はてなキーワード: いくらとは
・無理しないほうがいいよ。食品アレルギーがかくれてるかもしれないし、おさかなは別の形でたべていいものだし。
・無理を他人に強制しないほうがいいよ。サバイバーズバイアスだし地獄の再生産だよ。
という前提のもとでいうとうちの旦那は筋金入りの偏食で、
嫌いなものは食べないで生きてきたけど50歳まで普通に健康だよ。
最近大腸にポリープが見つかったそうだけど、この年まで生きればよくあることだし。
洒落にならないくらい偏食なのでとうとうテレビが取材にきたけど放映できないくらいガチギレして追い払って菓子折りせしめてた。
あと私は逆に小腸に病気があって脂っぽいたべ物と小麦系が無理だから練り物はお八つに適していてとても助かる。
君が食べない分も私が食べるから気にせず断ってくれ。
男同士はケアしないってる男、学生時代ろくに友達がいなかったぼっちだろ
YouTubeを見れば学生時代の友達と仲良くケアしあってる男グループなんていくらでもいるとわかる。お前の学生時代のクラスメイトだってケアしあってるんだよ。不良ヤンキーから灘、東大などのエリート集団、陽キャから陰キャまでまんべんなく存在してる。
ナンパ師になるなど性依存で病んでる場合のように女なら見捨てるだろうなってパターンでも男友達だからこそケアできてる例も多数。
せいぜいがロシアへの制裁に反対しない程度の効果しか思いつかないが。
良し悪しはさておき、ウクライナがゼレンスキーという情報戦にたけたリーダーのもとで結束したこと、
決してウクライナのNATO入りを認めようとしなかった欧米がウクライナを支持し、アメリカが大量の武器供与を行ったこと、
どれか一つ欠けても早期に決着が付いていたという意味では、奇跡というしかないと思うがね。
増田はウクライナが望めば簡単に停戦できると思ってそうだが、その方がよほどお花畑だな。
占領された地域であれだけの虐殺が行われたことで、停戦後の世界の方がいくらかマシかも知れないという見通しがウクライナから奪われている状態だ。
だって、俺達も似たようなもんじゃん? 同じ穴のムジナだぜ? だから、もっとお互いを理解し合うべきだと思うんだよね。
【弱者男性】の特徴1:常に何かと戦っている
何と戦っているかというと、自分の中の「弱さ」と戦っているのだ。
そう、彼らは常に「自分は弱者男性であり、劣った存在である」ということを自覚している。そして、それをどうにかしようと頑張っているのだ。
だがしかし、どれだけ努力してもなかなか結果が出ず、彼は苦悩し続けることになる。
なぜならば、彼には戦う相手が存在するからだ。その相手というのは、社会や世間というものであったり、会社の同僚であったりする。あるいは家族かもしれない。
そういった様々な障害が彼を悩ませる。
また、そうした困難を乗り越えてもなお、彼の中には「劣等感」が残っている。
例えば、もし仮に、彼が大企業の社長の息子だったとしたら、恐らくここまで苦しむことは無かっただろう。
何故ならば、社長の息子である以上は「勝ち組」であることが確定しており、その人生において「敗北」の二文字は存在しないからである。
では、もし仮に、彼と同じ立場にいる人間が居たとすればどうだろうか?おそらくは、その人物もまた同じような悩みを抱えることであろう。
つまり、彼らが求めているのは「勝利」でもなければ「幸福」でもない。
だが、その「共感」を得るためには、やはり"自分自身との戦い"というものが必要になってくる。
そもそもの話、いくら他人から「俺はお前より優れている!」と言われ続けたところで、彼自身がそれを受け入れられなかったら意味が無い。
だから、この「自分と戦う」ということこそが、弱者男性が生きていく上で最も重要なことであると言えるだろう。
つまり、「自分が弱い人間である」という事実を受け入れられないほどに、とにかくプライドが高いということである。
例えば、仕事にしてもそうだし、趣味に関してもそうであるし、恋愛についてもそうだ。
例えば、自分が「負け犬」であるということを認めたくないために、「勝ち組」の人間を見下したり、見上げてばかりいたとする。
その結果、逆に「自分が劣っている」ことを自覚してしまい、自己嫌悪に陥るのである。
さらに言えば、その事実を誤魔化すためだけに、更に他者を攻撃し始めるようになるのである。
こうした事態を防ぐためには、まず、その人の価値観を変えることが必要だ。
例えば、趣味について考えてみて欲しいのだが、趣味の世界には「ランキング」というものがある。
それは、ある特定の分野に関して「誰が一番上手いか?」といったものである。
当然のことながら、そこで上位にランクインしている人間は、それだけ多くの時間を費やして練習を重ねてきているわけだ。
逆に言えば、そのような努力を重ねても尚、その分野でトップになれない人もいるということになる。
では、その人は一体どのような気持ちで日々を過ごしているのだろうか?
恐らくではあるが、大半の人は自分のことを「才能の無い凡才」だと自覚しているはずだ。
だからこそ、「弱者男性」は、他の人々よりも努力しなくてはならないと強く思うのだ。
そして、努力すればするほど「自分は劣っている」と感じてしまうのだ。
だが、勘違いしないで欲しい。
確かに、努力しなければ成功は出来ないのかもしれない。だが、努力したからといって必ず成功するとは限らない。
むしろ、時には失敗して挫折する時もある。その時、どう乗り越えるかが大切なのであって、最初から諦めていては何も始まらない。
俺が言いたかったのは「女性器をちゃんと描いててエロがない漫画はどこにも居場所がない」ってことだぞ
中出しシーンあっても性器が白海苔で全く見せなくしてるのは成人指定ないライトなエロ漫画にいくらでもあるだろ
んでもって成人指定ある漫画はなぜかぜっったいに性交シーンがある。続き物でも毎話しつこいぐらいに。
女性器は描きたいけど(この時点で一般向けでは描けなくなる)性交を描きたいわけじゃな(そしてこの時点でエロ漫画雑誌からも追放される)いという漫画家に居場所がないってことなんだよ。
俺性交は食傷気味でたまには女性器をまじまじ眺めて抜きたいんだよ。性交優位だとそのシーンをむりやりぶっこむという制約のもとストーリーが雑になりがちになるきらいもあるだろうしな
いくら何でもそれはない
アレは完全に嘘だ。
もしもアレが本当ならば重要だが緊急ではない仕事を進めることを理由に電話に出ない状態を続けることになる。
緊急のことについては重要でなくても緊急に対応する必要がある。
その中で優先順位を付ける作業にアイゼン・パワー・マトリックスなんてノイズにしかならない。
あんなものは結局どうとでも緊急度と重要度を書き換えていくらでも「な?言ったとおりだろ?」と言い張れる無敵のレトリックだ。
たとえば君がある日恋人から突き落とされて街中に全裸で放り出されたとする。
このとき「恋人に許しを請う」「服を着る」「怪我の手当をする」「とりあえず落ち着く」のどれを優先すべきだろうか?
恋人に許しを請うのは今すぐやらなければ致命的な結果を起こすかも知れないし、今やってもどうにもならないかも知れない。
急いで服を着なければ君は変態として留置所に行くかも知れないし、突き落とされたことによる脳震盪はそれよりもっと深刻な問題かも知れない。
溢れ出すアドレナリンによって痛みがないだけで本当はすぐに病院にいかなきゃいけないかも知れないし、実は受け身が完璧で全然平気なのかも知れない。
そんな状況の中でまずやることは落ち着くことなのかも知れないし、そんなことよりひとまず恋人のいた部屋に戻ってパンツと救急車を懇願すべきかも知れない。
さあこんなときにアイゼン・パワー・マトリックスが何の役に立つというんだねスミス君。
君の信じようとしたアイゼン・パワー・マトリックスは、これらの結果が出てから「それね。本当は重要で緊急な最優先だったんだけど、君は重要でも緊急でもないことをしてたのが悪いんだよね」と後知恵を入れるだけだぞ!
そんな奴に騙されるのはやめたまえスミス君
転職できない増田に厳しいコメントがいくらか付いてるのを見て、なんでこんな非情なことを、と思ったが
たぶん似たような立場の人なんだろうなと
ほんのわずかな差でかろうじて食い繋いでいる人こそ、弱者の愚痴に耐えられない
自分は違うと切り離すことで保っているんだろうなと思った
逆に共感して対策出したり、単純に同調できるコメントの人は余裕がある気がする
案を出せるだけの知恵があり生きるのに困ってない
オナニーは食事や睡眠と違って、「生きるために絶対に必要なモノ」とは言えないのに、毎日している。
たまに、オナ禁で2週間頑張ったりもしているが、それだって永遠にオナニー禁するためにやったわけではなく、むしろ、後の気持ちよさ目的でやったようなもん。
その時は4、5日目ぐらいからは朝起ちしているときなんかにスッと撫でるだけでマジで気持ちよくて、そのままオナニーに移行しかけた事も何回かあったがなんとか2週間耐えた。
薬物もそんな感じだったらやめるはかなりヤバい。いくら口で「もう絶対にしません」っていってもオナニーを我慢し続けるのは相当に厳しいだろう。
これ、同い年婚しなかった人間は学生時代若しくは新社会人時代に同い年から相手にされなかったという前提で進んでいるようで違和感ある
例えば電子マネーは普及したが、日本経済全体のパイは増えただろうか?
お店を淘汰するためのツールにはなっただろう。
だが対応したからといって客数が増えたり、客単価が増えるということがない。
一度普及したもんは無くせないんだよ
そして一部の隠し持った奴らが、ここぞとばかりに銃を利用するようになる
馬鹿がやること
もし出来ることがあるとしたら、子供にすら銃を持たせることだ
https://anond.hatelabo.jp/20220526235759
の続き。
週に10~15時間程度の労働時間が適正だと言いましたが、そんな短い時間で社会が回るはずがないと思われるかもしれない。
しかしこの程度の労働時間でもそんなに困らないんじゃないかと思う。
その根拠をいくつかあげる。
まず一つ目は現代の労働者一人ひとりの生産効率が悪く、改善の余地があること。
これは実際に企業で働いたことのある人ならわかると思うんだけど、特に日本の会社では真面目に働いていない従業員が非常に多い。
テキパキとやれば余裕で業務時間内に終る仕事も、ダラダラと作業して何時間も残業するなんてことも珍しくない。
なぜこのような状況になってしまうのかと言ったら、それは許されている労働時間が長いからだと思う。
日本では週40時間の労働と月45時間までの残業が認められている。
これだけ長い労働時間が認められていることによって、労働者に怠ける理由を与えてしまう。
時間内に終わらなくても残業すればいいや、といった余裕を与えてしまう。
そして労働時間を規制することによって怠けることができなくなる。
限られた時間内に仕事を終わらせるためには真面目に集中して働くしかない。
だから労働時間を規制することによって全体の生産は減るが、労働者一人ひとりの生産性の向上が期待できる。
2つ目は長時間働くことによって必要になる仕事が発生しているから。
例えば近年は保育園や託児所の不足が問題となっているが、そもそもこれらの仕事はなぜ必要なのか。
それは両親が共働きをしていて育児の時間が取れないからだろう。
つまり親たちが仕事をしていることによって、保育園などの仕事が発生していることになる。
もし労働時間を規制したとしたら保育園などの仕事は激減するだろう。
しかし親たちの労働時間も減って時間に余裕ができて、自分たちで子育てができるのでこれらの仕事は必要なくなる。
一般的な会社だと夕方頃に業務が終わるのに、店はなぜこんなに夜遅くまで営業しているのか。
普通に働いている人は昼間は会社にいるので、平日は夜しか店で買い物をすることができない。
これが原因でほとんどの店は朝から夜遅くまで営業せざるをえなくなる。
もし労働時間が短縮されれば、労働者も時間に余裕ができていつでも買い物にいける。
現代はこのように長時間働くことによって本来必要のない仕事が発生しているケースが多い。
現代の仕事を大雑把に2つに分類するなら、生産の仕事と販売の仕事に分類できると思う。
この生産と販売の仕事は労働者個人個人で分類できるものではなく、ほとんどの労働者が生産と販売のどちらの仕事にも関わっている。
一見生産の仕事に思えて、実は販売の仕事であるケースが非常に多い。
店の店員を例にするなら、商品を客に販売するのは生産の仕事になる。
商品を販売するのだから一見販売の仕事にように思うが、商品を消費者に届けるのは生産の過程で必ず必要なものなので、生産の仕事に該当する。
店員が客に対して必要以上に愛想よく振る舞ったり、過剰なサービスをするのは販売の仕事になる。
なぜこのような行為をするのかといったら、店の評判を良くして客を呼び込むためであり、生産者、消費者の両側からして必ずしも必要なものではない。
コンテンツを作成しているので一見生産の仕事のように思えるが、テレビ番組というものは広告収入によって成り立っている。
つまり物を生産したとしても、その物が販売のために利用されたらそれは販売の仕事になってしまう。
そしてこの販売の仕事というものは仮に全てなくなったとしても生きていくために困ることがない。
すると商品を圧倒的に売りやすくなるため、販売の仕事の必要性がなくなる。
こうなるとこれまで販売の仕事をしていた人達が生産の仕事に回るようになる。
だから食品や住居などの生きていくために必ず必要な産業に関しては生産が需要を下回ることはない。
例えば世界中の労働時間を半分にしたからといって、食料の生産量が半分になるなんてことはない。
食糧難に陥っている状況で食品のコマーシャルを流すなんてことは絶対にありえないわけだ。
4つ目が自由な時間が増えることによって趣味による生産が増えること。
その時間に何もしないなんてことはありえず、何かしらの活動をするはずだ。
例えば暇なので家庭菜園でも始めようかな、などと思ったとする。
すると企業の大規模の生産に比べたら微量ではあるものの、趣味による生産が発生する。
このように労働時間が減ることによって、労働による生産は減少するが、趣味による生産が増える。
ここまで労働時間を短縮するメリットについて書いてきたが、当然デメリットだってある。
週10時間程度の労働でも十分社会は回るとは思うが、今に比べたらかなり不便な社会になることは事実だ。
企業や店からしたら努力をしなくても商品が売れるわけだから客への対応は悪くなる。
店員の態度が悪くなったり、製品の品質が下がったり、店の営業時間が短くなったり、消費者からしたら今よりもかなり不便な世の中になる。
「お客様は神様です」などと言われる現代社会が異常なだけであって、本来生産者と消費者の立場は平等であるべきだ。
労働時間を短縮したら多少社会が不便になるだろうが、人々が過酷な労働から開放されること以上に幸せなことはないと思う。
労働時間を規制すべきだと言いましたが、ではそれ以上に働きたい人はどうすればいいのか。
もし何かやりたいことがあって認められている時間以上に働きたいと思っているのだったら、それは仕事ではなく趣味でやればいいと思う。
労働時間が減れば自由な時間が増えるわけだから、その時間を使って趣味として楽しめばいい。
好きなこととかやりたいことならば、仕事にせずとも趣味でやっても満足できるはずだ。
近年は「好きなことを仕事にする」といった考えが流行っている。
しかし、そもそもなぜこのような考えが生まれるのかと言ったら、それは結局長時間労働が問題なのではないか。
本来好きなことであれば仕事にしなくても趣味でやっても満足できるはずだ。
しかし普通に日本で働こうとすると週に40時間も働かなくてはならない。
そんなに働いていると自由な時間が取れず、趣味に使える時間がなくなってしまう。
それが原因で「好きなことを仕事にする」といった考えが生まれているのではないか。
もし労働時間を短縮したとしたら自由な時間が増えるので、無理して仕事にしなくても誰だって好きなことをして生きていくことが可能になる。
もし週に10時間程度の労働で生きていけるのならば、誰だってそのような生き方ができる。
自由な時間がいくらでもあるのだから、その時間で好き放題ゲームをやればいい。
このような生き方なら誰かと競争する必要もなく、クビになることを恐れる必要もない。
お金を稼ぐことはできないけど、誰もが好きなことをして自由に生きていくことが出来る。
まとめると、
そして消費が増えることはない。
となります。
かなり長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございます。
とりあえずここでこぼせばいいよ。匿名だし、お互い知らないだけに気楽に吐き出せるだろう。それでいくらかでも気持ちが楽になればいい。俺らだって聞くだけならできる。
それに、ひょっとしたら誰かが良いアドバイスをくれるかも知れない。
今の日本社会は終わってる。
普通、働けば景気が良くなるように思えるが、現代社会は非常に複雑になっていてそう単純にいかない。
ここで言う生産とは労働によって生み出される物やサービスのこと。
良い社会を維持するためにはこの生産と消費のバランスが非常に重要になる。
当然働くことによって生産が増える。
そしてこの生産と消費のバランスが悪くなることによって不景気を引き起こす。
まず社会全体の生産量と消費量がほぼ同じ状態について考えたい。
生産量と消費量が同じ、これはつまり市場で売られている物の量と買われている物の量が同じということ。
物を作れば作った分だけ売れるという企業からしたら夢のような状態になる。
労働者は生産者である一方、消費者でもあるので稼いだ給料は消費に回る。
実はこれが非常に困った状態になる。
確かに消費者からすればありがたいことではあるが生産者側からすれば苦しい状態だ。
生産量が消費量より多いということは、売られている物の量よりも買われている物の量の方が少ないということになる。
販売している商品が売れなければ当然その分は損失になってしまう。
まず一つ目が生産を減らすこと。
そして2つ目が商品を売るためのマーケティング活動を行うこと。
例えば商品の価格を下げたり、品質を高めたり、宣伝を行うなどがある。
これらによって企業の利益は大幅に減少し、それに伴って労働者の給料も下がる。
商品の価格が下がったり、品質が上がるため消費者からしたら恩恵を受けることができる。
しかし消費者もまた労働者であって、商品が売れないことにより給料が下げられるため、お金がない。
せっかく市場に質のいい商品が出回っていても、お金がないのであれば買うことができない。
これによりますます商品は売れなくなり、企業の利益は減っていく。
生産量と消費量の差が大きくなるほど景気が悪くなると話したが、では現代社会はどうなっているのかというと圧倒的に生産が消費を上回っている状況にある。
昔は全て手作業で仕事をしていたのに対して、今は大部分が機械による生産を行っている。
現代の生産能力は昔に比べたら何十倍、何百倍といったレベルで向上している。
それにも関わらず労働時間が昔と比べてもほとんど変わっていない。
日本で言うなら一般的な会社員は週に40時間、それに加えてさらに残業までしている。
それどころか下手したら増えている。
これは非常におかしなことだ。
生産能力が向上したのだからその分労働時間が減らなければおかしい。
それは現代社会では人は働かなくては生きていくことができないからだろう。
生きていくためにはお金が必要で、お金を得るためには働く必要がある。
成人していてまだ年金をもらえる年齢に達していなければ働かなくては生きていけない。
生活保護という手段があるものの、若くて健康な人間では申請が通らない。
それに生活保護を受給している人に対して世間からの風当たりは強い。
親に養ってもらえば働かなくても生きていくことはできるものの、そのような無職・ニートと呼ばれる生き方は世間から非常に軽蔑される傾向にある。
だから少なくとも日本においては経済面、世間体的に働かざるをえない。
そしてこの働かなくては生きていけないという状態が非常にまずい問題を生み出している。
前述したように生産と消費の差が大きくなるほど景気は悪化してしまう。
現代はこの異常なまでの生産により世界中で不景気を引き起こしている。
生産が多いのが問題なのだから本当は生産を減らさなくてはいけない。
しかし働かなくては生きていけない、仕事は尊いものだといった価値観によりみんな長い時間働き、生産を増やし続けてしまっている。
現代のような供給過剰な時代においては、働けば働くほど景気は悪くなり、労働環境も悪化してしまう。
だから現代において働くこと、正確には長時間働くことは社会を蝕む害悪行為でしかない。
生産量が消費量を超過していることが問題なら消費を増やせば良いんじゃないか?
そもそも生産が増えればその分消費も増えるんじゃないか?といった意見もあると思う。
実際に日本の政治家や資本家達は消費を増やそうと必死になっている。
しかし残念ながら消費がこれ以上増えることは絶対にありえない。
食料を例にすると、人が一日に食べられる量は限られている。
食料の生産が増えたところで人間の食べられる限界量が変わるわけではない。
食糧難が当たり前であった昔であれば、確かに生産が増えれば食べる量も増えたかもしれない。
しかし現代は肥満に悩んでいる人が多いことからもわかるように、ほとんどの人が食欲の限界まで腹を満たしている。
つまりいくら食料の生産が増えたところで消費が増えることはない。
例えば町に大きなレストランが出来て、その店がものすごい繁盛したとする。
これだけ見ると消費が増えているように思えるが、実際には増えていない。
このレストランに来た人達はレストランで食事をした分、食事の回数が一回減っているわけである。
もしこのレストランがなかったとしたら、その人達は自宅や他の飲食店で食事をしていたはずだ。
もし自宅で食事をしていたとしたら、そのための食材をスーパーなどで購入していることになる。
つまりこのレストランができたことによって、他の飲食店や食品販売店の売上が減っている。
新しい店ができて儲かったとしても、その分他の店の売上が減るだけであって、全体としては一切消費は増えていない。
これは他の業種にも言えることで、例えばある人物が旅行に行って、その旅先でたくさん買い物をしたとする。
するとその地域では消費が増えて、お店の売上が増える。
しかしその地域に旅行している間、その人が元々住んでいる地域では消費をしないことになる。
もし旅行に行っていなかったとしたら、その人は地元で消費をしていたはずである。
仮にずっと家の中にいたとしても、ゲームをするでも本を読むでもテレビを見るでもスマホをいじるでも、何かしらの消費活動をしていたはずだ。
だから結局どこかの地域や企業の消費が増えたとしても、別のどこかの消費が減っているだけであって、全体としての消費は全く増えていない。
昔はとにかく生産能力が低かったので、圧倒的に物が足りていなかった。
生きるのに必要な食料を生産するのに精一杯で、他の物を作る余裕がなかった。
だから技術が向上して生産が増えれば、それに伴って消費も増加した。
しかし産業革命以降の爆発的な生産能力の向上により、ついに生産量が人々の需要を超えてしまった。
そうなるといくら生産が増えたところで、消費が増えることはなくなる。
ここまで消費が増えることはないと書いてきたが、実は増えないどころか消費は今後減り続ける。
電話、パソコン、ゲーム、カメラ、音楽プレーヤー、地図、本、辞書、新聞。
たった一台のスマートフォンでこれら全ての代わりが出来てしまう。
実際にスマートフォンの登場により多くの産業の消費が落ち込んだ。
もちろんスマーフォンの登場により増加した消費もあるとは思うが、明らかに減少した消費の方が多いだろう。
つまり壊れにくくなっていて、そうなると買い換える頻度が減り、消費が減少することになる。
これらの要因によって消費は増えないどころか、今後減り続ける傾向にある。
この「消費が増えることはない」という事実は経済対策をする上で絶対に頭に入れておかなくてはならないことだ。
しかし日本の政治家達はこの事実に気づいているのか気づいていないのかは不明であるが、とにかく消費を増やすことしか頭にない。
絶対に増えることのない消費を増やすために莫大な税金と労働力を投入している。
このままの状態が続くと社会はどんどん歪になり、やがて崩壊してしまう。
しかし消費が増えることはない。
現代はこの不足している消費を世界中の企業が奪い合っている状況だ。
そしてこの消費の奪い合いはあまりに無意味で、不毛としか言いようがない。
わかりやすいように一つ例え話をする。
A社は現状を打開するためにコストカットを行って商品の価格を下げ、積極的な宣伝活動を行った。
しかしこうなると困るのがA社と同じ食品を扱っているB社である。
A社の商品が人気になったことにより、B社の商品は売れなくなってしまった。
このままではまずいのでB社はA社と同じように商品の価格を下げ、積極的な宣伝活動を行った。
これによりB社は売上を元に戻すことができた。
こうなると結局元の状況に戻ってしまい、A社とB社が行ったマーケティングが完全に無駄なものになっている。
価格を下げるために従業員の給料を抑えたり、宣伝するためにも多額の費用がかかる。
しかしこれだけコストをかけたにも関わらず何の成果も出ていない。
このような無意味で不毛な競争が世界中のあらゆる企業間で行われている。
顧客に対して過剰なサービスを要求したり、長時間の残業をさせたり。
そして一番悲しいことがこれらの働きにって労働者が報われることはなく、それどころかさらに悪い状況に陥ってしまう。
社会全体として消費が増えない以上、一つの企業が努力により売上を増やしたとしても、その分他の企業の売上が落ちる。
売上の落ちた企業は社員にさらに厳しい労働を要求するようになる。
製品やサービスの質が高くなるので、当然消費者からすれば恩恵を受けることができる。
多くの労働者は企業間競争により給料を下げられ、長時間労働を強いられているため、金も時間もない。
せっかく質の良い商品が売られていても、それを買うための金と時間がない。
そしてこのまま何の策も打たないとさらに状況は悪化していき、取り返しのつかないことになってしまう。
ここまで現代社会の問題点について話したので、ここからは改善策についにて話したい。
そして消費が増えることは絶対にない。
生産を減らすということはつまり労働力を減らすということである。
今の日本でも法定労働時間が決まっており、週に40時間までしか働けないと法律で決まっている。
しかしこの週40時間労働というのが現代の生産能力を考えると異常なほどに多い。
現代は科学の進歩により昔とは比べ物にならない生産能力を持っている。
これがどれくらい異常なことか言うまでもない。
これに加えて日本人の多くは長時間の残業をしているのだから目も当てられない。
これは非常に難しい問題なので正確には言えないが、現代の生産能力を考えれば半分の20時間にしても多いと思う。
週に10~15時間くらいの労働時間が適正なんじゃないかと思う。
そんな短い労働時間で社会が回るはずがない、と思われるかもしれないが何とかなるんじゃないかと思う。
その理由については後述する。
2つ目の方法が毎月国民全員に定額の給付金を与えて、働かなくても生きていける環境を作ること。
この方法は近年話題になっているベーシックインカムという制度だ。
例えば月6万円などの人間がギリギリ生きていける金額を毎月国民全員に支給する。
これによって人々は生きていくために無理して働かなくてもよくなる。
これらの策によって労働力が減り、生産と消費のバランスが緩和され、景気が良くなり、労働環境も改善されることが期待できる。
https://anond.hatelabo.jp/20220527000129
に続く。