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はてなキーワード: ドジャースとは

2019-07-20

anond:20190720035903

実のところ、この現象が起こるのって「ベッド」と「バッグ」だけなんだ。他にあるとしても、ごく一部の単語に集中する。

野球球団名には多数の例がある。

ゴールデンイーグルズ→(ゴールデンイーグル

タイガーズタイガース

ヤンキーズヤンキース

インディアンズインディアンス

エンジェルズ→エンゼルス

ブレーブズ→ブレーブス

カブズ→カブ

カーディナルズカージナルス

ドジャーズドジャース

パドレズパドレス

見ればわかるが複数形の "s" は清音化しやすい。

から少なくともこの増田の説(「ベット」と「バック」のみ)には賛成できない。

2019-07-19

anond:20190719152744

英語発音がどうとかは置いておいて、もう日本語として定着してるはずなのに純粋に疑問。

定着してないんだよ。

日本人に語尾の濁音は無理。

ベッドはベット、バッグはバック、ティーバッグはティーバック、ビッグカメラじゃなくてビックカメラタイガーズタイガースドジャーズドジャース

ビートルズシンプソンズはなぜかOK

追記

あとそもそも日本語は元々濁音と清音区別していたのかという疑問もある。

濁点表記ができてまだ100年くらいでそれまで書き言葉では清音と濁音の区別がなかった。

また、地域によって同じ言葉が濁ったり濁らなかったりする。

例えば、苗字で「山崎」が「やまざき」だったり「やまさき」だったり。

また、北関東から東北にかけて北に行けば行くほど言葉が濁る。

これはつまり、濁るが濁らないかは決まっているのではなくてどっちもありだったということなんじゃないのか。

2018-02-09

海賊バン!!」

「オッス、ワイはウフィや!海賊王ウフィや!ワイ昔、ゴマゴマの種っていうの食ってな。口から火を吹けるようになったねん。それで色々あってゴーストドジャースってオッチャンが隠したスリーピースって名前のお宝探して七つの大海大航海時代しとるねん。話は変わるけどワイこれからちょっと討ち入りするんや。実はウチの組に身内刺して逃げおった奴がおってな。ワイそいつをずっと追ってたんや。ようやくソイツを見つけたから今からいっちょソイツを懲らしめなあかん。うちのオジキの顔にドロ塗った落とし前つけさしたるさかい待ってろや!」バン!!

2016-12-01

メジャーリーグ史において最も重要な40人」について調べてみた

メジャーリーグ史において最も重要な40人」はアメリカの著名スポーツメディアスポーティングニュース」が先日発表して話題となったもの。ソースはこちら。

The 40 most important people in baseball history, ranked | MLB | Sporting News

ここで挙げられている40人について調べてみたんだけど、筆者はMLBにそこまで詳しいわけではないので、何か誤認・誤訳があったらごめんな。

1位 ベーブ・ルース(1895-1948)

MLB史上最大のスター。驚異的なペースでホームランを放ち、MLBの野球を「ライブボール時代」へと変えた。当時、ブラックソックス事件により信頼を失っていたMLBは、ルースの人気によって復活し、さらにはアメリカ最大のスポーツにまでなった。

2位 ジャッキー・ロビンソン(1919-1972)

近代MLBにおける初の黒人選手。ニグロリーグで活躍した後、1947年ドジャースでMLBデビューして、MLBの「カラーライン」を打ち破った。またMLBの初代新人王でもある。

3位 ケネソー・マウンテンランディス(1866-1944)

1920年ブラックソックス事件の収拾を図るために、強大な権力を有するコミッショナー職が新設され、判事であったランディスが就任した。事件に関わった8人の選手は永久追放とされ、その厳格な対処がMLBの信頼回復に繋がったと考えられている。

4位 バン・ジョンソン(1865–1931)

1900年アメリカンリーグを創設し、現在まで続くMLBの2リーグ体制を作り上げた。審判に権力を与え、違反行為に厳しい罰則を課すことで、クリーンイメージを生むことに成功した。強権的な性格から、のちにランディスと対立して辞任した。

5位 ブランチリッキー(1881-1965)

カージナルスドジャースのGMを歴任し、MLBで初めて選手育成のためのファーム制度を整えた。また、ジャッキー・ロビンソンと契約して、黒人選手がMLBに参加する道筋を作った。

6位 マービン・ミラー(1917-2012)

1966年エコノミストとしての経験を買われてMLB選手会の代表に就任し、最低年俸の増額、選手年金の拡充、そしてFA制度の導入に貢献した。彼の在任期間中に選手の平均年俸は1.9万ドルから32.6万ドルにまで向上した。

7位 アルバートスポルディング(1850-1915)

スポーツ用品Spalding社を興し、ナ・リーグ創設にも関わった。初めて野球のルールブックを出版、ボール標準化に努めるなど、初期のMLBの発展に尽力した。野球選手としても超一流で、通算勝率のMLB最高記録を保持している。

8位 ウィリアム・ハルバート(1832-1882)

シカゴ・カブス(の前身)の社長であり、1876年のナショナルリーグ創設者の一人である。のちにナ・リーグの第二代会長に就任して公正かつ厳格な運営を行い、MLBの基盤を作り上げた。スポルディングとは盟友だった。

9位 ルーブ・フォスター(1878-1930)

黒人野球チームのスター選手であり、また球団オーナーとしても成功した。彼の呼びかけによって、1920年ニグロリーグが設立された。「ブラックベースボールの父」と呼ばれる。

10位 ヘンリーチャドウィック(1824-1908)

野球評論家・統計家で、「野球の父」とも呼ばれる。ボックススコアを考案して試合の記録を取り、「打率」などの指標を提唱した。またスポルディングのもとでガイドブックを刊行するなど文筆活動も盛んに行い、野球の普及に多大な貢献をした。

11位 バド・セリグ(1934-)

元はブルワーズオーナー。MLB選手会オーナーの対立が激化していく中で、1998年実質的には1992年)に第9代MLBコミッショナーに就任。リーグの再編、収益分配制度の導入、オンライン配信の開始などにより、就任前と比較して5倍以上とも言われる空前の収益をMLBにもたらした。

12位 ウォルターオマリー(1903-1979)

ドジャースオーナー。冷徹な経営者であり、1957年に球団をブルックリンからロサンゼルスへ移転させた。それによりアメリカ西海岸における野球ビジネスを開拓し、経済的には大成功を収めたが、ブルックリン住民からは深く恨まれた。

13位 ビル・ジェームス(1949-)

1977年から1988年まで刊行した「Baseball Abstract」を通じてセイバーメトリクスを提唱した。米国野球学会(SABR)のデータと統計の手法を用いて、RCやRFなどの様々な新しい指標を作り出した。

14位 フランク・ジョーブ(1925-2014)

1974年ドジャースの選手だったトミー・ジョンに、自らが考案した靭帯再建手術を施し、それを成功させた。この手術は「トミー・ジョン手術」として、いまでは広く施術されている。また、1990年には肩再建手術も成功させている。

15位 ハンク・アーロン(1934-)

ブレーブスで活躍し、ベーブ・ルースの記録を超える通算本塁打755本を放った。黒人のアーロンが白人のルースの記録を破ることには反発もあったが、彼はそれを乗り越えた。通算打点2297点は現在でもMLB記録である

16位 ルー・ゲーリッグ(1903-1941)

ヤンキースに所属し、当時の記録である2130試合連続出場を達成して「鉄の馬」と呼ばれた。しかし筋萎縮性側索硬化症に苦しみ引退、そして37歳の若さで亡くなった。背番号の「4」はMLBで初めて永久欠番となった。

17位 ドク・アダムス(1814–1899)

野球クラブのニッカーボッカーズや全米野球選手協会(NABBP)において、チームの人数や塁間の距離、一試合のイニング数、バウンドルールの撤廃など、基本的ルールの策定に貢献した。遊撃手ポジション創始者とも言われる。

(野球ルールの策定に関してはアレクサンダー・カートライトの名前がよく挙がるが、現在ではドク・アダムスを評価する声が多いようだ)

18位 バック・オニール(1911–2006)

ニグロリーグで活躍した後に、MLBで最初の黒人スカウトとなり、最初の黒人コーチとなった。ニグロリーグ野球博物館の設立や、ドキュメンタリーへの出演、多くのインタビューを通して、ニグロリーグへの関心を高めることに尽力した。

19位 ロベルト・クレメンテ(1934-1972)

MLBにおけるヒスパニック系選手の先駆けであり、中南米出身で初めてMLB殿堂入りした。慈善活動中の飛行機事故により38歳で亡くなり、そのため慈善活動に貢献した選手に贈られる賞にその名が冠されることになった。

20位 ジェームス・アンドリュース(1942-)

肩、肘、膝に関する整形外科医。1985年ロジャー・クレメンスに施術した関節鏡手術で脚光を浴び、以降もスポーツ医学の権威として数多くの選手の手術を担当している。

21位 ジョー・ジャクソン(1888-1951)

シューレス」の異名で知られるMLB初期の名選手。しかし、MLB最大の八百長事件であるブラックソックス事件に巻き込まれ、MLBから永久追放された。ファンは彼に同情的であり、いまなお悲運の選手として記憶されている。

22位 ピート・ローズ(1941-)

最多安打4256本や最多出場3562試合などのMLB記録を持つ「安打王」。しかし、引退後の1989年に野球賭博に関わっていたことが発覚し、MLBからは追放された。

23位 ウィリー・メイズ(1931-)

走攻守すべてに優れたMLB史上最高のオールラウンダーであり、当時MLBにおいて台頭しつつあった黒人選手の代表格でもあった。オールスター24回出場は最多タイであり、「オールスターはメイズのために作られた」と評された。

24位 コニーマック(1862-1956)

1901年アスレチックスの初代監督に就任すると、それから1950年まで指揮を取り続け、5度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。もちろん監督の就任期間としてはMLB史上最長である

25位 ハッピーチャンドラー(1898-1991)

上院議員ケンタッキー州知事、そして第二代MLBコミッショナーランディスが黒人参加に否定的だったのに対して、チャンドラー進歩的であり、1947年ドジャースおよびジャッキー・ロビンソンを支持し、その契約を承認した。

26位 オリバー・ウェンデル・ホームズジュニア(1841–1935)

連邦最高裁判所の名判事として著名。1922年、球団が選手の移籍を制限できる「保留制度」について、それが反トラスト法に該当しないとの判決を下した。これにより、現在までもMLBは反トラスト法適用免除の特例として扱われている。

27位 バーニー・ドレイファス(1865-1932)

1900年パイレーツオーナーとなった。その後のナ・リーグア・リーグの対立を調停し、「ワールドシリーズ」を提唱して1903年の初開催に尽力した。また1909年に、鉄筋コンクリート製の近代的な球場を建設したことでも知られる。

28位 アレクサンダー・クリーランド(?-?)

スコットランド出身のビジネスマン1934年、野球発祥の地であるクーパーズタウン(これはスポルディングが広めたデマであるが)に野球博物館を作ることを思いつき、そのアイディアアメリカ野球殿堂の元になった。クリーランド自身は野球に全く興味がなかった。

29位 テッド・ウィリアムズ(1918-2002)

レッドソックスで活躍し、MLB史上最高のバッターの一人とされる。最後の4割打者であり、通算出塁率.482はMLB記録である1970年に刊行された、自身の打撃理論を記した「The Science of Hitting」は、後の多くの打者に影響を与えた。

30位 デビッド・ネフト(1937-)

大学で統計を学び、1969年スポーツ百科事典「The Baseball Encyclopedia」を、1974年からは「Sports Encyclopedia: Baseball」を毎年刊行し、高い評価を得た。他にサッカーバスケットボール百科事典も編纂している。

31位 トニー・ラルーサ(1944-)

ジョン・マグローらと並んでMLB史上最高の名将とされる。ホワイトソックスアスレチックスカージナルスの監督を歴任し、ワールドシリーズを3度制した。データを駆使した細かな継投を得意とし、現代的な「クローザー」というポジションの確立に貢献した。

32位 レフティオドール(1897-1969)

MLBで首位打者を獲得するなど活躍し、引退後は監督となった。1934年に日本の野球チームと対戦したとき、相手チームに「ジャイアンツ」というニックネームを贈った。1949年に訪日した際にはチームを率いて全国巡業を行うなど、戦後日本に野球を広めるのに貢献した。

33位 ロイ・ホフヘインズ(1912–1982)

アストロズオーナー1965年世界初ドーム球場アストロドームを建設し、さらにドーム球場では天然芝が使えないために、人工芝アストロターフを開発した。人工芝70年代に流行し、その走りやすさからMLBの野球をスピーディなものに変えた。

34位 ロバート・ボウマン(1955-)

MLBのインターネット部門であるMLB Advanced Media社(MLBAM)のCEO。MLB.comを運営し、試合のオンライン配信や、チケットの販売などを開始したことで、巨額の利益を上げている。

35位 マーク・マグワイア(1963-)

1998年サミー・ソーサとの最多本塁打争いにより、1994年ストライキで低迷したMLBへの注目を取り戻した。最終的に70本塁打を放って当時の新記録を作ったが、2005年頃からステロイドの使用が確実視されるようになり、その名声は失墜した。

36位 カート・フラッド(1938-1997)

1969年カージナルスに所属していたフラッドはトレードを拒否し、マービン・ミラーと共に「保留条項は反トラスト法違反であり、トレードは無効である」との訴訟を起こした。裁判には敗れたが、この事件をきっかけにFA制度が導入された。

37位 野茂英雄(1968-)

日本での任意引退を経て、1995年にMLBのドジャースと契約した。30年以上前の村上雅則を除けば、MLBで長年に渡って活躍した初めての日本人選手であり、その後も続々とMLBに移籍する日本人選手たちの先駆けとなった。

38位 メリッサラットク(1951-)

1977年ワールドシリーズで、当時のMLBコミッショナーだったボウイキューンは、女性記者であることを理由にラットクの取材を許可しなかった。彼女は平等な取材を求めて訴訟を起こし、勝利した。これ以降、全てのチームが取材に制限を設けないようになった。

39位 ビル・ドーク(1891–1954)

1920年カージナルスの選手だった彼は、野球用品メーカーとして有名なローリングス社に、グラブの親指と人差指のあいだに「網」を貼るべきだと提案した。これにより現在の形の野球グラブが完成した。

40位 セオ・エプスタイン(1973-)

2002年レッドソックスのGMに史上最年少となる28歳で就任する。2004年のWS優勝で「バンビーノの呪い」を打ち破ると、2012年には新たにカブス球団社長となり、2016年のWS優勝で「ビリー・ゴートの呪い」までも打ち破ってみせた。

2015-12-18

岩隈

 岩隈ってすごい投手なのになんかちょっとだけ不憫な感じがしない?

20勝したり、メジャー行ってローテだから不憫って表現おかしいのかもしれないけれど、

なんか田中ダルとかにくらべてちょっとだけ不憫な感じがする。

 長期の怪我だったり、球団消滅二段モーション、バックが初期楽天って、

それでもあれだけ勝ってるからレジェンドなんだけど、あれだけの選手なのになんかついてない。

 やっとドジャース54億か。よかったねって思ったらこれだもんね。なんなんだろうね。

2008-09-16

やけにリアル英語の夢

最近、夢の中で英語を喋っていることが増えた。文字通り、「英語でしゃべらナイト」だ。ただ、会話の内容は覚えているのだが、やりとりした英語の文章を良く覚えていないのが残念だ。

昨晩見た夢は、そんな夢の中でも極めて内容が具体的だった。それは、アメリカ田舎町のフリマで、大量に競馬野球のグッズを販売している、黒人の親子に出会う夢だった。

父親の背丈は2mは確実に超えていて、しかも体に恰幅があった。息子の背丈は150cmは優にあって、父親そっくりの体つきだった。息子は背丈の割には童顔に見えた。父親の背丈を考えると、おそらくこれでも、小学校の低学年くらいなんだろうな、と思った。

彼らは、フリマに出店した理由について、こう話してくれた。

「普段は、フリマでたくさんグッズを集めているんだ。だけど今度、仕事の都合で西海岸に引っ越すことになったんだ。そうしたら、引っ越し先の家がとても小さくって、集めたグッズの大半を売り払わなきゃいけなくなったんだ。さもないと、引っ越し先のガレージにはミニカーしか置けなくなっちゃうからね。」

「最後のは、典型的アメリカンジョークだな」と思いつつも、僕はオーバーに笑って見せた。普段のように控えめに笑っていては、アメリカ人には分かってもらえないと思ったからだ。

彼らと話し込んでいるうち、息子が僕にこう言った。

「ボクは8歳だけど、体が大きいから、大好きな騎手になることは諦めたんだ。でもどうしても、プロピッチャーにはなりたいんだ。」

僕は、

「そうなれるといいね。キミの体は、すでにプロピッチャーのそれだよ。」

と答えると、彼はうれしそうに笑い、僕をそっちのけで、おもむろにやってきた友人たちと野球に出かけていった。

彼の姿が見えなくなったところで、父親が僕に聞いた。

「キミは本当に、息子がプロピッチャーになれると思うかい?」と。

鋭い指摘だった。

父親そっくりの恰幅ある体つきをしている彼では、速いボールを投げるのに必要な、鋭い胴体の回転を得ることが物理的に難しい。おそらく、彼がプロピッチャーになるのは、普通の方法では無理だ。

僕は、正直に答えることにした。

「いえ。息子さんはむしろ、フランク・トーマス(※1)のような大型野手を目指した方がいいでしょう。なぜなら、あなた方は彼に非常に似ているからです。」

※1:http://cache.daylife.com/imageserve/0gFO90hgbyd0A/610x.jpg

「そう。キミの言うことは正しい。おそらくあの子の体格では、速い直球は投げられないだろう。事実、ボクがそうだったからね。でも、息子はどうしてもそのことを受け入れてくれないんだ。どうしたらいいだろう?」

僕はこう答えた。

「球が遅くとも、バックスピンの強い直球を投げられるようにするのはどうでしょう。なぜなら、そうした直球は、打者にとって非常に打ちづらいからです。事実日本のマサ・ヤマモト(山本昌)が、そうした直球を投げることが出来ます。彼は日本で、長く素晴らしいキャリアを積んでいます。しかし、彼の直球は非常に遅いです。」

そうすると、父親は何かを思い出したかのように、売り物の野球グッズの山をあさりだした。それから数分後、彼が手にしていたのは、"Masahiro Yamamoto"と書かれたベースボールカードだった。山本昌が、ドジャース傘下のマイナーリーグでプレーしていたときのものに違いない。

「確かにマサの体格は、日本人にしては私たちに似ているね。彼のフォームは参考になりそうだ。インターネットで彼の動画は見ることはできるかい?」

僕はすかさず、こう答えた。

「たぶん、Youtubeで、"Masa Yamamoto"のキーワードで検索すれば見つかると思います。」

父親は、

ありがとう。キミの話はとても参考になった。お礼にこのベースボールカードをあげるよ。」と言って、山本昌ベースボールカードを僕に渡そうとした。

そのカードは、僕はネットですら見たことが無く、日本では相当貴重な品だと思った。「なんでも鑑定団」にたまに出てくる、「屋号じゃなくて、てめえの頭が『流体力学』に基づいている」例のハゲオヤジに見せれば、最低でも万単位の値が絶対につくと思った。

だけど、僕は格好つけてこう言ってしまった。

「これは、あなた方が持つべきものです。きっと、息子さんのモチベーションの源になるでしょうから。その代わり、僕にこの、1989年ケンタッキーダービー記念のガラスコップ(※2)をもらえませんか?」

(※2)http://i15.ebayimg.com/03/i/07/df/5f/a8_1_b.JPG

父親は、僕がこのコップを欲しがる理由が飲み込めず、一瞬不思議そうな顔をした。だが、すぐに僕に笑顔を見せて、そのコップを渡してくれた。

僕がこのガラスコップをもらったのには、理由がある。1989年ケンタッキーダービーは、日本で大成功を収めた種馬サンデーサイレンスが優勝したレースだったからだ。おそらく、サンデーサイレンスが冷遇されていたアメリカよりも日本の方が、このコップをずっと価値あるものと評価するだろう。

いいものをもらった…

...と思ったが、「日本には、ケンタッキーダービー記念のガラスコップの収集家が少ないので、高値はつけられませんねぇ」と、例のハゲオヤジがのたまう姿がハッと脳裏に思い浮かび、そこで目がさめた。

---

これがあくまでも夢だなぁと思うのは、アメリカにはデップリした体格でも、バンバン速球を投げ込むピッチャーがいることだ。

例えば、ブルワーズのサバシアなんかは、身長約2m、体重約130kgの巨体で、150km/hを超える速球を投げ込む(※3)。

※3:http://ja.wikipedia.org/wiki/CC%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%90%E3%82%B7%E3%82%A2

そして、何よりも夢だなぁと思うのは、Youtubeで"Masa Yamamoto"で検索をかけても、アメリカでは無名であろう山本昌本人の映像はロクに引っかかりはしないだろう、ということだ。事実、この検索をかけても、本人の映像は上から2番目にしか出てこない。ちなみに、1番目に出てくるのは伊集院光ラジオだ。

Youtubeで、"Masa Yamamoto"で検索した結果

http://jp.youtube.com/results?search_query=Masa+Yamamoto&search_type=&aq=f

あと、この検索で見つかる山本昌映像には、とんでもないオチがある。オチは、実際の映像を見て確かめて欲しい。

2007-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20070308095504

直接関係ないけど、福本の言葉を置いておきますね。

ドジャース野茂将棋羽生イチロー・・・・・・

彼らが今脚光を浴び、誰もが賞賛を惜しまないのは、

言うまでもなく、ただ彼らが勝ったからなのだ・・・・!

勘違いするな。よく闘ったからじゃない。

彼らは勝った。ゆえに今そのすべて、人格まで肯定されている。

もし彼らが負けていたらどうか・・・?

負け続きの人生だったらどうか・・・?

これも言うまでもない。おそらく

野茂はウスノロ、羽生根暗イチローはいけすかないマイペース野郎

誰も相手にさえしない。わかりきったことだ。

 
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