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2024-06-18

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(10) | 22:15

2024-06-16

障碍者祖母が死んだ

つい最近父型の祖母が死んだ。子供のころから耳を患っており、音声を介した会話はできず、意思疎通には文字または手話必要な人だった。

障碍を持っているがゆえに教育機会にも恵まれず、文字コミュニケーションをしても知能の遅れが感じられた。

子をなすことと家事育児彼女の成人後の人生の全てだった。彼女にとっては通常の人間が行う様々な所作が重労働であっただろうことは想像に難くない。

彼女常人に追いつくための努力をしてそれらをこなしていた。そんな、尊敬に値する女性だった。

障碍をもつ祖母を娶った祖父はどのような人間かというと、田舎で運搬を行う低収入肉体労働従事者であったらしい。彼らは出会い、4人の子を成した。そして祖父は4人目の子が15歳の時に事故で死んだとのことである

そのなかの3番目の子が私の父であった。父の話によれば、彼が17歳の頃に祖父トラック事故を起こしたらしい。即死ではなく、大腿部の切断を行った。

治療はうまくいかず。普段は見せないような痛みに耐えきれぬ泣き顔を時折見せては、子供らが見守る中息を引き取ったという。

祖父の存命の時から家庭は貧困状態にあった。学も財産もない人間が4人も子を成したら、それは大変であったろう。

貧しい家庭では教育よりも労働が優先された。長兄には教育必要とのことで高校教育を受けさせたが、次男・三男坊に教育猶予はなく中学卒業肉体労働を課せられ日本全国方々に散った。末子は祖父保険金地元高校に通うことができたという。

父は中学卒業後、身寄りのない関西に送られ、その後中部各地を転々とすることになったとのことだが詳しくは聞いていない。彼も、話さない。

長兄は家を継ぎ母と住み続け、その後末子は高卒だけあってよい企業工場に勤め先が決まり家を出た。このあたりで次男消息不明になったという。女性関係とのことだが詳しくは聞いていない。今や生死もわからない。

ところで母方の祖父母の話に移ろう。彼らは一般的農家の生まれであり、裕福でも貧乏でもない育ちの人間であったが、どちらも体が弱かったため将来的に介護必要となることが懸念されていた。両家余り物を押し付ける形で成立した婚姻であった。

そこで生まれたのが母である。母には個人としての意思は認められていなかった。なぜならば生まれながらの介護要員だからである

その数年後、弟もできたようだが幼くして死んだ。弟が死に益々気力・体力を失った祖父母は母に未来介護を切望するようになった。そのような母が他家に嫁ぐことなど許されない。

そこで紹介所を介して婿養子として選ばれたのが長子でもなく自身の家庭を築くほどの経済力も持たない、立場の弱い男である父であった。

母は歪んだ人間である。なぜなら介護人生の全てであるから人生選択肢はなく、子供のころから祖父母の介護のために存在していた。友人関係希薄に「されて」いた。

そのような都合のいい子しか知らない祖父母が父を婿養子として迎えたわけである。父の人間としての尊厳最初からなかった。結婚の翌年私が生まれ、翌々年弟が生まれた。

時はすでに平成になっていた。世間体とは大変ありがたいもので、親戚づきあいを浅く保っている拡大家族においては昭和時代のようなあからさまな家庭内暴力は起こらなかった。

母の歪んだ奉仕心は、幸いにも夫や子にも向いていたため私はきちんとした公教育をうけることができていた。塾や習い事玩具などへの投資殆どなかったものの、私や弟も義務教育を周りの子供と同水準で享受することができた。制服入学時に新調してもらえ、修学旅行も参加できたため、最貧層の子供よりは大変良くしてもらえた。父は祖父から金銭を奪われ、労働のみを人生としていた。生活費との名目で稼ぎを家計に吸い取られていたようだ。

そんな時、父方の長兄が死んだ。事故死だった。未婚であり嫁子供はいないものの、その頃には父方の祖母は衰弱しており、介護必要としていた。

そんな機会に自身生活限界を感じていた父は、なんと仕事をやめて離れた実家に帰ってしまったのである

...

そこから家庭を顧みない介護生活編が延々と続き、父方の祖母は父の労働リソースを奪いつつ丁寧に介護されて穏やかに死んでいき、一方で父親が消えて崩壊した家庭が残ったのだが、書き疲れてしまった。

というフィクションがあったらしい。フィクションだよ。

2024-06-13

新卒で電力に就職したんだけど、28歳の今すでにもう人生クリアした感じがしている

今年28歳、大したことない地方国立工学部学卒。新卒奇跡的に某電力に内定を貰い、喜び勇んで入社した。配属は原子力部門原発で働いている。

俺のところの原発はまだ再稼働していないのでもっぱらデスクワーク資料を作ったり直したりがメインの仕事

残業は長めだが、後述するように給料は高いし、人間関係にも恵まれている。給料が高いので皆ある程度心にゆとりがあるのが大きいだろう。

で、毎日何をやっているかというと、今のところはお国向けの許認可対応用社内資料を作っている。

勤務時間のだいたい半分くらいは誤字脱字・てにをはレイアウト修正。あとの時間会議とか雑務

出張ほとんどないが、研修で外に出ることはある。出張すると飯代の名目で小遣いがもらえるので嬉しい。

お国に提出するものだと考えると体裁重要になるので、目を皿のようにしてチェックしているが、難易度は正直高くない。

それで年収残業代込み600万超。28歳の時点でこれだぜ?仕事の負荷、労働強度で考えるとかなりの高収入じゃなかろうか。

勤務地は一言でいうと僻地独身寮があるのでそこに住んでいる。

から職場までは(当然といえば当然だが)バス通勤ルートが完備され、皆それが前提なのでアフターファイブ的なことも気にしなくて良い。

飲酒運転の厳しいこの時代に、車を使わないと飲み屋ですら行くのが難しい。笑

唯一ギリ徒歩圏内スーパーコンビニが一軒ずつあるが、それだけ。

けど俺にはアマプラがある。これのおかげで文化的生活を送れていると言っても過言ではない。サンキューベゾス

食事は朝晩は寮が食堂を開いてくれており、自炊する必要もなくかつ安い。

昼は原発食堂コンビニよりは栄養バランスも考えられて、コスパもいいし、毎日数種類から選べ、その選択肢自体も適宜アップデートされる。

毎食のメニューを考えなくてもバリエーションのある食事を摂れるというのは、自炊経験がある奴ならその有難さが理解できるだろう。

30が見えている今婚活という単語意識する世代だが、社内には出会いが無い。

だが車も生活の前提なので中古新車も入手性がよく、行動半径が広い。車を飛ばし県庁所在地に行けば女も捕まる。

家賃が安いので、可処分所得は同世代の似たキャリア東京住みよりもなんなら高く、駐車場は大抵無料なので車の維持も容易だ。

行った先では酒を飲む関係で一泊することになるが、カプセルホテルネカフェみたいな施設ちゃんとあるので、安く済ませたければそこで寝ればいい。

そうやって結婚していった人はよく見るし、地元では最強クラス名刺なので婚活を始めれば容易なのもわかっている。結婚相手で苦労する人はほとんど聞いたことが無い。

電力はガチゴチの年功序列から飛び級みたいな出世は期待できないが、その分何歳になったら給料なんぼかというのは全部分かり人生計画が立てやすい。

遅くとも42歳までには管理職に上がり、年収1000万。ペイペイ管理職以上に上がれるやつは相当少ないが、最低ラインでそれだというのがデカい。

今の生活が至上至福かと言われると、まぁ多少の不満がないといえば嘘になるが、とはいえ富みすぎず乏しすぎず、中の上をキープできており非常に安定している。

まさに「トンカツをいつでも食えるくらい」の人間になったという実感がある。幸せと言ってもいいだろう。

安定しすぎて引退老人みたいな精神性になってしまうのが逆に怖いかな。そこはネットも駆使してインプットアウトプットを怠らないことでカバーしたい。

土日祝休み有休も十分なので、それを活かして資格にも挑戦しようと思ってるし、彼女も欲しい。やることは尽きない。

もちろん積み立てNISAもやってるし、大病して退職なんてことにならない限り老後2000万円問題自分には関係無さそう。

最近の株高で「純富裕層」くらいは狙えそうな気もしてる。

anond:20240612004800

2024-06-11

 「パパ活名目で会った女性性的暴行を加えたなどとして、京都府警宇治署は10日、強盗不同意性交の疑いで、同府宇治小倉町南堀池の自営業、世一竜博被告(50)=不同意性交罪で起訴済み=を再逮捕した。「同意を得ていた」などと供述し、容疑を否認しているという。


逮捕容疑は4月21日、宇治市内の雑居ビル多目的トイレで20代の女性性的暴行を加えたほか、受け取った下着の代金の支払いを免れたとしている。


宇治署によると、容疑者女性交流サイトSNS)で知り合い、「パパ活」をする約束で落ち合ったという。容疑者女性がその場で脱いだ下着を買い取ると持ち掛け、トイレ下着を受け取った後に性的暴行に及んだという。


https://www.sankei.com/article/20240610-PYZYFUVCRZPNFNILE7LQP6BB2I/




いや完全に商売女の自業自得では…?

2024-06-09

anond:20240608191317

今どき顔写真も載せないとかどうだろう

これはありえそう。

ルッキズム助長させないとか個人情報保護とかの名目で。

2024-06-08

anond:20240608061750

日本銀行当座預金10%増やすとBEIでみた期待インフレ率が0.44%上昇する (岩田規久男

インフレ率=-2.1+0.62*2年前のマネーストック増加率 相関係数0.89  マネーストック=k*マネタリーベース kは6~12程度。(高橋洋一

http://scene24.blog.fc2.com/blog-entry-313.html

マネタリーベースを200兆円まで拡大すれば、円高は止まり、『1ドル=115円』までの円安局面が訪れ、日本経済デフレから脱却し(その時のインフレ率は3%程度)、4%の名目経済成長が訪れ、日本経済は完全復活を遂げることができる(安達誠司

 

”仮説を検証し、事実と向き合って、考えを修正してい”ってほしいですね

2024-06-07

anond:20240607180511

専業主婦です!

付き合った時県外同士ですんでて、同棲始まったあたりからそれまで働いてた仕事やめて、新しい正社の仕事見つからず、

一瞬だけ近くの工場パートやったけど、子供できてから仕事辞めて今に至りますね。

幼稚園とかそういう名目あるだろうけど、きっと小学校生きだしたとしても働こうって思わないんじゃないかな?

働かなくても、現状だけならギリやっていけてるけど、高校大学って3人考えたら絶対足りない気がするんだよね。

そもそも金の管理してといいつつ、貯金いくらあるかってわかんないんだよね。

やり方が変すぎて、かき集めたもの貯金wwとか言ってるくらいだし。

2024-06-05

anond:20240605211510

前者は「名目」「実質」じゃなくて「額面」「手取り」と言うから混同しようがないじゃろがい

名目賃金実質賃金がわからない

自分の中では、

名目上は〇〇だけど実質は△△だよ。」

って言われた時に〇〇には表現が入って△△には実物が入っているイメージになる、

「お前の給料名目上30万だけど税金とかとられて実質手取り20万だよ。」

「お前の手取り20万だけど、実質は10万の価値しかないよ。」

って言われた時に、自分はどっちでも表現は合ってる気がするんだけど、

名目賃金と実質賃金後者表現なんだよね?(あってる?)

前者の表現が間違っているのかもしれんけど、無意識に言ってしまうんだろうなぁ。

2024-06-04

anond:20240604153904

北朝鮮では1974年3月21日に「税金制度を完全になくすことについて」という最高人民会議法令が発布され、同年の4月1日には「世界ではじめての税金のない国になった」という内容の宣言が行われました。こういった経緯から北朝鮮では4月1日を「税金制度廃止の日」と定めています

近年では、外貨獲得手段の一つとして観光分野にも力を入れ、消費税空港税といった税金がかからないというのが他国にはない特徴の一つとなっています

このように税金がないと聞くと、国民負担をかけない優しい国のように思う人も多いでしょう。しかし、その実情は決して甘いものではありません。

北朝鮮当局税金徴収しない代わりに、何らかの使用量や募金といった名目で、法的裏付けのない金を頻繁に徴収しているのです。さら付加価値税は「取引収入金」として、所得税は「社会協同団体利益金」として、法人税は「国家企業利益金」として徴収しているようです。

結局、当局国民に対して金銭徴収していることには変わりなく、これが北朝鮮における事実上税制であるといっても過言ではないでしょう。

2024-06-03

一見さんお断り」はオーバーツーリズム対策

お客様神様ではない。

大切なお客様不快気持ちにならないように、店という場を乱す客は積極的排除する。そうやって店の雰囲気、居心地を確立していくのも店側の使命のひとつだ。つまり客の選別は店の仕事

紹介客以外を店に入れないのは、お高くとまっているわけでも差別したいわけでもなく、リーズナブルで(少し店がラクな)客の選別方だ。

 

観光客が増えて、住民との摩擦も起こっている。

円安外国人観光客から外貨獲得は必要だが、このままでは限界が来てしまう。

外国人観光客も「筋のいい」お客様だけを入国させ、それ以外は排除しよう。

 

この場合、「筋がいい」というのは端的に「金払いがいい」ということだ。

飲食観覧サービス、すべての料金を1,000倍にしよう。

所得格差の大きくなる世界、最も金をもっている層だけを招いて、その人たちに1,000人分の消費をさせる。

単純に客の数は1/1,000になる。外国人観光客ストレスなく観光を楽しめ、さらプレミアム感、選民感を味わえる。

目利きの客の目にかなう観光サービス飲食店のみが生き残り、観光地としての質も上がる。

 

日本人観光客ポイント還元などのシステムを設けて、従来(1/1,000)の料金にしてもいい。

名目は「生涯教育支援」など、なんでもいいだろう(観光地に歴史美術を学びに来ている学生に対する学割イメージ)。

 

客を選び、観光地としての敷居を上げて、さらに儲ける。

この考え方が重要だと私は思う。

2024-06-02

財務省は昨日、5年後に発足する二重貨幣経済概要を発表しました

この制度により、一般消費に使用される生活貨幣と、政府活動企業活動を支える投資貨幣という、二種類の貨幣共存体制が発足し、労働者消費者は主に生活貨幣民間企業は主に投資貨幣を所有・使用することになります

また金融機関は、消費者金融生活貨幣一般銀行投資貨幣を取り扱うことになり、住宅ローン消費者金融によって提供されるサービスになります

併せて政治資金規正法改正により、政治資金における貨幣割合は、生活貨幣を50%以上とすることが義務付けられました

企業献金受入可能額が消費者献金の総額に応じて制限されるため、政治家消費者から献金を求めざるを得なくなり、労働者賃上げ消費財販売価格の値下がりに繋がる効果があると見られています

一方、労働者政治献金による利益を得やすくなります

real economy 実体経済 ←→ financial sector 金融部門 , monetary economy 貨幣経済

market economy 市場経済 ←→ planned economy 計画経済 , comamnd economy 指令経済

real GDP 国内総生産 ←→ nominal GDP 名目GDP

consumer economy 消費経済, home economics 家政 ←→ asset economy 資産経済, private-capital economy 民間資本経済

2024-06-01

全くわかっていない。無料サービスに群がる人間を。

奴らのうち、大抵の人間は無害だが、クソみたいな人間一定数まじる割合が有料のものよりも多い。

そんな奴らのクレーム対応はまじでブルシット・ジョブという名目に相応しい。ブルジョアぶって増田にはわからんだろうけど。

そんなビジネス構造をしているとわかったらそのビジネスから距離をおくことを推奨する。

Tverでかりそめ天国を見てるんだが、「最近高校文化部」を紹介してて

なんというか「やりたい放題だな」と思った

「それって同好会では」って思ってしま

でも、部として認められる要件を満たしているか大丈夫なんだろうな

ほんで学校から部費と部室を提供されるってことだよな

すげえな

コスプレ部なんて「お前それ個人趣味だろうが。自費でやれや」って思うけどな

アイドル部なんかはまあ、頭数とか揃えないといけないから部でもおかしくないかもしれないけど(つっても一人タイプアイドルなら個人活動すべきと思うけど)

eスポーツ部」なんかはまあ今となっては王道だよな。お金場所提供して貰わないと成り立たないし

(あと、ガッツリ大会」があるから部にするのも名目は立つし。というか世界的「競技」だからな)

まあ正直、自分が入っていた「英語部」という名の帰宅部も一応それらしい活動はしてたけどチートもいいとこだよ。「部」としては

(他にも「歴史部」とか謎の部があったけど。まあ、地元史跡めぐりとかフィールドワークも出来るしな。実際の活動内容は不明だけども)

から古来より「謎の部活。それって部活になる!?」ってのはあったよな

ぶかつ、めんどうくせえ

強制参加させられるなら、好き勝手な部を作ってやりたい放題したいよな

2024-05-30

anond:20240530225923

景気対策として効果を持ちうる規模の財政政策を行うのであれば、名目成長率が低下している現状では政策目的であるプライマリバランス黒字化を放棄せざるを得ないだろう。”

 

景気対策財政再建ジレンマに直面すれば結局のところ最低限の政策しか行うことが出来ず支出した金は無駄金になる懸念すらあり、景気後退顕在化している中で増税を行うのは論外だろう。以上を踏まえれば、竹中氏のバラマキ政策財政再建派への指摘は正しい”

 プライマリバランス黒字化に賛成なのか反対なのかどっちなんだい

2024-05-27

SNSって素人が聞き齧りや思いつきで適当な事をさも正しい事実のように言うから有害なだけだと思う

専門家ですら胡散臭い奴が逆張り名目的でいい加減な事言ってたりするのに

よく分からない素人妄言なんて価値意味もないだろうに

2024-05-26

anond:20240526100729

ある事柄についての当否を個人攻撃だと誤解する人間がいる

ことについて論じる時、

 

「ある事柄についての当否という名目個人攻撃する奴」も実際にいることを忘れている

2024-05-25

anond:20240525092000

「守る」には現状維持と(現状抑圧されてるとして)権利拡大の2つの用法があるわけだけど

いわゆるアンチフェミと言われるのは「現状維持」側だわな

現状のスタンスが気に食わなくて「守る」という名目しろって言ってんだから権利拡大側になれって解釈するしかないわな

anond:20240525091352

フェミニストアンチじゃなくてさ、とりあえず「男性を守る」という方を名目として活動しないと駄目だろ

このあたり、明確に2勢力の戦いの構図に落とし込む流れでしかないわな。

現状維持派閥の主張を「男性権利拡大」の名目しろって言ってるし。

でも、本人はその区別がついてないからやってる自覚がない。

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