はてなキーワード: 無名とは
中村一也氏を画像検索してたらジュニア時代の画像がいくつも出てきてそれをTwitterに投稿してる人も多かったので色々見てたんだけどさ、何人もの投稿者が無名だの一瞬仕事してただけだの数多いる外周要員だの言ってたんだけど、それと被害を受けたことに何の関係があるんだろうか。まさか無名で終わった人間は被害を訴えるなとでも?じゃあSMAPや嵐が実は自分も被害を受けてました見て見ぬふりしてましたって言ったら受け入れるのか?絶対暴れるだろ。しかも投稿者の中には孫が三人いる光GENJIからのファンもいた。なんで子も孫もいるような人が子供の性被害を軽く扱うのか理解に苦しむ。普通こういう話を聞くと自分に置き換えて考えると思うんだけどね。一部のブクマカはわざわざ頭のおかしいジャニオタを探してきてると思ってるようだけど、トレンドにあるジャニーズ関連のワードを見るだけで頭おかしい投稿しか出てこないからむしろまともな投稿の方を探し出す状態になってる。その貴重なまともな投稿も冷静な文章というだけで言ってることは結局同じ、嵐が去るのを待つ模様。どいつもこいつも馬鹿げてる。
へー
90年代前半頃までは大阪市内でも繁華街などから外れた地域であり古い商店街や雑居ビルなどで点在する錆びれた街であったが、90年代半ば頃に音楽制作会社のビーイングの創業者である長戸大幸によって堀江一帯の不動産が大量に取得され、無名デザイナーなどによる新しいブランドショップ、カフェ、レストラン、サロンなどが次々にオープン、またお洒落な高級賃貸マンション、タワーマンションなどが多数建築されたことにより若者の入居が増えていった。同時期にビーイングの大阪本部としてメジャーレーベルのレコード会社GIZA studioが起業され、ライブハウスなどの施設もオープンするなど瞬く間に若者の街へと変貌し、人口増加と共に数々の企業が事務所を構えるなど現在の資産価値ある土地へと変わった。
まあでもその寄付とかボランティアとか「本物のチャリティ」を見てるとなぜ日本でできないのか分かる気がするわ。
海外チャリティとかボランティアって、応援してくれる人が多いんよね。手紙もコメントも沢山くるし、日本でやるよりいっぱい良い評価がついて話題になって有名になる
お金出したり参加したり協力したり良いなと思ったことを自分でも実行する人が沢山いるし。
イギリスのBBCの例の放送から半年が経ち、ジャニーズ事務所は瓦解しつつある。夏前の雰囲気では「噂では聞いた」「当人は故人」「証拠がない」「ごめんなさい」で寸志を渡して逃げ切りそうな空気だったが、再発防止特別チームの予想以上の報告書で潮目が変わった。
国体護持の立場から、新社長は東山紀之となったが、相変わらず「噂では聞いた」としか言わず、社名は変わらず、株主も変わらず、方向性も見えず、期限も示さずではまともな商取引をしづらいのは正直なところ。
そして、東山社長が今から40年近く前に、当時のジャニーズJrに『俺のソーセージを食え』と言い放ったことが話題となった。2005年の『SMAPへ―そして、すべてのジャニーズタレントへ』という本の一節をネットニュースが取り上げ、それが拡散した形なる。
ところで、この本を書いたのは元ジャニーズJr.の木山将吾である。現役時点は山崎正人と名乗っていた。ただ、木山は、18年前にジャニーズ喜多川からの性被害について赤裸々な著作を書いていたにもかかわらず、この半年間のムーブメントでは特にコメントらしいものを発していない。彼はどこへ行ったのだろうか。
と、ずーっと謎に思っていたのだけど、実は、木山が滋賀県に住んでいることが判明した。
https://www.city.kusatsu.shiga.jp/citysales/ouen/boosters/list/ginrara.html
この写真の右側が、GIN山崎ぎんこと、山崎正人、すなわち木山将吾だ。
山崎は1970年生まれで、15歳~18歳まで山崎正人名義でジャニーズ事務所に所属。光GENJIの候補メンバーだったが、性被害を受けて退所していく。1988年に北公次(フォーリーブス)の『光GENJIへ』などのジャニー喜多川暴露本が出版された後、山崎は1989年、山崎銀名義でアイドルグループ「新・光GENJI」に参加し、それが「SHADOW」となる。SHADOWは、アンチジャニーズを標榜していた地下アイドルグループで、北公次が印税を注ぎ込み運営し、後に被害者の会代表となる平本淳也らも参加していた。ただ、きっかけが不純だったからか、すぐに解散している。
山崎は京都などで活動を単発的にしていたが、2005年に木山名義で『SMAPへ―そして、すべてのジャニーズタレントへ』(鹿砦社)を刊行した。週刊文春の報道があり、2004年の最高裁でジャニーの犯罪が確定した翌年になる。
当時、鹿砦社は、ジャニーズ本を多数出していた。ただ、その多くがタレントの住所暴露本でさすがに褒められたものではなかった。社長は同年別件で逮捕されている。2007年には同じ内容でタイトルを変えて「KAT-TUNへ - 赤西仁がやめた本当の理由」と再編集本を出したあたり、同社に胡散臭さがあるのは否めない。週刊文春もこの時期は報道を控えていたこともあり、1988年の北公次のときほど話題にはならなかった。
その後、木山こと山崎ぎんは滋賀県草津市に移住し、2010年頃から滋賀ローカルタレントとして活躍している。GINLALAとして地元女性タレントとコンビを組み、地元コミュニティーFM「えふえむ草津」の出演、イベントやコンサートの司会などをしている。滋賀県のBBCには出演したこともある。
増田も以前に滋賀県に住んでいたことがあるんで、彼の顔は何度か見かけたことがある。平和堂の催しや、町内会の夏祭りの司会などもしていたからだ。名前はうっすらと記憶しているが、その顔や姿、声、話している内容は特に記憶がない。無名のセミプロタレントの一人だと思っていた。
本人は、別に過去を隠しているわけではないようだ。えふえむ草津のパーソナリティー紹介では
とある。ご本人としては「SHADOW」は黒歴史ではない模様だ。
ただ、イギリスのBBC以降のムーブメントがあるにもかかわらず、木山将吾こと山崎ぎんは、何も発言はしていない。2005年の本はかなり赤裸々にジャニー喜多川の加害を表現していたが、それを改めて言及するのは精神的にかなりしんどいものになるのだろう。コロナ禍で大変だったタレント業もようやく回復しつつある。それを台無しにしかねない。山崎はGINLALAのgooブログに登場するが、作成は相方のLALA氏が担当しているようなので、ジャニー喜多川問題への言及はない。
https://blog.goo.ne.jp/ginlala785kusatsu
思えば、ジャニー喜多川の暴露本の先鞭をつけた北公次にしても、再婚してワイドショーに登場した1994年以降、ジャニーズ事務所への言及を避けている。1999年10月から始まった「週刊文春」のジャニーズ事務所の連載。第1回目は、同じフォーリーブスの青山孝史だった。読者としては、続いて北公次も登場するだろうと思ったが、最後まで何も発言しなかった。後の裁判にも参加していない。
北としても、芸能界復帰への思惑がある中、言わずが花、という考え方があるのは理解できる。村西とおるらに煽られ暴露本を書いたものの莫大な印税はあっという間に消えた。反ジャニーズの連中が必ずしも自分の味方ではないというのも悟ったのだろう。
2002年、北は青山、おりも政夫、江木俊夫らとフォーリーブスを再結成している。当時、メリー喜多川は「北と青山はジャニーズ事務所の敷居を跨がせない」と激怒していたという。暴露本に参加したからだ。でも、フォーリーブスの名前を使うことができたのは、事務所とフォーリーブス4名で何かの手打ちをしたのではと指摘されている。タレント活動するなら、もう反ジャニーズに言及しないと腹を決めたのだろう。北は2012年に若くして亡くなっている。
おりもは今年5月のインタビューで「コーちゃんは、亡くなる直前まで『ジャニーさんに謝りに行きたい』と言っていました」と指摘したうえで、「僕も含めて被害に遭ってない人たちも多くいるわけで、ジャニーズのOBや現役を変な目で見ないでほしいです」とジャニーズ事務所擁護の発言をし、一部のファンの喝采を浴びた。おりもは解散後も長くジャニーズの世話になってきたし、北公次の発言を打ち消したい気持ちはあったのだろう。死人に口なしだ。
今年の母の日である5月14日、山崎は地元草津市のホールで「ファミリーコンサート」の司会をする一方、ジュリー藤島は東京で「知らなかったでは決してすまされない話だと思っておりますが、知りませんでした。」と述べ、批判を浴びた。
木山将吾こと山崎ぎんは、遠く琵琶湖のほとりで、この半年のムーブメントをどう見ているのだろうか。本日水曜日は13時から「えふえむ草津」のレギュラー番組「GINLALA 午後は大銀醸」が生放送である。クルマで移動するタイミングなので一度聞いてみよう。
その証言を読んでいると、ジャニー喜多川という人は性依存症だったのではないかと思えてくる。
その勝手な印象について書いていく。
ジャニーの行為は、あまりに執拗で、強迫的に反復され続けている。
対象が未成年の少年という問題を抜きにしても、病的な印象を受けてしまう。
そんなことを考えていたら、調査委員会の報告書で、ジャニー喜多川氏自身が幼少期から性被害を受けていたという話が出た。
その話は報告書のメインではないが、これを読んだ時、さもあらんと思った。
ジャニーも性被害者だったのならば、彼もPTSDを抱えていたのかもしれない。
「だから免責だ」ということではない。
そうではなく、性依存症ではないかという疑いの裏付けを得た気がしたのである。
であるなら、なぜ被害者たちが加害者たるジャニー喜多川に純粋な憎悪を見せず、
「それでも尊敬している」
「感謝している」
と述べるのかも、わかる気がしたのだ。
あくまで印象だが、ジャニー氏は少年たちに依存していたのではないか。
というか、成長できずに、彼自身のメンタリティは少年のままだったのではないか。
愛想がよくても、精神的には大人の社会に対して孤立を感じ、真に仲間と言えるのは少年たちだけだと感じていた。
つまり、彼は少年たちに依存していたのではないか、と思うのだ。
そのあたりが、ジミー・サヴィルやハーヴェイ・ワインスタインと、ジャニーの違いではないか。
ジミー・サヴィルの被害者は、ジミーの番組に出た際に記念のバッヂを渡すと言われて楽屋に連れて行かれ、ドアを閉めるや否や、暴力とともに性行為を強いられたという。
しかしジャニー氏の暴力性は、精神的な依存の延長線上にあったのではないか。
だからわかりづらい。
ジャニー氏が少年たちのために、食事をつくってやったりなんだりと、ごくまめに面倒を見てやっていた話はよく知られている。
(もちろん性加害がそれで減じられるわけはない)
彼は、少年たちの前に、きらきらしい世界への導き手として登場する。
すごい人である。
雲の上の人だ。
そのすごいジャニーさんが、無名の自分にせっせと心を砕いてくれる。なんて良い人なんだろう、と少年たちは感動する。
それはいわゆる単純な「グルーミング」だけではなく、ジャニー氏にとっても楽しみだったのではないか。
いま、自分は少年たちに喜ばれている。好かれている。その仲間になっている。
彼らの魅力を引き出し、輝かせることも、天職と思っていたかもしれない。
言うなれば、彼は、少年たちの魂と一体化したかったのではないだろうか。
性行為がその手段だったかどうかまではわからない。単純な性欲もあっただろう。
しかし少なくとも、性行為は、ジャニーにとって精神的な苦痛を忘れる行為ではあったのではないか、と思うのである。
もちろん、性加害は許されない。
彼自身、性加害でこわされていたジャニー喜多川は、その苦しみを忘れられる行為として、性行為に依存した。
相手は「変な人がいるな」と横目で見ただけなのに、「目で誘ってきた」と思ったりする。
ジャニー喜多川もまた同様ではなかったろうか。
単に自分が「NO」を言える環境を与えていないだけなのだが、そのへんの事実は無視したのではないか。
考えたくなかったからだ。
少年たちを愛している。
彼はそう信じていただろう。
これは愛だと少年たちに信じさせようともしただろう。
実際のところ、ジャニーがやったのは、相手に依存し、傷つけ、侵略する行為だった。
しかし、それを愛と呼んだ。
その依存は、まるでほんとうに愛されているような一体感を少年たちに与えただろう。
被害者たちがジャニーを否定できないのは、意識的に計算されたグルーミングのためというよりも、そのためだと考えると、理解できるのだ。
それを癒すことを少年との関係に求めていた。少年たちに愛情を注いでくれていた。求めていた。
ジャニーの苦しみに巻き込まれただけだが、繊細で優しい者ほど、そんな相手を捨てることに罪悪感を持ってしまうものだ。
性愛でなくても、自分の問題にこどもを巻き込み、押しつける大人はけっこういる。
毒親と言われるのはそういう人たちだ。
ジャニーにとって、孤独の苦しみも、愛されたい・愛したい、という願いも、真剣なものだったかもしれない。
しかし実際のところジャニーが愛したのは、目前の少年たちではなかった。
彼が見ていたのは、少年たちに投影したジャニー喜多川……喜多川擴という、孤独な少年だったのではないか。
自分では愛しているつもりだったにせよ、ジャニーはただひたすら、「自分が」、救われたかっただけだった。
おそらく心底では、愛されてなどいないとわかっていたはずだ。
依存を深めれば深めるほど、孤独も深まり、それを忘れようとなおいっそう依存していき、性加害はやめられなくなっていっただろう。
そして被害者は増え続けた。
それは愛ではない。
それを愛だと思ってしまうと、「愛された」人間の苦しみはふくれあがる。価値観が歪む。呪いになる。
「あわれだけれど、愛ではない」と言わなければならない。
かつては、ジャニー自身が、プレデターのためにおなじように苦しめられた少年だったのかもしれない。
誰も彼には「それは愛ではない」と教えてくれなかったのだろう。
そして歪んだ結果、彼自身も、少年たちを歪めるプレデターになってしまった。
だが時代的にも、年齢的にも、メリー氏にはできなかっただろう。
当事者の会は、声に出せてよかったと思う。
彼らは少なくとも、少年を歪める者にならないですむだろう。
だがいま、声を出せない被害者もいるはずだ。
それでも、カウンセリングなどをうけて、ジャニーの呪いを解いてほしいと思う。
あわれに思ってもいい。憎めなくてもいい。
それでも、あれは愛だと思う必要はない。
投資銀行部門、投資銀行業務、IBD、Investment banking
「投資銀行」っていうと必ず「銀行なんですね〜(^^)」って言われるから「金融系」で通してる
投資って付いてるから運用会社だと思われがちだし、銀行って付いてるから(商業)銀行だと思われがち
名前が悪いわ
「哲学者の永井均さん、M・ヴェーバーを精読したこともない人が社会学を叩くのは自分が馬鹿であることを喧伝しているようなものであるとの見解を示す」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2221010
このブコメの話。
自然科学におけるリチャード・ファインマンの権威性と人文科学におけるマックス・ヴェーバーの権威性を並べちゃうのは典型的なダメな議論という気がする。
人文系の教育には原典講読という伝統文化があるが、自然科学の教育において原論文を精読することは比較的めずらしい。大学の社会学科でヴェーバーを読んでいない学生はモグリだろうが、物理学科でファインマンを読んだことない者はいくらでもいる(はず。「ファインマン物理学」シリーズはそれほど人気のある教科書とはいえないし、一般向け作家として人気があったのは一時代前だろう)。
現代の「社会学」についてまともにコメントをしようとするならマックス・ヴェーバーの著作、少なくともその教科書的(=広く合意のある基礎的な)解釈を知っている必要がある、というのはそれほど異論のないことだと思う。なぜなら社会学をはじめとする現代の人文科学の議論は、過去の学者がつくりあげてきた概念(言葉)をその文脈込みで参照し、再解釈しながら展開されているからだ。M・ヴェーバーの理論が現代社会学の基礎の一部、別のいい方をすればある種の共通の言語的基盤となっていることは否定できない。そして人文科学における二次文献は不可避的に当該の文献の著者の解釈や文脈を帯びたものになるので、そもそものM・ヴェーバーの議論を知るためにはM・ヴェーバーを(できるかぎり原語で)読む以外の方法がない。
他方で物理学をはじめとする理学系の自然科学について、たとえば放射性物質の一般的な性質などについてあれこれいうために特定の原論文を読む必要はまったくない。たとえばアインシュタインの原論文を読解することと、相対性理論を理解することはそれほど関係がない。読むのは凡百の大学の教科書でもいいし、なんなら「一般読者向けに」(ただし適切に数式を用いて)書かれた解説本でもいい。
なぜなら現代の物理学の最新の知見、つまり多くの者がもっとも妥当であると認める理論についての解説は、基本的に誰が書いたものでも同じ前提、同じ内容、同じ結論になるからだ(基本的に法則と定理にもとづく数式の展開によって示される)。知見のコアは何らかの前提のもとに何らかの理路を示す数式の展開もしくはその結論であって、誰が書いたか、どう書かれているかといった文脈は関係がない。
物理学はたしかにこれまでの物理学史(歴史に名を残す偉人と無数の無名の研究者たちの論文の蓄積)の産物だが、その到達点を知見として理解するために科学史を理解する必要は基本的にはない。ファインマンは特定の業績によってノーベル賞を取ったが、その業績について知ろうとする場合でも、必ずしも彼の書いたものによって理解する必要はない。