歌している人たちに勝ち誇れる彼らは一体何なのだろうか、逆裸の王様とでも言えばいいだろうか。
アンチフェミは大体この前のMTF水泳騒動でトランスジェンダー馬鹿にしまくってたから
ただフェミ叩けるからMTF使ってるだけでMTFを認める気は無い。むしろ殆どのアンチフェミが積極的にトランスジェンダーを弾圧してこうってスタンス
彼らの頭に中にある人間ってのは「異性愛者の伝統的な性概念を尊重する生まれつきの男女」だけでそれ以外は人間のような形をした「何か」て認識
まずあの文章を読んで「限ってる」と思ってしまっている事自体がよくない思い込みだよ。
文脈で見れば当たり前だと主張してもあの書き方だとそう思うのはそう思ってる人だけだからね?
そう解釈してもanond:20220515063021の
おそらく彼らはそうでなく「上記の障害を抱えている人々とAV出演契約を結んではいけない」と書きたいのだろうけれど、それでも変だ。
そもそも「取り返しの付かない契約」というのは法的にどう定義されているの?
今は成年被後見人でない人から契約能力に一定の制限を付けるという仕組み自体が無いから、まずはその仕組みから作ろうねという話なんだってば。
あと
別に女優だけじゃなくて男優も含まれてるんやぞ。しみけんはAV男優であるせいではあちゅうの家族に結婚を反対され、はあちゅうの妹は彼氏から「AV男優が親戚になるのは無理」として結婚の話が白紙になった
https://anond.hatelabo.jp/20220514105830
b:id:white_rose はいはい成年後見人制度は差別なのね。ほんとアンチフェミ界隈は揚げ足とることだけに終始してるよね世の中単純でよろしいですね。揚げ足の自覚がないならなお悪い。
俺も最初は成年被後見人レベルの重い障害を持っている人に対してAVスカウトをするなという話かと思ってたんだけど、
本文を読むとそういう風には読み取れないでしょ、これ。
「発達障害、ASD、ADHD、LD、境界知能、知的障害、逆境体験、DV、性暴力被害者」と契約してはいけないって書いてあるんだよ。
成年被後見人を前提にしているなら「成年被後見人とAV出演契約を結んではいけない」と書くべきだけど本文にそんな事は一切書いてない。
障害の程度などについても一切書いていないから上記の診断を受けている、もしくはそれで手帳を取得している人間はそもそも単独で契約行為を行うべきで無いとも読めてしまう。
おそらく彼らはそうでなく「上記の障害を抱えている人々とAV出演契約を結んではいけない」と書きたいのだろうけれど、それでも変だ。
AV出演契約も携帯電話の利用契約も、法律上では同じ契約の範疇だ。
前者は駄目だけど後者はOKなんて、そんな都合のいい話ってある?
繰り返すけど成年被後見人を前提にしているならこの話はそれで良いと思う。
だけどもしそうならそうだときちんと書くべき。あまりにも文章が雑すぎる。
そうでないとしたら…つまり、上記の障害を抱えている人々の契約行為に対して一定の制限を加えたいというのであれば話は変わってくる。
障害の程度問題を考えれば実際のAV出演契約を結ぶ人は成年被後見人でない人たちの方が圧倒的に多いと思うし、
本文はそういう人たちに対しても契約行為に一定の制限を加えたいように読めてしまう。
それはやっぱり変だよ。
それをやりたいのならせめて今回のAV対策法のようにAV出演契約の定義を法律なりで作って、それを当該障害者に対して禁止させるようにするしか無い。