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はてなキーワード: セクシャルとは

2017-07-06

https://anond.hatelabo.jp/20170706225613

本当に男性から女性としてセクシャル視点で見られるのが嫌なら、胸はさらし巻くなりして目立たなくして、当然顔はすっぴんで産毛も剃らず眉毛も手入れせず、髪も坊主なりスポーツ刈りなりにして、服装もほぼ男物で固めればいいんじゃない

本当に、本気で、男性から女性として見られるのが嫌ならね。

 

「好きな相手にはよく見られたい。だからオシャレします。でも、誰彼構わず異性から好かれたいわけじゃない」

ってのは、要するに「(好きな)男に対して性を売りにして高く買ってもらおうとしてるんだろ」ってことよ?

https://anond.hatelabo.jp/20170706224251

とりあえずお前が思うセクシャルじゃない格好とか行動をちょっと教えてくれない?

田舎で行動範囲狭いのですまんが街中歩いてみてもスーパーコンビニ本屋雑貨屋デパート見てても

そんなにセクシャルな格好してる女性って多くない気がするんだよ

露出度も低いし最近は裾広がりのゆったりしたパンツ身体ラインとか全然見えない服が流行りじゃん

頼むからちょっと教えてくれって

https://anond.hatelabo.jp/20170706222744

はいダウトー。

 

セクシャルなところから離れた「服オタ」が、どれだけいますか?

自分の性を高く売りつけたいわけじゃない」→「自分女性であるということによってメリット享受したいわけではない」→「異性からセクシャルな目で見られなくていい」→「別に異性からの目を意識したわけじゃないけど、フェミニンな服とかスカートとか着ます

これがアホかと。

 

真に男性からそういう目で見られるのが嫌で、女性という性をアピールしたり売りにしたくないなら、ユニセックス路線で行けと。

 

はい、聞こえて来そうなのが「女性は好きな服装で出歩く権利もないのかよ!」

 

男性が、IKKOマツコ・デラックスみたいな化粧をして、ホットパンツタンクトップで街中を歩いていて、ゲイだと思われて、「好きな格好で出歩いてるだけでセクシャルな目で見られる。男性は好きな服装で出歩く権利もないのかよ!」って言ってるのと同じですよ。

https://anond.hatelabo.jp/20170706223957

はい、また特殊事例を元に反論お疲れ様です。

尻の形を隠せるスカートよりスキニーパンツの方がよっぽどセックスアピール阿呆

https://anond.hatelabo.jp/20170706222526

これのどこにスキニーパンツ履けなんて書いてありました?

要はスカートでもホットパンツでもスキニーパンツでも、セクシャルな目で見られる可能性の高いものを避けろって話なんですけど?

2017-06-28

グランドピアノキーボードセクシャル

やっぱりね。

Aさんはブラインドタッチの時ほとんど音が立たない(そういうキーボードでもあるけど)。

上司のBはうるさい。原始人にキーボードを打たせた方がまだ静か。

Aさんのブラインドタッチはなんであんなに美しいのだろう?

ピアニストだった。

やっぱりね。

2017-06-20

純潔教育批判の流れでいえば

性自認性的指向も性の多様性ひとつであって

性的少数者を表す言葉としてLGBTが使われている

性的マイノリティ20人に1人、日本で600万人

ひょっとして九州男児人口より多いのかもしれないということに

一般人の認識が変わり始めたのが今、現在

一人ひとりに一人ひとつセクシャルソリューションがあるとしても

そういった個々人の事情について、とかく場合分けすることを求めても

一般人はついてこられないし、理解を拒絶されるかも

それは互いにとって不幸なこと

美少女ゲームBLも、一般人からすればオタクコンテンツなだけで

違いを理解しろ区別して報道しろと迫られても困惑するだけだし

バッシングの要因になり得る

2017-05-15

気が向いたらバイセクシャルをbuyセクシャルだと思っていて売春のことだと勘違いしていた美少女幼馴染の出てくる釣り書くわ。

2017-04-21

女性トイレマーク

例のジャンプ編集部トイレマークだが、あれを見たときに「よくできているが、まずいだろ」と思ったわけだ。

単なるセクハラ案件というわけではないと思っているので、どうしてそう思ったのか、こんなところにしか書けないので書いてみる。

  

まず「女性トイレ」のイメージとしてはよくできている(ピクトグラムとしてのできは知らぬ)。

あのデザインは下着をおろしているように見えるわけだが、下着だけをおろす場所なんてトイレ第一で他は考えにくい。

また、男性だと履いたまま派もそこそこいるだろうから女性意味するというのが、第一印象となる。

女性でおろさない派もいるだろうが、女性からスカート履かせてしまえ的な通常のトイレマークの大雑把さと比べたら問題にならないだろう(デザイン自体女性物にみえるしな)。

下着を出すことが問題だとする向きもいるだろうが、ピーチジョンとかは駅広告で堂々と下着モデルを出しているわけで、下着が悪いわけではないことは明らかである

  

というわけで「女性トイレ」をイメージさせるデザインとしてはよくできているといえる。

  

では、何が問題だったか簡単に言うと「トイレ」までイメージに入れなくていいのではということになる。

通常のトイレマーク男性用か女性用か、多目的用かといった程度のイメージしか持たず、トイレという意味合いは別の場所理解できるようにになっている。

理由として、あえてトイレマークまでイメージに含めること意味がなかったということも大きいだろうが、別の意味合いも含まれているように思われる。

それは、トイレってあまり表立ってみせるものではないよ、ということだ。

  

世の中トイレ呼び方は色々あるが「便所」はそのものずばりな言い方なのにわりと下品な言い方とされている。

そうした直接的な表現ではなく「お手洗い」「化粧室」「手水場」「W.C.」等々、ごまかした言い方が使われている。行為自体も「お花摘み」等のオブラートに包んだ言い方が存在する。

まり「老廃物を排出する」ことはあまり大っぴらにいうことではないとされ、あけすけに話すとデリカシーに欠けると思われる行為であると、一般的には捉えられている。

それなのに例のマークは「トイレはここ、下着おろしてくださーい」とあまりにもあけっぴろげに表現に出してしまっている。

女性はこちら」ならともかく「尿したい女性はこちら」という表現は、そこまで言うなや踏み込み過ぎ、となるわけで、セクハラと受け止められても仕方ないねーとなる。

  

女性用」「トイレ」という意匠を上手く入れ込んだためにセクハラ表現となってしまったわけで、なんともかんとも難しいねと。

  

  

まあ、セクシャル方面でも表現問題がないわけではないんだが、これをきちんとセクハラにつながるよう説明しようとすると

矢吹健太朗氏の「いか少年青年誌コードで(成年誌にならないように)ギリギリ表現をするか」という表現上の挑戦から語る必要が出てくるのでとりあえずはここまで。

  

下着は駄目だろピーチジョン言い訳にもなってない、といわれたらぐうの音もでないので勘弁。

2017-04-09

同性カップル里子について母子家庭育ちが思ったこと

男性同士のカップル里子を養育することになったというニュースを聞いた。子供を引き取って育てる、いいことだと思う。これがニュースにならない世界になればもっといいんだろうなと思う。

それはそれとして、SNS勝手なことを言う人たちに、なぜだかどうしようもなく腹が立った。それをうまく言語化できずにいたのだけど、なんとなくまとまってきたので、今回書いてみようと思います

私は母子家庭育ちだ。実の父親の顔も名前も人柄も生死も知らないし、自分ルーツへの興味もあんまりない。母は聡明で美しく、私を中高、そして現在大学四年生になるまで私学に入れて育ててくれた立派な女性だ。母に恋人がいても、私が「今さら父親はいらないから会う気はない。親の都合で苗字が変わるのも耐えられない」と突っぱねたのを母は尊重してくれたので、知らない男に家庭へ介入されることはなく現在まで育った。だから家をいやだと思ったこともなければ、自分を不幸だと思ったこともない。また、私の時代にはシングルマザーというものは既にそれなりにいたのもあってか、母子家庭からといっていじめられたり偏見を持たれたりしたこともない。

今回の件で「子供いじめられそう」「かわいそう」という意見に対して「かわいそうなんて視野狭窄」「いじめる方が悪い」というツイートがたくさんされていた。それは正論だと思った。私は悪意に満ちた人間なので、この人たち正論ふりかざして「自分理解がありますよ」って顔して気持ち良いんだろうなとも思った。

いじめ偏見もないほうがいいし、あってはならない。けれどもこの人たちは、いじめ偏見さえ取り除けば子供が不幸にならないと思っているように見えた。そんなことはないだろう。いじめ偏見けが子供を傷つける。その浅はかさと想像力の欠如に私は腹を立てているのだと思う。

私は同性カップルに育てられたわけではないから実際のところ何が起きるのかはわからないけれど、少なくとも母子家庭育ちで惨めな思いをすることはあった。「どうしてお父さんがいないの?」となんの悪意もない同級生に聞かれたことは一度や二度ではない。私は自分父親がいない理由は知らないから答えようがないので、そういう時は内心「こっちが知りたいなあ」と思いつつ、いつも曖昧な笑みを浮かべていた。「お父さんがいない」って言うと面倒なことになるから、お父さんは遠くで働いてることにしようとたかだか5歳の子供の浅知恵で嘘をついたこともあった。それが嘘だとばれたときの気まずさといったらなかった。「お父さんについて作文を書きましょう」と言われた時に「お父さんがいません」と言い、仕方なくお母さんについて書き、発表したこともある。そういう時、私はどうしようもなく惨めな気持ちだった。そういうことまで想像した上で、いじめ偏見がどうこうあなたたちは言ったんですか。いじめられたわけでもなく偏見を持たれたことがなくても、ちょっとの子とは違う家庭で育った子供が傷つく機会なんて、あなたたちが思っている以上にある。子供時代ってそんなに単純じゃないよ。

「お母さんは立派にあなたを育ててくれたんだし、お父さんがいないことを恥ずかしがる必要ないよ」と言う人がいる。はい正論ですね。でもうるせーよ。お前は私じゃないんだから、私が何かを思う自由くらい持たせてくれよ。

同性カップルの子にも、そういう圧がかかったらそれこそかわいそうだと思う。たとえばその子いじめられたとして「どっちもお父さんなのはべつに変なことじゃない。胸を張りなさい」みたいなこと言う人、いるだろう絶対。は? お前に関係ねえだろ。その子が何を思って、どうするかはその子自由だ。胸を張りたいならお父さんたちと一緒に胸を張ったらいいし、家庭の事情を隠しておきたいならそれだって全然責められることじゃない。私は、必要に迫られた場面以外では母子家庭ですなんて絶対に言わないで生きてきた。

そもそもなんだけど、どうして同性カップルの子供だったら幸せなんだろう。「同性カップルなら」ってそれがすでにあらゆる方向への差別なので、そういうことを言ってる人を見ると片腹痛い。すべての家庭には色々な問題や不幸が多少はあって当然で、同性カップルの家だろうと何だろうとまったく同じだと思う。同性カップルの家だったら365日24時間幸せというほうがよっぽど怖い。大体「いじめられそうって言うやつは視野狭窄!」「かわいそうじゃない!」と主張しているあなたたちは一体何? 子供自身でもないどころか、子供大人たちの好奇の目にさらされても、無邪気な同級生に家庭について聞かれて傷ついても「それは間違ってる! 差別はなくなるべき!」とせいぜいSNSで言うだけで実際にはなんの責任もとれないくせに、ずいぶん簡単に言うじゃないか

同性カップルとその子供はべつに日本国内セクシャルマイノリティ問題が一歩前進したことの象徴としてあるわけじゃない。ただの家庭の一つでしかない。おおきく取り上げてSNSであーだこーだ騒ぐ。結局それが差別になってんじゃん。自分は誰も差別しないって言うなら、同性カップル里子もらうなんてフツーだよって顔しとけよ。

ただまあ、顔も名前も知らないカップルとそこに里子に行った子が幸せになったらいいなというのには同意する。まわりが何を言ってきても、自分たちが納得する形で生きていけたらそれがいい。ということで終わります

2017-03-13

ぼくはきみの服の中のオッパイを見たかった

Mはぼくと同じ高校で一学年下の女の子だった。

まるで男の子のようなショートカットの髪、金八先生に出ていた時の上戸彩みたいにCUTEな美少女だった。

ぼくの君に対する第一印象はただひとつ「胸がでかい」それ以外のことをぼくは何一つ思いつかなかった。

小柄なきみのカラダに不似合いなほど、その胸の隆起は際だっていた。

きみは一時期、ぼくと同じ学年の男子と付き合っていたね。

から学校への道を並んで来る姿、帰る姿をぼくは覚えている。

そのときぼくは思ったよ。

あいつはあの大きな胸が目当てなのか」と。

もちろんそんなことはなく、彼は知的でCUTEなきみが好きで胸なんかはただのおまけだったのかも知れない。

しかし、どんな言い訳をしたってきみの第一印象が胸であることは疑いのない事実なのだ

それに「どうせ胸が目当て」だなんて高校生の言うセリフじゃないだろう。

自慢じゃないがぼくのいた公立高校男子童貞率96%、つまり童貞クラスに一人くらいしかいなくて、

しかも在学中に処女童貞を失った場合浪人率は100%という恐ろしい世界だったから、だから禁欲正義だったんだ。

もちろんぼくも受験勉強に精を出し、オナニーで精を出す一人の純朴な高校生だった。

受験勉強甲斐あってぼくは現役で大学合格し、その喜びもつかの間、片想い女の子にはあっさりとふられ、童貞期間更新中だったぼくは、翌年の春にきみが関西のある有名私大合格して大学生になったことを知った。

当時のぼくは手紙をよく書いたよ。在学中にちょっとした面識があったのできみにも合格のお祝いと自分大学生としての近況報告のような手紙を書いた。そうしたら一度京都を案内して欲しいという返信が来た。そしてぼくは思いがけずきみとデートできることになったんだ。

大学生になったきみの胸はさらに巨大化していた。

巨乳というのは裾野が広いんだ。

富士山裾野が広く伸びていてるみたいにね。

「えっ、こんなところから胸がはじまるのか!」と思うほどにきみの胸の隆起はクビのすぐ下からはじまっていた。

ぼくはきみの目ばかり見て話をしていたが、視線を下に落とせばそこには胸があった。

かい合ってる男が自分の顔ではなく胸を見ながら話してるなんてすごく不愉快じゃないか

からぼくはいつもきみの目を見て話をしていた。視線を伏せることなんてできなかった。

今思うとなんてもったいなかったのかと思う。サングラスでもして視線を隠して、思う存分胸を見ればよかったじゃないかと。でも、当時はそんな才覚はなかったんだよ。

京都でのデートの後で、ぼくは卑怯にもきみへの手紙の中に「好きだ」というフレーズを書いた。

しかし、そのときのぼくは本当にきみが好きだったのか、それともきみの胸が好きだったのか、正直言ってよくわからない。

ぼくは知的でCUTEなきみを本当に素敵な女の子だと思っていた。

しかし、その100倍くらいぼくはきみの胸が好きだったんだよ。そんなこと手紙に書くはずないけど。


秋になって、いろんな大学学園祭の季節になって、ぼくはMを伴ってN女子大学園祭に出かけた。

高校で同じクラスだったことがある仲間由紀恵みたいな黒髪の純日本風お嬢さんに誘われたからだ。

実はぼくはその仲間由紀恵のこともかなり好きだった。もしもその美女を射止めることができたならば、ぼくは同じ高校のあのさえない童貞軍団を見返してやることができたはずだし。そう、ぼくのあこがれの大本命は実は仲間由紀恵であり、Mの存在価値は「自分とつきあってくれる女」という点にあったわけだから

女子大学模擬店でぼくは仲間由紀恵にMを紹介した。仲間由紀恵はMをみて、Mの胸をちらりとみて、それから妙につっけんどんな態度になった。

あなたはこんな乳のでかい頭の悪そうな女が好きなのね!」と仲間由紀恵は思ったのかも知れない。

そんなことはないんだ。Mは決して頭の悪い女なんかじゃない。

とっても聡明で話していて退屈しない女なんだ。

でもそんな言い訳をするチャンスはなかった。

だって仲間由紀恵はその後ぼくに手紙をよこさなくなったし、彼女が風の噂にお医者さんと結婚したと聞いたのはその数年後のことだ。

女子大学園祭の後に控えていたのは京都大学11月祭だった。ぼくはそこでMと腕を組んだり、手をつないだりして歩くことができた。

普通カップルのように彼女学園祭デートをするなんて幸福をぼくは手に入れた。

しかし、ぼくは手をつなぐ以上のセクシャル領域に足を踏み入れることはどうしてもできなかった。

その理由簡単だ。ぼくは童貞だったから。どうやってその先に進んだらいいのか、ぼくは全くわからなかったのだ。

手を伸ばせばいつでも触れられるような距離にありながら、その胸はぼくにとって相変わらず不可視のものであり、かつ不可触のものであったのだ。

そのままお正月が過ぎ、春になった。ぼくはMと初詣住吉大社に出かけ、そこから阪堺線チンチン電車に乗って浜寺公園に出かけた。

潮の香りのするコンクリートで固められた護岸の上の散歩道をのんびり歩き、座って話をした。おだやかな一日だった。

あの頃ぼくたちはいったいどんな話をしていたのだろう。

そうして休日には手をつないで歩き、一緒に映画を見たりしたぼくたちはまぎれもなく「つきあってる」という状態だった。

しかしぼくにとってきみの胸は相変わらず不可視のものであり、かつ不可触のものであった。

どうすればぼくはその二つを可能にできたのだろうか。

まだ20歳にもならない自分はその方法を何一つ知らなかったのだ。

もしもできることなら今の自分が当時の自分に憑依して、知りうる限りの恋の手練手管を用いてその困難を可能にしてあげただろうに。

ぼくは免許を取り、中古車いすゞジェミニを買った。それでMとドライブすることになった。

Mに向かって「どこに行きたい?」と聞いたら「鞍馬」という意外な答えが返ってきた。ぼくたちは鞍馬おもちゃみたいなケーブルカーに乗った。

汗ばむような陽気の中で、同じようにデートしているカップルが居た。

ぼくたちとの違いは彼らがキスをしていたことだった。

ぼくは赤面した。

キスとは、ああキスとは、それは限りなく遠くに存在する行為じゃないか

まだぼくは胸を見たこともないのに・・・

いや、それは違う。少なくとも胸を見るという行為は、キスという行為さらに先に位置するものであるはずだ。

ということは、自分が胸を見たいとか触れたいと思っていたことは根本的な間違いであり、それを実現させたかったら

先にキスという段階をクリアしておかなければならなかったのだ。キスとは、胸を見るための必要条件である

もちろんキスをしても胸を見るところまで到達できない場合もあるだろう。しかし、キスをしないで胸を見るなんてことはどう考えても変だ。

まり自分は、「胸を見るためには先にキスをしなければならない」という恋愛の発達段階の重要法則をそのとき発見したのだ。

ストレートに胸に到達しようと思っていた自分が間違っていたのだった。

乳首を舐めたかっらたまず相手の唇を舐めろ!」

ぼくはその真理をここに理解したのだった。

しかし、破局は突然にやってきた。

Mが教会に通い始めたからだ。

学生のぼくたちがデートできるのは日曜日に限られていた。

その二人のための貴重な日曜日を、Mはこともあろうに私ではなく神に捧げてしまったのだ。

ぼくは一度Mにくっついて教会に一緒に行ったことがある。Mのスクーターの後を、ぼくは実家にあったヤマハパッソルで追走した。

当時はまだ原付ヘルメット着用の義務はなかった。そうして教会に出かけたのも一度きりだ。

ぼくにはきみの胸を見たいという願望があったが、教会聖書を見たいとは思わなかった。

僕に必要なのは聖ではなくて性であり、聖書ではなくて早くぼくを童貞から卒業させてくれる性書こそがぼくにとって必要書物であった。

「汝、姦淫するなかれ」という神の教えは、その反動でぼくの心をますます君の乳房への思いでいっぱいにした。

ぼくは教会についていくのを止め、ぼくたちの仲は自然消滅した。

ぼくがMと最後に会ったのはぼくが大学卒業した春だ。

そのとききみはブラウスボタンを二つもはずしていたから、ぼくは思わず「うっひょ~」と心の中で叫んだ。

そのとき、きみのオッパイはぼくの心の中で永遠憧憬になった。あれから34年経つけど、今でも君の胸は成長を続けているのかい

2017-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20170211082444

セクシャルの部分はどんな人でも言えない性癖があったりするからな。そこに元カノの話まで絡むとなおさら複雑。そんなに気にすんな。

2017-02-09

印象。考察なし

http://anond.hatelabo.jp/20170208235429

寝落ちしそうだし消えると悲しいか更新かさねる

率直に書く。総合的な感想考察は落ち着いたら書くつもりだけど、壁打ち悲しいから書かないかも。(というか他作品観劇したらもう書けなくなるだろうから、勢いつかないと現実的に厳しそう)

トゥルーエンドではないけどグッドエンドはもう前回観れたから、推理の旅を終えていいようにも思っている。あとやはり証人が足りない。私の観たルートより先の話が展開されないと推理が苦しいし淋しい。

初見と印象が違いすぎる。

何が変わった? 私が変わった?

私のライフは零である。救いがまったくない。ほんとつらい。

今回はまったくもやもやしなかった。ただあるがまま受け止めてほんと苦しい。

今作はもうずっと『諸戸と簑浦』の話しかしていない。だからうつらい。世界に二人しか居ない。つらい。

嗚呼明日原作既読の友人にいろいろ質問しよう……

時系列順に。

ちなみに『私』と『箕浦』と《わたし》と《みのうら》と簑浦が出てきます

冒頭。諸戸屋敷にいる『私』。これめっちゃ幽霊に見えた。

手記の内容は、すべて完全に諸戸についての内容。つらすぎ。

『私』は諸戸を「哀れ」と評す。まじかよ。

奥さんがお茶を入れてくれてそれを飲んだはずなのに、誰かいませんか?的なことを言う。え、やっぱこの『私』お亡くなりになってない?

そして諸戸登場。語り部の『私』と会話する。おかしくない?

登場キャラクターが天の声に話しかけたりしなくない?

から最初は『私』も諸戸も亡くなってて、死後の世界に見えてならなかった。

てゆか、今日見た諸戸がこわくてこわくて、ずっとすごいこわくて。諸戸の亡霊みがやばかった。成仏してない霊感

初見は王子様のような諸戸だったのに、何が変わった? 私が変わった?

『私』と諸戸は二人で一緒に過去を振り返る。

諸戸との最初の決別、夜の告白の時、聞いてる時の『私』はものすごく悲しそうな切なく美しい顔をする。嫌悪の色ではない。

『私』は諸戸に「性愛には応えられないけれど一緒に遊んだりした友情には感謝しているし君もそれを喜んでいるように見えた」的なことを言うのだけど、これ少なくとも2回目撃している。隠喩だったかそのままだったか…どこだっけ思い出せない丈五郎と道雄だっけ…? すごいつらい。

あのね『私』と『箕浦』が互いに演じた《わたし》と《みのうら》、《わたし》は未来をすべて知っているようで(諸戸の死を含む)、《みのうら》は生きてるからすごく生命力のある反応をする。『私』が《みのうら》になって井戸出たときなんて、それまでとのギャップちょっとびっくりした。

ここで振り返ったのは過去から未来ではないけれど、どうにも諸戸から時間を感じない。(ミスリーみあるけど)

似てきたなと私が感じたのは、この冒頭の『私』と諸戸、諸戸親子、諸戸と吉ちゃん。親子はアフタートークでも言われていたけど…というかあの世界は「諸戸と簑浦に関すること以外すべてカット」されているので、全部が諸戸であり簑浦であってくるしくて無理。常にライフ削ってくる。

大人になってから。『箕浦』は「ここからは僕が」と言って登場する。おかしい。どうして語り部の語る内容にキャラクターが介入できる?

から私は、ああこれは『演劇なのだな、と気付く。原作では簑浦が口頭でこの物語を語ってくれるのだっけ?それとも小説? ここではその語り口が『演劇なのだと。

箕浦』は『私』が初代に渡そうとした指輪意気揚々と奪ってくる。《みのうら》演じている『箕浦』は本当に生命力に溢れてる。

嗚呼だめだ寝落ちたらもう思い出せない…『箕浦』だけは「諸戸と簑浦に関すること」が何もない存在だったようにも思えてくるけど、もう私の記憶証人として使えなくなってしまった。

『私』は決して初代を「美しい」と言わなかった。まわりくどく魅力を説明する。その形容自体違和感は無いが、乱歩が連載初期から意図的言語を使っていたのなら、初代を「美しい」と表現しないのは変だ。簑浦にとっての初代の価値が軽すぎる。

箕浦』は何についても「美しい」と言わなかった。やはり簑浦は矛盾や歪さを抱えていないか? それを『私』と『箕浦』で同時成立させていないか。『私』と『箕浦』は別々の役割をもった役者

初代は証言する。正面を向いて淡々と切々と語る。あれは諸戸のことではなかったかしら。初代だけに存在する追加情報の時だけ『箕浦』を見て『箕浦』に話しかけてやいなかったか

『私』のかんばせが本当に何の欠点も無いようなほど美しく、そしてとても表情豊かで観客をガンガン見てくる。目が合うとかじゃなくて、観客の目を見てくる。後方でも目を見てくる。つまり語りかけ度がぱない。あいつはメッセージを発している。

対して『箕浦からはそんな様子を受けない。《わたし》を演じる時間が短いからかもしれないし、セリフが少ないせいかもしれないし、ずっと座っているから私の座席位置がかすらずそう見えなかっただけかもしれない。

いや、ほかの『役者』もそうだった。わざわざ観客の目を見てきたりしない。あれは『私』だけだ。

箕浦』はハッキリと「ぼくは幸せだよ」と胸を張って言う。

(正確な表現を思い出せない…2時間以上の空間を丸暗記してそれを体験した自分心理思考記憶して寝落ちリセット回避はこのセリフ量だと流石に無理ゲー過ぎ…でも記録に残すならちゃんとしたい…)

初代が亡くなった時に現場での出来事にしっかり対応していたのは『私』。泣き崩れてずっと耐えているのが『箕浦』。

深山木を訪ねてからは、未来を知っている《わたし》役の『私』は度々悔しそう・つらそう・悲しそうな表情をする。

『私』には彼を救えないから? ねぇ、これ『私』にもそういった感情がちゃんとある描写だよ。

初代と深山木さんを亡くしてから場面転換の際にオープニング曲しか聞こえない音楽が入る。唸りをあげて悶絶する『箕浦』。あ、ここ襲いかかる諸戸の唸りと重なる。

諸戸に関係ないところでも、疑心暗鬼セリフはすべて『私』が言っていたように思ったけど…いやこれは断言して大丈夫では。

しかし確実に《みのうら》の口から「諸戸を疑っている」主旨の言葉が出たときは『箕浦』が発言するし、

諸戸から「君は疑っているんじゃないのかい」といった疑心暗鬼を抱いている主旨の言葉が出たときに対面しているのは『私』と、徹底していた。

諸戸と『箕浦』が家で初めて会話している時、諸戸を見つめる『私』がくそやばい。愛憎ぶちこんだ流し目破壊力軽蔑目線でもあっただろうか?嗚呼ほんと駄目だ脳がリセットされて正確に思い出せない!

ああ、でもここで諸戸を見つめる『私』は、『私』を見つめる諸戸に似ている。それは性愛を込めた時じゃなくて島で秀ちゃんに夢中になってる『私』を見ている時のそれ。

子ども残酷」って諸戸が説明したとき、めちゃくちゃ学生時代の簑浦思い出した。

しかし諸戸の話題が《みのうら》への愛についてから事件推理パートに移ってからはクソつまんなそうに家ん中ブラブラして諸戸の推理聞き流してる風に壺にしなだれかかってる『私』だるえろかわい過ぎだった。「ねぇ~まだぁ~?」してる子猫ちゃんかよ。たぶん唯一私が萌えれて心を緩められたシーン。

ずっと『私』は推理パートつまんなそうにしていたのかなと思いきや、だるえろかわいいのあそこだけで、曲技団に刑事と行った時とか身を乗り出して聞いていた。

いや、あれは『箕浦』の代わりに演じていたのか?

あそこ本当に諸戸が『箕浦』のことを狙っていた。すごくこわい。じわじわ距離詰めてくる。こわい。あれなんであそこにそんな描写入れたんだろう。あの時の話題は何だっけ…おとっつぁんについて?

深山木からの荷物を受け取るのはこの後だったかしら。

秀ちゃんの手記。まじつらい。ぜんぶ諸戸と簑浦の話でつらい。

ぜんぶ諸戸と簑浦の話であるから、『手記の秀ちゃん』に母親が居ないから、この舞台での諸戸にも母親が居なかった。(正確に言うと丈五郎母親の話をするが、諸戸は母親の話を一切しない)

原作未読であるので自分確認できないのだが、諸戸が母親について告白する場面はそんなにカット必要位置にあるのだろうか?

諸戸が母親から性的虐待を受け、それによって女性嫌悪感を持ち女性は愛せなくなったこと。親から愛情が与えられず性行為でだけ情を向けられたから、諸戸が簑浦へ向ける愛情性愛以外の多様さをみせられないこと。これらは諸戸の歪な愛を単なる超自我とイドのせめぎあいにさせず、諸戸が『かたわ』と比喩できる大きな理由となっていると思う。

それがカットされたというのはものすごく重大なのではないか

ここにある諸戸は性的虐待を受けていない世界線の諸戸?

手記の後に諸戸がどちらと会話をしていたか覚えていない…記憶の砂が零れ落ちていくの恐ろしい…

おそらく『箕浦』と話している? 系図帳から暗号見つけるのはここか?

島へ行く途中の列車?船?の中、諸戸が「疑っている?」と問いただすのは『私』で、その話題が終わるとすぐに『箕浦』に入れ替わる。

だめだここですべきは事実の羅列ではなく印象という目撃証言を残すことだ。

島に着いた夜。寝ていた『私』と『箕浦』。『私』だけが起き上がり、秀ちゃんと出会う。

そこに現れる諸戸。

私はここにめっちゃ違和感感じて、それまでの流れでやっぱり諸戸も登場人物なのかな…って思ってた気持ちが吹っ飛んだ。なんでここに諸戸が居るの?って思った。『私』と同じ次元存在から

で、原作既読の友人に確認してもらったら、原作ではここに諸戸は居ないししばらく諸戸と合流しないって……

それから呑気に毬遊びをする『私』と『箕浦』を見て、ここでも彼らは『役者』として並列であるめっちゃ感じた。対話をすることはあっても、物理的に直接交流するシーンはここが…あ、いや初代の指輪を奪ったね。そことここだけのはず。二人存在しないとできない行為から

まだ全然考察とか感想にまで至れていないけど、直感だけの変な話しだけど、

諸戸と『私』が同列であることと、『私』と『箕浦』が並列であることは、次元が違っているのですよ。だから諸戸と『箕浦』は同列ではない。

あ、それが《わたし》と『私』か。

わたし》と諸戸は同列。『私』と『箕浦』は並列に役者

五郎に帰れと言われてから、諸戸を助ける決心をして、諸戸からメッセージを受け取っているところも、井戸の中も、『箕浦』はずーっと冒険譚の主人公だった。キラキラクワク輝いていた。秀ちゃんへの恋とか初代の復讐とか諸戸への心配とかじゃなくて、冒険に夢中だった。

諸戸からメッセージを読むのは『私』で、あいつまた俺に変な気を起こしそうでいやだわ~的な愚痴をこぼし、『箕浦』もそれに乗っかる。「同性愛理解できない」ってまた言う。「頭では理解してるけど全然わかんねー」って言うのはどこだっけ。いやほんとに『箕浦』には友情以外まったく無い。微塵もない。清々しいほどに無い。脈ナシにも程がある。

前述した「諸戸も登場人物なのかな…って」考えに変化しかけたのは、同じく前述の事情聴取のシーンで《みのうら》を演じる『箕浦』をそれこそ蛇のような視線で諸戸が見つめていたから。スポットライトの当たらないところで。その時『私』はスポットライトの中で刑事事情聴取を聞き入っている。(時系列ぐちゃってごめん。でも記憶が蘇ったものをとにかく書いて残す)

ひえええあんな完全無欠の究極ノンケみたいな『箕浦』に言い寄っても絶対無理だよ諸戸なんで気付かないんだよ異常だろ…ってぐらい怖かった。対してワンチャンありそうに見えるのは『私』。否定してるんだけどなんか匂ってならない。なんか否定だけを信じられない。

あれか? 「『好き』の反対は『嫌い』じゃなくて『無関心』」ってやつか?

(初見感想で書いた「《みのうら》も実は諸戸を愛していたのではないか?という容疑が浮かんでならない」のは、完全に『私』のせい。これは初見からそう。私はこれを初見で「諸戸カンチガイ乙‼」みたいに感じていたから、こいつは諸戸の疑心暗鬼が見せる簑浦だなと思っていた。)

諸戸は『私』を探しさまようラブファントムなのかと思っていたけど、全然《みのうら》演じてる『箕浦』も狙ってくる。

『私』と『箕浦』はだいたい一緒に舞台上に居るんだけど、諸戸が《みのうら》よりも『私』を優先して見つめたのは、

  • 箕浦』演じる《みのうら》が諸戸の手を握り返さなかった時
  • 箕浦』が寝ているところを抜け出して『私』が秀ちゃんと出会った時
  • 井戸の中で『私』に「嫉妬している?」と問いかけられた時

諸戸は簑浦を探しさまようラブファントムという印象に落ち着く。

水責めから『私』はもがき出す。水喰らって噎せるし《みのうら》と諸戸に水ぶっかける。

序章でも鬼との出会いを思い出してる時に喉を掻くから原作にも白髪化がいつか描写されてないそうだし諸戸生理的拒否られてない可能ワンチャン…!?って一瞬思った。違った。

箕浦』ずっと脅えていて本当にかわいそう。諸戸に抱き締められてもノンケ過ぎて嫌悪感すら無い様でだだ死の恐怖に脅えている。…って、そうだ。『箕浦』は諸戸の性愛嫌悪感すら返していないわ。性愛なんてもの存在しないようにしか見えない。

ホモフォビア過ぎて逆に男性とキャッキャする現象」が何か科学的に存在しているのですか?(そんな感想を見かけた。)気になるので詳しい方に教えていただきたい。

そーいや江戸川乱歩同性愛を「研究」していたんだよねえ…

それまで『箕浦』を抱きしめて必死告白していた諸戸(この時の諸戸何故か記憶してない。零れ落ちた感覚もない)が、『私』に「嫉妬している?」と問いかけられた瞬間、逆鱗に触れられたように(地雷ぶち抜かれたみたいに)目を見開いて、そのまま『箕浦から手を離し、表情も目線も変えず亡霊というか亡者みたいにゆらぁりと『私』の方に移動していき、「ああ、嫉妬している」と答える。

これほんとめっちゃこわい。ラブファントムこわい。ホラーフィクションでよくある悪霊に追いかけられていたのが御札を持った瞬間にこちらが相手から見えなくなってあっさり追いかけられなくなる・あるいは逆に結界崩壊してそれまで見向きもしなかった悪魔が突然こちらに向かってくる、あれ。完全にあれでこわい。ほんとこわい。

諸戸を否定して死んでたまるかと逃げ出す『私』。諸戸は唸り雄叫びを上げてから『私』を追いかけたっけ?

確かここ最前列目の前に諸戸が来たのに私は目をそらしてしまった。それまでずっと三人の内をを覗きこんでいたけど、目の合うところに居る諸戸の瞳を覗きこむことはできなかった。

そして遂に『私』を捕まえた諸戸。手を掴み上げ触る。

なんというかね、性的意図をもって犯そうとする時って、例えば、頬を触る(唇を奪おうとする脅迫)、腿を撫で上げる(局部に侵入しようとする脅迫)、みたいな仕草がイメージやすいんだけど。諸戸は手なんだよね。いや、手を撫でられるのも十分性的な接触になりえるし、手を撫でてくる痴漢とかクソ質悪いと思うんだけど(あれって痴漢に該当するの?冤罪増えそうだから流石に法的には該当しなさそうだよね?まじきもい腹立つ)、もっと分かりやすセクシャル表現にしても良かっただろうに、なぜしなかったのか。手なのか。

同じ手でも手を舐めるとか頬擦りするとか自分身体に触れさせるとか、方法はいろいろあるのに。

あ、そうだ。秀ちゃんは吉ちゃんの手を取って自分の胸に触れさせていた。超嫌がってたけどあれは同じ手の使用でも犯されている感がわかりやすい。

あえて手であることがわかりやすいのなら、それは何か。

井戸の中での死についてのくだりも、秀ちゃんの手記で隠喩されたまんまでほんとつらい。もう死んでしまいたいという諸戸の叫び

そうだここ『箕浦』も死んでしまいたいと絶望して挫折して復唱していたのに、『私』が水を挿したんだよね…亡霊を呼び起こしてしまった。

諸戸が嫉妬していることを認めたのが、《みのうら》と秀ちゃんが結ばれてしまうかもしれないことについてなのか。(そう明言してた気もするけど)

それとも「本当はかたわものではなく、簡単な手術で醜い自分を切り離すことができること」なのか。

醜い自分を殺したいけど、殺したらきっと自分も死んでしまうと思ってる諸戸…まじ…

助六さんに「生きたくなかったの?」って聞かれた時に、「世間に顔向けできない」と言った諸戸まじ魂抜けてた。心ここに在らず。ライフが0。助六さんに心の内を回答する必要いか大正解しかしイドの超自我破壊自我乗っ取りを止められなかったことは、この時の諸戸の回答もあながち嘘じゃないなと。

あれ?と言うか水嵩が増さなくなったって表現、昨日あったっけ?

私は水嵩が増さなくなったことを知ってるから、初見ではセリフがあったはず。

『私』と襲いかかる諸戸の図を見ている『箕浦』の表情は、「死者を冒涜せぬよう省略」と『箕浦』が言った場面しか見えなかった。

と言うかこのセリフ初見では聞き逃してたかテラびっくりしたんだけど!

【今】はいつだよ!?って疑問が再浮上した。

初見のとき、序章で『私』が「なお、現在では差別用語となる言葉が登場するが、当時のなんちゃらを変えないためそのまま使用します」云々言ってて、「えっ!?『現在』っていつ!?『当時』っていつ!? 『私』が執筆したとき? 乱歩執筆した時? 私が観劇している今? ねえあなたは『いつの人』なの!?」って、超混乱した。

やっぱ諸戸亡霊なのかあああ??????って。

まだ決めていない。

少なくとも、丈五郎を目にした諸戸や、井戸を出た時の諸戸は、『登場人物の諸戸』だったから。

それにしても《みのうら》になった『私』の生命力

佐藤さんの『私』は表情がくるくる変わるしよく動くし観客の目をガン見してきて語りかけ度がぱないけど、アクティブなのにどうにも《わたし》の時は幽霊っぽかったの間違いじゃなかったんだな。ってめちゃ思うぐらい「生きてるかどうか」がなんか明確に違うんだけど。演技力?すごない?やばない?

わたし》になった『箕浦』と、《みのうら》になった『私』も言葉を交わす。「語り忘れたことあるかな?」

ラストは『箕浦』が読んで、『私』が諸戸の訃報を初めて知ったような顔をしている。井戸で《わたし》役になってからの『箕浦』は、諸戸が鬼籍であることを既に知っていた。

箕浦』はあまり『私』も諸戸も見ない。助六さんと井戸脱出しようとした時から、『箕浦』は正面向いてどっしり座って痛ましそうな顔をしている。あれ…顔背けてるのかな…

座ってラストを読んだあと、やって来て『私』に手を伸ばす諸戸の手を宥めるように下ろさせる。

ああそうだ、『箕浦』に向き直った諸戸の表情は見えなかった。

そしてこの物語の語り部は諸戸を憐れにも思っていると序章で明言している。

諸戸の訃報を握り潰すところ。あれね《みのうら》の憎悪というよりも、醜い半身へのやりきれない憎しみに見えた。悔し泣きみたいに表情を潰すところは正直感情が読めなかったよ。ある意味復讐燃えていた『箕浦』の様子にも近かった。

今回は推理するために三人をずっとガン見するつもりでいたけど最前列譲っていただけたのでピクセルに余裕できて他の演者さんもかなりしっかり拝見できた。

2017-02-03

とあるアラサーゲイの呟き

とあるアラサーゲイの呟き

自分都内アラサーゲイ。去年発達障害(adhd)と診断名がついた。セクシャルかつ障害面でも診断され、いわゆるダブルマイノリティ。この世にLGBTの仲間が7パーセントいるとデータがあるけど、自分は何パーセントになるんだろう?

でも、仕事面では周りにサポートも得ているし、そんなにハンディーにはなってない。

何より辛い、苦しいのは今までストレートで過ごしてきた時の学生時代友達が年齢につれて結婚して子供を持ち、幸せな家庭を築いていること。人間としてそれが繰り返されてきた歴史だけど、自分にはできない。

先週、中学時代片想いしていた男の子から出張東京に来るから良かったらご飯でも食べようと連絡をもらった。

自分は転校してきたばかりの中、彼はアイドルのようにキラキラしていて周りからも好かれていて自分にとっても仲良くなりたいと思える人だった。思春期だった頃、友達になりたい気持ちが決して叶わぬ片想いだったのは今でも覚えてる。

数年前、彼から久しぶりに連絡があった。結婚式の招待状を送りたいから住所を教えてくれとのことだった。喜んで自分は彼の結婚式に参加したし、披露宴の間は喜ばしい気持ちと彼の奥さんになる人が羨ましいなという羨望の気持ちで揺れていた。

あんた達は知り合って数年で結婚したんだろうけど、こっちの付き合ってる、知り合ってる時間10年以上なんだから負けてねぇよ、と心のどこかで思ってた。

ゲイのようなセクシャルマイノリティーがノンケ、いわゆるストレートの人に恋心を抱くのはNGだとこちらの業界では呼ばれてる。相手迷惑をかけることは勿論、決して叶わぬ恋だし一番傷つくのは自分自身から

気付かぬうちにその彼には一歳になる娘さんがいるそうだ。少し前に会った時は15年経っても変わらずキラキラ人懐っこい彼と話したことを思い出し、人柄は変わらなくても人生ステップは歩んでるんだなと心のどこかで感じた。

Facebook結婚報告や子供が生まれタイムラインが今でも周りで続いてるけど、いつのからかその投稿非表示にするようになった。機械的Facebookアンケートはなぜその投稿を嫌うのですか?と私に問う。

答えは簡単かつシンプル

選択肢にあった見てて不快だったから、と選んだけど本当は自分気持ちが惨めになるから、というのが理由。また、羨ましいからなんて選択肢SNSには無いもんね。

彼だけでなく、今まで恋心を寄せていたストレートの人が結婚、つまり巣立って行くたびに寂しさで苛まれてたけど、それももう今は慣れてきた。

ゲイ恋愛は浅く寂しい。体目的で一晩体の関係を持って連絡が絶えることもザラだし、アプリでイケる人がいては一喜一憂毎日。カマ口調で話して週末の夜をバーで盛り上げてるのは、ある意味慰め合いにも聞こえる。

でも、生まれつきのものだし病気でも無いのだから、本当の自分をいい加減受け入れて、素直に生きなきゃダメだというのはわかってる。

でも心の底では愛し合った人と結ばれていっしょに暮らし、その結晶である子供が生まれ家族になるという事が本当に羨ましい。できる事なら自分普通にまれたかった。

カミングアウトすらしてないのに、親から結婚は期待してないと言われたのはいつだったろう?ごめんね、親不孝で。でも、元気なうちは両親ともずっとそばに居たい。

自分が人とは違う、と気付いた時点で強くならなきゃダメだと悟った。どんな幸せ投稿、やり取りがあって勝手一喜一憂して傷ついても明日は来る。

どう思って何を考えて居ても明日は来る。

自分にとっての幸せは何だろう?といつもふとした時に考えてしまう。

とにかく誇れるものを作ろう。

他の人には負けない何かを。

明日も頑張って前を向いて生きていくしか無いよね。

2017-01-30

なでしこやまとの同性愛差別 本人はそれを差別だと自覚していない件

“息を吸うように交わされるホモ行為。もう男同士で手を繋いだりハグをしたり顔を近付けたりは日常茶飯事で、最初は「これユーリやなくて、ホーモやないかーい!」と陽気なツッコミエンジョイしていた自分も、回を重ねるごとに露骨になっていく描写に耐えきれなくなり、10話でエンゲージリング見立てペアリングを贈って疑似結婚式を始めたところで、完全にドン引きしました。このシーン、今思い出してもめちゃくちゃ気持ち悪かったです。

こうやって「気持ち悪い」とはっきり述べてしまうと、私はLGBT否定論者の差別主義者だと受け取られるかもしれません。しかし、私はゲイのもの拒絶反応を感じているのではなく、ゲイではないくせに(認めていないくせに)ゲイを気取っている男どもが気持ち悪いと感じただけ。そう、これだけ勇利とヴィクトルの2人は同性愛を匂わせていながら、互いがゲイであることに一切言及しないのが問題なんですよ!

断言できますが、もし勇利がヴィクトルのことを真剣に愛した上で指輪を贈っていたのなら、私は気持ちさなど微塵も感じることなく、2人のことを祝福していました。セクシャルマイノリティであろうと、周囲に何ら引け目を感じることなく、実直に求愛できるのは大変麗しいこと。でも、勇利がヴィクトル指輪を贈った理由には、「お守りだから」「お礼だから」という苦しい言い訳が入り、これだけ直接的な行為に及んでいながら、2人がゲイである事実から頑なに目を背けようとするから腹立たしくて。

10放送後、作者の久保ミツロウさんはTwitterで「この作品現実の皆さんがどのように思われても、この作品世界の中では絶対に何かを好きになることで差別されたりはしないです。その世界だけは絶対に守ります。」と、差別主義者には屈しない! というスタンス反論されていましたけど、作中でゲイであることを認めていないからとても滑稽に聞こえます

本当にこの世界が、あらゆる愛情のカタチに差別が入り込まない世界であるなら、「その世界だけは絶対に守ります」と豪語するなら、どうして彼らはゲイであることをはっきり認めようとしないのでしょうか? 同性愛肯定しながら、一方で師弟愛や友情隠れ蓑にしてゲイである事実を誤魔化そうとするやり口は、とても卑劣で悪辣だと私は思いますゲイに対して不誠実ですし、これこそ差別です。

結局、本音ではホモを匂わせて腐女子釣りたいだけのくせして、差別がどうのこうのを持ち出して正当化させようとするから気持ち悪さを感じるのですよ。ユーリ!!! on ICEという素晴らしいアニメに対し、私はただひたすら絶賛だけがたかったのに、こんなくだらないことに長文を割かなくてはならないのが何よりも残念です。“ttp://ndsk.net/anime/yurionice.html

本人はこれを差別だと自覚していないようですが、なぜ勇利らが「ゲイであることを認めなければいけないのか考えが足りなすぎるのでは

そもそも恋愛性愛について「同性愛」「異性愛」「両性愛」「汎性愛」「全性愛」「無性愛」「ホモフレキシブル」「クエスチョニング」「ポモセクシャル」「ポリセクシャル」「バイキュリアス」「デミセクシャル」「オブジェクトゥムセクシャル」、、、、、と数限りない愛の形があるのに勝生勇利とヴィクトル自分たちを「ゲイ」と認めなければいけないのかよくわからない

5話で

【僕の愛。それはわかりやすい愛や恋ではなくて、ヴィクトルとの絆や家族地元に対する微妙気持ち ようやく自分の周りにある愛のような物に気付く事ができました。はじめて自分でつなぎ留めたいと思いたい人、それがヴィクトルです その感情名前はないけど、あえて愛と呼ぶことにしました】

彼の気持ちは「既存の愛ではない」と語られているのに、浅生大和(あそうやまと)氏はゲイゲイじゃないかというふうにしか二人の関係を考えられないってこと?

氏が引用している久保ミツロウ氏のツイートにしたって

【この作品現実の皆さんがどのように思われても、この作品世界の中では絶対に何かを好きになることで差別されたりはしないです。その世界だけは絶対に守ります。】

これについて

【と、差別主義者には屈しない! というスタンス反論されていましたけど、作中でゲイであることを認めていないからとても滑稽に聞こえます。本当にこの世界が、あらゆる愛情のカタチに差別が入り込まない世界であるなら、「その世界だけは絶対に守ります」と豪語するなら、どうして彼らはゲイであることをはっきり認めようとしないのでしょうか? 同性愛肯定しながら、一方で師弟愛や友情隠れ蓑にしてゲイである事実を誤魔化そうとするやり口は、とても卑劣で悪辣だと私は思いますゲイに対して不誠実ですし、これこそ差別です。】

一体どう解釈すればこのような文章を書けるのか疑問。てかホモゲイと書いている時点で立派な差別なんだがな、、、

同性愛について見識深いみやきち (id:miyakichi) さんの意見も伺いたい

2017-01-21

anond:20170121201929

障碍というよりかは、花粉症に例えてみてください。

アレルギーがひどいと生産性落ちるじゃないですか。

人によっても症状の重さは違うし、生産性を落とさないようにする薬代もバカにならない。

でも根本的に治療することは難しいみたいな。

そう考えると、生産性が落ちるからって

給与を低くすればいいっていうのはちょっと違うのかなと思いますが。


花粉症と違うのはセクシャル問題があるから公にしにくいっていうのが問題なのでしょうか。

いくら職場雰囲気が良くてもさすがに言いづらいでしょ。。。

2017-01-19

11歳の哲学者

の本が売れてるらしいが、

これこそ児童ポルノなんじゃないかと。

ここでいうポルノセクシャルなという意味ではない。

2016-12-13

チークが濃い時

後輩や同僚はカジュアルに褒めたい。

セクシャルなことを褒めるのは失礼だと言われても、髪型が変わった時、セーターが可愛い時、靴がオシャレな時はバンバン褒めたい。

でもチークが濃い時だけは気を使う。

ひょっとしたら触れられたくない事情によるものかもしれない。

2016-12-05

同性愛には、死の匂いが付き纏う

マイナーセクシャル不倫、認められない恋愛

死は生の幻想である

生はこの瞬間の幻想である

影を見てその形を見るかのように

2016-10-19

ピューリタンなき国のピューリタニズム

 最近公共の場における(いわゆる)萌え絵についての議論が盛んだ。

 風潮として議論がもりあがってる背景は主に三つあると思う。


 一、日本でも一般レベルフェミニズム意識されるようなり、ああいのものが「女性に対する抑圧」である認知されるようになったため。

 二、特に twitterマイノリティの声(とそれに対するバックラッシュ)が広まりやすくなったため。

 三、もともとセクシャル画像で溢れているお国柄。


 日本特殊で、かつ問題を一番ややこしくしているのは三だ。

 欧米なんかではそもそも歴史を通じて公共の場性的イメージがあまり氾濫してこなかった。

 なぜかといえば、キリスト教性愛セクシャルものに対してとても潔癖な宗教で、そういうものを基盤に文化を作ってきた人たちはそもそも「えっちな絵を描いてそれを世間に出しちゃいけないんだ」と自制が働いていた。フリーセックス時代を経てさえそうだった。エロ文化がないではなかったが、それはあくまで秘すべきものだった。

 だからラリー・フリントというおじさんが高級誌気取ってる『プレイボーイ』につばはいてお下劣エロ雑誌を創刊したときは大変な大問題になって、「表現の自由」論争が沸き起こった。


 そこへきて日本他力本願宗教の国だからエロを抑えるのはお坊さんに任せていればいい。

 嫌悪するにしろ称揚するにしろ庶民エロに対する政治的な定見など持ってない。

 西洋エロ絵に対する嫌悪には良くも悪くも宗教的な裏打ちがある。だから保守勢力マジョリティ)を説得しやすいし、そのためにエロ擁護派はカウンターカルチャー側に位置していきた。

 日本人にはエロ絵の感情に対する何のバックボーンもない。ただ、「その人がえっちなのを嫌悪している」か「その人がえっちなのを好き」か、それだけだ。完全に感覚。だから、互いに互いを説得しにくい。嫌悪側はフェミニズム議論を援用して、擁護側は70年代的なフラット表現の自由標榜して、それぞれぶつかりあうが、そのどちらも西洋から輸入品で、結局は自分感性へのお仕着せでしかない。


 宗教は無根拠であるけれど、それ自体がなぜか強力な根拠となりうる不思議な道具だ。

 こういう方面文化は、結局ロジックよりそうした宗教的文化の気分の勝負になるんだと思う。

 キリスト教国家性的規範が強烈に強いか規制が働く。

 日本はなんとなくのアニミズム自然っていいよね=セックスって自然だよね=セックスで溢れてて何が悪い? という土壌が保存される。

 事実これまではそうなってきた。


 性的イメージがこれほど突出してしまった国は他にない。

 裏を返せば、ここに至るまで揺り戻そうとする力があまり働かなかった。

 実は文化の隆盛を決定づける大きな要因は政府と法だ。法で規制されると文化は意外にもろい。

 政教分離を謳われながら、キリスト教団体は古くから西洋国家の主要なロビイング団体であったわけで、政府としてはそういう人たちの意をくまねばいけなかった。ただしい清い方向にふらないといけなかった。

 もちろん日本にも宗教団体を背景とする政治団体やロビイ団体がいくつか存在するけど、それらはあまり庶民の性規範にあまり興味を持たない。

 日本の不幸(あるいは幸福)は、その性的放縦を増幅させるだけの表象文化レベルの高さを持ってしまったことになる。

 この世をエロ絵でうめつくす土壌と技術を兼ね備えた国は歴史上、まだ日本以外に登場していない。


 これから日本規範や法がどういう方向へ動くのかはまだわからないけれど、あと四五年は肌感覚disったり擁護したりみたいな実のない喧嘩が続くんだと思う。実のない喧嘩自体は悪いことじゃない。そうやって問題認知され、議論の場が醸成されていくのだから

2016-10-18

公的な場におけるイラストセクシャル認定についての話

まぁ、毎度毎度話題になってるけど、あれは大衆認識としてどちらの勢力が多いか

しかないので吹き上がってもしょうがない。

気持ちわからんでもないけど。

スカートのしわが多いのをエロ認定するのも個人主観問題しかない。

麻痺しすぎ」って言ってる側も個人主観しかないところはしっかり押さえておこう。

最近の若年層見てるとあれを「エロイ認識しない」人は増えてるかんじするし。


この点がエロイ

という指摘はやりすぎるとイスラム原理主義国家化するので指摘するほうも気をつけてもらいたい。

とそれぐらいかな。

あれもエロイこれもエロイだとそのうち女性ヒジャブかぶることになる。

揶揄ではなくてまじめな指摘ね。


エロクない系の到達点はフランス

エロイと指摘してる人の究極はイスラム


個人的にはどっちも嫌なのでまぁほどほどに。

2016-09-13

http://anond.hatelabo.jp/20160912210509

ほんとにな。元増田アニメの話限定じゃないかもだけど。

外っ面だけで判断して得意げに切り捨てる人間ネットには多すぎる。

その勿体無さ、残念っぷりに気づいてほしいから、そういう評をしたくなる。

まあ最近は、アニメ制作側もそれを感じ取ってるから

一見すると軟派でオタクに寄り添った保守的作風みえて、

中身は社会派だったり、リベラルモダン感性を描いたりする。

そういう実は意識高い示唆深い良作だったりする事が最近作品には多い。

ヒットしてる作品もだいたいは、

そういう普遍的な良さを備えてるから、老若男女に受けてたりするわけで。

個人的には、こうした「萌え」見下しを逆手にとった作品性の潮流は

まどマギ成功が端緒を開いて、ラブライブが一つの完成形を見せたように思える。

これは、根暗オタク絶滅していって社交的な若いオタクが増え始め、

情報ツールの発展も相まってカジュアルに感動を共有する時代になったことと

少なからず連動していて、そういう時代適応した結果だと思うね。

で、今その傾向をよく捉えたためにヒットしてるのが、君の名は。

宮崎アニメや細田アニメほどファミリー向けではなく、

どちらかと言えば深夜アニメ的なセクシャルさも残しながら、

決して嫌らしい下品な感じにはせず、男女どちらにも嫌われないラインを守る。

その上で誰もが感動できる物語演出する。一種リア充バランス感覚

まさに今時のセンスだと思うね、「男女両方に好かれる」ってのは。

2016-08-16

幼稚園の頃、スカートめくりの標的になったから、「幼児ならエロい目で見てない」なんて信じない

小学生男子を女湯に連れてこないでほしい話で、自分元増田感情的共感しまくったんだけど、否定的ブコメにも人気があった。

それで、なんで自分はこんなに「小学生男子が女湯に入ってくるのが生理的に無理!」だと思ったのかを考えてて、先日プチ炎上していた朝日新聞壇蜜相談のやつを思い出した。

あれも、壇蜜の回答の何が気に入らないのか分からないとか、現実的ないなし方を教えてるだけだとかいう反応があって、それらを見た時に、

自分子供の頃に学校先生母親にさんざん言われてきた「**くんはあなたのことが好きだからやっちゃうんだから、許してあげなさい」という呪い言葉を思い出し、本当に嫌な気持ちになった。

こちらには、スカートめくりかばんに青虫乗っけられることが「好意」だとは伝わってないし、大人たちは馬鹿ガキに対して伝え方の下手さを叱ることもせずに、私に対しては暴力を振るってくる人間を許せと言う理不尽

そういう男児(クソガキ)からの、セクシャルものを含む暴力は、自分についていえば、幼稚園に入る前ぐらいからすでにあって、小学生まで間断的に被害にあってきた。

なので、個人的には、温泉なんかで出会男児については、幼稚園ぐらいからすでに頭の中にWARNING!という文字が浮かぶ。

だって過去、実際に幼稚園児の馬鹿ガキに性的いじめられてきたんだから、本当に嫌で嫌でしょうがなくて登園拒否だってしたし

小学校では学級会の議題になって、トラウマだってなったんだから。情けないなとは思うが、風呂に入ってくる男児を見るだけで、あの頃の嫌さと怖さが一瞬ふいに思い出されてしまう。

別に問題ない、気にしないようにと我慢しますけどね、もう大人から温泉を楽しみたいしさ。

風呂に入っている男児が、他の入浴客をどういう目で見ているのかは、周りの人たちには分からないでしょ。

何とも思ってないだろうけど、何とも思ってる子だっているかもしれない。どっちなのか誰にも分からない。

我が子がエロガキかどうかなんて、実際のところは連れてきている親にだってからないだろう。

うっかり母親に報告など自ら大声でエロい目で見ている旨を大騒ぎし出す馬鹿は別だが(あの人おっぱい大きいね!とかね。まれではあるがこういうクソガキはいる)。

自分は、幼稚園の送迎バスの中でもスカートめくりされたりするようなクソガキに困らされた経験があるので、幼稚園児ならOK、というのも、恣意的よねとしか思えない。

もちろん、現実共同浴場でそういう男児を見つけても、小さい子なんだからしょうがないよね、と思って気にしないようにしてるし、

入ってきた男児がどうにも我慢できないレベルのクソガキだったら、しょうがいからこちらがそそくさと逃げる。クソガキとクソガキの親に腹を立てたってこっちが損するだけだから

でも、親の側が、当然の「子供を守る権利」とか、言っちゃうのは、ばっかじゃねーのお前の子供の権利のためにこっちの権利侵害されてんだよ、と言いたくなる。

こっちにも権利あんから譲り合ってよ、たまには引いて家族風呂入ってよ。

入浴中目を離せない子供だったら同性の保護者なしにパブリックな浴場に連れてくるの無理があるでしょ。

と、リアルでは言わないで我慢してるけど、内心は思う。

だってあなたかわいい息子が、私にとってはただのしつけの悪いエロクソガキじゃないことは、「まだ」証明されてないから信用できない。

おまけに、たまに見かける、このクソガキ…と思うような男児の親のほぼ100%、注意しないんだよ。だから逃げるんだけど。

女湯に連れてこられてる男児が悪いと言っているんじゃなくて、デリカシーがないというか周囲の配慮がない親の方に、問題があるんだよね。

一人では風呂に入れるの心配なら、家族風呂を使おうよ。

もうちょっと大きくなって分別が付いて一人で風呂に入れるようになってからだって温泉共同浴場も逃げないよ。

話はちょっと変わるが、そのように性的いじめられたのって、上に書いたように小学生のころぐらいまでなんだ。

中学入ってすぐに「ああ、もうああいうクソガキに怯えなくていいんだ」と気が付いた。

中学校に入ると、多くの男子リアルに色気づいてくるからかもしれないが、女子に向かって気持ち悪い嫌がらせ

スカートめくり生理の日当てや物を取られたり隠されて見せびらかされたり)をしても、ひとつモテないどころか蛇蝎のごとく嫌われることに、

気づく子は気付くんだろうと思う。

そうやって、クソガキからエロ暴力は、奴らが色気づくころにはパタッとなくなった。まぁその頃にはすでにモテ非モテが分かれてるから、手遅れ。

そうやってパワーバランスが変わった瞬間はすごく鮮明に覚えている。

幼稚園の時からずっと付きまとわれてた近所のエロガキいじめっ子は、中学に入ってから不登校になった。

中学に入ってからも、私にしてたように同級生エロいじめを仕掛けて総スカンを食らったらしい。あんなに嫌だって何万回も言ったのに、

担任教師や双方の親、周りの大人は誰も深刻には受け取ってくれなかった。自分母親ですら。

エロガキクソガキが不登校になろうが、正直、ざまーみろばーか、としか思わないけれど、一方で、

「**君はあなたのこと好きなのよ」とか「元気でよろしい」とか無責任なこと言ってた大人が、クソガキにきちんと社会的な線引きを教えてたら

不登校にはならなかったんじゃないのかなとも、思ったりする。

http://anond.hatelabo.jp/20160815142746

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