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2017-06-29

中学の娘が所属している部活の先輩に、

変なことを言うのがいます

学校のことを部活に持ち込まないで!」と。w

そもそも部活動学校教育の一環で行われている訳で、学校リソースを使いまくって行われています

グラウンド体育館使用顧問の拘束、部活動費などなど)

中学校は授業と部活だけではなく、体育祭文化祭などいろいろなイベントがあり、実行委員になってしま場合もあるのです。

それに、図書委員や日直なども。

そういった委員会などで、たまたま放課後遅くなって部活に出られなくなってしまうことも。

そんな時、部活LINEに「学校のことを部活に持ち込まないで!」と流れてくるのです。

私は「中学の間はLINEの内容はたまに覗きますよ」と言って、スマホを渡しています

なので、部活LINEも、クラス男子ちょっかい出しているLINEも、たまにチェックしています

部活に熱心なことは悪いことではないのですが、過度になってはいけないと思うのです。

部活に熱心な先輩たちは、かなり勉学がヤバイらしと娘が言っています

勉学がおろそかになるような部活動ではまずいのではないでしょうか。

かと言って、その先輩たちが強いのかというと、そうでもなく、

市内の大会では1位や2位になれても、地域大会ではボロ負けするレベルしかないのです。

文科省中学部活動は、週に2日以上の休みを設けるように指針を出していますが、

平日に1日休みを設けただけで、土日は試合が多いのが現状。

定期テスト1週間前は部活動休み学校が決めていますが、先日は期末テストの前日に大会があり、

娘は試合に出るわけではないのですが、微熱を押して参加しました。

夕方帰宅したときには38度を超えていて、期末テスト1日目を休みました。

学校を休んだ日、ちゃんと寝てるのか覗いたら漫画読んでいたので、期末テスト云々はあまり言いませんけど。)

まあ、いろいろ思うことはありますが、その先輩にちょっと言ってやりたいことはあるのですが、

なんせ、子供同士のLINE内のことなので、娘の立場とかも考えると・・・

でも、その先輩は娘の友だちにも、「習い事とかで部活休むのは基本禁止から」とか、

私たち3年も習い事をやめたりしている」などとLINEを送ってきていて、おいおいと。

小学校から続けている習い事重要でしょう。

そんな先輩がいるので、娘たちの代は、何人も辞めてしまいました。

先輩たち、今の3年生は、試合に出られる人数は揃っているのですが

娘たち2年生は、新たに入った1年生と合わせても、試合に出る人数になりません。

今の3年生は、自分たちが勝つことだけを優先して、

後輩を育てず、試合にも使わず自分たちの思い出づくりだけをしているように感じています


などと、いろいろ書きましたが

懐かしいし! 微笑ましい!

30年近く前の記憶中学時代青春

私も、嫌いな先輩がいたな。

娘と同じく、ただただ、先輩を怖がっていたな。

こう、親になって、中学部活を思い出すと、

アホだったし、アホ発言していたなと。

娘も、この理不尽さを経験して、成長していくのでしょう。w

2017-06-25

キモオタほどオタクであることを隠す

深夜の美少女アニメを観ることがカジュアルになって久しい。

まり美少女アニメを観ているからといって、馬鹿にされない時代になった。

今の若者は、まるでドラマを観るかのような感覚美少女アニメを観る。

テレビ雑誌インタビューを見ていると、アイドル女優など、若い女性タレントがよく「私って実はオタクなんですよー」と、本当によく言う。

アイドル女優オーディションをやれば、ほぼ全員が「私ってアニメオタクなんですよー」と自己アピールするらしく、

審査する側は「またかよ」「もうそ個性でもなんでもないから、いちいち言わなくていいよ」とウンザリしているそうだ。

私生活が充実していそうな若者カラオケに行けば、まあ皆アニソンばかり唄う。

15年前までは、「美少女アニメを観ている」なんて言えば格好のイジメの餌食だった。

まさか、こんな時代になるとは思わなかった。

なのに、だ。

未だにキモオタオタクであることを隠す。

おそらく20代前半ならサラッと「俺オタクだよ」と言えてしまうのだろう。

20代後半のオタクは、学生時代オタクであることでイジメられていたトラウマがあるのか、隠す。

でもそういう奴に限ってワキが甘い。

スマホの待ち受けが美少女キャラだったり、リュックサック美少女キャラ缶バッジキーホルダーをつけてたり。

口を開けば早口アニメの話しかしない。

着ている服も、「今時そんな服どこで売ってるの?」と逆に聞きたくなるような時代遅れの服を着ていたり、まるでパジャマみたいなネルシャツを着ていて、どこからどう見ても「ダサい童貞」にしか見えない。

完璧キモオタだ。

キモオタであることはバレバレなのに、必死に「俺はオタクじゃない!」と言い張る。

誰もそんな話してないのに、急に初音ミクの話をしだして、「うわ、気持ち悪っ」って空気になったら

ボカロを聞いてるからってオタクじゃない!ボカロアニメ関係ないし、立派な音楽ジャンルひとつだ!」とかボロボロ反論をしだす。

どうしてこういう奴は自分オタクであることを認められないのか。

アニメショップに買い物いくなんて、オタク以外ありえないのに。

バレバレオタクのくせに自分オタクであることを認められないかキモいんだろうな。

で、こういうキモオタ絶対金にせこい。

アニメ漫画以外に金を使いたがらない。

みんなで飯を食いにいこうってなっても、そこに一人キモオタがいると

「そんなの金の無駄だ!」とかわめき出す。

じゃあ、お前何しに来たんだよ。

もう30近いってのに、マックですまそうとする。高校生放課後かよ。

大人が集まって飯食いに行くんだから、せめて酒が飲める店にいこうよ。

「俺は酒が飲めないか時間と金の無題なんだ!」だって

自分勝手理由ワガママこく。周りに合わせようとは一切しない。自分さえよければそれでいい。

そんなんだから学生時代イジメられてたのに、30近くなってもまだそのままなのか。

そんなんだからお前、未だ童貞なんだぞ。

周りが次々結婚してって子供も産んでるのに。

そのくせ一丁前に可愛い彼女が欲しいとほざく。

キモいくせに女を顔で判断する。

見た目と性格変えないと絶対無理だよ。

もう無理矢理にでも風俗つれてくしか変える方法はないと思うのだが、

キャバクラですら「そんな汚い場所には行きたくない」「時間と金無駄」だもんな。

最初居酒屋はブーブー文句たれながら来ても、次はキャバクラ行こうってなると帰る。

金の無駄だかなんだかで、友人が死んだとき葬式に来なかったし、友人が結婚しても式に来なかった。学生時代お前をイジメから助けてくれたやつの葬式に来ないとは、薄情すぎてさすがにガッカリした)

そもそも学生時代つるんでた俺らと久びさに合うことすらお前にとっては「時間と金無駄」なんだろう。

そんな調子から社会人になってから俺ら以外の同級生から相手にされなくなって、

俺らが最後友達だっていうじゃないか

なのに、その最後友達すらないがしろにしてたら、友達ゼロなっちゃうじゃないか

次のお盆は、みんな地元に帰ってきて飲みに行くと思うんだけど、コイツ呼んだら絶対楽しくなくなるし、どうしようかな。

2017-06-23

日本ミステリ略史

日本ミステリ史をまとめようとしている人を見たので自分でもやってみようと思った。

箇条書きでも大体分かるだろう。あと本格中心なのは許してくれ。

探偵小説輸入の開始

http://fuboku.o.oo7.jp/e_text/nihonbungakukouza_19270530.html

神田孝平訳「楊牙児奇獄」1877

黒岩涙香翻案『法庭の美人』1888

須藤南翠『殺人犯』1888(『無惨』に先立つ創作) "まづ未成品で、単に先駆的なものしか見られない"(柳田泉


黒岩涙香『無惨』1889 "日本探偵小説嚆矢とは此無惨を云うなり"

・"日本最初創作探偵小説" (乱歩)

・「探偵叢話」連載開始(都新聞) 1893 ……探偵実話の流行

ドイル「唇の曲がった男」翻訳 1894

映画「ジゴマ」公開 1911


雑誌新青年』創刊 1920 "第一の山"(乱歩

・当初は翻訳を重視

横溝正史(1921)、水谷準(1922)、甲賀三郎(1924)、小酒井不木(1925)、大下宇陀児(1925)、夢野久作(1926)など登場

乱歩二銭銅貨」1923 "これが日本人創作だろうか。日本にもこんな作家がいるであろうか"(森下雨村

http://www.aozora.gr.jp/cards/001826/files/57173_58183.html


戦前探偵小説最盛期 "第二の山"(乱歩)"第一の波"(笠井

浜尾四郎殺人鬼』 1931

大阪圭吉デビュー 1932

・『ぷろふいる』創刊 1933

木々高太郎デビュー 1934

小栗虫太郎黒死館殺人事件』1934

夢野久作ドグラ・マグラ』 1935

・蒼井雄『船富家の惨劇』 1935

横溝正史真珠郎』1936

久生十蘭魔都』1937

◇「本格探偵小説

http://d.hatena.ne.jp/mystery_YM/20081205/1228485253

甲賀三郎「印象に残る作家作品」1925 が初出 http://kohga-world.com/insyouninokorusakukasakuhin.htm

小酒井不木当選作所管」1926 (「本格」「変格」使用

・当時の「探偵小説」という語の広さ……「本来の」探偵小説detective storyとそれ以外を区別

・"理知的作品"と"恐怖的作品"、"健全派"と"不健全派" 1926(平林初之輔

探偵小説芸術論争 1934-36(甲賀木々

・本格・変格論争 1931(甲賀、大下)


戦時下の中断

乱歩 少年探偵団(二十面相)シリーズ中断 1938

乱歩芋虫発禁 1939

・"探偵小説全滅ス"(乱歩) 1941


戦後ミステリ復興 "第三の山"(乱歩)"第二の波"(笠井

・横溝『本陣殺人事件』1946

・横溝『蝶々殺人事件』1947

・横溝『獄門島』1948

安吾不連続殺人事件』1948

高木刺青殺人事件』1948

雑誌宝石』創刊 1946

・『宝石第一公募 1946(香山滋飛鳥高山田風太郎島田一男

大坪砂男天狗」 1948

・『宝石』第四回公募 1949(鮎川哲也土屋隆夫日影丈吉

中井英夫虚無への供物』1964(構想1955-)

◇「探偵小説」→「推理小説

当用漢字表制定 1946.11

日本探偵作家クラブ設立 1947

講談社「書下し探偵小説全集」1955-1956

・清張『点と線』1958 (表紙に「推理小説https://www.amazon.co.jp/dp/B000JAVVEU

講談社「書下ろし長編推理小説シリーズ」1959-1960?

日本推理作家協会成立 1963

参考…

甲賀三郎『音と幻想』1942 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007753808-00

雄鶏社推理小説叢書」1946.7-

安吾推理小説について」1947

安吾探偵小説を截る」1948

安吾探偵小説とは」1948

安吾推理小説論」1950


松本清張点と線』1958

・「社会派推理小説」、清張ブーム

心理的要素・動機の重視、小説としての充実重視

・"探偵小説を「お化屋敷」の掛小屋からリアリズムの外に出したかった"(清張)

◇「本格冬の時代」?

・謎解きの興味の強い作品は絶えていない……『本格ミステリ・フラッシュバック

・清張は謎解きを排斥していない。「新本格推理小説全集」1963 "ネオ・本格"

・「現実離れ」の作品が世に出にくかった……らしい https://togetter.com/li/300116

風俗を描いただけの謎解きの要素の薄い作品が氾濫していた……らしい?

"社会派ということで、風俗小説推理小説かわからないようなものが多い。推理小説的な意味で言えば水増しだよ"(清張)

複数対立軸? http://d.hatena.ne.jp/noririn414/20070314

リアリズム――非リアリズム

・「おじさん」――「稚気」

・都会・洗練――土着

海外ミステリ――国内ミステリ

サブジャンル・隣接ジャンル

歴史ミステリハードボイルドエスピオナージュ、「冒険小説」、伝奇小説SF、……

・ここ掘ると全体が何倍かに膨れ上がるから触らないよ


◆「新本格」以前の非・サラリーマンリアリズム系譜 "2.5波"(笠井

桃源社「大ロマンの復活」1968- (国枝史郎小栗虫太郎海野十三久生十蘭香山滋……etc

・『八つ墓村』(漫画)1968-

中井英夫虚無への供物文庫入り 1974

・『犬神家の一族』(角川映画)1976

雑誌幻影城』1975-1979(泡坂妻夫連城三紀彦栗本薫竹本健治……etc)"探偵小説復権"

笠井潔バイバイエンジェル』1979

島田荘司占星術殺人事件』1981

江戸川乱歩賞青春ミステリ……小峰元アルキメデスは手を汚さない』1973、梶龍雄『透明な季節』1977、栗本薫ぼくらの時代』1978、小森健太郎『ローウェル城の密室』(最終候補)1982、東野圭吾放課後』1985


◆「新本格ミステリ」 "第三の波"(笠井

綾辻行人十角館の殺人』1987.9

・「新本格」の公称は『水車館の殺人から……講談社文三によるブランディングの側面

◇「新本格」に顕著な要素(佳多山大地)……

・〈青春ミステリであること

・本格推理形式の先鋭化・前衛化が著しいこと

古典的天才探偵復権

大学ミス研のコネクションを軸とした作家の発掘

講談社――島田荘司――宇山日出臣――京大など

東京創元社――鮎川哲也――戸川安宣――早稲田立教など

公募による「新本格作家の発掘

鮎川哲也と13の謎 13番目の椅子 1989

鮎川哲也賞 1990-

・『競作 五十円玉二十枚の謎』1993

・『本格推理』1993-2008

・創元推理短篇賞 1994-

メフィスト賞 1996-(『姑獲鳥の夏』1994)

https://anond.hatelabo.jp/20170622220827

学生本業勉強に決まってるだろ。

学校にいる間は勉強に集中する。

部活やるならその時間部活に集中する。

放課後は遊べばいい。

なんにしても、メリハリ重要

俺は学校以外で勉強したことがない。

メリハリ付けれない人間社会人になると、社畜になるんだよ。

2017-06-21

学年主任しんどい

当方小学校教諭

学年主任っていうのは、その学年を取り仕切るリーダー先生のことね。

学年主任ベテラン自分、後輩の三人で学年組んでるけどもうすでにしんどい。

何がしんどいかというと

①全体指導茶々を入れる

校外学習とか学年での発表の時に基本全体指導をやらない。「若い人がやったら~」と言う。それは別にいい。やれと言われればやる。しかこちらが指導していると、茶々を入れてくるのがうっとうしい

俺「〜を気をつけてね」

主任「〜ヲキヲツケテネ(俺の声マネ)」

子どもたち「クスクス

俺「(# ゜Д゜)イライラ

やめろ

自分でやらないくせに文句はい

指導が終わって子どもたちに良かった点と改善点を話す。

俺「主任先生からは何かありますか?」

主任「俺先生がいいならいいよ」

放課後職員室で

主任「俺くん、あれでok出したの、うーん、あれでokかあー、やっぱりどのラインok基準を学年で揃えておかないといけないよね」

俺(だから何かありますか、って聞いたがな。その時何も言わないくせに、後になって言うなよ!)

意味分からん

③誰がえらいとかい

給食時間に連絡のため主任クラスに入る

俺「コンコン、失礼します」

主任「俺大先生じゃないですか、おはようございます(大げさな礼)」

子どもたち「クスクス

俺「…。連絡です」

教室でも「俺先生はえらい先生」とか言ってる。だから主任クラスの子が、「誰が一番えらいの?」とか聞いてくる。

まれ

他にもいろいろあってしんどい

4月に所属決める時に、俺とその後輩以外の若手は「主任と組むのだけはやめてくれ」と言ったらしい。それでこちらにお鉢が回ってきた。「俺くんも、主任と組みたくない、って校長に言っといたら」と言われたけど、ここまでとは思わなかったので言わなかった。後悔している。

それで結局主任クラス現在崩壊状態。同じ学年だからこちらでフォローしないといけないことになった。

子どもで悩むことはあっても、同僚で悩むことがあるとは思わなかったな。

2017-06-18

新米高校教員部活とか仕事とかの話

大学卒業ニートを挟んで一般企業就職しました。

5年ほど働いたあと、主に給与面に不満があり、縁もゆかりもない県の教員採用試験を受けて合格し、今は教員2年目です。

部活バドミントン部を持たされました。

中学高校美術部(という名の漫研)だったので、運動死ぬほど苦手ですが、意見が通るわけもなくバドミントン部の副顧問をすることになりました。

部活は主顧問先生がとても熱心で、会議のある水曜日を除けば毎日練習があります土曜日は昼を挟んで一日練習です。

教員になった初日顧問先生に呼ばれ、買うべき道具が書かれたリスト部活の予定表、事務作業マニュアルを渡されました。今は練習試合1つするにも5種類以上の書類必要になります

平日は放課後すぐから7時まで部活です。

授業が週に16コマあるので、その準備をそこから始めます

先週は22時前に帰ったのは金曜日だけです。保護者との飲み会があったので。

今日部活が終わったので、明日の授業の準備と分掌業務をしています分掌というのは進路指導部とか、生徒指導部とか、総務部といった役割仕事です。生徒会担当として学校祭の準備をしているので死ぬほど忙しいです。

それなら部活顧問をやめればいいと言われると思いますが、顧問拒否したら白い目で見られ、職員室に居づらくなります。それを言った同期はしばらくの間陰口のターゲットになっていました。

部活動の手当てが教員副収入になってる!けしからん!といった声も聞きますが、8時間拘束されて3000円です。練習試合等で15時間働こうが3000円で据え置きです。

毎月3万払うので部活辞めさせてください。

来週から大学学者講習がはじまります

仕事を家に持ち帰らないといけないかなぁ、と思ってます

あと何年もつのか、今から不安です。

2017-06-17

なんで政治への反対論って攻撃しかできないんだろう

声を荒げて、まるで負け犬の遠吠えしかない。

もっとインテリジェンスにできない?国会にはインテリ多いんだしさ。

例えば「間違ってるじゃないですかぁ!?」じゃなくて「私どもも代表の白いスーツ時代錯誤はいささか不安はありますが、自民代表の強行さはかなり不安です」とか謙遜まじえて日本人らしさアピールしたり

副総理冨樫先生の連載復帰はなんだかなんだ嬉しいものですよね。そういえば森友学園はそろそろ久米田先生ネタにしそうですが、内容次第では規制をかけますか?」とか

適当に書いたけど。

ビジネスマナーみたいな講習だと、反対意見をいう時には

「言いにくいけど」「あーそれはいいね。~だし。でも、~~~」とか「参考になればいいなぁと思うんだけど」とか言わされるんだけど、そうしたら自民聞く耳ちょっと持ちそうなもんだよね。建設的に話をすすめるべきだよね。

自民自民でさ、つっぱねてたらそりゃ反感買うよ。

ちょっと自民放課後校舎裏にきな」って共産党先輩がわざわざクラスに出向いてくるよ。

自民はすぐ失言するのブームらしいけど「あくま個人的意見ですが」って絶対言うべきだし、頭が良ければ個人的意見といいつつ個人的意見は言わないべきだよね。おかざりの政治家なんだから自分主張するのはダサスーツとダサネクタイまでにしておいてほしい。

なんかdisコミュニケーションすぎるんだよ昨今の政治は。劇場型政治批判してる場合じゃないよ。

攻撃型すぎて守備ができない。魔法使うのは良いけど魔除けしてるか?

野党の攻めの一手と言えば聞こえはいいけどそんな熟語将棋しかないし、自民の攻めの一本槍状態。いわば野党は後先考えない猪突猛進馬鹿になってしまっている。

民主党政権やらかしたことが一番自民党をおしあげているということが、相当ヤバいんだけどその責任くらいとれよとか思うし。

まぁこんなこと書いてもね、政治家さんたちには頑張っていただきたいんですけどね。

あーそれはいいねと思うこともあるし、言いにくいけど、参考になればいいなぁと思うんだ。

2017-06-13

美大に行けなかった女

祖父画家だ。

美大卒業してすぐに専業画家として独立

その道の人が喉から手が出る程欲しがる賞なんかも受賞して、

から見ると画家として順風満帆人生を送ってきたように見えると思う。

しか祖父プライベートでは周囲にかなり迷惑をかけてきた。

戦争で家が燃え盛る中、貴重品には目もくれず画材だけ持って逃げたり、

駆け出しの頃余裕のなさからちょくちょくヒステリーを起こしたりとか、

そういう話はよく祖母とその息子(=私の父)から聞いたし、

画業が軌道に乗るまではかなりの貧乏暮らしをしていたらしい。

そのせいでうちの家系アート関係仕事に対して風当たりが強い。

父が美大ではない一般大学を出、一般企業サラリーマンとして就職した際は

一族からまともな奴がでた」と周りが泣いて喜んだという。


孫の私は小さい頃よく祖父の家に預けられていた。

(私も祖父都内住みなので、母が忙しい時、面倒を見てもらっていた)

父が幼かった頃はまだ生活に余裕がなく、祖父子供の面倒を見る事はなかったが、

絵が売れるようになってからできた孫の私の事はかなり可愛がってくれた。

祖父は私にお古の画材をくれ、好きに絵を描いていいと言ってくれた。

仕事をする祖父の近くに陣取り、見様見真似で絵を描き始める。

幼稚園児の絵なんてプロの目から見なくても下手くそだし、祖父から絵を褒められた事は一度もない。

それでも下手な絵を量産し続ける私を見る祖父の目がとても優しかったのは覚えている。

やがて私は外で鬼ごっこをするよりも絵を描く方が楽しいと思うような子供に育った。

近所に住む幼馴染の友達も絵を描くのが好きな子で、

放課後はその事一緒にスケッチブックを持って公園に絵を描きに行くのが定番コースになった。




そんな私に家族はいい顔をしなかった。

小学生の頃、近所のお絵かき教室に行きたいと何度頼んでも全部無視された。

でもテレビでみかけた新体操選手を見て一言可愛いと言った次の日には新体操教室を探してきてくれた。

数学が苦手だとぼやいたらすぐにそろばん教室に行かないかと勧められた。

家族は私が絵を描く事以外に興味を持ってほしかったのだと思う。

一回だけ口を滑らせて「美大とか美術専門学校に行きたい」と言ってしまった事がある。

父は大激怒あん鬼のような形相をした父親を見たのは後にも先にもあの時だけだ。

親戚中に言いふらし、それから何人もの親戚から連日の様に

「お前に祖父のような才能はない」

美大に行くような奴はそれしか生き方を知らないろくでなしだけだ」

「お前は絵の為だけに人生を棒に振れるのか、そうとは思えない」という電話がかかってきた。

安定した仕事に就いてほしいという彼らの気持ちもわかる。

でも「美大楽しそう」は中学に入ったばかりの小娘の言葉だったのだ。

それからずっと絵を描くのが好きだという気持ち封印し、

隠れてノートに絵を描いてはいものの、普通大学に入って普通にOLとして就職をする道を選んだ。

それでも社会人になっても絵を描きたい欲が抑えきれず画塾に通い始めた。

美大の夜間コース金銭的にも時間的にも無理だった)

この頃になるともうこれから芸術の道に進む事はないだろうと安心したのか、家族から白い眼で見られる事もなくなったし、

祖父コネでもらった展覧会チケットも興味があるのなら、とくれるようになっていた。

画塾に通い始めた事も「社会人になって趣味を持つの大事な事」と肯定的な目で見てくれるようになって、少し認められた気がして嬉しくなった。

ただ一言「お前、絵描くの好きだったんだな、知らなかった」と言われるまでは。

あぁ、幼稚園小学生の頃あんなにお絵描き教室に行きたいと頼み込んだの覚えていないんだ。

後、大学一人暮らしを始めてから同人漫画も描き始めた。もちろん家族には言っていないけど。

同人イベント金銭のやり取りをするようになってから、絵一本で祖母、父、そして父の妹を食わせ、大学まで行かせた祖父のすごさを再認した。

親戚が私に才能がないと言った気持ちもわかる。私は祖父になれなかった。なろうとする事すらおごましい。

でもこの趣味出会った友人達には美大とかアート系の専門学校に通っていた人も多くて、やっぱり羨ましくなってしまう。

そしてその人達ほとんどは家族の言う「芸術の道に進むしか能がないろくでなし」ばかりではないし、

卒業普通OLとして社会人をやっていけている人にもたくさん出会った。

デザイン系の仕事をして会社に雇われている人もいれば、

祖父自営業画家として生計を立てていたように、フリーランスとしてやっている人もいる。

何より皆、人より絵を描くのが得意な「社会常識のある普通の人」だったのだ。

美術系の学校に進む人は全員頭がおかしいという親戚の言葉は、

美術を専攻するとOLという道は閉ざされるから絶対に稼げないという親戚の言葉

嘘だった。

そして思ってしまうのだ。

正直言ってしまうと同人誌はそこそこ売れているので、私に絵の才能が全くなかった訳ではないと思う。

もし美大に行けてたら…祖父の様に専業画家として大成功する事は無理でも、デザイン系のOLとかで生活できる程度に稼ぐ事はできていたのかな…と。

甘い考えだってのはわかっているけれども。

父の口癖はこうだった。

「本当に何かをやりたい人はどんなに反対されても勝手にやる。祖父は家が燃え盛る中、泣きながら画材を持ちだして死にかけた。手塚治虫戦争中、絵の具がなかったか自分の血で絵を描いた。芸術の道に進むというのはそういう事だ。」

きっとそうなのだ

私が本当に美大に行きたかったのなら、親戚中に反対された中学の時点で家出でもすればよかったのだ。

バイトをできる年齢になったらお金を貯めて、学費自分で賄えばよかったのだ。

そうしなかったのは心の底から美大に行きたいと思っていなかったからなのかもしれない。

ないとは思うけど、明日北朝鮮ミサイル東京に降ってきたら、私は真っ先に通帳とか印鑑とかを持って逃げると思う。

そして、足腰が弱ってあまり歩けなくなってしまった祖父は、それでも若かった頃と同じようにパニクりながらカンバスと絵の具を持って避難するだろう。

そういうところなのだ、親戚が「芸術家ろくでなしだ」と言うのは。

通帳は全部祖母に任せて自分画材だけ持って逃げるから

明日おまんまがなくなって、家族全員打ちひしがれていても、スケッチブック燃えなかった事を泣いて喜ぶような人だから

本物のミサイルなんてそうそう見れるもんじゃないと喜び勇んでスケッチを始めるかもしれない。

因みによく一緒に公園スケッチに行ってくれた幼馴染は高校から画塾に通う事を許され、無事美大合格卒業後は有名なゲーム会社就職した。

彼女ものすごい努力をしていたのを私は知っているし、就職の報せを聞いて私も嬉しかった。

でも北朝鮮ミサイルに対して彼女はどういう行動をとるだろうか?

私が趣味世界出会ったデザイン系の仕事に就いている人達は?

紙と鉛筆を持って逃げるだろうか?

幼馴染とは今でも仲がいい。

同人活動を通じてできた友人の中にはジャンルが変わっても付き合ってくれ、一緒に旅行に行くような仲の人もできた。

積極的美大とか専門の話はしないけれども、そういう話題になっても自分の知らない世界の話を聞くのは単純に楽しいし、新刊ネタになるかもとワクワクすることもある。

でも嫉妬心を全く覚えないと言ったら嘘になる。

日本火の海になった中で、紙と鉛筆でなくて通帳と印鑑を持って避難するような人だったとしても、彼女達が美大進学を許された特権階級である事は変わりないのだ。

そう思うと何だかもやっとしてしまう。





一時期このもやもやから逃れたくて、絵を描く事を伴わない趣味を探した事がある。

スポーツをしてみたり、美味しいご飯屋さんを探してみたり。

このスポーツ団の制服可愛いから模写したいとか、肉の「照り」の部分を絵の具でどう表現しようかとか気付くと考えてしまっていたけれども、頑張って思考の外に追い出していた。

そんな中、某韓国アイドルにハマった。

お気に入りだったのが音大出身で抜群の歌唱力を売りにしている子。

彼の美しい歌声に乗った異国の言葉は心地よくて、生まれて初めて海外アーティストの曲を買った。

ある日、彼が番組企画ファンの為にイラスト色紙を書いてくれる事になった。

その日の彼は機嫌が良かったのか、普段はあまりしないプライベートな話をしながら色紙を書いてくれた。

小さい頃から歌う事が好きだった事。

母親に勧められて合唱団に入った事。

歌手を目指し挫折した経験を持つ母が、音大合格した時泣いて喜んでくれた事。

色紙を書き終えた彼はそれを満足そうにカメラに見せ、言葉をつづけた。

「歌も好きだけど…絵を描く事も好きです。上手くはないけどね。僕の従姉妹がこの絵を見たら笑ってしまうかも、彼女美術大学に通っているんだ。」

頭を鈍器で殴られたような感覚がした。

今までアイドルと言うのは自分とは全く別の世界に住んでいる人間だと思っていた。

この世に存在しないくらい見た目が美しくて、スタイルが良くて、歌やダンスが上手で。

からどんなにイケメンアイドルを見てもこんな人と付き合いたいとか、

どんな美人アイドルを見てもこんな風に美しい女性になりたいとか、そういう気持ちが湧いてきた事はなかった。

自分人生と関連づけられなかったのだ。

特に彼は外国人だったので、そうした傾向が強かったんだと思う。

でも彼の口から美術大学」という言葉がでてきた瞬間、一気に身近な存在になってしまった気がした。もちろん悪い意味で。

音楽芸術だという当たり前の事を思い出し、生まれて初めてアイドルに対して悔しいという気持ちが湧いてきてしまった。



彼は芸術家になる事を親から応援されてきたんだ。従姉妹さんも美大に通っているという事は、きっと一族の大半が協力的なんだろう。

羨ましかった。私も応援されたかった。

美大に行きたいという言葉を発した時に、罵詈雑言を浴びせられるのではなく、彼の母親の様に応援してほしかった。

彼が歌うのが好きだと気付いた母が、彼を合唱団に入れてくれたように、お絵かき教室に行きたいとせがんだ私の事を父に認めてほしかった。

本当は新体操選手なんかに憧れてはいなかったんだ。

お絵描き教室が駄目なら新体操も駄目だろうと思って発した言葉だったのに、すぐに新体操教室を探してきてくれた親に対してショックを覚えたんだ。

美大コンプレックスから離れる為に始めた趣味だったのに、またもや同じ気持ちを味わったあの日、結局このコンプレックスはどこに行ってもついてくるんだなという絶望感を覚えた。

もちろん、高校から画塾に通って美大進学をした幼馴染、趣味を通じて知り合った美大出身友達

皆親を説得するために苦労をしたんだと思っている。

そしてただでさえ狭き門である芸術系就職活動成功させる為に、

反吐を吐く様な努力をして作品ポートフォリオを作り上げたんだろう。

きっと私には想像もつかないような辛い道のりだったに違いない。

大好きなアイドルと彼の従姉妹だって日本よりさらに厳しい学歴社会と言われる韓国音大美大進学を決めるのには相当な覚悟があったはずだ。

音大合格して彼の母が泣いたのだって、その一悶着があったからという事もあるかもしれない。

でも。本当に悪いけど。その内誰だって祖父レベルに達しているとは思えない。

祖父の様に絵の神童と呼ばれていたという話も聞かない。

祖父彼女達と同じ年齢だった頃に描いた絵を見ると、素人から見ても月とすっぽんの差がある。祖父の様な天才じゃなくても美大に行かせてもらえる彼女達。特に幼馴染は「本当は美大に行きたかった母親が大賛成」してくれて、祖父の様な絵に対する執着心もないのにすんなり画塾に通わせてもらえて、本当に羨ましかった。

もし、私の祖父画家じゃなければ。天才じゃなければ。

しかしたら説得できたんじゃないかって思ってしまう。

家出なんかしなくたって、絵の具の代わりに血を使わなくたって、北朝鮮ミサイルが降り注ぐ中、愛用の画材を泣きながら探し回らなくたって。

しかしたら、私にも美大に行かせてくれと説得できたのかもしれない。

彼女達が本当に羨ましい。泣くほど羨ましい。

祖父の様に絵を描く事しかできないわけでもなく、(少なくともデザインOLをやれる程度のコミュ力はあって)、でも祖父の様な並外れた才能があるわけでもない彼女達が

家族から美大進学を許されたのが、本当に悔しい。

祖父天才じゃなければ。数回頭を下げただけで私も美大に行かせてもらえたかもしれないのに。


祖父の事は聞かれない限り他人に話してはいない。父の職業ならまだしも祖父の事を聞かれる事は稀だし、自分から言いふらすような事でもない。

でもごくたまにある。お祖父ちゃんは何をしている人なの?と聞かれる事が。

そして答えると大抵「だから増田さんも絵が上手いんだね!」と返ってくる。

(もちろんお世辞だ。私は下手ではないと思っているけれども、上手くもないと思う。ただ、そういう仕事をしていない限り社会人になってまで絵を描いている人は案外少なく、相対的にそう見えるだけだ)

そんな時自分がどんな顔をしているのかはわからない。

絵を描く楽しさを教えてくれたのは祖父

お金にならないのに、今まで絵を描き続けてこれた情熱を持てたのも、祖父遺伝なのかもしれない。

でもそれを仕事にしなかったのも間接的には祖父が関わっている。

そして何より、私には祖父ほどの才能がなかったのだ。

2017-06-10

一生許さないけど感謝はしている

母と話していて思った。私は高校在学中が一番辛かったんじゃないかと。それは勿論自分責任が無かったわけではない。

私は電車も通っていない田舎で育った。そんな地域から学校自体が一つずつしかない。高校ともなれば殆どが隣町にある高校入学するのだが、それ以前に幼稚園小学校中学校と周りにいる人間は同じであり高校に入ろうと顔を会わせるのが当たり前だった。つまりスクールカーストなるものも引き継いでいく。しかしながら中学校ではそういったものはあまり関係無かったように思っていた。派手目な子は確かにいたしグループもハッキリしていたけれどそれが虐めに直結することがなかった。虐めまで行かない対人関係トラブルはあったけど。とりあえず、「みんな仲良くやりましょう」が出来ていたように思う。平和だった。が、しかし悲しいことにそういった意見を持った生徒たちはみな頭が良く偏差値が高めな進学校へと入学していった。

高校に入るとまず驚いたのが隣町中学校性格の悪さだった。そして自分卒業した中学校とはうってかわってスクールカーストがハッキリしており、下と見なされた人達は明らかに虐げられていた。それは私の周りにいた同級生たちへも浸透していった。

テスト自分よりいい点をとられると機嫌が悪くなる同級生。幼馴染みが目の前で私を除け者にしたこと。手袋が落ちたので拾って声を掛けたらあからさまに嫌な顔をして私の手から奪い取っていった隣クラス女子。言い返さないと思った人間理不尽馬鹿にして優越感に浸っていたあの男子放課後に私や友人たちが教室に残って話していると「この教室カオスじゃん」とわざと聞こえるように廊下から叫ぶ男子。そういった男子女子のようにグループを組み、気に入らない人間悪口他人の失敗を見てよく盛り上がっていた。

高校卒業後に入学した専門学校ではとても人に恵まれた。恵まれたというより、自分の中の「いい人」へのハードルというものが下がった。みんないい人に思える現象高校3年間は本当に辛かったけど、あの3年間のおかげで私は考え方や感じ方が変わったんだろうな、と思った。友達もたくさん出来たし、随分生きやすくなったし。

ただ偶然、嫌いだった男子同姓同名の人から職場FAXが来た。そこに記されていた生まれ年も学年でいえば同学年。誕生日までは知らないから断定は出来ないけどもしかしたら、と思うと忘れかけてきた怒りがふつふつと腹の底から沸きだしてきて考えが止まらなくなった。

私は結局卒業した四年前からずっとずっと、その男子や女子たちを許すことが出来ないでいるのだ。

根に持ちすぎだと失笑されるかもしれない。だからと言って復讐したいとか不幸を喜ぶわけではない。

許せはしないけれど、感謝している。

感じかたを変えるキッカケをくれてありがとう、と思っているしあの3年間は無意味では無かったと今は思える。

今が幸せかと聞かれるとお金は無いし彼氏はいないし将来への不安もあるけど、好きなことも大好きな友人たちもいる。理不尽に虐げられてきたあの頃よりまだ生きていきやすい。

そんなつもりはなかった、とかそんなのは被害妄想だ、と本人たちは言うかもしれない。それは君たちの勝手なのだけれど、言ったところで「私や友人たちがされたこと」に変わりはないんだよ。嫌な思いをしたことに変わりは無い。怒りが消えることもない。だけどそうだな、同窓会では笑って挨拶くらいはできると思う。参加するつもりは今のところ無いのだけど。

でも、まあ、存在自体馬鹿にされていたからなにを変わればよかったのかなあ・・・在学中に変われなかった私にも非はあるのかもしれないね。閉鎖的なあの空間にも問題はあったのかもしれない。

しかし私はお前らが許せないよ。許す気もないから、いつか苦しんで消えてね。

2017-06-04

このまま終わりたくない

中学生の頃、半ば強制的駅伝部に招集された。

3km走るのがほんとに辛くて、夏が終わって大会に合わせて作られた駅伝部の活動が休止した時かなり嬉しかった。

中学1年の冬、何故か駅伝部の顧問に目をかけられていた僕は朝6時半に集合させられ30分ほど走るようになった。

辛かったけど先生が怖くて辞めたいと言い出せず言われるがまま走り続けた。

中学2年の夏になり、また駅伝部が設立され、当然のごとく僕は招集された。

1年生の頃はゴールした時「よくがんばったね」と教師陣に拍手されながら迎えられたドンケツの僕は、誰よりも速く3kmを走りきった。今度の拍手は心地よかった。

その年、一つ上の先輩と自分の力で県大会進出することができた。東北大会の出場も圏内だったが、6区最後を走った先輩が失速し4位。東北大会に進めるのは3位まで、僕らの夏は終わった。

また冬が来た。

去年と同じように指導者に流されるまま朝から30分校庭をジョギングした。

「凄く速い生徒がいるらしい」と今年の活躍口コミで広がっていたのか、ちらほら見学する生徒が現れていた。

真冬太陽も出ていないのになぜかサングラスを掛けている顧問は何人かに声をかけ朝練習に合流させた。

一人で走り込んでいた僕に仲間ができた。

巡って中学生最後の夏が来た。

冬場の合同練習の成果が出たのか市大会簡単突破できた。

大会に駒を進め、前年度の雪辱を果たす機会を得た。

僕が三区で襷を受け取った時順位は3位だった。

東北大会に進めるのは3位までの学校で、全国大会に進めるのは1位だけだ。残念ながら東北大会から全国にはつながらない。全国を目指すならこの県大会で優勝するしかない。

勾配の強い山道を駆け抜け、中間地点となる1.5kmを突破すると一気に下りとなる3区。

僕は前半2位との距離が極力開かないようにペースを抑えて走り、1.5kmを過ぎた時点で勝負をかけた。

ストライドを狭めて脚への負担が大きくならないよう気を付けながら、ピッチを上げてペースを速める。

2位を抜き、襷を受け取った時点で1分近い差のあった1位の後ろにつけて4区に襷を渡した。

そこからの流れは疲れ果てて休憩しているうちにレースが終わったので分からないが、僕らの学校は1位を取った。

設立から何十年と経つ学校だったか、特段スポーツに力を入れているわけではないので全国大会運動部が出場するのは初の快挙だった。

僕らは涙を流しながら抱き合った。

顧問は「当然だ」とだけ言い拠点を黙々と片付け始めた。いつもはこういった雑務をしない人なので多分照れ隠しなのかなと思う。

数ヶ月が経ち、東北大会でのレースを済ませた僕らは全国大会舞台に立った。

1区を出走することになった僕は、正直自信過剰だった。

実際3kmの持ちタイムは9分を切っていて、全国でも上位を争えるレベルだった。

全国大会当日、会場であった山口県は小雨の降る肌寒い日だった。

詳しくは知らないがまるでゴルフ場のような芝生とタータントラックのみのコースだったので7mmピンのスパイク大会に臨んだ。

だがこの判断が間違いだった。

ほとんどスパイクで走ったことのない僕はスパイクの引っかかりの強さが予想以上に強かったことに焦った。対応できなかった。

下りになるたびに引っかかりのせいで止まってしまい、体力を無駄に使った。

集団に揉まれながらゴールへとたどり着いた時には全校50近い内20位ぐらいだった。

僕が入賞圏内でタスキを渡し、後半逃げ切りという作戦を立てていた僕らはそのままズルズル順位を落とし入賞県外で終わった。

僕は泣きながら仲間たちに「ごめん」と謝った。

仲間たちは僕のおかげでここまで来れた、むしろ僕らがもっと速ければともらい泣き?していた。

自信に満ちていて、いつも問題があれば僕らを叱った顧問は「この結果はすべて俺の責任だ」といい腕を組みながら謝っていた。

同級生たちが受験勉強に明け暮れる中、僕は色んな所からきた特待生勧誘やらを前に迷っていた。

「これから先でも戦えるのだろうか」

全国大会天狗の鼻はボキボキに折れていて、地元友達皆が行く近場の学校入学しようと考えていた。

そんな話をどこから聞きつけたのか駅伝部の顧問が僕を放課後呼び出し、スポーツ科の存在する学校への入学を促してきた。

僕はなんだかんだ付き合いは長いけれど、まだ顧問のことが怖く、流されるままスポーツ科のある学校へと進学した。ただ迷っていたのもあったのでこの言葉は当時嬉しかったと思う。

県内同級生に噂は聞いていたが僕より速いやつがいた。

正直有名すぎるのでマニアにはバレるため詳細な情報は伏せるが全国大会3000mで異常な成績を残したとだけ書いておく。

そいつが僕と同じ学校入学するらしい。

僕は期待と不安を抱きながら、その高校入学した。

高校生活は人生の中で最もつらい時期だった。

教師は怖く、理不尽が人の形をしたような奴だった。

結果を出さなければ殴られ、結果を出しても褒めることはせずもっと行けただろと怒られる。自尊心ボロボロだ。

それでもなんだかんだタイムや実績を残してきた僕には優しい方だったが、やはり大分精神的に消耗していた。

ただ教師陣には恵まれなかったが仲間には恵まれた。

前述した僕より速いやつは相当に人間ができているやつだったし、他の部員たちも僕のことを知っていて仲良くしてくれた。

色々ありながら高校1年の夏を終え、雪が降る季節になった頃事件が起きた。

僕の身体は厳しすぎる練習に耐えきれず、股関節が剥離骨折した。

この事実教師に伝えた所、「お前は逃げるのか?迷惑から走れ」と練習強制された。

当時はつらすぎて逃げ出したかったがスポーツ科だったため、部活を辞めれば学校もやめなければいけない。

僕は言われたとおり痛み止めを投与しながら練習を続けた。

そして怪我はよりひどくなり最終的に歩けなくなった頃、「もう限界です、休ませてください」と伝えたところ毎日誰よりも早く来てグラウンド整備をすれば許可しようと言われた。

今思えばおかしい条件な気がするが、当時は「ありがとうございます!」と心から感謝していた気がする。頭がおかしい。

歩くのも痛かったが処方された痛み止めを飲めば我慢できたし、走るよりはマシだったので頑張って毎日グラウンド整備をしていた。

この剥離骨折は結局治るのに1年近くかかった。

1ヶ月ぐらい経つと教師に「もう治っただろ走れ」と言われるので走り、また悪化させるという繰り返しがこれだけ怪我を長期化させた原因だと思う。

ようやく治った頃にはもう高校3年生で同級生や後輩に大きく実力差を付けられていた。

それでもなんとか自分なりに練習を重ねた結果冬場の駅伝には出場できた。3kmの高校生にとって繋ぎ区間だったが。

少し時期は前後するが3年の夏頃、僕は進路を迷っていた。

怪我はなんとか治っていたがこれ以上走るのは明らかに限界だと感じていた。

それでもなんだかんだ高校1年生の頃に5kmを14分台では走れていたので、タイムだけで弱小校ならスポーツ推薦が可能な状況だった。

僕は迷った。

でも中学生の頃卒業文集にも書いた「箱根駅伝出場」を諦めきれずスポーツ推薦を選択した。

高校での陸上生活が終わり、大学へと進学した。

だけど僕の身体はもう限界だった。

1ヶ月以上練習継続できないのだ。

少し走れば足首が、膝が、股関節が、どこかに痛みが出てしま練習ができなくなる。

救いなのは大学はある程度自由トレーニングメニューを組めたので、怪我をすれば悪化する前に休息を取れたことだろう。

ただこんな練習頻度で化物揃いの大学陸上を勝ち抜くことはできず、関東インカレの出場はできたが成績はダメダメで、結果は出せなかったし、箱根駅伝メンバーに選出されることなど夢のまた夢だった。

僕は多分中学生の頃の栄光をまだ引きずってるんだと思う。

大会で全国出場を決めた時の高揚感、あれをもう一度でいいから味わいたいんだと思う。

大学4年生になり、実業団に進むか就職をするか悩んでいる。

正直箱根駅伝メンバーにもなれない人間実業団に進んだところで伸び悩み3年以内に首を切られるの分かってる。

でも頭ではわかっていても感情が走ることを求めてしまっている。

現実は厳しくて、身体が急に良くなって20km以上の距離を走っても壊れなくなるわけがないのに。

中学生の頃の栄光が、高揚感が、僕をこのまま終わりたくないと感じさせている。

2017-05-29

ちょっと思うところあって個人の目から見た腐女子ルールの移り変わりとそこにいた私の変化について書いてく。諸説あるから私の渡り歩いてきたコミュニティはこんな感じだったという話で

2000年前後

ヤフー検索個人サイトとかゴロゴロ出てきてた時代最初はそんなに検索避けうんたらガーガーうるさくなかった気がするけど、だんだん検索避けマナーって話になっていったような。

ちなみにこの頃は家にインターネットなんてなかったので学校PCとかで同人サイトあさってた。多分言うところで言えば殺されると思う。でもそこに別に特に疑問は思ってなかった。たぶん最初BLがなくNL中心に、年齢制限のない可愛らしいファンアートを漁ってたというのもある。

(このへんの二次創作ユーザーにおけるNLから問題ないという高慢な考え方は今思うとどうなんって思うけど)

それに先生と仲良くなって放課後とかに許可もらって本当に「遊ばせて」もらってた(授業中に変なサイトいってたわけじゃない)から別に趣味でネサフして何が悪いのって思ってた。

今思うと先生同人サイトネサフさせてもらえるまで仲良しになってたコミュ力すげぇな当時の私、って思う。今同じこと絶対できない。

2000年代前半

うっかりBLに染まってしまった。そしてBLサイトを漁るようになった。そのあたりから検索避けマナーだと「みんながいいだした」。見るサイトマナーサイトバナーを見るようになった。無断リンク禁止という言葉を見るようになった。とても素直で純粋だった(今は見る影もない)当時の私は素直にそういうものなんだと思い、検索避けマナーだし無断リンクはとても悪い事なんだと考えるようになった。

BLは隠れないといけないんだ!作者の目に触れてはいけないんだ!!って思ってたし、検索避けしてないサイトをなんて非常識なんだろう!って思ってた。インターネット原則とかそういうものは全く知らなかったしハイパーリンクのなんたるかなんて存じ上げませんでした。

2000年代中盤

ある一つのサイト出会う。知ってる人もいると思う。「ガラマニ」さんである

そこで受けた衝撃はもう本当にものすごかった。こんな世界があるのか、こんな考え方があるのかと正に雷に打たれたような衝撃と言っても過言ではなかった。

確かに言われてみればその通り、と思わされることはいくつもあった。

そこからそもそも検索避けって何だろうとあっちこっち調べて回って、検索避けというものに対してとても色々な考え方があるんだ、とようやく知る事ができた。

恥ずかしい、隠れたい、という気持ちはとても分かるけど、だからっていたずらにマナーマナーだと隠れるだけじゃなくて、何のために隠れるのか、原作者の方にお目こぼしを貰って二次創作を楽しむ立場人間として何をするといいのか、色々と考えるようになった。

けどやっぱり世の中の流れは検索避けマナー無断リンク禁止に傾いていた、と思う。

2000年代後半

オンラインブックマーク禁止とかそういう話が出てきた。この頃はもうそれがインターネットという広い世界からしてみればおかしな話だと分かっていた。

無断リンク禁止がとても我侭な発言だと理解していた。けれど他に都合のいい場所なんてないこともとてもよく分かっていた。

現実ではこんなに仲間と繋がることなんてできない。ネット世界くらいでしか趣味について話せない。今ネットを経たれてしまったら精神的に死んでしまうかもしれない、というくらい、ネットコミュニティに異存していた。

からこそおかしなことはおかしなことである上で、それでも他に代替手段のないこの世界でどうやったら折りあいをつけていけるのかいつも考えていた。

からネット上のルール理解した上で、検索避けであったりを使いながら、禁止ではなくて誠心誠意お願いをしながら、どうにかこうにかそれなりにBLを楽しんでいた。

この頃は検索避けしすぎるのどうなの、と言い出す腐女子は増えだしていた。検索避けは必ずしもマナーではないという考え方は、だんだんと珍しいものではなくなっていった。

2010年前後

Pixivが有名になった頃。検索避け的にどうなの、という話はあったけど結局のところ今ではこの通り、超大型サービスになっている。

そう、当時Pixivは私の周囲の検索避け好きな人達にとっては敵だった。あんBLが誰にでも見られてしまうようなもの、というくらいの扱いだった。

でも結局個人サイトはどんどんなくなって、二次創作が見たければPixivに行け、という時代になった。結局なんだかんだ言って「たくさんの人と触れ合える」ことは魅力だったんだろう。

けれどやっぱり隠れたい、マナーが、と言う人はいて、Pixiv内にどんどん腐女子独自ルールが作られていった、みたいだ。というのも、私はそのころPixivはやっていなかった。

その頃はまだ時間も元気もあったので、サイトという自分の城を更新していたし、活動主体文章だったから。

それにやっぱり、まだBLが大多数に晒されるのは怖かった、というのもある。あんなところに行っては誰に見られるか分かったもんじゃない、とビクビクしていた。

検索避け独自ルールはそれでも根強く残っていたけど、もうなんだか最初の主張から比べるとなぜ検索避けするのかの大義名文すらどこかに行ってしまっていたように思えた。

このころの検索避けは、単に自衛手段だった。

・それ以降~最近

SNSだの何だの発展が早過ぎてむしろ流れをはっきりと思い出せない。

Twitter最初周りでは「オタクの集まりでどんなヘンタイ発言も許容してくれる」みたいな扱いだったのに今やマナーがどうだとかやっぱり腐女子ルールができた。

腐は鍵垢に篭れとさんざん言われたし、オープンBLの話をするとマナー違反だと言われた。

時代が「二次創作って黙認だよね」とか「公式二次創作OK作品も増えてきたよね」って中でそれでもBLはなんだかケガレみたいに扱われているところがある。

サイトはどんどん閉鎖していき、結果二次創作サイト向けのマナーも語られることはなくなっていった。

かわりにツイッターでのマナーピクシブでのマナーが語られるようになった。でもマナーは結局のところわたしたちのかんがえたさいきょうのマナーしかなかった。

結局のところ「検索避け」は今でも少しずつ変化しながらマナーとして語り継がれている。

2017-05-22

教師を殺す部活動

教員の友人が壊された

地方都道府県庁から遠い)の学校に飛ばされた友人は、新しい学校若いというだけで春夏と注目されるような部活顧問にされた。

4月からは前任の教員が昨年から決めていた週末を練習試合で費やしていた。

日付けが変わるまで新しい環境でのカリキュラム指導方法検討しながら、始業前・放課後グランドに出て指導しながら自身練習をして、なんとかノックを打てるようになったと言っていた。

春の大会が一回戦で終わり、OB保護者との懇談会が設けられ、彼はここで自分では難しいから色々と協力をお願いしようかなと語っていた。

その後、彼から受けた内容は懇親会なんて建前で、糾弾の矢面に立たされ訳もわから精神的肉体的にドツかれるというものだった。

次の週末どころか秋までは予定が組まれていて、自宅には帰れずに金曜から月曜の朝までの遠征しなければならない。

授業準備や部活動雑務は彼のプライベート時間マイナスにし、彼は”急病”で教壇から離れることになった。

理科離れ」に対し科学技術の魅力を若い人に伝えたいと語り合った友人からの連絡に、お前の役目はそれじゃないだろう!って言っても彼からの「ダメだった・・・」。

幸いなことに私は希望通りの自分趣味に合った部活顧問にさせて貰った。

活動の一部で道具を運搬する必要があったかレンタカー学校活動費を使おうとしたら例年は顧問私費ってふざけんな。

土日の手当てどころか、金出すのかよ。

部活ってボランティアどころか、時間と金銭に余裕がある教員パトロンになるもんだったんだな

2017-05-21

1995年の凄まじさ

オウムに限らず、1995年は何とも怪しい年だった。

当時小学生で、妙な好奇心が強い年頃だったからか異様によく覚えていて、影響もかなり受けている。

しろ年明け早々には阪神淡路大震災3月には地下鉄サリン、夏には映画学校の怪談」、秋には新世紀エヴァンゲリオン放映開始だ。

その中でもやっぱり地下鉄サリン事件オウム真理教は印象的だ。

今では考えられないけど、朝から晩まで妙な新興宗教の変わった修行(水中で息止めるとか、生き埋めになるとか)やら洗脳ソングやら幹部高学歴っぷり(上位大学はほぼ揃ってたはず)が報道されてた。

テレビというのは当時メディア王様で、「テレビで堂々とやってるのなら」って感じで皆普通にオウムの話をしていた。

子供も影響を受けて、音楽の授業を真面目に受けて、放課後洗脳ソングリコーダー練習したりしてた。

しか学校の怪談ブームの真っ只中で、学校でコックリさんやったりオカルト話したり、テレビスプーン曲げやってたり。

オカルトマニアにとっては「あれ、俺たちマニアだけどマジョリティじゃない?」って思えるくらいの時代だったと思う。

から始まったエヴァにはキリスト教モチーフが沢山出てくるし(子供の頃は難しくて分からなかったけど)。

その後の97年の少年A事件、99年のノストラダムスの大予言など、90年代後半はとにかく世紀末というのがぴったりの世相で、今の若い人が惹かれるのも分かる。

僕もあの時代のことは妙に懐かしく、不謹慎ながら魅力的に思い出してしまう(思い出補正がかかってるだろうけど)。

何というか、アニメ世界観が現出しちゃった感じの世の中だった。

この「あっ二次元世界観現実に!」に近い感覚は多分ネット祭りなんだけど、最近は大規模な祭りあんまりないしねぇ。さてどうしたものか。

http://anond.hatelabo.jp/20170520102940

2017-05-19

長い夢を見た

年のころ10ぐらいの少年だろうか。頼りなく優顔の少年は通う学園で新しく転校してきた少女出会う。

少女カールした癖っ毛の金髪で、高潔さに足が映えて立っている様な雰囲気を携えていた。

人目で心を揺り動かされた少年は、金髪少女へと好意吐露する。

期待もせず、衝動的に行われた告白は、期せずして、少女の関心を得て、了承を得ることとなった。

恋人となって最初放課後少年は、金髪少女プレゼントとして緊縛される。

手足を縛られ目を隠され、闇の中で背中をけり倒された少年は、這いつくばれと少女に命じられ頭が割れそうなほどに踏みにじられながら、これでこそ望んでいた少女の姿だと自分の心を悟り、知らずズボンの中で精通果たしていた。

彼女に虐められ、束縛され、ご主人様と慕い奉仕する少年は、ある日少女夜の学校に来るように言われる。

指定された時間指定された場所へと訪れると、少年は、暗い校舎の中で一つだけ明るい校長室の僅かに空いた扉の隙間から、その中で、金髪少女校長に抱かれている姿を見る。

薄汚い笑い顔で愉悦する校長に、少女は媚びるような声で腰を動かしていた。

豚のように快感の喘ぎ声を出す校長言葉から少女孤児校長の妾役として学園に通っていることを知る。

その光景から目を離せずにへたり込んでいた少年は、行為の一切が終わって扉へと近づいてきた裸体の少女に、冷ややかな目で見降ろされる。

「幻滅したかい?」と言う少女少年咄嗟に首を振った。

少女に見捨てられることを恐れたのか、同乗したのか、それとも自身になおも冷ややかな目を向ける少女に一切の幻滅が消えたのか、少年には判別がつかなかったが、少女はむしろ当たり前のように頷いた。

月日が経ち、学園を卒業を間近となっていた。

校長室で変わりもなく少女を抱き、彼女の僅かながら柔らかくなってきた体と離れることを惜しむ校長に、

「惜しむ必要はありませんよ」と少女は笑い、校長背中に熱さを感じる。

隠れていた少年背中包丁を突き立てていた。激痛に顔を歪め慌てる校長の、その首筋に少女作業のように長い刃物差し込んだ。鍔の根元まで刃をえぐり入れて、少女は媚びた笑顔を落とし冷たい視線へと戻る。

陰茎を袋ごと切除して、

「私が毎日舐めてたものだ、いるかい?」と言う少女に、少年

「どうせすぐに大人に取られます」と頭を振った。

 

 

 

少年期の殺人犯として、裁判を経ずに二人は似たような囚人が集まる拘狗牢へと入れられる。

獄卒への奉仕を拒んだ金髪少女は、独房へと入れられ、外部と一切の遮断をされてしまう。

どうにか少女と、再開するかを考える少年は、一人の少女出会う。

監獄ですら表情に幼さの長い黒髪少女は、少年牢獄自分の望みを自由に叶える方法を教えると誘い込む。

その引き換えとして、少年黒髪少女を抱く。少年にとって初めての性交だった。

性交の後、少年黒髪少女から彼女の服を分け与えられる。

言われるままに少女の服へと着替えると、優男で細身の体故に、少年一見して面貌の整った少女のような風体になっていた。

そのまま生活を送る中で、元から控え目で、気後れした性格故に、気弱な少女のように見えた女装少年は、看守に襲われる。

背中から押さえつけられ、尻の穴を犯された少年は、痛みと圧迫の中で快感に満たされて、何度も射精していた。

意図を察した少年は、黒髪少女の元へと訪れて、軽く非難をする。しかし、誑し込むのが一番手っ取り早いという少女言葉に、少年も頷く。

黒髪少女に、少年は一人の女性を紹介される。

長身で、栗色の髪をボブカットをした女性一見にしても美人で、少年は見惚れてしまいそうになる。

少年の体を抱きしめた栗色の髪の女性は、少年アヌスをいじり、自らの股間に生えている男性器を見せつける。

女装した男娼の先輩として、栗色の髪の人は、少年アヌスへと陰茎を挿入し、その奉仕の仕方を教え込んでいく。

黒髪少女衣服と交換に性交を重ね。

先輩に気持ちよさを教え込まれ

客の囚人や看守に、薬を打たれて、死ぬような快感の中で精液を注ぎ込まれる。

少年は、快楽の中で、頭を呆然としていく。

 

 

 

独房の中で、夜も朝も分からず、何度目の睡眠かすらも数えなくなっていた金髪少女は、分厚い鉄製の扉が開く音に気が付いた。

期待もせずに見た入り口からは、記憶の中でも、もはやあやふやになっていた少年の姿を見つけた。

一瞬の幻覚を疑い、現実だと悟った金髪少女は、すぐに蒙昧としていた意識を取り戻した。

看守とつてを作り、体と引き換えにさまざまに要望を聞いてもらえるようになった少年は、ようやくの段階で、独房少女と面会できるようになっていた。

しかし、その金髪少女は、天井からベストのような包みでくるまれて面され、その四肢は根元十センチほどで切断されて丸く縫い付けられていた。

逃げないようにと、暴れないようにと、彼女を性のはけ口とする看守に対する配慮だった。少年は、そういう性のはけ口の分け前をもらうという形で、少女の部屋へと訪れることを許されたのではあった。

少年を見止めた金髪少女は、その瞳を見つめた。喋れないように轡をされた少女は、なにも伝えようともしなかった。

ただ、少年を見つめて、小便を漏らし始めた。

少年は、その滴る小水を浴びて、口に受けた。

それで二人には充分だった。

それから監獄の中で権力者たぶらかしていった少年は、刑期を大幅に短くして、金髪少女とともに拘狗牢を出所していくことになる。

両親もなく、寄る辺もなく、四肢もない金髪少女は、弱り切った肉体もあって、そのまま病院へと入院することになった。

それは監獄大人たちの最後の両親でもあったのだが。

 

出所から数日もしない、晴れの日、少年は両親へと電話をかけていた。

心配しないで欲しい。すぐ戻るから。ちゃんと元気でやっている。と電話口で笑顔で伝える。

電話の向こう側からは、金をどこにやったという男性の怒号と、女性悲鳴が聞こえてくる。その音を聞きながら少年笑顔電話を切った。

満載のリュックサックと、鉈を持った少年は、病院への道を洋々歩き出す。

 

慌て蓋める医者たちと、悲鳴を喚き散らして右往左往する看護婦たち、警報が鳴り響き、大人の影が行きかっていく。

そのころには既に、自分で動けない金髪少女を抱えて少年は山の雑木林の中を登っていた。

これから二人で生きていくのだと少年は言って、ようやく自由になったと少女は言った。

 

 

 

幾日か幾月か経った山小屋で、飢えて死んだ少年四肢のない少女遺体が見つかった。

と言うところで、胸糞が悪くなって目が覚めた。

2017-05-15

思っていたよりもかなりIQが高かった(9歳)

5歳で発達障害の診断。

当時の検査結果では、一部100を下回る状態総合評価IQ110台。

9歳になったので、4年もあいたのでまた検査しておきましょうか、といわれ検査した結果が結構高くて、IQ144と。

一番低いものでも116あって、すべてが前回の検査を上回っていた。

IQ135を超えるとギフテッドと呼ばれる領域だということで、息子にこれからどう対応していけばいいのか、困惑している母親です。

相変わらずデコボコはある(高いものと低いもので30以上の差)ので、今受けている公的サポート公立小学校で通級指導放課後デイサービス言語指導運動指導運動苦手)は継続して受けさせていただくつもり。

なかなか、知能が高い子だとは思ってはいたけど、

以前の数字を信用していたので、まずまずでしょう。と思っていた程度でした。

でも、今回の数字は、ちょっと真面目に今後を考えた方がいい領域かな、と。

IQだという自覚がある方(男性)で、

小中で、親にこういう事して欲しかった(して欲しくなかった)、などあれば教えてほしいです。

地方在住なのと、一人っ子ではないので経済的にも都市部の有名私立中を目指すことはすでに難しく。

都市部なら、偏差値の高い私立中目指すのが一番無難平和だとは理解してますが)

今のところ、好きなことは睡眠小学校優先で最大限取り組んでもいい状況にはしているけど(特性上、好きなことは自ら停止できないので、放っておいたら6歳ぐらいでも12時過ぎてもやってた。当時はレゴ。今はプログラミングにハマっている)、それぐらいでいいのだろうか。

悩ましい。


息子の傾向や、今すでに取り組んでいることなど、こちらに追記を書きました。

http://anond.hatelabo.jp/20170516165447

2017-05-06

私は朝から晩まで授業で怒鳴りつけられ

校則は頭髪検査までガチガチ放課後暴力教師が納得いくまでずっと掃除させられる

自称進学校奴隷養成所に放り込まれしま統合失調症になってしまったので無理でしたね

といっても幻覚幻聴はない陰性なのでストレス負荷が低度とき普通な感じです

人事に携わった者として無資格技能な奴を時給1500円で雇うということに理解できない

GWはなんとか3連休確保したわ(愚痴

最近アメリカとある州並の時給に上げろ!と議論されたり最低時給1500円にあげろというデモが行われたりと賃上げ闘争がやや活発になってるわよね。

でもねぇ…企業人事に携わった者として無資格技能なやつをなんで1500円で雇わなきゃならんって思うわよ。

所詮大人になっても時給制バイト非正規なんて学生時代「楽」を選んだ奴なんですわ、その怠惰っぷりが大人になって返ってきてるんだわ。そんなやつをなぜ高時給で雇わなきゃならんのだよ。

私はねぇ、高校時代周りがタバコを吸いつつ放課後カラオケゲームばっかしている奴と違ってとにかく勉強三昧だったんよ、高校二年生の頃から部活終了後塾に通うし、もちろん土日も塾に通いつめたんよ。

高校課題と塾の課題をやりこなすのはとにかく苦しかったわ。泣いたこともあったわ。でも学生時代に苦しんだおかげで今はそれなりに楽に生活できているわよ。少なくとも金銭面ではね。

時給1500円になれば企業ますます自動化をすすめるんよ、工場海外へ、AI時代が来ればなおさらだわ。

AIが爆発的に普及するのは10単位はかかるだろうけどねぇ…まあその頃に最低時給1500円だとかなりの無資格技能バカは職にありつけないんじゃないの?

AIが普及すれば最低時給は500円に下げないと雇用は守れないと思うわよ。ちょっと下げ過ぎかしら、バカでも最低限度の生活は守ってやらなきゃならんしな。

学生時代に楽をしたバカ大人になって苦労する、それを今の高校生にはわかってもらいたいものだわね。

勉強なんて社会に出たら役に立たないしぃ、だから勉強しないわぁ!」とかよく言われるけど確かに三角関数とかmol計算なんて私の業界では全く使ったことはないけど。でも社会に出る途中(試験とか)にはバリバリ必要だわよ。

世の中の高校生諸君モンストグラブルデレステみたいなスマホゲーばっかしたり、流行りのアイドルバンドの追っかけばっかしてないで勉強もして苦しんでほしいものだわね。

息抜き必要だけどそれがメインになっては駄目だわ。私の高校時代息抜きテスト高得点とった休みの日はゲーセンによく行ってたのを思い出すわ。でも月1くらいだったわね。

スマホゲーは本当人間をダメにするわよ、ギャンブル性とイベントで縛り付けて廃人にするっぽいわね。作っている奴らは高学歴、ハマるのは勉強できない低学歴バカよ。バカ所詮搾取される運命なんだわ!そうならないためにも学生時代は苦しむべきだわね。


終わり おねえ風に書いてみました、もちろん仕事をする上では普通の男です。


【追記】2017年5月6日 21:18

年代についてトラックバックされましたので、1984年まれですわ

2017-04-30

アイドル

わたしは小6の冬からジャニーズが好きだ。中2あたりから女子アイドルも好きになった。わたしは完全なるアイドルオタクです。気づけば学生時代アイドルのことばかりで頭がいっぱいでした。高校に入ってスマホを持つようになった。雑誌の発売日なら早売り画像を漁ったり、CDDVDの発売日なら感想を見たり、何か新しい情報が入ってきたんじゃないかと、Twitterを開いている時間が多かった。わたしは人見知りで友達を作ることが苦手でした。何となく話す友達は席の周りにいる子たち。すぐには仲良くなれなかった。1年生の最初の頃は、休み時間はずっとスマホを見ていた。Twitter友達はいた。あの頃ってオタク友達もみんなツイ廃()だったから、割とTLが賑わってたし、私は放課後駐輪場に向かう時まで片手にスマホでリプ返信してたくらい。Twitterが心の拠り所だった時でした。それから現実友達も何人かできて、オタク公言できてたし割と高校生活してたと思う。

高校卒業時期と共に応援してたジャニーズデビュー組への興味が薄れてきてオタク卒業できるかと思ってた。でもそしたら逆にもっと深い沼、ジュニアを好きになっていった。女性アイドルのほうも、色んな事務所アイドルを見るようになっていった。

わたし高卒社会人になった。社会人になっても変わらずアイドルオタク。声を大にしては言ってないけど数人にはヲタバレしてる。

社会人になってからも人見知りは治らないし人付き合いが苦手。昼食や飲み会苦痛帰宅後や休日アイドル達の動画雑誌を見ることだけが癒しです。そして高校時代と同じくTwitterが救い。アイドルアイドルオタク達が好きなのです。現実から離れられるのはそこだけだから。何も考えずにハッピーでいられるのはそこだけ。だって毎日推し・自担が最高!!ってだけで生きれるから

そしてついこの間、自担アイドルを辞めた。この自担を好きになってから1年も経っていない。早すぎる。無条件に「好き!ハッピー!最高!」と叫べる存在が無くなってしまった。どうしたらいいか割と悩んだ。でも違う舞台には立ってくれている。アイドルではない姿で。

女性アイドル達のほうも、解散卒業が決まっているグループがある。彼女達が楽しそうに歌い踊るのを映像で見るだけでいつも涙が出てしまう。悲しいからではなく、同世代女性達がキラキラ輝いていて、その為の努力が背景に見えてしまうからです(想像しかないんですけどね)。

自担アイドルを辞めたなら、私もオタクを辞めようかと思った。「アイドルオタク」を辞めて、別の界隈の「○○さんのファン」になろうかと思った。

でもそれはやっぱり私には出来なかった。自担だけじゃなくて、メンバーグループ自体が好きな箱推しオタクだったから、結局「アイドルオタク」は辞められなかった。

私の人生の半分位はアイドルと共にあって、アイドルなしでは生きていけない、で。アイドルという存在が大好きだから

そして自分が生きるための活力となるのがアイドル達だから自分が唯一おめかしして出掛けられるのはアイドル現場リア充仮面を被ったように可愛い服を着て一応メイクもして。現実ではそんなおめかしして会う相手もいないんで。そして旅行の代わりのプチ一人遠征リア充と呼ばれる人間とは会いに行く対象が違うんですけどわたしはこれが楽しいお金を払って見たいもの・人がある。

アイドル達が大好きだという理由の他は、アイドル応援することで元気になっている自分自分らしくいられるのでそんな自分を守りたい・好きってことで。

アイドルオタクをすることによって、自分を救おうとしている。

恋人でも出来ないとオタクを辞められる気がしない。

まり恋人くださいって意味もあるよね はーーーまったくだよ

2017-04-27

http://anond.hatelabo.jp/20170425223255

あん中学とき、体育の授業があった日の放課後

サッカーなんて欠落競技だ!」だとかなんとか

ぶつぶつ友だちに愚痴タイプ男子じゃなかった?

2017-04-24

教師なんてゴミクズばっかり

昔、クラスで俺のサイフが盗まれたんだよね。

まあ、俺の不注意も当然悪いが、とはいえ盗られたものは取り返さないといけない。

一応先生には言ったが、こういう時は犯人探しのプロに任せるのが一番だろうと言う事で警察に行った。

警察官は「わかった。じゃあ私達も準備して学校に向かうから、先に学校に行っておいて」と言ったので、俺は先に一人で学校に戻った。

するとたまたま校門のところに担任が居た。「どうした?忘れ物か?」と聞かれたので、「いや、警察を呼んで、先に戻ってるように言われた」と説明した。

すると、先生は「警察学校に入れるわけにはいかない。取り下げてくれ」と言い出した。

意味が分からない。学校泥棒を野放しにしてどうするんだ。もちろん断った。

そもそも取り下げる理由が分からない。

警察を入れると色んなところを捜査する事になるんだぞ。それは無理だ」

「何故?別に捜査してもらえばいいじゃん。その為に呼んだんだから

「とにかくダメだ。取り下げなさない」

「大体本当に警察学校に入れないならそもそも警察が来るなんて言うわけ無いじゃん。でも警察がわざわざ来てくれるって事は学校に入れるって事じゃないの?」

ここからビックリ大仰天な展開だった。

「お前な、警察を入れたらクラスを巻き込んで捜査する事になるんだぞ。お前、学校に居れなくなるぞ?」

なんと教師被害者の生徒である俺を脅し始めたのである

しかし当時の俺はいじめられていて、学校なんかむしろさっさと辞めたかたから、「別にそれでも良い」と返した。

先生は説得に見せかけた脅しをかまして来たけれど、そもそも被害者泣き寝入りを迫られる意味が分からないので「いや、別にそれでも良いですよ」を繰り返した。

すると先生がまあ驚きの行動に出た。世の中こんなゴミクズが居るんだなと思ったね。

先生は俺に現金2万円を渡して取り下げてくれと頼んできた。

はぁぁぁぁぁ?

でも当時の俺も俺でかなりのクソバカだった。

その2万円を受け取って、被害を取り下げたんだ。

当時の俺の思考は、「どうせ警察に頼んだところで、放課後犯人含め全員帰ってんのに、いくら警察の力でもぜってー見つからねえよな。サイフに入ってたの2000円くらいだし、10倍って考えると受け取ったほうが得だな」と考えた。

確かに当時の俺からしたら2万は大金だけど、今思うと2万とかいうはした金で、いやそもそも賄賂解決してしまうなんてなんて馬鹿なんだろうと自分をぶん殴りたくなるが、とにかく俺は2万円を受け取ってしまった。

その後俺は、自腹を切ってまで自分の保身を第一に考えるゴミクズ教師である事で、今後いじめっ子にぶん殴られたりしてケガをしたりしても見てみぬふりをされるとしか思えなくなり、怖くなって不登校になった。

そして今でも、教師という職業を心の底から軽蔑している。

2017-04-19

キモイ

中学生3年生の放課後トイレウンコしていたら廊下から増田ってキモイ」と友達と喋っているのが聞こえた。

20年後の今日会社の給湯室で湯呑み洗っていたら廊下から増田ってキモイ」と女性上司が喋っているのが聞こえた。

次は誰にキモイと言われるのだろうか。

2017-04-07

ゲイカップル里子を取ると子がいじめられるって話

今回は里子対象の子10代の男の子で、本人も同意の上らしい、って噂だが。

10代と言っても10歳と17歳じゃ全然違うだろと思うけど、

高校生くらいで本人の同意もあるのなら、まあいいのかもしれない。

けどそのうち、自分意志を示せない乳幼児が選ばれたとして。

(まあ乳幼児特別養子対象になるし人気も高いから、特別養子前提で里子希望の人が沢山いてそっちが優先されるだろうし

それなら現状では特別養子は得られないゲイカップルが選ばれる事はないだろうけど、

いずれ制度が変わったという前提における仮定として)

の子、周囲から孤立するよね。

というのも、乳幼児は親同伴でないと友達と一緒に遊んだりできない。

昔ならともかく、今時未就学児を親や監督する大人が居ない状況に置くのはネグレクトであり、

友人の家に遊びに行かせるのは、親同士がよほど気心知れた仲でない限り非常識な託児親扱いだ。

なので子供が友人の家で遊ぶとなったら、親も一緒に行くのが普通

でも男性が家に来る事を許容する、他の母親はどれだけいるだろうか?

母親が他の母親と付き合う分にはただの「ママ友」付き合いでありごく普通の事だが、

同じように「パパ友」と付き合っても良いという母親はほぼいない。

不倫扱いされるから

噂も立てられそうだし、その母親の夫も「自分が不在の間に妻が他所母親を家に入れている」は許しても

他所父親を家に入れている」は許さないだろう。

「既婚の男女が密室の中にいる=不倫認定」は日本法律でもある。

既婚者の世界では「男女の友情」なんて成立しない。

「いやあの男性ゲイから女性不倫はあり得ないですよ」ってのも通用しない。

そもそもゲイと見せかけて実はバイ、ってのも珍しくもないし。

それは日本育児の場が女性のみに押し付けられてるから父親が阻害されてるだけだ!

父親父親同士で付き合えばいい!と言う人もいるかもしれない。

でもその父親ゲイって事は周囲にも知れ渡ってるわけだよね。

他の父親が「パパ友」付き合いしていたとしても、

「あのパパもゲイだったんだ」「ゲイ不倫なんて最低」「うちの夫はゲイだったんだろうか、私は騙されたのか」…となるわけだ。

まりゲイカップル父親は、他の母親とも大多数のヘテロ父親とも付き合えず孤立する。

親が孤立すれば、子も孤立する。

「そんなの専業の子だけでしょ!保育園は親同士の付き合いなんかないし放課後遊んでる暇もないか保育園に入れればいい」って人もいるかもしれない。

(実際は保育園でもママ友付き合いしている人は多いけど)

でも乳幼児里子ってのは基本的に「自宅保育出来る人=専業」でないと得られないのが原則

施設から出て、また施設保育園)に預けられるのでは意味がないからね)

保育園には入れない。

そのゲイカップルの片方がMTFなんかで、誰が見ても女性、ってなら多少は許容されるかもしれない。

でも「どう見てもどちらも男にしか見えない男らしい男同士のゲイカップル」だったら、許容されるだろうか?

小学生以上になっても、親同士の付き合いがない子は一緒に遊びにくい。

となると交友関係が完全に親から離れられる年齢(小学校高学年~中学生くらい)まで、その子孤立し続けるわけだ。

勿論地域差もあり、都心部でそもそも近所付き合いが希薄入学して来る子の出身幼稚園もバラバラで親同士の付き合いも希薄

皆塾だの習い事だの行ってるから放課後遊ぶ暇なんかない子多数、ってな所なら支障ないかもしれない。

でもご近所付き合いが過密で、皆同じ近所の幼稚園出身から親同士は幼稚園時代からべったり付き合いがあり、

放課後友達の家をお互い行き来して遊ぶのが普通、と言う地域だったらずっと一人だけ仲間外れにされる事になる。

この辺、解決しようがあるのかな。

「既婚の男女が密室の中にいる=不倫認定」という法律廃止すればいい?

そもそもこの法律は皆ヘテロであるという前提に基づいているかゲイ差別であるとか言って?

「既婚の男女が密室にいようがすぐ不倫認定するのは差別」という風潮も広めればいい?

「妻が他所の男と付き合うのは禁止と言い出す夫は差別主義者」とすればいい?

そんな事できるの?

ブコメに対して

ゲイ友達付き合いすることは許容されるか?という問いに対しては許容されるとしか思えないし、子供ゲイとの友達付き合いを不倫だなんだと勘ぐるならそれは育て方が間違っている

独身なら許されるだろうけどな。

でも既婚者はそうはいかない。結婚したら異性の友達とは距離を置くのが普通だし、ゲイと言ってもバイ区別がつかない以上、同じ事だろう。

あと不倫だと勘ぐるのは子供ではなく(乳幼児にそんな知識ねーわ)、夫と周囲の大人法律だ。

2017-04-04

自分けが疎外されている妄想

プリパラワールド。それは、誰の真似でもなく、自分だけの理想の姿であるがままにあれる場所。私が存在する世界から隔絶され、全く異なる時間が流れる世界

だけど私以外の皆はプリパラワールドとこの世界を繋ぐ門の在り処を知っている。きっとその門は私の街にもあるのだろう。自分以外の皆にはプリチケが届いており、放課後仕事終わりになると、自分以外の皆がプリパラワールドへの門をくぐって、きらびやかな服を着て大好きなトモダチと一緒にライブを行い、また、大好きなトモダチの行うライブを鑑賞して黄色い声援を上げるている。

プリパラ実在し、自分以外の皆がそこにこっそり通っていることを私は知っている。自分けがその世界を伺い知ることができないことを、私は知っている。

そういうことにしておいて欲しい。

プリパラ実在すると信じていたい。実在するが、ただ単に自分が知らないだけだと思っていたい。

2017-03-29

自己否定拗らせたメンヘラは最終的に彼氏をフるって話

要するにただの自分語り

高校一年とき、ある男と知り合った。

2つとなりのクラス学級委員長をやっている、見るからにまともではなさそうな男だった。

聞けば1年生になって少しして、すぐバスケ部をやめて少し噂になっていた男らしい。

そいつちょっとしたきっかけで夏に連絡先を交換して、1ヶ月くらいして告白されて付き合い始めた。

そいつにも私にもメンヘラの気があったのもあり、そりゃもう頭の悪そうなカップルになっていたと思う。

けれど私にとっては人生で一番幸福時間だった。

放課後に人目の少ない道を選んでは手を繋いで帰ったし、休日はだいたい彼の家に行って遊んだセックスしたりしていた。

行事ごとのたびに贈り物もしていたし、毎晩のように電話をしながら値落ちしていた。

もちろんメンヘラ同士であるのですぐぶつかり合った。私も彼も気持ちを伝えるのが壊滅的に下手くそだったし、自虐的物事を捉えるのが上手かった。

彼が自虐的に物を捉えて悲観するたびに私は彼に「あなたは素晴らしいひとだから自信を持ってくれ」と言い続けていた。

彼が私の言葉で元気を取り戻してくれるのが何よりも幸福だった。

彼は私の書いたひどい絵をLINEアイコンにしてくれた。

私の知らないところでも私のことばかり話していたそうだ。

私達が付き合い始めたあと、彼は学年全体でも20位くらいの成績だったのがメキメキと伸びはじめ、模試があるたび毎回のように1位を取るようになっていた。

2年生の前半までは私もそれなりだったので、彼と一緒に1位と2位を抑えることもしょっちゅうだった。

本当に楽しかったし、幸福だった。

彼は、彼の自虐癖に対して少しずつ改善兆しを見せていたし、友達がいなかった筈がいつの間にか友人達と良く話すようになっていた。

けれど私の自虐癖は治らなかった。

高校二年の後半に差し掛かるにつれて、彼と私の実力差は目に見えるようになっていた。

別にそれは全然構わなかったしむしろかなり嬉しかったのだけれど、彼は国立大を目指していた。

それも理系結構レベルの高い、いわゆる宮廷と呼ばれる大学だった。

私も最初の頃は彼と似たような大学を目指していたが、ある日ふっと私の学力じゃ努力しても行けないなと気づいてしまった。

私は行けない。そもそも学問にそこまで熱中できる人間じゃないし、おそらく地方ほとんどF欄みたいな国公立に行くことになるだろう。この学校で上位を取れていたのもこの学校が基本バカ高校からだ。

対して彼は本当に頭がいい男だ。このまま努力すれば絶対第一志望くらい余裕で行けるだろう。理学に対する情熱だってある、だってあんなに楽しそうに数学を教えてくれるんだから

じゃあ私はきっと彼の足を引っ張ることになるんだろう。そう思った。

そんな思考半年ぐらい突き落とされて、結局3年生の5月に、適当理由でっち上げて彼をフった。

その半年あいだ、彼と心中してやろう妊娠してやろうとこっそりゴムを捨ててセックスしようとしたり、自殺することで彼の足枷にならないように、かつ彼の心に大きな爪痕を残せるようにしてやろうとしたりもした。

でも結局無理で、いい大学にちゃんと行くべきである彼が合格できるようにするためには私を忘れてもらうしかないとフった。

その後卒業するまで、ちょこちょこ彼から連絡が来た。

でも秋の私の誕生日電話が来たときに、私はひどい態度でそれすらも拒絶した。

その結果、彼は無事に大学に受かったらしい。

噂で聞いた話ではあるが、まず間違いなく受かっていると思う。かくして私の気付きは正しかったらしい。

対して私は受験した大学に全て落ちた。

浪人もやめた。就活こそしているが、4月になれば正式ニートだ。

なんで落ちたかって、彼と別れて一年、ずっとべそべそ泣き続けていたからだ。好きあらば自己嫌悪に溺れて布団の中で一日を過ごした。起き上がることもできなかった。前だったら悲しくなったら彼に電話をかければたちまちに元気になれたのに、ねだればいくらでも撫でてもらえたのに、という具合で。

その生活は未だに続いている。

私の判断絶対に正しかった、でもその代わり私は二度と彼に顔向けできない。

彼は今後の人生でまた恋人を作り、妻を貰い、子を育てることになるのだろう。

私には絶対に無理だ、どんな男に対しても遊びとしてしか付き合いを持てなくなった。

からもう私はこれから死ぬまで、彼のくれた贈り物や写真をたまに眺めては罪悪感と喪失感でべそべそ泣いて生きるのだと思う。

今も、彼のLINEアイコンが、なぜか私が書いたあのひどい絵に戻っているのに気がついて、ぐずぐずに泣いている。

あんなフりかたしかできなくてごめん。ごめんなさい。

お願いだから忘れて、希望をもたせるようなことしないで。ごめんなさい。

2017-03-28

もう部活って限界だよね

自分小学生の時は、部活といえば3年生から参加出来る1時間放課後クラブ活動か、保護者も一緒に参加するスポーツ少年団がメインだった。親が共働きだったので、スポ少には入れなかった。保護者は平日や土日に子供練習に参加してマネージャーのようなことをする必要があった。

放課後クラブでは卓球選択した。温泉旅館友達と打ち合うような感じですごく楽しかった。

中学に進学したら本格的な部活になった。

かっこいいからという理由剣道部に入った。

半年くらいで退部した。

理由

休みが月に1回しかない。

朝練時に顧問道場タバコを吸う。

楽しくなかった。

物理的に辛い。

くさい。

こんな感じ。

進学ちゃんとしたいので辞めますと言った。

顧問はアッサリ引いてくれた。

社会人経験した今だから思うけど、あの顧問どういう気持ち部活指導してたんだろう。

月一しか休みがないのは顧問もだ。

大会があれば遠征するし、ゴールデンウイーク練習だった。あそこの家庭崩壊してないか心配になる。

誰も幸せにならないんじゃないかなぁ。

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