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2022-07-30

anond:20220730122241

権利権利が衝突する時は、最大幸福で最小で権利を制約するもんなんだぞ。

累進課税がないと、金持ちべらぼうに強くて弱者蹂躙する1920年代みたいな社会になるの。

金持ち金持ちって時点で弱者を害せるのだから

なお、累進課税や、ケインズ主義で景気を軽い労働力不足の状態を維持する以外の解だとマルクス主義暴力でぶっ潰すしかないがよろしいか

2022-06-20

Li-ion電池の値段が下がることに文句を言ってた増田追記です

anond:20220620011640

(6/21 1:15 追記

なんか元増田とかこの増田で「リン酸鉄系電池のせいでリンが枯渇する・枯渇が近づく」って言う内容を読み取ってる人がいるみたいだけど、そんなこと書いてないよ。元増田では追記で「枯渇が見えてる資源を使ってたら価格が下がっていくとは考えづらい」って書いたし、ここでは「問題消費量じゃない」って書いてるよ。書いてないことを読み取られても反論のしようがないからね。

追記終わり)

書き方が悪くてEVアンチだと思われている節があるんですが(ただこれは完全に私が悪いです。すみません)、あくまで現状の電池技術ではコモディティ化は難しいだろうということを資源という面から書いたつもりでした。いい加減なことを書いているとまで言われてしまったのは心外だったけどね。

以下は気になったブコメへのコメントです。

korilog 埋蔵量はその時点で経済的メリットの出る採掘量なので、採掘技術進歩価格の高騰で増える。自分子供の頃にはお前らが大人になる頃には石油が尽きるからなって言われてたけど、寧ろ尽きるまでの年数が伸びてる

そうだね。でも価格が上がってしまうとますますコモディティ化からは遠ざかるよね。

muchonov 電池技術開発の弾込めは日本含め世界中で高密度化とレアメタルフリー(=廉価化)を目指して突き進んでるので自分は楽観的。次世代Li系は概ねコバルトフリーだし、本命はほぼ無尽蔵のNa・K系。リンは→https://bit.ly/3b1rPGk

そうだね。でもね、リチウムイオン電池って30年前には実用化されてた(1991年ソニー)んですが、EVとして普及し始めたのはこの10年ほど。あくまタイムスケールを感じてもらうためにこの例を出したので、そのまま当てはめることはできないけど新しい電池を車用に実用化するとなったらそれなりに時間がかかるのは覚悟しておくべきだろうね。多分今のEVブームが盛り上がっている間(今のインフレ退治の後の景気後退が来るまで)には間に合わないだろうな。でも、多分EV一般的に普及させるのは全固体電池なり金属空気電池だろうなとも思うから投資は惜しまないでほしいなとも思うね。

リン酸鉄系について色々ブコメ増田があったんだけど anond:20220620101253   に答えるのが手っ取り早そうだから答えるね。

あのさあ、LFP電池が使うリンの量なんて、農業利用される莫大なリン量に比べたらタカが知れてるというか、はっきり言って誤差のレベルでしょ

そうだね。でもね、問題消費量じゃないんだ。リン酸塩の値段は今後も続くリン採掘によって上がっていく。「肥料じゃなくて電池にするから安くしてくれ」なんてできないんだよ。現にウクライナ侵攻後にFertilizer prices indexの値段は2倍になってるからこの影響は半年もしたら出始めると思うな。あとね、個人的心配してるのがこのあと天変地異なりでリンの値段がさらに急騰した場合安全保障名目中国政府梯子を外してくるんじゃないかということ(四川大地震の時に似たようなことが一回あったみたい)。リンレアメタルよりも大事な、人間にとって生きていくのに絶対必要元素なのでそれを電池に使い続けるのは政治的にも難しいと思うな。

そもそもLFP電池自体がNMC系のLiBに比べて長寿なうえに、最後までバッテリセル内に滞留してて100%リサイクルできるから

これは違うよ。調べてもらったらわかるけど二次電池の正極活物質リサイクルって実は難しくて、今やってる電池リサイクルって実は負極に使う銅箔など肝心の正極以外のものが多いんだ(実は三元系でもまだそんなにできてないんだ)。リサイクルビジネスになるかどうかを無視したとしてもリン酸鉄のリサイクルなんて今出回り始めたEVリサイクルをするわけだから10年後に軌道に乗るビジネスだよね。もうすでにリン鉱石の値段が上がり始めている現状で10年後のリサイクルの話をされても、、、って思うね。それこそ次世代電池が普及し始めてるかもしれなくない?

元増田みたいな主張に対して「EVオワタ論者が寄ってきてセンセーショナルになりがちな風潮はマジで吐き気がする」って思う人はむしろ増えると思うよ

これはその通りで、書き方がよろしくなかったと思っていますすみません。あと書き方が悪かったのは承知の上で言ってるけど自分EVアンチでもテスラアンチでもCATLアンチでもないです。CATLは本当に世界一電池メーカーだと思ってるしめちゃくちゃ期待してます

以下はその下の部分に対してのコメントです。




市場原理の話はまあ定性的理解できるんだけど、さっきのタイムスケールの例からもわかると思うけど電池進歩って半導体みたいに速くないんよ。レアメタル使わないのは結構なんだけど、それが使えなかったとしてもみんなEVなり蓄電池が欲しかったらレアメタルを使ってる電池を使わざるを得ない(後、電池の新技術って声高に宣伝される割に実際実用に耐えるのが出てくるのってそんなに多くないんだよね)。個人的なところを言うと新自由主義的な市場原理技術革新を説明するのは開発者ちゃんと儲かる仕組みを作ってからにしてほしいとおもうね。




自動車の電動化についてはおそらく業界の人はみんな避けられないと思ってるよ。でもね、100年ほどの自動車歴史を振り返ったらわかるんだけど先進技術がほぼ100%で不可逆的に普及するタイミングってほんとわかんないんだよね。100年前のアメリカの例で考えてみよう。

1900年代ー1920年代アメリカって蒸気、ガソリン電気自動車が鼎立していて、蒸気はPWRの面で、電気は航続距離の面で難があった。だから当時の人もこれからの主流はガソリンになるんだろうなって思ってて、実際ガソリン自動車会社創業ブームになって1900年代はアメリカ全土でおよそ300もの自動車会社存在したんだ。ガソリン車っていうのは既存自動車に比べて

という利点があった。だからたくさん参入してきたんだ。でもね、結局ガソリンエンジン車の普及とBig threeの隆盛が決定的になったのは自動車技術問題じゃなくて、世界恐慌とその頃にテキサスで大油田発見されてガソリンが安くなったからなんだ。その頃にはもうアメリカ全土にあったガソリン車に群がった中小企業世界恐慌でもう潰れてる。だからその後のアメリカ自動車市場は生き残ってたクライスラーGMFordの寡占になったんだよ。

 この例から見てもわかるんだけどね、みんなわかってるんだよ。次に来る技術は。でもそれが決定的に普及するのは外部的要因に依存することが多くて時期は本当に読めない。だからそこまで体力を温存するという戦略もできるし、むしろ自分でその変化を起こしてやろうという戦略もとれる。どちらが正解なのかは正直分からない。でもね、技術的な側面だけじゃなくて社会的な側面から見ても現状の技術でのリチウムイオン二次電池電池コモディティ化させるゲームチェンジャー足り得ないだろうというのが正直な感想になる(将来的にもないとは言ってないよ!あくまで今の技術ではという話)。ただしその答え合わせは10年後かもしれないし、もしかしたら30年後かもしれない。もしかしたら水素なりアンモニアゲームチェンジャーになるかもしれない。だから日本人としてはトヨタ戦略が正しいと思いたいけど、そうではないかもしれないとは思っています。でもちょっとでも日本自動車産業応援してくれると嬉しいな。

2022-06-17

歴代ノーベル文学賞受賞者と、受賞理由

https://moriishi.com/entry/nobel-prize-in-literature-early20c

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E6%96%87%E5%AD%A6%E8%B3%9E%E5%8F%97%E8%B3%9E%E8%80%85%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

面白かった。ウィンストンチャーチルも受賞してたの知らなかった。

日本人

1968年 川端康成 (1899 – 1972)

日本人の心の真髄をすぐれた感受性をもって表現し、世界の人々に深い感銘を与えたため

受賞講演 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A7%81%E2%80%95%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BA%8F%E8%AA%AC

1994年大江健三郎 (1935 – )

詩趣に富む表現力を持ち、現実虚構が一体となった世界創作して、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている

2017年 カズオ・イシグロ (1954 – )

壮大な感情の力を持った小説を通し、幻想的な世界とのつながりの感覚の下にある深淵発見した

───────────────────

1901年 シュリ・プリュドム(仏)

高尚な理想主義芸術的完成度の形跡、心情と知性の両方の資質の珍しい組み合わせを与える、詩的な構成物に対して

1902年 テオドールモムゼン(独)

彼の記念碑著作"ローマ史"を代表作として、存命中歴史著作家の中では最大の巨匠であること

モムゼン ローマ歴史I―ローマの成立―

1903年 ビョルンスティエルネ・ビョルンソン(ノルウェー

その感化の鮮度と精神の希少な純度の両方において名高い、高貴で壮大、且つ多彩な詩に敬意を表して

アルネ

1904年 フレデリックミストラル(同時受賞)(仏)

プロヴァンス言語学者としての重要な業績の他、自然景観と人々の土着の精神を忠実に反映した、彼の詩作の新鮮な独創性と真の触発に対して


1904年 ホセ・エチェガライ・イ・アイサギレ(同時受賞)(スペイン

独創的で個性的手法スペイン演劇の偉大な伝統を復活させた、数多くの鮮やかな構成物に対して


1905年 ヘンリク・シェンキェヴィチ(ポーランド

叙事詩作家としての顕著な功績に対して

1906年 ジョズエ・カルドゥッチ(伊)

念入りな学究とその成果を評価するとともに、創造的なエネルギースタイルの新鮮さ、詩的な傑作を特徴づける叙情的な力に敬意を表して

1907年 ラドヤード・キプリング(英)

この世界的に有名な作家創作を特徴づける、観察力、想像力独創性、発想の意欲と、叙情非凡な才能に対して

ジャングル・ブック

1908年 ルドルフ・クリストフ・オイケン(独)

真実のための本格的検索思考の一貫した力、視野の広さ、表現の暖かさと強さによって、数多くの作品の中で人生理想主義哲学実証したこと

1909年 セルマ・ラーゲルレーヴスウェーデン

その著作を特徴付ける崇高な理想主義生気溢れる想像力精神性の認識を称えて

ニルスのふしぎな旅

1910年 パウル・フォン・ハイゼ(独)

叙情詩人、作家そして世界的に知られた短編小説家としての長年の創作活動を通して世に送り出してきた、無上の芸術性、理想主義の浸透を賞賛して

1911年 モーリス・メーテルリンクベルギー

多岐にわたる文学活動特に戯曲の数々を評価して。豊かな想像力と詩的な空想は、時に御伽話の形を装いながらも、それぞれの作品神秘的な方法で読者ひとりひとりの感性に訴え想像力を刺激する間、深い創造的発想を明らかにする

青い鳥

1912年 ゲアハルト・ハウプトマン(独)

主に、演劇の分野での豊饒で多様、且つ顕著な功績に対して


1913年 ラビンドラナート・タゴール(印)

西洋文学一角なす英語思考表現された、至極の技巧による彼の深く敏感な、鮮やかで美しい韻文に対して

1914年該当者なし

1915年 ロマン・ロラン(仏)

彼の文学活動の高尚な理想主義に、人類の異なるタイプ描写した思いやりと真の慈愛に、敬意を表して

ジャン・クリストフ

1916年 ヴェルネル・フォン・ヘイデンスタム(スウェーデン

我々の文学における新時代を率先的に代表する者としての重要性を認めて

1917年 カール・ギェレルプ(同時受賞(デンマーク))

崇高な理想に触発された、彼の多様で豊かな詩に対して

1917年 ヘンリク・ポントピダン(同時受賞)(デンマーク

デンマーク現代生活の本格的な描写に対して

1918年該当者なし

1919年 カール・シュピッテラースイス

1920年代

1920年 クヌート・ハムスン(ノルウェー

彼の記念碑著作"土地の成長"に対して

ヴィクトリア (岩波文庫)

1921年 アナトール・フランス(仏)

格調高い様式人類への深い共感優美さ、真なるガリア人気質からなる作風による、文学上の輝かしい功績が認められた。

神々は渇く

1922年 ハシント・ベナベンテ(スペイン

スペイン演劇の輝かしい伝統継承する、幸福手法に対して

1923年 ウィリアム・バトラー・イェイツアイルランド

芸術性が高く精妙な詩歌によって国民全体の精神表現した貢献に対し

1924年 ヴワディスワフ・レイモント(波)

彼の偉大なる国民叙事詩"農民"に対して

1925年 ジョージ・バーナード・ショーアイルランド

他に類を見ない風刺に満ち、理想性と人間性を描いた作品を送り出した事に対して


1926年 グラツィア・デレッダ(伊)

まれ故郷の島での生活人間一般的問題を深く人工的に明快に描写した、理想的な天来の著作に対して

1927年 アンリベルクソン(仏)

彼の豊かで活発な発想と、それが表現された鮮やかな技巧に対して

時間自由

1928年 シグリ・ウンセット(ノルウェー

主に、中世北欧生活についての力強い著述に対して

1929年 トーマス・マン(独)

主に現代古典としての認識を広く得た傑作『ブッデンブローク家の人々』に対して

ブッデンブローク家の人びと

魔の山

1930年 シンクレアルイス(米)

活き活きとした写実的描写技術および機智とユーモアを伴った、新しいタイプ人物を造形する能力に対して

本町通り

1931年 エリクアクセルカールフェルトスウェーデン

エリクアクセルカールフェルトの詩に対して

1932年 ジョン・ゴールズワージー(英)

"フォーサイト物語"で頂点を極めた、優れた物語芸術に対して

林檎の樹

1933年 イヴァンブーニンソ連

散文によって古典的なロシア伝統継承した厳格な芸術に対して

呪われた日々、チェーホフのこと

1934年 ルイジ・ピランデルロ(伊)

劇的且つ美しい芸術を、大胆且つ独創的に復活させたこ

月を見つけた

1935年該当者なし

1936年 ユージン・オニール(米)

悲劇の独創的な概念を具現化する、彼の戯曲の力強さ、誠実的さ、深い感情に対して

楡の木陰の欲望

1937年 ロジェ・マルタン・デュ・ガール(仏)

"チボー家の人々"で、現代生活のいくつかの基本的な側面のみならず、人間葛藤を描いた芸術の力と真実に対して

チボー家の人々

1938年 パール・S・バック(米)

中国での農民生活の豊かで真に叙事詩的な記述と、彼女の伝記の傑作のために。

1939年 フランス・エーミルシランペー(フィンランド

1940年代

1940年該当者なし

1941年該当者なし

1942年該当者なし

1943年該当者なし

1944年 ヨハネス・ヴィルヘルム・イェンセン(デンマーク

広い視野知的好奇心と大胆で新鮮な創造スタイルに結びつけられた、彼の詩的想像力の類稀なる強さと豊かさに対して

1945年 ガブリエラミストラルチリ

その力強い動機に触発された抒情詩によって、彼女の名が全ラテンアメリカ世界理想主義的な願望の象徴と化したこと

1946年 ヘルマン・ヘッセスイス

古典的な博愛家の理想と上質な文章を例示する、大胆さと洞察の中で育まれた豊かな筆業に対して

車輪の下

1947年 アンドレジッド(仏)

人間問題や状況を、真の大胆不敵な愛と鋭い心理洞察力で表現した、包括的芸術的重要著作に対して

狭き門

1948年 T・S・エリオット(英)

今日(こんにち)の詩文学への卓越した貢献に対して

1949年 ウィリアム・フォークナー(米)

アメリカ現代小説に対する、強力かつ独創的な貢献に対して


1950年代

1950年 バートランド・ラッセル(英)

人道的理想思想の自由尊重する、彼の多様で顕著な著作群を表彰して

哲学入門

1951年 ペール・ラーゲルクヴィスト(スウェーデン

人類が直面する永遠課題に対し詩作により解を探ろうと試みる芸術的活力と真の意味での精神的自立に対して

バラ

1952年 フランソワ・モーリアック(仏)

彼の小説人間生活ドラマに浸透した、深い精神的な洞察力と芸術的な強さに対して

テレーズ・デスケル

1953年 ウィンストンチャーチル(英)

歴史や伝記の記述熟達に加え、高揚した人間価値についての雄弁な庇護であること

第二次世界大戦

1954年 アーネスト・ヘミングウェイ(米)

"老人と海"に代表される、叙述の芸術への熟達と、現代ストーリーテリング形式に及ぼした影響に対して

老人と海

1955年 ハルドルラクスネスアイスランド

アイスランドの偉大な物語芸術革新した、彼の鮮やかで壮大な力に対して

1956年 フアン・ラモン・ヒメネス(西)

高邁な精神芸術的純度の一例を構成する、スペイン語による彼の叙情的な詩に対して

1957年 アルベール・カミュ(仏)

この時代における人類道義心に関する問題点を、明確な視点から誠実に照らし出した、彼の重要文学創作活動に対して

1958年 ボリス・L・パステルナークソ連

現代風の叙情的な詩、および大ロシア歴史伝統に関する分野における、彼の重要な功績に対して

ドクトル・ジバゴ

1959年 サルヴァトーレ・クァジモド(伊)

古典的な火で現代生活悲劇的な経験を照らし出す、叙情的な詩に対して

1960年代

1960年 サン=ジョン・ペルス(仏)

我々の時代の状況を先見的に反映した、彼の詩の高らかな飛翔と喚情的な形象に対して

1961年 イヴォ・アンドリッチユーゴスラビア

自国歴史主題人間運命を叙述した、彼の偉大な力量に対して

宰相の象の物語

1962年 ジョン・スタインベック(米)

優れた思いやりのあるユーモアと鋭い社会観察を結びつけた、現実的で想像力のある著作に対して

怒りの葡萄

1963年 イオゴス・セフェリス(希)

ヘレネ世界観への深い感情から着想を得た、優れた詩作に対して

1964年 ジャン=ポール・サルトル(受賞辞退)(仏)

アイデアに富み、自由精神真実の探求に満ちた彼の作品が、私たち時代に広範囲な影響を与えてきたことに対して

嘔吐 

1965年ハイル・ショーロホフ(ソ連

彼の「ドン」の叙事詩によって、ロシアの人々の生活歴史的な段階を表現した芸術の力と整合性に対して

静かなドン

1966年 シュムエル・アグノン(同時受賞)(イスラエル

ユダヤ人の人々の生活モチーフにした、深遠に個性的な叙述の芸術に対して

1966年 ネリー・ザックス(同時受賞)(スウェーデン

イスラエル運命を伝える優れた詩と劇作に対して

1967年 ミゲル・アンヘル・アストゥリアスグアテマラ

ラテンアメリカ原住民伝統国民性に深く根ざした、鮮やかな文学的業績に対して

マヤの三つの太陽

1968年 川端康成日本

日本人の心の精髄を、すぐれた感受性をもって表現世界の人々に深い感銘を与えたため

雪国

1969年 サミュエルベケットアイルランド

小説戯曲の新たな形式の中で、現代人の悲惨を描き、その芸術的な偉業を果たした彼の作品に対して

ゴドーを待ちながら

1970年代

1970年 アレクサンドル・ソルジェニーツィンソ連

ロシア文学の不可欠な伝統を追求したその倫理的な力に対して

収容所群島

1971年 パブロ・ネルーダチリ

一国の大陸運命と、多くの人々の夢に生気を与える源となった、力強い詩的作品に対して

1972年 ハインリヒ・ベル(西独)

時代への幅広い眺望と鋭い描写によって、ドイツ文学刷新に貢献した

1973年 パトリックホワイト(豪)

文学新大陸を導入した、叙事詩心理的叙述の芸術に対して

ヴォス―オーストラリア探険家の物語

1974年 エイヴィンド・ユーンソン(同時受賞)(スウェーデン

地域および各時代俯瞰しつつ自由のために奉仕する語りの技法に対して

1974年 ハリーマーティンソン(同時受賞)(スウェーデン

露のひとしずくを捉えて宇宙を映し出す作品群に対して

ニアーラ

1975年 エウジェーニオ・モンターレ(伊)

2022-05-08

anond:20220507225232

2011年アニメ2021年ゲームをひとまとめに同時代として語ることで

2100年代ごろの人間のように見せる演出技法なのかとおもったのだが

どうもそういうのとは違うらしい

俺らも1920年代1930年代エンタメ作品の違いなんてわからんでしょ

戦前」のひとくくりで同時代扱い

2022-04-25

anond:20220425152430

現代打者投手に投げるコースを指図してはいませんし、投手本塁から15メートル強の至近距離から投げたりはしていません

1920年代には7回も記録されたシーズン打率4割は1941年最後に80年も途絶えています

これらの事実によって野球歴史がどうにかなってリスペクトは失われたのでしょうか

2022-01-21

anond:20220121150248

本能の語が用いられなくなった理由ひとつは、これが説明的な概念としてはあまり役に立たなかったためである。(中略)アメリカ科学史カール・デグラーによれば、1920年代から30年代にかけてアメリカ人類学心理学の文献からこの語が急速に消えた。これは人種主義と結びついた優生学運動の人気の凋落と、行動主義文化決定論のような空白の石版説の人気の高まりの時期と一致する。

そもそも本能」という概念自体優生学的なんだね。

2021-11-21

アナザーラストパーティー

スカイステージ I

スタジオ: 1920年代世界観

  • 橋の上

めっちゃ恥ずかしいです

  • 旧桜宮公会堂

スタジオ: 物語の流れに沿って撮れたら

スタジオ: 出てきたのか着いたのか、最初の2人での撮影

わたくしのMrs. Fitzgeraldこと

うれしいです

ステキステキとってもステキ

久々に20年代スタイル

20年代スタイル 女のかた

うれしい れいこさんステキです

出会い始め 一番燃えてた時

もうドキドキしすぎてどうしようかと

息止まってる

れいこさんがお綺麗すぎて

あげてくる

そんな(肩タッチ

スカイステージ II

スタジオ: 幸せだったところに少し翳りが見え始めた

パーティーしすぎて疲れちゃってる、飲み過ぎた

オフの化粧で男役フィッツジェラルドっぽく見えてたらいいんですけど

(傾いて)見えてます。すごく思い出します(月城氏はにかむ)。結構前 [1年弱?] なんですけれども、ラストパーティー終わるのが嫌なぐらい好きだったので、あの時の雰囲気を思い出せてうれしいです。

セットがないと難しいね

終わりましたー

お疲れさまでしたー(寄せる)

写真集撮影これで全部?!終わりましたー!!

どうでした?(肩に手を置く)

れいこさんのフォトブックに出させていただけたことが嬉しかったんですけど、大好きなラストパーティーの題材で、最後撮影は2幕を思い出して涙が出てきそうになりました。

美女に来ていただけて、写真集も華やぎました。よかったです。ありがとうございました。

DVD I

ラストパーティーといえば、のあの方も、今回特別に出てもらえるので、2人の絡みも、お楽しみに!

めっちゃ撮られてる、近い

スタジオ: 接近、近付き具合

DVD II

恥ずかしくなく、撮れてます

最初は緊張しすぎて息止まってたんですけれども、少しずつ落ち着いて撮影できてるかなと、思っております

20年代雰囲気が好きだったので

スタジオ: 20年代大人っぽい女性がとても似合う、オフのお化粧でも素敵になるんじゃないか

大人っぽい雰囲気を持ってるので、シンプルにすっきりさせたほうがいいかな。これが一番彼女大人っぽさに合ってるかな

スタジオ: ほんとにとてもきれいで、華やいだ

2021-06-22

anond:20210622160310

もともと「00年代」には呼称が無かった(10年ごとに時代を区切る習慣は1920年代から始まった)ので、

2010年頃になってnoughties(noughtがゼロという意味)という呼び方が作られた、という話らしいね

その流れで「10年代」をどう呼ぶかについても議論があって、

  • Tens
  • Teens
  • Tenties
  • Oneties

あたりが有力らしい。

2021-02-09

anond:20210209114012

似合ってて周りの評判も良かったのに永久脱毛ちゃうのか。

将来ヒゲ生やしたくなってももう生えてこないのは寂しくないのか?

1920年代くらいか男性ファッション歴史的に見ても、今はヒゲ一時的にウケてないだけの時代という気がするので、多少面倒でも髭が生えてくる選択肢は残したい。ヒゲ腋毛陰毛と違って場合によってはオシャレの選択肢なので。

2020-11-24

リーゼント」は後頭部のみを指すのか?

一般に「リーゼント」とは、ポマードなどを使って前髪を盛り上げ、側面の髪を後ろに流して固めた髪型のことを指す。

この「リーゼント」というのは和製英語である

英語圏では、前髪を盛り上げる髪型をポンパドール、側面の髪を後ろに流す髪型をダックテイルと言う。

そのため三つの解釈流通している。

  1. リーゼント」とは「ポンパドール」のことである
  2. リーゼント」とは「ポンパドールとダックテイル」の組み合わせのことである
  3. リーゼント」とは「ダックテイル」のことである

特に近年では「3」が正当で「1」や「2」は誤用だとされることが多い。

事実は奈辺にあるのだろうか。

疑問を持った我々はインターネット大海に漕ぎ出した。

まず「リーゼント」は戦前から存在したようである

以下のブログ引用されている1964年新聞記事には、理容師増田英吉によるリーゼント誕生秘話が書かれている。

http://mudamuda.hatenablog.com/entry/regent

むかし、リーゼントスタイルというのがあった。戦後一世を風びした、流線型のあれ。これを二十代で考案したのが増田さん。

(中略)

ヨーロッパ人にくらべ、日本人は髪がかたいこと。もう一つは「ひたいから頭のうしろまでの距離が短いこと。まあ顔面角のせいなんでしょうかねえ」。あとの方のハンデを克服しようと考案したのが、リーゼントスタイル。前面をいったんふくらまして、うしろになでれば、髪が落ち着く距離が長くなる――これがそのヒントだった。

リーゼントについて詳しく調査された以下の英語記事でもほぼ同じ説が採用されている。

https://neojaponisme.com/2014/10/09/history-of-the-regent/

1920年代後半、東京モダンな街・銀座には、スタイリッシュ若者たちが集まっていた。モボ(モダンボーイ)はワイドパンツにかっちりとしたスーツを着こなし、モガ(モダンガール)は洋装和装ミックスしたスタイルだった。彼らの髪型として、モボはポマードで髪を後ろに流しており、その見た目からオールバック」と呼ばれていた。

1933年東京モダン理髪店は、現代紳士のための次のスタイルを求めていた。銀座とある気鋭の美容師が、サイドを後頭部に流し、高島田花嫁のように前髪を押し上げるスタイルを考案した。エキサイティング外国語名前を探していた理髪師は、それを「リーゼント」と名付けた。

これらの説明によれば、この時点ですでに「リーゼント」は単なる「ダックテイル」ではなく、「膨らませた前髪」と一体になった髪型を指している。

ただし、ここでの「膨らませた前髪」はポンパドールと言えるほど大きなものではなかっただろう。

ちなみに「オールバック」も和製英語で、英語ではスリックバックなどと言う。

一方、Google Booksで検索すると「ポールグラウス」という人物が浮かび上がってくる。

三省堂アメリカンカルチャー』より

1934 (昭和7 )年ごろ、日本リーゼントが紹介された。正しくはその前年1933年6月のこと。当時発行されていた専門誌『美髪』の口絵写真掲載された。これをもってリーゼント流行は'33年に遡る、とするむきもあるが、それは正しくない。リーゼント型、という名前とその写真がのっただけで、はやったわけではない。いや、はやらそうにも誰もその仕上げ方を知らなかったのだ。再びリーゼントが紹介されるのは1936年3月。同じく『美髪』誌上で、イギリスの理髪師ポールグラウスなる人物技術解説を試みた。

グラウス1932年ごろにイギリスの理容雑誌で「リーゼントスタイル」を発表しているらしい。

まり、このグラウスが「リーゼント」の生みの親であるという。

命名者がイギリス人なら「撫で付けた横髪がリーゼントストリートのようにカーブしているから」という日本人離れした命名センスにつじつまが合う気もする。

このグラウスリーゼントは「前髪を横分けにして、横髪は長く伸ばして後頭部へ撫で付ける」というものだったようだ。

「ダックテイル」に近いが、やはり「前髪」の形とワンセットで説明されている。

いずれの人物が考案したにせよ、二十世紀初頭に世界的に流行したオールバックのバリエーションとして、日本では1930年代に「リーゼント」が登場したということになる。

さらに言えば「ダックテイル」が発明されたのは1940年アメリカだというので、むしろ誕生リーゼントのほうが先である

まあ、元となったオールバック自体シンプル髪型から、当時似たようなアレンジは多かったのだろう。

当時の日本で、リーゼントで有名だった人物としては榎本健一灰田勝彦岡晴夫あたりが挙げられるが、いま見れば「前髪を横分けにしたオールバック」といった感じである

ただ、前髪をぺったりと撫で付けたオールバックと比べると、この「リーゼント」の前髪はボリュームがあると言えるのかもしれない。

https://www.amazon.co.jp/dp/B001BBXG4Y

https://www.amazon.co.jp/dp/B01M5DHEU9

さて、リーゼントポマードを大量に使うので戦時中日本では禁止されて退潮したが、戦後すぐにアメリカ兵のファッションを真似るかたちで復活した。

いわゆる「アプレ族」である

https://danshi-senka.com/archives/191

リーゼントヘアで頭を固め、サングラスアロハシャツ姿で第2次大戦後の街中を闊歩するアンチャンたち。無軌道な行動をとるこのような若者たちを、当時のマスコミフランス語アプレゲール(戦後という意味からこのように呼んだ。(中略)彼らのファッションのお手本となったのは、日本に進駐してきたアメリカ兵隊たちのカジュアル服装で、つまり戦後まもなくのアメリカンスタイルの真似をしたに過ぎない。

リーゼントアロハシャツ岡晴夫の影響だともいうが、要するにアメリカかぶれの不良少年といったところである

どちらかと言えば紳士向けの髪型だった「リーゼント」が、この時期から不良文化と結びつけられるようになったのだと思われる。

ちなみに欧米でも「戦争ポマードが統制され短髪が奨励される」→「髪を伸ばしてポマードを大量に使う俺ってワルだろ?」という流れで、ポンパドールやダックテイルが不良の象徴となったという面はあるらしい。

さら1950年代に入って大きな変化が起きる。

イギリスではテディ・ボーイ、アメリカではエルヴィス・プレスリージェームズ・ディーンと言ったように、欧米流行していた「ポンパドール+ダックテイル」というスタイル日本に輸入されてきたのである

特にエルヴィスの影響力は凄まじく、日本でも1958年デビューした「ロカビリー三人男」などがエルヴィスを真似たスタイルで人気を得た。

このときに「ポマードで固めた前髪と後ろに撫で付けた横髪」という共通点で括られて、エルヴィス的な「ポンパドール+ダックテイル」のことを、日本では「リーゼント」と呼ぶようになったのだろう。

まとめてみよう。

以上からすると、「リーゼントとはダックテイルのことである」とは言えないように思う。

少なくとも「ダックテイル」のみをリーゼントと呼んでいた時期は存在しなかったのではないだろうか。

2020-11-11

anond:20201111173011

パーソナルカラーは、1920年代の色彩の芸術理論が元になっている。アメリカデザイナーであったロバート・ドア(Robert C. Dorr(1905–1979))は「自然界の色はすべてブルーベース(ブルベ)とイエローベース(イエベ)に分けられ、同じグループの色は調和する」と提唱した。また、スイスヨハネス・イッテンは「自然界の四季の中にすべての色彩の源があり、調和する」という理論が出され、この2点がパーソナルカラールーツとなっている。

はい

まあ「今では開祖のお言葉否定されてるから」と言い訳するかもしれんが

それならイエベだのブルベだのの用語を捨てるべきだよね。

まともな色彩理論を学んでファッションに活かすべきであって

パーソナルカラー固執する必要がない。

2020-11-10

フレンチ・カンカンの穴あき見せパントップレスのショー

カンカンとの出会い

フレンチ・カンカン、というかラインダンスとの出会いは、おそらくは文明堂のCMだ。それからドレミファソネットどしたらできるの」で有名なso-netのCMだ。なぜかこのCMではおじさんの脚線美を見ることになるのだがそれはさておいて、Youtube検索すると今でも天国と地獄に合わせて踊る動画確認できる。

カンカン歴史、当時の見せパン

本題に移ろう。Can-can dressについてはウィキペディアではおおよそこのように述べている。ドレス基本的に何層にもなった大量のフリルがついていて、当時の下着の上に縫い付けられていた。脚は黒いストッキングや網タイツで覆われていた。つまりレオタード姿のソネットCMフレンチ・カンカンではないのである。足の動きの速さからしてまるで違う。

衣装ではなく、カンカンダンスのものについては、日本語版ウィキペディア英語版ウィキペディアで書いてあることが若干違う。おそらく英語から訳したときの版が違うのだろう。

両者の記述を比べてみたが、フレンチ・カンカンにおける見せパン起源はかなり曖昧らしい。足を思い切り上げてスカートの中が見えてしまう動きは、ショーの場では1820年代にアクロバット的な動きで知られるCharles Mazurierがバレエの大開脚を取り入れたことにさかのぼるようである。初期のダンサー娼婦セミプロ役者だけであったのだが、1890年代になるとムーラン・ルージュではトゥールーズロートレックの絵で知られるLa Goulue(食いしん坊さん、的な意味)やJane Avrilなどの高給を取るスターが生まれた。La Goulueのページでは当時の衣装とセットの見せパン確認できる。これらのスター生活は華やかだが晩年は不遇であることもあった。この二人もビジネスの失敗や大恐慌財産を失い、寂しく亡くなっている。

さて、カンカンは足を高く蹴り上げるので、当然スカートの中身が丸見えになる。しかも、それや当時としてはよりスキャンダラスであった。というのも、当時の下着であるpantalettesは衛生上の理由からロッチ部分が開いていたからである。要するに性器丸出しになるわけであるもっとも。そのあとにこんな記述がある。カンカンのための特別下着を用いていたという記録はないが、ムーラン・ルージュでは下着露出は禁じられていたことになっていた、と。どうもこのあたりの記録は曖昧というか[要出典]をつけたくなる箇所が多い。ウィキペディア普段自然科学記事を読むことが多いが、そこよりも曖昧記述が多い印象だ。文体もなんだか違う。

ところで、今のフレンチ・カンカンとして知られる、大人数の女性10分以上高度な振り付けを続けるスタイルは、1920年代アメリカで人気が出たスタイル逆輸入したものでそうである

実際、19世紀から20世紀初頭にかけては女性の脚部を見せるということでかなりスキャンダラスものとしてみられていた。また、陰部を覆う白い生理用(?)下着と黒いストッキング対照エロティックだとして見られていた。さらに、体を折り曲げてスカートを後ろからまくり上げ尻を見せる動作もあったという。先述のLa Goulueはこの芸で知られていたとのこと。また、前の席の客の帽子を蹴り飛ばすほど近づいて、スカートの中身を見せることもあった。もっとも、顔を思い切り蹴られる危険もあったのだが。

結論から言うと、当時のフランスに見せパンのものであったかどうかはわからないが、パンツが見えることは覚悟の上だった、ということになりそうだ。女性器が見えていたかどうかまでは根拠が怪しい。もっとも、今ほど表現自由でなかった当時のこと、そんなことを文学絵画で記録に残せたかどうかは怪しいものだ。ちなみに女性器を堂々と描いて当時の偽善的風潮に反発したクールベの「世界起源」が1868年ヌードスキャンダルを生んだ「草上の昼食」が1863年である

著名なキャバレーについて

パリはいくつも有名なキャバレーがあり、それは近現代芸術芸能に多大な影響を与えてきた。たとえば、ムーラン・ルージュ活躍した人物としてFrank SinatraやCharles Aznavourがいる。それらのすべてをここで述べるのは大変なので、地球の歩き方広告が載っていたと記憶しているものピックアップして簡単に述べる。子どもの頃、トップレス女性旅行ガイドに載っているのを見てドキドキしていたものだ。もっとも、その女性の姿はせいぜい五ミリくらいの大きさしかなかったのだけれども。

学生時代パリを訪れたときには、そこには寄らなかった。一日中美術館で過ごしてぐったりしていたし、まだ女性経験がなくて図々しくなれなかったからだ。今となってはいい思い出である

ムーラン・ルージュ

赤い風車で名高いキャバレーで、ここを舞台にした映画は数知れず。トゥールーズロートレック作品群でも有名。著名なダンサーも多く、全員を紹介するのはとても無理だし、別のキャバレーにも出演していて、キャバレー別に紹介するとややこしくなるので端折る。

ところで、ウィキペディアだけからヌードがどの程度ショーに盛り込まれていたかはわからないが、1893年舞踏会に裸の女性いたことがスキャンダルになったそうである。なんでもヌードモデルが活人画として周囲を歩き回り、裸の女性が深夜にテーブルに立っていたとのこと。一方、英国劇場のように活人画、すなわち生きた人間絵画再現する目的としてならヌード猥褻ではない、という意識もあったようである。例えば英国では劇場ヌードが現れたとき当局1930年代に裸の女性が動くことを禁じた。この禁令をかいくぐるために、モデルたちは活人画のように止まったままとなった(ストリップ記事を参照)。また、戦後日本でも「額縁ショー」と呼ばれるストリップのさきがけのようなものがあった。動かなければ猥褻ではないという謎理論がまかり通っていたのである。当時のGHQが何を意図していたのかはよくわからない。

これまたよくわからないのがゾラ1880年小説「ナナ」では、ヒロインがヴェリエテ劇場でほぼ全裸披露して観客を魅了するという場面があるのだが、実際のところどうだったのだろう? 本記事カンカンについてなので劇場ヌードについては語りつくせないので、今後の課題としておきたい。

1889年開業1915年に一度焼失するも再興し、ドイツ占領時代にも営業を続けて今に至る。

フォリー・ベルジェール

モネ絵画「フォリー・ベルジェールのバー」舞台としても知られる。また、黒人系の女性Josephine Baker活躍したキャバレーとしても知られる。バナナ型のスカート以外はほとんど身に着けていないエキゾチックな姿がオリエンタリズム流行した当時ヒットしたのだが、後にその恰好人種差別的だとされるようになり、そこからネグリチュード黒人意識の発展にも寄与した。また、彼女黒人人権活動家としても知られている。最近グーグル彼女の生涯を記念するドゥードゥルトップにした。

1869年開業1872年に今の名前になる。けばけばしい衣装で知られ、時としてヌード披露されることで知られる。

リド

映画「ファイアbyルブタン」で有名。セミヌードを含む映画公式予告がyoutubeに上がっている。身体をやわらかな特殊素材のように扱ったショーは性欲やエロスの向こう側に行ってしまっており、すごいものになっているとしか言えない。リンクを貼ったら怒られそうなので検索してください。もちろん、そこまで独特なものではなく、もっとわかりやすいショーもある。

ユニークなのはそのショーの一部をyoutubeの公式チャンネルで公開していることだろう。かなり古い白黒のものである。それと、公式ホームページ見ていたら驚いたのだけれども、リド自体には12歳以下の子どもでも入場できるそうであるヌードトップレスがないショーならOKなのか、それとも芸術ヌードならOKなのか。フランス映画年齢制限がないやつでも割と普通におっぱい出てくるし、表現規制の国ごとの温度差を示す実例であるのかもしれない。

1946年開業1920年代の人工的な砂浜をその前身とする。

クレイジーホース

ストリップティーズ」の項目によれば1960年代全裸のショーが行われた、とある

現に、創業者であるアランベルナルダン芸術性を伴った女性ヌードショーを見せるという着想に至ったそうで、要するに最初から全裸である

とはいえ、ただの全裸ではなく、巧みな照明技術により女性の裸体をキャンバスのようにとらえ、万華鏡のようなカラフルかつシャープな模様をダンサーの肌に映し出していることに特徴がある。ただ脱いだだけではないそうだ。1951年開業

余談

天国と地獄の曲を初めて聞いたのは文明堂CMと、音楽ファンタジーゆめでだ。後者CG黎明期であったせいかサイケデリック表現が多く、当時の感覚としても幾分薄気味悪いと同時に、今から振り返ってみると技術の未熟さ(失礼!)から来るアルカイック芸術のような独特の魅力があったように思われる。

ところで、この曲は地獄オルフェとしても知られている。タイトルからすると、ギリシア神話オルフェウスが死んだ妻を冥界から取り戻そうするとする話のはずだ。なのに、なんでこんな軽快な曲なのだろうと思って調べたら、ギリシア神話パロディ的なオペレッタからだそうだ。なるほど。

まとめ

今後の展望

こうしたレオタード姿のラインダンスカンカンではないと述べたが、それではこれはいからあるのか調べたい。おそらく日本国内では宝塚歌劇団関係している。また、バーレスク的なものとの関連について知りたく思う。そもそもバーレスクとは何か、僕はよくわかっていない。日本語版ウィキペディアバーレスクの記事には、乳首と陰部に前貼りを貼っただけの姿でパフォーマンスをする女性写真がある。リンクは張らないが、鍛えられたきれいな体だなあ、僕も筋トレ頑張らなきゃなあ、とは思う。しかし、欲望はそこまで感じなかった。隙がないのである

また、劇場において全裸が許容されたのはいからか、それも調べねばならない。

だが、まずはラインダンス調査に移りたく思う。

2020-09-14

ビーチバレーユニフォーム、極小ビキニ強制歴史

ブルマーの話じゃないけれど

筆者はもともとブルマーのほうが好きで、ビキニ露出しすぎがと思うけれども、お尻に関係しているから書く。

ところで前回の競泳水着記事はあまり伸びなかった。ふんどしまで扱ったのがマニアック過ぎたのか?

それはさておき、ビーチバレーの簡潔な歴史

1895年ウィリアム・G・モーガンが始めたバレーボール派生競技である、とされているが、他にも説がある。1920年代カリフォルニア起源説1915年ハワイ説がある。

プレイする人数も変遷があったようだ。草創期には6人制でであったが、1930年には現在と同じ、ダブルス競技した記録が残っている。もちろん、当時の女性水着は、まだおとなしいものだ。

その後、この競技にはセクシーイメージがまとわりついてしまう。たとえば、1927年にはフランスヌーディストビーチにおけるレクリエーションとして親しまれた。ヌーディズムは元来、性の解放というよりは身体解放に近いのだが、部外者からするとそういうイメージを持ってしまう。また、1950年代米国では美人コンテストテレビ番組タイアップしたショーの一部として、ビーチバレーマスメディアの注目を集めたそうだが、このあたり、少々露骨である

その後の紆余曲折を経て、ビーチバレーオリンピック正式競技になったのは、1996年アトランタ以来である。意外と遅い。

ビキニ強制だった!

さて、英語版ウィキペディアによれば、国際バレーボール連盟1999年ユニフォーム標準化したとき女性衣装は2ピースビキニであることが求められた。一方の男性水着は膝までのショーツで、これは一部の選手の間で強い憤りを生んだ、と書かれている。もう一度書こう。女性選手は、ビキニを着ることを強制されたのである

しかも、次の記事によれば、2012年以前は7cm以内のビキニを着ろ、とされていたそうであるいくらなんでも小さすぎる。ブクマにより修正2012時点では幅7cm以内のビキニか、ワンピース型の水着。ただし、ワンピース型でもハイレグ露出度は高い。僕はセクシーものは大好きだが、こういうのを強制するのはおかしい。

https://www.stuff.co.nz/sport/olympics/82926043/evolution-of-womens-beach-volleyball-uniforms

https://ftw.usatoday.com/2016/08/women-beach-volleyball-bikinis-men-uniform-guidelines-kerri-walsh-jennings

上の記事にあるように、幸いなことに、この規定2012年改訂された。これには、文化的宗教的理由から、肌の露出を好まない選手も参加できるようにするため、という理由もあったし、天候に合わせるため、というのもある。図版で示されているのは、再度の改定である2016年のものであるが、女性男性も、肌を見せたくなければそうしない自由を得た。当たり前のことのはずだが、普及が遅れた理由はよくわからない。どこかでビーチバレーセクシーイメージがついてしまったのか、日本ショーツブルマーのように、とりあえず前の世代から受けついだしこれでいいか、みたいな幾分怠惰姿勢があったのか、そこはわからない。

エッチカメラマン

https://www.insider.com/why-do-women-beach-volleyball-players-wear-bikinis-olympics-2016-8

この記事の冒頭では「女子ビーチバレーはとても注目されているが、不幸なことにそれは選手が何を着ているかであり、彼女たちの腕前についてではない」と記載されている。その通りである。こんな記事を書いている僕がいるくらいだ。

しかし、責められるべきは僕だけではなく、カメラもそうであるウィキペディア英語版によれば「2004年夏季オリンピックにおいて、カメラアングルに関しての調査がなされた。20%は胸部に、17%は臀部に争点を合わせていた。研究は、これは選手の見た目が実際の身体能力よりも注目されていることを暗に示している、と結論付けている」そうだ。

かに性的な面も含めて、運動している人間は美しいと思う。けれども、そういう姿を期待されるのはおかしいし、ましてや強制されているのは筋違いだ。何を着ようが基本的選手勝手だし、それをきれいだと思うのはこちらの自由だ。

美を競う競技に関してはまた別の論点が出てくるし、美と性愛に関しても一言でまとめるのは難しい。ただ、外野の過度な期待に対して、選手がノーと言える環境、そしてそれが炎上したとき選手を守り、サポートする人物や団体が必要ではなかろうか。

選手の声として

https://www.huffpost.com/entry/kerri-walsh-jennings-shuts-down-beach-volleyball-bikini-critics_n_5727bf4ae4b016f378933897

Kerri Walsh Jennings選手の声を、一部試訳する(インタビュー当時37歳)。

ビーチバレーでは、華氏100度(摂氏37.8度)で運動しないといけません。私たちは本気でやっていて、セクシーさをアピールしているのではないのだと、公衆に知ってもらわないといけません」

「御覧の通り、私は女性です。私は鏡を見るときに、自分を厳しく評価してしまます。けれども、私はスポーツをするとき身体を動かしているときだけは、私たち精神に対して肯定的になれるのです」

(訳がこなれていなくて失礼)

結論

今後の展開

スポーツのみならず、舞踏広告などの表現における見せパンブルマーについて、引き続き調査したい。

追記テニスのアンダースコート定義

https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-26667220070629

赤いショートパンツアンスコ?)をはきたかった選手お話

2020-09-05

https://anond.hatelabo.jp/20200902213816

どうも都合のいい総括が行われているようだ。

by-kingしろリフレ派は「なんでそのタイミング増税してるんだよ」ってキレてたでしょ

IthacaChasma 3本の矢のうち、1本目(金融緩和)は上手くいった。しか日銀金融緩和はできても需要は創出できない。2本目の財政出動が全く足りなかった。おかげでデフレ脱却ができず、賃金も増えなかった。消費税率上げは最悪。

yingze 金融緩和だけして、逆に緊縮財政増税してたよね。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200902213816

本来リフレ政策がどのようなものであったか、振り返ってみよう。

戦後の各国は、ケインズ経済学の影響の下で、財政政策および金融政策を用いてマクロ経済の安定化を実現するという枠組みを受け入れてきた。しかし、世界的な固定相場制が崩壊した1970年代以降は、マクロ安定化の手段金融政策を主軸とし、財政基本的公共財公共サービス供給に割り当てるという考え方が定着するようになった。(略)したがって、金融政策をそれ(引用者注国内マクロ経済の安定化)に適切に割り当てておけば、財政政策マクロ政策に用いる必要特にない。

岩田規久男(編)『まずデフレを止めよ』 pp123, 124

この認識を支えていたのが、

1920年代の長期的成長経路への回帰という意味での終焉については、さまざまな要因が指摘されている。「1940年3月のドイツ軍フランス侵攻によるヨーロッパからの大量の戦争資材の発注による輸出の急増とアメリカ自身軍事費の急増による拡張財政政策」(加藤[2001]199-200頁)を強調するのは加藤出氏である白川方明氏も同様に戦争を強調する(白川[2002a])。(略)

アメリカが参戦したのは1941年だが、生産はその前にすでに上昇している。1940年にはほぼ終焉が完成していると考えるべきである。(略)1941年以降、財政支出が増えたことはそのとおりであるしかし、それまでの時期については、それほど増えていない。(略)

さらに、安達氏の研究でも、公共投資の増額は大恐慌から回復終焉とあまり関係がないことがわかる。デフレから脱出が達成された1933年には公共投資は減少していたし(ルーズベルトは、就任と同時に緊縮財政を行っていた)、40年にはまた減少していた(図表5-3を参照)。

岩田前掲書 pp159, 160

という実証と、

そもそも先進国マクロ的な景気対策ほとんど金融政策に頼っている。というのは、資本移動自由場合金融政策財政政策より効果的というマンデル=フレミング理論のほかに公共投資のような財政支出は特定利益集団に利用される可能性が高いために敬遠されるからだ。広範な消費者対象とする減税政策であれば、こうした問題は避けられるが、財政赤字を考えると減税の余裕はないからだ。

岩田前掲書 p210

という理論だった。すなわち、緊縮財政であっても(緊縮でない方がベターであるにせよ)、レジーム転換を伴う十分な金融緩和を実行すればデフレ脱却可能だ、というのが本来リフレ政策であった。これを総括するのであれば、

  1. 本来リフレ政策は誤りで、レジーム転換を伴う十分な金融緩和を行ったとしても、緊縮財政の下ではデフレ脱却はできない。
  2. 本来リフレ政策は正しく、ターゲットインフレ率を実現できていない理由は、レジーム転換を伴う十分な金融緩和が行われていないかである

のいずれかでしかあり得ない。本来リフレ政策が実現されていたにもかかわらず消費増税のせいでデフレ脱却ができなかった、とする冒頭に掲げた意見は、本来リフレ政策は誤りであったというのが論理的必然であると考えるが、そのように理解していいのかな?

2020-09-01

チアリーダーブルマーテニスのアンダースコート

パンツ見ちゃった

性に目覚めたのがいつだったか、覚えている者は少ない。たとえば、裸がエッチだということを知っていて、のぞいて見たいと思うことがあっても、その願望とおちんちんをいじっていて気持ちよくなることと結びつくのは、おそらく思春期以降なのだと思う。性欲は、具体的な対象を持つよりもずっと前から心の奥に不可解なエネルギーとして蓄えられていて、それが将来何に向かうのか、誰にもわからない。

小学生の頃の自分にとって一番エッチだったのは、成熟した女性の裸やおっぱいよりも、同級生パンチラだった。姉妹と一緒に風呂に入っていたので、女性の体など珍しくなかったのだろう。それよりも、めったに見る機会のない同級生下着のほうが、性器のものよりもエッチだった。

スカートめくりはしてはいけないことだと知っていたので、掃除時間雑巾がけの時間に、ばれないようにのぞいていたことを覚えている。どうして中身よりも布切れに興奮していたのか、今になってもわからない。ただ、今でも生のおっぱいよりも長袖レオタードブルマーに興奮してしまうのだから、おそらくおっぱいよりも、パンツというかお尻の曲線に対する執念が根深いのだろう。

チアリーダーパンチラ

そういうわけだから、初めてチアリーダーを見たときには、子どもながらに衝撃を受けた。なぜなら、パンツが見えていると恥ずかしがる普通女の子たちと違って、彼女たちは大胆にも片足を上げてスカートの中を見せるし、時には飛び上がって開脚しながらブルマーを見せる。スカートの色とおそろいのブルマーはかわいらしいし、逆にスカートブルマーの色が違っていたときには、ますます本物のパンチラっぽいというか、見てはいけないものを見てしまったとき特有の興奮があった。今にして思えば、あれだけの体を鍛えている人に対して欲情してしまうのは失礼だと思うのだけれど、きれいな人が多いし、性に目覚めたばかりの少年にとって性欲は未知のもので、どうやってコントロールすればいいのかもわからず、困惑するばかりであった。

ところで、チアリーダー歴史は古い。チア衣装コスチューム1920年代にまでさかのぼる(https://cheer.epicsports.com/cheerleading-shorts-history.html#:~:text=Cheer%20shorts%20or%20bottoms%20worn,of%20spectators%20at%20football%20games.)。もちろん、保守的時代のことだから、今みたいに下着のようなものを見せることはなかった。

流れが変わったのは1960年代だ。スカートの長さが膝丈くらいになり、下着が見えるのを防ぐために、ブルマーを導入したようだ(同上)

ただし、あまりにもスカートを短くしすぎてブルマーが丸出しになるのもだめらしい。次の資料によれば、米国高校チア連盟では、スカートの丈は12から14インチ、(30から35センチ)と指定されている。また、ショーツブルマーよりも2インチ(5センチ)、ボクサーショーツよりも1.5インチ(4.25センチ)長くないといけないらしい。

https://www.wisegeek.com/what-is-cheerleading-underwear.htm

NFLでは、さまざまなチア衣装があって、かっこいいけれども、やっぱり高校生のチアみたいにシンプルで、色気がありすぎないのが、私は好きだ。

https://www.insider.com/history-of-nfl-cheerleader-uniforms-2017-2

テニスのアンダースコート通称アンスコ

純白のテニスウエアの下にブルマーはいているところにとてもドキドキしてしまった記憶がある。やはり、見られることが前提ではないものを見てしまたことによる戸惑いなのだろうか。それとも、同級生女の子パンチラ防止にブルマーをはくようになったせいで、ブルマチラにまで欲情するようになってしまったのだろうか。

さて、古い英国小説を読んでいると、しばしばテニスをやる場面が出てくる。当時のことだから、やはり長いスカートを身に着けて行っていたようだ。それが、やはり60年代ミニスカート流行し、そういうスタイリッシュな姿で運動することがもてはやされた。その結果、パンチラを防止するためにアンダースコートを身に着けるようになったのだろう。

https://www.allure.com/gallery/tennis-fashion-history

https://active.sweatband.com/tennis/tennis-fashion-history-from-long-formal-dresses-to-the-miniskirt.html

ただ、資料が少ないために、フリフリのアンダースコートと、今のようなホットパンツのようなアンダースコートがどのように移り変わったのかの資料は、まだ見つけられていないわざわざ写真に残している人が少ないというのもあるのだろう。下着の服飾史を研究している人々は、こういう人々の恥じらいというか慎み深さで、苦労しているに違いない。

ところで、とあるからテニス部の少女スカートの下にはアンダースコートを身に着けているのはレギュラーで、それ以外の子ブルマーだ、という説を聞いたことがあるのだが、本当だろうか?

まとめ、今後の展望

スカートの中が見えないようにブルマーあるいはそれに準ずるものをはく習慣は、おそらくミニスカート流行しだした60年代に端を発する。そうしたファッションを受け入れる下地が、その時代までにはできていたということか。とはいえビキニ発明1946年のこと、ずっと早い。

今後は同じようにレオタードバニーガール競泳水着起源について調べ、脚を見せるようになる習慣が同時多発的に発生したのかどうかを検証したい。時間もあまりないので、今調べた範囲でごく簡単に述べておくと、バニーガールについては、ヒュー・ヘフナー氏が1960年2月29日に、バニーガールコスチュームを発表したそうである

https://www.pixiv.net/artworks/64464179

参考資料はご存じ、まぐ太氏である

また、レオタードについては、元は男性衣装だったように記憶している。

それが、自由を求める女性の間で1960年代以降に広まった、と書かれている。ただし、資料によっては年度のずれがある。

https://fashion-history.lovetoknow.com/clothing-types-styles/leotard

また、暇ができたときにでも調べるつもりだ。

2020-08-01

ポリコレ大粛清スターリン

ポリティカル・コレクトネス政治的正しさ皮肉にもこの言葉1920年代社会主義社会で好まれて使われたものだ。もしくはそれらの社会批判する際に使われたものだ。

ヒトラーのアーリア至上主義ポリコレだと批判された。スターリンは反対者をポリコレじゃないと大粛清した。

ポリコレ絶対的な正しさではない。政治的な正しさだ。文字通りに捉えればその社会において主流な政治的スタンスにおいて正しいか正しくないかということを表すにすぎない。

事実現在西側諸国で猛威を奮っているポリコレ皮肉にも1920年代回帰してしまっている。よりインクルーシブな社会を作るという高尚な思想がいつの間にか排他的暴力者達の武器になっている。

blacklist/whitelistやmaster/slaveが黒人差別用語だなどと嘘を言い、それに従わないもの排除される。スターリン粛清と何が違うのかな。ポリコレクン、君はどこまで。

2020-07-24

ディズニープリンセス中世だけじゃない

アメリカとある少女メガネディズニープリンセスがいないことを残念に思い、自らメガネプリンセスお話を作ったという。

それに対して多くの意見が交わされたが、そこに「誤解」が一部見受けられた。

ディズニープリンセス=全て中世人物

そう思ってる人のなんと多いことか!

しかファンタジーと言えば中世であるし、初期プリンセス(オーロラ姫は14世紀であるし)はその通りである

しかし、全員では無いのである

全員が中世ではないのである

ポカホンタスアメリカ開拓期の人物であるプリンセスと魔法のキス(ディアナ)は1920年代ニューオーリンズである

またあくまで説ではあるが、アナ雪は19世紀あたりの時代設定らしい(「自転車」というワードがあるので)。

プリキス時代にはメガネは確実にある。むしろ行人含めて誰もかけてない方が不自然である

よってメガネディズニープリンセスがいないのは、時代設定の問題ではない。むしろその気になれば矛盾なく出すことは可能だ。

まりディズニー側が出す気がないだけである

少女要望に対し、ディズニー社は未だ返答していないという。子供の夢を壊さないためにもディズニー社には是非ともメガネプリンセスを出して欲しい。

(余談:メガネディズニー主人公は既にアトランティスマイロがいるので、やはりプリンセスだけメガネの子がいないのは不自然)

2020-07-17

anond:20200717120106

1/5が同時感染1920年代スペイン風邪が2年で世界を席巻したことからすればそう多くない。

2割重症化はコロナの今までの積み重ねから総間違いない。

GoToやりたいのならそれぐらい重症病棟を設けてからだぞ。

景気のために金を打ち込むならそちらに金を使え。そうすれば勝手旅行に行けるようになる。

2020-06-11

古い映画の中の黒人

古い映画をあまり見ない人でも「トムとジェリー」の黒人お手伝いさんが出てくる場面が、現行の放送ソフトカットされてるのは知ってるかもしれない。1920年代とか戦前古典・名作アメリカ映画(その当時の現代劇)を見てると、「トムとジェリーレベルではなく、そんなにポリコレにこだわりなくても今の視点で見るとドン引きするくらいナチュラル黒人召使い扱いしてる場面はよく出てくるんだよね。もちろん何の悪気もなく。ストーリーの根幹にはかかわらないところでコメディ映画の画面の端っこでとかでも。

2020-05-22

anond:20200522204109

今後、1920年代レベル大恐慌がやってきて、

仕事があるだけありがたい状態になるので、転職はしばらく控えて腕を磨きなさい

今はどこも先行き不安から採用を控えている状態

絶対的アピールポイントのない人間が動く時期ではない

2020-01-06

anond:20200106141118

やってないやってない。少なくとも一般政治に関心があってギャーすか言ってるやつらはね。

経済論壇内でネオリベラルとニューリベラルならともかく。

そもそも右翼左翼との対応も、

1920年代以前 自由主義

1920-1980年代 右翼ケインズ左翼マルクス

1980年代以降 右翼新自由主義左翼崩壊

現在 右翼左翼とも新自由主義

と、対応する経済思想が変わってる。

じゃあ、今話題の反緊縮は「右翼左翼どちらに区分されるの?」

右翼の主流も左翼の主流も緊縮派で、かつての右翼左翼の分類ではくくれないと思うけど。

2019-12-09

anond:20191209103938

教育現場御真影1890年代頃から本格的に配布されるようになり、これらは天皇と同一視され、最大級の敬意をもって取り扱われるようになり[1]、1920年代からは奉安殿に保管されるようになった[2]。

2019-11-25

時代劇はなぜ廃れたのか

時代劇 - Wikipediaの内容を整理する。

1910年代日本映画草創期。歌舞伎演目を題材にしたり、歌舞伎役者を引っ張ってきたりしたので、自然時代劇が増えた。尾上松之助スターとなる。

1920年代映画業界軌道に乗り、各社が時代劇スターを擁するようになる。阪東妻三郎嵐寛寿郎長谷川一夫などが登場する。

1930年代トーキー映画への移行。戦前映画黄金期であり時代劇黄金期でもある。

1940年代戦時中検閲戦後すぐはGHQ禁止により、映画時代劇)が作りづらくなる。

1950年代GHQ禁止された反動時代劇映画が増加。

1960年代。ここで一気に映画からテレビドラマへの転換が起きる。

1970年代。著名な時代劇シリーズが始まる。時代劇の第二次黄金期と言える。

1966年銭形平次
1969年水戸黄門最も有名なナショナル劇場のもの
1970年大岡越前
1970年遠山の金さんテレビ朝日版の第一
1972年必殺仕掛人必殺シリーズ第一
1978年暴れん坊将軍

1980年代時代劇定番ネタがすっかり出揃って飽きられはじめた。

1981年テレビ東京が「12時間時代劇」を売りにした「新春ワイド時代劇」枠を開始(時間を縮小しながらも2016年まで続く)。

1985年日本テレビ年末時代劇スペシャル 忠臣蔵」が紅白の裏にもかかわらず15.3%の高視聴率を記録。

チーフプロデューサー岡田晋吉は当初1年間の連続時代劇として企画したが、編成会議にて上層部に「時代劇は受けない」「今時、時代劇でもないだろう」と受け入れられなかった。しかしその後、岩淵康郎(後の静岡第一テレビ社長)や一部の先輩の助け舟により、年末時代劇としての製作が決定した。

当時にしてこの認識か。

日本テレビの「年末時代劇スペシャル」枠はここから1993年まで続いた。

このあたりで年末年始=時代劇忠臣蔵)というイメージができあがったのかな。

1987年にはNHK大河ドラマ独眼竜政宗』の大ヒットもあった。

こうして1990年前後には一時的時代劇復活の気運があった。

1990年代。やっぱりダメでした。

2000年代長寿時代劇が軒並み終了。

歌舞伎講談のなかで脈々と育てられてきた特殊な題材が

メディアロンダリングされて小説映画でヒットするというのは

今でいうとなろう系がラノベ化で日の目を見てアニメ化で大売れするみたいなもんか。

戦前エンタメやそこで取り扱われるジャンルが少なかったから、

つのブームが長く続くし、飽きるまでの時間も長かったんだろうな。

個人的には「時代劇90年代くらいまでずーっと人気があった」というイメージだったけど

こうして見ると意外に変動があるし、ブームの期間も思ったほどには長くない。

映画で蓄積されてきたものテレビドラマで一気に出してすぐ飽きられましたって感じか。

もちろんエンタメ多様化もあるだろうけど。

とはいえ現在でも時代劇ドラマ映画は作られ続けているし漫画でも人気のある題材だ。

70年代ごろのブームが特異なのであって今くらいが巡航速度なんだろう。

追記

ついでに2010年代の主な時代劇(だいたい興収10億円以上)

JIN-仁-2009年2010年テレビドラマ放送され平均20%超の高視聴率
十三人の刺客2010年映画が公開され興行収入16億円。
大奥2010年映画が公開され興行収入23億円。
武士の家計簿2010年映画が公開され興行収入15億円。
のぼうの城2012年に公開された映画興行収入28億円。
るろうに剣心2012年と2014年に公開された映画三部作が、それぞれ興行収入30億・52億・43億円。
清州会議2012年に映画が公開され興行収入30億円。
信長協奏曲2014年にテレビドラマ化、その続編として2016年に公開された映画興行収入46億円。
超高速!参勤交代2014年と2016年映画が公開され、それぞれ興行収入15億・11億円。
蜩ノ記2014年に映画が公開され興行収入11億円。
殿、利息でござる!2016年映画が公開され興行収入13億円。
忍びの国2017年に映画が公開され興行収入25億円。
関ヶ原2017年に映画が公開され興行収入24億円。
銀魂2017年と2018年に公開された映画が、それぞれ興行収入38億・37億円。
決算忠臣蔵公開中!

2018-10-20

千田氏の問題提起説明してみる

はじめに

 キズナアイNHKウェブサイトにおいてノーベル賞解説記事に登場しておりましたが、そのことをきっかけに、千田有紀氏などが指摘をし、さまざまな方面から千田議論に対する批判が寄せられ、さらには社会学のものに対する批判もされているところです(これらをキズナアイ論争と呼びます)。

 ですが、そのざまざまな批判を読んでいると、「これって実はコミュニケーション不足で、伝わっていないんじゃない?」と思うことが多くなりました。いろいろあって社会学を学んだ人間として、それはちょっと悲しいなという思いがあったので、千田氏の問題提起ちょっと分かりやすくお伝えできればと思います

筆者の立場

 筆者は、社会学修士号を得ています。今は大学から離れているのですが、離れてそう長くはありません。専門は千田とも重なる領域家族ジェンダー)もありますが、教育メディアでした。

本稿のスタンス

 あくまで、千田問題提起がどのようなものに基づいて行われているのかを解説するもので、その意見妥当性とかは議論しません。私個人としては、千田立場に立てば理解でき一理ある議論ではあるが、だからといって、それは多くの人の理解を得る話法ではないし、その背景事情を一切踏まえていないのは、学術的に一定ポジションにある人のする作法としては疑問を感じているというところです。また、千田学術的貢献はいろいろな批判があるようですが、私は一定程度は評価しています

 なお、アカデミック作法は基本呼び捨てですので、ここでも、基本千田として書かせていただきます

千田氏の問題提起について

 キズナアイ論争のはじまりは、千田投稿記事です。https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/]

 ちなみに、現在10月13日)、追記もなされており、社会学者にはそれなりに分かる文章にはなっているのですが、一般の人はなおのこと分かりづらいことになっています。後に公表された、『「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて』記事による補足を踏まえて、まず、千田議論の要点をまとめてみましょう。

 (1) キズナアイNHK解説記事において「相づち」をする役割となっている

 (2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 (3) 従ってキズナアイ解説記事における役割は、従来の女性が担ってきた役割を担っていることになる

 (4) そのことは、理系と呼ばれる分野で活躍する女性などに対して、好ましい状況を生むようなものになっていないのではないか

というところに整理できるかと思います

 社会学特にジェンダーフェミニズムを学んだ人だと、この4つの間を頭の中でこうかな?と繋ぐわけですが、普通の人はフェミニズムを体系立って勉強するわけでもないと思うので、「はて?」となるわけです。更にいえば、一つ一つの要点が「え?!」という感じになるかと思います

 千田議論理解するためには、とりあえず(1)は正しいものとして引き受けておいてください。そこが正しくないとなると、そもそも議論の前提が崩れてしまい、議論そもそも成立しなくなってしまうので、ご理解ください。

千田議論理解するための知識

千田議論理解するためには、いくつかの知識必要となります。一つは、千田の専門でもあるフェミニズム、もう一つは会話分析というものです。順に簡単に紹介しておきましょう。

社会学とは

 社会学は、社会対象とした学問です。といえば、早いのですがそれではよく分かりませんよね。社会学は、社会がどのように成り立っているのか、つまり社会の秩序はどのような形で形成されているのかを探求する学問です。例えば、古典的社会学特に日本戦後社会学では「農村」が特に注目されました。農村における人々のネットワークや、家族の在り方、そういうものに関心を持っているのが社会学です。

フェミニズムってそもそも

 フェミニズムを正確に定義することは困難ですが、フェミニズムを雑にまとめると、「女性地位を向上させようとする取り組みであったりそれを支える理論」というような言い方ができると思います歴史的には大きく2つのターニングポイントがあったとされています。それが「第1波フェミニズム」と「第2波フェミニズム」です。

 第1波フェミニズムは、1900年代ごろ、19世紀から20世紀へ移りゆくタイミングに起こりました。西欧諸国で主に婦人参政権を獲得する運動が中心に展開され、1920年代にはイギリスアメリカで実現をすることとなります。(ちなみに、日本はというと戦後婦人参政権が認められるようになるのですが、新婦協会青鞜社運動は同時代運動です。)

 第2波フェミニズムは、1960年代頃、社会運動が盛んになった時期に、女性らしさへの問い直しが運動として行われます代表例ではキリスト教社会では長らくタブーとされていた中絶合法化が挙げられます。また、この時代には女性が自らの自由に性を語るということが積極的になされるようになります

 いずれにせよ、その理論根底には、女性男性と同等の状況にないという認識に立っているということがあります

 第1波フェミニズムで焦点化されたのは、法律社会制度というものでした。第2波フェミニズムはというと、法的制度平等であっても、職場ではお茶くみに甘んじてしまっているし、男性と同じように性を語ることはできないというような、日常性差別特に焦点を当てていくようになるわけです。

 現代は第2波フェミニズムの延長線上にあります。#Metoo運動を始めとして、第3波フェミニズムがやってきているというような主張も時折みるのですが、第2波フェミニズムより後のフェミニズム運動について、多くの社会学者が納得しているような分類はまだ確立していないのが現状です。

マルクス主義フェミニズム

 上野千鶴子理論などを理解する上で重要キーワードが、マルクス主義フェミニズムです。そういう立場だと、だから上野千鶴子はそういう立場なのね、と理解できます千田議論もとりあえず、マルクス主義フェミニズム解釈すると、理解がしやすくなると思いますので、こちらを説明します。

 (フェミニズムにはさまざまな立場があります。ラディカル・フェミニズムリベラルフェミニズム等です。フェミニズム一枚岩ではないと、理解しておくと良いでしょう。)

 マルクス主義フェミニズムとは、先ほど、フェミニズム女性男性と同等の状況にないという認識に立っていると説明しましたが、そのような社会状況を生み出しているのは、今日資本主義社会システムなのであるといいます。で、これを理解するためには家父長制というキーワード理解しないといけないのですが、本題より長い解説になるので、そこら辺は上野千鶴子の『家父長制と資本制』をとりあえず参照してください。

上野理論を厳密に言うと、上野は、従前のマルクス主義フェミニズム教条的であるということで、それを乗り越える必要があると、主張をしています。)

 シンプルにいってしまますと、そのシステム資本制)の成立と密接に性差別を生む家父長制制度が続くため、性差別再生産(半分マルクス主義用語ではありますが)されていくということになります

会話分析

 会話分析というのは読んで字のごとく、会話を分析するというものです。まずは、社会学会話分析がなぜ重要になってくるのかをエスノメソドロジーというワードを使って説明したいと思いますそもそも社会学社会秩序はいかにして可能かを明らかにする学問です。そこで出てくる問いの一つにこの社会生活を営む人びとがやっていることを、研究者はどのように理解できるのかという問題です。

 この問題に答えたのが、ガーフィンゲルという人です。ガーフィンゲルエスノメソドロジーという手法提唱しました。エスノメソドロジーというのは、日常生活している人々が言動をどのように理解し、成立させているのかを、日常生活している人々の視点に立って記述するという手法です。

 エスノメソドロジーは、私たちの当たり前が、いかに「うまいこと」成立しているのかを見せてくれます。例えば次のような実験は非常に有名です。

A(被験者)「おはよう! 調子はどう?」

B(実験者)「調子ってなんだい?」

A     「いや、元気かどうかってことだよ。」

B     「元気かどうかって? どういうこと?」

こんな調子で話されると、本当に調子おかしくなりそうですが、こういう実験します。ここで浮かび上がってくるのは「調子」という言葉が、体調や近況を意味しており、それをお互い分かっているという「期待」をもって、Aは会話をしているということです。このような形で、秩序が形成されており、それらは記述可能な形で示すことができるとするというのがエスノメソドロジーです。

 会話分析の多くはこのエスノメソドロジーの考え方を踏まえて行われます。つまり、先ほどの会話のスクリプトのようなものを読んで、そのなかで、AとBはどのような「期待」をそれぞれ持っており、そこにどのような秩序があるのか? ということを考えているわけです。

千田議論を振り返ろう

 冒頭で、千田議論を強引に4点にまとめました。ここまでの道具を用意すればある程度説明ができます。それぞれの項目ごとにみていきましょう。

(1) キズナアイが「相づち」をする役割となっている件について

 そもそも実在人物は「先生役」とNHKサイトでも記載がありますように、ここで想定されているのは「先生」と「生徒」というコミュニケーションです。したがって「生徒役」となるキズナアイ基本的に「相づち」をする役割に当然のことながらなるでしょう。そもそも「生徒」の方が詳しいというのなら、「先生」が「生徒」の役割を担うことになるはずですし、「先生」と「生徒」という形で双方「期待」をもっていることは分かります別にこれが、男子生徒であろうと、まあこういう会話になるだろうなという感じではありますよね。

(2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 これは、先ほどのフェミニズム議論が役に立ちますお茶くみとかの補助業務に当たっていたということは、先の説明でもしましたが、今日でも、「相づち」をする役割は、女性となっていることが多いです。例えば、新春の、一体誰がみるのかよく分からない県知事が語る!みたいな番組がありますが、あのとき大抵女性アナウンサーが話を聞いたりしていないでしょうか。このとき女性アナウンサーは、多くは男性である知事に対して、その発言がしやすいようさまざまな配慮をしながら、質問を重ねていきます

 そこでは、主役はあくま知事です。アナウンサーが主役となって、知事いじめていくというような内容になっていないでしょう。これが、でも、田原総一朗との対談だったらどうでしょう。一気に様相が変わってきますよね。また、地元財界知事の対談だったらどうでしょう。そこに「相づち」はあっても、「相づち」をする役割知事の対談者は決して担っていないと思います。会話の主体になっているわけですね。地元財界の人が女性でも、この場合だと「相づち」の役割はまあしないかと。

 ここでポイントになるのは、知事一方的に語るというような形式を取る時には、女性アナウンサーがその役割を担うことになり、他方、双方共にしゃべる場合には、女性活躍機会が途端に減ってしまうというということです。これは、私たちイメージレベルでも大体共通しているのではないでしょうか。(もちろん、個別具体で違う話も多く、徹子の部屋黒柳徹子をどう評価するかは難しいところですが。)

 もちろん、これは、女性知事と同等の立場役割を担っている機会が開かれていないから、そのようにならざるを得ないという側面も当然ありますが、男性アナウンサーがそうそうなっていないということは、一つこのことを証明するものであるとも言えます

(「相づち」をする役割も高度な役割であるということは決して忘れないでください。)

(3) 従来の女性が担ってきた役割キズナアイ

 ここで、議論はもどってきて、キズナアイは「生徒」役ではありますが、「先生」の発言を引き出すという意味で「相づち」をするということで、記事トップにも出てくる主役のはずが、補助的な業務を担わされていることになります。このときキズナアイ女性と見なすと、これまで女性が置かれていた立場女性積極的に前に出られる環境制度上はなっているにもかかわらず、結局はそうはなっていないという状況と重なる部分はあるでしょう。

 再び、徹子の部屋黒柳徹子イメージすると良いかも知れません。徹子の部屋における黒柳徹子は独特の立ち位置で、徹子の部屋を見て黒柳徹子は単に「相づち」をうつ役割だけではない、ということが理解できるでしょう。なんなら、黒柳徹子の方が目立っていたりします。対談の形式が、黒柳徹子お客様を招いて話をしてもらうというホストであるためであり、従属的関係になっていないというところに、このキズナアイ対談と徹子の部屋の決定的違いがあるのだろうと思います

 そうして比べてみると、キズナアイ女性役割再生産するということになったというわけです。これは、性別役割分業を進めていくものであり、女性にとって活躍の機会が減ってしまうというのがフェミニストたちの主張と結びつけて考えることが可能なのです。

(4) 活躍する女性への影響

 この時、女性は従たる役割を担わされるわけで、その期待が持たれます。そうなると、女性は、主たる役割を担える存在なのにもかかわらず、その期待から、従たる役割を担い続けなければならない、そういった状況にはまってしまうのです。そして、そうした悪循環から脱却しなければならない、というのがフェミニズム基本的な主張です。

 このような女性観で考えられると、女性にとって好ましい立場ではないという千田の主張はそう的外れものではないということは理解できるでしょう。

千田氏の議論の失敗

 千田議論をするという状況を作り出したことでは成功していると評価できますが、その議論の中で、自らの論理妥当性を提示し納得してもらえたかというとそうではないと思います。後の対応によるところも多いのですが、それは、実は最初きっかけともなった記事の一番最後文章であると私は考えます

なお10月3日、9時の時点で、スマートフォンから見ると、キズナアイバストショットしか見えない(パソコンでは、へそなどの下半身が見える)。

 この一文が最後にあることで、キズナアイの見た目(容姿)を問題にしたいのか、と思ってしまう人も多いと思います千田氏は、後の議論でも、キズナアイ役割に焦点を当てており、容姿問題にしていないといっているのですが、冒頭の太田氏の議論あいまって、多くの人が混乱したと推察します。そもそもキズナアイってあくまAIであって性別を超越した存在なはずなのに、性別二元論に回収されちゃうのって、なんだかなと。

 さらにいえば、表現問題に回収してしまったのがかなり難しい問題にしています表現問題にすると、結局妥当表現は何かということに行き着き、その線引きは複雑になってしまい、誰も理解できなくなるため、神々の審判でも仰がなければ、なんとも言えないと思います

 まあ、この発言が全てのオチかと思います

本人が個人的に自説を語るのは「自由」の範疇だが、それを公共空間に置いたらどんな意味もつのか、少しは配慮すべきだったのでは?

https://twitter.com/chitaponta/status/1051615591004438529]

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