はてなキーワード: サイコロとは
ヒトという種は、自然災害とか突然の不幸みたいなサイコロの目に理由をつけて、宗教なんてものまで作り出して現代にいたっているんだよね。
たぶん、脳の論理思考能力というものが、根本的に理由を探すことを止められないようにできているのだろう。
偶然を偶然でちゃんと片付けるのは、実は並大抵の知性ではないのだと思う。
友達とTRPGで遊ぶとき「なにかやりたいことある?」と聞かれて困っている。特にやりたいことがないからだ。
TRPGっていうのは参加者がオリジナルキャラクターを作って持ち寄り、作ってきたキャラクターを使ってストーリーを遊ぶものなんだけど、キャラクターを作る時点でかなり困ってる。そのTRPGは異能力とかスキルをめちゃめちゃ組み合わせるダブクロ3rdってやつで、キャラ作成がかなり自由なんだ。
どんなキャラをやりたいかっていうビジョンがないとキャラ作成が行き詰まる。
ダブクロは戦闘を楽しむシステムだから、キャラ作成をTCGのデッキ構築みたいに楽しめないとそもそも向いてないかも…というのも薄々わかっているんだが、私はなんとかやりたいことを見出したい。
全部サイコロ振って決めたってもいいのかもしれないが……
やりたいことを決めて、それを軸にしたデッキ構築をすることの楽しさにこれまで触れてこなかったからよくわかってないんだ。
今、やったことのないTCGのカードだけがたくさんあって「この中から好きなもの選んでデッキ組んでみて」って言われていて、なにを選んだらいいのかわからない状態だ。
アドラーの本を途中まで読んだ.
これによると,精神疾患など生きるのに役立たない道に陥るものには,幼少期から共通感覚(コモンセンス)を獲得できていないという特徴があるらしい.
そして共通感覚を獲得できなかった子供いじめられたり問題行動を起こしたりする.
この共通感覚は家庭において保護者から学ぶらしい.つまり保護者が共通感覚を有していなければその子供も共通感覚を獲得することが困難で,大人になってから苦しむのだ.
なぜこの世界では誰でも子供を持つことが許されるのだろうか.ペットですらちゃんと育てられないなら飼うなと批判されるのに.
あるいはせめて,誰でも子供を作る自由があるのなら,どんな子供も自分で死んでいい自由を認めるべきではないか.
この物語では,子供は生まれたらすぐに親から引き離されて専門の施設で集団的に育てられるというユートピアが描かれている.
作中ではこのユートピアを明示的には否定も肯定もしていないが,画一的に育てられた子供は個性がなく皆同じような表情をするという描写が描かれている.
「個性なくしたら死んでるのと一緒だよ」
共通感覚を有しない"悪い個性"を持つことは決して本人のためにはならない.
個性を持つことが良いとされるのは,個々の親が独立して子供を育てる現在社会におけるナッシュ均衡にすぎないのではないか.
消滅世界のシステムのように全員が同じ教育を受け,共通感覚を有していることこそがパレート最適なのではないだろうか.
あるいは,個性,個体差は環境が変化した際に種全体が生き延びるのに有利だと説明される.
だが,これは明らかにほとんどの平均から外れた個性を持つ個体にとっては酷な話だ.当然ながら平均から外れた個体の殆どは環境に適応できず苦しむからだ.
上のような理論を唱える者は,「お前らのような珍獣が居た方が俺/私の遺伝子が残る可能性が高まるから生きろ.そして苦しめ」と言っているのに他ならない.
現代社会は第二次世界大戦前の全体主義を反省し,個人の幸福を最大化しようとしたのではなかったか.所詮それは,正規分布の真ん中あたりにいるマジョリティの自己満足に過ぎなかったのか.
そもそも,人類が環境変化を生き抜くのに,遺伝子の多様性は必要なのだろうか.
多数のサイコロをばらまいて確率論的に変化に打ち勝とうとするその他大勢の生き物とは違って,人類は理性を持って変化を予測し,技術で環境を変えて乗り越えることができるのではないだろうか.
だが,ときに個性は天才を生み出し,その天才が技術を飛躍的に進歩させる.
こういった天才を生むために正規分布の端のほうの人間も,その殆どは苦しむ運命にあるとはいえ,大人になるまで生きていなければいけないのかもしれない.これによって,苦しむ未来の天才に生きる希望を与えることができるから.
本当にそうだろうか.電球の発明のように一人の天才の発想が大きな一歩を生み出した時代とは違って,現代の科学の進歩は過去の技術を積み重ねて積み重ねて演繹的に導き出された進歩ではないか.
いや,そうでもないか.私も理系の大学院で研究の真似事をしたことがある.今でも科学の最先端では天才の発想が不可欠だ.そしてそういう人は共通感覚を有していない人が多い.少なくともそう見える.
つまり,現代においても正規分布の端にいる,共通感覚を有しない,遺伝子的耐用性を持った人間を生きさせることは必要なのかもしれない.
私は天才ではない.だが,共通感覚を獲得することができず,苦しんでいる.正規分布の中央に行けなかった人間の中の,一握りの天才を除くその他多数の中のひとりだ.
私の意識は死ぬことがのみが正解だと確信している.だが,私の無意識が生きることを声高に主張している.そのせいで私はまだ生きていてこの文章を書いている.
理性で動く私は,なんとかして自分が死ぬことが論理的に正しいのだと結論付けたい.だが,今日も失敗した.
誰か私を助けてくれ.お前はもう開放されて良いのだと背中を押してほしい.
・椅子に座った時、転がりにくいので楽
・サイコロの代わりになる
・角が尖ってるので痛い
・防御力が上がる(角なら当たっても痛くない)
・男性の弱点ではなくなる
・男性に自信が出る
・弱者男性がいなくなる
神は週2でサイコロを振らない
https://anond.hatelabo.jp/20240609080513
https://web.archive.org/web/20170710060035/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201110
少女マンガみたい
新居はルクセンブルクだそうですよ。
いいなー、ヨーロッパ!
そんでもって、ハロウィン
そして、酒。と、北海道の美味しいお魚。
2011103023560000.jpg 2011103023550000.jpg 2011103023590000.jpg
二十代、三十路、四十路が集って、なかなか痛々しいコスプレごっこに
発展してしもうたよ。テンションあがるな!
1
日記---
2011.10.25 Tuesday00:34
引っ越し祝いに頂いたんですよ!!
どどーーーん!
噂には聞いていたけど、炊飯器ひとつでご飯の味が全然変わるのねー。
お返ししないと。
枝豆入れても美味しいよ、コレ。
ちゃんと覚えてくださってたみたいです。
世間狭いなー。
こういう事って、案外よくあるな。
1
日記---
これも、kissの編集さんが送ってくださいました。
kissの連載の中で、一番気になる。
AS(アスペルガー症候群)持ちの作家さんが、ご自分の子供の頃の
体験談を、とても客観的にユーモラスに、、、描かれてるんだけど、、。
光文社から出てる「ニトロちゃん」も続けて読んで号泣しましたよ、私。
しんどいよなあ。
ほんとに思う。
2011102222570000.jpg 2011102222580000.jpg 2011102222580001.jpg
さっき友人宅でいただいた、美味しいご飯の数々も載っけておこう
ほんとはメインは餃子だったんだけど、、、撮り損ねた、、、。
ここんとこ連日呑んだくれておるよ。
ぐだぐだですよ。
1
本・映画---
意識の所在とか、自分と他との境界線(精神的な意味でなく、物理的にねー。)とか、
一時量子論的なものに興味を持って、素人向けの分かり易そうな本を数冊
読んだりしてたんですけど、私の脳みそじゃ到底追いつかず、
アインシュタインが納得できないモノが、私に理解できるわけないじゃん!!
とか何とか、言い訳しながらあっさり匙を投げたんですが。。
自分の体を構成する最小単位の物質(?)が、そんな曖昧で摩訶不思議な
何かで出来てる事が、楽しくて仕方ない。
とかいって。
敢えて「日常」で、ゆる~くほんわかコミカルほろりと描いた良作ですよー。
1
本・映画---
7巻予定通り、12月末に出ますよー。
日にち確定したら、また改めてお知らせしますけど、、
取りあえずご報告。
1
お仕事---
Betsucomi 11月号
2011.10.13 Thursday19:22
届いた届いた!発売中ですよ~。
「Piece」も載ってます。
「爽やか学園ラブ☆」的な絵を描きましたよ。
私は未だ「Piece」を、「学園ラブ」だと言い張ってます。
「Piece」は私の中で、どこまでいっても印象が「モノクロ」なんですよ。
クールでシャープなカラーが、センス良く描ければ良いのだけれど。
話に合わせて、全然違う絵が描けるようになりたいな。
ギブミー画力!!
1
お仕事---
つまってたけど、今なんとか書き終えました。
また、血まみれのプロット書いちゃった。
時間にまだ余裕がある時は、しばらく寝かすんです。
慌てて送って、後から読み返してみたら、「なんだこれーーっ!
あり得んわーーっ!」って事も多いので。(私だけかな。)
まじめ。(普通)
うちにまだ届いてないけど、、あれれ。
私の漫画も載ってるはずなので、どうぞよろしくお願いしますー!
今月号は、カレンダーがついてたっけ?
違うっけ?
1
日記---
「Potager」のお野菜のケーキを、編集さんから頂きましたよー。
かぼちゃにルッコラにごぼう?(自信ない) どれもお野菜が使ってあるので、
「ケーキなんて脂肪の塊!」との友人の言葉が、いつも頭をよぎるんですけど、
これだと罪悪感うすいな。
一度に沢山食べなきゃ、べつに太んないけどなー。
私はここに載ってない、フレッシュトマトのケーキを頂きましたよ。
思った以上に、トマト!
焼き菓子も沢山頂きましたよ。
お菓子って、ほんと綺麗。
1
おやつ---
昨日行った、自由が丘のカフェの階下の雑貨屋さんが可愛かった。
紅茶はパッケージ買い。丸い缶好き。中身無くなったら、ペン先入れとかに
引っ越してから、「Piece」のネタ帳、青いノートが迷子です。
失くしたら困るから、他の荷物とわけて、どっかに入れた、までは覚えてる。
相関図はさすがにもう頭に入ってるし、年表的な物もPCに残ってるので、
別にものすごーく困るわけじゃないんだけど、なんか落ち着かないよう。
早く出ておいで~。
1
日記---
2011.10.02 Sunday16:01
なんて可愛いの!ドツボだよ!
この角度が、呆れるほど可愛い
昨日会った友人に、「風呂にお湯が入ったら、カノンが流れるのは普通。」
と、つっこまれました。えっ、そうなのっ。すごい驚いたんだけどっ。
くやしいので、うちのガスコンロがどんだけ賢いかを、ムキになって
ゆっくりお買い物して、抹茶あんみつ食べて、予約せずに「はん亭」に
入れて超ラッキー。
2011100214020000.jpg 2011100214040000.jpg
真面目な話やくっだらない話をいっぱいして、元気を貰って帰る。
買い物し過ぎた。
だって悪のオンカジを叩くのに「ほぼ24時間ネットから遊べて現金がなくてもクレカでOK」という実質オンラインギャンブル化して、バカスカテレビコマーシャルまでやってる昨今の公営ギャンブルの存在はすげぇ都合悪いから。
オンラインカジノユーザーが急増してるんじゃなくてギャン中毒が増えてるって話だったりで、オンカジの批判は実はほぼ公営ギャンブルに当てはまる
だから公演ギャンブルもまとめて批判するならともかく、オンカジだけ批判しようとすると「違法」の1点突破するしかできなくなってぼんやりとした批判になっちゃう
まぁ自分からギャンブルのコマやろうギャンブル中毒から金巻き上げて生活しようって考えるキチガイ乞食たちのお気持ち当てゲーで運営も糞、お気持ち当てても実力が足らねぇのか八百長なのかしらんがあたらないという公営ギャンブルやるなら、
何も考えないサイコロの目あてるほうが楽しい、というのはまともな人間ならみんな感じることなわけで、そらギャンブル中毒が増えれば公営ギャンブルじゃなくてオンラインカジノが伸びるよなっていう話でしかないんだよな
レビューサイト、ミニブログ、コメント欄、掲示板、そういった所で必死にいいねを集めようとしている時、そしてそれが成功した時の感覚はやはり現実逃避なんだろう。
スターやリツイートがたくさんつくとなんだか自分が本当は凄い人間であるかのような気がしてしまうんだよな。
パチンコで大当たりを引いても、風俗で当たりを引いても、それを自分の戦略眼のなせる技だと思えるのはせいぜい数時間程度。
でもSNSでバズるとフワフワとした「たまたま今まで出力する方法に接続できてなかっただけで、俺は実は結構凄い奴なのだ」感が一ヶ月ぐらい続くし、数年ぐらいしてふとその時の書き込みと反応をエゴサするとその感覚がまた蘇ってくる。
学生時代の放課後にごくごく狭い子供社会の中「お前マジすげーじゃん」と言われたことに有頂天になり、日本全体の中でも自分が凄いんじゃないかと思ったあの気持が、勘違いでしなかったことをもうとっくに思い知らされているのにだ。
この感覚をまた得たくてネットのあちこちでトップコメントなんかを求めてしまう行為が現実逃避なのはきっと間違いないのだ。
子供の頃信じていた「日本全体の規模でも凄い自分」という感覚を、真っ当なやり方で取り戻すことを諦め、極めて少人数で繰り広げられるランキング戦の中で上位を狙うのが逃避でなくてなんなのか。
サラリーマン川柳や深夜ラジオなんかに一人で何十何百と作品を送りつける人なんかは、きっとこの「俺は実は凄いんだ」を味わいたくてしょうがないんだろう。
ほんの数十や数百程度の文字の中でなら、何度も何度もサイコロを振ればいつかは傑作にたどり着けるんじゃないかと願い、そしてライバルが決して多くないような少しマニアックな番組や企画を狙ったりするわけだ。
そうして選ばれると、それが極めて限定的な場での束の間の勝利でしかないことを都合よく忘れて、自分は今この世界における上澄みに属する何者かなのだと脳が錯覚するままに気持ちよくなってしまう。
俺達、増田もまたそういった感覚を得たくて何個も何個も投稿を続けているのだ。
ブログを書いてるすべての人、はてブにいるすべての人がそうではないのかも知れないが、多くの人が、きっと多くの人が、限定的な世界での小さな勝利によって、自分という人間の持つ才能や実力を過大評価することで、現実の自分の小ささを忘れられる瞬間を得たくて必死なんだろうなと。
だって、辛いだろ?自分が実際には大したことがない人間で、しょーもない給料で雇われたり、みっともない奴らの人間関係に束縛されたり、社会全体で見たらどうでもいい人間でしかなかったり、およそこの世界のありとあらゆる歴史と呼べるものには関わりがなかったり、そういう現実の中にずっといるのは。
寝ている間やゲームをしている時でさえ、どこかで薄っすらと自覚しているその現実を忘れられるような何かを求めてしまうんだよ。定期的に俺は本当は凄いんじゃないかって勘違いしてないと苦しいんだよ。生きることは。