はてなキーワード: 放課後とは
今現在不登校に悩んでいる中学、高校生の中にも死んでしまいたいと思って日々の時間が過ぎていくのをただ待っているだけの生活を送っている人がいるかもしれないけれど。地獄のような生活から逃げ出したい一心で自殺を考えている人には、少しだけでも楽しいと思えることができる日が来るのを待っていてほしい。どうか自殺へと行動を移さずに、今も流れ続ける時間を忘れられる方法で一日を過ごしてほしい。
そんな思いで書いています。
成人して数年、久しぶりに一本の煙草を吸ったらいろいろな記憶が蘇った。あの頃までは元気になんでもできるような気がしていたのに、ある時をきっかけに学校へも通えなくなった。
時を遡ると、高校に入学した15歳のころ。ある程度の学力がある人々が集まっていた高校なのに、私のクラスではいじめがあった。被害者はNくんとしておこう。Nくんは比較的活発なグループからまずいじめられはじめ、もともと彼が仲良くしていたおとなしめのグループからもいじめられるようになった。彼がいじめられる姿を見て、情けない姿を皆が嘲笑うようになった。私はそこに存在するただの傍観者だった。
時々、私は彼と帰った。Nくんは太鼓の達人が大好きで、放課後のゲームセンターで上手なプレイを見せてくれた。彼は確かに挙動不審なことが多かったが、それでもいじめられる理由にはならないはずだった。私はその中で、彼がいじめられ続け精神的に追い込まれ部活も行けなくなったこと。勉強も手につかなくなったことを知った。それでも私は彼とたまに帰宅する程度の仲を保っていた。
このころ、母が国指定の難病に罹患してしまった。そして私は最低の行為をしてしまった。うつ病の薬のこともあり記憶にもやがかかっているが、自分が最低のことを母にしてしまったことは覚えている。
体調を崩し脱衣所で四つん這いになったままの母に、私は「何してるの? 大丈夫?」という声をかけながら、心の中では私だって忙しいしつらいのになんで家事をしてくれないんだろうと母を責めた。もちろんそれは口に出さなかったが、それと同じくらい非道な言葉を母に投げかけた。
「体調が悪いふり?」なんて、今考えるとどうしてそんなことを言ってしまったのかわからないほどの言葉を投げかけたのだ。当時私は母が何に苦しんでいるのかつゆ知らず、難病のことも知らされておらず気を許せる友達もいない戦場のような高校に必死に通っていた。
母はまもなく入院となり、それが信じられなかったのかもしれない父は私には何も教えなかった。家庭から笑顔は消え、父は仕事、私は学校へ通い夜は二人で家事をするという無機質な日々だけが続いた。
母が数か月後家に帰ってきたとき、彼女は骨と皮だけのような姿になっており、帰ってきて階段を上がりきった途端にリストカットするような素振りで「死にたい」と何度もつぶやいていた。私は綺麗だった母が幽霊のようになってしまったこと、悲壮感に溢れた声にもならない声で言ったことに大きなショックを受けたことは覚えている。
数か月後、母は元気になった。朝に起きられるようになり、私の朝ごはんを作ってくれるようになるまで元気になった。抜け落ちていた髪も、青々と茂る夏の木々のように生えそろった。
朝ごはんを食べ終わり、自室に鞄を取りに戻って登校しようとしたある日、私は階段を下りながら涙を流してしまった。すすり泣く私を母が見つけ、その日は学校を休んだ。思えば、この日が私の不登校と出不精のはじまりになってしまった。今思うと、知らぬ間に心にダメージを負っていたのだと思う。
この数か月前から、授業を聴いていても何も頭に入らず、自分がひどく落ちこぼれたような気がして意気消沈していたのを覚えている。数学のテストでは一桁の点数を取り、頭の良い生徒ばかりの高校ではあり得ないほどの点数を取った私は、周囲から馬鹿にされた。盗み見られたその点数を見て。Nくんをいじめていた悪魔から「あたまわっるいね、馬鹿になっちゃった?」と言われたことを、今日煙草を吸いながら思い出した。
体調が悪いと言って登校しなかったその日から、私は完全に学校に行きたくなくなった。もうすぐ高校二年生になるころだったのに、私は自宅でうつろに日々を過ごすのみだった。このあたりの記憶は防衛反応によるものなのかほとんど残っていない。覚えているのは、今でも大好きな昔の映画を観たり、小さいころに観ていたポケモンのアニメを見ながら昔は良かったなと思いを馳せていたことくらいだ。まるで老人のようなその生活を見た母は、私を精神科へと連れて行った。そこでひとまず一種類の薬を飲むようになり、だんだんと種類が増えていったあたりから私は昼過ぎまで起き上がれなくなった。
こうして”立派”な不登校になった私は、デ・ニーロのグッドフェローズやダニー・ボイルの(ユアン・マクレガーの名前を出したほうが分かる人が多いかもしれない)トレインスポッティングを観たり、破滅的な思考をなんとか創作の中で味わい続け、自殺を耐えていた。
詳しいことは知らないが、3年生に上がるころ担任から「3年生になると2年生のころのように不登校のままだと卒業ができなくなってしまう」ことを告げられ、私は仕方なく登校を再開した。
正直2年生のころも同じようなことを言われて、もうどうせ進級もできなくて中卒不登校のひきこもりになってしまう未来しか見えていなかった私は、4月から懸命に学校に通った。死にたいことを何度もほのめかす私を。父と母は応援してくれた。父は通勤用の車を私のために家に残し、毎日40分近く自転車を漕いで通勤していた。母は私を学校と自宅まで送迎してくれた。毎日だ。
途中、休むときもあったが基本的には登校ができていた。Nくんへのいじめが常態化していたクラスにいたことで脳にダメージがいっていたのか、相変わらず記憶が思うようにいかず勉強はさっぱりできなくなってしまっていた。1学期、定期テストではひどい点数を取り、受験どころか卒業が危ぶまれた。担任から何とかならないかと言われたけれど、何とかなんてならないことは私が一番分かっていた。
あのころどうしていたのかは分からないけれど、2学期からは死に物狂いで勉強をし、数学では及第点、1学期で0点に近かった世界史のテストでは90数点を取った。とりあえず3学期もまた90点ほど取れれば卒業はできるだろうと考えて、3学期も同じくらいの点数を取った。記憶がうまくできなかったので、本当に反復の反復、さらに反復のような状態だった。(今では治った)
大学ももともと目指していた高偏差値のところなんて行けるはずもなく、必死に受けたセンター試験を利用してそこそこの大学に入った。幸い、高校に入学するまでに相当勉強していたのでほとんど勉強しなくても9割近く3教科は取れたのだ。それでも自分にとってはショックで、大学に入っても落ちこぼれた印象はずっとついて回った。
心を入れ替え大学に通い始めたけれど、不登校の癖がついてしまっていて社会的生活に恐怖を感じていた私は、数か月で電車通学が苦しすぎて中途退学してしまった。
今、その大学に入りなおしてそろそろ卒業を迎える。内定も得て、自分のやりたかった職業にチャレンジできる未来が見えている。
それでも、いじめを見て疑心暗鬼になっていたことの私の時間は帰ってこない。電車に乗って高校生を見ると、あのころ違う高校に通っていればあんな思いもせずに記憶障害のようなものに悩まされることもなかったのかもしれない、と思ってしまって稀に目に涙が浮かんでしまう。
それでも時は流れ、日々は続いていく。あの頃は帰ってこないし、私ももう20台中盤だ。物事に折り合いをつけられるようになり、バイトまでできるようになった。他人と話すのが怖かったくらいだったのに、今ではコミュニケーション能力も高いよね、と年齢が上の方々からも言っていただけるようになった。(バイトを通して苦手だったコミュニケーションを何度も何度も練習するつもりで磨いた)
今、どうしようもなく不安になってこの日記を書いてしまったが、最近はうつ病のような症状も収まりひきこもる頻度も減った。それでも時折、元気がなくなると数日ひきこもってしまう。大学生活だってストレートにはいかなかった。体調を崩しひきこもった瞬間もあった。
それでも父と母は私を理解してくれ、応援してくれた。父に関しては昭和の男だから鉄拳制裁を喰らって殴り合いのけんかになってしまったこともあるけれど、いつの日かを境にうつ病を抱えている私を理解してくれるようになった。遊びに誘ってくれたり、断っても体調が悪いなら仕方ないと理解してくれるようになった。
うつ病の薬を断って、大学でのストレスからやせ体形だったはずなのに食にストレスをぶつけてしまって今では30㎏ほど増えてしまったし、今の体形の自分は嫌いだけれどそれでも毎日を楽しくは過ごせている。だからこそ、今不登校に悩んでいたり死んでしまいたいと思っている中、高校生や学生の同じくらいの年齢の方々に伝えたい。
どうか諦めずに、つらい今は好きなことをして時間が経つのを待ってみてほしい。
男だから泣くんじゃない、女だからはしたないことなんてするななんて声は無視してしまえ。男だって泣いていいし、女だって冒険をしてもいい。
勝ち負け気にしてんのか意固地になってるのか知らんけど、あくまで放課後を静かに過ごしたい「桜井真一が」なんだかんだで宇崎ちゃんに「巻き込まれて楽しく日々を過ごす」話だよ。原作公式のあらすじ読め。
https://anond.hatelabo.jp/20220630040756
ブコメ返信書きました!沢山おすすめしていただいてありがとうございます!
知らないのも多くて嬉しい
好きな漫画探しても既読か知ってるか読んでも微妙以外が3%しかない!助けて!!
自分の好みど真ん中のやつ
キーワードにするとすこしふしぎ、日常物、児童書っぽさなどが好き
・モモ
・白乙一
長い道
クロクロク
虫と歌
働かないふたり
変身のニュース
足摺水族館
夜とコンクリート
無限大の日々
最果てアーケード
鞄図書館
バーナード嬢曰く
つづきはまた明日
雨柳堂夢咄
クレマチカ靴店
放課後保健室
GA学園
棺桶担ぎのクロ
夢の博物誌
二度寝してた……すまん
夢幻紳士(何篇かは忘れた)
あかりや(無料公開しているのにAmazonで買ってから気づいた)
https://www.mangaz.com/book/detail/46061
最果てのソルテ(水上悟志作品は完結済みだとサイコスタッフ、惑星のさみだれ、戦国妖狐読んでて戦後妖狐大好きだけど児童書よりは少年漫画寄りかな?と思って上げなかった。ソルテは児童書感が一番強いので一番に好きになりそう!)
銀のニーナ
なんてないことのふつうの夜に
春と盆暗
回転銀河
となりのロボット
ゆうてテガミバチもネウロもハガレンも大好きな人間なので別にとにかく面白いけどマイナーな漫画でも投げてくれて全然かまいません!小説映画曲アニメゲームドラマでも可
③なんでもいいので知らないおすすめ作品ぐらいの優先順位でお願いします。
児童書とラノベ読んで育ち漫画描き出してからは漫画ばかり読んでいるので他分野
ゲーム、映画、ドラマ、アニメ、女性向けの漫画は知識が薄いです。
つーわけで漫画に詳しいブクマカ頼みましたよ……私は寝ます……
無事本日の漫画増田になれたようで沢山ブクマでお薦めしていただきありがとうございます。
【宣伝】カシワイさんに影響受けてた時に描いた漫画まとめてるから、すこしふしぎ日常ファンタジー短編読みたい人は読んでみてね!
https://twitter.com/i/events/1446098829112070146?s=21&t=vKyvx4ZJwyhLKOX26W6q6Q
当時の美術部は俺以外はオタ女ばかりで気味悪いのしかいなく、唯一まともだったのが部長だった。
ブスだらけだったから多少可愛く見えたのもあるんだと思う。
肝心の童貞を卒業したのは土曜日。その日は俺とその子の2人しか居なかった。
その日描き上がったデッサンのフキサチーフが乾くのを待ってる間、ムラムラしてきてしまった。
どうしても抑えきれずおっぱいを触ったら少し驚いた顔をしていたが嫌がりもせず受け入れてくれた。
中は暖かいし当時流行り始めたTENGAとも違って気持ちよかった。
セックスした後もその子との関係は変わらず、むしろより深い関係になったと思う。(卒業まで3回はヤった)
https://news.yahoo.co.jp/articles/9405d0c154f1679b57df7a25eebad1cefcc5508f
この記事を見て思い出したんだ。小6のときの帰りの会、クラスの発言力ある男子が【今日のよくなかったこと】コーナーで、給食のときに小競り合いになった私の態度を挙げ、クラスの全員の前での謝罪を要求したことを。
話を聞いた女の担任の先生は、冷たい声で「私さん立ちなさい」と命じた。学級裁判開廷だ。仕方なく立ち上がった私の態度はとても不貞腐れたものだったろう。担任は苛立ちを隠さずこう言った。
「俺くんに謝りなさい」
私は、どうして謝る必要があるのか? そうだとしてもどうしてみんなの前で謝らなければいけないのか? 大変に不服だった。
腹が立って何もせず立っていたら、そのうちに放課後のチャイムが鳴った。他のクラスの子たちが下校していく声が聞こえる。
クラスの子たちも限界を迎え、男子を中心に「早く謝れよ」という声が出始めた。私も限界だった。早くこの場から立ち去りたい。この場を収めるには私が折れなくてはいけない。謝る理由も納得できていないけど、そうしなくっちゃいけないんだ。
だから私は、それこそジャンポケの斉藤のネタそっくりに「すいませんでした」と言った。11歳のときの私は今より大人だったかもしれない。
だが、謝罪を要求してきた男子からは「そんな態度じゃ謝ったうちに入らないからしっかりと自分に向かって頭を下げろ」と言い出した。調子に乗るんじゃねえ。私は「もう謝りましたけど?!」と反論。これには外野も騒ぎ出し、法廷はカオスだった。
そのときの担任は、行き過ぎとも思える要求を「そうですね。私さんは俺くんにちゃんと頭を下げなさい」と肯定した。命じてきた。ビックリした。
私は当然納得いかず頑なに拒否。結局学級裁判は結審せず、翌日にまで持ち越された。ちなみにこのあとの記憶はない。小6の頃の学校生活なんて日々こんな感じだったから、記憶からなくなってむしろ良かった。
ただ、小学校の卒業式直後の謝恩会でその担任に「先生は私のこと嫌いだったんですか?」と聞いたときのことは覚えてる。「そうですね、嫌いでしたよ」と微笑まれたことも。20数年も前に廃業した、自宅近くのボーリング場でのことだった。学級裁判もあのボーリング場も、生涯忘れない。
あの担任については、申し訳ないが苦しんで死んでくれてたらいいなと思っている。
こういう教員、意外といたよね。
平凡な会社員として30半ばを過ぎて、この先人生のイベント、特に恋愛関係の甘酸っぱいイベントが発生しないだろうことを考えて、ちょっと早いが人生の恋愛の決算として、思い出をまとめることにした。
私の配偶者は男女交友について保守的で、恋愛経験やその前段階のアプローチすら少なければ少ない方が良いと思っているようなので、私の思い出を聞いても喜ばないだろうから、ここに書くことにした。
小学校高学年:
姉の友達から頻繁に遊びに誘われた。バレンタインのチョコレートも貰った。私が部活に入って遊ぶ時間がなくなったし、何よりまだ子供なので恋愛とかはなかった。
高校1年夏:
異性のクラスメイトからダブルデートに誘われてアイスクリーム屋やなぜかうどん屋に行ったり、携帯電話で写真を撮られたりした。
当時、写真を撮影すると芸能人の誰に似ているか教えてくれるウェブサービスがあったそうで、それによると私は柴咲コウだか長澤まさみだか、女性芸能人と似ているという判定で、それをやたらとイジラレた。
誘われるまま秋ごろまで続いたが、頻度が減りやがて自然消滅。
高校2年春:
前年から部活の一部メンバーで男女混合で映画館などへ出かけることがあった。その中の先輩を一対一のデートに誘ったが断られて玉砕。
高校2年秋:
文化祭の日、部活の同級生から、激しく緊張した表情で図書館裏に呼び出された。
(告白してくるのか?)と思ったら、案の定付き合ってくれと頭を下げられる。私はその子のことを好きではなく、ヒステリックなところがむしろ嫌だったので断った。
高校2年秋:
校内の球技大会で、競技が終わると、20メートルほど離れた応援場所から部活の部長(同級生、異性)が突然近寄ってきて背中をさすってくる。何かと思えば、「体操服が汚れてる…」。
私の体操服は汗と土で泥のような汚れがついていた。それを払うために、わざわざ一人で歩いてきてくれたのだった。
湿っていて汚いので私自身でさえあまり触りたくなかった。泥のような汚れなので払ったところで落ちるはずもないのだが、ともかく部長は素手で払おうとするので、部長の手の方も汚れてしまった。
部長が汚れに気がついたということは、部長が私を見ていたということだし、汚れを払ってくれている間も周囲には沢山の生徒がいて彼らからも見られている。また、部長が私の汚れを払ってくれる理由は、私に見苦しくない格好をしてほしいという思いなのだろうが、どうして部長が私に対してそんなことを思うのだろうか、と考えて妙にドキドキしながら、されるがままに汚れを払ってもらっていた。
部長はかなりの美人だ。あれ程の美人は、リアルでは芸能人を除いて見たことがない。後年、こりん星とか言ってた時代の小倉優子をたまたま新橋で見かけたことがあって(何かの撮影中だった)、リアルで見るとそのスタイルも顔も明らかに常人とは違うので驚いたものだが、部長はそのときの小倉優子の次に美人だと思う。
また、高校生の時には美人でも歳を取ると崩れてしまう女性は多いが、大学卒業後に会ったときも、その後30近くになって部活の同級生経由で写真を見たときも、相変わらず美人だった。
背中の汚れは結局落ちなかったが手が汚れたので二人で手洗い場で手を洗った。何を話したかは覚えてない。
たしか翌日くらいに(これはひょっとして行けるか?)という考えが頭をよぎったが、冷静に考えると釣り合わないのでアプローチはしなかった。
バレンタインデーには毎年義理チョコを貰っていた。主に女子の友達に配っていたようだが、私以外の男子に渡しているところは見ていない、が、明るく優しく交友関係が広い子だったので、渡していたと思う。
今は部長は高校教師をしているらしい。文化系、体育会系、勉強ができる子や先輩後輩といったみんなと仲良くなるし、色々なイベントを企画する発想力とリーダーシップもあったので、生徒に好かれる先生なんだろうな、と思う。
20年近く経ち妻も子もいる今でも当時のことをたまに思い出す…。
部長は人望があっただけでなく部活の才能も抜きん出ていたのでその点でも思い出すことがある。
高校3年冬:
私が通っていた高校では、3年生は受験勉強があるので、下級生が放課後に教室の掃除をしてくれることになっていた。
私は、部活を引退して以来、放課後は教室で勉強することが日課になっていたので、掃除のために隅に追いやられながらも、机に向かっていた。
その掃除に、部活の後輩(一年生)の女子が来ていた。その子はおとなしい性格でよく読書していた。話したことはなかった。バレンタインデーにも掃除してくれていたが、その日はいつまで経ってもホウキを持っていてなかなか掃除が終わらない。とうとう他の下級生がみんな帰り、教室には私とその子だけになった。その状況でチョコレートを貰った。
部活を引退したのにくれるなんて律儀だな、と思ったが、その子は「受験頑張ってください…。このチョコは本命です」という。
「流石に受験直前だから考えさせて」と答えたが、頭の中では、これまで話したことがないのにどう判断しろと? とか、受験直前に迷わせないでほしい、といったことを考えていた。
その後、受験し、登校することがなくなると、その子と会う機会もないので、ついつい返事をせずに終わってしまった。
部活の私の代くらいまではきちんとプロを研究してあわよくば自身もプロを目指すガチ勢的な雰囲気があったのに対し(雑誌の取材も来ていた)、後輩たちは趣味でエンジョイする雰囲気が強くなっており、私はそのことを残念に思っていたので、その子のこともあまり好きではなかった。しかしその子は身長は低いものの顔は可愛いかったので、もう少しタイミングが早ければありといえばありだった。けれども私が進学で引っ越す都合もあり、進展なし。
大学1年生:
同じ高校から同じ大学に進学してた子(あまり喋ったことはなかった)から突然漫画や映画を勧められて、やがてデートに行き、付き合うことになった。
夏の京都旅行とかした。
何かと不満をこぼす子で、あまり良くなかった。あと、その子の実家はなかなかのお金持ちで、デートのたびに割り勘でも金銭的負担が重かった。
何人かを経由して聞いた話では、今では安定した職に就き、結婚して、子供を産み、平和に暮らしているらしい。良かった。
大学3年生:
社会人〜3年目:
社交的な同期(異性)を通じて、同じ部署の後輩(異性)から飲みに誘われる。
最初は私と後輩のサシ飲みの予定だったけれども、経緯は忘れたが、なぜか3人で飲むことに。私も後輩もあまり喋る方ではないので、場を取り持つために同期が入ってくれたのかもしれない。
恋愛関係だったとしても、3回ほど3人で飲みに行って、その後は誘われなかったので、切られたということだと思う。もしくは私から動くのを待っていた? まさか。同期はかなりお節介な性格でもあったので、私から動くべきであればそのように誘導してきたと思う。
まあ、私はその後輩のことが気にならなかったので、私から動く気は起きなかったが。その後輩はおそらくいまも独身。
社会人5年目:
同期の異性とディズニーへ行ったことがないという話をしていると、二人で行かないかと誘われる。ディズニーには興味がないので断った。
そういえば、その前から、その同期に誘われて毎日二人で昼食を採っていたので伏線だったのかもしれない。
社会人6年目:
その同期は直後に転職して出て行ったが、断られたときの温度感を顧みるに、転職がなくても難しかった。
社会人7年目春:
私も転職した。転職して一ヶ月で同じ部署の女性(5歳上)からデートに誘われる。その後デートを重ねたが、お互いに何か違うねとなって別れた。もう少し若ければ有りだったが、年齢的に互いに結婚を意識せざるを得ず、結婚ということを考えるとなにか違っていた。別れるときに、主体性が無いとか自分の意見が無いといったコメントを受けた。そうですか、ありがとう。たぶんこの女性から水虫を移された気がする。
社会人7年目夏:
知り合い経由で知り合った女性医師と、美術館や中華街などへ行った。何度かデートした。
デートの計画を予めきちんと立てて、タイムテーブル従って進行するという感じだった。
例えば職場の同僚としてなら良い関係を築けたと思うが、恋愛はちょっと違うという感覚をお互いに持っていたように感じる。なんとなく消滅した。
社会人8年目:
妻と出会う。
毎日夜、どうやったら明日の仕事なくなるかなって考えるけど、どう頑張ってもなくなる可能性が低すぎて笑っちゃう。
学生の頃は、台風、雪、大雨、地震とかで一年のうち休校になることって割とあったけど、完全在宅だから絶対にない。死。
最近、1日だけ高校生に戻れたら何をするかなって妄想するのが楽しい。
8時過ぎに登校して、仲良い友だちに今日の放課後一緒に寄り道しようって言って、昼間は全授業寝ないで受ける。放課後は約束通りイオンのフードコートでだらだら喋って帰宅した後、宿題と次の日の予習はちゃんとやって、23時くらいに寝る。最高。
で、そのままもう現実には帰ってきたくない。
高校生の頃は高校生の頃で、嫌なこととか辛いこととかいっぱいあったけど、今の私ならそれに立ち向かえる気がするから、部活の顧問も母親もかかってこいやの気持ち。それで昔の自分を守るんだ
こんな感じで、数年後の私なら今の私の抱えてることなんてなんとも思わなくなってることを願ってますけど、数年後はまた違うことで悩んでると思うと憂鬱だ〜〜
年々悩みが増えていってて、未来が怖いから、その辺に生えてる雑草とか、誰かに食べられる大福とか、床の間にある置物とかになりたい。
公立は労働環境死亡確定ガチャだから、ワンチャンのガチャにかけて私立で勤務してるんだ!
多分多少公立よりはマシ!
新卒で仲良くなった先生が、今日(今日! 日曜日!)会った時にコソッと、「転職考えてますか? 自分は考えてて探してます……」って言ってて泣いた!
でも悲しい!
確かにそいつは、平日の放課後も土日もずっと部活部活部活部活! 授業準備をする時間は無い! あるわけない! 管理職はバカなのかな? バカなんだな? 知ってる!
4月、初めて会った時は大学生上がりのチャラいやつって感じだった! 今はやつれて顔はニキビだらけ! 髪もボサボサ! あのチャラさは死んでしまった! 出勤時見かけた時は衝撃! ヨロヨロ歩いてフラフラしてた! 多分放っておいたらもうすぐ死ぬ!
自分ももうむり! 部活の違いでそいつよりはマシな労働環境だけど、それでももう無理! 週1日は休みもらえるけど週6勤務!! 週5勤務で1週間終わったら奇跡!
平日は8時前には出勤! そのまますぐ業務開始! だいたい19時くらいに職員室から逃げ出す! そんな平日! 平均拘束11時間強!
今までずっと9時17時だったからそれくらいかな? って思って行ったら今日はできれば20時までいてほしいんだって! ギョエーーー!
ちなみに、部活動に関しては、強制してはいけないことになってるから、いつも「できれば〜ほしい」って言われるよ! 自分はその言葉、そのまま受け取らせてもらいます!^_^
だから、できれば20時までいてほしいって言われて、その時ははっきり返事しなかったんだけど、その間にマブの新卒が転職したいって言い出して、家族の心配とか、友達とか、趣味とか思い出して、職員室で泣きそうになったから、(社会人だからギリ耐えた! えらい!)できないです! もうこれ以上無理です! って言って帰ってきた! 今泣きそう! 助けて!
部活の間、すごい辛い! すごい代わりのきく人間として扱われる! 初めての経験! 自分は必要とされてないし、尊重されてないし、でも拘束時間は長いのに給料は雀の涙! なにこれ!?
ロクな情報共有ないから、生徒より何も知らない! 何もわからない! なんか自分抜きで全部話進んでて、共有を求めても大丈夫ですって言われて何も説明されない!
毎週部活行く時お腹痛い! お腹痛くなくなったら肋の奥がゾワゾワしてる!
しぬ!?
主顧問が担任も持ってて、新婚で、週7勤務×12時間してるのは知ってる! 今日も自分が帰った分も込みで20時まで残るんだろう!(でも自分が20時まで残ったところでそいつがさっさと帰れるわけじゃないから今日に関しては気にすることないのか?)
でも自分はもう無理! なんか心がもう無理!
社会人になったので、自己責任で自分の心と体の健康を最優先にさせてもらいます! 他の連中がどうなろうと、この際気にしない! 他の連中より自分が何より大事! どんな悪口言われたっていいや! もう既にイベントの日(日曜)に用事あって出勤しなかったら陰口叩かれたらしいけど知らん! もう言わせておく!
自分は今年限りで何がなんでも、泣き落としてでも、このクソ部活の副顧問をやめる!
本音を言うと、今年度と言わずこの競技を嫌いになる前にさっさと辞めさせてほしいけど!
もう既にだいぶ嫌いになってきてる!
何もかも終わった!
幸い授業に関しては優秀評価されてるからそっちで頑張らせてもらうわ!!!! ハーーこっち方面は優秀ピーポーででよかった!!
・殴る、蹴る
侮辱罪だしイジメだと思う。これに関してはたまに肥満児の汗とかワキガなどガチで臭い子がいて周囲を不快にさせているときがあり、そういった場合は被害者の子供に介入が必要かと思う
イジメじゃないと思う。放課後くらい気が合う子とだけ遊んでもいいだろう。ただそうすると給食や体育のチームも気が合う子だけでええやん、となりこの辺自分でもよくわからない
こうして書いていると法律違反になりそうなもの(傷害罪、侮辱罪、名誉毀損罪など)は確かにイジメだとおもった。というか犯罪?
別に法律に違反してないけどしんどいもの(仲良しグループに入れない、遊びに誘わないなど)については、学校や家族もどうしたらいいかわからんよなあ……。
①
日本で一番使われているゲイ向けマッチングアプリでのBLに関するアンケート結果
https://researchmap.jp/mai.sato/published_works
・18~39歳の約70%がBL読者。一方、40歳以上だと読者非読者半々くらい。
・回答者全体で「ゲイ向け」のマンガを「よく/そこそこ」読む割合は6割くらい。
・BL読者の約55%はBLは「いつも/よく ⾃分の欲望をかたちにしてくれる」と感じている(この割合は腐女子対象のアンケート結果より多い)
・一方、BL読者の半分以上は以下のBLへの批判を妥当としているが、
②
①ほどじゃないが国内ではかなりアクティブなゲイ向けマッチングアプリのコミュニティメンバー数
・「筋肉質、鍛えている人が好き」2051人
・「太ってる人・ぽっちゃりしてる人が好き」552人
・「腐男子です」1214人
・「刀剣乱舞」66人
①
日本で一番使われているゲイ向けマッチングアプリでのBLに関するアンケート結果
https://researchmap.jp/mai.sato/published_works
・18~39歳の約70%がBL読者。一方、40歳以上だと読者非読者半々くらい。
・回答者全体で「ゲイ向け」のマンガを「よく/そこそこ」読む割合は6割くらい。
・BL読者の約55%はBLは「いつも/よく ⾃分の欲望をかたちにしてくれる」と感じている(この割合は腐女子対象のアンケート結果より多い)
・一方、BL読者の半分以上は以下のBLへの批判を妥当としているが、
②
日本でたぶん二番目か三番目に使われてるゲイ向けマッチングアプリのコミュニティメンバー数
・「筋肉質、鍛えている人が好き」2051人
・「太ってる人・ぽっちゃりしてる人が好き」552人
・「腐男子です」1214人
・「刀剣乱舞」66人
翔太(かなた)はいつも友達の輪の真ん中にいる陽キャで、陽(あきら)は特進クラスに所属する秀才で単独行動を好む陰キャである。彼らは同じ高校に通う同学年だということしか共通点がないが、なぜかすれ違いざまによく目が合う。
そんな二人はある日の昼休み、屋上に続く階段の踊場で出会った。いつもそこで一人で過ごす陽の隣は何故か居心地がよく、翔太は昼休みごとに入り浸るようになる。
翔太が急に行方をくらますようになったことに彼の友人達は不審に思いはじめる。一方で、陽は翔太には言えない秘密を抱えていて……。
こういう少女漫画系学園恋愛物語を読むことは、自分は一生ないんでないかと思ったのだが、そう思いつつも今年に入ってから『君の膵臓を食べたい』とか『コクリコ坂から』とか読んどるやんけ、ならBLでも読めない訳がない! と急に気分が変わったので読んでみた。なお、本作は全くエロがない。
登場人物の喋りがYouTubeとかで見る今時の若者そのものだが、日常の過ごし方が二十数年前の学生とあまり変わってない感じなのが驚き。今時の高校生も放課後にカラオケなんて行ったりするの……私の住んでる辺りのカラオケボックスなんか、疫病とか関係なく軒並み潰れましたが……。
屋上への出入口に続く階段の踊場で二人が出会うなどという、いっけなーい! 遅刻遅刻! とパンくわえて走ってたら曲がり角でイケメンと側面衝突したくらいの伝説的ベタさからのスタートで、そこからベタが幾重にも畳みかけて来るのだが、こうもベタを貫いていると一周回って目新しく感じた。まあ、ベタな展開の漫画って実例を挙げよと言われると案外出てこない、まぼろしだったりするからなあ。でもはい、「屋上への出入口に続く階段の踊場で二人が出会う」作品はこちらでございます。もしも、そんな作品本当にあるの? と誰かが言ったら『コントラスト』とこれからは自信を持って答えられる。
約300ページの長編なんだけど、背景の描き込みが少ないのと、ストーリーや設定がベタベタなのとで、余計なことに目が行ったり考え込んだりさせられないので、さくさくと読み進められるし、登場人物の心理描写に集中できる。
主人公二人のキャラが定番ながらも厚みがあってよかった。陽の方はちょっと詰め込み過ぎではないかとも思ったけど。主人公二人ともそれぞれ複雑な思いを抱えていて、それで互いや周囲の人達と齟齬を生んだりもするけど、思いやりで人間関係が回転していて、なんとも優しい世界観。あまり棘がないのが今時って感じかなあ。
広沢大河は高校入学と同時に演劇部への入部を決めた。彼の夢はヒーローになることで、日本一のビッグな俳優を目指しているのだ。
そして演劇部の催物を見学に行った大河は、舞台上で踊っていた美少女「マリア様」に一目惚れをしてしまう。
勢いでマリア様に告白したもののあっさり断られた大河。彼はめげずに入部を志望し演劇部の門戸を叩く。ところがそこへ現れたマリア様は男子の制服を着ていて……。
またもエロの無い学園もの。ファンシーな表紙とは違い、中身はどえらくパワフルな少年漫画系。あまりにも勢いがすごくて唖然としてしまった。情熱が爆発している! なんだこれ……こんなBL見たことがない……。あとなんか演劇部の顧問がすごくパニー(どうぶつの森シリーズの)じゃん……。
若さとパワー漲ってるなぁ、と思ったら出版当時、作者はやはり二十歳少し手前くらいだったのだそうで、さもありなん。画力といい構成力といいとんでもない逸材だなあ、ストーリーはだいぶ荒いけど。すごい、将来に期待……と思ったら、PEYO先生こと江口公生先生は23歳の若さで夭折されたとのこと。悲しい。
radikoとらじるらじるの番組表を見ながら「この時間はこれ流してることが多いな」というやつをピックアップしてみた。
いずれもちゃんと聴いているというよりは単に流してるだけなので真面目なリスナーではない。
あげた番組を必ず流してるわけでもなく気分でザッピングしている。
radikoが登場してラジオに復帰したタイプで当時DIGやタマフルを聴いてたのでTBSラジオが根城になってる感がある。
●月曜日
森本毅郎・スタンバイ(TBS)、おはよう寺ちゃん(文化放送)
ジェーン・スー生活は踊る(TBS)、くにまる食堂(文化放送)
CITY CHILL CLUB(TBS)、ラジオ深夜便(NHKラジオ第1)
月曜日と同様
●金曜日
森本毅郎・スタンバイ(TBS)、おはよう寺ちゃん(文化放送)
TOKYO TEPPAN FRIDAY(TokyoFM)、荻上チキ・Session(TBS)
MOZAIKU NIGHT(bayfm)、Hit Hit Hit(NACK5)
●土曜日
Saturday Morning Radio おびハピ(NACK5)
モーニング女学院~放課後ミーティング~(ラジオ日本)、BEYOOOOONDSのDOYOOOOOB!(NACK5)
FANTASY RADIO(NACK5)、オードリーのオールナイトニッポン(ニッポン放送)
●日曜日
GARAGE HERO's~愛車のこだわり~(TBS)、NHKのど自慢(NHKラジオ第1)
Fate/Grand Order カルデア・ラジオ局(文化放送)
花澤香菜のひとりでできるかな(文化放送)、みちょパラ(ニッポン放送)
林原めぐみのTokyo Boogie Night(TBS)、アンジュルムステーション1422(ラジオ日本)
小学校のPTAからアンケートが届いた。考えをまとめるために記す。
現状は無償ボランティアによる下校時間帯の見守りがあるが、おそらく数年以内にボランティア層が全員退くため、児童の交通事故防止のための「見守り」が不可能になる。
徒歩通学の小学校(歩道あり道路の多いエリア)を除き、スクールバス通学に移行。スクールバス小学校は学区を広域化する。
徒歩圏以外はスクールバス通学に移行。幹線道路を渡る児童をゼロにする。
案2.送迎ありの民間学童誘致
金銭的に余裕のある層は民間学童を利用してもらう。余裕のない層は引き続き公立学童を利用する(公立学童の規模拡大)。すると、自宅に自力で下校する児童数が減るので見守りを廃止または縮小しても問題なくなるはず
案2b.親の就業の有無を問わない「放課後教室」を小学校内に開設して時間帯を分散して親が迎えに行く。親の送迎時の事故は親の責任
案3.5GやIoTを利用して事故多発時点で走行車あるいは歩行者にアラートを出す
…システム誰か開発してくれ
スクールバス関連の事故も皆無ではなく、より「マシ」な選択だが、徒歩通学途中の子どもに対する自動車事故を防ぐには、歩道付き道路(信号あり)を増やすか、保護者自身が車送迎するしかないじゃん。歩道をはみ出て車道を歩く中学生と何度か遭遇したことがあるので分散登校/下校して欲しい。時差通勤は「子どもの時差通学」と「朝のゴミ収集の時差回収」なしには難しいよ。時差出勤だと、出勤のついでにごみ出せないから。
先週の月曜日の早朝、カラスに食われそうになっていた子猫をつい拾ってしまった。
子猫は獣医さんの見立てでは、拾った日時点で生後1ヶ月くらい。しっかり牙が生え揃っていたので、最低限の自分の身の回りの世話はできるはずと獣医さんは言ったのだが、実は全く何も出来ない赤ちゃん猫だった。
そんな子猫を育てるのは、まるで新生児育児しているようだったが、人間の赤ちゃんの世話と要領が似ているところがあったので、ヒトの子二人を育てている私には何とかなった。もしも子供を産む前にこんな子猫を拾ったらどうにもならなかった。
なんだかんだ、大変で忙しかったが、子猫の成長は想像のはるか上をゆく爆速ぶりで、何にも出来ない赤ちゃんだったのが、6日目には普通に皿から餌を食べ、決められた場所で排泄できるようになってしまった。
それはよかったのだが、10日目の朝には物凄いスピードで室内を縦横無尽に駆け回り、人の手で容易に捕まえられないほど機敏になってしまったのには焦った。もう我が家は子猫にとって手狭で、これ以上ここに閉じ込めておくのは子猫が可哀想だとおもった。
元から、我が家では猫を飼うことができないのは分かりきっていたので、子猫を拾ったその日から、いかに円満に子猫を手離すかを考えて動いていた。
子供の友達の家や私の仕事仲間などに猫を飼わないかと聞き回ったが、ほとんど断られた。これではらちがあかないので、動物愛護団体に頼ることにした。
動物愛護団体に問い合わせたところ、団体主催の譲渡会に参加できるのは生後2ヶ月以降の犬猫に限るという。また、寄生虫検査結果と生後2ヶ月の健康診断の証明書の提出、初回ワクチン接種を済ませることも、譲渡会参加の条件だった。
そんな訳で、少なくとも来月の上旬までは我が家で子猫の面倒を見るつもりだった。だが、子猫の運動能力の発達があまりにも目覚まし過ぎたので、10日目の朝には心が折れそうになっていた。
ところが、猫を引き取りたいと手をあげた人がいた。それはうちの下の子の友達だった。先週の木曜日、学校まで下の子を迎えに行くと、
「Aちゃんが猫飼うっていうからAちゃんを車に乗せてうちまで猫を取りに来てもらってもいい?」
という。唐突なことに、勿論本気とは思えなかった。Aちゃんの保護者の方にOKをもらわず勝手に車に乗せてうちに連れて来ることはできないし、子猫を連れて帰らせる事もできない。本当に子猫を飼えるのか、Aちゃんは保護者の方達とよく話し合うべきだ。そう下の子に説明して、Aちゃんにはご家族の方が迎えに来るまで学校で待つように言った。
その翌日、下の子はまた帰宅後に「Aちゃんは猫を飼えると言った。いつ猫をAちゃんにあげるのか」と問い詰めて来たが、Aちゃんの保護者から何も言ってこない限りはそんな話を本気に出来るはずもない。今すぐにでも猫を取りに来れるなんて言われたって……。
週末は子猫の世話に追われながらも成長ぶりを喜んでいるうちに過ぎた。
そして月曜日。子猫はたった一週間で赤ちゃんからやんちゃ坊主に急成長をした。動物病院に健診に連れて行った。どこにも具合の悪いところはなく、健康で順調に育っていると獣医さんは太鼓判を押した。次の受診は譲渡会に出す直前でいいとのことだった。
その日の夕方、下の子がAちゃんの母親からの手紙を持って帰ってきた。子猫の件で話をしたいので、電車をして欲しいとの事で、電話番号が書かれていた。
早速電話をしてみると、もうすでに猫をAちゃんの家に譲ることが決まっているかのような話になっていた。猫がまだ手のかかる子猫だという事すら先方にはちゃんと伝わっていなかったにも関わらず、翌日には引き取りに来ると言うので、その日はこちらの都合が悪いので、来るのは水曜日にして欲しいことと、それと子猫はまだ世話が焼けるので、もっと家族で話し合ってから決めて欲しいことを伝えた。
その頃、子猫はいともあっさりとトイレトレーニングを済ませようとしていた所だったが、まだ自分で上手く排泄の後始末をすることができず、しっぽや後ろ足をおしっこでびしょびしょに濡らしたり、うんちを踏んづけた足で歩き回るなど、危ういところがあった。しかし、先週の何にも出来ない赤ちゃんぶりよりはだいぶましだった。たった1日の間にも、子猫は見違えるほどに成長していく。水曜日にはよそにやっても大丈夫なほどに仕上がっているかもしれない。
とはいっても、子猫を飼うという事に全く迷い躊躇いがないというのもどうなのか。身体が小さいだけで成猫のように完璧な子を貰えると期待しているのではないか。
これまで、何人もの人達に断られ続けてしょげていたのに、いざ引き取ると言われるとマジかよと思ってしまう。子猫に情は湧いているが、だからといって手離したくないなんて無理を言うつもりはない。Aちゃん一家が子猫にとって良い飼い主となるのが心配なだけで。
そうやって悶々としている姿を子供達に見られると、期待させてしまうので、良くないと思い、子供達が寝静まってから夫と話し合った。やはり、あまりにも性急に事を進めようとする人を信用するのは難しい。だが、子猫の可愛い盛りが日に日に過ぎて行くというのも事実だし、本当に猫好きな人ならばどんなに手を煩わされたとしても、子猫の今を見て触れ合いたいと思うことだろう。譲渡会に参加できるまで、あと3週間以上あるので、なんなら数日試しに子猫を預けてみて、手のかかり様にどうしても我慢できなければ、返してもらって予定通りに譲渡会に出すことにしよう、と話した。
水曜日まで、いきなり活発度の上がった子猫の遊び相手をしつつ、後悔しきりで過ごした。自分達で猫の貰い手を探すんじゃなかった。譲渡会参加一本に絞ればよかった。譲渡会でなら、里親希望者にはスタッフから飼育環境や飼育の覚悟を厳しく問われる。日常の人間関係の中で譲渡先を探せば、人間関係を盾に良いように押しきられてしまい、必ずしも猫にとって良い結果になるわけではないかもしれない。
猫をやると言ったのに嘘だった。やると言ってた癖に直前になって気を変えた。そんな風にあちこちで吹聴されたら、私やうちの子供達はどんな風に見られるのか。
水曜日。午後にAちゃん一家がうちに来るので、私は子猫の遊び相手は返上して家の掃除に勤しんだ。子猫はちょうど平日休だった夫に面倒を見られていた。物がゴタゴタとあるから完璧にとはいかないが、こざっぱりとした。茶菓も用意した方がいいだろうか? と私が言うと、
「そうだなあ。猫を貰うというのに、まさか玄関先で済ませようとは思わんだろうし」
と夫は言った。
が、そのまさかだったのだ。放課後にAちゃん一家が揃って家までやって来たのだが、Aちゃんの母親は玄関先で猫を受け取ってさっさと帰るつもりでいた。猫の実物も見ずに連れて帰って、Aちゃんらお子さん達が「思っていたのと違う」とがっかりするのは避けたいから、実物を見てから飼うかどうか決めてくださいと私は言ったはずなのだが。
取り敢えず上がって、子猫を見てくださいと引き留め、夫にじゃらされて走り回っている子猫を見てもらう。Aちゃんの反応は今一つよくわからない。知らない家に来てはにかんでいるだけにも見えるが、無理やり「この猫でいい」と言わされているようにも見えた。
Aちゃんの母親に、試しに猫を抱っこしてみてくださいと言って、抱っこしてもらった。子猫は全然人見知りをせず、うちの家族に抱っこされた時のようにAちゃんの母親の手の甲を引っ掻いたり服の袖に噛みついたりした。しかし、Aちゃんの母親は可愛い可愛いを連発していた。私が子猫の排泄の世話のやり方を説明しても、嫌な顔をしないどころかなるほどと熱心に聴いていた。
Aちゃんが猫を欲しがったという話だったのに、Aちゃんの反応はいまいちで、だがAをの母親は一度抱っこした子猫を離そうとしない。どうやら本当に猫が好きで猫を飼いたくて仕方がなかったのはこの人のようだった。
この僅か数日の間に、Aちゃん一家は必ず猫を貰えると信じて疑わなかったらしく、子猫を迎えるための一式を揃えたらしい。猫ならなんでもいいです! と言い切ったのはどうかと思うけれど、この人ならちゃんと子猫を一生面倒見てくれそうな気がした。私の直感があてになるかはわからないが。
結局、私達に出来ることは限られているし、ここで外れクジを引いたとしたら、これは私の運というよりは子猫自身の運なのかなと思い、Aちゃん一家に子猫を引き取って貰った。
子猫と一緒に、子猫が寝床にしているキャリーケースとボロ布を持って行って貰った。それだけは譲れなかったのだ。何故なら、子猫はそのキャリーケース自体とボロ布をママだと思い込んでいるようだったからだ。子猫はモノを母親だと思って執着していたおかげで、うちの家族の誰かを母親と思って執着することはなかった。
キャリーケースとボロ布があればいつもママと一緒という気分でいるので、新しい家に行ってもちょっと見える景色が変わっただけで、何ともないと子猫は思うはずだ。