はてなキーワード: 公道とは
と、このエントリで主張したい訳ではありません。本当に容認しているといえるかどうかは、増田を読んでから、ご自身で考えていただきたいと思っています。
どうも、「山道を制限速度でチンタラ走り続けるドライバーは運転が下手」(https://anond.hatelabo.jp/20230912211531)で炎上した増田です。先日は大変お世話になりました。山道の走り方を指南する増田(https://anond.hatelabo.jp/20230913120412)を寄稿していただくなど、大変勉強になりました。
さて、本日は校則違反にまつわる増田(https://anond.hatelabo.jp/20230916165514)が人気エントリに上がっています。炎上した増田に引き続き、ルールを守ることと破ること、そして、その程度と倫理にまつわる話題が、最近の増田では絶えません。ルールを守ることが絶対であるという意見に対し、ある程度柔軟な対応も必要だという意見がぶつかり合っています。
スピード違反に対する警察や企業、そして行政の対応について紹介することを通じ、この問題提起を行うことが、この増田の目的です。
なお、スピード違反の程度や罪の重さについて、この増田で個人的に主張するつもりはありません。私はこの増田で、スピード違反を断罪しないし、擁護もしません。警察、行政、そして自動車やオートバイメーカーの対応をこの増田で紹介しますから、それを踏まえてご自身で考えていただきたいと思います。
なお、コメントやブコメの際は、本文を最後まで、よく読んでからお願いいたします。本文が長く分かりづらい場合は、せめて最後の章だけ読んでほしいです。
スピード違反についてですが、先日炎上した増田(https://anond.hatelabo.jp/20230912211531)でさんざん炎上していたとおり、「1km/hたりともスピード違反をしてはならない」という意見が多く寄せられていました。しかし、炎上していた増田でも触れたとおり、警察は15km/h以下のスピード超過をほとんど取り締まっていません。令和4年の結果では、15〜20km/hの取締が約28万件に対し、〜15km/hの速度超過は200件以下と非常に少ない件数に収まっています。
ちなみに、2017年ごろは100件にも満たない件数でしたが、2020年に入ってから増加傾向にあります。それは、移動式オービスによるゾーン30(通学路などに指定されているような非常に狭い道路で30km/h制限)での取締が行われるようになったからです。おそらく、制限速度40km/h以上の道路では、15km/h未満の速度超過は全く行われていないと思われます。
また、全国の公道では、10km/h程度の速度超過が常態化している道路が非常に多くあります。自動車の運転を少しでもする方なら、この現状をお分かりいただけるのではないかと思います。
スピード違反の話題では、自動で規制速度にリミッターが効かないようにするべき、という意見をネットなどでたびたび目にします。
トラックの場合、大型トラックと一部の中型トラックで90km/hのスピードメーターの装着が法的に義務付けられています。しかし、乗用車やオートバイは、法的な規制はなく、メーカーの自主規制として規制が行われているのが現状です。ただし、自主規制は行政側からの要請で始まる場合が多く、メーカー独自の規制というより、行政とメーカーが一体となった規制であると言えるでしょう。
さて、その自主規制の内容ですが、普通自動車は180km/h、軽自動車は140km/hのスピードリミッターが自主規制で装着されています。現在、制限速度の最高速度は新東名などの120km/h区間なので、スピードリミッターは制限速度に対しかなり余裕がある値となっています。なお、改造によりリミッターを解除することは合法です。
一方、スピード違反につながる過剰なパワーを抑えるための規制については、23年9月現在、軽自動車以外には行われていません。しかし、過去には自動車とオートバイの両方で、自主規制による馬力制限が掛けられていました。
自動車の場合、馬力競争の激化を受け、1989年ごろから280馬力に出力を抑える規制が行われました。オートバイの場合は80年代の走り屋ブームが問題視され、排気量により細かく馬力規制が敷かれました。オートバイの3ない運動もこの頃です。
しかし、自動車は2004年ごろに、オートバイは2007年ごろに規制が撤廃され、現在は軽自動車以外に馬力規制は存在しない状況になっています。
また、オートバイに関しては1996年に、免許制度の規制緩和が行われています。大型二輪免許を教習所で取得できるようになり、取得難易度が大幅に易しくなりました。その結果、大型二輪免許の保有率が急増し、高性能な大型バイクの販売台数が大きく増加しました。
最後に、自動車メーカーや、オートバイメーカーの対応についてお話したいと思います。前述の自主規制を各メーカーは行っていますが、実際にどのような製品を作っているのか見てみましょう。
スピード違反を助長すると批判されがちなスポーツカーですが、最近はスポーツカーのラインナップが充実しています。トヨタはスポーツカーを5車種ラインナップしているほか、日産は「フェアレディZ」を、ホンダは「シビックタイプR」を新たに発表したことが記憶に新しいですね。いずれも、かつての馬力規制(280馬力)に近い、もしくはそれを越える性能を誇ります。
さらに、高出力化はスポーツカー以外の場合でも最近のトレンドになっています。
例えば、今年発表された新型のトヨタ・プリウスはのPHEVモデルの場合、最高出力は223馬力、0→100km/h加速は6.7秒です。これはスポーツカーである、先代のトヨタ・86/スバル・BRZを上回るスペックです。日産スカイラインの特別グレードである「スカイライン400R」に関しては最高出力405馬力を誇り、これはランボルギーニ・カウンタック(4.8Lモデル、377馬力)を優に越える出力です。スーパーカーでもなんでも無いオヤジセダンなのにですよ。
さらに、オートバイに関してはこういった点がさらに顕著になります。
1990年代、ヤマハ発動機は「ツイスティーロード(=峠)最速」のキャッチコピーを引っさげ150馬力のスーパースポーツバイク「YZF-R1」を発売。カワサキとスズキは市販車最高速バイクの名をほしいままにするべく、熾烈な性能争いを繰り広げました。スズキが送り出した「GSX1300R Hayabusa」のスピードメータは350km/hまで刻まれていましたが欧州で問題視され、300km/h以上出せないようにすることと、スピードメーターは300km/hまで、という自主規制が敷かれることに。ホンダも似たようなもので、「CBR900RR FireBrade」や、「CBR1100XX SuperBlackbird」など、前述のヤマハ・YZF-R1やスズキ・ハヤブサと同じようなコンセプト、性能のオートバイを販売していました。
しかし、こういった出来事はあくまで90年代で昔の出来事。企業の社会的責任が重く問われる令和の時代になり、だいぶ様相が変わりました。オートバイメーカー各社は、「高性能なスポーツバイクは、サーキットを走るために買ってね」という方針にシフトし、カタログにはサーキットを走行するイメージ写真ばかりが並びます。しかし、サーキットを走るためのオートバイにも関わらず、依然としてナンバーを取得し公道を走行できる仕様で販売されています。
私がこのエントリを書いた理由は、速度超過を容認しろ、と主張したいからではありません。スピード違反というルールを破る行為について、それを取り締まるべき警察や行政、そして社会的責任を負うべき企業が、なぜある程度ルーズな対応をしているのか。それを考えてほしいのです。
「ルールは厳しく守るべきだ」と考える人にとって、警察や行政、メーカーの対応は生ぬるいと言わざるおえないでしょう。警察は15km/h以下のスピード違反もバンバン取り締まるべきだし、自主規制のスピードリミッターは義務化して規制速度を下げるべきだし、メーカーは高出力で過激な製品を作るべきではない。そう思うのではないかと思います。
では、なぜ警察は15km/h以下の速度取締を行わないのでしょうか。自動車メーカーやオートバイメーカーは、なぜ過激な製品を作り続けるのでしょうか。そして、それに対して行政は規制をかけるどころか、なぜ規制緩和を行うのでしょうか。
なぜ、世の中ではルールを軽視するかのようなルーズな対応が取られているのか。それを考えることは、盲目的にルールを守ること以上に価値があることだと私は考えます。ルールを守ることこそが絶対の正しさだと考える方が一定数いらっしゃると思いますが、なぜ世の中は、その絶対的な正しさにまっすぐ向かっていかないのか。その理由を考えた先に、ルールと倫理の本質が見えてくるのではないでしょうか。
霞が関とか靖国神社とか赤坂のあたりを原付で走ってると、高級車が走りまくってる。
ごくたまに、ウインカーを「チカッ」くらいしか出さないやつがいる。
ネットで知ったのだが、「ウインカーを長く出すとダサい」と考えるごく一部の層がいるらしい。
「ウインクする」=「相手に存在をアピールする」ことだと思っている。
「公道で自分の存在をアピールする」=「安全の確保」だと思っている。
なんでこれがダサイのかよくわからん。
で、思ったのが、奴らにはシンプルに教養がないのだろうなと思う。
上のような英語の教養があれば「ウインカー」の本来の意味を知ることができて、
本来の使い方をすることができる。
しかしそんな知識がなければ、動物のように「ノリ」や「テンション」で判断するしかない。
本能が「ウインカーを長く出すのはダサい」と判断したら、そうするしかないのだ。
蒙昧とはそういうことではないだろうか。
ツールド北海道という自転車の公道レースで自転車と車が正面衝突して自転車側の大学生が亡くなった
今回のツールド北海道では選手が走る側を警察による交通規制、反対車線を運営側が自主的に通行規制していたとのことだったが、そもそも道路を自主規制しているが意味の分からん。警察の許可無しで道路を占有して良しとなればとんでもないことになるぞ。そこらで勝手に工事してもデモしても屋台開いてもいい訳だからな。そんなとんでもないことをツールド北海道の運営はやらかした訳だ。
それでも建前は片側通行だから、運営側が選手に対向車線に出るなと注意するのは当然である。今回の事故のように運営側に手落ちがあったとしても選手が勝手に対向車線にはみ出したから責任は取れませんって言えるわけだ。
運営も選手もお粗末なレースを支持できる人いるか?東京オリンピックですら自転車ロードレースはテレビ放送なし、ネット配信ですら実況は英語のみしなかったほど日本で注目度皆無で危険な競技でもツールド北海道を続けるべきなのか考えた方がいい。
それはとても素晴らしいことだし本当はそんな人のことをお局なんて呼び方したくない。
といっても「私なんて…」と卑屈になる方向ではない。
どうもお局は「私は不器用だし仕事も遅いので、そのぶん頑張ってどうにか普通の人並みに仕事をしている」と本気で思い込んでいるように感じる。
実際は平均よりとても器用だし効率の良い動き方を選ぶセンスのようなものが人よりかなり高い。あと学生時代からずっとスポーツをやっていたので物理的に身体を動かすのが非常に素早い。少なくともお局以外のみんなはそう感じている。
それではお局の負担ばかり大きくなってしまう。それはみんな本意ではない。かといってみんなも手を抜いているわけではなく、それぞれ自分のできる限り素早く仕事を片付け…ているつもりなのだが、さて次!と顔を上げるとすでにお局がすべて片付けている。
そして自己評価の低いお局はどうやら「こんなに仕事ができない私がこれだけ働けるんだから、私以外の人間は絶対これ以上できるに決まってる」と思っている。
なので全員ものすごく手抜きをしている、楽をしているように見えているのだ。
こっちは必死だ。結構身体に来るくらいには。お局以外の全員へろへろだよ。
お局は体力オバケでもある。
おそらく同じ速さで同じ仕事をすることは死ぬ気で頑張れば物理的に不可能ではないが、お局が有給を取った日に同じ仕事をこなした同僚は翌日熱を出して休んだ。2回も。
なので今はお局の有給の日は職場で一番健康に自信のある私がその仕事を回している。熱は出ないが鏡に映る顔がゾンビになる。社長から心からの「おつかれさま…」を貰った。
ちなみにお局は1日仕事を終えても元気なので、雨の日は全力疾走(とても速い)で傘をささずに少し離れた駐車場まで去っていく。明らかにいい年した大人が公道で出せる速さではない。たぶん真似すると転ぶ。
そういうわけでお局は自分以外のすべての自分より優秀な人間がみんな手抜きで生きていると思っているので、やたらと当たりが強いのである。
元々あまり愛想のいいタイプではなく、不機嫌なときは一切隠さず今日は不機嫌だから話しかけるな!と宣言するような人間だ。
人に機嫌を取らせることはしない。仕事さえ回せば機嫌を直す必要がないという考えだ。
効率は良い。
手抜きをする人間たちが昼休みに楽しそうにおしゃべりしてるのも気に入らないようなので難しい。
あなた相当優秀だよ。
だから他人がみんな手抜きなんじゃなくて自分がスッゲェ!て思って生きてくれんかな。それだけで機嫌だいぶ良くなるんじゃないかな、と私は思う。
・自転車乗りと違って健康的な(アスリート的な)イキリ方ではない。
・「ドルンドルン!」みたいな治安の悪いフカシ音をして気持ちよくなってる時点でおさっし。
・イキった治安のわるい連中が集まるのでより治安がわるくなる(付き合う人間に影響される)。
・じっさい移動手段としては自転車か原付と電車とクルマがあればよい。
・わざわざデカい中型バイクを乗る時点でムダなことに人生割いてる時点で民度がおさっし。
・一般人は公道を「移動手段」としてみているが、バイク乗りは「ワイの自己表現ステージ」みたいに思ってて迷惑。
親父が孫に会いたいがために、「土日のどっかで孫を預かるよ。ビニールプールに入れて遊ばせる」と言ったらしい
そして私にとっては甥っ子(1歳半)が日曜日の8時半に水着を持参してやってきた
親父はその日、仕事が入り、家には私と母だけだ
仕方がないので母と協力し、ビニールプールを設置、遊ばせ、撤収を行ったのだが、これがまあ大変だった
ビニールプールは2.5メートルほどの大きいやつで、小さな滑り台がついている
二週ほど前に和室にビニールプールを膨らませて甥っ子を遊ばせ、そのまま置きっぱなしにしていた
「実際に水を入れるならもう少し空気を入れたい」と母が言うので、車用のコンプレッサーとコンセント変換器を使うことにした
500円玉大の空気穴は二重構造になっていて、蓋をはずしてもその中にある弁が穴をふさぐのですぐさまは空気が抜けない
コンプレッサーの管で弁を押し開けて、管を中に通してスイッチをオンし、空気を送り込むが、これがまあ上手くいかなかった
なぜかというと押し込んだ空気分より、弁を押し開けた分の隙間から抜ける空気の方が多かったから
ごおおおおおおという機械音と「プールまだなん?」という物言わぬ甥っ子の目線に耐えながら硬いビニールの空気穴を二本指でつまみ狭くしつつ、ひたすら空気が漏れないことを祈る時間は苦痛だった
10分ほど格闘し、ネットでも調べたが有効な解決策が見つからず、ようやく自力で見つけた解決方法はコンプレッサーの管をもっと奥の方へ突っ込むことだった
空気穴近くで空気を送り込むのではなく、そこから離れた場所で奥の方へ空気を送ることで、ビニール壁に空気が当たりそのまま近くの空気穴から漏れ出ることを防ぐ
今言葉にすれば簡単な理屈だが、当時の私は寝起きの頭でプールの方に何か空気漏れを防ぐ理屈が存在するのかと考えていたのでなかなか気づけず、イライラしてしまった
コンプレッサーの力でも大きなビニールプールが膨らんだのは10分近くかかった
これを弟の嫁と父は足踏み式のポンプでふくらましたのかと思うと、それは愛でしかないなと思った
ようやく膨らんだビニールプールを庭の芝生部分に設置して、ホースで水を入れる
その間に母は甥っ子に水着を着替えさせていた
事前に会社の人に「水が冷たいとなかなか入りたがらないから午前中に水をはっておいて、午後に遊ぶほうがいいよ」と聞いていた
ただ当日は真夏日であり、入れたばかりの水もそこまで冷たくなく、甥っ子はぎゃあああああああと歓声を上げながら遊んでいた
大人が浸るには小さいプールなので、近くにベンチを置いて、母と一緒に自分たちは座りながら足だけプールに浸し、甥っ子を遊ばせていた
水辺で手をバタバタと動かし、発見と享楽のたびに笑顔を見せ、「こえっこえっ(これこれ)」とこちらの顔を観て指さし、興奮を交えながら言葉足らずに感情を共有しようとする様は愛らしくかわいかった
ただ1時間くらい夢中で遊んでいたので、赤子の体力って無限なの?とも思った
昼過ぎくらいに父が帰ってきて、そこから甥っ子の面倒を交代した
後で聞いた話によると、甥っ子は午睡の前に1回、午睡後に1回プールで遊んだらしく、本当に赤子の体力は無限なのかもしれん
これで一日が終わっていれば、ちょっと疲れたなくらいだったのだが、大変だったのはビニールプールの片づけだった
夕方になっても父は甥っ子に夢中でいっこうにプールを片付けしようとしないので「プール片づけしようと思うんだけど」と言ったら「おう任せた」と笑っていた
いい加減にしろよと思いつつも、翌日になって水がぬるぬるになったプールを一緒に片付けてと言われる方が嫌だったので、バケツと風呂桶に取っ手がついたやつを用意し、プールを片付けることにした
母に水はどうしたらよいかと聞くと、花や野菜や木にかけてほしいとのことだったので、バケツで水を掬い、水やりに使って、5分の1ほどの水嵩を減らした
残りの水で芝生が水でびしゃびしゃになる分には仕方ないと了解をとってあったので、プールに手を突っ込んで、栓を抜いた
これで片付け終わりだわと思っていたが、全くいっこうに水が抜けない
ホースの水で遊んでもいたので、水かさはたっぷりでプールの底は芝生にぴたっとくっついていて、栓は500円玉くらい
水が抜ける隙間がどこにもないのだ
もちろんそんな大量の水が入ったプールを持ち上げる筋力などない
仕方なしに取っ手付きの風呂桶を片手に中腰になり水を掬い、庭のコンクリート部分目掛けて、水を撒いた
中腰からのアッパーカットの要領でたぶん30回くらいは水を撒いた
人間の皮膚の汚れや表面菌のせいか、はたまた甥っ子がどこかのタイミングで水中で粗相をしていたからかコンクリートに打ち付けられた水は泡を含んでいて周囲へと広がっていく
中腰と水の重さと同じ運動の繰り返しによる体の負担といっこうに減らない水嵩で嫌気がさしていた頃に、父が甥っ子を抱いて窓辺から「ほら、○○(甥っ子の名前)がんばれーっていって」と私を見せていて、父に対し一瞬の怒りを抱いてしまった
しかし、「(がんばれーと思うほど)大変そうに見えるなら、母に預けて、自分が手伝いにこればいいだろ」とは甥っ子の前で叫べない
もう仕方ない、心を無にして、打ち水マシーンになるだけだと工程を繰り返し、コンクリートから広がったた水が家と田んぼの間にある公道のアスファルトにしみこんだくらいでようやく水が20センチくらいの深さになった
もう汚れるのは仕方ないとビニールプールを抱きかかえ、栓から残った水がじょろじょろと芝生に落ちるのを眺めた
その後、飛んでいきそうにない場所にビニールプールを設置し、腰と右腕に相当量のダメージを感じつつ、なんとか片づけを終了した
最初に空気を抜いて、ビニールプールから水を溢れさせてしまう方法も考えられたが、またこのプールを使うことを考えると空気入れが面倒でできなかった
その日の教訓は相当量の水は本当に重いということだった
遠くの田んぼに用水路から水を送るのに電気式のポンプを使っているのをプール片づけた後でコンビニに行く際に見つけて、これがうちにもあったら楽だったのになと思った