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はてなキーワード: 放課後とは

2018-05-19

現代体育に望むこと

公園で遊べない、習い事や塾で放課後に校庭でも遊ばない。

ロコモティブシンドローム子供に見られ、うんこ座りができない、転ぶ際に手が前に出せず骨折などが増加している。

スポーツ人口やす前に、正しいストレッチや体の動かし方を学校でなぜやらないのか。

せめて自由参加で週に2回ほど、体を動かすクラブを設けてほしい。

近隣地域散歩するのでもいい。

体を動かすことは、激しくスポーツするだけじゃないだろう。

2018-05-10

誰かわからないけれど

毎月売上10000円位しか無い私のブログ経由して昨日1日でこれだけ買ってくれた人ありがとうめっちゃびっくりしました。

幸せになってほしい。

15肉感女医の夜の診察 風間ゆみ 解禁お宝写真集

16放課後学院 羽月希 解禁お宝写真集

17清楚な先生肉食系 羽月希 解禁お宝写真集

18むちむち熟女子校生 村上涼子 解禁お宝写真集

19ムチムチセラー服 長澤あずさ 解禁お宝写真集

20むちむち熟女子校生 風間ゆみ 解禁お宝写真集

21電車の中で出して・・・ 風間ゆみ 解禁お宝写真集

22電車の中で出して・・・ 羽月希 解禁お宝写真集

25美熟女バニー 村上涼子 解禁お宝写真集

27ご主人様のいいなり 村上涼子 解禁お宝写真集

28男の妄想 桜木凛 会社の後輩から誘惑されて…

30女教師倶楽部 桜木凛 妄想フェロモン女教師家庭訪問

32男の妄想 風間ゆみ 爆乳美人上司の誘惑

33アブナイ女神桜木凛 vol.2

34アブナイ女神桜木凛 vol.3

35アブナイ女神桜木凛 vol.4

36Premium 西野 翔 -誘惑フラッシュ-

37歌舞伎町高級コール倶楽部 翔26歳 その壱

40Premium 桜木凛

42ボクのそばはいつもキミ 桜木凛 ギリ見せ☆

43セクシーキュート小悪魔 桜木凛 ギリ見せ☆

45まるごと!桜木凛 Special

46妄想OL 羽月希※直筆サインコメント付き 解禁お宝写真集

50妄想女子校生 羽月希※直筆サインコメント付き 解禁お宝写真集

51妄想体育倉庫 羽月希※直筆サインコメント付き 解禁お宝写真集

54マンガ家と作るポーズ集 男の脱衣ポーズ

55XP-Pen 液タブ 液晶ペンタブレット 22インチ フルHD 2048レベル筆圧 角度調整可能 Windows/Mac対応 Artist22

58内田理央 OTHER SIDE がんばりお

59XP-Pen キーボード カスタマイズ 液タブ用 ワイヤレス ホイール 便利なホットキー 左手デバイス AC19 Shortcut Remote

62神山あかね-008: Tokyo Kawaii Girls

63高岡未來-001: Tokyo Kawaii Girls Untouched Tokyo Kawaii Girls Untouched:Miku Takaoka (Tokyo Kawaii Girls Collection HarajukuP)

64高岡未來-002: Tokyo Kawaii Girls Untouched

65末永みゆ-001: Tokyo Kawaii Girls Untouched

66高岡未來-005: Tokyo Kawaii Girls Untouched

67末永みゆ-002: Tokyo Kawaii Girls Untouched

68末永みゆ-003: Tokyo Kawaii Girls Untouched

69桜木ひな-001: Tokyo Kawaii Girls Untouched

70高岡未來-007: Tokyo Kawaii Girls Untouched

72桜木ひな-011: Tokyo Kawaii Girls Untouched:e003

73しほの涼-003: Tokyo Kawaii Girls Pure:e003

74しほの涼-005: Tokyo Kawaii Girls Pure:e003

78BEST SHIHONO ON MY MIND しほの涼COVER DX [sabra net e-Book]

79BEST SHIHONO ON MY MIND 2 しほの涼DX [sabra net e-Book]

80片思いグラドル

81曲線美

82片瀬美月 MIDUKI Styles By your side: 390pages or more

83男の妄想 桜木凛 新任女教師を弄ぶ教え子たち…

2018-05-09

美少女放課後デートしたい

そしてチャリンコの後ろに乗りたい

坂道をぐんぐん昇っていき、その風を感じたい

人生の答えって何だろうか

これまでの人生苦痛が多く、ほとんど無意味人生だった。

淡々人生を歩んできて、楽しいと思った時期なんてそこまで無かった。

そんな日々も残りあと少しなので、簡単にだけど振り返って吐き出したい。


幼少期は両親の喧嘩が絶えず、割れる瓶と鈍く低い音、そして奇声といつも冷や冷やとしていた記憶しか無い。

もちろんその喧嘩によるとばっちりを受けたこともある。

親の友人からはいつも大人しいと言われていたが、あのような状況が続いてわいわいと騒げるわけがない。

更に親が喧嘩した後、薄かった壁に大きめの穴が空いていたのが恐怖を感じた。

幼いにも関わらず、この時から親を反面教師にして生きていこうと決意していた。

しかし、この頃から人の目を伺うという性格根付いてしまった。

ずっと無気力がちだったのもこのせいなのかもしれない。


その後、小学校入学して新しい環境になるが、学校が唯一の癒やしだった。

勉強ほとんど出来なかったが、家と比べて遥かに休息出来ているという感覚はあった。

友人も何人かでき、よく休憩時間放課後でも楽しい時間を過ごしていた。

とは言え、当時の記憶なんてもうほとんど覚えていないが、暖かく晴れた日の柔らかな風とカーテンの揺らぎが、子供ながらに不思議と癒やしを感じていたのはよく覚えている。

けれど安らかな一時というのは時間が経つのが早い。

学校が終わったら癒やしも何もない家へ帰るのは本当に億劫で、わざと遠回りして家に帰ることはしょっちゅうだった。

ただ、両親が居ない時の家は心を休めることが出来た。


そして中学になってから両親は離婚したが、母親相手に強く依存するタイプだったようで、依存対象が無くなったせいなのか更にメンタルがやられ、この時からロクに家事をやらなくなった。

母親が何もやらないので、仕方なく自炊やらを覚えたのはこの辺りだった。

肝心の学生生活については、育ちの悪い連中に影響された奴が多く、一気に不良となった子が増えたのにうんざりしていた。

小学の時は良い友人だったのに、突然万引きやらタバコをやり始めた人が何人もいた。

ただの格好つけで根は良い奴だと思っていたが、弱い者イジメに加担する輩も結構いて、私は心底呆れていた。

小学の時の癒やしとは程遠かった。


数年経ってそのような生活も終わり、高校へと進学した。

この時、知っていた小中の人達とはほとんど別れて全く別の環境になった。

全く賢い学校ではなく、むしろバカ学校と言える高校だったが、当時の担任面白いお兄さんで、学生のようなノリをしながら生徒と同じような目線勉強を教えようと頑張ってくれた。

担任ギター経験者であり、時々息抜きとしてみんなに弾き語りしてくれた時もあった。

小中とロクに勉強してなかったので日々勉強するのはそこそこ辛かったが、先生一生懸命教えてくれたこともあり、賢いとは言えるレベルで無いにせよ、ある程度の教養は身につけられたと思う。

でも、ある日からその担任は別の高校へと向かうことになった。

その高校はここよりも遥かに賢く、誰が聞いてもとても良い場所だった。バカ学校なんて所にいるより、遥かに待遇も良いだろう。

また、当時担任の奥さんは妊娠していたようで、それを含め生徒らは祝福した。


そしてお世話になった担任は去り、別の教師が新しい担任になった。

しかしこの教師曲者で、突然怒り出したと思ったら平気で授業を放棄するわ、意味分からん自慢話ばかりで授業が進まないわで非常に厄介な人で、ひどく困惑した。

他の教師からも疎まれているようで、教員会議でもワンマンぶりを発揮し、大声で意味分からん持論を発して他の教師を困らせていたようだ。

何故そんな教師がクビにならないのか非常に疑問を感じていた。

担任変更が高校最後の年だったので被害はそこまでだったが、二度と関わりたくない相手だった。

前の担任が別の学校へ行った時、その教師はアイツは逃げたと言っていたが、そりゃこんな所なんて逃げるだろうと誰もが思っていた。

ちなみにこの頃、母親は別の男を見つけ、更に家事放棄するようになっていた。

まあ、この時大体の事は自分で出来るようになったので、大した影響は無かった。


そして時が移り、大学入学を迎えた。

正直なところ、高校入学当初は大学になんて行けると思っておらず、高卒就職だろうなと考えていた。当時の最初担任のおかげだろう。

ただ自分学力では良い大学には行けなかったが、割と綺麗でお洒落大学に入れたので良かったと思っていた。

はいえ、折角大学に入ったのにそこまで勉強をせず、サークルにも入らず、自堕落生活を送っていた。

また、以前から一人で過ごすことも多かったので、積極的に友人を作ろうともしなかった。

居ても一人や二人程度だ。

大学では一応授業はちゃんと出ているつもりだったが、大抵途中で居眠りしていた。落とした単位が少なかったのは幸いだろう。

それよりも静かな図書館でひたすら眠ったり、よく晴れた日に大学のベンチでご飯を食べながら日向ぼっこしていた事が、小学生の時の癒やしを何となく思い出させた。

大学がこれまでの人生で最も安らかだった時期だと思う。


アルバイトを始めたのはこの頃。

高校バイトしている人は多かったが、学校自体禁止していたので積極的に参加は出来なかった。

バイトコンビニで働いていたが、時給の割にやることが多すぎて大変だった。

仕事自体は大変なだけで辞めるほどでは無かったが、その店のオーナーと息子があまりにも横柄で更に仕事をしなかったため、衝突が多くなり、半年もせずに辞めた。

まりイライラする職場だったので、最低限の事だけを行って何の言葉も残さず退職した。

仕事よりも人間関係の離職理由が多いとはよく聞いていたが、なるほどなと理解した。

正直この時点でもうバイトはしたくないと考えていたが、そんなこと言っている場合じゃなかったので、次は家の近くにあった小売の仕事に転換した。

また同じ事になったら嫌だと思ったが、予想とは異なり、その店の従業員はみんな良い人ばかりだった。

以前のとの差に驚き、最初からここで働いていれば良かったなと後悔した。

ここは大学卒業するまでずっと働いていた。

当時の方々には非常にお世話になったと感謝している。


ちなみに女性を初めてまともに好きになったのは大学に入ってからだった。

出会い大学の通学途中、学校へ向かう電車が一緒だった。

当初はお互い気付いていなかったが、ゼミが一緒だったこともあり、行きや帰りの駅で何度か姿を見かける事に気付いた。

の子は小柄で物静かな女性で、物腰や動作がどことなく品がある女性だった。

最初はそこまで何も思わなかったはずなのだが、気付けば気になる存在となっていた。ただ、姿を見かけてもどうすれば良いのか分からず、会話することが出来なかった。

向こうもこちらの存在には気付いていたようで、お互い気にはなっているがその先が踏み込めない状態だった。

大学ではその女性の友人間でこの話が広がり、私がその子の近くにいればその子の友人らはよく騒いでいた。

偶然隣り合うくらいに近くにいた時、彼女の顔が凄く赤くなり、若干挙動が慌てていたのもよく覚えている。

また、大学構内で彼女を近くで見かけた際、こちらに気付いていない彼女は私の事について嬉々としてその子の友人と話していたことがあり、それで私は色々と察した。


本来ならすぐにでも仲良くなるべきだったが、酷い事に年単位で何もすることが出来なかった。腰抜けにも程がある。

流石の自分もこのままでは駄目だと思い、授業中や通学途中にもどうにかするべきだとずっと考えていた。

結局良い方法が思い浮かばず、結局は素直にそのまま接触することにした。

夕方大学の帰りの電車で話しかけた時、彼女はとても驚いていたが、その目はどことなく輝いていた気がする。

ただ、こちらはあまり必死過ぎたせいか、話した内容も聞いた内容も全く覚えていない。


それから問題なく彼女と仲良くなれたと思うだろうが、残念ながらそうはならなかった。

この後に私は友人に呼び出され、何かと思えばその友人は彼女の事が好きなんだという事を話していた。

以前から何となくぼんやりとは察していたが、やはり言われれば印象は大きく変わる。

しか彼女好意を抱いている友人は一人だけではなかった。これには流石に困惑してしまった。

これからどうすれば良いかも分からず、完全に混乱してしまった私は、最終的に彼女無視するという馬鹿げた行動に至る。

これが良い行動でなかったことは言うまでもなく、理由を知らない彼女は私にからかわれたと思ったのか、徐々に避け始めた。間違いなく嫌いになったのだろう。

友人も以前から私と彼女との間を少し察していたため、どんどんとギクシャクした関係になってしまった。

それ以降、この友人とも連絡を取ることは一度も無かった。

これらが影響で大学へ行くのも面倒になってしまい、楽しくもなくなった。

そしてこの件は私を含め誰も得をすることなく、何も解決することもなく、呆気なく大学生活は終わりを迎えた。


これまでの学生生活は長いようにも短いようにも見えたが、その中で何か大きな事を成し遂げることは一切無かった。

10年以上もの時間が与えられたのにも限らず、ただ時間無駄に過ごしただけ。

それを思うだけで自分の中の自信が無くなっていくようだった。

せめて何か形に残るような事をやっておくべきだったな。


大学卒業後、私は在学中ギリギリ内定を貰った職場で働くことになる。

この職場実家と離れるために一人暮らしをしていたが、今まで以上に億劫な日々を過ごし続けていた。

学生時代とは違った、空気の全く異なる職場で何も考えることなく働き続けた。

仕事特にやりがいがあるわけでもなく、また休みの日に何かをすることもなく、ただただ無為時間が過ぎているだけだった。

同僚や上長もそんな私の空気を察したのか、ほとんど関わろうともしなかった。

話しても挨拶のみや一言や二言程度で、会話が広く発展することもない。

このような状態が続いても精神面に良い訳がなく、更に朝昼晩の交代制の仕事だったため、生活リズムも徐々に狂い、心身共に壊れていった。

まりに酷い時は心療内科に通うこともあったが、その医者は話を聞いてくれずただ薬を出すだけだったので、諦めて薬も飲まずに自分で何とかしようと考えた。

そうやって何日も何日も耐えてきたが、ある日の朝、全く起き上がれなくなった。

動こうと考えても身体は言うことを聞かず、天井を見上げていることしか出来なかった。

日経ち、その職場退職した。


辞めたあとは仕事から解放感か、体調は一時的に軽くなった。

しかし、その後もまともな生活を送っていなかったため、暴飲暴食や昼夜逆転生活で体調は日が経つごとに悪化していくだけだった。

部屋はゴミだらけで文字通り足の踏み場もない状態風呂すらロクに入らなかった。

でも途中で生活資金が尽きそうになり、仕方なく正社員での募集を探してみるものの、何度も何度も断られた。

挙句の果てにアルバイトですら断られる時もあった。

そんな生活が何年も続いた。

もう起きることすらしんどくなり、お腹が空いても飯も食べず1日中寝ている日もあった。

もはや生きているとは言えず、死んでないだけの抜け殻状態だった。

時々母親からは安否の連絡が来たが、適当に返して放置していた。


そんな鬱々とした生活のある日、久々に入った短期での仕事中に体調が一気に悪くなって倒れた。

酷い吐き気めまいがあったのを覚えているが、倒れてから記憶はなく、後で知ったのだが救急車で運ばれたらしい。

そんな体験をしたのは生まれて初めてだった。


目覚めた時、妙に病室のベッドが心地良かったのを覚えている。

今までは床で寝ていて掃除もされていない酷い部屋で生活していたからだろうけど。

その日会った看護師によると、私は数日間意識が無かったようで、ずっと眠っていたらしい。

ただあの時のベッドの心地良さが続くならば、ずっと眠っていたい。そう思った。


それからしばらくして、母親が部屋に入ってきた。

泣いていた。

私はそれを見ても全く何も感じる事はなかった。むしろ、早く一人にして欲しいと思うくらいだった。

しかし、すぐに帰らないので仕方なく相手をしていたが、その時はいつもと比べて妙に母親が優しいと思った。

その理由はあとになって分かった。


日経って病院での生活も多少慣れてきた頃、担当医者に呼ばれた。

話によると、私は余命が半年と少しほどしか無いらしい。

肝臓に酷いダメージがあり、もう治療をしようにも手の施しようがないそうだ。

できるだけ安静にしていれば余命は伸びるかもしれないが、それを怠ると今後の苦痛が大きくなるとか。

今までの経緯を話したところ、今回は重度のストレスと暴飲暴食が原因だと先生結論付けた。

から身体は弱い方だったが、それがここになって一気に来たものだと思った。


余命宣告された時にはあまりに突然だったため、一瞬驚いたが、同時に安堵した。

過去自殺を考えたことは何度もあったが、実行に移し切れずその度に憂鬱になっていた。

でも、もう無理に頑張る必要は無いんだなと、張っていた気が抜け、少し救われた気分になった。

はいえ、現在の状況は何もかも全て自分の行いで招いた結果ではあるが。


それからしばらくして一時退院、主に自宅での安静を命じられて実家に戻る事となったが、家に居ても特にしたいと思うことがない。

食事にしても身体を壊してからは何も食べられず、内容も淡白ものばかりになってしまい、当然美味しくもない。

幼い頃は家にいるとテレビゲームをよくしていたが、今となってはやる気力さえ全く起きない。

無理やりやろうとしても10分もせず飽きてしまう。

気分転換にどこか出かけるにしても身体負担が大きいので遠出は出来ず、そもそも金が無いか旅行なんて出来ない。

テレビを見ているかスマホパソコンネットでも見るか、それとも何か食べているか、眠たくもないのにただ寝ているか

結局は入院前の生活とさほど変わりなかった。


残りの人生何をやろう、と思っても前々から考えていなければすぐには思いつかないものだった。

仕方ないので、晴れた日にはとりあえず近所にある大きめの公園へ行き、ベンチに座りながら遠くを眺めていた。

園内では子供達がいつもはしゃいでおり、その姿を見ているだけでも元気が貰えるように思えた。

時には夫婦と幼い子が仲睦まじく歩く姿もあり、それを遠くで羨ましく見ている時もあった。

ネットサーフィンをしている時に時々フェイスブックを見るが、当時の友人や知人は徐々に結婚してきており、既に子供が生まれているのが何人もいる。

そして彼らが時々掲載する写真動画を見ると、微笑ましいと思うと同時に気が落ち込む。

自分も、もう少しまともに生きていればこうなっていたのだろうか。


そこでふと、大学の例の女性を思い出した。今は一体何をしているのだろうかと。

もう卒業してから何年も経っており、当時はよく注目されやすい人だったから、とっくに結婚もしているだろうとは思っていた。

でも最期に少しでも連絡が出来たらと間抜けな期待を抱き、数少ない友人に連絡が出来るかどうかお願いをしてみた。すぐに了承してくれた。

そしてしばらくして、思っていたよりも早く結果が返ってきた。

友人によると彼女はまだ結婚していないらしい。でも向こうは連絡がしたくないそうだ。

それだけ聞けたら十分だと思い、その他のことは何も聞いていない。まあ当然だろう。仲良くもなかった男から突然連絡が来ても迷惑なだけだ。

時間も経ちすぎているし、向こうにしても過去の事であり、もしくはどうでもいい事だと考えているだろう。

当時の事も謝りたいとも思っていたが、思い出したくもない過去を今更掘り返しても意味がないと考えざるを得ない。

もうすぐ終わる身としては開き直るしかなかった。


こうしてまたいつもの日常に戻り、何か特別にやらなければいけない事も無く、残り少ない日々を消耗している。

まだ時間がある人ならば、これから頑張ればいつか良い日がやってくると信じて先へ進めるかもしれない。

私のようにもう時間が無い者ならば、これからどうすればいいのか、未だに分からない。

今の私では新しい思い出を作ることは出来ず、過去を思い返すだけしか残されていない。

病院ではそんな私を哀れんで慰めてくれる人もいるが、私は言葉を表向きは受け入れるが、裏では全く何も思わない捻くれた人間であり、素直に受け取れない自分に嫌気が差す。

こんな状態でまともに気持ちの整理も出来ず、向き合えないまま死んでいくと考えると、どんどん悲しくなってくる。


ちなみにこの余命については親以外誰も知らない

言った所で今後会った時の対応に困るし、友人に話そうと思っても言葉が詰まって何も話せなかった。

顔色が悪いと言われても、ただ愛想笑いしながら、いつものように話すことしか出来なかった。

でも、例え自分が何も言わずにこの世を去ったとしても、数年も経ってしまえば、昔あんな奴いたな程度の存在で徐々に忘れ去られていくのだろう。

他人自分が思っているよりそこまで何も考えていないし、期待しても単なる思い過ごしになる。それは今までの経験上、全て事実だった。

それ以前に難しいことを考えるのはもう疲れた

病気悪化しているのか、体調の波がどんどん激しくなってきているため、こうやっていられるのもあと少しだろう。


今までの人生を軽く書こうと思い、これまでを思い出しながら突貫で文章を綴ってきたが、作成中には当時のそれぞれの場面を思い出し、その度に涙が止まらなくなった。

あの頃に戻れたら、もう少し自分に行動力があれば、または別の場所で生まれていたら、何度も何回も様々な事を考えどそれは無駄な事だと察して嫌になった。

まれ変われるならとも考えた事もあるが、そもそも宗教なんて信じていないのに、そんな事を考えるのはおかしい話ではある。

でも死んだ先に何があるのか、それとも何も無いのか、それは今の私でもとても気になっている。


20年以上生きてきた中、他人にも自分にも今後のためになるような何かを与えたことはなかった。

そして生み出すこともなかった。

ほとんど何もしなかった私のこの人生意味はあったんだろうか。

私には答えが何も浮かばなかった。

人生についての意義を考えるのは人間くらいだと言われるが、少しでも生きていて良かったと、そう思えるような意味のある何かが欲しかった。


こんな駄文をここまで読んでくれて本当にありがとう

2018-05-04

夏の終わり

あれは、夏の終わりのことだった。僕とユナ中学2年の同じクラスで、その日は放課後まで残って話をしていた。教室にはにぎやかな男子たちもいて、僕たちは彼らに追いやられるように端っこに陣取っていた。でも端っこは端っこでも窓際の一番前だったから、僕はウキウキしていた。彼女ウキウキしていたんじゃないかな。実際、彼女のほうから寄ってきたんだ。

僕の机に彼女自分の重たいバッグを載せようとした瞬間、僕はクラッとしてしまった。そのとき彼女は凜として儚げな表情をしていて、僕の胸は一瞬にして甘い切なさでいっぱいになってしまった。そして僕たちは話し始めた。どんな話題で話し出したのか忘れてしまったけれど、とにかく僕たちは頷いたり笑ったりしながら話していた。彼女のバッグには-これもまたよく覚えてないんだけど-いかにも女の子といったキーホルダーピンクシールなんかが付けられていた。

二、三十分たった頃だったと思う。にぎやかな男子集団はいなくなっていて、教室には3,4人の小さなグループが2,3ほど点在するだけになっていた。でも、もちろん少しは静かになっていただろうけど、特に静けさに気づいてはっとした覚えはないから、水を打ったようにシンとしていたわけじゃないことは確かだ。

ともかく、僕は彼女との話に夢中になっていた。○○くんのお父さんやお母さんは何してるの?うちは教師ばっかなんだ。父と母と、じいちゃんも、母方のじいちゃんもばあちゃんも-彼らはもう退職してるけどね。

「私の父さんは会社社長なの」と彼女は言ったから僕はたまげてしまった。「会社社長」というだけで僕の幼い想像力はいっぱいになってしまったのか、なんの会社なのか聞くこともしなかったけど、僕は相手父親社長だろうと堂々と花婿として名乗り出てやるぞって心の中で息巻いていたのだった。

つのまにか教室の外はすっかり暗くなっていて、残っているのは僕たち人だけだった。

「帰ろ・・・っか・・・」と僕が言うと、「・・・そう、しよっか・・・」と彼女もぎこちなくて、僕たちは互いにはにかんで笑った。

もう20年も前のことだ。

2018-04-29

わたしの恋の記録




まれからはじめて好きになったのは歌のお兄さんだった。薬物沙汰で逮捕されてしまったけど。次に好きになったのはスイミングスクールで一緒だった上級生。それが5歳のときくらいである。

そして小学校1年生のとき引っ越しをした。

わたしが移り住んだ地域には男の子同級生がたくさんいて、そのうちの一人は誰にでもやさしく、顔もかっこよく、運動勉強もできる上ユーモアセンスもあって大人気だった。

わたしも例に漏れ好意を持った。同地区に住む女子自分だけだったので、放課後遊んだり、自分たちを含む同級生数人で登下校したりとまさに充実した生活を送っていた。

(ちなみに、自分小学校は1学年20人に満たない小さな学校だったのでクラスは6年間変わらず、基本的に皆の仲はとても良かった。)

彼は本当に完璧存在だった。本当に優しかった。しかも誠実だった。

彼は小学校卒業するまで親しくしてくれていた。一時期彼がわたしを好いているんじゃないかという噂が立ったこともあった。わたしはめちゃくちゃドギマギしていたが努めてクール(?)に振る舞った。小学校高学年ともなればそんな話を手放しで喜べなくなってしまものだ。あの話が本当だったのかどうかなんてもう確かめようがない。

わたし中学生になった。

小学生の頃の友人たちの殆ども同じ中学校に上がった。その中には意中の彼もいた。

中学校入学2週間後、風の噂でその彼に彼女ができたと聞いた。相手バスケ部のかわいらしく活動的女の子であった。

帰ってから死ぬほど泣いてしまった。6年間共に過ごしてきた彼の眼中にわたしはまったく入っていなかったのである文芸部オタクでおかっぱのわたしとその彼女はあまり対照的だった。

氷のかたまりをそのまま飲み込んでしまったような気持ちがずっと続いた。

オタク趣味で、女子力なんて皆目持ちあわせていない自分を恨んだ。しかし恨んだところで、女の子らしい上品な振る舞いなんて、幼いころから知っている彼にいまさらできるわけがなかった。

その後すぐに別れたと聞いたけれど、それでも付き合っていたということはどこまでしたんだろう...という下世話な思いを断ち切ることはできなかった。

中学ときは、小学校のころよりもやはりよそよそしくなっていた。(それでも話したりときたま共通話題で盛り上がったりはあったけれど)年頃だから仕方ないよね、と割り切りつつも哀しかった。

彼と同じクラスになれることもなく卒業を迎えた。

彼は遠く離れた高校に行き、わたし地元高校入学した。色恋なんてもうわたしには関係のないものだと割り切り、気持ちにピッタリフタをしてひたすら部活趣味に明け暮れようとした。

入った部活で、趣味がめちゃくちゃ合う子に出会った。顔は派手とはいえないし、兎にも角にも地味な見ための子だった。それでも一緒に話していると面白く、次第に親しく話すようになった。

ある日、彼女と一緒に電車に乗っていたらふいに「あれ?めちゃくちゃかわいくない?」と思った。別に昔と服装髪型が変わったわけではない。地味なままだ。でもなんだかかわいかった。そのうえ、謎のドキドキが襲ってきた。

なんじゃこれ。

彼女とは部活の仲間だし普段よく一緒にいるのもあって、ハグなりハイタッチなりは日常茶飯事だった。その日からそれにもドキドキした。

でも今まで男性しか好きになったことがないわたしまさかと思った。

そのまさかだった。

日を追うごとに好意が増していった。彼女クラスであの子がかっこいい、という話題を出す度に胸がズキっとした。もうお手上げ。わたし彼女好意を抱いてしまったのだ。

最早前述の「彼」への気持ちよりこの彼女への思いのほうが大きかった。

それから数ヶ月後、ふたり京都に泊りがけの旅行にいった。ファーストキスはそこでお互い終えた。戯れ合いの中だったので、「1回だけしてみる?」くらいのノリだったけれど。

でも明らかに、唇を許した理由はお互い違っていた。彼女は完全なる異性愛者。友人として。わたし両性愛者で、思いを寄せた結果として。

卒業後の進路はお互い別々だった。わたしは進学を選び、都会に出て大学に通っている。

彼女地元就職することを選んだ。


また好きな人と離れてしまう。わたしの知らないところで、彼女はまた変わってゆく。

将来の彼女の姿なんてものは、わたしが今最も考えたくないことだ。結婚出産自分は興味がないけれど、彼女自分とは違うのだ。

それでも、それでも、その時が来たらわたし正気でいられる自信がない。三日三晩泣くくらい可愛いもんだと思う。大阪湾藻屑になるかもしれないし、酒に溺れるかもしれない。

わたしは、一生添い遂げたいほど彼女に惚れてしまったんだと思う。




精一杯の強がりを言うならば、





私以外の人間との結婚式になんて、絶対に、絶対に出席してやらないんだから

2018-04-27

漫画村情報提供ねとらぼに行うまでの思い

ここ2ヶ月ぐらいか漫画村ピックアップされ始めた。

漫画村自分のいた会社広告掲載していた。

そして自分はその違法サイトを見てみぬふりした。

その時の贖罪をしたくて、少しでも救われたくて、ねとらぼにすがった。

自分は[株式会社グローバ◯ネット]で働いていた。

辞めた理由は何よりも心が痛かった、それだけだ。

幼少の頃から漫画映画アニメを見て育ってきた。

この3つには今日まで支えられて生きてきていると言っても過言ではない。

他の人から見たら非常につまらない人生だと思う。

でも満足していた。

からこそ心が痛かった。

違法サイトスルーしなければいけない仕事は心が痛かった。

自分クリエイティブな才能はない。

クリエイティブの才能は持ち合わせていないが

生み出す事の大変さ・辛さ・世に出るまでの過程がどれだけ茨の道なのかを知っているつもりだ。

からこそ心が痛かった。

業務になれた頃、違法サイトを見つけて自分上司に伝えた。

「このサイト違法サイトではないのか」「こういうサイト広告掲載する事は誤っているのではないか

下っ端である自分意見聞く耳は持ってもらえなかった。

聞いてもらえなかった、それだけならまだ自分はあの会社にいただろう。

聞いてもらえなかっただけでなく、つらい言葉を返された。

「こういうサイトあって、このサイトに俺らが広告を出す、それで俺もお前も飯食ってるんだ」

心が痛かっただけではない、引き裂かれる衝撃だった。

たかも『何当たり前の事言ってるんだ』と言いたげな上司の顔、今でも覚えている。

上司の言う通りだった、違法サイト広告掲載し、そしてお金をもらっている。

そのお金自分は何をしていた?

生活をしていた、食事をしていた、生活用品を買った。

漫画を買った、映画を見た、CDを買った、Blu-rayを買った、DVDを買った、グッズを買った。

実にバカバカしいと思った。

本来行くべきお金の一部が自分を経由して、行くべき場所へ行っただけ。

帰宅して、時間も気にせず声を出して泣いた、頭が痛くなるぐらい泣いた。

上司から言葉を受け、頭の中が真っ白になったその日は、反抗期が無かった自分にとって人生で5本の指に入るぐらい荒れていた。

幸いにも週末で土日を挟む、その事も相まってかいけないと分かっていながらもアルコールの力を借りて全て忘れてしまおうと思った。

飲んでも飲んでも記憶は消えず、ただトイレに行き吐くだけ。

悔しさのあまり、働いて得た給与で買ったとある作品を一冊ボロボロにした。

好きな作品のはずなのに、その時は憎くて仕方がなかった。

娯楽に使っていたお金は、自分が働いてもらったお金は、綺麗なお金じゃない。

いや、綺麗なお金なんて世の中にないのかもしれないが、他の人達より汚れたお金をもらい、それを本来いくべき場所へ還していた。

ボロボロにした一冊の上に涙が落ち、その後は堰を切ったように涙が溢れ出し止まることがなかった。

アルコールのせいも否定できないが頭痛がした。それでも涙が止まることがなかった。

自分の好きな漫画、好きなアニメ、好きな映画入社してもらった給与で購入したそれらを創り出し世に出してくれた。

そんな彼らの努力の上にあぐらをかいた奴らの資金源になっていた、それがどうしようもなく許せなかった。

気が付くと涙を流しながらボロボロにした一冊を抱えて気を失っていた。

それからすぐ、友人に連絡をした。

そして自分は辞めた。

すぐに次の勤め先は決まらなかったが、暫くして良い会社に拾ってもらえた。

もう二度とインターネット広告代理店なんかで働きたくない。

違法サイトを見てみぬふりをしなければいけない、ただひたすらに胸が痛い。

アンダーグラウンド存在としてはずっと前からあった。

自分学生の時から違法サイト蔓延っていたが、日常会話で出てくるような事は間違ってもなかった。いわゆるアンダーグラウンド存在

自分はそんなサイトを利用した。そんなサイトで読んだら、どんな作品でも必ず本を買った。

読んだ作品たまたま面白くなかった、ただそれだけで次に生み出すエネルギーとして作り手を応援たかった。

アルバイトが出来る年齢になったらすぐにアルバイトをした。

放課後コンビニアルバイトをして、お金を稼いだ、波はあるが月に4万ぐらい。

そのお金で友人との交際費を確保しつつ、漫画アニメのグッズ、円盤を買ったり、一人で映画を見に行ったり、娯楽に使った。

漫画村の件は氷山の一角ですらない。

違法サイトというくくりで述べるなら、漫画村氷山の一角にすらなっていない。

違法サイトなんてものもっと沢山ある。

これからこの問題はどうなっていくのだろうか。

サイトブロッキングという根本解決に至らない方法が進んでいくのだろうか。

違う、そうじゃない、違法サイトだと分かっていながらそこに広告掲載し続ける企業を締め出すべきだ。

そうすれば収益の上がらないサイト運営者は自然サイトを閉じていくのだから

2018/04/28 0:11追記

少し見やすいようにしてみたがどうだろうか。

ポジティブコメントを多く頂く事が出来て、自分のやったことは間違っていたのか不安だったが、概ね合っていたようで安心した。

バズらせる事が出来たら、自分としては本望です。

違法サイトを少しでも無くすためには収入源を絶つこと、収入源を絶つためには評判を落とすことが必要から

本当はすぐ辞める事に戸惑いはあった。

辞めたらその時点で生活必要お金が入らない。あいにく貯金もない。

自分はまず友人に相談した。

自分は今までの間、違法サイト広告提供し、それで生活費を手に入れていた、好き好んでやっていない、こんな会社だと思わなかった。アダルト系を取り扱っている事は入社前に説明があったが、違法サイト収入源の一つになっていたとは想像していなかった。」

その後家族にも同じように相談した。

もらったアドバイスは総じて「辞めるべき」だった。

家族からは「仮に違法でなかったとしても自分良心が痛むと思ったなら、辞めなさい。」と大きな後押しをもらった。

貯蓄もなかったので、生活面の不安も伝えたが

生活費はどうにかなる。それよりも自分気持ちを大切にしなさい。」

友人からは心強い言葉をもらえた。

「お前の心が痛むのは、お前の中で『誤った事をしている』と認識があるからだろ?心が死んでいく姿を黙って見ていることは出来ない」

多くの支えがあって自分は辞める決意をしたのだった。

辞めてから時間が経ち、自分の中で「過去の事」として片付き始めていた時に漫画村騒動が起き、ねとらぼ記事を見つけた。

なぜ情報提供したのか、なぜ今になって社名を出したのか、それは今も痛む心のせいだ。

今もクリエイティブな事に従事する人たち、クリエイターアクター、すべての人を応援している。

その気持ちは変わらない。

彼らは根っからの嘘つきだ。

嘘つきに他ならない。

ペーパーカンパニー募集されていたハローワーク求人票を見て自分は応募した。

採用され、初出社日に全てを告げられた。

労働条件通知書、これを受け取った社員は一人としていない。

中にはしつこく迫り、根負けした人事担当が"仕方なく渡した"人もいると噂で聞いた。

それだけ精神の強い人だったのだろうと、一種の憧れにも似たものを覚えた。

ねとらぼ記事にあった文面を見て呆れてしまった。

「もう一つの会社グローバ◯ネットとは別会社であり、子会社である

嘘もいい加減にして欲しい。

グローバ◯ネットに籍を置く社員の多くはそのもう一つの会社に当たる[株式会社エムエ◯ラボ]にも自動的に籍を置かされるじゃないか

2つの社名を名乗る社員電話で名乗る時に必ず間違える。

取引先にエムエ◯ラボ名義で名乗っていてもCCグローバ◯ネットドメインアドレスが入っている。

会社子会社子会社取引内容を全て検閲するのが親会社のする事?

こんな怪しい会社取引する会社は同じ穴の狢だと思った。

これ以上追記をするような事があったら、別記事としてあげます

少しでもクリエイティブ活動をする人々が正当に評価され、生活していける世の中になる事を日々願いながら、自分自分のできる事をやっていくしかない。

自分が行った行為会社にとって不利益を被るだろう、しかあなた達の行為は更に大きな不利益を生み出しているんだ。

早く目を覚ませ、そしてその会社から逃げろ、好きでいるなら一緒に沈め。

最後に、魚拓とるなら最新のこれをとってくれ。

記事で社名を伏せていなかったが伏せた。

身バレが怖いのではない、身バレする以前に異常な離職率なので身バレしない。

伏せた理由記事が消されてしまう事が嫌だから

伏せたとはい特定できるだろうし、既に取られた魚拓から辿る事ができるだろう。

後は関与しない。

もうあのブラック広告代理店とはなるべく関わりたくない。

これ以上追記するつもりはなかったが、これだけは言わせて欲しい。

掲載しているまとめサイトを見つけた。

http://blog.esuteru.com/archives/9101964.html

自分まとめサイトが嫌いだ、早く削除してください。

このサイトに限らずまとめサイトは嫌いだ。早急に削除してください。

2018/04/30 1:07 追記

書いたのは自分だ。

http://twitter.com/its_minuit

2018-04-25

イジメ解釈私刑を与えることについて

イジメ定義がはっきりしておらず、「相手不快と思われたらイジメ」といった感じになっている。

不快と思われるかどうかはお互いの関係性に大いに依存する。

当然ながら、結果として不快に思われる言動を行った場合謝罪し改める必要がある。

ここで問題になるのが、イジメを行った場合処分をどうするかということ。

このような、個人関係性に大いに依存した事象について、大きな処分を与えると世の中が萎縮しかねない。

学校で知り合った異性と交流を深めるのは大きなリスクがあるんだなぁと感じている。

話した時点で、同じ係に立候補した時点で、放課後遊んだ時点で、いつ掌を返されるかわからない。

「同じクラスだったので逃げられなかった」と言われればオシマイだ。

新聞などでは悪質な案件が多く目にされ、いいぞもっとやれと考えるが、やりすぎは怖くないか

知り合いがイジメで近く謹慎になるということを聞いて書いてみた。

2018-04-18

学歴だけじゃ幸せにはなれない

小学生:好きな子の家にお呼ばれされ、部屋に入る。バレンタインデーチョコ貰う。

中学生:好きな子から年賀状が来る。放課後二人きりで話をする

高校生夏祭り花火大会浴衣姿のあの子と手をつなぐ、キスする。

大学生:昼間からアパートでセックス。

これらの体験が全く無い奴は今後どんな人生を歩もうと

満たされる事はなく、悶々とした人生になる。

2018-04-13

中学生の時3年間ラッパを吹いていた

全国大会まで出場した。うちはかなりの強豪だった。

しか自分ドレミファソラシド、これだけの範囲しか吹けなかった。成績が良かったのは・・・まぁ先輩が上手だったのだ。

せめてもう2つ、上のレとミまでは吹けないとマジでお話にならない。(ラッパ吹いてる人からしたらまだお話にならないと思うが)

飲み込みが良い人なら1週間で僕の実力には追いつける。

僕は初心者の1週間レベルの実力で3年間過ごしてきた。

もちろん、僕にやる気はなかった。1年目で辞めようと思っていた。

しかし、当時1年生は僕しかおらず、運の悪いことにその年から熱意のある顧問に変わっていたので、

半ば無理やり部を続けさせられたのである

はいえ、僕はほとんど部活をサボらず、朝練放課後、土日に朝から晩まで練習して、

夏休みほとんどは1日中ラッパを触って、森に囲まれ死ぬほど練習する合宿にも参加して、

吹いて吹いて吹いて吹いて吹きまくって・・・・・・

それでもドレミファソラシドだったのだ。

ラッパという楽器本来難しいのもある。唇の薄い自分には不向きだったのかも、と今では思ったりもする。

しかしあれだけ膨大な時間の中で、高音を出せないと鬼のように怒られることを知っていながら、

それでもドレミファソラシドというのは大変に貴重な体験なのではないだろうか。

人はやる気というものが無ければ、いくら時間をかけようと成果は全くのゼロなのだと。

僕はこの身をもって証明したのである

にしても3年間で上達のキッカケすら掴めなかったのはマジモンの馬鹿しか言いようがない。

2018-04-11

今まで一度も恋愛感情を抱いたことがない

こういった匿名日記ははじめて書くから失礼なことがあったらすいません。

書くこと整理してないしオチもないか文章めちゃくちゃだと思います。あと改行のやり方わからなかった。

現在大学生の女なんだけど、私は昔から異性・同性問わず好きな人っていうのができたことがない。

最初に言っておくと同性愛への偏見は全くないです。

いや、幼稚園時代とかはもしかしたら好きな男の子かいたのかもしれないけどあんまり覚えてない。

ここでいう好きな人ができたことがないってのは小学生の時からってことで。

小学校同級生バレンタインデーになると学校にこっそりチョコ持ってきたり放課後学校の前で好きな男の子チョコ渡したりしてた。

小5くらいになると、好きな人いる?とか、あの子かっこいいよねとか、そんな話題が増えた。

でも私は全っ然興味なかったか友達がしてる恋バナとかの話題に乗れなかった。その状態中学でも高校でも、大学生になった今でも続いている。

俳優とかジャニーズにも興味なくて、まあたしかにかっこいいとは思うんだけど、

正直イケメン俳優はみんな同じに見えるので(俳優ファンの方すいません。否定してるわけではないです。)ファンにはならなかった。

オタクからアニメ漫画も見たりするけど、キャラクターに惚れるとかもないので、いわゆる夢女にも当てはまらない。

まりにも異性に興味がないので、最初自分レズビアンなんじゃないかと思った。でもなんか違うっぽい。

かわいいな〜って思うことはあってもどうしても恋愛対象にはならなかった。

の子ことなら好きになれるかもって思ってた子にこの前彼氏ができたんだけど、全くショックじゃなかったし、むしろ応援した。

どんなに仲が良くてスキンシップが多い子でも、その子と付き合うイメージとか全然湧かなかった。

ありがたいことに親友と呼べる子も何人かいて、両親とも仲が良いので友愛とか家族愛とかはちゃんとある。と思う。

ただ恋愛感情だけからっきしだった。

周りに彼氏持ちが増えても羨ましいとか、将来的に結婚したいとか、そういうのが一切ない。

こんなんだから性欲も当然薄い。SEXとか本当に興味ないしちょっと気持ち悪いなとすら感じてしまう(ごめん)

異性には興味ないし、ひとりは嫌いじゃないし、このまま孤独死でも悪くないと思ってる。

LGBTには基本的知識を知っている程度なんだけど、いろいろ調べてく中で「アセクシュアル」って単語にたどり着いた。

一発であー、これかもしれないって思った。

別に名前のあるようなグループ所属したいってわけじゃないし、今の自分不安があったわけじゃないんだけど

アセクシュアル人達って結構いるんだなって思うとやっぱちょっと安心した。

しかたらこから異性同性関係なく好きな人ができるかもしれないけど、今はこれでいいのかなって思う。

アセクシュアルって肩書き安心してるわけじゃない。ここまで言っといてアレだがもしかしたら自分アセクシュアルじゃないのかもしれないし。

本当にオチがなくて申し訳ないんですが、書きなぐりってことで誤字とかも勘弁して欲しいです。

あんまり人に話せるような内容でもないので匿名の場をお借りしました。

2018-04-09

某有名写真家写真に漂う不気味さ

を以前から感じていた自分感覚を褒めてあげたい。自分美術の授業は好きだったけど、別に芸術勉強をしっかりしたわけではない。けれどどうもあの写真家写真から、無機質なのに生々しい違和感加虐性暴力性みたいなのを感じてしまう。そういうのを売りにしてたのかはしらん。そういうのを生命リビドーとか性の躍動とか人間の業とかうんたらかんたらとかいって有難がる人もいるとは思う。

でも大学で周りがいくら良いと言っていてもどうも腑に落ちなかったし、お節介友達が手持ちの中でも厳選した写真集を貸してくれた時も、なんでこの人がこんなに評価されてるんだろうとしか思えなかった。(同じ友達からライアンマッギンレーの写真集を借りたときは、なんかわからんが良いなぁと思えたから、別にその友達のおススメを否定したい気持ちがあったわけじゃないと思う。)

写真をきちんと学んだことはないか写真勉強した人が聞いたら怒られるだろうけど、それなりのカメラで白黒にして多少画面がガサついていて『普段まりお目にかかれないエロい構図、アンニュイ光景』を撮ればそれなりにみえるよね??ね?

結局それっぽいことやってた人の中では『日本最初地位確立&エキセントリック狂人』っていうイメージが、凡人が考える芸術家像にしっくりきたっていうのが今までしぶとく評価されてきた理由なんだろうな。広告写真では、被写体個性を殺す写真家は逆に重宝されるのかもね。

美術時間に、その人が作った作品を見たらその人の人間性がわかるって先生に言われて『んなアホなぁ』と思ったんだけど、今はその言葉あながち間違いじゃないのかなぁと思う。

自分に甘い人は最後の詰めが甘いし、大雑把で性格の人は作品の端が折れてたりするし、繊細な人は繊細な色使いとか消えかかりそうな線を書くし、自分が正しいと根拠なく信じ込んでる人の絵は力強いし、美術教師にウケがいい作品を作る人は自分が無くていずれ苦労するし。(ちなみに最後の例は自分です)

思えば、美術教師放課後妙にニヤニヤしながら作品を見てたのは、隠された性癖とか傾向を覗きこんでたからなのかなぁ。くそっ圧倒的羞恥

2018-03-30

学童クラブって知ってますか?

小学校の頃、校舎の脇にありませんでしたか建物

放課後クラスの子何人かは行ってたはず。

遊んで、宿題やって、おやつ食べて、親に言われた時間通りに帰る。

共働き家庭の子の居場所。それが学童クラブ

人が足りない。全然足りてない。

クローズアップされるのは保育園ばっかだけど学童だって需要めっちゃ上がってる。

わたしパートでもう2年働いているけど人がほんとに足りない。

夏休みとかほんと地獄

1ヶ月朝から夕方まで60人近い子供相手する。それをシフトで回さなきゃいけない。

小学校の規模によってまちまちだが

うちはそれでもまだましな方

ただ4月から職員体制が変わって、長く勤めてた常勤さんが異動になる。

パートも何人かやめてしまって、平日60人を3人で見ないといけない日もあるとのことだった

先生は30人を1人で見るんだから、と言われるかもしれない

けど60人のおやつを準備して、食べさせて、皿洗いしたりするおやつ係がまずひとり、掃除したりする人も必要

保護者から受けとる連絡帳の対応をする係、事務作業だっていっぱいある。

やらなきゃいけないことが膨大すぎる。

障害のある子には、介助度にもよるけどひとり職員が付きっきりでいなきゃいけない。ひとり持っていかれる。

子供喧嘩日常茶飯事なのに、こんなにもやることがあって、人手が足りなさすぎる

子供かわいい

むかつくこともあるけど些細な瞬間に救われたりもする

の子たちがちゃんと生きていけるような社会にしなきゃいけない

ちゃんと生きていけるような大人になってほしい

わたし学生からシフトをたくさん入れるなどという協力をすることはできない

学童クラブもっと良い体制運営できますように。

将来は教育関係の職に就くことを視野に入れています

2018-03-23

ついに、子供いじめに遭う

夕食後に学校で、天パをバカにしてくる子が居ると打ち明けられた。

こちらは、小4男。

相手の子は、同じクラスリトルリーグピッチャーやってるすごい子。あっ勝ち目ない。

「ついに」というのは、自分もそうだった。さらには団体行動出来ない、スポーツダメ、はっきり言わない、なんか暗いといったイジメられる要素を全て生まれながらに兼ね備えて居たので、同じ道辿ったらどうしよかなぁ、どうしたものかとは思ってた。

「ついに」来てしまった。。

とりあえずスポーツだけでもと、3歳から水泳やら空手やらサッカーを一緒にやり始めて、本人がまた行きたいと言ったサッカーはチームでスタメンをやれているようだったので、安心してたが。。

相手の家に火を放ちに行ってやろうか?!と思うも、今の時代連絡網すらないんですぜ。どうしたものか?

あれこれ考えて対応してみた。どうだろうか?とても不安不安で寝れなかったので、アウトプットして落ち着こうとしてみる。

【褒めてみる】

・よく言ってくれた。気が付けなくてゴメンな。

・これまで相手に力で解決しようとしなくて、怪我負わせないで、よく耐えたの、すごいね

・とりあえず、俺は悪い事をしていない方の、正義の味方だ。ゆっくりで良いから聞かせて

・天パでブサイクでも、間違いが3つ位重なると、世の中彼女になってくれる変な人も居るから安心しろ

【状況確認

・それ以外に何か言われる事は?何か言われ始めるキッカケとか覚えてないか

相手はどんな子?言ってる子はどんな気持ちで言ってると思う?

もしかして自分は誰かを見た目とかでバカにしたり、仲間ハズレにしたり、相手が嫌そうな顔する事をやった事は無いか

・今どんな気持ち?どうなったら嬉しい?

・もし仮に仲間由紀恵みたいな、サラサラヘアーになったら解決すると思う?

【回答】

仲間由紀恵って誰?(画像検索して見せた。あんまりタイプでは無いらしい。こういうのは受け継がないのかな??不思議

ではなく、休み時間キックベース野球サッカーでやる?逆か?)で、本気で蹴るとボール無くしちゃうから手を抜いたら負けたと。

多分それ以来、モジャモジャ頭が感染から〜と仲間に入れてくれなくなった。と。

自分絶対に他の人に、酷い事言ったりはしてない、ウソだったら、お年玉で買ったばかりのスパイクシューズを燃やされてもいい。と。

弱い者いじめみたいな、反撃が出来ない攻撃は、師範(土曜に行ってる空手道場の先生)が絶対に許さない、やってるやつは本気で蹴ると言ってた。

サッカー放課後空手が無い土日にやってる)で、味方がやる気なくて手を抜いて負けたら嫌だ。自分も怒ると思う。と。

モジャモジャなのは、慣れたから困ってないけど、あんなに長い髪は女の子みたいだから嫌。

言い返せない、仲間に入れてくれないがすごい嫌だ。と。

対応提案

そだね〜。その子は本気で勝ちたかったんじゃないかな?サッカーやってるの知ってるから、味方にしたら勝てると思ってたのに、ガッカリしちゃたんじゃないかな?

ボール無くしちゃうからって言わなかったから、手を抜いてるように見えて、怒ったのかもね?

でも、実際にそう思ってるか解んないから、次言われたら、何でそんな事言うのか、手を抜かないで聞ける?

もしそうだったら、「ごめんなさい、本気でやると遠くに取りに行かなくちゃいけなくて、ズルしちゃった。

それ言われて仲間ハズレにされると、すごく嫌なんだと、次は手を抜かないから、もう言わないで」、とかどう?

でも、自分気持ちを見せるのって、ちょっと恥ずかしいよね。。

でもでも、そんな事言われてるって言わないと、俺も全然知らなかったし、やっぱちゃん言葉にして言わないとわかんないと思わない?

もし、それでも言って来たら、最強の言い返す言葉を教えてあげよう

「それがどうした!」

はてさて、、どうなることか。。

もうちょい準備しておけばよかったなぁ。。

2018-03-22

2018年アニメ宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その1

 1~12話まで観たけど、とても刺さった。私なりの観測範囲でよく話題に上がっていた作品なので、便乗して感想を書く。まだ観てない人向けにネタバレなしレビューも書いたので、リアルタイムで13話を観るキッカケにでもなれば。

 あと私はあまりリアルタイムアニメを見るのが得意ではない方の人のだけれど、コレはコレで楽しいな、と思った。制作者のインタビュー探しやすいし、それに対するファンの反応見れたり、各話ごとに視聴者の反応をリアルタイムで知ることも出来てより深く作品を知る機会に恵まれてる。何より楽しい。この感想もそういう色んな人達の発信した悲喜こもごものお陰で書くことが出来たので、日々感謝するばかりだ。ありがとう

 2018年冬アニメ「宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その2

 2018年冬アニメ「宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その3

全体的なレビュー(まだ観てない人向け)

初めて1,2話を見たとき感想

 ノゲノラスタッフによる作品というキャッチコピーだが、内容的にはいしづかあつこ作品ハナヤマタ」に近いものを感じる。ハナヤマタ中学生たちの優しい世界とするなら、こっちはもう少し、冒険をするときのワクワク感がある作品。両作とも「ギャグテンポが良い」「1話毎に話がまとまってる」「女の子がみんなかわいい」「すごく救いがある」と言う共通点がある。特に1話毎の完成度が非常に高く、好きな話を何度も見返したくなる作品だなぁ、と感じた。メインキャスト4人のメンツで既にざわざわしていたのだけれど、なんてことはない、高レベル喜劇を演じられる実力者揃えたからっていう。

12話まで観た感想
リアリティ

 協力:文部科学省国立極地研究所海上自衛隊、SHIRASE5002(一財)、WNI気象文化創造センターとあるように、すっごい詳しく取材した上で作られているアニメ。「JK南極を目指す」という触れ込みは軽くSFチックなんだけど、現実に即した物語と美麗な背景美術で描かれる世界はとてもリアリティがあって、それ目当てだけでも観ていて楽しい小ネタも満載で、「昭和基地施設内にある厨房の戸棚に書かれている落書き」まで再現していたりする。そういう世界の中で描かれるキャラクターたちは、監督メインキャスト4人の演技を「それぞれのキャラクターが本当に生きている」と評したように(公式ラジオ11回より、水瀬いのり談)すごく活き活きしていて、本当に生きた人間の成長過程を見ているようであるキャラデザも緻密に作られていて、鼻の形にまでちゃん意味が込められているんじゃないかと思わせるくらいのクオリティに仕上がっている。バカみたいに表情豊かなので、同じ話を何度観ていても飽きない。そんな彼女たちの心の機微徹頭徹尾とても丁寧に描かれている作品なので、非常に感情移入ハードルが低い。また絶妙音楽による演出はより作品への没入感を加速させるので、そのうち彼女たちが何気ないことでヘラヘラ笑ってるシーンでさえつられて笑ってしまうくらいシンクロ率が高くなる。もはや音楽に心を委ねているだけで自然と、面白いシーンで笑い、悲しいシーンで泣き、嬉しいシーンで泣けるようになるので、そこら辺に意識を向けながら観てほしい。ただハマりすぎると「むせび泣きながら大爆笑する」という稀有体験をすることになるけれど。

何回も見返したくなる

 この作品を観ていて強く感じたのは「何度も見返したい」という点。一つ一つのシナリオが高いクオリティで完結している、というのもあるのだけれど、加えて本作では「4人の成長」が大テーマになっていて、各話には彼女たちの成長を如実に感じられるよう伏線をたくさん張り巡らせてあるので、話が進めば進むほど彼女たちの行動一つ一つに宿る物語を思い出しては強く感動する…という構成になっている。なので、「このシーンでこの子がこういう行動を取ったのって…」と気づく度に過去回を見返したくなるような、非常に完成度の高いエンターテインメント作品だと思う。

宇宙よりも遠い場所

 (物理)という意味もある。物理的に行くのが困難な場所を目指す物語としてすごく完成された作品だし、「リアリティがあって、かつほんとに行けるか分からいくらハードルが高くてワクワクするような目的地」というつくり手の戦略はすごくハマってると思う。

 一方で心因性の「宇宙よりも遠い場所」ってあるよね、というもう一つの意味も丁寧に描かれている。例えばそれは誰かにとって「メッチャ高い目標」、あるいは「何も変えられない自分から、何かを変えられる自分への転身」、「誰かに依存し続ける自分との決別」、「まだ見ぬ友達のすぐ隣」なのだけれど、大切なのは勇気を持って最初の1歩を踏み出すことだよね、ということを描く物語がこの「宇宙よりも遠い場所」というタイトルに込められていると感じた。私が1~12話全部が好きな理由は、すべての話が「最初の1歩を踏み出す物語」になっているから。ED曲「ここから、ここから」もそれを象徴している。ちなみにEDタイトルは、作曲者が近所の散歩中に[ここから~]という道路標識を見つけたことが由来らしい(本人ツイッターより: https://twitter.com/higedriver/status/968006184413249536 )。

イッキ見非推奨

 とにかく笑って泣ける作品なので、イッキ見をすると顔中が痛くなる。普段表情筋を使っていない私のような人は体調に気をつけて観たほうが良いかも。

13話の放送情報

<<放送情報>>

AT-X・・・3/27 20:30~

TOKYO-MX・・・3/27 23:00

BS11・・・3/27 23:30~

MBS・・・3/27 27:00~

<<配信情報(最速のみ)>>

d'アニメストア・・・3/27 20:30~

AbemaTV・・・3/27 20:30~

本作を観る順番のオススメ

 上記の通り何回も見返したくなる作品なので、私なりに観る順番を決めてみた(数字は話数、その右にある()内は注目するポイント)。少しでも楽しむネタになれば。

1-2-3-

4-1(キマリの想い)-2(報瀬、日向観測隊の想い)-3(ゆづの想い)-

5-[1-2-3-4(キマリ一家)](めぐっちゃんの表情)-5-

6-3(報瀬と日向関係)-4(報瀬の想い)-

7-1(キマリの想い)-3(ゆづの想い)-4(報瀬と隊長)-5(冒頭撮影シーンのつながり)-

8-1(キマリ)-4(4人)-5(4人)-7(4人)-

9-[1-2-3-4(報瀬と隊長)-5-7(報瀬と隊長)](ほんとに南極行けるの?だって南極だよ?)-9-

10-1(報瀬にとっての友達)-3(ゆづにとっての友達)-4(4人の仲)-5(4人の仲、めぐっちゃん)-6(4人の仲、報瀬と日向)-8(4人の仲)-10-

11-2(日向)-3(日向)-4(日向)-5(日向)-6(日向)-7(日向)-8(日向)-9(日向)-10日向)-11-

12-1(報瀬)-2(報瀬)-3(報瀬)-4(報瀬)-5(報瀬)-6(報瀬)-7(報瀬、隊長)-8(報瀬)-9(報瀬、隊長)-10(報瀬)-11(報瀬)-12-

13

オススメの順番で見た場合の話数は合計67話になった。

各話ごとのレビューネタバレあり)

1話

「じゃあ、いっしょに行く?」が刺さりすぎた件

 私事になるのだけれど、ほぼおんなじことを言われた経験がある。何年か前に高校同窓会に行ったのだけれど、その中に青年海外協力隊に参加した経験者がいた。元々興味があったのでかなり前のめりに話を聞いていたのだけれど、そんな私を見た彼が「じゃあ、行く?知り合いに話してあげるよ」と言ってくれた。けど私は行かなかった。その場であれやこれやと行けない理由を話した覚えはあるけれど、要はそういうことなんだろう。だからこうして一歩踏み出そうとして出来なかったり、そのくせ踏み出そうとしてる友達応援してみたり、そんな自分が嫌いなったりしているキマリの姿を丁寧に描く1話は私に刺さりすぎた。

いしづかあつこスカート

 アニメを含むコンテンツに触れているとよく、「スカート体育座り」というシチュエーションを見る。…けど、私は「そそそそのスカートで座ったらパンツ見えちゃう!?」ってなってしまって結構苦手である最近アニメ作品では絶対パンツが見えないような工夫がされていることが多いけど、その多くは「神様視点では見えない(脚でパンツ隠すやつとか)」あるいは「重力無視したスカート」のどちらかである。どちらの手法でも非常にもやもやしてしまうので、「どうやってスカート履いてる女の子が座る姿を自然に描くか」という表現技法にずっと興味があった。

 そこで1話 14:05頃を見て欲しいのだけれど、キマリスカートの下に手を回してる座り方がすごいかわいい。自然仕草かつ可愛いだけでなく、キャラクター自身が見られないよう意識している事がわかり、それも含めて可愛い。とてもよく出来ているシーン。

 この手法は、監督いしづかあつこ絵コンテ担当した作品ハナヤマタ」(2014年)の1話 13:40頃でも見られることから監督のこだわりなのだろう。些細な事だけど、私が監督を好きな理由の一つである(余談だけど、同氏が絵コンテ担当したノゲノラ1話ではワンピースを着た”白”が自室でベターっと座ってパンモロしていて、彼女のだらしなさを簡潔に表現している。座り方一つでキャラクター性格を描くという点では一貫していてすごく好き)。

放課後学校の音

 色んなアニメで登場する「放課後学校の音」を比較するのが好きなんだけど、よりもい1話放課後の音がとても好きなのでぜひ聴いてほしい。男子生徒の会話する声、吹奏楽の音、陸上部あたりのホイッスル等、非常に音が豊か。

マリかわいい

15:05頃 「宇宙よりも遠い場所」を読むキマリかわいい

2話

「嫌になったのなら嫌になったって、そう言えばいいじゃない!」→即和解

 めぐっちゃんの「南極に聞いた?」を見た報瀬がムッとした表情になり、キマリ心配に対してつっけんどんに拒絶してしまうという流れから、今まで散々「南極」とからかわれたり、あるいは仲の良い人から諦めるよう説得されてきて、その度に彼女はどんどん強情になっていった報瀬の過去を思わせる。それでもすぐに和解できたこからいかに二人が1~2話の間に信頼関係を築けたかが分かる。また、二人が言い合った場所が敢えて交差点であることも強い印象を残していて(作品を通して交差点が登場するのはこの時のみ)、非常に好きなシーン。

歌舞伎町潜入→失敗→逃亡→捕まるくだりの作画がすごい

 目まぐるしく変わるシーンの背景がいちいちハイクオリティ。その中を複数キャラが、文字通り縦横無尽に走り回る本作で最も激しいアクションシーン。コマ送りで見ると楽しいアニメ作品において、キャラが奥→手前のように奥行きのある移動をする際、作画が安定してるって結構すごいことだと思う。

奥→手前

右→左

奥→右と左に分かれる

奥→手前

右→左

手前→奥

奥→手前

手前→奥

右→左

奥→手前→右

右→左 …みたいな。3人が歌舞伎町に来るまでは夜道=街灯もない真っ暗な道という描写だったけれど、このシーンでは対照的に明るい歩道きらびやかネオン、往来する人なんかが強調されてて、キマリ心象風景可視化されてるみたいで好き。

 加えて疾走感の演出がすごく良い。キマリ最初、すっげー速い隊員と日向に比べてヘナチョコ走りなんだけど、挿入歌の盛り上がりに合わせてどんどんフォームが良くなっていく。たった一人だけ笑顔で走ってるキマリの高揚感がすごく伝わってきて、胸がいっぱいになる。

1話と2話で変わる、100万円の意味

 1話100万円…報瀬の並々ならぬ覚悟象徴する舞台装置、またそれに応えるキマリ覚悟の大きさ

 2話の100万円…スポンサー料として提示した金額。ハッキリ言ってゼロが足りない。その申し出を断ったかなえからは、大人組が報瀬の「絶対南極へ行くという想い」を超えるくらい強い意志を感じさせる。

 だからこそ、追い返された帰りの電車内で報瀬がちっとも折れずに「こいつ、ポジティブちゃん・・・」ってなるやりとりが非常に効果的な演出になっていて好き。

 これ以降も重要舞台装置になっていて、ただの札束をここまで丁寧に描く作品ってすごいと思う。

マリかわいい

17:40頃 「私の青春、動いてる気がする!」のキマリかわいい

3話

リアリティ

 特に2~3話は「さもありなん」と思わせるシナリオになっていて、非常に面白い。この作品リアリティを感じた人はよりもい公式ページの「南極チャレンジ」や、観測隊の日記等を見て幸せになってほしい。

報瀬の家におけるやりとりから察する、ターゲット年齢の高さ

 報瀬家ではリーダーを解任された報瀬が不満を漏らすのだけれど、お茶を出しているところを見て「お茶くみに格下げか」と気づいた人はどれくらいいるだろうか。また、後ろにそっとおいてある南極観測船「宗谷」にも気づいた人って最低でも30代だと思うのだけれど、そこらへんがこの作品ターゲットなのかもしれない、と思った。私もアラサーだし。

報瀬(CV.花澤香菜)でよかったと思った

 同じく報瀬家でのやりとりにおける報瀬(CV.花澤香菜)の演技が抜きん出て面白い。本当に素晴らしいキャスティングディレクション&演技だと思う。

少ないセリフで描く心の機微

17:20

「変な夢…」→夢と違い、殆ど開かない窓→スマホを見て目を細める結月→バッジのないSNSアプリ(前日送ったチャットの返信がない)→退出しましたx2→後ろ姿→\コンコン/→一瞬窓を見る→\コンコン/→「おはよー!」

 この間セリフがないのに、それでも結月の心の浮き沈みが痛いほどわかる演出がすごい。本作の特徴である、丁寧な心理描写伏線の貼り方を象徴しているシーン。

マリかわいい

07:20頃 こんな事もあろうかと用意しておいた”二人羽織”(書・キマリ)の、”二人羽”に比べて小さい”織”

4話

高校ネタとして鉄板の「学力テスト回」がない理由

 高校生が主人公アニメ漫画では学力テーマにした回が定番だけれど、この作品ではキマリ家での悲劇が描かれるのみ。なぜかといえば、4人のうちちゃん学校に通っているのが2人だけだから。加えてゆづは通っている学校と学年も違うので、学力テストテーマにしにくい。てかそもそも女子高生を描くアニメ学校に通っていない子をメインにするという発想に惚れた。でも4人のスペックについてはうまく描かれていて、

マリ…部屋の片付けが苦手、一つでも赤点取ったら南極に行けない、コンパサー→基本はできない子

報瀬…キマリ説教する日向同意する、慎重に測量の訓練をする→できる子?

ひなた…高認(x大検)も取ってるし、合格判定もA→できる子

ゆづき…学校に行けない分ファミレス自習数学ノート(図形の作画が非常に丁寧、字が綺麗)→できる子

 南極での作業フェーズではそれぞれがいろんな作業をするので、できる子なのかできない子なのか分かるっていうのはそれなりに意味があるんだけど、それを「勉強の出来不出来を数字で表す」という無意味評価軸に頼らない演出にしてて好き。

マリが好きになった話

 「ここじゃないどこかへ」というモチベーションでここまで報瀬に付いてきたキマリ。それだけでもすごいのに、そのうえ報瀬の想いや大人組の想いを知った上で「みんなで行きたい!」と言ったキマリの鋼メンタルが描かれている。報瀬たちと同等の覚悟がないとこんなこと言えないはずで、物語の縦軸を担う報瀬ではなくキマリ主人公であることを再認識した大好きなシーン。

マリかわいい

16:35頃

マリうるかにしてください(キリッ)」

ひなた「いいからやめろキマリwww

マリうぇへへ…www」←かわいい

2018-03-19

部活愚痴

文化祭ライブオリジナル曲発表したら私の曲をパクリって言われたのまだひきずってる。

言われたっていうか、うちの部活ライブの度に今後の参考になるからって顧問が必ずアンケートを用意してくれるんだけど、去年の文化祭の後アンケート読んでたら私の曲をパクリって書いた人がいた。

ボカロの何の曲に似てる!パクんな!とか、歌詞言葉選びが〇〇Pに似ててパクリとか、コード進行ボカロのあの曲と同じ!パクリ部!とかそんな感じの事が書いてあった。

自分作曲した曲って時点で賛否両論あるのは予想ついてたし、笑われたりするかもって不安もあったけど、まさかパクリって言われるなんて思ってなかった。もちろんパクりなんか絶対やってないし、めっちゃ時間かけて初めて作った私たち大事な曲だから盗作なんてするわけない。

コード進行似てるとか曲世の中にいっぱいあるよ、高校生なんだから影響受けやすいし引き出しも少ないし仕方ないじゃん、って部のみんなは励ましてくれたけど、なんかあの回答で私を全否定された気持ちになって4ヶ月ぐらい前なのにまだ思い出して鬱になる。

うちらだけの曲〜なんて言葉勝手に舞い上がった自分バカみたい。バンドリに感化されてオリジナル曲なんか作るんじゃなかった。

新歓ライブセトリからは私の曲を外してカバー曲に変えてもらった。けど、正直もうライブ出たくない。四月まであと半月もないのに何言ってんのって話だよね。歌もギターも嫌いになんてなってないけどもう辞めたい。もっと軽音楽部すごいってみんなに思って欲しくて一生懸命曲作り頑張った結果がパクリバンドパクリ部なんて書かれて多分私は卒業までずっと軽音部のパクリの人みたいに言われ続けるんだとか思ったらちょっと耐えきれない気がする。

高校卒業しても大学軽音サークル入ろうとか、バンド組みたいとか思ってたのもなんか全部なくなった。今日放課後練習あるけどびっくりするぐらい行きたくない。もう部活辞めようかな。ってか音楽自体辞めたいかも。

2018-03-18

かつて僕らは廃人であることがアイデンティティだった

その戦いのステージは小さな教室の中、放課後の部室、行きつけのゲーセン

相手となるのはせいぜいが数十人や数百人程度で、そのうちの数十人や数百人はそもそもそんな争いには最初から興味がなく、せいぜい10人程度を相手取るだけでよかった。

どんなに負けても10位や50位ぐらいの二桁台には居座れた。

だけどインターネット世界を包みだしてルールが変わった。

天網恢恢疎にして漏らさずネット世界をこれでもかとつなぎ無数の蛸壺を作りながらもその蛸壺同士すら繋いでしまった。

いまや扉をガッチリと閉めたシェルターにでも潜りでもしなければ、六次の隔たりを超えて世界中にいる無数のライバルと競い合う運命がどこからでも待ち構えているのだ。

今や廃人である事に求められるのは数万や数十万を相手取ることだ。

エントリーも予選も終わって、その上で数万、数十万のアカウントが己の廃人っぷりをアピールしあう中で生き延びなければならんのだ。

恐ろしいことだ。

その中で二桁台、三桁台に立つ連中の化物っぷりときたら……。

流行りのyoutuberの中にはネットゲームにどっぷり浸りすぎて、廃人でない人生の部分が生きるのにギリギリ最低限必要な分だけ残されているのかすら怪しい連中がウヨウヨいる。

そんな奴らでさえ、このインターネッツで繰り広げられる黙示録蠱毒ファイナルバトルロイヤル)の中では四桁台に食らいつくだけでも必死なのではなかろうか。

恐ろしい時代だ。

負け組廃人人生オワタといった類のネガティブアイデンティティすら容易にクライシスされていく時代が来た。

この世界で、アイデンティティを維持するためにある分野で他人より優れようとするのは凡人にとっては狂気の沙汰にしかなりえない。

ならばどのようにして己の存在価値を守るのか。

その方法に一つだけ心当たりがある。

遠い昔に風のうわさに聞いた程度なのだが、どうやら自分人生ありのままに受け入れて、今そこでその人生を生きている事を拠り所に出来るらしい。

そのためには、自分の両親を肯定し、周りにいる人間との縁を大切にし、自分今日まで生きてきた日々は嘘偽りなく自分人生のものだったと認めればいいようだ。

しろそれが本来アイデンティティだとも聞いたことがある。

嘘か真か、人より優れ何らかの形で己が役に立つか目立つかすることによってアイデンティティを得るのは裏技だとすら言いはる人間にもあったことがある。

にわかには信じられないが、凡人である我々が己の凡人性を認めざるを得なくなった以上は、この俗説を信じるしか無いのやも知れぬ。

2018-03-17

元増田です。言葉かいが悪くて申し訳ありません&恩師K先生のこと

元増田です。ホテントっててびっくりしました。

アホの子」についてブコメ等で宜しくない旨ご指摘をいただきましてありがとうございます。そして申し訳ありません。

言い訳しますが、彼ら彼女らと私との間に、愛と信頼できる(と、こちらが一方的に思っているだけかもしれないが)人間関係がある前提で使ったのでした。読み返してみたら確かに気分の良くなる言葉ではないですね…。増田聖人君子でもなければ天才でもないので言葉TPOを間違える。申し訳ありません。

現在仕事教育関係ではありません。ごく一般会社員教員教育関係に就こうとは思ったことはないです。あの仕事こそ増田なんかよりも聖人君子に近い人がなるべき仕事で、更に言えばもっと報酬と人手を割くべき仕事だと思っています。私にはとても無理。

まり広くない世界で働いているので詳細はぼかしますが、口悪く言えば大人に対して同じようなこと「一緒に何が原因でこういう事態に陥ったのか考えましょう」という感じの仕事をしています。かなりダメ社員で成績は悪いし出世も遅いです。小さい細かい、そして金にならない仕事ばかりをやっています。その代わり長期間のお付き合いになる案件が多くて楽しくやりがいがありますが、それは会社にとっては更に宜しくない(割の悪い仕事をずーっとやっている)、というお荷物要員です。が、天職だと思っています会社申し訳ない…

蛇足の手本のような追記を、元増田が思い立ったのは、この方法は、増田が開発したものでも、独自に気付きを得たものでもなく、増田の恩師から増田がしてもらったことを子供たちに返しただけなのだということを言わなくてはと思ったからです。ごく一部のブコメ天才とか良い先生だとか、大変気持ちが良く調子に乗ってしま言葉いただきましたが、ぜんぜん違います。重ねて申し訳ない。

そういう意味では、増田は凡人ですが、増田の恩師、K先生天才なのかもしれません。

増田自身がまさに「アホの子」の元祖で、小5~6年の担任を持ってくれた恩師K先生との出会いがなかったら超ヤバかったのです。

増田は、小学校5年生の秋まで、掛け算九九を暗記しないまま素知らぬ顔でいました。

学校勉強は良くできた方だったと思いますペーパーテストなどでは基本的には98/100点などがずらっと並ぶ感じ、授業を聞いていれば大体頭に入り理解できる、先生説明の途中で勝手教科書の「応用問題」を解き始める感じの子供でした。そして、多動&注意欠陥の傾向が強い子供でもありました。今思えば先生からしてみたら割と厄介だったかもしれません。100点は取れないんですよ注意欠陥っ子なので。歴代先生全てに「見直しをしなさい」「あとちょっと集中しましょう」と通知表に書かれ続けてきたタイプです。

で、小2で掛け算を習う時に「×の記号はその回数足すという意味です」と先生が言ったのを真に受けて、その回数足せばいいなら九九覚える必要なくね?と何故か曲解して思いこんだ。それから先は、分かりやすい2の段とか5の段とか以外は記憶せず「○回足す」で乗り切った。いや乗り切れるわけがいから、他の教科のテストは相変わらず95点とか98点とかだけど、算数だけ85点ぐらい。馬鹿だったわけじゃないのが災いして中途半端に平均的に点は取れていたから、当時のそれぞれの担任先生も「増田さんは算数が苦手なのね」程度に判断されていたのだと思います

ただ、九九を覚えていないと、3ケタ÷2ケタの割り算なんかを解くのが地獄なんですよ。あと倍数とか約数概念が苦手というか、概念しか」分かってなくて実践全然できないという状態。正解できないか面白くない、面白くないから興味がわかない、という状態のまま、分数を学び、少数を学び、速度や割合を学び…、ちっとも理解できてないまま小5になっていました。完全にアホの子のできあがりです。

図形問題証明問題のようなもの鶴亀算的な文章問題なんかは、式を作るところまでは合っている、が計算を間違う。それも理解できない間違え方をしている。割り算は勘を頼りに予想を立てた数パターンを足し算検証して合ったやつを正解としてみよう(足し算だけで最小公倍数や最大公約数をあてずっぽうで探す要領だったと思いますあんまり思い出せないし再現できる気がしない…)という超絶燃費の悪い解き方をしていたので、その時にイージーな計算ミスをしているだけなんだけど。そして間違わないときもあるので、先生からしたら何で算数だけ点数が悪いのか分かりにくかっただろうと思います

ところが、K先生はなぜか(後に大人になってから種明かしをしてもらうのですが)、私が九九を覚えていないことを見破ったのですね。

ある日、放課後に一人で残りなさいと言われて、超絶びくびくしながら教室で待っていたら、教科書を山ほど抱えたK先生が、増田算数嫌いを一緒に克服しよう、と言ってきました。クラスでも勉強ができる方の子供だったし、私より他に勉強を見てやった方が良い(失礼な言い草だな)子がいるのに!と、驚いて、そして腹が立ったのと同時に、凄く怖くなりました。

ばれたくなかったんです、アホだってことを。

ずーっとズルをしてきて、九九を覚えてないズルい生徒だとばれたくなかったし、分かってないのに何となくやり過ごしてただけで本当は何にも分かってないアホだってことも、絶対にばれたくないと思ったんです。K先生は生徒思いで自由タイプ教師で私はとても好きでしたから、なおさらばれるわけにはいかなかった。なので家で計算ドリルやればいいでしょ!とか、じゃあ塾に通う!とか、お父さんに教わるからだいじょぶ!とか、忘れたけど色んな事を言って逃げようと思った。でも誤魔化されてくれずに、「ひょっとして九九を覚えてないだろう?」と当てられてしまい、号泣したんですね。恥ずかしいのと悔しいのと腹が立つのと色んな悪い感情が渦巻いたのを覚えています。凄く辛かったし恥ずかしかった。

そこから分数回、K先生放課後付きっきりで相手をしてくれました。まずは九九を覚えてきなさいと、絶対に役に立つんから先生を信じてくれ、と言われました。K先生を信頼していたのでその言葉も信じることにしたんです。結果的に信じて大正解あんなに苦労した計算がこんなに簡単に!と思いました。アホの子丸出しです。

まぁ勘で割り算解いてたわけで、7の段とか8の段とかの九九の深いところがあいまいな程度でうすらぼんやりとは覚えていたのだとは思います母親に白状したら本屋さんで九九の表のを買ってきてくれたのでトイレ風呂に貼った、小5なのに。でも小5だから本気だせばすぐ覚えられる。

その後は、取りこぼしていた分数(九九が分からないと約分が厄介)、少数(分数が飲み込めてなかったので少数と割合概念が全く理解できてなかった)、速度(以下同)などなど躓いていた個所を一通り先生と一緒におさらいをしたら、算数でも98点取れるようになった。100点はめったに取れません注意欠陥っ子なので。

一度、放課後に残されている私を同級生男の子が数人からかいに来たことがありました。優等生と思われていた増田が!と面白かったんだろうと思う。ただでさえ劣等感に苛まれてべそをかきながら(実際に分からなくなるたびにべそべそ泣いていました)教わっているのにクラスメートにからかわれて死にたい気持ちでしたが、K先生が、勉強ができるようになりたいと頑張っているものを笑うな、と怒ってくれたことを鮮明に覚えています

その後は、からかいに来た生徒たちも一緒に「K先生算数をおさらいする会」がしばらく続いたように覚えています最後はかなり大所帯になっていた記憶ほとんどの生徒から慕われていたのです、K先生は。

大人になってもこのクラス同窓会は続いています高校卒業した年の同窓会で、ふと思い出してK先生にどうして九九が分かってないことがバレたんですか?と聞いたら、テスト用紙の隅っこにいつも消しゴムで消した計算跡があって気になっていたこと、ある日消しが甘い時があって見てみたらひたすら関係ない足し算をしている跡のように見えるが何故???というところから、観察をしてみたらひょっとして、と思ったということでした。掛け算を何度も足してたのを気付かれたくなかったし恥ずかしかったのか、証拠隠滅していたんですね姑息なことに。筆算はそのまま解答用紙に書いてあるのになぜ別の計算必要?そして何故消す?、というところから類推されていたらしい。本当に些細なことからだったし、それ気付かれてなかったら、下手したら高校にも行けなかったよ私…。

私自身がアホの子であり、アホであることを許して丁寧に付き合ってくれて、気持ちも分かってくれた(九九の概念理解してたのは増田の良いところだと褒めてくれた、そしてそのあとを面倒がるのは増田ダメなところだと怒られた)K先生から教わったから、私が人を教えるときにそれを使うことができたんです。私が成したことではなくK先生の教えがあったから。

成人式の後に、K先生の家に同級生たちと一緒に押しかけ酒を飲んでいた時、私たちは酔ってゴキゲンで、先生をべた褒め(先生がいなかったら私ヤバかったとか云々)してたら、K先生は、親や教師や目上の者から恩恵を受けたと感じてくれたなら、それを俺に返そうと思わなくていいから下に渡してやりなさい、とおっしゃったんですね。で、それを実践しただけ。

K先生はとても個性的自由で、保護者の中には批判的に見る人もいたような型破りなタイプ先生で、教わったことはこれだけではなく抱えきれないほどあります。K先生のそのクラスは良い年をした今でも同窓会をするほどのつながりが深くありますが、その中で小学校先生になった人が二桁いる。割合で言うとクラスメートの2割弱が小学校教師になりました。私のようなボンクラがならなくても、K先生に感銘を受けた優秀な先生が頑張っていてくれるので、学校先生大丈夫

いや大丈夫じゃないよね…もっとお金と人を割いてほしい。教師になった友人たちもストレートで職に就けた子はいません。みんな1~3年程度、補助教員の仕事にありついてそこからなんとかポストを見つけて、という感じ。ホント酷いよね…。

増田が友人たちを観察している限りでは、学校先生は「勉強を教える能力」だけじゃなくて、「クラスという集団を統率するリーダーシップ」「学校スケジュールを考える企画力」「それをこなす運営力」「ケースワーカー」などのスキル必要で、かれらはこれを一人か二人だけでマルチタスクでで行っています

あくまでも口と性格と知能に若干の問題がある増田私見ですが、今の日本ホント馬鹿だと思います。何で教育予算増やさないでしょうね…。1クラスは40人でも良いけど(ある程度の人数がいた方がクラス内で多様性を許容しやすいと教師の友人が言っていました。少人数だと浮いた子の居場所を作りにくいそうです)、その代わり担任は3、4人居ても全然いいし(そうすれば学校内で個別指導塾的な役割も持てる)、何なら学校行事企画運営なんかは更に専属で別の担当教師がいるべきだと思います名古屋市だったか小学校クラブ活動廃止というニュースがありましたが大英断だと思う。課外活動地域SCなどで吸収できるとしたら理想の形なんですけどね…。

今の学校は、子供も少ないかポストも少なく教師になりたくて夢と強い意志を持って教師になったという人がほとんどだと思います増田が報告した塾での出来事なんて、彼らにもう少し余裕があれば増田の15倍ぐらいは良い結果を出すと思う。それなのに。

それはともかくとして、増田は、社会人になって初めて下に付いた先輩から「お前はアホで手に負えないが、唯一の取り柄は教わり上手なことだ」と言われました。K先生が小5の秋の夕方教室で、私を壊してくれなかったら教わり上手に変化することはできなかっただろうと思います

その他、耳に心地よかったお褒めの言葉などは、心の栄養にさせていただきますありがとう!。一方で、疑問や批判的なご意見で、増田にとって都合よく答えられそうなものにいくつか。

■そんなうまくいくケースばかりあるもんか

そうですね、増田にとって話しやすいことだけを、それもかなりボカして書きましたので仕方ないです。ごめんなさい。実際は大変でした。

adbが分からなかった子は初めて私が「開眼」した生徒なので思い入れ記憶も多いのですが、躓いた場所に気がついた後は、塾が用意しているカリキュラムや教材をほとんど使わずに、まずはアルファベット用の罫線が引かれたノートを拡大コピーして(形状の見分けがついてない疑惑があったので思いっきり拡大コピーして使った)、アルファベットをaから順番に10回ずつ、声を出しながら書き取り練習!をしました。

何よりも、大手フランチャイズ塾だったのにもかかわらずカリキュラム無視した指導をしてもいい、と許容してくれた教室長の懐の深さと"寺子屋愛"に甘えられたことと、先生バイト仲間の優しさ(教えるのが大変な子を私が見る代わりに、担当生徒数を減らしてくれたり、私の受け持ちの子を共有で見てくれたりのフォローをしてくれた)があったからというのはとてもとても大きいです。

あと、当然すぎるほど当然ですが、成績を上げてあげることができなかった子供もいました。元増田にも書きましたが、私は成績が普通の子指導は得意ではなかったです。勉強アレルギーある子供の方が、悪い言い方になりますが、つけ入る隙が見えやすいと感じていました。なので、主に「すごく良くできる子」と「すごくできない子」の担当をしていました。あと、すごくできない子で、一人だけ、どうやっても引き上げられない子がいました。詳細は書けないですが、これは今でも思い出すと胸が痛くなる。

■そんなの誰にだって出来るだろー

増田もそう思います。なのでホテントってビックリしています。そして前段に長々と書きましたが、増田の手柄ではなくK先生のおかげだと思っています

■生徒のプライバシーは?傷つくんじゃねーの?

浅慮だったでしょうか…アホです。問題が起こったら消すかもしれません。ただ連絡を取り合える子供もいるので耳に入って傷ついたと知ったら直接彼らに謝ります。一応最低限はぼかしているつもりです、ホテルはもちろんフェイクです。あとブクマのご指摘にもありますがabdが区別つかない子というのはそれほど珍しいことではないので…。

学習障害があったんじゃない?

増田現在でも専門ではありませんし、当時はアホの大学生だったので判断はできません。増田個人に関しては前記の通り「傾向」は確実にあるだろうなーと思っています。調べてはいませんが。苦労もとても多いがそれなりに個性的で愉快な性質だなと受け入れられています。長くなりすぎるので書きませんが、それを受け入れられたのも恩師K先生のおかげだったりします。

■なんでx=数学なのに英語出てきたむかつく!が察知できたのか

前段の通り、増田こそが元祖アホの子だったからだと思います。掛け算は足し算、なら覚える必要なくない?!という思考停止とその後の悔しさと恥ずかしさがヒントになりました。思いこんだことから一歩先に進むことの大変さ。

長くなってしまっていますが、あと一つだけ、とても興味を惹かれたので。

id:sarensongjing さん、ブログ拝見しました→http://xn--9ckk0f4c7781a7r3b.com/taihen.html

mustの意味と使い方が理解できなかった、とかすごい分かります

増田経験ですが、英語理解には段階があったように思います

第一段階:アルファベット26文字区別が付く

 私の教えた子はみんなこの辺からスタートでした。まずはアルファベット呪文じゃなくなるようにしなきゃ、だった

第二段階:意味は分かってないながらも、音読は出来るようになる

音になる=過去に耳から得ていた情報を、英語勉強に使っていいんだよと理解してもらった。呪文から普段自分が使っている言葉と地続きの「情報」になるだけで、かなり気持ちが楽になるようでした

第三段階:たまたま知ってた和製英語から類推して、薄ら何を言いたいのか分かるような気がしてくる(気がするだけ)

夜やってるからナイター、でnightは夜!みたいなこと。既に持っている情報を使って新しい知的好奇心が湧いてきたということでもあるかなと思っていました。ただしほとんどの子が、頻繁に間違ったことを言ってくるので可愛くてしょうがなかったです。ダジャレか!

これをしばらく単語覚えゲームとしてやってたら、自然と、接尾語の存在に気付いてくれました。言語は、それぞれ意味を持つ小さなクラスターの集合であるという「概念」が体に沁み込んできたという感じ。理解は、もちろんしていないんですが笑 こうなるともう呪文ではなくなる。

そういえば、nightをナイトと読むというのは、なかなか難しいとこではあるんですが、英語比較的素直に音とつづりが連関しているので

無理やり読んでごらん?ニグフト!、なんか似てる言葉あるでしょ、えーとえーと………ナイト?!とか、そういう風に付き合いました。

アルファベット音読できるようになりさえすれば、割とやりようがある。文法シンプルですしね。

第四段階:文章はどうやら並び順が決まっているらしいと薄ら思い始める

おもしろかったのは、文法発見よりも、接尾語の発見の方が全員早かったんですよ。単語同士の共通点を探したくなるのかもしれない。-fulとかね。fullがくっ付いたんだよー、だから○○がいっぱい!って意味になる、と言ったら目を見開いてた。

単語も、あるクラスタの集合体である、という理解ができたら比較的早く、文章もあるクラスタの集合体である文法発見してくれました。並び順って日本だって決まってるジャン、と言ったらそれからはすごく教えるのが楽になった。

ここまで理解が飲み込めていないと、助動詞の大切さや意味や力が分からないだろうし、mustを覚えるのはイヤだなと思ってしまったのかもしれないですね…。

増田は、牛よりもゆるやかなスピードで付き合っていました。ある子供は、第三段階で中3の冬だった記憶があります教室長はハラハラだったと思う…。受験校を決めなきゃいけない時期だったのですが、お母様に、担任先生の説得をお願いしました。お母様はもっとハラハラだっただろう…、お願いだからあと1回次のテストの結果まで見てくれと。あとちょっとなんだよー!という気持ち

2018-03-16

いーなぁーー!いーないーな!

からかい上手の高木さん見てるんだけど、いーなぁーー!いーないーな!

あんかわいい子に「一緒に学校行こう!」なんて言われたかったなー!

俺なんて中学校の時放課後ウンコしてたら、

増田ってキモいよね」

って廊下から好きな人の話声が聞こえてさ。

死のうと思ったよ。

2018-03-13

anond:20180313000239

部活動10代が放課後非行に走らないようにだし

元々「健全精神健全な肉体に宿れかし」だから

2000年に渡る誤訳

2018-03-12

人生エピローグ長すぎ

私の人生ゲームとか小説とかで例えるなら本編は高校で、ずっと前にエンディングを迎えてるはず

なのになんだかわからないけど終わらないままここまで生きてしまった

残り60年長すぎないですか 死なせてくれよ

高校は厳しい部活だったので放課後カラオケとか買い食いとかそういう俗に言う青春全然なく、まあとにかくめちゃくちゃしんどかった

でも間違いなくこの時以上の出来事経験はこの先できないって思ったんですよ

引退した後は悔いはないからこのまま死にたいなあって毎日思ってたのに死ねなくて、そのまま受験もそれなりにうまくいってしまった

そうして入った大学もそれなりに楽しくて、でも「この楽しい大学生活はエピローグかおまけモードだな〜」って思いながら過ごしてて

しか楽しいけど必須じゃないというか

で、いま就活なんですけど

「なにがしたい?」って聞かれても何もしたくなくて

自己分析できてないだけじゃない?って言われても、そもそも私は部活引退の時からずっと「人生の本編が終わったか死にたい」って思ってるので「なにがしたい?」「どうなりたい?」って問いには「早く死にたい」としか答えられないんですよ

気楽なモラトリアム大学生活ならおまけモード蛇足の番外編として受け入れられたけど、この先の人生何も望んでないのに、高校あの日々より大切なものなんてできないのに、絶対仕事とか辛いのに、なんでまだ生きてなきゃいけないの


オタクなので趣味楽しいんだけど、趣味のためにリアル頑張る!って気持ちにはならないから世のオタクみんなすごいよ

好きなものたくさんあるけど死にたいし、でもなんとかそれに縋って生きてるかんじ

私は楽しいことと辛いこと、心の中で打ち消しあえないみたいで、楽しいことは楽しいし辛いことは辛いままで終わりだよ

家庭環境とくに悪くないし、貧乏でもないし、私自能力が物凄く低いわけでもないはずだし、友人にも先生にも恵まれて、特別な不幸も今までなかった、だからほんとは幸せなはずなのにずっと死にたい

じゃあ早く死ねばいいんだけど、家族特に母親)はめちゃくちゃ落ち込むだろうし、何より色々とお金かけてもらってるし、今ここで死ぬのは親に申し訳なさすぎる

とにかくもうあと60年も生きたくない

人間寿命のびすぎ

任意で死なせてくれ

2018-03-08

小学生の時、ケツの穴チェックされてた話

エロい話ではないです。

小学1~3年の間学童保育(放課後児童クラブ)にいた。死ぬほどいやだったけどいやだいやだ言っても「共働きの家庭は普通学童保育よ」って感じで気持ちより普通であることを優先されてた。

小学自体は楽しかった。まだ小1だし勉強楽しい、新しい友達出来るの楽しい平和劣等感なんて感じずのびのび生きてた。

だが放課後になると鬱。遊ぶ約束して友達の家でお菓子食べながら人生ゲームたかったけど強制的にまだ学校にいなくてはならない。

この児童クラブで私は6歳にしてカーストを知ったのである

児童クラブには1~4年生が親迎えにくるまでの間預けられていた。

4歳も離れた人間たちが教室より2回りは狭い空間に閉じ込められ、やりたくもない雑巾がけやらを強制される。

終業のチャイムは2時に鳴ったのに6時まで学校にいなくてはならない。まーストレス溜まるわな。

ストレス空間の中にカースト生まれる。

カーストで一番偉いのが4年、次は4年に気に入られた4年グループの1~3年。

当然、私は気に入られない1年。その他

1年女子何人くらいいたっけな 6人くらい

4年に姉がいる子とその子の近所の友達けがカースト上位。

児童クラブカースト小学から小4の間なんて大したことないだろうと思うだろうし母親もそう思っていただろうけど苦痛だった。

まず居心地が悪い。児童クラブには漫画小説があってそれで暇つぶしして過ごすんだけどカースト上位にしか読むことが許されない漫画があった。

きらりんレボリューション結界師

当時きらレボがまじっっっで読みたかった。でも読むことが許されない雰囲気

なんつーか圧?が凄くて

いろいろ言われたなぁ....ほとんど記憶から消し去ったけど。

漫画読めないかエルマーのぼうけん読んでた。

二人はきらレボ回し読みしてたなぁ。一切貸してはくんなかったぜ・・・

別にさぁ自分で買って家で読めばいいじゃんって話なんだけど 親が買ってくれなかった家庭だったんだよね。小遣いが月1000円になったあたりで自分で買ったよ。


ケツの穴の話に入ります

児童クラブの鬱にも慣れた秋頃、

本を読んでいた小1私、なぜか3年の上位層の女(仮名:R)にトイレに呼び出される。

Rと私は特にいいわけでもなく、私はRのことが怖かった。(上位層の女はみんな怖かった その中でもRは3年だけど兄貴ジャイアンそっくりの重量級でRも物理的に強そうだったし雰囲気ヤマンバギャルのはしりっぽくて・・・・) 小1からしたら2.3年違うだけで身長センチ以上差があったか児童クラブの年上大半反論してもかなわないだろうな 理不尽も仕方ないよな という気持ち 少なから子供ながら持ってた。

で、Rにトイレに呼び出された私、同じ個室に入れられる。

そこでケツの穴を見せろと、 

私が立ちバックの受けの体勢になるように言われズボンを脱がされ、Rは屈んでケツを凝視してた。

も~~~~意味わかんないし怖いし意味わかんなかった

もううっすらとしか覚えてないけど、う〇この拭き具合を確認するとか言われた気がする。

BL漫画みたいなア〇ルのピンクさチェックではなかった(小学生だぞ)

ただケツの※を見られるだけではなくトイレットペーパーで私の下半身に手を伸ばして拭きだした。

ケツ拭きプレイである

スカトロまでは強要されなかった。

ケツを拭かれた。ケツ拭きプレイ

今日はここまででいいよが終了の言葉

そのケツ拭きプレイは一回では終わらず数回続いた。

学校が終わり児童クラブで本を読んだり友達としゃべっているとこっちへ来いとよばれる。

もう児童クラブの生徒しかいなくなった小学校の廊下を手を引っ張られ少し離れたトイレへと。

そりゃもー嫌だった。ケツの穴をチェックされてうれしい人なんていない。

本当に嫌だったし変なことしてるって自覚あったから誰にも相談できなかった。

母親に「Rちゃんトイレでケツの穴見せるようにいじめられた」なんて言って児童クラブ先生に伝わり学級会が開かれた日にはもう小学校に行けなくなる。

R「もうちょっと強く拭いた方がいいよ」 「今日トイレ何回した?」

 「こうやってこうやろう?」

いじめというよりケツ拭き講座。ケツ拭き講座を立ちバック状態和式トイレの一室でされ女同士子供同士といえど恐怖でいっぱい。でもケツ丸出し。脳内ストレスマッハ別に私のケツ汚くなかったしちゃんと拭いてたよ まず小学校って学校で大をしてはいけない的な風潮あったし・・・

そしてケツ拭き講座は突然終わりを迎えた。

いつものようにRにトイレに連れてかれてケツ拭き講座が始まる。

数十分経ってもうすぐで解放されるかな・・・ってところで

スクールカースト上位層の女達がRを探しにトイレまで来たのだ。

私はRにズボンを上げられ死界になりそうなドアの裏におしこめられた。ドアが開いたら裏になって隠れるってやつね。

今でも鮮明に覚えてるくらいドキドキした。怖かった。

ばれたらどうなるんだろうとか考える余裕もなかった。私は変なことしてないじゃんて話なんだけど被害者というより共犯者の心境だったんだと思う。

結論から言うと探しに来た女にはバレた。

Rは私を置いて迎えに来た女たちに適当?に説明したのかそこまで掘られなかった。

なにしてたんだよとか責められた記憶あるけどケツの穴チェックはバレなかった気がする。

Rが迎えに来た女たちにバレ、私を置いて女たちに混ざってトイレを去ってから、ケツの穴チェックは無くなったのである

Rも秘め事の意識があったのだろうかこのことはなかったことの様にされた。

から話す仲ではなかったので自分からケツチェックなんだったの?なんて怖くて聞けないしRも話しかけてこなかった。

私とRは目があっても話さない元どうりのスクールカースト上位とその他の仲に戻った。

そのあと小学中学校地元が一緒なのでマックで見かけたり運動会でRの存在確認していてもいっっっさい話してない。

Rからしかけてくることも、私からしかけることもなかった。

Rが誰に話したかは知らないけど、私は誰にもしゃべらなかったよ 何度もネタにしようかと思ったけど言葉が出なくてムリだった。

つの間にかケツの穴チェックのことは私とR二人だけのヒ・ミ・ツってやつになってた(きたねえヒミツだな)

Rさん元気にしてるかな?今もう大学生社会人になってる歳なんだよなぁ 時の流れってはやい

でも小学生の時の誰にも言えない体験ってみんなあるよね?

誰にも話せなかったからここに書いて忘れます。はじめてこんな長文書いた。小学生の時の嫌な思い出なんてさっさと忘れたい。





追記:ちょっと文直した。女が〜って事を言いたかったわけではない。漫画は低カースト男女関係なく読めなかったよ。児童クラブにあったカーストに男女差はないです。

2018-03-07

しょうもない悩みでもしょうもないと笑っていいのは自分だけだから

みなさん生きてますか?僕はダメです。

これから何故ダメかをダーしていきます

3月から就活が解禁されたみたいですね。2留して来年から大学6回生になる僕も社会適合レースに巻き込まれしまうようです。

現在説明会を予約してはキャンセルするという無の行為を繰り返しています

企業にとっても他の就活生にとっても迷惑だし僕自身時間無駄になる誰も得しない行為なので早く辞めたいですね。それでもスケジュール管理が壊滅的に下手なのでやってしまう。

そう、スケジュールを組むという行為ができた試しがないんですよ。一ヵ月に入る予定は2個が限界、せめて一週間ごとに決まってほしい。バイトを辞めた理由も一ヵ月単位で予定が入るのに耐えられなかったから。

こんな感じで始まる前から悲惨なわけですが不安だったり嫌なことはたくさんあります

それはオタクのお友達就活してることです。

僕は2留ですけど大学にはなぜか同期のお友達がそこそこいます。みんなオタクしょっちゅう集まってはモンハンをやったりトランプやったりと小学生放課後みたいな時間を過ごしてましたし今でも年に4-5回は集まってお酒を飲んだりカラオケ童謡を入れて映像の歌のおねえさんといっしょに踊ったりしている三歳児のみなさん、大学に入ってもう5年が経つの卒業していったのはほんの少しで残りは留年したり院にいったりとまだモラトリアムを楽しんでいます。そんな彼らも卒業の時が迫り就活が始まっていました。

バイトしてる姿を見たことがない彼らがスーツ大学闊歩しているのを見た時は嫌で嫌でしょうがなかったですね。お前はこっち側じゃあなかったのかと。僕はその説明会お菓子が貰えるときいて部屋着で入って数分で会場を去る乞食プレイをしたというのに。

みんなオタクなのでTwitterでは社会不適合者だから云々みたいなツイートをしているわけですよ。でもこの適合レース落ちこぼれるのは自分だけなんじゃあないかと。だってみんな僕より社会性あるし。そもそも僕は2留で彼らは院生だった、当たり前じゃん。

たった400文字程度すら書ける気がしない。文章の形に整えられる気もしない。かろうじて学生時代にやったことをひねり出せてもそこから自分が何者なのかを語れない。読むあなた達で汲み取ってくれ。全部説明されるより与えられた情報で色々組み立てるようなアニメの方が好きでしょ?僕はそういう作品が好き。

何もないから何言えばいいかな~ってググったりすると自己啓発的なものに当たるんですけど全部うるせーーーッって拒否ちゃう有益なことというか至極当然なことが書かれているのはわかるんですよ。でもなんだか聞く気になれない。

待っているのは破滅っぽいけど社会破滅した人間でも一応生きさせてくれるらしいので危機感も生まれない。危機感を煽られてもどこか他人事に聞こえてしまう。

わかってほしい気持ちもあるけどお前には一生わかんねえよと他人を拒絶してしま感覚がある。僕より持ってるやつが何を言ってもダメなわけで。でもそういった気持ちはだれにでもあるわけで。人には人の辛さがあるということを理解して寄り添って欲しい。私も同じだからわかるよという歩み寄りはいらない。どうせわかんないんだから

思いついた辛いことを思いついた順で書いてるので無茶苦茶なんですけど、人間心が終わると文章だけでなく部屋もグチャグチャになるみたいです。元々部屋は汚い方なんですけどそれでもこれはヤバいなと自覚するほどには。ヤベーと思っても心が終わってるので片付ける気にならない。今はビニール袋と漫画就活で貰ったパンフペットボトルペンタオルが机や床に散乱しています

これだけうだうだと繊細な人間みたいな情報を挙げていったわけですが採用の二文字を受けた瞬間全部解決すると思うと悩みのスケールさえしょうもないなと感じるのが嫌です。

上手く行ったらヨシヨシされたいし頑張ってる最中でもヨシヨシされたいし途中で全部嫌になって全部投げ出してもヨシヨシされたい。猫にまで叱られたくない。猫ぐらいは膝の上に乗っかってきてほしい。

高校生の時に死んじゃった猫二匹を思い出したので終わりです。

2018-03-06

生理が辛い もっとちゃんと休ませろ

私はそれなりに生理が重い。

比較したことがないから分からないが、大体2回に1回のペースで重たい生理痛がくる。

2日目は大抵地獄だ。

あ、生理痛きた、と最初は優しめで少し辛いかな、まぁ我慢できるかな、くらい。

そこから30分くらいすると徐々にしんどくなってくる。

下腹部がズキズキ痛い。便秘なのか生理痛なのか頭の中が混乱してくる。ひたすらお腹が痛い、腰が重い、もう辛い、とりあえず横になりたいしか考えられなくなる。

それがまだ室内で座っていられる状況ならまだいい。

外出中で座れる場所のないところなら、もう、足は震え始め、フラフラし、精神的にもやられる。

座れない、横になれない、でもお腹は痛い。早く薬飲みたい。

これらは鎮痛剤で大体よくなる。

薬を飲んで1時間ほどすれば、笑って話せるくらいには回復する。それでも薬を飲むことで、頭はぼうっとし、体の動きが鈍くなる。

生理の時に苦痛なのは生理痛だけではない。

生理痛がなくても、何かが出ている感覚を常に感じるのだ。あ、今個体が出たとか、うわっなんか止まらないとか、ひたすら気持ち悪い。自分意思関係なく経血は出ていくからだ。

ただドロドロ漏れていくだけならまだマシだが、次はパンツ漏れてないかスカートズボンにまで達してないか、そういった心配もしていなくてはいけない。

本当に生理の期間が苦痛だ。

中にはタンポンをすればいい、という人もいる。

しかし、私は本当にタンポンが苦手なのだ

ここからは単なる私の思い出話だ。飛ばしていい。

高校の時にプールの授業があった。もともと水泳は苦手だったが、たまたま生理と被らず、それなりに快適にプールに入れていた。それでも一度生理と被ってしまった。サボりをなくすために、私の学校では一度プールの授業を休むたびに補講と称して昼休み放課後に25m×4を泳ぐことになっていた。

私は、わざわざ水泳のない日に水着を持っていくめんどくささや昼休みに入るとなると慌ただしくなることは目に見えていること、放課後に補講となると部活に出られなくなること、それらを考えてタンポンをつけて入ることにした。

初めてタンポンをつけることになって、まぁ簡単に入るだろうと思っていた。それでも、自分で膣の中に異物を入れる感覚タンポンの容器と自分の指が真っ赤に染まるのをこの目で見なくてはいけないこと、本当に入ってるのかよくわからないし、変なものが入ってて何となく気持ち悪いなど、不快不安でいっぱいだった。説明書には長時間入れてるとショックで死ぬこともある(詳しいことは覚えていない。検索もしたくない。)と書かれていて、焦りも生まれた。正しく使わないといけない、と無駄に緊張した。それから4本ほど無駄にして捨てたのも覚えている。なかなか入れられない自分に苛立ち涙も出てきた。

最初は慣れないとか、うまく入ったら違和感はないなど説明書には書いてあったが、私のことは私にしかからない。誰がこれは違和感がない状態だとか判断してくれるのか。どうしてこんな思いまでして泳ぎたくもないプールに入らなくてはいけないのかと本当に辛かった。

プールに入って、試験を受けて、そのあとは自由時間になった。タンポンに気を取られていた私は先生に言って、自由時間の時点で着替え始めた。今日生理でこれ以上プールに入っていたくない、とか何とか言った覚えがある。

早く抜きたいと思って、トイレで抜こうとした。思ったより吸ってしまっていて、スムーズに出てこない。まぁどう出てくるのが正解なのか知らないが。

このまま紐が抜けずに中に残ってしまったら死ぬのかとか思いながら、きつめに引っ張るとずるっと出てきた。その感覚気持ち悪くて気持ち悪くて忘れられない。自分の経血で真っ赤になったものが出てくるのだ。抜けた安心感気持ち悪さで、あまり清潔感のないタイル張りのプール更衣室のトイレで1人で泣いた。

この文章を書いている今も、その時の辛さや気持ち悪さを思い出して涙が止まらない。

もちろんタンポンを有効に使えている人が多くいるのは分かっているが、私にとってはどうしても無理なのだ。私があれは無理だと言ってるのだから、それ以下も以上もない。私のことは私にしかからないのだから黙ってろとしか言えない。

使いたくないものは使いたくない。

話がずれたが、生理の時に辛いことはまだある。ゆっくり眠れないことだ。

寝るときは夜用で大きめのナプキンをつける。それでもオムツを履くわけではないから、寝返りをしたら当然漏れ可能性は上がる。うつ伏せになんて寝てしまった日は終わりだ。パンツの前側が真っ赤になってることは請け合いだ。

生理の日、特に2日目は仰向けになって、不安な日はバスタオルをひいて、寝返り打ちませんように。シーツしませんように。と思いながら寝る。

これが大体28日おきにくる。

5日くらい続く。

終わったと思えばまた28日後にこの辛い日々がやってくる。

結局何が言いたいかと言うと、もっと生理に対して寛容になってくれ、ということだ。自分の知らない痛みに対して親身になれとは言わない。私も私よりも重い症状の人の気持ちはわからない。

それでも、少しだけ自分に置き換えて考えてみてほしい。

大体1ヶ月に1回、目がくらみ、足が震えるほどの腹痛に襲われる。トイレに行って治るものじゃなく、薬を飲まなければならない。その薬を飲むと体が重くなって思うように動かない。

常にどろどろ何か出ている感覚があり、寝るときですら心休まらない。

生理の重い女性会社休んだり、学校休んだり、デートキャンセルしたり、遊びに行くのを朝になってドタキャンしたりすることに対して何も言わないでほしい。

生理言い訳にするなとか、ピル飲んでずらせとか言わないでほしい。

(体のリズムを薬でわざとずらす不安が分からないのか?)

とりあえずもっとオープン休みたい。言いふらしたいとかじゃなくて、もっとみんなに理解してほしい。触れちゃいけないことじゃない。男は知らなくていいことじゃない。本当に生理から休むって言うことは恥ずかしいこと?はしたないこと?こんなに辛くて不安なのに?

いつか「私今日生理なので休ませてください」と何の罪悪感も羞恥心もなく言える日が来ますように。

そして今日シーツが汚れませんように。

2018-03-05

公立中学部活動強制された理由

 名古屋の市立小学校部活動廃止されると聞いたが、

公立中学校はどうだろうか。

 廃止はなかなか一筋縄いかないんじゃないか

 全国的強制部活が始まったのは70年代半ばからだ。

  • 校舎の裏~煙草ふかして~見つかれば~
  • 盗んだバイクで走りだ~す
  • 夜の校舎~窓ガラス壊してまわった

って荒れた中学生が多発した時代になる。

 彼ら彼女らの放課後と土日を「強制管理」する手段として部活が強化される。

中学校当局教師PTA協調しながらの施策だった。

 教育委員会など体制側が主導していたが、

との意味合いもあったから、日教組など左派教師賛同する。

 強制的部活動悲喜こもごもはいろいろと聞いたことがあるだろう。

 自分学校は、全員が部活動強制された。

 しかも、運動系部活に参加しない人間は、まともな扱いをされなかった。

(ちなみに吹奏楽部だけは運動部扱いだった)

 中学1年生の春、歴史研究部に入ろうとすると、

担任教師に「おまえの将来のためにならない」と説教された。

せめて卓球部……とまで言われたが、初志を貫徹した。

 歴史研究部では遺跡の発掘調査に参加して話題になったりとそれなりに頑張ったつもりだ。

 それでも、(運動部じゃないから)「部活動に熱心ではない」と本当に内申点を下げられた。

 志望校公立高へ合格するには、本番の試験リカバリーするしかなかったのを思い出す

 おっさんになると、管理する中学当局教師PTA立場理解できるが、

現場空気が相も変わらずと聞くと、なにか遠い目をしたい気分になる。

 部活動リスクが大きくなり、学校教師本音ではやりたがらない。

 逆に、部活動縮小に反対しているのは、PTAの一部の連中だ。

 そんな話を生で聞いていると、

公立中学教諭にならなくてよかった……」と改めて思う今日この頃です

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