はてなキーワード: 言語化とは
次にくる面白い漫画の1つと紹介されていたことX・TikTokや販売サイトのレビューでも圧倒的評価が高く10巻以上出ていてアニメ化するということで、すごく面白いだろうなと期待して4巻まで読みました。
知らない作品の女性向け二次創作を読んでる気分になりました。 主にキャラの設定や見た目、どこかで見たことあるような展開の既視感など
(といってもウィンブレは人気の設定の上澄みををすくっただけです。他作品で展開と設定ほぼパク…オマージュ満載の作品もあり、というか何かの影響を受けていない作品はないのでなんともいえないですが)
只、全く面白くないわけでもなく絵もきれいで読みやすいですし、キャラだけ見ると面白そうという感じはあるので、このモヤモヤするなんとも言えない感情を言語化したくなりこの文を書きました。
この内容で何故人気があるのか自分の感性が世間と大幅にズレてるのかと少し悩みましたが、販売サイトの星3〜1のレビューなどには自分の思ったことがほぼ書かれていました。
内容の好みがというレベルではなく内容が薄すぎる。序盤から多くのキャラが登場しますが主人公でさえ掘り下げが薄いので誰にも共感ができません
先生・警察といったものが登場せず商店街の大人が自警団を名乗る高校生を受け入れてるのが狂ってるというか、彼らが街を守るということが全然抑止力になっておらず逆に輩が集まって治安が悪くなってる気がするような??など他にもありますが突っ込みどころがとまりません
上記の通り複雑な関係性・伏線があるストーリーではないので、そういった要素を重視するアニメや漫画に多く触れている層(考察とかしたがるヲタク)には面白くないという評価になり
あまりアニメや漫画に触れたことのなく分かりやすいストーリーと見た目が華やかな男性キャラを推す、推しの活躍を楽しんでいる層には評価が高いのかなという結論になりました。
そして、酷評しましたが読み進める内にウィンブレを楽しめるようになってきました。
私的な楽しみ方ですが
いやいや、おかしいおかしいとストーリーを突っ込みながら読む、見た目が好きな推しキャラを決めて活躍を応援することにより私はこの作品が楽しめるようになりました。
顔がかわいい
声が可愛い
明るい性格
でもちょっとだけ奥に闇を抱えてそう (俺みたいにうつにはならないでほしい)
運動は苦手そう
スタイルがいい
だけどそのスタイルの良さをあまり見せつけない (良くも悪くも)
多才でいろんなことができる
ゲームが好き
一緒に話してて楽しそう (話したことはない)
歌が上手い
毎日忙しいのに頑張ってる
しっかりものなところ
だけどときどきガキっぽいところが見え隠れする
また、ファンしか見てないような番組やイベントでは弱みやだらけたところを見せてくれる
信念があってちょっと頑固っぽい
ショートヘアもロングヘアも似合う
私は女性アイドルのヲタクをしている女で、所謂女ヲタってやつです。
あまり好きな言葉ではないけど、最近、所謂“モチベ”というものが下がってきた。
理由は色々あるんだけど、上手く言葉にできなくて何ヶ月もモヤモヤしている。
言語化するためにそれこそブログに書いてみようとチマチマ下書きを続けていたけど、あまりしっくりくる表現が見つからない。
あのヲタクはきっと好かれてるんだろうなとか、
最近若い女性のヲタクも増えてきたから、私なんかよりそういう人達に応援されたほうが本人も嬉しいよねとか、
考えるのはそんなことばかり。
ブログが上がれば一目散に読みに行き、
「ブログ上がった……コメントしなきゃ……」と思うようになってしまった。
何を言われても「どうせ他のヲタクにも同じことを言っているんだろう」と思い、
漏れ聞こえてくる他のヲタクとの会話には「どうせ私には同じことは言ってくれない」と思うようになった。
現場があるのに行かなかったらそれはそれで行かない選択をした自分に病むんだろうと思う。
だから、束の間の現場のない今の期間、少し推しメンから離れてみようと思う。
ブログも読みたくなった時に読めば良いし、伝えたいことがないならコメントしなくてもいい。
ヲタクをやめたいわけでも、推しメンを嫌いになりたいわけでもない。
会えるだけで嬉しかった、推しメンの一挙手一投足が愛おしく、全ての言葉が私を優しく包み込んでくれていた時の自分を取り戻したい。
「自分は反省してる(あるいは無実と言い張ってる)のにお前たちは責めた(追求した)、心が折れました、精神病になりました、自殺しますね」って感じの宣告してるの、本当に多くなったと思う
最近でもそんな感じの事例が複数起きて、それがわかりやすく言語化(ティンコンカンコンする、など)されたが
こういう「お前らが追い詰めたから死ぬね、お前らは人殺しだ」って感じの宣言は「脅迫」になるんだろうか
マジで死んだ事例もおそらくあるんだろうけども
こういうのは脅しとして成り立つのかな、それとも周囲のオモチャにしたりリンチしてる(?)側が悪として裁かれるのかな
よくわからんわ
不買運動は二種類あるのだろうな
などとぼんやり考えていた
何らかのアクションとは販売中止だったりCMに起用されている人物を降板させたり
ふたつめが自身の心の安寧のための不買
うなぎが絶滅しそうだからスーパーで売ってるようなうなぎは買わない、みたいな
マジのマジで本気のマジ本気でうなぎの絶滅が心配ならデモでもなんでもするんじゃないか
するかなあ
しないかも
この作品はパリオートクチュールコレクションに2023年の時点で唯一参加する日本人ファッションデザイナー中里唯馬氏に密着したドキュメンタリー映画だ。これはファッション業界が地球に対してネガティブな影響が多すぎること、GHG排出量や環境汚染の大きな原因になっていることに対してファッションデザイナー自身が向き合い、コレクション制作に取り組んだ記録である。
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ここ以降、ネタバレ的な話、映画制作に関わったステークホルダーたちの発言の抜粋などにも一部言及する。そのためこれから視聴を控えていらっしゃり、なんの前評判も誰の感想も読まずにまず自分の主観で作品を視聴したい方は、ここ以降は念のため読まないでください。
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>Fashion production makes up 10% of humanity’s carbon emissions, dries up water sources, and pollutes rivers and streams. What’s more, 85% of all textiles go to the dump each year (UNECE, 2018), and washing some types of clothes sends significant amount of microplastics into the ocean.
>ファッションの生産は人類の二酸化炭素排出量の 10% を占め、水源を枯渇させ、川や小川を汚染しています。さらに、毎年全繊維製品の 85% がゴミ捨て場に送られており ( UNECE、2018 年)、一部の種類の衣類を洗濯すると、大量のマイクロプラスチックが海に流されます。
(引用:The Geneva Environment Network, https://www.genevaenvironmentnetwork.org/resources/updates/sustainable-fashion/ )
しかしファッション業界も、企業やブランド毎に速度も歩みの幅も大きく異なるが、ネットゼロへ進みはじめている。2023年後半の時点で、NIKEとadidasの靴やアパレルを購入した際には、この2ブランドについては、製品タグを付ける紐は紙製、靴の梱包材も全て紙製など生分解性素材への移行が見られた。近年adidasがコラボレーションを発表し続けている英国のデザイナーであるステラマッカートニーは、ステラ氏自身のアパレルや化粧品において早くから持続可能性を追求している点でも名高い。
それでも私たち人間が消費するファッションアパレルとしての服や靴それ自体が、最終的にゴミとして扱われ、それがアフリカへ、良い言い方をすれば「皺寄せ」、正確に言うと「ゴミ処理先」として送られる。
映画『燃えるドレスを紡いで』では、中里唯馬氏と監督の関根光才氏がアフリカを訪れた。中里氏は自身が身を置く業界がうみだしたものたちが消費された結果どこにいくのかという点で、行き着く先のひとつとしてアフリカを選んだのだ。映画本編では、彼らがアフリカで過ごす様子を視聴したのち、中里氏の仕事風景を見ることができた。そしてそのまま、彼のオートクチュールコレクションの映像と、それらへの評価、メディアの反応などを見ることができ、映画は終わった。
ファッション業界とそこに携わる人間としての中里氏の考えなどについては、ここでは言及しない。それぞれが視聴した上で、それぞれの考えを抱いて欲しい。
私自身は、人間の存在とその経済活動ほとんど全てが地球への負荷であると考えている。ファッション業界の影響が大きいにしても、私そしてあなたの存在も地球環境に負荷をかけているのだから、それをわきまえれば「特定の業界が悪だ、最悪だ」なんて意見は軽薄ではないかと思う。気分によっては、2024年に子供を産もうとしている人は、2044年や2064年の地球環境は確実に悪化するだろうことがわかっている中で、なんて酷なことをするのだろうと考えることもあるくらいだし、しかし、そう考えるが子供を産み育てる人を軽蔑や見下げたりすることは決してない。ファッション業界だけが地球環境を悪化させているわけではないと言いたい。
しかし、人間たちの研究開発と技術革新は進み、各業界で既存業界の課題と技術のブリッジが続く中、ファッション業界においては、消費者の意識とともにいろいろなことが遅れているのかもしれない。
映画『燃えるドレスを紡いで』で中里氏がアフリカで過ごしている時の映像で、中里氏がたびたび自分の見たものや景色に対して「美しい」と口にしていたのが印象的だった。その形容詞が、多勢に同じ感想を与えるものかはわからない。実際、監督も「どのあたりが美しいですか」というように問うていた(言葉が少し違ったかもしれない。違いましたら後日修正します)。
アフリカの映像は、日本などの先進国とは全く違う環境で、雑多としたものたちに溢れ私たちがゴミとして扱うものが最終的に行き着いたアフリカのゴミ山や、雨が降らず乾燥し切った土地、そこを移動しながら暮らす遊牧民たちの生活などだ。
中里氏はここから美しさを見出したし、私はそれに感動した。キュレーションされていない場所に行って何を見て何を感じ、どう言語化するか?、これは人による。単純すぎる感想だが、美しさを見出せる人は美しいものを作る側にもなれるのかもしれない、と思った。
中里氏がアフリカから戻り、チームに制作のコンセプトなどを発表したときの様子が好きだった。
制作のコンセプトをチームに発表する、チームはそれに従う、でいい。それでいいのだが、そのときにチームメンバーがそれぞれ発言をして、その様子は「中里氏に完全に従う」といった様子ではなかった。語弊があるかもしれない、もちろん彼の名前で発表するコレクションであり、彼のチームメンバーは彼のコレクションのために働くことになるのだから結果的には従うことになる部分が大きいだろう。しかし、中里氏の決意や発表に対して、取り掛かる前に、チームメンバーが各自発言ができること自体が、これができるチームは日本にある数多の組織の中でも意外と少ないのではないかと思えたのだ。とても良いチームに見えた。
私はオートクチュールの制作現場に対する知識がほとんどないに等しいが、ステークホルダーの多さや切迫感は目を見張ったし、最終的に時間との戦いになるさまには共感できる部分もあった。私などが共感を覚えるなんて言葉選びとして軽率では?おこがましいのでは?という点は一旦脇に置くとして、スケジュールの甘さや時間管理の不備ではなく、自分の名前で成果物を提出するときに「もう少し、どうにか良くできるのではないか」と思えてしまい手を止められなくなった経験は、私に限らず、ビジネスパーソンとして経験したことがある人も多いはずだ。さらにそれが、オートクチュールのコレクション…!?その後のルックがメディアなどで写真動画そしてモデルや取材者の感想とともに二次三次と広がる。なんて覚悟のいる仕事だろう。「とりあえず自分の持っているボールをなんとかして、次の人に投げれば、なんとかしてくれる、そしてそれはとりあえず所属会社の名前として世の中に出る」ような仕事のやり方と比較すると、全く異なる状況だ。自分の名前で作品を出す、誰も拭えない。そんな状況、いつまでだって試行錯誤したくなるに決まってる。これで完成だ、と手を止める瞬間はどう決めるのだろう?、あるいは降りてくるもの?そんなことも思った。
試写会では作品上映後にトークショーが行われ、WIRED編集長の松嶋氏が進行をつとめ、登壇者から話を引き出した。
松嶋氏はアフリカのゴミ山で服が舞う様子や鳥が飛ぶ様子が美しかったというようなことをおっしゃった気がする。実際に美しい映像だと思った。嘘みたいに大きい鳥(そして実際にも多分、とても大きい鳥)が前後左右に悠然と歩いたり止まったりしている間でゴミを拾う子供や女性の映像、洋服やその切れ端などが鳥とともに空を舞う映像。その映像を現地で撮影した関根氏と中里氏は、現地で風が吹いたり竜巻が起きたりした時は死ぬかと思ったと笑いながら話してくれたが、その裏側は本編に一切残さず、本編では映像として映すのみで、感想は見る側に委ねてくれたことを嬉しく思った。
全体を通して、感想を視聴者に委ねるような仕上がりになっていたように受け取ったし、私はそれに感謝した。この映画で見ることのできる映像たちに、美しい、汚い、怖い、綺麗、綺麗事、すごい、面白い、行ってみたい、行きたくない、見てみたい、着てみたい、など、どのような感想を抱いてもいいし、自分の抱いた感想に対して、なぜそう思ったのか掘り下げたらいいだろう。白黒はっきりつけず、議論し続けるべき話題はたくさんある。WIREDで取り上げられる特集や話題のほとんどがその類のものだ。人々は対話を続けなければならない。だからこの映画『燃えるドレスを紡いで』への感想も、私のようにとても良かったと考える人もいれば、地球温暖化は陰謀だとか、アフリカにゴミが集まるのは当然だといった感想を抱く人ももしかしたらいるのかもしれない。自分あるいは他人が抱いた多様な意見に対して、なぜそう思ったのか、と対話を続けること、対話を諦めないことが日本にも世界にもファッション業界にも必要なのだろう。
この映画を見て、自分が買っている服、ひいては、自分の買い物という消費行動を見直したい、誰かに拭わせるような生活や仕事をせず自分の責務やその範囲を適切に見定めて、その範囲を広げたりしっかり守ったり、うまく守れた時は余力で周りを助けたりしながら自分と地球の関係性をよく考えながら生活したいと思った。
あと、WIRED JAPANが大好きなので、これからも愛読し続けたい。
追記。
映画に登場する人々に、登場シーンでクレジット(登場人物の名前や所属)を表示させた上で、もちろんエンドロールにも名前を掲載する、という画面の作り方は、ドキュメンタリーの手法としてめずらしくはないのでしょうか。この辺りの知識がないため滅多なことは言えないのだが、登場人物の名前や所属をその画面で明示する編集が好きだった。やはり、協力者の一人として自分が登場するシーンには、期待や嬉しさなどをもっているはずだ。私はこのような、協力者たちへ感謝を伝えるようなあたたかな編集や画面作りに強く好感を持つ。1人ではできなかったことへ協力したくれたステークホルダーにできる限りの感謝を述べる姿勢を、私も忘れないようにしたい。
かなり長くバナナムーンを楽しく聞いてたが、たまに見せる日村の過分な物の知らなさと、その言い間違いや勘違いをうまく補足したり言語化したりできない設楽の能力不足・知識不足に辟易して聴くのを辞めた
設楽は若い時分はヤンキー上がりでろくでもない人だったんだろうと想像させることをよく言うけど、今は勉強が好きになって海外で歴史を学ぶのが大好き、などと調子のいいことを宣う
成長は悪いことではないけど、"かつて悪魔だった人間"らしい意地汚さや地頭の悪さみたいなものが垣間見える
この人がのうのうと昼の帯を任されて、多方面から評価されるのがとても悔しい
石橋貴明も似た理由で嫌いだけど、彼は言語野の発達をしっかりと感じさせてくれたし相方に恵まれていた
日村は発想も行動もおもしろくて、人間としても素直でおおらかな人で尊敬できるけど、無知過ぎてラジオではフラストレーションが溜まるタイミングが多い
えげつないほどじゃなくていいけど、少しは評価が適切になるようなスキャンダルを起こさんことを、切に
俺自身は反出生主義がそこまでヤバい思想だと思ってない。苦しみを絶対悪としてそれを避けようとするなら、最初っから生まれなきゃいいじゃんって理屈になるのは筋が通ってる。俺自身も、最大の苦痛である死がいずれ必ず訪れると知った七歳のときの絶望感を覚えている。あの時はどうして俺は生まれてしまったんだと叫びたかった。
なぜ生きている/生きてしまっている/生かされてるのかって驚きこそが、哲学の始まりだ。
それに野良犬なんかの管理で「不幸な犬を増やさないために」って去勢するのと理屈とどう違う? あるい出生前診断や重い障害を持つ人々を重荷とみなす世間のまなざしなど、生命が完全に平等で尊いという考えに疑いをさしはさむ発想は結構身近だ。実は言語化されてないだけで、今まで多かれ少なかれ反出生主義的な発想はあったはずだし、自分は出生主義者だと思ってても、反出生主義的な考えをまったくしたことがないってことはないだろう。ちょっとくらい「なんで生まれたんだろ」「生まれさえしなければ」と考えたことくらいあるんじゃない?
ときどき反出生主義主義者がやべーやつ扱いされるのは、興味ない人を無理やり説得しようとするやつがいるからなんじゃないかって推測してる。
で、当の俺自身は生まれる事の善悪を判断する能力を、そもそも人間は持っていないと思っているんだけど、反出生主義者に聞いてみたいことは結構ある。だからまとめてみた。
具体的なタイトルに具体的な感想もつけたトラバなのに「全然読んだことなさそう」という感想がどういう根拠で出てくるのか興味深い。
逆にトラバはどのぐらいの本数しか漫画を読んでいないだろうと推測してるのか、そしてどれぐらい読んでるなら「全然読んでない」に当たらないと思ってるのかも興味深い。
まあたとえるなら、プロ野球一軍の人でも匿名で野球の解説5chなんかに書き込んだら「全然野球知らなさそう」と思われるような文章になってることはあるだろうよ。
https://blog.mayo31.info/archives/2321
もしかしたらこのツイ主は本当は仕様を(自分の頭では)理解しているのに、それを自分の言葉で説明することや日本語がものすごく下手くそすぎて言うこと全部嘘になってしまっているという可能性もあります。
みたいな人かもしれない。
本当は漫画の真髄を(自分の頭では)理解しているのに、それを自分の言葉で説明することや日本語がものすごく下手くそすぎて言うこと全部漫画全然読んでなく見えるようになってしまっているという可能性もあります