はてなキーワード: 誰かのためにとは
おつかれさまです (どのような事に従事されているか存じ上げませんが、一旦それに割り込む形で私が対話者として主体的に関わってよろしいでしょうか?/”こちらから見て”あなたの大事な用はおおきいことであるのでひとしきり労をねぎらわせていただいて)
┗あんたがどれほど疲れてるかなんて知らんがな 格下の私からみたらすごい大変なんやろなって そんなんしたら疲れてまうわと思うけどこっちも用事があるんですんませんけど割り込んでええかって意味
┗「つかれてへんわ」って自分が自分の基準でなんもしてないアピールされても「すごいですね」としか言えんやろがい 自分を語ってくれるんはありがたいけどそんな事はきいてないというか聞いてほしいことがあるって言ってんの
ごくろうさまです (どんな方の何事も誰かのために大切な用でありその価値が自分の世界観からみて重くあるから労をねぎらって)
┗苦労してるかどうかとか人生についての価値観とかは聞いてない 尊重していますよというスタンスからの関係ない話をするけれども敵対的な目線でお聞きするのではないですよというアピール
┗「くろうなんかしてないわ」ってだれもあなたの人生を聞いたりしてへん いきなりちょっと関係ないっぽい話をするけどあくまで社会的な距離感たもつでって事
挨拶で使う場合は「おはようございます」でも同じで、自分がそこにおる/いなくなるを告知する儀を割り込ませるための発言でゆってみたら変数の宣言みたいなもん
いきなり出てきたら「はい!」で帰る時も「はい!」みたいなvarじゃなくてletとかconst使えって話
なんかするとゆうたらおらんなとおもったら「おるよ」とかそういえばおったっけとおもたらもういないみたいなtempな変数みたいな挨拶もせんやつに名前なんかいらんっちゅう話で個人名を「バイトくん」とかにしたらええって話
この度は って一期一会なのに何度もあるんかとか
無事に終わってホッとしているが、同時に「これで良かったのだろうか」と複雑な気持ちになっている。
派遣社員になるまではバリバリ正社員で働いていたので、派遣としての働くのは初めてだった。
「派遣は所詮部外者」というのは理解していたので、目立たず言われたことをキッチリこなすことを心掛けた。
業務内容は少しぼかすが所謂IT系で、過去に少しだけ経験があったため問題はないだろうと思っていた。
ところがいざ就業してみると、一部上場企業のくせに手順書は管理されてないわ資産管理は雑だわで、対応に大変難儀した。
「こんなに管理できてないのか」と驚いた。
他部署の社員からの問い合わせ対応もしたが、そもそも問合せ先間違いであることも少なくなく、
「なんでこっちに聞くん?社員が知らないことを派遣社員が知るわけないだろ舐めてんのか?」と思いながら対応にあたっていた。
ガチャ外れと思い年内で契約終了を伝えたが、もう少しだけ続けることにした。
派遣社員だからといって邪険に扱わず、こちらが分からないことでも丁寧に教えてくれた。
ネットでよく言われる「派遣さん」なんて呼ばれず、ちゃんと名前で呼んでくれた。
派遣先の責任者からは、「ずっと残ってくれ、辞めるなんて言わないでくれ」と言われていた。
今日も見送りの際、「残念だ、残念だ、またいつでも来てくれ」との言葉をいただいた。
もう終わったことなんだが、ホントに辞めて良かったのだろうか。
こんなに良くしてくれた人達を置いて自分を優先してしまって良かったのだろうか。
ぶっちゃけ自分のキャリアなんてもうどうでもよく、仕事を通じて自分が誰かのためになるならそれでいいと思ってる。
派遣先でもそれは達成できていた。
たまたま同居していて、倒れたもんだから俺が面倒見るしかなくなった。
どうしてこんなことになったんだろうか。
次は正社員に戻るが、同僚がいい人たちならどんな環境でも絶対に辞めないと誓った。
もうこんな思いは御免だ。
さっさと忘れて前を向こうと、夕暮れを見ながら思った。
【追記】
残念ながら全部ファクトなんだわ。
自分が派遣元にとってただの商品だってこと理解してるんだよな?
そりゃ派遣元にゃ大切に扱われるだろ
大手の社員だって派遣社員を無碍に扱って恨みを買うわけにもいかねえしよ
良い方に考えすぎだよ
ほんとそれ。
そもそも転職したのは「このままではいい様に使われているだけ」と思ったことがきっかけだった。
それで割り切れればいいんだがね。
社員の人が良すぎて罪悪感が
戸愚呂弟「他の誰かのために120%の吸水ができる…それがお前たちの強さ…」
刺殺された女さんの話か?
男が入れあげていただけなので、男さんを守るのは良くないと思います。
男さんは自分でなんとかするべきであって。端金は人を殺すには最低の理由なので。
防犯意識は分かるけど、「恨みを買うな」や「アスペは一般教室に来るな」は無理だろ。
「恨みを買うな」は逆恨みってのもある。金を搾取したところで「アナタとはお別れです」って言われたら男は下がるべきである。イタリアを見習え。マンマ最強国家だぞ。
「アスペは一般教室に来るな」ってのは極端だが「いじめの原因はソイツが教室に馴染めない/ソイツの存在が教室の常識にそぐってない」ってするなら、ただの「差別」じゃん。
いじめを回避するために、差別を容認する(区別は差別だぞ(笑))ってのは、やりすぎでしょ。
そもそも「アスペくんが私達の日常を圧迫してきますが、それはアスペくんだけではなく、私達も誰かを圧迫しているのですから、受け入れましょう」が正しい着地だろ?
増田はジャップだから「今まで通りの価値観と日常!」を維持したいんだろうけど、アスペもいじめず受け入れよう、ってのが今の世の中なんだから「健常者が我慢しろ」ってのは正解だよ。
合わせられるのは「健常者だけ」なんだから。
ふとした疑問です。世の中には色々な方法でお金を稼いでいる人がいますが、パチプロは自分以外の誰も幸せになる要素がない、そのうえ他の人を不幸にして生きているので、他者にとってその人が生きている価値があるのだろうかと思い、この記事を書きます。
そもそもパチプロについて知らない人のために軽く定義を書きます。
この記事においてパチプロとはパチンコ・スロットで生計を立てている人のことを指します。パチンコ・スロット以外に真っ当に仕事をしていない人のことを指します。
台選びや技術介入をうまくやれば、毎日朝から夜まで打ち続けて年間数百万から多くて一千万円くらいは稼げるのではないかと思います。
まあ原理的にはパチンコ・スロットで生計を立てるのは可能だと思ってください。運に左右されて年間百万単位で収入は変わってくると思いますが。
ここからはなぜパチプロが生きている意味がないと思われるのかを書いていきます。
正確にいうと所得税を納めていない、というのが正しいですね。消費税、タバコ税などは否が応でも納めているでしょう。
ちゃんと正しく税金を納めてさえいれば、その税金が巡り巡って国民の元に還元されていくわけです。
パチプロのせいであなたに還元されるはずだったものが無くなっているのです。
この時点でパチプロは他の人間に迷惑をかけて生きているわけです。
パチンコ屋は別に雇っているわけでもない人に勝手に店のお金を持って行かれているわけです。
パチプロによりダイレクトに不幸を受けているのがパチンコ店なのです。
パチンコ屋もトータルで利益を出さなければ経営できるわけがありません。
となるとその利益はどこから出てくるのでしょうか。そうです、他のお客さん(=非パチプロ)なのです。
日中誰かのために必死に働いて得たお給料を持って、ご褒美にパチンコ屋に来たお客さんが負けるのです。
パチプロが存在しなければ、お客さんのお金が減るペースがもっとゆっくりになり、今よりも良い体験をお客さんが受けられ、また仕事頑張ろうってなる予定だったのです。
誰かのために働いているお客さん、そしてそのお客さんを楽しませたいパチンコ屋(店員)が損をし、誰のためにもなっていないパチプロだけが得をしている。
終わってますね。
パパ活女子の方が生きている意味はないのでは?という声が聞こえてきそうです。
パパ活女子も税金を納めていないという意味ではクソなのですが、パチプロよりはマシです。マシなだけですよ。
まずパパ活女子は一応誰かを幸せにしています。ここでいう誰かとは「パパ」のことですね。
パパ活女子に会うために、パパは必死に仕事をします。そしてその仕事がまた他の誰かを幸せにします。
だからパパ活女子の方がまだマシです。何度も言いますけどパチプロよりはマシってだけですよ。
ちゃんと税金納めて、性病さえ流行らせなければだいぶマシになると思います。まあそういうのを考えられる頭を持ってる人はやらないでしょうけど。
富を持ったパパから、貧乏なパパ活女子に富が再分配されています。
これは本来国がやることで褒められたことではないのですが、高いところから低いところにお金が流れる物理法則のような感じがオツですね。
何度も擦られたようなネタを、さもオリジナルであるかのように雄弁に語る情報商材屋は当然クソではあるのですが、プラシーボ効果というか、そんなクソみたいな商材でも誰か一人がポジティブに真に受けて良い行動を起こすかもしれないじゃないですか。
期待値はもちろんマイナスですよ。でもプラスになる可能性はあるわけです。
パチプロがいるから真っ当に仕事している人が頑張れるっていうシナリオが全く思いつきません
唯一パチプロが他の誰かを幸せにできる方法はとにかく金を使うことです。経済を回すこと
そしてできれば国内の会社のものが良いですね。boseのヘッドホンなんて使うなパチプロごときが。
宵越しの金を持つな。ただでさえ他人に迷惑をかけているんだからズル賢く生きるな。
パチンコ屋は勝つところじゃないんだよ。負けるためにあるんだよ。
パチンコは1日中椅子に座って画面を眺めているだけなので、当然ながら社会に通用するスキルは全く身につきません。
近年ではYouTubeなどでのパチンコ攻略法が広がって非パチプロのお客さんでも負けが少なくなってきました。
となると苦しいのはパチンコ業界です。誰も負けてくれなければ潰れていくしかありません。
パチプロが唯一頼りにしているパチンコ店が潰れたら自分の生活も危ういわけです。
頼れるパチンコ店がなくなった場合、そこにはなんのスキルもない右腕の筋肉が少しだけ発達した中肉中背が世に放たれるだけです。
そうなる前にさっさと普通に税金を納めるような仕事を始めた方が良いと思います。
ノートPCのSSDを換装しようとして、2024/3/31時点の状況を誰かのためになるかもと思って書いておく。
元のPC側のSSDメーカーが提供してる場合があるから、そちらも探してみよう。
なお自分はSAMSUNGだったが、SAMSUNG MagicianはOEM版には対応していない(しているのもあるかも)
各ソフト、有償だと3000円くらいからなので、それならクローンソフトバンドルのWDやSAMSUNGやらの1サイズ大きいSSDを買ったほうがオトクである。
と、おもうが…
誰かの役に立てば幸いである。
死ぬ権利なんで認めないんだろう? ないと無理だよね。科学も医療も進歩して、あともう死ぬ権利くらいしか残ってない。
高齢者と障害者が増え過ぎて支える人たちが大変そう。弱者って言われてるけど、国から守られてるんだから弱くはないよね。
お金や権力があって強い人にはもちろんかなわないけど、最底辺で守られてる人も強い。一番大変なのはどっちでもない人たち。私は途中から障害者になったからこう思うのかな。
死ぬ権利に障害者が反対するのがさ、「お前らが死んだら誰が俺達の面倒みるんだよ!」って言ってる感じがしてつらい。「俺たちの世話するためにお前らは減るな」って言ってる感じがする。だいたい死ぬ権利に反対するような心の強い人はさ、障害者だろうとなんだろうとその権利が認められたとしても自分から死は選ばないと思うし。
今つらい人、逃げてね。スマホ変えて何もかも放り出して逃げてください。死にたいくらいつらい人は病院行ってね。誰かのために生きたり死んだりしないでね。放り出せない事情のある人も多いだろうけど……。支えてくれる人がつらそうなの見るのはつらい。
もしも「なるはや」と書かれたメールが来たら、いつまでかを最初に確認する。
メールの文面を読んで1分後に回答が思いつくような内容であれば、回答に「次からはいつまでに回答が欲しいのか明記してください」を添えて返信する。
「向こうが明確に期限を設けなかったのだから、こっちに期限を決める権利があるに決まっているだろ」といった態度をとってもいいのだが、トラブル対応で脳が茹で上がっているとそのへんの感覚がなくなることもあるだろう。
また、世の中には生まれつき自分と他人の境界が曖昧で、「自分の考えるなるはや」がそのまま相手に伝わると思っている人達がいる。
そういう人達に対して、「障害者が社会に出てくるんじゃねえ」という態度で接するほど行儀の悪い人間ではないので、「言ってくれないとわかりません。今回の「なるはや」はいつまでなのですか?」とこちらがちゃんと聞いてあげることにしている。
俺も完璧な人間じゃなくて、他人によく色々なことを補ってもらっているのだから、俺が補ってやれる部分はやってやろうという心構えだ。
金曜日の夜に「月曜日の朝までに」といってメールが来ていたら、メールの文面を見て、完全にこちらの落ち度だったり、どうしても早急に対応する必要があることを察せられたら残業して対応する。
だが、多くの場合は「どうしても月曜日の朝まででなければいけませんか?」と返信はする。
そうして帰ってきた返答によっては、代休処理をして土曜日に出てくることも考える。
もしも返答が20分以内に帰ってこなかったら、そのまま帰るだろう。
無理な期限を頼むつもりなら、それを相手に求めることにかかる心理的コストぐらいは払って欲しい。
もしどうしても助けて欲しいなら、文面でそれを伝える努力をして欲しい。
それもしないくせに、「金曜の夜に「なるはや」なら「月曜の朝まで」に決まってるでしょ!」とあとで文句を言われても、「それならそうと書いてください。というか、そういう対応をして欲しいなら金曜の16時までに電話を入れるのが最低限のリミットだと思います」と返すだけだ。
俺は優しいから言葉にしてやるが、言葉にせずにバッサリ行く人の方が世の中多いだろうな。
基準を他人に託している時点で、相手に何をやられも文句を言う権利はない。
客が「これって何個まで食べていいんですか?」と聞いてくれること、一つ食べて満足してくれること、そういったことを期待するのが間違ってる。
世の中には生まれつき他人のことを考えられない人種がいて、彼らは精神医学的な病理によって生まれつきそうなのだから、誰かが基準を示してやる必要がある。
心のバリアフリーの一種として、察することが出来ない誰かのために、明文化したルールを用意してやるのが、発展した社会というものじゃないのか?
セクシー田中さんの原作者の件もそうだけど、自分の周りも魂込めて仕事してる奴から潰れてる
もちろん魂込めても潰れない人もいるが、正直そういう人はスーパーマンというかいい意味でヤベェ奴だと思う
否定はしないが誰でもできることじゃない
どんどん昇進してください
仕事をする際は「仕事は仕事」と距離を置き客観視する必要があると思っている
仕事で自己実現をしても良いし好きなことを仕事にしても良いが、仕事を趣味や自己実現の主戦場にしてはいけない
結局、仕事とは労働者でも管理職でも社長でもフリーランスでも漫画家でもどの職種やレイヤーであっても「金を出してくれる誰かのためにアウトプットを出すこと」であり、絶対自分よりその「誰か」の方が偉くそいつが自分のアウトプットの生殺与奪の権をコントロールしている
その「誰か」が自分のアウトプットに満足せず、死ねと命じたらそのアウトプットはこの世から消える
もし、自分の魂の一部や好きなことの結果を仕事のアウトプットにしてしまうと常に「誰か」が死刑執行ボタンを持っている斬首台に自分の大事なものが置かれた状態になってしまう(そしてそのボタンは割と簡単に押される)
漫画家などが漫画というアウトプットを自分の子供のように言っているのを見ると危ういなと感じるのはそういう理由で、実際そういう考え方をしていたため潰れた人も大勢いるのではないだろうか
職業漫画家なら漫画というアウトプットは出版社のために作るものであり、出版社は消費者のためにそれを漫画誌やサイト、単行本という形でアウトプットする
という流れで仕事が発生する
つまり、漫画という自分の子供は最終的に不特定多数の消費者が生殺与奪の権を握ることになる
その結果は人気ランキング、単行本の売り上げ、最近だとSNSでの「つまらね」という直接的な拒絶の言葉で現れてくる
それだけでものすごいしんどいのに、昨今はドラマ化やアニメ化でアウトプットを買う「誰か」にテレビ局が入ることがある
(契約の内容にもよると思うが)基本は買った奴が好き勝手できるのが世の常だ
良い人が買ってくれたら幸せに暮らせるだろうし、悪い人が買ったら飼育放棄された犬のような扱いを受ける
セクシー田中さんで言えば、確かに最後は元通りにできたそうだが、一度バラバラに解体された我が子を自分の手で復元する作業だったのかもしれない
それはしんどいことだったと思う
ただ、アウトプットは「誰か」のものなので基本的にバラバラにされても良いというより仕方がないところがある
契約が明確な仕様として定義されていたら違うかもしれないが、「原作通り」という言葉だけだったならテレビ局側の解釈違いでキャラが変わったりすることは起こりうる
AさんとBさんでCさんへの印象が正反対なんてこともよくある世の中だ
漫画家を辞めたりYouTuberを辞める人はこの仕事は自分の魂や好きなことが他人に惨殺される場なんだと気づき恐れ慄いて辞めるのではなかろうか
そして、続けられる人はどこか諦念を持っており漫画をある程度無機質なアウトプットとして解釈することに成功したのではないかと思う
漫画は魂を込めていても、原作として切り売りするそれはただの人形だと諦める
それでも、人形だとわかっていても自分の子供と同じ姿形をしているモノが手をもぎ取られたり足を増やされたり改造されていく様を見ていて心穏やかでいるのは難しいと思う
ただ、仕事とはそういうものであり、金を出した誰かがアウトプットをコントロールする場なのである
しかし、その酷い改造もテレビ局の先にいるドラマを求める消費者のためにやるべきことをやった結果なのかもしれない
こうやって「誰か」に尊厳を踏み躙られる恐れがあるのは漫画家だけではない、世で働くすべての人に言えることだと思っている
アウトプットを求める「誰か」、その「誰か」の「誰か」、そしてその先にいるまだ見ぬ「誰か」が複雑怪奇に絡み合い、自分のコントロールが及ばない連鎖の中で仕事をしなければならない現代人にとって、せめてやれるリスクヘッジが「仕事に魂を込めない」だと思う
「そんなんじゃダメだ!」「生きてて楽しい?」と思う人もいるかもしれないが、そういう人は気にせず生きたいように生きてください
ただ、どうぞご自愛ください
戸愚呂弟「他の誰かのために120%の力が出せる… それがお前達の強さ…」
休職して、職場のこと想い出しながらゲロ吐いてるから、自分の経緯でも話しながら頑張ってる奴らに、そんな頑張らなくていいぞって話しを淡々としていく
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お前らがやりたくねぇっつって放棄したこぼれた仕事、わざわざ拾い上げて、その分残業して、体ぶっつぶれるまで仕事して、休職したらしたで、あいつはゴミだとぬかしやがる。そんなこと抜かししながら、俺のケツ拭いたつもりで、簡単な仕事して悦に浸ってやがる。
ふざけるんじゃねぇよ、お前らがおっぽり出したゴミみてぇな仕事山ほど抱えてたから、くたばったんだよ。寝ぼけたこと言ってんじゃねぇよ。そうやって人のせいにしながら生きてて楽しいかよ。自分のせいじゃない、あいつがやってないだけだ、あいつが悪い、そんなクソにもならない御託、よくもまあ並べられたよな。せいぜい偉い奴らにへつらって、尻尾でも振りちぎりながら生きていけよ、クソゴミどもが。自分じゃない誰かが死ぬ気でやった仕事の上をのうのうと歩きながら味のしねぇ飯でも食ってろ。うめぇうめぇって唸りながら、クソみたいな人生全うしやがれ。
綺麗なもんだけ見ながら生きていきやがれ。ヒイヒイ言いながら簡単な仕事でもやってろ。そうやって誰かが懸命にやった仕事を、さも自分がやりましたって面でもしながら自分語りしてヒンシュクでも買ってろ。そうやって悦にでも浸ってろ。お前のクソみてぇな人生を、いい人生だったとかほざきながら、後悔もせずに老いぼれやがれ、バカどもが。
お前らがSNSにあげた下品な笑顔、うっかり見ちまったからゲロっちまったじゃねぇか、クソが。人のこと踏みつけて、なんでもかんでも押し付けて、そのおかげでどうにかこうにか捻出できた時間と心の余裕で気持ち悪りぃ笑顔作ってんじゃねぇよ、見せつけてくんじゃねぇよ、お前らがやってる生産性向上ってのは、他人に仕事押し付けることだけじゃねぇか。クソみてぇな面に、クソよりひでえ笑顔ぶら下げて、ご大そうな御宅並べてんじゃねぇよ。写真におさめてまで人様に見せていいレベルの面じゃねぇだろ。それ見て胸糞悪くて便所でゲーゲーいってるやつがいるってこと想像してみやがれ。たまったもんじゃねぇだろが。
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この現実は、俺だけの現実じゃない。これはお前らの現実だ。お前らが苦労して、クソみたいに、懸命に、人様を想って働いた先の結末が、これだ。俺が体験している現実が、お前らの未来だ。今俺が、お前らの未来を生きている。だから、お願いだ。もし今無理して、誰かのために、誰かのケツ拭くために働いているのであれば、頼むから休んでくれ。頼むから逃げてくれ。そんなに働かなくていいんだ。お前らはお前らの人生を生きていいんだ。お前ら自身のために、人生を生きていいんだ。
ああ、今日もバカみたいに吐くんだろうな。吐瀉物のひでぇ匂いが鼻の奥まで充満するあの感覚はもうごめんだ。クソ、死ぬほど働いた結果がこれだ、やってられるか。
ここにいるやつらの中には、懸命に生きているやつがいるはずだ。そのはずだ。お前らは真面目だ。懸命に生きてる。誰かの仕事を自分の仕事だと想って、懸命に働いてる奴らがいるはずだ。お前らに幸あれ、ファッキンビッチだ、クソ野郎。お前らの未来が、幸せであることを祈っている。祈りながら吐いてる。俺のひでぇ、クソみたいな現実がお前らの未来に繋がらずにいるなら、あいつらみたいなクソ野郎どもに潰されないでいてくれるなら、俺はこのクソ溜めみたいな現実から、お前らの幸運を願っている。俺のために祈ってる。
じゃあな、達者で生きろよ、クソ野郎。
仕事をしていて、人の役に立つと嬉しいと思う。自分の役割があって、自分の捧げた時間と能力について、他者から承認される時間。社会の輪の中に自分の居場所がある感じがする。
でもこれは「役に立たないなら居場所がない」と裏返しではないかという気もしてる。
おれは別に「役に立つ」なんて心底どうでも良いと思ってずっと生きてきた。別に好きでこの世に生まれたわけではないし、まして役に立つために生まれてきたわけでもない。当人が幸せだって思えればどんな生き方だって良いと思っている。
でも、「役に立っている」と実感すると実際嬉しいことがわかった。考えてみれば、人間は一人では生きられないから、そういう風にできているのかもしれない。それが人間の本質に近いところな気もする。
だから他人にも、誰かのためになるって良いことだよって伝えたくなるけれど、それの是非がよくわからない。もちろん強制すべきものではない。それはわかっている。別に役に立つために好き好んで生まれてきたわけではないから。
みんなはどう?人の役に立つと嬉しい?
そしてそのことについて、例えば自分のこどもにはなんて伝える?