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はてなキーワード: 小説家とは

2018-02-22

カメントツ「小説家より漫画家のほうが偉い」「小説は滅びる」




2018-02-20

anond:20180220195245

まず作りたいものを考えろ、なければ探せ

VBAに限らずプログラミングは作りたいもの存在自分技術を引き上げてくれる

作りたいものがないのに何かを作れる人になるのは難しい

漫画家小説家になりたいだけの人と同じだ

小説ってどうやって読むの?

小説自由に読むものだ!と言う主張が一般的だか、ある程度は正解があるような気がする。

小説はなんか苦手。読めるんだけど、深く読むことができない。心理描写とかね。

本の文字をなぞるだけのような。楽しみが半減してるような。もっと十二分に楽しみたいのだ。

小説家一生懸命書いた作品はたくさんの気付きが含まれてるはず。それをなんとなく読むのなんてもったいない。なんでこんな文にしたんだろう。どうしてこんな文体なんだろう。こんな技があったのか。小説家が込めた想いを受け取りたい。

2018-02-18

anond:20180218203817

自分シナリオを書いて、小説の形に落として、なろう(カクヨムでも可)で発表するとか。

仲間集めて、ゲームを作るとかすれば、稼げないけどシナリオライター的な経験はできるのでは。

それを元に仕事で売り込んでいけば数年のうちにシナリオライター仕事につけそうな気もするけど。

ウキディアに名が乗るぐらいの実力があるのだから、同じ業界なら頑張れば何とかなると思う。

頑張ってくれ。

なろうの端っこで誰も読まない与太話を書いている小説家より

2018-02-10

anond:20180210120201

冒頭こんなかんじ。半角スペースは、もともと横書きで書いていて改行が入っていたか

今日カバンにすれすれでドアが閉まった。携帯をそっちに入れっ ぱなしだったことを、電車が揺れてから思い出した。あちゃ、あと 10分は何もできないな。僕は両手でカバンをつかんでいることに した。 左斜め後ろに、小さな頭が見えた。もともと僕は180あるから、電 車の中は黒や茶色の頭だらけだけど。ひときわ小さいその頭は一ー 同じ制服の、橋詰さんだった。 どっちかといえばいじめられタイプ小説家をめざしてるらしいけ どクラス現実派に笑い飛ばされてから、気の合う人にはどんどん

夢見る蝶の羽の色

https://togetter.com/li/1195295

もとのテキストデータがどっかへいった、古い小説スキャンできた。

記号?とかダッシュとかはだめだったけど、日本語文章ほぼほぼ修正していない。

ヘルプを見るかぎり、フォントとして10ポイント以上ではっきり撮影した写真ならオッケーだ。

ので、変換間違いがあればそれは、Googleドキュメントのせいだな。

***************

今日カバンにすれすれでドアが閉まった。携帯をそっちに入れっぱなしだったことを、電車が揺れてから思い出した。あちゃ、あと10分は何もできないな。僕は両手でカバンをつかんでいることにした。

左斜め後ろに、小さな頭が見えた。もともと僕は180あるから電車の中は黒や茶色の頭だらけだけど。ひときわ小さいその頭は--同じ制服の、橋詰さんだった。

どっちかといえばいじめられタイプ小説家をめざしてるらしいけどクラス現実派に笑い飛ばされてから、気の合う人とはいちおう話はするが、苦手な人にはうつむいたまま。それでもたくさん本を読んでるみたいで、博識だから、みんな一歩置いて名前じゃなくて名字にさんづけで橋詰さん、と呼ぶ--そんな情報彼女の黒い頭から引っぱり出した。ああそうだ、もう一点、橋詰さんは少し前から--

「楢本君、おはよ」

左胸の方から声がした。見上げた橋詰さんと目があった。「あ、はよ」僕はカバンを少し引いた。普通に挨拶はするくらいだったし--そう、橋詰さんは少し前から--東(ひがし)とつきあっている。その、東は--電車が揺れるなか見回すと、後ろのドアの方にいた、ちょっと茶色がかった頭で。「今日東君とはぐれちゃったの」と橋詰さんは小さく笑っていた。東は、S女のやつらとべたべたしながら喋っていた--東は女ったらしで僕には合わないタイプだった。

オレンジの明かりが窓枠から切り抜かれて廊下に落ちる。補習が終わってあくびをしながら上履きを踏んでいたら。図書から橋詰さんがでてきた。きっと「今度締め切りの」「小説を書いている」んだろう、クラスのうわさからつぎはぎあわせる。たまたま通りかかったジャージの2,3人が。「橋詰さ~ん、新作できたら、読ませてね~」「え~、ナオキ賞とって本屋で売られるんじゃないの~?」「え~、コウホってのになって取材されるんじゃないの~」「あははは」なんかすごく下品な笑い声が端から端まで行き渡る。

あんまり小説に熱中してたら~、ヒガシ君さみし~よ~」・・・東のファンクラブみたいな女が、めいっぱい皮肉っていた。--でも橋詰さんは、てへへと笑って、胸の中のルーズリーフの束を、しっかり抱きしめていた。やつらが遠ざかる頃、声をかけてきたのは彼女の方だった。

「楢本君」

「よ」

こんな時間まで残っているのは、クラブをやってるやつか、橋詰さんみたいにがんばって小説を書いたり自習してる人か、俺みたいな補習組くらいで。橋詰さんは一瞬身構えた。取らない取らない、君の大事ノートは、と僕は一歩下がった。

「俺も頭良かったらいいんだけどな。なんか、文章を書くって、全然思いつかない」

しかしたら橋詰さんにとって傷つける言葉だったかもしれなかったけど、思ったままで言った。そしたら、橋詰さんは、ゆっくり首をふった。「でも他に、音楽とか、スポーツとか、なんか好きなものがあるよね?」

「そ、ま、、、そだな」

「それでいいと思う--あたしは、これしかいから」

じゃ、とすれ違いかけたので、僕は引き止めた。

「・・東とは、うまくいってるの?」

・・・・え」

東は帰宅部・・というか放課後すぐに駅前に遊びにでてしまう。図書からいっしょに出てこないってことは彼女の橋詰さんを待ってもいない、ってこと。なんか不安を感じて思わず声をかけてしまった。橋詰さんは、、どっちとも言わなかった。

「なんで、東となの?」

そう言った時、僕も、橋詰さんが気になっていたんだと気づいた。

「蝶がね。青いって」

その日のことは、僕も覚えている。東と、何人かの男子と、とりまきの女子がいて。教室でわいわい、「何が見えるの、」とか大声で言って笑っていたから。東がもっていたカルバンなんとかの眼鏡で。うっすらと青がかかったそれをかけた彼女は--「青い蝶が飛んでるよ」と、死にかけた蛾に向かって声をかけたのだった。一部の女子にはバカうけした。僕は話の流れをつかんでなかった。もしあのとき最初からその場にいたらば、もしかしたらそいつらに、いいかげんにしろよ、と言ったのかもしれない。

その時。東は橋詰さんから眼鏡を外して自分でも見て--「ほんまや、青い蝶」とうなづいてくれた、らしい。笑い声にかき消されて僕はそこまではきいていなかったが、橋詰さんにとって、東の言葉は--。

だって、度のきついこれを通して、なんかいい形容詞を思いつけるかもしれなかった。でも今言えば、橋詰さんといたいがための、かさぶたみたいで--やめた。ほんとにそれが、東が心から思ったことであれば、いいんだけど--あれから何度も、ふたりは同じ電車に乗り合わせていたのに、東はやっぱりS女の女子といちゃつき、橋詰さんはあっちこっちとゆられてふらふらしていた。

でも放課後は、あの廊下ですれ違わなくなり--図書室の前じゃなくて、下駄箱でじっと待っている彼女に会うようになった。「3日に1回くらいはすっぽかされちゃうんだけどね」と、彼女半開きカバンからルーズリーフの束を出したりしまったりしていた。

だって、、、夕暮れ時には赤い蝶が見えるとか、言えると思った。

東がほんとに本当に心の底からそう思って言ったとしたら最低な裏切り者になるから

--これでもまだいちおうクラスメイトだ、あいつがまだ髪の毛染める前から知ってる

--このままで橋詰さんが幸せそうにやっているんだったら、だまるのも愛情だとかかっこつけていた。

--かっこつけなくてもよかった。

ある日、橋詰さんと東の「約束場所」でもある下駄箱に。

灰色の蛾が、死んでいた・・・

ばたん、とニューバランススノコに落としてからそいつに気づいた。オレンジ色に染まっているとでも言えばあいつは笑うだろうか、と思ったそこでそういえばあい今日は東を待っていないと気づいた。誰かが出入りしてそのほこりっぽい風に、蛾の斑点模様がバラバラになっていった・・・

ほこりを吸ったからじゃない。胸が焼けるような感じがした。ばあちゃんの家にあった火箸でいとこがやけどした時、あわてて全身がだらっと汗をかいたような、あの熱さが急に、吐き気といっしょに出てきた。橋詰さん?

次の日の朝も、その不安は消えなかった。かもしれないけど。いまさら東と同じようなことを言ったとしても。いや、どうでもいい。今僕が思ったことを言おう。--ぼくは朝の息を吸って、橋詰さんがホームにあらわれるのを待った。

小柄な彼女は、ゆらゆらと現れた。ただし、東の後ろに着いて。

東の声がやけにつきぬけてくる。

「いやだからそうだけどな」「おまえしつこいよ」その口調が不安さらに倍々にするので、僕は声のほうへ自然に近づいていた。視界の端にS女の制服が映って、おばさんくさいにおいがした。東は俺じゃなく俺の右にいるそいつを見つけて、早歩きする。「あの、」と橋詰さんの口が動いていた、「だからおまえとはつきあってるとは思ってねえよ、いつまで夢みてんだよ、」東の吐き捨てた言葉で僕はそこからダッシュした、東に向かって3歩行ったけど足首をねじった。橋詰さん、橋詰さん、

「橋詰さんっ、」

どこからか飛んできた虫がひらひらと。

急行の前には、全速力で特急が通過する。カバンを捨てて、叫んだけど・・・

がっと。

色のない蝶はいつまでもひらひら飛んでいた。・・・

それから電車が止まって、すごく遅れたせいで、1限は無くなった。というか、昼前に全校集会があって、そのまま下校になってしまった。昼過ぎでもまだ、駅の周

りには、パトカーやらがいっぱいいた。

橋詰さんと東がつきあってたことは、いつの間にかもみ消されていた。実際、二人で歩いてるところを見たやつがほとんどいなかったから。しばらくの間は、彼女が書いていた詩や小説があちこちでばらまかれてたりして、内臓をえぐって見せてるようで吐き気がしてたが・・・・少しずつ、時間がそのショックも押し流そうとしていた。


東は髪の色を戻し、朝は一人でずっとヘッドホンに聞き入って学校に来ていた。この前廊下ですれ違ったとき、あの眼鏡ポケットにあったことは見えた。やつが、それを彼女への思いで持ち続けているのか、反省しているのか、単に眼鏡がいるだけなのか、それは、もうわからない。

今日もぎしぎしに人が詰まっている。橋詰さんがいてもいなくても、きゅうくつさが変わらないのは、なぜだろう。昇降口もある意味、朝夕はラッシュアワーみたいだ。パタンパタンスノコ上履きや靴が落とされる。その人の流れの風に、--あのときの蛾の羽は、まだ掃除されきれずに、一片だけ、揺れていた。

2018-02-09

anond:20180209165226

具体例となると晒しあげになるのでやめといた。

こういう作者無自覚サイコパス主人公又は恋人地雷なんだけど、地雷に遭遇するまで把握出来ないから辛い。最後最後クズになった小説もそこそこあるし。だからあらすじにクズ主人公って書いてあると安心する。

前にツイッターで「小説家自分より頭の良いキャラが書けないのは有名だが、人間性自分より良いキャラは書きにくいのかもしれない」って書いてあって納得した。

主人公聖人でないとわかっているけど「友人との待ち合わせに堂々と1時間遅れ悪びれない主人公」を「普通の人」として書かれているとつーらーいー!

愚痴ばかりですまん

2018-02-06

小説一部の人しか書けないか否か

初めてはてな匿名ダイアリーを書くので読みにくいかもしれませんが、ご容赦を。

最近よく見聞きする言説の一つが「小説は誰にでも書けるわけじゃない」という物です。私自身の感覚としてそれって本当かな、というものがありこんな文章を書きます

私は小説を書きます

上手くはないですし、評価をされていると言うこともありません。

感想もあまりほとんどもらいませんし、もらっても批評未満の意見が多いです。

たまにもらう感想で心がほっこりし、自分欲求を満たすために小説を書いています

そんな人が思うのは「小説ってやっぱり誰にでも書けるよね」です。

卑下しているわけではありませんし、貶め炎上することが目的でもありません。

ですがどうしても「誰にでも書けるよ」と思ってしまうのです。

ある人は毎日空想します。そして「あ、これは面白いな」と思えば140文字でも500文字でも1000文字でも書きます

もっと言うなら、ノートの端に「○○が●●と△△する。きっとかわいい」などと書きます

ここまでで察しのいい人は「そういうことか」と解ってもらえるかもしれません。そうでない方にも、解ってもらいたいので私は続きを書きます

私が言いたいのは「どんなに短文でも、どんなに体裁が整っていなくても、一文、単語の羅列であってもそれは小説だよ」ということです。

空想をして、ひいては感じたことを何かに書き付けたその時、人は小説家になるのです。

多くの人は「小説って書けないよ」と言います。でもその「小説」は川端康成だったり芥川龍之介だったり清少納言だったりする、後の世であろうと通用する作品を指して言っているのだと思います

もしくは、自分の心に残っている作品を指しているのだと思います

素晴らしいことです。

でも、それだけが小説でしょうか?

他人の心には残らないかもしれないけど、自分の心には色濃く残る文章って誰しも持っているのだと思います

それは単純に「夕日がきれいだった」「おいしかった」でいいのです。

その裏にある、自分がその時感じた心の動きを思い出せるなら、小説なんて「○○が●●と△△する。きっとかわいい」でいいのだと思います

人は「それは小説じゃない、ただの感想」と言うかもしれません。

ですが私は、ただ自然と「おいしかった」と書くことは、心のままに「かわいい」「格好いい」と書くことは、それだけで小説家になる行為のものなのだと思います

絵に関しても詳しくはありませんが、同じなのかもしれないな、とも思います

ここからはすこしだけ踏み込みます

誰かが何かを書いた時、絶対馬鹿にしてはいけないと思います

それは委縮してしまうからです。

委縮してしまうと色々なことを考えても、表現することが出来なくなってしまうからです。

ですが、明らかに間違っているのだとしたら「間違っているよ」と言うことはあるかもしれません。

ここでも、やっぱり馬鹿にすることは駄目だと思います

間違いは正すべきものです。そして、馬鹿にしてはいけないものでもあるのです。


よくわからない人向け、もしくは私の文章が下手だった場合の、要点を書いておきます

ジャンル場所わず世に小説はいっぱいあるよ、それを指して「小説が書けない」は違うと思うよ。

他人の心を動かすだけが小説じゃないと思うよ。

自分の心を動かしたものを残すのも小説だよ。

その時の文章はどんなに稚拙でも構わないよ。

どんな者でも馬鹿にだけはしちゃだめだよ。

小説一部の人しか書けないか否か

初めてはてな匿名ダイアリーを書くので読みにくいかもしれませんが、ご容赦を。

最近よく見聞きする言説の一つが「小説は誰にでも書けるわけじゃない」という物です。私自身の感覚としてそれって本当かな、というものがありこんな文章を書きます

私は小説を書きます

上手くはないですし、評価をされていると言うこともありません。

感想もあまりほとんどもらいませんし、もらっても批評未満の意見が多いです。

たまにもらう感想で心がほっこりし、自分欲求を満たすために小説を書いています

そんな人が思うのは「小説ってやっぱり誰にでも書けるよね」です。

卑下しているわけではありませんし、貶め炎上することが目的でもありません。

ですがどうしても「誰にでも書けるよ」と思ってしまうのです。

ある人は毎日空想します。そして「あ、これは面白いな」と思えば140文字でも500文字でも1000文字でも書きます

もっと言うなら、ノートの端に「○○が●●と△△する。きっとかわいい」などと書きます

ここまでで察しのいい人は「そういうことか」と解ってもらえるかもしれません。そうでない方にも、解ってもらいたいので私は続きを書きます

私が言いたいのは「どんなに短文でも、どんなに体裁が整っていなくても、一文、単語の羅列であってもそれは小説だよ」ということです。

空想をして、ひいては感じたことを何かに書き付けたその時、人は小説家になるのです。

多くの人は「小説って書けないよ」と言います。でもその「小説」は川端康成だったり芥川龍之介だったり清少納言だったりする、後の世であろうと通用する作品を指して言っているのだと思います

もしくは、自分の心に残っている作品を指しているのだと思います

素晴らしいことです。

でも、それだけが小説でしょうか?

他人の心には残らないかもしれないけど、自分の心には色濃く残る文章って誰しも持っているのだと思います

それは単純に「夕日がきれいだった」「おいしかった」でいいのです。

その裏にある、自分がその時感じた心の動きを思い出せるなら、小説なんて「○○が●●と△△する。きっとかわいい」でいいのだと思います

人は「それは小説じゃない、ただの感想」と言うかもしれません。

ですが私は、ただ自然と「おいしかった」と書くことは、心のままに「かわいい」「格好いい」と書くことは、それだけで小説家になる行為のものなのだと思います

絵に関しても詳しくはありませんが、同じなのかもしれないな、とも思います

ここからはすこしだけ踏み込みます

誰かが何かを書いた時、絶対馬鹿にしてはいけないと思います

それは委縮してしまうからです。

委縮してしまうと色々なことを考えても、表現することが出来なくなってしまうからです。

ですが、明らかに間違っているのだとしたら「間違っているよ」と言うことはあるかもしれません。

ここでも、やっぱり馬鹿にすることは駄目だと思います

間違いは正すべきものです。そして、馬鹿にしてはいけないものでもあるのです。


よくわからない人向け、もしくは私の文章が下手だった場合の、要点を書いておきます

ジャンル場所わず世に小説はいっぱいあるよ、それを指して「小説が書けない」は違うと思うよ。

他人の心を動かすだけが小説じゃないと思うよ。

自分の心を動かしたものを残すのも小説だよ。

その時の文章はどんなに稚拙でも構わないよ。

どんな者でも馬鹿にだけはしちゃだめだよ。

anond:20180206095158

らいくまことさんとか空知ゴリラさんとか複数漫画家アニメ化とき物理的に無理な量の仕事させられる(版権絵のカラーかめっちゃやらされる、最初なにもしなくていいからっていってた話が違う)ってもっのすごい憤慨したあげくらいくさんの場合その最大手仕事するのやめて訴訟までなってたから。

上の二例は体力ある若い男性。そうでなく女性最初から体力なくて漫画家でなく小説家になるようなタイプの人が東大出身の口の立つ男性のおじさんの編集(とかアニメプロデューサーとか電ん通とか)のごり押しに耐えられるとは思えない。編集とは最初理解者であり最後の壁になってくれるはずのもの。そこが信用できなくなったらすべてに抗議する最終手段として筆を折る(自覚あり)か書けなくなる(自覚なし)しかない。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B7%E5%8F%A5%E8%AA%A0#%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%A4%A8%E3%81%A8%E3%81%AE%E8%A8%B4%E8%A8%9F

2018-02-05

お金こそがコンテンツ創作者を支援する方法って話だけど

岡崎体育とかソシャゲとか漫画家小説家とかで「結局お金支援になるんだし、支援した人がメリットを受けられるのは当たり前。がんばって稼いだお金を、がんばって注いだ人が報われるのは道理」みたいな話を最近よく見る。

理屈としてはそうだけどなんか頷けねーなあと考えてた。

私としては、金を稼げてる稼げてない、生活に余裕があるないっていうのは運だと思うんだよね。

たまたまラッキーで、稼げる職、頑張れる環境、十分な能力健康な心身などなどが揃った結果として稼げてるだけ。

お金ある人もない人もそれぞれ頑張ってて、ただその頑張りがお金に結びつく幸運がどれだけ味方してくれたかが稼ぎの差になってる。

裕福さなんてそんな運で決まってる序列しかないのに、「金を払える奴、稼げてる奴が善。金が払えないのはそいつ無能さが悪い」っていう意見が主流っぽいことに納得できない。

せめてビジネス提供者側としてはその理屈で動くのが妥当だとしても、ネット大勢の人たちの意見までが、お金のない層は冷遇する・切り捨てることが当然ってなってんのは、酷薄すぎるんじゃないの。

2018-01-28

女だけの街は漫画化か小説家化してほしいわ

星新一ショートショートじゃなくてちゃんと200ページくらいあるやつね

とある科学の超電磁砲くらいちゃんと世界観を作ってほしい

2018-01-26

anond:20180126104938

明治ごろの女は小説家から迫られたら一緒に川で死んだんだろ

イケメンがやれば殺人だって嬉しいのが日本の女だろ

2018-01-25

みんなの図書館の思い出が散見されるので私も書いてみる。

子供の頃は家に絵本がたくさんあって(と言っても今思えばカラーボックス1つ分くらいか)、繰り返し繰り返し読んだ。

特に好きだったのははらぺこあおむし。今銀座はらぺこあおむしカフェがあるらしいね。行きたい。

それと通っていたピアノ教室にも貸出可の本棚があって、そこからも借りて読んでいた。「眠れないの?ちいくまくん」(だっけな……)という絵本お気に入りで、今も内容をよく覚えている。このピアノ教室には10年以上通ったのだけど、ここでもたくさん本を借りて楽しかった。特に作曲家の生涯を紹介するタイプのやつは左から順番に全部借りたりしていた。

小学校の時ももりもり読んだ。こまっしゃくれた子だったので、何かとよく出てくるゾロリシリーズ、あれはなんとなく興味がなくて、図書館では偉人マンガシリーズ子供向け小説をたくさん読んだ。

同級生の間では「ミッケ」が流行っていて、私も休み時間に借りてきた子の机を囲んで探したものだ。ミッケって今もあるのかな?あとあやとりの本とハムスター研究レポート怪談レストラン流行ってたなあ……。「ブラックジャック」や「君の手がささやいている」「ドカベン」など、マンガちょっとあって、その辺も人気があったような。

私は自分図書カード(借りた本を書いていく表)を2枚にすることが目標だった。確か1枚で100冊くらいかけたはず。なんだかんだ「マンガ古典」とか、マンガをいっぱい読んでいた気がします。

それとは別に、市の図書館自転車で15分くらいの距離にあったので、毎週通うレベルで行って借りていた。中学年の頃は「ふたごの魔法使いシリーズなどフォア文庫シリーズにドはまりしていたのと、学校で借りた「レベル21」をきっかけにさとうまきこさんの小説がすごく好きで片っ端から読んだ。レベル21に関しては多分10回くらい借りて繰り返し読んだ。

学校ではすぐ読んですぐ返せるマンガ系、市の図書館では1週間かけられる小説を借りるという自分ルールがあったような。

司書先生は覚えていないが、元増田みたいなルールはなかった気がする。性を考える~みたいなシリーズもあって、「エッチな本がある」と生徒の間でも話題になってみんなで囲んだりしたけど、「騒がしくしないの~」としか言われなかった。


中学生の頃が一番読書狂いだったかも。1年生の時はキノの旅が好きだったのと、小さくて持ち運びやす文庫に惹かれて図書室にある文庫本、気になったものを順番に借りていった。

それから友達の影響で乙一にはまっていたのもこのころだ。学校図書館と市の図書館をうまく利用して、片っ端から気に入った小説家の本を読んでいった。江國香織も好きな作家のひとりだったな。嶽本野ばらとか、もうその年ごろドンピシャ好きなものも読んだりした。乙一短編集で読書感想文を書いて学年優秀作品に選ばれた思い出がある。

中学校結構ラノベが置いてあった。西尾維新時雨沢恵一しか眼中になかったので他は覚えていないけど、ジャンプコミックスノベライズとかも置いてあった。代わりにマンガほとんどなかった。基本的には新着図書から選んで借りる日々だった。

市の図書館の方では、市内の他館や県立図書館の本を予約して借りられるシステムがあったので、それも駆使して気になる本はとにかく借りた。借りるだけ借りて読まなかった本もあった。小学生だったか中学生だったか中村うさぎ小説を借りて性描写のエグさにびびりながらも「大人な本を読んでいる私!」と悦に浸っていたような。本当に生意気なガキだった。今では「残虐描写の宝庫」と言われるグリム童話初版とか、「本当は怖いグリム童話」とか、そういうのもたくさん読んだし、村上春樹ジャズ評みたいなのも読んだ。

描写残酷描写はこの時にすっかり慣れてしまった、小学校高学年くらいから読んでいたし、特別何も思わなかった。

借りるだけじゃなく、文庫本ならたまに自分で買ったりもしていたけれど、やっぱりお小遣いが限られる中学生高校生にとって本屋はありがたかった。ハードカバーの本なんてなかなか買えなかったもの。それに本屋にない古い本も読める。最新の本も読める。

高校受験ギリギリまでしゃばけシリーズにドはまりして読み続けて、司書先生に「入試大丈夫?」って心配されたけど、「でも新刊でちゃったし」って返したら「そうよね。気になるもんね」と言われた。

こんな感じで本ばかり読んでいたので、家族には「また本ばっかり読んで!」と怒られたりした。大体の家庭って子供が熱心に本読んでたら褒めない??あまりにも私が本を読みすぎるので、一度怒った父親に市の図書館で借りた本を取り上げられて、返却期限過ぎても返してもらえず困ったことがある。


高校生になると市の図書館にはあまり行かなくなった。というのも高校図書館は一度に5冊まで借りられる上、読みたい本が大量にあったからだ。

その頃は桜庭一樹バチスタシリーズが好きだったので、図書館にあるものは全部読んだ。それからその頃話題になった本は、時間が許す限り読んだ。当時所属していた部活の部室が図書館のすぐ上にあって、部活に行く前に図書館を必ず覗いていた。2年生の時などは担任図書館担当だったため、あれこれ本について話した。

その先生とは別に図書司書先生がいた。しょっちゅう図書館に行くので顔を覚えられていて、ある時すでに借りられていた本の予約をしたいと申し出るとすごくフランクに接してくれた。ついでにこの本の続編が最近出たけど入れる予定はあるか、と尋ねたところ「生徒からリクエストって言えば大体買えるのよ!欲しいものはじゃんじゃん言って!入れるから!」と言われた。そうなんだ!と思ってそれからは読みたい本があるたび司書先生の所へ行った。「先生~あのシリーズ読みたいの~」「オッケー。入ったら担任先生に伝えとくね」こんな感じ。

それとちはやふるが全巻置いてあって、受験勉強の合間に読んだ。千早かるたへの情熱を見ては勇気づけられた。調べもの図書館に行くことはなかったけれど、娯楽のための読書としては本当に高校図書館は最高だった。


大学図書館では、研究のための書籍資料を探すために足繁く通った。ただ、小説など娯楽のための読書生協で買うことの方が多かった。アルバイトを始めて、ハードカバーも買えるようになったからだ。

大学図書館はこれまでの図書館と違った魅力があった。研究のための、その分野の専門書がたくさんあった。それこそアルバイトで稼いだお小遣いでは揃えきれない大型本や古い専門書は本当に楽しかった。


これを書こうと思ったきっかけは、まあ繋がないけどとある図書司書さんのエントリで。

自分図書館体験を振り返ると、本当に恵まれていたな、と思う。親に読みすぎと言われた以外、読みたい本を読めないという思いをしたことがない。もちろん図書館に置いていなくて……ということはあったけれど、大体の場合、他館から取り寄せするとか購入してもらうとか、そういう手段でどうにか手元に呼び寄せた。好きなものを好きなだけたくさん読めた。

そう思うと今の図書館とか教育現場ってどうにも窮屈なのかもしれないな、と思う。

親友小学校教諭になってすごく苦労しているけれど、学校図書館も同じように大変なんだな、と思った。中学生の頃に図書館にあった本を見るに、恐らく同年代だと思う。高校図書司書先生のおかげで図書司書に憧れた時期もあったので、憧れを貫いてその職に就かれたことは本当に尊敬するし、その上で様々なギャップ人間関係軋轢で悩まれていること、とても共感する。(私も司書ではないけれど、憧れの職についたものギャップに耐えかねて数か月で辞めてしまったので……)

ただその司書という職が、子供たちに読書体験の楽しさを伝えてくれること、その後死ぬまで残る財産を築き上げる手助けをしてくれること、身に染みて感じているので、どうか身体を壊さないように、がんばってほしいな、と思います。とても無責任応援申し訳ないのだけれども。

2018-01-24

「(民事訴訟を起こされたという体験第一

これまでの話
「(民事)訴訟を起こされたという体験」序話

先ず、原告がどういう人物かについて書いておこう。
原告名前を仮に「K」としよう。
Kは、高校卒業アニメ専門学校CG科に通い卒業時に就職が決まらず、工場従業員コンビニ店員等になるがどちらも試用期間でクビになり
自宅(実家)でアフィリエイトブログを立ち上げて収入を得る事にした人物だった。
原告の立てたアフィリエイトブログネット上で拾った記事を載せて一行二行の感想を書く程度の更新毎日続けるだけの内容で
開設から余り日が経たない内に、とある匿名掲示板ヲチスレが立つという様(さま)だった。

ヲチスレを立てられている事に気付いたKは、ブログヲチスレ住民を煽る記事を書き始め更にヘイトを集める。
そして、ヲチスレ民の突撃を受けたKのアフィリエイトブログは閉鎖に追い込まれた。
この時のKの年齢は30歳を過ぎたばかりだった。

それから数年、Kは名前を変え小説ブログを立ち上げ、小説投稿サイト小説投稿していた。
ブログ小説文体から「これはKではないか」と疑った元ヲチスレ住民により調査が行われた結果、その小説家はKである事が容易に判明した。

その小説家がKである事が判明した経緯はこうだ。
①Kは小説投稿サイト主催オフ会に参加していた。
②そのオフ会出会った人物にKはアフィリエイトブログ時代名前を名乗っていた。
③Kが名前を名乗った人物はKのアフィリエイトブログヲチしていた人物だった。
という流れだ。
ヲチスレ民は、その人物仲介小説投稿サイトオフ会に参加した人物数名に手分けして接触する事になった。

小説投稿サイトオフ会でKは他の投稿者に対し上から目線発言を相当にしていたらしく、
それが理由オフ会参加者からKは随分と嫌われていた。
また、小説投稿サイト管理人もKのアフィリエイトブログ時代の数々の悪行を知っており
「同一人物である以上、この小説投稿サイトには置いておけない」とKを小説投稿サイトから追放する方針を決めた。
結果、小説投稿サイトオフ会参加者小説投稿サイト管理人経由でKの本名と住所が容易に判明した。
小説投稿サイトオフ会参加者経由でKの住所が判明。
小説投稿サイト管理人経由でKの本名が判明。
という形だ。
この時のKの年齢は、30代後半になっていた。

Kの本名を突き止めたのが(小説投稿サイト管理人と接触を持ったのが)私だった。

次回に続く。

2018-01-23

「(民事訴訟を起こされたという体験」序話

先日需要が有るなら書きたいという記事を書いた者だが覚えている人はいるだろうか?

上記記事には反応は無かったが「(民事訴訟を起こされたという体験」について書いてみようと思った。

一回では書き切れないので数回の増田になると思うが、最後まで読んで頂けると嬉しく思います
という事で、よろしくお願いします。

先ず、結論から言うとこの訴訟は、訴訟費用負担比率(≒訴訟の原因となった出来事に対する双方の責任比率)が原告相手)側8割、被告こちら)側2割で決着がついた。
原告側にとっては、裁判所から「この揉め事の原因の8割はお前に有る」と言われ、しかも、訴訟を起こすために使った費用を回収する事も出来なかった赤字訴訟

原告相手)は、職業小説家」を自称する30代後半にもなって未だに実家で両親と同居する独身結婚していないという意味で)男性だった。

2018-01-21

障害福祉相談所というところに行ってみようと思う。

小説家の、萱野葵という人の寄稿を読んだ。

自身発達障害に気づかず、生きずらさを抱えたままバイト転々とした話だ。

何気なく読んだものの、たぶんこの話は私にも当てはまるところがあるぞ、と感じた。

私も「そのスペックで、何故こんな簡単なことができない(わからない)のか」と、よく怒られるからだ。

言い訳をするなといわれるし、けして理解はされないと思うけれど、できていないんじゃなくて、まだやっていないが正しい。

たぶん、私は作業の順番や内容の受け取り方が、かなりの確率で人と違っているのだと思う。

それから雰囲気空気を読みながら、適当に(この適当がやっかいだ)作業することも苦手なのだと思う。

これも言い訳がましいが、逆に言えば空気を読みすぎて動けなくなる。そして、適当って何。

やったらやったでお前のやり方は間違っていると怒られ、やらなかったらやらなかったで何故できないんだと怒られる。どうしたらいいのか。

かにもいくつかあるが、今の職場で働いていると、概ねこんなことで頭がいっぱいになっている。

自分の中では、あれもこれもと考えて仕事しているつもりなのだが、他人からはさぼっているように見えてイラつかれたり、「おどおどするな」とまた怒られる。

決して、働きたくないでござるではない。むしろ、めちゃくちゃ働きたい。

現に以前の職場では、しんどいことも多かったけれど働くことが楽しかった。

そこでは、例えば「〇時までに○○が必要」という明確な終点けが決まっていて、指定がない限りやり方は自由だった。

仕事ができているという自信も、少しだけあった。でも今の職場ではボロクソな上、人間としても無能すぎて、どうかと思い始めてきた。

好きだった読書も、漫画ですら目がすべって内容がよくわからない。映画は2時間集中できなくて見れなくなった。学生時代考察サイト書いてた私と同一人物とは思えない。

そこへきて、先の記事である

私が甘えているだけなのか、さぼっているだけなのか、何か原因があるのか。

甘えているだけ、さぼっているだけだと確定するのも怖いな。もしそうだったら、ちゃんと働ける日は来るのかな。

いきなり病院ハードルが高いので、とりあえず話だけでも聞きに行ってみる。

2018-01-17

anond:20180117115649

たぶん死後に仕事が認められるタイプだろう

小説家で受賞のさいに「生きているうちに見つけていただきありがとうございました」と言った人がいたけど、そういう長い目で見るのも大事では

2018-01-16

anond:20180116130219

キャッチコピーと言えば有名なのは、奇伝的小説家(兼詩人アンドレ・ブルトンの話


ある盲目乞食が、
「私は目が見えません」というボードを掲げて小銭を恵んで貰おうとするが、誰もおひねりを投げ込まない


そこに通りかかったのがブルトンで、見かねて「貸してみろ」とボードを奪って、ササッと文を別のものにしたのだ


するとさっきまでのことが嘘みたいに、大量の小銭が乞食の元へと投げ込まれるようになった


ブルトンはこう書き換えたのだ。

「私はやがて来る春を見ることができません」

https://anond.hatelabo.jp/20180116071707

学生漱石で「吾輩は猫である」とか切り出すのを覚えるから自分小説家だなんて書き出しに自然さを感じるのかもしれないけどあれは猫が自己紹介などあり得ないことを前提としているわけなのだけれども。

そんなの読書感想文宿題の冒頭だよ。

新たな文章練習法について

 文章サボり過ぎている。頑張ろう。

 文章トレーニングのための新機軸練習方法を思いついた。まだ思いつきの域を出ていないとは思うが、それはどんなものかと言えば思いついた単語を片っ端から書くというものである。あるいは頭文字共通している単語を書きまくるというものである赤ちゃんあんこアンダンテアスキー、とかみたいにね。つまりそうやって適当単語を書きまくっている内に――つまり無秩序単語を書きまくっている内に――秩序のある文章を書きたいという純粋欲求が生まれてくることを狙った文章練習法なのである。訳分からんことを敢えて書きまくっていると勝手に訳の分かることを人間は書きたくなるのではないかと俺は思っているのである。どこかの作家が言っていたが「誰にでもできることから始めることで、より高度な行為可能になる」ということなのだ。思いついた単語を書き並べることは(殆ど)誰にだってできることである。だから、まずは誰にでもできることを行うのが肝要なのだ。俺はそう思う。


 例えば、今ここまで文章を書いたところで俺のモチベーションは随分と下がってきているのだけど、あんことかアンダンテとか有馬記念とかみたいな単語を並べることは当然できる。だからモチベーションアップを図ることができるのだ。多分。知らんけど。


 ここまで書いたところで更にモチベーションが低下してきた。それでもまだ例の文章練習法に頼る必要は無さそうである。このままとりあえず書き続けてみよう。それで、モチベーションが底をついたところで実際に例の文章練習法を試してみるのが良いかもしれない。とは言え一応文章を書き続けることが(今のところ)できているので、そう、今のところその文章練習法に頼る必要は無い。やったぜ。


 そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。独り言のように何とかなりそう何とかなりそうと呟ける内はまだ何とかなるのだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。「そろそろモチベーションが尽きかけてきた」→「何とかなる何とかなる」的な。しかし先程の論法に従って言い換えてみれば次のようになるのかもしれない。「同じことを繰り返し書くことは誰にでもできる。だから、そうやって誰にでもできることをやっている内に、再びモチベーションが生まれてくる」と。そういうことなのかもしれない。書くことに迷ったらあんことかアンダンテとかアルゼンチンとかそういうことを書かずに、今まで書いたことを書写していくのがいいのかもしれない。その方が文章推敲にも役立ちそうな気がする。今にして思えば。


 例えば、今からこの直前の段落を俺は複写しようと思う。「そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。」

 やはり同じことの繰り返しとは言え、何かを書いている分には脳の方でも「こいつ何か書いてんな」と反応している感がある。つまり、脳は割と鈍感なのかもしれない。同じことの繰り返しであれ複写であれ何であれ、ともかく何かを書いていれば「こいつ何か書いてんな」と脳は認識し、結果的に「何かを書く練習」になるのかもしれない。つまり文章技術一般を鍛えるための練習になるのかもしれない。人間の脳なんて基本的に騙し騙されなのだ適当文章を何度も何度も複写していれば、まるで新たな文章を五千文字書いているかのように脳は錯覚してくれるのだ。多分。知らんけど。実際知らんけど。そもそも練習になっとるのかどうか知らんけど。結局は脳の判断云々よりも人間が如何に新しいものを書こうとするかに文章価値根本存在しているのだとすれば、今俺が「脳は結構鈍感で勘違いする」とか言ってる傍からオリジナル文章を書きまくっているその意味もはっきりしてくるのかもしれない。しれない。よく分からないけど、多分そうなのかもしれない。

 というか今これだけ色々と文章を書けているのはひょっとしたら昼間に飲んだコーヒーに含まれカフェイン効能なのかもしれない。それだけのことなのかもしれない。しれない。よく分からない。でもそうかもしれない。何か結局同じことを繰り返し繰り返し書いてるだけにはなっていやしませんかね自分

 あいうえおあんこアンダンテ、秋、憧れ、有馬記念阿久津主税八段(将棋棋士)。


 以上の文章文字数は千八百文字程度である。こんなに書いたのに、普段目標としている千文字文章を二つ分弱書き終えた程度の文字数しか稼げていないことに愕然としている。やはり繰り返すしか無いのかもしれない。あるいはあ行の単語やか行の単語を並べていくしかないのかもしれない。


 ところで自分が何故このような文章練習法を思いついたかと言えば、それは安眠法の記事を読んだからなのだ。その安眠法は「連想式安眠法」と言って、先程述べていたような頭文字限定した単語を幾つも幾つも思い浮かぶ限りで頭の中で唱えていくという安眠法なのだが、これが中々人の脳の中にあるざわめきを抑える効果を持っているようで、つまりは実際安眠に役立つのである。で、俺もその安眠法のファンになってしまったのだが、しかし何度も何度も頭文字共通する単語を頭の中で唱え続けていると、今度は秩序だった文章を頭の中で唱えたい欲求が生まれてきたのである。この文章練習法は以上の体験を元に考案されている。どうだろう。結構この文章練習法良くないだろうか。実際相当文字数を稼げていると思うのだけど、でもやっぱりこれも昼間飲んだコーヒー純粋作用しているだけなのかもしれない。だってそんな簡単文章を大量に生産できるわけがないと思うのだ。今まで俺は文章をたくさん生み出すことが中々できないから焦ったり悩んだりしていたわけであって、それがこんな簡単方法によって改善するとしたらおかしいではないか、と心の一方では思っているのである。だから、どちらかと言えば自分自身の考案した練習法が功を奏したのではなく、昼間飲んだカフェイン所為と言ってしまう方が安心するのである。変な話だけど。

 基本的に俺という人間人生において空回りばかりをしており、自分の考案した方法が功を奏したことなど数える程も存在していないのだ。あるいは一つとして存在していないのだ、実数分からんけど俺本人の印象としては一つも存在していないと言いたいくらなのだ。だから、実際物事が功を奏したとはどうしても思いにくい、そう、「自分の手柄とは思いにくい症候群」が現れているのである。難儀なもんですね全く。ところでキーボードを叩き過ぎて段々指先が痛くなってきた。キーボードを叩くという実にヤワ運動が指先の神経を破壊したりするものなのかどうか俺には分からない。もしそんな事実存在するのであれば全国の小説家廃業しなければならなくなってしまう。だって彼らは日常的に三千文字とか四千文字文章を書きまくっているわけだから、つまりもしそんなペンだことかと同じキーボードだこ的な職業病存在するのだとすれば全国の作家及びキーボード日常的に使用する全ての職種の人々は皆等しく指先の神経破損症候群的な持病を抱えることになってしまうのであり、しかし世の中で生きていてもそんな持病の存在について耳にすることは殆ど無いことから、あるいはそんな持病は存在しないんじゃないかと思ったりもする。とは言え、俺のキーボードタイプする力は常人よりもやや強いのかもしれない。若干指先がひりひりし、指の第二関節が少しばかり痛む程度には俺のタイプチカラは強いのかもしれない。そもそも俺は小指を使わずタイピングを行う自己流の要矯正タイピング法に慣れ親しみすぎており、つまり他の人々よりも指の負担がやや多くなっている可能性があるのである。小指が本来受け取るはずであった負担を四本の指に分配してしまっている可能性があるのである。そう考えると俺だけがこの指先神経破損症候群的な症状に罹患してしまうとしても強ち想像力の枠外とは言いにくいのではなかろうか。


 こんなところでようやく文字数が三千文字を超えていった。とは言えまだ三千文字しか書いていないのかという感覚存在している。あるいは俺の考えた文章練習法のお陰ではなくカフェイン所為なのではないかという疑惑も依然として根強く存在し続けている。

 しかし今ふと思ったのだけれど、やはり効果的な練習法の条件の一つには、人間心理的ハードル技術的なハードルを落とすことが含まれるのかもしれない。あるいは技術的なハードル心理的ハードルを下げることを含む必要があるのかもしれない。だって幾ら効果的な練習法が存在したところで、それが技術ハードルおよび心理的ハードルをゴインゴインと引き上げてしまったら元の木阿弥で誰も挑戦しなくなってしまうことになるではないか。俺今正しいことを言ってる感覚がある。そう、「誰にでもできることから始めよう」作戦は実に正しいのである。例えば、カメラに習熟したいならシャッターを押しまくれば良い。シャッターを押すだけなら大概の人間にはできるからだ。バカチョンカメラとも言うではないか。誰でもちょんと押しさえすればカメラは大抵風景を切り取ってくれるものである。多分。もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれないけれど。

 ホラ見ろそんな注釈自分で付け始めることないのに自分からハードル高くしにいってんじゃねーかと思う。「もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれない」とか言い出しちゃうタイプ人間なのだ俺は。つまり自分心理的技術的なハードルをゴインゴインと上げてしまタイプ人間なのだ。俺は。そう考えるとやはり誰にでもできることをやることは、全くもって善なる練習法なのではないだろうか。だって俺がこういう性格しちゃってるもんだから、尚更その「バカチョンカメラ」式練習法が輝かしいものに感じられるのだ。つまり自分が書いた文章最初から書写したりとか、あるいは頭文字が「あ」で始まる単語を書きまくるとか、そういう「誰でもできること」がやっぱり大切なんではなかろうか。そんな気がどんどんとしてきた。ホラ、だって文章が目茶苦茶量産体制に入ってるのは、さっき自分心理的技術ハードルを落としたからではなかろうか? そう考える傍から「いやいやカフェイン所為でしょそれ」的な思念が浮かんできてしまうのだが、これは良くないことなのかもしれない。しれない。分からない。小麦粉か何かだ。古いねこのネタ。正直昔このネタ聞いてもあんまり面白いとは思わなかった。恐らくこのネタ楽しいと思うにはそれまでラーメンズが演じてきた演目に対する知識必要になるのではなかろうか。なかろうか。俺、さっきから「なかろうか」とか「かもしれない」的なことを書きまくってるけど、それは俺の中にある自分が書くものに対する不安の念の現れなのかもしれない。現れなのではなかろうか。しれない。かもしれない。分からない。小麦粉か何かだ。


 ようやく四千五百文字を超えた。というか文章を書き始めてからこの辺りで既に四十分近くの時間が経過している。あっという間だ。今俺はライティングハイ的な状態になっているのだ。それがカフェイン所為なのか、あるいは俺の編み出した練習法により心理的技術的なハードルが下がった所為なのかは分からないが(その真偽は恐らく明日以降カフェイン摂取しない自分が自ずから証明してくれるであろう)、いや分からんね。そもそも自分が何を書こうとしてるのか分からんから必然的に「分からん」とか「知らない」とか「小麦粉か何かだ」的な記述が増えてきてしまうのです。


 ところでアレですよ、最近「なろう小説」というもの流行ってますよね。流行ってるんです。ええ。流行ってますとも。多分。知らんけど。

 この「なろう小説」の特徴としては、大体物語の冒頭で主人公が死んで転生するところから始まる。そして転生後の世界主人公稀有な才能を持った偉人として君臨することになる。そういう筋書きが殆どなのだ。この呼称はどのように生まれたかと言えば(アノニマスダイアリーに生息する御仁達には説明不要かもしれないが)この小説ジャンルは「小説家になろう」という小説系の投稿サイトで幅を利かせたジャンルなので、「なろう系小説」とか「なろう小説」といった呼称をされているのだ。説明すればするほど醜悪まりない作法によって書かれた小説ジャンルだと思うが、中には面白い作品もあって、個人的には「異世界料理道」なるタイトル作品推しておきたい。これはもう既に商業デビューを果たした作品であり、商業デビューするだけのことはあって世界観の組み立てやストーリーテリングが非常に上手い小説なのだ。二百話近くあるエピソードの半分以上を読んでしまったくらいだ。

 で、俺が言いたいのはそういう稀有面白さを持った小説に対する賛辞ではなくて、その「なろう系小説」を書いている人間文章生産能力に対する賛辞なのだ。俺はプロになる為には一日最低三千文字から四千文字文章生産する能力を持たなければならないと思っているが、いわゆる「なろう系」の小説を書く人間の中には一日に一万文字とか二万文字を平気で書き上げる人間ゴロゴロしていると言うのだから驚きである。一日二万文字と言えば、速筆で知られたか西尾維新氏が、それくらいの文章生産能力の持ち主だったかもしれない。しかし俺だってカフェインブースト心理的技術ハードルを下げる効果的な練習法さえあればそれぐらいの量の文章を書くことなんてお茶の子さいさいだぜと言いたくなってくる。実際そろそろ五千文字突破して六千文字に迫るか追い抜くかをしているところだと思うが、あ、そろそろキツくなってきたかもしれない。いやしかし「キツい」キツいと繰り返している内はまだ大丈夫だと先程言ったばかりである。これもまた繰り返している。繰り返し。繰り返し、リピートリピート。繰り返すことが人間心理的ハードル技術的なハードルを下げ、人間効果的な文章トレーニング提供することになるのだ。多分。でも一応今日はこの辺にしておこう。

2018-01-14

anond:20180114001756

なにこの訳?日本語としておかしい事も気が付けないの?

なにが「ウザがらされない」だよ。「しつこく口説かれない」とすれば大変読やすかろう。

小説家による平明な」って、それお前のクソ訳と関係ないよね?

「ウザがらせる自由」に対して:『あなたは、豚として生まれたの?』

(追記)ウザがらされない→ウザがらせられない ですね。日本語不自由になってました。恥ずかしい。

後、importuner と Un porc, tu nais がどちらもアンポルチュネで発音同じことに言われて気づきました。これも恥ずかしい。

そして、さらに恥ずかしいことに、最後段落抜けてました。大急ぎで追加しました。

_______________

ちょっとフランス語翻訳してみたくなったので、最近増田の流れで、一つ記事を訳してみました。

Leïla Slimani (レイラスリマニ)というモロッコ出身フランス人女性作家の Liberation のサイトに昨日掲載された«Un porc, tu nais ?» (「あなたは、豚として生まれたの?」)という記事です。

なんで、これを訳したかというと、先の「ウザがらせる自由」が、何やらフランス代表するもの英米からmetooブームに対する、大陸から批判みたいな取られ方をしている向きがあったからです。全然そんなことありません。twitter を見る限り、あの記事叩かれまくっています

現在も、テレビ討論番組で、Brigitte Lahaie という元ポルノ女優(あの記事署名者の一人です)が「レイプ最中だって、楽しめるわ」と発言した件で、絶賛大炎上中です。(この発言が、あの記事の後半部につながっているのは明らかでしょう)。

フランスでは #metoo に加えて #balancetonporc というタグ使用されていて、意味は「あなた豚野郎を叩き出せ!」です。ものすごく攻撃的ですね。Le Monde 誌の記事はそんな流れの中でのカウンターとして出されたもので、まぁ、要するに両者ヒートアップしてるってことです。

あなたは、豚として生まれたの?」は明確に「ウザがらせる自由」に対する反論として書かれています。いくつかの言い回しが、あの記事から来ているので、増田での訳語にその辺はあわせました。この記事文脈では「ウザがらせる」は生ぬるい気もしますが。

--------

(追記)ブコメで指摘がありましたが、あちらの翻訳は「ウザがられる自由」でしたね。完全に見間違いをしていました。

でも、これはしょうがないところがあって、原語 importuner は他動詞能動形以外のなにものでもないので、まさか受動形で訳しているなんて思わなかったのです。

「ウザがらせる」が正しいです。

不器用勘違いから来る過失のニュアンス」は日本語訳からまれものであって、原文にはそうした解釈余地はありません。

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小説家による平明に書かれた文章なので、致命的な誤訳はないと思いますが、気づいた点があれば、じゃんじゃん指摘しちゃって下さい。

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あなたは、豚として生まれたの?』

通りを歩く。夕方地下鉄に乗る。ミニスカート、胸の広く開いたシャツハイヒールをはく。ステージの真ん中で一人で踊る。派手めの化粧をする。ほろ酔いタクシーに乗る。半裸で草むらで伸びをする。ヒッチハイクする。深夜バスに乗る。一人旅をする。テラスで一人グラスを飲む。ひと気のない道を走る。ベンチで待つ。男を誘い、意見を交わし、歩き続ける。イル=ド=フランスの人込みに紛れる。夜勤する。公共の場子どもに乳をあげる。賃上げ要求する。

こうした、日常的で平凡な生活において、私はウザがらせられない権利を、そんなことにかかずらわされない権利要求します。 私は、私の態度、私の服装、私の歩き方、私のお尻の形、私の胸の大きさについて、とやかく言われない自由要求します。私は、私の平穏孤独権利を、恐れることなく前に進んでいく権利要求します。私はただ、内的な自由だけを求めているのではありません。私は、外での、広々とした場所での、私もまたその片隅を占めている世界においての自由を求めているのです。

私はちっぽけな壊れやすい品物ではありません。私は守られることを求めているのではなくて、安全尊重についての私の権利を認めるよう求めているのです。そして男性たちは、皆が皆、豚であるわけではありません。そんなことは全くありません。この数週間、どれほどの男性たちが、彼らの能力でもって、今起こっていることを理解し、私を魅了し、驚かせ、大喜びさせたことでしょう。どれほどの男性たちが、もう加担することをやめ、世界を変え、これらの行為から、彼ら自身をもまた解放しようとする意志を示してくれることで、私を驚嘆させたことでしょう。

というのも、例のいわゆるウザがらせる自由は、その奥底に、男性性についての極めて決定論的な見方を隠しているからです。すなわち、「あなたは豚として生まれたのだ」と。

私の周りの男性たちは、私を侮辱するものたちに対して、怒り、抗議してくれます。朝8時に、私のコート射精した誰かに。私の出世に何が必要理解させようとした上司に。研修の対価にフェラチオを求めた教師に。「キスしないか?」と尋ね、「淫売」扱いして去った通行人に。

私の知っている男性たちは、この男らしさについての反動的見方に、うんざりしています。私の息子は、そう私は希望するのですが、きっと一人の自由な男になるでしょう。その自由とは、ウザがらせる自由ではありません。制御できない衝動にとりつかれた捕食者としてではなく自分定義する自由です。私たちを魅了した男たちが持っているようなたくさんの素晴らしい仕方で、魅了することのできる一人の男に、息子はなるでしょう。

私は一人の犠牲者ではありません。しかし何百万もの女性たちはそうです。これは事実なのであって、道徳的判断やそうした女性たちを(犠牲者として)本質化するものではありません。

そして、世界中の何千もの街の通りを、うつむいて歩いている全ての被害者たち、付け回され、ストーカーされ、レイプされ、侮辱され、公共の場場違いものとして扱われている彼女たち、その恐怖が、私の中で瞬きますうずくまり、恥じている彼女たちの、辱められたという理由で通りに投げ出され除け者になった彼女たち、彼女たちの体がウザがらせる行為を招くからという理由で、黒く長いベールに隠させられている女性たちの叫びが、私の中で響いています

カイロニューデリーリマ、モースル、キンシャサカサブランカの通りで、歩いている女性たちは、失踪誘拐そして(下心ありの)慇懃さを心配しているのではないでしょうか?彼女たちに、誘惑し、選び、ウザがらせる権利などあるでしょうか。

私は、いつか、娘が夜中に通りを、ミニスカートと胸の開いたシャツを着て歩き、一人で世界旅行をし、真夜中に何も恐れることなく、そんなことを考えることもなく、地下鉄に乗れることを望みます。その時、彼女が生きるその世界は、清教徒世界ではないでしょう。私は確信しています、それはより正しい世界、そこでは愛と歓びに満ち、魅了し合う場だけが、より美しくより豊かである世界になるだろうと。それはまだ想像すらできないものだけれど。

http://www.liberation.fr/france/2018/01/12/un-porc-tu-nais_1621913

2018-01-13

変だわ

好きなアイドルとかアーティストとか小説家とか漫画家とかクリエイターとか

そういう人に何かが起きたから、もうファンでなくなりますという単なるスタンス表明が

猛烈に攻撃されるというこの構造が、本当に怖いし気持ち悪いし変だと思う

ブログツイッターで何かを発信すれば、それは批判対象になっても仕方ない

黙ってそうしろや、という立ち位置の人が多いけど

そうは言っても、ただブログツイッターで思うことを言っただけなに、という立ち位置に私はい

どっちが正しいとかは誰にも決められないんだろうし、それぞれがそれぞれの立ち位置が正しいと主張するわけで

いやーなんか、そんな、ただ、思うこと書いただけで…って思うし、ややこしくて面倒なことになってるな、いろいろ

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