はてなキーワード: 小説家とは
なれるならなってみせよう小説家
わりとみんなコッソリ始める人が多くて全然知られてないし知られたくないのかもしれないけど、知りたいから教えて。かわりに知ってるのまとめる。
CLAMP4人がラジオ形式でいろいろ喋ってる。Xのスペースとは別。普段の生活が垣間見える。
数本の動画投稿で終わっているが超レジェンドインタビューが載っているので一度見るべき
■浦沢チャンネル
日常などで知られる作者のとんでもないクオリティの自作アニメがアップされてる
■VRYOG
横山裕二の公式チャンネル。十勝ひとりぼっち農園読んでる人は必見
とりあえず勢いで始めてるけどしっかりとした番組。勢いが凄い。山田玲司のヤンサンがサポートして始めた
■大童澄瞳
映像研には手を出すな!の作者がイケメンVTuberになってライブ配信などをしている。漫画家はVTuberになる時代
■石田衣良
石田衣良の番組。いろいろな内容があるが各著名作家へのインタビューが面白い。賞予想なども
■AkubiLR
一見しても誰のチャンネル?って感じの森博嗣チャンネル。なんと2009年からある。日々製作している庭園鉄道の記録が載っている。
とある嘘松系ラノベ作家がここしばらくのあいだ鍵垢になっていたのだが、ちょっと前に出所してきた。
鍵かけた理由も炎上が原因と思われるし、これからは心を入れ替えて真面目に作家活動を頑張るのかな……と思いきや、早速のスカッと系嘘松っぽいツイートを投稿。
多数の嘘松系アカウントを見てきた者として感じるが、嘘松にはかなり強い依存性がある。特に、小説家やその志望者にとっては。
言うまでもないが、小説というのは、言葉だけを使って一つの世界を作り上げるという、とんでもない縛りプレイの産物だ。
しかもあらかじめ、「これは嘘である」ということが暗黙の了解として読者に共有されていることが、基本的なルールとなる。
(もちろん私小説や歴史小説のような、虚実を曖昧にすることで成立するタイプの小説もあるが、ここでは普通のエンタメ小説に絞って話を進める)
その上で読者の興味を引き続けなければいけないのだ。もはや無理ゲーと言ってもいいだろう。
「あり得ない」「考証が甘い」「で?」「だから?」「は?」
そんな難行に取り組んでいるというだけで、プロアマ問わず全ての小説執筆者は尊敬に値する。
だが、そういう小説の困難さに直面しているからこそ、小説書きの眼に「嘘松」は魅力的に映ってしまうらしい。
虚構でありながら「これは実話である」という体で語られる嘘松は、当然ながら人の興味を引きやすい。理不尽な被害や、そこからの逆転などの刺激的な内容なら読者も、そんなことがあったの!?と食いつかざるを得ないだろう。小説の基準で言うならチート級のつかみだ。
そして、現実には人の心をざわつかせる材料がいくらでも転がっている。サヨクとウヨク、フェミとアンフェ、表自とポリコレ、肉食とヴィーガンといった対立は、下品すぎて小説ではなかなか正面から扱うことが難しいが、嘘松なら格好の素材である。
また、嘘松では小説のテクニックをある程度は流用できる。そのためプロとして最低限の文章力、構成力を持つ作家なら、誰でも100RP級の嘘松を連発できて当たり前なのだ。
真面目にコツコツと小説を書くよりも、はるかに低いコストで「読者」を得ることができる嘘松。
一線級の超人気作家ならともかく、こういってはなんだが一山いくらのB級作家が嘘松活動にのめり込んでいくのも無理はない。
しかし、嘘活を続けていると、作家の感性は次第に嘘松にむしばまれていく。
嘘松と小説は、現実ではないという一点において共通しているし、前述のように技術として似通った面もある。だが、やはり決定的に別物なのだ。
嘘松の多くは、はっきり言ってしまえば、「嘘松(実話)としてなら面白いが小説としてはイマイチ」というレベルの内容がほとんどだ。嘘松に特化した想像力では、小説(フィクション)を支えるだけの真に力強いアイディアを生み出すことは難しい。
また、嘘松作家の書く小説はどこか薄味で、登場人物にも世界にも魂が入っていないように感じる。「実話」という強力なカードに頼って、世界を自力で構築する作業を怠ってきたのだから当たり前だろう。
そして何より、最終的には作家自身が、自分の作るフィクションに興味を保てなくなるようだ。
こんなの、ただの「作り物」じゃないか。「現実」に勝てるわけがないじゃないか、と……
そんな嘘松作家たちの哀れな姿を、俺は数えきれないほど見てきた。
ただ、嘘松特化型クリエイターであることが、必ずしも不幸であるとは限らない。
現に、別のとある嘘松系作家も今は、自分自身を主人公にした嘘松の延長線みたいな題材の商業作品で大いに人気を博しているようだ。
そういう道もなくはない。経済的な成功だけで満足できるのなら、本人が納得できているのなら、それでも別にいいんじゃないかとは思う。
それでも敢えて警告しておこう。
嘘松には決して手を出すな。
もしも本当の作家でいたいのなら。
カウンセリング 元増田と重複 ブランディング ブランドの価値を高めるための施策 チャンピオンズ ゲームのドラゴンクエストチャンピオンズ、欧州サッカー大会のUEFAチャンピオンズリーグ、テレビ東京系列とBSジャパンで放送されたTVチャンピオンの後続バラエティ番組、 魚乃目三太による週刊少年チャンピオンの歴代編集長取材記マンガ コメンスメント 本来は始まりの意だが米国では卒業式をさす。また日本の同名ファッションブランド アイン・ランド ロシア系アメリカ人の小説家、思想家、映画脚本家。リバタリアンやアメリカの保守主義に大きな影響を与えた バインディング binding:結びつける、縛り付けること。またラグビー、スノボ、ITなどで用語化している フロントエンド WebサービスやWebアプリケーションで直接ユーザーの目に触れる部分 コリンチャンス ブラジル・サンパウロを本拠とするサッカークラブ オレンジレンジ 日本の男性5人組ロックバンド ポインティング pointing:指し示すこと。また彫刻、ITなどで用語化している
にさんかたんそ 元増田と重複 こてんこてんこ 上野あつこによる日本の漫画作品 にほんのぶんか 日本の文化 かうんせりんぐ 上と重複 いでんしけんさ 遺伝子検査 ぶりんこうんこ 辻希美と加護亜依による非公式ユニット ぶらんでぃんぐ 上と重複 ちゃんちゃんこ 元増田と重複 おてんとさん社 童謡雑誌『おてんとさん』の発行と児童文化運動のための結社 しゃんしゃん火 天火の異称。日本各地に伝わる怪火の一種
こてんぐテン丸 かぶと虫太郎による日本の漫画作品 たらんたランタ 槙ようこによる日本の漫画作品 ぺぺんがペンゴ セガのメガドライブ用ゲームソフト。Wiiのバーチャルコンソールでも配信
ブリンぶりん家 2004年TBS系列から放送されたアニメ・バラエティ番組
甥がもうすぐ中三になる。高校受験の話題も既に学校や親から何度も出ているであろう。偶々会話する機会があり、甥は進路についてこう語る。
「やりたいこととかない」
大変覚えのある感情だ。
ブラックジャックを読んで医者になりたいと言い出し、WILD LIFEを読んで獣医も良いなと嘯き、もやしもんを読んで酒蔵への興味を湧かせる。しかし勉強は何一つしない。そういう子供だった。
大人は子供に夢や目標を持てと言う。あらゆることに興味を持て。経験をしろ。本を読み、ボランティアに参加し、つまりまぁ社会勉強から世の中を知り己を知り夢を見つけろとそういう訳だ。
大人になった今なら解る言だ。目標がなければ努力はできない。目標のない子供に親が勉強しろと言うのは一先ずの目標として大学を目指せという意味もあるだろう。志望校は数字で解り易く自分がどこまで手が届いているかわかるからだ。
さて、甥である。彼はゲームが好きだ。書籍の類いはあまり読まない。最近の若者には珍しくモテへの意欲がある。イケメンで性格も優しいのでそれなりにモテているようだ。(羨ましい限りである。)しかしそれも熱い情熱がある訳では無い。「大学に行ってモテライフを歩みたい」のような目標すらない。そしてそれは、かつての自分もそうであった。
夢のない子供だった頃、目標を持てと言われるのが嫌いだった。そもそも物事に強い興味が湧くタイプでもなかった。前述の漫画から着想を得てみたり、15歳からのハローワークを捲ってみたりと色々「夢」なるものを探したが、いまいちピンと来ない。今思えば無駄な努力だった。「興味」や「目標」は浅瀬でチャプチャプ遊んでいるような者に手に入るものではない。大体プロゲーマーだの小説家だの目標を持ったところで最終的にはスーツを着たサラリーマンになり、夢や目標が叶えられることなどないのだろうと斜に構えていた。スーツを着たサラリーマンになることの大変さも解っていなかったので、そこが大人の末路だと勘違いしていたのである。今の私に言わせるならスーツのサラリーマンはむしろ勝ち組だ。
就職活動の苦しみも労働の辛さや達成感も知らない子供に、夢のない子供だった大人から「夢を持て」以外に言えることはなんだろうかと考えた時、あなたはなんと伝えるだろうか。
私は「自分にとって何が一番楽に出来る事かを知れ」だと結論を出した。
仕事をするに当たって大切なことは何か考えた時、「ストレスなく結果を出せること」が最重要ではないだろうか。ストレスを溜めれば精神も肉体も蝕まれる。最終的に結果が出せたとしても、結果のために身体を壊しては本末転倒だ。仕事は生きている間は絶えず続けていくものであり、ランニングコストのかかる「結果」は命を縮めかねない。
人には向き不向きがある。座り仕事に向く者、向かない者。体力のあるなし。記憶力、忍耐力、頭の良さやファッションセンス。あらゆる自分のスペックを知り、「そこそこの結果が出せて」「努力してもストレスになりにくい」そういった職業に就くことで、その後の人生をより良いものにできる。
強い情熱は持っているだけで武器になる。やる気のある奴というのはそれだけで強い。しかし突出した情熱がなくとも、社会に参加できない訳では無い。
「夢を持て」と言われるのが嫌だった当時の私に、話の通じない大人になったものだとため息を点かれないような答えに辿り着けただろうか。
そんなごちゃごちゃ注意書き入れなきゃいけないような雰囲気じゃ
読み手も結局損をする。
まあ女は好きな表現を見ることより、不快な表現を見ない方が大事らしいから
それでも良いのかもな。
ちなみに妹が小説家やってるんだけど、
創作欲が失せてきたって悩んでたよ。
漫画家が出版社に搾取される時代が始まっている|新條まゆ@『虹色の龍は女神を抱く』連載中!
https://l.pg1x.com/DUgHYLQxXYpVRfGw6
え。何いってんのまゆたん。
俺が飯田橋で編集していたXX年前から「作家(小説家・漫画家・イラストレーター含む)は搾取してナンボ」ってなってたけど。
以下は怪文書だ。裏は取らない。
美少女戦士アニメの権利は原作者=漫画家様が全部握ったせいで、玩具屋に入ったのは売上だけだった。
それが玩具屋的には面白くなかった(面白くないどころか、本気で腹を立てていたと聞いている)。
更に出版社は「金持ちになった漫画家に漫画を描かせられなくなった」。
人気の出た鵜はこれからも鵜として魚をバリバリ回収させたかったのに、できなくなった。
こうして、TV屋・スポンサー(主に玩具屋)・出版社の邪悪なギルド=製作委員会システムが誕生した……というのが、当時TV現場に顔を出していた奴の言い分だ。
製作委員会は関係者、各スポンサーが「製作委員会という名の壺に金を入れて、版権使用を獲得する」画期的(笑)なシステムである。
誰が一番得するのかって?さてね。絵を書いた奴、座組を組んだ奴が一番得するだろうさ。間違いなく玩具屋と円盤屋だろうね。出版社はそこまでじゃない。金が出せないからね。
ケロQのボスが書いていた「製作委員会に金出せ!」ってのは、2000年代の名残、この頃の「金入れ壺」システムの名残である。
実際「権利を貰うために、壺に金を入れないとやらせない」ってなっていたんだから酷いもんよ。
作家の取り分は「印税と原稿料と買い切り版権料」という取り決めで、版権料も製作委員会を通じて「出版社から」払われるのが通例だったと聞く。おそらく買い切り版権料は出版社がピンハネして1割しか渡してないはず。
当然、こういう金を入れて金を取るをやると大体は金が残る。かなり残る。制作費なんて微々たるものだ。
これを絵が書いた奴が全部持っていく。交渉当事者に鼻薬ぐらいは渡すさ。次もよしなに。でも残りは全部持っていく。それ繰り返してるんだからそりゃあんだけクループ企業がデカくなるよ(笑)
IPを食い物にし始めたグループ企業がどんどんでかくなっていたのは、間違いなくこの「金入れ壺」のせいである。営業だけでデカくなんかなんないって。販売だけでデカくなんかなんないって。限りなくロハからリスクゼロの金を持っていってナンボだから。
金さえ入れば、営業も販売も回るんだよ。人手不足解消したら回るんだよ。売るものならいっぱいあるし、作ろうと思えば幾らでも作れる。金さえあれば。原資の金が、どっから出たのか。後はぐるぐる雪だるまだ。
製作委員会方式で搾取されない方法は、監督くんのやり方(自分で金を作る。自分でスポンサー(フィールズであろうな)から莫大な金を引っ張ってくる)しかない。
自分の金が一番大きく、自分が絵を書いているのであれば、メディアミックス出版社(笑)も、玩具屋も、円盤屋も従うしかないからな。あくまでも座組の二列目だ。
そういう意味で監督くんは非常に大人になったな、と思うのだ。凄いよ監督くん。俺は夏休みに週間アニメの代わりに高校野球ダイジェストを見せられていたのは忘れてないけど、アンタは立派だよ。
芦原妃名子の最後のブログに関してInstagramで「初めて聞くことばかり」と表現した相沢氏。
それでも今までの仕事歴から原作者の尊厳を踏みにじる非情な原作クラッシャーとしてばかり言及される彼女だが、果たしてそれは本当なのだろうか?
まず相沢友子の悪行としてよく取り沙汰されるのが、本能寺ホテルの件だ。
これは小説家の万城目学が書いた脚本をボツにされたのに、相沢氏が引き継いだ脚本にそのアイデアが流用されていたという事件である。
ttps://togetter.com/li/1065046
セクシー田中さん騒動に関するネット上の言説でこの件を知った人も多いのではないだろうか。
しかし、上記の事件に関して万城目氏は脚本家の責任ではないと名言しており、彼女への誹謗中傷を諫める発言をしている。
私のあとを引き継いだ脚本家の方の名誉のために補足させてください。私の原稿が全ボツになった後、次の脚本家は急遽依頼されて、新たに一から脚本を作りました。
元々万城目氏の作品は「鹿男あをによし」や「プリンセス・トヨトミ」などが相沢脚本で映像化されており、
こちらも一部の原作ファンからは内容の改変(登場人物の性別逆転など)が批判されることがあるが、作者自身は信頼を置いていた様子である。
ttps://moviewalker.jp/news/article/22127/
『鹿男あをによし』チーム(監督が鈴木雅之、脚本が相沢友子)だったので、あれこれ話す余地もなくお任せでした。
脚本がアップされた時に見ましたが、そのままやったら5時間を越える大作になってしまうので、2時間ぐらいまでカットしなければいけないんですよ。
さらにその中では監督が聞いた原作者の好きなシーンを入れるために完成した脚本が修正されたことにも触れられている。
監督から『原作のなかで好きなシーンはどこなの?』と聞かれたんです。何も考えずに好きなシーンを素直に3つ挙げたら、その時はどれも脚本に入っていなくて(笑)
~(中略)~
その後、脚本がどう変わったかは全然知らなくて、僕も試写を見て初めて監督からの答えを知りました。どこが入っているかは、皆さん、是非ご覧になって確かめてください
相沢氏が担当した作品で原作者が映像の現場に介入できなかった訳ではないのは、比較的最近の作品である「ミステリと言う勿れ」の現場の話からも伺える。
ttps://mdpr.jp/interview/detail/3072283
でも先生(原作者の田村由美)は本当に何度も足を運んでくださっていたので、その都度色々な相談ができました。
ドラマ仕様にする上で、話の順番を変えたり、ちょっとオリジナルを足したり…というのがたくさんあるので、そんな中、監督や制作陣が常に先生と会話できていることに安心感がありました
貴志祐介原作の「鍵のかかった部屋」もオリジナルキャラが追加され原作からの改変は目立つが、
原作者自身は喜んでおりカメオ出演までしている。(これは彼の映像化作品の定番であるが)
ttps://kadobun.jp/feature/interview/50.html
映像化されたわたしの作品の中でも、まんべんなく周囲の評判がよかったドラマでした。大野智さんの榎本もはまり役でしたし、わたしもちょい役で出演させていただいて、楽しい思い出になりました。
他にも大久保ヒロミ、古賀慶 といった相沢脚本による映像化を経験した原作者の本件に対する反応を見ても、彼女が強く恨まれているような印象は受けないし、
@okubohiromi
私は漫画家であり、脚本家さんとも親しくさせていただいている。
@kkoga_
ドラマ化してもらえたのは、すごく良い経験になったし、演者、スタッフの皆さんは本当にすごい!!尊敬する!
ただ、科捜研の男ってサブタイについては、私もYahooのニュースで初めて知ったのよ。サブタイが変わることは了承してたけどね。
めっちゃ笑いました!
剛力をねじ込まれたと言われるビブリア古書堂の事件手帖の三上延も冷静な反応を呼びかける趣旨のポストをRPしている。
色々と調べてみた結果として、相沢氏は原作者との間に積極的にトラブルを抱えるような脚本家ではなく、原作者と信頼関係を築くことのできる人物という印象を個人的には受けた。
改めて今回の発端となった相沢友子の投稿を見て、果たして原作者に対して激しく攻撃的な印象を受けるだろうか?
…ちなみに、上で挙げたミステリと言う勿れは今回同様小学館の作品だが、
芦原氏のブログによると、彼女が制作現場の人間と接する機会は一度も無かったという。
https://web.archive.org/web/20240127104246/http://ashihara-hina.jugem.jp/
ただ、私達は、ドラマの放送が終了するまで、脚本家さんと一度もお会いすることはありませんでしたし、
監督さんや演出の方などドラマの制作スタッフの皆様とも、ドラマの内容について直接、お話させていただく機会はありませんでした。
これは他のドラマや映画の現場の例を見るとかなり珍しい状況に見える。
また、芦原氏は過去の作品がドラマ化された際は現場に足を運んでいたらしい。
https://web.archive.org/web/20130925074743/http://ashihara-hina.jugem.jp/?eid=220
小学館側も編集部から今回の事態への声明を出しているが、なぜ今回そのような機会が設けられなかったのかは触れられていない。
やたらと著作者人格権について言葉を尽くして説明しているが、制作スタッフが現に原作者が納得するまで修正を重ねた以上今回それは少なくとも結果的には尊重されていたはずで、
本当に尊重されていなかったのは原作者と制作現場との信頼関係ではないだろうか?
もし一度でも、リアルでなくリモートでも、原作者と制作スタッフが直接話す機会があったなら、芦原氏には今回のような苦しみは起きなかったのではないだろうか?
小学館と日テレは彼らとともに働いている全てのクリエイターのために、この点について今回の経緯や今後の姿勢についての説明をするべきであると考える。