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はてなキーワード: 図書館とは

2018-12-14

anond:20181214094854

強制されないと勉強出来ないお子らが多数派

の子らは通いで今まで通りに学校行くので問題ない

オンライン勉強出来る子は家でゲームパソコン図書館だろ

懸念すべきはオンライン組みの体力低下防止くらい

文喫って、入場料はらって、本を買わないといけないの?買わなくても読めるよってことなの?買わなくてもいてもいいよってことなの?

前者なら、入場料いるぅ?って感じやし、

中者なら、図書館でよくね?って感じやし、

後者なら、意識高いノマドが入り浸ってすぐつぶれそ・・・って感じやね

2018-12-13

anond:20181213202211

なんも考えないよりマシだけど情報インプットがないまま考えても「下手の考え休むに似たり」じゃん。

なんかまとまった勉強すればいいのにな。

増田情報の切れっ端あつめるのより職安で紹介される学校いったほうが絶対まとまってるのに。

あと図書館なり喫茶店新聞読みながらメモでもとったほうがいいよ。

オタク色の薄いファンタジー漫画おしえて

おもしろファンタジー漫画が読みたい。

・いわゆる転生ものじゃない。

・作中でステータスとかスキルとか言わない。

・男主人公意味もなく女性キャラが懐いたりしない。

・男主人公美少女奴隷マスターになったりしない。

女性キャラの胸が異常な形状じゃない。

そんなファンタジー漫画いかね。

最近読んでいいと思ったのは図書館の大魔術師

2018-12-12

解脱した

鬱で 10年勤めた会社を辞め、引きこもって完全に社会から孤立した

実家に戻り、図書館が近くにあることをよいことに読書するだけの日々

1年たち 精神的に落ち着いた今、満ち足りている自分に気づく

なぜだ

友人・恋人はおらず、金もない。社会性を取り戻せる能力も気力もない

いやそんなものは始めからいらなかったのだ

社会自分の居場所がなかったのだが、また、私が居場所を求めていなかったのだ、と気づいた

書を読み、うさぎと静かに暮らし死ぬまで生きよう

2018-12-07

anond:20181207003626

いきなりスマホ高校で入手して、全世界図書館の内容がこの板に入ってる、

っていわれたらなぜか当然のように論文書いてる科学者だの政治家だのオリンピック選手だの芸能人

まだなにもしてない自分比較しだすんだな。そりゃ比較自体が間違っている。

家族とか身近な人間との対話大事にして地に足をつけてがんばれ。

ネットテレビも「向こう側」だ。

2018-12-05

映画館マナー

まあ、図書館みたいなもんじゃいか

金を払って見てるだけでなぜかマナーを守らないで良いとか、マナーとか堅苦しいわ!とか言い出すのが意味がわからない。

というか、文句を言うのも自由だし。また、文句を言われてハッとするくらいなら最初からしなきゃ良いのに。

そのマナーに対して逆切れするのは女の前でイキッてる彼氏とかと大差ないんだけどな。

動物虐待者に対する『差別』の存在

差別をする側は、「自分差別をしている」という事実認識しにくい。

肌の色で人を区別することが当然という風潮の中で生きてきた人間は、

それが当然の常識になっているから、過ちであることがわからない。


出身土地職業差別することが当然の時代で生きてきた人間は、

部落差別差別であると知ることができない。


同性愛悪徳だと教えられて生きてきた人間は、

同性愛差別を当たり前のこととして受け入れてしまう。



「それは差別ではなくて当然の常識だ」

区別をつけるのは当たり前のことだ」

そんな風に自己認識を歪め、差別正当化してしまう。

しろ一部のグループ迫害することを「正義」だと考えてしまう。

人種差別や、部落差別も、同性愛差別も、

今の我々は「それが差別である」という認識社会で生きているか

差別として認識できている。

だが、そもそも「これは正当な区別なのだから差別ではない」と深く思い込んでしま

見えなくなっている差別もあるのではないか



私は、その一つが「動物虐待者への差別」だと考えている。




恐らく、この記事タイトルを見たとき多くの人が


動物虐待者は悪人なのだから非難されるのは当然だ」

「そんなもの差別じゃない」


と思ったことだろう。

実際に日本では動物愛護法が制定され、

愛護動物をみだりに虐待したものには二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金という

罰則が定められている。





>第四十四条 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金に処する。

2 愛護動物に対し、みだりに、給餌若しくは給水をやめ、酷使し、又はその健康及び安全を保持することが困難な場所に拘束することにより衰弱させること、自己の飼養し、又は保管する愛護動物であつて疾病にかかり、又は負傷したものの適切な保護を行わないこと、排せつ物の堆積した施設又は他の愛護動物死体放置された施設であつて自己管理するものにおいて飼養し、又は保管することその他の虐待を行つた者は、百万円以下の罰金に処する。

3 愛護動物を遺棄した者は、百万円以下の罰金に処する。

4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。

一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる

二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物哺乳類鳥類又は爬は虫類に属するもの








現在日本では愛護動物に対する虐待法律的にも倫理的にも「悪」とされ、

非難されて当然の行為とされている。それが社会の前提となっている。


だが、ここであえて問いたい。

「何故?」

と。

動物虐待がなぜわざわざ社会全体で法律を制定してまで、

排除しなければならない「悪」なのか。


動物虐待が悪いことなのは当たり前でしょ」では説明にならない。

それでは、理由もなく人種差別部落差別同性愛差別をしてきた人々と

同じ間違いをしていることになる。



では、手始めに動物愛護法第一条を見てみることにしよう。

基本的には、法律第一条にはその法律が作られた目的が記されている。





第一条 この法律は、動物虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物健康及び安全の保持等の動物愛護に関する事項を定めて国民の間に動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵養に資するとともに、動物管理に関する事項を定めて動物による人の生命身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物共生する社会の実現を図ることを目的とする。





なるほど、「国民の間に動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵養に資する」。

かに生命友愛平和を尊ぶ情操が涵養されるなら、それは間違いなく社会に取って有益だ。

少なくともその目的自体は間違ってはいない。

だが、ここで当然の疑問が生じる。


動物愛護すれば」

生命尊重友愛及び平和の情操が涵養される」


という、この二つの事象の間に因果関係があるのか、という疑問だ。


結論から先に言うとこれは完全に間違いで、

現実には多くの動物好きが凶悪犯罪を行っている。

2007年大阪で発生した、男が猫被害の苦情を言いに来たアパートの隣人を刺した殺人未遂事件

2008年神奈川県川崎市で発生した、餌やりを注意された男がアパート大家サバイバルナイフで刺殺し、その義理の娘にも重傷を負わせた事件

2009年千葉県船橋市で発生した、70歳の男が女性から野良猫の餌やりを注意されて逆上し、包丁で刺殺した事件

ほんの少し調べてみるだけで、「動物好き」が起こした凶悪犯罪事件は多く見つかる。

したがって、「動物愛する人に悪い人はいない」というのはただのイメージであり、現実とは乖離している。


恐らく動物愛護法を制定した当初も、別に動物愛護すると人間は優しくなる」という仮説について、

科学的・統計的根拠があったわけではないのだろう。

そもそも条文の第4項をよく見ればわかる通り、動物愛護法で「愛護動物」に定められているのは

哺乳類鳥類爬虫類だけなのもこの法律の歪さをうかがわせる。





命の大切さを謳うこの法律では、魚類両生類無脊椎動物については何一つ保護対象になっていないのである

何故なら愛護動物ではないから。



イヌネコウサギを殺すと「生命尊重友愛及び平和の情操が涵養」が害されるが、

金魚カエルカブトムシ別に殺してもいいので無問題という、

この動物愛護法上の命の区別について、私は何らの合理的説明も見出すことはできない。




さて、動物愛護法の条文はかなり不合理で、

動物虐待行為「悪」として迫害することの正当性担保するものは何も無いことがわかった。




からといって、「動物虐待者を迫害することは差別である」と言われても、

なかなか受け入れられる人はいないだろう。



その理由の一つが、広く社会に流布している以下の言説だ。



動物虐待はやがて人間への攻撃エスカレートする」

冷静に考えると「○○というグループ犯罪者予備軍である」という言説であり、差別思想典型なのだが……



実をいうと、私も以前までこの言説を信じていた。




聞くところによると、FBI専門家が、虐待精神に悪影響を与えると言っていたらしい。

FBIといえば犯罪捜査プロフェッショナルだ。そんな人が主張しているからには、

きっと「動物虐待はいずれ人間にも手を出す」という仮説は真実なのだろう……と。




自分の中で「動物虐待行為が憎まれるのは差別ではなく正当な非難である」として納得させてきた。



さて、その専門家というのは、ロバート・K・レスラーという人物である





犯罪者と直接話すことで心理分析を行い、プロファイリング技術確立したFBI捜査官だ。




その手法については彼の著書であるFBI心理分析官』に詳しい。



私は以前、その『FBI心理分析官』を読んだ。

そして、愕然とした。

実のところ、ロバート・K・レスラーは「動物虐待殺人エスカレートする」などとは一言も主張していなかったからだ。

彼の主張は一貫して、「シリアルキラーが生まれる原因は幼少期の家庭環境にある」というもので、

動物虐待癖についてはシリアルキラー発見するための手法として、幼少期に動物虐待をしているパターンが多いと述べるだけにとどめている。



別に動物虐待殺人暴行因果関係については一言言及していない。

(※そもそもプロファイリングとはそういうもので、「犯罪統計上、こういった犯行をする犯人過去に○○しているパターンが多い」と、

犯人像をいわば『逆引き』する技術であり、「〇〇という行為をした人物犯罪者予備軍である」などと因果関係を主張するものではない)

恐らく、このわずかな記述が誇張され、曲解され、

FBI捜査官のロバート・K・レスラーが『動物虐待人間への暴力エスカレートする』と言っていた」

というフェイクニュースを作り出したのだろう。




実際にはそんなことは一言も言っていないにもかかわらず。




そして、一度も原著を読んだことのないまま、私はそのデマを信じ切ってしまっていた。


FBI心理分析官』は有名な本であり、読もうと思えばたいていの図書館にも置いてあるにもかかわらず、

一度もそれを確かめようとはしなかった。




もちろん、『FBI心理分析官』は20年以上前出版された本であり、

今では犯罪学や心理学の研究状況は変わっているかもしれない。


だが、軽く調べただけでも

暴力段階説(動物への暴力人間へとエスカレートするという「仮説」をこう呼ぶらしい)の旗色は悪いようだった。



ここに来て、私は動物虐待行為「悪」として断罪することの正当性をすべて見失った。

結論を述べると、私には動物虐待行為を罰することは差別以外の何物でもないように思える。


それも、かなり悪質な差別だ。


しろ法律まで制定して、公然動物虐待を行う者たちに迫害を加えているのだから

そして、「動物虐待はいずれ人を攻撃する」とか「動物虐待者は精神異常者だ」などの

言説も、ヘイトスピーチしか言いようがない。



何の根拠もなく(ヘイトスピーチそもそも根拠があればいいというものでもないが)、特定グループへの誹謗中傷を行っているのだから

もちろん、これを差別であると認めるのは、感情的に容易なことではない。


動物好きな人可憐な犬や猫を殺す行為社会であると思いたがってしまう。

何故ならその方が自分たちの感情にとって、都合がいいから。




自分の好きな犬や猫を攻撃するものが悪ではないと認めるのは、都合が悪いから。




だが、そのこだわりこそが差別の源であることを、人間は肝に銘じなければならない。

2018-12-02

anond:20181202010259

Twitterで元記事が流れてきて、自分も同じような境遇だったかちょっと書きたくなった。

自分も両親がヤンキーで(父親高卒的屋の元締め、母親は中卒で水商売してた。)、教育に金を掛けるなんて発想は全くなかった。

父親アル中DV気味だし、母親はひたすら週刊誌を読んでるだけの人だから文化的に良い影響を受け継ぐこともできなかった。(というかそもそも無いし)

まれた所は港湾労働者が集まる町で団地も多くて、小学校運動会とかあれば金髪父兄がひたすら飲酒しながら怒号をあげて応援しているような地域だった。

大卒なんてもちろん近所にいなかったから、自分高校を出たら働くんだと幼い頃から思っていた。

でも中学校の時にすごく教え方の上手い数学先生出会って、その人のおかげで勉強が楽しくなった。

どうせ家に帰っても地獄だし、ずっと図書館参考書漁りながら勉強してた。

そのおかげか高校県内で一番の進学校に進むことができたんだけど、友達はだいたい工業高校私立の誰でも入れる高校に行ったから新しく友達を作らないといけなかった。

から入学してから色々な人に話しかけてたんだけど、みんなが当たり前のようにする話についていけなくてびっくりした。

習い事ピアノをするとか、海外旅行に行くとか、ほんとにそんな人いるんだって初めて知った。

その時に増田みたいに自分の生まれをすごい惨めに感じた。

でも、よく考えると目の前にいる恵まれた子たちも祖先の誰かが頑張って身を立てたから今があるんだなって思って、自分がその祖先になった気持ちで頑張ろうと思った。

そうやって惨めな気持ちがありつつもとりあえず頑張ることにしたおかげで、なんとかゴリラが現総長をしている大学に入ることができた。(当時はカレー好きの人が総長だった)

大学ではもっと上流の人たちがうじゃうじゃいて惨めな気持ちは加速したけど、色々と頑張ったおかげで学生生活楽しいものにすることができた。

今は最近退職話題会社の主要子会社研究所研究してる。

未だに実家に帰るたびにキツい家だなとは思うけど、努力したおかげでなんとか楽しい人生にはできた。

自分も「努力すれば解決する」価値観は無かったけど、とりあえずやってみたらどうにかなったし、やっぱり今までの諸々を赦した上で自分が何かを始めるしかないんだと思う。

今までの環境を赦すには本当に辛いものがあると思うけど、理想を持って信じて行動できるのが人間のいいところだよ。

多分ドリルとかの文物よりもランニングとかそういう身体的なものから入った方が話のネタにもできるし周囲と関わりやすいしオススメ

本当に応援してる。より良い人生を歩めますように!

2018-11-30

男に生まれなくてよかった

男性ヘイトではない。多分。

私は現在既婚の子持ち女である

増田くらいでしか書けない、拗らせた若い頃の変態性の記録とを吐き出したいので読み流して欲しい。先に書くけど今ハッピーオチから自慢と感じる人は読まないほうがいい。

私は物心つくのが遅く、性認識もだいぶ遅かった。

内向的子供だった。

現実他人にはほぼ関心を持たず、初恋ゲームキャラだったのを覚えている。

思春期になるとBLにハマった。男女物の少女漫画は苦手だった。

何故なら、私は図書館エンカウントするタイプの女で、ヒロインのような朗らかで素敵な少女にははれないので、読んでいると辛くなってくるからだ。

BLは男同士の世界なので私には関係がないため傍観者として好きに読むことができる。

BL以外には当時父親が買っていたジャンプをこっそり読んでいた。当時の月刊過激エロい漫画掲載されていて、そこだけドキドキしながら読んでいた。このとき男性側に感情移入していたと思う。

次第に思春期の私は「男になりたい」と思うようになった。

女は与える側にしかなれないが、男なら与えるのも享受するのもどちら側も選べると思ったからだ…と思う(当時はモヤモヤしていて言葉にできなかった)

それを拗らせていき、フェミニンな物が全て苦手になっていった。スカートフリル、化粧、恋愛など。

これはだいぶ長く続いて、どんな人に告白をされても二度と声をかける気がなくなるくらい、こっぴどく振っていた。そもそも性の拗らせ以前に、趣味時間を取られるのが惜しかった。恋愛する時間や気力があったらネトゲをしたい。

当時すっかりネトゲにハマっていた。ネトゲでは男女両方のキャラを作って、男のときは女キャラの人にセクハラぽいことを言ったりもしていた。男とはそういうもので男キャラを動かすにはそうしたほうが良いと思っていたからだ。誤認識も甚だしい。

でも実際に男キャラ中身男という設定で動かしてみるとしんどくなってしまった。男なんだからと率先して戦闘をしたりしていたがネトゲ内ですら内向的作業のほうが向いていた。男をやることに向いていない。そう思ったので結局女キャラばかり動かしていた。

キャラ自称女でもネカマだろうと周りには言われていた。オフ会に行ったときは本当に女だったのかと驚かれた。

そしてドール趣味が始まってしまった。きっかけはアニメ顔をしたフィギュアのようなドールだった。

とても可愛いと思った。そして、これだ!と思った。

私は同性愛者ではないので現実女性とお付き合いしたいとは思わない。女のままでは享受する側になれない。でもドール相手なら自分享受する側になれるのだ。

ドールセクシーあられもないポーズをさせて安いデジカメ写真を取りまくった。

でも繊細なドール界隈、特に女性ドーラーの間ではそういうものは忌むべきものとして大変嫌われていた。匿名の場でセクシードールスレッドが立っていた。レス写真を公開していたが、スレッド自体存在ドール人権侵害くらいの勢いで罵倒された。スレッド削除依頼を出されて、実際に何度も消された。

別の場所で、あのスレッドドール世界を壊すクソ男性ドーラーどもという扱いをされていた。でも私は女だった。女ドーラーだと弁明しても余計に荒れそうなので、私は匿名のままそういう表現にふさわしい場所に公開場所を移していった。

その当時はオリエントダッチワイフが本当に欲しかった。でも大きいし高額だしと結局購入に至らなかった。男だったら即買っていたと思う。でも、ここでまず男じゃなくてよかった。男だったら田舎の100万くらいで買える中古のボロ家を買って中を人形別荘にしていたと思う。大変なホラーである

そのあと社会人になって仕事忙殺されているうちに今の夫と付き合うことになった。

夫もオタクだが漫画をたくさん読むというレベルマイルドオタクだ。

付き合うことになったのは20半ばになって未だに恋愛経験がないのはヤバイのではないかという焦燥感があったからだ。喧嘩も沢山したが、こいつを逃したら自分は一生独身とお互いに思ったために結婚まで漕ぎ着けられた。

私は男性は大体えろいと思っていた。夫もオタクなのでケモナーの話をふったらドン引きされた。ふたなりNGと言われた。それを見て、もう私のこういう話はリアルでは話せないので墓まで持っていこうと思った。結婚引っ越しを機会にドールを全て処分した。人形用のエッチな服などが見つかったらドン引きされてしまう。

男性は大体えろいけど、変態濃度がみんな高いわけじゃないという当たり前のことがネット知識しかないのでわかっていなかった。

子供が生まれたらホルモンバランスなのか?憑き物が落ちたようにフェミニンもの抵抗が無くなった。私は胸を張って女である子供を生む性である。と自分で受け入れたからかもしれない。それを受け入れたので今は割と幸せだ。不思議BLにも興味がなくなってしまった。ドールは持っていないながらまだ好きだけれども。

男に生まれなくて良かった。男に生まれていたら田舎ドール別荘と都内の家と職場の往復で人生が完結することになっていた。それはそれでめっちゃ幸せだったと思うけれども、子供がいる幸せはまた別ベクトルだ。

私が男性で、ダッチワイフがあったらリアル女性もはやいらなかったと思う。

まあ、これも成功者補正なんだろうけどもね。少なくとも、私個人は女のほうが合っていた。

2018-11-29

anond:20181128231115

状況をよく観察されているし、頼るべきところに頼られているようで、その点はよいことだと思います。ただ、あまり焦らないで、なるべく落ち着いて動かれることをおすすめします。学校がうまくいかないとき、家は最後の砦として安心感を得られる場所であることが何よりも大事からです。そして親御さんの不安は伝染するからです。まだ進学してから半年少々しか経っていないわけですよね。まだまだその先ずっと長いですよね。とりあえず年内(できれば年度いっぱい)はこのことを忘れるくらいできないでしょうか? まだまだ心身未完成な年頃で、調子が悪いときだってあるものです。

転校で済むならそれが一番いいでしょうがそもそも学校に行くということにはあまりこだわらなくてもいいんじゃないでしょうか。フリースクール的なところもあるし、あるいは一般の塾でもいいかもしれないし、家庭教師を頼んでもいいかもしれないし、娘さんの気が向く範囲代替選択肢はいろいろあるはずです。お住まい地方によっては厳しいですが、すでにそういった選択肢言及されているということはたぶん都市部なのでしょう。あるいはそれも乗り気じゃないなら、当面家にいたり、図書館で好きな本を読んでいたりしてもいいはずです。けっきょく、最終的にそこそこの大学に行ければそこまでのことはちゃらでしょう。少子化の方向は将来も動かないですから。というか、少なくとも今はどうにかなると思っていたほうがいいです。将来のことは将来なんとかするとして、今は目の前の娘さんに向き合うことのほうが大事です。

安易学校否定しているわけではありません。でも、行けないときは行けないんです。人生そんなに予定通りにはいかないときもあるんです。娘さんだってそれはわかっていて、自分自分を責めているんじゃないでしょうか。どうして学校に行けないのかって。中1なんてまだ学校世界ほとんどですから、その学校に行けなくなってしまったという衝撃は大人想像するよりずっと大きいはずです。親御さんには、そこに加勢してさらに心をボロボロにするのではなくて、自己肯定感回復することを目標にしてほしいなと思います。というのは、ここで心に深く傷がついてしまうと、目先で学校に行く行かないのレベルでは済まないからです。目標のために努力するモチベーションは、自分価値があると信じられたときにはじめて湧いてくるものです。

学力をぼちぼち維持していくことはたしか重要です。私は学校連想させるものもすべて拒絶して一切勉強していなかったので一気に追いつくのは大変でした。ただ、実際のところ学校勉強なんてたいしたことないですから気合いを出せればどうとでもなる面もあります。ふだんから本を読んで国語力や思考力があることを前提とするなら、英語数学さえ積み上げておけばあとはどうでもいいです。受験に使うならそのとき考えればいいです。学校教材をやるのが嫌でなければ普通に勉強すればいいし、そうでなければ大人の学び直し教材を使うと学校色がないのでおすすめです。あるいは英語なんて好きなら洋楽とかネットとかで触れる機会だっていくらでもあります。ただ、何をするにしても、本人のモチベーションがないとどうにもならないので、空回りしてもしかたがありません。

あともう一点気にするとするなら、両親でどのようなスタンスで接しているか点検することでしょうか。学校を離れると特に母娘関係は近くなりすぎてぶつかってくることがあるので、そこでよけいなプレッシャーをかけていないか気をつけたほうがよいです。娘さんと一対一で話せる時間があまりないなら、意識して作るようにしたほうがいいと思います

2018-11-28

論文の探し方って誰に教わるんだろう

ニュースサイトを見ていても、どこで論文が探せるのか知ることは出来ない。

大学研究室に入ったら、研究室メンバー教授が使っているサイトを知る感じじゃないだろうか。

もしくは大学図書館で購読している学会誌を見るか。

学会に入れば、その学会のことは知ることはできるが、新しくできる学会のことは知りようがないので、そこで発表される論文も知ることはできない。

理由は主に法律

ネット図書館って何でないの?

話が逆。図書館が紙書籍著作権処理なしに貸与/複写できる方が例外的措置

図書館存在が許されているのは当たり前の話では全くない。「図書館&本」というのは

特殊存在なのに、それを普通のこととして「他の分野に広められないか」と考えるのは

前提のはき違えなのだ

図書館著作権処理抜きに、購入するだけで貸与/複写可能なのは著作権法に

図書館に関する貸与権複写権の例外規定が定められているから。

時事報道写真教科書収録文学等の無許諾使用規定などと同じく、あくま著作権法上に

文化して「著作者権利制限する荒業」をやることで成立しているのが図書館なのだ

例外の荒業だから図書館内で」「貸与権複写権に限り」と適用範囲限定されている

わけで、荒業の適用範囲拡張しよう、というのは「他の分野に広めれられないの?」

という単純な話では全くない。

例えば、ネット経由電子書籍貸出は著作権法では公衆送信権規定になるから例外規定対象外

図書館館内で、備え付け端末にて電子書籍閲覧」なら例外規定範疇と思われるが、

通信を利用する「ネット図書館」では例外規定が無い以上、普通著作権処理が必要

なってくるのだ。

ネット貸出し」をやってる図書館も稀にあるが、それは電子書籍の各著作権者/社と

再貸与の個別契約を結んで著作権処理をした上でやっているのであって、電子書籍全般

これをやろうとしたら、各自治体の図書館予算十倍でも済まないだろう。

ネット図書館」は「図書館という法的特別措置範囲」をはみ出てしまう以上、

青空文庫著作権切れ作品しか扱っていないのと同じ理由にぶち当たってしまうのだ。

かに電子書籍教育上欠かせないインフラだ」という認識に立てば、

電子書籍図書館では紙書籍と同じ扱いとできるよう法改正せよ」と国会要求するのは

社会教育法精神に鑑みても、それ自体は決しておかしな主張ではない。

但しその法改正というのは、図書館法、学校図書館法、国立国会図書館法、といった各特別法

その施行令改定だけでも非常に大がかりな話になり、更に根拠法本丸として著作権法が

あるわけだ。

著作権法で「図書館電子書籍」実現のために改正必要な部分は、図書館がらみの31条だけでなく、

公衆送信権規定自体や、「所有でなくレンタル」という電子書籍性格なんかも絡んでくるので

かなり広範。こうなると図書館/電子書籍出版関係者だけでなく、様々な利害関係者が絡むうえ、

公益の考量も非常に複雑になる。つまり誰もが今や問題があることは認めているのに、

利害が絡み過ぎて身動きが取れなくなっている「著作権法をめぐる戦線」に正面から突撃

必要になってくるわけで、「ネット図書館」は強力な推進者がいないととてもできない

ハードルの高い話なのだ

anond:20181127022702

[]2018年11月27日火曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
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1891720979.241
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2090767585.352.5
21100912591.339
2288872999.250
23537032132.738
1日1997200834100.641

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2018-11-27

図書館勉強してる高校生

ラインばっかりしてて大丈夫かなって思った

anond:20181127095359

そもそも図書館って本を貸すのはメインの目的ではないのではないか、そういう気がする。

どっちかといえば保管しておくことが目的だったのではないかと思う。

図書館史学みたいな学問はあるのだろうか?

anond:20181127121453

ただ、大手出版社以外にとっては微妙な本でも金出して買ってくれる大口消費者でもあるわけで。

ブクオフ図書館も1冊10円でもいいか著作権料支払ったほうがいいと個人的には思う。

ページ切り取りは損害賠償とかももっとやったほうがいい。

そんなわけで成人は電書化やむを得ないと思うんだが、未成年は電書買えないもんな。

児童書点字書籍、大型写真集など以外は紙減らしてっていいと思う。

anond:20181127094919

図書館電子書籍貸し出す場合制限つける(物理本と同じく同時に読めるのは貸し出してる一人だけにする)のが普通だと思ってたが

貸出人数無制限なら誰も本買わなくなるから怒られるの当然だろうが

anond:20181127094543

紙の本でも、図書館ベストセラー大量購入するのを出版社文句言ってたし、さすがに電子ネット公開だとブチ切れるんじゃない?

anond:20181127022702

立派な著作物図書館って形で無料公開されてるのに電子書籍だとないのは不思議だよな

ネット図書館って何でないの?

今時、紙の本を借りるなんて古臭くね?重いし嵩張るし汚いし何もいいところがなくね?

タブレットで読みたい本を選んで借りられるように出来ないの?

そしたら文化資本格差地域格差が多少は解消されるんじゃないの?

2018-11-25

ぼくが自殺を決行した話をする

今だからあんまり気負わずに言えるけど、当時は人生に対して切実な思いを持っていた。もちろん自殺には失敗したから今生きている。

当時、ぼくは20歳ニート生活をしており、よくわからないまま何の目的意識もないまま、とにかくこの先の人生絶望しながら生きてきていた。

ぼくはそのとき大学中退してそれなりの年月が経過していた。大学に行ったのも特に目的は無かった。働きたくないし勉強もしたくなかったが、親が金を出してくれるということで、自分人生に対して責任というものがなく、ただ言われるがままに進学をしていた。受験勉強は全くせず高校時代は家で勉強したことはなかったが、学校の授業を高校1年生から2年生まではしっかり受けていたこともあって、受験成功し、ランクは落としたが大学に進学した。それでもそこそこの国立大学には進学したので、ぼくは同級生ほとんどを見下していたように思う。

大学に入ったときは「遊びまくれる」という意識があって、いままでの家庭内での抑圧が弾けるかのようにぼくは遊び回った。当時隆盛していたモバゲーやらGREEやらでメンヘラ漁りをしたり、ネトゲにハマったりPCゲームにハマったり映画を見たり、一般的パラサイト大学生として過ごしていた。大学ははじめのころは新鮮でおもしろいと思って通っていたが、慣れてくると結局勉強をしなければいけないことに気づきだんだん卒業後の現実が見え始め、やる気がなくなった。勉強をしてなんになると思い始めて学校に行く頻度が落ちた。卒業して働くということに絶望を感じていた。就活というもの意味がわからなかった。

「少なくとも残り38年、あるいはそれ以上、奴隷として働かなければいけない」という絶望感があった。ぼくはそこまでして生きたいと思っていなかった。好んで死にたいわけではなかったが、人生目的が本当に何もなかった。ただ言われるがまま、子ども学校に行くもんだという指令のもとに生きていた。こうした呪縛から解き放たれて自由を得た代わりに、選択肢が何もないように感じていた。「働いて、生きて、それでその後は?」「何十年も生きて、それでその後は?」「生きていれば楽しいこともあるだろう。それでその後は?」「たとえば何かしら名声を得るとして、それでその結果何が得られるのか?」という風に感じていた。すべての物事人生最後にどう意義深くなるのかを考えていた。こういう考え方は、防衛機制の知性化というらしい。

ひとまず2年生に進級した。必修単位だけはなんとか落とさなかったが、そのほかの単位ものすごく落としていた。状況は何も変わっておらず、相変わらず特におもしろいとは感じないながらも、まだおもしろさが比較的マシなゲームや女遊びに没頭していた。しか現実逃避に過ぎないと考えてぼくは自殺を考え始めた。「死」が選択肢に入ってくると、おもしろいほど転がり落ちるのが早い。ただの堕落した大学から、終わり始めていった。

ふつう人間は、何か行動を選択するときに「死ぬ」という考えは浮かばない。「おなかすいたかコンビニに行こうかな。めんどくさいな。まぁ食わなきゃ死ぬしいいか」というふうにはならない。どんな選択でも死ぬことが関わってくる。死神に呪われているがごとく。「窓が汚れてるなぁ。窓ガラスに首を突っ込んだら死ぬだろうか」「料理はめんどくさいな。包丁を刺すのは痛いだろうなあ」と、だんだん普通の行動を取れなくなる。完全に何かしらの病気なのだが、金がないし「この状況が薬で改善されるとは思わない」と思っていた。

当たり前だが大学には行かなくなった。大学をやめてバイトだけやろうと考えた。当たり前だがうまくいくはずもない。そもそも働きたくないのだから、すぐにバイトにも行かなくなった。身分学生なだけの人間に成り下がった。ぼくは大学も行かず、バイトで貯まっていた20万円を使って、「起きる→ゲームする→眠くなると寝る→腹が減ったとき、朝や昼なら近くのスーパーに行き、夜なら近くのコンビニへ行く」という生活をしていた。ゴミは出たらそのまま放置し、いよいよ虫が出てきたときゴミ捨てをするという、現実逃避以外の何物でもない生活をしていた。

何度も「餓死しようかな」と考えて飯を抜いては「限界。無理」と考えてがっつり食べたりしていた。「3日食べない」「たくさん食う」「2日食べない」「たくさん食う」の繰り返しをしていた。この食べるという行為けが幸福だった。コンビニの同じような弁当ばかり食べていたが、ただただ「うまい」と感じていた。脱水症状手前の状態から飲むポカリは格別だった。体全体が食物を欲している中で食べるハンバーグは絶品だった。ある種中毒になっていたのだと思う。

そうした生活によって金が尽きる前に、母親が迎えに来た。ぼくが携帯電話の電源を切っていたので心配になって見に来たということだった。ぼくは「失敗した」と思うと同時にそれを拒絶した。「現実がやってきた」というふうに感じていた。未来への思考をしないようにしていたところに現実を考えなければいけないトリガーが出た。死を保留することがもうできなくなったと考えて、ぼくはすぐさま死ぬことを考えた。急いで財布だけ掴んで家を飛び出し、ネカフェに3日ほど滞在したあと、富士山樹海で首を吊るのがいいんじゃないかということで、なけなしの金をはたいてぼくは中央線に乗り込み、最後の晩餐として、いくらかの酒やお菓子食べ物ビニール紐と睡眠導入剤を買い込んで、残金がほぼないような状態で、河口湖駅へついた。そこからバス民宿方面へ向かった。民宿の予約はしていない。

ついたのは夜だった。ぼくは民宿の前の道路から少し離れたところで樹海に入った。樹海は街とは比べ物にならないほど暗く、岩は月あかりのせいか血のように光っていた。懐中電灯などというものは持ってきていない。飛び出したおかげか携帯電話も持ってきていなかったので、でたらめに移動した。引き返すつもりもなかったので、財布の中に入っていたお札や小銭を取り出して、破いて樹海の中にばらまいた。そうして移動した。怖くはあったが「動物に襲われたくない」という怖さだった。死にたいが痛いのは嫌だったからだ。樹海は暗すぎて木に紐を結びつけることができなかったので、一夜を明かさざるを得なかった。当時は雪が降る時期で、異常に寒くまともに眠れなかった。「寝たら凍死できればいいのに」「寝たら死んでいますように」と考えていて、必死で寝ようとしては起きてという繰り返して、朝を迎えた。何時だったのかは全くわからない。薄明かりで木に紐をくくりつけられるぐらいになった。

ビニール紐というのは何度も巻き付けて首に巻くとものすごく痛い。そもそも数秒耐えることもできない。睡眠導入剤や酒など飲んだが何の効果もない。意識はかなり明瞭で「死ぬ」という恐怖心と戦わなければいけなかった。「死ぬ。これから死ぬ。なぜ死ぬのか。そもそも死ぬ必要があるのか。これで本当に死ねるのか。考え直した方がいいのではないか。死ななくてもいい方法があるのではないか」と考えた。痛いし寒いし死のうという決意も薄いしで、結局ぼくは死ぬことを諦めた。

朝を迎えた樹海景色が綺麗だった。樹海の中にある道を探すと、あっけなく道が見つかった。その道をまっすぐ進むとすぐ道路にたどりついた。全然道路から離れていなかったらしい。

道路に出て、ぼくは適当に歩き始めた。明らかに変なところを歩いているのに誰も話しかけることはない。それはそれでよかった。変に話しかけられても困るだけだった。道路をまっすぐ進むと甲府方面看板が出てさらにまっすぐ進むと、幸運なことにお店があって、横に公衆電話があった。あとで調べると12kmほど歩いていたらしい。何のためらいもなく110番をする。「自殺に失敗したんですけど」といって、ぼくはいろいろあって実家に帰ることになった。おまわりさんには「いろいろ人生つらいこともあるけど死ぬのはダメだよ」みたいなことを言われてぼくはひととおり泣いていた。ただ、そんな言葉で心変わりするぐらいならここまで悩んでいない。泣いて「ちゃんとした方がいい」と思ったのはほんの数瞬だった。

実家に戻ってまず思ったことは「状況が何ひとつとして良くなっていない」という絶望感がただそこにあるだけだった。死の保留が再びできて安堵していただけだった。当時の家庭環境もよくなかった。父母の仲はぼくが家を出たあとでいっそう最悪になったらしく、父は仕事に没頭しており、そもそも母と情報共有できていなかったので、ぼくが樹海に行ったことを知らないようだった。今も知らないだろう。ぼくも積極的に言うこともなかった。「自殺を図った」という言葉の上っ面では、他者にそこに至った経緯など伝わるはずもなく、その理由理解され難かった。

ぼくはそのまま自堕落生活を送った。

堕落生活で、ぼくはひたすらネット動画を見ていた。「動画を見る・起きる・夜目覚めて冷蔵庫にあるものを漁って食う・眠くなったら寝る」というクズ生活を送っていた。その一般的クズニート状態のまま1年がたって、当時の「死ぬことの怖さ」みたいな思いが風化して、ぼくは再び死ぬことに決めた。「親に迷惑をかけている」とは思っていなかった。「今まで虐待みたいなことを散々してきて育ったのだから当然の報いだろう」と思っていた。申し訳無さではなくて、この先どうすればいいのかを延々と考えていた。未来がない。「奴隷か・死ぬか」という二分的な思考の中で揺れ動いていた。いま思えば思考があまりに先鋭化しすぎているが、周りの環境がそう簡単に変わるわけでもない。むしろぼくの存在によって周りの環境がぼくの闇に引きずり込まれるように悪化し始めた。

死ねなかったのは、前回のプランが悪かったのだ」「そもそもプランをたてる暇がなかったのだ」と考えるようになっていた。「そもそもビニール紐で死ねるわけがないではないか」などと思って事前調査することにした。実際にはビニール紐ではダメで、ロープが良いのである死ぬというのは勇気というか、一大決心がいるものであるが、準備ができていないと死ぬことはできない。感情的であればあるほどめちゃくちゃなことができるが、めちゃくちゃゆえに準備不足で失敗することもある。ぼくの場合死にたい!!」という一撃の思いではなくて、ずっと心にためていた漫然とした「このまま生きていたくない」という学習無力感だったので、痛い思いもしたくなかった。

着々と準備を進めてぼくはやっぱり首吊りをすることにした。何度も首吊り選択している理由がわからいかもしれないが、首吊りリーズナブル苦痛が少ないという合理性からだ。ただし実際には苦痛は他の死に方と比べて少ないというだけで、ものすごくあることもあるし、一般的生き方での「痛い」と比べるべきものではない。基本的にはほぼすべての死に方について、死ぬほど痛い。幸運にも苦痛なく死ぬことができる人もいるはずだけど、最悪の場合永遠に苦痛を味わいながら生きることになる。

ともかく、ぼくはロープを買い、痛くないようにハンカチなども買って準備を万全にした。睡眠導入剤や酒も以前と同じく買った。

夜、ぼくは家を飛び出して近くの山に向かった。田舎だったので山には困らなかった。白昼堂々山に入って通報されたらたまったものではない。夜に行動するのは基本だった。

樹海ときと同じように外で寝た。犬の鳴き声が聞こえて不安を煽られたが、地元ということもあったのかそれはそこまで気にならなかった。今回は夏で、じゃっかんの肌寒さしかなかった。準備は万全で、今回は変に目が覚めることはなく、いったいどういう神経をしているのか、熟睡できた。

明け方ロープを準備した。ネットで調べてきたとおりにハングマンノットという結び方で、枝に結んだ。ぼくは最後の晩餐だとして、買い込んできたご飯を食べた。睡眠導入剤をすべて飲んで水やお茶を飲み、酒を飲みまくり最後ファミリーマートで買ったエクレアを食べた。食べ終わると猛烈な不安が込み上げてきた。「死ぬのか」という感情が心をとにかく揺さぶった。

ぼくは木に登った。木に登って、太い枝に立ち、丸く結んだロープ首にかけ「ジャンプすれば死ぬ」というところまで準備した。猛烈な恐怖が体を襲った。ぶるぶる震える。ジャンプする。ジャンプしさえすれば死ねる。足はとにかくすくむ。今でも怖いと思う。思い出すだけで恐怖心が現れる。

それで、どうやったかよくわからないけど、ぼくは自殺を決行した。枝からジャンプした。

しばらくするとぼくは暗闇の中にいた。そこにはものすごい多幸感があった。眠りから覚める以上の幸せがあった。何かの扉が見えて、眼の前には光があった。あとで「この世に生まれてくる」とはああいうことかというように表現できるたぐいのものだった。ぼくは目を覚ました。ぼくは何をしているんだろう。ここはどういう世界なんだろうか。不可思議感覚だった。

次の瞬間、全身に激痛が走る。人生で生きてきた中で最も痛い激痛だった。ぼくは理解した。死のうとしていたのだった。ぼくは痛さで発狂していた。ぼくは痛いのをなんとかしたいという一心で、自動的ロープから必死に首を脱出させようと試みた。痛い。とにかく脱出しなければ。痛い。ロープから首を。痛いの嫌だ。ロープに手でぶら下がれば首は締まらない。痛さが軽減した。

ぼくはロープから首を出してそのまま枝から落ちた。体がドスッと地面に落ちたがそんなことはどうでもよく、首が熱を持っていた。喉がひたすら痛かった。それどころか頭まで痛かった。どれくらいそこにいたかからなかったが、ぼくは死ねないことに深い辛さを感じていた。鋭い痛みと「死ぬことはできないのだ」という選択肢がなくなったことでぼくはずっと泣いていた。

この経験以来、ぼくは「あのとき実はすでに死んでいて、今も実は死んでいるんじゃないか」という感覚がある。いつかあるとき、今生きていることは夢だということで目が覚めて、あの飛び込んだときに戻るのではないかという感覚がわけもしれずある。当時の体験2chの関連スレにそっと書いていたが、あまりまれることもなくひっそりとスレの中に埋もれていった。基本的にみんな他人には興味が無いのだ。

どのくらいそうしていたか覚えてないが、ぼくは家に帰った。太陽はもう高くあがっていた。どのくらいぼくは首を吊っていたのか全く判然としない。数秒だったのか数時間だったのかわからない。現実的におそらく長くても十分も経っていなかったのではないかと思うが。家につくと母はぼくの首の痣にびっくりしていた。とにかくぼくは生きる選択肢を選んだ。痣は1ヶ月ほど消えなかった。

その後お寺に連れて行かれてカウンセリングを受けた。なぜお寺なのかは理解できなかったが、言われるがままについていった。自分でもカウンセリング必要だと感じていたからだ。話を聞いてて思ったのは「ありきたりな話の集合のくそくらえ」ということで、ぼくが考えていたのは「こいつは使い物にならねえ」ということと、今後の指針だった。幸いにもカウンセラーの口がそこまで達者ではなかったので、ぼくが宗教にハマることはなかった。精神的にだいぶ弱ってはいたが、ぼくが欲していたのは「現実的に機能する今後の指針」であって、よくわからんスピリチュアル的なものではなかった。ましてや自殺決行後の人に、死のうか悩んでいる人向けのカウンセリングをしたところで何の効果もないだろうと、ことここに至ってもまだ人を見下していた。逆にぼくではなく、母がスピリチュアルに頼るような人種になっていた。

自分正当化するようだが、母も別に聖人君子ではない。こうなるまでぼくは小さい頃、虐待とともに生きてきた。第三者から見ればただぼくが悪魔のように見えて、切り捨てたい汚物のようだと思うだろうが。ぼくは今になってようやく、母も祖母祖父からめちゃくちゃな教育を受け、育児嫁姑問題や父との不仲、父のめちゃくちゃさ等でストレスがたまっていたということを理解して客観的に見ることができるようになった。いわゆる毒親というやつだろう。今は遠く離れて住んでいるため、適切な距離を保てていると思う。

まぁそれは置いておき、死ぬという選択肢が消えたことで、ぼくは図書館にいって本をただ読んだり、ぐだぐだと生きていた。結局保留する癖は死ぬ目に遭っても治っておらず、相変わらず親同士は喧嘩が絶えない状態だった。ぼくはとにかくグダグダとしていた。前よりは安穏としているものの、結果的にそんなに状況が好転していないのだった。

そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。

ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間ゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。

「そんなに簡単意味もなく死ぬなら深く考えるのはバカバカしい」と考えた。文字通り死ぬほど悩んだ結果、ありふれた結論に達するという虚無感に、絶望ではなくて乾いた笑いが出た。「死ぬことについて死ぬほど深く考えた結果、死ぬほど深く考えるのはバカ」という結論に達した人はそうそういないだろう。つまり思考停止なのだが、死に関しては思考停止するのが「生きる上で正しい」のだった。

よくよく考えれば奴隷にならない道もあるはずだと思って、ぼくは震災から数週間経つと、金もないのに家を飛び出して都会に出た。都会に出たあとは、世間知らずと社会不適合者が混ざった状態で、その後もまぁ紆余曲折あったのだが、今は生活好転し、ふつう人間のようにして日々を暮らしている。

いま、ぼくは当時を懐かしい思い出として、あるいはいささかの教訓を含む昔話として扱うことができるようになった。

そして、こうした日々に何の意味価値もないことをはっきりと知覚しながらも、さりとて刹那的にもならず、二律背反的だが、人生意味価値があると思いながら、未来を考えて前向きに生きることができるようになったと思う。ニーチェのいうところの超人というやつらしいけど、そんな上等なものではない。現代では一般的なありふれた考え方だと思う。

まぁ、自殺の決行がなんだとかって話だけど、何かの参考程度に受け止めてもらえれば嬉しいと思っています

追記

長すぎて最後の方の行が弾かれたのでこちらに書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20181126040934

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