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はてなキーワード: レイヤーとは

2018-10-16

キズナアイの件で、現実フィクション区別ついてない人多すぎ問題

もともとはあまり興味なかったが、なかのひとがどうの、魂がどうの言い出す人の多さに流石に頭くらくらしてきた。

現実フィクション区別」というワードは、これまで二次元児童ポルノの取扱に関する文脈で頻出していたが、どうやら多くの人たちがこの「フィクション」という言葉矮小化して考えていたらしい。心底驚いた。

おそらくノンフィクション(とされる表現物)との対偶として、「物語の設定や登場人物現実とは関係ないもの」を想像しているのだろう。

だがその区別は、表現物の内部の論理であり、現実社会問題で語られる「現実フィクション区別」とは別のレイヤーの話だ。

考えても見てほしい。現行法において、同じ二次元エロ漫画に、あとからノンフィクションだと銘打っただけで違法になるだろうか。それは望ましいことだろうか。

社会問題文脈の中で語られるべきは、「現実表現物の区別」であって、表現物の内部区分として「フィクションであるかどうかは問題とはされないし、されるべきではないのだ。

表現物の内部論理として、Vtuber既存アニメなどのキャラクターよりも人格性がある、魂があると認められるのは構わない。大いに結構だ。

だが、それはあくま表現論・表現者と二次創作者との倫理的距離感など、あくま表現という枠組みの内側での話であって、社会問題での批判に対抗する方法ではない。

キズナアイというキャラクターの造形が社会問題となった場合あくま表現としてのキズナアイ問題とするべきである

表現物の内部論理としての人格性を持ち出して、社会問題ステージで「このキャラクターには人格と魂があって、その自由選択の結果です」と反論することは、なんら現実を反映していないし、より厄介な問題はらんでいる。

仮にその主張が認められるならば、同時に児童ポルノ文脈においても人格と魂のある存在として社会問題ステージに立たなくてはならなくなる。それは誰も幸せにしない事態であろう。

2018-10-13

ディズニーハロウィンコスプレイベントじゃないよ

少し前にツイッターで「ディズニー仮装間中、挙式を挙げているときは会場付近にいないでほしい」みたいな内容のツイートをした人がいて

それに仮装民様達は噛み付いたんです

ハロウィンシーズン結婚式の挙げるほうが悪い」

「そんなに仮装してる人を見るのが嫌なら日付をずらせば?」

と、仮装民やコスプレイヤーから数々の非常識ツイートが立て続けにツイートされた

最終的に、ことの発端になったツイートをした人はアカウント削除…

えぇ、そんなに仮装レイヤーが偉いんですか!!???

すげー!

普段コスプレイベントだったら写り込まないよう配慮するよね?

それなのに花嫁さんの「挙式に あげているときくらいは式場にいないでほしい」って発言フルボッコの総叩き???

挙げ句の果てに花嫁ドレスよりレイヤーの作る衣装の方が豪華って言ったりミラコスタコススペとか言ってる人がいて笑いが止まりませんwwww

私たちだってチケット代払ってます!」って挙式にかかる数百万円とパーク入場料7千円くらいを比較しちゃいますか??! 同じ土俵で言えちゃうのすごい……

コスプレ仮装関係ない人は花嫁擁護って言っていいんですかね

花嫁の言う通りだ、花嫁可哀想って言う人が多かったのに

花嫁の叩いているのは圧倒的レイヤー率そして仮装民率!

ブロック作業が捗りますねぇwwww

とりあえずディズニーハロウィンコスプレイベントじゃないし

大声で言いたい

anond:20181013020317

フィクション方法論とか受容論として、Vtuber人格があるという方向は良いと思いますよ。なかのひと話題が出ることも多いけど、多分それは本質じゃない。特定物語付属したキャラというこれまであった制限を抜け出し、極めて強度のつよい人格をもっている。そのことだけでコンテンツを成立させる力がある。素晴らしいことだと思いますが、それはあくまフィクション、あるいはメディアビジネス方法論のレイヤーでの話。

現実を扱う社会問題文脈では、3Dモデル演者しかないですよね。3Dモデルデザインエロティックかどうかって話に、演者人権人格関係ないですよね。モデリング表現欲やこだわりについては、いままでの「たたの絵」についての議論とまったく同じで構わないよね。

ここを捻じ曲げて混同するのって、まさしく現実フィクション区別ついてない証だと、思うのです。

2018-10-11

anond:20181011221713

え、何それ。

いきなり嘘だと断定するの?

それがここまで何時間も付き合ってきた俺に向ける言葉

がっかりしたわ。

一応言っておくと、あなた多様性を1つのレイヤーしか見られてない。

から人口増大のためにジェンダーロールを固定することは多様性を損ねると決めてかかってそこから動けない。

多様性というあなたの掲げる「多様性」は酷くステレオタイプだ。


しかし実際には「子供を作る」というロールをまもりつつ出来ることは山ほどある。

趣味だけでなくキャリアプランも色々な取りようがある。

そう言う事を一切考えもせず、硬直した多様性観で私をウソつき呼ばわりは心底失望した。ツイッターで暴れてるフェミと何処が違う?

2018-10-10

[]若おかみは小学生!

若おかみは小学生!』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨です。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向け。またこ作品書籍漫画版アニメ版あるけれど、それらは横に置いといて映画の話します。

総評

これは120点っすな。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」なので、「見れて大満足! もうちょいお布施したい」でした。

演出とは裏腹に内容的にはかなりヘビー(というのを見越して爽やかで明るい演出を用いていた)なので、児童文学原作でお子様向け痛快娯楽活劇とは言い切れないんですが、個人的にはクオリティさえ伴えば子供を思いテーマや悲しい作品でぶん殴ってもええやないか、いてもうたれ、子供ってのは子供なりに受け取るんだ派なので、クオリティでぶん殴ればいいと思いますふるぼっこドン

この映画に関してはTwitter児童労働がどうのこうのという話もちらりと耳にした程度で事前情報収集もなく見に行ったんですが、そういう物語じゃなかったですよ。

喪失を乗り越えるという話

じゃあ、どういう物語だったかといいますと、大きく2つの柱が絡み合うストーリーでした。それは大きなテーマで言えば「喪失を乗り越える」と「自分自身と居場所を見つける」という話。

初っ端から重いですが、主人公である女子小学生・関織子(通称おっこ)は、本作冒頭の交通事故において両親を失います。もうこの時点で軽い話になりようがないわけですよ。にも関わらず事故被害のシーンはグロカットされ、葬儀とそれに続くドタバタのシーンも描写はされず、おっこは新生活の場であるところの、祖母の営む温泉旅館「春の屋旅館」へと向かいますトランクひとつ持って別に落ち込むわけでもなく、ちょっと大変なだなあくらいの顔色で一人旅をして、到着し、新しい部屋(いままでのマンションとは違う昭和的な和室)を与えられ、転校して新しいクラスメイト挨拶をして、ひょんなことから家業である温泉旅館を手伝うことになります

若おかみは小学生!』って言うタイトルから当たり前ですが、こうして女子小学生おっこの若女将修行生活が始まるわけです。

「春の屋旅館」がある「花の湯温泉」は歴史のある温泉街で、古都然としたまちなみに浴衣姿の観光客が歩く割合賑やかで、カラフルな町です。この辺音楽美術演出あいまって、しみじみと明るく暖かく描かれていて雰囲気良いですね。美術レベルは高かったです。

でも、この明るく爽やかなあたりが(とうぜんそれは演出意図に沿ったものなんですが)、ある意味ホラーでもあるわけです。

小学生児童にとって、両親を失うというのは、最愛家族を失うということであるのみならず、加護者も生活基盤も導き手も失うということです。もう、それは世界崩壊かいレベルでの悲哀なわけですよ。

にも関わらずおっこはそこまでの苦しさを見せない。両親を思い出してちょっとうつむくことはあっても、笑うし、日常生活を送るし、新しい出会いにも前向きでいる。それはよく考えればとてもとても異常なことなわけです。

異常なおっこの新生活は、やはり物語後半に向けて徐々に破綻してゆきます。「両親がまだ生存していて自分と一緒に暮らしている」という幻想を何度もみてしまうおっこは、あるシーンにおいて事故の原因となった(もちろん別のですが)大型トラックを見て、事故フラッシュバックから過呼吸になってしまう。おっこは、両親の喪失という悲しみを乗り越えたわけではなくて、ただ単に今まで封印をして日常生活を演じていたに過ぎなかったわけです。

あらすじなんかにおいて本作は「主人公おっこの成長を描く」なんてサラリと書かれているわけですけれど、それは不誠実な欺瞞であって、おそらくおっこの身になってみれば、それは成長じゃなくて引きちぎられてバラバラにされてしまった自己の修復というサバイバルなわけです。失った何かから目を背けて、決定的な破綻をしないようにごまかしながら疾走するというのが、この物語の前半部分でした。

自分自身と居場所を見つけるという話

そういう意味で、おっこが若女将をやるというのは、児童労働とかそういうレイヤーの話ではないのです。両親を失って加護者も生活基盤も支えも失ってしまったおっこにとって「いまできるなにか」に必死に飛びついて自分を騙そうとしていたとも見ることができます祖母である旅館経営者(現女将)の後継者問題という、旅館側の都合があったにせよ、おっこが旅館雑務に飛び込んで笑顔で充実していく背景にはそれがあるはずです。

事実おっこの若女将雑誌に取り上げられて評判を呼ぶという広告的な価値はあったものの、従業員としてみたとき、お客さんに感情移入しすぎて夜闇の中に駆け出すなど(一般的社会人価値からすれば)行き過ぎな面もありました。

でもそれも仕方がないと思うのです。両親という生活基盤を失ったおっこは、同時に目指すべき将来の自分像も失っています。「将来こういう自分になったらいいな」です。その空隙を、目の前に提出された安易な「若女将」で埋めてしまったわけですから、その意味では、おっこの若女将労働としての若女将ではなく「若女将ごっこ」でもあって、つまりはある種の自分の居場所探しなわけです。

たとえおっこ自身がそれを言語化できるレベルで気づいてなかったとしても、まだ収入もなく住む場所自分では決められない小学性にとって、他にできることなんて事実ないじゃないですか。それはせめて居場所を獲得するという生存努力です。

おそらく祖母はそのおっこの悲痛に気がついていて、周囲が無責任に「若女将誕生!」とはしゃぐなかで、決して自分からは手伝え、継げとはいいませんでしたし、おっこの労働危惧してた素振りも見えました。経営者として「子供接客なんてさせられない!」と拒絶することもできたでしょうけれど、おっこから女将をとりあげて、じゃあ不安定彼女精神に何をしてあげられるかと言えば何もない。だから黙認しかないわけです。

だいたい「自分自身と居場所を見つけるという話」なんてもの現代社会において、大学卒業して就職して一年二年経った青年が、俺はどうやらこういう方面には我慢が効くがこういう方面は苦手だぞ、どうやらおれはこういう仕事とこういう人間関係の中でなら生きていけそうだ――みたいなのをやっとこさやるものなわけで。そんなものを、小学生が引きちぎられるような喪失を乗り越えるのと二正面作戦でやるのは無茶というものです。

そういう意味では、周囲の大人たちはもうちょいどうにかフォローしてやれなかったのかよ、とも感じるんですが、でも逆にそれこそ大人視点傲慢物言いであって、大人だろうが子供だろうがどんな人間でも自分自身の心の中の悲しみや未来とは、自分一人で向き合うしかないというのも一面の真実です。

おっこは画面上の軽やかさやおっちょこちょいさに隠されがちですが、実は誇り高い女の子です。特に自分が設定した自己目標に対しては愚直なまでに誠実です。だからこそ、宿泊客のために対立している真月に頭を下げて教えを請うこともします。その実直さが両親を失うという危地の中で彼女孤立してしまった原因だし、それが巡って彼女の味方を増やす原因でもあったのは素敵だったと思います

ふたつの話の交差点

おっこは「喪失を乗り越えること」から逃避して、目の前のロールである女将に飛びつき、そこで必死に働くことによって苦しかった過去ある意味塗りつぶそうとしたわけですが、その逃避が「自分自身と居場所を見つける」ことにつながってゆきます

幾つかの出会いがあって、目指すべき未来のヒント、ロールモデル出会います。たくさん登場人物がいるのですが特筆すべきなのは三人でしょう。

まずは旅館女将である祖母。登場シーンは少ないのですが、彼女個人人格職業倫理が融合してしまったあの佇まいは、今は亡き母経由もふくめておっこの誠実さの根っこのように思います職業倫理がついには人格化しちゃうって、昭和的な善人のあり方としてすごく共感できるんですけど、今の時代では流行らないのかもしれないと思ってちょっとロリしました。

二番目には、おっこの同級生、秋野真月(大旅館の跡取り娘、通称ピンフリ)でしょう。この娘は小学生女子なのですが、広い視野旅館業と湯の花温泉京の未来を見つめていて、顧客に対して誠実であろうという、幼いながらある種の達人系キャラです(傲慢物言いをする残念キャラでもあるのですが)。この娘と同年代として出会うことができた、ライバルとして対立したり和解したりできた、というのはおっこを取り巻く幸運の中でも格別のものでした。彼女との交友は、悲痛から逃げ出して飛びついた「若女将ごっこ」に、その内実の精神性を加えて「本当の若女将」へ進化させてくれたと思います

(余談&劇中では語られませんが、温泉郷に住まう子供の中でも誰よりも本気で町の未来について抱え込んでしまってる真月の孤独にとって、その孤独の闇に現れて、自分の高さまで登ってくれると約束してくれたおっこの存在は、想像すると涙がこぼれるものが有ります。真月からみてもおっこは救いであったと思うし、そうだと良いなあ)

三番目は宿泊客である占い師グローリー水領です。長い黒髪をたなびかせたこ宿泊客は、都心部事務所を構える凄腕の女占い師なのですが、私生活での失意から「春の屋旅館」で飲んだくれ生活をしています

抑制的な演出描写される彼女鬱屈をおっこはどうにかして励まそうと、浴衣を着たことのないという彼女着付けを手伝います浴衣経験のそんな彼女艶姿におっこが感嘆した感想が「格好いい!」でした。

ものすごくさり気ないシーンだったのですが、それはおっこが喪失していた「自立した憧れるべき大人の女性像」を見出した場面だったんじゃないでしょうか?

私生活で辛いことがあっても他者に当たらず、それどころか宿泊先の幼い従業員おっこに気を使っておどけてまで見せる。グローリー水領はおっこ視点では「素敵な大人のお姉さん」です。その素敵な年上のお姉さんに、「可愛い」でも「素敵」でも「綺麗」でもなく「格好いい!」と小さく叫んだおっこに、少し泣けました。お洒落で(←女子小学視点では重要です)、颯爽としてて、自立をしてて、視線を合わせて話してくれる。そんなお姉さんはおっこにとってどれほど輝いて見えたことでしょう。暗闇の中で我武者羅に迷走していた、それでも笑顔だけは守っていたおっこにとって、それは小さな灯火で「未来自分」「目指すべき形」です。

祖母の言う「誰も拒まない花の湯」、同級生真月のいう「客を癒やすレストスペース」、女占い師自分仕事を「他人を励ます仕事」だと評したこと。それらは全て本作テーマに重なるパラフレーズです。そしてそういう人々の輪の中に、自分も入っていける。癒やしたり癒やされたりしながら前へ進んでいくコミュニティの一員になる。「若女将」という「自分自身と居場所を見つける話」は、おっこにとっては生存努力であり逃避だったわけですが、それを誠実に、ごっこから実体にしていくのならば、結局逃げていた「両親の喪失という苦しみを越えていく」につながっていくのだ、という脚本はすごく良かったです。

別れ

ここまで触れてませんでしたけれど、おっこには霊感があるという設定で「春の屋旅館」にきてから騒々しい幽霊少年やおませな幽霊少女出会い、励まされています。両親が今でも生存していて日常は壊れていないという幻想に悩まされていた頃おっこを支えていたこ幽霊たちですが、物語終盤でおっこから見えなくなってしまうという形で別れが示唆されます

でもそれは、おっこが人間社会のなかで居場所確立した――七つまでは神のうちといういわばまだ神様たちの一員であり神楽の主役でもあったおっこたちが、社会の中で着地して、痛みも悲しみも乗り越えていく季節がやってきたのだというエピソードです(おそらく魔女の宅急便黒猫ジジが喋れなくなる、も同様の構造ですよね)。

見終わってから気づいたのですが、この作品幽霊や鬼たちは、幼いおっこが空想したイマジナリーフレンズだとしても物語が成立するように設計されています

おっこは自分の中の勇気かしこさと一緒に自分の悲しみと戦った。「春の屋旅館」はその舞台であり、若女将はおっこが戦うための姿だった。

すべてのフィクションファンタジーなので現実視点を持ち込みすぎるのは野暮というものなわけですが、今後おっこは中学入学卒業して、大学はともかく高校くらいは出るはずで、一人前になるまで十年近い時間があります。(このお話のおっこは絶対旅館業一筋だと思うのとは別に一般化するのならば)そのなかで、旅館から離れるかもしれない。現実に寄せて考えるならその可能性は高い。

でもそんなことはおっこの戦いとそこで得たものとは関係がないわけです。おっこは若女将というコスチューム身分を手に入れたわけではなく、戦いの中で手に入れた人間関係自分自身がある。将来どこでなにをしようと、おっこの手に入れたものが曇ることは二度とない。それがこの映画の中心であって、それは児童労働とかそういうのではなく、もっとパーソナルで尊いものだったと思います

ps.おう真月ちゃんパート書き足したで!

Photoshopさえ使わせてもらえればiPhone撮影写真で騙せるわ

プロ級の審美眼さえなければいけるいける

ダイナミックレンジレイヤー重ね疑似HDRでいけるだろうし、ノイズアルファチャンネルからキレイに消していける

iPhoneは手軽に撮れてこそだろと言われたら何も返す言葉はないけどね

2018-10-09

法学論文査読がないという話で覚えておいてほしいこと

以下、司法試験受けるどころかまともに法学単位とれなかった法学徒崩れの一見解です。

査読のある分野とない分野がある

まず、法学にもざっくり2つの分野が存在する。現実社会運用されている実定法研究する「実定法学」と、それ以外の法にまつわる研究をする「基礎法学」だ。

このうち、基礎法学には、少なくとも今「○○ 査読」でググった程度の範囲では、論文誌に査読がある。少なくとも法哲学法制史比較法学法社会学あたりで査読論文誌があるのは確実だ。勿論ないものもあるだろうし、そういうものに関しちゃガンガン批判していくのはありだろう。ただ、少なくとも「全ての法学分野で論文査読がない」というのは明らかに間違い。

実定法学にはおそらく査読がない

こちらはおそらく事実。というか、査読というシステム意味があまりないということは考えられる。これは、実定法学というものイメージがついていないと多分理解しにくい。

あくまで俺認識だが、実定法学においては

  1. 「本当に基礎の基礎の大前提になる考え」
  2. 「それを基にした個別の条文解釈
  3. 「それらが現実個別事例と出くわした際に発生する『どうあがいても解釈のわかれる問題』」

の三段階くらいレイヤー存在する。ひとつ目は誰だろうと覚えてる当たり前の知識だけど、二つ目になると正解がないので絶対に個々人で異なってくるよね、3つめに至っては言うまでもない、みたいな話はおそらくある。

具体例を挙げよう。刑法には「刑罰は何のために存在するのか」という考えにざっくり2つの異なる立場存在する。「ある個人が、悪とされる『行為』を行ったのでそれを罰しよう」という行為価値論と、「社会的に悪い『結果』をもたらしたからそれを罰しよう」という結果無価値論だ。これは刑法における根本的な思想である。それらはどちらが絶対的に正しいとかではなく「どの分野でどの程度どちらの立場を優先するか」というレイヤーで争いがある。

具体的には、「心が壊れた人間による殺人」と「自分赤ちゃんを殺そうとした人間を殺した母親」などだ。前者は刑法39条規定により無罪となるとしよう。なぜなら、心神喪失状態での行為は「自分の行った行為に対する責任」を問うための刑罰を化しても無意味からだ。その人は自分がおこなったことの意味理解していないから、刑罰を科すことに意味がない。ふざけるな、という意見は多数あるだろう。心情的にそれは俺も理解できる。しかし、それでもなお刑罰を科すとするならば、それは「誰かが人を殺したという『結果』が悪いことである。だから、本人が自分行為理解していなくても、社会としてその結果をもたらした人間を罰しなければならない」という立場をとる、ということにならざるをえない。

では、「自分赤ん坊を殺されようとしている母親が、殺そうとしていた人間を殺した」といった場合、その人間に対してどういう立場をとるべきなのか?「人を殺したという結果は社会にとって変わらないのだから赤ん坊が殺された母親であっても刑罰を科すべき」という立場になり得るのか?

この話は、実のところ論理的には適切な例ではない。結果無価値論と行為価値論は違法性阻却の議論で出てくるものであり、前者は心神喪失による有責性の阻却の話で、後者緊急避難追記ブコメで「正当防衛ではないか」とありましたがそのとおりです。ありがとうございます……)による違法性阻却の話でしか出てこないからだ。もっと言えば刑法民法憲法では基礎になる論理が全く異なる。ここで俺が言いたいのは、実定法における「本当に基礎の基礎の大前提になる考え」は、法解釈において多くの矛盾を生み出す、ということだ。そこには「正解がない」。どの場面でどのような立場をとるか、それは1か0かで決められる問題ではなく、「ある場面ではAの立場肯定し、別の場面ではBの立場肯定する」、そういった解釈違いが、刑法民法刑法何百何千もの事例において発生する。それらに対して、「ある事例でAの立場をとり、別の事例ではBの立場をとる」という判断の組み合わせに、論理的整合性をどのようにつけるか。それを生み出すのが、ざっくりと法学における「学説」と呼ばれるものになる。繰り返すがこれは刑法の例であり、民法憲法では細かな部分は異なるだろう。だが、どの分野でも「学界の多数説」「学界の少数説」「実務における判例」の3つが異なる立場にある、というものが1つや2つくらいあるのは当たり前だ。それが実定法学の実情だ、と思っていいはずだ。

そんな現実において、あくまで俺の認識に限って言えば、その「矛盾しない解釈論理体系を構築する」というのは研究をやる上では当たり前のことだ。論文出す以前に、研究ができるかどうかという前提の話。何の話をしているかというと、その能力を持っているかどうかを確認するのが「司法試験」であり、司法試験程度(そう、司法試験「程度」)を合格する能力がないと、法学研究なんてできない、というのが現実なのだ。全体的な解釈整合性をとれているのは当然である司法試験合格すらできない人間研究者になれない。「最低限の研究能力」という点で、院なりなんなりに進んでいる時点で最低限の自然淘汰が発生しているのは実定法学研究では当たり前の前提である。したがって「最低限の論理的整合性が取れてるかどうか」という意味での査読そもそもない……というのが、院生の友人知人を持たない俺の、推測レベルでの解釈だ。そもそも論文を出せる環境にいる時点で、能力保証されているからだ。

そして、そこからさらに「構築した論理体系による学説が『受け入れるに値するものか』」って話にまで踏み込むと、そのための「査読」ってなによという話がある。たとえば、心神喪失状態で何十人と殺した人間無罪にすべきという、法学論理的整合性がとれている説を唱える人がでてきた場合、それを査読する意味とは何か。論理的には正しい解釈体系が、何十人もの法学者によって何十個と出来上がっているなかで、誰の立場をとるか。ここまでくると、正直なところ、査読がどうこうという話ではないのだ。はっきり言えば、「その学説社会が受け入れるかどうか」って話なのだ

この辺りを、法学勉強したことがないひと、いや法学勉強したひとですら勘違いしていることがあるけど、法と社会/法と政治というのは、ものすごく漸近している。法学学説が受け入れ良レルかどうか、というのには少なから社会価値観/社会通念が影響しているし、法は決して固定的なものではなく、社会のなかで変動している。法は社会に内在しているし、社会に対して法は影響力を持つ。

そうした実定法学の特徴が生み出すのは、ある一定レベルを越えると「学説が正しいかどうか」が「その学説が多くの人に受け入れられるかどうか」という問題に近づいていく、ということだ。法学部にいればよくあることだったが、どんなすごい教授でも、講義のうち何か1つくらいは、その人独自の(少数派)学説をとっていることはざらにある。だから、そういった場合に「査読があるかどうか」は問題にはならず、「発表した学説が受け入れられるか/無視されるか」という話が、業績や信用性、実力の評価として組み込まれるんじゃねえかな、とは思う。

まあ、それが客観的指標とは言いがたいのが問題だ、というのは絶対ある。だが、その場合はどのようなかたちであれば「客観的指標」による評価法学が下せるのか、というのも問題になるだろう。

このように、「研究ができる/研究論文を出せる」という環境にいるというスクリーニングの上に、「それが社会的に受け入れられるか」が重要視されるという事後的なスクリーニング、その二つがあるからこそ、実定法学に査読文化がない、というのはおおよそ雑な話としては、言えるのではないかと思っている。

で、これを読んで異論があるガチ法学研究者の人、補足というか訂正頼む。ぶっちゃけ法学でまともに単位とってない俺みたいなアホが補足いれないといけない状況にうんざりしてるんだ。真面目に誰か解説してくれ。

anond:20181009103403

増田がやや文脈のよみとりに難があってとにかく問題レイヤーをすりかえて相手ねじ伏せたいタイプ増田ということだけわかった。

そういう一部のラノベ愛好家のせいで多くのラノベ愛好家が誤解されてしま可能性を配慮して理性的かつ良識的な増田活動を送られることを推奨します。

もうほっといても無限に誤解していくタイプだろうからなに言っても無駄だとは思うけど「萌え絵パブリックに扱われてるんだから叩かれて当然だし滅んでほしい」なんて言ってもないし望んでもないし思ってもいないということだけおさえておく。今回の言及はそういう論点ではないんだけど。

anond:20181009101015

おちついて深呼吸して。

BLもそのうち萌え絵のようにLGBTへの性的搾取として叩かれる日が来るのではないか

という危惧に対して、

BL萌え絵のようにパブリックな場に出ていないのでそういったバッシングを受ける可能性は低いのではないか

という見解を述べただけで、萌え絵BL隠れ蓑になれ!とか萌え絵のせいでBLまで危ない!とか萌え絵パブリックに扱われたか萌え絵は叩かれてもしかたがない!とか言ってるワケじゃないから。問題レイヤー整理してちゃん文字読め

2018-10-08

アニメ好きは服を服として見ていない説

例えば、ラブライブはあの曲の衣装が好き、という人のほとんどはレイヤーコスプレを撮っている人だろう。ラブライブが好き、スクフェスをやっている、という人でもこれからのSomedayがどんな衣装だったか思い浮かばない人は思いの外多い。でも見たらあれか、となると思う。アニメに出てくる衣装だし。もちろんラブライブに限ったことではなくアイマスも似たようなもので、曲毎に用意された衣装についてよく覚えていないファンものすごく多い。

一方で、現実アイドルの曲と衣装ラブライブアイマスよりも覚えられているのでは?という気がする。アイドルだけでなく(アイドル声優服装衣装)も記憶しているファンは多いような気がする。

これがすごく不思議

これはきちんと調べたわけではなく私の印象・妄想なので、誰か卒論でも自由研究できちんとやってみてほしい。濃いラーメンに馴れたというよりも、最初からあれを服と捉えていないので服と捉える人から見ると鈍感に感じるのではないだろうか。

2018-10-05

メールで予定を書きたい増田住まい炊きかを居て世でルー目(回文

ライブホールスケジュール

海外大物アーティストが名を連ねる中

堺正章さんも一緒に名を連ねているのは、

どう見てもテーブルクロス引きの人に見えて仕方ないです。

テーブルクロス引きショー見に行きたいわね。

おはようございます

Googleカレンダーメールを送って、

予定を書き込むって出来ないのかしらね

結構もう勝手ガンガン予定追加してくれちゃっていいんだけど私の場合

でもさ

なぜかGoogleマップにはメールの予定が記されていて

行き先下調べで地図見たとき

時間の予定が書いてあるから微妙に便利なのよね。

AI流行ってるけど、

ちょっと先回りして少し便利!ってだけでいいのよね。

でもその少し先回りの少し便利って言うのが、

きっと絶妙に難しいんだと思ったわ。

年に何度も誕生日があるお友だちは

彼女5月まれと知ってる交友関係11月まれと知らされている交友関係では

決して交わることのない人間関係が繰り広げられ織りなされていると思うと、

もうこればっかりはGoogleカレンダーでも管理できないんだわね。

そう思っちゃいました。

私はそんな器用に誕生日レイヤー層の使い分け出来ないわ。

うふふ。


今日朝ご飯

日食べ損なったおにぎりまた忘れるところでした。

今日はしっかりとそれ朝に頂きました。

鯖まぶしおにぎり

デトックスウォーター

寒いのでちょっと湯冷まし白湯ウォーラー梅干し入りです。

身体が温まってエンジンが掛かります


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2018-09-27

anond:20180927163457

まぁ匿名のやりとりはそうなりがちだ。

 

議論言葉のやりとである以上、際限なく問題をずらしたり、発言者の焦点から外れる別のレイヤー問題点としてぶち上げる事もできる。

まぁ、全般的言葉を使ったゲームと言えるだろう。

 

リアルだと個人評価フィードバックがかかるが(それが問題になる事もあるが)、ネット匿名だと単にそれぞれの欲望が激しくぶつかり合う傾向が出てくる。

 

議論の質は、やはり参加者全体のリテラシーを反映しているとは思う(ノイジーマイノリティが幅を効かせる面はあるが)。

ゆえに、そこに対して無力感を感じるのは同感。

 

匿名だと、問題解決というより、自意識が前面に出やすいし、90%のダメレス(ムカついたりするが、基本スルー)と、10%の有効なやりとりきちんと自分の中で分けて、後者を繋いでいくのがいいのかなぁ〜。

 

スルースキルを鍛えると、有効なやりとりを見つめられるようになる。(結論普通なことになってしまった。。。リアルも意外とそうかもしれない。)

2018-09-26

ゲームショウなのに

バカみたいなレイヤーパンツを履くというわけのわからないショーを始める

D3バカじゃねーの

2018-09-22

anond:20180922062043

レイヤーで考えた時には下にあるけど、物理的に上にあるものってことか。

靴下も上ってより中じゃね?

2018-09-20

anond:20180920202624

仮想通貨を見るときレイヤー複数あって、基盤のレイヤーと基盤を利用する側のレイヤーがある。

基盤側は、基本的には無作為な多数の利用者が正しい使い方をしてれば、少数派は絶対に壊すことができない理論に基づいて作られる。しかし基盤の実装バグってたり、誰でも正しい使い方をしようと思える動機が弱かったりすると壊される。

基盤を利用する側のレイヤー企業とかが管理してるんだけど、暗号セキュリティの十分な知識ないのに運営してるベンチャー企業だったり、そもそもブロックチェーン業界ノウハウが未成熟。じゃぁ銀行エンジニア雇えばいいじゃんとかではない。

2018-09-19

anond:20180919020319

継承本質的な部分は「パラメータレイヤー化して、不要パラメータ派生クラスでは隠すことが出来る(カプセル化)」って所にあるんだが、まともな日本語でソレを説明仕切ってみてくれ。

2018-09-15

「半分、青い」のオープニングに思う

テーマ曲に乗せてヒロイン日常の様々な物にレイヤーを被せて物の見え方を変えていく

潰れた目玉焼きニワトリに、雲がクジラに、電柱電線楽譜に、食器棚の皿がバースデーケーキ

星野源の歌うテーマ曲曲名は「アイデア

なるほど、今回は耳の不自由少女ハンディキャップに負けずに得意のイラストアイデア武器にしてトラブル解決していく話なんだろうか。最初はそう思ってた。

最終話も近く9月半ば。結局アイデアとはなんだったのだろうか。まさか半年かけてたどり着いた本作のテーマアイデア」がつい先週唐突に出てきたそよ風扇風機だとは思いたくない。どんな結末を見せてくれるのか最終話が楽しみだ。

2018-09-11

anond:20180911221951

どちらかというと妻が職業上の自己実現育児のために犠牲にしたくない・両立したい系の需要であって、金銭理由での共働きではないんだけど。

夫1200、妻800の両方医師世帯なんかを想定してる。夫の年収生活は余裕で成り立つけど、高学歴で実務経験も積んだ妻自身専業主婦におさまりたくないわけ。性格的にも向いてなかったりして。

医師のほかに経営者とか投資家とか。そういうレイヤーも激務で、雇用ほどの男女区別がない。

男性大黒柱プレッシャーって中流限定だよね

かに中流家庭では、父親が稼いで、母親子供が小さいうちは育児に専念して子供が育ったら学費負担増に備えてパートに出たりサブ的に稼ぐっていうモデルが多い。

中流が最も男女別の役割分担をしているように見える。自分が稼げなくなると家族が終わるというプレッシャーが最も強いのは中流男性のように思える。

上流家庭では良家同士結婚して、資産運用だけしていれば良いパターンがまずある。あのレイヤーの人たちは、男性だけ負担が重いなどということはなく、男女平等

もう一つの上流家庭として、父も母も高所得労働者パターンがあって、後者は高い保育園や病児保育に相当お金を使っているけど、

それ以上に母親が働いた方が稼げている、あるいは女医などでブランク作りたくないから無理してでもフルコミット共働き選択していることが多いね。そのパターンもまた男女平等

下流になるとそんな景色はない。なんていうか下流は、低賃金労働家事育児女性人権のない奴隷みたいに酷使されていて、男性高齢ニートだったり、驚くほど何もしていない。

そういう男性が「非モテ童貞」かっていうとそうでもない。無気力ヤンキーみたいな雰囲気の人が多い。下流男性下流女性で若年のうちに結婚して子供をもうけていて、

下流女性労働家事育児など生活必要なことがらを全部負担していて、下流男性家族のためのことを何もしてない。

離婚も多い。嫁が逃げて、息子と孫が高齢母親のもとに帰ってくるみたいなパターンもある。そういうケースでよくあるのが、息子が何もしない。

ショッピングモールオフィスなどで清掃やってる高齢女性をよく見かけるけど、彼女たちの生活ってそういうものだったりする。年金と清掃パートで息子と孫を養ってるみたいな。

とにかく、下流に行くほど男性が何もしない。勉強部活も頑張らないタイプの暇な中学生のような暮らしを、中年になっても、一生やっている感じというか。人のための役割を何も担ってない。

そしてそれが「下流妻や下流母に尽くされていて幸せ」かというと、そうは見えない。まず生活が貧しいし、そうした地域男性平均寿命は短い。

平均寿命の男女差は地域によって違っていて、男性がよく稼いでいる中流~上流エリアのほうが、色々担っているはずなのに男性長生きしている。

どういう形でも良いのだけど、家族の役にたっているほうが、自尊心が得られて健康になるのか、幸せ長生きできる傾向はある。

義務が重すぎて過労死などしてしまうのは良くない。でも、一切の義務から解放されて全部高齢母に押し付けているような男性幸福か、羨ましい身分かというと、全くそうは思わない。

なんか目が死んでいるし、短命だし。

2018-09-10

カメラマンレイヤー

何かとトラブルが発生するこの界隈

トラブルの内容を聞くとお互いなんかネジ外れてね?っていうケースが多かったから知り合いのレイヤーにきいたんだけど。

まともなレイヤーの子達はヤバイヤツ(すぐ誘ってくるとかセクハラしてくるとか)の情報を共有して、そいつへの撮影を依頼を避ける。

逆にカメラマンの方も態度が悪かったり、遅刻や連絡なしのドタキャンするレイヤー情報を共有して、そいつから撮影の依頼を受けなくなる。

その結果どういうマッチングになるかというと、常識はずれなレイヤーカメラマン出会うことになり炎上する。

そんな話を聞いて面白いと思った。

2018-09-08

ヒュー〇〇〇で地道にやった。

縦軸の階層性と、ヘッジとして横軸のレイヤー意識して回収した。

あとは国民栄誉賞に備える。

離脱します。

2018-09-05

anond:20180905183506

ブコメで同じレイヤーじゃないって言う意見があるけど、普段ブコメという違うレイヤーから批判することで反論を受けつけにくくしてるのに逆をやられたら卑怯だっていうのがキモいんだろ。

同じレイヤーで話をしろって言うならFBにはFBブログにはトラバコメントツイッターにはリプライで返せよ。最初から話し合う気がないのはブクマカも同じだろ。

ブコメより深いレイヤーから本名でやれとか会いましょうって言われたらそれは本質じゃない、内容を見ろって冷笑するくせにな。

2018-09-03

anond:20180903155114

俺は思うんだよね。

主張に筋の通ってない奴の言うことは聞くに値しないし、

しかもそれが「性的少数者」という同一レイヤー内の出来事なら猶更でしょ。

大量殺人犯が「暴力はいけない」と言っても説得力あるか?

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