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2024-11-20

anond:20220914024226

誰かのために何かする を全てやってあげる に脳内で変換されてんだよなぁ

弱者男性ってすぐに脳内ストーリー付け足して興奮するからキメーし、人と会話できねぇーんだよな

2024-11-15

底辺絵師に贈る、底辺なろう作家提言

現代底辺であり未来の神絵師へ贈る提言

 今、絵師界隈は激動の時代にあるように見える。

 Xの規約変更だとか、ウォーターマークとか、いろいろ目に入ってくるが結局の発端は「生成AI」だろう。

 最初記述するが、私は「生成AI」の善悪を語る気はない。

 なのでここから先、どれだけ読んでもらっても「生成AIを滅ぼす方法」を求めている方のご期待には添えない。

 これはあくまでも、絵師界隈で生計を立てていきたいが、生成AI存在するこれから先の未来不安を抱いている絵師に向けたものであり。

 小説家界隈に住む私が、実際にイラスト勉強する過程で感じた二つの界隈の違いを言語化し、それを元に考察した一つの提言を届けたい。そういう趣旨のものだ。


絵師よ、オリジナルキャラクターを創れ

 では、先に結論から

 これから先、イラストで食べていくことに不安があるのなら「オリジナルキャラクターを作れ」。

 ただ単にオリジナルイラストを量産せよ、という意味ではない。

 あなたの頭の中にある「キャラクター」を絵という形で出力し、世間認知させ、あなたではない第三者がそのキャラクターイラストを描くようになることを目指す。という意味だ。

 乱暴な言い方をするなら「絵を描かされる側から、絵を描かせる側にシフトすることを意識しろ」といった感じだろうか。

 Vtuberママキャラクターデザイン)を想像してみてほしい。

 だいたいあんな感じの立ち位置が、私の想像力の範囲で今後も生き残っていける絵師の一つの形だと思っている。


現代日本では絵師の「作品」は求められていない

 なぜ、絵師オリジナルキャラを作るべきなのか。その理屈を語る前に確認したい。

 絵師界隈の方々は「同じクリエイターなのに、どうして小説家界隈はあんなにも生成AIに対する反応が薄いんだ?」と思ったことはないだろうか?

 もちろん、文章世界にも生成AIはある。

 むしろ小説生成AIの方が、イラスト生成AIより先に世に出ているはずだ。

 だが、実態として小説生成AIに対し、敵意や危機感を抱いている小説家は少数派だろう。


 ではなぜ、小説家界隈が生成AIに対して他人事のようなスタンスになりがちなのか。

 それは小説家絵師、それぞれのマネタイズの仕組みの違い。

 言い方を変えると『社会』との関係性の違いにある。

(以後、市場や、顧客マネタイズシステム全てを包含した『社会』という主語を用いて記述する。)

 そして、私が見るに絵師小説家も、大多数がこの両界隈の違いに気づいていない。


 その違いは

 『社会』は小説家には「作品」を求め、絵師に対して「技術」を求めている。

 この一点に尽きる。


 誤解を恐れずに言えば、『社会』は絵師に対してほとんどの場合作品」を求めていない。

 絵師界隈のトップレベルの方々は、おそらくこの違いを認識しているように見受けられるが、逆にトップクラス以外の領域では認識していない人の方が多数派。というのが私の所感だ。

 (一方で小説家界隈はトップクラス層もこの違いを認識していない人の方が多数派だと思っている。というか、クリエイターは全業界で「作品」重視で活動していると認識してそうな気がする。)


 この違いがどういうことか、わかりやすい事例をあげよう。

 新人賞コンクールといった賞レース代表的だ。

 これらは絵師界隈にも小説家界隈にもある。

 例えば、ある無名絵師イラストコンクールで最優秀に輝いたとしよう。

 その絵師は名声と得て、イラストの依頼が殺到するかもしれないし、あるいは協賛企業から何かしらの商業イラストを描く契約を結ぶかもしれない。

 だが、肝心の『最優秀賞に輝いた絵』そのものマネタイズの中心にはならないと思う。

 あってせいぜい、短期的な限定グッズデザインになる程度のはず。

 おそらく絵師側も最初から「その絵」で稼ごうとは思っていないはずだ。


 だが、小説界隈は違う。

 企業も、小説家本人も、基本的には「その小説」で稼ごうとする。

 2003年スニーカー大賞に選ばれた『涼宮ハルヒの憂鬱』は、2024年現在市場流通し続けているのが代表的な事例だ。

 受賞した作品を脇に置いて、その出版社編集提案した全く別の小説を書かせる。というのは無いとは言わないが、そういう流れになると小説家からはあまりいい印象は持たれないだろう。

 つまり、同じ賞レースでも絵師界隈は「技術を持った人」を探し、小説界隈では「作品」を探している。というのがなんとなく伝わったはずだ。


 もっとざっくり言ってしまうと

 「金を出すから自分の代わりに理想の絵を描いてくれ」が絵師と『社会』の関係の主流で

 「印刷流通を代わりにするから、その売り上げの一部をわけてくれ」が小説家と『社会』の関係の主流なのだ。)

 重要なのは『代わりに絵を描いてほしい』という部分だ。

 つまり、『社会』が絵師に求めているのは代筆能力という「技術」であり、「作品」は依頼者の頭の中にある物を指すのだ。


著作権法は「代筆家」を守らない

 さて、ここまでで絵は「技術」が求められ、小説は「作品」が求められている、というのは理解してもらえたと思う。

 ここで一旦、生成AIの話に戻そう。

 小説界隈が生成AIに対して反応が薄い理由は単純だ。

 『現行の(少なくとも日本国の)著作権法は「作品」を保護してくれているから』に他ならない。

 また一つ具体的な事例を挙げよう。

 かつて、「ハリーポッターシリーズ学習したAIオリジナルの「ハリーポッターシリーズの新作を書かせる。という試みが海外で行われたことがある。悪意ある第三者がこれと同じことをしたとしよう。

 もしその第三者が「ハリーポッターシリーズの新作」と銘打ってソレを売り出せば、著作権法容赦なくこの第三者断罪する。

 では、それを避けるためにキャラクター名前オリジナルに変え、タイトルオリジナルのものに変えて販売したならどうか。

 ソレは「よく似た別の作品」の一つになり下がるだけだ。

 書いたのがAIであろうと、人間であろうと重要視されるのは「作品」だから、そこの模倣がされない限りは脅威になりえない。というのが小説界隈の人が意識的にしろ無意識的にしろ生成AIに対して抱いている感情だろう。


 だが逆に著作権法は「技術」を保護はしていない。

 むしろ、広く開かれて文化の発展に寄与するべき。というのが基本スタンスだ。

 「技術」をお金にしている絵師界隈からすればたまったものではないだろうが、これが実情だ。

 「技術」の保護に舵を切るなら、それは著作権法ではなく特許法領分になるが、特許理念は「知財ビジネス支援すること」なので、おそらく企業と繋がりのないアマチュア絵師は生成AIユーザー以上に苦しむことになると思う。


 これまでの話を統括すると

現代絵師は「技術」を求められ、肝心の「作品」は依頼者の頭の中にある。

・現行の著作権法はその「技術」を保護していないし、「技術」の保護アマチュアに優しくない。

 この二点が現代の、そして未来絵師を苦しめる要因の根幹だ。


これから絵師も「作品」をビジネスにしなければならない

 そして、最初の私の提言に繋がる。

 これから先、代筆家として誰かのために絵を描くという「技術」を売る領域は生成AIに食い荒らされるだろう。

 そんな未来でも絵師として生き残りたいのなら、依頼者の頭の中にある「作品」ではなく、あなたの頭の中にある「作品」を生み出すことを考えるのが良いのではないか

 という話だ。

 「オリジナルキャラクターを作れ」というのは、その一例だ。

 企業依頼でPRキャラを描くという現行の関係から企業が「自社製品あなたオリキャラに使わせてください」みたいな関係になるのが、そこそこいい感じの未来予想図だと思わないだろうか?

 仮に企業お金ケチって生成AIでそのオリキャラ勝手に使えば、容赦なく著作権法断罪できる関係性になる。

(他に思いつくのは、大昔のゴッホだ、フェルメールだの時代のように一枚一枚の絵そのものを「作品」として『社会』に売りつけて生計を立てる道。あるいは自分自身を「作品」にしてパトロンから庇護を受けて好きに絵を描く道、あたりか。現代で言えば、前者は同人誌即売会イラスト集を売っている人たちで、後者お絵描き配信者としてファン投げ銭生計を立てつつ、絵を描いている人達だろうか。)


 逆に、このことに気づかず、「技術」を守ることに執心し続けると、どこかでとんでもないことになるのではないか。私はそう思っている。

 これがもう一つ、裏の提言……というか懇願だ。


小説家から見た絵師界隈の「技術」の体系化と共有文化の素晴らしさ

 絵師界隈で育った人達は気づいていないかもしれないが、小説家界隈で育った私から見て、あなた達が確立している「技術の体系化と共有」の文化は素晴らしいものなのだ

 YouTubeでは多くの絵師プロアマわず、自らの技法を公開しているし、有償の場になれば更に本格的かつ専門的な技術を共有しあっている。

 おそらく『社会』が絵師に「技術」を求めていたからこそ、惜しげもなく場と資産提供していたことで出来あがった土壌だろう。

 無数の技術が公開されているから、その中で自分好みのものを取捨選択し、組み合わせることで理想個性形成できる。

 私のような「最初から絵のプロになる気が無い人間」にも成長の手順が提示されているのは、非情にありがたかった。


底辺なろう作家愚痴妄言

 ここからは、若干小説界隈のネガティブな内容に触れるのだが、ご了承いただきたい。

しか生産性がない話なので、絵師界隈の方はここから先を無理に読む必要はない。

 ただ、この先の話を読んでくれた絵師から、こういう界隈の中で私はどうやっていくと良いか、そういう意見を貰えたら嬉しい。)

 小説界隈は何度も言っているように「作品」重視の世界だ。

 故に、小説家は「表現技法」をほとんど語らない。

 例えば炎の熱さを表現するにあたり、絵ならば「暖色の与える印象の理論」だとか「ぼかしによる蜃気楼技術」といったものがあり、ある程度体系化、共有された技術があるはずだ。

 だが、小説家界隈ではそういった表現技術を「作家個性」として、共有せずに個人のものへと抱え込む道に発展してきた。発展してしまった。

 我々は百の作家がいれば、百人が別々の言葉で炎を描写し、実際にどれが最も読者に熱さを感じさせられる表現だったのかを検証しなかったのだ。


 我々小説家今日も、読者が本当に熱を感じてくれるのかわからずに炎を描いているし、可愛さがちゃんと伝わっているかからずに美少女を描いている。

 「技術」を体系化しなかった、というのはつまりこういうことだ。


小説家は「腕を磨かない」

 では「技術」を語らない小説家界隈が新人達に何を語っているのか。

 それは「作品の作り方」だ。

 手順、理論作法形式

 現在小説家界隈で新人達に向けて語られているのはおおよそ上記の要素であり、それらをまとめると「作品の作り方」となると思う。

 これもまた絵に例えるなら

 「ラフ、下書き、清書の順番で書くと良い」とか、「線画と塗りは別レイヤーに分けたほうが良い」とか、そういうレベルの内容だと思ってくれていい。

 それを十数年以上、場所を変え人を変えこんこんと語り続けている。

 それが小説家界隈なのだ

 SNSで無数の新人作家たちに向けて情報発信をしている高名な小説家達も

 「自分達が教えられるのはいわば『就活履歴書の正しい書き方』だけだ。その内容は個々人で書くしかない」

 みたいなことを常々言っている。

(で、まあ「特定効果を与える技術」ではなく「作品作品たらしめる作法」という名目なもんだから「not for me」の概念適応されにくく、「正しい」「間違い」で定期的に燃えている。)


 つまり小説家界隈は「作品を完成させる」ことを教えることが主流であり、その質を技術によって高めることには非常に無頓着なのだ


 私の推測だが、これは絵とは逆方向の『社会から圧力と発展によるものだろう。

 絵師には「技術」を求める以上、まぐれではダメだ。再現性がなければお金にはならない。

 だからちゃんと「技術」が身に着くような環境を作る。

 だが何度も言っているように小説家に求めるのは「作品」だ。

 極論だが、出来が良ければまぐれでもお金にできる。そのまぐれの一つを拾い上げて市場に売り出せばいい。

 だから社会』はできるだけ多くの「作品」が出来上がる環境作りを自然と行ったのだろう。


 「作家を作る」ことは頑張るが、「作家を育てる」ことはしない。

 プロアマわず、それが現代小説家界隈なのだ

 「プロになるつもりはないが、もっと上手くなりたい」という人間に対しても、絵師界隈の先達は「技術」を提供し、成長の道筋を照らしてくれる。

 だが、小説家界隈では「プロになる気がないのなら、あなたの好きに書けばいい」の一言で終わる。

 私のような無才な人間からすると、暗闇を手探りで歩くような感覚だった。


出版業界の陰り

 まあ、小説家界隈が無才に厳しいだけなら良いのだが、最近この界隈の「作品重視」の傾向が業界全体の問題として表面化してきているように思う。

 その問題とは、端的に言うと「作品が増えすぎた」ということだ。


 「小説家になろう」では毎年開かれているネット小説大賞という賞レースがある。

 2013年に開かれた第一回では応募作は「1,135作品」だった。

 これが五年後の第六回では応募作はほぼ10倍の「10,156作品」になった。

 そして、今年の第十二回に応募された作品は「20,826作品」と、その数は恐るべきペースで増えている。

 一応、この数字についてはちょっと恣意的表現をしている。

 一般新人賞公募と違って、小説投稿サイト主催の賞レース過去落選した作品も全て再応募する作者は少なくないからだ。なのでおそらく「作家」の増加数はこれほど極端ではないと思う。

 だが、この仕組みと過去作を再応募し続ける風潮こそ、小説家界隈が「技術」を軽視していることの証左であり、問題の根源だ。

 この世には「玉石混交」という言葉がある。

 賞レース選考員は一万以上の無数の石の中に隠れた玉を探すわけだが、さっきも言ったように、ネット小説の賞レース過去落選した作品継続して応募されている。

 つまり、玉と石の比率一定ではない。拾い上げられた玉は減るが、石はそのまま翌年、また翌年と残り続ける。


 そうなると、単純に選考員の負担が年々増えていくのは想像できるだろう。

 ただでさえ、小説は受けての時間を奪う媒体だ。短編でも一作につき五分から十分。長編なら余裕で一作一時間を超える。

 選考員を増やせば個人単位負担は軽減されるだろう。だが、人を増やせば今度は運営出資が増える。

 必ずどこかしらが負担を負うことになる。

 そして『社会』が持っているリソース無限ではない。


 そして多分だが、小説家界隈……というかネット小説業界は、このリソース限界をとうの昔に迎えてしまっている。

 出版社は玉探しを継続的にしなければならない。

 だが、玉探しに必要な労力は年々増え続けている。

 ならば、別の所で手を抜いて調整するしかない。

 宣伝作家に任せよう。

 連載継続するかどうか早めに決めよう。

 といったふうに。

 ざっくり言うと「プロ作家サポートにかかる労力を削る道」も考えられる一つだ。



 私の未来予測では、今後も出版社側の玉探しの労力は増加し続け、それと負の相関に基づいて出版社からプロ作家へのサポートの質は低下し続けるだろう。

 そうなると、作家から出版社への信頼が揺らぎ始める。

 作家出版社を信頼しなくなれば、出版社は心置きなく作家使い捨てられるようになる。

 これを 『才能の狩猟社会』みたいなことを誰かが言っていた。希望の無い話だ。


 「技術」を『個々人の個性』として体系化せず、共有しなかった小説家界隈。

 「作品」を完成させることだけを重視し、質より量を推し進めた小説家界隈。

 これはその一部で実現しつつある最悪の未来予想だ。

 この私の未来予想が一理あるか、見当はずれかの判断は委ねる。

 (とはいっても、プロ経験皆無の底辺作家妄言なんて外れてくれた方がいい。部外者がそれっぽいこと言って、それ

2024-11-13

献血やめた

どこかの誰かのためになるなら、と今まで20回弱献血してきたけど、ほとんどが高齢者の為に使われると知ってもう行くの止めた

献血してしまうことで自分の首を締めていた

俺がタダで提供した血液を、タダ同然の値段で高齢者が使う

その支払は現役世代が支払う保険料

献血することで現役世代手取りを間接的に減らしてた

皆すまん、もうやらない

2024-11-07

anond:20241107135609

全部自分の心情語りで、他人視点とか客観的視点とか社会システム的な視点とか全然なくて、誰かのために尽力しようというメンタリティ全然見えないか

長年適用されてきた社会システムを大きく変えるときに、どのようなデメリット、混乱、不幸が考えられて、でもそれは相対的に十分小さいだろうというような社会をよくするために自分考察提供する姿勢もないか

2024-11-04

相手がいると気持ちの振り幅大きいから、大切な誰かのために自分が何かをすることが幸せだと思いそのために生きるのは、一部 正しい。けど全部じゃない。

そして私は自分幸せについて考えるのを、誰かのためという当たり障りのいい理由に置き換えて、向き合わず回避する癖があると思う。

モヤモヤしているあたり、我慢と納得のいかなさがあるのだ。

けど現状、うまい解決策がないから、幸せってそういうもん、と自分丸め込もうとしてる気がする。

そう、相手がいると嬉しいことの振り幅大きい。

から幸せ!と感じるために効率はいいように、一見感じてしまう。

でもやっぱり自分のは何かを無視して、他人希望評価依存してる状態のような気がする。

2024-10-30

最近MtGマジック・ザ・ギャザリング)の売り方

マジック・ザ・ギャザリングの新セットがお披露目されている。

昨今では当然のように日本人絵師によるアニメ調のイラストが入っているのだが、一部のおっさんに不評なんだよね。

ただあいつらは完全に無視してよい。

いわゆる限界古参くそ老害オタなので。

撮り鉄迷惑おっさんと同レベル

お気持ち表明したいのはわかるが、君らのお気持ち誰かのためになったことなんて1度たりともないんだから


まあそんな害虫はどうでもいい。

問題は現状のMtGって驚くほど商品展開が激しくて、古参新参もついていけないってのが一番の問題だと個人的には思う。

今回発売されるファウンデーションズというセットだけでも

という4種類が展開されている

もうこれだけでパックを買う理由が薄れてしま

中身ちょっとずつ違うんだもの

普通カードゲームをしたい人にとって、最新のパックを買えばすぐに遊べると思うでしょ?

あるいは、アニメ絵のイラストを当てたいと思ってる人が、間違って全然違うものかう可能だってある。

店舗としてもこんなに複数展開されているものを横並びにするのは厳しいだろう。

さらにこれらは同じカードなのにイラスト違いが無数に存在する。

別にイラスト違いなんてTCGではごく一般的だけど、昨今のMTGは同時期に何種類も作るからね。

魂の洞窟なんて一度に8種類もでたし。

再録のたびにイラストが違ったりするなら、それはそれでいいと思う。けど一度に大量はやりすぎ。

コレクター欲をくすぐるけどそれだけ。

安くて簡単に遊びたい人にはどうでもいい。

もっといやなのは、同じパックの中で使用できるフォーマットが異なるカードが含まれていること。

タンで遊びたい人が統率者向きのカードもらって何が嬉しいんだろうか。

しかも今回、同じカードなのにイラストが違うだけでスタン使用できるかどうかが違うってもの複数ある。

発売時期が違うならギリギリわかるけど、同じカードで同じような売り方されているのに

エクスパンションシンボル(どのパック出身か)が違うだけで別物っていうのはEVILが過ぎる。

中古だってこんなのどう取り扱えばいいわからず、どんどんMTG買取販売を停止している。

これで商品自体品質がよいならいいけど、日本語版誤植の多さは近年目を覆いたくなる酷さだ。

こういうの小売店にも中古屋にも初心者にもやさしくない。

マジでどうにかしてほしい。

というか親会社日本企業が買収してちゃんとしたものつくってくれ。

2024-10-26

ひとを幸せにできる人になりたい

本当に稀有存在だと思うけれど実在している

誰かのために生きることが幸せだみたいな人

自分はすごく自己中で何か周りで不幸なことが起きたら「自分じゃなくてよかった」と思うばかり

生きていく上で感情コントロールできない、ほっとしたり怒ったり喜んだり、うまく付き合っていくことはできるけれど頭で考える前に心で思うことって変われない

誠実でいい人って脳のつくりから違うのかな

2024-10-13

一人で寂しくてつらい

自分以外の家族が全員死んでからもう5年になるけど、毎日人と話すことがなさすぎて気持ちが鬱々としてきた

仕事自営業で同世代の知り合いがいない上に唯一の知り合いとも業務上のやり取りしかしない

早くに高校中退したもんだから仲のいい同級生とかもいない

中学時代の友だちは何人か連絡先知ってるけどそういう奴らと会うような年でもない

元々内向的タイプから最初はへっちゃらだったんだけど、変わり映えのしないそんな生活に段々と嫌気が差してきた

自分が何をしても周りの反応が一切なくて、モチベーションがなくなってきた感じ

当然異性との出会いもない

去年の今頃にマッチングアプリをやってたけど、2、3人と会ってしっくりこなくてやめた

特別会話が苦手なわけではないけど、品定めのためだけにわざわざ会うのが不自然に思えて嫌だった

それに、自分が欲してるのは話し相手であって恋人じゃないと途中で気付いたか


これといった趣味もない

たまにゲームをしたりサブスク映画を見たりする程度だ

強いて言うなら仕事は気に入ってる、最近

うまくは言えないけど、長年頑張ってきたことがようやく報われ始めたような手応えがある

今ちょうど上手くいってる時期で、更に上に行くためにはどうするか?ということを毎日考えてるんだけど、

上に行ったところで自分は何がしたいんだ?これ以上金だけ稼いで何に使うんだ?とここでやはりモチベーションの壁にぶちあたる

こういうとき、例えば仲のいい家族恋人、同世代の知り合いがいれば励みになるだろうと思う


はいってもなんとなく金は必要、という思いがあるから毎日仕事は頑張ってる

でも、頑張った先に何があるのか見えない

誰かのために働く、みたいなやりがいがほしい

そして、話し相手がほしい

大谷ニュース見てすごいねって言ったり、今日あった出来事をだらだら話したりしたい

大の大人がこんなこと言うのも恥ずかしいけど、寂しい

2024-10-09

anond:20241006211836

30代前半にてガンに罹患

手術、抗がん剤によるハゲからの髪の毛復活、ホルモン注射を経て投薬のみで生き延びてる。

手術による20cm以上の傷跡、投薬が継続していることによる影響での不妊からおそらく婚活市場から大きく外れた存在となりました。

おかげさまで再発もなく元気ですし、婚活市場から放り出されたことでわざわざカタログギフトからものを選んだり、選ばれたりというような行為から抜け出すことができました。

抜け出しても全然いいや、なんだったんだろうあの時間くらいな気持ちです。それでも友だちが結婚していくともの寂しさはありますが。

本当にそこまで欲しいかからないけど、損かもしれないし皆やってるし、それが社会の当たり前だしみたいな延長で必死に個を削って女になろうとして、皆と一緒になろうとしていたけどどうでも良くなってしまった。

手術経験やがん罹患経験出産しない女であることを伝えるだけで「いいね」をしない多くの異性たちと結婚しようとしてたのかあ、みたいな。そうじゃない人もいるだろうけどさ。

よくわからないことにこだわって皆と一緒の社会ステータスを得よう、でもそうじゃない人を笑ってはいけないか尊重してる素振りだけ見せとかないと(ゆうても自分社会ステータスがあるw)みたいな態度が透けて見えてる人のしょうもなさを感じてしまって人間関係もほそぼそとなっている。

仕事治療中も在宅で頑張って続けたおかげで収入も上がってきた。けどそれだけが私の人生ではないし、

一人で生活しながら、たまに友人や誰かのために料理したりプレゼント考えたりしてると本質的誰かのためにしているな、って思える。

実家にいた時は家族から一応しないと…だったけど心の底から誰かのために何かをしたいと思って行動してるな、と感じることも増えた。

いまはまだ手術後3年程度なのでお金借りるのが難しいんだけど数年内に家を買ってのんびり過ごしたいなって思う。

最近は今後発生するだろう親の介護とか自分が死んだ時の始末を考えてる。

考えることもやることもいっぱいだし、一人で生活してると全部自分でやらないとだからいろんなことに興味出るし知識つくし生きてるのが楽しくなってきた。

2024-09-23

もっと自分のために時間を使えばよかったと思っている

ITエンジニアをしている。つい先日まで、いうてもあと5年10年は大丈夫っしょっと思っていた。

OpenAI o1 が出てくるまでは。

持ってあと2-3年なんじゃないかと思い始めた。

就職してから休みの日も平日の仕事が終わってからも全部コーディングに充てていた。

天職を見つけたと思っていた。

転職するまでは数年間昼間の仕事が終わってから働かない頭を振り絞ってコードを書いていた

個人の数年の努力カリフォルニア大金持ちが一夜にして無効にするような世界に住んでいるような気がして、正直バカらしくなる。

正直今までは今ここにいる自分以外の誰かのために努力していた。

自分家族のため、将来の自分のため。

もっと今ここにいる自分自身のために時間を使えばよかったと思っている。

2024-09-15

anond:20240915004620

洗濯のしかた説明したよ

でも、やる気がないんだよ

娘の服に興味がない男だから誰かのために洗濯をすることにも興味がない

ただ、洗濯機に服をいれ、洗剤をいれ、乾燥機に全部いれることしかできない

2024-09-08

anond:20240907211241

私は趣味で作った作品無償で公開しているけど、頼まれて何かを作るのはあまり引き受けない。

私が私の趣味で作ったもの誰かのためになるなら (特に御礼がなくても) 誰も損してないけど、頼まれ無償で作るのは私の労力分だけ損だから

特に親しい知り合いから頼まれ場合は引き受けることもあるけどその場合は御礼や誉め言葉はなくてよいと思ってる。

Give & Take友情破壊する経済論理だ。

一方的搾取されてもなお成立するのが友情愛情であって、それが出来ない間柄なら関係を切るべき。

2024-08-30

アラサー人生一人暮らし三ヶ月目の現状

やあ、アラサー人生一人暮らし一ヶ月の日記でけっこうブクマいただいた増田だよ。

anond:20240630145003

二ヶ月前は色々なアドバイスや温かいコメントありがとうございました。

とくに同じような境遇の人からコメントをいただけたのが嬉しかったです。

その方は元気に一人暮らしをしているだろうか? していたらイイな。

私は残念ながら精神を病んで、メンクリ通い&休日は頻繁に実家避難する生活になってしまいました。

なにがあった?

端的に言えば、一人暮らし自分気質に合わなかった、それだけ。

家事はそれなりにちゃんと回せているので汚部屋になっているとかではないし、独身男性としては健康的な生活ができている方だと思うし、仕事ちゃんと行けてるので、おそらく傍から見たら何がそんな辛いのか分からないような状態だと思う。

なのに、精神的なモノ──内側から来る不安苦痛が際限なく湧いてきてメンタルダメになった。

医者から不安障害の傾向があると言われて、薬を出され、カウンセリングに通ったり、認知行動療法をやったりしている。

……もう少し理由について具体的に言語化してみよう。

一人暮らしが合わない、嫌い、辛い」っていうのはあるんだけど、個別的問題については別に耐えられないようなモノではないんだ。

内容自体はたぶん、一人暮らしなら仕方のないことや、一人暮らしビギナーなら多くの人が直面するような、その程度のモノだと思う。

言ったら、甘ったれた悩みでしかない。

ただ、そこから「今の合わない生活をいつまで続ければ良いんだ?」、「結婚もできず両親も亡くなって天涯孤独になったらこの寂しい暮らし死ぬまで続くのか?」、「日々の暮らしちゃんとできているようだけど、実はなにか致命的な見落としがあって数カ月後にそれが噴出するんじゃないか?」みたいな長期スパン問題を考え出すと、四六時中頭の中で不安が渦巻き出して、今の暮らし全てが辛く感じるようになってくる感じがする。

さらに、ずっと不安苦痛が積み重なっていくと、そこから派生して、今の暮らしで目に映る自分の部屋や周囲の街にまで嫌悪感情が張り付いて、「ここにいること」そのものが嫌で嫌でたまらなくなっていく感じ。

もともとけっこう気質に偏ったところのある人間なので、まあ完全に内的な要因なんだよね。

から、外的な要因から改善を図ってもあまり効果がないのも辛い。

例えば、苦痛の一つに「孤独感」があるんだけど、それに対処するために、旧友に声をかけて縁を繋いだり、婚活イベントに申し込んだりはしたんだ。

でも、やってる時は気分が良くなるし、確実に現状改善の方向には進んでいるハズなのに、だけど結局、活動が終わって家に帰れば不安が蘇って来てしまう。

そんな感じで、内側から半ば無根拠無限に湧いてくる負の感情に耐えられず、医者にゴーすることになった。

何が辛いか

個別的問題については耐えられないようなモノではないといったが、せっかくなので自分にとって一人暮らしで合わなかった点を書いて行こうと思う。

基本的には二ヶ月前に書いた辛かった点と同じだけど、三カ月も暮らすと何が嫌かの解像度が増すね。

孤独が辛い

なんか何をやっていても虚しくなる。

家で、誰も自分のために何かしてくれないし、自分誰かのために何かしてあげることもない。

他愛ない雑談で「こんなことしたんだ」と報告することも、されることもない。

それが凄く生活を味気ないモノに感じさせる。

お金不安が辛い

医療費がかかったり、実家避難時の交通費がかかったり、逆に実家でタダ飯を食わせてもらったり、平常な一人暮らしなら発生しない+-があるのでアレだが)二ヶ月間、家計簿を付けてみた。

その結果として、やたらめったらドケチ生活を送る必要があるほど余裕がないわけではないことが分かった。

というか、わりと余裕はある。

なのに、金銭的な不安が収まらない。

特に食費。

理性と計算では「もっと良いモノ食っても大丈夫だよ」、「嗜好品とか買っても良いんだよ」と答えが出ているのに、感覚がそれを否定してくる。

……家賃なんかは出費としてはもっとも大きい項目だけど、精神的にダメージにはならないんだよな、日付や金額が決まっているから。

食費や日用品代みたいな、日々少しずつ財布の中身が削れていく感じがダメで凄いストレスになる。

生きていくのに金がかかるのなんて当たり前のことなのにね。

こういう感覚共感してくれる人はいるだろうか?

基準がないこと、全て自分で決めないといけないことが辛い

例えば、掃除をどのくらいの頻度でやれば良いのかみたいな話。

単純な綺麗・汚いの話で言えば、俺は特別、潔癖でも、大雑把でもないと思う。

ただ、どの程度までやれば問題いか基準が分からず、こんなもので良いのかな? 不衛生じゃないかな? 逆に神経質になり過ぎではないかな? と常に不安が付きまとう。

もっと実家家事をやっていれば、その時の感覚適用するだけで良かったので、親に甘えていたツケが回ってきたんだろうなぁ。

その他、何につけても全部自分物事を決めないといけないことが辛い。

昔、なにかの本で「発達障害傾向のある人間は一つ一つの決断に非常に精神エネルギーを使う」みたいな内容を読んだことがあったが、まんまそんな感じ。

生活区切りがないのが辛い

実家にいたら「朝起きる」という行為に「朝起きて自分の部屋を出てリビング家族おはようと言う」というようなプロセスがあってそれで目が覚めたけど、今は1K住まいなので、部屋の移動もほぼなければ、誰かにおはようということもない。

実家で飯を食べるなら時間が決まっていたけど、一人だとそういう強制的時間を縛られることもない。

後者に関しては、それが自由ハッピーという人の方が多いのだろうけど、でも私は行動でも時間でも外的に区切りを与えてもらえないとなんか落ち着かないタイプだったりするので、家での生活がのっぺり続いていくのがけっこう苦痛だったりする。

……この中で一番辛いのは、圧倒的に孤独感。

これも短期スパンで見ると、「あ~、寂しいな~」レベルの話でしかないんだけどね。

少ないながら時々会って遊ぶ友人もいるし、LINEで連絡すれば応えてくれる家族もいるので、孤独から逃れる術は今はどうとでもなる。

ただ、何十年か先の未来自分天涯孤独になる想像がふと湧いてくると、耐えがたいほどに辛い気持ちになる。

私は兄弟も同世代以下の親戚もいないし、友人とだっていつかは疎遠になってしまうかもしれない。

結婚はしたいが、彼女いない歴=年齢の上、一人暮らし程度でこんなに精神ボロボロになるメンタルポンコツ野郎なんで、できる自信もあまりない。

から天涯孤独はわりと現実的未来としてあり得るイメージだ。

そのイメージが頭にこびり付き出すと不安不安でたまらなくなる。

今はそれが一番辛い。

今後

不幸中の幸い、メンタルの方は、生活が立ち行かないとか、仕事にも行けないとかになるほどの重症ではないので、とりあえず薬やカウンセリングで騙し騙ししてこのまま一人暮らしを続けるつもり。

これもまた幸いなことに家族メンタル系の病気理解がある方なので、マジで生活できないほど重症になったらいつでも実家暮らしに逃げ帰って来て良いとは言われているけど、まだそこまでではないので。

ただ、一人暮らしの当初の目的が、親が死んで天涯孤独になっても生きて行けるようにor結婚した時に奥さん迷惑をかけないように、自力でも生活できる能力を身につけることだったので、(メンタル問題はともかく家事とかのスキル面で)十分な能力が身に着いたら、実家に帰りたいなぁとは思っている。

とりあえずの目標オールシーズン家事経験するため、一年を乗り越えること。

本当はもっと一人暮らし続けなきゃ自立もへったくれもないとは思ってるんだけど、ひとまずゴールテープを用意しないとやってられないので、まず一年を乗り越えて、そこから先のことはまたその時に考えるつもり。

でも、この家や街にはもう負の感情が染みつきすぎているので、どんなに長くても二年後の賃貸更新までには今住んでいるところからは出て行くだろうな。

その時、まだ一人暮らしを続けることを選んだとしても、他の街に移り住むことだけは決めている。

結婚したいなら、一人暮らしを続けていた方が当然優位なんだろうなぁとは思ってるけど、ただ、本気で結婚したいならまずメンタル健康を人並みに治さないと話しにならないと思うし、これも未来自分精神状況次第だなぁ。

2024-08-29

anond:20240827141027

家族のためじゃないの?妻の喜ぶ顔や子供の成長。おれは40代前半で独身年収はそこそこ良くてローン完済、車もあるけど逆に生きる意味なくて、誰かのために生きたいと思うよ。

無になるためにキャンプ行って飯食って酒飲んで本読んでる。1人だと寂しいので行きつけのバー友達作ったりするけど、それでも埋められない何かがある。

2024-07-04

anond:20240704191955

読んだ、壮絶な話だ。

反社団体の恐ろしさもさることながら、人の認知には隙がありハックできるということも忘れてはならないと思う。

貴方がた家族は立派な行いをした、しかし、おぞましい悪人に対する備えは足りなかった(普通はそんな備えのある人のほうが少ないが)

誰かのために戦うには時として命をかけなければいけないのだと改めて理解できた、ありがとう

2024-06-30

anond:20240630230429

気の毒だと思うけど、相手にも事情があるんだと思う。

文脈から事前の連絡はなかったと読みました。

なんらかの想像を越える状況が発生したんだと思う。例えば生理とか。

知り合ったばかりの男性生理とかのプライベート事情を明かせない女性立場を慮ってあげて。

ずっしりと構える器の広さは、マッチング成功の鍵だと思う。

器が狭い方が好きな人なんていないでしょう?

あなた自身あなたが愛する誰かのためにキャンセルを許せる心の広さを獲得してほしい。

2024-06-23

anond:20240623053036

おつかれさまです (どのような事に従事されているか存じ上げませんが、一旦それに割り込む形で私が対話者として主体的に関わってよろしいでしょうか?/”こちから見て”あなた大事な用はおおきいことであるのでひとしきり労をねぎらわせていただいて)

 ┗あんたがどれほど疲れてるかなんて知らんがな 格下の私からみたらすごい大変なんやろなって そんなんしたら疲れてまうわと思うけどこっちも用事があるんですんませんけど割り込んでええかって意味

  ┗「つかれてへんわ」って自分自分基準でなんもしてないアピールされても「すごいですね」としか言えんやろがい 自分を語ってくれるんはありがたいけどそんな事はきいてないというか聞いてほしいことがあるって言ってんの

ごくろうさまです (どんな方の何事も誰かのために大切な用でありその価値自分世界観からみて重くあるから労をねぎらって)

 ┗苦労してるかどうかとか人生についての価値観とかは聞いてない 尊重していますよというスタンスから関係ない話をするけれども敵対的目線でお聞きするのではないですよというアピール

  ┗「くろうなんかしてないわ」ってだれもあなた人生を聞いたりしてへん いきなりちょっと関係ないっぽい話をするけどあくま社会的距離感もつでって事

挨拶で使う場合は「おはようございます」でも同じで、自分がそこにおる/いなくなるを告知する儀を割り込ませるための発言でゆってみたら変数宣言みたいなもん

いきなり出てきたら「はい!」で帰る時も「はい!」みたいなvarじゃなくてletとかconst使えって話

なんかするとゆうたらおらんなとおもったら「おるよ」とかそういえばおったっけとおもたらもういないみたいなtempな変数みたいな挨拶もせんやつに名前なんかいらんっちゅう話で個人名を「バイトくん」とかにしたらええって話

この度は って一期一会なのに何度もあるんかとか

お預かりします(自分店員なので料金精算の代行でありチップを頂かない事)を預かるだけやったら返せやとか

なんか全部真実描写自分の思い描いたままに発言しないと気が済まんというのは、文字書きの職業病かそのほかの病やと思うで

2024-06-19

今日派遣社員を辞めたが、これで良かったのだろうか

今日派遣先の最終出勤日だった。

無事に終わってホッとしているが、同時に「これで良かったのだろうか」と複雑な気持ちになっている。

一部上場企業である派遣先には昨年9月一臂から就業した。

派遣社員になるまではバリバリ正社員で働いていたので、派遣としての働くのは初めてだった。

派遣所詮部外者」というのは理解していたので、目立たず言われたことをキッチリなすことを心掛けた。

業務内容は少しぼかすが所謂IT系で、過去に少しだけ経験があったため問題はないだろうと思っていた。

ところがいざ就業してみると、一部上場企業のくせに手順書は管理されてないわ資産管理は雑だわで、対応に大変難儀した。

「こんなに管理できてないのか」と驚いた。

部署社員からの問い合わせ対応もしたが、そもそも問合せ先間違いであることも少なくなく、

「なんでこっちに聞くん?社員が知らないことを派遣社員が知るわけないだろ舐めてんのか?」と思いながら対応にあたっていた。

ガチャ外れと思い年内で契約終了を伝えたが、もう少しだけ続けることにした。

所属部署社員の人柄は大変良かったからだ。

派遣社員からといって邪険に扱わずこちらが分からないことでも丁寧に教えてくれた。

ネットでよく言われる「派遣さん」なんて呼ばれず、ちゃん名前で呼んでくれた。

そんな環境今日捨ててしまった。

自分キャリアと親の介護を考えた結果だった。

派遣先責任者からは、「ずっと残ってくれ、辞めるなんて言わないでくれ」と言われていた。

派遣先納会にも何故か呼んでくれた。

今日見送りの際、「残念だ、残念だ、またいつでも来てくれ」との言葉をいただいた。

派遣なのに、自分想像以上に大切にしてくれていた。

もう終わったことなんだが、ホントに辞めて良かったのだろうか。

こんなに良くしてくれた人達を置いて自分を優先してしまって良かったのだろうか。

ぶっちゃけ自分キャリアなんてもうどうでもよく、仕事を通じて自分誰かのためになるならそれでいいと思ってる。

派遣先でもそれは達成できていた。

親の介護だって、好きで面倒を見たい訳ではない。

たまたま同居していて、倒れたもんだから俺が面倒見るしかなくなった。

どうしてこんなことになったんだろうか。

次は正社員に戻るが、同僚がいい人たちならどんな環境でも絶対に辞めないと誓った。

もうこんな思いは御免だ。

さっさと忘れて前を向こうと、夕暮れを見ながら思った。

追記

今日派遣を辞めたところまでがファクトですか?

残念ながら全部ファクトなんだわ。

自分派遣元にとってただの商品だってこと理解してるんだよな?

自社の商品を雑に扱う小売もメーカーも無いわけで

お前は派遣先トラブルも起こさず文句も言わず

まともに勤務してピンハネされてくれた良品なんだから

そりゃ派遣元にゃ大切に扱われるだろ

大手社員だって派遣社員を無碍に扱って恨みを買うわけにもいかねえしよ

良い方に考えすぎだよ

ほんとそれ。

そもそも転職したのは「このままではいい様に使われているだけ」と思ったことがきっかけだった。

それで割り切れればいいんだがね。

社員の人が良すぎて罪悪感が

2024-06-09

anond:20240609100724

戸愚呂弟「他の誰かのために120%の吸水ができる…それがお前たちの強さ…」

2024-05-25

大事なのは人の心を動かすストーリーを構築できるかという点なんだよ、社会運動においても

アンチなんとか」みたいなものは、誰かの足を引っ張るのが目的から差別を打倒するために立ち上がるとか、歴史が積み上げてきた過ちと向き合うとか、誰かのために自分を捨てて戦うみたいな正義ストーリーの型にはまらないの

からから見ると、卑怯者がなんか叫んでる、みたいな風にしか思われない

2024-05-23

人のために動くと書いて、働くという字になる

お前の今日一日は誰かのためになったか

2024-05-20

anond:20240520113110

千円超えの定食は勤労している男性にとって身分不相応な高い食事でもなんでもないですよ。ちゃんと相応してます

誰かのためにお金を使いたいなら寄付をしてみては?

2024-05-17

弱者男性結婚しろ

本当に満たされるし誰かのために頑張れる

もちろん結婚さえすれば幸せとは限らないよ

でも大部分の弱者男性ぼんやりと感じてる生きづらさ

その答えは意外と結婚が鍵なんじゃないかと俺は密かに思ってる

2024-05-09

anond:20240509084153

刺殺された女さんの話か?

男が入れあげていただけなので、男さんを守るのは良くないと思います

男さんは自分でなんとかするべきであって。端金は人を殺すには最低の理由なので。

人殺していい金額は1億からだよ。


防犯意識は分かるけど、「恨みを買うな」や「アスペ一般教室に来るな」は無理だろ。

「恨みを買うな」は逆恨みってのもある。金を搾取したところで「アナタとはお別れです」って言われたら男は下がるべきであるイタリアを見習え。マンマ最強国家だぞ。

アスペ一般教室に来るな」ってのは極端だが「いじめの原因はソイツが教室に馴染めない/ソイツの存在教室常識にそぐってない」ってするなら、ただの「差別」じゃん。

いじめ回避するために、差別容認する(区別差別だぞ(笑))ってのは、やりすぎでしょ。

そもそもアスペくんが私達の日常を圧迫してきますが、それはアスペくんだけではなく、私達も誰かを圧迫しているのですから、受け入れましょう」が正しい着地だろ?

増田ジャップから「今まで通りの価値観日常!」を維持したいんだろうけど、アスペいじめず受け入れよう、ってのが今の世の中なんだから「健常者が我慢しろ」ってのは正解だよ。

合わせられるのは「健常者だけ」なんだから

誰かのためにみんなで貧乏くじを引くのが正しい民主主義であり、その不便と損を是として維持し続けるのが自由主義だぞ。

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