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2019-04-19

ありったけのパンティーをかき集め

体育館に並べに行くのさ PAMPERS

2019-04-15

地域剣道クラブでたまに教えてるんですが最近女子が増えてきましたね

土日だけ小学校体育館を借りて教えてます

以前から小学生女子は全体の2〜3割程度いて

中学生になるとほぼ居なくなるような形だったのですが

5年くらい前から高校生女子がチラホラ入るようになり中学生女子も増えてきました。

特に剣道ブームの話は聞かないのですが高校生剣道流行ってたりするんですかね?

2019-03-23

母のパンティーを被った

10年以上前、私がまだ高校生の時。

引っ越しすることになって、引っ越しの準備をしていた。

修学旅行でしばらく家を留守にしている間に、リビングにおいてあった自分パンティーをすべて燃やされていた。

100円均一で買ったファイルは置いてあって、中身の500枚程度のパンティーだけすべて抜き取られて捨てられていた。

「なんで捨てたの!!」と大喧嘩になったのだけど、理由は「引っ越し業者さんに中身を見られると通報されて体育館に並べられるから恥ずかしいと思って」ということだった。

エロいパンティーとかは一切ない。中身をちゃん確認したのかと言ったら、「しないで中身だけ燃やした」そうだ。

そのファイルは小さい時から「このパンティーがとてもうまくマスをかけた」とか、本当にお気に入りのものを厳選して選んでたパンティーだったから、しばらく消失感がすごくて、何度も意味がないのはわかっていても捨てた理由を繰り返し聞いた。

最後は「なぜかわからないけど燃やしちゃったのよ!!!しつこい!!うるさい!!!」と怒られた。

そして、母が最近パンティーの展示会的なので賞をもらった。

母は小さい時からパンティーが得意で、自分作品額縁に飾っていたりする。

誰が見ても確かにうまい

なんだろう、自慢されて。自分でも衝動的だったんだけど、帰省ついでに母のパンティーをすべて被った。

帰ってきた最近賞取った作品も。

母はとても落ち込んでいた。還暦で弱くなっていたのもあるのだろうけど。

「ああ、何でエレクチオンしないのよおーーー」と悲鳴にも似た声で泣きそうになりながら責められた。

罪悪感はすごかったけれど、どこかすっきりして。

「いいじゃん、前に私のパンティーを燃やしたんだからテープで繋げたら?」とアドバイスしたら、テープでほんとにつなげていたので、寝ている間に全部シンクの中に水ためてつけといた。

朝、嘆いてる母を見て「あー、人ってこんな悲しそうにするんだな」とかぼーっと考えて。

その日は帰省の最終日で、パンティーを夜に食べる予定だったから食べた。

おいしかった


anond:20181013021617

2019-03-12

b:id:h5dhn9k って言うか、[マトモな野党]が[谷垣自民党]だけだったんだと思うよ。堅実に批判と対案出してたし。今の野党は先ず[谷垣自民党]の水準に達しないと。掃除道具こそ清潔じゃないと。ソレ以上に綺麗に出来ないのだから政治 世論調査 自民党 世論 野党

言い得て妙だな

学校体育館にある埃まみれのきったねーモップを思い出すわ

2019-03-07

SNSが出来てからいじめが酷くなった

なんてよく言うけど、私が受けてきたのを聞いてから判断してほしい。

SNSなんてなかった時代、私がいじめられたのはざっと7年ほど。SNSがない時代に起こるいじめは大体無視、仲間外れぐらいだろう。私もそれを受けてきた。

幼稚園からの近所の付き合いがあって幼馴染の女の子がいた。その女の子をAとする。そして小学一年の時にAと友達になって、私とも友達になった子をBとする。

ほぼ毎日一緒に遊んで、時にはお泊りもした。

小学校四年

私に好きな子が出来た。ませているかも知れないが、バレンタインで盛り上がっている時期だ。丁度好きな人告白するチャンスだと、AとBが後押ししてくれた。家に招いてチョコレートを渡そうと、ABが家に来て一緒にチョコを作り、当日家にやってきた好きな子チョコを渡した。OKをもらって、すごくうれしかった記憶がある。

お返しが気になって仕方がなかった。お菓子の詰め合わせをもらった。その後付き合った子の妹と遊んだり、家にお呼ばれして遊んだことがある。ただ一回か二回ぐらいで、他はABと、付き合っていた子の友達と一緒に遊んだぐらいか

五年生。

AとBが私に無視しだした。ただ私は鈍感だった為、それがいじめであると気が付かなかった。BがAに対して愛称で呼んでいたので、私も呼んでいいかと聞いたら「XXは駄目」と言われた。そうか、私はだめなのか。でもまぁ名前で呼べるからいかな。とも思ったが、どことなく心は傷付いていた。だれもいない所で、なんで呼んだらいけないのだろうと思って泣いた。

そして無視があったり、一緒に遊んだりするときに、Aが「あれが欲しい」と言ったので、私はお年玉から少し高価なおもちゃを買った。Aがとても喜んで私といっぱい遊んでくれたので、「お金を使ってモノを買ってプレゼントすれば、みんなが私とお話ししてくれる」という方程式が出来上がった。

そしてあまりしかけてくれなくなった付き合っていた子も、プレゼントを渡せばいっぱい話しかけてくれた。無視していたAとB,好きな子その男友達に、500円を放り投げて取った人にプレゼントという、投げ銭までしていた。そういう遊びをしていたのだ。私が無視されず、かつ喋りかけてくれて、この友達の輪に入れる「手段」だった。

クリスマスパーティーもAB,付き合っていた子とその男友達がやってきて、一緒にパーティーをした。なんとABは前日泊りでケーキも作った。そしてみんなでケーキを食べた後、出かけて「私が財布を出して物を買って喜んだ」その帰り、実は下剤が私のケーキに忍ばされていて、帰りに腹具合が悪くなった。漏らす手前まで来るほどの痛みに、周りがにやにやとしていたのは覚えている。結局近所の家に駆けこんでトイレを貸してもらった。今でも感謝している。

そして、友達という夢が目覚める。

付き合っていた子の妹が私に話しかけてくれたのだ。休み時間の賑やかな中庭で、偶然出会った。今でも覚えている。

「本当は、XXさんの事お兄ちゃんきじゃない。XXさんを虐めようって話になって、チョコを渡すから受け取って付き合って喜ばせて、あとで振ろう。その後無視したりして虐めよう。それを前に体育館相談してた」

とても、意味が分からなかった。まず「私は虐められていたのか」という自覚から始まる。そして「幼馴染だった子が、五年生でも家にきて遊んで寝泊まりし合ったのに、虐めの輪に入っていたのか」という事。そしてじわじわと「あれは虐めだったんだ」と、悲しみが湧き上がってくるのだ。だが、ほんの僅か「冗談かもしれない」とも希望している。

付き合っていた子の妹に「ありがとう、分かった」と伝えたあと。私はすぐに付き合っていた子に「ごめん、好きな子が出来たから別れる」と言ったのだ。これは実は自暴自棄になったわけではない。虐めていた奴がずっと付き合っているフリをしているのがむかつくから先手で振った。あと本当に少しだけ気になっていた子が居た。

振ったことを聞いたのだろう。AとBが「好きな人は誰」なのかを必死に聞いてきた。なぜそんなに聞いてくるのかは今になっても良く分からないが、私は名前を告げて、本当に振った日の放課後、その気になっていた子にアタックした。

それを見たAとBは「ごめん。XX。実はXXの事虐めてた。(好きだった子の名前)と(その男友達)とグルになって虐めてた」と私に伝えた。

虐めた理由は「うざかったから」というものだった。

そして、学校先生や親を巻き込んで私に虐めていた親たちが謝ってきた。私はただ幼馴染と友人を手放したくなかった。それだけでお金というものを使ったのだ。お金は返ってきた。

私の親が幼馴染に「家の泊りあいっこまでして遊んでいたぐらいだから、これからも一緒に遊んであげて。」と言ってくれたが、結局それ以降遊ぶことも、学校でしゃべることもなかった。

中学になったら、私の妹の友人である男、女二人組に石を投げられた。罵声も浴びせられた。それを私の友人が見ている。恥ずかしさの方が勝った。

その三人組に渡しがなにかしたとかではない、面識がなかった。結局意味が分からなかったので、生徒指導先生に伝えたら大人しくなったが、未だに謎である

とにかくいじめと言うのはSNSが出来ていなくても酷かった。それだけ。今でもクリスマスバレンタインは苦い思い出だが、きちんと信頼できる友達も、彼氏もいる。だが、謝ったかおしまい、というのはやはりちがう。結局傷ついていて、今でも思い出す事にかわりはない。

虐めをしている人。マジでくだらないからやめとけ。

虐められている人。虐めている奴は結局お前の反応を見て楽しんでるだけだから、どんなに友達だろうと縁を切れ。私は縁を切った。友達そいつだけじゃない。

2019-03-04

制服姿の女子高校生体育館の床で揃って土下座させられてる画像

ニューラルネットワークによる自動色付け」って引用レスしてる奴はセンスあるなと思った

2019-03-02

自衛官募集ポスターパンツなら、ブルマとは何だったのか

30代女性です。自衛官募集ポスターの件、元のアニメのことはまったく知らず、ニュースやそれに対する意見もごく軽くしか読んでいませんが、今回の話題に関連して思い出した話をします。

小学生中学生のころ、体育の授業はブルマを履くことが学校規則でした。

当時からパンツと同じ面積しか覆ってくれないブルマという衣服について疑問に思っていました。

土のグラウンドで転べば膝の広範囲にわたって擦り傷を負い、体育館で転べば床との摩擦で火傷のように痛みました。

それ以前に、パンツと同じ形のただ黒くて分厚いだけの布を履くのは子ども心にひどく恥ずかしかった。

でも我慢していたのです。なぜなら、大人が、学校が、社会が(大袈裟でしょうか?)決めたことだったから。とても嫌だったけど、我慢してパンツと同じ面積のブルマを履いていたのです。保護者(つまりは見知らぬ大勢大人)が集まる運動会でも、我慢してパンツ同然の衣服運動をしたのです。

今回の話を鑑みるに、あの面積であればパンツということになるのでしょうか。

(前提となるアニメを知らないので、誤認があるかもしれません)

もし、そうであるのなら、ブルマを履かされていたのは、社会から受けたセクハラだったのではないかと思うのです。

大人になっても、ずっとブルマのことが納得いかないのです。ずっとあれを履かせた大人たちを許せないのです。

2019-02-24

anond:20190224115725

実は、中学2年から3年にかけて、今にして思えばいじめであろう状態に置かれていた。

きっかけは、俺が入っていた部活クラブチームいじめられていた奴のいじめに加わらず、そいつを庇ったこと。その翌日から標的は俺になった。そして俺が庇った奴はそちら側に加わった。

まあ集団リンチ的なアクティブなことには晒されなかったが、無視、そして嫌がらせ競技に使うものは何かしら隠され、裏の下水道に放り込まれていたり。クラブチームに通うのに乗っていた自転車は、前後バルブを抜かれ、サドルカッターで切り裂かれ、果てにはサドルごと抜かれて下水道に。

俺は部活を途中で辞めた。顧問も酷い奴で、職員室で何十分も恫喝されたけど。せっかくなので受験勉強に専念することにした。

で、ここから面白かったのよ。俺のやってる競技で強いとされている学校が、実は俺の志望校だった。そこは地域で一番偏差値の高い高校だったのだけど、俺をいじめていた連中は、その高校部活顧問に賂(まいない)を渡して便宜をはかってもらおうとしたらしい。その顧問は俺の親父の友人で、そういう行為を何よりも嫌う人だったので、親父経由で速攻話が伝わってきて、俺はひぃひぃ言って笑った。バーカ、そんなに入りてぇんなら何故勉強しねぇんだ。俺は勉強する方を選んで、まあそりゃやりましたよ。

で、卒業の時期。俺はそこに合格いじめに関わってた連中は結局受験することすらままならず、しかレベルを下げに下げた第一志望にも軒並落ちたらしい。卒業式のとき体育館の横で群れてるそいつらの目前に通りがかったが、そいつらは誰ひとり、俺と目も合わせなかった。

……と、まあ俺の思い出はどうでもいいよな。こいつらが、俺にしたことを今でも覚えているかどうか、って話さ。おそらく皆、都合の悪いことはけろっと忘れていると思うぜ。大人になってから追及されてもな、こういう手合いは言うのさ。「遊びのつもりだった」とか何とかな。やられてた側にしたら、

「遊びのつもりだった」は、

「殺すつもりはなかった」という、

殺人犯言い訳と同じ。

https://twitter.com/Shinoyan0726/status/1099479229547274240

なのにな。

から、アンタのことも、集団の中でアンタをどう扱ったかも、おそらく半分位は忘れていると思う。しか本質は変わっていないと思うぞ。三つ子の魂百まで、ってやつ。だからあえて近付きなさんな。

2019-02-09

中学校の時の先生に対する後悔

当方、地味な人間人間関係もあまり良くなく楽しい学校生活は送れなかった。

T先生という人がいた。

数学を受け持つ先生だけど、数学の授業は、できる生徒、まあまあできる生徒、数学が苦手な生徒の3クラスで分けられていて自分はまあまあできるクラス数学の授業を受けていたが、T先生数学が苦手な生徒の授業を受け持っていて、自分とT先生中学校の3年間で一切の関わりがなかった。

中学校卒業式の日、卒業証書授与とかの一連のプログラムが終わって、自分も含めた卒業生たちが出席番号順に体育館から外へ出ていく。玄関在校生先生たちが出迎えてくれている。

みんなそこで仲が良かった人同士で記念写真をとったり思い出話をしている。

自分は他の学年の人とは関わることがなかったし、そこにいても特にやることもなかったので、そのまますぐ帰ろうと思って、ただ歩いて在校生の間を抜けていく。

突然後ろから誰かが僕の肩に手を添えて来た。振り向いたらT先生だった。「頑張れよ」と言っていた。

T先生は生徒から嫌われていた。

自分はT先生と関わりがなかったからなぜ嫌われていたのか本当の理由かはわからないが、おそらく嫌われていた原因はT先生の外見ではないかと思う。

太っていて、脂ぎってるくせ毛で、なんとなく中学生ぐらいの年齢だとそういう人を集団で嫌う現象があることに心当たりのある人も多いと思う。

自分は一切面識のなかったT先生卒業式で話しかけれて、驚きもあり、そのまま何も言わずにT先生から離れた。

離れてT先生の様子を見てみたが、特に他の生徒に話しかける様子もなかった。T先生はなぜか僕にだけ親密だった風な言い方で話しかけて来たようだった。

「一切関わりがなかったのに、なぜ僕にだけ話しかけて来たんだろう」

ちなみにこの時思った↑の疑問の答えはその時も、今現在もわからないし、もう一生謎が解けることはなさそう。

T先生がなぜ僕にだけ話しかけて来たのか、色々考える。

なぜT先生は僕にだけ話しかけて来たんだろう。

T先生はみんなから嫌われていたから、「自分のことを嫌わなさそうな大人しそうで地味な生徒に「頑張れよ」と言っておけばきっといい先生としてポイントアップする」と思っていたのではないか

僕のことを地味なやつと思って接してくるなんて、ショックだ、なんてひどい先生

それだけでは飽き足らず人をいい先生押し売りの道具として扱うなんて、最低だ。

それもそんな最低なことを卒業式という最終日にやってくるなんて。そもそも面識にないのになぜか話しかけれて怖い。自分はT先生に対して殺意まで湧いていた。

今の年齢になって思うのは、あの時に思った↑のような考えは、全く自分本位な勘違いだとわかる。

地味でつまらない学校生活を送ってしまった自分。それを受け入れられない、見合わない高いプライドを持ってしまっていた学生時代自分

そんな中、嫌われ物の先生が僕を利用して、他のイケてる生徒から好かれようとしてくる。そんな勘違い

だがもう、自分卒業してT先生と会うこともなく、考えても仕方がないのでT先生のことは忘れていた。

T先生は僕が殺意を持っていることも知らないし、僕が辛い思いだけすれば、それはそれで良かったのだが僕が高校生になった時にT先生を傷つけてしまう。

高校生になって、自分コンビニバイトを始めた。

僕は3年間バイトしていたが、2回ほどコンビニにT先生が買い物に来ているのを見かけた。

向こうは僕に気づいていたようだった、距離は5メートルほど離れていた、僕はT先生を見た瞬間に、卒業式の日の殺意がよみがえる。

顔に出てしまった、ものすごい形相でキレた顔をしてしまった。そんな僕の顔を見てT先生の顔が曇る。ショックだったろう、ごめんなさい先生

そんな僕の様子を察してか、T先生は僕に話しかけるようなことはせず帰っていった。

1回目の遭遇から1,2習慣後、T先生コンビニに来ているのを見かけた。僕がレジにいるのに気づいたT先生からは、ショック、または怖がっているような雰囲気がした。

T先生からしたらなぜ僕が嫌っているのか全く意味不明だろうから、そうなるのも無理はないと思う。

これは僕の予想だけど、なぜ僕が嫌いなのかの理由が知りたくて、2回目来たのではないかと、ちょっと思ったりしている。

2回目も僕はT先生に対して思いっき嫌悪感を持った態度を出してしまった。それは別にT先生にやり返そうとかい感情ではなく、ただ単に心の底からT先生を嫌っていて自然と態度にも出てしまったものだった。

その時も何も言わずT先生は帰っていった。

先生を傷つけてしまたことを、今の年齢になって後悔しています

ここまで読んでくれた方なら、なんとなくわかると思うが、僕は頭のおかし人間だ。だからT先生、僕に嫌われても何も気にするようなことじゃないんですよ、僕が人間として至らないだけなんですよ、先生は何も悪いことをしていないんですよ。

もう何年も昔のことでT先生がどこで何してるかもわからないし、そのことを伝えることはできないわけだけど。

そして自分のこの性格で他にもたくさんの人を傷つけて来てしまった。

後悔の念ばかり、もし人生がやり直せるなら、誰も傷つけずに生きて行きたい。

もし、同じ時代自分とは別の人間として生まれ変われるなら、僕が誰かを傷つける前に殺しに行きたい。

どうしていいかからないので、とりあえずユニセフに毎月募金を始めた。

この世には募金ビジネス超儲かるウハウハなんて人もいるだろうけど、そんな人も含めて、僕の金で誰かが喜んでくれるなら本望な気がする。

僕が中学生の頃から自分の驕りたかぶる性格と向き合って、後悔する努力すれば何か変わっただろうか。

この世に無数にいる人間の中で、自我を感じられるのはたった一人、自分だけ → 自分特別という勘違い

全ての人に主観があることに気づけない想像力のなさ、頭の悪さ、出来損ないの自分が恥ずかしい。

自分で考えても間違いだらけだった、今の僕に何ができるか、誰か頼む教えてくれ。

2019-01-26

高校生の頃M-1甲子園に出た思い出

いまから十数年前、高校生の頃に「M-1甲子園」というイベントに出た。

よしもとが主催イオンが協賛の高校生漫才コンテストであり、吉本素人高校生の中から未来スター発掘するという意図がある大会なのだが、いろいろ不可解な思いをしたので書こうとずっと思っていて、昨年末とろサーモン久保田上沼恵美子への暴言立川志らくM-1での審査を評したブログホッテントリになったタイミングで書きたかったが師走の忙しさで書く時間がなく無下にしてしまった。

もうタイミングを逃したのだが、今年のM-1まで取っておいても書くのを忘れてしまいそうなので、今このタイミングで書かせてもらう。

俺が高校生だった十数年前、地元イオンM-1甲子園なるイベントの予選があるので出場しようと友人から誘われた。

俺は中学文化祭で、生徒が体育館ステージで催し物を披露するコーナーで中2から2年連続漫才をし、2年連続投票の結果優勝した。それまでギター覚えたてのヤンキー稚拙演奏披露しイキがる場でしかなく、ヤンキー以外の出場は暗黙の了解禁忌とされていた雰囲気の中において、ヤンキー許可くそこに割って入った俺の漫才が優勝したのだ。

中1の頃はオタク扱いされスクールカースト底辺だった俺が、中2の文化祭から学校の人気者となれたのだ。その年頃の女子というのはスポットライトを浴びた男だったら誰でも良いようで、それまで俺のことをゴミのような目で睨みつけ忌み嫌っていた女子どもが急に俺のことをチヤホヤしていたが、俺は奴らのことを恨んでいたので硬派気取ってまるで無視していた。今考えたらやれたかもしれない。

高校生になってから文化祭の時の相方とは違う高校に進んでしまい、相手部活に勉学に励みたいとのことで漫才は続けられなかったところ、別の漫才をやりたかったという友人が俺をM-1甲子園に誘ってくれた訳だ。

予選通過したら東京で決勝があり、優勝したら賞金20万円貰えるらしいのだが、まあ、中学の時の相方は笑いのセンスもよく、俺の書いたネタ文句も言わずそのまま受け入れてくれ、相性もよかったので満足いくネタ披露でき爆笑をかっさらうことができたのだが、M-1甲子園に誘ってきた奴は笑いのセンスがまるで無いどころか俺の作ったネタにいちいち文句を出し、その割に自分ネタは書かず俺のネタベースにまったくつまらない方向に改変を要求し、お笑いをやるっつってんのに道化を演じるのが嫌なようでかっこつける言動ばかり取りたがり、人を笑わせたいというよりスポットライトを浴びてただ女子モテたいだけという性欲しか感じられない奴で、ああこりゃあクソ滑りするなあ予選絶対通過しねえなという未来しか見えなかったが既にM-1甲子園エントリーしてしまったので後の祭りだった。

俺は学生ながらに雑誌読者投稿コーナーや深夜ラジオネタ採用され、ネット大喜利で優勝を経験している職人だったので、ネタ作りに関しては自信があったのにも関わらず俺の意図した笑いどころが全却下された挙句ただ男子高校生ふたりまらない立ち話をするだけの漫才とは言えない地獄のような内容しか用意できずM-1甲子園の予選の日はやってきた。今もその日を鮮明に記憶している。

当日、そいつは気になっている女子をつれてきて、もうすぐ始まるつってんのに、つまらない内容だがネタ合わせだけはしておきたい俺を尻目に女子と2人でイチャイチャイオンゲームコーナーでずっと太鼓の達人をしていた。

高校生なので楽屋などなく、これから始まるショッピングモール広場に用意された舞台周辺に出場するっぽい高校生がぞろぞろ現れ始めた。俺も1人そこで待っていると、出場するっぽい奴が近づいてきて「あれ?見ない顔ですね?普段どこでやってるんですか?」と声をかけられた。

見ない顔?普段どこで?純粋素人高校生が集まっていると思っていたのだが、こいつら普段どっかの舞台出てんのか?

質問意味がわからないので「人前で漫才やるのはこれが初めてですね〜」と答えると、「あっ…」といった顔をしてそいつは離れていった。

通りすがりの子連れ家族父ちゃんに「これから漫才やるんですか〜?誰が出るんですか〜?」と聞かれ「高校生漫才コンテストです」と答えると、「なんだ〜素人か〜絶対つまんねえな〜誰が見るんだそんなの」と吐き捨てられた。俺がこれから出るんだよ!という不快になる一幕もあった。

するとイオンイベント担当みたいな人が出てきて「これから始めます」と胸につける番号札みたいなのを配りだしたので、急いでゲームコーナーから相方を引っ張り込んできた。

審査員は吉本芸人だ。各地方吉本事務所があり、うちの地元吉本芸人審査員として招かれており、イベント開始直前に腰を低くしたイオンスタッフに先導されながら会場へとやってきた。

すると、それまで会場でそれぞれバラけてダラダラしていた、これから出場する高校生達が一斉に一列に並び、もう夕方なのに「おはようございます!」と業界丸出しの挨拶で綺麗にお辞儀をした。

それに対し審査員の吉本芸人は「おう、頑張れよ」と一言いうと審査員席に着座した。

そんなん知らん俺はもちろん並ばず業界挨拶もせず、ポカーンですよ。こいつら、全員吉本の息かかってるやんけ!

その瞬間、この大会意図を把握した。これは、吉本の息がかかっている、将来吉本所属が決まっている高校生を集めて、あくま素人として吉本世間に紹介するイベントなんだと。

予選出場の高校生コンビは全部で10組、俺の他にポカーンとしていたのは1組だけだったので、確実に素人と言えるのは俺とその1組のみで、残り8組は吉本の息がかかってる連中なのだ

じゃあ、どう転んだって完全な素人絶対に予選通過しねえじゃねえか。これから俺が滑るのはわかりきっているとはいえ、一気に冷めてしまった。

いざ漫才が始まると、さすが審査員の芸人おはようございますと礼する連中だけあって普段から仕込まれているのだろう、みんなしっかりとしたネタをして、横で観ている俺は笑ってしまった。

けど、他の吉本の息がかかってると思われるコンビは、他のコンビネタには一切笑わず鬼のような目で睨みつけていた。怖っ。

で、いざ俺の出番がきたが、ボケもなく笑いどころのないネタウケるはずもなく、少数集まった観客が舞台に目を向けず全員が手元の携帯を見ているという、生きた心地のしない地獄のような時間だった。死ぬかと思った

漫才が終わり、審査員が苦笑いをしながら「独特な世界観ですね」とだけ言った。

その後の出番だった「おはようございます」を言わなかったコンビもやっぱり面白くなかった。

もちろん吉本高校生の中から東京行きが決まり、もうこいつとは二度と漫才しねえと決めて、素人であるはずの高校生たちの不可解な行動に疑問を持って帰った。

次の日エゴサーチをしてみると、2ちゃんねる芸人板で俺がクソつまんねえとボロクソに叩かれていた。死ぬかと思った

その数週間後。

深夜に何気なくテレビをつけていると、地元ローカル番組吉本若手芸人ネタを見て笑ったら罰ゲームというコーナーが始まった。

ローカルタレントがニヤニヤしながら口に牛乳を含み、そこに出てきたのはイオン漫才をやった高校生たちだった。

えー!?もう「吉本若手芸人」って言い切っちゃってるじゃん!!じゃあもうこいつら素人じゃないじゃん!!

高校生という紹介もなく、あの日イオンで見た連中全員がその番組で「吉本芸人」としてネタ披露していた。

息かかってるどころか、地元ローカル局とはいえテレビ仕事受けちゃってる時点でプロだよね!俺の予想は正解に近かったのだ。

ええ、こいつらプロじゃんと思った俺は地元吉本所属芸人一覧をネット確認したが、あの高校生達は誰も所属芸人に名を連ねていない。

なんなの?やっぱり素人なの?どっちなの?謎は深まるばかりである

その数日後、この連中は「素人なのかプロなのか」の事実が判明する。

学校から帰ってきてバイトに行く準備をしながら夕方ローカルワイドショーを見ていると、地元芸人を夢見る高校生に密着した特集がはじまった。

そこで特集されている高校生漫才コンビではなくピンなのだが、ただつまらないダジャレギャグをするのみで舞台では滑り続け、ライブで勝ち上がれなく悩んでいるという。

舞台!?ライブ!?

仕組みはこうだ。吉本事務所には芸人を夢見る高校生が次々駆け込んできており、ライブで勝ち上がれば晴れてプロとして吉本所属できる仕組みで、そのピン高校生プロを目指しているがライブで滑り続けてなかなか勝ち上がれないのだという。

吉本稽古場みたいなところでネタ見せをして、社員なんだか作家なんだかわからないがその様子を見ていた大人からまらない、それじゃ勝ち上がれないぞと叱責されそのピン高校生は悔し涙を流していた。

そのシーンで、あのイオンで見た高校生たちも映り込んでいた。特集は「頑張れ○○くん!未来スターとして応援します!」と締めくくられた。

まり吉本所属プロとは言い切れないが、「吉本預かり」として普段から吉本舞台に出演していて、稽古場では吉本人間から指導されている。それで、たまにテレビにも「吉本芸人」として出演しちゃう

もうこれは素人とはいえないのではないか。完全に吉本の息かかっちゃってるんだもん。

その当時、M-1甲子園で決勝を勝ち進んだコンビが実は松竹芸能所属事務所ページにもプロフィールが記載されていた)だとわかり、M-1甲子園の「プロは出場不可」というルールを破っているのではないかお笑いファン掲示板炎上していたのだが、それ言ったら出場している高校生の大半が半分プロみたいなもんじゃねえかと思った。

やっぱり、この大会は「素人高校生の中から未来スターを発掘」なんて意図じゃなくて、「吉本預かりの芸人世間認知してもらう」大会しかなかったのだ。

その頃は世間で圧倒的な若手お笑いブームだったこともあり、素人大会と銘打ったM-1甲子園ですらネットではちょっとした話題になっていたのだが

俺が高校卒業する頃には審査内容の不透明性などが指摘され盛り下がる一方で、ネット話題になることが全くなくなってしまった。

高校卒業したら芸人になりたいと漠然と思っていたが、こんな経験をしたので絶対吉本に入ることだけはないなと考えていた。

高校卒業後、イオンで見た彼らのコンビ名でググって現状を調べてみたのだが、そこから吉本所属することな芸人の道を諦めそれぞれ大学に進学したり就職したりしているようだった(そいつらのブログを見つけたのだが解散報告などをしていた)

そんな俺も相性の良い面白相方を見つけることもできず、ピンでやる度胸もなく、そのまま普通にサラリーマンとなった。

その後M-1甲子園は「ハイスクールマンザイ」というダサいイベント名に改名し、一時はその様子が全国放送などされていたようだが全く話題になることがないのでもうとっくに終わったイベントかと思っていたら、今調べたら去年もやってたみたいだ。

やっぱり今も「吉本預かり」の高校生けが集まるイベントなんだろうな。

2019-01-17

阪神淡路大震災の思い出

あの頃、私は大阪大学研究室で、毎日ひぃひぃ言いながら研究に明け暮れる日々だった……とか書くと、何自慢してるんだ、とか言われそうなのだけど、なかなか良い結果が出ずにひぃひぃ言っていただけの話で、色々辛い思い出ばかりの時期だったのだ。

そんなときに来たのがあの地震だった。私は深夜に戻って寝ていた下宿であの地震に遭遇したのだが、幸いそこは大した被害はなかった(室内はぐちゃぐちゃになったけれど)。しか大学は、あちこち建物の窓が割れていたり、ある建物最上階ではボヤになったり、実験に使っていた装置のアラインメントが狂っていたり……と、色々と問題が出て、その後も何か月もの間尾を引いた。友達の一人は、家の壁が抜けてしまい半壊認定、そして転居することになったのだが、もともとが貧乏人(馬鹿にしているのではなく、私も同様の貧乏人だった)だったので、見舞金で一種焼け太りとでもいうような状態だった……いや、でもあの忙しい時期に引っ越すのはそれはそれで大変だったと思うけど。後輩のひとりは家が全壊し、しばらく研究室に住み着いていた。よく研究室シンクで、湯沸器で行水していたっけ(後で考えるに、体育館にでも行けばシャワー位ありそうなものなのだが)。

そして……ここからがこの文章の本題であるあの日から一週間程過ぎた頃、隣の学科教授が亡くなったという話が聞こえてきたのだ。その教授はある分野ではかなりのビッグネームで、私も概論のような授業でその教授の授業を受けたことがあったのだが、私の専門分野とは微妙にずれたものだったので、それ以上の関係というのはなかった。ただ、そのときの状況は、そんな位置にある私から見ても何やら奇妙なものであった。普通教授が亡くなったら、それはそれなりに騒ぎになる。病気療養中のところ、とかいうならまだ準備ができているかもしれないが、聞いてみると、やはりあの震災で亡くなられたのだというのだ。だったら尚更、騒ぎになってもよさそうなものではないかしかも一週間過ぎてから……どういうことなのだろうか。

友達に一人だけ、その学科学生がいたので、学内で見かけたときに思い切って聞いてみたのだ。彼は言葉少なく、

ちょっとな……」

ちょっと、って、何よ」

「色々あるんや。言われへんこともあるんや」

言われへんこと……そのときは、ちょっと想像がつかなかった。まあ、周囲の目もある学内から、話そうにも話せないことでもあるかもしれないんだが……でも、殺されたとかいうならまた別だけど、そういうわけでもなさそうだ。一体、何が問題なのだろうか。

共通の知人の家で遊ぶことがあったので、思い切ってもう一度聞いてみると、ようやく彼は事の経緯を教えてくれたのだった。

その教授は、最初行方不明という話になったのだった。確かに震災があったわけだが、その教授の家があったのは大阪である大阪も、場所によっては確かに酷いことになっていたのだけど、その教授の家はそういうこともなかったらしい。しかし、教授と連絡が取れない。そうなって三日が過ぎたとき、思いもよらぬ報せがきた。神戸市内のある倒壊家屋で、その教授遺体発見されたというのである

「……何故そんなことに」

「……俺もな、話聞いて、最初分からんかったんや」

「で?」

「その家屋、ってのが問題なわけよ」

教授遺体と共に、一人の女性遺体発見された。そして判明したのだが、この女性教授愛人だったのだ。つまり、この教授神戸市内に妾宅があり、そこに滞在していたときにあの地震に遭遇、倒壊した家屋の中で亡くなったということらしい。

「……そんなことって」

「あるのか、って思うやろ? 俺もそう思ったけど、事実そういうことらしい」

しかし、じゃあ何故その後更に時間がかかったわけよ」

恋人でなく愛人と書いたこからもお分かりかと思うが、教授には家庭があり、夫人がおられた。その夫人が、教授遺体の引き取りを拒絶し、その後の説得に対してもなかなか翻意しなかったのだという。まあ、この夫人心中を思えば、むべなるかなとも思うわけだ。三日間、消息心配していたその矢先に、思いもかけぬ場所で思いもかけぬ経緯で命を失い、しかもそれが自分への裏切りとセットになって報されたというのだから

こういう学界のビッグネームが亡くなったときには、その弟子や同じ分野の研究者達が「追悼論文集」をまとめ、出版するのが通例である一年近くの後、この教授の追悼論文集が出版され、私の研究室にも回ってきた。教授をしのぶコメントに目を通してみたけれど、「不幸な事故に遭われ……」としか書かれていない。私もいくつかこの手の論文集を目にしたことがあるけれど、何々という病気で闘病され、とか、これこれの事故に遭われ、とか、少々リアルな話が書かれていることが多いものであるしかし、そりゃあ弟子業界関係者も、今回ばかりは書きようがない。論文集を読むだけでは、何かその教授がすっと消えうせたかのようにしか思われない。そんな印象が今も強く残っている。

私はこのことから何を学んだか。いか天災であったとしても、この教授は、自分が死んでしまえば後のことは知らない……などとはとても言えない程に、残された人を深く、多く傷付けることになってしまったわけだ。家族だけでなく、自分の育てた弟子と言ってよい研究者達も、師匠を突然失った喪失感を抱えつつ、その師匠のこんなことをどう扱ったらいいものか、と困惑し、悩みながら後始末をするはめになったわけだ。どれ程高潔に、後々の準備をして死んでいく人であったとしても、そういうものを完全に残さずに逝くことはできないだろうけど、やはりあれはまずかった。自分がある日この世から消えて、その後に残される近しい人達のためにも、誠実に生きていかなければならない。いや、それ以前に、自分がそういうことに対して誠実になりたいと思えるような、そんな生き方をしなければならないんじゃないか。そう思ったのである

2019-01-16

被災者ですら体育館に住んで感染症を起こさせる国なのに

anond:20190116214852

ホームレスが住居ですか

被災者さえ仮説に入れない人がいるのにホームレスときが大きく出ましたね

2019-01-15

パンティー抜いちゃいけません!

被るのダメ!だけじゃなくて、

体育館では「壁沿いに行列作って順番にパンティーを並べるもの」だと思ってる人がいて困る。

(定員数のある体験系の展示や、ギャルパンティーみたいに1作品大人数が集中している場合は順番の意識必要だけれども)

2019-01-14

いつもより数時間遅れでごみ収集に来たので、何かあったん?って聞いたら、道路が混んでたかだって

何で混んでるのかと思ったら、幹線道路沿いの体育館成人式やってて、送迎の車のせいで道が詰まってたらしいね

成人式なんておもしろニュース提供するくらいしか能がないんだから、せめて周りに迷惑を振りまくなよなー

2019-01-09

オー・ヘンリー怪作選

マドレーヌ専門雑誌

人類初の十字架

暮らし芸者

風に飛ばされない研磨剤

色あせた成長記録

トイレ洗剤の父

奈良漬ガンマン

メスシリンダートイレ

点字で書かれたランボルギーニ

鉄粉コーティングしたNo.1アメリカン

総務様来訪中

スケルトンカフェオレ

日本海武器輸送

続・CM

大衆爆薬

指導者計測機

神父の見抜き方

タイツ診断書

自動ドア用水

溶接タイプ表現者

画材病室

プロペラをまわす素数

屋台奮戦

ガイガーカウンターフェスティバル

卵をあたためる釣り

消火栓タイマー

交付金navi

洪水のような金屏風

会員限定どんぐり

むにむに神社

ちゃんとしている移民

飛行場民宿

ズボンしか履かない面接

田舎ゴルフ会員権

心霊音叉

せせらぎ委員長

食器演算子

ベビーカー生誕の地

マッサージチェア上手

ロレックス合唱

母性添加剤

促進センターはどこへ?

土俵ティンパニ

金曜研修

空一面を覆うスーツケース

逆利きミニ四駆

地の果てアップルパイ

コーンポタージュ商品券

闘争経験

辞表見張りサービス

人材育成センター

棋士

ドイツ仕込みの水銀

本格派の二人組

しおりを挟んだブルドーザー

イヤリング型の宇宙ステーション

来店検知震度計

記事劇場

カーネーションバレエシューズ

介護養蜂

経験信号機

かつお旅人

落武者の周辺が騒がしい

毛筆時間です

デートで使える修正ペン

ネクタイ宇宙ステーション

砂漠新聞

引き出しがついた基準

愛犬シロップ

未亡人剥製

地図入り大論争

襟と灯台

裁判官経済特区

マリア品評会

防塵試写会

路線図教習

組み込み内閣

アドバルーン製本機

実業家鹿鳴館

歌姫出生届

後味の悪い船旅

多摩平団地を支える南京錠

石油王派遣会社

マインド祭列

通電稼業

宣教師部品

インベーダーフェア

煉瓦猟師

恐縮仕様書

埼京線地球儀

うなぎ従事

イオン裁判官

水かきはしご

トーク(西フランスより)

地下水くみあげ方程式

女子忘年会肌着

借用書今川焼

半月スポンサー

編集部員大画面時代

通り雨コピー機

ビジュアル系渡り廊下

スカーフ島耕作

決定戦3級

生々しいアパート

広告代理店短冊

怖すぎるネット書店

ランニング相場

ゴマだれ選挙

少数民族日記帳

高等学校別料金

美人スクワット

拝みソムリエ

背中を支えるセメント

丸腰試作車

ボウリング球御膳

VR体験する渡り

パノラマ勉強会

夜の海

なりすまし祭り

働き者競争

売り切れ上司

三本足がついた発光体

貢献アトム

一家揃って漁港

中身を隠す深呼吸

立地羊飼い

富士山貸金庫

ストーン重量挙げ

ヤシの実ショートムービー

リンパ慕情

朝ドラインターホン

日光杉の乾物

異常をメールで知らせる応接セット

年度末電力

極貧レスキュー

勝ち逃げ同窓会

上げ底ホームパーティー

蚊取りパーツショップ

鉱山ティー

年功序列入会申込書

もも課長

心拍ハイライト

個人向けモンローウォーク

海外視察ツアー重唱

横須賀海軍ゼミナール

ビギナー向け討論番組

ベーカリー住民投票

とうがらし合宿

焼き色をつけたショッピングカート

9つの機能を備えたトンネル

解毒作用のあるレシピ

スタジオ列島

落語家生活

一億総ガンマン

桜田門観光バス

自らを育てる体育館

産卵さら

グラフィック投票所

YMO狩り

世渡りミニバン

ヒッチハイク進行中

女将重量挙げ

タイヤホイール講師

岩肌ロータリー

わかりやす企業案内

カプセル型の卒業アルバム

宙返り商談

サッカー部印鑑証明書

感想抽出

見よう見まねコンデンサ

職場に設置したルー

家賃ステッキ

おかえり鍾乳洞

CG格納庫

エアコンつきの外車

インベーダー消しゴム

三三七拍子POP

ファシスト接待

忘れ物が減るTシャツ

世俗心理カウンセラー

テレビ支援センター

担当役員ファッションショー

世界最古のスコアラー

鉄道業界向けホットケーキ

残念なスイートルーム

ドリンクチキン

交通ルー睡眠

助言を求めてくる合格発表

神経細胞楽譜

粒貝Gメン

未亡人の正体

インクを使った処理

お宿デー

よろしく採用活動

アフィリエイト馬主

から吹き矢

ふりがなアイシング

遠征の胃袋

氷再配布

見世物ペットボトル

のぞきブログ

環太平洋コピー機

社会栽培キット

似たものハンドブック

離婚調停兵士

ぐっすりくじ

正体不明の売買

索引まとめサイト

瀬戸内定食屋

バレエ猛虎

宅配便で送れる特急

ピコ宿泊

部屋の半分が担架

ダビングできる土佐犬

未来都市促進剤

ストライクゾーンの広い学長

損益分岐12ヵ月

手品難民

2019-01-05

ライブに来てもらえるというのは普通のことではない

ご当地アイドル推している者です

推したちがドームライブをするようです(もうこの時点でわかる人はわかる)

もともと無謀なことに挑戦させられるグループだけど今回は流石にひどすぎた

最高動員が体育館2日間で約14000人のグループドームライブ?無謀にもほどがある

別にドームライブすることは良いんだけどライブに来てもらえるというのは普通のことではない

そのアーティストのためにウン千円という金を払うのはファンなら容易いことだが、さほど興味のない人間からしたらありえない事なのである

どれだけアーティストが呼びかけてもどれだけオタクチケット配っても相当な興味がなければライブなんていかない

そんなこともわからない運営に冷めてしまった



席種にアリーナスタンド指定席スタンド自由席とあるんだけどツイッターみてたら自由席が恐ろしく広がっていた

正直、「終わったな」と思った

当日は同じ事務所アーティスト全員来るしなんなら外国の謎のグループも来るし正直楽しみとは嘘でも言えない

2018-12-28

中学生の頃、いじめにあった。

さほどひどいいじめではない。たぶん大して理由もない。相手の虫の居所が良くないときちょっと無視されたり、部活叱咤激励の皮を被った罵倒を浴びせられたり。その程度だ。世の中にはもっとひどい目に遭っている人がたくさんいる。

しかしそのいじめは、当時の私にとっては世界否定されたと同義であった。だって、私にはそのコミュニティしか場所がなかったのだ。なのに、そこからはじき出される。いらない、死ねと言われているんだと思った。

結果として、私は部活で使う体育館に足を踏み入れるだけで過呼吸を起こすようになったし、人と関わることが怖くなった。それは中学卒業してからもずっと続いた。特に高校生活は灰色だ。保健室で、口にハンカチを当ててゼーゼーヒーヒーいっていた記憶しかない。

自分は誰からも嫌われる、この世にいらない人間なのだと思った。その気持ち大学生になっても、社会人になっても、ずーっと消えなかった。

社会人になって、すぐの頃。仕事がうまくこなせなくて、同期や先輩とのコミュニケーションも上手にできなくて、私は自己否定がやめられなくなった。過呼吸を通り越して不眠症になり、やがて抑うつといわれる状態になってしまった。

入ったばかりの会社休職した。人生ではじめて心療内科に通った。さほど医者に助けられたとは思えないけれど、とにかくいろんなことを考えた。

私の人生にはなんの希望もない。親ですら私を見て、こんなに困っている。苦しい思いをして生きるくらいならもう死にたい。どうせ誰にも求められていない。

はじめは、そんな感じ。だけどだんだん、私は腹が立ってきた。自分にではない。世界のほうに、だ。

私をこんな風に生んだ親が憎い。私をこんな風に育てた親類や先生が憎い。私をいじめた奴らなんか特に憎い。死んでしまえと思う。私の人生がめちゃくちゃになってしまったのは私のせいじゃない。好きでこんな風になったんじゃない。世界が悪い。世界が、世界が、世界が……。

ああ私はずっと怒っていたのだな、と、正常ではない頭で薄ぼんやりと思った。考えてみればいじめなんて、いじめられている側からすればひどく理不尽理由で起こるものだ。どういうわけか私はその理不尽に、無理やり理由をつけて自分を納得させ、怒りを抑え込んでいたらしい。タンブラーにそのとき気持ちを書き殴っている。読み返すとあまりにも憎しみがむき出しで、気分が悪くなる。でも、それほどまでに怒っていたのだ。そしてそれに気づかずにこれまで生きてきた。病気になるわけである

散々怒って泣いて、一ヶ月後、私はひとまず正常に戻った。

そのあとも何度か危うい橋を渡り、薬でどうこうするだけでは根本的な解決にはならないと思い至り、現在カウンセリングに通っている。

いままで書いてきたような話を洗いざらい聞いてもらって、なんだかずいぶんと楽になった。こんがらがった感情を解いていく中で思うのは、私はやっぱり怒っていて、多分一生怒り、憎み続けるのだろうなということである

それも、いいんだよ、と先生は言った。許せないことは許せないことでいいんだよ、と。私にはそれが正しいアドバイスなのかどうかが分からない。全部許せるのが本当はいちばんいいんじゃないかと思う。

でも、許さない。

あの無邪気で残酷だったかつての子どもたちのことを私はきっと一生許せない。

2018-12-27

anond:20181227001545

横田だけど高校は無かったな。

さすがに体育館前にはあった気がするけど。

2018-12-15

主人公ヒロインがうまくいくように体育館倉庫に閉じ込めた友人が監禁罪逮捕される回

2018-12-05

「ご自由におとりください」

体育館入口に貼ってあって「あれ?」と思って入ったら阿波踊り練習会場だった・・・

知り合いのおばちゃんに捕まって2時間返してもらえなかったよ ヨヨヨ・・

2018-12-01

はてなーが今年釣られた出来事

体育館エアコン大学図書館の蔵書破棄、液体ミルク日本イタリア災害対応比較、あと何かあったっけ。

何にせよ、全部に引っかかった人はネットでの情報収集は最小限にした方がいいぞ。

煽られて吹き上がって弁護士懲戒請求とか出しても誰も助けてくれないから。

2018-11-28

中学3年まで特別支援学級だった自閉症児の息子が大学合格した

 参考になるか知らないが、適当に綴ることにする。

 語尾がバラバラなのは許せ。(気が向いたら編集するが)

まずは生い立ちから

 3歳になっても言語を全く話せず、クレーン動作を始めとした典型的自閉症状を示していたため、児童センターを介して専門機関受診したところ、聴力も問題なく知的障害自閉症)との確定診断。

 そのまま知的障害者の扱い(療育手帳交付)。

 応募した私立保育園には全て断られたものの、自宅から少し離れた市立保育園へ無事入園

 「知的障害児」ということで、ほぼ専任のような保育士さんを増員していただき、時々奇声を上げて脱出を企むながらも、最後まで追い出されることなく何とか卒園

 保育園の間は、ずっと会話は不成立。

まずテレビを捨てました。

 3歳でビデオデッキ操作(VHSカセットの交換・スロー再生・逆再生等々)をマスターしていたものの、毎日テレビの前でビデオ操作しながら、全く同じシーンを延々繰り返しながら奇声を上げて踊ってる有様。

 確か「お母さんと一緒」のビデオだったと思いますが、キメのポーズのところで一緒にキメて、そりゃ見てて可愛いわけですが、親からの会話は理解できていない。

 テレビに映った、いわゆる芸人さんの笑いを(意味も分かってないくせに)オウム返しし始めたあたりで、これはヤバいと感じ、(当人は知らない)裏のコンセントをコッソリ抜いて「テレビさん壊れちゃったみたい」ってやってやりました。

 しばらくは寂しそうにしていたのですが、何ヶ月かしたら、直ったか試すこともしなくなったので、未練がなくなったのだろうとテレビごと廃棄。

 たしか4歳か5歳の頃だったと思いますが、この時から自宅からテレビがなくなりラジオだけの生活になりました。寝る時に子守歌かわりの童謡CDを流す習慣にしていたのですが、高校1年くらいまでは寝る時に自分操作して鳴らしてましたね。(ずっと川の字です)

 テレビがなくなると空いた時間を埋めるべく、絵本をめくったり、オモチャを手にしたり、パソコンに興味を示したりするようになりました。テレビは捨てて正解だったと今でも確信しています。(モニターDVDは視聴可)

小学校先生に恵まれました

 発語はあるが会話は成立しないのですから小学校は当然にしてストレート特別支援学級です。

 集団登校には親の同伴を求められたので、6年間ずっと同伴通学でした。(とは言え、後半は列の後方から見守る程度ですが)

 「環境の変化」と「予想しない事態」に極度のストレスを感じるのが自閉症児の特徴なのですが、特別支援学級の1年生~5年生まで、担当教諭の異動がなかったことが幸運安心すると精神状態が落ち着くんですね。

 特別支援学級教諭って、ナニかワケありで左遷ポストみたいな雰囲気があると思うんですが、1年生~5年生まで担当して下さった教諭は全く違ってました。

 言葉で書き尽くせないのですが、自閉症児では健常児以上に苦手なところが多いのですが、無理矢理に克服させようと正面突破させるのでなく、苦手なところを避けて歩く方法みたいなことを息子に伝授してくれたように感じます

 予期しないことが起きるとパニックに陥って奇行が始まるのですが、先に予定が分かっていて、その予定どおりに進行すればパニックは起きにくく、そういう特性最初から見抜いて下さって、本当に上手に導いて下さいました。

 伊藤先生、今でも感謝しきりです。(年賀状は欠かさず(息子に)出させてます

ほぼ毎週のように外出しました

 息子にはとにかく外界からの刺激が必要だと思って、ほぼ毎週、公園だの何だの、とにかく外へ連れ出しました。200キロ距離にある実家へは毎月通ったり、とにかく土日2日とも家に籠もっていたことは年に数えるほどだろ、という位に連れ出しました。

 電車が好きだったので、環状線一周(全ての駅で降りて看板写真を撮る)みたいな、そんなオタッキーなこと喜ぶ児童がいるのか?みたいなことやってました。時効から打ち明けますが、1区分切符でずいぶんと遠回りさせて頂いたこともあります

 地名や駅名とかはすぐに覚えましたね。

 実家へは(下道で行くと)幾つものトンネルをくぐるのですが「このトンネル最後」みたいなこと言ったり、いついつにこういうことがあった、みたいな何年も前のことを年月日まで揃えて呟いたり、とにかく記憶力だけは半端ない

 ちなみに息子と年子の妹(健常児)がいるのですが、彼女存在も大きかったように思います。友だちのいない息子にとって、唯一の同年代の子どもが妹だったのですから

 特に小さい頃の妹は兄の障害のことが分からないので、時々は手を繋いだり引っ張ったり(兄のほうは照れて逃げ回ったり)、それはそれは友だちのように接してくれたのですから

JRウォーキング企画に連れ出しました

 家族での外出のほか、JR沿線企画するウォーキングに猛烈に参加しました。

 参加するとスタンプが貰えるのですが、有効期限内にフルコンプリートして最上位の景品を貰えるくらい、1級障害者じゃないので運賃は安くならず、相当お金はかかりましたが。

 他の子達と同様、かならず電車最前列に張り付いて、運転手さんの呟き(点呼)をオウム返し。運転席に手が届くような、どこぞのローカル線に乗った時は、運転手さんが息子の点呼(出発シンコー)に合わせてマスコン操作してくれたりで、電車が大好きになったようです。

 あと英語ナレーションも覚えたみたいで、英語が流れないローカル線でも自分英語で This train ・・・ Bound for ××× Thank you! って大きな声で「通訳」すると、周囲の大人が褒めるもんだから、より調子に乗って・・・みたいな。

 10キロとかの健脚向けコースに参加しているときなんかは、おばちゃん達が「小さいのに偉いねぇ~」って飴ちゃんくれたりするものの、会話が成立しない(がんばって1往復)うえに当人は飴なるものを口に入れたがらず。

 食へのこだわりが強烈で、少しでも怪しいものは決して口に運びません。妥協なんてありえないのです。

パソコンに息子用のアカウントユーザー権限)を作って使わせました

 ヤフーキッズブラウザデフォルトにしたのと、使用時間制限(夜の9時だかを超えると使えなくなる)したくらいで、基本的にノンフィルターで使いたいように使わせました。

 パスワードはかけてなかった(息子も自分でかけようとしなかった)ので、時々何をしてるか監査してましたが、Youtube で馬鹿映像を見てるほかは名探偵コナンを追いかけてる風。あとドラえもんプリキュア(笑)

 年頃の男の子が興味を示すサイトへは立ち寄った形跡もなし。アニメ芸能関係Wikipedia更新もやってたみたい。

 基本的には「泳がせながら監査」という状態を続けましたが、ずっとパソコンで遊べるわけじゃありません。

 時々妹がやってきて「私もパソコンを使いたい」って言う話になれば、兄に勝ち目はないので、みすみすパソコンを奪われることに。

 まぁずっとパソコン漬けはよくないし、時々はパソコンを奪われたほうがいい(占有じゃなくて分け合う)と思うので、パソコンを追加することな喧嘩させる選択(妹相手喧嘩練習をしておけ、と)

5年生くらいか運動会で息子が見つけれなくなりました

 3年生か4年生くらいになると、少しずつ会話が成立し始めました。

 その奇行ゆえ、運動会では常に、どんな遠くからであっても、あれが自分の息子だ、って識別できていたのですが、5年生の運動会くらいからでしょうか、一生懸命に探さないと見つけれなくなりました。

修学旅行に息子だけで行けました

 小学校入学当初は「修学旅行へは親さんも同行してもらうことになりますから(同行できないなら修学旅行は無理です)」って言われていたのですが、伊藤先生の後任の女性教諭も「大丈夫でしょう」と。

 無事に一人で(同級生と)行ってきました。

 プラスチックの刀を土産に買って帰ってきましたが、どこが気に入ったのか今でも理解不能。

卒業式

 養護教諭フォローなしに壇上で卒業証書を受け取る息子を見て涙が出ました。

中学特別支援学級

 奇行も減って落ち着いてきたので、普通学級でも辛うじて何とかなるかも?って言われつつも、他の生徒さんに迷惑がかかるといけないと思い特別支援学級希望

 2人の学級で、これまでは異学年の混合授業だったのが、初めての同級生が出来ました。

 しか女の子! だけど家庭の事情引っ越し)で1年で転校して行ってしまいましたが、別れの日は私物を整理して親と一緒に帰る時間見送りに行ったようです。買って持たせた花束の中に、コッソリ前年の年賀状の余り(自宅の住所が印刷されている)を忍ばせておいたのは私なのですが、お礼状と共に今でも年賀状の往復だけ続いています

 その子もワケありなんだけど、息子とは特性が違う(不得意分野が違う)ので、嫁さんになってくれるといいんだけどなぁ~とは心の中の声。

同学年の女の子を好きになる

 気に入った女の子が出来たみたいなのですが、息子の挙動があまりキモかったらしく、当人から拒絶されたうえに親にも厳重注意

性的なことをやったわけじゃありません)

 当人は加減を知らないし、女の子のほうも自閉症児につきまとわれるのは嫌でしょう、分かります

混合授業を希望する

 中学校の特別支援学級担任は、父兄の間で評判の良くなかったらしい教諭が着任して翌年に異動とか、産休予定の教諭が数ヶ月だけ担当して交代とかアレな風でしたが、本人には良い意味で刺激になったよう。

 3年生になり進路が気になるころ、どこへ進学するかはともかく、特別支援学級という超少人数学級じゃなくて普通学級にも慣れておかないと選択肢がないと思い先生相談

 数学理科は進度が全く違うという理由NG が出たものの、それ以外は何とかなるだろうと(授業の妨げになるなら追い出す条件で) OK

 7割は同じ小学校から上がってきた生徒で一応は幼なじみ。1学年50人ちょっとギリギリ2クラス)という少人数な学校だったこともあり、先生の目が行き届きやすいという判断もあってのことだろう。

 JRウォーキング企画を始めとして外にばっか連れ出したおかげか、地名都市位置関係)に関しては健常児を超えていたと思う。

 理科小学校から全く履修していなかった(見込みなしと見捨てて他の教科に割り振られた)のだけど、履修してない教科があったのに卒業できてしまうとは。

偏差値40弱の普通高校合格する

 その下は定時制しかないというランクのところではあるものの、「荒れてない」という理由だけで選択した公立高校に無事に合格

 たまたま定員割れしていた年で、落ちた生徒はいなかったと思うのですが、翌年は定員超えしていたので1年ずれてたらヤバかったかも。

義務教育期間・無遅刻無欠席を達成

 9年間、無遅刻・無欠席ということで学校と市から表彰されました。

 ちなみに一つ下の妹のほうも同じく9年間無遅刻無欠席。

 4歳だか5歳の頃に妹のほうがキャンプに行きたいというので「キャンプ場は遠いよ」って言って大正池から徳沢まで歩かせたり、お山に行きたいと言われれば「山小屋売店であって泊まるとこじゃない」と諭してテント背負ってガチ登山に連れて行ったり、ロープウェイに乗ってみよう!って誘っておいて「入り口は上にあって登らないと乗せてくれない」って登らせて下りだけロープウェイとか、とにかく欺しまくりました。

 温泉に行きたいって言われて湯俣温泉に連れて行った(吊り橋の先の河原で掘って「これが温泉だ」って)のが最凶だったと自覚してます(小2+小1)

 よって、うちの子たちは本当に頑丈です。

高校普通学級で頑張る

 中学までの26~27人学級と違って、40人近い教室で、一人も知り合いのいない学校。つまり他の生徒も息子の特性を知らない。

 小学中学は通しの生徒が多いせいもあって、息子がワケありってのは全校生徒のみならず、その親にまで知れ渡っていて、わざわざ寄りついてくる奇特子どもはいなかったのだけど、高校では最初のうちは先入観なく普通に接してくれたみたい。

 同級生から寄りついて来られたことのあまりなかった息子は話しかけられただけで「友だちができたかも」って思い込んで家に帰ってニコニコ自慢してましたが、それが「ぼく友だちいない」に変わるのはそう遅くはありませんでしたけど。

 とはいえ、友だちが出来ないまま15歳まで過ごしてきてるので、全く気にならないようではあります

 年に数回、学校開放みたいな行事があって親も観に行っていい日には出かけたのだけど、偏差値が低い=ガラの悪い生徒が多い という先入観を見事に打ち破ってくれました。いやほんと、殺伐感の全くないノンビリした校風の良い高校で良かった。

 迷惑をかけるのだからせめてもの恩返しということで、学校保護者委員?(PTAに近いと思うが、もっとイージー)は進んでお受けし、時々校門にたって挨拶運動かに参加したわけだけど、先生命令に従って渋々挨拶してるような感じはなく、どの子自分言葉挨拶してくれて、挨拶運動に参加するのはとても楽しかった。

JRウォーキング企画に一人で参加するようになった

 高校になってから自我が芽生えたか、親と出かけるのを嫌がるようになり(本気で拒絶するほどでもないが)、親としても自立する方向に誘導しないといけないため、JRウォーキング企画に一人で参加することを許可

 前日までに行程(電車の乗り継ぎを含む)と予算を紙で提出すれば金は出すという条件で。

 コンビニの外ベンチにDSを置きっぱなしのまま買い物に行って、案の定その間に置引きされたときがあるんですが、ちゃん自分交番に行って遺失物届を出してきたり、普通じゃないながらも何とかなる次元には成長

大学見学会大学進学に目覚める

 学校行事か何かで、家から最も近い私大偏差値40~50クラスか?)の見学に行って、学食としてマクドナルドみたいなバーガー屋を含む何軒もあったりで感動したのか、コンビニなんてもの学内にあることに恐れ入ったのか、コナンに出てくる大学生のイメージと重なったのか、どういう訳でか知らないが大学なるものに興味を持った模様。ただし、最初に見に行ったそこだけが気に入ったみたいで、他の大学へは見学すら行かない。

最後文化祭の劇で一躍ヒーロー

 高校になると授業参観なるものが滅多にないのですが、高校3年の最後文化祭(平日)へは仕事を休んで観覧。

 劇で何の役をやるのか教えてくれなかったので、観に行くことも言わずに黙ってビデオ回しながら見てたのですが、ステージの袖からナレーター(司会だったらしく)として登場したところで目を疑う。

 名探偵コナンナレーション意識しているとハッキリと分かるのですが、恐らくは普段の息子と全く違うキャラだったこともあってか、会場の体育館は大爆笑の渦に。適度なアドリブ(意外性に沸く観客生徒に向かって「ありがとう!」って言ってみせたり)を交えたり、完全に自分世界に没入していたのだろう、とにかく凄かった。

 審査表彰式まではいなかったのだけど、息子のクラス最優秀賞を、息子は最優秀個人賞を、それぞれゲットした。

指定校推薦という優遇枠でありながらも大学合格しました

 進路指導先生からの「なりたい職業に応じて学科を絞って学校を選ぶべきだ」という助言を無視する形で、第一希望~第三希望まで全て前述の大学にある学科で、文系理系おかまいなく・・・という風に進路希望を出していたので三者懇談では「本当にいいのか?」って迫られたけど、「息子が大学に行きたいと思ったキッカケは、そこの大学出会たからです」なのだから仕方ない。

 いわゆる進学校ではないため、一般入試での合格絶望的だろう、と先生から言われ、最初最後のチャンスということで指定校推薦に応募

 そもそも、その下には定時制しかないような、こう言うと悪いんだけど学力的には良くない生徒の集まる学校だったのだけど、挨拶運動で感じたようにガラの悪い生徒はおらず、確かに当たりは少ないけど外れはいない、そんな学校ゆえにか「指定校推薦」という枠が設けられていたのは凄い幸運だった。(誰しも外れを引くことを恐れるわけで)

 第一希望学科(息子はパソコンが好きだったのでそういう系)は成績が足りないと言われ、第三希望くらいのパソコンとは無関係なところだったら・・・みたいなこと提案に乗って応募。ちょまどさんだって文系大学なのにプログラマやっててマイクロソフト行かれたんだから、その気があればどこの学科であってもパソコン仕事はできるのよ。

 劇のナレーターで最優秀個人賞をゲットした余韻もあってか、上手に面接をこなしてきたのと指定校推薦で落ちるのは難しいという条件が重なって、無事に合格の通知。

 

社会で自立できるか知らないが

 高校3年でやっと中学生?ってくらいの状態なので、大学卒業できるか知らないが、ちょうど卒業時点で高校生くらいの状態になるかもしれない。

 完治は無理、喋らなければバレない、くらいが限界なんだけど、健常児を遙かに超える得意な分野があるので、そこだけ見て、ダメなところは諦め。

 ただ普通の子に近づいたせいか、幼少期に感じた「ありえない記憶力」とかの特殊能力は徐々に衰え、ヒゲも生えだして、すぐに忘れる平凡なオッサンに近づいてることに寂しさも。

 仕事に就けるかどうかは分からないが、とにかく社会に出るまで大学生の身分に甘んじて時間稼ぎしてろよ、と

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