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2019-02-18

そもそも尾崎豊の歌に出てくる奴って大して不良じゃないんよな

落書き教科書と外ばかり見てる俺

チャイムが鳴り教室のいつもの席に座り

放課後街ふらつき

ちゃん学校に来て授業受けとるもんな

ワイは一番学校が荒れてた時代ちょっと後やったけど

それでもクラスに2,3人は不良おってそいつらが授業受けてるのなんかほとんど見たことないで

たまに教室におると思っても授業中仲間が呼びにきて堂々と退室していっとったわ

尾崎の歌みたいにウダウダ葛藤しとるのはただの陰キャでそういう層に向けての歌やわな

2019-02-17

片思いの子ラブレターを渡し続けた

片思いの子に振られたので短歌を見せて感想もらった」的なブログタイトルを見たとき、めちゃくちゃ心臓が痛くなった。最悪だ。あのとき気持ちをめちゃくちゃ思い出した

俺もすごく似た経験があるからな。正直これも書きたくない、恥ずかしいし

同じといっても、彼と俺とでは年季が違う。なんと15年もだ

忘れもしない、17歳ときだ。相手小学校中学校クラスは違えどずっと同じ女の子だった

ずっと好きだった。付き合ってください」

「ムリ」

一瞬だった

彼女一見飄々としていて、人を簡単に切り捨てることもあれば妙に情熱いところもあった。彼女のそういう矛盾までもが大好きだった。なんせ小学生ときからずっと好きだったんだから

振られて次の日に俺は何を思ったのか、彼女へのラブレターを書き始めた

ひたすら彼女への思いと世間話を書き綴った。もし今の俺が見たら俺の顔は核爆発を起こすであろう

手紙用紙5枚分位を毎日書き、相手に渡した。むしろ嬉しそうだった(そうであったくれ)

放課後彼女は「お返し」としてびっしり書いたラブレターへの感想を俺に渡してくれた

「〜って表現が良かった。私なら〜って書くかも

あと〜くんがーーー」

みたいな感じだ(今でもその手紙は全部保存してるよ)

もう一度言うが、彼女のこういうところが大好きだった

ラブレターはお互い17歳から始めて32歳まで続いている

大学生になっても近くに住んでいたので毎朝家のポストに届けに行った

夜には彼女も俺の家のポストに返事を入れてくれた

彼女は全てに返事をくれた。呆れ顔だった、「そこまでやるの?」とよく言った

それに対して俺が「好きだからしかたない」と返すのがお決まりだった

社会人になってから彼女上京することになり、ついにこれも終わるのか?と危惧された

結論から言えば、俺も金魚の糞のように一緒にへばりついて上京した

彼女の家の近くに住んだ

彼女も呆れ顔だった。しかし拒絶はしなかった

そしてラブレターを渡した。もちろん毎日

彼女への愛を書きまくった。とにかく書きまくった。好きだったから仕方ない

時が経ち、彼女には交際相手ができそのまま結婚した

俺も愛せる人を見つけて結婚した(その人にはラブレターは書いてないよ!)

段々、この関係フェードアウトしていった

徐々にレター内でもぎこちなくなり始めた

よく見れば、飄々としていた彼女はもういなかった。子を持つ母親の顔だ

やがてどこかへ引っ越ししまい、連絡先も繋がらなくなり、縁は断絶した

32歳になった今でもラブレターを書いている。もはや日課だ。渡す相手はいない

もう返事は帰ってこないが、それでもいい。好きだから仕方ないよね

2019-02-12

[] #69-8「愚者自覚

生徒たちの知らないところで、何かが起こっている。

俺たちはルビイ先生の周辺を調べることにした。

調べるべき場所の見当は、既についている。

俺たち生徒がよく知らない場所、あまり利用しない(できない)場所特に怪しい。

そういう場所は、逆に先生大人たちがよく利用する場所からだ。


放課後、俺たちはグラウンドの花壇にいた。

もちろん、この場所のものに用があるわけじゃない。

花壇からメートル離れた先にある窓、そこから見える職員室の風景こそが目的だ。

近くには大きい茂みがあり、数人が体を隠せる。

望遠鏡を使ってこっそり覗くにはもってこいの場所ってワケだ。

「ねえ、こんなにコソコソする必要ある? 茂みのせいで体がカユくなるんだけど」

ブリー君は不満を漏らしつつも、なんだかんだ付き合ってくれる。

どうやら、俺たちのクラスに随分と馴染んできたようだ。

先生たちに話を聞いたりだとか、他にもっと真っ当なやり方があるんじゃ?」

ブリー君、それは期待できない。先生たちが包み隠さず話してくれると思う?」

「……確かにそうだね」

どうも大人世界ってのは、子供に隠しておきたいものがたくさんあるらしい。

赤ちゃんはどうやって生まれるか、サンタの正体、あの人は今―――

それらは尤もらしい理由のものから大人一方的理屈で見せないようにしたり、見せるにしても都合のいい部分だけ切り取ったりなど色々だ。

いずれにしろ、「見せろ」と言われて素直に見せてくれるものじゃないだろう。

ムカつくのは、それで子供たちが納得すると思っているところだ。

俺たちの目からシャットアウトできると慢心している。

だけど、俺たちはそこまでノロマじゃない。

普段はその気がないだけで、大人の目を盗めば見れることくらい分かっているんだ。

「で、どんな感じ? ルビイ先生に何かいつもと違うところはある?」

「うーん……忙しそうではあるかな

だけど、これといって気になる点は見えてこない。

アテが外れたのだろうか。

「ぼくにも見せて」

何の成果も得られない張り込みが予想以上に退屈だったのだろう。

ブリー君自ら、監視をかって出た。

「確かに特に何もなさそうかな……ん?」

そうしてブリー君が望遠鏡を覗いたとき、どうやら何かに気づいたようだった。

「何だ!? 何か見つけた?」

「いや、ごめん、気のせいかも」

「なんだよ、ビックリした」

「ルビイ先生特に忙しそうに見えたけど……単なる誤差だと思う」

結局、俺たちの張り込みは大した成果を得られずに終わった。


その後、分かれて調査していたタオナケたちと合流した。

俺たちのいた場所からだと職員室内の音は聞こえないので、別の場所から聞き耳をたててもらっていたんだ。

「こっちは全然ダメだった。そっちは?」

こちらが特に何もなかったのだからタオナケ側も大した情報はない。

そう予想して何気なく尋ねた。

だけど、どうにも反応が重苦しい。

私たちは、ほとんど聞き取れなかったんだけど……」

タオナケの目線の先には、震え続けているミミセンがいた。

俺たちの仲間の一人であるミミセンは、聴力が非常に高い。

職員室内の音を鮮明に聞き取れたのだろう。

そしてこれは、かなり“嫌な音”を聴いたときの反応だ。

「久々に聴いたよ。あんな酷い雑音……」

「一体、何が聴こえたんだ?」


…………

「ルビイ先生、『新・イジメ対策プログラム』導入したの正解でしたねえ。早速、自分クラスで成果が出たじゃありませんか」

「……そうですね」

「なのに、一人だけ反対している人がいたのは不思議ですよねえ。誰でしたっけ……」

「…………」

「ルビイ先生今日の宿直の代理、お願いします」

「え……私がですか」

「こっちは忙しいんですよ。我々は『新・イジメ対策プログラム』を頭に叩き込まないといけませんからねえ」

「ルビイ先生なら、これくらい出来る余裕はあるでしょう」

「そうですよ。手を抜かないでください。そんなことだから自分クラスイジメ問題に鈍感になるんですよ」

ルビイ先生孤立していた。

いや、孤立しているだけじゃない。

余計な仕事押し付けたり、隙あらば嫌味な言葉を捻じ込んだり。

周りのルビイ先生に対する扱いは、酷くゾンザイで悪質だ。

『新・イジメ対策プログラム』とやらを理由に、ルビイ先生を追い込んでいたんだ。

(#69-9へ続く)

2019-02-11

木曜に向けてチョコ作ってます

でも、ライバル多そうだから

前日の放課後に渡した方が、印象に残るかな!?

2019-02-02

中学時代、俺はいじめられていた。

俺は常に香味ペースト状のグループと行動をしていた。いや、所属していた、というよりくっついていただけだった。

今で言うバンギャ丸出しだった俺はそこで性暴力暴言といったキャラに対した過度なイジりをされていた。

彼らとは肛内にいるときは確かに繋がっていたが、深いところまで届きすぎて放課後は死んだように一人で帰宅していた。

非常に苦しい思いをしたが、当時は腹ん中で熱いものが煮えたぎっていた。町内でうんちがぐつぐつ言っていたのだ。

もちろん、卒業後は彼らとイニシアチブを取り合うことも無くなり、成人式にはくそまみれでやった。

卒業してから10年余が過ぎた頃、

ふと急に知らない名前からLINEが入った。

『久しぶり!中学メンバー同窓会するんだけど来ない?』

思い出した。コイツ中学の頃、スポーツ万能、成績優秀でスクールカースト最上位にいたちんこがおおきいAだ。

そして、俺を見下しイジりの対象としていた。

驚愕した。まだ、こんなものに俺を誘おうとする気があったのかと。

誰が行くか!と心の中で毒づくも

ある考えが頭をよぎった。

今の姿を見せて見返してやろう。と。

いじめられてた中学同窓会に行ってきた

中学時代、俺はいじめられていた。

俺は常に校内カースト上位のグループと行動をしていた。いや、所属していた、というよりくっついていただけだった。

今で言う陰キャ丸出しだった俺はそこで軽い暴力暴言といった面白半分で過度なイジりをされていた。

彼らとは校内にいるときは確かに一緒にいたが、深い友人という訳でもなく放課後は遊ぶこともなく俺は一人で帰宅していた。

友達というより、イジると面白玩具扱いだったのだ。

非常に苦しい思いをしたが、当時は俺の中で世界がそこしかなかったのだ。そこでしか、生き残るしか術がなかったのだ。

もちろん、卒業後は彼らと連絡を取り合うことも無くなり、成人式にすら連絡を取り合わなかった。

卒業してから10年余が過ぎた頃、

ふと急に知らない名前からLINEが入った。

『久しぶり!中学メンバー同窓会するんだけど来ない?』

思い出した。コイツ中学の頃、スポーツ万能、成績優秀でスクールカースト最上位にいたAだ。

そして、俺を見下しイジりの対象としていた。

驚愕した。まだ、こんなものに俺を誘おうとする気があったのかと。

誰が行くか!と心の中で毒づくも

ある考えが頭をよぎった。

今の姿を見せて見返してやろう。と。

俺は卒業後、ある程度は努力した。

馬鹿と言われたので、勉強世間では一流と呼ばれる大学に入った。

服がダサいと言われたので、人並み以上にはセンスを身に付けそこそこ名の通ったファッション関係会社に入った。

キモいと言われたので、無我夢中で女遊びもし、彼女も出来た。

その他諸々含め、俺は卒業から大きく様変わりし、自信を付けた。

もう、いじめられていた自分じゃあない。

まれ変わった自分を見せつけ、過去トラウマから抜け出そう。そう思った。

俺は、同窓会に行くことにした。

当日、嫌味にならないように程々に身なりを整え、万全の支度をした。

きっと、皆が驚くだろう。何があったのか、今何をしているのか、

皆、こぞって聞くだろう。

俺があの大学に行くなんて、こんな仕事をしているなんて、皆が驚く顔が目に浮かぶ

仕事用事で多少開始時間から遅れて会場の居酒屋に着いた。心臓が高鳴る。やはり、久しぶりに会う人間にどんなリアクションをされるのか緊張してしまう。

会場の部屋に到着すると、

『ウオオオオ!!??』

一同の大きな声が上がった。

20人余の生徒達と先生が2人、

『●●だ!!』『めちゃ久しぶりじゃん!!』

出だしは良好、とても良いリアクションだ。素直に、嬉しかった。

俺は酒を頼み、乾杯をした。さて、どんな話題で話していたのかな?と探っていく。

すると、中学時代の思い出話をしていたようだ。興味深い、ほとんど忘れてしまっているから話を聞こう。

『AとBがじゃれあって川に落ちた。』

卒業後、みんなで旅行に行って楽しんだ。』

…知らない。全く知らない。どれもこれも全く知らない話ばかりだ。しかし、不思議なことに俺以外の人間は皆笑っている。

…そうか、俺だけ知らないのか。

俺は休み時間の間でしか話した記憶が無いもんな。放課後とか、土日に会うことなんて、なかったもんな。

楽しい記憶なんて、休み時間たかだか10分程度の積み重ねじゃあ、作れないもんな。

俺は話に入らず、酒を飲むしかなかった。皆の顔は実に楽しそうだ。

まら先生と会話をする。

当たり障りの無い会話…きっと、俺のこともさっき思い出したんだろうな。具体的なエピソードや話が一切出てこない。

気づいた。

俺は、彼らと思い出を共有していた訳ではない。

思い出を懐かしむ為に呼ばれた訳では勿論ない。

到着した時の『ウオオオオ!?』の一瞬の喜び、同窓会スパイスとして呼ばれただけなんだ。俺自体に興味があった訳じゃない。

俺は彼らにとって永遠に、ただの玩具しかないんだな。

いくら努力しても、中学時代に楽しむ思い出を取り返すことは出来ないんだな。

結局、終始特に話に入れる訳でも無く会は終了し、仲の良かったメンバーはそのまま二次会に行った。

俺は、10年前と変わらず1人で帰った。

2019-02-01

anond:20190201193944

さな弁当が当たり前の世界で育った女が母親になるころには、子供が男でも女でも小さい弁当しか作れなくなるんだよ。きっと。

そして、子供達はお腹が空いた分を間食で賄う。

放課後、美味しいケーキ屋さんで腹いっぱいたべるためにも弁当は小さい方が良いのさ。

医学部に入ってしまった承認欲求リブ真面目系クズの末路

試験前、提出しなければならないレポート前になると、自分はどうしてこんなことをしているのか、別にこれが好きなわけでもないしこの道に憧れて選んだわけでもないのに、どうして自分はここにいるのだろうと、不安になって胸が締め付けられたかのように苦しくなる。

私は地方大学医学部に通っている。親戚に医者がいたというのもあって、周りから医者になることを期待されて育ってきた。私自身、生まれてこの方勉強するという行為嫌悪感はなかった。小学校の頃からそれなりに計算もできたし本も好きだったか文字を書く、漢字を読むことは苦ではなかった。学校には毎日通うものであり、授業は座って先生の話を聞いてノートを取るものだと思っていたし、ADHDありがちなその場の空気に合わせてじっとしていることができないといったこともなかった。周囲と比べてちょっと変だったところといえば、なんとなく特別学級や不登校いじめに興味があったことくらいだ。小学校中学校でのスクールカーストはやや低く、いわゆる足の速いサッカー部のいじりの標的にされることがあったが、学校に行けなくなるほど心身を病んだわけでもなかった。むしろ私は自分のことを""あっち側""の人間ではないと思っていた。私が通っていた学校には溜まり場が、今流行りの言葉で言えばコミュニティスペースが、比較的多くあり、ヤンキーの生息地、ガリ勉の生息地、オタクの生息地が距離感を保った状態存在していた。そして、""あっち側""の人間の居場所もあった。私には友達がいなかったが、校内で一番勉強ができるやつだと思われていたので、特定グループに恒常的に入っていなくても、どこの輪でもなんとなく話ができたし、あちこちに顔を出しては適当に楽しく遊んでいたように思う。

私が中学の頃に友人の一人に誘われて入った近所の公文塾は、学生の実力に合わせて進度を調整できるという触れ込みの塾だった。公文には他の学校の生徒が多くいて、プラスマイナス5〜6歳の生徒とも同じ場所勉強していた。曜日によって顔を合わせる面子が違えば雑談する内容も毎回違っていて、ある程度敬意を払いながら丁寧に接していれば年の差なんてほとんどないような関係でその輪に入ることができた。たまたま公文式の教材が自分の性分にあっていたのか、数学英語に関してかなり成績が伸び、中学の時点で高校センター試験レベルを楽々解けるくらいまで教材を進めて、県の進度上位者として表彰されるまでに至った。自分勉強ができるんだ、これが自分長所なんだと思い込んだ私は、学校だけでなく公文でも""勉強ができるヤツ""としてのポジションを獲得したことますます自分は""勉強ができるヤツ""として振る舞おうとしていた。

家でも、試験の成績が良ければ父母に褒められたし、親戚に会えば「お前は勉強ができるのか!じゃあ将来は医学部東大だな!」と言われていた。以前は漫画三昧ゲーム三昧だった子が公文に入るなりメキメキ勉強するようになったのだから、親としても嬉しかったのだろうし、私も自分にとっては苦でなくできることで褒められるというのはとても嬉しかったのも事実だ。

よくよく思い返してみれば、この頃から自分の行動は歪んできていたように感じる。数学英語も好きだったが、勉強したことで褒められるのはもっと好きだったのではないかと思う。

高校は自宅から通学1時間くらいのところにある普通科高校に通った。進学校といえば進学校なのだが、まぁ地方自称進学校なぞ大学受験レベルで言えばたかがしれている。開成とか灘とかと比べれば全然しょぼい。偏差値10〜20くらい違うんじゃないか高校理系クラスに進学すると、自分の好きな数学英語勉強の話やアニメ漫画の話ができる友達がわりかしできた。公文での積み重ねがあったかドロップアウトしがちな中学から高校への学習密度の変化にもついていけた。どうやら自分高校でも成績は一番ではないにしてもトップクラスだと感づくのに時間はかからなかった。当時好きだった人が生徒会に入ろうとしていると聞いて自分生徒会に入ってみたが、環境の変化からか全体的な体調が悪くなったのもあって一月かそこらですぐに辞めてしまった。通学で消耗してしまっていたので部活動をやる気にもなれず、事実上の帰宅部として放課後カラオケに行ったり理科室に入り浸ったり青チャートを解いたりシス単を周回するなどしてふわふわ過ごしていた。結局、自分の""勉強ができる""というアイデンティティを確保したいがために、勉強を最優先においていたのだと思う。学校先生勉強ができれば褒めるし親も勉強ができれば褒めてくれた。だけれど、本当に大事なのは自分が好きなこと、やりたいこと、魂をかけてでもそこに食い込みたいという世界を追求することだったのに。とりあえず勉強してれば褒められるという目先の報酬を獲得することに囚われていた。進路選択志望校選びも、親戚の「お前は医者になるんだよね?それが一番いいことなんだ」という圧を内面化していた節があって、近くの国立大学でいいかとろくに考えもせず、周りに流される形で今の大学医学部にした。いや、正確に言えば、東大京大を目指して勉強するのが面倒だったしわざわざ失敗する=浪人する可能性のあることをするのが怖かった。自分に向いている業種が見つからないのが怖かった。自分になんの才能もないことを突きつけられるのが怖かった。自分責任で何かを決めるのが怖かった。このまま担任の勧めや親の勧めに従っておけば、""失敗""することはないだろうと思っていたから、これが最善の賢い選択なのだと思い込んでいた。馬鹿らしい。一日や一週間やそこら勉強しなくたってどうってことないのに、受験勉強というフィールドしか見えてなかったし見ようとしてなかった。少しでも興味のある業界があるのならそっちに向かう努力をするなり調べればよかったのに、当時の私には褒められたいという気持ちを抑えることができなかった、だから現状の自分にできることで褒められる、受験勉強しかしようとしなかったのだと思う。人間というのは、できないことをやって失敗しながらちょっとずつ適応していくことでできることの範囲が拡大していくものだ。そもそもできることしかしない人間に成長はありえない。当時の賢こぶっていた私を殴り倒して張り倒してでも伝えたい。勉強以外のことで自我確立するべきだった。一般的に良いとされていることに身を投じてコミットしても、結局のところ消去法の選択自分が納得しないままではいずれ無理が来るのだ。そして今まさしく、易きに流された自分のツケを払わされているのだけれど。

程なくして現役で某大都会国公立大学合格した。大学に入れば私もここでいわゆる""青春""を送ることができるだろうと信じて軽音楽系のサークルに入ってみたが、持ち前の拗らせて肥大したプライドを守るのに必死体育会系人間関係適応できずに辞めてしまった。未成年飲酒なんてどこもやっていることだからアルハラ正当化され、先輩が飲めといえばありがとうございます感謝して飲まなければならなかった。音楽は好きだったけれど、サークルでの苦痛と引き換えに得られる人間的魅力、音楽活動での満足感があまりにも見合わないと感じた。音楽に熱中できていればもう少し違っていたのかもしれないが。文化系のゆるゆるサークルに入ってみたが、そこは自発的にモノを作り出して自分を充足させられる人間の集まりであって、他人から承認ベースで行動してきた私のような人間が突然生産性を高められるようになるわけではなかった。上の人間に面倒をみてもらうには人権邪魔をし、一人で生きていくには人間強度が足りなかった。現実での人間関係を構築できない者が流れ着く場所といえば古来よりインターネット相場が決まっている。必然的に私もインターネットに漂着した。twitterからまり様々なSNSを通じて学生学生以外の人間と多く出会った。オタクオフ会にも参加したし、""あっち側""の人間との交流会に出向いては世の中にレールから外れた人が想像以上に多くいることを強く実感し自分の見識の狭さを恥じた。コミュニティ転々とする上で国公立医学部生というソーシャルグッド切符は様々なコミュニティに出入りするのに大変便利で、どこに行っても可愛がられた。自分自身が何かを生み出せるわけではないのに、人間の世話をすることができるわけではないのに、ポテンシャル世間一般評価基準に褒められていた。働かなければ能力はつかないし、働いていない学生は虚無である。そんなこともわからずに(あるいはわかっていたがあえて意識せずに)流浪しているうちに、実力以上の評価自分に与えてしまっていた。俺はまだ本気出してないだけ、というフレーズを繰り返し自分に刷り込んでいた。私は何も価値を生み出していないし、ただただ親の仕送りで生かしていただいているだけなのに、どうして私はなんでもできると思い込んでしまったのだろう。自分意思努力して掴み取ってきたものなど何もないのに。私は医学に興味があるわけではない。医者になるといえば褒めてもらえた。勉強さえしていれば褒めてもらえた。今は褒めてくれる人がいない。だから勉強も何もする気が起きない。ただそれだけ。来週には授業でプレゼンしなきゃいけないし二週間後には試験も控えているが、どうすれば鬱屈した自分人生を変えられるのかばかり考えている。承認を求めること以外に熱中できることがなかった自分人生を変えられるわけなんてないのにね。目の前のやるべきことをやるのは、問題の先送りにすぎない。なぜならやるべきという判断根拠に逃げと諦めが生じているから。医学に身を捧げることへのインセンティブモチベーションもないのに、どうしてやるべきだと思っているのだろう。何もわからない、わからないんだ。どうしてこんな進むことも戻ることもできないところまでズルズル引きずって生きてしまったのだろう。今更医学部を辞めたところで解決する問題とも思えない。このまま医学部に在籍し続けて解決するとも思えない。なまじっか真面目であろうとしているから、授業やレポートサボることさえできない。解剖実習を抜け出して映画を観に行っただとかバーで酒を飲んできたと豪語する友人が羨ましいくらいだ。目の前の快楽を優先して楽しめるような人間でありたかった。勉強に対して全精力を費やして学ぶことで己を充たせる人間でありたかった。私はそのどちらでもなかった。そうだよ、私は誰が作ったのかわからないような真面目さの枠にアイデンティティを依っているだけのどこからどうみても無個性普通のありきたりな何もできない奴なんだよ。受験に身も心も滅ぼされてしまったのだと乾いた笑いで感情を誤魔化し責任自分の外に擦り続けて一生何もできないまま死んでいくのだろうな。そうやってこれからもずっと本当の過ちから目を背けて表面的な言い訳をつらつら述べて同じ苦しみを繰り返していくんだ。永久に同じ場所をあっち行ってこっち行って往復してるお前の人生振り子みたいでチョーうけるんですけど。

死にたいと思ったことは何度でもあった。しかし死んだ方がマシほどの苦しみを抱えているわけではなかった。死ぬ覚悟があったらこんなしょうもない悩み抱えてねーわ。

私ってどうしたらいいんですか?あなたのワンクリックで救ってくれませんか?輪廻転生してやりなおすことってできませんか?目の前の勉強淡々とやった先に程よい未来が待っているんですか?医者になったら幸せになれるんですか?今すぐ私の気持ちを楽にしてくれませんか?私の何が悪かったんですか?私ってやっぱりつまらないんですか?私に友達ができないのは私のせいですか?こんな真面目系(笑)クズを産んで育てた母親が悪いんですか?いっそ私に病名をつけてくれませんか?此の期に及んで私は自分が悪かった愚かだった間抜けだったと認めたくないんですか?これまで私のことを評価してくれた大人の皆さんに申し訳がないと思わないんですか?何事かを成す為に今すぐ地道に努力するしかない草むしりをするしかないのなら私は何をやればいいんですか?あれ、私の好きなことって一体何だったのですか?私について誰か知りませんか?

誰か...。

2019-01-29

小学生の頃に恋した女の子にずっと囚われてる

彼女との出会い小学2年生の時。僕の立場転校生だった。彼女への好意自覚したのは小4くらいからか。あんまり細かく書くと僕の来歴が一般的な人と比べてちょっとだけ特殊なので万が一の身バレの恐れがあって書けないのだけど。

彼女は僕からしたら抜群に利口な少女小学生の時に実施された学力テストの結果が全国1位タイで、同じく中学生の時に実施された学力テストの結果も全国1位タイだった。

僕と彼女関係性は出会いから中学卒業に伴う別れの際まで一貫して「たまに話す同級生」の域を出なかったと思う。

僕と彼女には家庭環境共通性があったり同一の放課後児童クラブに通っていたりする共通点こそあったが、特別それ故に親密だったりすることはなかった、と思う。

彼女を好きになった理由は僕と比較して圧倒的な彼女の知性にあった、と今では思う。僕の親族にはあまり知的人物存在しなかったので余計に彼女に惹かれたのだと思う。

放課後児童クラブでは僕はボール遊びをしたり漫画を読んだりすることが多かったけど、彼女課題を片付けたりクロスワードを解いたりしていて、当時の僕にとっては彼女のそういう静謐な佇まいも気を引かれる原因になったのだと思う。

中学に進学すると彼女と僕の学外の接点は皆無になり、学内でもクラス部活動も違う彼女とは次第に疎遠になった。

中学2年の時だったかPCルームで他クラス彼女クラスメイトの女子生徒と談笑しているのをたまたま見かけた。

彼女容姿は僕のよく知る小学生の頃よりずっと成長して大人びていた。成熟した女性ライン形成しつつある彼女を見て気圧された様な複雑な気持ちになったのを強く覚えている。

中学卒業した後、彼女都内でも指折りの進学校に進学し、僕は僕で凡人らしく凡百の都立校へ進学した。

僕は中学同級生包括的コミュニティには接続しておらず親しい数人の友達だけとその後の付き合いを続けていたので高校進学後の彼女の動向は全く分からない。

物質的な彼女痕跡として小中学校の卒業アルバムがあったが、彼女の姿を確かめる為にアルバムのページを捲る行為に後ろ暗さを感じたので大学進学と殆ど同時期に処分してしまった。些かの後悔はあるけど人生は不可逆なので仕方ないと諦めはついてる。

以降今日に至るまで僕と彼女の間には何らの接点も生じないまま時間けが過ぎ去った。

これまで僕は彼女以外の女性に恋したことは一度もなく、眠れない夜などに稀に彼女のことを思い出し思わず強く寝返りを打ったりしている。

今も新聞を読んでたら急に彼女のことを思い出してしまい、深夜テンションと思い付きでこの文章を書いてる。

一つ気がかりなのは僕の記憶の中の彼女中学生の姿のまま歳をとらないのでその彼女に恋心を抱いている僕は俗に言うロリコンということになるのか、ということだ。

現在彼女を知ることができれば僕の心象の彼女アップデートされるとは思うけど、なんだかこのままずっと記憶の中の彼女に恋したままでいたい様な気もしている。

まあ僕はだいぶ気持ち悪い人間だと思う。

2019-01-28

恋愛すると少女漫画は読めなくなる?

最近思い出した高校生の頃の話。

放課後少女漫画を読んでいたら、同じ進学塾に通っていた友達A子に

恋愛するようになったら、少女漫画は読めなくなっちゃった

と言われた。

正直モヤモヤしたけど、その当時私は彼氏いない歴=年齢だったし、

A子は年上の彼氏と付き合っていて、

顔は見たことないけど彼氏が校門の近くまで車で迎えに来ることがよくあったから、

自分にはわからないけど彼氏ができた人にだけわかることがあるのかな、とそのときは納得した。

大人しかからない恋とかあるのかも。そういうもんなのかな。

その後、塾で勉強をしたおかげもあって私たちはそれぞれ志望大学に無事合格したけど、

私が別々の大学に進学したためかA子とは高校卒業後は疎遠になった。

大学卒業した頃に、A子と同じ大学に進学した同じ塾の別の友達と会う機会があり、

共通友達であるA子の話になって、高校時代にA子が付き合っていた年上彼氏

実は当時私たちが教わっていたふた回り年上の塾の講師だったと聞かされた。

その講師私たち高校1年生のころから受験期に至るまでとてもお世話になった。

生徒の前で奥さんやお子さんの話をよくしていたし、写真を見せてくれたこともあった。

A子本人から彼氏は8歳年上の姉の友達だと聞いていた。

私は昼ドラみたいな内容に衝撃を受け、また二人に騙されていたことがすごくショックだった。

その友達高校時代は知らずに過ごし、大学に入ってからA子から明かされたそうで、

内容の重さに一人で抱えるには耐えられなかったことと、

私がその講師SNSで繋がっていることを心配して教えてくれたらしい。

そのときは本当にショックと腹立たしさとやり場のないモヤモヤを消化できなかったけれど、

今冷静になって考えてみると、私含め面が割れている塾生が多数通う高校の校門まで車で迎えにくるって

普通に考えてヤバすぎるし、なにアピールなんだ?!

不倫相手のいる前で堂々と妻子の話をするって一体どういう気持ちなんだ?

もちろん妻子いる相手を好きになって関係を持った時点でA子の自業自得だし、

A子も悪であることは大前提なんだけど

罪悪感とかないのか???感情のネジがいかれているのか???

現在これを書きながらも改めて講師の行動が理解不能すぎて怖い。

ただの悪口になってしまった。

いま大人になって私もそれなりに恋愛経験したけど、少女漫画は未だに読むし好きだ。

A子が言ってた「少女漫画は読めなくなっちゃった」の真意

本人に直接聞いてないから今となってはわからないけど

でも、そのとき自分がしてる恋愛不倫だったら、

奥さんやお子さんの話を堂々とされて自分との関係はひた隠しにされるような、

そんな悲しい恋愛だったら、少女漫画キラキラした恋愛なんて読みたくなくなるだろうな、とは思う。

今はうんことかちんことか漏らしたとかばっかり言ってるんですけども

高校生の頃は放課後勝手に黒板使いながらクラスメート数学やってたんですよ

そりゃもうめちゃくちゃ楽しかったですよ

気づいたら他のクラス数学マンたちが混じってたり、数学教師が顔覗かせたりしてて、わいわいはしゃぎながら数学やってたんです

大学入ってからは一人で研究室内をうろうろ歩き回って、証明の一行読むのに何時間も掛けたりしてました

今はクソ雑魚プログラマですけど、僕にも純粋学問を楽しんでいた時期があったんですよ

戻りたい

2019-01-27

屍臭の記憶

これを読まれている方の中で、屍臭というものを実際に嗅がれた方がどれ位おられるのか、ちょっと予想ができない。家族、友人等の死を経験し、その遺体荼毘に付されるまで傍におられた方は複数おられるだろうと思う。しかし、そこに屍臭を意識させるような手抜きの仕事を、この国の葬祭業の方々がするとも思えない。だから実際のところ、そのような経験があっても、そこで屍臭を感じられた方はおられなかろうと思うわけだ。

私はこれまでに二度、強烈に屍臭を経験することがあった。あの臭いは、間違いなく、経験した者にとって一生忘れ難いものだ。不快だし、そう何度も体験したいものではない。そのことは体験する前から今に至るまで変わりはないのだけど、その臭いの向こう側にあるものまで体験すると、屍臭に向かう姿勢とでもいうのか……そういうものが確実に変わったような、そんな気がするのだ。人生観が変わった、などと大袈裟なことを言うつもりはないけれど、そのときの話を記録がてら書いておこうと思う。

初めてそれを感じたのは、高校に通っていた頃のことだった。私の通っていた高校は、太平洋戦争末期に空襲で焼かれるまで天守閣が建っていた場所で、四方を崖に囲まれた、自然要塞のような高台に建てられている。登校するときには、深い谷にかけられた橋を渡ってすぐの正門を通るのだけど、学校の周囲の崖のあちこちに獣道のような抜け道があるので、授業時間中や放課後時間には、その道を通って麓のコンビニに買い物に行ったりするのが日常だった。

時々、鉄道の駅まで出る必要があったのだが、本来ルートで行くと毎回かなりの回り道で、友人に面倒だとこぼすと、グラウンドネットの破れ目から崖を斜行して下の道に出る抜け道を教えてくれた。春先でまだ雑草も深く繁茂しておらず、これは便利な道を教えてもらった、と、毎回のようにそこを通って駅に抜けていたのだった。

そして、夏が近付いてきたある日。一週間ぶりにその抜け道を通ると、何とも言えない厭な臭いがしたのだ。蛋白質の分解された臭い。それも、肉だけでなく、皮や毛や、通常なかなか分解されないものまで分解された挙句のような尋常ならざる臭いが、崖の獣道に立ち籠めている。雑草結構な高さに繁茂していて、辺りにその源らしきものは見えない。日が経つ毎にその臭いはどんどん濃くなって、私の服や髪に染み付いてしまうのではないかというような粘着性すら感じさせる。私は確信したのだ。辺りの何処かの草に隠れて、何かの骸が転がっているに違いない。しかし、とにかく質・量共にそれまで一度も体験したことのない、凄まじい臭いだったので、小さな動物……鼠とか蛇とか……がただ死んでいるだけとは到底思われなかった。

道を教えてくれた友人にもこの話をしたのだが、彼は笑って取り合ってくれなかった。それに、と彼は言う。俺最近あそこ全然使わないからさ、調べる機会もないんで、まあそんなに気になるなら自分で調べればいいじゃん。ひどい奴だと思ったけれど、まあ自分からわざわざ積極的に屍臭の源を探しに行く奴もいないだろうから、彼を責めても仕方ないだろう。

もう季節は真夏になっていた。熱風と熱線が渦巻くような崖の獣道を通る度に、私は時々、わざわざ道沿いの茂みに踏み込んでみたりもした。しかし源は見当たらない。ただ、その酷い臭いけが常に辺りに立ち籠めている。その臭い我慢して近道をするか、遠回りして臭い回避するか……その選択がある時点で逆転し、私はまた遠回りして駅に出るようになった。しかし、その源が何なのか、ということが、私の頭から消えることはなかった。

私は疑っていたのだ。その源が人間ではないかと。受験意識する時期だったので、公営図書館勉強室にこもることが増えていたのだが、休憩を取ろうと勉強室の外に出ると各種新聞の閲覧スペースがある。行方不明者等の情報が出ていたりしないかと、必ず地方欄に目を通すことが習慣になった。成人だったら、あれ位では済まないかもしれない。女性の方が体は小さいだろうが、女性脂肪組織が多い分屍臭もきついという話を何処かで読んだ。ということは、あれは子供なのではあるまいか……図書館で休憩する度に、私は新聞子供行方不明記事を探している。我ながら何をやっているんだろうと思ったけれど、もう新聞の陳列を見る度にあの臭いを思い出し、記事を探さずにおれなかった。

そして季節は晩秋になった。駅に出る日に、いつもよりも学校を出るのが遅くなった。ちょっと考えた。もう夏も過ぎたし、あの臭いも薄れているかもしれない。グラウンドネットの破れ目は何も変わっておらず、そこをくぐって崖に出ると、あれ程繁茂していた雑草も、盛りのときの半分もない程に枯れてしまっている。私は崖の獣道を進んでいった。傾斜のきつい崖なので、スキーの斜滑降のような進路になるように道は形成されている。ターンする角に来て、ふといつもと違う進路の正反対、崖を斜め上に見上げるような向きに見上げたとき。私の目に初めて、あの屍臭の源が飛び込んできた。

それは一頭の犬だった。もう骨に皮が少し被っただけという外観で、その周囲には蛆なども見当たらなかった。大きな犬で、おそらくドーベルマンとかレトリーバーとか……それ位の大きさの骸だった。ドーベルマンレトリーバー全然違うだろう、とか言われそうだが、変色して干涸びたその骸からは、それ以上のことは分からなかったのだ。もう臭いはあまりしていない。私は急いでいたのも忘れてそこにしばらく立ち尽した。あの夏の頃、臭いの源を発見したら大声で叫んでしまうに違いないと思っていた。しかし、今のこの落ち着きは何なのだろう。本当に、自分でも驚く程に、心は静かだった。ああ、人じゃなかったんだ、それはそれで良かったけれど、こいつ、どうしてここに骸を晒していなければならなかったんだろう。野良犬というのもほとんど見ないようになった頃で、こんな大きな犬がそこらをそううろうろしているとも思えなかった。ひょっとしたら、飼い犬が亡くなった誰かが処置に困ってここに骸を捨てたのだろうか。死を看取るまで犬を飼っていた人がそんなことをするというのも変な話なのだけど、他に説得力のある理由を思いつかなかった。

あの臭いがし始めた頃から、こいつはここにあった。そして、あの燃えるような夏の間、道を外れて鬱蒼と草に覆われた中、あの強烈な屍臭を放ち、蛆等に組織をついばまれながら時間が過ぎていった。そしてその臭いも薄められ、ここにこいつはまだある。本当は埋めてやりたかったが、手元にその用意もないし、そのときにようやく自分が急いでいたことを思い出した。クリスチャンの私は十字を切り、天の国で平安と安息のうちにありますように、とだけ祈ってそこを去った。何日かして再びそこを通ってみたら、もう骸はなかった。誰かが気付いて、埋めるか他に持っていくかしたのだろうか。そこまでやってやれなかったことが心残りだったが、せめて祈ることができただけでも、少しはましだったか、と今も思う。

そして二度目。それは、ある自動車関連企業のお膝元である某県の地方都市に住んでいたときのことだった。私は単身者複数入居している安アパートに住んでいた。よくあるプレハブ二階建の長屋みたいな造りで、外の階段で二階の並びに上がるような、室内は6畳とユニットバスみたいな、そんなアパートである。私にとってそこは家というよりただ寝る為だけの場所で、仕事が終わるとそこに入って寝て、朝はシャワーを浴びてそこを出る……そんな毎日を過ごしていた。おそらく、他の部屋に暮していた人々も、私と同じような日常を過ごしていたに違いあるまい。

そんなある日。部屋を出たときに、ふと厭な臭いがした。ゴミのせいか……と最初は考えた。私の部屋は一番階段に近い二階の部屋で、階段真下のスペースがゴミ置き場になっていた。仮に凄まじい悪臭を放つゴミが捨てられていたら、そういう臭いを部屋のドアの前で感じることもあるかもしれない。鍵を締めて階段を降り、ゴミ置き場の前に立ってみたけれど、そもそもその日はゴミ収集日ではなかった。そこまで行く経路上に、ゴミから出た汁等がこぼれたような形跡もなかった。気のせいか、あるいは自分臭いの源なのか……服などをチェックしてみたけれど、どうも自分ではなさそうだ。

翌日、そしてその翌日、と、その臭いは更に強くなっていく。深夜近くに帰宅して、周囲の住人の迷惑にならないように注意しながら二階の並びを歩いてみると、どうも自分の部屋から少々奥に行った辺りでその臭いが一番強くなっているような気がする。隣か、そのまた隣か……しかし、どういう生活をしていたらこんな臭いがするのか。それにしても、この臭いにはどうも心当たりが……と、そこでようやく思い当たったのだった。これは、あの臭いだ。高校の獣道で嗅いだ、あの臭いだと。明日になったら管理会社電話しようと決めて、部屋に戻って寝た。

そして翌朝。出勤の支度をしていたらチャイムが鳴って、ドアを開けると警官が立っている。

「あのー、変な臭いとか、されませんでしたか

と訊かれ、実は何日か前から……という話をして、

「あの、何かありましたか。私もここの住人なので、差し支えない範囲で教えていただけませんか」

と言うと、警官は言いづらそうに、この部屋の二つ隣で、住人の女性が亡くなられていたんです。何かご存知のことはありませんか、と言う。しかし、隣室の住人の顔もよく知らないような状況で、その更に向こうの住人のことなど知る由もなかった。

職場でその話をすると、皆さん興味本位で色々と仰る。うわー気持ちいねーもう引っ越した方がいいんじゃない?……まあ、よくあるパターンですね。そりゃあ、家の近くで人が亡くなっていたというのはそれなりにショックだったわけだけど、私は違うことを考えていたのだった。自分と同じように独りで暮していた人なのだろう。あの部屋のドアは結構密閉性が高いので、ああい臭いが出てくるまでには相応の時間がかかったに違いない。その間、その人はずっとそこに骸を晒していたわけだろう。これはその女性ではなく、自分に起きたことだったかもしれないのだ。その間にはおそらく何も違いはあるまい。ひょっとしたら、私が骸を晒し、あの臭いを発していたのかもしれないのだ。そう思ったら、興味本位で騒ぐ人と一緒に騒ごうなどと、考えられるはずがないのだ。

皮肉ものだ。屍臭の向こうに、かつてあった生とその現状があるのを思い知らされ、そして私がそのときたまたま傍観者だったというだけで、いつ私が骸を晒す側にならないとも限らない、ということを思い知らされたのだ。私はその晩、帰宅してからその部屋の方を向いて、あの犬のときと同じように祈った。それ位しかできなかった。調子の悪いときに出喰わすことができていたら、とも思うけれど、それはもうどうしようもない。ただ、高校とき体験に、同じ人間という更なるリアリティを裏打ちされて、私の中に今でもこのとき記憶は強烈に残っている。去年は有名人でも亡くなる人が本当に多かったわけだけど、誰かが亡くなる度に、私はこれらのことを思い出すのだ。

2019-01-26

小学校強制参加バスケトラウマ

小学校卒業したの、もうウン十年前だけど

スポーツ連盟かいうやつ、今もあんのかな。私の地元だけなのかな。

授業終わってから強制参加で、バスケ練習と月に何度か近くの小学校試合するっていう謎イベント

運動オンチだったので、試合中の同級生のヤジがすごかった。こんな大人になった今でもトラウマテレビバスケ試合とか見ただけでビクッとなる。

なんで放課後時間も拘束されなきゃなんなかったんだろう、、、考えた奴をしばきたい

2019-01-24

anond:20190124095507

帰宅部だったけど他の部活の人らは朝も放課後休みの日も頑張ってたよ

2019-01-23

飼育係をしていた時の話

小学生の時、私は飼育係だった。

生き物が特別好きというわけではなく、係決めのジャンケンに負けたから仕方なくやっていた。

やる気はなかったが、それでもちゃん仕事はしていた。

飼育係は何人かいて、それぞれ生き物の担当が割り当てられるのだが、私は校舎内で飼っている水生生物担当だった。

具体的には、熱帯魚カメナマズドジョウだ。

毎日放課後になると彼らのところへ行き、エサをやる。水槽フィルター掃除する。ウンコで水が汚れていれば、新しい水に替えてやる。

毎日そんなことをしていると少しずつ愛着もわいてくるもので、カメなどはその性格がわかるようになってきた。

カメは大小2匹いたのだが、小さい方はよく暴れるが実は気が小さい、田舎ヤンキーのようなやつだった。大きい方は、一見おとなしいが実は大胆なことを考えるやつで、何かやらかすとしたらこいつだった。

一度こいつが脱走し、それが原因で私が教師にこっぴどく説教される事件があったのだが、それはまた別の機会に書くとする。

ある暑い夏の日だった。

その日の放課後も私は彼らの元へ行き、すっかり慣れた一連の作業を行った。

いつもならそこですぐ帰るのだが、なぜかその日はもう少し世話を焼いてやろうという気になった。

目に付いたのはナマズ水槽だ。こいつらの家は水生生物エリアの中で最も隅に追いやられており、随分退屈しているように見えた。

今日の私は機嫌がいい。普段は薄暗い生活をしている君達に、今日特別ものを見せてやろう。

そう思って水槽を持ち上げ、外の景色が見える窓際の特等席に置いてやった。

心なしかナマズたちがはしゃいでいるように見えた。

満足した私は、意気揚々と家に帰った。

次の日、いつものように彼らの世話をしに行った私は、それを発見した。

ナマズが、腹を上に向けて、浮いている。

衝撃的な光景にしばらく立ち尽くしていたが、しだいに昨日の出来事が蘇ってきた。

隅に置かれた水槽。照りつける日差し。汗ばんでいる自分。窓際の熱気。輝く水面。踊るナマズ

死体が浮く水槽に恐る恐る人差し指をつけると、お湯になっていた。

私が死なせたのだ。

犯人現場に戻ってくると言うが、まさにその通りになった。

犯人が取る次の行動は、証拠隠滅だ。私はナマズ水槽を持ち上げると、隅っこの定位置に戻した。お湯は抜き取り、新たに水を加えた。

次は、第一発見者を装って通報だ。私は教師のところへ慌てた感じで走って行き、「ナマズの様子がおかしいです」と言った。

教師によってナマズの死亡が確認され、病気か何かだろうと教師勝手に納得していた。

私は"不思議だ、よくわからない"という態度を終始とっていたし、まじめに世話をしているという日頃の行いもあって、私に疑いがかかることはとうとうなかった。

ナマズには申し訳ないことをしたと思っている。

28歳になった今でもたまに思い出すのだから

2019-01-18

anond:20190118185553

共学みたいに、放課後に部室や屋上理科準備室で制服パコパコやってなさそうじゃない。

2019-01-15

吐き気がするような恋をして今

以前、この話を書いた者です。https://anond.hatelabo.jp/20190108002516

まずは、ごめんなさい。前回の文章、とくに最後の一文で気分を害された方がたくさんいて、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。すみませんでした。

弁解すると、男性を貶したいわけじゃなかったんです。

ただ、異性になりたかった。同性じゃなきゃよかったのにって、せめて異性だったらこんな思いすることもなかったのにって、性別のせいにして。友情でいたいのに、友情ならここまでぐちゃぐちゃになることもなかったのに、って、「女じゃなきゃよかったのに」って泣きながら、「女でよかった」って打ったんです。ジェンダーをなめてる。その通りです。最低でした。性別に振り回されて、私が男だろうと女だろうと、彼女は私が彼女を思う以上に私を好きになってくれないのに。本当にその通りなんです。私が男だろうと、きっと彼女には振り向いてもらえなかった。あの子が男だったら、きっと私は彼女に話しかけなかった。同性だったから、すこしずつすこしずつ、ここまで仲良くなれたのに。それなのに、自分から汚すようなことを言ってしまった。しかも、あんな『男性』をあげつらうような言い方をして。

不快になられた方、傷ついた方、本当に申し訳ありませんでした。

今回この話を書こうと思い立ったのも、この謝罪がしたかたからです。

それと賞味期限切れチョコレート彼女は「◯◯らしいわwww」って爆笑しながら受け取ってくれたし、私自身もネタ的にもプレゼントの重さ的にも完璧だと思っていたので、盲点でした。

そりゃあ潔癖な、というかたいていの大雑把じゃない人なら、賞味期限切れチョコなんてゴディバでもお断りですよね。

この話も、やっぱり長くてくどくてうざい文章です。オチもないです。ただ、前のアレとは違って、何回か見直ししたので、不快表現とかはないと思います。それでも私の嫌なところが文章に出ていて、不快になられたらすみません

昨日の話です。あの話を書いてからも、私はしぶとく自分気持ち友情だって思おうとしました。

嫉妬なんて誰にでもある。思春期ありがちな取り違え。あのときはあの子のあの発言がショックすぎて、夜になってモヤモヤ思い出しちゃって、そのせいであんなことを書いたたけで、だって、私は同級生男子と並んで歩いて緊張するし、会話して「ああ楽しいな」って思うし、久しぶりに中学同級生男子と会って前より高くなった身長にドキドキしたし、違うんだって

でも、私の友達に、彼女の話をしました。友情の悩みとして。「〜って冗談で言われたんだけどさ、さばけてる子だからマジで縁切られそうで。でも私はここで縁切りたくないんだ。どうしよ」って。

そしたら、友達は笑いながら「なんか恋話きいてるみたいな気分になってきたよー」って言ったんです。気をつけてオーバーなこと言わないようにしてたのに。

ああそうなんだなって、その瞬間、なんかもう重力が私にだけ倍かかってるみたいだった。やっぱり私は彼女が好きなんだ。あの子が好きなんだ。ほんとに、彼女への思いを実感しちゃうと胸が重くなるというか、ムカムカするというか、自分が異分子みたいできもちわるくなる。

同級生男子にドキドキした。なんとなく視線が気になった。クリスマスときにあのら中学同級生バイト先に偶然通りかかって、間抜け帽子に笑いながら手を振ったら、そしたら振り返してくれたんですよ。それにちょっと嬉しくなったりとかもしたんです。

でも、それがキュンだったらもうこっちはギュンギュンで。バカな例えだけど、彼女笑顔であーー好きーーってなるし、話しかけてくれたら緊張で心臓が握りつぶされそう。うまく話ができなくなるし、焦るし、質量圧力もぜんぜんちがう。わかってはいたけど、改めて突きつけられた気分でした。

まあそうやって友達相談して、結論はやっぱり『頑張って仲良くなろう』

頑張るしかないなと思いました。彼女との縁が続くように、私が頑張らなくちゃと思いました。このままじゃ本当に、私の三年間が無駄なっちゃうから。嫌だった。ぷっつり切れるんじゃなくて、どうにかこれを昇華させたかった。

それに、彼女、さばけてるしズケズケ物を言うけれど、とても素敵な子だから。これからも仲良くしたかった。

それからおみくじも違うものをふたつ引いて、ひとつ大吉だったんです。恋愛運なんて、「ずっと一緒にいたいと思う相手告白をしなさい」なんて書かれてて、もうひとつの方は「待ち人:遅いけれども来ます」なんて書かれてたから。背中を押されてる気がした。告白はしない。でも、この付き合いを卒業で切らせたくないって、ちゃんと伝えようと思った。

まずは距離を縮めるために、彼女と一緒に遊ぼうと思ったんです。私と彼女は、学校ときどき話すだけの人だったから。そりゃ学校が終わったら縁も切られます

でも、あの子は誘ってくれたんですよ。気まぐれみたいに。「そういえばこの後焼肉行くんだけど、くる?」とか。「そういえば放課後◯◯行くんだけどくる?」みたいに。冗談みたいに。

ついて行っちゃいたかった。ただ、そのとにはどっちも私がバイトあったからついていけなかったんですけど。でも、冗談でもそんなふうに誘うくらいには好かれているんだなって、嬉しかった。だって嫌いな人に冗談でもこんな聞き方しない。

から、私の方から誘いました。彼女の幼馴染ちゃんも一緒で、皆で出かけよって。私、幼馴染ちゃん普通に好きです。嫉妬でぐちゃぐちゃになってるときについ嫌な言い方をしてしまったけど、かわいくて華奢でやさしい子なんです。

ただその行く先が同人イベントなんですよね。

一応、彼女たちもオタクなので誘ったんですけど、腐ってるわけじゃないし同人誌というよりは個人制作のグッズがちょっと気になる程度らしくて。あまりいい返事をもらえてないです。というか価値観の違いが問題、というか。

私はグッズに貢がない派の人、というか漫画とかCDも借りるもので、ものすごくハマった時に初めてちゃんと買うレベルなんです。ハマったら公式にもある程度はお金しますけど、本当に漫画とかCDとかDVDだけで、とにかくその『話』も『キャラ』も好きですけど『キャラグッズ』にはあまり興味ないんです。二次創作物もわりと見るほうだし自分でもけっこう書いたりもします。だからオタクといえば同人イベントみたいな思い込みがあったんですけど。

彼女たちがぬいぐるみとかストラップとかクリアファイルとか、グッズをガチで集めてるの見て、オタクにも種類はあるんだなって思いました。好きなアニメが違うとかでもなく、ライト層とヘビー層の違いでもなく、同じものを同じくらいの熱量で好きなのに、その好きの示し方が違うというか。二人が痛バ作りの話で盛り上がったときはどうしようかと。

いやそういうことじゃなくて、いまは、次なんて誘おうかなって考え中です。

話にオチがなくてすみません。たぶん、でも、もう彼女の話は書かないと思います。わからないですけどね、そう言って卒業式の日の夜とかに泣きながらここに書きにくるかも。

とにかく、当面の目標は一緒に遊びにいくこと。その次は、卒業してからときどきラインしあう程度の仲になること。そしてその次は、というかこれが一番重要だけれど、ちゃんとこの恋を諦められるように整理すること。

二ヶ月後、いい恋ができたなって、いい人を好きになれたなって、そう思えるようになることが目標です。

読んでくださった方、ありがとうございました。

2019-01-11

生徒の学力幸福学校教師

1.自分学生の頃、2.教師になって初めての学校対照的な2つの学校文化を取り上げる。

生徒の学力を伸ばすために、ひいては生徒がより幸福になるために、どちらがより優れたシステムなのか、

そして今教師である自分はどちらの学校文化の方がより幸福になるのか、意見を貰えると嬉しい。


1.自分高校生活を過ごした高校

まり賢くない学校だったこともあって宿題を課せられることはほとんど無かった。

授業も基本的に誰も聞いていない。教師独り言ワンマンショー。

生徒はマンガを読んでいるか、持ち始めたケータイをイジる時間

そのくせ受験勉強はかなりしっかりやった。高校3年生になる頃には受験するクラスでは結構な人数が人格が変わる。

本気で取り組むようになる。本人なりに、ではあるが。

受験しない人の多いクラスも、受験する人たちの邪魔はしない。これはまあ学年とかにもよるかもしれないが。

自分も授業は聞いていなかったがその時間に寝たりはせずにBGMとして、ひたすら問題を解いていた。


自分教師になってからの初任校

同程度に賢くない学校ではあるが、時代が違うのと地方が違う(数百km離れている)ためか、学校文化が大きく異なる。

授業中に机の上にスマホ漫画を置いている生徒は間違いなくいない。

机の下でごそごそ…なんてことも基本的には無いだろう。

バイブ恩が聞こえることは1学期に1回くらいはあるが、せいぜいその程度。

もちろん持ってきているだろうけどカバンの底に入れているっぽい。

学校や学年の方針もあるので、私の授業でも宿題はそれなりに課している。

毎日のようにチェックして、場合によっては叱責したり放課後指導することになる。

自分自身は高校時代に長期休みを除いて宿題したことが無いため、そのへんはすべて自分のことは棚上げ。

一方、高3の受験に対する追い込みはあんまりしたことは無い。

そのためか、受験あんまりしないクラスの子たちは、受験生たちへの配慮がすごく足りない。





初任校以外は条件が少し異なるので取り上げない。

取り上げたどちらの学校偏差値・進学実績は大して変わらない。

授業や宿題時間をかけても大して学力幸福感に寄与しないのであれば、

キツイ仕事は一気に減って全くブラックでなくなるのでは?というか楽すぎね?

でもそもそも、授業も適当で良いならモチベーションは本当に持続するのか?

率直なところ、これだけ手をかけているおかげで自分の母校と同程度の水準に持ってくることが出来ている、とは信じ切れない。

実はどっちでも大して変わらないんじゃ…

2019-01-08

コミュ障初恋片思い6年間の一部始終

コミュ障婚活マッチングアプリ出会い別れるまでの一部始終」(anond:20190106214218)という日記を書いた者です。

前回の日記を通じて、自分経験文章に落とす作業をしている間はすごく気分が晴れるということに、生まれて初めて気づきました。文章を褒めてくださる方もいらっしゃったので、調子に乗ってもう1本、投稿してみます(読み手を選ぶ内容なので、さほどブックマークはつかないと思いますが)。また、前回の日記では、あたかも僕が恋愛経験コミュニケーション能力以外の点において完全なる真人間であるかのような印象を与えてしまったので、ちょっと彼女に対してアンフェアだったな、という懺悔の思いもあります

僕が中学生高校生時代に、人生で初めて好きになった方の話をしたいと思います

僕が通っていたのは、中高一貫男子校でした。所謂進学校で、有名大学進学率がKPIになっている、勉学を重んじる厳しい校風でした。

中学校の登校初日入学式を終えた新入生は、疲れた足取りで初めて行く自分教室へ向かっていました。殆どの生徒はお互い初対面なので、会話もまばらでした。1人で居ても目立たなくて良いな、ずっとこのままなら良いのに、などと思いながら、僕は人の波から少し外れたところを歩いていました。

廊下の角を曲がった時、僕は斜め前を歩いていた同級生の1人に気づきました。サラサラストレートの髪に、小さな顔、大きな瞳、長い睫毛。人生で見たことのある誰よりも格好良い男の子が、そこには居ました。

これが、一目惚れか、と、冷静に思ったのを、はっきりと覚えています

彼と僕は同じクラスでした。彼は、才色兼備な人でした。文武両道で、サッカー趣味。優しい性格で、愛嬌があり、話は面白く、友人も多い。笑顔キラキラしていて、王子様のように見えました。過去を美化し過ぎだと言われるかもしれませんが、アイドルグループ所属していてもおかしくなかったと思いますクラス文化祭に出店した、大して美味しくない割高なタコ焼きも、彼が声を掛けた女子学生は全員買ってくれました。

僕は、絶対に彼には自分の心の内を明かさない、と決めていました。傷つくのが怖かったのもありますが、彼の人生劇場の登場人物として、僕はあまり分不相応だと思ったからです。僕は、彼が僕を抱きしめ、名前を呼びながら優しく髪を撫でてくれることを想像し、時に嗚咽しながら床に就きました。僕の人生は泣いてばかりです。今思えば、この時の涙の理由自己憐憫でした。努力放棄し、自分自分のことを追い詰め、思考停止して悲劇のヒロインを気取り、自身を慰めて、精神的な安寧を得るのが日課になりました。幸せと虚しさが入り混じった複雑な気持ちで、彼と時空間を共有できない夜をやり過ごすことしか、できませんでした。

僕は「好きな人の好きなものを好きになる」タイプでした。彼があるアイドルファンだと聞けば、プロフィールを暗記し、出演するテレビ番組を観ました。彼がよく口ずさんでいた洋楽アーティストCDは全部借りて聴き、歌詞まで覚えました。そうして仕入れ話題で彼に話しかける勇気もないのに、です。

ある日僕は、彼と彼の友達教室の窓辺で繰り広げる雑談に聞き耳を立てていました。彼は、塾で出来た初めての彼女ファストファッション店に行き、お揃いのトレーナーを買ったと、少し恥ずかしそうに、しかしとても楽しそうに話していました。僕は彼に彼女ができていたことさえ知りませんでした。完全に狼狽しました。彼は彼女のことが好きで、僕が知ることのできない存在であるその彼女は、僕の見たことのない彼の表情を知っているのです。結局、その日は何もやる気が起きず、トイレに籠って残りの授業をサボってしまいました。泣き腫らした顔を誰にも見られたくなくて、放課後、日が沈んだ頃に個室を後にしました。親には怒られましたが、何も言えませんでした。

でも、サボってばかりいたわけではありません。むしろ勉強には必死で取り組んでいました。彼と同じクラスになるためです。入れ替わりの激しい特進クラスを6年間ずっとキープし続けたのは、とうとう彼と僕だけでした。彼は文系コース、僕は理系コースでした。本当は彼と同じコースに進みたい気持ちもありましたが、無理して高い授業料を払ってくれている両親の顔を思い浮かべると、人生を棒に振る可能性のある決断をする勇気は出ませんでした。それでも、少しでも多く彼と同じ空気を吸っていたくて、受験必要のない文系科目まで、教頭に頼み込んで時間割の許す限り履修していました。ただ、残念ながら僕の学力は彼に遠く及ばず、別の大学に通うことになるのは自明でした。最終学年になって勉強モチベーションを失った僕の成績は、急に翼を失った鳥のように落ちてゆきました。教師全員にひどく心配されたのを良く覚えています

高校3年の1学期の席替えで、僕の席が彼の後ろになりました。夏休みまでのたった数ヶ月だけですが、世界中の誰よりも彼と一番物理的に近い場所占有できる喜びで、胸がいっぱいになりました。居眠りの振りをして机に突っ伏し、いつの間にか仄かに甘い香りを纏うようになっていた彼の背中に近づきました。息をするたびに、彼と一体化してゆくような、幸せ気持ちが溢れました。放課後、憶えた匂いだけを頼りに、彼と同じ香水を探しました。塾を休んで、お店を何軒も梯子しましたが、結局見つけることはできませんでした。

ある授業の小テストで、僕が酷い点数を取ったことがありました。回収の号令が掛かり、自己採点した答案用紙を、前の席に座る彼に恥ずかしそうな顔で差し出すと、彼は僕の眼を見て「可愛い」、と言いながら、優しい笑顔で受け取ってくれました。どういう意味を持つ言葉なのか、しばらく理解できませんでした。その声色は、今でも耳にこびり付いています。辛いことがあった時に、何度も、何度も心の中で反芻して、その度に涙を流し、頬から耳まで真っ赤に染めました。

彼が僕の気持ちに気づいていたのかどうかは、卒業するまで、ついに分かりませんでした。

この日記は、彼の好きだったEric Claptonを聴きながら書きました(この日記では固有名詞を一切出さないという自分縛りがあったのですが、これだけ例外にさせてください)。自分の中で強く記憶に残っているエピソードを集めてみたのですが、結果として完全なる狂気という印象になってしまいました。常にこのような変態行為に走っていたわけではないことだけ、申し開きをさせてください。この時期にできた数少ない友人の一人とは、年に一度、母校の文化祭に行く間柄を保っています

彼とは、高校卒業以来、一度も会っていません。大学に進学すると、僕は別に男性が好きだったわけではないのだということに気づきました。ただ、6年間、彼という重いアイロンを掛け続けた心の折り目はなかなか消えず、随分とひねくれたまま大学生活を送ってしまいました。

客観的に読み返すと、僕は本来的には恋愛依存体質で入れ込みやすタイプなのかな、と思いました。これをコントロールできるようにしないと婚活中に精神病みそうですね。

この日記をどうしても書きたくなったもう一つの理由は、前の日記の「彼女」が、3次元ボーイズラブ小説執筆をこよなく愛していたからです。彼女は、本当に親しい人にしか言えない秘密だと言って、4度目のデートで僕にその趣味を打ち明けてくれました。彼女に僕の経験を伝える機会はついにありませんでしたが、あの時僕が彼女の良き理解者として振舞えたのは、中高時代の彼との思い出があったからこそでした。

この日記を、「彼」と「彼女」に捧げます

《2019/01/10 追記

ブックマークコメントを読ませていただきました。「まともな人かと思ったらヤバい奴だった」みたいなことを云われるのではないか心配していたのですが、杞憂でした。お薦めしていただいた漫画面白そうなので読んでみようと思います。あと、「明治文豪が書きそう」とあって笑ってしまいました。読書量の少ない人間がそれらしく文章を書こうとすると、学生時代に読んだ著名な本にしか影響されていないことが透けて見えてしまものですね。僕は「こころ」が好きでした。この日記遺書にならないよう精進します。

吐き気がするような恋をした

馬鹿な恋だった。恋といえるかもわからない。私はまだ高校生で、思春期ありがちな思い込みとか憧れを恋情に取り違えてるだとか人付き合いに慣れてないか感情の整理がついていないのだとか、そういう理屈付けなんていくらでもできてしまえる。

私は今すごく落ち込んでいて、突発的にツイッターで見かけた匿名ブログを思い出してここに登録してこんなものを書いてるくらい気持ちが混乱しているから、きっと文章もぐちゃぐちゃで長くなると思う。時間泥棒。ごめんなさい。

よくある話。相手は同性だった。高校一年の時、本当に最初入学式の列に並んでいるときに私からしかけた。振り向いて、その目の大きいのと日に焼けた肌とポニーテールかわいいのと、一目でころんと恋に落ちてしまった。

声が掠れてて低いこと。背が私より13センチも低いこと。誕生日もこっそり知ってる。同じ中学で絵が上手くて、メガネで華奢な幼馴染によく甘えている。好きな人にはスキンシップが激しい。ズケズケとものを言って、態度がはっきりしている。そこが、可愛くてしかたなかった。

高校一年の時の私は、正直友人がいなかった。グループには居たけれど、ギャルを気取る中間グループでなんとなく馴染めなかった。放課後バスで皆が話してる中ひとりでうつむいて携帯をいじってるのも嫌で、図書室でぼんやり過ごして、部活のある生徒以外はほぼ帰宅したであろう頃合いに帰る。なんかもうひたすら中学の頃に戻りたかった。親友と遊ぶ約束でも取り付けようかな。そう思ったとき

「あ、ばいばい!」って、バスケ部のマネージャーだったあの子が声をかけてくれた。

その一言。それだけで、泣きそうになるくらい嬉しかった。

彼女と私は同じグループじゃない。あまりしたこともない。私がただ一方的に見てるだけ。

幼馴染に甘えてる姿に嫉妬した。私があの子だったらいいのに。クラスメイト女の子にも寄りかかっていた。私があの子だったらいいのに。私と仲良くなって欲しかった。ろくに会話したこともないくせに。会話に耳をそばだてて誕生日とか好きな漫画とか把握して、本当、一歩間違えればストーカー自分でもキモいと思う。

でも女なんてこんなことよくあることで、女友達女友達嫉妬とかは私だって何回もあった。だからもう、本当にこの気持ちがなんなのかわからない。ぐちゃぐちゃ。便宜上、恋って呼んでるけど、混沌としててわけがからない。認めたくない。

高2になってクラスが離れた。それでも選択授業が一緒で、机が近かった。すこしだけ、週に二時間しかないその授業の間。私は彼女と話せた。同じ趣味を持っていたから、ちゃんと話すことはできたしそれなりに会話も弾んだと思う。

ただ私が勝手に緊張してしまって変な応答をしてしまって、どうにも上手くいかなかった。

高3。またまた選択授業がかぶった。彼女と話すのに緊張しなくなった。ううん、緊張するけど、その緊張にも慣れてきた。

このあたりから、じつは私のこの感情は恋ではないのでは?と思うようになってきた。緊張が消えたから。女が女に恋をするなんておかしいから。世間一般だと偏見はよくないって言われてるし、皆それに賛同するけど、それが身近になったら話は変わってくるでしょ?

彼女に、初めて誕生日プレゼントを贈った。賞味期限切れゴディバゴディバなんて重いけど、賞味期限が近かったのと従業員割引で500円だった。だからいかなと思って、贈った。彼女は笑いながら受け取ってくれた。

九月。文化祭は忙しくて会えなかったけど、体育祭では話しかけられた。私はこのとき初めて、ツーショもどき彼女写真嫌いなのに、私が無理やり写真撮った。光が差し込んでるしちょっとブレてる)を手に入れた。彼女と好きな漫画の話をした。幸せだった。

10、11。最高に幸せ。今までで一番よく話した。私の誕生日にくれたのはアニメのグッズを手に入れるために買ったコンビニチョコだったけど、それでもいい。嬉しい。私の受験の時には頑張れって言ってくれた。うれしい。しあわせ。

12月は特にない。飛んで今。きょう。始業式。

あけおめ。3学期もよろしく。今年もよろしくはしない。高校卒業したら縁切る。ラインブロックするから

そんな感じの内容の、笑いながらの冗談冗談。私も「薄情だなぁ」って笑った。かなしい。かなしい。悲しくてしかたなかった。

彼女発言に傷ついたのもある。ああ、高校卒業しても友人でいたいと思えるほどの仲じゃないんだなって。冗談だとしても。

ううん。冗談じゃない。本当だろうなと思った。彼女が私のラインブロックしようがしまいが、私と彼女人生が交わるのはあと一ヶ月だけだ。

そんで高校卒業して、大学生になって忙しくなっていつのまにか一年とか二年くらい経ってて、ふとあんな子いたなって思い出すだけの存在になるんだ。それも、私の方がきっと強く鮮烈に覚えているんだ。彼女はきっと、私のことを忘れる。思い出しやしない。

悔しい。悲しい。意味がわからない。泣きたくてしかたないのに、誰にも話せない。

あのときばいばいって言ってくれて嬉しかった。本当に嬉しかった。

からしかたことなかった笑顔を、真正からみれて嬉しかった。

掠れたハスキーな声が好きで、笑うと普段より高くなる声が好きで、私よりずっと低い身長がすきで、すきで、サバサバした性格もすきで、好きなのに、なんかもう怒りに似た感情すらでてきて。

私は馬鹿な恋をした。距離を三年かけて縮めて、三年後にリセットされて終わり。馬鹿だった。可能性があったら告白するのに。縁を切らせてやらないのに。忘れさせてなんてやらないのに。

でも私は彼女の好きなタイプを知っている。天然でおっとりした、声の低くて運動神経抜群の男の人。正反対くそったれ。

友情だったらよかったのに。尊敬を取り違えてるんだったらよかったのに。私が彼女の幼馴染だったらよかったのに。

私が女でよかった。

私に棒がついていたら、きっと私は世界一最低な行為をしていた。

2019-01-06

匿名ラジオ

匿名ラジオは、オモコロライターでお馴染みのARuFa目線の人)とダ・ヴィンチ・恐山仮面の人)がトークするラジオ

youtube公式チャンネルであがっている。

これがすごく面白かったのでその魅力を紹介したい。

個人的には数多の面白記事で有名なARuFa目当てで聞き始めたのだが、実は、オモコロ記事だけでは計り知れなかった恐山トーク能力もすごいラジオだった。もっとクールで冷めたタイプかと思ったら、ノリノリで話を盛り上げてくれる。

ARuFaの話し方は、意外にリア充系というかテンションが高い勢い系で、意味がわからない面白ネタボンボンぶつけてくる。

普段記事スタイルから、丁寧に組み立てて話を進めるタイプかと思ったら、ものすごく適当なことを放言していくスタイルだった。

頭がブッ飛んでいるのは各方面証言からも本当のようで、急に突飛なことを言いだして恐山が引きながら突っ込みを入れるやり取りが天才

ARuFa個人でも話が面白いのは間違いないのだが、適切なパートナーがいないとラジオ番組としては成立しないタイプかも。

恐山は、知識が広く言葉選びのセンスが抜群で、与えられたお題の中で面白い展開を探っていくタイプ

小説家でもあるため想像力も豊かで、こちらがついて行ける範囲で巧みに話を膨らませていくのが非常に上手い。

滑舌に少し難はあるが、ARuFa破天荒暴走を的確にいなしたり、コンビとして物凄くうまくラジオをまわしている。

恐山独特の才能が良くわかるのが、#34「この世で一番かっこいいアルファベットを決めよう!」の回。

アルファベットだけでこんなに笑える話を展開できるのかとビックリした傑作。

持ち込み企画なので冷静に理論武装してくるのかと思えば、「第五位、J。一角で書ける割に、かっこよさがすごい!」「Uは正直恋人としては、無い」など変幻自在コメントをしてくる。

文字にすると伝わりづらいが、音声で聞くとそのおっとりした口調もあいまってわず笑ってしまう下らなさ。

こんなしょうもない話に同じ温度で付き合い、ランキング結果に一喜一憂してはしゃぐARuFaも流石。

といっても、基本はアニオタ思考ラジオなので、オタク文化に親しみがない人にはいまいち良さがわからいかも知れない。

逆にいうと、アニメ系に親しんだ人なら抱腹絶倒できるトークスタイルである

#101「世間知らずのお嬢様になりきれば、つまらない夏も楽しくなる!」」の回では、

お嬢様視点を実演する恐山が、独特のたどたどしい口調でチョコバナナを「ショコラバナーヌ・・?」と呼んでみたり、さらっと「花火が見えないのであの公園を買収いたします」「ベトコンの再来ですわ!」というセンテンスを挟み込み、

#109「それは決して叶わぬ夢、お姉ちゃんが欲しい!!」の回では、

ARuFaの出したガサツな姉、甘々な姉などの欲しいお姉ちゃんパターンの他に、速攻で「ギャルねえ。」という回答を出していて、的確すぎる言葉選びに感動すら覚える。二人の掛け合いのテンポ感は是非実際に聞いていただきたい。

#29「理想的な将来のビジョンさらけ出そう」で、将来は探偵事務所を開き、猫を探していた女子中学生助手に雇って、解決した事件顛末小説にして暮らしたい、

というボンヤリ妄想天才かと思った。

匿名ラジオあるあるネタシチュエーションを語るパターンが多いので、恐山が女役を演じる機会も多いのだが、これが妙にしっくりはまるのも個人的にツボ。

#65「子ども質問にすぐさま適当に答えよう!」の、謎の女児すぎやまみ小学三年生は最強の当たり役だと思う。

これに対して急に「泣いてみて。」と言い放つARuFaも頭がおかしくて好き。

二人のトークはどれを聞いても笑えるが、ただラジオの初期ではまだお互いに探り合っていて当意即妙の掛け合いにはなっていないので、初期も面白いのだが最初は#20以降を聞いた方が確実だと思う。

月ノ美兎(!)などのゲストを呼ぶ回もたまにあるが、二人だけでグダグダ話をしているときの方が特有安心感があって面白いので、最初に聞くのはあまりオススメしない。

(※この回では恐山がまったく発言せず、女性ゲストが出るから緊張したんだね~とコメント欄でからかわれていたのだが、あれは口内炎のせいで喋れなかったんですよ!と大声でブチ切れる次週のトーク死ぬほど面白い。怒った恐山は貴重)

個人的初見の人にすすめるなら、アニメあるある話を展開する、

#32「ラストバトルでOPテーマ流れる演出は最高」が聞きやすいかと思う。アニメ好きの人だったら誰もが「あるある!」と共感しつつその語り口に笑えるはず。

萌えアニメに特化した回なら、

#93「アパート管理人になったら、どの部屋にどんな萌えキャラが住んでほしい?」

がツボを突きすぎててすごい。

ARuFa妄想の完成度が研ぎ澄まされていて、考えた幼馴染の名前が「ひなた あおい」、酒飲みのお姉さんが二階の部屋に住んでいる、ロリ双子などのダメ暴走っぷりに、オタクならば俺もこの会話に参加して~!と悶絶するはずだ。

同じアニメ系統だと、

#13「一度は言いたいセリフ『とにかく服を着てくれ~!』」

#89「さえないオタク眼力だけで不良をビビらせろ!『殺す眼』のコーナー!」

などがある。

さらに二人のトーク関係性がわかってきたところで聞くと最高に気持ち悪くて面白いのが、

#127「モテモテになるために『俺様キャラ』になってみよう!」なので、これは後の楽しみに取っておくことをオススメしたい。

既存作品商品から妄想する形式の、

#75「ちびまる子のクラスメートサバイバルした時の必勝法とは?」

#86マリオ主催する立食パーティに誘われたらどうすればいいの?」

#44「エナジードリンク、どれも同じ味じゃない?」

#35「決定!野原しんのすけ達と飲み会をする時に最適な席順」などは、それぞれの作品を知っているほどこんな語り方もありなのか、と興奮する面白さだと思う。

マックグリドルソーセージエッグショタキャラっぽいという話からARuFaが「レースのきん○ま袋」を想像して一人で勝手爆笑してる#103「マクドナルドハンバーガー友達になるならどれ!?」も、マクドナルドに行ったら思い出し笑いしてしまう内容。

オタク系以外のトークももちろんオススメ

二人の愛すべきダメさがよくわかる、

#31女子高生集団、後ろから追い抜くの怖過ぎ問題

#108「行かない旅行の予定だけを立てるとすごい楽しいね!」は、放課後友達グダグダ話を聞いている雰囲気楽しい

いい歳した大人2人が、理想友達について延々と話し合う様がシュールな#63「全人類から好かれる『最強の友達』を作り上げよう!」も傑作。

妄想で作り上げた恐山の友人に、ARuFaまでもが惹かれていく流れが楽しいしよく考えると異常だしでとても素晴らしい。妄想友達と4人で遊びに行くオチ恐山が見せるリアクションの巧みさにも笑った。

仲の良い友人がふざけあっている空気が満載、ついでに二人の演技力も満載の、#52「祝一周年!忘れもしない、あの日起きた大事件を振り返ろう!」もこういう系統楽しい

オモコロ記事に親しんでいる人なら、マンスーンがゲストで登場する、#118「モテるために自分の『ヤバい部分』を他人から指摘してもらおう!」が聞きやすいかもしれない。

ARuFaモテない理由を知人にアンケートし、その調査結果を元にARuFaをイジる内容。勝手にこんなことをすると恐山が「ARuFaさんにビンタでビン殺される」可能性があるため、年長者のマンスーンが参戦。オタク属性が強いためか、二人のトークスタイルにも一番馴染んでいるゲストでこの回もいい味を出している。

#77「ごめん!ARuFaお腹壊しちゃった!」も、お腹を壊したARuFa恐山トイレ越しに4、5分会話するだけのラジオで、いかにもオモコロっぽいテイストかも。

「なんなんですか本当に!もう帰りますよ」「いや帰んないで帰んないで、近くにいてくれ」「気持ちわる」等のやり取りが聞ける。

ARuFaの持つ能力の異常さが後半で判明する、#88「確信はないけど『恐らく自分が得意なこと』に挑戦してみよう!」もオススメ

本来存在しない「けいおん!」の曲を即興で作って披露するのだが、普通にクオリティが高すぎるし良い曲だしで何度も聞いてしまう。

他にも、ループものアニメでよくある演出動画に活かす回もあったりして、ラジオを聞き込んでいくとARuFaの芸達者ぶりがよくわかる。

母親が弟の○○○をARuFaランドセルに入れた話をヘラヘラ話すのも気が狂いすぎててやばい

これがタダで聞けるのは本当にすごいことだと思う。

1本あたり10分~30分程度で聞きやすいので、是非聞いて欲しい。

2019-01-04

anond:20190102063518

面白そうなので私も書いてみようか。東日本公立学校卒→東大理Ⅰのケース。

・家庭環境

電車は通っている、程度の田舎町。父は高校教諭、母は学校事務員、同居する伯母は小学校教師。そういう家庭だから学業に対する意識は高かった。

田舎町なので私立中学校などというものはなく、受験高校から

小学校入学

小学校入学からそれなりに頭は良かった記憶がある。特に算数が得意で、数の理解も早かった。

両親が共働きなので、朝保育所に預けられて、放課後は母の知人が預かってくれていた。この養母のような方には今でも感謝している。

小学校

選択肢も何もなく近所の市立小学校入学国語算数理科社会はまあオール5。伯母の影響で音楽の成績も良好。体育は3。典型的頭でっかちで、いじめられっ子になるという定番コース大人になってから「ごく軽度のADHDだったのでは?」と言われたことがある。

うちの小学校には、4年生になったら全員部活に入ること、という不文律があった。男子ソフトボールサッカー女子ミニバスケットボール合唱しか選択肢がない。4・5年生の間はなんとか回避していたが、6年生では避けきれずサッカー部に入部。運動が得意じゃなくコミュ障な上に「6年生なのに新入部員」で、部のしきたりも知らずあからさまに浮いていた。今から思えば入るもんじゃなかった、のだが、そういう「自分には向かない世界」を早く知ることができたとも言える。

自宅近くにそろばん塾があったので、小1の時に親の勧めで入塾。かなりさくさくと習熟して、市内の競技会(というものが当時あった)では上位の常連だった。但し、それなりに上達してくると飽きる悪癖があり、塾も徐々にさぼりがちに。小6で辞めた。お山の大将になるのはそれなりに簡単でも、世の中にはもっと上の人がいる、ということを子供心に知らされる。

運動が苦手なことを懸念した父により、同僚が運営に携わっている剣道同好会へ入門させられる。中3までの間、道場には週2回真面目に通ったが、練習は不真面目で大して上達もせず。

中学校

選択肢(ry)市立中学校へ。成績は相変わらず。部活動のバリエーションは増えたが結局のところほぼ全部運動部で、剣道部に入って万年補欠。帰りに学校近くの駄菓子屋ゲームやって帰ってくる生活

英語塾に行った他には学習塾の類は行かず、自宅での勉強のみ。この頃までは「学校で課された科目」だけ順調にこなしていたと思う。

高校はいわゆる進学校しか考えてなかった。地方の常で、歴史ある県立高校偏差値的な意味トップ私立すべり止め扱い。模試では毎回トップ争い。

受験すべり止め無しで本番一発。直前に風邪を引いて親は心配していたが、合格圏内には入った。

高校

進学校なので、近隣中学校の成績上位クラスが集まってくるため、何でもありな小中学校とはかなり雰囲気が変わる。校風リベラルで、校長先生もその校風に沿ったユニークな方だった。

部活動は管弦楽部に入部。やっと運動部の呪縛から解き放たれる。管楽器中学校ブラスバンド経験者が占めているため、素人必然的弦楽器担当ヴァイオリンを弾くことになった。相変わらず不真面目に練習して、東大でもオケに4年間在籍したがその後はぱったり。


2年生で文系理系コース分け。私は理系クラスへ。成績は高校でも順調だったが、伸び悩みも出始める。そんな頃に、部活の1学年上の先輩からの勧めでZ会に入会。当時の地方在住高校生で、難関大志望の人は大半が入会していたと思う。教科書レベルを超えた難問・良問で鍛えられた。おかげで授業中は講義スルー、ひたすら問題集を解くことに集中。部活後に家へ帰って夕飯を食べたら深夜までZ会に取り組む生活が続いた。

科目としては数学化学は得意で、トータルでは学年トップクラスだったが、物理が苦手で平均点+α程度。これはまずい、と対策…した筈なんだが具体的な中身を思い出せない。結局教科書に沿って、一番最初力学から復習したんだっけかな? 3年生になる頃までには苦手意識も解消。

中学生の頃からパソコンで遊んでいたので、大学最初東工大第5類を考えていたが、周囲からの「行けるなら上行っとけ」というプッシュで東大理Ⅰを目指すことにした。Z会にも東大コースがあるのでそちらを開始。模試は毎回A判定なので、これならいけるかなと。

センター試験自己採点は720点ぐらいで、足切りクリアできただろうと。当時の東大入試は、1次と2次の成績が1:4の比で加算されるので、ぶっちゃけ1次は足切りさえクリアできればオーケーレベル。(理Ⅲは知らん)

2次試験は、前期は東大理Ⅰ、後期は東大理Ⅰの出題形式ちょっと特殊なので、トラディショナル形式京大工学部受験することにした。大学受験私立すべり止め無しの舐めプ

初日に、得意な筈の数学で大問6問中1.5問しか解けず「これはやべぇ」と焦る。理Ⅰ合格ラインは2.5〜3問。残りの化学物理英語で取り返すしかないので、宿に戻って総復習。幸い2日目は好調普段よりよく出来た感触。かつて苦手だった物理もきっちり得点源にした。

結果、現役で一発合格

・その後

地方お山の大将は、東大生の一部であるスーパーマンを見て我が身の程を知るわけで。いろいろあってどうにか卒業就職してエンジニアやってます

受験生の人は、なんだかんだ言ってもやはり王道は反復練習なので頑張って。大学に入るとがらっと世界が広がります

からないことの共有

私はライフステージが破茶滅茶人間だと最近自覚した。発端は高校生だと思う。多感な時期に友達を作らず、でも成績はまぁまぁ良く過ごして高校生特有友達放課後寄り道だの、制服ディズニーを過ごさず生きた。高校生特有バカなことも本気で馬鹿なこと思ってたからやらなかった。

みんな将来何になるとか全然考えてなくて話が合わなかった。あくま高校は通過点で社会生活の方が長いから、将来のために何かしらがないと駄目だと思ってた。なんてのはただの言い訳で、今思うと私の方が変な高校生だった。

専門学校に行ったんだけどそこから完全に境界線障害になって、人間好き嫌いが激しかった。全員嫌いな人間だったね。

何が嫌いって、わからない問題点をみんなとわからいね〜って言い合うだけの状況が多々あり、苛々した。解決しないままずっと過ぎてく無駄時間が大嫌いだった。なんで解決しないで平行線のままでいるんだと私はずっと思っていた。狡いことに、私の職種は姉と一緒で姉に聞けば大抵の疑問は解決されていたので余計に答えがある問題になぜ?という気持ちが強かった。

今思うと、そのわからいねという時間他人と共有することに意義があったんだろうなと思う。人と共有して初めて受け入れて進めることもある。みんな答えが必要なのもわかって、でもわからないということを咀嚼し、どんなことがわからいかを見極めてた。その時間を仲間と先に共有することが大切なのもわかってたからそうしてたんだと気がついた。

気づいたのは最近。25歳になってからだ。遠回りがバカみたいだと思ってたんだよ。最短で成し遂げたいと生き急いだら境界障害になってて、果ては人間不信になってた。他人とのなにかの共有は見透かされそうで怖い。

友達が居てもすぐに気に入らないことがあると上手くいかなくなって、全然連絡取らなくなった。高校生からそんなんがあって3ー4回は繰り返してる。専門学校時代仲の良かった友達からあなたはいつも0か100しかないよねと皮肉を言われた。そこの子とはもう連絡もとってない。そんなことを今も繰り返してる。

私は合理的って言葉が大好きで、何かわからないことがあれば年上に聞くことが専らだ。身近な年上は姉であり、両親。ここら辺に何でも聞けば何でも答えてくれた。だからからないを共有しなくても答えがそこにあって安心出来た。疑問だけの答えがない共有は私にとって無意味で無価値ものだった。正解か不正解かが私にとって価値のあるものだった。

でも、答えを出すのは簡単だって世の中言うけどその通りで、答えばかり知った過程のない馬鹿脳みそ同級生と考えることを共有することを忘れた。

形のないものの共有こそが仲間意識を生み、他人の心を開くものになる。でもこれを実感として発見したんじゃなく、後輩同士の会話で気がついた。まだ実行出来てない。他人を見るとわかるが、自分に置き換えるとやったことないことなのでクソ難しい。だから今はわからないの共有ができるように会話のトレーニングを日々積み重ねてる。エアーで。ひとりで。妄想で。いつか同い年の友達がたくさん出来るように…。

2019-01-03

理三受験の思い出

anond:20190102063518

こういうの書きたくなるね。自分が頑張ったことは思い入れがある。

微妙に書くところ間違えたので投稿しなおした。


小学生

関西田舎の町立小学校に通っていた。友達がみんな塾に行っていたのが楽しそうだった。

「僕も行きたい」と親に言ったことがあったが、なぜか断られた。

自分が子を持った今なら分かるが、3人目の私にお金をかける余裕がもはやなかったのだと思う。家にはアップライトピアノがあって姉が習っていたが、自分は習いたいと言ってもお茶を濁された。


父は会社勤め。ホームレス気質天才タイプ。母は専業主婦。真面目な秀才タイプ。親は教育に興味が無いわけではなかった。むしろかなり意識的独自戦略のようなものを持っていたと思う。

小6の夏休みに入ると、「レベルの高い学校に行くとめちゃくちゃ楽しい」などと、うまいこと母に言いくるめられて中学受験を決心した。


「力の五千題」とか「自由自在」を各教科買ってきて、夏休みに二回ほど通した。なにかババのようなものを掴まされたような気もしなくもなかったが、面白かったので続けた。

からは応用問題集、冬になると過去問をやった。模試は受けなかった。「自信を失わせたくなかったから」とあとで母から聞いた。どういう意味だ。

私立を2つ受けてどちらも合格した。ちなみに、受験直後の自分感触としては98%落ちたと思っていた。未だに謎である


中学生

中高一貫校寮生活が始まった。

強制的勉強する時間毎日3時間あった。小学生の頃とは比較にならないほど学校の授業を面白く感じたので、予習・復習をやった。みんながやっていたので、ラジオ英会話を毎朝聞いて、テキストを暗記した。完璧発音テキストの会話を一人で完全再現できるようにしていた。一年イギリス人先生普通の会話ができるようになった。
中学3年生のときに、全員がZ会模試を受けることになった。はじめての模試で超わくわくした。総合で全国100番位だった。初めて自分立ち位置を知った。思ってたより良いという感覚。でも同じクラスに全国一桁台とかが普通にいた。


音楽室に個室のピアノ部屋が5台分あった。昼休みにほぼ毎日通ったので、結構弾けるようになった。今考えると異常な環境である音大かっていう。親友ピアノが超すごいやつがいた。ヤマハをずっとやってきた人で、聴いたら即弾ける、ハ長調譜面初見で見て変ロ長調で弾ける、メロディを見ると即座にステキ伴奏を思いつく、など。理解不能であるピアノをメインの楽器にするのはやめようと思った。


高校生

下宿に移り、自由になった。学校以外で勉強しなくなった。暇なので、絵を描いたり生徒会をやったりピアノの人などを誘ってバンドをやったりと、生活を広げ始めた。

授業中に予習復習などすべて授業を聞きながら終わらせたので、成績は特に落ちなかった。

こういうことを書くと、舐めてるとか自慢とか思われるわけだが、違うんだ。

自分なりに一番効率が良い方法を追求していた。授業中に寝て、家で数時間独自勉強するみたいな非効率的なことはしたくなかったのだ。

授業は120%の集中力で聞く。それでも時間が余るので、次の予習をしたり、問題の別解を考えたりしていた。家で半徹夜で何時間勉強している人たちよりも結果的に長時間勉強していたと思う。だって毎日9時から17時まで勉強していたんだもの毎日7時間くらい集中して勉強しているのに、「増田勉強せずに成績が良いな」みたいなことを言われてたのは未だに納得がいかない。


高2で東大模試を受けてみると、理三以外はすべてA判定だった。理三だけが完全にE判定だったので、「は?しばくぞ」と思った。
なんかの奨学金アメリカにただで行けた。夏休みの一月まるまるESL漬けで楽しかった。自分英語力はあんまりしたことないと気づいた。同級生アラブ皇太子とかトルコ首相の息子とかがいた。そういうのも自分には無い。


高3になって流石にクラス空気も変わり、自分放課後勉強するようになった。小学生の時は夏休みから半年でなんとかなったけど、さすがに東大一年位はやらないとやばいだろという感覚があった。

一学期にあった駿台統一模試で、英数国の三教科の偏差値が80を超えていた。一方で、本来好きな理科がボロクソだった。準備不足を痛感して夏休みに強化することにした。


・高3夏休み

化学生物だった。教科書はさすがにすべて頭に入っていたので、いよいよ応用問題週に手を出すことにした。東大過去問をちら見すると、化学の出題の半分くらいは似たような問題しか出ないことがわかったので、同じ問題を何十回も解いた。滴定とか。30分かかって6割しか正当でいなかったところから、5分で100点の回答ができるようになった。時間が余るので、初めて見る問題ゆっくり考えられて便利。生物は、問題文に答えが書いてある。

一方で、わりと大丈夫そうな主要三教科は、根本的なところをやることにした。

数学

チャート式などは数冊終わっている状態大学への数学をひたすら解く。新しい問題は、ひたすら考える。未知の問題に解法の方針を立てる練習

英語

TIME誌を定期購読していたので、毎号気になる記事を一つまるまる訳してみる。超大変。NEWSWEEKにすればよかった。のだが、一年定期購読してしまったのでやるしかない。んで、訳したあとは要約を英語で書いてみる。ラジオ英会話ビジネス英語までランクアップしていた。正直東大受験ではこのレベルリスニングスピーキングは当時必要なかったので、聞き流していた。ハマっていたのはパーソナリティの訛りを真似すること。

国語

Z会小論文をやっていた。元来文章がそんなにうまくはなかったけれど、読むのも書くのも好きだったのでこれは半ば趣味結果的200字作文に多少役に立った。


・高3秋

9月学校最後イベントがあり、燃え尽きた。勉強は2ヶ月ほどお休み。焦りはなくはないが、みんなそれで合格するやつは合格するっていう先輩の像を見てきている。今回は自分がそれをやるほか無いという感覚。流石にバンド解散した。


・高3冬

10月から2月まで5ヶ月もある。


センター試験

英語198 

数学191 まさか満点じゃないとは。世知辛い東大理系はわりとこういう感覚だと思う。

国語167 古文漢文論説は150/150。小説めっちゃ間違えた。こういうこともある。

化学100 

倫理93  一応、山川倫理用語集を3回くらい読んだ。手抜き教科のつもりが、哲学に興味が芽生えた。大学に入ってから哲学系の本をたくさん読んだ。自己形成に大きな影響を与えた。人生何が大事わからん

合計

前記749/800

後期489/500

センター試験

ようやく赤本に取り掛かった。感想は、英語簡単すぎ、数学難しすぎ、国語意外とお得、理科けっこう簡単

というわけで薄々気づいていた数学不安定さと、国語のお得さに焦点をあてる。数学が0点でも受かる謎の計画をたてる。国語最後の一ヶ月だけ、古文漢文個人先生に習った。

ちなみに東大模試は3社2回とも全部受けて、最後を除いてすべてE。でも成績は徐々に上がって最後だけはC判定だったので、本番の頃にはB判定くらいになってるんじゃない?と思っていた。


・本番

当日はなぜか20時に寝て、25時に覚醒し以後眠れないというアホなことをした。

ただ全く寝てないわけでもないし、ただ少し眠いだけなのでやるしかない。


 点数非公開時代なので自己採点

国語 60/80 ほぼできた。

数学 40?/120 難しすぎ0完6半ワロタ。。1完だと思ってたのに、弥生門を出たところで配ってた駿台の速報を見たら計算ミス発覚。かなり暗くなったが寝たらわりと忘れた。

生物 50/60 多分まあまあできた。

化学 55/60 多分ほぼ間違えてない。

英語 120/120 まじで満点じゃね?と思った。

合計 325/440 数学が0点でもギリ受かるかも?と思った。

・発表当日

赤門から会場へ向かうと、のちの上クラになる姉が向こうからやってきた「あ!○○ちゃん、受かってたよ!」

弟に「ちゃん」づけはまあしょうがないとして、俺が知るより先に結果を言うなよ。未だに恨んでるぞ。

合格してから

家賃が安いという理由三鷹寮に申し込んだのだけれど、その書類を集める際に親の年収が600万であることを知った。そりゃ無理だわ、塾もピアノも。ちなみに中高は奨学金もらってた。それでも親は教育のために借金してたんじゃないかな。決定的に計算が合わない。ちなみに三鷹寮は生活費が安すぎて家庭教師バイトだけで異常に金持ちになった。楽器を買ったり海外旅行に行ったりした。ヨーロッパまで6万円で行けた時代である。さておき、感覚としては、医者になってまともな収入がある今よりも、当時は自由に使えるお金があった。人生まじで謎である

おじさんもなぜか未だに人生謎のままに頑張ってるけど、受験生の皆さんも頑張ってね。

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