はてなキーワード: 勝敗とは
例によって言い間違いで「変な特殊能力」を授けられる。
例によって主人公は異世界転移のお約束をすでに了解済みで、経験することに、それほど驚かない。
変な特殊能力だけど使いようによっては無双できるのはわかった。
例によって冒険者ギルドでタスクをもらって実績を積み上げる主人公。
なかなか順調だぞ。
なんやかんやある。
どうやらこの世界には複数の異世界転移者いるし、その数は定期的に増える。
なので簡単には倒せない。
だから迂闊には戦えない。
例えば、
最強の防御力を持つ転移者。
二人が戦うと能力が拮抗して、千日手の状態になり勝敗はつかない。
とはいえ、そこで戦いを止めようとしても、相手がそのスキに攻撃をしかねない。
だから、戦いをやめることも出来ない。
それを見ていた第三者の異世界転移者が漁夫の利を得て、二人を倒す。
なんて、ことになりかねないから迂闊には戦えないのだ。
さらにさらに、転移者同士の戦いで千日手には陥らないために「変な特殊能力」のほうが強いのだ。
みたいな話を読みたい。
例えば途中から自分が少数派だと気づいたら、または相手のテーマがわかってしまったらどうするのか。
少数派がお題に気付いたら発見が困難になるのは当然でそういうゲームでしょ。
少数派が多数派のお題を当てたら逆転勝利のオプションルールがあると気付かれた時点でほぼ少数派の勝ち確になるし。
黙っている方が得なのである。
これはその通りなので、慣れた人向けには「最初に全員お題について一言ずつ喋る」というオプションルールがある。
配信であれば配信者は喋ることがゲームの勝敗以上に大事だから不要なオプションルールだろう。
ワードウルフは人狼の様な古典ゲームではなく日本のゲームデザイナーによるボードゲームなので、ルールが気になったのならちゃんと正規のルールを参照しよう。
鬼ごっこと麻雀を融合させた、全く新しい遊びを提案いたします。この遊びは、最近の遊びの潮流を反映し、興奮と戦略性の両方を備えた面白いものです。
この遊びのルールは、まず全員が麻雀の牌を持ちます。そして、麻雀のテーブルの上に、障害物や隠れ場所がたくさん配置されます。参加者たちは、麻雀の牌を持ったまま、隠れたり走り回ったりしながら、障害物を駆使して鬼から逃げます。鬼は、麻雀の牌を持ったまま、追いかけて参加者たちを捕まえようとします。捕まった参加者は、麻雀の牌を置いて、ゲームから退場します。残った参加者たちは、最後まで生き残ることを目指します。
この遊びの面白さは、鬼と参加者たちの役割が逆転する瞬間です。鬼が一人残るまで続く遊びが、いつの間にか麻雀の対局に変わっている瞬間があります。そして、麻雀の牌を持っていることが、生き残るための重要な要素となっています。参加者たちは、隠れたり駆け回ったりしながら、麻雀の牌を守りながら逃げる必要があります。そして、鬼は、麻雀の牌を持った参加者たちを捕まえることで、自分の生存率を高めることができます。
この遊びの魅力は、興奮と戦略性の両方を兼ね備えたところにあります。参加者たちは、麻雀の牌を守りながら、隠れたり走り回ったりすることで、興奮を味わうことができます。また、鬼として参加することで、追いかけたり麻雀の牌を奪ったりすることで、戦略性を味わうことができます。この遊びは、麻雀や鬼ごっこが好きな人には特におすすめです。
以上が、鬼ごっこと麻雀を融合させた全く新しい遊びの提案でございます。
鬼ごっこと麻雀を融合させたこの遊びにおいて、参加者たちは麻雀の牌を持っています。最初は鬼と参加者たちが逆転するまで、鬼から逃げたり、牌を守ったりする鬼ごっこの遊びが繰り広げられます。しかし、ある瞬間を境に、参加者たちは麻雀の対局のような状況に陥ることがあります。
具体的には、麻雀の牌を持った参加者たちが、鬼から追われながらも、牌を利用して逃げ回る中で、お互いが牌を出し合うという状況が生じます。牌を出し合うことで、参加者たちは麻雀の対局のように、鳴きやロンなどの手段を駆使しながら、役を作り、点数を競い合うことになります。
そして、そのような状況が長く続いた結果、鬼が全員の参加者を捕まえた場合や、残った参加者たちが最後まで生き残った場合には、鬼ごっこの遊びが終了します。その後、麻雀の役や点数を競い合った参加者たちは、勝敗を決めることができます。
このように、鬼ごっこと麻雀を融合させたこの遊びは、麻雀の対局のような状況に進化することで、より戦略性や楽しみを増すことができます。参加者たちは、麻雀の牌を持ちながら、鬼から逃げるという興奮と、役や点数を競い合う麻雀の楽しみを同時に味わうことができるでしょう。
話の通じる人だろうから話すけど、そういう極論は良くないと俺は思うな。
完全にわかり合うのは不可能なことはわかってるし、わかり合おうとも思ってない。
でも相手が本当に考えてることが全くわからなくてもルールに従って将棋を指すことはできる。
勝敗を決められるし、将棋のルールの中でああしたほうが良かった、こうしたほうが良かった、って話もできる。
でもこと議論においては、今からこの歩は最強ね!歩がビームを打ちました!はい全部倒して勝ち!くらいのレベルの話を恥ずかしげもなくする大人がいる。
世界が違うからほっとけ、と言ってしまえば楽かもしれないけど、実際にどう頑張っても同じ世界には生きているわけだし、自分自身が底辺の生まれだから切断処理してしまうほどドライには考えられない。
「官僚は無能」などと吐いて憚らない、非常に勇敢で勇気のある人物は、Twitterでも見た気がする。
彼らの姿勢には、感嘆せざるを得ない。
国家公務員I種の採用者数約500名は、半数が東京大学と京都大学で占められている。
学歴という観点で、彼らよりも優れている人物は、ごく限られる(本稿においては学士修士博士の基準は置いておく。)。
学歴即ち優秀さ、とは思わない。
しかし、仕事の巧拙と学歴競争の勝敗に、直観的な相関を見いだすことは、そこまで特異な見方でもないだろう。
頑健な因果ではないだろう。相関から離れている者もいるだろう。500人の採用となればなおのこと、含まれている可能性も僅少ではない。
それでも、大数の法則により収束する彼らの平均的能力は、他の凡百の組織よりもはるかに高いはずだ。
不思議だ。
しかし、一般的な確率論からして、彼らのほうが優れている要素や可能性を見いだすほうが、珍しいパターンだろう。
官僚はかなりの高学歴集団だ。そんな彼ら「でさえ」できないのだ。
彼らより優れた意見や成果を出せると思える人たち、その自信や勇気は、確かな源泉があるのだろうか。
ない可能性が、圧倒的に高いわけだが。
政治家が何か決めるたびにこれはひどいってタグで攻撃してたよね
ああいうなにもかも新しくて、正解がわからない状態で決断をしなければいけない仕事に
ひどいひどいと言い続ける、なにをやってもこれはひどいで終わる
事が過ぎたら誰もその話をしなくなって逃げるの卑怯すぎ
無責任にひどいひどい言ってるよね
ワクチンがそうで、最初は1年で作ったワクチンなんてやばいだろでこれはひどいだった
でも今度はワクチンの入手が遅れてるでこれはひどいこれはひどいと言い出した。
そして目標は1日100万人接種です!と言えばこれはひどいこれはひどい
でもワクチン接種がおわったら「日本人は接種率まぁまぁ良いよね」とか言うんだよなw
なに勝手に総括してんだ、まぁまぁ良いよねじゃねーんだよ糞はてブ
勝敗が決してそろりそろりと勝者の側に行こうとしてる日和見糞野郎の巣窟だよな
声出し応援の件でも、外国人の入国規制緩和でも、これはひどいこれはひどい
良かった~~!
無印アイカツ!からみましたが、見てなくても69.70話以外は問題ない構成に脱帽。
「スタートライン!」を構成の念頭に置いたような「夢は見るものじゃなくて叶えるもの」を体現するゆめ。
でも、決してゆめ1人だけでは叶えられなかった夢を叶えるストーリーがすごく刺さりました。
エルザが求めた「太陽のドレス」、説明の回で「1人だけが手にする」とは一言も言ってなかったので、もしかしたらゆめが決勝で覚醒させるんじゃ…?と思ってましたが、まじで。Music of Dream!!のサビで覚醒させるのはズルでは?と思ってしまった。
私の中の藍染惣右介が「一体いつから太陽のドレスは1着だと思っていた?」って言い出して悔しい半面すごい感服しました。
太陽のドレスを覚醒させる条件が、「ドレスを着るアイドルが輝くこと」と思っていましたが、個人的にはそうではなくて、「人を照らす事が出来るアイドル」という条件、エルザは一見独善的に見えて、実はレイたちヴィーナスアークのアイドルからしてみればまさに太陽だった。一方で虹野ゆめはストーリーで描かれるように、自分ひとりじゃここまでこれなかったけど、自分がここに来るまでに信じて助けてくれた仲間がいたからこそ、「照らし、照らされるアイドル」として太陽のドレスの覚醒条件を満たした。
決勝の勝敗を分けたのは、それを自覚していたかどうか。そんな気がしました。
真昼は準決勝で負けてしまいますが、ゆめと戦いたいという気持ちを自覚し、下馬評でも自覚の面でも負ける可能性の方が大きいと思いながらも、負けたあと「悔しい」と思えることが素敵ですよね。
「実は真昼に負けた時すこし悔しかったんだよ?」と伝える夜空。
そこまで夜空は「真昼は私を越えてくれて嬉しい、もう自分の道を歩き始めている」と言い続けていた夜空の少しの本音を受け止めた真昼。
やっぱり、姉を引きずり下ろしてしまったことへの負い目的なのはあったのかもしれませんね。
なにより香澄姉妹が和解できたのが本当に良かったです。和解して放ったらかしじゃなくて、その後香澄家を掘り下げてくれたのも嬉しかったです。
小春のデザインへの想いを受け止めて完成した、いわば2人のドレスを皆の想いで太陽のドレスに覚醒させる。これは無印のデザイナーとアイドルの関係に似てますが、無印はアイドルの資質と努力でアピールの次元を越えれるか大きなターニングポイントでした。
一方で、ドレスが進化するという設定においては小春がデザイナーでありアイドルであるということが大きいポイントですね。小春も27代S4戦前には、「私もS4を目指す」とアイドルへの意欲も見せてくれました。結果も僅差って言ってるので、アイドルの才能もあるんですよね小春ちゃん。幼なじみの関係ではゆずとリリィも外せませんが、こちらは2人ともアイドルで、同じ道を歩むことを選びますが、一方でこの二人の関係はアイドルとデザイナーに近いですよね。そんな2人が2ndシーズンで再開する流れ、良かったです。
ローラは結局ゆめに勝つ舞台は少なかったですが、最初にゆめの実力、努力を認めた彼女がいなければゆめはS4になれなかったかもしれません。
「ライバル」でい続け、「仲間」でい続け、「幹部」として支え続けてくれたローラに、最後にS4で世界最高のアイドルのゆめがほんの少しのお返しでイギリスでのローラの活動を影ながら根回しする展開。
最後の勝敗を描かない演出もそうですが、ローラとゆめのライブじゃなくて、ゆめとひめの戦いを見届けてイギリスへ旅立つローラも粋です。
やり残したことが「ライバルの夢の先」で、その勝負を見届けることで本当の意味でスタートラインが始まるという最高のENDも良かったです。本当にローラという1人の少女がゆめを認めていたからこそゆめが太陽であれたんだと思います。
見終わってすぐなので拙い文章でアレですが、本当に良かった~~~!!
損得でいうとあまりに折り合いが悪い場合はパートナーを失うという損が発生すると思うけど、それがさほど大きなダメージではない場合は要求を続けていけばいいと思う。
俺は基本的にお互いに可能な限り折れていき、お互いにそれを信じるというスタンスでないとうまくいかなかった。折れるという行為をどちらかが継続的にサボりだしたとき関係は壊れた。
でも君のところみたいに競い合う関係にある場合、勝敗が決したら次はどうするのかな。たぶん彼女はずっと敗北し続けている。
生活への貢献度なんてクリティカルな問題で争うのはやめて、新たに0から競えるものを見つけたほうが良いのではと思う。一緒に生きたかったんじゃないのか?
ゲームでもAIイラストでもなんでもいいが、その分野に携わっている人とオーディエンスが基本一致している時が一番楽しい
対戦ゲームだとオーディエンスもプレイヤーの一人である場合、プレイの端々において盛り上がりポイントが共有しやすいなど利点が滅茶苦茶ある
ようは「身内同士」の連帯感というのが強い
逆にプレイヤー<<オーディエンスってのは、例えばプロ野球観戦かな
オーディエンスが野球をしている事は圧倒的に少なく、プレイヤー同士の対戦を一方的に観戦するのが基本だよね
それが草野球レベルにまでなると観戦する人もプレイヤーだったり野球関係者ってこともあるから身内感が強くなる
身内感が強まるとどうしても窮屈になるけど、そういうときは外部に広めようとするんだが、運良く広まっていくと今度は適度な身内感がなくなってつまらなくなる傾向がある
ゲームだと、身内同士の暗黙のルールや勝敗による罰ゲームとかが外部に理解されなかったりヘンテコなルールを持ち込まれたり、そういうことね
なんなんだろうね。
コンテンツ消費の速度が早すぎる。
試合中に盛り上がりのリソースを使い切って、勝敗が決まったあとの30分ぐらいで勝敗そのもののコンテンツ力も使い切られてしまう。
そして夜のニュースに出る頃には「次の面白いことないの?」って状態。
すげー時代だよ。
何から何までが早い。
マジで過去も未来もすっ飛ばして今この現在しか無いような社会。
瞬間瞬間を必死に生きているにも程があるだろ。
人類の寿命が伸びて様々なコンテンツが溢れ出した結果、逆に世界はより刹那的になっていくというのは面白いね。
ははーすみませんでしたー
だって風のリグレットってゲームとしての要件定義ギリギリじゃん。
プレイヤーに選択権がある分、選択肢のないデジタル紙芝居よりは上なんだろうが……。
ただデジタル紙芝居って純粋な「物語の追体験装置」であり、あれもまたゲームという枠組みを半ば逸脱しているわけで。
たとえばどんな簡単なRPGであってもプレイヤー側にはそれなりの自由度の戦闘があり、そこには「無数の選択がかけ合わさった結果としての勝敗」が存在する。
その「複雑に様々な要素が絡み合った果てに結果が出力される」というイニシエーションがプレイヤーとキャラクターのシンクロ率を大幅に調律するわけだ。
デジタル紙芝居における選択肢分岐は「もしキャラクターがこの選択を選んでいた場合は」という極めて単純なIF分岐であり、そこにプレイヤー側の自由度はほとんどなく「どちらの話を見ようかな」という傍観者としての選択になりがちなのだ。
それと比較すれば当然「カブトクワガタ」というのはゲームとしてだいぶ立派なものになるが……そもそもの比較対象がおかしいからなあ……。
スムージーとゼリーを比較して「咀嚼能力がない人でも食べることを楽しめる」の線でどちらが上等か比較されても「そもそもスムージーはまだ飲み物の領域から出てきてないだろ」と言いたくなってしまうのだな
多分、大学出て3年くらい立って勝敗がつき始めたと感じる年頃〜今期を逃した自覚が辛い40代くらいが主要顧客だと思うんだけど、中毒が抜けないと歳を重ねていくじゃん。今は同年代女性叩きが都合良さそうだけど、このあと何を叩くんだろうね?60歳のとき同年代の女性叩くかな?怒りは脳のクセになるっていうから、重症化しちゃうとかわいそうだ。
ニュースとか怨恨が原因の傷害とか殺人って「男→女」ってパターンで男同士がほとんどで男同士の殺し合いって聞かない。
俺も「死ね!」とか「死ねばいいのに!」とか思う対象は女性であって、男を恨むという記憶はほぼない。
たぶんほかの男性もそうで、男が男に嫉妬・妬みを持つのは珍しい現象だからこそ「男の嫉妬は醜い」と慣用句的に使われるのではないかと思う。
なんでかって言うと男と男のもめごとの基本的に喧嘩になる前にある程度結果が決まってる事が多い。
腕力とか偏差値や年収や人望とかそういう公然のパラメータで自他共に「勝った」「負けた」というのを理解しちゃう。
でも男女って競うこと、喧嘩することは基本ないから発散できないで鬱憤が溜まる。だから攻撃性が高まるのは対女性の事が多い。
ネットでアンチフェミの男は居ても、アンチ男の男が居ないのは対男はすでに決着がついていて、対女の場合はリアルで殴りあえない事をこっちで勝敗決めようとしてるんではないだろうか。