はてなキーワード: 立ち位置とは
・フェイブルマンズ 青春ジュブナイルものとして内容はごく普遍的だけど、おれの大好物。エンタメとしてもとても面白かったと思う。大好きな『桐島、〜』の神木隆之介にフォーカスを当てきったジェネリック版って感じ。趣味人間として刺さっただけに、他人との関わりとかもうちょっと考えてもいいかなって思った。
・シン・仮面ライダー 良くも悪く仮面ライダーに思い入れがないので普通に面白かった。「大人向けライダー」っぽいバイレンスも露悪趣味じゃなくてちゃんと後半にかけての変化のコントラストになってていいなって思った。バディものはいいね。
・エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス 別の世界線の自分を呼び出すのはコミカルな描写としても良いし、アクションとしてもメリハリのあるマトリックスみたいで面白かった。観た後はそんくらいの感想。他人の感想の受け売りだけど、税務署のババアと分かり合うのは指がソーセージの荒唐無稽な世界くらいにあり得ない事だった、みたいな見方に気付いてからは、ああそういうことか、なんかイイねって思った。
・グリッドマン ユニバース 直前にダイナゼノンを詰め込みで予習したから、時間が育む思い入れは少なめだったかもしれない。シンエヴァがずっとチラつきつつ、虚構を肯定する作品って良いよなって思った。グリッドマンから続くフィクションの肯定、ダイナゼノンから続く過去を清算して未来を勝ち取るってテーマについて非常に力強く語りかけてくれた感じがした。
・インディ・ジョーンズと運命のダイヤル 印象的なカットはあんまりなかった気がする。ここぞという所であのニヒルな笑みを浮かべてバシッとキメるカットを期待していたけれど、特にそういう箇所は無かったか。聖杯を諦めて今を選んだインディも今回は若人にブン殴られる番になったけど、でも冒険劇ってこういうのでいいんだよなみたいな所は抑えてた気がする。
・ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE 続きもんとして割と良い区切りのつき方だったと思う。次も楽しみ。列車の上に乗っかってトンネル突っ込むアクションはやっぱ手に汗握ってイイ。FIAT500のとことか、ちょくちょくフフってなる所もあった。合理的、冷徹にと言いつつ最後はヌクモリティで助かるのがいいね。今回宙釣りあったっけ。
・バービー 映画を観ながらああだこうだと語ってしまいたくなるのはもう性なのかもしれないけれど、それでも教えたがりにはならんよう気を付けんとなって思った。バービーについてよく知らんけど、アランの立ち位置をもっと活かせたんとちゃうんかって思った。アウトサイダーを安易に聖人化するのもアレなのかもしれないけど。
パラレルとか時間移動とかごっちゃごちゃだし、予習不足で知らんキャラ出てくるし、後半は完全に雰囲気で観てた。異空間をただ走り回る時間が体感3割くらいあった気がする。でも怪異の点と点が繋がって秘密に迫り始めて、面白くなり始めた時のコワすぎみたいな感じが凝縮されてて良かった。
・君たちはどう生きるか メッセージ的なものを汲み取ろうとすると、抽象的でよく分からんかった。エヴァのせいで「虚構と現実の話」みたいな匂いが少しでもすると感度3000倍で反応してしまうから、おれはそういう方面の受け止め方になってしまった。単にエンタメのとしては、「下の世界」が千と千尋みたいというか、夢(寝てる時見る方のやつ)の世界みたいで面白かった。
・アリスとテレスのまぼろし工場 メタフィクションとして受け取るのが適切かどうかは分からないけど、その辺に大分自覚的な気がした。閉じ込められた世界、田舎の閉塞感、まぼろしの世界、そしてフィクションの世界。その辺の繋げ方が上手いなって思った。そこを出なければ無限大の可能性が広がる現実を手に入れられない。まぼろしの世界は痛みも感じないし匂いもしないけれど、それでもそこにある愛は本物。みたいな。フェティッシュな描写も邪魔にならない程度に印象的だった。セカイ系初対面アンニュイ女の笑顔良すぎ。
・ジョン・ウィック:コンセクエンス アクションに遊びが増えた気がする。コミカルな動きが割と印象にあった。上からの俯瞰の画角もMGSみたいで面白かった。どうせここでは死なないしな……みたいな緊張感のなさと引き換えに一騎当千の爽快感があって、マンネリ感はあまり感じなかった。グラサンの人も拳銃持った座頭市を放り込んだみたいでかっこよかった。刀と弓使ってたのは、一応防弾スーツ対策みたいな理由付けがあったのかな。新しい事をやるのに加えて話を畳むという事を考えたら分割するような内容でもなかった気がするし、あの長さで良かったんじゃないかと思う。
細かいところに読みにくさは感じるけど確実に読ませる面白さはあるので5巻まで一気に読めた。ただ本筋が「主人公の成長」な以上ヒーローvsヴィランに話を絞るわけにもいかないのは分かるが、学園生活といずれ再来する強敵への懸念の両立で心が忙しなかったのが残念。これは私が群像劇でない限りは大きな話だけを進めて欲しいと思ってるだけで、気にならない人はまったく気にならない、むしろそこが良いってなる箇所ではある。
主人公・緑谷出久は使命感や焦りのあまり無茶な闘い方をし続けてしまう未熟な少年。がむしゃらに頑張る姿は話を引っ張るけれど、その場を乗り切ることだけを考えて全力を出して治療される流れにフラストレーションが溜まる。ただこれは作中でも否定的に見られている部分、いわゆる主人公が乗り越えるべき壁であり、オールマイトも不的確な指導を注意されている。デクの戦い方はこの先もっと変化して面白くなっていくんだろう。師匠ポジのオールマイトも完全無欠ではないのが泥臭さを出していて良い。
早くも登場した手強いヴィラン・死柄木弔は、明らかにデクと対比されて描かれていたのが面白かった。ヒーロー(もしくは強い者?)に憧れ、ややオタク的で、そして後継者を探す大人に「(ある意味で)利用されている子供」という点で共通しているのかと予想している。思想が浅すぎると思ったら楽しみたいだけ、というのも単純明快で良い。本当の気持ちや真の目的はまだ隠れていそうだけど。
戦闘描写について、アクション漫画はあまり読まないのでその方面の感想は書きづらい。読みにくいということはなかったが、心熱くなる動きがあったわけでもない。麗日お茶子vs爆豪勝己はとっても燃えたのでベストバウトに挙げたい。
「アメコミ」リスペクトの面はどうだったかと言うと、良いところもあれば好みじゃないなーとなるところもあった。
個性=固有の能力は、かっこいいものもチープなものも何でもあり!なところはワクワクするし、有象無象がてんやわんやする雰囲気は楽しい。みんなのヒーロースーツも個性に合わせたギミック・特色たくさんで読み応えがある。酔い止め防止とか出力コントロールとか、そういう細かい技巧と設定は燃える。
扉絵がかっこいい。
一方、擬音が中途半端に英語表記だったり、「画風」や「シルバーエイジ」などの用語は(少なくとも5巻まででは)何を指しているのか分かりづらく、アメコミっぽい用語を使ってみただけになってるのが没頭の邪魔をした。
特に気になったのは重要な「ヒーロー」の扱い。舞台の現代日本における「ヒーロー」の定義や立ち位置が少し汲み取りにくかったので、多くのキャラクターが掲げる「ヒーローになりたい!」にあまり乗れなかった。商売っ気が絡み、育成や資格の壁があり、(当然ではあるが)アメコミヒーローとは違う。ヒーローなのに学歴・経歴関係あるの夢がないなあ。仲間同士ギスギスしているのはアメコミも割とそうだけど皆そんなに喧嘩腰じゃなくても……と思ってしまう。ただこれは私がアメコミのイメージに引っ張られすぎていることが原因だろう。いっそアメコミのことを頭から取り出して読めばすんなり理解できるのかもしれない。あと喧嘩腰なのは学生だからというのもありそうだ。プロヒーローはそういった様子があまり見られなかったから。
https://twitter.com/PokeMikuVOLTAGE/status/1707334340185833824
ドラゴンミクをデザインした大村祐介はポケモンBW(2010年)以降の特にキャラデザの方向性で強い影響を出してる人なんだけど、
(つまり杉森健のキャラデザ路線を引き継いだのが大村ということになる)
イラストを描いているありがひとしはロックマンのコミカライズなどでものすごく有名な人で
大村が子どもの頃から漫画を描いてた人だからキャリアとしては圧倒的にありがの方が上なんだよな。
元々ゲーム業界のグラフィッカーとしてキャリアを始めた人だからゲーム業界人としてもありがのほうがずっと長いし…
(嫁もあの古代祐三の妹だし)
まあ、ありががポケモンのデザインに参加し始めたのはXY(2013)以降でそのキャリアに限ると後輩みたいなものではあるんだけど、
ポケマスのタイトル画面とかポケモントレーナーのフィギュア原画みたいな公式からちょっとだけ離れた周辺の仕事はかなりありがが担当していて
そのモヤモヤを言語化しようと必死になって色々考えたんだけど、
鳥山明の絶頂期にアニメーターの中鶴勝祥がドラクエやドラゴンボールの周辺のデザインを担当していて(例:スーパーサイヤ人4、ドラクエ5のフローラなど)
その仕事ぶりは鳥山明本人に自分の原稿と見間違えるほどだと言わしめるほどだったんだけど、そういうのに似てるかなって思ってしまった。
荻窪・西荻・吉祥寺を紹介した以下のインタビュー記事。紹介されているエリアについて、そもそもお金がないと住めない場所、お金のある人はよろしおすな~といったシニカルな論調のコメントが集まっている。ようするに荻窪・西荻・吉祥寺で「『お金と物質』以外の価値観」について語ること自体が金持ちの道楽であることについて、批判的なコメントが寄せられているらしい。
https://suumo.jp/town/entry/kichijoji-homurahiroshi/
コメントをひととおり読んでみて、まあそうだよな、という感想を私は持った。それと同時に、そんなに目くじらを立てることかな、とも思った。というのも、このインタビューで体現されているのは、バブル時代の典型的な価値観だからだ。それを発信する個人についてどうこういってもしょうがないだろう。まだこういう話題を出す向きがあるのかとは思うが、それは別の話だ。
インタビューを受けているご本人もカウンターカルチャーに触れているとおり、バブル時代はカネ一辺倒の時代ではなくて、ヒッピー的なカルチャーの余波がずっと続いていた時代だ。1980年代から90年代の前半くらいに小中学校で国語のテストをうけた人は覚えているかもしれないが、「日本人は物質的には豊かになったが、心は貧しい」みたいな論調のエッセイばかりが現代文の問題文に使われていた。荻窪・西荻・吉祥寺を紹介したインタビューの倫理的な立ち位置はそういうエッセイと地続きのものだ。だからこそ、なんかずれていると現代の人には感じられるのだと思う。
氷河期世代で長く非正規として働いていた私は、「日本人は物質的には豊かになったが、心は貧しい」とか学校では習ったが、自分は物質的にも精神的にも貧しいままなんだが、いったいどうなっているんだと、ずっと思っていた。それはいまもさほど変わらない。だから荻窪・西荻・吉祥寺エリアの中産階級的な視点から、「よくわからないゆるさがいいよね」「生き方の多様性がここにあるよね」「やっぱりお金じゃないよね」的な語りをされると、「よかったですね!」と言い返したくはなる。
この記事に微妙ないらつきを感じるポイントは次のようなところだと思った。サブカルについて、あるいはカウンターカルチャーについて語っている人の立ち位置が、高等遊民的な、スノビッシュなものに見えて、語っている人はそれを隠そうともしていないし、自己のそういう立ち位置についてあまり自覚的でないように見える。
バブル時代には敗者のものだったカウンターカルチャー的、サブカル的な生き方が、じつはそこそこお金がないとできないことに人々が気づいたのが、この30-40年間くらいの展開ではなかったか。人々の生活感あるいは貧しさの感覚にもとづいたそのへんの気づきをすっ飛ばして「よくわからないゆるさがいいよね」「生き方の多様性がここにあるよね」「やっぱりお金じゃないよね」とやってしまうことへのいらだちが現れていたのが、今回の記事への反応だろうと思っている。
そういう語りをする人が時代に抗って高踏的であるのか、時代に取り残された感覚の持ち主であるのか、インタビューの対象者となっている方のことを私はよく知らないので、判断する根拠がない。だがなんとなく、人々が感じているいらだちの原因を自分なりに言語化しておきたいと思った。
血が出まくって人の胴体が切れたりそういうグロ描写が平気である
2作とも絵柄とか作品の立ち位置的にはナルトとかブリーチあたりのジャンプの王道バトル漫画だけど青年漫画でやるようなグロ描写が普通にあるのはなんでだろう
最近行った樋口真嗣のゴジラトークイベントの中でシンゴジで避難した人が焼き殺されるシーンを撮ったけどカットした理由として
「怪獣が出てくるエンタテインメント映画として、超えてはいけない一線がある。基本的に災いの話なので」という話をしていた
これは映画業界だけでも樋口真嗣だけでもなく一昔前の漫画業界にもあった普遍的な考えだと思う
大変やね。緊急性のあるトラブル時しか電話のやり取りしないってそりゃ電話嫌いになるわ。
自分も職種は違うが平時のやり取りはメールかチャット、緊急時は電話なんで事前のやり取りがない急な電話の着信音聞くとビクッとするね。
基本は慣れだと思うけど、現場の状況をもっと解像度高めてみてはどう?
自分は中継役という意識だから自分のミスじゃないのに理不尽に怒られてるって意識が強くなるのだろうけど、もっと自分の立ち位置を現場寄りにして考えてみると怒られて辛いよりも、この状況を何とかせねばとかどうやったら被害を最小限に抑えられるとか考えられるようになるんじゃないかな。
ウクライナ戦争の報道量、BSは地上波より圧倒的に多い。なんでだろう?
https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/2023/09/17/114603
開戦から1年半経った2023年9月、テレビの地上波でウクライナ戦争のニュースの露出は少なく
一方でBS局の夜ニュースなどを見ると結構なボリュームで取り扱われている、という話
これ実は開戦当初からBS局のウクライナ報道は今以上に強かった
しかし多くのテレビ視聴者が見る地上波の、定時ニュースでも昼の情報番組でも
ウクライナ戦争がたくさん扱われていたために、相対的にBS局は目立たなかった
地上波の定時ニュースでは政治経済から芸能スポーツと天気予報今日のニュース全般を広く浅く扱う
その中で専門家による解説の時間は数分あれば長い方といえるだろう
複数の専門家をスタジオに呼んで解説を求めたりすることもありニュース番組より詳しい話ができる
しかし、番組コメンテーターとして座っている何人かの素人にいちいちコメントを求める必要があり
平日の夜に1時間から2時間という長さ、そしてワンテーマのニュース番組
https://www.bs-asahi.co.jp/sunday_scoop/
一つのテーマに絞って、司会と、局の解説員と、ゲスト専門家2名が放送時間めいっぱい使って解説できる
ある日はウクライナ戦争について、またある日は中国経済について
地上波との差別化、BSで報道をやる意味などを考えての各局番組作りだと思うが
言うなれば、長めのクローズアップ現代、出演者と司会の交通整理がされた2時間生テレビ
ちなみに既にご存じかもですが、防衛研究所の高橋杉雄さんは防衛省に異動となりメディアでの解説などはこの先数年はできなくなるらしいです
https://www.youtube.com/shorts/tBrvJnRdIco
求められている「今週のウクライナ戦況」は、どこかの局が初めからやっていれば継続事業として意義のあるものになったかもしれないが
ニュースとしての新規性が落ちた今になってから、毎日チェックするほどではないけれどもまとまった情報が欲しいという程度のニーズに応えるために
わざわざコーナー立ち上げるとは思えないので
最初に自分の立ち位置をハッキリさせておく。自分は名古屋サポです。偏りはあると思います。そういう前提です。
ピッチに侵入しやすい構造だったので侵入を助長させた、という点で名古屋港サッカー場を悪いと言っている浦和サポがいます。
ピッチに侵入しやすいことが問題だとすると、例えば広島の新スタジアムや京都、鹿島、柏、清水、仙台あたりの専用スタジアムは軒並みダメだということになりますが、そういう主張だとの理解でいいのですか。
そうすると、実態としては浦和相手の時はサッカー専用スタジアムを使うな、という要求になろうかと思いますが、それでよろしいですか。
本来のホームスタジアム以外のところの使用を要求する以上、必要経費その他全て要求する側が負担するのが筋になるかと思いますが、そういう主張をする浦和サポの方にご負担いただけるということでよろしいですか。
暴徒化させないような警備体制になっていなかったのが悪い、と言っている浦和サポがいます。
これについては、過去そこまでの事件が起きていなかったため、運営側とサポーター側との暗黙の信頼関係で、そこまでの警備はいらんやろ、という前提でサッカースタジアムにおける警備が運営されてきた実態があります。
過去に例の無いことに対して、そこまでの水準を求めることの根拠は何ですか。
起きてしまった後なら結果論として何とでも言えますが、事前にこの試合で浦和サポが暴徒化するんでそういう警備でよろしく、なんて理屈が通ると思いますか。
また、暴徒化の恐れがある場合に対するガチな警備となると、欧州サッカーを参考にした場合「応援エリアを鉄柵で囲って自由な出入りができないようにする」「武装警官による警備を実施する」あたりになるのですが、浦和サポは自分たちがそういう対応をされても当然に許容するという意思表明だとの理解でよろしいですか。
それらの警備にかかる費用負担増については浦和サポにご負担いただけるのですか。
JFAによる事実認定として名古屋側で2名煽った奴がいるとされました。それは事実なので争う気はありませんが、そもそも試合開始前から浦和サポが名古屋側を煽っていた事実が名古屋サポによる動画&写真で公開されています。
先に煽った側が悪いとの理屈なら、悪いのは浦和側なのではないですか。
また、常識ある大人であれば煽られても暴徒化しないのですが、浦和サポは常識ある大人ではないという表明と理解してよろしいですか。
事実として、処分されるまでに至った行為回数が浦和サポのみ突出して異常に多いのですが、それについてはどうお考えですか。
前科のある者に対してより厳しい処分となるのは当たり前ではないですか。
まあ「セーラー服を脱がさないで」ぐらいの立ち位置になるんじゃないかな。
当時は問題なかったけど、Twitterとかで揶揄されるぐらいの位置。
連日TVで取り上げられるは言い過ぎかもね。
たとえば、この女性キャラの性的な描写は非であり、焚書すべきというような主張だ。平等の定義を拡大解釈すると、このように他の権利や自由(この場合表現の自由)まで侵害するため、平等の定義は難しい。フェミニスト全体がおちんぽ騎士団だとは言わないが、このような暴走型フェミニストが、おちんぽ騎士団の血を引くものに俺には見える。暴走型LGBTポリコレマンも、暴走型フェミニストも、結局立ち位置としては、それぞれの擁する存在に、耳障りの良い、しかし責任や結果までは深く考えていないことを囁き、それに寄生して自身が気持ちよくなりたい存在だからだ。おちんぽ騎士団の亜種だ。蜜を吸う存在だ。おちんぽ騎士は滅ばなければならない。
具体的な人名は避けるけど、いわゆる昭和・平成時代に知の巨人と呼ばれてテレビやメディアから注目された人たちがいる。
ただ、ネット(特にSNS)の発達以降こういった広く浅く多様な分野に関わる人は権威を失っている。
ネットの社会学者を見ると押しなべてそういう傾向があって、自分の専門分野外の領域に簡単に口を突っ込んでぼこぼこにされることが増えている。
適当なことを言ってもネット上に専門家がいるので、最早大衆をだますことができないからだ。
近年になってテレビに出るような著名な社会学者がどんどん叩かれるようになったのはそういう理由がある。
ただ、こういった広く浅くいろんな分野に口を出して成功している人がいる。
それはひろゆきだ。
彼は、あちこちでいろんな分野に口を出しまくっては炎上しているが影響力が衰える気配が一切ない。
これは逆説的に自らを"知の巨人"というような権威と定義しないことによっていろんな分野にズバズバいう人
ただし何かが間違っててもどうでもいい、専門家じゃないから、という立ち位置を形成している。
これを参考にするならば、いろんな分野に口を出したい社会学者は、権威のピラミッドの頂点から降りて、自分を"馬鹿"と規定するようにするといい。
そうすれば影響力を大きくできるだろう。
ジャニオタっていってもいろんな人が含まれてるだろうけど、賛成にせよ反対にせよ熱量が高くてエキサイトしちゃう人も中にはいるんでしょうね。
一般論として、以下のようなことは同意する人がほとんどなんでしょうけども。
ことここに至っても報道が十分なされないのが異常な状態の原因の一つだと思うんだけど、メディアや報道各社が、自社のこと含む同業者に取材も批判も報道もしないのはどうしたら改善されるのかな。
事務所のタレント各位は、特に30代くらいまでの人は知った時には、邪悪な個人の悪行を超えて事務所ぐるみの未曾有な規模の人権侵害問題になっていたのでスピークアップできない、表沙汰にしたら同僚みんながえらい目に遭うって口をつぐんでしまうのは良く分かるし、今まで黙ってた罪悪感からいまだに何も喋れないのも想像に難くないので気の毒。
それだけに、GACKTや山下達郎のように、口を慎めと言わんばかりの人は信じられない。それも罪悪感から逃避するための自己正当化の自己欺瞞なのかなとも思うけど、タレントの「スター」や「アイドル」としての立ち位置を守るためには、40代以上のベテランから上記のような綺麗事を盾にジャニー氏と事務所批判の口火を切るべきだと思う。
そうならないのは、先日の会見を見ると、ジャニーズ事務所はまだ体制と体質を護持してうやむやのうちに終わらせられそうと考えてタレントの指導に当たってるからなんだろうと思うと気が重くなる。
メディアや報道各社が取材・報道の義務を放棄して取材・報道しない自由を行使しないように、監督官庁による行政指導があるべきなんだろうか?
最近流行りの「CTO退任して転職します!」「CTOからエンジニアに戻ります!」ってなんなの?
「事業にコミットできるエンジニア」だの「組織のことを考えろ」だのCTOって冠かぶって言っておきながら、その頭で考えてたのは「でも私、現場やりたい!」みたいな事なの???
部下も居る立ち位置に居ながら、最後なんで自分の欲求にコミットしちゃったの???
俺の職場にも「元ベンチャーCTOエンジニア」みたいなのが転職してきたけど、技術力は現場のチームリーダー以下、口だけ達者で最初の転職エントリー以外で話題にされた事もない1発屋状態。
お前はどの立ち位置で何してたんだよ