「危機」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 危機とは

2023-06-02

少子化政策の「失敗」ではなく「成功」の結果だという現実をまず認識しろ

なんか少子化がいよいよ進んできたという現実がアホのはてな民にもようやく認識できたみたいだが

所詮はアホのはてな民なので、少子化が各国政府政策の「成功だっていう大前提認識できてないので割と驚く。

前世紀末、とくにローマクラブ以降の流れで人類にとっての一番の危機人口爆発による環境破壊破滅戦争リスクってことになり

各国政府産業界上層部少子化の流れを作って官民は粛々と従った。

それはいわゆるグローバルノースの先進国だけでなく、一人っ子政策中国不妊化手術のインドをはじめとするアジアなどはユースバルジによる政体崩壊リスクを鑑みてむしろ先進国より積極的だった。

南米キリスト教やらなんやらで抵抗もしたが、欧米から支援の見返りと脱貧困化のため避妊キャンペーンを地道に推進、その甲斐あって立派に出生率2を切った。

人口抑制成功しなかったのはアフリカぐらいだが、これはただ単に政府人口抑制政策成功できないほど崩壊していた地域が多いというだけの話で

南アみたいな優等生国家はしっかりと人口抑制成功している。

その他の地域も要するに「少子化政策を行って成功した国」と「少子化政策を行ったがうまくいかなかったorまだ顕著な効果が出ていない国」でしかない。

日本はもちろん日本人口会議を作って「子どもは2人まで」という大会宣言を採択して非常に早くいつもの欧米追従を行い、世界に先駆けて少子高齢化社会を作り上げた優等生だ。

から最近人気の、「政策を失敗したか人口が減ってしまったんだ!」「○○世代棄民たから失敗したんだ!」みたいな、はてな民大好きな失敗ポルノマジでアホとしか思えない。

それらは全部ちゃんエリートがまじめに計画してやったこと」「成功なんだよ。現実を見ろ。

さらに言えば、彼らの認識現在もそこまで変わっていない。SDGsなんかもEU主導なのも含め完全にローマクラブ世界観の延長線上にある。

日本でも少子化ヤバい!と言いつつ、本当に人口が増えるような政策は全く推進されていない。

やばいやばい言っているのは少子高齢化介護短期労働者などの奴隷身分一時的に足りないというだけの話で、特定技能2号の拡大などが回答になる。

当たり前の話だ。世界人口増やしたくないけど労働者は欲しいってんなら移動させるのが当然の解決策だ。

というかそもそも論として、人口増加そのものをを望んでいる奴はマジョリティではない。

子供を持ちたい夫婦自分の子供を持ちたいだけであり、社会資源獲得競争相手である他人の子供は別に増えてほしくない。

独身こどおじこどおばは自分世代の恨みを社会にぶつけたいだけで赤の他人の子供にお金を払いたいというのは逆張りで言っているだけが大半だろう。

すでに子供を作り終わった夫婦は安い食事サービス介護のために外国人移民自国民労働者として競争してくれたほうが嬉しいだろう。

若者だって面倒くさいし褒められない子作りをしたいのは少数派だし、その少数派だって愛情を注ぐ対象の子供は1,2人でもう十分だろう。

こういった人々の利害調整の結果、「政策」として少子化が日々推進され、それに官民を挙げて世界中で「実現成功」しているのが現代少子化だ。

アホのはてな民はまずこれを認識してから自説を述べていただきたい。

anond:20230601112616

人がいないところでもそうだけど、人がいたとしても危なくないんだなこれが


人間視野では真横ちょい手前くらいまで余裕で見える

歩きスマホでも余裕で周囲の異変や接近者に気づける


車の運転だってそうで、視野めいいっぱいの異変を探しつつ、要所要所で注視することで危機回避の精度を上げわけだろ?

まぁ運転でも真正しか見えてない奴多いんだけどさ、歩きスマホはそれ以上見えてない奴多すぎで批判が多いんだろうな

歩きスマホ以前に人間危機察知能力カス

車みたいにぶつかりそうになったら自動停止してくれるセンサーつけろ

2023-06-01

anond:20230601000557

増田熱量雑学知識面白いが、結局酪農危機をなんとかしたい、って点には何の問題提起解決案提案もないんやな?

あと、100頭で売上9000万って言ってるけど、あくま農業でそんだけの売り上げ立てたい、ってこと?

産業で言えば、年商1億なんてよくある中小企業オヤジレベルやねんけどね?

牛飼いの能力も結局は記録というかデータやんね?

きちんとデータ計測して記録して、AI使って解析したら、もっと効率化できる部分あるんやろうね。

牛は奇跡の生き物で牛飼いはロマンなので、酪農危機をなんとかしたい

専門家ではないので間違ってたら指摘よろしく

一頭の牛が年間に生産する乳量は年々増加の一途を辿り、現在ではおよそ9000kgに達している。

一昔前までは、年間に10000kgを出す牛はスーパーカウと呼ばれ、人間で言えば100mを10秒台で走る超人のような扱いだったが、今日本記録は年間に30000kgを突破している。

平均で年間9000kgと書いた。一度産むと約300日の期間搾るので、1日平均で30kgにもなる。もちろん変動があり、ピーク時には40kg近く出す。凄まじい量ではないか

乳牛は体重が600〜700kgくらいだ。つまり体重の5%が乳として出ていく。乳の原料は血である。血は体重の8%くらいだ。

体を流れる血液毎日総入れ替えされるくらい、飲んだ水と食べた餌が血となり、乳となる。成分だって、ヒトの乳に比べずっとずっと濃い。

もちろん、水を飲む量は出す乳の量よりはるか多い。餌も凄まじい。糞尿もすごい。呼吸も凄けりゃゲップもすごい。牛のゲップが温暖化の原因というのも納得する。彼女らは、生きる化学プラントだ。

牛を正面から見ると、左右対称ではないことがわかるだろう。片側に巨大な発酵タンクを備えているからだ。牛は草食というのは嘘だ。発酵タンク飼育する微生物を食べてる。エビオス錠主食にしてるようなものだといえば、凄まじさがわかるだろう。もう少し言うと、ヒトは不要になった老廃物を尿から捨ててるが、牛は胃袋に捨て微生物の餌にするエコシステムを持ってる。他にも、生理学生化学的に、もう化学プラントしか思えない能力がたくさんあるのだが、専門家に譲る。

さて、前振りはこの辺に、酪農は夢がある。乳価が乳質にもよるがおよそ100円。

一頭が9000kgも出せば年間に90万円売り上げる計算になる。20頭で1800万、50頭で4500万、100頭で9000万、これだけ売上が出せる農業というのはなかなかない。

もちろんこれは売上で、売上は凄まじくても、経費と減価償却を差っ引くとなんも残らないというのが昨今の酪農危機ではあるが、売上高ロマンだ。

大量の水を運び、餌を運び、糞尿を始末して、乳を搾る。1日に何トンもの物理量を動かす、それはロマンだ。

そして、牛飼いは上手い人と下手な人の差が激しいというのもロマンだ。

上手い牛飼いというのは、ある種の異能の持ち主だ。しかしどのへんがというと説明が難しい。

機械より速く搾るとか、そういうわかりやすスキルもあるのだが、何故か受胎率がよく、何故か事故(病傷)が少ない。

コンスタントに「何故か」が続く秘密は、よく気がつくからだ。

何故気がつけるのかを調べると、牛のことをよく覚えているからだ。

考えてもみてほしい。ヒトはしばしば、自分自身のことでも、前に生理が来た日すらしばしば忘れるのだ。よい牛飼いは分娩予定日や前回発情が来た日を、食べた餌の量を、よくよく覚える。よく見てるから発情行動を見逃さないし、どんなに遠くでも斑紋からその行動した個体識別する。もちろん健康異常もすぐ気付く。牛飼いに休日はなく、ほぼ365日、ずっと働く。「この牛の母ちゃん、その母ちゃん」と親子三代の思い出を語る。自分からしたら異能しか思えない。

2023-05-31

体感景気とバブル崩壊はズレがあったと思う

https://anond.hatelabo.jp/20230530182341

 

これ昔から思ってた

1980年代がイケイケだったのは確か

1987年1989年が圧倒的にバブルだったが

これは調べるとわかるが、虚構にまみれた株価だった

日本全体で株価吊り上げをやっていたに等しい

 

1990年株価ピーから急落、2年で半分以下になった

不動産価格半年遅れくらいで追従、これで土地転がししてた人らがバタバタ倒れたのは有名なんだけど

大企業はこの負債だけでは即死せず、かといって公表せず、爆弾を抱えたままゾンビのように生き残っていた

 

から一般人にとってバブル崩壊はどこか他人事だった、株価が4年前に戻っただけだから

色んな指標1997年ピークになっている

例えば日本人の給料ピークが1997年だった、新聞発行部数1997年ピークだ

から個人的には元増田の言う「90年代後半は暗かった」というのは分からない

日本人はまだまだイケイケだったと思う

エンタメも元気だった

例えばFF7発売が1997年だし、アムラー流行ったのもこの頃、ジブリもののけ姫を出したし、ハリウッドではインデペンデンス・デイロストワールドスピード2が出た年だ

面白かった思い出しかない

 

ただ97年に金融界が危機だったのは確かで

北海道拓殖銀行山一證券日本長期信用銀行、日本債券信用銀行が破綻した

ただ、この頃からITバブルが始まっていたこともあり、若者子供にとってはそんな暗い時代ではなかったと思う

ノストラダムスの大予言に夢中だったのは確かだけどそれはベクトルが違う

 

じゃあい頃日本が暗くなったかといえば、2002年から徐々にだと思う

ITバブル崩壊し、金融政策がうまく行かず、バブル崩壊負債と金危機負債小出しで爆発した関係で低迷したし

回復してきたかと思ったら2005年会社法が成立し、会社健全化する中で膿を出しつつ低迷した

ちなみに2005年合計特殊出生率が最低をマークしている、ここらへんがどん底だと思う

この頃は小泉政権時代だ、まさに聖域なき構造改革で、膿を出して2007年くらいにはようやく回復したんだが

2008年リーマンショック2011年東日本大震災で追い打ちをされた(これがなかったらどうなってたんだろう)

海外でもゴタゴタあり、結果2002年2014年あたりの殆どタイミングで暗い時代が続いた

そして実は2014年以降、つまりアベノミクスタイミングでは世界的に平穏で少しずつ回復して行っていたわけだが

まあコロナで全部壊されて今に至る

 

まとめると、90年代後半ってすげー良い時代だったと思う

 

ここらへんの話はしくじり企業系の情報見てるとストーリー見えてきて面白いよ

anond:20230531095201

「今は民主主義危機で今度の選挙最後のチャンスなんです!」みたいなノリを毎回毎回やってるから、いい加減呆れちゃうんだよね

ガチ独裁甘く見すぎ

anond:20230531080422

はてなブックマーク

フェミニズムという正義の一端を担ってるってのは、育児人類歴史の一部になるように、

大きな木の根に寄りかかってるような安心感がある。

しかも、フェミニズム領域は常に前進を続けていて、ブクマフェミニストツイッターフェミニスト、それぞれの問題領域で各人にあった課題豊富にある。

それ自体は憤るべきことだが、はっきり言って常にやりがいを欠かないのは戦士にとってはモチベーションになる。はてなブックマーク領域担当できて誇りに思っている。

同じような大義に、平和があった。

はてなブックマーク平和主義を推してる人はチラホラ居たが、今はそれほど勢いがない。

なぜか。

平和主義ってどちらかと言うとなだめる方向にいきがちだからアドレナリンの助けを得られない。

そしてそれ以上に現在の状況がある。

ウクライナ危機最中に「平和!」と叫ぶのは、ウクライナ降伏を勧めてるように聞こえる。

平和っていま言うべきことじゃない。

ウクライナ主権を守るためには「勝利!」の方が少なくとも今は適切だ。

平和大義が力を無くすなんて思っても見なかった。自分は、フェミニズムの旗の輝きをせめて守っていこうと決意を新たにしてるよ。

2023-05-30

anond:20230530171109

せやろ?

いやー話が分かるな

 

俺昔そのネタ増田書いたら散々異常者扱いされたわ

「アツアツご飯 離婚危機」とかでググってみてくれ

2023-05-29

惡の華、プンプン、オナマス青春ジュブナイルが大好き。

青春が終わっても、何を成し得ずとも人生は続く。

凡庸でも惨めでもカッコ悪くても、自意識と折り合いをつけ人は生きていかなければいけない…

みたいな。

中高生だかの頃、まさに当事者だった時にも読んだけど、当時はあんまりテーマ理解してなかった。

なんか変態的でショッキング作品くらいに思ってて、そういうのに惹きつけられる年頃だから読んでたって感じ。

まあ青春当事者青春について言及する大人を非常にウザく感じるものだし、そういうもんだと思う。

若さ大事しろよ~と語る大人への死ねカスという思いは今でもよく覚えてる。

何を描いてるかをはっきりと意識したのは20前後になってからだった。

でも10代の頃も、ジュブナイルだの自意識だの定型的なワードに頼らず、肌感覚で描かんとするものに接近してたような気もする。

読んだ後の諦観や爽やかさの入り混じったような感情や、心の中の大事な部分を突っつかれたような感覚はまだギリギリ覚えてる。

この手の作品ってどれもこれも「自意識の殻を破り、凡庸さを受け入れて生きていく」みたいな似たり寄ったりの着地点になってしまってなんかなあって思う。

もちろんその結論大正義って訳じゃなくて、物語の示す過程がその平凡な結論に納得や実感を持たせる所に意義があるんだけど。

それでもたまには違うゴールがあったっていいじゃんねって思う。

スーパーサクセスストーリーもいいけど、それは思春期自意識というテーマからちょっとズレる。

普通に、かっこ悪く生きていくなんて嫌だが?自意識と向き合うのを諦めて、生活凡庸さに屈するのは全くかっこよくないが?

美しく生きられず、美しく死ぬ事もできず、死んでないだけの人間自己弁護だが?

でもこの鬱屈をぶつける先とかそのための才能とかは特にいから、枯れかけた若さを大切に抱きしめながら美しく死ぬが?

つって首吊るなり飛び降りるなりする話があったっていいと思う。いや探せばあるのかもしれんけど。

そういうキャラクターがいたとして、せいぜい作品の芯になる部分と対比的に置かれるような扱いになってそうな気がする。

ネット小説サイトにそういうの書いたらふつうにんげん達に独りよがりだの厨二病だの拗らせてるだの、ボロクソに言われそう。

そもそもまれなさそう。

まあ実際私も然るべき時期に自意識と向き合い、ある程度の折り合いはつけたんですけど。

ただ、中年危機どころか23にして「ええんか?」という気持ちが沸々と湧いている。

ニーチェやらハイデガーやらが語るような価値あるサムシングを、たった一度の人生で得ようとしなくてええんか?

今際の際に後悔が過るのは怖くないか?って。

フィクションみたいな出来事でもなければ、自意識は爽やかにハイヨナラと決別できるものではないっぽい。

押さえつけるために、これでいいんだと思えるような、強い納得という重しが必要になる。

これは邪推だけど、思春期延長戦やってる人間をやたら嫌う人もまた、胸の奥に未消化なそれを抱えてるんじゃないかなって思う。

何かしらの納得という重しもなく雰囲気ふつうにんげんをやってるからこそ、同族嫌悪的な苛立ちを感じるのかなって。

まあそれはともかく、ふつうに生きるには自意識を抑えるための重しが要る。

例えば結婚するなり家庭を持つなりして他者への愛、他者からの愛というありきたりながら固有の充足を得て、人生の指針とする。

これはジュブナイル作品主人公の多くが採用していますね。勇気を出して積極的に人と関わればそこに人生リアリティがありましたと。

あるいは、賃金労働に心をすり減らして抽象的な思考をする余裕などなくなってしまうか。現実にはこれも結構あるのかも。

私は青春作品眺めてニチャニチャするフェーズ愛着を感じてるし、この居心地の良さにもっと浸ってたい。

このまま40,50になったらもう妖怪になってしまうな。

そういう人らを別にキツいとも思わんけど、ふつうにんげんに擬態する身としてはキツイと言っておかなければならない。

それが社会性ってもんなので。

なんてことをあれこれ考えていた折、『桐島、部活やめるってよ』を観た。

ラストシーン映画部の底辺オタク神木隆之介イケてるグループ東出昌大の会話がとても良かった。

8mmカメラについて触れた東出に、オタク特有早口で嬉しそうに説明する神木

カメラを向けてインタビューする東出に「将来はプロですか?」と訊かれ、少し表情を変える神木

予算撮影場所もロクにない。8mmカメラで撮るのは手作り感満載の不出来なゾンビ映画

きっとプロになんてとてもなれない。でも、時々「憧れ」と接近している気持ちになれる。

フィルムは手に入らない、現像は面倒、画は汚い8mmフィルムにも、ビデオにはない味があるはずだと信じながら映画を撮る。

「生きるとは…」とまではっきりはしなくとも漠然とそんな悩みを抱えてた東出は、そのやりとりで涙を浮かべる。

素敵な作品だなと思いました。

言ったら自己満足趣味な訳だけど、それを心から愛せるのなら人生の芯に成り得るはず。

それは10代の頃の自分が辿り着いた結論と丸っきり同じだった。

思春期自意識は、自分の内なるものを形にしてみたい気持ちにさせる。

あるいは、なにかくりえーてぃぶな事でチヤホヤされたいという程度のものかもしれない。

でも誰もが才能がある訳じゃない。どこかで折り合いをつけなければ。

だったら自己満足でもいい。心から愛せるものなら、それはきっと確かな納得になるはず。そういう折り合いの付け方もある。

古今東西、陰気ボーイズはそういう結論に辿り着くものなのかもしれない。

でも『桐島~』の神木隆之介と違い私の「好き」は漠然としたもので、自意識を抑える重しとしては軽かったっぽい。

もっと真摯カルチャーを愛したい。

ほどほどにふつうにんげんをやりつつ、奥底では変態でありたいねクソムシでなく。

まあホントは今でも全然草野マサムネ志村正彦みたいに思春期イノセンスを卓越した言葉選びで紡ぎたいし、ついでにチヤホヤされてえんだけどなァ~

anond:20230529140731

なんか健康のためなら死ねる!ってギャグを思い出した。

どちらかというとこれと同じ扱いをしてしま増田のほうが危機的なのでは?

2023-05-25

「おもろい」という言葉危機に瀕してる

しかにこの「おもろい」は

語感もよくて言い易いし

なにか手軽にお笑い的なもの

わかっている感がだせるというメリットがある

しかしその利便性により急速にネット

タレントモドキ、面白気取りの人間に広まっており

ネット社会で「おもろい」を使いたがる人間と「おもろいこと」が指し示す対象が増えた結果「おもろい」と指し示す対象全然面白くないという実態が急速に拡大している

「おもろい」という言葉自体がそういう意味危険な水準にまできていて、

「おもろい」が面白くないやつが面白くないものを指す際に使う言葉として定着する未来はそう遠くないだろう

anond:20230525133443

こうした傾向って車にも見られる。電気自動車トヨタが負けてて、ガソリン車にこだわったことが日本車衰退の原因だって言う話ね。

トヨタはずっとEV研究も全個体電池研究もしているし、そもそもハイブリッド技術EVと陸続きなんだからノウハウを全く持たずにガソリン車にこだわり続けてるってのは明らかに間違いなのはわかりそうなもんなんだけど、いかにも日本の失敗的に語られてるよね。

トヨタが完全なEVを出してないのは充電ステーションの整備の問題ガソリンみたいに補充してすぐ走れるってことにはならないことを考えての方策なんだよ。現に、自動車販売台数で言えばトヨタはずっと圧倒的に世界一EVが売れてるように思えるのは先進国データしか見えてないからだね。

俺は逆に増田の思いが強すぎてEV危機的状況を把握できてないように見えるぞ

まあ2025年にもなればはっきりするよ

anond:20230523093453

愛飢え男

過酷キック国家危機

シソ寿司獅子刺し(ライオン肉の刺し身)

太刀、鉄断ちつつ父断ち

ナナ寝な/布の荷の何々

皮膚へ頬へ母へ

むま耳も桃もメモ西暦3桁のどっかしらで、日本では馬はムマと発音していたらしい)

世や「ゆゆゆ」揶揄

₤レロレロルールリラ₤)

ヲーワンワン戦争の犬)

2023-05-22

anond:20230522183934

いか危機を感じ取るというより、

いかワクチン副反応無視できないってことかと。

政治や反ワクにハマる奴の特徴

今まであんまり政治や反ワクに興味がある知り合いとかいなかったんだけど、最近関わり合いになることがあってわかった。

あいつらは生物個体として弱い奴が多い。ゆえに不安が強い。

個体として弱いと生命不安が常に脅かされる。

日本においては政治に興味がない奴は平和ボケだなんだと言われるが、その通りで健康的で楽観的なのだ

でも政治や反ワクにハマる奴は違う。

すぐさま自分危機と感じ取ってしまう。

なぜなら弱いからだ。

何か変化があった時に真っ先に死ぬのは弱いやつだからそれを本能的に理解しているのだ。

これかなり良い線ついてると思ったんだけどどうかな?

2023-05-19

anond:20230427085623

の子供って雰囲気的に義務教育が終わるくらいまでかな?

自分感情レッテル貼る前にもっと分化してみたら良いと思う。

視界に入るだけで嫌なの?うるさいのが嫌なの?

ぜーんぶ書き出してみる。

で、それをやりうる成人がいても嫌ならそれは子供嫌いではないと思う。

今は自分子供嫌いって気持ち思考も凝り固まってるだろうけど。

いや!子供からこそ許せないよ!と思うなら、その感情の中身をさら分析すればわかってくるんじゃないかな。

この話題の前提問題は、個人好き嫌いによる感想で「肩身が狭い」と表現してしま思考なんだろうと思う。

ヴィーガンから食べられる店がなくて肩身狭いとか、ミニスカから寒くてどうにかしてほしいとか、そういうレベルのこと言ってる。

本来好き嫌いって選択肢であって、アレルギーのように生命に関わるような危機じゃないんだよ。

それなのに、子供という要素を持つ他人が嫌いで肩身が狭いと言い切れてしまうことはあなた想像するより暴力的ことなんだよ。

ありていに言うなら差別からね……

もし本当に肩身が狭くて生活に不便を感じるレベルなら精神科に行くべきだ。

2023-05-18

個人輸入抗うつ剤を服薬したゾ

吾輩は鬱である診断書はまだない。

(この日記フィクションです。)

近代社会ダブスタ具合には辟易するものがある。

メンタル弱者に寄り添う生暖かいメッセージや誰も得しない死にたがり電話センターが乱立しているが、

実際問題メンタルヘルスの問題を抱えていると、人並みの社会生活を送ることは厳しい。

まず、生命保険の加入、および住宅ローン団体信用生命保険の加入)が組めない。上記2つをやろうとすると、それぞれの既往歴チェックに引っかかる。

既往歴の申告期間は、生命保険がだいたい5年、住宅ローン(団信)が3年。つまり何らかの診断をもらうと、上記間中保険にも加入できないし、ローンを組んで家を買うこともできない。

厳密には引受基準緩和型の保険や、フラット35なら団信が任意だったりするのだが、健常者よりはコストがかかったり、資産価値が下がり続けるマイホームに35年かけてローンを払い続けるのは正直勘弁してほしい。

加えて、転職活動が非常に難しい。厳密には転職活動に際し、既往歴を開示する必要はないのだが、だいたいの職業面接では病歴について面接官に質問されることがデフォルトである

これに答えないこともできるが、普通に考えれば病歴を開示しない人は採用されないだろう。かといって、健常者である と嘘をついても、どこかしらのタイミングでバレることになる。(入社時に前職の源泉を渡すなど)

また、メンタルが不調なまま新しい職場で健常者を装いながら仕事を覚えるのはかなり酷なものである

勝手メンタルを潰しておいて態度がでかい、何様だと憤りを覚えるモーレツサラリーマン様もいらっしゃると思うが、こんなクズでも養わなければならない家族がいたりと、クズなりの正義義務存在するのだ。そんなクズ社会におけるハンディキャップ回避しながら鬱を治療する方法の一つが、個人輸入による投薬治療である

これは必ずしも人に薦められる手段ではないし、私が責任を取れることは何もないが、現状 自分が服用するために個人抗うつ剤を輸入して使用することは、法律上はセーフ(のはず)

ただし、薬品の種類によってはアウトだったり、一度に輸入できる量に制限があったりするので、そのあたりはきちんと調べる必要がある。

私は今年の3月初旬、現職からIT業界への転職を目指してプログラミング学習をしていた。しかし、当時ChatGPTがもてはやされ、プログラマという職業がなくなるのでは、と喧伝されていたこと(今考えると馬っ鹿馬鹿しい)や、現職が非常に忙しくなってきたこと、加えて元々体が弱く季節の変わり目でガタがきていたこともあり、精神状態が非常によろしくなかった。

具体的には家中の物に当たり散らかす、職場の同僚と話している時に突然キレる、妻とまともに会話できなくなる(私の荒れた様子をみて怖がっていた)、外に出る事を避けるようになるなど。ただのやばいなのだが、自分コントロールできない自分自身への絶望も相まって、精神状態加速度的に悪くなっていた。

私が在職中にメンタルをやってしまったのは2度目で、前職では家庭事情実家)のストレス抑鬱状態悪化し、めまいで体を起こすことができず、壁などの支えがないとまともに歩くことができない時期が1年以上続いた。その時はきちんと休職して通院し、抗うつ剤を処方されていたが、飲み初めのセロトニン症候群めまい症状が劇的に悪化し、結局飲まずに時間の経過だけで症状をある程度改善させた。しかし、実際は(めまいが発生したり、抑うつ症状が発生した場合でも健常者のふりをして社会生活を行う)というスキルがついただけで、自身メンタルヘルス自体が良くなったわけではない(と思っている。)

働き始めて2度目のメンタル不調がきたことで、根本的な治療を行わなければならないと思い立ち、前回はできなかった投薬治療をもう一度挑戦しようと考えた。ただし前回の休職転職時に、メンタル関連の診断が降りるといわゆる「まともな人」が送れる社会活動が一部阻害されるとわかったので、個人輸入抗うつ剤仕入れ休職と通院なしで薬と気合いで何とかする手段を思い立った。

私が購入したのは、トルコ製薬会社製造している、とある抗うつ剤ジェネリック薬品。主に不安症状への効果が高いとネットに書かれており、もともと人嫌いな性格自分に合うのではないか、と思い、軽い気持ちで1ヶ月分の錠剤を購入した。注文してから日本に到着するまで約3週間かかった。香港倉庫から出庫されるまでは早かったが、トラッキングサイトを見るとフライトへの搭載と通関で時間を食っていたようだ。

ボロボロ状態で3週間を耐え抜き、ようやく手に入れた直後に規定量を服薬する。やはりセロトニン症候群によりめまい吐き気が起こるが、今回は初期症状がおさまるまで我慢して飲み続ける。服薬してから5日ほどで、めまい吐き気はなくなった。

そうすると、今度は薬による本来作用を感じるようになった。私が飲んでいたのはSSRI選択的セロトニン再取り込み阻害薬)という、セロトニン血中濃度が上がるタイプの薬なのだが、この効果なのか常に「お風呂上がり」のような感覚が体に染みついて離れないようになった。

風呂上がりの時に、昔の辛い思い出が蘇ったり、将来に悲観したりすることはあまりないだろう。つまりは、通常の思考を妨げるマイナス要因が差しまれなくなった という表現が近い気がする。脳みそにあたたかバリアが張られているような?

飲み始めて1〜2週間はその感覚が強かったが、3週目以降はそれが当たり前のようになり、日常生活を送る中でトラウマフラッシュバック衝動的な不安に襲われることがほとんどなくなった。とんでもないものである

しかし、良いのか悪いのか、現状の生活に満足ができるようになったので、IT業界への転職活動学習は全くやらなくなってしまった。

ところが、GW中に運悪くコロナ感染してしまい、それなりに症状が重かったため1週間ほど薬をガバガバ飲みながら寝込むことになってしまった。コロナの諸症状を抑えるための薬が抗うつ剤バッティングしないか不安だったため、一時的抗うつ剤の服薬を止めたのである

これにともない、不安抑うつ症状が復活するかと思いきや、高熱と咳と呼吸困難てんやわんやのためメンタルどころではない。生命危機メンタルもクソもないのである。結局、コロナの症状が治まった後も抗うつ剤の服用は再開していない。

3月に服用を始めた時は、自分の中の不調の波がピークだった時なので、今後も波がきた時に飲み始めればいいやと思っている。

服薬をやめて、また人嫌いや外に出たくない欲求が少しづつ復活してきている(程度はしれているので、元の性格に戻った、が正しい)。加えて、IT業界への転職欲求が復活してきている。

これは、現状維持では満足できず、慢性的に何らかの焦燥感に苛まれていることが原因だと思う。自分が抱える不安症状が、現状を脱するためのプラスの力になることもあるのだな、と、自分性格を前向きに捉える事ができる良い機会となった。

文章として書いていて気づいたが、やはり自分クズであるちゃんとしている人たちから見れば、人並みのことができない人間が人並みの幸せを得ようとするな!信用もねえやつがローン組んで家買おうとしてんじゃねえ!と思うだろう。

現職の同僚や、休職してしまった前の会社の同僚にも迷惑をかけている。それを責め立てようとする自分もいる。

しかし結局、自分の身を立て直すこと以外で、迷惑をかけた方々へ報いる手段はないのだ。そう開き直ることで今日もなんとか働いている。今日わたしは人並みの幸せを追い求め、ゴキブリのように生きていく。

2023-05-16

anond:20230516104554

普通の顔して救難信号出してる危機的状況とか見逃しそうって思うけどそういう類の背景はなし?

2023-05-15

メンタル放火魔が許せない

あるきっかけ。感じた怒り。それを消化というか消火できずにいると、それはやがて自分人生上の怒り、というところまで拡大していく。そしてそれが解析困難だと、あらゆる意欲を失っていく。意欲の失い方、堕落の仕方は完璧だった。投げ出したんじゃない、先延ばしし続けたのだ。その結果、人生を諦めて放棄したように錯覚するところまで行き着いた。あまりにも自然にそこまでフェーズを移してしまった。

怒りを感じて、怒りをどうすることもできないと感じると、無力感を生じる、そうして問題と向き合うのを先延ばしするうちに無気力になっていく。

もう届かない怒りをどうするのか?

結論は?

根源の相手を探すか、他の人に八つ当たりするか、それ以外か。忘れるか。

時間が経てば忘れられる。小さくなって消えていく。だけど直後はそれが判らない。

人間全体が憎くなって、それを晴らす方法も分からない。自分一方的相手からやられ続けるだけだと思うようになる。

怒りと復讐が私の人生のすべてと感じるようになる。

実際は、私の人格は多重複合構造であり、怒りと報復テーマだけで動いているわけではない。

他のテーマ複数ある。

愛と献身テーマだってある。

でも感じられない。どれをとっていいかからないと感じる。どれか一つしか選べないような気持ちになる。あるいは統一できないといけない気持ちになる。

どんなフェーズでもいい、どんな精神状態でもいいから、やるべき行動を続けることを止めないんだという自分への約束無意味なことに感じる。

その決意自体意味があるのかを疑う。

もう一度そのテーマについて1から再検証するべきではないかと感じる。事実3日も4日も自分に課した義務放棄してるのだから、今さらノコノコ元の状態に戻れない、なんの成果もなく元の生活に戻ったらただの損失でしかなくまた同じ事を繰り返すから、あと1〜2日無駄にしてもこの問題に向き合って考えるべきだと感じる。

しかし私は多重複合的な精神構造で生きてる。私の精神状態は常に揺らいでいる。その気になればいつでも問題に正しくフォーカスできるというのは幻想である

それは存外難しく、一度機を逃すと再びそれが上手くいく確率は、実はものすごく低い。それを待っているよりできることをやったほうがはるかに実がある。わかっているのに私は動かない。4日は無駄になったと認めて損失の合計を4日間と計上するよりも、5日間の時間と引き換えに何か大きな気づき悟りや決心やその他投じた時間に値する価値を得る、損失を取り戻すことに執着する。

それは時間が経てば経つほど困難になるほとんど不可能ギャンブルだ。なのに私はいつまでも損失を認めることができない。ただじゃ起きないと思ってる。ただで起きなければ失ったモノが戻ってくると錯覚してる。実際はただで起き上がる方がずっと賢く、失うものは取り戻すより最小限に留めるほうがずっと良いということが判らない。5日かけて何かの気づきを得たと思っても、5日を失ったことに変わりはないことが解らない。

私は精神状態さえ持ち直せれば恒久的に安定して前進を続けられると思っている。

そうした思い込みの末に今の泥沼の中にいる。

「取られるはずなのないもの」に足を取られて、「すくわれるはずのないもの」に足元をすくわれて、「怒るに価しない怒り」のせいで結果自らの人生すら破壊しようとしている。有り得ない有り得ないと喚いている、それが私だ。

私は自分で止めるしかない。自分で違う場所を目指すしかない、怒りだろうと、他のどんなネガティブ感情だろうと、ネガティブ経験だろうと同じ事で、私がそれに“やられて”しまうのを誰も助けないし誰も哀れまないし、誰も意味を与えることもない。私は独りきりだ。誰も私の現状に納得のいく説明などできないし、してくれない。私は放置されているし、見放されている。いや違う、私は関心を持たれていない。私の境遇も、私の過去も、私の努力も、私が怒りを抱えながら藻掻いたり悩み苦しんだり、そういうことに“この世”は関心が無い。少なくとも、私の場合はそうだ。他の人間待遇は知らない。他の人間関係ない。他の人間待遇は違う。他人他人、私は私のこの世での待遇に目を向けるべきだ。私は今はまだ死ねない。かといって生き続けても私の人生がよくなる保証は一切ない。私は産まれる前にありとあらゆる保険を解約したのかもしれない。他の多くの奴らが付帯させてほしいと契約したものを、私は敢えてぜんぶ外したのかもしれない。特段に人生で虐げられてきたとは思わない。特段にひどい境遇というわけじゃない。ただ、保険保障恩恵共同体利益や、そういう皆と同じ輪の中で得られる福利に私は1つもチェックマークをつけなかったのかもしれない。

から私の出す結論は何か。進み続ける、行動し続ける、それしかない。死なないのなら死ねないのなら、怒りすら捨てて、前に進まないといけないのかもしれない。これは崖なのかもしれない。ただただ登るしかないのかもしれない。わけのわからない目的のために、ただもう頂上を目指す、それだけしか残されていないのかもしれない。

怒り。許せない人間、許せない思い。

憎い、悔しい、許せない、私は訴える。

その思いを何とかしないとどこにも行けない気がする、進めない気がする。でも【それを見ているもの】は、ない。

怒りの火種で燃やされて終わってしまうのだとしたら、そんな私に、“なにか言うことはないのか”と私は何かに対して問う。

ない。

私は随時、放火される。放火魔は多くの場合、捕まらない、私は一方的放火される。私が火を消さず怒り狂って地団駄を踏んでいたら、どうなるか?

【そのまま】になる。

私は随時一方的放火される。放火魔はたいてい捕まえられない。もし捕まえて八つ裂きにすると、私の人生も終わる。そんな危機が何度も起こり続ける。それが私の人生で、私の生きている世界だと思う。そこで私は選ばないといけない。放火魔を八つ裂きにするのか、消火して私自身を建て直すのか。この問いを繰り返し繰り返し毎日看板に書いて掲げる必要がある。やるのは無意味かも知れないが、やらないのはそれよりも無意味に思える。無意味の中でも【より意味のあるように思える無意味】を選択する。それ以外にできることはきっとない。最善は選べない。最善を選ぶのは贅沢な行為である。贅沢は贅沢を許される人生に許されている。贅沢を許される時期に許される。私のモラトリアムは終わった。私へのそういったもの支給はもう終わった。私にできる贅沢な選択はない。私にとって最善の選択は、常に【マシな】選択である。こっちよりはこっちが、あれよりはそれが、【比較的】【若干】【ほんの少しだけ】マシに思える。そういうマシな取っかかりや手がかり、足がかりを、私は掴み続けるしかない。崖をよじ登るならそういうことなんだろう。そんな状況でわざわざ私を燃やそうとする捕まえもできないものたちを、私はどうするのか。私に捕まえられない放火犯を分析する余裕は【ない】。

私は割り切らなければいけない。

あの人間は私に火をつけて逃げた。私はショックを受ける。怒りが湧いてくる。火が燃え広がる。ショックで立ち止まったままになる。消火を怠って、延焼を放置して、5日が経った。あの人間は平然と生きている。当然だ。私はそのことを考え続ける。自分より他人のことを思いつづける。私はあの人間なのか?私の人生はあの人間人生なのか?私が私の心を放棄するほど、私の人生はあの人間人生なのだろうか?あの人間人生について考える価値が私の人生以上にあると、私は本気で思い込んでいる。私が陥ったものというのは、そういうものだ。私があのとき立ち向かわなければいけなかった分岐点は、そういうものだ。

「でも、だって、この怒りは抑えられない、どうしようもないんだ」その言葉正統性を知っているのは、私一人だ。誰も私と全く同じようにその思いを分かち合ってはくれない。他人は火を消せという。私ははそれを聞いてもっと怒り狂い、火に油を注がれたと感じる。「火をつけたやつがいるんだ!」と私は叫ぶ。他人は「わかるけど火を消せ」と言う。「何がわかるんだ!上っ面で分かったフリすんな!火をつけて逃げたやつがいるんだ!!」と私は叫ぶ。私と他人永遠に噛み合わない。私は失い続ける。他人への怒りと不信感は膨らみ続ける。それでも誰も私を憐れんではくれない。他人無理解である。だが私はこの世界でその他人と関わって、時に助けを借りなければいけない。それをしたって私が根っこから救われるわけじゃない。ただ、そのほうがマシだからだ。他人を一切閉め出すよりも、他人一定関わるほうが【マシな選択肢】だからだ。私はそういう選択をし続けるしかない。消極的だろうが積極的だろうがそうやって選ばないけといけない。選ばない損失と選ぶことで得られる可能性を秤にかけて行動を起こさなければならない。私がいるのはそういう世界だ。進むしかない。上を目指して登り続けるしかない。私がそういう世界自分で選んだのだ。

今日会議中眠すぎてチンコがカッチカチになった

4月以降会議中100発100中でチンコカッチカチなるわ

 

生命危機に瀕するとチンコがカッチカチになるって言うけど

俺は無駄会議に殺されようとしているのか

2023-05-14

anond:20230514163127

自分より恵まれてると決めつけて障害者踏みつけにして憂さ晴らして喜ぶような心意気やめたほうがいいよマジで

エレベーターで譲らないのは身動きが取れなくなるから真剣に困るわけで、車椅子の人はその階に多目的トイレなかったりしたら何十分も移動できないのは本当に切実な危機だし。

あなたもいつ車椅子移動になるか判らんわけで、譲らなくていいでーすなんてクソマナーのままだとみんなの首締めるだけだ。

2023-05-13

anond:20230513131419

「何かをする」には金と時間問題となるよ。

しかし、成果が出るとは限らないから、近視眼的な費用対効果はない。「無駄削減」でターゲットに上がりやすく、あがってきたからこその日本の基礎研究の衰退だね。

豊田長康先生科学立国危機なんかを見ても、長期的な費用対効果はないことはないと思うけどね。実際基礎研究、応用研究あってこその産業から

科学に対する長期的な費用対効果の測定が、予算をつけるための前提になるけど、長期的な費用対効果の測定もやはり金と時間と仮説と検証必要もの

2023-05-12

未来日本日本ウクライナを支持するナチス

ワシントン・ポスト紙によると、パスタ価格が50%も高騰したため、イタリア当局危機会議招集した。

メディア関係当局者の話として報じたところによると、彼らは投機メーカーを疑い、当局捜査要求している。

イタリア人の60%以上が毎日パスタを食べています

日本も米の値段50%以上上がりそう。

aquatofana ガラスの崖(平時出世するのは男性だが、危機的なときだけ女性に声が掛かり、そういうときしかチャンスを与えられない女性チャレンジするが当然上手く行かず「女性仕事できない」事例にされる)現象かな。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4736369796585370949/comment/aquatofana

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.techno-edge.net/article/2023/05/12/1280.html

2006年研究では、法学部学生リスクの高い事件男性主席弁護士よりも女性主席弁護士に依頼したがることを示した[7] 。

しかし、他の研究においては、ガラスの崖現象存在確認成功した例はない。

最高経営責任者CEO)の任命直前の企業業績に関する2007年研究では、女性経営者不安定リーダー立場に選ばれる可能性は男性よりも低いと示されている[8]。

ガラスの崖 - Wikipedia

We find that corporate performance preceding CEO appointments tends to favor females, implying that females (males) are appointed to the CEO position largely at times when the firm is in relatively better (worse) financial health.

Disaggregating the data by appointments in up versus down markets, at high-risk versus low-risk firms, and by calendar time yield similar conclusions.

There appears to be no glass cliff facing female CEOs at US firms.

Are Female Executives Over-represented in Precarious Leadership Positions?

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん