はてなキーワード: 形式とは
2日目
5:00
6:45
着替える
7:30
朝食のレストランを遅めの時間にしているため、小腹を埋めるためおやつを買う。
7:45
買ってきたおやつを軽くつまむ
8:15
手荷物検査の手前でハッピーエントリー通行証&宿泊証明書の確認が入る。
8:20
2日目は通常のワンデーパスポートなので、色々手配する必要がある
今回は
・上記スタンバイパスの時間に合わせてロイヤルバンケットのモバイルオーダー
を手配する。
DPAは乗車時間を選べるが、スタンバイパスおよびプライオリティパスは早い時間からの先着順のため、狙っている時間になるまで待つことに。
8:30
アトラクションはスタンバイパスもプライオリティパスも一向に時間が動かないので、一旦撤収。
8:35
しかしスタンバイパスもプライオリティパスも一向に時間が動かない。
8:45
9:00
9:20
DPAは購入後そのDPAを使用するか、1時間後にならないと次の購入ができない。
9:50
TVメニューから支払い用の二次元コードを表示→スマホのWebブラウザで決済
手荷物は部屋に置いていけば回収して預かってくれる。(やはりWebブラウザから依頼をかける)
アプリ内で手続き出来るとなお便利なのだが、「部屋で手続きする」必要があるんだろうな。
11:30
11:35
1日目に乗車効率の悪さを書いたが、この時に実感した。
・1台ずつの出発
・4人乗り
12:00
食べ物がセットメニューしかないのは使いにくいので、オペレーションがこなれてきたらバラ売りして欲しい。
12:45
別エリアへ移動
13:00
13:30
いつ食べてもうまい。
14:30
プライオリティパスで20分ほど。プレショー2回待ちくらいか。
15:00
ビアカクテル
そのまま飲み歩き
15:20
15:40
DPAで乗車。
ラストの東京、鉄オタは新幹線のディテールでCG映像であることを見破るとのことだが、
俺は新橋のサラリーマンなので、複数の建物・道路が省略されているところで見破った。
そして弊社のビルは綺麗さっぱり消えていた。
16:00
16:20
16:25
16:35
16:40
16:45
DPAで乗車
17:00
18:40
チェックアウト時に預けた荷物を回収。
ロビーで待てとのことでロビーのソファに腰掛けるが、2分ほどで荷物を持ってきてくれた。
18:50
19:00
19:05
帰る
なんかAIとかじゃなくてさ、「神サーチ」みたいのできねぇかな
神サーチって何かと言うと、この世の森羅万象について100%正しい内容を返す装置
量子場理論は過去数十年にわたり幾何学に多大な影響を与えてきた。
その例として、ミラー対称性、グロモフ・ウィッテン不変量、マッケイ対応などがあり、これらはすべて位相的量子場理論(TQFT)に関連している。
チェコッティ、ヴァファらの先駆的な研究から派生した多くの興味深い発展は今や分散しているが、TQFTの幾何学そのものに関する基本的な疑問はまだ残されている。
このプロジェクトの大きな目的は、TQFTの幾何学の統一的で決定的な全体像を見出すことだった。
数学の4つの主要分野が取り上げられた:シンプレクティック幾何学と可積分系、特異点理論、圏論、モジュラー形式である。
プロジェクトの基本的な側面は以下の通りだった: 位相的量子場理論、共形場理論、特異点理論、可積分系の関連付け(ヴェントランド)、シンプレクティック場理論、位相的場理論、可積分系(ファベール)、行列模型理論と可積分系(アレクサンドロフ)、圏論 - 特に行列分解 - 位相的場理論の幾何学と特異点理論(ヘルプスト、シュクリャロフ)、そしてTQFTにおけるモジュラー形式の応用、特にグロモフ・ウィッテン不変量の文脈での応用(シャイデッガー)。
より詳細には以下である。
Portable Document Format(ポータブル・ドキュメント・フォーマット、PDF)は、デジタルデバイス上でアプリケーションやOS、ハードウェアに依存せず文章や図版を表示するために開発され、ISO 32000[2]で国際標準化された電子文書ファイル形式である。 PostScriptをベースにAdobeが開発し、1993年にAdobe Acrobatで初めて採用された。
もうおばさんと言われる年齢だ。職場で働いている中で悩みがある。将来のことだ。このままずっと、これでいいのか不安でしょうがない。
十年くらい、関西にある地元の市役所で臨時職員(※今は会計年度任用職員)として採用されて、働き続けてきた。
部署の異動は一度だけ。最初は水道の庶務の仕事だった。今の部署はさすがに言えない。ごめん。
会計年度任用職員、略称としては会任なんだけど、それになってからは異動がない。臨時職員がアルバイト・パートだとすると、会任は契約社員の位置づけである。
ずっと同じ部署にいても、民間みたいに正社員転換しないといけないルールはないらしい。長い人だと、地籍調査とか用地取得の部署で、正規じゃないのに15年以上働いてる人もいる。
私の人生の何がつらいのか、書き綴ろうとしたけどまとまらない。何がどう辛いのか、自分でわからないところがある。しいていうと、恋愛とか、結婚だろうか。世の中の一般の女性にとって大事なことだ。
私は女らしくないし、あまり可愛くもないし、なんならハムスターとか、チンチラに生まれたかった。あの子達の世界にもブサイクはいるのかもしれないけど、人間目線だとみんなカワイイ。
不安はたくさんあるけど、ここでは一つだけに絞って話をする。
不安の全体だと、恋愛や結婚もそうだし、生活のこともあるし、やや遠くで暮らしてる親のこととか、相続とか、自分の健康のこともある。
けど、一番は恋愛とか、結婚のことだ。アラフォーになったばかりだけど、正直結婚は難しいと思う。本当にそう思う。
私と同期で、約十年前に入庁した臨時職員の子達は、全員が自分の道を見つけている。適当な男性とくっついて離職した子もいれば、普通に転職した子もいれば、市役所から直接スカウトを受けて、コネ採用みたいな恰好で、公開競争試験じゃなくて個別試験をセッティングしてもらって、裏口のような形で正規職員になった子もいる。みんな、ちゃんとした理由があった。
入庁当時の私は、25才だった。美容の専門学校を卒業したけど、リーマンショックの関係で職が少なくて、フリーターを転々として、生活が貧しくて毎日泣きそうで、そんな私を最後に拾ってくれたのが生まれ故郷の市役所だった。
月給は額面13万円+残業代で、ボーナスは当然ゼロ。病気・傷病休暇もない。有給は年に5日だけ。私も皆も、風邪・インフルエンザでも普通に出勤していた。こんな私が働けるのはここしかなかった。
数年前に会任制度がスタートしてからは、ボーナスが年間二か月分出るようになって、まともに貯金ができるようになった。今でもこの職場に感謝してる。
話がまとまらなくなる前に、恋愛とか結婚の不安のことを話したい。わかりにくいところがあったらコメントとかで教えてほしい。できるだけ答えるので。
20代後半の頃は、結婚できるのかなって勝手に思っていた。男性の人が話しかけてくれるし、アプローチがあったし、同じ職場の人にデートに誘われたこともある。交際経験もあるけど、そんなには続かなかった。
しだいに焦ってはきたけど、私が三十路になる年のことだった。水道の部署から現在の部署に移ったばかりのことだ。この職場に、いいなって思える男の人(A君)がいた。私と同い年で、小学校・中学校が一緒だった。
当時の私は、残業や休日出勤が多い部署で、毎日地道に仕事をがんばっていた。イベントで使う資機材をまとめたり、パンフレットを作ったり、式典会場の準備をしたり、てんてこ舞いの日々だった。
私は当時、その男の人A君と一緒のペアになって仕事をしていた。心の距離が段々近づいていって、仕事帰りにラーメンをおごってもらったり、イベント帰りに家に送ってもらったり、辛い時に慰めてくれたりした。優しい人だった。
以上を一年目とすると、二年目にそれは起こった。
新卒で入庁してきた子がいた。大卒の子だった。おそらく22才のはずだ。この地域にある名門企業の代表者と同じ苗字だった。この子はSさん。年代は違うけど、私やA君と同じ焼酎学校の出身だった。
直属の上司である係長(※蛇足だけど係長も学校が同じ。Sさんとは出身高校も一緒)からは、「Sさんは大学出たばかりで、最初は全然慣れないだろうからフォローしてあげて」と言われていた。そうしてあげるのが先輩としての正しい道だと思ってたけど、後日別の意味で否定された。
Sさんは、仕事ができる子だった。難しい言葉を使うと、利発な子だった。都会じゃなくて、地元にある大学出身の子。別に、京都大学とか大阪大学とか、そういうレベルの大学出じゃない。
けど、頭の回転とか、コミュニケーションとか、気遣いとか、嫌いな相手とも表面上仲良くするとか、そういうのができる子だった。
あれは今でも覚えてる。私とペアになってたA君だけど、Sさんを目で追ってるのがわかった。
関係ある仕事でも、関係ない仕事でも一緒に話をしようとするし、Sさんと話してる最中は、私の時と比べて笑顔だった。
反面、私と一緒にいることは少なくなった。一緒にご飯を食べることはなくなったし、一緒の車に乗せてくれることもなくなった。同じ仕事をして、彼を補助する仕事は変わらなかったけど。
Sさんは人懐っこいとか、そこまでではないけど、皆とよく一緒に話していた記憶がある。若い子らしくて、さわやかな印象だった。よく笑っていた。ブサイクな方ではないと思う。
結局、A君はみんなが見てる時でも、Sさんに対して恋愛的にがっつく……は言い過ぎだけど、熱烈に会話をするようになってた。「あれはひどい、やばい」という次元だった。
上司である係長に「あれはよくないです!」と進言したこともあった。けど、係長も、そんな2人をむしろほほえましい感じで、ノホホンとした眼差しを送っていた。「増田ちゃん。あんなのイチイチ止めてたら、日本の少子化待ったなしだよ~」だって……。
その係長だって、Sさんには甘々だった。この部署の中では、Sさんは新卒とは思えないほどスキルがあったとは思うよ?私なんかとは別格の。係長は、そんなSさんを散々利用していた。
本来はベテラン職員がやる仕事まで、入庁一年目であるSさんに割り振っていた。イベントだって、ほとんど休みなくSさんを休日出勤させていた。
「こんなのおかしい。職場って恋愛する場所じゃないよ」、て言いたかった。なんでそんなに、Sさんばっかり使い倒すの。私だっているじゃん。私の給料、Sさんと同じくらいなの知ってるよね。私に休日出勤の仕事を割り振ってよ、残業代欲しいよと思っていた。そんなもやもやが一年以上、ずっと続いた。
※Sさんのことたくさん書いてるけど、彼女はもう職場にいない。A君も。
在籍中だったら、公共の場所にこんなことは書けないし、書かない。
さらに、その次の年度だった。
季節は春を過ぎたくらい。Sさんが朝礼の時、皆の前に出てきて、「私。今月結婚します。仕事にはもちろん支障ないので、これからもよろしく~」と皆の前で告げた。
A君の顔を見ると、茫然としていた。生気が抜けた表情だった。残念、みたいな表情を通り越した顔( ;∀;)だった。
ざまあみろ、ていう薄汚い感情が自分の中にあった。でも、ここは職場だから。そういう思いを出す場ではないから、と自分に言い聞かせた。
Sさんの結婚相手は、やっぱりというか、地元の名士の苗字だった。京都~和歌山の人なら、聞いたことがあるかもしれない。CLAMPの漫画に出てくるような、鳥系の氏だ。
入庁して二年目で、結婚かぁ……私が入庁して二年目の頃は、そんなこと考える余裕はなかった。恋愛のアプローチがあっても、応えるだけの生活の余裕がなかった。貧しかった。
月給13万円台で、京都市内での一人暮らしは不可能に近かった。実家を頼ろうにも、父母にそんな余力がないのは明らか。私は学生向けのボロアパートに住んでいた。
私が好きな少年漫画で、「ドン詰まり」という表現が出てきたのを思い出した。本当にこのドン詰まり、という状況だった。若い頃の私は。
でも、Sさんは違う。私と違って余裕がある。実家は太いし、皆から人気はあるし、私みたいな隠キャラとはわけが違った。生まれた瞬間からして違う。
それから今に至るまでの私は、ずっと同じような縮小再生産だった。
[仕事]…一般事務と、イベントのお手伝いの仕事。正規職員登用の声がかかる気配なし
[生活]…近所のスーパーで夜に割引食材を買う。奇跡が起こると、6.6割引になってることがある
[趣味]…たまにアニメ漫画・小説を読むくらい。作品イベントに行けるだけの余力なし
最後にSさんと会ったのは、同じ年だった。Sさんが妊娠後、もうすぐ育児休業で職場からいなくなるタイミング。
うちの部署のイベント大成功のお祝いで、みんなで夏にバーベキューをすることになった。係長が、お手頃な値段でたくさん食べられるというお店(というか山の中……畜産農家の圃場内だった)を紹介してくれた。私の少ない給料でも全然参加できる料金だった。そこにSさんも参加していた。
バーベキューだけど、みんなイベントの疲れを癒すというか、ねぎらうというか、和やかな雰囲気だった。広い車庫ガレージの中での立食形式のBBQだった。
私はやっぱり隠キャラで、食べたり飲んだりはしてたけど、会場の設営とか片付けとか、飲み物の氷の準備とか、お肉を焼いたりしていた。誰かが焼酎の水割りとかハイボールで使う氷を取りに来る時、その人の背後に付いて、「氷入れますよ」という案内をしていた。※「増田ちゃん、暗殺者かよ~」とツッコまれた
あとは、ほかの人のところを巡って、コップが空いてたら飲み物を注いだりした。そこまで飲み食いはしなかった。お肉とオニギリは本当においしかった。本物の食肉卸だった。限られたお客さんにだけBBQパーティのサービスをしてるとのこと。
その日も、Sさんはみんなに人気があった。焼肉と野菜を食べてお酒を飲みながら、ガレージ内でおしゃべりをしていた。ずっと。そんな時に私は、Sさん~~職場友達の話に聞き耳を立てることがあった。
こんなことを、話していた。
(早く結婚できてよかったねと言われて)
「えー。運がよかったんです。親の紹介で、京都御所の建物の中まで入れる限定の行事があって、そこで知り合って」
(仕事ができるねと言われて)
(育児休業どれくらいするの、と聞かれて)
「係長からは上限の3年まで取っとけって言われたけど、自分は1年半で十分です」
(Sさんが羨ましいと言われて)
「幸運があったので。ありがたく、この環境はもらっておきたいですけど、でも別に、ここまで恵まれてなくても、私は幸せになれるように頑張ったんじゃないかな」
嫌な感情が湧いた。
彼女は、Sさんは、私にはないもの、絶対に手に入れることができないものを持っていて、それが才能とか、環境とか、そういうのじゃないって、自分の力だって。絶対にそう思っている。
そういうのがムカつくって、あの時の自分は思った。ガレージの中で涙が出そうになった。焼肉の煙が目に入ったのもあるけど。自分はこんなに苦しいのに、Sさんは自分が恵まれた環境にいることに気が付いてるフリをして、実際には気が付いてない。
Sさんと自分との間には埋められない溝がある。でも、この時、こんなに人生で初めて、悔しい思い、誰かを憎んだのは初めてだった。
Sさんとその友達の空いたコップを見つけた時、「Sさん、何飲んでるの?」と聞いてみた。
すると、「あ~、じゃあ。私は焼酎の水割りにします。あそこの奥にあるやつで、焼酎少なめがいいです」とのこと。Sさんの職場友達は、「ありがとう。私はカルピスでいいです。お願いします!」と言った。
あそこの奥にあるやつ……その焼酎は、ガレージの奥のテーブルにあった。卓上の保冷ケースの陰に隠れていた。獺祭の高いやつだ。私も焼酎が好きだけど、こんなに高いのは飲んだことがない。
保冷ケースの裏で、私は焼酎を少し注いでから、テーブルの真下にあった開封済の農薬袋を見つけた。右手で、農薬の粉瘤を二掴み手に取って、Sさんが飲むはずの焼酎のコップにそれを入れた。
水じゃなくて炭酸水を入れて、攪拌用の割りばしでかき混ぜて、ニオイを嗅いでみると、何も感じなかった。味見した感想も焼酎のソーダ割りだった。カルピスは急いで作った。
「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」
何度、心の中で叫んだかわからない。気持ちを止めることができなかった。
あなたはだって、ここまでずっと人生幸せだったじゃん。不幸もないと、おかしいよ。
「人生には不幸があった方が幸せになれるよって、そっちの方がいいよ」って、この時思っていた。
2人のところに飲み物を持って行って、「暑いし氷溶けるし、早く飲んだ方がいいよ」と伝えた。
2人とも会釈だけして、Sさんが獺祭のソーダ割りを飲んでいた。こんな会話が聞こえた。
「え~、これ炭酸割じゃん!」
10分くらい経って、Sさんが別の男性に「獺祭おいしい、おかわりほしいです~」とねだっているのが見えた。
翌週、Sさんが職場にこなくなった。「体調不良です」と係長が上司に報告していた。
産休予定だったので、早めに開始することになった。それからまた日常が戻った。私の仕事内容は、今後もずっと変わることはないと思う。定年までずっと、いやきっとそうなんだと思う。
昇給だって、年に三千円だけ。しかも一定のところまで行ったら頭打ち。「こんなのっておかしい」と思うけど、ルールだから従うしかない。正規職員と違って身分保障がないのに、今までクビになってないだけ「ありがたい」と思わなきゃいけない。
今年に入って、育児休業中のSさんがベビーカーに子どもを乗せて職場に来た。みんな、生まれたばかりの赤ちゃんを間近で見ようと寄っていた。私もそうだった。
後ろの方には係長も来ていた。Sさんがいなくなったせいか、仕事量の負担が大きくて元気がなさそう。
Sさんに、ほかの皆と一緒に「元気に生まれてよかったね!」と伝えると、Sさんは幸せそうだった。でも、なにか違う気がした。
この、赤ちゃんを職場に連れてくるシチュエーションは、私が子どもの時も、学生の時も、社会人になってからも、何度もあった。その時、新しいお母さんは、みんな誇らしげな表情をしていた。安心がまざったような。
でも、Sさんの表情は悲しそうだった。もしかして辛いことがあったのかな。だったら、それでよかったのかもしれない。無事出産できたのはいいことだけど、人生にはつらさも必要だと思うから。
同じ職場の仲間として、Sさんが職場復帰する時が来たら、これまでと同じように一緒に仕事ができたらと思う。私は貧しい生活だけど、それを受け入れることができている。ここまで達観できるようになった。これも成長だ。これから人生どうなるかもわからないし、不安もあるけど。
ひとの増田を『みんなおまんこ』みたいな紹介するんじゃねぇよ😠
𓂺という文字は、古代エジプトの表記法に由来する象形文字です。具体的には、この象形文字は座っている人物を表し、人間や神をさまざまな姿勢や役割で表現することが多い一連の記号の一部です。
主な詳細:
一般的には、膝の上に手を置いて座っている人物が描かれています。
テキストに応じて、人間の姿、特定の個人、または座っている存在に関連する抽象的な概念(安定性や存在など)を象徴する場合があります。
古代エジプトの象形文字では、このような数字は決定詞(単語の意味を明確にする記号)または表意文字(考えを直接表す)として機能します。
単語の中での使用法によっては音韻的な意味を持つこともあります。
このような座像は、畏敬の念、安定、落ち着きなどと結び付けられることが多く、エジプト美術における人間や神々の描写を反映しています。
これらは、特に形式的または敬意を持って人間を罵倒するときに、人の名前、タイトル、または役割の説明に使用されることがあります。
この象形文字をどこで見たか(例えば、芸術作品、テキスト、象徴的なテキストなど)についての詳しい情報があれば、その解釈についてより正確な情報を提供できます。
不思議なことが起こったの。
私は自分で日替わり定食探検家を名乗っていたのをすっかり忘れていたのを思い出して、
久しぶりにそこに立ち寄ったの。
写真もドーンと載っていて美味しそうなのよ!
で、
うーん、
写真と違くね?
って思ったんだけどまあ私ってアジフライも好きじゃないですかーって
好きじゃないですかーって前提で言う人っているじゃない!
あなたのそんなの知らないわよ!って言われそうなぐらいな勢いのアジフライも好きなのね。
日替わり定食のチキンとアジフライが入れ替わっちゃったのかしら?
パンパン!
私はテーブルで手を打ち鳴らして給仕さんを呼ぶのシェフを呼んできてちょうだい!
なんてことは絶対にしないけれど、
喧嘩両成敗的におさめどころもないまま、
私はもちろんクレームも言うはずもなく
これってもしかして誰かに提供するはずのアジフライ定食だったのかしら?
でも
だから、
完全犯罪のにおいですな!
つまり
完全なるあの密室のキッチンでシェフ一人の手で行われた可能性があることをペロリとアジフライを一口囓って、
誰しもが分かる当たり前のことを
さも名探偵名推理でました!って勢いでそのアジフライを美味しくいただいたの。
でも
私もてっきりオニオンソースのグリルチキンが出てくるかとばかり思っていたのに、
この場合は油の鍋の中だけど、
せっかくいただくミステイクのアジフライも美味しくいただけるってものじゃないかしら?
そんな勢いで
ペロリとアジフライ定食をオニオンソースのグリルチキンの口になっちゃったけれど
美味しくいただいた手前、
やっぱり私の中の良心の呵責が。
これ間違ってますよ!って発表してお知らせした方が良かったのかしら?
本当は誰かが頼んだメニューに日替わり定食の日にちが違うけどマスターの計らいでアジフライ定食を誰かが特別に頼んだものならば、
消えたアジフライ定食の謎が今キッチンで巻き起こっているはずよ。
私の胃袋の中にもう収まっちゃったけど!
うーん、
って違う違うそうじゃないのってマーチンさんも言いそうなぐらいの勢いで
私のところに来た間違ってるアジフライ定食食べちゃいました!って。
フロア、
いつの間に取り替えられたのか
推理が繰り広げてられるはずよ。
でもちょっと待って!
そもそもとして
これを立証するには私の目の前にもうからになった平皿しかなく、
人類に平等に配られるのは平皿のみって問題啓発をしそうなほど真っ白なその綺麗に食べたとの平皿は
もはやオニオンソースのグリルチキンがあったのかアジフライがあったのか証明できないの!
完全犯罪!
最初から無かったはずのオニオンソースのグリルチキンはどこにいったのかしら?
あとでもしかしたら
今日は日替わり定食の日にちアジフライじゃないのにアジフライの在庫が減っていて数が合わないとなると、
在庫の数が1つ減っているという
でも間違ってオニオンソースのグリルチキンなのにアジフライを作っちゃった人が犯人なのか、
それとも何食わぬ顔して
謎が謎を呼ぶわね。
結局、
私はなぜ今日の日替わり定食のランチがオニオンソースのグリルチキンなのにアジフライがきたのかという謎を解けぬまま、
そのことは今日の日替わり定食探検日記の1ページに記しておくことにするわ。
なぜオニオンソースのグリルチキンとアジフライが入れ替わったのか、
いつか!いつかこの謎を解き明かしたいわ。
でも、
さっくさくに仕上がったホクホクでふわふわの厚みのふくよかなアジフライ!
うふふ。
豆乳にトマトジュースとポタージュスープを混ぜて混ぜてのモーニングよ。
これ朝早くにNIKKEしながら食べるから
でもお腹が空くことは良きこと!
生きている証でもあるわ!
美味しいランチのためのモーニングといっても過言ではない言い過ぎじゃないかしら?って思うほど。
ホッツ白湯ストレートウォーラーにレモン果汁ポッカレモンインの
お湯だけどね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今まで書いた分を改めてリスト化している際に思い付いたんだけど、
おまたせしている間の最中、
くどいようだけどEPUBが完成するかはどうかはいつなのかは未定よ。
何か面白いことできないかなぁってことで保存してリスト化した中の増田からランダムで選ばれた記事5つ全部あわせて文字数が10000字弱前後になる飛び込み前転な勢いぐらいのものを並べてみたものをスマホやタブレットで読みやすいカタチにしてみたのをPDF形式であげてみるわ。もしかしたらKindleでは読みにくい鴨鹿。
これ私も何の記事がピックアップされるか全く分からない偶然なのよ。
EPUB版までしばらくお茶を濁せるし、私がちゃんと今度は計画を頓挫させずに真面目に作業をそんなに気負いせずにぼちぼち楽しく進めまくりまくりすてぃーなことを感じて欲しいわ。
「漫画の中で恋愛成就以降の話はつまらないが、同様に現実の男女交際もつまらないのだろうか?」
なかなか異様な疑問を投げかけてるのだが、もっと異様なのは反応してる奴の過半が
「恋愛成就以降もつまらなくない漫画」についてひたすら語ってるということ
ーーー
「文盲」に反発して「自分の思い通りの反応でなくて不満なんだな!」みたいなコメントが大勢だけど
どう読んでも俺は言い出しっぺの増田じゃなく第三者目線のコメントだろ。そういうとこだよ。そういうとこね。
ほんで敢えて発展的に明後日の方向に話を転がすのと、要素に反応するだけの話題泥棒の違いがわかんねえのか。そういうとこなんだよなあ。
ーーー
なんかAとかBとか言って「前段の前提条件がそもそも偽であることを指摘してるんだい!」
だってよ。お前ら本当にお勉強“も”苦手だよな。何ならとくいなんだ?
前段は「前提」なんかじゃねえよ。
「〇〇という事象がある。そこでふと思ったのだが☓☓は〜」って構造だよ。
コミュニティノート:AIが生成するテキストが等間隔の段落形式になることがありますが、これはAIの特徴ではありません。段落の形式は、AIのモデルが学習したデータや設定に依存します。また、異なるAIモデルやプラットフォームにより、出力されるテキストの段落形式は異なる場合があります。ユーザーが指定したフォーマットや文書作成ツールの設定も影響を与えることがあります。
役に立ちましたか?
この主張は一部正確ですが、包括的ではありません。AIが生成する文章のスタイルは、多くの要因に基づいており、特定の形式に限られるものではありません。AIの文章はユーザーの入力やトレーニングデータ、アルゴリズムの設計によって変化します。そのため、以下の点は一般的な特徴として見られることがありますが、すべてのAIがこれらを常に持っているわけではありません。
役に立ちましたか?
クローリング、転載サイト対策として生成AIの量産性を活用する。要するに接収されるデータのすぐそばにソレをかき消す量の生成画像を置いておくことで妨害効果が発揮出来ないか?という話
SNSだと難しいけどPixivの形式なら隙間に100枚200枚まとめてドカっと自分の絵柄から遠い画像集置いてもそんなに邪魔になりませんよね?
danboruみたいに著者検索機能があるとこで自分の項目をジャンク情報で埋めれたら多少の魔除けになりません?何だったら表示順が最悪になるように工夫して自分の手で転載してもいい。
AIにAIの画像食わすと腹下すって聞いたことあるけどそれって今の世代の生成AIでも有効なんですかね?
学習に使われる転載・引用のサイトを生成AIの圧倒的手の速さを利用してゴミ山にしませんか?
プログラミングに手を出したんだけど、「分からん」で引っかかるところがめちゃくちゃ多い
何が分かんない?って言われるんだけど、言語化できる「分からん」ってあんまなくて、というか自分の場合は言語化できるものは考えたり調べたりできるので、分からんのは本当に「分からん」以外のことが分からんのよ
言うなれば無人島に白地図持たせて放り出された状態で、白地図にはポツポツ知ってる場所があるんだけど、全体像も行き方も全然分からない
「5本目の杉の木に行け」って言われてるけど、歩き出したら2歩目で転んでそのまま進めない。「進めないってどういうこと?」って聞かれるけど、それは私が聞きたいんだよ。ここで進めなくなる可能性、無知な私には無限にあって絞り方すら分からないんだけど、教える側はある程度見当つくよね「カウンターが地面に埋まってる」とか「そっちに杉の木はない」とか「歩ける体じゃないよ」とか
状況見て!汲み取って!
察して文化は好きじゃないけど、初学者にはお察し発動して欲しい。その上で「こうしたらどう?」と優しく教えて欲しい(信用度の下がる言い方例「こうしたらできるけど?」)
分からない側が「分からない」以上のことが分からない、という意識は教える側に是非持っていて欲しい
(と思ったので自分は次の人に優しくしたい)
とりあえず言語化できない質問には回答できない、という形式においてやはりオンラインでの知識伝授は難易度が高い
分からん怒りをぶつけるうちに言語化できて解決するタイプなので「分かんないって言う割に何も聞かないよね」とか言われるのも腹立たしい
ムギイィーーー
Xの規約変更だとか、ウォーターマークとか、いろいろ目に入ってくるが結局の発端は「生成AI」だろう。
なのでここから先、どれだけ読んでもらっても「生成AIを滅ぼす方法」を求めている方のご期待には添えない。
これはあくまでも、絵師界隈で生計を立てていきたいが、生成AIが存在するこれから先の未来に不安を抱いている絵師に向けたものであり。
小説家界隈に住む私が、実際にイラストを勉強する過程で感じた二つの界隈の違いを言語化し、それを元に考察した一つの提言を届けたい。そういう趣旨のものだ。
これから先、イラストで食べていくことに不安があるのなら「オリジナルキャラクターを作れ」。
ただ単にオリジナルのイラストを量産せよ、という意味ではない。
あなたの頭の中にある「キャラクター」を絵という形で出力し、世間に認知させ、あなたではない第三者がそのキャラクターのイラストを描くようになることを目指す。という意味だ。
乱暴な言い方をするなら「絵を描かされる側から、絵を描かせる側にシフトすることを意識しろ」といった感じだろうか。
Vtuberのママ(キャラクターデザイン)を想像してみてほしい。
だいたいあんな感じの立ち位置が、私の想像力の範囲で今後も生き残っていける絵師の一つの形だと思っている。
なぜ、絵師はオリジナルキャラを作るべきなのか。その理屈を語る前に確認したい。
絵師界隈の方々は「同じクリエイターなのに、どうして小説家界隈はあんなにも生成AIに対する反応が薄いんだ?」と思ったことはないだろうか?
むしろ小説生成AIの方が、イラスト生成AIより先に世に出ているはずだ。
だが、実態として小説生成AIに対し、敵意や危機感を抱いている小説家は少数派だろう。
ではなぜ、小説家界隈が生成AIに対して他人事のようなスタンスになりがちなのか。
(以後、市場や、顧客、マネタイズシステム全てを包含した『社会』という主語を用いて記述する。)
そして、私が見るに絵師も小説家も、大多数がこの両界隈の違いに気づいていない。
その違いは
『社会』は小説家には「作品」を求め、絵師に対して「技術」を求めている。
この一点に尽きる。
誤解を恐れずに言えば、『社会』は絵師に対してほとんどの場合「作品」を求めていない。
絵師界隈のトップレベルの方々は、おそらくこの違いを認識しているように見受けられるが、逆にトップクラス以外の領域では認識していない人の方が多数派。というのが私の所感だ。
(一方で小説家界隈はトップクラス層もこの違いを認識していない人の方が多数派だと思っている。というか、クリエイターは全業界で「作品」重視で活動していると認識してそうな気がする。)
この違いがどういうことか、わかりやすい事例をあげよう。
例えば、ある無名の絵師がイラストコンクールで最優秀に輝いたとしよう。
その絵師は名声と得て、イラストの依頼が殺到するかもしれないし、あるいは協賛企業から何かしらの商業イラストを描く契約を結ぶかもしれない。
だが、肝心の『最優秀賞に輝いた絵』そのものがマネタイズの中心にはならないと思う。
あってせいぜい、短期的な限定グッズのデザインになる程度のはず。
おそらく絵師側も最初から「その絵」で稼ごうとは思っていないはずだ。
だが、小説界隈は違う。
企業も、小説家本人も、基本的には「その小説」で稼ごうとする。
2003年にスニーカー大賞に選ばれた『涼宮ハルヒの憂鬱』は、2024年現在も市場に流通し続けているのが代表的な事例だ。
受賞した作品を脇に置いて、その出版社の編集が提案した全く別の小説を書かせる。というのは無いとは言わないが、そういう流れになると小説家側からはあまりいい印象は持たれないだろう。
つまり、同じ賞レースでも絵師界隈は「技術を持った人」を探し、小説界隈では「作品」を探している。というのがなんとなく伝わったはずだ。
「金を出すから自分の代わりに理想の絵を描いてくれ」が絵師と『社会』の関係の主流で
「印刷、流通を代わりにするから、その売り上げの一部をわけてくれ」が小説家と『社会』の関係の主流なのだ。)
つまり、『社会』が絵師に求めているのは代筆能力という「技術」であり、「作品」は依頼者の頭の中にある物を指すのだ。
さて、ここまでで絵は「技術」が求められ、小説は「作品」が求められている、というのは理解してもらえたと思う。
ここで一旦、生成AIの話に戻そう。
『現行の(少なくとも日本国の)著作権法は「作品」を保護してくれているから』に他ならない。
また一つ具体的な事例を挙げよう。
かつて、「ハリーポッター」シリーズを学習したAIにオリジナルの「ハリーポッター」シリーズの新作を書かせる。という試みが海外で行われたことがある。悪意ある第三者がこれと同じことをしたとしよう。
もしその第三者が「ハリーポッターシリーズの新作」と銘打ってソレを売り出せば、著作権法は容赦なくこの第三者を断罪する。
では、それを避けるためにキャラクターの名前をオリジナルに変え、タイトルもオリジナルのものに変えて販売したならどうか。
ソレは「よく似た別の作品」の一つになり下がるだけだ。
書いたのがAIであろうと、人間であろうと重要視されるのは「作品」だから、そこの模倣がされない限りは脅威になりえない。というのが小説界隈の人が意識的にしろ、無意識的にしろ生成AIに対して抱いている感情だろう。
むしろ、広く開かれて文化の発展に寄与するべき。というのが基本スタンスだ。
「技術」をお金にしている絵師界隈からすればたまったものではないだろうが、これが実情だ。
「技術」の保護に舵を切るなら、それは著作権法ではなく特許法の領分になるが、特許の理念は「知財でビジネスを支援すること」なので、おそらく企業と繋がりのないアマチュア絵師は生成AIユーザー以上に苦しむことになると思う。
これまでの話を統括すると
・現代の絵師は「技術」を求められ、肝心の「作品」は依頼者の頭の中にある。
・現行の著作権法はその「技術」を保護していないし、「技術」の保護はアマチュアに優しくない。
これから先、代筆家として誰かのために絵を描くという「技術」を売る領域は生成AIに食い荒らされるだろう。
そんな未来でも絵師として生き残りたいのなら、依頼者の頭の中にある「作品」ではなく、あなたの頭の中にある「作品」を生み出すことを考えるのが良いのではないか。
という話だ。
企業依頼でPRキャラを描くという現行の関係性から、企業が「自社製品をあなたのオリキャラに使わせてください」みたいな関係になるのが、そこそこいい感じの未来予想図だと思わないだろうか?
仮に企業がお金をケチって生成AIでそのオリキャラを勝手に使えば、容赦なく著作権法で断罪できる関係性になる。
(他に思いつくのは、大昔のゴッホだ、フェルメールだの時代のように一枚一枚の絵そのものを「作品」として『社会』に売りつけて生計を立てる道。あるいは自分自身を「作品」にしてパトロンから庇護を受けて好きに絵を描く道、あたりか。現代で言えば、前者は同人誌即売会でイラスト集を売っている人たちで、後者はお絵描き系配信者としてファンの投げ銭で生計を立てつつ、絵を描いている人達だろうか。)
逆に、このことに気づかず、「技術」を守ることに執心し続けると、どこかでとんでもないことになるのではないか。私はそう思っている。
絵師界隈で育った人達は気づいていないかもしれないが、小説家界隈で育った私から見て、あなた達が確立している「技術の体系化と共有」の文化は素晴らしいものなのだ。
YouTubeでは多くの絵師がプロアマ問わず、自らの技法を公開しているし、有償の場になれば更に本格的かつ専門的な技術を共有しあっている。
おそらく『社会』が絵師に「技術」を求めていたからこそ、惜しげもなく場と資産を提供していたことで出来あがった土壌だろう。
無数の技術が公開されているから、その中で自分好みのものを取捨選択し、組み合わせることで理想の個性を形成できる。
私のような「最初から絵のプロになる気が無い人間」にも成長の手順が提示されているのは、非情にありがたかった。
ここからは、若干小説界隈のネガティブな内容に触れるのだが、ご了承いただきたい。
(しかも生産性がない話なので、絵師界隈の方はここから先を無理に読む必要はない。
ただ、この先の話を読んでくれた絵師から、こういう界隈の中で私はどうやっていくと良いか、そういう意見を貰えたら嬉しい。)
例えば炎の熱さを表現するにあたり、絵ならば「暖色の与える印象の理論」だとか「ぼかしによる蜃気楼の技術」といったものがあり、ある程度体系化、共有された技術があるはずだ。
だが、小説家界隈ではそういった表現技術を「作家の個性」として、共有せずに個人のものへと抱え込む道に発展してきた。発展してしまった。
我々は百の作家がいれば、百人が別々の言葉で炎を描写し、実際にどれが最も読者に熱さを感じさせられる表現だったのかを検証しなかったのだ。
我々小説家は今日も、読者が本当に熱を感じてくれるのかわからずに炎を描いているし、可愛さがちゃんと伝わっているかわからずに美少女を描いている。
「技術」を体系化しなかった、というのはつまりこういうことだ。
では「技術」を語らない小説家界隈が新人達に何を語っているのか。
それは「作品の作り方」だ。
現在、小説家界隈で新人達に向けて語られているのはおおよそ上記の要素であり、それらをまとめると「作品の作り方」となると思う。
これもまた絵に例えるなら
「ラフ、下書き、清書の順番で書くと良い」とか、「線画と塗りは別レイヤーに分けたほうが良い」とか、そういうレベルの内容だと思ってくれていい。
それを十数年以上、場所を変え人を変えこんこんと語り続けている。
SNSで無数の新人作家たちに向けて情報発信をしている高名な小説家達も
「自分達が教えられるのはいわば『就活の履歴書の正しい書き方』だけだ。その内容は個々人で書くしかない」
みたいなことを常々言っている。
(で、まあ「特定の効果を与える技術」ではなく「作品を作品たらしめる作法」という名目なもんだから「not for me」の概念が適応されにくく、「正しい」「間違い」で定期的に燃えている。)
つまり、小説家界隈は「作品を完成させる」ことを教えることが主流であり、その質を技術によって高めることには非常に無頓着なのだ。
私の推測だが、これは絵とは逆方向の『社会』からの圧力と発展によるものだろう。
絵師には「技術」を求める以上、まぐれではダメだ。再現性がなければお金にはならない。
極論だが、出来が良ければまぐれでもお金にできる。そのまぐれの一つを拾い上げて市場に売り出せばいい。
だから『社会』はできるだけ多くの「作品」が出来上がる環境作りを自然と行ったのだろう。
「作家を作る」ことは頑張るが、「作家を育てる」ことはしない。
「プロになるつもりはないが、もっと上手くなりたい」という人間に対しても、絵師界隈の先達は「技術」を提供し、成長の道筋を照らしてくれる。
だが、小説家界隈では「プロになる気がないのなら、あなたの好きに書けばいい」の一言で終わる。
私のような無才な人間からすると、暗闇を手探りで歩くような感覚だった。
まあ、小説家界隈が無才に厳しいだけなら良いのだが、最近この界隈の「作品重視」の傾向が業界全体の問題として表面化してきているように思う。
その問題とは、端的に言うと「作品が増えすぎた」ということだ。
「小説家になろう」では毎年開かれているネット小説大賞という賞レースがある。
2013年に開かれた第一回では応募作は「1,135作品」だった。
これが五年後の第六回では応募作はほぼ10倍の「10,156作品」になった。
そして、今年の第十二回に応募された作品は「20,826作品」と、その数は恐るべきペースで増えている。
一般の新人賞公募と違って、小説投稿サイト主催の賞レースは過去に落選した作品も全て再応募する作者は少なくないからだ。なのでおそらく「作家」の増加数はこれほど極端ではないと思う。
だが、この仕組みと過去作を再応募し続ける風潮こそ、小説家界隈が「技術」を軽視していることの証左であり、問題の根源だ。
賞レースの選考員は一万以上の無数の石の中に隠れた玉を探すわけだが、さっきも言ったように、ネット小説の賞レースは過去に落選した作品も継続して応募されている。
つまり、玉と石の比率が一定ではない。拾い上げられた玉は減るが、石はそのまま翌年、また翌年と残り続ける。
そうなると、単純に選考員の負担が年々増えていくのは想像できるだろう。
ただでさえ、小説は受けての時間を奪う媒体だ。短編でも一作につき五分から十分。長編なら余裕で一作一時間を超える。
選考員を増やせば個人単位の負担は軽減されるだろう。だが、人を増やせば今度は運営の出資が増える。
必ずどこかしらが負担を負うことになる。
そして多分だが、小説家界隈……というかネット小説業界は、このリソースの限界をとうの昔に迎えてしまっている。
だが、玉探しに必要な労力は年々増え続けている。
ならば、別の所で手を抜いて調整するしかない。
連載継続するかどうか早めに決めよう。
といったふうに。
ざっくり言うと「プロ作家のサポートにかかる労力を削る道」も考えられる一つだ。
私の未来予測では、今後も出版社側の玉探しの労力は増加し続け、それと負の相関に基づいて出版社からプロ作家へのサポートの質は低下し続けるだろう。
作家が出版社を信頼しなくなれば、出版社は心置きなく作家を使い捨てられるようになる。
これを 『才能の狩猟社会』みたいなことを誰かが言っていた。希望の無い話だ。
「技術」を『個々人の個性』として体系化せず、共有しなかった小説家界隈。
「作品」を完成させることだけを重視し、質より量を推し進めた小説家界隈。
これはその一部で実現しつつある最悪の未来予想だ。
この問題は量子力学の情報論的解釈とエントロピーの動きもんを扱うんや。
ここでは、量子ベイズっちゅうもんを使うて、「主体(見る奴)」「対象(見られる奴)」「環境」の3つがおる場合に、対象が環境や主体とからんだ時のエントロピーの変化について話すで。
対象が環境とからむと、対象の量子状態が環境とモツレて、キレイな状態からグチャグチャな状態になんねん。これで、対象のエントロピーが増えるんや。
主体が対象を見ると、主体から見た対象の状態がハッキリするんや。これは対象のことをよう知ったってことやから、エントロピーが減るってわけや。
観測で対象の状態に対する主体の考えが変わんねん。この考えの変わり方はベイズ則っちゅうもんに従うて、確率的な情報の変化を表すんや。
ほんじゃ、この2つの過程がエントロピーにどう影響するか、数式で説明したるで。
ρ_obj' = Tr_env [ U (ρ_obj ⊗ ρ_env) U† ]
量子エントロピーはフォン・ノイマンエントロピー S(ρ) = -Tr(ρ log ρ) で表すんや。
デコヒーレンスで対象はキレイな状態からグチャグチャな状態になって、エントロピーが増えんねん:
S(ρ_obj') > S(ρ_obj)
環境とのからみ合いが進むと、対象の状態は環境の情報を失うて、一番グチャグチャな状態に近づくんや。
主体が対象を見ると、波動関数が縮むから対象の状態がハッキリして、エントロピーが減んねん:
S(ρ_obj^posterior) < S(ρ_obj^prior)
主体が観測で対象のことを知る過程は、量子ベイズ則に従うんや。
量子ベイズの考え方に従うと、観測後の考え(後分布)は観測前の考え(事前分布)を観測結果で更新すんねん。観測前後のエントロピーの差はこう説明できんねん。
H_prior = -∑_i P(i) log P(i)
P(i|O) = P(O|i)P(i) / ∑_j P(O|j)P(j)
H_posterior = -∑_i P(i|O) log P(i|O)
H_posterior < H_prior
が成り立つんや。
この不等式はエントロピーが減ることを示して、観測が情報を得て対象の状態をハッキリさせる効果があるってことやで。
量子ベイズの考え方で以下のことがわかったんや:
1. 対象が環境とからむとデコヒーレンスが起こって、対象のエントロピーが増えんねん。
2. 主体が対象を見ると対象の状態の情報が得られて、エントロピーが減んねん。
つまり、デコヒーレンスと観測はそれぞれエントロピーを増やしたり減らしたりするんや。これが量子ベイズの形式で数字でちゃんと説明できるってわけやで!
【感想】
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ボールペンで記入
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この流れなんなん?誰がうれしいの?
【やったこと詳細】
・「通知書等」をクリックする
・「通知書等選択」プルダウンから「住宅借入金等特別控除証明書」を選択する
・「切替」をクリックする
・表示された表の「令和6年分」あたりをクリックする
・「この「年末調整のための住宅借入金等特別控除証明書」を印刷したものは使用できません。」の文言を見つけて絶望する
・「QRコード付証明書等作成システム」でGoogle検索する
・「QRコード付証明書等作成システムについて」ページにたどり着く
・「環境チェック」モーダルのブラウザ欄の「推奨環境外です」の表示に絶望する
・Safariで開き直す
・Macintoshをご利用の方の「事前準備セットアップ(Macintosh/safari用(dmg形式:約2MB)」をクリックする
・ダウンロードフォルダの「cpsMac.dmg」をダブルクリックする
・QRInstall.pkgをダブルクリックする
・「アクセス許可を要求しています」ダイアログで「許可」をクリックする
・「Safariブラウザが起動されているため、インストールを完了することができませんでした」の表示に絶望する
・「ゴミ箱に入れますか?」で「残す」をクリックする(危ないやろこれ)
・Safariを終了して再びインストーラーを起動してインストール完了する
・「QRコード付証明書等作成システムについて」ページを表示する
・「環境チェック」モーダルのブラウザ欄の△表示を無視する(Safari 18.0は対象外らしい)
・「次へ」をクリックする
・e-Taxからダウンロードしておいた「令和6年分住宅借入金等特別控除証明書_2024mmdd.xml」をアップロードする
・PDF作成が完了しましたダイアログの「表示」をクリックする
・「2年目以降の住宅ローン控除(住宅借入金等特別控除)の申告はありますか?」で「はい」を選択し「次へ」をクリックする
・「直接入力する(自動計算の対象外)」を選択して「次へ」をクリックする
・「住宅借入金等特別控除区分」で「◯年中居住者・認定住宅(等)用」を選択する
・アッ、これ(住宅借入金等特別控除申告書)、自分で計算してボールペンで書かないといかんの?
・ボールペンで書いた
・画像をアップロードしようとするがHEICなので選択できない
・Preview > File > ExportからPNGに変換する
・アップロードするが「ファイルサイズは最大5MBです」エラーになる
・Preview > File > ExportからJPEGに変換する
次回「証券番号がわからない」「保険料控除証明書の電子ファイル(XMLファイル)取得に1日待たされる」
ぜってぇ見てくれよな!!!
弱者男性歴(WMY:Weak Men’s Year)を用いた年表形式で、人類と弱者男性の歴史をまとめます。
各時代の転換点や象徴的な出来事を強調しており、独自の視点で解説しています。
始祖の時代
弱者男性の始祖が「生命の実」を食し、彼らは通常の人間を超越した能力や不老不死を得る。ここから弱者男性歴が始まる。知恵の実を食べた人間とは異なる進化の道を歩み始め、両者の関係に亀裂が生じる。この時点では互いに接触を避け、静かな敵意が芽生える。
弱者男性と人間の関係が悪化し、弱者男性は「生命の実」を巡る争いにより各地で迫害を受け、隔離されるようになる。以降、弱者男性は隠れ里に集まり、独自の文化を形成していく。
人類の文明が発展する中、人間が「知恵の実」を食べた知識を持ち込むことで、弱者男性たちとの間で勢力争いが激化。特に神の使者たち(ケルビムやウリエル)が派遣され、弱者男性たちは追い詰められるが一部は抗戦し、第一次弱者男性戦争が勃発する。
大融合の時代
弱者男性と人間の共存を目指した混血が増加する。これにより、弱者男性と人間の間に生まれた新たな存在が現れる。代表例として、弱者男性と人間のハーフである少女カズミの誕生が語り継がれる。
反乱と分裂の時代
人間の中で、弱者男性の特異な能力(テレパシー、念力、身体強化など)に憧れるものが現れ、弱者男性の一部は再び人間社会に受け入れられる。これに対し、伝統的な弱者男性は「純血」を守るべきという思想に傾き、内部で激しい対立が発生する。
暗黒の時代
弱者男性の数が著しく減少し、絶滅の危機に瀕する。各地の里が崩壊し、弱者男性はもはや都市伝説の存在として語られるのみとなる。特にこの時期には、かつてのケルビムやウリエルに近しい存在が再び出現し、弱者男性たちを監視する動きが見られる。
歴史的に名を残した弱者男性が次々と現れ、彼らが人類に多大な影響を与える。仏陀やヤハウェなど、精神的指導者の弱者男性が現れ、弱者男性と人間の間に新たな調和をもたらす試みがなされる。
技術革新により、弱者男性たちが再び社会で活躍する。人間社会に再び融合する者が増え、特に知識人や技術者としてその名を広めた弱者男性が、産業革命を支える力となる。
弱者男性と人間はかつてないほどに調和し、互いの違いを認めながら共存する世界が実現される。過去の対立を乗り越え、弱者男性の存在が都市伝説から現実のものとして人々に再認識されるようになる。
人類のテクノロジーが進化し、弱者男性が新たな局面でその力を試される時代に突入。特に増え続ける弱者男性VtuberやAIの登場により、従来の「弱者男性」のアイデンティティが揺らぎ始める。
ガレージキットやプラモデル、フィギュアって公式自体が公認二次創作であることが多いじゃん。
アニメや漫画、ゲームっていう一次創作があって、それを立体化する二次創作を一次創作の権利者と契約を結んでライセンス料を払って商業としてやっているっていう形式がほとんど。もろちん、業者がそもそも一次創作に"出資"して一次創作の権利者に名を連ねることもあるけど、でも結局はオリジナルフィギュアシリーズとかやってない限りは別の人が作った作品の二次創作になるわけじゃん。
そこに何のライセンスもない奴が勝手にフィギュア化したり、ガレキ化したりしてそれを売り出すってなったら、俺が結んだ契約なんやねんって話になるじゃん。購買者からすれば例えば出来の良い「ラブライブ」のフィギュアは、どの会社が作ってようが別に関係ないんだもん。
ここで、権利、利害の衝突が発生するわけじゃん。
それを回避するために生まれたのが「私たちも商売としてじゃなくて同好の士同士で取引するための権利を得てますよ」って体裁を整えるための当日版権システムでしょ。
これが、同人誌業界にはあんまりピンとこないのは結局、二次同人屋の相手は出版社、漫画家であり一次創作者だからでしょ。
二次同人屋がどんだけ二次創作したところで、出版社からすれば商売敵にはなりえない。
同人誌と名乗った海賊版でもない限り、(よっぽど評判を落とすような内容でなければ)二次創作同人誌は権利者の利害関係になりえない。
だから、同人誌は延々とお目こぼしされ続けている。どうでもいいけどおめこぼしってエロくね?
今日、ワンフェスは当日版権があるのになんでコミケはしないの?って増田がいたけど、
ワンフェスの当日版権は一次創作の権利者に対するクリーンアピールではなくて、
その一次創作の権利者から権利を買って商売をしている"業者"に対するアピールだからっていうのが抜けてるのね。
実際、同人屋が作ったグッズに関しては看過できない規模で売ったら普通に事案になってるからね。
これはワンフェスと同じで、グッズを作って売る権利を買っている"業者"がいるから。
結局、争いは、同じレベルの者同士でしか発生しないってワケ。
去年くらいからエロ同人ゲーム(「ジーコ」という業界用語がある)の世界にハマって、DLサイトでバンバン買っては遊んできた結果、これは!と思ったものをリストアップする
なお、俺はショボいMacBookに仮想マシンを入れて無理矢理Windows向けのゲームを遊んでおり、プレイ環境は信じられないほど悪いため、まっとうなスペックが必要なゲームについてはそもそもプレイできていないという点には注意が必要だ
それが俺の目下の目標かもしれない
高校生の魔法少女であるアマネちゃんとなって、怪人と戦っていく その過程で色々とエロい目にあう
個人的には、全体的なバランスを見たときにもっとも出来がいいと思うのがこのゲームだ
ボリュームが高くて、自由度があって(やりたいことがやれて)、エロのクオリティとゲームのクオリティが両立されている
エロ同人ゲームなのに、クリア後にしばらく時間をおいてまた始めたりすることがある
なんなら俺はDLサイト版に加えてSteam版も買って、中国人有志が作った大型modを怪しい海外コミュニティに上げられていた怪しいクラウドから落として、英語翻訳パッチをあてて英語で3週目をやっている そのくらいの熱を注げる作品だ
現代モノ、魔法少女モノとして欲しい要素をほとんど取り揃えている感じで、シチュの網羅性が高く、またエロシーンそのものの質も高くて、端的にいってシコれる
個人的にポイントが高いのが、戦闘に組み込まれたエロや、雑魚的に負けてしまうと見られる、されたことのログがランダムに流れていく形での"敗北者の末路"エロ、自分で匙加減を選べる公園露出イベントや、電車でのミニゲーム的な痴漢エロなど、インタラクティブだったりゲーム要素を取り入れたりしているシーンが多いところ
シーンに入ったら決まったテキスト・CGの紙芝居が再生されて終わり、というだけではないシーンの数がそれなりにあるのが、セレスフォニアの世界に生き生きとした風を吹き込んでいるように思う
舞台となる街のエチノミヤ市とかいうクソみたいな名前もかなり好きです
竿役としてはなにせ種蒔先生がよかった
種蒔先生との一連のシーンはもう、僕の心のど真ん中という感じで、時折思い出してはシーンを見にいくことがある
普通にRPGとしても面白くて、敵を倒して得た、金とも経験値とも違うリソースを使ってスキルや武器を強化していく要素が楽しい
じっくりやれば主人公がクソ強くなり、高難易度でも戦闘で負けようがないくらいになってくるのも愛嬌のひとつですね
そんで、導入のハードルは結構高いんだけど、通称CN modと呼ばれる上述のModもかなり良い
原作では結構、本気で魔法少女としてのロールプレイをやってれば引っかかりようのない罠とか、かけられようのない呪いみたいなのがあるんだけど、そのあたりに手を加えてくれて、クソ強くなってもう負けねえわと慢心してるところでガチの敗北を味わされたりするので、チンチンに良い
余裕で勝つつもりでボスに挑んだらいきなり弱体化の首輪をつけられて追い込まれ、負けたとき、俺の心は完全にセレスフォニアになっていた
今の俺のメインの性癖(誤用)はNTRで、なかでもこう、「男主人公目線で寝取られていることを匂わせるものだけを見せられる」的なのがすげえ好きなんだけど、じつはそれに本格的に目覚めたのはこの作品がきっかけだと思う
素晴らしい作品です
ほぼNTRシーンのみのNTRゲーで、現代の田舎町を舞台に幼馴染と過ごすひと夏の青春、そこに忍び寄る間男達の影……という感じだ
なんせ男主人公で、直接的なエロシーンは回想部屋的なところでしか見られない(寝取られルートに入っていても、ラストを除けば直接のエロシーンを見ずにクリア可能)というところが素晴らしい
没入感が違うんだ
幼馴染をほっぽって村をブラついてたら、幼馴染がきったねえ浮浪者みてえなエロオヤジの住んでる小屋に入っていくのを目撃してしまい、近くに寄ってみると衣擦れの音とか微かな嬌声が聞こえるんだけど、実際に何が起こっているのかは分からない そういうのを重ねていける
チンチンが…爆発する!!
RPGの形をとってはいるものの、実態としてはアドベンチャーに近いため、難易度とかそういう概念はないんだけど、その中でちゃんと「これは俺の選択だ」と思えるようなつくりになっていて、この形式の作品としてはちょっとこれ以上の正解は出せないんじゃないかと思う
しかし名作とされていて、なにせ内容がいい
内容がいいっつうか、まあ、エロいですよね
毎朝電車で乗り合わせる美少女をマークして、ひたすら痴漢する それだけだ
ストーリー的にはちょっとしたツイストがあって、シンプルな現実の性犯罪としての痴漢を描いているわけではない
俺は現実にはぜってえ痴漢とかやりたくない(相手の気持ちを思うと申し訳なさすぎてチンチンが勃つどころではない)んだけど、今作では序盤から「これはただ性犯罪者がなんの縁もない被害者を無差別に襲っているわけではなさそうだぞ」というのを感じさせてくれるので、ノりやすかった
実際のところこのゲームですら最初のほうはやや躊躇があったというか、「何もしない」を何回か選択したりもしてたんだけど、そういうこともできる作りになってるのもイイ要素ですよね
通学電車という限られた時間の中で、また衆人環視という制限された条件の中で、こっちを敵視している相手を少しずつ懐柔していく まあファンタジーなんだけども、ファンタジーとして乗っかれるだけの強度があるんですよ
チンチンが勃つんですよ……
選択肢(どこをどう触る、あるいは何もしないなど)を選んで痴漢をしていく、ひとつ行動するたびに時間が経ち、また周囲からの注目度も変動する
周りにバレないように、限られた時間のなかで何を成せるか そういうゲームだ
ループものでもあるので、一回あたりの時間は限られているとはいえ日数は無限で、ゲームオーバーにもなり放題 かなりforgivingな作風だ
難易度設定は「じっくり」がおすすめで、それはエロには「溜め」が大切だという俺の信念に基づくものだ
同棲モノの雄だ
同棲モノのジーコには四天王的な存在があり、その一角なんだが、俺にはこれが一番刺さった
同棲モノにして妹モノだ
昼のパートで妹との心理的な距離を縮める一方、寝ている間に身体を触ったりもする(睡眠薬を飲ませて無理やり襲うみたいなこともできるらしいが、俺はやってみたことがない)
ファンタジー世界に生きるカスの兄となって、冒険者をやりつつ妹を手籠めにする そういうゲームだ
全然手籠めにしないこともできる それもいいところだ
わかりますかね 妹に手を出してるのは不可抗力でもなんでもなく、俺がクズだからなんですよ そこが徹底されてるのが嬉しいですよね
ときメモとかパワプロ的な感じなんだと思う(どっちもやったことない)
日数経過式で、選択肢を選んで能力を高めたりしつつ、要所要所のイベント(バトル)をこなす
それもやりつつ妹にも手を出さなきゃいけないってのがツライところだな
実際バトルのバランスは結構シビアなので、妹に手を出してたら強くなりきれずに詰む、みたいなことは全然ありうる感じがする
性欲に負けず、鍛錬に励め!
レジェンドってことはまあ、古いってことでもあるんだが、いまでも全然現役でいけると思う
女騎士ルナとなって(なお、エル・ブランカという家名には個人的に思うところがないでもない…)、攫われた主君兼親友である王女を救う、という王道ファンタジーだ
全体としてTRPGとかDRPGとか、そういう昔の(古き良き)ゲームの影響を感じるのが特徴だ
これがいいですね
シチュの数とかはそんなに多くないんだけど、なんというか精選という感じがする
心に響くシーンがあるだろうと思う
ジーコとしては歯応えがあるほうだと思う
しかし、やっぱ、普通に真面目に戦ってギリギリ負けてエロシーン、というのがいちばんチンチンにくるから、ホントいいバランスだと思う
自分は普通に戦ったらまず負けないクソ強魔法少女なのに、卑劣なエロ攻撃で少しずつ戦力を削られて、気がついたら手も足も出なくなってしまっている
戦闘エロ(戦闘中に敵からエッチな攻撃をされる要素) これにつきる
コンシューマーゲーでもあまり見ないような、コマンドバトルとテキストのシームレスな融合がポイントだ
長いダンジョンに、敵の仕掛けた罠を解除するための仕掛けが散財している
解除して回るのは正直めんどくさい(多分意図的にめんどくさくなるように作ってある)
めんどくさいから横着する 俺はクソ強いんだから、多少の罠くらいなんとかなるという慢心が裏にある
はたして罠を使われて、少しずつ追い込まれる
アレ…これやばくね?となる
そのとき、チンチンが勃っているのだ
純粋なRPGとして見るとめんどくさい部分もあるが、そのめんどくささにも意味がある
これはかなり最近出た作品で、広く知られた名作ジーコというほどの知名度はないが、俺には刺さった
NTRゲーだ
その一方で、俺はあきらかに怪しいサキュバスっぽい女の子に誘惑されて、愚かにも籠絡されてしまう
エロ要素も大きいが、その裏でけっこう骨太なファンタジー戦争を描いているのもイイ
①ふたりとも心を乱されない正規ルート ②ヒロインだけ寝取られるルート ③主人公もヒロインも寝取られるルート の大きく分けて3つがある
主人公を操作するパートとヒロインを操作するパートがあって、それぞれの選択によって話が進んでいくんだけど、あまり厳しいフラグ管理なんかはなくて、ルート選択は俺の胸先三寸だ
ヒロインがバンバン汚されていくのを楽しむこともできるし、逆にヒロインは意思を強く持ってるのに俺だけ敵にアッサリ籠絡されて、それでヒロインの方も結局堕ちてしまう…みたいなシチュエーションをやることもできるため、一粒で2度美味しい
エロステータス的なものも完備しており、男主人公もののNTRのよさ(夜寝たら、翌朝ヒロインの性経験が増えてる…!)も味わえる
ファンタジー世界で、俺のことを好きなヒロインが、俺の見ていないところでチャラいクズにヤられてしまう…という感じだ
NTR展開は不可避で、そんなにボリュームがあるわけでもないが、俺には刺さりました…
部屋にいるはずのヒロインが見当たらないな
しゃーないから寝るか…
その美しい流れをこれでもかというほど味わえる
このゲームもまた、回想部屋でしかエロシーンを直視できないタイプだ
ヒロインの性経験回数という、プレイヤーだけがメタ的に見られる数値で興奮する その素養が求められる
俺にはその素養があった
君はどうかな?
当たり前だけど全て主観です。
戦後から現代に至る女性向けのハイファッションのベースを作ったと言っても過言ではないと思う。
ココ・シャネル以降、ハイファッションが多様化しドレス服に限らない仕事や遊びにも使える自由でモダンな服が広がっていった。
彼女がいなかったらモードの世界も欧州に閉じたローカルで予定調和な文化に留まっていたかもしれない。
シャネルのショーウィンドウ見るたびに思うけど分かりやすい流行を取り入れようとしない。
一見するとコンサバに見えるんだけど一方でちゃんと新しさを感じる。
ハイファッションというか上流階級のファッション。ドレスの再定義をした人かな。
実際現役時代の写真を見ると素材使いと仕立てのバランスがめちゃくちゃいい。男目線でもドレスの膨らみと丈のバランスとか神がかったセンスだと思う。
と思ったがサンローランがデザインしてた時代かもしれん。古すぎてよく分からん。
のちにエディ・スリマンのディオール・オムで再ブレイクしたのはもう別物と思ったほうがいい。
あれは元のクリスチャン・ディオールとはほとんど連続するものがない。
80年代から90年代にいたるモード不毛の時代に数々のレガシーブランドを若返らせることに成功したらしいがあんまり知らない。
初代デザイナー引退後にブランドを畳まず再構築するために外部からデザイナーを雇うことは今では当たり前だがこの人がそのテンプレートを作ったんだと思う。
彼がいなかったら業界全体がオワコンになり昨今のラグジュアリーブランド全盛時代(最近中国の不況でまた陰ってきてるみたいけど)はなかったかもしれない。
素っ気ない服でも素材や仕立てによってラグジュアリー足りうることを示した。
「アンコン(ストラクテッド)ジャケット」といって肩パッドが入ってないジャケットを作ったのもこの人。
一度ジャケットを試着したことがあるが軽くて仕立てがきれいで買おうかと思ったけど想像の2倍近い値段で諦めた。
ボロファッション、左右非対称、切り替え、脱色、縮絨、製品染め、ジェンダーレスなどあらゆる手法を使って既存のファッションを脱構築してきた。
パリコレデビューから40年以上経つのに未だ健在。コムデギャルソンのフォロワーも出身デザイナーも多い。
一時期ハマったがジェンダーレス風味が強くなってきて手を出さなくなった。
ハイファッション史上ということでアントワープ勢から一人は選ばないといけないんだけど自分はマルタン・マルジェラでもラフ・シモンズでもなくドリス・ヴァン・ノッテン。
革新性という意味では他の5人と比べると穏やかで分かりにくいが、彼も伝統服やワークウェアの様式を持ち込んでハイファッションとして昇華するという重要な役割を担ってきた。
少しひねりがあるがいわゆる「着れる服」でハイファッションのリアルクローズ化を進めた。
グッチの起用で大ブレイク。80年代完全に死んでいたグッチを蘇らせた。
本人の見た目通り男性向けにはマッチョな服、女性向けにはセクシーな服で現在のジェンダーレスな世界とは一線を画すが、ハイファッションらしく仕立てがよく品が漂うのはやはりセンスの賜物だろうと思う。
日本人の平板な体型には最も似合わないであろうデカいピークトラペルのジャケットには憧れた。
あのラペル見ただけでトム・フォードって分かる。
ハイファッション史上というとちょっと役不足な感もあるが、2000年代のタイトファッションの潮流を作った人で当時抜群の人気を誇ったので挙げざるを得ないか。
オーバーサイズ全盛の今では信じられないが、当時スキニーじゃないジーンズなんてアメカジ好きなコンサバおじさん以外は見かけなかった。
それくらい人気が高くハイファッション内外への影響力が絶大で、セレクトショップオリジナルでコピー商品をよく見かけた。
ディオール評でも触れたがブランド再構築というよりブランドクラッシャーだと思う。
今はセリーヌでフィービー・ファイロ後の後始末をやってて残念な感じ。
ここ10年のモードとストリートファッションのクロスオーバーはキム・ジョーンズがきっかけだったと思う。
単にストリートの形式を流し込むだけのパイプ役に留まらず、非常に有能なデザイナーでもあり固有の世界観とセンスを持っている。
ブランドイメージを壊さないギリギリのところで着地させるセンスはとても現代的でブランドからも使い勝手が良いのだと思う。
マーク・ジェイコブスと似てる。というかルイ・ヴィトンがそういうデザイナーをうまく見つけてるのかな。
今はディオールをリブランディング中でちょっと落ち着いてしまった印象。
もう1人誰だろう?
正直、このトラバで改めて『能力の問題』とアニメ・マンガ・ゲーム界隈で起こりがちな地獄みを感じている
まぁワイは、元増田の作文含めて配慮なく思うがままに書き綴ってるのでお互い様ではあるのだけれど、無礼な投げかけには遠慮のない無礼な返事が返ってくるよと
覚えておくといいかもしれない
ねぇねぇ、アニメとかマンガ、ゲームって超すごくない?誰でも楽しめるのが最高の魅力なんだよね!例えばクラシック音楽とか美術館の絵とかって、ちょっと知識がないと難しいじゃん?でもアニメとかは、そんな予備知識なくても「わぁ、おもしろい!」って思えるんだよね。
これってマジやばくない?例えば『スパイダーバース』。子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで、世界中の人が「すげぇ...」ってなれる作品でしょ?マイルスの成長物語に、誰もが自分を重ねられるし、あのぶち上がった映像美と音楽!「誰でもヒーローになれる」っていうメッセージが心に響くよね。
あ、そういえばスラムダンクの話!これ読んでバスケ始める人めっちゃ多いんだよ。「俺も湘北高校の選手みたいになりてぇ!」みたいな(笑)マジで人生変わった人多いよね。
実はドラゴンボールも面白いよね。アメリカのラッパーとかが「ドラゴンボールは俺たち黒人の生き様そのものだ」って言ってたりするの知ってる?悟空みたいに諦めずに強くなっていく姿に勇気をもらったって。スパイダーバースのマイルスも同じように、いろんな人に希望を与えてるんだよね!
スーパーマリオとかもそう。最初は「ジャンプでコイン取るだけ」の簡単なゲームなのに、やればやるほど「おっ、ここにこんな裏技あったの!?」みたいな発見があるでしょ?
要するに、アニメ・マンガ・ゲームってさ、「誰でも入れる」のに「めっちゃ深い」んだよね。「にわかはダメ!」みたいな意見もあるけど、それって違くない?だって、みんなが楽しめるってことが一番大事じゃん!
体調悪い時でも、言葉わかんなくても、年齢関係なく楽しめるって、むしろすごいことじゃない?そこからどんどん深掘りしていける。それってまさに現代のエンタメの理想形かもしれないね!
だからさ、アニメとかマンガ、ゲームが「わかりやすい」っていうのは、全然マイナスじゃないんだ。むしろ、それこそが最高の芸術なのかもね。スパイダーバースみたいに、最先端の表現方法使いながらも、誰もが心から楽しめる作品こそ、これからのエンタメの理想だと思わない?
近年、これらのメディアの「わかりやすさ」を否定的に捉える言説が一部で散見されます。しかし、このような主張には認知科学的、メディア論的な観点から、いくつかの本質的な誤認が含まれていると考えられます。
優れたビジュアルナラティブは、複雑な情報や感情を直感的に伝達する高度な表現技術を要します。例えば、宮崎駿作品における視覚的メタファーや空間表現は、言語的説明を超えた普遍的なコミュニケーションを実現しています。これは決して「単純」な表現ではなく、むしろ高度に洗練された情報設計の成果と評価できます。
アニメ・マンガ・ゲームは、マルチモーダルな情報伝達システムとして機能します。視覚・聴覚・インタラクティブ性を統合した表現は、受容者の認知負荷を最適化しながら、複層的な意味伝達を可能にします。これは現代メディア論における「効果的なコミュニケーション」の典型例といえます。
情報工学の視点からみると、高度な内容を広く伝達可能にすることは、むしろ最も困難な技術的課題の一つです。『スーパーマリオ』シリーズにおけるUI/UXデザインや、『鬼滅の刃』のビジュアル・ストーリーテリングは、この課題に対する革新的なソリューションを提示しているといえます。
芸術社会学の文脈において、文化的価値を「理解の困難さ」と結びつける思考は、しばしば批判的に検討されてきました。現代のメディア環境において重要なのは、むしろ「複雑性の中の明晰さ」を実現する表現技術です。
心理学的観点からみると、メディアの価値を「理解の困難さ」に求める傾向は、しばしば確証バイアスや認知的不協和の現れとして解釈できます。これは作品の本質的価値の客観的評価を妨げる要因となりかねません。
アニメ・マンガ・ゲームにおける「わかりやすさ」は、決して表現の未熟さや単純さを意味するものではありません。それは以下の要素を高度に統合した結果として実現される特質です:
これらのメディアの真の理解者であれば、その「わかりやすさ」の背後にある技術的・芸術的達成を適切に評価できるはずです。それはまた、現代のメディア環境における重要な価値創造の一つとして位置づけられるべきものでしょう。
したがって、「わかりやすさ」を否定する言説は、メディアの本質的特性や現代的価値への理解を欠いた、表層的な判断であると言わざるを得ません。