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2017-09-19

https://anond.hatelabo.jp/20170919165316

タイトルに惹かれて全部読んだが、まったく何が言いたいのかわからなかった。

誰か結論だけ書いて。過程は大体理解できた。

マッチングサービスの利用についてのアンケート

みなさんこんにちは

日本の何処かで出会い系に明け暮れる男、ハンドルネーム永遠少年紳士と申します。

タイトルの通り、マッチングサービスの利用についてアンケートを取ってみました。

中々興味深い結果になったのですが、何というか、思ったよりも女性セックスに至るまでの過程重要視していて、思ったよりも男性は性欲猿なんだなあと、今回のアンケートを通じて分かりました。

男性の皆さん、気持ちは分かるけどもう少し節度を持ちましょう。

女性の皆さん、気持ちは分かるけどもう少し妥協してください。

ちなみにアンケート結果はこちらのページに公開してありますので、興味がある方はぜひご覧ください。

出会い系を使ったことがある女性44人に聞いた生々しい本音をガチ暴露!

anond:20170919124049

全然君の名はきじゃないけど

本編で採用されてない絵コンテにまで著作権を持ち出すのは議論余地ありだぞ

つの作品を作るときいろんな資料を参考にして世界観を構築して行くわけで、これだってもの自分で書き直したりもするだろうよ

まあそれを本編で採用したら明確にアウトなわけだが、製作段階でこんな感じでと自分タッチトレースしたもの著作権違反になるかと言われるとそれってどうよ?

もちろん過程を公開出版するに当たって参考にした作品として名前をあげないのはフェアじゃない

これを追求するならまだしも

製作段階の絵コンテパクリ著作権侵害だと文句をつけるのは筋が通ってないと思う

2017-09-18

公共の場所に溢れるエロ特定集団への排除である

結論を先に言おう。排除されているのは性嫌悪という病気の人たちである

ラディフェミの人たちはしばしば、「公共の場エロを見ると自分もそういう目で見られているのかと嫌悪感を持つ」とか「ポルノ女性を性の対象として固定しようとする風潮を助長する」などと批判するが、

前者については「俺が性の対象として見ているのは篠崎愛ちゃんであってお前ではない」、後者は「根拠があるのですか? イスラーム圏などでポルノをほぼ排除している地域でも女性を性の対象とだけ扱っていることは多いなどの反例の方はいくらでもありますよね」

などの反論が考えられるし、実際にその反論にも一理はあると思う。

だが、世の中には、エロを見るだけで身が引き裂かれるような激しい嫌悪感に襲われる人達がいる。そのことは忘れてはならない。

公共の場エロは、(掲示する側にそのような意図があるかは別として、結果的に)「エロを見るだけで苦しむようなヤツは社会に出てくるな」という排除となっている。

「性嫌悪は病気なんだから治療すれば良いじゃないか」。確かにその通りだ。だが現実には、街中でもエロが溢れすぎており、「治療に行く過程で目にするエロ苦痛なので治療にも行けない」ような事例もあるのだ。

そのことを踏まえた上で、公共の場エロはどのようにあるべきかを考えて欲しいと思う。

2017-09-17

ADHDへの僕なりの対策

①寝れない

 ADHDだと、予定がナカナカこなせずに、夜中寝られないことがシバシバあるのでは?すべてギリギリから。そして朝も起きれない。

 夜、考えすぎたり、フラッシュバックで、なかなか寝れない。神経が高ぶって寝られなかったが。

 『柴胡加竜骨牡蛎湯』という薬局で買える「ストレス、不眠の人へ」という漢方を飲みだしてから、寝られるようになった。

 あと、6時間睡眠を、8時間睡眠に変えたら、日中眠くなることが少なくなった。睡眠負債という概念最近睡眠学会提唱されていて。やはり、8時間睡眠人間は安定しやすいらしい。6時間睡眠では、アルコール飲んで仕事してるような集中力らしい。集中がそれやすADHDには致命的ですね。

 

②起きれない

 スマホの目覚まし機能のほうが、時計の目覚ましよりはるかに起きられる。

 起きる30分前から、5分ごとにアラーム鳴らしまくっている。

 少なくとも、音に気付かなくて起きられない、タイマーを消したのすら忘れて二度寝したということは無くなった。

 

食事の不摂生

 オートミールという、お湯をかけて3分で食べられて、長期保存可能炭水化物を見つけた。

 ほぼお粥みたいなものから、朝の朝食食べる気力が無い時でも、飲み物感覚で食べられる。

 低カロリー吉牛くらい食べても100kcalいかない)、低GI血糖値上がりにくい)、食物繊維豊富タンパク質豊富

 とりあえず、朝晩に「食事用意しなきゃ、、」ってストレスやらから解放される。

 

③´食事の不摂生

 炭酸系のジュースやら飲んで、困っていたが。ノンアルコールビールカロリーもホボゼロのやつ)とゼロカロリーモンスターエナジーを大量にストックして、解決した。

 ササミ缶は24kcalの奴があって、これは低カロリーでおなか一杯になる。

 プロテインも腹持ちがよくて、カロリー少ないし、色々な栄養を含んでいておすすめ

  

④予定をこなせない(イベント編)

 スマホのカレンダー機能にすべてのイベントを入れましょう。

  

④´予定をこなせない(1か月限定テストやら出向やら出張

 evernoteが素晴らしい。

 資料とかを全部写メに入れて、エバーノートで、「テスト」やら、「出向」やらでやることを全て管理する。

 1か月だけ、頑張るとかは、ADHD無限にやってきたと思うので。なんとかこなす能力はあると思う。

 それをサポートしてくれるevernoteが素晴らしい。

 いうたら、自分秘書がいるようなもの

  

④´´予定をこなせない(買い物やTODO

 evernoteが素晴らしい。

 evernoteメモして、こなして。こなし終わったら、「TODO終」ってやつにまとめてる。

 自分が何をこなしたか分かる。ってのは、ADHD体験したことない感動。

 秘書自分のことを管理してくれるようなもの

  

④´´´予定がこなせない(模試の申込など、いつでもやっていいけど期限ある系)

 まだ、対策不能。

 evernoteで、少しはましになったが、マダマダゼンゼン無理。

 おそらく、『ガントチャート』ってやつが使えるといいみたいだが、いいガントチャートアプリなどはナカナカ見つからない。

  

④´´´´予定がこなせない(家事など、いつやったらいいかからない系)

  

⑤色々な考えが浮かびまくって注意がそれる

 evernoteツイッター

 考えをとにかく、evernoteでためまくる。後で処理すればOKにして即忘れる。

 昔はメモ帳を持ち歩いていたが、メモ帳とかはすぐ無くすよねw

 evernoteスマホメモして永遠に残るから

 あと、マインドマップ系のアプリもいいよ。simple mindってアプリおすすめPCなら、xmindってのがあるらしく、ダウンロードしたが、まだ使用していない。

  

⑥多動

 対策できない。立っているとフラフラしてしまう。

  

⑦変なことを話す

 対策できない。

 とりあえず、話しないのが最強の対策

 話すると、おかしなことを言って引かれる。

  

ミスが多い

 対策できていない。

 おそらく、やっている作業過程を図にして管理するといいのだろうが。

 そういうことをやれるマネジメント力が皆無。

2017-09-16

[]

今回はモアイで読める受賞作品感想

可動域、いっぱい。 (モーニングゼロ2017年7月奨励賞

プロット自体は、入学したての主人公たちが部活を選ぶまでの過程を描いているだけだが、登場人物たちの掛け合いや主人公の心情描写が丁寧。

フキダシとかの多さは姦しさの演出に一役買っているけれども、文字情報としては興味深いことは書かれていないので、読んでて多少かったるい印象もあるかな

肝心のハンドボール部分での構図も寄りすぎていて、あまり躍動感がないのは残念だけれども、消極的主人公視野の狭さを表現していると前向きに解釈できなくもない。

進め! 北高吹奏楽部モーニングゼロ2017年7月奨励賞

あれこれ言語化しようとするのも、理屈っぽいことも必ずしも悪いことではない。

私は「語るより見せろ派」だけれども、だからといって分かりにくいのはダメだとも思っているし。

けれども、これは読んでてゲンナリするだけだ。

かかえている問題が複雑だから、主要人物の性格なりの補完が必要なのはからなくもないんだけれども、もう少しバランスどうにかならなかったのかなあ。

情報の過不足の是非なんて明確にあるわけじゃないけれどもさ、いくら言語化をして理屈っぽいことを並べても、読者が100%理解できることなんて稀なわけで。

削る勇気がないなら、せめて構成バランス意識して描いたほうがいいんじゃないかなあ。

デザインド、アンデザインド(第36回イブニング新人賞 優秀賞・古谷実特別賞)

やっぱりストーリー面での構成力って大事だと常々思う。

テーマプロットなど、作者の表現したいものがはっきりしていると、それだけで読んでて苦じゃなくなるから助かる。

荒い絵ながらも登場人物の所々鬼気迫る激情ポイントを抑えているし。

昼食も半ばをすぎて(第36回イブニング新人賞 優秀賞)

今回の中では一番マンガマンガしている。

構図とか、演出とか、擬音の使い方とか。

ジョークも小気味よい。

話のテーマ性が希薄というか、読んだ後「何の話だったの?」ってなる感じはちょっと気になった。

ベイビー症候群(第36回イブニング新人賞 優秀賞)

合間に合間にギャグを挟んで飽きさせないようにする工夫は感じられる。

設定に反してテーマ性が希薄から舞台装置的だし、起承転結あって構成や展開も筋は通ってはいるけれども強引であることは否めない。

終始楽しく読めたけれども、私が語れることは少ない。

瀬戸くんと中田さん(第36回イブニング新人賞 奨励賞

すごい絵が荒いなあ。

下手だけど味があるって感じでもないし。

そんな明らかなマイナスポイントを抱えながらも受賞したんだからスゴいんだろうなあ。

話に起伏があまりないけれども、主要人物のキャラクターがちゃんと出来ているから読んでて楽しくはある。

残った恋(第36回イブニング新人賞 大賞)

私はあまり表面的な表現技法については高く評価しないタイプだけれども、ちゃんとした演出意図も含まれていると感心してしまう。

序盤でそれを持ってきて読者をまず引きこもうとする目論見が上手い。

中盤でちょっと中だるみするんだけれども、終盤でまたハッとするような表現をしてくるのも良い。

表現したいことや読者に伝えたいことを絵で抽象的に、かつ分かりやすく見せるのって並大抵のことではないだろうからね。

個人的には読んでて面白いかといわれるとそこまでじゃないんだけれども、まあ大賞を取るに足るレベル作品だっていうことは分かる。

2017-09-15

映画ワンダーウーマンを見た

ワンダーウーマン」を見たので感想。と言うか考えたこととかのメモネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので、見た人向けだと思いますフェミの話とかも出てくるんでそういうの苦手な人も回避でよろしくっす。

総評

まず最初に、「ワンダーウーマン」、個人的にはそんなに評価高くない。少なくとも世間で(特に欧米で)いうほど大絶賛、大感動をすることはできなかった。これは映画を見終わったあとのファーストインプレッション

しかしじゃあ評価低いのかというとそんなこともない。

「1800円という価格&2時間という投資に見合った体験できるのか?」という視点で自問したところ、その答えは「100点」なのだ。十分高評価だろう。いい加減な脳みそだなあ、オレ。とも思った。

なんでこんな評価のすれ違いが発生してしまったかというと、今年見たアメコミ映画の先行2本、すなわち「レゴバットマン ザ・ムービー」と「スパイダーマン:ホームカミング」の評価が高すぎた、というのが原因であるらしい。前出の基準で言うと、「レゴバットマン」も「スパイダーマン ホームカミング」も200点くらいの評価なので、「ワンダーウーマン」はタイミング的に損をしてしまったのかもしれない。これが「ドクター・ストレンジ」のあとだったら感激できてたのに。

「100点である理由」としては大きく2つ。

まず「予告編で期待される要素が全て入っている」。無垢主人公ダイアナの島での生活スティーブとの出会い、「外の世界」への出発、人間社会との交流、第一次世界大戦の泥臭い戦争描写、圧倒的な戦闘シーン、ど派手なCGバトル。主人公ダイアナの衣装替えもアマゾン戦闘服マント姿→1910年代のヴィクトリアンはいったロンドンファッション→鮮やかな青のナイトドレス神の子戦闘服と飽きさせない。

そして「アメコミ映画ありがちなダメダメ要素を極力入れないようにしてある」。とくに3点「主人公の不幸描写に力点をおいたヒーロー誕生秘話」「クリフハンガーの繰り返しによるピンチ感の陳腐化」「取ってつけたような絶対悪敵役」の排除には成功している。そういう意味では、既存作品の悪いところがよく研究されているのだ。これは簡単なことじゃない(アメコミ映画はこの3つの罠によくハマるのだ)。

要約すると、よくできている。期待通りの作品だ。

一方で「100点でしかない理由」としては「取ってつけたような批判回避策」、「人物描写の底の浅さ」だろうか。

主人公ダイアナスティーブ自分たちの定めた使命を果たすためにチームを結成して第一次対戦の最前線に向かうのだが、そのチームは「絶海の孤島で育った主人公の女戦士ダイアナ」「イギリス軍諜報部に協力中のアメリカ外征軍大尉スティーブ」の2名を中心としているのだが、それ以外の参加者が3名いる。

フランス領モロッコ諜報員サミーア(おそらくイスラム系)」「ネイティブ・アメリカン密輸業者で通称酋長」「スコットランド人の酔いどれ狙撃チャーリー」この三人なかなか個性豊かで好感がもてるにはもてるのだが、「イギリスvsドイツ塹壕戦」にたいしてイギリス陣営でこれを主人公チームにするのは、いかにもPC的な取ってつけた感があった。

それを言うと映画冒頭のアマゾン族が暮らす絶海の孤島にも、白人だけじゃなく黒人アマゾンが配置されてたりして「こんな風に色のバランス取っとけばいいよね」的なそれを感じる。

この種の気遣いがあるのはもちろん良いことなのだが、それが気遣いの要素を超えていない、多様性テーマに対して踏み込んでないという部分があったせいで、浮いて見えてしまっている。またそれに対応するドイツ軍が通り一辺倒な描写で(つまりは白人集団なので)片手落ちに見えてしまう(ドイツ下げをしたかったわけじゃないだろうに)のも気にかかる点だった。

総じてエンタメ作品として秀作ではあるけれど、秀作止まりというのが個人的評価である

無垢子供ダイアナ

たぶんこのPC的なディレクション――批判に対して自覚的で先手を打って内容を適正に作っていこう――は最近ハリウッド映画では多かれ少なかれあるのだと思う。ただ、そういう制約(どういってもある種の制約ではあるだろう)を逆手に取って笑いやネタにしたり(デッドプールにおける「女性も男同様にブン殴ったほうが公平じゃない?」)、むしろそこに正面から踏み込んでえぐり出す(スパーダーマン:ホームカミングの敵役ヴァルチャーはいま注目されている「見捨てられた白人労働者」)のにくらべ、ワンダーウーマンのそれは踏み込みが浅くどうしても「そういうルールなので設置しました」感が出てしまっている。

重ねていうけれど、これは減点部分だという話ではなく、加点はなかったという話だ。

おそらく「ワンダーウーマン」という作品――つまり女性戦場に出て戦うという作品を作るにあたって、制作側は、(フェミニズムを中心に)炎上の可能性を覚悟して作ったのだと思う。だから、予め潰せる問題点は潰しておいた。

それは主人公ダイアナの人物設定にも反映されていて、彼女美女で、アマゾン族の王女で、めっちゃ強い。すごい跳躍力や筋力を持ってるし、噛み殺しの特殊能力を持つスーパーゴリラだ。だが多分そのままだと脳筋批判も巻き起こすだろうから、島で英才教育を受けてた設定になっている。作中でも数百の言語を操り、古典に詳しく、第一次世界大戦当時の最先端化学式を読み取るなど知能面でも卓越している。(第一次世界大戦当時の)女性だからといって馬鹿ではないのだ!

しかし、だからこそというか、逆説的にというか、なんだかすごく残念な人物描写になってしまっている。

彼女世間から隔絶された島で育ったので無垢だ……という設定なので、物語終盤になるまで「人間は悪神アレス洗脳されているせいで地獄のような戦争をしているのだ。悪神アレスさえ倒せば人間は正義と慈悲に立ち返り戦争は即座に終わる」と信じ込んでいる。ここは物語のテーマなので、外せない重要な要素だ。

それはそうで、重要に間違いはないのだが、それってどうなのだろう。

言語というのは必ずその文化を含んでいる。外語を学んだことがある人ならわかると思うけれど、外語を学ぶというのはその言語を操る民族や地域文化を学ぶということをニアリーイコールだ。文化も歴史も言語には含まれているからで、そこに理解無くしては言語の意味を理解するなんてできない。ましてや古典まで学んだダイアナが、人間の持つ二面性や、善悪といった内面を「全く理解してない」なんてのはありうるんだろうか? いやまあそこが物語のキーなわけだから、理解していないということにしないといけないのはわかるのだが、そういう描写にしてしまったせいで作品は別のメッセージを持ってしまった。

すなわち「知識も教育も倫理や人間について理解の助けには全くならない。世界を良くするという意味では、教育は全く無意味である」というメッセージだ。多分これは随分うがった見方だろうし、制作側はそんなメッセージを発信するつもりはないだろう。けれど、物語上ここでねじれが生じているために、そう取られかねない「隙き」が生じてしまっている。批判される要素をなくそうと頑張っていた制作陣が、塞げなかった穴に見えてしまうのだ。こういうねじれが、どうも彼女をそこの浅い子供に見せてしまっている。

ワンダーウーマン」は「(邦画では珍しくもないが)戦う女性主人公」「女性が監督した初めての大手スタジオによるスーパーヒーロー映画」という点で、フェミニズム界隈から賞賛を受けた。

けれど、個人的にはダイアナ女性ではないのだと思う。すくなくとも、フェミニズムが想定するような「解放されるべき女性」ではまだなくて、子供なのだ。まだ思春期すら迎えていないような子供で、世界に対して良く言えば無垢だし、シニカルに言えば無知無責任だ。

ダイアナに強い好感を覚えられなかったのがこの映画評価に加点が少ない理由だと、整理した今なら自覚できる。

善き大人スティーブ

多分、自分にとって不幸だったのはこの部分で、それは「ワンダーウーマン」を観るまえに「ウーマンリブ的な文脈でフェミニスト絶賛」みたいな評価を知ってしまった点だ。「そういうつもり」で見てしまったせいで捻じれが目についてしまった。

しかし、見終わったあとに思い返してみると、魅力的な部分がいくつもある映画だ。その最大のものアメリカ外征軍大尉のスティーブトレバである

彼はドイツ軍スパイした結果恐るべき毒ガス計画を知り、逃亡の最中に絶海の孤島アマゾン島に漂着し、主人公ダイアナを「外の世界」に連れ出す役目をする。無垢美女ダイアナエスコート役であり物語最終局面まで彼女を支えて導き続ける。

ぶっちゃけ、序盤はただのイケメン俳優だと思っていた。

いやイケメンなのは最終盤まで変わらないけど。

ヌードシーンがあったりもするので、女性向けの眼福要素も担当させられたイケメン俳優だと思っていたのだ。二回もイケメンって言ってしまったよ。

彼は優秀な軍人でありパイロットなのだが当然人間なので、スーパーヒーロー神の子であるダイアナに比べたら喧嘩においてはまったく弱い(軍人として適正に強くはあると思う)。おまけに非文明圏であるアマゾン島では虜囚に近い扱いも受けていたし、さらにいえば彼はアメリカ軍大尉であり、物語中盤の舞台イギリス(&イギリス議会イギリス軍)では大きな権力を持っているわけでもない。上司に対しては愛想笑いを浮かべたり、自分意見をひっこめたりもする。

物語中盤、未知の世界である外界に出たダイアナは完全にお上りさん状態であり、大都会ロンドンにおいて常識を知らないことから、スティーヴに迷惑をかける。それにたいしてスティーブはなだめたり、すかしたりしてダイアナに行動を抑制しようとする(そして失敗する)。スティーブダイアナに「外の世界常識や考え」を事細かに説明して理解を得ようとはせず、断念する。命の恩人ではあるし天下無双の戦闘能力を持ってはいるけれど、「面倒くさい子供」でしかないダイアナに呆れているように見えることもある。

こうやって説明すると際立つけれど、スティーブイケメンが売りなだけのダイアナの介添に見えていた。

しかし、上映後に振り返ってみるとこの映画の中心はスティーブだと思う。

ド派手なCGバトルアクションとか、世間フェミ的な評価を全部取っ払って、個人的に「ワンダーウーマン」の感想を述べるならば、「ワンダーウーマンスティーブ映画なのだ

全般的に人物の内面描写が浅いきらいのあるこの映画だが、スティーブに関しては脚本も俳優も素晴らしい仕事をしている。

彼は心の中にロールを持っている男だ。それは「善き男」であり「善き大人」であり、おそらくだけど「善きアメリカ人」であり「善き隣人」だ。彼はそういうふうに生きたいのだ。正しさや信念というよりも、自分の中に理想像ロールモデルがあると表現したほうがしっくりくるのがスティーブである

彼が軍に身を投じたのは、混迷続く世界情勢の中で、善きアメリカ人として社会に奉仕しようとした時、そのモデルが軍人だったかである。今の価値観で言えばもちろん異論はたくさんあるだろうけれど、その当時の常識で言えばそれは愛国心であったし、善き市民の善き行動だった。

ドイツ軍に密偵した結果、彼は恐るべきマスタードガスの開発と、それが講和間近のイギリス軍へ向けられていることを知ってしまう。彼はこの情報を持ち帰るために命を捨てるような危険を犯す。それもまた、彼の中にある「それが善き男の行動」だからだ。

その過程ダイアナに命を救われ、彼女の「外の世界戦争を止めたい」という希望を叶えるためにも、一緒にイギリスまで情報を持ち帰ることにする。

しかし、イギリスにそれを報告したが、結果ははかばかしくない。講和が間近に迫ったイギリス軍は、ドイツ軍(の一部)に災厄的な行動があったとしても全面攻勢には移りたくない。スティーブ情報事実上握りつぶされる。

彼はここで彼自身の行動規範である「善き人」を曲げられる。軍の階級差という世俗の権力構造のせいで、彼がすべきだと信じる行為を行うことができない。

講和のためとは言え、前線舞台をマスタードガスの脅威の前に放り出してよいのか? 良いはずはないが、議会や政府の決定に従うのも「善き国民」の義務ではあるのだ。

でも隣には精神的に子供ダイアナがいて「ねえなんでなんで? なんで正義しないの? まさかここでやめるわけ? 処す? 処そうか?」という視線で見てくる。彼は、その結果、軍の命令を無視して、私費で(というかボランティアのつもりだった?)傭兵を雇い前線に向かう決意をする。彼は心の中にある「善き人」の指し示すところに従ったのだ。ダイアナがあんまりにも無垢なので引っ込みがつかなくなったという側面があったにせよ。

前線に向かい、血みどろの後背地を抜けて塹壕にたどり着き、取り残された村をダイアナ神話的な能力にも助けられて開放して、ダイアナスティーブの関係は接近する。男女間の性愛的な意味での愛情もあったような描写だったけれど、個人的にはスティーブ父性も強く感じた。その父性というのは、子供しかないダイアナに「善き大人」を見せるというものだ。戦争なんて醜悪なものなのだけれど、それだけではないということ、世界には「善き隣人」の「善き努力」もあるということを示したかったように見えた。孤島から世界に連れ出した人間として、世界に失望してほしくなかったのかもしれない。

終盤。マスタードガスの大量生産はすでに完了しており、その暴挙を止めるために一行は秘密基地に忍び込む。ダイアナはその中で、アレス化身だと思われるドイツ軍ルーデンドルフ総監を倒すことに成功する。ダイアナは「これで悪神アレス洗脳は溶けて戦争は終了する!」と歓喜するが、兵士たちは戦闘をやめない。殺戮の準備を辞めない兵士ダイアナパニック状態になる。ダイアナにとっては今まで信じてきた世界観が崩れ去った瞬間なのだ

そのダイアナに向かって、スティーブは今まで何度も説明しようとしてしきれなかったことを告げることになる。

それは「この戦争は人間が開始して人間が拡大させたものなんだ。神はいない。僕たちの責任だ」ということだ。その告白はとても辛い。「善き男」として生きたかったスティーブは、まったく「善き男」ではなかった。戦争をしちゃってるのだから極悪人なのだしかし、スティーブは「この戦争は僕達の罪なのだ」ということを認める。なぜなら、戦争の責任を誰かに転嫁するのは、戦争を始めるよりも更に恥ずべきことだからだ。「善き男」として彼は、世界の醜さの責任を取らなければいけないと決意する。

スティーブダイアナの間にあったものは多分とても複雑で、男女でもあったし、父と娘でもあったと思う。でもその一部には神と人間というものもあった。

彼女の戦闘能力があまりにも隔絶してたかスティーブもその視点を持たざるを得なかったのだろう。

ダイアナの考えは「神が神の邪悪を振りまいたせいで人間が迷惑をしている」から「神の使命を持つ私が人間を救う」というものなわけだけれど、スティーブはこれに「善き人間」としてノーを叩きつける。ダイアナの考えはある種のパターナリズムだが、スティーブの答えはそこからの脱却だった。

神々の戦いは神々であるアレスゼウスの娘ダイアナが決着をつけるだろうし、人間であるスティーブは戦闘能力の関係上そこには関与することができない。しかし人間の始めた戦争であり、人間の悪意であるマスタードガスは人間であるスティーブが止めなければならない。筋としてそれが正しい。

ダイアナの戦闘能力やスティーブたちの状況を考え合わせると、彼らはここで戦闘を放棄すれば逃げて安全に暮らすことは十分に可能だったように見える。その場合はもちろんマスタードガスで前線の部隊は凄惨なことになるのだけれど、倫理的に考えてスティーブが彼らを救う(その結果命を落とす)絶対的な義務があったわけではない。戦争の悲惨すべてを、個人であるスティーブが背負う必要はないからだ。

スティーブが命をかけた動機として、父(先行者)として娘(後続)に「この醜悪な外の世界にも善はあるのだ」という事を示したかったのか、人間として神に「あなただけにすべてを背負わせない。人間は弱いけれどそれでも自分たちのしでかした行為の責任は取る」ということを示したかったのか、それとも男として女に「俺も戦う」といいたかったのか、それはわからない(そこが返ってスティーブという男のテーマとしてよかったと思う。彼の愛情には名前がつけられない)。

けれど、スティーブは「自分の戦い」として今まさに離陸していこうとする毒ガス満載の爆撃機を止めるために飛び出す。そして乗り込み、爆弾を抱えて、前線を救って、結果としてダイアナを残して死ぬ。

こうやって思い直してみると、中盤、ロンドンの街で常識知らずにうろつくダイアナに手を焼いていたのも、「善き大人」として子育てに苦労してたんだなあ、と思える。

スティーブは大尉だからおそらくエリートなんだろうけれど、まだ若いし、それ以前にすべての人間がそうであるように、不完全で未熟だ。しかしそうであるからこそ、彼には「こんな存在でありたい」という理想像があった。そして常にそうであろうと、努力していた。都会ではトラブルメーカーダイアナを「善き保護者」として(オロオロしつつも新米父親のように)導こうと思ってたし、最前線では「善き戦友」として肩を並べて戦った。戦火から救い出した村でチャーリーが歌ったときは「善き男」としてダイアナを熱っぽく見つめた。彼は最終的に、「惚れた美人との安全な生活」よりも自らの役割を優先した。自分自身の信じる正しさに殉じた。それは「善き人間」として神の前に立った時、他の誰でもなく自分が、人間すべての代表として神に「人間の誠実」を見せるべきだと思ったからだ。

それは上野千鶴子あたりの言葉を借りると「男性の安っぽいヒロイズム」であり「戦争に興ずる幼児性」なのかもしれないけれど、物語としてみるとスティーブの人物描写はこの映画の中で一番複雑で深みがあった。魅力的だった。

そんなことを考えると、「ワンダーウーマン」はウーマンリブ的な価値観映画というよりも、男性的な価値観の、そして「神(あるいは超越的な力を持つスーパーヒーロー)の前に立った『善き人間』の覚悟と誠意」の映画だと思う。そして、そこがこの映画の美点だと思える。

あー腹立つ

運営曰く「超大規模」だった艦これ夏イベが終わったと思いきや、艦娘新規実装ときたわけだが、Saratogaの建造落ちの仕様、ありゃ一体なんなんだ。

Iowaも神威も持ってない提督は、神威を大型で建造してから彼女秘書にして、もう一度大型建造しないと入手できないとか、ふざけんな。

そもそも、ハズレ枠の激萎えな陣容や通常建造の数十倍に及ぶ必要資材のおかげで、大型艦建造は当初から癪に障る仕様なわけで。

そこに来て、建造の過程全く興味ない艦の入手に多大なリソースを消費させられるのは、これ以上なく不愉快

てか、どうしても神威を作らせたいなら

  1. 神威は通常建造で、Saratogaは大型建造
  2. 神威は大型建造だけど、Saratogaは神威任務報酬
    • 一応、神威秘書にした大型建造でも入手可

くらいにしておけばいいものを、一番提督負担を強いる形で実装しやがってクソ運営が。

この調子じゃ、今後フランスイタリア艦娘も同じように実装されそうだし、勘弁してくれ。

てか、そこまでして無駄に入手のハードルを上げる意味分からん

2017-09-14

宮本フレデリカを見たくもなくなるくらい嫌いになった話

https://anond.hatelabo.jp/20170813014010

こちらの記事に影響されて、ずっともやもやしていたものを表に出してしまおうと書き始めました。上記の記事のように理路整然とはしておらず、ただの愚痴です。内容も全然違います

大好きだったはずの宮本フレデリカさんを今は見たくもないくらいに嫌いになってしまった過程の話です。

言うまでもなく、かつて私はモバマス宮本フレデリカさんを応援していた弱小プロデューサーのひとりでした。宮本フレデリカさんが来れば微力ながらにガチャを回し、イベントを走っていました。

アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージが始まるまでは。

3Dで動く彼女は本当に可愛かったです。贔屓目なしで3Dの出来は初期からトップクラスだったと思います。その出来のおかげか、宮本フレデリカさんのファン、もしくはプロデューサーが、デレステから爆発的に増えたように感じました。それは弱小プロデューサーとしても、とても喜ばしいことでした。心底。

さらに、速水奏さん、城ヶ崎美嘉さん、塩見周子さん、一ノ瀬志希さんというモバにおける総選挙上位、中位経験者で、集金能力の高いメンバー構成されたLiPPSというユニットに、モバにおいて総選挙圏外常連(悪意はないです。彼女を好きだったとき、このことで何度も悔しい思いをしました)であった宮本フレデリカさんが加入することで、彼女デレステでの人気をより明確にしたように感じました。

またtulipという名曲も手伝って、更に彼女は注目され、人気はうなぎのぼりだったように思います

そしてその後登場した恒常SSR衣装の可愛さ。あれは本当に完璧な出来だったと思います。当時まだ宮本フレデリカさんのファンでありプロデューサーであった私は当然課金をしてガチャも回しました。その後のスカチケでも彼女を選びました。宮本フレデリカさんのプロデューサーとして、こんなに素晴らしい出来の絵に3D、なんて恵まれているんだろうと思いました。

しかし、ここで宮本フレデリカさんを見たくもないくらい嫌になる出来事が起こりました。

それは、LiPPSから宮本フレデリカさんのファンになられた方の、ツイッターを見てしまったことでした。

その方は有名な実況者さんで、ツイッターのbioにははっきり、フレデリカPと書かれていました。そして

「貯め続けた無償ジュエルで恒常SSRフレデリカを狙う動画」(タイトルはぼかして書いています

YouTubeニコニコ動画にアップし、ツイッターのTLに貼り付けていました。

私はこれを見た瞬間、ああもうフレデリカプロデューサーをやめよう、と思いました。フレデリカのことは、本当に大好きでした。

しかし彼と同じ、宮本フレデリカさんのプロデューサーでいることに対しての拒否反応が強く出ててしまい、耐えきれませんでした。

その程度でプロデューサーをやめるなんて、と思う方もいるでしょう。けど、声高に無課金宣言して担当アイドル引いておめでとうって、私には本当に意味がわからないんですよ。頭おかしいの?とさえ思う。

なぜって、まずプロデューサーを名乗るうえで無課金って、なんの意味を為すのでしょうね?

無償ジュエル宮本フレデリカさんのためになったりしません。例えどれほどたくさんの無償ジュエル宮本フレデリカさんのガチャに費やしたところで、彼女の今後の活動に対する応援にはならない。すこしも。

もちろん課金強制されるべきでないことは理解しています。無課金という楽しみ方があることも理解できます

しかし『無課金』はあくまで、ゲーム性を楽しむ方のものだと私は考えますアイドルプロデューサーを声高に名乗る方の遊び方とは思いません。

彼女アイドルあくまで集金と人気レース世界で生きていますゲーム課金という要素があり、かつ、その課金の結果がアイドル待遇に反映される。それがなによりの事実です。

それならば、プロデューサーとして彼女アイドル応援するできることのすべてで唯一は、課金ではないかと私は思うのです。

そしてこの実況者はあろうことかYouTube無償ジュエル宮本フレデリカさんを引いた動画を上げています。ここが一番心に引っかかりました。無償ジュエル宮本フレデリカさんを引いた動画で金儲けをするのかと。正直名指ししたいくらいですが有名な実況者さんですから、もしこんな記事読んでいる方がいたら、察してくださるでしょう。ぶっちゃけ私怨と思われてもいいと思って書きました。それくらい、ほんっとうに嫌でした。YouTubeのこと。この記事がその実況者まで届けばいいなとすら思います

そしてアイドルマスターシンデレラガールズを無課金でお楽しみの、声の大きいみなさん。無課金アイドルのためには微塵もなりません。声を大きくするくらいなら課金してからにしてください。別にその実況者だけじゃないです。声の大きい無課金って、他の人の課金あやかった、ただのこじきですよ。たかが数百円、たかがスカチケでも課金だと私は思います

ここまでお読み頂きありがとうございました。タイトル書いてて思ったんだけどやっぱりフレデリカ嫌いって字面胸が痛いな。フレデリカさんをまっとうに応援している方が傷付いたらごめんなさい。終わりです。

姫が生まれる瞬間?過程?を目撃している気がする

オタサーじゃなくて研究室だけど

anond:20170913234644

なろう系のステータス/スキル表現は、TRPG系とは別の流れで(いや完全に別というわけでもないだろうが)、

「VRMMORPG系」、すなわちソードアート・オンラインのように「VRで完全再現されたネトゲ世界活躍する」系の作品がまずある。

ネトゲからステータスが見えるしスキル存在する。

まり増田の言うとおりデザイナーがいるわけだ。

そのバリエーションとして、「ネトゲ職人生産系のジョブを極める」みたいなタイプ作品もある。

戦闘のみならず料理や鍛冶のような能力まで細かく「スキル」化されていくことになる。

次に「ゲーム現実化した世界」を舞台にした作品が登場する。ログ・ホライズンオーバーロードみたいなやつだな。

世界のもの現実だがステータススキルといったシステム世界の仕組みとして残っている」ということになる。

そして「ゲームとは関係のない異世界だがステータススキルといったシステムが仕組みとして存在する」といった作品が出てきているのが今だ。

ハイファンタジーでもステータススキルといった仕組みを使いたいから無理やり導入した、という感じだ。

実際のところ、ステータススキルの扱いは作品によってまちまちだ。

主人公しかステータスが見えないこともあれば、誰もがステータスを当たり前に見られることもある。

マジックアイテムのおかげ」。「ステータス魔法というものがあるから」。「いわゆる転生チートでもらった」。

もちろん「特に理由もなくステータスが見える」も。

なぜステータススキルがこんなに重宝されるのか。

理由はいくつか考えられる。

まず現状の把握や説明に便利だ。

「いくつか簡単武器を作ったので何となく腕前が上がった気がする」よりも

「いくつか簡単武器を生成することで鍛冶スキル10まで上がり武器に耐久ボーナスが付くようになった」のほうが分かりやすい。

情緒がない?

知らんわ。

スキル」を使えば過程を省略できる。

たとえば刀を作るまでの過程を詳しく描写するのは面倒だ。

スキル」であればウィンドウを開いて「作成ボタンを押せば自動武器が出来上がったりする。

主人公に鍛冶の知識を持たせる必要もない。

多くの作者は別に武器を作る過程を書きたいのではない。

武器を作ったあとに起きる出来事を書きたいのだから、それまでの過程を省略できるならそれでいいのだ。

(いや刀を作る過程執拗描写してくるマニア的な作者もいるのがWeb小説面白いところだが)

あとは単純にステータスを作るのが楽しいというのもあると思う。

小学生の頃にオリキャラを作ってステータススキルをあれこれと考えていた人も多いだろう。

パラメータの羅列とかっこいいスキル名にはロマンがある。

何もわからない

見ても聴いても何もわからない。聞かれても自分が何を感じたのか分からないし、答えることもできない。

経験から文脈に沿っていると思われる言葉を、反射的に選んで返すことしかできない。そこには投げかけられた言葉解釈や、私がそれをもとに何を考えて、何かを言いたくなったという過程が無い。

このまま石のようになりながら歳をとっていくのだと思うとうすら寒い

2017-09-12

先輩がそれなんだが

俺がその先輩と脳の型が合わないのかと思ってたけどやっぱそうじゃない

その先輩は専門分野について人に説明してる時はほんとにわかりにくい

前提や過程が色々すっ飛ぶんだもん

絶対説明が悪いんだけどそれで噛み合わないとイライラし始める

それをお客さん相手にもやる

士業だからギリギリだよな

文章報告書提案書だと普通だし雑談普通なんだけどなんだろうあれ

https://anond.hatelabo.jp/20170912114154

2017-09-11

この歳になって、なんで、男

好きになるにももっとこう、高校生とか大学生とかさ~

20代とかさ~あるでしょ?

自分性癖違和感を感じていた青春時代を過ごして、大学生になってやっと同性が好きだと自覚しました!

とかさ、遊んでた過程意気投合しちゃって若気の至り!とかさ。。。

始め方って色々あるじゃん気づき方っていろいろあるじゃん

それがこの歳でいきなりだよ。

頭撫でられて好きって思うってさ~~~~~~~~~小学生かよふざけんなよ。

もう34なんだけど。俺もあいつもおっさんに片足つっこみだしてんじゃん。

あい課長やってんだけど。いい年だよ部下いるよ、かわいげもみずみずしさも無いよ。

何の変哲も無い男なんだけど~~も~~~

おっさんおっさんの頭撫でてんじゃねぇよほんとさ~~~

中途で入った会社出会った同僚に、34にもなって惚れて、自分性癖を知るとは思わなかった。

笑顔かわいいんだよ。あと手がでかくてあったかい。

この歳になると惚れる理由なんか単純だよ。

酒飲みながらペットの犬の写真見せてかわいいだろって笑ってるんだよ。たけぇプードル飼ってるくせにまめぞうって名前なんだよ、どんなネーミングだよ。顔も身体いかついくせに何でそこ無邪気なんだよかわいいんだよふざけんな。

友だちも地元の幼馴染ももうあらかた結婚してるし、なんなら子どもいるし家とか車買ってるし、人生落ち着きだしてんだよ。

そこへきての、俺はどうだよ。

34で新しい展開見せてんじゃねぇよも~~~~~

この歳になって言うか、言わないかでこんなに悩むとかないわ。

言ったら失うもんでかすぎるだろ~~

デビューが今なせいで同性同士の恋愛のお作法みたいなやつとか分かんないからさ~~

煮詰まりすぎていきなり正面衝突みたいな事故を起こすんじゃないかと怖い。

みんなどうしてんの?俺みたいな人いないの?

anond:20170910181855

育児当事者なんだから指示待ちじゃなくて自発的に動け」的な意見

(例えば家事などを)自発的に動いた結果

クオリティが低い

自分のやり方と違う

効率が悪い

と散々文句を言われ、モチベーションをガリガリ削られる... みたいな状況は割と多い話だと思ってる。

自発的に動くと「余計なことをするな・仕事を増やすな」と言わるから、「じゃあやって欲しいことを具体的に言ってよ」ってなる。

最初から育児家事に全くノータッチな家庭なんてほとんどないと思うよ。色々な過程が積み重なって結果そうなって見えるだけで。

何を言っても無駄なのがバカ

バカには何を言っても無駄」じゃなくて「何を言っても無駄なのがバカ」なんだと思った

諭されることで改善するような人は、今まで生きてきた過程バカじゃなくなる機会があったはず

現在バカな人は、子供か、何を言っても無駄な人かどっちか

そう考えるとわざわざ反論することの無駄さがどれ程のものかよく分かる

2017-09-10

https://anond.hatelabo.jp/20170910143036

学校に通ってた時から今までよく分からないんだけど、なんで嫌なことを仕事にするんだろう。好きなことで食っていくと公私が切り分けづらくなってしんどいというのは聞くけれど、仕事はつまらないもの、仕方なくやるもの、更に言えば誰の得にもならないけれども生きるために仕方なくやるものという観念は一体なんなんだろうと思う。

生きるために仕方なく作られた車を選んで買うか? 生きるために仕方なく作られた料理を選んで食うか? 収容所じゃあるまいし。この嫌儲思想人生への拡張は負の効果しか生んでいないと思う。別に社員が嫌な思いをすることが仕事を達成する必須要件じゃない。社員の内部がどうなっていようと、仮に会社を心底軽蔑して片手間でやっていようと、元締のアガリが悪くなければ関係ない。居酒屋バイトのように何も意味のないことを楽しい思い込み続けることで苦しみを軽減するのもどうかと思うけど、何らかの苦しみを個人が得ることを価値判断基準に置く日本型労働観は薄気味悪いし、悪い文明だと思う。

苦しみから逃れることを動機として作られた成果物はなべて質が低い。投資効果が低い。運転免許試験場食堂の飯はその辺の安い食堂より高くてまずく、しかしかかっているコストは同じだ。競争がなく楽しみがないことが改善を抑止し、右から左価値をただ流せばよいところで、一旦破壊してから渡すように仕向けてしまっているんだ。元増田が苦しんでいるような労働本質個人への拷問であるという観念では、労働者の受けている苦痛は同程度だから過程正当性があり、したがってここには何の問題もないと判断してしまう。

賃金ビジネスによって作られた価値の分配であり、労働は行動と相互承認によって価値を作り出す行為だ。構造の維持作業ではないし、拷問でもない。そろそろこういう現代仕事観を広めてもいいんじゃないか?

2017-09-08

今日、貸してもらった本を返す。

何も言わずに、ちょっとだけ微笑みを浮かべて、

「ありがとう」

だけで返せたらいいなと思う。

年下の友人が先週貸してくれた。それはもう、ありきたりなぐらいにありきたりな軽い小説で、映画化されて流行っているからという、おそらくただそれだけの理由彼女はそれを読んでいた。本をあまり読まない人が持っているのを見たこともあるぐらいだから、乱読気味の彼女が読んでいて、それで、「面白いから読んでみ」と貸してくれたのは、まったく不自然じゃない。

けれど、本を貸すのはむずかしい。彼女はまだそれを知らない。知らないままにしておいてあげるほうがいいのかなと思う。まだそれでいい。

なぜなら、読書は人の心をかき乱す。たとえそれが安っぽいお涙頂戴式の小説であっても、思いもかけないところで心の平安に波風をたてる。

「貸して欲しい」と言われて貸す本ならかまわない。本屋で手に取っていくのと同じで、いくら取り乱そうが、それは借りていった者の責任だ。そこで完結する。しかし、「ぜひ読んで」と貸した場合ダメージを受けた側はやはり相手責任を求めたくなる。それを求めることをまた、求められているのではないかと思う。つまりは、なにか気の利いた感想でも言わねばならないような気になる。

だが、いかにも仕組まれクライマックスボロボロ涙を流した者にとって、気の利いた感想などいえるはずがない。こんなご都合主義で泣くなんて、恥以外の何物でもない。その恥を否定するために、あえてその物語をくさすのか。不治難病モノは定期的に流行するキッシュだと、知ったかぶり韜晦に逃げこむのか。それとも、涙もろい自分を素直に認めてしまうのか。だが、それはとてつもなくややこしい。


なぜなら、年下のきみが感動した理由と、もう長いこと生きてきたぼくがやられてしまった理由は、たぶんちがうからだ。ぼくにとっては、舞台設定そのものが痛かった。その感覚は、きみにはわかるまい。


きみは信じないだろうが、こんなぼくにだって高校生だったときはあった。きみはよく「青春」なんて言葉を口にしてぼくを笑わせるけれど(たぶん意識してカギカッコ付きで使っているんだというのはわかるけど)、どんな意味においてさえ、ぼくにとって高校時代青春なんかじゃなかった。ひたすらしんどい時代だった。そして、この小説舞台設定は、まさにその果てしなくしんどい時代を思い出させる。

美化してしまえば、ぼくにだって青春の思い出」みたいなものがないわけじゃない。だけど、時間レタッチ自己正当化を取っ払ってしまったら、そこに残るのはただただめんどくさくておもしろみのない屈辱の日々だ。

典型的な場面を思い出す。それは、昼休みグラウンドに面した廊下、ぼくはグラウンドを見て退屈している。なぜ退屈する場所にそこを選ぶのかというと、グラウンドの木陰はリア充たちが(「リア充」なんて言葉はその時代にはもちろんなかったのだけれど)占拠しているし、教室内にはまだ弁当を食っている人や早速にお勉強をしている優秀な生徒たちがいる。そういう人たちの邪魔はしたくないし、だいたい教室内の席なんて飽きるほど座っている。友だちの少ない、話題の乏しいぼくにとって、いられる場所は限られていた。そして、人の邪魔にならないわずかな隙間のようないくつかの場所の中でも、グラウンドの見える廊下は特等席だった。なぜなら、そこからクラスいちばんお気に入り女の子と、クラスいちばん美人と評判の女の子が眺められたからだ。親友である二人は、たいていつもグラウンドの向こうの特別教室の日陰でおしゃべりをしている。もちろんぼくは、ただ鑑賞するだけ。それだけ遠いと見ていることもあんまりからないだろうから、まあ人畜無害な楽しみだ。

そうやってしばらくすると、ぼくと同じぐらい冴えない女子弁当を食い終わって廊下に出てくる。いつも凄まじい寝癖のついた髪をしている。彼女もまた、昼休みにどこに行くアテもないのだろう。ぼくと彼女は少し言葉をかわす。話題のないぼくと同じくらい、彼女話題がない。だから食い物のことばかりしゃべっている。カレーの玉ねぎは具であるべきなのか、ペーストの一部であるべきなのかみたいなことを、特に目的もなくしゃべっている。

そうこうするうちに、学級委員長廊下に出てくる。いや、彼は正確には学級委員長ではない。彼がその役にいたのは一年生のときから、「元」をつけるべきなんだろう。彼はぼくの数少ない友だちの一人で、というよりもぼくにとってはその高校で唯一の友だちで、だからぼくは少しホッとする。ただ、彼が加わってからの話はちょっとこちなくなる。彼にとっては食い物のことは重要ではない。いや、ぼくにとってもそうだよ。だけど、他に話すこともない。彼はちがう。なにか、他に話すべきことがある。けれど、ぼくにはそれが見えない。そのうちにチャイムが鳴って、ぼくらは教室に戻る。

そういうことを思い出してしまう。だから、ぼくは泣いてしまう。

なぜなら、シチューをご飯にかけるのは有りか無しかナポリタンスパゲッティの麺は柔らかいほうがいいのかどうかなんてどうでもいい話をする過程で、ぼくはとんでもなく人を傷つけていたからだ。

後になって、ぼくはその寝癖の女の子から聞いた。学級委員長彼女はそのとき付き合っていた。だというのに、彼女はぼくとばかり話しているものから最後学級委員長は傷ついて、そして、結局別れ話につながった。そういう展開が愉快な人はいないだろう。親友失恋を喜ぶような奴はいないし、自分がその原因だったら焼きそばノドにつめて死んでしまったほうがマシだと思っても仕方ないんじゃないだろうか。



から、ぼくはもう、そこから先の筋書きがどうであれ、泣く準備はできていた。そして、ヒロイン死ぬところでやっぱり泣いてしまった。

それでもあのときおにぎりノドにつめて死ななくてよかったなあと、いま、そんなふうに思う。

なぜなら、いま、こうやって気軽に本を貸してくれる友人がここにいる。それを感じることができる。そして、ぼくはいま、ちくわに詰めるのはキュウリがいいのかチーズがいいのか、ナス田楽と揚げびたしのどちらを奨めるのか、寿司屋卵焼きを食べるべきなのか否か、そんなことを熱くもなく語ることができることの嬉しさを知っている。

からぼくは、うっかりと誰かを傷つけてしまうようなことをしたくない。気づかないうちに自分の力を超えることをしてしまいたくない。

そんなわけで、ぼくは何も感想かいわずに、この本を返そうと思う。こんなことを喋らないために、ちょっとだけ皮肉っぽい表情も見せるかもしれない。

そういう理由から、かんべんしておくれよ。

ボスがいない

素振りをしていたら技を覚えた。

徒歩で移動1マス進む。

認めてもらえて友軍を得る。

新たな中継地点が出現。

隊列を組み直し1マス進む。

道がふさがれている。

爆弾製作を覚えた!

1マス進む。

レベルは上がっているけれど、

私は勇者ではないので、

ラスボスは与えられていない。

いや、倒したのかも。

倒しおわったので

ボスが居なくて困っている。

世界平和になってしまった。

パーティ解散なのか?

このスキル覚えたスキルはどうしよう。

ボスを作り上げる必要があるのか。

そうしたら戦える。

あれ?戦いたいだけなのか?

ボスを倒した瞬間にしか、達成感なんてなかった。

ボスより裏の裏のボスを用意して、全てを過程としなければこの足りなさは満たされないのか。

妙な魔法だけ覚えてしまったが、ボスを倒した勲章は手元にあり、この魔法だけで生きてはいけるようだが、それの何が面白いのか。

遠く遠くにボスがいる想定の物語を書き直さないと。

迷惑なことだ。

2017-09-07

英語

英語勉強を始めてみようと思う。

なぜそんな心境になったのか。

最近仕事関係資格を取らなくてはいけなくなり、講習を受け1ヶ月勉強した結果、無事合格できた。

しばらく勉強らしい勉強をしていなかった身からすると厳しいものだったが、なんとかなったこと、今振り返ると充実感があり、今後も勉強を続けたいなと思った次第です。

で、何を勉強するか。

多少は仕事に関連したい。

汎用性がほしい。

と色々候補に上がり調べてみましたが、行き着いた先が英語目的がないと続かないと思いつつ、勉強したい気持ちのもの目的でもあるので、目標立てて始めてみたら何とかなるかなと。

ただ、中学英語もままならない状態

目標はTOEIC600点。

期限は今年12月

37歳から始める英語、というサイトを参考に始めてみる。計画立ててきちんとやれば望めない目標ではなさそうに思える。

ただ、学生時代英語苦手、以降も英語を学びなおしたことがなく、英語がわかるようになっていく過程感覚イメージできなくて困っています

同じような状態から始めて、ある程度できるようになった方にアドバイスもらえたらなーと思う次第です。

喜劇だと思って読み進めていたら最後最後どんでん返しが来た時

具体例を書かないとなんの事だかという話な気がしたので書いてしまうと「四谷快談」か「陽だまりの彼女」を読んでいてこういう気分になった。四谷怪談ウェブマンガ無料で読める(リンク )。陽だまりの彼女市販小説。勧めるわけじゃあないから読んでがっかりしても知らん。

#### 以下ネタバレ注意


正確に言うとタイトルは少し誤りで、ハッピーエンドだと思い込んで読み進めていると最後最後どんでん返しが起こってバッドエンドだったとか、あるいは最後最後で鬱になってそこから好転せずにそのまま終了みたいなのに残念だなあと。もちろん逆もあるかも。

物語って2種類あると思っていて、1つはどういう結末か全く読めないもの。もう1つは読めちゃうもの少年漫画とかラブコメとかは後者ほとんどなのでは無いかと。

で、上で挙げた2つの作品ハッピーエンドだと(後者だと)思っていたのに裏切った作品ね。まあお前が勝手勘違いしただけだろという結論になってしまえばこの話は全くの無意味になってしまうのだけれど、そこら辺も他の人の意見聞きたい。

誤解されたら困るのだけれど私はそういう結末が嫌いなんじゃなくてハッピーエンドだと思わせるレールを敷いていて、最後最後でレールをぺらぺらーっと剥がしきって、かつそこに説得力が無いのが読んでいてがっかりする(この文章がそうでない事を祈る)。それが作品の途中であればともかくラストラストでこれをぶち込んでくると「は?」ってなってしまう(この文章がそうでない事を祈る)。四谷快談に関して、少なくとも私は本当に最後最後までそういう結末になるとは思わなかった。それが何故なのかはうまく説明できない。もちろんラストの直前まで読んでそう思ったわけだけれど、タイトルであったり絵柄であったりの要素はアルだろうと思っている。けど、読んだら私と同じような思いになるのでは無いかと。後半から鬱の話はあったけれどそれが話の中心だとは思っていなくて基本は「快談」だと思っていたから、だから最後まで読んではしごを外された気分。

絵柄とかキャラクターは大変好みだったから非常に残念。何がしたかったのって思ってしまう。切なさを出したくてああなってしまったのかな?。あるいは鬱エンドにしたかったという説もあって、それはどうしてそう思ったのかというと四谷快談を読んだ後に作者のpixivブクログを読んで鬱な話がお好きなのかなと思ったからだ。あと個人的には「打ち切り説」と「そろそろ終わらせたかった説」もある。

陽だまりの彼女に関してはちゃんと読んだのが数年前だからしかしたら違ったか、あるいは的外れだったかもしれない。四谷怪談を読んでいてこの残念感が似ているなと思った。あとがきでこのラストは私みたいな動物好きの人はほっこりしたんじゃないでしょうかみたいな事を書いていて「いや、お前はそうかもしれないけどさぁ……」と思ったのは覚えている。

そういう作品って個人的にはあまり過程評価できなくて、もし同じ作者の作品を読むってなった場合ラストを先に知らないとそこから先読む気がしないんだけど(前に嫁が本をラストシーンから読みはじめるみたいな増田あったな)、他の人ってどうなんだろう。どっちか読んだ人にこういう話のラストの展開についてどう思いながら読んだか聞きたいけどここまでこき下ろしてしまうとファン意見を聞くのは無理かも。個人的には読んでいて「は?」の1文字だった。

一応再度書いておくけど、予想外の結末であったりバッドエンド自体否定しているわけでは無いからね。

駄文大変失礼

憂鬱

長年の憂鬱に殺されそうだったのでいい加減病院

結果改善悪化をしている

現状は悪化の一途で改善は難しい

死にたいとは違う

死ぬべきであるという自分が一緒にずっといる感じである

最近はもう本当にうるさい

死ぬ事に意味があるとかわからない

けど死ぬべきであるはかたまっていく

誰かが助けてくれるわけではない

仕事はほぼできていないしそれについて閉塞感を感じる

四方の壁は死ぬべきと言う自分の塊にて

憂鬱の人について

周囲ははじめは心配をしたりする

いずれ煩わしくなり

憂鬱の人の周りには誰も居なくなるのだ

死ぬべきであると説得する自分憂鬱自分が居るとき

死ぬのでは?

死ぬ事で普通は終わりのその後の人を考えるが、それを私たち認知することはできないので

当然私たちは死んでしまった後のことは関係ないのです。

認知できないこと

それは少なくとも私たち主観的世界の中で存在しないことと同じ

のような仮定をして

では、死後は認知できないとして

死後の事を考えることにいかほどの意味も意義もあるだろうか

無いのでは?

まり死にたい人はその時が吉日でやるべきなので

で?

友人がいる事が死ぬべきである私たちが死なない理由になるだろうか

死後迷惑をかける事が死ぬべきである私たちが死なない理由になるだろうか

死ぬべきである私たちが死なない理由を考えて死なない事が許されるのだろうか

それは死ぬべきである私たちが死なない理由にはならない

死ぬべきであるのだから私たち死ぬべきである

残った人のことを考えろとファンタジーの中で言う事もあれば

生きていればそれでいいと言う事もある。

私たち死ぬべきという結論他人模範的言葉で消えていいものなのだろうか?

そこに至る過程を知らない人がその結論否定していいのだろうか?

それこそ私たち死ぬべきであると至ったかけらの一つが今目の前で鳴いているだけではないか

鳴いてる声が聞こえてその中で私たち今日コンビニに行く事をやめることはあるだろうか

死ぬべきであることは死ぬべきであるのだ

街を歩くとき

死ぬ事の出来る機会は多い

目の前を急行快速が通り過ぎて目の前の空を切って別の世界私たちを成した時

あなたも一度私たちを成す事を検討しているのではないだろうか

私たち結論に至る機会が多ければ多いほどそれは私たちになるので

薬があって

それで私たちが消えることは無く

私たちは私が消える事はなく

ただ、眠り目を覚めるまで眠るだけの事で

私たち今日私たちの隣ので

憂鬱世界を塗り替えるのは

自分がそうなりたくないと望み

それを否定し続ける事

塗り続ける事

スタミナが切れる前に抜け出すことできっとそれは解決してくれるだろう

誰かが助けてくれることもある

でも助けてくれる誰かが居るだけではその先は進めないままである

私たちは常に自分をするので

私たちはその弱った一瞬で私たちを成すので

成す前に抜け出す前に

長い長い時間で生まれ私たちの数をできないと私たちあなたを成してしまうのではないでしょうか

死ぬべきである

これは死にたいとは別のもの

死ぬべきであるはべきであるなので

義務目標のそれに近いのかもしれないので

死ぬべきである死にたいの違いの目の前で

私は変わらず振る舞えると考えている

それは変わらずは無理だと思うのですが

私はあなた憂鬱の人の敵でないかからないし

世間普通人達

憂鬱の人を殺すことに喜びを感じている。

あなた私たちの事を助けられる事はなく

たいていの他人は関与をしたくなんてない

憂鬱の人が帰ってきたとして

それは憂鬱の人であることもある

死ぬべきである私たちが死んだと仮にしたとして死んで

それによって何かが変わる事は無いし

多くのあなたの知り合いにとって

あなたが死んでも生きていてもさほどの違いは無い

現実で会う人だとしてもただ、来なくなるだけで変わることは無い

居ない事が日常になるのにかかる時間は長くはない

一瞬の感傷があるかもしれない

それはあなたが積み上げたあなたの大きさにもよるだろう

しかしどんなに大きくなってもほとんどのその多くの人達にとって

誰かの死がその人をゆがませる事は少ない

多くは受け売れるだろう

ここが終着と感じている人を救えるのは間違いなく他人なのだけど

他人他人を救うなんていうのは頭のいかれてしまった非人間でしかないので

人間社会にはめったにいないのです

憂鬱の人を救うことができるのは間違いなく他人なのですが

それは間違いなく行われることが無いのです

多くの憂鬱の人は自らによってそれを果たしたのであると感じる

そこに支援はあれど救ったわけではないと思う

それが今憂鬱の人であり、死ぬべきであると考えている私の積み上げられたもので、それを否定されたとしてそういう考えもあるとしかならず

また、この散らかったもの意味もない

誰かに知ってほしいし助けてほしいけど自分のこの軽度の絶望を助けてくれる人なんていない

そういう生き方をしてしまった。

ではそれにて

2017-09-06

anond:20170906133349

求められた情報提供する過程で直ってしまったということでしょう。

「○○の電源が入りません!」

「では、電源コード差し込んで、表示されるLEDランプの色を教えてください」

「(あ・・・電源コード抜けてた・・・)」(赤面

なぜタトゥーを入れたがるのか

ヒトという動物には「自己改造欲」とでも呼ぶべきもの本質的に備わっている。

自然の中で暮らしている原住民は「自然な」姿をしているかといえば全然そんなことはない。

しろ文明人よりもずっと「不自然な」姿になろうと執着している。

理由は分からないが、ヒトは生まれたままの、本来の姿が気に入らないタチなのだろう。

進化過程で体毛が極端に薄くなったことと関係があるのかもしれない。知らんけど。

ともかくタトゥーはそういった「自己改造欲」の一種だと言える。

から受け入れろというわけじゃないが、タトゥーを入れたがるのは決して近代的な病理というわけではない。

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