「無意識」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 無意識とは

2024-11-21

anond:20241120231830

さっきChatGPTが間違った回答したもんだから

何で間違えたんだ!って問い詰めたら

すいません。無意識にやってしまいましたって答えたぞ

もう意識あるんだよ

もう始まってんっだよ

ご冥福をお祈りします

anond:20241121091532

映像作品を適切に評価するって、まじめにやると一つの学問から

評価手法を学ばなければ、適切に評価することはできない

大抵の人は、自己流の評価手法無意識確立してるけど、国語数学みたいに共通ベースのうえに成り立ってる訳ではない状態から、まさに1人1派状態

それを前提に擦り合わせていくしかない

2024-11-20

記録: 音楽危険 2024-11-20

未来の君に伝えるために記録を書く

音楽危険

イヤーワームと化し、君の知性を猿のレベルまで停滞させる

量子力学問題を解いている時、「ド・ソ・ファミミ・ファ・ファ」のリズム無意識に口ずさんでいた

こんなことがあっては、流石にAvexに問い合わせずにはいられないだろう

僕はAvexにそのリズムがどの曲のものであるかについて電話で聞いたが、応じてくれなかった

このままでは、僕が頭をおかしくして裸体で外を歩くようになるまで時間問題

誰か、僕を救って欲しい

2024-11-19

親を救いようがない

現状を投下するので気兼ねなくコメント欲しい

登場人物

筆者(28歳女、会社員

母(パート主婦

妹(パン職)

父(故人)

彼氏(筆者の恋人最近久しぶりにできた)

【要旨】

母を毒親とは決して思わないが、母を尊重すると自分幸せが低減するのではないか?と現況を振り返ると思うのだがどうか。なお、老いる母より当然自分の方が大切である承知しており、行動への移し方を模索するもの

最近のあらすじ】

父は3年前に、2ヶ月でコロっと病死。当時4年間一人暮らしをしていた筆者は実家に帰り(首都圏仕事は全く同じもの継続できた。幸運)、まだ学生だった妹と母を扶養に入れた。保険金だの色々あって、筆者本人の生活苦はなし。母も得た資産を切り崩しながら生活

翌年春妹が就職し、扶養から離脱(そのまま同居)。

母は傷心や手続等の煩雑からしばし無職

今年本格的にパート再開。筆者は家事ほぼゼロで、母に多分に世話になっている。

【発生した問題点

登場人物紹介で大体察しつくと思うが)母が筆者の彼氏との恋愛に反対する。批判嫌悪、怒り、悲しみ、自棄、脅迫がみられる。

批判

近場の男とつきあうのは短絡的(同級生

年収が低い(筆者比)

嫌悪

気持ち悪い、セックスするんだ

筆者の容姿性格面、経験から恋愛するに妥当でない(妹はOKらしい)

自棄

死んじゃおうかな

脅迫

家を売るから

ペットに会わせないか

家事は一切やらない

情緒面などの諸情報

夫婦関係はここ10年は悪く、母は金銭苦をいなしつつ、無私の愛を注ぎ子育てをしてくれたと思う。(自分のための買い物、おでかけ、30年殆ど皆無。寿退社し父の仕事手伝いかパートのみ。)

はいい所もあり、残された家族理解するところだが、性格は難ありと言わざるを得なかった。晩年は減ったがよくどなる、無計画な消費(母の貯金を使うなど)

それに、死んでから浮気をしていたことが携帯からわかった。母と筆者だけの秘密とし、母は妹にはとても言えないとのことだった。(何となく伝わる所はあると思う)

母は文句を言いながらも40年一緒にいた父との突然の死別と、彼の裏切りどちらにも耐え難いショックを受けた。特に通院、服薬はなし。

妹は四大を出て知能は正常だが、自己愛ぽい所がありたまの激情で手をつけられないことがある。家電を壊したり、母を殴ったことがある。彼氏ができ、社会人になってかなり落ち着いてきた。近々遠方の彼氏と添い遂げるのだろうと思う。給料安い。

筆者の性格は細かくは文章から読み取ってもらうほかなし。ハイパー自己なのは確実。倫理観も少し怪しい

父のようになるまい、と思い自営ではなく頑なにサラリーマンに拘ったりした。でも、最近一部似てきているらしい。あるある

非常に楽だけど、生理不順が凄いなと思いある時婦人科に行ったら「血液検査結果が排卵してると思えない」と言われた。無排卵不妊なのかもだが、通院はロクに続かなかった。元よりてんで子を成す願望がなく、不妊の身を悲劇と思うこともできない程。調べて調べてできるなら治療して、子供を産みたいなんて欠片も思わない。(母の子育てが辛そうだったから筆者に影響した、のは理由の半分位になりそう)

ということで、年齢を理由結婚を急ぐこともないのだ。それでも、共に生きるパートナーってのを作ってみたいのだ

母の名義になった土地と家は、父の思い出が詰まっているし、家としても魅力的。金融資産は妹に、処分のこと含め家は筆者が請け負いたい!と話すこともある。

彼氏10年超のつきあい恋人になったのは最近。筆者の血族とは無縁の軟派な性格だが、尽くすタイプ上記諸々の筆者自身の難点は許容。今は控えめだが理系国立院卒会社員のどこにケチをつけようというのか?

母について細かくは打ち明けず。筆者の話術で、彼氏のことはいくらでも筆者の味方にできてしまいそうだから。親との同居はどっちのとも絶対しない。

【筆者の個人的分析

もとより母は子供との自他境界に少し難点があったと考えている。母の無私の半生や失われたキャリアを思えば、それなりの学歴職業を得ていく筆者のストーリー移入するのは異様なことではないはずだ。個別エピソード卑近のため割愛するが、親と距離を取るのが仲良しのコツと思って実家を出て、結果そうだったので、同居が軋みの理由として大きいのはわかっている。

よくネットで見る記事のように、無意識に娘を蹴落とすだの、不幸になるように誘導するだのは全くなかった。筆者の恋愛を機に「明らかにおかしいな」という発言が増え、筆者としても耐え難い状況となった。

これは筆者が娘から他人の女となり、自分のもとから金銭的にも精神的にも離れようとする娘、という構図に耐えられないからではないか?娘には未来があるが、自分にはない。娘はどうやら愛されようとしているようだが、自分は金輪際得られない。

この辺りが標題で「救えない」と思うに至ったもの。死人に挽回余地はないし、大人ましてや老齢になって性格が変わることもないだろうし、パート主婦に一軒家を維持するのは10単位では難しい。筆者の扶養や援助なしでは。友人関係もかなりシュリンクしてしまっている。

母の母、祖母看護師でよく外で働き、家事は疎かなタイプだったそうだ。筆者にも母にも一部愛着問題がある気もする。素人見解

【直近、今後の展望

2ヶ月程前に筆者が一度爆発。前から逐次進展を仄めかす度に反対されていた彼氏交際開始を告げた瞬間「出てって」と言われたため。父譲りの爆発的な行動力賃貸内見を即時予約し「出ていく」と宣言して荷物まとめを開始した所、「お願いだからすぐに出ていくのはやめて」「元の生活、接し方に戻すから」と態度を一変させ、沈静化。

しばらくしてまた上述の嫌悪批判が復活してきて、どうしたもんかと思い筆をとった。

「私とママは別の人間」「私は自分幸せを取るから」「自他境界おかしい」直接遠慮なしに言葉をぶつけもした。言いたいことはどんなに相手を傷つけるっぽいことでも言えるし、やれてしまいそうなのだが、どうやら良心か打算か、筆者が今涙でベチャ濡れでこの文を打っているように、ひとに吐露したいものがあるのだ。かしこぶってとんだ悪文で申し訳ない。

父が死んで途方にくれる母と妹とペットを、たしかにあの時は守りたいと思って実家に帰ったはずで、母が憎いとか愚かだと思う反面、哀れだ、大切だ、できることはしたいと思う気持ちもある。でもそれは、今家事をやってもらったり、母が「便利だから」そう思っているだけだったとしたら?

母や家を捨てて(あきらめて)新生活スタートさせたとして、最初は悲しいけどコロっと切り替えられるかもしれないし、20年とか経って取り返しがつかなくて泣くかもしれない。

最初に書いた登場人物、全員が、うまい具合にいく方法が、あるって信じたい。円満にことが進めば家を出た後も親に仕送りしたいし。実家の近くに住むし。

マジで何で死んだんだ親父は。普通にクソ野郎だったのに死んで幾分か美化されて英雄になった。気持ちが切れそうで、この2年ずっと仏壇の前にあまり立てない。

今日もできるだけ未来の話はしないようにして、朝と晩に母に世話してもらって、仕事に出かけている。

anond:20241119001556

情報スピードが早くて理解が追いつかないっていうのと、頭で理解する時に文章より先に自分の気になるワード無意識に割り込んできてそっちに気を取られて発言する、みたいなのはあるかもしれない

2024-11-18

anond:20241118123443

壁ドンとか黒イケメンとかさ…。

それらが求められてるのはフィクションの中だけ。

たまに勘違いされるけど、別に無意識理想フィクション投影してるわけじゃ無いので。悪しからず。

AI推進派vs反AI、結局は発達障害同士の争いだった

11/15のX利用規約改訂における「AI学習」にまつわる問題で、ここ1ヶ月ほどずっと

の争いや混乱を眺めてきた。

ただクオリティの高い絵が流れてくるTLを見て時々イラスト投稿たかっただけなのに、そんな宗教戦争(もうこう形容するしかない)に巻き込まれてきた。

そこで気づいたことがある。


こいつら全員発達障害悪人だ。

だって定型インターネットお絵描きにもAIが抱える問題にもクソほど興味ないんだからTikTokとかmeituとかchatGPTで無邪気に遊んでるぐらいだし。

程よい距離を取れずネットに張り付いてる奴はもれなく精神に何かしら障害を抱えてると言わざるを得ない。

今回の件でも比較的冷静に判断して対処してた勢力はみんな売れてるし、コミュニケーションも取れて業界内外の人脈形成にも成功していて、事務作業能力コンプラ意識もある、定型寄りの人たちだ。

結局ガイジにはネットにもリアルにも居場所はない。


まず、私もASD自閉スペクトラム症である

障害年金を受給してるレベルだ。

一応ファンアート程度は描く絵描きだと自分のことを思っている。

そして最初絵師応援たかったし、AIイラストは疎ましかったが今は登場人物全員憎い状態になっている。

もはや反AIでも反反AIでもなく人間だ。

人間という生き物の醜悪さを今回嫌というほど再認識させられた。


元々私はレスバの空気精神を影響されやすい。自分メンタル管理できない。だから診断が下るのだ。

最近のXのおすすめタブもそうだ。

ASDHSP気質のINFP(たまにINTPになる)の人間に対戦型SNSは向いてなかった。だが、怒りには中毒性があり無意識時間を取られて追ってしまう。

目を離してる隙に議論が進み、公開アカウントを叩かれてたらどうしようと気になって仕方なくなり、14〜17日は風呂キャンキャン寝落ち生活余儀なく続いた。お陰でこの数日間で1.5キロ体重が落ちた。

他責思考だが、自分で絵を描くモチベーションもこいつらに食われてしまった。

自分で認めるものではないが、もはや鬱とも言えるだろう。


今回特に目立ったのは「前々から危惧されていた絵師社会性なさ」「技術職のサイコパス加減」「AIを頭ごなしに非難してインプを稼いだりファンネル飛ばしてくる反AIの厄介さ」「全勢力におけるとにかくただ乗りしたい乞食精神である

これのせいで、どんな絵を見ても「ウォーターマークノイズ如きで対策できた気になってるの馬鹿じゃないの」「逃げるな卑怯者」「対策の一つもしないなんて随分呑気に危機感も持たずご自身作品蔑ろにしてるんですね」「結局こいつらも身内から村八分にされたくないだけだろ」「お前は3D素材とか使わないんか?なんならこっそりAI補正してんだろ」という感情が同時に発生するようになってしまった。

いわばイラスト好きの絵師嫌い状態になってしまっている。

自分権利侵害二次創作とそれによる収益発生、画像リプ、MAD視聴、クソコラ否認可のスクショ掲載他)をしておきながら自分権利だけ振り翳す絵師軍団ダブスタと罵っていたが、私も変わらないじゃないか

まぁ、そもそもこれらはAI関係なく人の手によって昔から起きてた問題でもあるんだから、結局人間が悪いんだが。

先ほども言ったが、この状態は軽く鬱に片足突っ込んでる気がする。非常に良くない。


技術職にはASDが多い。

人の心がわからない。

なんでも正論で返して人を傷つける。

技術の発展のためには何を犠牲にしてもいいと思っている。

何をしたら人が傷つくかわからない。

パターンから外れたことを人や周りがしてくると混乱して発狂する。

脳死作業しかできない。

コミュニケーションが取れず孤立する。

対人関係自体に乏しいのにトラブルを起こす。

プライドが高くてごめんなさいが言えない。

エナドリで体を破壊する。

よく夜職女にチー牛と揶揄されてる人間性の正体はこれだ。


なお、エンジニアには調整能力交渉能力のような営業職じみたスキルが求められるため、キラキラ陽キャ定型の方が向いている。ここで指す技術屋(反曰くテックカス)はプログラマーのことを言う。

かにプログラマーの人間なら人脈がなくてもクリエイターごっこできる、ポチポチプロンプトを入力する作業が肌に合ってるんだから生成AIにハマるよな。


そして絵師、というかクリエイターにはADHDが多い。

まず事務作業ができない。

約束納期契約)が守れない。

その場の衝動ですぐに行動していつも後悔する。

それ故の対人トラブルが多い。

ODで体と心を破壊する。

都合に合わせて主張をコロコロ変える。

泣けば誰か助けてくれると思ってる。

プライドが高くてごめんなさいが言えない。

すぐファンネル飛ばし信者コミュニティを作り上げる。

そのわりに統率が取れてないのですぐ瓦解する。

まるで美術部や漫研に属する中学生女子みたいなメンタリティだ。そのまま大人になってしまったのが哀れで仕方ない。


どっちも社会性に欠けており、わがまま自分の思うように事が動かないと癇癪を起こしてしまうのは共通している。

そしてリアルの友人や家族よりフォロワーになってる。フォロワーなんてただ見てるだけの存在で内心何考えてるかわからないんなんだから信じること自体野暮だろう。

きっと現実世界で愛されなかったからここにいるんだね。居場所、奪われたくないもんね

あとこれは推測だが家庭環境に恵まれていない人がTwitterにハマり、ネットで絵を上げることにハマりやすい傾向にある気がする。今回の登場人物、育ちの時点でロクでもないのでは?

毒親が毒子を育てた典型なのでは?

ASDADHD相互補完で良ペアになるかと思いきや、相互特性干渉してうまくいかないことが多い。

今回もそれなのではないか


私は絵垢とは別のでこれらのことをやんわりと、時には感情の赴くままダイレクト中立寄りとして言及してきた。

そして反AI過激勢力(赤枠アイコン系)に集団ブロックされたり、時には本垢やblueskyにまで追いかけられたり、5ちゃんねるのヲチスレに晒されたりした。話を聞く限り赤アイコン連中のブロック監視リストに入れられてるらしい。

曰く、中立派は多少たりとも現行のAI悪感情を持ってないようであればいくらでも叩き潰していいし、どちらの味方もしないクソコウモリ野郎から話を聞く価値もないとのことで反AI勢力誹謗中傷しまくってるがお前ら目的間違えてないか

倒すべき相手違法に取り入れたデータ学習し生成させているAI企業であって、その辺でなんか喚いてる一般人ではない。分かってるのに何故根本解決に動くよりも、何も得られないレスバに力を注ぐんだ。


ここを見れば各々がどんな主張をしているか嫌でもわかると思う。

正直、両者の主張も理解できるし言い過ぎだと思う。


AIイラスト 愚痴アンチ、賛美スレ part206

https://itest.5ch.net/mevius/test/read.cgi/illustrator/1731757051/

【Nore more 生成AI画像生成AI信者ヲチスレ_130【AI○○】

https://itest.5ch.net/lavender/test/read.cgi/net/1731727015/

(いずれも2024/11/18時点)

人間丸ごと嫌いだ。

どいつもこいつも自分のことしか考えてなくて、他人のこと踏み台にして、都合のいい解釈をして、根本的な解決よりも気に入らない人間を叩き潰すことの方に本能的に精が出てしまう。

ダブスタ連中め、絶滅しろ

AIAIさえなければこんなことにはならなかったと言うが、そもそも人間さえいなければ争いは起こらなかったのではないか


まどろっこしい。

早く絶滅しろ人類

こんな醜悪な生き物をこれ以上この世に解き放つな。

そんなことを人間が作った建物の中で、人間契約した賃貸で、人間が作った服を着て、人間が作ったスマホを介して、人間が繋いだネットワークを利用して、人間が作ったコミュニケーションサービスイラストのことを考えながら一応人間が思って書き込んだりする。

これら、やろうと思えば全部機械代替できるじゃん。

どの派閥においても、人間の汚い部分が見え隠れしてて嫌になる。

だったら全員死んでくれ。推進派も反AIリテラシー皆無なクリエイターもまともなことやってるつもりの一般人も何もかも全員。

こんな自分が嫌になる。

から今すぐ安楽死合法化してください。

死ぬときぐらい楽になりたいよ

ちんちんピラピラに絡まれた時

チンピラ目的はまず第一に金

・金目的で無い場合は、相手負の感情を与えることと時間無駄にさせること つまり、とにかくなにがなんでも相手の足を引っ張りたいという強烈な無意識がある

対処

・金、時間感情の全てを与えない事が肝要

丁寧語で通す

必要最低限しかさな

情報は渡さな

挑発にはのらない

警察やまともそうな第三者積極的に介入してもらう

ぶつかりおじさんとか、ネットフェミとかネットリンチ大好きな小悪党も根は同じ

2024-11-17

情報信頼性判断する際、私たちは思いがけない認知の罠に陥ることがある。その顕著な例が、AI生成情報評価における逆説的な現象だ。

AI生成の情報は、それと明示されている場合、多くの人々から低い信頼性評価を受ける。これは一見健全懐疑主義のように見える。しかし、同じ情報人間を経由して伝えられ、その出自が明らかにされない場合私たちはそれを驚くほど高く評価してしまう。この現象は、人間認知システムに深く根ざした複数特性が重なり合って生じている。

まず、私たちには権威への根深服従傾向がある。専門家有識者として認識される人物から発信される情報は、その内容の本質的価値とは独立に、高い信頼性付与されやすい。これは進化過程で獲得した、経験者の知識を重視する適応的な特性が基盤となっている。

また、党派性の影響も無視できない。私たち無意識のうちに、自分所属する、あるいは共感する集団の成員から情報を、より信頼性の高いものとして受け取る。この傾向は、情報出自AIであることが明かされないケースでより顕著になる。

さらに、同調圧力が状況を複雑にしている。ある情報社会で受け入れられ、多くの人々が信頼を示し始めると、個人はその流れに逆らうことが心理的に困難になる。これは集団での生存を重視してきた人類社会本能とも言える。

認知バイアスも重要役割を果たす。人々は一度受け入れた情報出自を徐々に忘れていく傾向がある。情報源の記憶が薄れると、人々は無意識のうちにそれを信頼できる人間から情報として再構築してしまう。これは確証バイアスとも結びつき、いったん信頼性確立された情報は、その信頼性を強化する方向で処理されていく。

対面コミュニケーションの影響力も見逃せない。人間を介した情報伝達には、表情、声色、身振りなどの非言語的要素が伴う。これらは情報信頼性評価無意識の影響を与え、往々にして信頼性を高める方向に作用する。

このような複合的な認知特性は、情報社会において予期せぬ結果をもたらす。本来なら慎重に検討されるべきAI生成情報が、人間を経由することで過度に信頼されるという逆説的な状況を生み出すのだ。

この問題対処するには、まず現象存在認識し、意識的対策を講じる必要がある。情報出自継続的意識すること、伝達経路を確認する習慣を持つこと、そして何より、権威集団の影響から一定距離を保つ姿勢重要になる。

情報信頼性は、その出自や伝達経路によって自動的に決定されるものではない。内容自体価値証拠の質、論理整合性といった本質的な要素に基づいて評価されるべきだ。この認識を持ち続けることが、AI時代における健全情報判断の基礎となるだろう。

こうした認知特性理解し、意識的対処していく姿勢は、単にAI生成情報評価にとどまらず、私たち知的活動全般の質を高めることにつながる。それは、技術進化人間認知能力共生模索する上で、重要な一歩となるはずだ。

現代レコメンドエンジン選挙と相性が悪すぎる

斉藤知事投票した10代、20代に比べて中年はてなー時代錯誤wwみたいな言説があるが、断絶があるのはその通り

俺たち中年ネットに比べて、10代、20代が使うyoutubeSNSレコメンドエンジンえぐいんよ

youtube立花でもトランプでもなんでもいいが、ちょっとそっち系動画視聴したらもうレコメンドが先鋭化するだろ。そっちの方が動画を見るからだが。

中年の俺たちは無意識バックエンドの振る舞いを理解して、レコメンドを散らそうとして行動を変えるんだが、

そんなことレコメンドネイティブ若い連中がやるわけない(賢いやつはやるかもだが)

たまに上がる再生数二桁の謎の啓発動画とか俺たちは秒で避けるけど、たぶん避けずに巻き込まれるやつもいるんだよ

もう言うまでもないが、数打てば当たる戦略に飲まれる程度には一般民衆ネットが染みこんでしまった

今の俺たちはイーロンやgoogleやその他ビッグテックAIエンジンに飲まれてて、ダイレクト政治ダメージがあるのが困る

あいつらが理性を持って多様性を持つレコメンドエンジンを開発しないのがマジで悪いのだが、

多分自分らが世の中を動かしているという自尊心に抗えないのだろう、科学を扱えなかった20世紀と同じなんだよこれ

なぜ日本マンガアニメには白人ばかり出てくるの?

気づけば「白人」ばかりのキャラたち

マンガアニメ見てて、「あれ、このキャラ日本人じゃなくね?」って思ったことない?

金髪碧眼、鼻高くて彫り深い顔。おいおい、俺ら日本人が作ったはずの作品だよな?でも見た目はどう見ても欧米系。これ、どの作品でも結構ありがちなんだよな。

たとえばさ、ナルトとか進撃の巨人BLEACHジョジョ超人作品だよね。でも、登場人物の見た目を冷静に見ると、これ日本人?ってなること多いよな。ナルトなんて忍者の話なのに金髪で青い目だぞ。進撃の巨人ミカサも「アジア系」設定なのに顔立ち欧米風すぎて笑えるわ。リアル日本人なら黒髪アジアっぽい顔立ちでも十分カッコいいと思うんだけどさ。

で、気づいたんだけど、これ日本人だけじゃなく、海外の人も同じこと言ってんだよな。「なんで日本アニメキャラ白人みたいなんだ?」って。それってもう、日本人自身が「白人らしい見た目=美しい」って無意識に思い込んでるんじゃね?

白人コンプレックスの正体

ここで一つ考えてみようぜ。なんで俺ら日本人、こんなに「白人っぽさ」に憧れるんだ?

戦後からずっとアメリカ文化に触れてきたってのがでかいと思う。映画音楽ファッション、全部が西洋風だったし、それが「オシャレ」とか「カッコいい」って刷り込まれてきたんだよな。

さらに、マンガアニメも「欧米ウケること」を狙ってる節がある。結局、欧米市場で売れるためには、「彼らに親しみのある見た目」に寄せた方がウケがいい。だからキャラデザイン必然的白人っぽくなっちゃうんだろうな。

でもさ、これって日本人らしさを削ってまでやることか?俺らの文化を発信するはずのマンガアニメが、結局は欧米の影響を受けた「白人っぽい作品」になっちゃったら、それもう日本作品って言えるのかな。

日本人らしいキャラクターの可能

俺らが求めてるのって、本当に「白人っぽいキャラ」だけなのかな?

たとえば黒髪で切れ長の目、ちょっと控えめな見た目でも、内面めっちゃ熱いキャラとか出てきたら、それってすごく共感できると思うんだよな。だって日本人としてのリアル感覚に近いからさ。

それに、海外の人も意外とそういうキャラ好きだったりするんだよ。「日本らしいキャラ」に憧れる海外ファンも多いし、むしろそういうキャラを見たいと思ってる人もいるんじゃない?だからもっと日本独自の美意識を取り入れたデザインが増えてもいいと思うんだよな。

多様性とこれからマンガアニメ

最近多様性が注目される時代からマンガアニメキャラクターももっといろんな見た目があっていいと思う。もちろん、白人っぽいキャラがいてもいいけど、そこに日本人らしいキャラや他の文化を反映したキャラが加わると、もっと魅力的になるんじゃないか

結局のところ、日本マンガアニメって、日本人が作ってるからこその「特別さ」があるはずだよな。その特別さを活かして、日本人らしいキャラクターやストーリーもっと大事にしていけば、世界中ファンも「これが日本作品だ!」って感動してくれると思うんだよ。

どうだ、俺らもそういう未来を期待しようぜ!

2024-11-16

anond:20241116234611

文学風にしたよ

父は正月になると決まって「死んだら終わりだ」と言った。炬燵に突っ込んだ足を小さく揺らしながら、何を見ているのかもわからない視線を窓の外に向けてつぶやくのだ。その言葉を聞くたび、子供だった僕はなんとなくそ空虚さに不快感を覚えていた。正月にはもっと夢のある話がふさわしいはずだし、人生がそこで途切れるなんて考えたくもなかった。けれど、気がつけば僕も同じ言葉を口にするようになっている。年を取るとは、こうして父の言葉無意識に引き継いでいくことなのだろうかと思う。

昨夜、行きずりの女と部屋で夜を明かした。名前は聞かなかった。年末街角で、半ば流れのように出会い自然な成り行きで一緒にいたに過ぎない。彼女は朝になって静かに立ち上がり、玄関先で一度だけ僕を振り返った。口を開きかけて、何かを言おうとするように見えたが、結局何も言わずに扉を閉めた。その後ろ姿を見送ったあと、残った雑煮を口に運びながら窓の外を眺めた。曇り空の下で、近くの神社から上がる初詣の人混みのざわめきがかすかに聞こえる。

「死んだら終わり」という言葉が頭の中で何度も反響する。それは父の声であり、僕の声でもある。いつの間にかそれを自分のものとして受け入れてしまったらしい。ただ、その奥底で何かが不穏に蠢いている気配がする。死んだら終わりであることの気楽さと、その先にあるかもしれない何かへの漠然とした恐れ。その二つが正月の静けさの中で拮抗している。雑煮出汁の味だけが現実感を持ち、僕はそのぬるい温度に救われるようにまた一口すすった。

親父が「死んだら終わりだ」とよく言っていた。

子供の頃はそんなつまらない話を信じる気にもならなかった。

来世や天国があるほうが希望があるし、そのほうが希望も持てるから

でも最近自分も同じことを口にするようになっているのに気づいた。

親子だから脳の作りが似ていて、自然と同じ結論にたどり着くのか、それとも親父の口癖が無意識に刷り込まれたのかはわからないけど。

ただ、こう考えるほうが脳にとっては負担が少ないのかもしれない。

「死んだら終わり」と思えば余計な期待も不安もいらないし、親父もその軽さに惹かれてそう言っていたのかもしれない。

anond:20241115221615

女の人が職場お菓子をくれる理由はなぜなんだろうか?

この増田を書いたのは男性だと思われる。

冒頭に「女の人」という単語を入れることで性別による断絶による不理解という意味合いを入れているからだ。

そうして考えると、もしも男性女性関係なくお菓子プレゼントしてくる会社というものがあるとしたら、その理由考察はどうなるのだろうか?

という疑問がわく程度に、女性お菓子プレゼントしてくるのはポピュラー出来事だと言えるのだろう。

これが男女ともに、だとか男性ばかりの会社なのにお菓子プレゼントするとなると、その理由考察したくなる。

ということは女性お菓子プレゼントするのはポピュラーであり考察するにも値しないことである無意識に考えているということだ。

ただ一方で、女性お菓子プレゼントしない会社というもの存在する。

それは単に規律でそうするべきではないと決められているという理由ではなしに、何らかの事情で、ということだ。

ではお菓子をくれる会社とくれない会社というのとでは違いは何なのか?

これは単純に習慣のあるなし、としか言いようがないのではないだろうか?

そもそも起源不明ながら、昔からお菓子プレゼントするのが習慣の会社であれば、そこの在籍者は自然お菓子プレゼントするのが習慣となるだろう。

逆に、そういった習慣がない会社では、そのお菓子プレゼント起源者となるモチベーションがあるもの以外は、お菓子プレゼントが発生しないものと推察できる。

そして、そのお菓子プレゼントの習慣の拡散女性だけで完結するのはなぜなのか?

という考察はある。

AI寄りの人間が見る絵師AI絵師意見ください)

AI寄りの人間絵師AI絵師の戦いを見て

文章下手すぎますが許してください)

私はエンジニアとしてAIバリバリ使う側の人間です。

ここ数年で、AIツールを使わないプログラミング苦痛さえ感じる体になってしまいました。

IT分野におけるAI活用必然の流れだと思うし、その結果仕事が奪われる未来議論するまでもなく、近い将来に控えていると思っています

同じ考えのエンジニアは少なくないはずです。

ところが、別の分野、特に絵の世界になると、ご存知の通り、凄まじい対立構造が生まれています

毎日のように、X上で激しいバトルが繰り広げられているわけです。

というのも、IT分野でのAI活用とは、文化としての背景が大きく異なりまして、非常にナイーブ問題ではあるのでヒートアップも致し方ありません。

ただ、その対立は、私のように外部からその流れを観測している者からすると、

不勉強から自らの価値を過信し、本来の「師」という言葉からは程遠いにも関わらず自らを絵師と呼ぶ厚顔無恥人間

誰かが作ったクリエイティブただ乗りし、ランダムパターンをひたすらガチャすることをクリエイティブ勘違いしたあまり厚顔無恥人間

両者の声が非常に大きく、互いに感情に任せ罵り合う、あまりにも稚拙生産性のないものに見えてしまうのです。

ですから、冷静な情報が全く得られていません。感情論に寄りすぎず、AI絵に対する意見を知りたいという欲だけでこの日記を書いています

前置きが大変長くなりましたが、以降、AI絵に対する意見を書きますので、ぜひ両者に反論いただきたいのです。

とはいえそもそも私はAI寄りの人間です。

今更、中立意見など書けないので、あえてAI絵師に寄せて書いてみます

人とAIに違いはあるのか?

人が絵を描く時、意識をしていないにせよ、必ず「考える」という作業が発生します。

この「考える」という作業はこの議論において、非常に厄介です。場合によっては、あたかも本人の頭の中から、無から全てが出てきたように思えるからです。

これが「絵師」が「AI絵師」を叩きたくなる要因の一つです。自身の完全なるオリジナル(と思い込んでいる)創作物他者にパクられてしまえば、誰しも怒りたくなるものです。

ところが、実際には「考える」は無から有を生み出す行為ではありません。単に、これまでの「経験から結果を導く推論です。

この「経験」とは、一般努力とも捉えられるかもしれませんし、学習とも捉えられるかもしれません。

そして、厄介なことにこの「経験」もまた無意識下に行われることがあります。顕著なのが、人の絵を見て模倣してしまうことです。

模倣レベル場合によって異なります意識的に模写することもあるでしょう。模倣するつもりがなくても似てしまうこともあるでしょう。レベルが違えど、無意識下で影響を受けていることを否定できる人がいるでしょうか?

まれから外界の情報遮断し続けた人がいたとして、ペンを渡すだけで、いわゆるアニメ絵を描けるでしょうか?

結局のところ、人の創作の大半は大量の「経験」をもとに「考えて」作られたものなのです。

からこそ、普遍的に愛される素晴らしいものなのだと思います

AIどうでしょう

あくまベースとしては)こちらも大量の画像学習させ、疑似的に「経験」を行います。そして処理する、すなわち「考える」ことで画像を生み出します。

とんでもなく大量のデータから学習ですから、一つ一つの絵の結果に対する影響など微々たるものです。もはや、出力結果に対して、一人の絵師の絵の学習など、「無意識」に近いのです。

あえて乱暴な言い方をすれば、もはや人と同じではないですか。

権利はどうなんだ

こういう乱暴な言説を唱えると、当然、「AI勝手学習してるんだ」というお怒りの意見が来るでしょう。

ただ、それは人も同じです。

アニメを見て、きれいな絵だなと思った。その瞬間無意識下では「経験」として変換されているわけです。それに対して、誰も勝手に絵の参考にするななんて言わないですよ。

では、もっとガッツリ真似した場合はどうなのか。

この話の難しいところは、いわゆるキャラデザと画風で話が微妙に異なるところです。

例えば、絵師が絵を販売するとしましょう。

絵師キャラデザをパクったら当然完全にアウトです。

(反AI絵師の方がパル〇ールドを随分楽しそうにプレイされており、大変驚いたのは本筋とは異なります面白いエピソードとして記載しておきます。)

では、画風は?

知り合いのデザイナーは、お客さんから監督風の絵でと言われて、そのとおり納品したそうです。

客側の問題は置いておいて、こういった依頼があることは想像に難くありません。中には表現技法として、客からの依頼ではなく、自ら使う人もいるでしょう。

絵師の皆さんは、ことAIになると、キャラデザも画風も似ていればアウトと判断します。

これは、どうなのでしょうか?

やりすぎなやつら

とはいえ、やりすぎなやつらがいます

絵師でもトレパクをしたら叩かれます

AI絵師でも、追加学習し、完全に同じものを目指しはじめればそれは叩かれるでしょう。

絵師でも人の絵を無断転載オリジナル発言をすれば叩かれます

AI絵師でも、明らかに特定の絵に似せたものクリエイティブ発言すれば叩かれるでしょう。

こいつらは、きもいのです。

議論から外すべきなのです。規制すべきなのです。

なぜなら、きもいので。(めっちゃ感情論)

冗談はさておき、AIなどというツールあくまで道具であり、うまくそれと付き合い発展させていくことが、必要なわけです。

きもいやつらと全体を同一視し、感情にまかせ議論していては、生産性がないと思います

知りたいこと

夜中のテンションで、勝手意見をつらつら書きましたが、間違っているところがあれば教えてください。

皆さんの様々な目線から建設的な意見勉強させてください。

2024-11-15

底辺絵師に贈る、底辺なろう作家提言

現代底辺であり未来の神絵師へ贈る提言

 今、絵師界隈は激動の時代にあるように見える。

 Xの規約変更だとか、ウォーターマークとか、いろいろ目に入ってくるが結局の発端は「生成AI」だろう。

 最初記述するが、私は「生成AI」の善悪を語る気はない。

 なのでここから先、どれだけ読んでもらっても「生成AIを滅ぼす方法」を求めている方のご期待には添えない。

 これはあくまでも、絵師界隈で生計を立てていきたいが、生成AI存在するこれから先の未来不安を抱いている絵師に向けたものであり。

 小説家界隈に住む私が、実際にイラスト勉強する過程で感じた二つの界隈の違いを言語化し、それを元に考察した一つの提言を届けたい。そういう趣旨のものだ。


絵師よ、オリジナルキャラクターを創れ

 では、先に結論から

 これから先、イラストで食べていくことに不安があるのなら「オリジナルキャラクターを作れ」。

 ただ単にオリジナルイラストを量産せよ、という意味ではない。

 あなたの頭の中にある「キャラクター」を絵という形で出力し、世間認知させ、あなたではない第三者がそのキャラクターイラストを描くようになることを目指す。という意味だ。

 乱暴な言い方をするなら「絵を描かされる側から、絵を描かせる側にシフトすることを意識しろ」といった感じだろうか。

 Vtuberママキャラクターデザイン)を想像してみてほしい。

 だいたいあんな感じの立ち位置が、私の想像力の範囲で今後も生き残っていける絵師の一つの形だと思っている。


現代日本では絵師の「作品」は求められていない

 なぜ、絵師オリジナルキャラを作るべきなのか。その理屈を語る前に確認したい。

 絵師界隈の方々は「同じクリエイターなのに、どうして小説家界隈はあんなにも生成AIに対する反応が薄いんだ?」と思ったことはないだろうか?

 もちろん、文章世界にも生成AIはある。

 むしろ小説生成AIの方が、イラスト生成AIより先に世に出ているはずだ。

 だが、実態として小説生成AIに対し、敵意や危機感を抱いている小説家は少数派だろう。


 ではなぜ、小説家界隈が生成AIに対して他人事のようなスタンスになりがちなのか。

 それは小説家絵師、それぞれのマネタイズの仕組みの違い。

 言い方を変えると『社会』との関係性の違いにある。

(以後、市場や、顧客マネタイズシステム全てを包含した『社会』という主語を用いて記述する。)

 そして、私が見るに絵師小説家も、大多数がこの両界隈の違いに気づいていない。


 その違いは

 『社会』は小説家には「作品」を求め、絵師に対して「技術」を求めている。

 この一点に尽きる。


 誤解を恐れずに言えば、『社会』は絵師に対してほとんどの場合作品」を求めていない。

 絵師界隈のトップレベルの方々は、おそらくこの違いを認識しているように見受けられるが、逆にトップクラス以外の領域では認識していない人の方が多数派。というのが私の所感だ。

 (一方で小説家界隈はトップクラス層もこの違いを認識していない人の方が多数派だと思っている。というか、クリエイターは全業界で「作品」重視で活動していると認識してそうな気がする。)


 この違いがどういうことか、わかりやすい事例をあげよう。

 新人賞コンクールといった賞レース代表的だ。

 これらは絵師界隈にも小説家界隈にもある。

 例えば、ある無名絵師イラストコンクールで最優秀に輝いたとしよう。

 その絵師は名声と得て、イラストの依頼が殺到するかもしれないし、あるいは協賛企業から何かしらの商業イラストを描く契約を結ぶかもしれない。

 だが、肝心の『最優秀賞に輝いた絵』そのものマネタイズの中心にはならないと思う。

 あってせいぜい、短期的な限定グッズデザインになる程度のはず。

 おそらく絵師側も最初から「その絵」で稼ごうとは思っていないはずだ。


 だが、小説界隈は違う。

 企業も、小説家本人も、基本的には「その小説」で稼ごうとする。

 2003年スニーカー大賞に選ばれた『涼宮ハルヒの憂鬱』は、2024年現在市場流通し続けているのが代表的な事例だ。

 受賞した作品を脇に置いて、その出版社編集提案した全く別の小説を書かせる。というのは無いとは言わないが、そういう流れになると小説家からはあまりいい印象は持たれないだろう。

 つまり、同じ賞レースでも絵師界隈は「技術を持った人」を探し、小説界隈では「作品」を探している。というのがなんとなく伝わったはずだ。


 もっとざっくり言ってしまうと

 「金を出すから自分の代わりに理想の絵を描いてくれ」が絵師と『社会』の関係の主流で

 「印刷流通を代わりにするから、その売り上げの一部をわけてくれ」が小説家と『社会』の関係の主流なのだ。)

 重要なのは『代わりに絵を描いてほしい』という部分だ。

 つまり、『社会』が絵師に求めているのは代筆能力という「技術」であり、「作品」は依頼者の頭の中にある物を指すのだ。


著作権法は「代筆家」を守らない

 さて、ここまでで絵は「技術」が求められ、小説は「作品」が求められている、というのは理解してもらえたと思う。

 ここで一旦、生成AIの話に戻そう。

 小説界隈が生成AIに対して反応が薄い理由は単純だ。

 『現行の(少なくとも日本国の)著作権法は「作品」を保護してくれているから』に他ならない。

 また一つ具体的な事例を挙げよう。

 かつて、「ハリーポッターシリーズ学習したAIオリジナルの「ハリーポッターシリーズの新作を書かせる。という試みが海外で行われたことがある。悪意ある第三者がこれと同じことをしたとしよう。

 もしその第三者が「ハリーポッターシリーズの新作」と銘打ってソレを売り出せば、著作権法容赦なくこの第三者断罪する。

 では、それを避けるためにキャラクター名前オリジナルに変え、タイトルオリジナルのものに変えて販売したならどうか。

 ソレは「よく似た別の作品」の一つになり下がるだけだ。

 書いたのがAIであろうと、人間であろうと重要視されるのは「作品」だから、そこの模倣がされない限りは脅威になりえない。というのが小説界隈の人が意識的にしろ無意識的にしろ生成AIに対して抱いている感情だろう。


 だが逆に著作権法は「技術」を保護はしていない。

 むしろ、広く開かれて文化の発展に寄与するべき。というのが基本スタンスだ。

 「技術」をお金にしている絵師界隈からすればたまったものではないだろうが、これが実情だ。

 「技術」の保護に舵を切るなら、それは著作権法ではなく特許法領分になるが、特許理念は「知財ビジネス支援すること」なので、おそらく企業と繋がりのないアマチュア絵師は生成AIユーザー以上に苦しむことになると思う。


 これまでの話を統括すると

現代絵師は「技術」を求められ、肝心の「作品」は依頼者の頭の中にある。

・現行の著作権法はその「技術」を保護していないし、「技術」の保護アマチュアに優しくない。

 この二点が現代の、そして未来絵師を苦しめる要因の根幹だ。


これから絵師も「作品」をビジネスにしなければならない

 そして、最初の私の提言に繋がる。

 これから先、代筆家として誰かのために絵を描くという「技術」を売る領域は生成AIに食い荒らされるだろう。

 そんな未来でも絵師として生き残りたいのなら、依頼者の頭の中にある「作品」ではなく、あなたの頭の中にある「作品」を生み出すことを考えるのが良いのではないか

 という話だ。

 「オリジナルキャラクターを作れ」というのは、その一例だ。

 企業依頼でPRキャラを描くという現行の関係から企業が「自社製品あなたオリキャラに使わせてください」みたいな関係になるのが、そこそこいい感じの未来予想図だと思わないだろうか?

 仮に企業お金ケチって生成AIでそのオリキャラ勝手に使えば、容赦なく著作権法断罪できる関係性になる。

(他に思いつくのは、大昔のゴッホだ、フェルメールだの時代のように一枚一枚の絵そのものを「作品」として『社会』に売りつけて生計を立てる道。あるいは自分自身を「作品」にしてパトロンから庇護を受けて好きに絵を描く道、あたりか。現代で言えば、前者は同人誌即売会イラスト集を売っている人たちで、後者お絵描き配信者としてファン投げ銭生計を立てつつ、絵を描いている人達だろうか。)


 逆に、このことに気づかず、「技術」を守ることに執心し続けると、どこかでとんでもないことになるのではないか。私はそう思っている。

 これがもう一つ、裏の提言……というか懇願だ。


小説家から見た絵師界隈の「技術」の体系化と共有文化の素晴らしさ

 絵師界隈で育った人達は気づいていないかもしれないが、小説家界隈で育った私から見て、あなた達が確立している「技術の体系化と共有」の文化は素晴らしいものなのだ

 YouTubeでは多くの絵師プロアマわず、自らの技法を公開しているし、有償の場になれば更に本格的かつ専門的な技術を共有しあっている。

 おそらく『社会』が絵師に「技術」を求めていたからこそ、惜しげもなく場と資産提供していたことで出来あがった土壌だろう。

 無数の技術が公開されているから、その中で自分好みのものを取捨選択し、組み合わせることで理想個性形成できる。

 私のような「最初から絵のプロになる気が無い人間」にも成長の手順が提示されているのは、非情にありがたかった。


底辺なろう作家愚痴妄言

 ここからは、若干小説界隈のネガティブな内容に触れるのだが、ご了承いただきたい。

しか生産性がない話なので、絵師界隈の方はここから先を無理に読む必要はない。

 ただ、この先の話を読んでくれた絵師から、こういう界隈の中で私はどうやっていくと良いか、そういう意見を貰えたら嬉しい。)

 小説界隈は何度も言っているように「作品」重視の世界だ。

 故に、小説家は「表現技法」をほとんど語らない。

 例えば炎の熱さを表現するにあたり、絵ならば「暖色の与える印象の理論」だとか「ぼかしによる蜃気楼技術」といったものがあり、ある程度体系化、共有された技術があるはずだ。

 だが、小説家界隈ではそういった表現技術を「作家個性」として、共有せずに個人のものへと抱え込む道に発展してきた。発展してしまった。

 我々は百の作家がいれば、百人が別々の言葉で炎を描写し、実際にどれが最も読者に熱さを感じさせられる表現だったのかを検証しなかったのだ。


 我々小説家今日も、読者が本当に熱を感じてくれるのかわからずに炎を描いているし、可愛さがちゃんと伝わっているかからずに美少女を描いている。

 「技術」を体系化しなかった、というのはつまりこういうことだ。


小説家は「腕を磨かない」

 では「技術」を語らない小説家界隈が新人達に何を語っているのか。

 それは「作品の作り方」だ。

 手順、理論作法形式

 現在小説家界隈で新人達に向けて語られているのはおおよそ上記の要素であり、それらをまとめると「作品の作り方」となると思う。

 これもまた絵に例えるなら

 「ラフ、下書き、清書の順番で書くと良い」とか、「線画と塗りは別レイヤーに分けたほうが良い」とか、そういうレベルの内容だと思ってくれていい。

 それを十数年以上、場所を変え人を変えこんこんと語り続けている。

 それが小説家界隈なのだ

 SNSで無数の新人作家たちに向けて情報発信をしている高名な小説家達も

 「自分達が教えられるのはいわば『就活履歴書の正しい書き方』だけだ。その内容は個々人で書くしかない」

 みたいなことを常々言っている。

(で、まあ「特定効果を与える技術」ではなく「作品作品たらしめる作法」という名目なもんだから「not for me」の概念適応されにくく、「正しい」「間違い」で定期的に燃えている。)


 つまり小説家界隈は「作品を完成させる」ことを教えることが主流であり、その質を技術によって高めることには非常に無頓着なのだ


 私の推測だが、これは絵とは逆方向の『社会から圧力と発展によるものだろう。

 絵師には「技術」を求める以上、まぐれではダメだ。再現性がなければお金にはならない。

 だからちゃんと「技術」が身に着くような環境を作る。

 だが何度も言っているように小説家に求めるのは「作品」だ。

 極論だが、出来が良ければまぐれでもお金にできる。そのまぐれの一つを拾い上げて市場に売り出せばいい。

 だから社会』はできるだけ多くの「作品」が出来上がる環境作りを自然と行ったのだろう。


 「作家を作る」ことは頑張るが、「作家を育てる」ことはしない。

 プロアマわず、それが現代小説家界隈なのだ

 「プロになるつもりはないが、もっと上手くなりたい」という人間に対しても、絵師界隈の先達は「技術」を提供し、成長の道筋を照らしてくれる。

 だが、小説家界隈では「プロになる気がないのなら、あなたの好きに書けばいい」の一言で終わる。

 私のような無才な人間からすると、暗闇を手探りで歩くような感覚だった。


出版業界の陰り

 まあ、小説家界隈が無才に厳しいだけなら良いのだが、最近この界隈の「作品重視」の傾向が業界全体の問題として表面化してきているように思う。

 その問題とは、端的に言うと「作品が増えすぎた」ということだ。


 「小説家になろう」では毎年開かれているネット小説大賞という賞レースがある。

 2013年に開かれた第一回では応募作は「1,135作品」だった。

 これが五年後の第六回では応募作はほぼ10倍の「10,156作品」になった。

 そして、今年の第十二回に応募された作品は「20,826作品」と、その数は恐るべきペースで増えている。

 一応、この数字についてはちょっと恣意的表現をしている。

 一般新人賞公募と違って、小説投稿サイト主催の賞レース過去落選した作品も全て再応募する作者は少なくないからだ。なのでおそらく「作家」の増加数はこれほど極端ではないと思う。

 だが、この仕組みと過去作を再応募し続ける風潮こそ、小説家界隈が「技術」を軽視していることの証左であり、問題の根源だ。

 この世には「玉石混交」という言葉がある。

 賞レース選考員は一万以上の無数の石の中に隠れた玉を探すわけだが、さっきも言ったように、ネット小説の賞レース過去落選した作品継続して応募されている。

 つまり、玉と石の比率一定ではない。拾い上げられた玉は減るが、石はそのまま翌年、また翌年と残り続ける。


 そうなると、単純に選考員の負担が年々増えていくのは想像できるだろう。

 ただでさえ、小説は受けての時間を奪う媒体だ。短編でも一作につき五分から十分。長編なら余裕で一作一時間を超える。

 選考員を増やせば個人単位負担は軽減されるだろう。だが、人を増やせば今度は運営出資が増える。

 必ずどこかしらが負担を負うことになる。

 そして『社会』が持っているリソース無限ではない。


 そして多分だが、小説家界隈……というかネット小説業界は、このリソース限界をとうの昔に迎えてしまっている。

 出版社は玉探しを継続的にしなければならない。

 だが、玉探しに必要な労力は年々増え続けている。

 ならば、別の所で手を抜いて調整するしかない。

 宣伝作家に任せよう。

 連載継続するかどうか早めに決めよう。

 といったふうに。

 ざっくり言うと「プロ作家サポートにかかる労力を削る道」も考えられる一つだ。



 私の未来予測では、今後も出版社側の玉探しの労力は増加し続け、それと負の相関に基づいて出版社からプロ作家へのサポートの質は低下し続けるだろう。

 そうなると、作家から出版社への信頼が揺らぎ始める。

 作家出版社を信頼しなくなれば、出版社は心置きなく作家使い捨てられるようになる。

 これを 『才能の狩猟社会』みたいなことを誰かが言っていた。希望の無い話だ。


 「技術」を『個々人の個性』として体系化せず、共有しなかった小説家界隈。

 「作品」を完成させることだけを重視し、質より量を推し進めた小説家界隈。

 これはその一部で実現しつつある最悪の未来予想だ。

 この私の未来予想が一理あるか、見当はずれかの判断は委ねる。

 (とはいっても、プロ経験皆無の底辺作家妄言なんて外れてくれた方がいい。部外者がそれっぽいこと言って、それ

anond:20241115180248

マンブーって用語自体が不穏だわな。

こうして女性無意識のうちに舐められる構図が出来上がっていく

2024-11-14

注意喚起っていうマウントはウザい

注意喚起って「お前たち無知な人に頭が良くて親切なアタクシが教えて差し上げます」って感じで相手を見下してコケにしてんだよな

本人は無意識なんだろうけど

ヒラリーお前のことだぞ

あーー復縁したーいでもしたくなーい

文章情緒もぐちゃぐちゃだろうから読み返したくもなーい

吐き出せたからおっけーー




5年付き合って結婚も考えていた

毎日楽しくて面白くて幸せだった。

愛なんて信じられない人生だったけど、それでも一生かけて愛してみたいと思えた相手だった。

付き合った当初からわたし子供は産まないと言っていた。彼は子供が欲しかった。それでもわたし結婚するならあなたの親に孫の顔は見せられませんのでと言い続けてきた。いつしか彼は何も言わなくなった。


結婚への期日を決め順調に同棲生活を送る中、突然将来の話になった。

彼は子供が欲しい気持ちを諦められないと言った。迷いなく5年思い続けていたそうだ。

わたしは、子供は産まないよと適宜伝えてきていた。

ハ?今更?言うのおせーよ。と思った。

ついでに仕事を辞めてほしいと思っていたらしい。確かに生活リズム真逆だった。しんどい時もあったけれど仕事は楽しくて辞めたくなかったので、支障があまり出ないように努力はしていたしお互い週1回は休みを合わせられていたので問題ないと思っていた。

笑いのツボが同じなので毎日くだらない話をしすぎた。

本当に仲が良かった。

大体の気持ちや嗜好は手に取るようにわかっていた。

けれど大切な話し合いはきちんとできていなかった。喧嘩したことがなかった。

真面目な話がしたい時もわたしの考えを話していただけで、彼の無言や相槌は肯定じゃなかった事を知った。

結婚覚悟をしていたわたしは何だったのか。

彼の理想人生わたしは寄り添えない。

わたし理想人生押し付けたくはない。

別れることを選んだ。









一人暮らしにも慣れ、仕事が楽しくて辞めないで良かった〜と思っていた頃に来た『ご飯行こうよ』に軽い気持ちで了承してしまった。

愚かだった


やっぱり子供はいらなかったと言われた。

ハ?今更?言うのおせーよ。と思った。

とりあえず話を聞く。

別れてすぐに知り合った方が結婚の条件に合ったようでお付き合いを始め、その方の家に転がり込む形で同棲しているらしい。浮気経験のある彼が浮気をしていなかった事は評価できる。

が、そこで気づく馬鹿のお決まりセリフ

『やっぱりあなたが1番いい女だった』

ハ?今更?そんな当たり前のことは知っているが?と思った。というか口から出ていた。

彼は自己愛強めの変人だった。でも外向きの顔が自然に作れるので人に嫌われることはない。

かくいうわたし変人の部類に入るのかもしれない。

生きづらい人間同士の彼と一緒にいると気が楽で心地良かった。わたしにとってそんなことは当たり前だった。共通認識だと思っていた。

それを手放すほど子供が欲しいのならわたしは引きますあなた幸せを願います

と、潔く引いたわたし気持ちは何だったのか。




ぽっと出の女と比べて、わたしの方が良かったと思う事ばかりだそうだ。

ふーーーーん。当たり前だが。


改めて、今まで話してこなかった心の内を含めてお互いフィードバックしていった。

…え?じゃあわたしで良かったじゃん。

…あれ?そっかわたし全然吹っ切れて無かったじゃん。別れて辛かったじゃん悲しかったじゃん。仕事に明け暮れて考えないようにしてきただけじゃん。



戻ってしまった。気持ちが。

時間解決すると思って蓋をしていたのに。

愚かだなあ



それから月に数回、食事+@(カラオケとかドライブとか)で数時間会う関係が続いている。

別れてから一切、体の関係はもちろん触れ合うことも無い。

復縁しようという話にもならない。独身同士ではないので当たり前だ。


きっと家で待っている方にはわたしと会っていることは話していないだろうからこれは浮気わたしは最低な元カノとして映ると思う。

こちらには失うものはないので、この男の愚行がバレて破滅したらいいと思う。






新しい彼女がいるのに元カノに気が向いてしまう男、元彼を忘れられなかった女。

間もなく別れて一人暮らしをするらしい。

わたしの横で物件を見ながら、無意識だろうがまるで誰かと住む想定の口ぶりで話しているこの男は何なんだろうか。

お互いの好意には気づいているよね?みたいな、フラット関係なら1番楽しい時期だ。

こんな気持ちの悪い状況で復縁したいなんて誰が言えるのだろうか。いい結末になるとは思えない。

いい歳した大人が何やってんだ。吐きそう。

会うのを辞めてまた蓋をしたらいいだけ。時間解決してくれる。

それと、

この男が破滅したらわたしのところに戻ってくる理由になる。など。

総じて気持ちが悪い。







会った日の夜は毎回こんなことを考えて気がついたら朝になる。

愚かな女、もう疲れたので寝る

2024-11-13

anond:20241112125538

この文章問題点は、焦点がぼやけていて、読み手に具体的な状況や考えが十分に伝わらないことです。読み進めるのが苦しくなるほど、あいまいで整理されていない箇所が多く、これではどこが問題本質なのかを理解するのが難しいです。

まず、最初の部分で「注意かも」や「増田20代後半」といった箇条書き的な表現は、読者に対して雑で印象が悪いです。また、冒頭から「死にたかたから生きていこうと少しでも思えるならなんでもよかった」といった自己弁護に近い表現が目立ち、読み手を突き放してしまます最初から「私はこういう苦しい環境にいる」ということを強調するのではなく、問題がどこにあるのかを率直に示すべきです。

次に、テーマが一貫しておらず、あちこちに枝分かれしています。「夫の嘘」、「借金」、「夫の精神的な問題」、「浮気」、そして「妊娠」と、問題が多岐にわたっているにもかかわらず、それらが整理されていないため、読者はどれが主要な悩みで、どれが二次的なものかを把握できません。たとえば、「夫の病的な嘘」と「浮気」がどれだけあなた精神に影響を与えているかを、もっと深く掘り下げると説得力が増します。現在文脈だと、それらがただ「羅列」されているように感じられ、重みが伝わりにくいです。

さらに、夫が抱える精神的な問題についても、エッセイの流れが混乱しています。「統合失調症可能性」と「双極性障害可能性」が述べられていますが、医師見解や診断結果があいまいなままになっており、読者は混乱します。これらの病名を列挙すること自体説得力はなく、読者があなたの状況を深く理解する助けにはなりません。ここは、「夫の嘘を無意識にしてしまうことで生じた不信」といった視点に絞り、何が具体的な問題で、どうして苦しいのかを明確に伝えるべきです。

また、「何度も自殺未遂を繰り返すようになった」「精神崩壊した」といった表現もありますが、これらは非常に感情的言葉であり、共感を生みづらいです。感情表現必要ですが、読み手理解やすいように冷静に整理することが重要です。具体的にどんな心の変化があったのか、どうして自分を追い詰めるような状況になってしまったのかを、もう少し丁寧に説明する必要があります

最後に、まとめがない点も大きな問題です。「離婚するしかいかもしれない」と書きながら、最後には「離婚したくない」とも述べており、結論不明確です。結局何が言いたいのか、何を求めているのかが見えません。「これを通して、読者に何を伝えたいのか」を意識し、もっと簡潔に締めくくりましょう。

全体として、感情的に書き連ねてしまった印象が強く、問題本質読み手に伝わらないエッセイになってしまっています

2024-11-12

「1日1万歩は意味がない」論者が見落としている根本的なこと

anond:20241112164751

「1日1万歩は意味がない」といっているやつがいるが、そいつは本当のデブをしらない。

デブを知らないくせにむせきにんなことを言うな。

もっとデブに寄り添え。

デブってのは。なにもしない時間は絶えずものを食ってるんだよ。とにかく喰う。ガツガツ食う。無意識に喰う。

ところがだ。1日1万歩歩くために2時間を徒歩にあてなければならない。2時間を徒歩にあてるということは、1日1万歩をしないデブよりもものを食う時間が2時間少なくなるんだよ。2時間もすくないんだぞ。激やせするだろ。2時間も少ないんだから

もっとデブのことを知ろうとしろもっとデブに寄り添え。

遊戯王真面目にやってないやつが雑に遊戯王OCGを語らないで欲しい

現役競技勢YP(遊戯王プレイヤー)です。

anond:20241109021307

元増田は真面目に遊戯王やってない

この人、遊戯王エアプって訳ではないと思うけど多分真面目に遊戯王やったことはないと思うんだよね。何故なら、

あれだけ伝説級の活躍をした「ドラグーン・オブ・レッドアイズ」は制限復帰後は一切見かけることがない

もちろん使うデッキが強いからこそ活躍できたのだが、だとしてもこの状況は元禁止カードとは思えないし、なんなら明日から3枚使えたとしても誰も使わないだろう

ようするに現環境ドラグーン・オブ・レッドアイズが活躍できた環境をとっくに飛ばした高速環境

恐らく3年くらいたてばあのティアラメンツが全て戻ってきても、環境には入らないと予想される

ドラグーンは当時セットで使われていた相性の良いカード(アナコンダリリーサー)が禁止から使われていないだけで、例えばアナコンダが解禁されれば今の環境デッキ出張するパワーはある。

何よりもティアラメンツが3年後には環境に入らないと言う予想をするYPは殆ど居ない。なぜならティアラメンツは(主にマスターデュエルで)規制後も墓地利用グッドスタッフ的に使われていて、墓地利用テーマが強化される限り(つまり遊戯王OCGが続く限り)強化され続けるテーマであって、仮に純粋ティアラメンツとしての動きが時代について行けなくなったとしてもデッキエンジン役としては3年後も強いに決まっているというのが一般的見解からだ。

真面目にやってる人間からみた遊戯王OCGの特徴とは

近年の遊戯王OCGのテーマ基本的に1枚のカード(初動)からデッキエクストラデッキの全てのテーマギミックアクセスできるように設計されている。つまり初動さえ通ればデッキ内のテーマカードは全て試合中に使える前提でデッキが構築されている。全てにアクセスできると言うのは自由に思えるかも知れないが実は逆で、手順が多少変わる事はあっても最終的には全てにアクセスした上でほば同じ制圧盤面が作り上がるプレイング面での不自由さを内包していることになる。

実際遊戯王OCGで新しいデッキを組む際、最初にやることは基本となる数パターンの展開ルートと呼ばれるプレイを覚えることで、その後実戦の中で相手妨害を受けた場合分岐ルートを覚えていく事になる。つまり遊戯王OCGにおけるプレイングとは実の所その多くが展開パターンの暗記と言うことになる。もちろんそれで決着が付かない場合もあるのでアドリブの終盤力も必要となるが、まずは序盤中盤を乗り越えるための暗記が必要になる。

ここまでの前提を置いた上で自分が主張したいのは、遊戯王OCGは(MTGライクなカードゲーム比較して)対戦時アドリブ的に発生する対話よりもデッキ構築を重視したカードゲームだと言うことだ。デッキ内のギミックを全部使って構築時に決めた動きをするカードゲームと引いたカードアドリブ的にプレイングを組み立てるゲームとでは採用するカード一枚に対する重みが違う。遊戯王OCGは一見なんでも出来る自由さ故に初動率やエクストラデッキの枚数、サーチできるテーマカードと素引き前提のテーマ外汎用カード比率と言ったデッキ構築時の制約が直接的にプレイングに影響する不自由カードゲームでもある。一枚一枚の採用理由明確化して環境対話し、事前研究の結果をデッキに詰め込んでぶつけ合うのは遊戯王OCGの魅力の大きな部分を占めていると思う。

因みに同じく国内長寿TCGの双璧を成すポケモンカードも似たような特徴を持っていて、あちらはよりデッキすべてを使って対戦する特徴が強い。今の使用トップデッキは毎ターン4エネ(MTGでいうマナに近い)加速した上でデッキを引き切る『アグロデッキである遊戯王OCGだけが地雷の上で飛び跳ねる特異なカードゲームであるというのであれば、ターン毎にマナ加速して4ターン目くらいにはほぼデッキを引き切った上で高火力で殴りつづけるアグロデッキWotCに刷って貰えばいい。

MTG至上主義者が雑に他のカードゲームを語る事について

世の中には、MTGこそが至高のカードゲームである公言してはばからない人達一定数いる。その人達がそう思うのは勝手なので好きにすれば良いと思うが、その際に雑に他のカードゲームを引き合いに出すのは行儀の悪いことだと理解したほうがいい。こんなことはわざわざ書くのもアホらしいことだが、MTG的な楽しみ方という軸で優秀なカードゲームを選ぶと勝つのは常にMTGなのであるしかMTG至上主義者はMTGこそがthe カードゲームだと(意識的無意識的に)信じ込んでいるので、おかし比較をしていることに気付かない。

公平な観点で他のカードゲームMTG比較したいのであれば、まずは世の中のカードゲームは全てMTGから派生した物である(これはある面では事実だが、世の中のカードゲームはあらゆる娯楽の影響を受けた派生であり得るという点で間違っているし、MTG自体もなんらかの非電源ゲーム派生である)という見方を捨てる必要があるのではないだろうか、

2024-11-11

anond:20241111114802

最近マスクしても曇らなくなった

相性とかあるだろうけど、無意識に曇りにくい呼吸できるようのなったんじゃないか勝手に思ってる

anond:20241111000149

食べ物に限らずその辺にあるもので利用してないものを避ける嫌うっていうのは

なんらかの生存本能に基づいてるんだろうな

呑み屋でコオロギブーム起きて食べまくってたけど、そんなにまずくはなかった。乾燥サクラエビのほうがちょっとうまい? ぐらいで慣れたら一緒か、えびせんとかたこ焼きに入ってても気づかないぐらい

昔は個々人で未熟な果実、完熟、腐りかけ、腐ったをそれぞれ好んで食べて後悔して学んだり好き勝手していけばよいが

情報伝達が速く遠くなったからそれを個人のうちでとどめるか、拡散するかといった性質も影響してきてて

ひょっとしたら、慣れない食物を避ける傾向と、避けろよと警告、注意する傾向って似てるのかもしれない

自分だけしってるうまいものは隠すことが多そうだし、雑な考察だが関連がゼロってわけでもあるまい

それはそうと、今年読んだベストオブ書籍がある

次点が、マインドタイムサブタイトル、脳と意識時間

個人的空前の自由意志ブームが来た。自由意志否定ブームか。元々無い派だった。

凄くざっくりいうと、本書で書かれている内容

実験したら、意識が生じるのは体が動いただいぶ(数百ms)後で、自由意志なんてないことがわかった。

動かそう→動く みたいな流れではなく、

脳が動く準備をする→動き始めつつ、動かそうと思う(思ったと意識する)みたいな感じだっけ。適当

凄くときめく内容だ。ただ、作者さんはそれでも自由意志存在否定できず、行動に移すのは自由意志関係ないが、その行動を止めるのは自分意志可能だ なんてことを言ってる。

訳者さんとの意見が異なってるので、本文もちょっと影響受けてるかもしれないし(そこは割り切って書いているのかもしれない。そもそも本人にも迷いがあるのかも)、わざわざ訳者注がついてたりもする。

自由意志が無いという説で考えていくと、脳にはそんなに複雑な機能は要らないのだが、キャンセルできるというところを説明しようとすると、結局、単純な相互作用みたいなシステムだけでなく、

未知のフィールドとか、量子のなんちゃらかんちゃらとか、フィクッションご都合設定ぽくなっていく(現実の量子とかもっとわからん世界だとあり得る話でもあるんだろうけど)

で、古い本だが、

『脳はなぜ「心」を作ったのか: 「私」の謎を解く受動意識仮説』が、わかりやすくて自説とも一致してよかった。

受動意識仮説は、受け入れがたい人が多いとは思うが、シンプルでよい。

それでも、よくもまあエピソード記憶とか、内部モデルとかそんな機能作れたな、ほんまか? という内容も多いが。

ただ、無意識から意識への流れをほんとにシンプルにうまく繋いでいると思う

これと最近ちょっと齧ってる程度だけど、心理学とかよわよわAIで止まってるけど、人工知能プログラミング知識とか組み合わせて世の中の色んな思考がどうやって生まれてるのかとか妄想して遊んでる

インターネットはすでにお前を養分として取り込んでいる

デジタルの海に漂う我々は、気づかぬうちにその巨大な生態系の一部となっている。インターネットという名の巨大生物は、日々刻々と成長を続け、その触手を我々の生活のあらゆる隅々にまで伸ばしている。

スマートフォンを手に取る度、SNSスクロールする瞬間、検索エンジンに問いかける一瞬一瞬。これらの行動のすべてが、インターネットという巨大生物栄養を与えている。我々の興味関心、行動パターン、そして個人情報までもが、この巨大な存在の糧となっているのだ。

我々が無意識のうちに提供する膨大なデータは、インターネット血液となって循環している。検索履歴位置情報、購買行動。これらのデータは、巨大テクノロジー企業によって収集され、分析され、そして商品化される。我々は知らず知らずのうちに、この巨大システムの中で役割果たしているのだ。

もはや我々の日常生活は、インターネットなしには成り立たない。情報収集コミュニケーション、娯楽、仕事。あらゆる面でインターネット依存している。この依存関係は、まさに共生と呼べるものだ。我々はインターネット養分を与え、インターネットは我々に便利さと快適さを提供する。

この巨大生物との共生関係から逃れることは、もはや不可能に近い。技術進歩と共に、インターネットさらに我々の生活に深く根を下ろしていく。AIの発展、IoTの普及、仮想現実の台頭。これらの技術革新は、我々とインターネット関係さらに密接なものにしていくだろう。

我々は既にインターネット養分となっている。この事実を受け入れ、いかにして共存していくかを考えることが重要だ。自身データの扱いに敏感になり、デジタルリテラシーを高め、テクノロジー人間性バランスを保つ。これらの努力こそが、この新たな生態系の中で我々が主体性を保ち続けるための鍵となるだろう。

インターネットは我々を飲み込んだ。しかし、我々もまたインターネットを形作る一部なのだ。この相互関係の中で、いか自己を保ち、より良い未来を築いていくか。それが現代を生きる我々に課せられた使命なのかもしれない。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん