はてなキーワード: ブレーキとは
はてブ流陰謀論対処法を兵庫の40万人は、むしろ取ってたんじゃないかと思うんよね。
多くの有権者は…
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❶
右と左が同じこと言ってたら事実、とか判定するようにしてますよ。 他にも、産経がリベラルなこと言ってたり、朝日が保守的なこと言ってたら、事実なんだろうなって判定してます
❷
私はひねくれ者なので、周りに「Aだ!」という人が多くなると「ホントにAか?」というブレーキが自然にかかる。これでだいぶ助かってる。…
SNSで祝う人の投稿を見ると、共通項として異常なほどのマスコミ嫌いが見て取れた
今回の知事選はマスコミvsアンチマスコミの代理戦争のような様相を呈していたようだ
俺もマスコミは別に好きではないし、どちらかというなら嫌い寄りではある
選挙前になぜか選挙報道せず大谷ばっかだとか、不満に思ったりはある
まるで親を殺されたような憎み方だ
腐す言葉には、偏向報道、マスゴミ、嘘、デマという単語が高確率で並ぶ
なんとなく内心で「好きではない」と思うことと、言葉にして「大嫌いだ!」ということには大きな隔たりがある
ネガティブ方面への感情の高め具合、ブレーキのなさが異様に俺には映る
マスゴミという言葉を好んで連呼する層は以前からいたが、同じ層なのだろうか
なにが彼らを駆り立てているのだろうか
今まではアウトランみたいに平面でレースっぽく見せるしか出来なかったのにこれの登場で全てのレースゲームが過去の物になってしまった。正に革命。コースのライン取りが出来る様になったのも家庭用ではこれが初めて
・グランツーリスモ(PS1)
説明不要。走行距離や中古車・洗車といった実車にここまでクローズアップしたレースゲームは今まであっただろうか。いや無い。
当時の主流だったリッジやセガ系のゲームゲームしてる挙動と違ってカーブ中にブレーキを踏むと荷重移動であらぬ方向にすっ飛んでくのも当時は非常に驚いた。
実際の車と挙動が似ているので成人して実際に車を運転する様になってから非常に役に立った。実車に乗る前の練習としては非常に良い教材。
本作で実際の車が好きになった人も大勢居るだろう。ゲーム内の新車価格や中古車価格が当時の相場なので今プレイすると事故車並みに安いのも時代を感じれて面白い。
メーター類は何もかも信頼できないし速度は高速どころか一般道でも流れに乗れるか怪しいレベルだけどブレーキの利きもハンドルも悪いからまっすぐ走るのに苦労する。車内は狭いし収納もない、内装は貧弱でカーナビはついてるけど基本バカで信頼できない
というマジどうしようもない類の車乗ってるけど、親が買ってきて(俺は試乗どころか現物が車でクルマすら見てない)親が車検も維持費も払ってるから文句は言ってない。というか名義すら親名義。
この車を選択した理由は「4wdの軽だから。雪道で走るだろ」とかいう理由。
そんなドマイナーかつニッチな要望でクルマ選んだら全然車がなかった上に普通に割高だったらしいけど買って数か月で事情が変わったので4wdを生かす場面もない。大体軽の小型車で「タイヤ四本回るから」で雪道OKと考えるセンスが分からない。というかほんとに4wdなのかも怪しい
マジでタイヤ四つ動くだけの鉄くず。最近ではガソリン代ももったいないと感じてしまい常にガス欠寸前に近い状態で走ってる。
こんな鉄くずに金なんか払いたくねぇわ。
選挙戦始まった時は維新も自民も斎藤氏にまだ未練があったというか見捨てられない雰囲気だったじゃん
今やもう立花やら旧統一やらが大手を振って斎藤支援しててリベラルどころか保守勢力もドン引き、大多数の県議会議員もドン引き、県内市町村の首長もドン引き
曲がりなりにも前職の知事なのにまともな公約や目標は何ひとつない、デマ全振りの異様な選挙戦
もし当選したとしてここまで県内県外のステークホルダーを敵に回した状態でまともに県政が行えるはずがない
立花や旧統一も支援の見返りとして組織に食い込んでくるだろうし
知事になった後の県政のことを真剣に考えていれば普通はブレーキ踏むじゃんよ
側から見てて斎藤氏は知事に戻れさえすれば後はどうでもいい、知事の地位にしか興味がないとしか思えない
私は国民民主党のふわっとした支持者だった。
神奈川県在住の20代で大卒、有名でも無名でもない企業の正社員だ。
玉木雄一郎の不倫騒動を受けて初めてはてなダイアリーに投稿しようと決めた。
むしろ政治家に自分の生活を良くしてもらえるかもしれないと、軽々に期待をした自分に深くがっかりした。
振り返れば国民民主党が気になりだしたのは3年ほど前だ。
自民党の政治に辟易した私は、それから既成政党の中では最も政策が優れていると思った国民民主党を応援し始めた。
例えばガソリン減税。
貴重な税収という意見もが、あり得ない二重課税は制度としてはあまりに下策だ。
また金融政策についても感覚が正しいと、少なくとも私には思えた。
追加利上げを強く主張する河野太郎や野党議員もいたが、国民民主党の姿勢は慎重だった。
私も同意見だ。
円安による悪影響は大きくなっていたとはいえ、今年の企業の想定為替レートは1ドル=145円程度にしているところが多かったように思う。
新NISAは良い制度だと思うが、「また政府にだまされた!」という人も出てくるかもしれない。
最近の103万の壁突破もいろいろ言われているが、現役世代の手取りを増やすことは何も間違ってはいない。
そもそも年金はマクロ経済スライドによって現役世代の所得が向上しない限り、インフレ下では受給額が減らされる。
現役世代の経済力を上げないと困るのは高齢者というのは本当だ。
公明党くんは、高齢者ばかりの住民税非課税世帯に金配って満足している場合ではない。
猛省してほしい。
そして、今回の衆議院選挙。
額面から30%弱もいろいろと天引きをされて悲しい思いをしている自分の生活も、ちょっとは良くなるかもしれないと胸が躍ったのは事実だ。
立憲民主党にも左派の活動家と不倫をしていた議員がいるし、思っている以上に社会人は不倫をしているのかもしれない。(気になる)
ただ、問題は不倫が許せるか否かにかかわらず、この騒動で国民民主党の評判はがた落ちしたことだ。
この報道を耳にして勝ち誇った立憲民主党や共産党の支持者のアカウントたち。
垂涎のイベント発生とばかりに、鬼畜の形相でツイートしていることだろう。
ともあれ、今の国民民主党には玉木の代わりになる政治家はいない。
衆議院議員は新人ばかりだし、当選回数を重ねている議員も得意な政策分野には強くとも、マルチで政策を語れるさえ政治家はいなはずだ。
そのため、私はおそらく国民民主党はここで終わったと思う。
少なくとも日本政治における政党型シンクタンク的な立場でかろうじて生き残ることはあっても、政権にかかわるゲームチェンジャーになることはないと思う。
玉木雄一郎は今、どう思っているのだろうか。
冒頭に述べた通り、私はこの件で玉木を責めてはいない。
もちろん過去の玉木の発言の通り、不倫はセキュリティクリアランス的に非常に問題だとは思うが、議員に過度にモラル的であれ。とは全く思わない。
(玉木のダブスタは良くない。おつ)
四方八方から「死ね」「人殺し」と言われても、耐えざるを得ないのは政治家ぐらいだろう。
同級生は外銀やコンサルで自由にそこそこ稼いでいるだろうに、秘書を雇い事務所を運営したら大して旨味もない給料で、
罵詈雑言に耐えて、クソみたいな仕事を代わりにやっていただいてる身だ。
自分が生まれ変わってもなりたくない職業ランキングでは、政治家は確実に上位に入る。
そんな仕事をわざわざやってくれて、感謝の念こそあれ、怒りなず湧くはずもない。
そう思っていたのに、こんな仕事を議員に押し付けておいて、日本という国家を適当に運転してもらうだけではなく、
今よりも自分の生活をよくしてほしいと、今回ちょっとでも思ってしまった。
本当はわかっていた。
今の日本は現役世代は血反吐をはいて仕事しても、1000万円でも富裕層と考えられて金を吸い上げられると。
中間層すら政府にとってはATMでしかなく、日本の治安維持と政治家の不手際を補うための金を捻出する人柱なのだと。
ちょっと前まではわかっていたのに、国民民主党なら違うと思った。
変えてくれると思った。
国民民主党の特徴の1つは、最近では稀な「他人に支持していると言いやすい」政党だったという点にあると思う。
自民党支持は恥ずかしいし、立民は活動家と一緒に「みんなきれいだね!」と内輪で盛り上がっているし、
公明党は宗教だし、共産党はパワハラ疑惑がささやかれている。れいわは「金よこせ!」と代表が歌いながら踊る。
保守党は……ね笑
そうした奇特な政党ばかりの中で、政策も議員も比較的まともだったと思えた。
「国民民主党ちょっといいよね」とかなり言いやすかったと実感のある人も多かったのではないだろうか。
今、国民民主党の支持者がほかの政党の支持者になんて言われているか知っているか。
「玉木は言動が軽かったから。ほら言った通り、お前ら騙されてんじゃんwww」
こう罵られている。
だよね、騙されたのかも。
■僕が地下に潜ろう■
なんかのネット番組で言われたそうで、政策はちゃんとしていて一部の人からは知られているけど、
そんな政党が今回の選挙で一気に表に出た。そして直後に評判は急落した。
他人にも支持を表明しやすかったのに、支持者は今、盛大に罵られている。
支持者にとってこんなにも屈辱があるだろうか。
国民民主党は地上に出た。
しかし、代わりに私はどこかの政治党を支持しているなんてことは、今後一切人に言わないと決めた。
こうした屈辱は二度とごめんだ。
国民民主党が政治にインパクトを残せるような政党になった時、私はまた支持できるだろうか。
今の状況だと、そもそもそうなりそうもないが。
しかし、万が一そうなった時には、政党・政治家に期待をしてはいけないと決意した私でも、
政策を見てまた馬鹿みたいに胸を踊らせてしまうような政党に変わっていてほしいと思う。
さようなら玉木。
一瞬でも夢を見せてくれてありがとう。
★おまけ
玉木さん、あなたの不倫が暴露されたのを財務省の陰謀だと思っている支持者がいるようです。
私は違うと思います。
それに万が一そうだったとしても、あなたが不倫をしたことは財務省の陰謀ではないはずですよね。
支持者にも変な人たちが増えて本当に大変ですね。
★おまけ2
ここまで読んでくれた人いるのかな。お目汚しの拙稿を大変失礼しました。
やべーと思うよ
ぱっと見でおかしいと思う
若い女でも変だと思うけど年齢も考慮すると重度ハッタショかなんかだと思う
でもXの女たちにはゲッとなってるよ
お前ら女って何でああいう発達障害・知的障害っぽい同性が視界に入ると
激烈にいじめていじめていじめ殺すのが正義みたいなモードになるわけ?
まともな女ではないとか
こんな女を抱ける男もまともではないとか
明らかに社会から殺す勢いで侮蔑して嘲笑して叩きまくってるよね?
ハッタショ女は生きてちゃいけないってこと?
ハッタショ女は生きててもいいけど視界に入ったら叩き殺すってこと?
ハッタショ女が女を使ってるのは生意気だしおぞましく感じてどうしても許せないってこと?
明らかに普通の女より弱者であるハッタショ女への女たちのあの猛烈な攻撃性は何なのか
どういう了見であそこまで苛烈な嗜虐心を発露してノンブレーキで楽しんでるのか
それを教えてくれ
お前も俺の質問に答えてくれ
いつもの街コンとは少し違うって聞いて、今回のにちょっと期待してたんだ。
なんでも会場内でのトークだけじゃなく、二人でお散歩できるオプションがあるらしい。
散歩とはいえ、制限時間はせいぜい三分程度で、会場の周りをちょっと歩くだけだけど一緒に並んで外の空気吸いながら話すなんて、これは新鮮だなと思ってたんだ。
いざイベントが始まって、気の合いそうな女性がいたんだよ。話してみたら意外と気さくで笑顔も素敵で、少しずつ心が躍ってきた。
で、「よかったらちょっと外に出てみませんか?」なんて勇気を出して誘ってみたら、彼女は快く頷いてくれた。ヒャッホウッ!!胸の中のアホウドリは既に高鳴りを抑えられず、「これはもしかして脈アリなんじゃないか?」と期待しちゃうじゃん?
二人で会場の外に出たら、ちょうど夜風が気持ち良くてさ。並んで歩くと距離が近く感じて、話もいつもより弾む気がした。
最近ハマってることってありますか?とか、趣味の話とか、あんまりガツガツしてもアレだから適度にリラックスしつつ会話を楽しんでいたんだ。
これは順調だなぁって内心ニヤつきかけてたわけ。
青信号。普通に渡ってたんだけど、信号が変わってすぐだったからなのか、向こうから車が曲がって突っ込んでくるのが見えた。
車は赤信号を無視して、ギリギリでブレーキかけずに突っ込んでこようとしてるじゃないか!
「危ない!」って思って、反射的に彼女の手を掴んで引き寄せたんだよ。
なんとか車が行ってしまって、無事だったのはいいんだけど、心臓はもうバクバク。バクバクしてるなかで「大丈夫ですか?」って彼女に声をかけたんだ。
普通なら「ありがとう」とか「びっくりした」みたいな反応が返ってくると思うだろ?でも違ってた。彼女は何とも言えない表情でただ俺を見つめてたんだよ。
まぁ…驚いたんだろうと思って、もう一度「本当に大丈夫ですか?」と聞いてみたんだ。
そしたらだよ、彼女は何をしたと思う?バッグから何か取り出したかと思うと、ファブリーズみたいな消臭剤?のスプレーを取り出して、無言で俺の握った方の手に向かってシュシュし始めたんだ。
え?いや?ん?は?って感じだろ。俺が彼女の手を掴んで危ないところ助けたわけで、普通、そこは「ありがとう」じゃないの?ってなるじゃん?それを消臭剤をかけるって、まるで俺が汚いものみたいじゃないか!
その瞬間、俺の脳裏には「ジョジョの奇妙な冒険」第1部、ディオがエリナに強引キスして、それをされたエリナが泥水で口をすすぐあのシーンが浮かび上がってきた。
今までは「あれはディオがひどいからエリナがそうするのもわかる」と思ってたけど、今の俺はディオの気持ちが痛いほどよく分かった。
「この、おんなぁ〜!」って叫びたくなる気持ちが溢れてきたよ。ディオならここで容赦なく平手打ちしてただろうが、俺にはそんな度胸も胆力もない。だからただ唖然と立ち尽くすばかりだった。
彼女は俺の驚いた顔なんて気にすることなく、一通りシュシュッとスプレーをかけ終わると、立ち上がって、ほんの一瞬だけ俺に無言で頭を下げた。
何事もなかったかのようにくるっと踵を返して会場の方へ戻って行った。まだ時間は残ってるのに、俺との距離を取ることが最優先だったんだろうな。
俺は惨めに会場の方へ歩きながら終始ディオのことを考えていた。
いつもディオの行為を見て、「やりすぎだろ」って思ってたのに、今なら痛いほど共感できる。
ディオがあほれどジョースター家に因縁をつけるようになったのは、結局はエリナのせいだったのではないか?
こんな気分はもう酒でも飲まないとやってられん。酒。酒。酒。帰りに居酒屋にでも寄ろうと歩き出したんだ。
結局、その夜は一人でやけ酒を煽りながら、俺の何がいけなかったんだろう?と酔った勢いでそこらの他人に尋ねたりしてみたものの皆が苦笑いで何も答えない。
悲しくなってきて俺は泣きそうになった。
泥水はないだろ、泥水は…
でもディオも、きっと同じだったと思うんだ。
久々にブコメ見たな
ちなみにTCGという単語を使わないのは、遊戯王にもTCGが存在するからで混同を避ける目的があるよ
もっと具体的に頼むは
出身だからなんて理由じゃないし、デザイナーが元遊戯王プレイヤーだから遊戯王に似せているってのなら、あんなデザインやルールにならんでしょ
kazumi_wakatsu ルールがほぼないのに裁定は大量にあるって、他に模倣が現れないのは単に運営コストが高すぎるからでは…
いまでも一週間で数個の新規裁定が出ているし、過去の裁定がブラッシュアップされている
それに大会が行われるときは電話は大体埋まっているわけで、こんなの普通の新規ゲームでやろうなんて無謀だよ
コナミが運用コストをかけても総合ルール作らないのは、作りたくても作れないからだと思う
akihiko810 ブコメ。「Force of Will」というMTGライクTCGでは、土地デッキという第2デッキを使うことによって、MTGの「肝心なときに土地を引く可能性(何もできない」というデメリットを克服してて、よく考えてるなーと思った。
だいたいはデュエマ方式だったり、ヴァンガやエヴォルみたいになってるし
ただ、共通しているのは共有リソースが常に見える状態になっていることだよね
土地自体はマイナスのデザインだったけど、現在もきちんと運用されているMtGはすげーとも思う
構造の話をしているのに対してミニマムな話だが、エクストラデッキは遊戯王の大きな発明だと思う。mtgの相棒(失敗作)なんかはエクストラデッキからの逆流アイデアじゃないかな。
エクストラが発明かはあんまりわからないが、その後のカードゲームに大きな影響は与えたかもね。ちなみに相棒システムは失敗だったが大本はEDHだと思うよ。俺はヨーリオンが好き
複雑さだけならMtGがダントツだと思う。遊戯王は複雑かというとそんなことはないよ。見たままのテキストの動きをするだけだからね。なれれば問題ない。
テキストが冗長で、1ターンで動けるだけ動けるという異質な挙動が難しく感じるのと、結局のところルールの厳密性に欠けるので裁定しか頼りになるものがないという点が複雑に見えるのかな。
裁定たくさんみてきたけど、じゃあその裁定が本当にルールとして正しいのかは実はわからないんだ。
evamatisse 裁定を覚える記憶力すご……ってなるけど、実は大会で使われるデッキの種類は数種類なのでそんなに必要ない。 “常に最新のものしか遊ばれない” / フリーだと細かい裁定は気にせずやる。知ってたら知識自慢になる。
時と場合に寄るからね。ここに書いたことなんてだいぶ抽象的だから。
murlock "遊戯王の悪い部分をよけつつ、良い点もほとんど受け継いでいない" というからにはよそに参考にされていない独自の良い点を挙げてほしい。いや書いてあるかもしれないけど見出しでまとめてくれないと読んでられない
良い点
悪い点
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遊戯王の悪い部分をよけつつ、良い点もほとんど受け継いでいない
この界隈、ほぼ遊戯王を避けて通れないんだが、遊戯王は完全にカードゲームという遊び方から外れているんだよ
野球って他の球技と比べても独自ルールや様式ばかりだし、試合展開も全く違う
たいていがサッカーのようにボールをゴールさせるか、テニスのように互いに打ち合うスタイルの中で、野球って1回ごとに攻守入れ替えるし試合自体が滅茶苦茶長くて動きもルールもわかりにくい
仮に新しい球技やスポーツを考えるってなると、間違いなく野球をベースにする人はいないだろう
カードゲームにおける遊戯王の立ち位置もそんな感じで、プレイヤー層も遊び方も価値観もルールもカードゲームという枠ではないんだよ
他が真似しようにも真似ができない
まず試合運びが異常だ
1ターン目から動けるってのは常識として、1枚が2枚3枚になるという動きは普通のカードゲームなら絶対にしてはいけない禁忌だ
それを可能にしているのがいつでも触れられる手札ことエクストラデッキ
昨今はこいつを媒介になんでも1枚初動がかなえられる
マナコストが存在しないというだけでどう考えてもおかしいが、1ターンに1度という制約がほぼ無意味なくらいには何でもできるのが遊戯王
現代カードゲームでマナに相当するコストを設けていないだけでも少数派だが、さらに1枚で複数のアドを稼ぐとかやってはゲームとして成立しない
それをしているのは遊戯王だけなんだよ
このゲームは徹底して他のカードゲームでは禁忌とする過剰な展開をする
それ自体が遊戯王の魅力ともいえるので、それに魅了されたプレイヤーは絶対に遊戯王を肯定し続ける
普通は総合ルールを設けて、補えきれない細かい部分や独自ルールとする場合に裁定を作る
遊戯王はそもそも総合ルールが存在せず、簡易的ルールの寄せ集めでしかない
「いやパーフェクトルールブックがあるじゃん」という人は総合ルールを理解していない
総合ルールは単に箇条書きではなく定義や意味が記され、各々の項目の関係性が書かれている
抽象的で網羅的に書いてあるので読みづらいが、それは暗黙の了解による解釈をできるかぎり排除する必要があるからだ
遊戯王をみればわかるが、ちゃんとした定義や意味が不明瞭なまま「こうなると思う」という暗黙の了解を元に裁定が決まっている
明確なルールに基づきつくられるはずの裁定が、裁定があるからこういうルールだという逆転現象を引き起こす
例えば「特殊召喚できない」という永続効果があるときに、未開域の共通効果は発動できるが、なぜ発動できるかは実はわかっていない
また、特殊召喚とそれ以外の処理を実行する効果に虚無空間をチェーンする場合には、カードごとに処理の仕方が変わってくる
では「カクリヨノチザクラ」のよる除外は行うのに融合召喚における素材の墓地送りはできない、という違いは明文化されていない
融合は融合召喚として定義されているからいいものの、なんで「カクリヨノチザクラ」は除外できるのか理由が見当たらない
理由付けはいくらでもできるが、結局それはプレイヤーが「そう感じているから」としか説明ができないのだ
一つ一つは理解できても、では根底でどういう区別をしているのかは何も明らかにされていない
この原因は、他のカードゲームでは「処理できない部分以外は原則処理する」というルールの黄金律が根底にあるのに対し、遊戯王はそういう思想がないままやたら裁定だけが細かく作られているからだ
明確な理由を示すことがないなら、事例をたくさん作って既成事実にしちゃえってのが遊戯王のやり方
裁定の良いところはフレキシブルに各カードに対応できることだが、そもそも総合ルールで問題ないようなものにすら裁定を作らなければならず、結局裁定だけでは総合ルールに足りない
最近は関連するカードを箇条書きにしているので非常にわかりやすくなっているが、それでもそこまでのことをしなければ成立しない手間があるのはちょっと異常だ
遊戯王は長い年月の中で裁定がルールであるという文化が築かれてきたから、こんなことができる
なので裁定をどれほど知っているかで遊戯王のルールに詳しいかがわかる
だが、結局どんなに詳しくとも本質的なルールはどこに行っても不明瞭なままだ
昨今のカードゲームは1試合の時間をある程度抑えることを前提にしている
なので1ターンごとの動きはシンプルであることが多く、ターンを進めるうちにできることが増える
この利点はターン経過とともにプレイヤーの主導権が変わり、初心者でもある程度の動きをできる点にある
けれど、最初の方は数秒で終わることも多いため、ターン数があっても試合時間はそれほどかからない
特に1ターン目は徹底した展開やサーチなどをするため、デッキや手札の入れ替えが大量に発生するしモンスターは場を行ったり来たりする
よって1ターン目なのに5分近くかかるなんてのも一般的だ
そしてようやく後攻に回っても、さらにそこから展開、妨害と続いていく
遊戯王は1ターンで他のカードゲームの5ターン分以上のことを平気でするからこうなってくる
こうなってくると初心者がカードを触れる時間は本当に限られてくる
理解している人には楽しいのだが、結局楽しさが初心者に伝わるまでに試合は終わってしまうのだ
ターンプレイヤーは常に展開をぶつぶつとつぶやき、片方にとっては退屈な時間が初手から流れる
正直、遊戯王プレイヤーはコミュニケーション能力がほぼ欠けている
ゲームがうまい下手より、むしろこういうゲーム性を否定する人の方が遊戯王プレイヤーから攻撃を受けるケースが多い
対話をしないことが標準の遊戯王では、対話をするかどうかに関して本当にもめる
これは一定期間で区切り、その中で発売されたパック等だけを使う遊び方だ
そうではなく昔からあるカードを使えるのは、レガシーなどとも呼ばれる
もちろん多くのカードゲームがずっとカードを使えることはユーザーにとってメリットになるとはわかっている
しかし、最新カードを売りたいのと、インフレを抑制して初心者にも入りやすいようにスタンダードなどの名称でフォーマットを区切ることが多い
遊戯王にこう言ったフォーマットの概念がないことは明確なメリットである
例えば昨今は禁止制限が目まぐるしく変わるが、禁止から復帰したカードで活躍しているものはどれだけあるだろうか?
あれだけ伝説級の活躍をした「ドラグーン・オブ・レッドアイズ」は制限復帰後は一切見かけることがない
もちろん使うデッキが強いからこそ活躍できたのだが、だとしてもこの状況は元禁止カードとは思えないし、なんなら明日から3枚使えたとしても誰も使わないだろう
ようするに現環境はドラグーン・オブ・レッドアイズが活躍できた環境をとっくに飛ばした高速環境だ
恐らく3年くらいたてばあのティアラメンツが全て戻ってきても、環境には入らないと予想される
そのくらいに遊戯王はインフレをインフレでカバーする運用がされている
本来、スタン落ちなどのフォーマットの細分化はこういった環境のインフレを抑止して誰でも楽しめる一定のレベルを確保する目的で作られる
そうすれば「最新パックを買えばとりあえずみんなと遊べる」安心感が得られるのだ
もしもフォーマットが1つなら、過去の強力なカードがなければデッキとして成立せず勝つ楽しさが味わえない
しかし遊戯王は強力なインフレによって最新カード=環境ともいえるくらいになっている
事実上、ここ数年に発売されたパックだけでも十分に環境入りしている
インフレをハイパーインフレが超えるから常に最新のものしか遊ばれない
とはいえ、古いカードすらカテゴリー化して新規を加えることでハイパーインフレの波に乗せてしまえるので、本当にフォーマットが1つだけでよい
こんなことをできるのは遊戯王くらいだ
それは25年以上かけたつくられたカードプールとインフレの流れがあってこそだ
普通のカードゲームはインフレが始まるとユーザー離れをおこし、それを調整しようとしてさらにユーザーが減ってしまう
だからこそ、一般的なカードゲームは禁止制限一つとってもユーザーへの配慮や説明を怠らない
ときに「○○はデザインを失敗しました」と言い切ることも必要だ
何の説明もなく制限リストだけ出して終わるなんて特級呪物級は遊戯王以外にはありえない
もし、遊戯王がフォーマットを分けていれば「〇〇フォーマットが死んだ」 などと「あのフォーマットはオワコン」と内部分裂しているだろう
適度なブレーキと毎年加速するハイパーインフレは1フォーマットだけで完結する遊戯王のスタイルでしか成立せず、それ以外のゲームが真似することは不可能だ
けれど他のカードゲームからすれば見えている地雷を踏みつけてジャンプしているようにしか見えないのだ
大抵のカードゲームがMtGのやり方を学んでいるのは、遊戯王を見ても何一つ真似できるものがないからだ
MtGも多くの失敗と成功を重ねているが、そのどれもが時系列で並び明確化している
最近だとナドゥやモダホラの失敗もあるが、これ自体も公式がきちんと見解を出している
こういったものが良くも悪くもカードゲーム全体に影響していることであろうことは明白だ
いったいどれだけのゲームが遊戯王のルールや裁定のみの運用をしていると思っている?
例えば「特殊召喚」という言葉を使ってるのはゲートルーラーくらいだし、あの大ヒットしたワンピカードにも Permalink | 記事への反応(14) | 02:13
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諦めることが苦手だ
例えば好きになった異性を諦めるの苦手だ
4年くらい引きずる
告ってだめになってからずーっと引きずる、切り替えができない
10年以上死に物狂いで仕事したから、上位数%くらいの年収はあるんだけど、全然足りてない
ここらへんで満足するのが幸福につながるんじゃないかと思うんだけど、諦める方法がわからない、苦しい
執着して切り替えができない
一部の周りからは「努力家」みたいに思われてるらしいが、ちがうんだ、心が弱いんだ、走る足を止められない
頑張ってると安心するじゃん?頑張らないのが怖い
物欲や食べたい欲あたりはコントロールできるんだけど、ものによる
上手くいかないじゃん
あーだめなんだ諦めよ、で終わらない
たぶん方法が全部無くなったら犯罪も検討に入れていくと思う、非人道的な方法もやりかねない(今のところやってない、というか今って犯罪儲からないからね)
たぶん、自分の中で幸福の計算式があるんだよ、「結論:年収を上げる」みたいな
でダメだったとき、もう一回計算式考えるんだけど、結果同じ答えになるんだよ、「結論:年収を上げる」
他の発想が出てこない、出てきたとして「それは酸っぱい葡萄だ」とか言って却下する
で、疲れて休むことはあっても「やらなきゃ」となってまた走り始める(美談ではない、本人は苦しい)
こまる
もう少し柔軟性が欲しい
皆どうやって諦めてるのか、それとも俺と同じで諦めてないのか
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いや成功すれば良いんだよ?失敗しつづける場合それはほんとに短所
せめてそれが人生の夢ならいいんだろうけど、大抵「金あったら楽できそう」みたいなしょうもない話だからね
ああ、そうかこれ「頑固」なのか!
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極端な話
アクセルしか持ってない人、ブレーキしか持ってない人、アクセルとブレーキを持ってる人が居ると思う
アクセル踏んで前に進まなかった時、更に踏むタイプ、アホなのでは
ーーーー
自慢ではないよ
根気よく粘り強くやってる人もその人の地獄があるんだと思う、頑張れば幸せになれると思ってた、ままならないね
結局成功できりゃいいんだが
朝に嫁と喧嘩をして、コミュニケーションのことを考えてて、当たり前なんだけど自分なりにハッとしたことがあって頭がまわっているうちに整理して書いておこうと思う。
コミュニケーションって人の関係性によって変化するポジションって概念があるよなと気付いた話。
ポジションが何なのかって言葉にしにくいんだけど、会話における仮想的な立ち位置のことで、たとえば上からものを言う人はその関係において偉い人としてポジショニングしているし、相手を尊重して/軽蔑して会話するのもポジショニングのひとつだと思う。リアルな世界はX,Y,Zの3軸だけど会話のポジションの軸は無数にあって人によって見えてたり見えてなかったりしていると思う。自分がどこに立って会話しているのか、相手がどこに立って発言してるか、これらをどれだけ客観視できているかがコミュニケーションの根本にあるのかなと思う。そして、客観視することにもレベル感があって、長く会話できる人ってこのレベル感が似てるんじゃないのかなと思った。人のコミュニティってだいたい似たもの同士で集まるなと感じていたけど、価値観が似てるから集まっているというより、このあたりの感度が同じだからと考えるほうが自然になのかなと思った。
はじめましてのニュートラルな関係から、時間を重ね人間関係が構築されるにしたがってポジションも変わっていくんだけど、その過程でしっかり意識すればある程度コントロールできるのかなーと思う。自分自身で意識するだけでなく彼氏彼女と衝突することも重要で、というより井の中の蛙と同じ知らない世界は見えないものなので、そうやって認知してくぐらいしか無いのかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20241104134937
繰り返す彼氏がいる増田の話を自分に重ねてたけど、完全に彼氏側が自分だ。今日の朝の嫁は今までで一番に怒ってた。なんども同じことでぶつかっているので、ため池にいるスレたブラックバスのようになってると思う。そんな様子だからイライラもエスカレーションしているんだと思う。私は何もしなくてそして邪魔ばかりするらしい。そしてあなたが居る意味がないとも言われた。が、良い未来を作るにはどうすればいいか?その目的で会話してくれてると信じてるし、私もそうする。そうでなければなんのために会話しているのか、意味がない。
と、これを書きながら、こうすればいいのかなと思う方法がうかんだので、それもメモしておく。
嫁が怒ることは決まって同じで、「自分は悪くないにするな。ゼロにするな」このような主張をしていて、それに対して、おたがいに問題がありどちらとも治していく話も、私の問題だけを主張し私が悪い話だけをするので「全部私が悪い話にしないで」で、ぶつかる。嫁が始めた会話は嫁が解決したい話をする場であるので私の問題だけにフォーカスして会話をする。お互い様の話としたいのなら私の責任で嫁に声をかけ会話をすればよいといったスタンスでいるので「(嫁目線で)私もここが悪くて治すから、あなたのここ直してね」の話は必ずならない。おたがい様であろうともその主張をすることは、嫁の主張をブレーキをかけることになるのでぶつかるのは当然である。
と言った問題があったのだけど、会話の最後にこれから変えることをお互いに認識するのが良いように思った。「○○を変える/変えようと思う。あなたは行動を変えるの?」と。変えることがないならそれで良い。私だけが治すならそのことを認識することが次につながる。これを提案してみよう。
俺も頑張ってきたんだ。だけど何かがいつも俺にブレーキをかけるんだ。「無理するな、お前にはできない、その程度のことやってどうするんだ」と。内なる声はいつもおれの集中や頑張りの邪魔をしてきた。深く考えることができない。思考停止になる。難しいこと、ストレスのかかる状況では眠くなってしまう。それでも何か結果を出したいと思ってやってきたのに。いつかは大きな結果を出したいと思ってきたのに。あいつはあんな小さな成果を嬉しそうに報告しやがって、羨ましい。その程度のこと俺だってやればできたんだ。俺の中の誰かが邪魔しなければ。おまえのそんな小さな結果は役に立たない。むしろ穴だらけで全然詰められていないじゃないか。俺にはわかるんだ。指摘してやる。俺は決してお前の努力を認めようとしてないんじゃない。このくらいの成果でお前には満足して欲しくないから言っているんだ。そんなもの俺ならもっと、できる姿が描けるんだ。そういうことだっていつかやろうと思ってたのに、雑用ばかり押し付けられた俺はできなかった。俺はかわいそうなんだ。俺がやってる雑用をお前にやらせてやろうか。そうしたら俺だってお前ぐらいの成果なんて出せるんだからな。今に見てろ。俺は認めない。
ってかんじじゃないかな。
外の世界って無限にトラブルの種が潜んでですごすぎる 通りすがりの人に急に殴られるかもしれないし、車運転してたら急に追突されるかもしれないし自分がアクセルとブレーキ踏み間違えるかもしれないし、食べ放題のセルフサービスで料理を運んでたらうっかり落としてしまうかもしれないし、鳩のフンの当てにされるかもしれないし。対して自室は平和すぎる
そうでもない。何故なら軽自動車に大きいエンジン積んで外国で売っているから。外国の大きな需要を捕まえなきゃ行けない。
もう少し詳しく話をすると
と言う訳で、軽自動車規格はそろそろなんとかしなきゃなんない。
ただ、軽自動車というのはサンダルと同じで、これがないと生活が成り立たない人も多いから規格廃止とかはない。
そこで、現状の軽自動車規格はそのままに、次が1.5Lまでといきなり税率が上がるのではなくて、その中間ぐらいの規格(≒外国のコンパクトカーと同じクラス)を作って、段々とそこに移行させると言うシナリオが前から言われているんだけど、そう言われているうちに、国内市場が萎んでいくし、電動化でそれどころじゃないみたいな感じになって放置状態なのが今なんです。
ただ、自動車工業会は 車課税を重量基準に一本化の改革案 を要望していて、この中に0.66L~1.5L の間の車も存在できる様になり、軽自動車以上普通車未満ぐらいの維持費のやつが出てくれば変わってくるかもしれない。
今日は、家を出発してからのサイクリングの冒険についてお話ししようと思います。20キロの旅を計画していた私は、イベント開始前に到着することを夢見ていました。しかし、現実は私の期待を裏切りました。到着した時、すでに会場は車と人で賑わっていました。結局、自転車で1時間半以上もかかってしまったのです。
「何が起こったのか?」と自問自答していました。原因は、ヒルクライムを強いられるコース選択にありました。特に、山道を試みたことが大きな過ちでした。じつ力不足で自転車を押して歩く羽目になり、急坂は予想以上に厳しかったのです。下り坂では、自作自転車のディスクブレーキが信頼できず、思うようにスピードを出せませんでした。さらに、全体的に登り坂が多いコースだったため、予定よりも遅れてしまいました。
この日の教訓は、自転車のブレーキを信頼することと、コース選択の重要性です。次回はもっと慎重に計画を立て、ヒルクライムに備えた準備をしておこうと思います。それにしても、こんなに遅れるなんて...まさに「なんてことだ!」の一言に尽きますね。
思い立ったので書く
https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
多くの自動車メーカーに影響を与え、後に自動車のスタンダードとなるような技術・理念を持つことを選考基準とした
世界初のガソリン内燃機関を動力とする3輪自動車。現代の自動車の始祖にあたる。
自走式の自動車はモートルヴァーゲン以前に前例があるものの、馬車を改造したものでしかなかった。機動性と実用性を考慮し、ドライバーが手足のように操作できることを念頭に開発された自動車は、モートルヴァーゲンが初となる。「バランスを取ることなく、ドライバーが自由にコントロールできる自走式の乗り物」を自動車とするならば、それを定義したのがこのモートルヴァーゲンといえる。
発明者のカールベンツはメルセデス・ベンツ創始者の一人。その妻であるベルタベンツは1888年、旦那に内緒でモートルヴァーゲンを持ち出し、息子2人と長距離旅行(実家に里帰り)を敢行。ガソリンスタンドなど無い時代に、幾多の故障とトラブルを乗り越えながら往復200kmの長距離走行を成功させている。この時の経験は、モートルヴァーゲンの改良に大いに役立ったという。
世界初の大量生産車。ヘンリー・フォードによるライン生産方式の発明により、一部の富裕層の乗り物であった自動車が大衆のものになった。自動車史のみならず、人類の歴史にに大きな足跡を残した偉大な車である。
大成功を収めたフォードであったが、その十数年後にはゼネラルモータースの台頭により、フォードは窮地に立たされることになる。
いわゆる「ビートル」。基本的な設計を変えないまま2003年まで生産された。累計生産台数は2152万9464台。フルモデルチェンジを含めない単一車種の生産台数としてはぶっちぎりでトップ。
この車の偉大さを伝えるにあたり、長ったらしい解説は必要なし。世界中で広く愛され、たくさんの人々の生活を支えた。
世界で初めて衝突安全ボディを採用した車。衝突時に車体を意図的につぶすことで、衝撃を吸収し安全性を高める。
今では当たり前の技術だが、その当たり前を作り上げ沢山の命を救った功績は大きい。
3点式シートベルト(現在一般的に使われているシートベルト)を世界で初めて標準装備した車。ボルボは「安全は独占されるべきでない」としてこの特許を無償で公開。その結果3点式シートベルトは急速に普及し、世界中の自動車の安全に大きく貢献した。メルセデス・ベンツとともに敬意を。
スポーツカーとしての高い走行性能と、人や荷物を載せる実用性を高い次元で両立させた車。高級スポーツカーとしては珍しくルーフキャリアが装着可能で、荷物を屋根積みすればスキーやキャンプなどレジャーにも使える実用性を有する。初代の発売から現在に至るまで、世界中の自動車メーカーにとってスポーツカーのお手本であり続けている。
エンジン横置きFF(フロントエンジン・フロントドライブ)大衆車の先駆車。コンパクトな車体ながら広い室内空間を確保できるこのパッケージングは、現在の自動車の主流となった。
BMWにブランドが買収された後は、様々な自動車メーカーが挑戦し失敗し続けた「小さな高級車」を初めて成功させたブランドとなった。
フェラーリの創業者エンツォフェラーリが最後に手掛けたスペチアーレ(限定モデル)。希少価値を高めるため「欲しがる顧客の数より1台少なく作る」ビジネスモデルは、高級車はもちろん高級時計やブランドバッグなど、ラグジュアリーブランドビジネスとして今では一般的な手法となった。世界最強の高級ブランドフェラーリを象徴するF40は、自動車業界の枠を超えて特筆するべき製品といえるだろう。
世界初HV乗用車。初代プリウスは赤字覚悟の実験的なモデルだったが、2代目プリウスは商品力を高め大ヒットを記録した。
近年のトヨタはEVの販売が積極的でないため脱炭素できていないと叩かれがちだが、発売から現在までCO2排出削減に最も貢献した車は、他でもないプリウスである。「良い製品でも売れなければ意味がない」というトヨタの考えを地で行く名車。
走るスマートフォン。もはや自分で運転する必要などない時代を予感させ、モートルヴァーゲンが定義した自動車の定義を覆そうとしている。トヨタが「自動車メーカーからモビリティメーカーへの変革」を目指すようになるなど、世界各国の自動車メーカーが経営戦略の転換を迫られた。
また、テスラの運転支援技術が悲惨な事故を引き起こすなど、自動運転技術が普及していく過渡期として重要な出来事も引き起こしている。良くも悪くも、今後自動車史における大きなターニングポイントとして語られることは間違いない。
・1920年代のゼネラルモータース(シボレー、キャデラック等)
たくさんのブランドや車種を展開する販売戦略(多品種少量生産)やオートローンなど、現在は当たり前になっているマーケティング手法を生み出した。自動車史において非常に重要であるものの「これ!」となるような特定の車種を選ぶことができなかったため選外とした。
夢のエンジンと呼ばれたロータリーエンジン。世界中の自動車メーカーやオートバイメーカーが研究したが失敗。唯一実用化に成功したのは、東の最果てにある小さい自動車メーカーだった。高く評価されるべき技術だが、広く普及した技術とはならなかった。
ちなみに、ソ連がロータリーエンジン車を生産していた事実はあまり知られていない。一説によると3ローターの市販車は、マツダではなくはソ連が初だとも言われている。昭和51年にマツダがソ連技術者に工場を案内したことがあるらしく、その際に技術流出した(らしい)。
油圧サスペンションやモノスポークホイール、流線型で宇宙船のような外見など、意欲的な工夫が多数盛り込まれたシトロエンの傑作。特殊な車に見えるが、大衆車として145万台以上生産された。
誰もが認める名車だが、マツダロータリーと同じく一般的な技術として普及しなかったため選外。
ちなみに、油圧サスペンションの油圧はブレーキやパワステ、トランスミッションの駆動にも使われているため、何らかの原因で油圧がかからなくなると、最悪サスペンション、ブレーキ、ハンドルすべてが利かなくなる。
・メルセデス・ベンツ ミディアムクラスW124(1985年)
「最善か無か」最後の時代のメルセデスとして名高いW124型ミディアムクラス/初代Eクラス。安全性を最優先に考え、最善の自動車を実現するべくコストをかけて徹底的に開発された名車。世界中の自動車メーカーの研究対象になった。
しかし、日本車の躍進や東西ドイツ統合による経済的混乱などの理由で、メルセデスベンツはこの車以降、コストをかけた車づくりをあきらめることとなる。
日本車の高級車市場進出の象徴ともいえる一台。この車が出るまでは日本車=安くて丈夫な大衆車だったが、それを覆した。きわめて静粛な車内と乗り心地、そして高いクオリティに対する値段の安さは、全世界に衝撃を与えた。メルセデスが「最善か無か」の車づくりをあきらめたのはこの車が原因。
世界中の自動車メーカーが不可能と思われていたアメリカの環境規制、マスキー法を初めてクリアした名車。ホンダが北米市場で躍進するきっかけとなった。
ちなみに、マスキー法はビッグ3(フォード、GM,クライスラー)の反発により実質的な廃案となる。アメリカの環境規制がマスキー法同水準に達するのは、1995年になるまで待たなければならなかった。
アフリカや中東、南米ジャングルの奥地...。どんな場所でも生きて帰ってこれる車。厳しい環境で、農業や鉱業、人命救助などに活躍している。この車がないと生きていけない人が、世界中にはたくさんいる。
開発者インタビューによると、地引網漁に使われている事例もあったらしい(ランクルで浜から海にざぶざぶと入って網を投げ、引き上げる。釣った魚を売る時にも使う)。
パワーがないけど、軽量で安く走る楽しさにあふれるスポーツカー。デビュー当初、この類のスポーツカーは瀕死寸前だったが大ヒットを記録し、数々のフォロワーを生み出して今に至る。