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2017-09-22

留学から帰りたくない

帰りたくないよ〜!!!

ニュージーランド天国だもん

せっかくなのでいいところをあげていく

ひとつ自由

授業中スマホ触ってても音楽聴いてもOK飲食OK みんな自由に喋ってる 私はよくりんごを丸かじりしてる それでも無秩序って訳じゃない 静かにする時はちゃんとする

ちなみに染髪ピアスタトゥー化粧オールオッケー スカートの長さも自由(宗教上の理由もあるため)スカートズボンマオリ(ニュージーランド先住民)の衣装が選べる 友達イスラム教徒女の子はお洒落ジャケット着て、ロングスカートヒジャブ巻いてばっちり決まったメイクして鼻にピアス開けてるんだけど たまんない

ふたつめ ご飯が美味しい

普通に美味しい 特にラムチョップが最高 日本食寿司しか無いのとその寿司寿司とは呼べないシロモノ(カルフォルニアロール、握りはサーモンオンリー照り焼きチキン酢飯の上に乗っかってるだけとか)だということ以外はいい でも太るね

乳製品うまい

みっつめ 授業が撰べる

時間割必須科目(英数理)と好きな科目3つの計6科目を1日5時間でローテーションする この好きな教科っていうのがムチャクチャある 農業園芸演劇、木工、服飾、工業、保育、体育、歴史美術ダンス料理もっといっぱいある 書ききれない しかも全部個別教室があり、授業内容はハイレベル(普通公立高校なのに) 私は体育の授業でボルダリングをやってる めちゃくちゃ楽しい

よっつめ 人種差別が無い

会ったことない 以上

いつつめ 美人が多い!!!(男女共に)

多い。白人黒人アジア人ヒスパニック系に中東マオリ族多種多様な生徒達 みんなスタイル良くて大人っぽい そしておっぱいが大きい…羨ましい

むっつめ すぐ帰れる

授業が終わるのは3時 皆終わったらダッシュで帰る 放課後残るとかない 教室ちょっと喋ってるだけで帰らないの?と聞かれる クラブもない(あるけど練習せずに試合だけとか) 先生もすぐ帰る 学校の近くに寄れるところがないので健全帰宅する

ななつめ 人間関係に疲れない学校構造

ホームルーム教室がない 毎時間が全員異なった移動教室の為一緒に行動する人とかいない さっきも書いたが好きな授業を選択する為必然的趣味が合う生徒とよく顔を合わせることになる スクールカーストを作ることが出来ないつくり ロッカーもないしカツアゲもない ケンカはたまにある

やっつめ フレンドリー

みんなやたらフレンドリー スーパーレジ店員とか普通にしかけてくる(どこの国から来たのー、ニュージーランドはどう?とか) 学校でひとりでいても何かと話しかけてくれる 不良っぽい人もなかよくしてくれる(会うたびにハイタッチしたりハンドサイン?ピシガシグッグッみたいなのをしてくれたり) 困り顔でうろつくだけでどうかしたのかと声をかけてくれる

ここのつめ ゆったり

ざっっくり言うと北海道四国を取った日本に五百万人が散らばっているようなものなのでスカスカ ゆえに全てが広くゆとりがある いいことだ 映画館座席も広かったぞ 体型もあんまり気にしないね

とお 緑が多い

今のところ見たことのある家は全部庭付きだ ていうか建物がないから緑が多い 見渡す限りwindowsの画面みたいなのが続いたりもする 景観が綺麗だし自然を大切にする国民性 あと柵が大体木

とりあえずこんなもん?

2017-09-15

今までたくさんのフラグを折ってきた感想

神のみぞ知るセカイ」を読んで、「たくさんのフラグを折ってきたけど、もし一本でも回収できてたらいまとは違う人生が歩めていたんだろうな」と思う。

授業中にストラップをくれた。机の中に「放課後体育館裏で待ってます」とかかれたメモが入ってた。「あなたのことを気になってる友達がいる」と言う話をしていて、気がついたらその友達の家にいた。

生徒総会の時、隣に座った知らない子と初めから終わりまで話続けてた。机に座ってたらなぜか目の前で着替え始めたり、上からわざと圧し掛かってきて胸を押しつけてきたり・・・

まだまだある。全て内容まで書き始めたらかなり読み応えのある作品が出来上がるだろう。上下巻で出せる自信ある。

暇つぶしにやってみようかな。読みたい人いるのかな。

2017-09-14

評判イマイチアニメ映画観たらピンポイント直撃を食らい時が飛んだ

子供の頃、大好きな女の子がいたんだ。

俺はあの子のことが、本当に、本当に大好きだった。

でもあの頃はそれの正体がよくわからなくて、なんて言ったらいいのかもよくわからなくて、結局、俺は最後まであの子自分気持ちを伝えることができなかった。

中学1年の夏休み、あの子は家庭の事情で突然住んでいた街から引っ越していくことになって、終業式の日に教室で見た姿があの子についての最後の思い出になった。


あれからずいぶん時間が経って大人になり、人生の大きな選択みたいなこともいくつかあったけれど、事あるごとに「もしも」「あの時ああしていたら」というようなことを考えることがあると、真っ先にあの中学1年の終業式の日のことを思い出すんだよね。

あの時、あの子に「好きだ」と言えていたらって、その頃の中学1年生によくありがちっぽい、そんなささやか出来事を考えてしまうんだよ。

別に、もしそのもしもが叶っていたとしても、きっと何も変わらないんだとは思う。あの子は何も変わらずあと何日かしたら遠くへ引っ越していくし、そのあと何ができたわけでもないんだろう。でもあの時、俺はあまりに幼くて、かっこ悪くて、無力だったよ。

の子小学校の真ん中くらいの時に転校してきて、それからずっと同じクラスだったんだ。

まり女の子友達がいなかったけれど、あの子とはその時からとても気が合ってよく一緒に遊んだ。俺の小さな世界にいる数少ない女の子だった。

きりっとした綺麗な顔立ちで、ちょっと気が強くてお姉さん肌の明るい女の子だった。実際、同級生だったけどほぼ1年誕生日が早かったあの子はいつも少しだけオトナで、俺はよく背伸びをしていた気がする。それこそ13歳のとき奥菜恵みたいな誰から見ても完全無欠な美少女、というわけではなかったとは思うんだけど、間違いなく、俺にとっては世界で一番の女の子だったんだよね。

そうこうしているうちに中学生になったんだけど、入学式に行って最初確認したのは、あの子がどこのクラスにいるのかだったのを覚えている。

の子は俺と同じクラスだった。その頃地域マンモス校だった中学校で1学年9クラスもあるのに、同じところに一緒に名前が載っていて、嬉しかったのもあるけど、なんだかとても安心してしまったのも覚えている。ああ、これから不安もあるけど、きっと、2年生になっても、3年生になってもまた一緒のクラスになるんだ、なんてなんとなくぼんやりと思ってた。

1学期の間、あの子とは隣同士の席になった。なんだろう、子供だった俺はその状況に満足して、当然のように思って、そしてそれ以上何かをするということは無かった。学校に行って、好きな漫画アニメの話なんかを話して、ずっとこの席にいられたらいいななんて思ってた。

俺があの子のことが好きなことは、おそらくクラス中にバレていた。同じ小学校から来た友達もいたし、何より俺がずっと隣の席を見ていたからだ。

でも、そんな日は長く続かなかったんだよね。

あと一週間で夏休みだ、となった7月の半ば、俺はあの子の様子がなんとなくおかしいことに気づいて、とんでもなく不安気持ちになっていた。

急に態度が冷たくなった、とかそういうことは一切なくて、その逆のことが起こっていた。終業式の数日前からいつになくいろんなことを話しかけてきた。初めて会ったころのことや、小学校林間学校ときのことを話した。何か、とても嫌な予感がした。

終業式の前の日の放課後に家に帰ろうとしていると、掃除当番だったあの子が後ろから

掃除、一緒に手伝ってよ!」

と言い、俺のシャツの裾をギュッと掴んで引っ張った。

一瞬時間が止まった気がしたよね。あの感触を、今でもありありと鮮明に覚えている。

絵に書いたようなお約束少年だった俺は、たぶん嫌だよヘヘーン、みたいなことを言って、あの子から逃げた。

クラスの他の女子からなんかヒューヒューと茶化された。廊下に出ると、心臓バクバクしていた。

俺は教室の前の廊下で前の入り口と後ろの入り口の間を5往復くらいウロウロして、やっぱり教室に戻れなくて逃げるように帰った。

そんな日々はその次の日に、映画みたいな出来事もなく、あっけなく終わった。

終業式のホームルーム担任先生はあの子を黒板の前に呼び出して、突然ですがご家庭の都合で転校することになりました、と紹介した。

本人の希望があって、今までお知らせしていませんでした。


なんとなく薄々様子がおかしいことに感づいていたから、動揺はしなかった、フリを全力でした。

の子のことを見ることができなくて、礼が終わった瞬間隣の教室にやっぱり逃げるように入った。特に用事は無かったのにね。頭が真っ白だった。

隣の教室でぐだぐだしていると、小学校とき一緒のクラスだったちょっとおませなお節介焼きの女子がやってきて、俺を見るなりあんた何やってんの、あの子にちゃんと自分気持ち伝えて来たんでしょうね?ちゃんと告白してこいよ、後悔するぞとかなんとか言いやがった。12歳の世界において、女子男子よりもだいぶオトナだと思い知らされたね。

その時俺が口走った言葉を思い出すと我ながらひどすぎて死にたくなるんだけども、確かこんなことを言った。はぁ!?ばっかじゃねーの!?やめろよ、そんなんじゃねーよ。

って、漫画かよ。今でも死にたくなってくるよ。

でも、それもそうかとなんとか思い返して、人影もまばらになってきた自分教室エイヤーと戻った。

この日が最後だったあの子は、まだ教室にいた。

が、それとあと2人くらい、普段まり話したことのない女子が何やら残念だねと話していた。

そこで俺は黒板の前にバン、と立って、ちょっといか今日は俺と一緒に帰ろうぜ!

と言い放つ妄想をあとから何度もしたのだけれど、現実の俺はそんなことはなくて、2人の女子に怯んでまた廊下に出てしまい、やっぱり前のドアと後ろのドアの間をウロウロウロウロとしていた。

そうしていると、友達が通りかかって、何やってんの帰ろうぜ、と言った。

お、おう、そうだねみたいなことを言って、学校を出た。

それが、あの子を見た最後だったよ。


帰る途中、意味もなく遠回りをした。また、とんでもなく受動的なバッタリに一縷の望みを掛けていた気がするけど、すぐに忘れようともしていた。

その友達が、ああそういやあの子転校するんだろ?と言ってきた。ああ、そうみたいだね。と答えたら、ふーん、と返ってきた。そいつになぜか無性に腹が立った。彼は別に何も悪いことしてないんだけども。

歩きながら、無理やり色々なことを考えて納得しようとした。そうだよ、そんなどうせあと何日かでいなくなるのに、今更何か変なこと言ったって迷惑だ。俺の自分勝手だ。そうだ、どうにもならないんだから、何も言わないのが正しいのだ。だから、これでいいんだ。とかなんとか。

映画を観ていたら、アタマがあの頃に飛んでいた。

何もできなかった。あまり子供で、勇気が無くて、情けなくて、後悔とも無念ともなんとも言えなくて、ほろ苦いというか、苦かった。

あの時こうしていれば、って何度も何度も繰り返して、何パターンものルート妄想した、そんな10代の時間だったよ。

大したことじゃないってことはわかってるんだよ。誰にだってあることで、よくあることで、ちっぽけなことだよ。

でも、12歳の心の風景っていうのはとても、とても不安定ものなんだよね。オトナでも子供でも無くて、気持ちだけそこにあるけれど、どうしていいのかわからないんだよね。イマドキの中学生はまた違うんだろうなっていう気もするのだけれど、少なくともあの頃の12歳はそんな感じだった、きっと。

別にとんでもない大事件なんか起きなかった。宇宙人も、未来人も、超能力者も出てこないし、況してや隕石が落ちてくるようなことなんてないし。

でも、12歳の世界にとって、好きな女の子に「好きだ」って言えるかどうかっていうのは、時に隕石が落ちてくるよりも大きな問題だったりすることもあるんだな。

あの頃の、あの「純度100%の『好き』のカタマリ」って一体なんなんだろうな。

なぜそうなのかという理由も問わず、えろい下心もなく、ただただ純粋な何かだった。あの頃のあれと同じ気持ちって、一生戻ってくることは無いんだろうな。

そんなことを考えていた。


インターネットの普及した現代のせいだ。俺はムクムクと出来心が湧き上がって、ついFacebookを立ち上げて、検索窓にあの子名前入力してしまった。

便利な社会残酷だ。もの10秒だった。この長い長い時間は何だったんだっていうくらいあっという間に、あの子がそこに存在しているのが見つかった。

どこからどう見ても、間違えるはずもなく俺が知っているあの子の顔がそこにあった。

あの時の歳の何倍もの時間が経って相応の歳の女性になってはいたけれど、変わらずちょっと気が強そうな美人だった。

その写真を見て、今まで薄々感じながら自分に気づかないフリをしていたことにやっぱり気づいてしまった。

俺はどうやらその後の人生において、好みのタイプだとか、好きな芸能人だとか、そういった気持ち基準が、すべてあの子になっていて、いつも面影を追いかけていた。


の子は、独身だった。

からだっていうことはない。

そんなことをしていたらハッと我に返って、今度はとても自分気持ち悪くなって、そっとその画面を閉じ、Facebook検索履歴を消した。

子供の頃、初めてあの子の家に遊びに行った時に一緒にコースを作って遊んだエキサイトバイクのプイーンというBターボの音と、出してもらった麦茶の味と、あの日グイッと引っ張られたシャツの裾の感覚がぐるぐると回って、それからゆっくりと消えていった気がした。

もう、検索することはきっと二度と無いだろう。


そんなこんなで挙動不審になりながら「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を3日連続で観に行こうとしていたら、今年中学1年生の息子が、あーあれ俺も観たいんだ、一緒に行くわとかなんとか言ってついてきた。

映画を観終わったら、息子が

「何だよ、めっちゃいい映画じゃんか。何で評判イマイチなんだよ。俺すげー好きだよこれ。」

と言った。


オッケー、わかったよ。

君がそういうなら、俺はもう、それでいいよ。

2017-09-13

anond:20170913204643

中学3年生のころ、学校行事クラス対抗水泳大会があったんだ。。

クラス内で誰がどの種目に出るか決めて、放課後の限られた時間練習してたんだけど、

本番当日、なんと、クラス女子20人全員が生理になって出場できなくなったのです。

担任大杉先生(女)は、パンツ脱がせて調べるぞと怒ってたけど、誰も自白しなかったので、結局、全員出場辞退。

男子けが競技に参加して惨敗した。

たぶん、ホント生理だった女子もいたと思うんだけど、やっぱりずるいよなぁと思ったよ。

2017-09-07

SNSファン交流すればするほどファンSNSもやめたくなる

SNSファン交流すればするほどファンSNSもやめたくなる

近年爆発的にSNSが普及した。

好きなものが同じもの同士でつながりやすくなり、そこでできた友達感想を語ったりする生活が楽しかった。

しかファンが嫌いでファンをやめたくなった。

自分が好きなのは金銭さえ発生しなければ創作活動に寛容な某グループだ。

自分も少しながら絵を描いていたのだが信じられないくらいちやほやされた。

なにをかいてもなにをしても肯定され、褒められる。承認欲求が満たされるってこういうことなのかと自分も思っていた。

そうして出来上がるのは、ファン内ではそこそこ影響力のあるファンだ。ファン同士での優劣が発生する。

彼らはただのファンでありながら、他のファンを仕切り意見を述べる。

みんなが賛同し、従い、貢ぐ

チケットが取れなければ「絵をかいている」ことを武器チケット探し、ライブへ行く。

買えないグッズがあれば他のファンが代わりに買ってくる。

気に入らないことがあれば一言いえば一緒になって周りが相手攻撃する。

いつしかそれが当たり前となり、SNSにはそういう人たちばかりになった。

そうして、ずっといた純粋に某グループが好きだった人たちは現場を離れ、SNSをやらなくなってしまった。

グループが好きなことには変わりがない。SNSをやめるのが一番なこともわかっている。

しかしもう以前のようなみんなが同じように好きに語り合える、放課後教室友達と駄弁るようなそんな場所はなくなってしまった。

その事実が、ただただ悲しい。

2017-08-30

あめだまに救われた話

9/1は子供自殺が増えるらしい

そんな記事を読んで人生で唯一自殺してしまおうかと思った時のことを思い出した。

人間関係家族関係勉強もそこそこ上手くいっていた中学生時代、ある、本当に些細なことをきっかけに先生から激怒された。呼び出されて廊下で、びっくりするくらい感情的に怒鳴られる。学年が静まり返って私を見ている。そんな経験がなかった私はかなり怯んだし、辛かった。

その後1週間ほど、毎日放課後、最終下校まで2時間、3時間、その先生を待ち続けたり、怒られたり、他の先生からなぜか謝られたり、怒られたり、そんな日が続いていた。

怒られたことは正直、教師になった今でも納得がいかないようなことだ。私だったらあん指導絶対にしない。なのに、クラス担任先生迷惑を掛けていることが情けなくて、申し訳なくて、こんなくだらないことに毎日時間もかけなければいけない中学生という身分が嫌で、こんなやつが人を教育する立場にある社会すら恨んでいっそ死んでしまいたいと思った。私が死んで、社会にこのことが出て何もかも変わればいい、先生は一生それを背負って生きていけばいい、そんな風に思っていた。

そんな学校帰り、塾に行くために電車に乗る、いつも使う馴染みの駅、馴染みの駅員さん。ホームに降りたときに通過した快速電車無意識の中ですーっと吸い込まれるような感覚があった。

ホームには私1人だけ、なぜかいつもと違うところで電車を待つ。何も考えずにぼーっと電車に待つ。乗るつもりなのか、飛び込むつもりなのか自分でも分からなかった。

そして肩を叩かれた。いつもの駅員さんだった。

いつもお疲れ様。がんばってね。

そんな言葉笑顔と一緒にあめだまを手に2つのせてくれた。

意地になってずっと泣いてなかったのに、涙がでた。

中学校の中の世界しか見ていなかった私はこんなに優しい大人もいるんだ、と思ったのをよく覚えている。

駅員さんはすぐに業務に戻ってしまったけれど、ホームの寒さとは真逆に心が本当にあったかかった。

奇しくも私は教師になった、あんなに恨んで教師になんて絶対にならないって言っていたのに人生ってわからない。

教師であってもなくても、その行動でひとことで救われる子どもはいる。その自覚を持って、あめだまをあげられるような大人になりたい、そう思います

2017-08-26

学校しんどい

夏休み最終日。白い計画表と格闘するのが嫌になったので心のモヤモヤを文にしてみる。

どうせ恒例のありきたりな学生の戯言だ、と思う人もいるかもしれないが、私は本当に学校しんどい特に理由があるわけではないが漠然と、学校行きたくないと思ってしまう。

自分で書くのもあれだが、クラスでは真面目なほうだ。特に嫌われてもいないはずだ。運動は出来ないが勉強はそれなりに出来る。委員をやっていてその友達や一緒に登校する友達趣味アイドルという点で仲良くなった友達などがそれなりにいて、他の人から見たらあまり不自由ではないかもしれないが、とにかく学校行きたくない

大きな一つの理由担任先生だ。私の学校は、進学校という程ではないが、県内でそこそこに有名な学校先生若い方が多く、羨ましいと言われることもある。

若いからこその空回りがどうにもこうにも心に刺さるのだ。今年の担任は、女の先生だった。学年でも嫌われていて、評判が良くない。その名前を4月に見たときは、膝から崩れ落ちた。あぁ、私の最後の1年は終わってしまったなと思った。

それから約5ヶ月。先生へのイメージは悪くなる一方だ。まず、生徒への贔屓が激しい。お前が好きなそいつは本当は性格悪いんだぞ。知ってるか??エゴが入るが私はそいつに嫌われていて、死ねとまで言われるのに、〇〇くんはこんなスゴイのに〜って言われるのが不愉快でならない。

もう1人の委員が好かれているのも心が苦しい。なんで私だけ、ともともとメンヘラの気があるの私の被害妄想が強くなってしまう。

それと自分で言ったことをすぐ忘れるくせに、その責任押し付けてくる。だから他の先生距離置かれてるんだよ。

とにかく、この1ヶ月の夏休みだけは先生の事を忘れようとしたが無理だった。見学に行ったところで同じような先生を見るだけで夢に出てきてしまう始末。暑中見舞いは見るだけで吐き気がするので破り捨てた。親には返信出したよと嘘をついてしまったがあんな人に出すわけがない。計画表も、見るだけで色々なことがフラッシュバックしてしまってひと月ずっとしまっていた。

あの人の存在が、あの人いるだけでつらいのだ。けれども、立場上怒られたり認められなかっただけで泣いてしま自分もいる。はっきり、あんな人に認められなくていいんだと思えたらどんなに楽だろう。どうせ後期も私は委員をやるのだ。それで怒られてまた嫌になるんだ。

この5ヶ月で結構泣いた。もう無理。この環境に身を置くだけで、あの先生に会うだけで、学校のことを考えるだけで嫌になってしまう。

休めばいいのでは、と言われてもそう簡単ものではない。逃げも必要〜と大人は言うが、世間は以外と子供の逃げを許してくれない。

私は今までなんとか頑張って学校に通っていた。なんと今のところ皆勤だ。すごい。それもあってか、あんな奴のせいでこの流れに傷を付けたくないと変なプライド邪魔をしているのかもしれないが、、、

今、同じクラス不登校の子がいる。単刀直入に、私はその子のことが嫌いだ。委員ということもあってか修学旅行で同じ部屋にされたのだが、だからお前学校にこれてないんだろ、と言いたくなることが多々ある。私自身が、だめだなぁとおもいつつ、人の逃げを許していない。

なんでその子学校に来ただけで褒められるのか。こっちは顔も合わせたくない人がいる中毎日きてるんだぞ。それより毎日来ていない中少し来た方が偉いのか。それなら私も休んで時々放課後だけくるわ。自分でも支離滅裂なことを言っているのは分かっているが、人のことを考える余裕が無くなってきた。本当にいけない。

周りをみてみると友人関係も、そこそこにめんどくさそうだ。まだ周りの人に恵まれているだけありがたいと私は思っている。思わないとやっていけない。

でもしんどい。とにかくしんどい友達がいたってしんどい趣味に逃げてもしんどいし、周りに味方がいない気がする。

自分自身が真面目な人間の面を被ったクソみたいな人間なところもしんどいもっと素直だったら怒られても直さなきゃって思えるのになぁ。もっとクズだったら気にせずに1年を過ごせたのになぁ。中途半端な真面目クズ性格のせいでよりつらい思いをしている気がする。いっそどちらかに振り切りたかった。

この文章を書いていると、自分ダメなんだと思ってしまう。いや、ほんとに自分ダメなんじゃないか。本当に弱い人間だ。

どれだけ嫌でも月曜日から学校はある。残りの半年、私はどう耐えてけば良いのだろうか。

2017-08-24

競泳水着思ひ出

もう20年近く前のことだけど、高校の頃、クラスメイト水泳部女子が、プールの授業のとき部活で使っている競泳水着を着てきたことがあった。

たぶん、普通スクール水着を忘れたのかな。

今はどうなのかわからないけど、当時の競泳水着って薄かったので、乳首結構目立った。で、男子は大体見てみぬふりをしていたんだけど、俺はバカだったし、その子のことがちょっと好きだったこともあって、かなり見た。見まくった。

当然向こうにもバレてて、ちょいちょい目があったりもしたんだけど、嫌がるわけでもないっつーか、むしろ普通に見せてくれたというか。授業のあとにも何もいわれなかったし、嫌われたりとか、女子あいだで噂を流されたりとか、そういうのもなかった。

……ってなことを書くと、フラグが立ってたのかとかなんとかもしかしたら思うかもしれないけど、別にそれから卒業まで何があったわけでもなく。

っていうか、その子彼氏は同じクラスにいた軽音楽部のちょっと不良っぽい男だというのは有名な話だったりなんかして。

なんだったんだろうなあ、と夏になるとしばしば思い出してしまうのである

なお、高校時代の夏の一番エロい思い出は、部活休みの日の放課後に部室に行ったら、友達友達彼女(Gカップ)がふたりきりでいて、俺が入って行ったら何事もなかったかのように振る舞っていたけど彼女衣服めっちゃ乱れていたこと。どう見ても事後です、本当にありがとうございました

2017-08-22

生徒の成績に1をつけたことがある

https://anond.hatelabo.jp/20170821045503

中学校で5教科の1つを担当していた。成績は4つの観点評価(「関心・意欲・態度」「知識理解」「技能」「思考判断」をそれぞれA~Cで評価)によって定める教科だった。AAABなら5、AABBなら4、…、CCCBなら2、CCCCなら1といった具合に。
知識理解」以降はテストにより決まる。提出物や授業姿勢、教え合いで決まるのが「関心・意欲・態度」だった。

転任してきて最初の1学期、あるクラスで私は二人に1をつけた。エスケープもしない、毎回授業に出ていた生徒だった。でも勉強はできない。放課後に補習の機会を何度となく設けたけれど、テストの点数ははかばかしいものではなかった。「関心・意欲・態度」でCをつければ1になる。提出物も教え合いも評価できなかった。残るは授業姿勢。静かな二人だった。しかし、当てても答えがなく、机に突っ伏してしまときも珍しくない二人にうんざりしていた私は「C」をつけた。教科内で授業姿勢について議論したときも、他の教員から異論は出なかった。

終業式の日の午後、一人の保護者から問い合わせがあった。なんでうちの子が1なのか、とのことだった。翌日来校され、私は授業姿勢を記録したノートを見せた。これだけ寝ておられますので……と。寝ていたかなんて私が知るわけないのに。わからいから、私の顔を見たくないから、突っ伏していただけだろう。なのに「これだけ寝ておられますので……」と私は言った。しぶしぶながらも納得されて帰られた。もう一人の保護者は何も言ってはこなかった。

前年までの成績を確認すると、その教科で二人に1がついたことはなかった。二人はどれだけ傷ついたことだろう。あいつに1をつけられた!と今でも恨みに思っているかもしれない。それは当然のことだ。本当に申し訳なく思っている。

2017-08-21

ホモって何でデブが好きなの?

たまに東京放課後サモナーズというゲイ向けアプリ情報が流れて来る

キャラデブゴリマッチョ獣などが多く、こう言うのは男性向け女性向けではすげーニッチ属性なのにゲイ向けではメジャーだよなぁと不思議になる

特にデブ需要がこれだけあるのってホモ向けだけでは

何でだろう

2017-08-14

運動会などで組体操をやらなくなるというニュースを見て思い出した、中学生の時の話。

学年のうち、私のいた1組は真面目、3組は不良っぽい子や不真面目なメンバーが集まるクラスだった。

体育祭クラス対抗で得点争いがあり、組体操出来栄え得点に含まれていたので、うちのクラス男子は皆非常に真面目に放課後や空き時間練習をした。

女子見学だったが、殆どの者が練習に参加し、掛け声をかけたりして応援した。

練習時間外でも配置や姿勢相談し、クラスがひとまとまりになって、とても楽しかったことを覚えている。

対して3組はあまり練習をせず、サッカーをしたりお喋りをしたりで熱心ではなかったようだった。

体育祭当日。

1組は練習甲斐があって、難なく高度な技もクリア。タワーもピシリと美しく出来上がった。

3組はやはり、タワーなどはすぐ崩れてしまって上手くできなかった。

体育祭も終わりに近づいた時に、3組のクラス長が声を上げた。

「俺たち組体操ができなかったのが悔しいです、もう一度やるチャンスをもらえますか!」

3組のメンバー中学生日記登場人物のように、自分たちの熱意を声高に叫んだ。

僕達やれます!お願いします!もう一度チャンスを!!

その声を受け、3組にはもう一度トライする時間が設けられ、グラグラしながらもなんとかタワーを完成させた。

3組のメンバー学校関係者父兄は大盛り上がり。

体育祭は喝采のうちに終わった。

後日、なんとその話が”美談”として地方新聞掲載されたのだ。

不屈の精神、感動の物語として。

毎日こつこつ練習して成功させた1組より、なぜ3組が褒め称えられるんだ、不条理だと悔し泣きする私に、男子がこう言った。

ほとんど練習しなくてもタワー作った3組はすごいよ。

そんな新聞に書かれなくたって、練習しかったし、いいじゃん!

確かに、練習で掛け声を合わせて上手くできた時や、練習後に小遣いを出し合ってたこ焼きを買い食いした事、毎日本当に楽しかった。

何より当の男子は皆誇らしげにしているのが嬉しかった。

そんな懐かしい思い出。

ちなみにその地方新聞は、数十年経った今でも絶対に読まないようにしている(笑)

爽やかな男子と違って私の根性の悪さよ……

カワイイ研鑽する全ての者のために

最初に言っておくと、当方SideMを中心に活動している男性Pでシンデレラはにわかなので、シンデレラについても「カワイイ」についても的外れなことを言っている可能性があります。ご了承ください。

まぁ驚いた。カワイイである。とんでもなくカワイイ。びっくりするくらいカワイイ。何がってメロウ・イエローの3人と彼女たちの新曲、「Kawaii make MY day!」である。先行披露されたデレステ内のイベントは終了し、既にライブでも披露された今書くのも時期外れな気はするが、自分の中でカワイイの爆撃に散らばった語彙を拾い集めていたらこんな時期になってしまった。

カワイイ』ってなんだ?

それは永遠テーマである一般に『カワイイ』の言葉に付随するのは、幼児性だったり、女性性だったり、要するに自分のような成人男性が一番遠いものである

しかし、だからこそ考えなくてはならない。カワイイものが大好きだからだ。カワイイとは一番遠いから、そしてこの歳になって「カワイイものが好き」と言えるようになるまで遠ざけてしまっていた、諦めてしまっていたものからカワイイに少しでも近付くためにきちんと考えなくてはならないのだ。royal weにするつもりは更々ない。ただ俺の話である

ただ、カワイくなくて良い自由が誰にでもあるなら、カワイくて良い自由も誰にでもあっていいはずだ。

ちょい足しという言葉は深いなと思った。法子ちゃんはすごい。カワイイのに本質を突いてる上カワイイ。最強である。なるほど、カワイイは足し算の美だ。

カワイイ研鑽する全ての者のために」。こう書いたけど、本当は研鑽という言葉は少しずれている。『カワイイ』は足していくもの、『大好き』を積み重ねていくものからだ。

研鑽、研ぎ澄ます、つまり引き算の美は『美しい』の方が相応しい。美しい顔とは崩れたところがなく、余分なものを削ぎ落とした平均の顔である。完全な球形は美しく、また尖ったところがないので丈夫でもある。『美しい』は防御力なのである

対して『カワイイ』は足していくものであるカワイイものカワイイものを足していけば最強にカワイイものが出来上がるのだ。『カワイイ』は魔法で、攻撃力なのである

曲調こそ渋谷系だが、彼女たちが『カワイイ』を探す場所原宿なのも良かった。原宿系というファッションジャンルがあるけれど、まさにその根幹にある理念は『カワイイ』の精神なのだ

原宿系のファッションは、シンデレラガールズでいえば諸星きらりなどが例に挙げられるだろうか。盛り盛りのデコレーション、色味たくさんのパステルカラーフリルリボン彼女身長でも収まりきらないゆめかわいい。そう、原宿系とは『大好き』を一つも否定せず、盛りに盛って積み重ねていくファッションなのだ

原宿系の代表的アーティストきゃりーぱみゅぱみゅの曲『ファッションモンスター』にはこんな歌詞がある。「だれかのルールにしばられたくはないの」「鉄の首飾りをはずしてただ自由にいきたいだけ」

原宿自由の地だ。堅い校則から脱却し、なりたい自分、本当の自分メルヘンチェン……メタモルフォーゼする放課後。好きなものと好きなものを足したら最強。個性って最高!原宿系という文化は受容の文化なのである

しかしここで一つ、問題がある。先程「『美しい』は引き算」「『カワイイ』は足し算」と言った。美しいは平均に近付く美だ。しかカワイイは際限なくどんどん重ねていける。そう、終わりがないのだ。

ある人が「女子力は有る無しではなく高い低いでしか評価されない。天井なき成長を求められる残酷基準だ」と指摘していた。その話の本質ジェンダー論であったので今は置いておくが、カワイイも同様である。果てがなく、これが義務であれば苦しいだけだろう。

義務であれば!

イベントの時からほとんど確信していたが、先日ツアー感想とともにRTで回ってきた二番以降の歌詞を見て、やっぱり心配する必要なんてなかったのだと勝手に胸を撫でおろした。

別にモテたいわけじゃないんです

ただまっすぐ笑ってたいだけなんです

Cメロ歌詞である

誰かのカワイイ否定はしない(そんなことは絶対してはいけない)、しか自分カワイイ自分だけのもの、他の誰かに憧れようと、理想像とぴったり一致するわけではない。あの子みたいになりたい、だけど前髪はぱっつんよりアシメがいいな、ネクタイよりリボンがいいな……これもまたちょい足しである

即ち、なりたい自分になっても、それはそれが誰かから称賛されるものではないかもしれない。個性自由だが、自由責任もまた重い。

だけど、他でもない自分が創り上げた『カワイイ』のはずだ。

異性のためでもない!同性のためでもない!それ以外のためでもない!ただ、自分がなりたい『カワイイ』のために!

何故「最初はあの人に見てほし」いのか。あの人のためにカワイくなったから……ではない。カワイイ自分カワイイから見てほしい、ただそれだけなのだ(思うに「あの人」は彼氏ではない。精々、ちょっと良いなと思っている男の子である)

カワイイの道は果てしない。ゴールしたと思っても、まだまだ可愛くなれそうだと先は続く。見えない終着点を追い続ける旅は険しく苦しいかもしれないけど、その道は『大好き』が敷き詰められた素敵な旅路なのだ。だから彼女たちはガラスの靴で駆けていくだろうし、足を止めない彼女たちの笑顔こそが一番の『カワイイなのだ

結びに。『カワイイ』は誰のためのものだろうか。自分のため、は勿論である。では、『どんな自分』のためだろうか。顔の良い者だろうか。服飾のセンスが良い者だろうか。男だろうか。女だろうか。大人だろうか。子供だろうか。どれも間違いではない。なりたい『カワイイ』になるために歩む者は、みな『カワイイ』に受容されて然るべきだ。

故にこのタイトルは「カワイイ研鑽する全ての者のために」をとった。

要領の得ない話を最後まで読んでくださりありがとうございます。ついでにSideMの新アプリLIVE ON ST@GE!が事前登録数到達できるか難しいところなので、気が向いたらどうか宜しくお願いします。

https://prereg.bn-ent.net/common/serial.php?app=imas_mstage

追記:先日事前登録者数が目標数50万に到達いたしました!ご協力いただいた全ての方にいちPとして感謝いたします。315プロ並びにとっても可愛くてプロ意識の高い元子役ユニットもふもふえんと、希望の旗を掲げる革命家ユニットF-LAGS(876と兼籍の秋月涼はこのユニットリーダーです)を今後ともよろしくお願いします。

2017-08-13

マンガ的展開を実際にやったら叩かれた話

とある底辺高校野球部は荒れていた(よくある導入だ)

真面目に野球に打ち込む部員などおらず

みんな遊びのように適当にやるか部室で実際に遊んでるかのどちらかだった(想像

そんなある日、新しい監督就任した

監督であった(あるわー)

朝5時から練習しろといい、放課後は21時まで練習しろという

買い食いは禁止コーラ缶コーヒーは飲むなという

なんとスマホも持つなという

とにかくアホみたいに厳しい練習規律を課す鬼監督であった(まるでフィクションレベルだ)

当然、部員は辞めていく

最初から真面目にやるつもりもなかったのだから次々と辞めていく

しかし、どういうわけか一人だけ残った(これ主人公だよな)

その部員は一人で黙々と厳しい練習を続けていった

辞めていった元部員たちは不思議そうにその一人を見ていたが

一人また一人と野球部に戻り、部員は4人になった

4人は鬼監督の課した鬼のよう練習毎日続けていった

その姿は校内でも話題になっていった

笑う者もいれば応援する者もいて、部員も少しづつ増えていった

いつしか部員は9人を超えていた

試合ができるようになったので他校と練習試合をするぞと鬼監督は言った

近くの学校と何度も試合をこなしていった

最初は負けっぱなしだったが徐々に競るようになり次第に勝てるようになっていった

遠くの学校とも試合をすることになった

遠征費などが必要だというので漁港バイトすることになった

最初漁師たちもあのド底辺馬鹿どもがどうしたんだと不思議がっていたが(想像

最後には試合応援に来てくれるようになった(想像

とうとう地区大会を迎え、ド底辺野球部はなんとか勝ち進んでいった

学校でも応援の輪が広がり、応援団チアガールが出来て毎試合応援していった

もう笑う者などいなかったのだ

そして地区大会で優勝し、県大会進出し、県大会で優勝することができた

甲子園進出したのである

あのどうしようもないド底辺学校のド底辺野球部による甲子園出場という奇跡に町は沸いた(想像

あっという間に甲子園当日である(端折った)

1回戦の相手は初出場の無名校だった

序盤から失点を重ねるも、少しづつ取り返していったが

負けた

1回戦敗退である

大きなミスもなくファインプレーホームランも飛び出すなど立派に戦ったが負けたのである

部員はみんな泣いていた

悔しさで泣いていた

そう、あの野球部員たちにとって野球はすでに

「遊び」ではなくなっていたのだった──(第一部完)

2017-08-12

https://anond.hatelabo.jp/20170811140913

私も母子家庭育ち。

私の姉が5〜6歳くらいのときにやっぱりチックになってた。

姉はチックだけでなく夜尿症もあったけど、普段友達も多く普通に元気な子供だった。

私はチックや夜尿症はなかったけれど、夜寝てるときの指しゃぶり癖が小学3年生くらいまで治らなかったな。

私は姉と違って友達がおらず絵ばっかり描いてる根暗子供だった(笑)

私たち小学2〜3年生くらいのときは、放課後学童クラブに行かされていたけれど、元増田さんのご近所には学童クラブはないのだろうか?

ちなみに、姉のチックと夜尿症小学校高学年になるころにはおさまっていたと思う。

ただ、中学校に入ってから姉は強迫性障害発症した。

かなりひどい確認強迫常同行動やこだわりがあり、それはまるでチックのかわりに表れたかのようだった。

私は高校に入ってから拒食症発症した。

姉は高校卒業するころに統合失調症発症強迫性障害統合失調症の併発でえらいことに。

私は拒食から過食に転じるタイミングうつ病発症し、20代半ばで双極性障害に診断が変わった。

元増田さんを脅すわけではないが、子供のころのちょっとした問題は、思春期青年期〜成人期の精神疾患発症予測するのかもしれない。

2017-08-09

はいじめっ子だったのだろうか

私が高校生の頃、同じ学年に佐藤さん(仮名)という子が居た。私は2年生の時同じクラスになった。

佐藤さんはなんというか、普通ちょっと地味な子だった。派手なわけではないが、ダサいわけでもない。特別に明るいわけでも暗いわけでもない。卑屈なわけでも不遜なわけでもない。

彼女学校に来るのが早い方で、私も早い方だった。他に人が居なければ喋る。その程度の仲だった。でも私はその時間が好きではなかった。

彼女と話す時間はつまらなかった。でも何があんなに楽しくなかったのかは未だに解らない。誰かの悪口を言ったりする子ではなかった。普通に好きなアーティストの話などをしていたがつまらなかった。

他の仲がいい友達が来ると、解放されたような気持ちになった。彼女は他の子が登校してくるとすっと「じゃあね」と言って去って行ったからだ。

私は最初佐藤さんは誰とでも仲良くなる社交的な子だと思っていた。行動を共にする子がいつも違ったからだ。

だが段々とそれはどうも違うらしいと気付いた。彼女は誰とでも仲良くなれるわけじゃなく、特定の仲のいい子が居なくて彷徨っている子だった。

私と私の友人達は、口にこそ出さなかったが彼女が輪に入ってくるのが嫌だった。

放課後どこかに遊びに行こうなんて話して盛り上がっていて、彼女が私も行っていい?と入ってくると0.2秒くらいの間空気が凍った。

断る理由も無いのでいいよと言って一緒に行ったが、だからと言って次から積極的に誘いたいと思う事は無かった。

私の居たグループ?は20人くらいのうすーい繋がりのグループ

(AちゃんとBちゃん、BちゃんとCちゃんは仲良しだがAちゃんとCちゃんは話はするけど個人的にやり取りをするほど仲良くはない、みたいな)

その場に居合わせた人によってその日一緒に居る人が変わる、結構流動的なグループだったが、佐藤さんに対する態度だけは何故か一貫してた。

3年生になり佐藤さんとクラスは離れ、朝に話す事も無くなった。接点は無くなったわけじゃなかったが薄くなった。私の中で彼女存在は限りなく薄くなった。

とある学校行事彼女に久々に話しかけられた。何を話したかは覚えていないが、5分程雑談をして私は当番があったのでそう伝えて別れた。

すると一緒に当番になった子から佐藤さんと仲良いの?と聞かれた。私は仲良くはないけど、去年同じクラスだったから話す事はあるよと答えた。

当番の子はよかったと笑った。そして「今年初めて一緒のクラスになったんだけどあまり得意じゃなくて…」と続けた。

私はなぜかショックだった。当番の子は決して佐藤さんと仲良くするタイプの子ではなかった。強い接点を持つわけでもない人にさえ彼女は嫌われていたのだと知ってしまった。

私が通った学校平和学校だったと思う。皆毎日を楽しむのに忙しく、特定の人をいじめたり追い詰めたりする暇は無かったと思う。

佐藤さんの事も、皆得意じゃないとは思いつつ積極的にそれを口に出す事はしなかった。遊ぶ時参加したいと言われれば受け入れた。

でも彼女との交流はなぜだかとんでもなくつまらなかった。妙に苛々して、到底楽しい時間とは思えなかった。

声のトーンやテンションも仲のいい友達と喋る時とは明らかに違ったと思う。

から自分からしかけたり、遊びに誘ったり、手紙を書いたりする事は無かった。

佐藤さんの「仲良くなろう」という気持ちに応える事はしなかった。気付かないふりをし続けた。

あれはいじめだったんだろうか。

私達は誰も示し合わせたりはしなかった。不思議と皆が彼女を得意じゃなくて、でもみんなそれを口にしなかった。

当たり前だが暴力を振るったり、物を隠したりもしなかった。

でも今日はこのメンバーだけで過ごしたいなと思ったら佐藤さんの目を避けて打ち合わせをした事はあった。

「皆」の中に佐藤さんを含もうとはしなかった。含もうとすらしなかった。

私の楽しい日々の中に佐藤さんは不要だったからだ。

2年の学級文集にちょっとした文章を書く欄があった。

そこに佐藤さんは私と過ごした朝のひと時について書いている。

私が嫌々過ごしていた毎朝の10分少々が、彼女にとっては1年の思い出だったのだろうか。

卒業からもうすぐ20年経つ。あの時の友人の多くとはもう連絡を取っていない。当然佐藤さんとも。

彼女はあの後誰かと仲良くなれたのだろうか。幸せにしているのだろうか。

どうか幸せになっていてほしい。それだけは本心だ。

2017-08-07

ADHDで薬処方されてる片付けられない女性質問

程度によることは、よーくわかってるのだけど、

聞いてみたい。

コンサータストラテラを処方されてる女性の皆さん、

どれぐらいの期間継続されてますか?

片付けられないオンナが、片付けられるようになるんでしょうか。

ここから質問の背景と自分メモとして。

当方アラフォー既婚、子あり。

フリーランスWebデザイナー

元々、片付けが得意ではない。

特に片付けられないのは、今まさにいる自宅内の仕事部屋だ。

先日、久しぶりに会った女性の友人から「実は少し前にADHDの診断をうけて、コンサータを飲んでいる。効いてる」という体験談を聞いて、私も処方してもらった方がいいのかな、と、初めて思えた。

とっくに診断がおりている我が息子2号への対応を学ぶ中で、どう考えたって私も特性持ちだよねーと自覚しながらも、息子2号含め、私も薬に頼ることまでは考えずにすでに約5年が経過している。

息子は、いい状態だと思う。

落ち着いて学校に通えている。

対して私は、もう、この5年ほど、

何もかもが空回りしている。ような、気がする。

子ども達の色々で、本当に疲れてるんだろうなぁ、とは思う。

子ども2人のうちの1人、息子2号だけでも、

学校マメに通って特別支援先生担任先生との情報共有。

カウンセリングの予約、児童放課後デイの利用や、それに伴う様々な手続き

そこに来て、仕事部屋を共有している夫から「(この部屋に)反吐がでる。殺意覚えるわ」とまで言わせてしまった。

レベルわけせず、全部一気にシュレッダーかけてもいいの?」とも。

夫婦で共有している20畳ほどのスペースは、仕事資料がかなりあり8割が私の所有物。

基本、物質に全く未練がない夫からは、私の片付けられなさに対して、とっくに限界を超えているのは分かってる。んだけど、後回しにしてきた(出来ていた)のは、どこかで「まだ大丈夫」だと、どこかで思っていたからだろう。

ついつい、目の前の急ぎの仕事に手をつけてしまう。の繰り返し。

さすがにあれだけ言わせてしまって、これは最終通告、だと。

マズい。

と思いつつ、なかなか体は動かない。

ハッキリいって、逃げている。それはよく自分でもわかっている……。

ので、気合いを入れるためだけ、という動機で初めて増田に書いてみました。

「こんなに楽になるんだったら、さっさと処方してもらったら良かった!」になるのか、

はたまた、合わなくてすぐ手を引く事になるのか。

試す価値はあるんだろうな、とやっと思えたので、自分のためというより、夫のために、一歩踏み出してみます

まだ私自身がカウンセリングも何も受けてない状態なんですけど、

気持ちをどこかに書きたかった。

こういう時に増田は便利だね。

さぁ、初診の予約を入れて、

今日ノルマとして、目の前の机の上だけでも、書類を片付けようかな。

2017-07-31

誰が私を消したのか

学生時代、私はなんで生きているんだろうと本気で悩んでいた。とにかく、みのまわりのことに何でも疑問を持っていた。考えることが楽しかった。

放課後休日哲学系の本を読んだりして、考えた。下宿の部屋に引きこもって単調だったけど、いつか自分死ぬ瞬間や宇宙の果てに思いを馳せてそれはそれで充実した生活だった。図書館は本当に多くの本が置いてあって、夏は涼しかったので今日みたいな暑い日は図書館で過ごしてたっけな。

そんな学生時代は長く続けられなくて、仕方なしに就職した。「どうして私は生きているんだろう」と考え続ける仕事など存在しないので、それなりに興味をもっている内容の職種についた。しかし、激務で心を壊し思考のすべてを失ったと感じた。ただ眠れないということが、こんなに辛いとは知らなかった。

私は逃げるようにして転職した。流れ着いた先は片田舎限界集落みたいなところで、仕事はゆるかった。枯れた心はミルミル癒やされ、定時帰りの週休2日という幸福をかみしめている。

仕事が楽になって、心も楽になったはずだった。だけれども、あの頃感じた世界に対する疑問というものは湧いてこない。なんだか、ただ現実を乗りこなしているだけで生きているという実感がない。

2017-07-25

僕は体育会系部活顧問だけど

普通に

試合負けろーーー!!!!」

って思ってるよ。声には出さないけど表情には出ているかもね。

すまんが、僕はデモシカ新人教員なので君たちのスポーツに付き合うつもりはない。スポーツがしたいなら河川敷でもいって勝手にやってろ。大人を巻き込むな。

親は黙ってろ、僕はスポーツマンじゃないしそういう専門家でもない。僕を変えようとしても無駄だぞ、僕の対応になっとくできないなら地域スポーツクラブにでも通わせろ。ここでは僕が顧問責任者だ。

学校はいい加減、運動部というクソガキ製造装置廃止しろ政府は何をやっているのか。誰が生徒をスポーツキチガイ奴隷にしようとしているのか? 経団連か? 日本会議か?

たとえ顧問としてであっても合宿に駆りだされて体育会系のノリに吐き気を覚える。彼らの問答無用上下関係という習慣と根性重視の精神論には耐えられない。もっと社会に疑問をもて、肩の力を抜いて自分人生生きろよ。かれらが無自覚社畜としての洗脳を喜んで引き受けているとしたら、悪夢だね。

教員ってもっと知性と言語を大切にする仕事だと思ってたよ。

あー、すべての生徒と顧問がクソみたいな運動部から開放されて楽しい放課後がおくれますように!!!!!!!!!!!!!!!!!!

君は最高のキーボードRealforce」を知っているか

 君は最高のキーボードRealforce」を知っているか東プレ製の、1枚2万円近くする超高級キーボードだ。このキーボードは、とんでもなく高くて、とんでもなく打ち心地がよくて、とんでもなく頑丈で、そしてとんでもなく愛おしい、最高のキーボードだ。

 俺とRealforce出会いは、中学2年の夏だった。パソコンオタクFPSをやっていた俺は、ゲームで強くなるために良い周辺機器を買おうと思った。ネット情報を調べているうちに目に止まったのがRealforceだった。そのキーボードは地味な見た目で、特別機能があるわけでも無ければ、デザインいいわけでもなかった。しかし打ちやすくて頑丈だという評判だった。価格は2万円。中学生にとっての2万円は、大人にとっての20万円に相当する。とんでもなく高価な代物だ。しかし、地味だけど上質な道具というものは、時に厨二心をくすぐる。俺は悩んだ末、貯めておいたお年玉をはたいて通販Realforceを購入した。選んだのは黒くてテンキーのない日本語配列のものだった。数日たってRealforceが家に届いた。始めて触る高級キーボードは、評判に違わない打ち心地だった。ザラつきのないなめらかな打ち心地。羽根のように軽いキー。指を動かすたびにコトコトと心地よい感触が伝わる。考えたことをそのまま文字にしてくれるような、体験したことのない感覚だった。今までキーボードを打つなんて面倒でしかなかったが、Realforceを買ってからキーボードもっと触っていたいと思うようになった。俺はタイピングゲームにのめり込むようになっていった。

 パソコンオタクだった俺は、パソコン勉強なら楽しいかなと深く考えず情報系の学科がある高校に進学した。高校偏差値べらぼうに低かった。俺自身顔面偏差値も低かったし、友達も少なかったし、スポーツも出来なかったから、自分に自信がまったくなかった。2年生になると、情報の授業でタイピングをやるようになった。コツコツとRealforceタイピング練習をしていた俺には、授業のタイピングは楽勝だった。周りの生徒が100文字打つ間に、俺は打ちづらい学校キーボードで500文字打った。しかし、俺はクラスで一番タイピングが早かったけど、それは周りのレベルが低いだけでタイピング界隈では決して早いとはいえないレベルだった。だからそんなことでは自信はつかなかった。ところが2年生の時、俺のタイピングを見た先生に、君はタイピングが早いかワープロ部に所属してタイピング大会に出ないか、と誘われた。部活なんて面倒くさかったが、大会に出るのは面白そうだと思って承諾した。次の日から俺は、パソコンオタクがひしめくワープロ部にRealforceを持って通うことになった。家に帰ってもやることはなかったし、友達も大していなかったから、俺は毎日放課後パソコン室に行って、2時間くらいタイピング練習をしてから家に帰る生活をした。Realforce文字を打つのは好きだったから、練習はあまり苦にはならなかった。高校3年生のある時、俺はタイピングの県大会に出た。初めての大会だった。紙に印刷された文章タイピングし、10分間で何文字打てるかを競う大会だった。キーボード規定はなかったから、当然自分Realforceを持ち込んだ。大会に出るといっても入賞する気なんて全然なかったが、なんと俺はその大会で優勝してしまった。ダントツ文字数だった。コツコツ努力し続けた結果、いつの間にか県で一番になっていたのだ。高校生だけの小規模な大会はいえ、県大会で優勝するという経験は、自分にとって圧倒的な自信に繋がった。この自信を与えてくれたのは、紛れもなくRealforceだった。タイピングが早いからって飯が食えるわけではない。でも、Realforceは、ちっぽけな自分に自信を与えてくれた。

 俺は高校卒業し、大学に進んだ。俺は情報系の学科がある大学を選んだ。大学では部に所属してタイピングをすることも、大会に出ることもなくなったけど、タイピング練習毎日続けた。大学生になっても、Realforceは常に俺の手元で活躍してくれた。その大学も去年の春に卒業した。パソコンオタク中学生が、今ではいっぱしの社会人だ。Realforceは、大したことない俺の青春の中で、常に手元にあった。

 そんなRealforceが、3日前に壊れた。おそらくもう寿命だったのだろう。基盤が壊れてしまったらしく、文字入力できない。かなりハード10年も使ったのだ。改めて見てみると、消えにくいと評判のキーの印字がすっかり薄くなっていた。これだけ使ったのだから大往生なのだろうが、壊れてしまったのだと悟った時、涙が出た。始めてRealforceを触って感動したときFPSで敵キャラを撃ち殺したときタイピングゲームで良いスコアを取れた時。掲示板相手論破したとき大会で優勝したとき徹夜大学レポートを書いたとき。今の会社エントリーシートを書いたとき増田仕事愚痴を書いたとき。最高の道具として、最高の相棒として、Realforceは俺に付き合い続けてくれた。Realforceが無い人生は、どんなものだっただろう。想像もつかない。

 昨日、新しいRealforceが届いた。見た目は相変わらず地味だった。見た目からは2万円もするキーボードだとはとても思えない。でも、俺はこのキーボードが最高の道具であることを知っている。黒くてテンキーが付いた英語配列の新しいRealforce文字を打ってみると、同じ打ち心地の製品のはずなのに、まだ違和感がある。でも、すぐに気にならなくなって、新しい俺の最高の相棒になってくれるだろう。(所要時間7秒)

2017-07-16

昔、私をいじめから救ってくれたヒーローがいた

思うところがあって、お礼の手紙を書いてみたいと思う。

すごく長くなったけど、どうしても全部吐き出したかった。


子供の頃、ヒーローに会ったことがある。

毎日小学校いじめられていた私の狭い世界を、一瞬で壊してくれたその人は、有名なスポーツ選手だった。


いじめが始まったのは、小学校中学年。たぶん、三年生の後半だったと思う。

いじめの内容は、スタンダードものだった。

バイキン呼ばわりして、私や持ち物を避ける。

机の上に筆箱を出しっぱなしにしていると、休み時間に奪われて、それで菌のつけ合いがはじまる。

遠足の時の写真教室に張り出されると、私の顔だけポスカで塗りつぶされる。

風呂に入ろうが何しようが、臭いだの汚いだの言われる毎日だったけど、途中からエイズとか言われるようになった。

その時期、ニュースエイズが取り上げられるようになったから、男子面白がって言いはじめて、クラス中に広がった。

みんなが口を揃えて言うには。私はどうしようもないブスで、そのうえ吐き気がするほど汚くて、誰も友達になりたいと思えない、世界一気持ち悪い女ということだった。


学級会的なこともあったけど、ほとんど意味がなかった。

から、三年生から六年生までずっといじめられていた。


きっかけはよく思い出せない。

から身体が小さくて、いまで言ういじられキャラみたいな感じだったのが、ゆっくりいじめに変化していった感じだった。

それまでは、体が小さいくせに運動が得意で、女子より男子と遊ぶことが多かった。

から、男女とか言われることも多かった。

もしかして、それも一因かもしれない。

いじめられて一番辛かったのは、休み時間に誰も遊んでくれなくなること。

集団で遊ぶことが好きだったから、ドッチボールに入れてもらえなくなって本当に辛かった。


そんなある日、学校のみんなが夢中になるブームがやってきた。

三十代の人は、記憶があると思う。

Jリーグブームだ。

Jリーグが始まってから休み時間サッカーをする人が増えた。

いつもそれを指を加えて見ていたけれど、兄弟友達に誘われて、地域サッカーチームに参加することになった。

チームには、もちろん毎日いじめてくるクラス男子もいた。

でも先輩にあたる前述の友達や、コーチ達の前ではいじめられることがなく、普通にサッカーができた。

心にはモヤモヤするものがあったけど、一緒に遊べるうれしさがそれを上回っていた。


学校はいじめられて。

その鬱憤を晴らすように、土日の練習に参加した。

でも、あんまり上手くなかった。走るのは得意でもボールコントロールが下手だった。

試合はいつも補欠。

まともに出たことはないけど、一回だけ偶然にシュートを決めたことがあった。

あれは本当に気持ちよかった。


そうやって、子供なりにストレスコントロールしていたけど、気持ちは徐々に苦しくなっていった。

もうダメだ。学校行くのをやめたい。そんな風に思っていた。

この時期、うちの親は転校を考えていたようだ。

ちょうど子供自殺が、全国的に騒がれはじめた頃合いでもあった。

まかり間違っても我が子に死なれたくない。学校行きたくないと言い出したら、しばらく休ませるか隣の学区に転校させよう。

そう考えて、情報を集めているところだったらしい。



そんな一番辛い時。

冗談抜きで死にたいと思っていた時に、私はヒーローに会った。

あの時のことは、生涯忘れることはないと思う。


参加していたサッカーチームが、とあるイベントに参加することになった。

首都圏にあるサッカーチームが集まって試合をするというイベントで、なんとそこに人気のJリーガーが来るということだった。

移動のバスでは、みんなでワクワクソワソワしていた。

事前にカズが来ないと知らされたけど、超有名な選手10人くらい来ると聞いたので、テンションは下がらなかった。

移動中に諸注意が伝達されて、真っ先にサインをねだることは禁止された。

ブーブー言いながら、なんやかんやとイベント試合をこなして、ようやく選手とふれあえる時間がきた。


コーチ達に、さあ行っておいでと言われた時には、すでにすごい人だかりができていた。

憧れの選手達がいるのに、とてもではないけど全員と話ができそうにない。

サインどころか、握手してもらうのも難しそうだった。

どうしようか……と立ち竦んでいた時、緑のユニフォームが目に入った。

読売ヴェルディユニフォームだ。

当時、一番好きだったチームのとある選手が目の前にいた。

衝動的に人だかりに入っていって、夢中になってユニフォームを目指した。

きっと握手は難しい。

でもせめて、あのユニフォームにさわってみたいと思ったんだ。

他のチームの子をかきわけて、やっとのことでそのユニフォームを握った。

その時、頭に大きな手がやってきて、グイと顔を上げさせられた。


「あ、やっぱり女の子か」


目指していた選手は、私の顔を見てそう言った。

首都圏のチームには、ちらほらと女の子が混じっていたけど、まだまだ数が少なかった。

からしかったんだと思う。

最初ショートカットにして日焼けで真っ黒になっていたのに、よくわかったなと驚いた。

次に、ものすごく緊張した。

だって私は、みんなが言うには世界で一番気持ち悪い女だ。

どんなに洗っても、臭いと避けられるバイキンなのだ

あっちに行けと言われたらどうしよう。

そんな風に考えて、一瞬で泣きそうになった。

しかしたら、ユニフォームが汚れたと怒られるかもしれない。

さわろうと思わなければよかった。

イベントに来なければよかった。

急に怖くなって、逃げようとした。

でも頭はガッチリつかまれてるし、前後左右は人だらけで移動なんかできそうになかった。


緊張で固まっていると、その選手は私を見て笑ってくれた。

逆光だったから、笑った時に見えた真っ白な歯が、なにより印象に残っている。


「がんばってね」


その選手は、ひとこと励まして頭をなでてくれた。

たったそれだけだったけど、私の狭い世界を壊すにはそれだけで十分だった。


嫌がられなかった。

臭いと言われなかった。

気持ち悪いと避けられることもなかったし、それどころか笑ってくれた。

周りがみんな敵という状態だったから、好意的に受け入れてもらうという体験が新鮮で、心の底からうれしかった。

しかもその相手は、あの読売ヴェルディの超有名な選手だったのだ。


冗談抜きで、世界が壊れた。

もちろん良い意味でだ。

私は別に汚くも気持ち悪くもない、普通の一人の子供なんだ。

あの笑顔と励ましは、ちゃんとそれを教えてくれた。


この日からいじめられても大丈夫になった。

もちろん辛い時もあったけど、根っこの部分が補強されたから挫けることはなかった。

どんなに汚いと言われても「でもあの選手は、そんな風に思っていない」と思えた。

クラスメイトの言う「みんな」が、本当の意味での「みんな」じゃない。

その証拠に、あの人は私をなでてくれたじゃないか

からいまの悪口適当発言だ。

私はバイキンなんかじゃない。普通の子供なんだ。そう考えられるようになった。


自信が回復したためか、この時期から奇妙な変化も起きた。

学校はいじめられるけど、放課後になれば遊んでくれる友達ができたんだ。

しかも、何人も。

その人達は口を揃えて「学校では○○さんが怖いから一緒に遊べない」「クラスでは△△君が見てるから、話ができない」と言った。

本当に自分を嫌っているのは、クラスでたった二人。

他の人達は、その怖い二人の顔色をうかがっていただけだったらしい。


学校では相変わらずだったけど、放課後になれば楽しい日々がやってきた。

その二人は遠い団地に住んでいて、放課後に私が住んでいる団地に来ることはなかったから、存分に遊ぶことができた。

小学校卒業すれば、あの二人に会わなくなる。

それだけを頼りに、毎日学校に行っていた。


想像はあたっていて、小学校卒業して中学校に入ったら、徐々にいじめは止んでいった。

しばらくはいじめを続行しようとする人もいたけど、中学卒業するまでに気がつけば全部終わっていた。

高校に入って、家の近くのコンビニバイトを始めると、あの時のクラスメイトがお客としてやってくることがあった。

みんな店員が私だと知ると、一瞬気まずそうな顔をする。

でも私はがんばって、できるだけ普通にしかけた。

そうしたら、みんな照れくさそうに話に応じてくれた。

買い物が終わって出ていく時に、「あの時はごめんな」と謝る人もいたし、それには触れずに「バイトがんばってね」と言う人もいた。


いじめというのは、本当に狭い世界の話だった。

どういう理屈かしらないけど、あの狭くて小さな世界は人を狂わせる。

でも一度外に出てしまえば、みんな普通に戻る。

私は、あの選手に会えたことで外に出ることができた。

本当に幸運なことだったと思う。

なにしろ日本代表として活躍して、それこそ日本中サポーターがいた選手に、ほんの数秒のこととはいサポーターになってもらえたんだ。

そんな経験はめったにないことだと思う。


あれから色々なことがあったけど、胸にはいつも「がんばってね」という言葉があった。

社会に出て、結婚して、子供を生んで。

いま、人並みの幸せというものを噛み締めながら、あの人に会えてよかった、自殺なんかしなくてよかったと思っている。


昨日の夜、旦那子供が遊んでいるのを見ていて、ふとお礼がしたいなと思った。

私の人生を救ってくれたあの選手に、ありがとうを伝えたいと思いついた。

いまさら気恥ずかしくて、とてもメールなんか送れないけど。ここに書くことで、いつか偶然にでも目に入ってくれればうれしい。




私のヒーローであるあなたへ


何万人もの子供応援されてきたあなたは、私を覚えていないと思いますが、私はあの日のことを絶対に忘れません。

あれから、やっぱりサッカーは上達しなかったけど、いまも家族Jリーグ応援しています

旦那出会い、影響されてとあるチームのサポーターとなり、時々スタジアムに足を運んでいます

あんなにヴェルディっ子だった私が「緑は大っ嫌い♪」と歌う日が来るとは思いもしなかったのですが、いまもサッカーは大好きです。


あの時は、本当にありがとうございました

おかげさまで、とても幸せ毎日を過ごせています

あなたは、きっとこれからサッカー人生を歩んで行かれることでしょう。

そんなあなたを、遠い場所からではありますが、これからもずっと応援し続けていきたいと思っています



あの時、いじめられっ子小学生だった、あなたサポーターより。

ラモス瑠偉選手へ、感謝を込めて。


かわいいの子もかっこいいあの子

みんなちゃっかりやることはやっている

僕は小学校の頃からガリ勉風のメガネをかけたただの勉強嫌いなガキだった

どうせ他のやんちゃしてる奴やキャーキャー言ってる女子勉強なんて眼中にないんじゃないかと思っていた

中学に上がると、ヤンキーなどの不良やませ中学生カップルなんかもいて、より勉強なんか眼中になかった

だけど、中学三年生になってようやく気づいた

かわいいあの女子サッカーに熱心なあの男子も、みんな勉強はやってたんだな、と

普段全然そんな素振りをみせないくせに、授業もただボーッと受けているだけだと思っていたのに、勉強嫌いなくせに

なんで勉強なんかしてるんだ

もっと女子同士で放課後遊びに行ったりしろよ!部活動大会優勝だけを目指しとけよ!みんなのことだけを考えてろよ!と思った

みんなが実は勉強をやっているという事実に気づくのが遅すぎて、僕はみんなが進学したような都道府県内屈指の名門校なんて進学もできずに、地元名前を書ければ受かるようなな高校しか行けなかった

ずるすぎる

そしてその高校に進学したら、かわいい子はちゃっかり男と付き合ってデートしたり、部活動に熱心だったやつは全国大会に出場したりするんだろ?

なんで勉強やってるやつがそんなことやってんだよ!おかしいだろ!

みんながみんな揃って僕を騙してたんだ

2017-07-11

https://anond.hatelabo.jp/20170711233945

休み時間放課後などに職員室で話せないかな?

自分教員の身内の者ですが、勤務先の学校ではよく中堅の先生新人先生相談に乗ったりしているようですよ

飲み会が多いから(地域による?)、その輪から外れてしまうと出遅れ感覚はあるかもしれませんね。お察ししま

2017-07-04

付き合うってなんだろう

高校1年生だった今から20年ほど前の話。

好きな女の子ができた。

学校廊下を歩いている彼女を見て、胸を撃ち抜かれた。

一目惚れだった。

自分とはクラスも違うし、接点がほとんどない子だったが、友人の協力もあって、マンガを貸し借りをすることになった。

先生に見つからないように数冊ずつ袋に入れて学校へ持っていき、放課後ちょっとした時間だけ手渡しでマンガを渡す。

読み終わったマンガには、たまに手紙が入っていて、学校生活日常生活他愛のない話が綴られていた。

マンガの貸し借りが終わるころ、週に1、2度、夜に長電話で会話をするようになっていた。

そうこうしているうちに、月に1度、週末に映画を見る関係になっていた。

自分としてはデートのつもりだったが、奥手だったこともあり、映画を見に行ってファストフード食べて、公園で喋って夕方には帰るという清純なお付き合い。

手を握ったこともなかった。

自分としては「彼女」というつもりだったのだが、自分のことだけを気にしていてほしいという独占欲からか、デートときに「もう知っていると思うけど、君のことが好きだ。僕と付き合ってほしい」と告白した。

「もちろん」「いいよ」という返事を期待していたが、彼女の口から出たのは、「付き合うってどういうこと?」という言葉だった。

予想していなかった言葉に、「えっ」「いや、あの、電話したり、映画を見たり...」という返ししかできなかった。

「それって今と同じだよね?」と追撃をくらい、撃沈。

いやまてよ、今と同じってことは、それってもう付き合ってるってことだよね?と勝手解釈をしたのだけど、その数ヶ月後、その子は別の男の子から告白され、彼と付き合うことになった。当然、僕とのやりとりはそこで終了。

「付き合うってどういうこと?」と聞かれたとき、僕はどう答えたら良かったんだろう。

大人になった今、同じことを言われたら、「セックスしたいってこと」とノータイムで答えられるのに。

元カノ出所したので会ってきた

2x年前につきあってた元カノ。一つ年下で吹奏楽部だった。

とてもかわいくて一目惚れ。わざと放課後屋上パート練習中の前を通っては無理に雑談しながら電話番号交換して告白した。

勉強もしっかりやるまじめな子で、テストのたびに成績上位に張り出されたりもして

自分じゃないのにうれしくて知人に自慢したりしてた(今思えば痛い奴だったな)。

しかし、色々あって高校卒業ちょっと前にケンカ別れしてしまった。

それから月日が経ってx年前の同窓会で、元カノと同じ中学だった奴から

「え、事件のことしらないの?いま服役中だよ?」と言われた。いやほんとびっくり。

おとなしくて…かわいくて…まじめで…粗暴なことなんて絶対にしないし、執行猶予がつかない事件を起こすなんて、と、延々そんな想いがアタマを巡っていた。

自分も相当おかしかったんだと思う。翌日に彼女実家電話してしまった。

母親が出て、なんと自分を覚えていてくれた。仲が良かったか彼女自分のことを話していてくれたんだろう。

泣きながらご迷惑をおかけして申し訳ない、身内からは絶縁状態になってしまったが、

の子の帰るところはここしかいから、と、蚊が飛ぶような小さな声で言ったところで自分も涙が出てしまった。

かなりの間、会ってない自分が言うのも何だが、出所したら、伺います、といった。

母親はしどろもどろになりながらも、よろしくお願いします、あの子もきっと喜びます、といってそのとき電話を切った。

そして、一昨年、出所した元カノに会ってきた。あたりまえだけど面影はあるものの、ずいぶんと変わってしまっていた。

服役していたことは触れないでおこう、と思っていたが、

いの一番で服役してたのを同窓会できいてビックリ&両親に連絡してしまったと言ってしまった。我ながらバカすぎ。

何のために会いに来たのかサッパリわからん感が全開で、こちらの目を合わせずに話していた。

もし服役してなければ、下心で久々にあって…なんてのを期待してたゲス自分

しかし、そんな気持ちは全くなくなってしまい、

これから先、つらいかもしれないけど、困ったことがあったら連絡してくれ、と連絡先を交換しあった。

元カノ家族からすれば迷惑なことかもしれないし、ヒーロー気取りと言われるかもしれないが、後悔は無かった。

もしお金に困って頼ってきても笑顔で助けてあげようとおもった。

元カノからは連絡は無かったが、昨年に年賀状が届いた。「元気でやっていますありがとう。」と丁寧な字で書いてあった。

それだけでも、あの頃に戻ったかのようなうれしさでいっぱいだった。

犯した罪は消えないし、再犯する可能性もそれなりに高い(という罪状だった)。

誰かがずっと側にいなければいけないと思うし、できることならそうしたい。もちろん立場上無理なのだが…。

ずっとこのモヤモヤを引きずっていくのだろうな。それも人生だと思っていくしかない。

2017-07-03

リコーダー舐めさせてもらった子が死んだ

小学校同級生時代毎日のように放課後リコーダーを舐めさせてもらっていた。

の子が死んだと新聞で知った。

俺のせいだ。

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