はてなキーワード: 夢を信じてとは
おまえらがまたアニソンの話してるからよく上がるやつをまとめといた。
https://www.youtube.com/watch?v=9fH6rMLsjfo
心のPhotograph(ミスター味っ子 1987)
https://www.youtube.com/watch?v=i904m2siJcY
STILL LOVE HER(シティーハンター2 1988)
https://www.youtube.com/watch?v=-5fyUdoSZRE
夢を信じて(ドラゴンクエスト 勇者アベル伝説 1989)
https://www.youtube.com/watch?v=mqnru7bLd9M
Yes, I will...(ふしぎの海のナディア 1990)
https://www.youtube.com/watch?v=u8QHFy5pDPs
いつもそこに君がいた(YAWARA! 1992)
https://www.youtube.com/watch?v=ig7Py_WE01o
https://www.youtube.com/watch?v=8jvGQuprP-w
Wind Climbing~風にあそばれて(魔法陣グルグル 1994)
https://www.youtube.com/watch?v=lRa95E0TdkQ
https://www.youtube.com/watch?v=jqYnbuwsk7s
あと一つは?
タイトルの通り。当時はネットで気軽に株を買えるという時代ではなかったが、バブル崩壊後の株価乱高下のさなかで、今は一時的な低迷で、日本の経済は必ず復活するから、いまの株はバーゲンセールだよ、と言われて買った。銀行株を中心に電力、電気電子産業を中心に。その後も地道に買い足していった。
しかし、電力以外は散々だった。20年間上下動を繰り返しながら、日本の株価はじりじりと落ち込んでいった。今流行のいわゆるインデックス型の投信は、当時はあったかどうかおぼえてないけど少なくともメジャーじゃなかったと思う。最初にインデックス型の投信を買ったのは2000年過ぎたくらいだったかなぁ。そのくらいから北米のインデックスファンドも買うようになったが、リーマンショックで膝が崩れ落ちた。その間地道に稼いでくれたのは電力株だが、それも2011年の原発事故で大暴落。
当時の論調は、国債を買っておけば間違いないから、国債がいいよというものだったと記憶している。いまはNISAとiDeCoでインデックス一色だね。10年後はどうなっているかな。
株なんて一時的に値を下げても、長い目で見たら上がっていくから大丈夫だよ、さあ日経平均連動型を買おう!という人は、まあこの20年間の地獄を知らないんだろう。20年だよ…その間、ITバブルなんかもあったけど、全体としては下がり続けたのだった。本当に20年インデックスの夢を信じて投資を続けられるか。増田に活きのいいことを書いている人でも、ちょっと無理だろうと思うな。
今も投資は続けていて、国内と北米と海外のインデックスファンドにそれぞれ1/3くらいつぎ込んで、あとはREITを買ったりしていて利益はちゃんと出ているんだけど、またあの20年の低迷が続いたらどうなるのかなとは漠然と恐怖を感じている。まあ20年後は完全にじいちゃんになってるわけだけど。
ドラゴンクエスト蒼天のソウラの作者中島諭宇樹さんの過去作品デジモンクロスウォーズでは最終回にButterflyの歌詞を使うというイキなシーンが有りました
今連載中のソウラでもLoveSongを探してで同じようなシーンがありました
ということで最終回は当然、ドラゴンクエストを代表する歌詞付きの曲といえば、この道わが旅
長く続く旅が「終わらない」ことを歌うこの曲は、オンラインゲームのドラクエ10のメディアミックスというある意味終われない作品であることを考慮しても最適
のように思えます
家にいる時間が増えたのでアニメを見はじめたんだけど、いい曲めちゃくちゃたくさんあるよねー。
モータウンやインヴィクタスを彷彿とさせるシャイニーかつ軽やかなソウルで最高!
星々の煌めきを宿した最高のガールズポップ。2話のエンディングで流れてきた時は(1話でもうっすら流れたけど)モニター前で快哉を叫びスタンディング・オベーションを送りたくなりました。
ステイホームでヒマなので自分の好きな感じのアニソンをつらつらあげてみたんだけど、フリーソウルっぽい曲やドラムンベースな感じだったり、完全にディスコだろってのもあって面白い。
皆も好きなアニソン教えてね!
筒美京平のペンによるそこはかとなくラテンフレイバーなアニソンクラシック。
シャイニーなロッキンポップス。Bメロ→サビへの高揚感が最高すぎる。
グレイトなアニソン作家・古田喜昭の手になるブラジリアンサンバなアレンジを施したディスコ歌謡。
小林泉美によるグルーヴィーディスコ。ちょっとKISSの「I Was Made For Lovin' You」っぽさを感じる。
こちらも古田喜昭作品。ヴィヴィッドなシンセサウンドが鳴り響くダンスナンバー、Aメロからサビにかけてのメロディが切なすぎる…。
影山ヒロノブの存在感のある歌声が絡むスウィンギーなジャズチューン。
「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね」とタメをはるアニソン・ファンカラティーナ。
田中公平先生のアレンジが最高、と思ってたけど吉井和哉のカバーも良かったのでメロディが好きだったんだなといういうことに気がついた。
ラーバンドのアレンジを下敷きにしたとろけるようなメロウフローター。
ストリングスのアレンジもゴージャスな高橋名人の美声に酔うソフトロック最高峰。
なんとなく切ない気持ちになるのはブルーハーツの「青空」っぽいから?
聴いてるとバブル時代の東京の夜景が見えるような…そんな気にさせるナンバー。
スムースなコーラスに力強いホーンのゴージャスなアレンジ、それらに負けない森川美穂のポジティブで伸びのあるボーカルが最高。
打ち込み主体のアレンジたけどゴージャスに聴こえるキャバレージャズ。
うらぶれたナイトクラブでひっそり演奏されてるようなジャズチューン。間奏のリズムチェンジがカッコいい。
もうひとつ庵野監督作品。プライマルスクリームやジャニスジョプリンみたいなイントロ。
アダルト・オリエンテッドなライトメロウ。ラストショットのルリルリも最高だった。
魔法少女モノ最高峰。悠木碧のカバーはまどかが歌ってるみたいでグッときた。
綺麗なメロと過剰に青い歌詞で最高だったんだけど、ドラムンベースアレンジのリミックスを聴いてさらに好きになった。
オリジナルとは違いストリングスを排除したアレンジでさらに寒々しい印象になっていてちょっと怖かった。
ロジャニコみたいだなーと思ってたらインスタントシトロンの片岡知子が作曲。
物語の内容を踏まえた歌詞と感傷的なアレンジで最高。だいぶ毛色は違うけど「SSSS GRIDMAN」のオープニングもおんなじ引き出しに入ってる。
サンドウィッチ食ったりバッティングセンター行ったりしたパートからの落差たるや。シンプルなアレンジが最高。
静と動の手に汗握るドラムンベース。
ジャンルレス、ボーダレス、タイムレスなナンバー。どこに置いても収まりがわるい感じで最高!
イントロのピアノの旋律から軽く死ねる。しかし井口裕香の声はホントに強い。
ちょっと高中正義入ったギターのイントロから胸の高鳴りが止まらない最高のフュージョンポップ。EDもカッコよかった!
ときめきフューチャーベース。声優の人のボーカルテクすごいなぁと改めて打ちのめされた。
喪女同士仲良くしてた友達が出会い系アプリで出会った人とワンナイトして処女喪失したというLINEが来た。びっくりした、もっと自分を大切にする人だと思ってたから。しかもシラフで、平日の昼間からラブホでヤッたらしい。衝撃だった。
でも、処女を守ることが自分を大切にすることなんて、一体誰が言ったことだったんだろう。きっと誰も言ってなくて、私が勝手に信じていた都合のいい妄言だ。
私は絶対にワンナイトなんてできないし、飲みに行ってどれだけ酔っても、どれだけ誘われても処女を捨てれない。自分のことを大切にしてるなんていい言葉を並べてるだけで、ただ単に勇気のないだけだ。
20を過ぎて、社会人になって、そんな自分が少数派なのは理解している。それでも、「本当に好きな人と初夜を過ごすこと」を夢見続けている。
本当にこのままその夢を信じていいのか。私が求めている幸せは、本当に叶う幸せなのか。そもそも他人からの好意を信じられない自分が、この先そんな人と出会えるのだろうか。そもそもセックスが幸せなのか。わからない。経験がないから。こわい。しんどい。こういう悩みを20代中ばまで持っている自分が恥ずかしい。
信じてもかなわない夢もあるという夢を信じている
第8回シンデレラガールズ総選挙中間発表で夢見りあむが3位だった。私は、シンデレラガールズ総選挙は私が考えていたルールで動いてはいなかったんだと本当に思わされた。
夢見りあむは人間の弱さ、悪く言えばクズさを全部持ったままアイドルになり、「やむ」や「ぼくをすこれ!」や「ちやほやされたい」や「オタクちょろいな」など強烈なインパクトとともに常に話題になり続けた。炎上をも辞さない愛され欲求が、何をやらかしてもそれを燃料にして自分の存在をアピールする。すこられたい、ほめられたい、でも努力は嫌だ……正直アイドルを舐めてるような言動だ。でもりあむは、その言動が話題にされることで、知名度という養分を得て、さらにでかくなる。ついでに言うと、乳もでかい。それも人気のひとつの理由だと思う。
第7回シンデレラガールズ総選挙で、私は安部菜々に投票した。そして、安部菜々がシンデレラガールの称号を勝ち取った。安部菜々は下積み時代が長く、挫折すれすれになりながらも努力と自分の夢を信じてアイドルを続け、ついにトップに上りつめたのだ。私は安部菜々の勝利を、平成の最後に人々からもっとも支持された物語の勝利なのだと思っていた。世界は努力と誠実が報われるべきものだという人々の無意識がこの結果を生んだのだと思い込んでいた。
でも、違ったのだ。私が一人、報われるべきアイドルとして安部菜々に投票していた裏に、全然違うルールで投票している人たちがいて、彼らが圧倒的大多数なのだ。
菜々Pの選挙戦術は、別に彼女のシンデレラストーリーを積極的に広めるものではなかった。ニコニコ動画発のBMBBの勢いを基礎に持ちながら、ウサミン豆腐やドデカミンをモンダミンなど、奇抜だが楽しそうな言動でひたすら注目を集め続けた。そして、あわよくば彼女のストーリーにも触れてくださいねというスタンスだった。私は彼らと親しくなかったし、選挙戦術として邪道だとずっと思っていたので、無視して黙々と投票し、一人で上記のような安部菜々のシンデレラストーリーの勝利を信じていた。でも、そんなわけなかったのだ。
関Pが楽園で泣く話をよく目にする。でも、そのくらい1人のアイドルに思い入れを持つ濃いPは、本当はどれくらいいるのだろう。ツイッターでまでアイドルの話をするのは、それだけで濃いということを普段私達は忘れがちだ。実のところ100人に1人もいれば、多いくらいなのではないのだろうか。大多数はきっと、総選挙と言われても、この子もあの子も可愛くて、誰に投票しようか迷っている。
人間は利用可能性ヒューリスティックというものを持っていると、最近知った。これはざっくりいうと、人間は考慮する要素が多すぎて決められない選択を前にすると、頭にすぐ浮かぶ選択肢を選んでしまうように出来ている、というものだ。総選挙の投票先なんて、どの子もみんな可愛くて、好きな性格、好きな容姿、好きな曲、好きなイベント、好きなCP、アイドルになるまでの物語……と考えるべき要素が多すぎる。しかし真剣に考えれば考えるほど、投票先が決められなくなり、とうとう訪れた投票すべき最後のタイミングで、利用可能性ヒューリスティックによって頭に浮かんだアイドルに投票することになる。利用可能性ヒューリスティックはまさに、決められないものを決めるために存在する無意識の働きなのだから。
夢見りあむの票は、りあむの性格から生まれる炎上的拡散によって、すさまじい量の人の頭に利用可能性ヒューリスティックが働くことによって得られたものだと思う。そうとしか考えられない。彼女がシンデレラガールになることで生まれる尊い物語はどこにも存在しないのだから。あるとしたら、ぽっと出のアイドルなめたような女の子がいきなりシンデレラガールになって、努力とか誠実とかの美しい物語がまさに馬鹿馬鹿しいおとぎ話に成り下がってしまうという、負のカタルシスだけだ。そしてこのカタルシスは、いままさにシンデレラガールズに実現しようとしている危機なのだと真剣に思い、それを強く危惧する方々もたくさんいることと思う。しかし、私は気づいてしまったのだ。そんなことは去年のシンデレラガールが選ばれた時点で、とっくの昔に実現していたのだと。夢見りあむは、それをあからさまにしてしまっただけなのだ。
ウサミン豆腐もドデカミンもBE MY BABYも、ひたすらアイドルをを面白いネタにして不特定多数に提供し、記憶に残させ、利用可能性ヒューリスティックによって投票へ導く、それだけの戦術だ。アイドルの物語も担当P一人一人の努力も関係ない、必要なのは多数に広がること、面白いネタであることだけ。利用可能性ヒューリスティックが働く人の頭数を増やせばいいだけなのだ。ウサミンが地下劇場でいろいろ悩んだりしながら長年苦労して苦労してアイドルを続けた話なんて、ネタにならないならいらない。そもそも大多数の人間は、長い文章を読むのが嫌いなのだ(ついでに言うと、利用可能性ヒューリスティックは、複雑な情報処理を避けるためにあるのだ)。
ボイス付き新アイドルは、デレステを炎上させた。その理由としてたくさん見られたのは、自分達の担当アイドルは報われてないのに彼女らだけ総選挙抜きにしてボイスに楽曲に恵まれているというものだった。でも、ここまで読んでもらえば分かる通り、この批判は的外れなのだ。ただの担当の努力は、総選挙では絶対報われない。順位にならない。ボイスなんてつくわけない。報われるのは、大衆受けする面白いネタ、単純で頭に残るキャッチフレーズだけ。あなたが作った長文ぎっしりエモさ満載のダイマは読まれず無視されて、アーティストの顔をアイドルにすげ替えただけのクソコラ画像が何千リツイートされる。総選挙は、担当を自分達の努力で人気にする、アイドルにシンデレラの魔法をかける場なんかでは全くない。アイドルをネタとして料理して大衆に差し出し、美味しく食べてもらう場だ。安部菜々が私に残していた幻想は、夢見りあむが完全に破壊した。シンデレラガールズは、担当の地道な努力が報われるコンテンツなんかじゃ全くない。このことを無視した批判は、読むに値しない。
第8回シンデレラガールズ総選挙の中間発表で、安部菜々の名はなかった。私は最初ショックだったけど、でも本当は当たり前で、ただ私が事実を直視していないだけだった。ネタの賞味期限が切れたし、そもそもネタが提供されていない以上、投票なんてされるはずがない。安部菜々のストーリーに感極まって投票している人間なんて、本当はごくわずかしかいないのだ。そもそもアイドルそれぞれのシンデレラストーリーに、優劣なんてない。
本田未央が勝とうが北条加蓮が勝とうが、もう別に興味がなくなった。未央がアニメで経た成長も、チャンネルで見せた人に寄り添う優しさも、加蓮が病弱で人生に希望を持てていなかったことも、あなたが育てたアイドルであっても、そんなことは総選挙には無関係だ。未央はシンデレラガールズを支えてきたニュージェネ最後の1人ってだけの圧倒的知名度で第8回シンデレラガールを取り、加蓮はライブでアガる人気曲複数持ちに恵まれた容姿、ポテトキャラによる親しみなんかで上位を維持し、あるなら第9回の総選挙でシンデレラガールをとるだろう。彼女らが上位なのは知名度がりあむより上というだけのことで、それ以上の理由はない。
ナターリアPはスネークで票を伸ばした。浅利七海は過去に合作もあって、今はアーロンにも助けを借りているようだ。工藤忍Pは名探偵コナンをネタにしながら進めている。私はこの戦略が結果を出すものとして正しいと思う。今年駄目でも、来年も同じように続ければきっと報われる。的場梨沙が伸びていないのは、担当をネタにできていないからだと心底思う。面白いことをして大量に拡散すること。圧倒的量だけが正義だ。
最後に繰り返すが、シンデレラガールズ総選挙は担当の良さを担当Pがいかに広めるかを競うものなんかじゃ、ましてアイドルのエモさや美しい物語を人々に知ってもらい、その優劣で勝利が決まるイベントなんかじゃ断じてない。最初からそんなイベントじゃなかった。アイドルにふさわしいだのなんだのそんな一人一人の設定への言及には意味がない。ただいかに爆発力のある拡散ができるか、面白いネタになるか、それだけだ。夢見りあむは許すも許さないもなくて、総選挙の真実を直視させるだけの、評判通りの炎上アイドルだ。彼女は、努力が報われるみたいな美しい世界は人々の妄想の中にしか存在しないことを私達に教えてくれる、素晴らしいアイドルなのだ。
追記:ブログにほぼ同じ文章を書きましたが、こっちにも載せておきます。
va1111
さーさのーはさーらさら、
さーらさら、
さーらさら、
さーらさら、
って壊れかけのレコードかよ!
ちがうちがう、
徳永英明と言えば、壊れかけのテレビデオの方がお馴染みだったわね。
あのさ、
あれってどうやって聴くの?
針は外側から落としたら良いのはなんかどっかで見たことあるけど。
1曲リピートとかできないの?とか
なんかその不便さがまたいいらしいわよ。
そういうレコード売ってるお店があるのね。
そこに来ているお客さんを見ているのが好きだわ。
なんか変なこだわりがありそうに
神妙な面持ちでジャケットを引っ張り出して見たり、
また直したりして。
そして、そういったお客さんたちの
ただならぬ、
こだわりの1枚を探してる風を醸し出している感も
遠目で見ていると
興味深いわ。
まるでそれは、
ネスカフェゴールドブレンドのダバダ感のそれにも似た
違いの分かる人たちの顔だなって思ったわ。
うふふ。
朝の一日の始まりの朝食べる朝食は
タマゴで決めたいわねっ!
そういう時は百貨店に行くのが一番よ。
にしても、
そんなネーブルとピンクグレープフルーツの
オレンジ系は輪切りにして入れずに、
面倒くさかったら、
とってもフレッシュ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ネタでもなんでもなくアイドルは処女でウンコしないと思ってるのが未だにいるから商売が成り立つので
いかにしてそれを隠ぺいしつくすのがアイドルという仕事の1つでしょ
全部ひっくるめて仕事なんだよ、プライベートなんて仕事決めた時点でほぼないようなもんでしょ
例えがおかしいのはその通りだけど偶像のために素を隠し通すのも仕事のうちだから
お前のいうことが正しいならヤリマンビッチアイドルとか成り立つでしょ、なっしー的なメタキャラが成り立つ
でもそうならないのはファンが処女性をもしかしたら・・・もしかするかも!みたいなキモい夢を信じてるからだろ
だからそこに金を注げるわけ
さきの増田で間違えたw
という事。
どういうことかというと、
つまり、この物語は、現実世界で「夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる」作者・西野氏自身が、清くて純真な「夢の残骸(プペル)」の尊さを自分だけが理解し、そして夢を叶えるという概念(空にはホシがあるということ)は自分だけしか知らず、自分だけが夢を叶えることができたという話なのである。
という元増田の主張通りとすると、プペルは最初に出てくる狂言回しにとどまり、ルビッチは主人公として夢を信じて迫害に負けず行動しないといけないんだよね。
が、実際にそうではない。
とある。
そう書いてあるからとかじゃなく、実際の内容からしても、ルビッチは傍観者の立場だね。
そういう理由で、作者とルビッチは同一化しているんじゃないかな。これは架空の物語と読者を繋ぐ役割をするやつで。
(前述のように、作者がルビッチに寄せている可能性がある。元増田の上げた写真はすべて舞台公演の2012年以降)
あなたの話は
それでは、西野亮廣氏は「夢を語るから、行動するから」笑われたり、叩かれたりするのか。
もちろん、そうではない。
という、あなたの中の叩きの正当化がしたいがためのこじつけだ。
念のため述べるが、私はこの絵本はイマイチだと思う。子どものために買おうとは思わない。
買っているのは大人だ。
http://anond.hatelabo.jp/20160619102437
男だけど、楽しかったよ。
ウサギがあっさりと許された場面にがっくりしたのは同じだけど、
(長文ごめんなさい。以下、ネタバレ)
キツネがあっさりと、本当に信じられないくらいあっさりと許したのは
私も最大限の違和感を感じたよ。
考えを改めはじめたところでしょ?
それが、こともあろうにウサギ本人に裏切られたんだ。
本当なら、しばらく立ち直れないはずでしょ。
でも、キツネはあっさりとウサギを許した。ありえないくらいあっさりと。
あの場面で思ったのは
「ウサギずるーい」
じゃなくて、
だった。
あと、
「正直、キツネとウサギが仲たがいを始めたら、上映時間が足りなくなるんじゃないかと
とも思った。
そんなわけで、ウサギがずるいとは感じなかった。
いきなり許されるとは思わないけど、彼女は誠意は尽くした。
どちらかといえば、
あの場面で変なのは、キツネ側の「理解のありすぎる態度」にあるように見えたよ。
私は男だし、歳もいっているので、
それだけに、
・追記
> 夢だった警察やめてるし、許すだけの時間が経過した、と解釈しているよ!
そうですね。
実際には、結構時間が経っているのですよね。一旦、地元に帰ってますし。
ふたりとも心の整理ができたんですね。
かの @pamyurin さんが突如ツイッターへ投稿した効果(あとセカオワ効果)で、不可思議/wonderboyの路上ライブPVは
万単位で再生数が跳ね上がっている模様。。200万人フォロワーの力は恐ろしい…
その不可思議/wonderboyの代表曲とも言える『Pellicule』に、前から思っていた事があったので、この機会に少しまとめてみた。
神門、狐火、泉まくら、daokoなどの楽曲提供で知られるトラックメイカー・観音クリエイションさんによる儚げで美しいピアノのメロディが特徴の、
1stアルバム『ラブリー・ラビリンス』のリードトラックで、個人的にもポエトリー・リーディングで一、二を争うくらいの、フェイバリットだ。
この曲をあの屈託の無い声で語られるといつも何故か涙腺が。。。
リリックの内容は、正直言ってベタだわ青臭いわだで苦手な人は全く受け付けないのかもしれない。自分も一周回って好きになった口。
大雑把にあらすじを書いてしまうと、サッカーのプロ選手になれなかった高校の友人が、夢を諦めきれずにタイの二部リーグに留学し、
久しぶりに日本へ一時帰国。そして大人になった主人公がその友人を迎え入れる所から始まる。
主人公は久しぶりに会った友人の変貌に驚きながらも、再会を喜び、周りの皆も心配してたんだと伝える。
主人公は他の友人が居ない理由を「忙しくて来れない」と取り繕い、2人だけで呑もうぜと誘いに出る。
そこで2人は他愛も無い思い出を語り合いながら、「来はしない友人達」を待ち続けた---という話。
この曲のバース(っていうの?)「待ってた 俺たちはいつまでも待ってた 来はしないと分かっていながら いつまでも待ってた」というフレーズは、
これだけだと一見普通に聞こえるが、その文脈を辿ると、「校庭で流星群を待ち続けたあげく、結局星が見れなかった俺たち」と
「未だに漠然とした夢を信じてうだつの上がらない俺たち」、そして「来はしない旧友を待ち続ける現在の俺たち」の
三つのシーンにかかっており、非常に強く訴えかけてくる。
そして話は飛ぶが、「そもそも何かを待ち続けるという行為は何の意味があるのか?」という問いが浮かんでくる。
小沢健二が言うには、スペイン語で「待つ」という言葉は「エスペラール」と言い、その派生が「エスペランサ」、
「希望」という意味だという。元来、人にとって「待つ」と「希望」は一緒の意味だったのではないかという説。
つまり、「何かを待っている状態」は、「希望を信じている状態」に他ならなく、「待つ」という行為を急かしたり、
すぐ結果を求めたり、ムダなものとする行為は、そのまま希望(のようなもの)を捨てる事、らしい。
話を戻すと、自分はこの考え方は、不可思議/wonderboyのセンチメンタリズム、そしてこの『Pellicule』という曲のテーマにそっくり当てはまる気がしている。
大人の事情で来れない友人を待ち続けるという行為が、如何にバカバカしく子どもじみた行為かを分かった上で、
それでも信じて待ってみる事は一体人生においてどういう意味があるのか。あるいはやはり無いのか。
まぁあまり話はまとまらないが、オザケン大好きな自分が不可思議/wonderboyにハマったのはある意味必然だったのかな、という事で。。