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2018-02-18

今までの罪を懺悔しようと思う

私は今、高校2年生の男子高校生だ。

小学生の頃から、人が隠しているものを除き見るという事に強い性的な興奮を覚えていた。

1番古い記憶だと、小学六年生の時、水泳の小さな大会に出たとき、ちょうど1人になったので、4個も下の女の子カバンをバレないように漁り、水着を触ったこともあった。あと、これはみんなやっていることだろうが、クラス全員のリコーダーを舐めた。

中学に入ってから、私は生理用品を漁ったり、女子カバンを漁ったり、女子スマホを盗んだり、体操服を漁ったり、1番ひどいのは放課後残されていた女の子水泳カバンを持って帰り、水着を堪能して、そして、胸のところに入っているパッドを切り取り、翌日休み学校に何食わぬ顔で返したこともあった。

一度生理用品漁りがバレかけて、親を巻き込んだ大変なことになったが、私は嘘泣きをして、親や先生に信じてもらい、なんとかその場を切り抜けた。それ以降私の心はもうほとんど壊れているように感じる。

そして、高校生になって私のその異常性癖は抑えられていたのだが、高校一年の終わりの方に、スマートフォンによる盗撮に目覚めてしまった。

私はクラスメイト全員のスカートの中を撮った。バレなかった。また何食わぬ顔で過ごしていた。

私は他のクラス女の子に手を出した。バレたらしい。しかし、あくまで噂、というレベルでとどまっている。

私はこの性癖を、本当に心から捨てたい。嘘をつかなくて良い人生を歩みたい。こんなことを自分で言うのもおかしいが、私はこの性癖以外、ほかに社会的に異常な部分はないと思っている。

彼女もいれば、友達もいる。ただ、この隠している部分を見たいという欲求が異常に強いだけなのだ

この性癖を捨てたい。何度も努力した。でも捨てられない。どうすればいい。誰がわかってくれるというのだ。どうすればいい。

2018-02-16

トランス修学旅行

行動班は男女混合でもどちらかだけでもOK

自分は端的に言うと女→男のトランスで(学校クラス公認)

行動班が女子オンリーときつくて嫌だった

自分はそんなこんなで女子グループにも男子グループにも"馴染んで"はいたけど友達なのかと聞かれるとわからない具合で

どのグループに付随していても罪悪感を覚える

からもうなるようになろうと思っていたのだけど

放課後に「○○は△△と一緒がいいらしいから…」「一回しかいから思うようにしたいから…」とかで再調整することを先生から聞いた

自分だって最初最後修学旅行なんだから仲のいい人と同じ班になりたい

でも自分は男女のカテゴリにもろくに入れないしょうもない奴だから何かものを言うに言えないような気がして

男子班に混ぜて貰うのも申し訳ない気がするし

自分で言うのもあれだが私は好かれている方ではあると思う、少なくとも嫌われてはいないと思う

ただこういう場面でどうなるかは別の話になってくる

社会に順応して生きていくことに今から不安を覚える

楽しみだった修学旅行微妙な気分になってきた

男女混合を望む肉体的女性が男好きと言われるのはおかしい、むしろ、"そういう思考に至るシスヘテロ"にゾッとする

最近漸く克服してきた性別の違和へのマイナス感情を再び煽られるようで悲しくてたまらなかった

受精段階から人生やり直したい

きっと男に生まれ直したい

でも男に生まれたところできっと同じように悩むだろうから

中間あたりでも楽に暮らせる社会になって欲しい

なんでここにきて負い目を感じないといけないのかよくわからなくて辛い

2018-02-14

バレンタインチョコ射精した。ちょっといいなーって思ってた女のコから放課後チョコ貰えた。 手作りじゃないけどデパートとか行かないと売ってなさそうな高級感あるヤツ。 正直義理チョコ本命チョコかよくわかんないけどめちゃ嬉しい。 だって気になってる子から貰えたんだもん。 感情が昂ぶってしまって、ついそのチョコ見ながらオナニーして、フィニッシュチョコぶっかけしまった。 出したあとで申し訳なくなってティッシュで綺麗に拭いてから、おいしくいただきました。 お返し何買おうかな。

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バレンタインチョコ射精した

ちょっといいなーって思ってた女のコから放課後チョコ貰えた。

手作りじゃないけどデパートとか行かないと売ってなさそうな高級感あるヤツ。

正直義理チョコ本命チョコかよくわかんないけどめちゃ嬉しい。

だって気になってる子から貰えたんだもん。

感情が昂ぶってしまって、ついそのチョコ見ながらオナニーして、フィニッシュチョコぶっかけしまった。

出したあとで申し訳なくなってティッシュで綺麗に拭いてから、おいしくいただきました。

お返し何買おうかな。

バレンタインデーの思い出

朝の通勤ラッシュで、きれいな紙袋を持った女性が(そして少数の男性が)目に付いた。

前日、近所の百貨店に母とチョコレートを買いに行った。母のチョコレート、何個いる?という問いに、義理友チョコ勘定に1個上乗せした数を伝えた。小6の頃、当時気になっていた男の子チョコレートを渡せたら渡すつもりだった。お互い両思いだったと思う。

さな缶入りのキャビアチョコレートはどう見ても義理チョコだったけど、12歳の女の子の握り拳で隠れてしまうくらいの大きさで、さっと渡すにはこの方が都合が良かった。

六年生の最後の席替で運命的にw隣同士だったから渡すタイミングはいつでもあった。

学校に着いてから、休憩中、昼休み帰りの会放課後

でも恥ずかしくて、結局渡せなかった。

帰宅後、母からチョコレートどうしたの?と聞かれて、数間違えて買っちゃった、と濁した。

この後、その男の子とは何も無く、中学に上がり可愛らしい彼女が出来たことを知ったりして人並みに胸を痛めたりした。

不思議なことにその後なぜか数度人生交錯する機会があったが、酷いことをしてしまったのを今でも後悔している。謝りたいが、これはこれからの私の人生の教訓として死ぬまで自責の念に駆られるつもりだ。

先日、男の子結婚したのを知った。

末永く最高に幸せになって欲しいと願っている。

あの時渡せなかった缶は今でも手元にある。中身のキャビアチョコレートは食べてしまったけど、代わりに水飴のように私の心の隅にへばり付いて、てらてらと輝き続ける思い出を仕舞って、たまに開いて、その香りで胸を満たす。

2018-02-10

夢見る蝶の羽の色

https://togetter.com/li/1195295

もとのテキストデータがどっかへいった、古い小説スキャンできた。

記号?とかダッシュとかはだめだったけど、日本語文章ほぼほぼ修正していない。

ヘルプを見るかぎり、フォントとして10ポイント以上ではっきり撮影した写真ならオッケーだ。

ので、変換間違いがあればそれは、Googleドキュメントのせいだな。

***************

今日カバンにすれすれでドアが閉まった。携帯をそっちに入れっぱなしだったことを、電車が揺れてから思い出した。あちゃ、あと10分は何もできないな。僕は両手でカバンをつかんでいることにした。

左斜め後ろに、小さな頭が見えた。もともと僕は180あるから電車の中は黒や茶色の頭だらけだけど。ひときわ小さいその頭は--同じ制服の、橋詰さんだった。

どっちかといえばいじめられタイプ小説家をめざしてるらしいけどクラス現実派に笑い飛ばされてから、気の合う人とはいちおう話はするが、苦手な人にはうつむいたまま。それでもたくさん本を読んでるみたいで、博識だから、みんな一歩置いて名前じゃなくて名字にさんづけで橋詰さん、と呼ぶ--そんな情報彼女の黒い頭から引っぱり出した。ああそうだ、もう一点、橋詰さんは少し前から--

「楢本君、おはよ」

左胸の方から声がした。見上げた橋詰さんと目があった。「あ、はよ」僕はカバンを少し引いた。普通に挨拶はするくらいだったし--そう、橋詰さんは少し前から--東(ひがし)とつきあっている。その、東は--電車が揺れるなか見回すと、後ろのドアの方にいた、ちょっと茶色がかった頭で。「今日東君とはぐれちゃったの」と橋詰さんは小さく笑っていた。東は、S女のやつらとべたべたしながら喋っていた--東は女ったらしで僕には合わないタイプだった。

オレンジの明かりが窓枠から切り抜かれて廊下に落ちる。補習が終わってあくびをしながら上履きを踏んでいたら。図書から橋詰さんがでてきた。きっと「今度締め切りの」「小説を書いている」んだろう、クラスのうわさからつぎはぎあわせる。たまたま通りかかったジャージの2,3人が。「橋詰さ~ん、新作できたら、読ませてね~」「え~、ナオキ賞とって本屋で売られるんじゃないの~?」「え~、コウホってのになって取材されるんじゃないの~」「あははは」なんかすごく下品な笑い声が端から端まで行き渡る。

あんまり小説に熱中してたら~、ヒガシ君さみし~よ~」・・・東のファンクラブみたいな女が、めいっぱい皮肉っていた。--でも橋詰さんは、てへへと笑って、胸の中のルーズリーフの束を、しっかり抱きしめていた。やつらが遠ざかる頃、声をかけてきたのは彼女の方だった。

「楢本君」

「よ」

こんな時間まで残っているのは、クラブをやってるやつか、橋詰さんみたいにがんばって小説を書いたり自習してる人か、俺みたいな補習組くらいで。橋詰さんは一瞬身構えた。取らない取らない、君の大事ノートは、と僕は一歩下がった。

「俺も頭良かったらいいんだけどな。なんか、文章を書くって、全然思いつかない」

しかしたら橋詰さんにとって傷つける言葉だったかもしれなかったけど、思ったままで言った。そしたら、橋詰さんは、ゆっくり首をふった。「でも他に、音楽とか、スポーツとか、なんか好きなものがあるよね?」

「そ、ま、、、そだな」

「それでいいと思う--あたしは、これしかいから」

じゃ、とすれ違いかけたので、僕は引き止めた。

「・・東とは、うまくいってるの?」

・・・・え」

東は帰宅部・・というか放課後すぐに駅前に遊びにでてしまう。図書からいっしょに出てこないってことは彼女の橋詰さんを待ってもいない、ってこと。なんか不安を感じて思わず声をかけてしまった。橋詰さんは、、どっちとも言わなかった。

「なんで、東となの?」

そう言った時、僕も、橋詰さんが気になっていたんだと気づいた。

「蝶がね。青いって」

その日のことは、僕も覚えている。東と、何人かの男子と、とりまきの女子がいて。教室でわいわい、「何が見えるの、」とか大声で言って笑っていたから。東がもっていたカルバンなんとかの眼鏡で。うっすらと青がかかったそれをかけた彼女は--「青い蝶が飛んでるよ」と、死にかけた蛾に向かって声をかけたのだった。一部の女子にはバカうけした。僕は話の流れをつかんでなかった。もしあのとき最初からその場にいたらば、もしかしたらそいつらに、いいかげんにしろよ、と言ったのかもしれない。

その時。東は橋詰さんから眼鏡を外して自分でも見て--「ほんまや、青い蝶」とうなづいてくれた、らしい。笑い声にかき消されて僕はそこまではきいていなかったが、橋詰さんにとって、東の言葉は--。

だって、度のきついこれを通して、なんかいい形容詞を思いつけるかもしれなかった。でも今言えば、橋詰さんといたいがための、かさぶたみたいで--やめた。ほんとにそれが、東が心から思ったことであれば、いいんだけど--あれから何度も、ふたりは同じ電車に乗り合わせていたのに、東はやっぱりS女の女子といちゃつき、橋詰さんはあっちこっちとゆられてふらふらしていた。

でも放課後は、あの廊下ですれ違わなくなり--図書室の前じゃなくて、下駄箱でじっと待っている彼女に会うようになった。「3日に1回くらいはすっぽかされちゃうんだけどね」と、彼女半開きカバンからルーズリーフの束を出したりしまったりしていた。

だって、、、夕暮れ時には赤い蝶が見えるとか、言えると思った。

東がほんとに本当に心の底からそう思って言ったとしたら最低な裏切り者になるから

--これでもまだいちおうクラスメイトだ、あいつがまだ髪の毛染める前から知ってる

--このままで橋詰さんが幸せそうにやっているんだったら、だまるのも愛情だとかかっこつけていた。

--かっこつけなくてもよかった。

ある日、橋詰さんと東の「約束場所」でもある下駄箱に。

灰色の蛾が、死んでいた・・・

ばたん、とニューバランススノコに落としてからそいつに気づいた。オレンジ色に染まっているとでも言えばあいつは笑うだろうか、と思ったそこでそういえばあい今日は東を待っていないと気づいた。誰かが出入りしてそのほこりっぽい風に、蛾の斑点模様がバラバラになっていった・・・

ほこりを吸ったからじゃない。胸が焼けるような感じがした。ばあちゃんの家にあった火箸でいとこがやけどした時、あわてて全身がだらっと汗をかいたような、あの熱さが急に、吐き気といっしょに出てきた。橋詰さん?

次の日の朝も、その不安は消えなかった。かもしれないけど。いまさら東と同じようなことを言ったとしても。いや、どうでもいい。今僕が思ったことを言おう。--ぼくは朝の息を吸って、橋詰さんがホームにあらわれるのを待った。

小柄な彼女は、ゆらゆらと現れた。ただし、東の後ろに着いて。

東の声がやけにつきぬけてくる。

「いやだからそうだけどな」「おまえしつこいよ」その口調が不安さらに倍々にするので、僕は声のほうへ自然に近づいていた。視界の端にS女の制服が映って、おばさんくさいにおいがした。東は俺じゃなく俺の右にいるそいつを見つけて、早歩きする。「あの、」と橋詰さんの口が動いていた、「だからおまえとはつきあってるとは思ってねえよ、いつまで夢みてんだよ、」東の吐き捨てた言葉で僕はそこからダッシュした、東に向かって3歩行ったけど足首をねじった。橋詰さん、橋詰さん、

「橋詰さんっ、」

どこからか飛んできた虫がひらひらと。

急行の前には、全速力で特急が通過する。カバンを捨てて、叫んだけど・・・

がっと。

色のない蝶はいつまでもひらひら飛んでいた。・・・

それから電車が止まって、すごく遅れたせいで、1限は無くなった。というか、昼前に全校集会があって、そのまま下校になってしまった。昼過ぎでもまだ、駅の周

りには、パトカーやらがいっぱいいた。

橋詰さんと東がつきあってたことは、いつの間にかもみ消されていた。実際、二人で歩いてるところを見たやつがほとんどいなかったから。しばらくの間は、彼女が書いていた詩や小説があちこちでばらまかれてたりして、内臓をえぐって見せてるようで吐き気がしてたが・・・・少しずつ、時間がそのショックも押し流そうとしていた。


東は髪の色を戻し、朝は一人でずっとヘッドホンに聞き入って学校に来ていた。この前廊下ですれ違ったとき、あの眼鏡ポケットにあったことは見えた。やつが、それを彼女への思いで持ち続けているのか、反省しているのか、単に眼鏡がいるだけなのか、それは、もうわからない。

今日もぎしぎしに人が詰まっている。橋詰さんがいてもいなくても、きゅうくつさが変わらないのは、なぜだろう。昇降口もある意味、朝夕はラッシュアワーみたいだ。パタンパタンスノコ上履きや靴が落とされる。その人の流れの風に、--あのときの蛾の羽は、まだ掃除されきれずに、一片だけ、揺れていた。

2018-02-09

anond:20180209134614

周りが結婚なり同棲なり始めて、どういう時に焦りを実感するかって言うと

まず皆友達より家族恋人を優先するから簡単に集まれなくなるんだよね。

高校生の時なら「今日放課後なにする?」と、まず一緒に過ごす事は前提にあったし

大学生社会人なりたての頃でも「今日の夜飲みに行こうぜ」って声かければ「今からとかバカじゃねえの?」とか言われつつも皆集まっていた。

気づいたら「娘の面倒見なきゃ」「恋人が帰ってこいってうるさい」などと皆もっと大切なものが増えている。

それ自体は喜ばしいことなのだ。

ただ、自分けが取り残されていく感覚がある。

10代の頃は「結婚なんてしなくても友達がいればそれでいいじゃん」なんて思っていたけど

友達はいつでも「自分友達」だけをしているわけではないのだと、その時は考えもしなかった。

2018-01-31

備忘録 男はみんなロリコンだ2 Lolirights

ロリコン差別者の生まれ

1. ロリコン不安を抱く

2. 被害者意識のせいで不安が「怒り」に変わる

3. 精神病質傾向が強い者は「相手自分に怒っている!」と思い込む

4.「対抗して攻撃してもOK!」と思い込む

5. ロリコン差別誕生

本当に治療必要なのはロリコン嫌悪

子供には自己決定権が無いから、大人との恋愛は認められないという意見もあるが、

その場合、無断で性交したり、強姦以外で中絶手術したりする子供は、保護観察して、もう性交しないようにする必要が有るのではないか

一律に18歳まで自己決定権制限するのは正しいのだろうか。

子供には自己決定権が無いから、大人との恋愛は認められないという意見

子供が「自分LGBTだ」と言った時に、「あなたまだ子供だからLGBTではなく異性愛者だよ」と言うのか?

一律に子供権利制限して良いのだろうか。

pic.twitter.com/Nw3c4uF7hZ

人間の性は、ひとりひとり個人のものです。まわりの誰かがLGBTだったり小児性愛者だったとしても、それはその人自身自由生き方であり、プライベートなことです。それをからかったり、干渉したりする権利はだれにもありません。

#ロリコン

#LGBT

#セクマイ

小児性愛者は自分選択して小児性愛者になったのではありません。同性愛者が同性愛者になりたくてなったわけでないのと同じです。

異性愛者の方が多数派小児性愛者は少数派というだけのこと。子供に対して愛情を抱くことは、異常なことでも、いやらしいことでも、特別なことでもありません。

在日犯罪者が多いというデマがあるが、仮に本当だとしても、在日というだけで差別することは許されない。

ロリコン犯罪者が多いというデマがあるが、仮にそういうデータがあったとしても、そのデータには隠れロリコンが含まれていない。

13歳以上への性的嗜好病気ではない=精神医学的には正常

マンガで分かる心療内科精神科カウンセリング 第十五回「ロリコンはどこから病気なの?」 http://t.co/GMX19DbB1b http://t.co/Nb3eYACRBV

近代になるまでは、人生が短く生殖が優先されたので、女性子供を産める12~15歳になれば結婚適齢期とされ、結婚させられた。

本来、男の本能としてはそのくらいから性の対象になるが、

性の対象として良い範囲は、社会的文化的宗教的に、相対的に変わるものだ。

アメリカで、初体験が13歳以前と回答したのは、

1990年代前半に生まれは、5.6%

1970年代前半に生まれは、10.2%

「近頃の若者」は親世代よりもはるか模範的であることがデータで示される https://t.co/EU6Mesgzi0

イランサウジアラビアなどイスラームの一部の国では、古典イスラーム法の通り、9歳を結婚可能年齢としている。

多くのイスラーム教国の法律では女性結婚可能年齢や法的同意年齢は医学的な性的成熟を踏まえ、15歳から18歳程度とされる。

イスラーム預言者ムハンマドは、9歳の少女アーイシャ結婚した。このときムハンマドは50代であったとされる。

イスラーム法において、女子は9歳で一人前(判断力を持った存在)とされ、大人に準ずる扱いを受ける。

#ロリコン

ロミオとジュリエット物語の1日目で互いに一目惚れ、2日目にはもう人目を忍んで結婚、そして初夜わずか5日後に自殺している。

年齢設定は、ロミオは16歳、ジュリエット14歳

#ロリコン

後醍醐天皇中宮、西園寺禧子は満12歳で懽子内親王出産した。

後醍醐天皇が27歳の時である

後醍醐天皇は #小児性愛

#ロリコン

#小児性愛者は差別用語ではありません

マリー・アントワネット14歳ルイ16世は15歳のとき結婚した。

カトリックでは交接をもって結婚完了とするため、13~15歳あたりで結婚する事が多い。

王侯貴族にとって、結婚正式ものとなるのは非常に重要な事であるため、床入りの際に、神父や見届け人が見届けていた。

豊臣秀吉が数え25歳の時に、数え14歳寧々と、当時としては珍しい恋愛結婚をしている。

武田信玄は満12歳の時に、13歳くらいの上杉の姫と結婚した。翌年に上杉の姫は、難産がもとで子と共に亡くなった。

豊臣秀吉武田信玄も #ロリコン

戦国大名前田利家20歳で、いとこの満11歳の少女「まつ」と結婚し、まつが満12歳になる直前に長女 幸姫を産ませ、合計11人の子を産ませた。

(まつ 1547年7月25日まれ、幸姫 1559年7月11日まれ

前田利家は #小児性愛

#ロリコン

ヘイトじゃないよ

仏教世界では女体は修行している男を惑わす魔物で、肉体関係を持つと汚れると考えられた

ってことで出てきたのが「稚児(ちご)」、12から18歳くらいの少年のことで、僧の身の回りの世話をする役目の子供のこと

稚児との肉体関係清浄になるとされて僧の性欲のはけ口にされてしまっていた

生理は、女性お腹の中にある子宮大人のものへと育って赤ちゃんを産むことができる身体になったという印。

生理のある女性sexしたいという欲望は、子孫を残したいという男の本能

マンガで分かる心療内科ロリコンはどこから病気なの?」http://yucl.net/man/255.html

今では社会的配慮されるべきとされるLGBTですが、中世ヨーロッパ同性愛死刑でした。

イギリスでは1861年まで死刑が科されていました。

アメリカでは2003年まで同性愛犯罪とする州がありました。

#ロリコン

#LGBT

#セクマイ

兵庫県高校の30代女性教諭は、男子生徒から学校での悩み等を聞くうち恋愛感情を持ち、放課後自家用車内でキスをしたり、互いの体を触ったりし、懲戒免職された。

教諭は「生徒の成長を妨げる過ちを犯した」と話している

http://ur2.link/zXDc

被害者いないのにね…

大阪市東住吉区で1995年に火災が発生し、内縁の夫により性的虐待を受けていた 11歳女児が死亡し、保険金目的殺人で服役していた母親青木恵子と、内縁の夫の朴龍晧が約20年ぶりに釈放された事件

時効でも、性的虐待は許されない!

http://www.akb48matomemory.com/archives/1043666048.html

老若男女問わず合意の無い性行為強要凶悪犯罪で、処罰されるべきです!

お互いに心から合意があれば、個人自由だと思います

合意できるか否かを年齢で区切るのではなく、どんな場合に心から合意を得たと言えるのかを考えることが、皆が自由笑顔で暮らせる一歩となるのではないでしょうか

オランダでは、1991年に刑法247条が改正され、16歳以上でポルノ出演、性行為適法とされ、互いの同意があれば12歳以上でも性行為適法となりました。

「禁じるよりはオープンにしてコントロールしよう」という、麻薬売春と同じ系列での考え方です。

1970年代初頭にオランダデンマークポルノが解禁されると、そのサブジャンルとして児童ポルノもまた出現しました。

1970年代日本少女ヌード写真ブームの幕開けで、売上部数20万部を超えるヒット作も複数出版されました。

Santa Fe(サンタフェ) 」

宮沢りえ撮影17歳)ヘアヌード写真集 篠山紀信撮影朝日出版社1991年

神話少女

栗山千明撮影11歳)ヌード写真集 篠山紀信撮影新潮社1997年

ヌード写真トラウマになることなく、立派な女優に成長されました。

少女愛運動は、少女愛存在社会肯定的に受容させ、少女愛性的虐待犯罪に密接にリンクさせる社会的偏見を除去などを目的にした活動

体罰強姦誘拐性的搾取にも反対している。

オランダにおいて1970年代発祥70年代後半に英米にもいくつか存在するようになった。

時々パクツイをしていますゆうきゆう先生のとか色々。素晴らしい意見だと思ったからですが、botRTされると迷惑ではと思ったので…

女性が、年上の男と恋愛した方がいい心理学的な理由https://t.co/myYzNt5hbu https://t.co/zKi7hQCku3

2018-01-28

教師人権はない

ツイート主「英単語意味を調べるために、先生許可を得てスマホを使っていたら別の先生に怒られてスマホ没収された。スマホは2月1日まで返さないと言われた。その日の放課後、持病で学校トイレで倒れて目が覚めたら夜の8時で学校内には自分以外誰もいなかった。トイレの窓は開けっぱなしで吹雪いていたので死ぬかと思ったセンサーが反応してアルソックが来てくれて助かった。アルソックの費用学校持ち。ざまあ。持病があるのにルール押し付け携帯没収して返さないなんてクソ!」

まとめ

https://togetter.com/li/1193685


辞書電子書籍ないのかよ

スマホ使用許可を出した先生フォローしてくれなかったのか?○○先生が使ってもいいって言いました、とは言わなかったのか?それでも問答無用没収

放課後になったら返すとかじゃなくて高校生携帯を何日も没収って今時ありうるのか?

○夜の8時に先生も生徒も全員帰ってるってあるか……?部活だのサビ残だので残ってる人いそうだけど

○当番の先生毎日全ての教室トイレを見回りして帰るはずだが

 見回り手抜きしてトイレの個室ひとつひとつちゃんと見なかったっていうのはあるかもしれないけど窓が開いてことに気づかないってある?

センサーがあるような学校なら窓が締まっていないことを感知するシステムがあると思う

○アルソック1回呼ぶごとに金かかるの?

○8時まで帰宅しなかったのに家族学校ツイート主の携帯に連絡を入れなかったのか?

○死にかけたのに〆が「携帯返せ!」って

ツイート主はソシャゲをいくつも掛け持ちしているらしい

ツイート主は友人と何らかの金銭取り引きをする約束があったのだが、この騒動が原因で入金を数日延長させてもらっている状況らしい

性別偽装、トレパク疑惑あり?

○先日のローチケ騒動のように入金を延期もしくはすっぽかすために偽の事件でっちあげた?

携帯没収の原因はスマホゲーで遊んでいたからでは?


と、まあツッコミどころだとか予想コメントかいくつか挙がってるけど

教師死ね!」「人のもの没収するなんて窃盗犯罪者!」「教師死ね!」「早く学校特定してその教師を殺せ!」という論調の人も多い

教師を叩くためならみんな簡単にこんな怪しい奴の言い分を信じてしまうんだな

たとえ数時間でも生徒の持ち物を奪うなんて駄目って奴もいるけど

授業中のスマホ弄りを何回注意してもやめられない奴がいてもそれでも携帯の一時預かりはNG

学校にこんなもの持ってきちゃったぜ~~wってゲーム機だの折り畳みナイフだのコンドームだの持ち出してウェイウェイ大騒ぎしながら見せびらかすバカへの対処はどうするんだ?持って来たもの勝ちでお咎めなしか

底辺高校じゃなくてもこの手の奴は一定数いると思うけど野放しでいいの?

ルール撤廃した結果不快な思いするのはいわゆる陰キャの奴らだと思うけど

俺も学校には色々と恨みがあるから気持ちは分かる、しかしあまりにも教師憎しが先行してないか

最近は「店員だって人間」「母親だって人間」なんて声もよく挙がるようになったのに先生相手だとそういうのほとんどない

いたいけな子ども鬼畜教師暴言暴行被害を受ける、そういうことだってかにあるけど実際はクソガキがゴミみたいなことやって叱られてることの方が多いだろ

2018-01-26

[]ときメモオフィシャルイラスト集

ときメモプレイたことないけどいくつか知ってることはある

同級生元ネタ

ふじさきしおりってのが究極のヒロイン

伝説の木の下で告白したらうんたらかんたら~

・彩のラブソングっていう外伝みたいなやつがある

あやのらぶそんぐだと思ってしまってた

・気のいい男友達がいる(ギャルゲの男友達テンプレ

昔のギャルゲーの絵がなんとなく好きなので、

ときメモも好き

特に好きなのは2のヒロインかな

ももちろんプレイしてないけど、もうビジュアルだけでドストライクだった

ひのもとあかりだっけか

よく考えると東鳩1のあかりっぽくもある気がする 今思うと

閑話休題

まあでも今回かったのは1の本だ

見知った顔はふじさきしおりと彩のラブソングの青神の子だけ

なぜかキャラ紹介のページの最初にのってる線画がみんなブルマ

他にもゲーム原画、初期の線画とかがのってる

初期の線画だとパンツ見えてるのがちらほらあって、それ目的で買った

なんかときメモの絵柄似てるなーと思ったRあLIBIDOの絵と似てるんだな

放課後恋愛クラブだっけか

まああれはときめもにおもいっきり影響受けてたんだろうけど

あれ大好きだったなあ・・・

ジョイライドは今は絵柄変わっちゃったしなあ・・・

見てて思うのは顔こそ二次元だけど体系とかが全部リアル寄りなことだな

そりゃ多少モデルっぽくはなってるけど、いまみたいにあからさまな感じにはなってない

プレイしてなくても見てるだけで楽しいなあ

いろんなシーンの原画がのってる

選択肢ゲーになれた自分ではこういうめんどくさいゲームは 好みじゃないと思ってやってなかったけど、

めんどくさいからこそ感情移入度もあがるんだろうな

ふと思ったのは恋愛シミュレーションゲームというカテゴリ恋愛アドベンチャーゲームというカテゴリの違いについて

シミュレーションアドベンチャー[編集]

同級生』や『ときめきメモリアル』等の初期の恋愛ゲームは、偶発的要素や育成要素などが盛り込まれ恋愛シミュレーションゲーム」とも呼ばれていた。

一方、『To Heart』以降、よりストーリー重視の恋愛ゲームが増え「恋愛アドベンチャーゲーム」と呼ばれるようになった(恋愛シミュレーションゲーム恋愛アドベンチャーゲーム混同している者もいる)。

大半の恋愛ゲームはこの2つの内のどちらかに分類されるが、他にも「恋愛RPG」や「恋愛アクションゲーム」といったタイプ存在する。

また、学校大学を除く)の恋愛ゲームというのはほとんどが高校舞台にしている。

2003年に発表された『青春クイズカラフルハイスクール』はゲーム形式採用した恋愛ゲームとしても知られている。

2010年現在上記シミュレーション系は衰退し、アドベンチャー系もゲーム性よりストーリーに重点を置いたデジタルノベル形式が大半を占めつつある。

恋愛ゲーム - Wikipedia

2018-01-25

anond:20180125141746

YouTube放課後時間帯で「みた」で検索して1時間以内で絞り込みかけると、黒歴史になりそうな、子供YouTuber動画がわんさか出るよな。

2018-01-24

https://anond.hatelabo.jp/20180124070401

詳しくないので間違っているかもしれませんが

学校図書館」は制度上の名前なので

専用棟であっても

一教室であっても

多目的スペースや廊下一角に本がちょっと置いてあるだけでも

学校図書館です.そしてどの学校にも必ずあります法律で.

司書教諭」というのは学校教員の中で図書館運営の役を任されるために必要資格です.

本の選定,読書指導,利用指導はこの資格をもっていて,校長に「今年はお願い」と言われた人がやります

1校に1人は必ずいるのが望ましいし,12学級以上の学校には必ず配置されることになっています法律で.

授業等の通常業務もあるので基本的図書館にいません.

学校司書」というのは教員ではなく,司書の人です.

形としては司書教諭の下に就くのかな.

多分任期付とか非常勤とか嘱託とかつく公務員

一人で複数校を担当してることもあるとか.

から放課後まで図書館にずっと人がいる日があるならこれ.

その他に保護者等が貸し出しや整理だけするパートをしてる場合もあるとか.


そして,私の出身県は田舎県ですが,文科省調査によると学校司書率は全国でもかなり高いです.

私の小学校も1学年1学級という小規模校でありながら2教室分の図書館があり司書毎日いました.

国旗国歌問題を思い出してもらえるとわかりやすいんですが,

教育関係は都会/田舎より,県ごとの風潮,教育委員会の差が大きいということだと思います

いろいろ話を聞いていると,むしろ都会はベビーブーム期に学校急造して不安定な時期に

定着してしまった制度がたくさんあるような印象があります

2018-01-16

私小説 不登校

私は中一の途中から不登校になった。

元はと言えば小学校高学年で「ハブる」という文化のもと、クラスメイトからの徹底的に無視をされたことが発端である担任との相性の悪さなども相まって、学校生活への自信や信頼をなくしていった。核家族共働き家庭の一人っ子の私は、学校では人と話せず、放課後時間も一人で過ごした。特に習い事などもしておらず、学校と家庭の二つしか生活の場がなかった私は人間関係における信頼や安心などを失い、自分の考えを人に話すことや言葉スムーズに出すことができなくなっていった。

そして中学入学環境が変わることを期待したが、結果的には悪化した。たいていの公立中学では部活動には強制参加させられる。しかし私が入学した中学校は全校生徒が少なく、文化部は一つだけ。他運動部一般的にはあるような部活がなかった。当時文化部に入るとスクールカースト底辺になる空気があり、私は運動部所属した。しかし、運動神経が良くない方だったため部活でもうまくいかず。小学校高学年で人間関係に対する安心や信頼を失った私は、中学出会ったクラスメイトともうまく接することができなかった。

そして決定打となったのは合唱コンクール「絆」「仲間」「大きな声を出す」「グループ練習」などといったものは当時の私には地獄だった。音楽時間が恐怖の時間になり、合唱コンクールが近づくにつれ朝練や帰りの学活でも練習を行うようになり、一日の始まりから終わりまで恐怖の時間となった。そこから学校に行けなくなるまでは簡単だった。学校に向かう足が遠のき、制服に袖を通すのが怖くなり、家から出られなくなった。共働きの私の家で朝一番最後に家を出るのは私で、一番最初に帰るのも私だった。そんな中で、朝起きて制服を着て仕事に行く親を見送り自分学校へ行かず無断欠席をするようになった。当然学校から固定電話電話が掛かってくるが、家には私しかいないため無視。親に連絡が行く。意外にも親は私が不登校になったことを受け入れてくれた。

会話からまり日常生活の行動全てに自信をなくした私は学校での学習電車に乗るといった行為もおぼつかなくなっていた。授業で先生から発問されれば、注目される恐怖や答えを急かされるような焦燥感で「わかりません」というのが精いっぱいだった。「私は何をしてもうまくできない」という強迫観念に襲われ、不登校の間に学習障害検査などを受けたこともあった。一人で家で勉強する分には問題なく、また中間テスト期末テストを受ける分には人と関わらず済むため、それなりの点を取れていた。

不登校だろうが、家から出られなくなろうが、無情にも時は過ぎていく。中二では、通知表は「1」「2」「-」がほとんどになっていた。中三が見えてくると頭をよぎる高校受験入試資料集などを見ると、入学選抜に当たっての内申点基準数字が踊っていた。家から出られなくても、学力低下だけは避けたかった私は家で学習を続けていた。当時、私の学力から出される偏差値は60〜63あたりであった。それくらいの学力層の高校では、おおよそ大半が9教科36以上の内申点基準としていた。一方、私の内申点は9教科で23地元工業高校ですらあやしい点になっていた。また、中二の時の担任は繰り返し私に面談の場を設けてくれた。私の話を無視したり、相槌を打たないなどということはなく、久々に会話ができることに感動した。担任もっと話したいと思うようになり、徐々に学校に行けるようになっていった。

この状況の中で、私には一つだけ自信が持てるものがあった。それは絵を描くことである。まだ学校に行けていた中一の初めに美術先生から風景画を褒められ、不登校になってからは家でよく写真模写などをしていた。授業にも出られるようになった中三一学期、今まで体験たことのなかった画材出会った。油絵である。失敗しても被覆度が高く上から重ねることができ、乾くのも遅くゆっくり描くことができるこの画材は私の中で革命的であった。人間関係で失敗を重ね、急かされることに恐怖を覚えていた私は、個人で取り組むことができ、ゆっくりと描ける油絵具に希望見出した。もっと油絵が描きたいと思い、誕生日には親から油絵セットを買ってもらった。もっと油絵を描きたいと思い、美術コースのある普通科高校への進学の意思を固めた。

その高校を受けるにあたり、偏差値は足りていた。美術コースを受けるにあたり、実技の力も合格するであろうという程度には達していた。しか問題となったのは、やはり内申点であった。担任からは渋い顔をされた。それでもやっぱり受けたい、あの高校に行きたいと思い受験制度などを調べ尽くした。すると、不登校などを経験した生徒のための特別選抜制度発見した。内申点度外視し、受験時の学力テストと実技、面接入学選抜を行うという制度だ。その制度担任に報告すると、なんと担任は知らなかった。50も過ぎたベテラン教員がその制度を知らないということにはがっかりした。その教員が受け持ったクラス過去不登校の生徒はどんな進路をたどったのか心配になる。

何はともあれ、私はその制度活用し無事志望校合格することができた。入学後は絵と勉強に励み、学力では上位10%あたりを維持し絵では県の高校美術展で賞を取った。

そしてやってくる大学受験もっと油絵を描きたかったので美大を望むも、家計が厳しく断念せざるを得なかった。幸い、学力はそれなりにあったため国立大教育学部美術専攻に進学することでどうにか油絵を続ける手段を得た。

時は流れ大学四年。義務教育時代に失った人間として生きる自信や信頼関係高校大学の友人と接するうちに取り戻し、バイトをしたり彼氏ができたりと一般的大学生として大学生活を送ることができるようになった。教育学部で学ぶ中で、義務教育時代自分メタ認知することができた。当時の自分と同じように人間関係に悩む子供に接し前向きな未来を示せたらと思い、教員の道を選び教員採用試験合格した。

卒業制作バイトに追われる今日、私が四月より働く予定の自治体では不登校の生徒が高校に進学する際の特別選抜制度が数年前に廃止されたと知った。

2018-01-14

anond:20180114132222

放課後集まって、

その日の復習やったり

次の日の予習やったり

する感じか、

苦手な科目は先輩に教えてもらったり

得意な科目は後輩に教えたり

そして、統一模試で各学校順位を競うのか

なにこれ、かなり良いじゃん

どうして俺が学生時代なかったの?

文部科学省役人ってアホなの?

6年間運動部やってたけど、何も役に立ってないよ?

2017-12-29

anond:20171228050136

同じく育英会の有利子奨学金を借りていま大学4年生、4月から就職する増田です。受験生時代〜大2くらい?までは、よーく元増田さんと同じことを考えては絶望してたなあと思って。何のアドバイスもできないけど、わかるわかるよとだけ言わせてほしい。

>親が学費を払ってくれる友達が羨ましい

>私が努力不足やったから?

ここの気持ち、痛いほどわかります自分も親はそこそこの年収だけど家のローンがあって学費までは賄えなくて、結局有利子で奨学金を借りている状態奨学金説明会って高校でやった?私のとき高校放課後に別室でやることになって、まずそこに来てない人は家がお金持ちなんだなあと羨んで、次に友人が無利子の奨学金に受かったと聞いて死ぬほど嫉妬した。世の中本当に不公平だよね。あなたが悪いんじゃない。私も悪くない。でも本当に不公平だ。

よく同じことを考えていたなんて言っておきながら、未だに私はその気持ちを消しきれていないところがあったりします。就職先の懇親会に行ったときお金持ちの多い私大生ばかりで、仲良くなれるかなあと勝手に思ってしまいました。未だに勝手にひとに嫉妬することは、無くならないままなんですよね笑

でもひとつだけ、きっと実際にそうならないと信じられないかもしれないけど、就職も案外なんとかなる。客観的にも主観的にも(自分も同じくらいのレベルなので)MARCHレベルなら全然大丈夫だろって思うし、そこの法学部に入れるくらいなら公務員を目指してもいい。

今はまだ将来が不透明不安だらけだと思うけど、後悔しない大学生活を送ってください。

私も就職にあたって不安だらけだけど、今はなんだかんだ楽しみな気持ちも持てるようになってきたので。早くボーナス貰える年になってとっとと借金返すぞ。

お互い頑張ろうね。

2017-12-23

バゲットホモランドセル

バゲットバケットと呼ぶことと、ホモランドセルホモランドセルと呼ぶことのどこが違うのか、という話題で、今日放課後、友人と殴り合いのけんかになりそうになった。


友人によれば、バゲットバケットはまったく別物なのに、同じように思っているところが恥ずかしいが、ホモランドセルホモランドセルにすぎないのだから、両者を混同するというのはおかしいということだった。

その論法おかしいと思ったので、自分反論した。

バゲットbaguette)をバケットbucket)と呼ぶことは教養のなさを示しているだけなのに、ホモランドセルホモランドセルと呼ぶことは、社会正義のものなのだから、例えが違うのではと主張してみた。

そうすると友人はなぜか猛ってきて、

ホモランドセル地下鉄の中で存在のもの迷惑なのに、バゲット地下鉄でむき出しになっていればある種香ばしいのだから、全く問題ないと、顔を真っ赤にして、唾を飛ばして主張してきた。

自分も興奮してきて、「っぶらぁぁぁぁ!!!

というくらいの勢いで、友人の股間をわしづかみにして何度もワシャワシャとゆすってやったら、なぜか曖昧なうちに物別れになって、別々に帰宅した。

帰宅してから夕食前に手を洗っても、なにか変な臭いが指から取れず、気になっていたのでこんなところに書いてしまっている。

2017-12-21

女児スプレー傷害事件とか見ると

学校保護者児童放課後安全を相当なおざりにしているのが分かる

日本治安の良さにあぐらをかい児童の下校時の安全なおざりにするくせに、

不審者に気をつけろとか年端いかない児童自己防衛を説くくだらなさ

2017-12-15

女って「男の娘」好きすぎてウザい

男の娘と話してたら無性に腹立った

anond:20171211134237

今更だが、これ読んで「男の娘」に腹をたてる女性がいることに驚いた。

俺の周りにいる女は片っ端から男の娘」が大好きな奴ばかりで、うんざりするほどだった。

2012年頃の、ニコニコ動画全盛期は本当に酷かった。

当時は「若者テレビを見ないでニコニコ動画ばかり見ている」とか言われてて、

今は逆に若者からダサい」「オワコン」「むしろ知らない」とか言われてるのが信じられないほど大流行、というか若者話題の中心で

生放送では女装野郎がウジャウジャいて、

歌ってみたには女声野郎がウジャウジャいて、

それがアイドル視されて若い女に大人気。

こちとら微塵も興味もないのに、会社休み時間に同僚の女が

スマホ初音ミクの格好をした男の写真を見せてきて

「これ女の子に見えるでしょー?本当は男の子なんだよー」

「こんな可愛い子が近くにいたら惚れちゃうでしょー」

とか言ってくる。

はああああああ!?どう見ても男にしか見えねえわ!

こんなゴツいのが可愛い訳ねーだろ!

こんな汚物、惚れる訳ねーだろ!

と言いたいのを我慢して、「うんうん、そーだね」とこちらが話を会わせたが負け、

次々と色んな女装野郎写真を見せてきて終わんない訳ですよ。

もう二人目の写真見せられても、「はいはい、どうせ男なんでしょ」としか思えないじゃん。

それでも奴等は「これも女の子だと思ったでしょー?実は男の子なんだよー」とか言ってきて、

それに付き合わされるのがマジで地獄だった。

せっかくの仕事中の休憩時間台無し

素人の女声野郎アニソンカラオケしてる音声を延々聞かされて、「女の子が歌ってると思ったでしょー?」パターンもある。

会社の同僚の女、女友達、友人の彼女

俺の周りにいる女は全員これをやってきた。

普段は仲良くやってる奴等だから、内心イライラしてぶちギレそうだったけど我慢して付き合ってやったよ。

こんな時間無駄にするだけの地獄に耐えた俺は紳士マジで偉い。

で、理解できなかったのがこういう女って、冒頭にも書いたとおり女装野郎のことを「アイドル視」ジャニーズのような観点で好んでいる。つまり性の対象としている点だ。

女の子しか見えない」ってことは、要は

きゃりーぱみゅぱみゅを「可愛い」と言っている感覚なのかと思いきやそうではなく、

しっかりと男として認識し、なんなら「付き合いたい」とすら思っている。

男の娘」を可愛いという感覚は、女同士のときに言う「可愛い」とはなにか違う。

当時は「美少年」の新ジャンルだったのだろうか。

で、俺が最も嫌悪感を示したのは「男の娘」本人のスタンス

もちろん「ただ女装するのが楽しい」だけの男の娘が大半だろうが、

当時ニコニコ動画チヤホヤされていた「男の娘」は明らかに女性モテたくてやっていた。ファンの女とセックスしまくっていた。

これは俺の女友達2015年頃に打ち明けられた話だが、

2012年頃、その女友達は顔出しでニコニコ生放送をしており、「美人生主」としてそこそこ有名な存在だった。

ツイッターアカウントスカイプIDを公開してリスナー交流をしていたが、

ニコニコ動画で有名な「生主」「歌い手」たちは急にスカイプしてきたりツイッターにDを送ってきて、セックスを迫ってきたそうだ。

んで、当時ニコニコ動画のことしか頭になかったその女友達は、もちろんその「ニコニコ有名人」たちと片っ端から実際に会ってセックスしたそうだ。

オフパコ大会議」とかよく言われるが、カドカワが大赤字こいて大会議しなくても最初からオフパコ場所だったのだ、ニコニコ動画は。

まあ、そりゃあ俺の彼女でもない、ただの知りあいの女が誰とセックスしようが俺の知ったこっちゃないが、

この女友達も俺に女装男の写真を見せながら「この子本当は男なんだよー」と言っていた頃は、「男の娘」にハマっており

ニコニコ出会った「男の娘」とオフパコしまくってたそうだ。

わあ!自分セックスした男が女装してる写真をなにも知らない俺に見せつけてきてたってことかー。

すげえ捻れた変態行為だな!なんかめちゃくちゃエロい勃起しそう!

けど、相手女装させてセックスしたのかどうかについては教えてくれなかった。

男の娘」側もよく「自分ゲイではない、異性愛者。ただ自分を美しく見せたいだけ」と言うが、

それを「異性にモテるための手段」にするのはどういうことなのか。

なんで女装なんていう、面倒臭い手段を用いるのか。そのままでダメなのだろうか。

それに惹かれる女も、なぜあえて「女装男」なのか。

なんか色々面倒臭くて気持ち悪い。

で、俺がここまで女装男に嫌悪感がある決定的な記憶があって、

それは俺が高校生の頃、他校の女友達(さっきのニコニコの子とは別人)が

自分クラス女の子しか見えない男の子がいて可愛い」と

肥満児の男子女装した写メを自慢気に見せつけてきたことだ。

その学校では女子連中から可愛い可愛いチヤホヤされていて、その女友達チヤホヤしている一人だった。

学校には普通に男子制服で登校してくるが、常に女装グッズ一式を持ち歩いており

放課後女子高生の格好で、同じクラス女友達と街中を練り歩くという。

本人たちは「本当の男だと気づかれてはいない」と思い込んでいるようだが、

どう見ても肥満男子セーラー服を着ているだけだ。

放課後女子たちがその肥満児にメイクを施してあげるのだという。

で、セーラー服に着替えて街中を練り歩くのだが、

女装とき女子トイレに入るのだそうだ。

ちょっと待って!そいつ性同一性障害なの?」と質問したが

自分を男だと認識して、異性が好きな至って普通少年だという。

体は男だが自分女性だと認識する性同一性障害の子を他の女子と同じように接していたなら美談というか、とても素敵な学校だと思うが、これは口が裂けても素敵とは言えない。

お世辞にも顔が綺麗とはいえない、ただの肥満少年に化粧してセーラー服着させて、女子トイレ使うのを見ても何とも思ってないなんて、完全に頭がおかしい。

ただのド変態のスケベを好き勝手にさせているだけだ。

普通男子女子トイレに入ってくるのは嫌だが、その肥満児は別に良いという。

お前らは良いかもしれんが、他の女性絶対嫌だよ。

また、放課後着替えるのは女子たちも肥満児も同じ部屋であり、

肥満児は同じクラスの仲の良い女子の下着姿をほぼ毎日見ており、女子側は平気だという。

それでいてその肥満児には彼女がおり、放課後女子たちと街を練り歩くことには賛成しているという。

そんな肥満児、同じクラス男子からはさぞ嫌われているのかと思いきや、

案外「あいつは仕方ない」みたいに扱われて平和学校生活を過ごしているという。

それって絶対おかしいよ!

どう考えてもその肥満児はただの変態だろ!

けど、「そんなことないよー、いい奴だよ」の一点張り

その変態を野放しにするどころかチヤホヤする、

若い女のこういうところが本当に嫌だ。

こんなイカれた高校あんのか、と胸糞悪くなる話を聞かされてから女装男が信用できなくなった、

で、俺の周りには女装男が大好きな女ばかりで、冒頭のように終わらない「これ実は男なんだよー」に付き合わされることが多かったかウンザリしていたところに、

この「男の娘無性に腹が立った」女性増田発見して、ホッとしたんだ。

そうだよ、それが正しいリアクションだよ。

俺の周りという狭い世界だけの話だけど、ただのセックス目当ての女装男に甘すぎる女が多くて怖い。

2017-12-12

無気力人間記憶を辿る

最近仕事をやめた。

8時間労働と1時間の休憩、少しの残業と1時間通勤、それと出社準備の1時間

合計11時間が週5日あるのに耐えられなかったからだ。

一月に16万円ほどもらっていたが、溜まっていく一方で何に使えば良いかもわからなかったし使う気力もなかった。

人達給料をもらってエンジョイしているのに自分はどうもそれが不可能だった。

どうしてこんな人間になったんだろうか

自分記憶を改めて整理したい

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保育園時代

ほとんど記憶がない、踊りを披露する場があってそのときに着た衣装がとても寒かったこと、保育園に新しい園庭ができたこと、その園庭に蜂の巣ができてしばらく使えなかったことは覚えている。

小学校時代

3年生になったら強制的部活に入るのだが、習い事があるので入部を拒否した、しかし1年経って周りとの疎外感を気にされたのか強制的に入らされた覚えがある。

自分には合わないと言い続けたが辞めることが出来なかったので、習い事の日を多くした記憶がある。

体育や運動行事はとことん苦手だった、よく貧血で倒れていた、ヘラヘラしながら誤魔化していたが、実際はなんで自分はこんななのだろうと思っていた。

この頃から体育や体を動かすことが苦手になったと思う。

暗記するテストが苦手だった。10個の漢字を暗記して書く問題はいつも4個ぐらい間違えていたと思う。これで暗記が嫌いになった。

厳しい先生が居た、よく怒って棒で生徒の頭を叩き授業放棄する先生だった。待ってる時間は退屈だった。

美術の授業は苦手だった、何を書けば良いかからないし思った通りに絵を書いていくことができず苦痛だった、特に版画は最悪で居残りでなんとか仕上げさせられた。

友達関係はまあまあ良好だったような気がする、地元では珍しくPCネット環境を持っていたのが大きかったと思う。

PCのやり過ぎで親に何度も怒られた、その度にPCを取られていたのだが、自分友達を繋ぐものが取られて居るような気持ちで非常に辛かった。

中学校時代

この時も厳しい先生が居た。自分は字が汚いことでよく怒られていた。どんなに時間を掛けて書いても何も褒めてくれないので怒られるギリギリの字で出すようにしていた。しかし日によって怒られたり怒られなかったりしたのでもうどうでも良くなった。

部活吹奏楽をやっていた。練習ときはまあまあ上手い方だったと思う。肺活量の問題か音が小さいとよく注意されていたが適当に誤魔化していたと思う。

コンクールの後に反省会をするのだが、本番が終わると何も覚えていなかったので適当なことを言っていた。

音楽で歌う事があったのだが皆と音程が合わず口パクで歌っていた、大きな声で一人ずつ歌ってと言われたときは最悪だった。記憶から消したいぐらい。

木材で何かモノを作る授業があった、皆はうまく組み立てていく中、自分全然釘が刺さらず遅れすぎたためボンドでくっつけていた思い出がある。

普通の授業は良いのだが、体育音楽等が苦痛でついに不登校になった。

親や先生には理解されないだろうと思いながらもそれとなく言ってみたが良い反応が得られなかったのでとにかく行きたくないで押し通したと思う。

学校から厳しい先生が自宅に来て「なんで来ないの」とか聞かれてたけどお前に答えるわけはないだろって思ってた。

中卒は厳しいからとりあえず高校に行こうと言われたので教室には行かず勉強をして、自宅に一番近い高校入学した。

高校時代

普通に合格した。英語絶望的だったが…

特進クラス入学しないかという案内を受けた。部活に入らなくてもいいのは魅力だったが、放課後に補修があるというのでお断りした。

一瞬だけ部活に入った、同学年の人がほぼ居なかった上女子ばかりだった、1年目は雑用しかできないらしい、毎日ランニングして基礎トレーニングで終わったので1週間ほどでバックレた。

普通勉強は出来た方だと思う。歴史とか社会とかの暗記系は苦手だったがそれでもまあまあ出来ていた。しか英語絶望的だった、1年生の頃はまだなんとかなっていた。

2年生になると同時に自分は特進クラスクラス分けされた。補修が無理やり入る、課題が今までよりも多い、非常に辛かった。

数学教師も字に厳しい人だった。普段はある程度丁寧に書くのだが、定期テスト時間がないので適当文字になる、それに全てバツを付けられた。

数学は得意だったのに一気に嫌いになった。

模試の結果、英語さえできれば東大ラインが見えるとのことで英語教師がよくせっつきに来るようになった。

補修の回数も増えた、授業中当てられる回数が増えた。英語の苦手意識が高まっていった。

長期休みも補習があった。

合宿があった、朝から晩まで勉強だった。

嫌になった自分は2年生の途中でまた不登校になった。

また中学と同じ言い訳をした、担任にも学年主任にも平気で嘘がつけるようになって自分進化したなぁと思った。

単位制の高校だったので留年か出席かを迫られた。

から中退ではどこにも就職できないぞと言われた。

自分は退学を選んだ。

高卒認定を受けた。

専門学校時代

高卒認定かつ自分の体力で就職できるところがなかったし就職する気も無かったので、地元情報関係専門学校に行くことにした。

自分はわりと詳しいこともあり知ってるところも多かったし勉強は楽に出来た。

専門学校だけあって就職についてのサポートは充実していた。

自分は今までPCを触ってきたこともありなんとなくプログラマーになりたいと考えていた。

しかし具体的な会社を決める段階になると、本当の自分が働ける職場が無さそうな事が分かってきた。

先生説明する中で一番楽そうな会社に入ることにした、そこは8時5時で残業殆どないらしい。

筆記テスト小論文面接を受けた、適当な受け答えをしていたら内定を貰うことが出来た。

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本当のことを言って周りに相談していたら自分はどんな人間になってどんな人生を歩んでいたんだろうか。

2017-12-11

今年は冬が来るのが早いと思う

僕はまだ高校卒業したと認めたくない。認めたところで自分落ちこぼれなのだと嘆きながら何十年を過ごすだけだ。

高校卒業したのは今年の3月通信高校に通っていた。同期には同い年のティーンエイジャーが何人かいた。ニートだったり、引きこもりだったり、捻くれ者だったり、家出少女だったり、同い年なのにタバコや酒をやっている人とか、元高専生のバイトだったりまぁ色々いた。ニート君は顔が「働いたら負けだと思ってる」の人に似ていたのでよく覚えている。タバコ君は「かいけつゾロリ」のイノシシみたいな小太りで、気さくに話しかけてくる明るい性格でいつも場を明るくしようとしてた。彼は最後ここに入学たことを後悔しているようだった。卒業式にも姿を現さなかった。家出少女は1歳年上、洋服屋さんで働いているらしい。母親暴言暴力から逃げるために中学卒業したぐらいの頃に家出をした。バイト君の口癖は「バイトやろうぜ」だった。高専中退引きこもり経験してその後スーパーバイトを始めたらしい。僕は引きこもりだった。ボトラーでもないし風呂にも入るし、平日の昼間の図書館に足を運ぶことも、気まぐれで海を眺めに電車で隣町に行くこともあった。でも社会的な繋がりは希薄でそれでも…何から書けば良いのか全く分からないが思いついたこから

自分を語るときに僕はいつも不幸自慢ばかりしてしまう。でもさっぱり相手特にこれといった反応はしてくれなくてしまいには「あなたって本当よく分からいね」「クズだね」って言われてしまう始末で「後ろ向きな奴を応援したい奴なんていないんだよ」って言われた時はショックだった。恨みとか怒りとか内側にいっぱい溜め込んで、まるで肥溜めみたいだ。

1年目は「頑張って勉強して大学に進学するのだろう」と思ってた。だからレポートも真面目に書いたし、僕はこんな同期のバカとは違うんだって思ってた。

家出少女は同期ではなく一学年上だった気もするけど、昼休みにはタバコ君達と一緒に過ごすことも多かった。バイト君がニート君に「ハローワークに一緒に行こう」と誘うのだけどニート君は「いやいやいや」って必死に断ってた。僕は「バイト中々決まらなくて」みたいな感じで誤魔化してたからあまり強くは誘われなかったけど。でも実際牛丼屋やスーパーの清掃、ホームセンター喫茶店、色々応募したけどその年は全部面接に落ちていた。勉強もしなきゃいけないかバイトばかりじゃな、とかその時は考えていた。大学受験に向けて勉強はどうしたら良いのか分からなかったけどとりあえず学校レポートを頑張ってやればなんとかなるのだろうと思った。放課後みんなでカラオケに行った。タバコに火をつけるタバコ君。煙いなって思ったけど実際に煙かったのか、彼の事を軽蔑していてだからそう思ったのか、両方かもしれない。タバコをやっているらしいということは前に聞いていたけど本当に吸っているのを見たのはこの時が初めてだった。カラオケ結構盛り上がってたと思うけどあまり楽しくなかった。何か違う気がした。途中で帰ることにした。「お母さんうるさいから帰るね」「マザコンかよーw」そう言われてそうなのかもしれないと思ったけど、どうしたら良いのか分からなかった。

ある時みんなで遊ぼうということになって、時間を決めて集合したのだけど、電車に乗るのに一本遅れ、7分遅れで到着した頃には誰もいなかった。wifiの繋がるところでライン確認したら「まだ?」「もう先に行くね」みたいなメッセージが送られていて、しばらく昼間の駅をぐるぐる回って、それでも見つからないので帰ろうと思ったところでバッタリ合流した。タバコ君に「スマホ持ってなくて」と言ったら彼は「そうだったんだ、じゃあ家出ちゃんにも伝えておくね」と笑顔で返した。14時、僕たちはお好み焼き屋に入った。お金もったいないので僕は何も頼まなかった。落書きをしていたらタバコ君が覗いて「何を書いているの」というから「何を描いているわけではないけど…心象風景?」「ヒッキーこんな繊細な心の持ち主だったの? 僕どう接したら良いの?w」「私にも見せて…うん才能あるかもね」結局絵は3人の間を回って帰ってきた。その後どれくらいか経って店を出てカラオケに行こうということになった。そこでこの時僕は逃げ出して、すぐタバコから電話がかかってきた「どこにいるの?」「先に帰るからじゃあね」と言って電話を切って家に帰った。

4日ぐらい経って、昼休み時間家出ちゃんからあなたおかしいよ 粋がってるんじゃないわよ」って怒られた。泣きそうな顔だったので妙に生々しく覚えている。

2年生になって単発で仕事を貰えるようになった。交通手段がない時は送り迎えもしてくれる優しい会社だったのだがある時「腹痛で休む」と電話を入れた。怖くなってもう行けないと思った。でも後に「またよろしくお願いします」という優しい声で担当のおじさんから電話がかかってきた。とても優しい声が似合わない人だったのだが最年少だったので優しくしてくれていたのかもしれない。それでもそれ以降は連絡を取っていない。

多分LINEブロックした辺りからタバコ君とはあまり深くは会話をしなくなった気がする。特別タバコ君のLINEだけブロックしたわけではなく、この時は「死んだらどうしよう」という思いと自殺願望が混じったような思いがあって、日記帳を焼いてみたり、部屋を整理してみたり、遺書を書いてみたり、そんなことをしていてLINEブロックするのもその一つだった。

全日高校に行きたいという思いが強くなって学校相談したけど相手にされなかった。親に相談しても「意味がない。遠回りだからダメだ」と言われた。

母が「友達に誘われてポケモンゴーなんてやっちゃダメよ」と話すので「スマホ友達もいないのにどうやってやればいいんだよ!」と返したら後日父がスマホプレゼントしてくれた。

3年生になって、先生に「お前なんかが大学に行くなんて無理だ」と言われてワンワン泣いた。それでも諦めず試験を受けたが落ちた。父も専門学校に行け、大学に行けとあれだけうるさかったのに「大学なんか出たって何の意味もない」と言うようになった。

タバコ君とニート君で放課後何となく集まって駄弁っていた。タバコ君は「大学ってさ、塾とか行かないと無理だよな」というので僕は「無理かもね」と返した。「夜間高校とかの方が高校生っぽい時間を送れたかもね」「今更すぎるw」タバコ君は卒業式に姿を現さなかったのでこれが彼との最後の会話になった。

僕は6月までに免許を取って、8月までリゾートバイトで働いた。「学校に行ってない子だから気を使ってやったのに」とか言われた。やめてからは沢山映画アニメを観て、それからは何もせず過ごして、今日だって何もしないまま夜になった。借りた本も読み進まないし、張り切って買った教材だって殆ど手をつけていない。バイト面接に行けなかった。

それでも僕はまだ高校入学する夢を諦めていない。最高の高校生活を送れる学校が、僕を受け入れてくれる学校が、きっとどこかにある。世界のどこかにはきっとある幸せに満ちた日々が僕の心を満たすだろう。

2017-12-09

anond:20171209005757

ロスジェネ世代って結構幅があるけど上と下でずいぶん違うんだよね。

私は35歳でロスジェネの一番下くらいなんだけど、10歳上の人から聞いた学生時代の話と自分学生時代全然違う。

その10歳上の人の話では、学生時代学生といえば全員ヤンキー文化に毒されてたという。真面目な学生でもある程度染まらないと生きていけなかったらしい。

私の頃にはヤンキーなんて既に姿を消していて、授業中に廊下バイクで走り回ったり鞄に鉄板仕込んで殴り合ったりなどどこの世界の話だよって感じだった。

不良はいたけど学校ではわりと大人しく他の学生とも共存してる感じで、放課後に似た者同士で寄り集まって悪さしていた。

私位の年齢から子供の数が劇的に減っていっていたので、それ以前の子供達(すごく数が多いので制御不能)を知っている教師などにすれば、私達は大層御しやすかったと思われ。

2017-11-25

高校中退しようかと

今は高校3年の少年です。3年前にプログラミングにハマって2年前からハッカソンとかコンテストで受賞しまくっていろんな企業から仕事をもらうようになった。

今年に入ってからは多くのベンチャー企業新規事業にも携わったりして、新卒以上の月収はある。放課後や土日で仕事を熟してる。

学校ではどうかというと小学校の頃から勉強の才能はあって授業を一切聞かないでも定期テストでは高得点を取れていた。

しか中学の頃から荒れ初めて中高は問題児扱い。勉強はできるので留年はしなかった。

そして先月、教師に蹴られたので軽くやり返したら対教師暴力として扱われた。

自主退学か処分を受けるか選べ」と言われ迷っている。

処分を受けるとしたら恐らく謹慎数ヶ月。うちの高校基本的に登校謹慎なのでこれを受けると卒業まで別室に監禁されて謹慎課題をやることになる。

自主退学をしようと考えたが、高校中退による青春コンプレクスを抱えそうで怖い。

どうしよう。

2017-11-22

anond:20171122115755

小学生セックスとか盗撮中学生とか、

そのぐらいしか未成年と性体験」のエピソードを出してこないあたりの不憫さよな。

放課後デートとか、修学旅行自由時間どうしようかとか、同じ高校に行きたいねとか、

彼らの世界には存在しないんだからしょうがないんだけどね、

でもさすがに不憫すぎるよね、そうやって混ぜ返すことしかできないなんてさ……

2017-11-12

女子中学生

俺は女性恐怖症なんだと思う。

女性恐怖症というもの定義については何も知らないし、そもそもちゃんと定義されているものなのかすら知らないけど、女性が怖い。

現在大学4年。工学部のため、女子はほぼいない。

社会に出て、女性と関わるのが、怖い。

小学生の頃は男、女問わず友達がいっぱいいて、それこそ言い方は悪いが、クラスカーストの高い男女グループにも所属していた。

たか小学生の頃、と吐き捨てられるかもしれないが、俺の人生の中では輝いていた時代だった。

そのグループ休み時間も、放課後も、休日も、いっつも一緒に遊んで、ときには地元遊園地とか、ディズニーとか行ったりした。

本当に毎日が楽しかった。

彼らの大半は、というか、俺以外、みんな中学受験をした。

俺だけは、普通地元公立中学に進んだ。

俺の小学校はある程度治安が良くて、それは理想的だった。頭の悪いやつが頭の良いやつを尊敬し、頭の良いやつが頭の悪いやつに勉強を教えるような。

その環境にいて、俺は勉強ができた。つまりは、尊敬される立場だった。真面目に勉強していたし、褒められることは嬉しかった。

だが、中学で何もかも変わってしまった。

俺の進学した公立中学校は、複数小学校から生徒が集まっていた。

俺の出身小学校と、近くの2つの小学校が主勢力だった。

この場合公立中学校ってのは、中学受験しない、いわゆる「そこまで勉強できない」生徒たちの割合が多くなってしまう。

勉強できない」と「素行が悪い」では必ずしも同じではない。これははっきり言える。

ただ、俺の進学した中学校は「勉強ができなく」て「素行が悪い」生徒の温床であった。

2つの小学校から進学してきた生徒のおよそ半分ぐらいが、不良だった。半分以上かもしれない。

壁に穴をあけたり、トイレを壊したり、窓からものを投げたりするような連中だった。

男子だけではなく、女子も同じくらいの割合で不良だった。

女子は、器物破損は流石にないが、口での嫌がらせや陰口、陰湿いじめだった。

入学当初はみんなで和気あいあいおとなしく相手の動向をうかがったりしていたが、そのうちに本性を見せた。

俺と同じ出身の生徒たちは、みんな最初は怖がっていた。俺も怖かった。

こいつらと同じ環境で3年間過ごさねばならないのだ。今までの平穏暮らしじゃ、到底ない。

だが、人間は慣れる生き物だ。

しばらくして、俺と同じ出身の生徒が、次々に問題を起こし始めた。

彼らは、環境適応して自分を守ろうとしたのか。

それとも、今までの抑制が放たれてしまっただけなのか。

いずれにしても、いい影響ではなかった。

俺と同じ出身で、腐らずに真面目に学校生活を送っている生徒もちゃんといた。

俺は彼らと一緒に行動した。なにより小学校が同じで、もともと友達だった。気兼ねなく話せた。

小学校のころいつも一緒にいたグループの彼らとは、休日、会えるときは会って遊んでいた。しかし、今の生活に精一杯で、各々、徐々に会わなくなってしまった。

真面目を貫く生徒と、腐る生徒、完全にそれらが分断されるまで、1年ぐらい時間がかかった。

1年というのは、相手のことを色々知るには十分な時間だ。

中学という、クラス単位で密閉されてる空間であれば、なおさらである

中学1年の成績は、かなり良かった。

俺は喜んだ。この環境でも1年間やったぞと。

その話は問題の彼らにも簡単に渡った。

勉強が出来ることを理由に、俺は迫害された。

主に女子から迫害された。

最初は、同じ班の女子だった。

学年からクラスに、クラスからは、班というものにわけられる。これは小学校の頃から同じだ。

中間試験か何かの答案返却があった。

苦手な歴史試験だったが、なんとか90点を取った。

かなりテンションが上がっていて、友達と答え合わせをしながら騒いでしまっていた。

その様子は、クラス全体が見ていたと思う。

その授業後の給食時間、班の女子に、面と向かって

勉強できるだけで調子乗ってんじゃねーぞ」

と言われた。

すると、

「言われてやんの。うざいんだよお前」

と、同じ班の男子に言われた。

ここで、全て崩壊した。

俺は何も言い返せず、悔しくて、怖くて、うつむいて飯も食わずにその場をやり過ごした。

今までは、不良相手ではあるが、それなりのコミュニケーションを取って、空気を壊さないように、深く関係を持たずに、壁を何重にも張って、テリトリーを守って接していたのに。

1年はこれでやり過ごせた。あと2年間、無理だった。

泣きそうになった。鼻水が垂れてきた。

多分、この女子自分勉強できない腹いせにこういうことを言ったんだろう。

確か、記憶が定かじゃないが、彼女偏差値30の高校に進学していたと思う。

見た目もギャルで、校則破って先生に怒られるのが常だった。

不良の中でも発言力が強いタイプだった彼女

話はすぐに広まった。

男子は、今までの関係もあるから、いじられることが増えたくらいで、敵視されるようなことはそんなに多くなかった。

対して、女子からは全体的に嫌われた。

まずは不良連中から、「無理」「キモイ」と暴言

次第に無視されることも多くなり、俺は病んだ。

あれだけ頑張って勉強して、その対価に、テストの点数で喜んだだけなのに、それを僻まれて、馬鹿にされて。

同じ出身女子から距離を置かれるようになり、さらにつらくなった。

好意を抱いていた女子を、諦めた。

俺はプライドが高く、それ故にこれまで頑張ってこれた。

このプライドをこの一瞬でずたずたにされて、しかもそれに対して何も言い返せなかった自分に腹が立った。

2年後半から成績は次第に悪くなり、交友関係も減少。

年代人間が怖くなり、インターネットに走った。

小学校の仲の良かったグループとはもう会わなくなっていた。

これまで興味のなかったアニメゲームに没頭し(今ではこれが必ずしも悪かったとは言えないが)、放課後休日パソコンに張り付いた。

深夜まで起きてそれをやり、朝、寝不足学校に行く。

授業の知識は何も入ってこなかった。

先生からは怒られることが多くなり、それまでやっていた部活も途中で何かと理由をつけてやめた。

高校受験は、入学当初考えていたより、かなりひどい結果に終わった。

それでもなんとか偏差値50の高校に入ることができた。

卒業するまで、彼女らの陰湿嫌がらせは続いた。

卒業式、俺はまっさきに家に帰ったことだけを覚えている。

高校は、空白の毎日を過ごした。

いじめなんて一つもなかったが、青春なんて程遠かった。

何も期待せずに相手と接し、全て平穏無事でことを済ませられるような対処をした。これを3年間続けた。

中学に、あのグループと一緒に進めていたら、なんてことを考えてしまう。

もしくは、俺も中学受験して、環境の良いところに身を置けばよかった。

少なくとも、"幸せな状況がいつまでも続く"という幻想を抱いていた俺が馬鹿だったと思う。

中学のあの頃、死にたいと思ったことが何度もあった。それでも耐えた。勉強にも身が入らなくなって、別の方向に腐った日々だったけど、必死毎日を行き続けて良かったと思う。

卒業式、真っ先に一人で家に帰る、あのときの俺の気持ち想像できるか?

これ以上、あの校舎に足を踏み入れなくていいんだと思った、あの気持ち

あいつらと顔を合わせなくていいんだと思ったあの気持ち

一応、成人式には出た。数年経ったあいつらの顔を見た。

あれから、変わったやつもいた。

変わらずに、いつまでもあい人生を続けていくんだなと思うやつもいた。

3時間の飲みの席では、数人としか喋らなかった。

正直苦痛な3時間だった。でも、これで、心の整理がついた。

もう一生会うことがないだろう、さようなら。と。

女性が怖い。

いつ、ふとした行動でどん底に落とされるか。

考えただけで、いやになる。

2017-11-09

anond:20171109075059

中学生のころ放課後に、左手漫画を持ちつつ、右手洋服の上から性器リズミカルに刺激を加えているやつがいて衝撃を受けた記憶がある

いくら男子校はいえ、お前、それはないだろうと

あいつ隠す気あったのかなあ…全然頭悪いやつとかじゃなかったんだが

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