はてなキーワード: 図書館とは
年収が増えるに従ってどれぐらいの税負担になってるのかさっぱりわからない
所得税は全然累進度が低いと思っていて4千万で頭打ちなのは意味がわからん
年功序列で所得が増えて年代の人口構成が変わってるなら所得税の割合も変えるべきだろう
なぜ税金で作られたモノを利用するのに税金を払った額で制限されなければならないのか?
「高所得者はもっと高価なサービス(私立保育園等)を使うべき」
とかいう主張もあると思う
かといって図書館や警察の利用を所得制限するのはおかしくないか?
年収500万以下となっていた場合、500万なら10万円貰えるが501万なら0円、みたいなのがいっぱいある
そうなると509万までは貰わない方が得、みたいになるしめちゃくちゃ不公平
役所がお金を配る時に年収に応じて線形に支払額を変える、みたいな運用が不可能なのは良く分かる
そりゃ人によって金額変わってその額の個別対応なんてとてもできないだろう
なのでこういう手当系が一律の金額になるのは分かるんだが、だったら所得制限すんな、と
・パウンドケーキの型
実家でたま〜に出てきたパウンドケーキが好きだった。ホットケーキミックスで簡単にパウンドケーキが出来るらしいから欲しいなあと思いながら早数年、楽天かAmazonでポチれば良いだけなのに買ってない。多分買ったら作らなきゃならないっていう義務が生まれるからだと思う。いや誰に責められるわけでもないんだけど、不思議。
・むつかしい本
増田はおとぎ話が好きなのでマックスリューティの昔話の本質と解釈という本が欲しいのだが、じゃあ買ってあの分厚いの読むかと言われたら多分読まない。お試しで図書館で何回か借りたけどいつも積読になってそのまま返却ポストに返してるから買っても読まない。でも手元にある安心感はやはりなにものにも替え難いし、欲しいなあとはぼんやり思っている。
・本格的なカレー粉
カルディとかに売ってるやつ。コロナ前はスパイスカレーの食べ歩きが好きだったからあれでカレーを作って食べたらさぞ美味しいんだろうなと思うんだけど、もし口に合わないスパイスだったらどうしようと思ってスーパーのカレールゥに逃げてしまう。勇気が欲しい。
箸の持ち方、二十歳くらいの時一念発起して4年くらい格闘したけど直せなかった。
ネットで検索したり、図書館で本を借りて読んだ上で複数の友人や家族に見てもらったり見せてもらったりしたんだけど、どうしても中指に連動して薬指が動いて下の箸が落ちてしまうのを改善できなかった。
形までは整えられて軽いものなら操作できるんだけど、固い、重いものや複雑な動きになると薬指から箸が外れてしまう。
理学療法士が箸の持ち方を教えてくれる教室があればコーチを頼みたいくらいだ。
おそらく肘とか肩の動かし方からなんかズレててそうなるんやろなあ…
ネットでは協調運動障害なのではと言われることもあるが発達でも箸持ててる人は持ててるしな
基本的には関節の分離が出来ないところだからこそ小さい時にマスターしないと終わりという説も見たけど、そうなるとよく聞く大人にってからでも二週間でマスター出来る説とか外人でもすぐマスター出来る説と整合性がなくなるから、やり方次第ではまだうまくいくんじゃないかと思ってるんだけどね。
直そうと思えば簡単に強制できるというのが広く信じられているからこそ正しく持てていない大人はその時点で“頑なに直そうとしない人”認定されてしまうんだろうけど。
弱女だけど静かなおばさんとして暮らしたい
普通の家(1Kとかの一般的な独り身規模)に住んで、持ち物も少なくする。
健康に質素なものを食べて、清潔な服を着ていられるくらいの収入の範囲で暮らす。
欲を言えば、たまに友達と会った時には好きなもの選べたら良いなと思う。
休日の趣味もほどほどで、体力とお金に折り合いをつけた上でのんびりやる。
おばあちゃんになっても体力があれば、贅沢をして寄席とか美術館とかは行きたい。
でも無理なら図書館で画集を見たりする。今は配信でも見られるから、そういうので代替することもある。
お散歩ルートにある公園とかを通りかかって、元気に遊んでる子どもを見かけて和む。
友達の子どもの話で爆笑して、立った歩いた進学したとかを一緒に喜ぶ。
そうやっているうちに親も歳をとるから、その時に合わせたお互いのQOLが保てる方法を見つけて、親が死ぬまでまあなんとかやっていく。
それが色々終わったら、上に書いた生活をもう少しおばあちゃんナイズドして静かに静かに暮らす。
友達の孫が結婚したのギャーおめでとうとか、気の晴れるイベントもたまにはある。
でも年々、ちょっとずつ体も悪くなるし頭もしっかりしないなあと思う。
こうやって書いたけどめっちゃ贅沢だね。
2008(平成20年) 11月29日逮捕、 12月6日、加藤周一死去。 新宅正雄より、日本人はそんなにいい人じゃないんだと言われる。
2009(平成21年) 1,2,3月、小菅、 4月2日、有罪判決。 以降ニート。
2012(平成24年) 1月11日連行、4月6日~12月17日 さいたま拘置所
2013(平成25年) 6月11日、黒羽刑務所移送 10工で特別トレーニング。 森脇から、ねえからな、ずらすからな、何もなくなるからな、最悪だからなと言われる。
2014(平成26年) 4月25日から日本列島2週計画開始。
2016(平成28年) 10月30日に数検1級を受ける。 12月に祖母が倒れる。
2017(平成29年) 1月下旬に四日間だけ宮崎旅行。インフルで帰宅。3月29日、佐藤もぐらと顔合わせ。7月、整形。8月~ スタディオペチで、伊東ガイチ
(オペチ)などを見せる。
2018(平成30年) 2月12日に、スタディオペチ終了。 上京。 3月29日保護申請。
2019(平成31年、令和1年)
2020(令和2年)
2021(令和3年)
2022(令和4年)
2023(令和5年)
藤島泰輔なんて作家の名前、知ってるのはかなりのジジイ・ババアだろうなあ。
今のジャニーズ事務所の社長はシャニー喜多川こと喜多川擴の姪である藤島ジュリー景子(日本人なのになんでミドルネームあるんだろ?アメリカうまれだから?戸籍上はどうなってるんだろ?)という女性だが、この人の父親である。
詳細はwikipediaを見ればわかるが、1933年うまれで小学校から大学まで学習院出身。現上皇のいわゆる御学友の一人。新聞記者時代に当時の御学友たちをモデルにした小説『孤獨の人』がベストセラーになり、その後、作家として独立。世の中まだまだ“進歩的文化人”が幅を利かせてきた時代に“保守派の文化人”として活躍した人である。
かつて、韓国の朴正煕独裁政権下で反体制作家として活躍し死刑判決を受けた金芝河という韓国人詩人がいたのだが、日本ペンクラブの要職にあった藤島泰輔は韓国政府を擁護する立場の発言を繰り返し、日本ペンクラブが紛糾、ペンクラブから有吉佐和子・司馬遼太郎らが脱会するという騒動も起きている。
当時、“進歩的ジャーナリスト”として大人気だった本田勝一からは“御学友であるということだけで地位を確立した三流作家”などと言われていた。
なお、藤島泰輔の名前は記憶になくても、『不思議の国ニッポン』の著者ポール・ボネといえば覚えている人もいるかもしれない。1970年代から80年代にかけて“日本に在住するフランス人ビジネスマン”という触れ込みで、歯に衣着せぬ率直な文章と透徹した思考、練達の日本語で日本社会の批評を書連ねてきた…という触れ込みの人である。
今では考えられないが、昭和の日本では言論出版の世界でこういう詐術がまかり通っていたのである。
いちばん有名なのは、神戸在住のユダヤ人“イザヤ・ベンダサン”こと山本七平だろうか?
この二人に共通してるのは、なぜか最終的には日本の保守を称揚し、当時の左派や進歩的知識人を嫌うところ。“そんなのは海外から見れば非常識、絵空事”とやるわけである。
今も昔も日本人は、“海外から日本はどう見られているか”ということを知りたがり、日本人から言われると反発することでも外国人に言われると素直に聞いたりするので、こういう出版興業が成り立ったのであろう。
さすがに今の世の中では、ここまでの嘘はバレるので、“国際機関で活躍”だの“海外の大学で評価されてる”とか言う日本人を逆輸入してくる例が多いわけだが。
で、藤島泰輔とジャニーズ事務所とのかかわりだが、もともと歌人高浜虚子の孫娘と結婚していたものが、当時、バーを経営していた喜多川擴の姉(通称メリー喜多川。SMAPを解散に追い込んだ人)と知り合って内縁関係となったらしい。
一説によれば、創設当時のまだカネもなければ力もないジャニーズ事務所をなにかと援助してきたのは藤島泰輔とその人脈であったとも聞く。
その援助とはいかほどのもので、どのくらいの効果があったのだろう?
昭和の時代、“御学友”といえば今以上の権威があったような気もするが。
一部で噂されている“有力政治家にジャニーズ事務所の少年がお稚児さんのごとくに提供されていたらしい”という真偽不明な話も、おそらくこのあたりに端を発するのだろうが。
昨今、ジャニーズ事務所に関していろいろ報道されているけれども、このあたりまで掘り下げているのはみた記憶がない。
統一教会を語るには岸信介と文鮮明の関わりにまで遡らなければならないがごとく、本当はこのへんまで深掘りしないと“なんであんなジャニーズには力があるのか”は分からないかも知れない。
誰かやってくれないかな?
さすがに難しいか。
なお藤島泰輔の小説『孤獨の人』は、一時期は岩波現代文庫にも入っていたようだが、現在は絶版。電子版はないようだが、古書ならamazonでも手に入る。岩波現代文庫だと、岩波文庫程ではないだろうが、揃えている図書館もそこそこあろう。
そして、この作品なんと映画化もされている。検索してみたらなんと現在Amazonプライムで配信されており、プライム会員なら追加料金ナシ!いい世の中だ。
後で見てみることにする。
とにかく盗撮しまくる、優先座席対象に幼児も入ってるバスで座らせたら盗撮、自分の家で子供をビニールプールに入れたら盗撮、電車で席の横にベビーカー邪魔にならないようにおいて座ってたら盗撮、子供ウエルカム図書館でソファによだれかけつけてる赤ちゃんを寝かしているから盗撮、そういうのをアップして悪しざまに罵ってる界隈が、これと言って問題ないものまで盗撮しまくりで、母親アカウントにダニカーとか肉芋虫とか嫌がらせ粘着しに行く人たちまでいてめっちゃくちゃ怖いんだよ。
子持ちには異常なまでに叩いてマナー求めるのに、ベビーカー車椅子優先や専用エレベーターや、電車のベビーカースペースは健常者でギッシリで譲りもしない。
働き始めて、大体税金で給料の20%を持っていかれることを知った。
週5労働のうち、週1回分の労働は税金となり、自分の手元に入ってこない構造だ。
学校・市役所・図書館・道路保全など、幅広い公共サービスにそれらが利用されているのは必要なことだとわかるし、利用してきた立場として税金で負担することに抵抗はない。
ただ毎月の給料から控除される額を見て、多いなぁと思うことはある。
今は会社の寮に住んでおり住宅費は小さいが、いつかは出なければならず住宅費がのしかかることを考えると、ゾッとする。たぶん生活水準を見直すことになるだろう。
だからそれはある種、大人の庇護下にあった子供の幻想なのかもしれない。
自分で働いてお金が手に入りだすと、常にお金のことがちらついてしまって、値段の多寡に価値を置いてしまう自分がいることに驚いた。
何でも買えるわけではないと気付くと、お金を使うことに変なブレーキがかかるようになってしまった。
本を読んだりラジオを聴いたりといったほぼお金のかからない趣味は続けている。
大きなお金を使う趣味が続かない。趣味でボルダリングを始めたがずっと道具をレンタルしていて、買った方がそろそろトータルで安かったかもなと思っている。
研究室時代の助教は、同期がボーナスで毎年海外旅行に行ってると言っていたが、そんなにでかい額を使うことに恐怖心はないのだろうか。多分同じ業界にいて大体同じようなボーナスのはずなのだが。
貯金は手段であって、目的ではないんだなということに思い至った。
何でも好きなものを買っていては、確かに生活が立ちいかなくなる。
お金持ちや倹約家を除いて、基本的に大人でも何でも好きなものを買うことはできないのだ。
ただ、欲しいものや得たい経験に優先順位をつけて見極めること、モノの値段にばかり価値を置かず自分の中の欲求にちゃんと向き合うことはできるはずだ。
IT技術も無い世界(階級)で育ったキャラに「○○は××するようにプログラミングされているんだ」なんて説明しないでくれ
そのキャラも絶対仮想的な空間に触れたことがないのにスッと理解してんじゃないよ
パンチカードとか機械式のもっと原始的なプログラミングがありましたなんて通らないしそいつはそれらに触れてないのはほぼ明らかだからプログラミングもプログラムも初めて聞く単語だよ
「生まれながらに絶対××するように指示され・作られているんだ」とかで代替か?遺伝子とかもNGだわな
ハイテクな世界と進歩が抑制される過酷な世界のキャラが繋がるのは面白いけれど、ハイテク側は俺に対して喋っているように感じるしローテク側は秀才かあるいは聞いているフリして何も理解してない大物くんだよ
身体に付いてるものが違うからなあ。いわゆる女性向けのAVは見たことがない。イケメンと美女の絡みはコンプレックスを刺激されて集中出来ないから観ない。女性が自慰を撮ってる動画は観ない。
こんなところでセックスしてる…!ってシチュエーションにグッとくるので、公園のトイレとか、図書館とか、本屋とか、電車とか、教室で時間停止とか、みんな普通に仕事してる中でやってるとか、アナウンサーが読み上げてるところでやられてるのとか観る。
というか、女優さんの喘ぎ方や、男優さんの声掛けとか、わざとらしくチュパーペロペロペロと音を立てて乳首を舐めるシーンが苦手なので音が出せない状況のを観てしまう。
見た目は派手だけどその舐め方突き方さわり方は気持ちよくなさそ〜なのはやや萎える。
結合部見るの好き。
壁から尻がでてるやつ好きなんだよな。
パイズリは気持ちよくなさそうなのでふーんってなる。フェラは第三者視点の構図だったら見るの好きかも。女優さんが上目遣いの構図はあんまり。
子供の頃に図書館で借りて読んで、細部も結末も忘れてしまったけれど
身体がおかしでできている男の顔を食べるシーンは今でも忘れられない。
この説明だとほぼアンパンマンだけど、アンパンマンはあいつアンパンじゃん。
これは人間の容貌をしていて、成分はお菓子でエディブルなんだよ。
読書メーターの感想には「ナチュラルファンシーカニバ好き的にはクリティカルヒットな設定」とあった。
『おかしの男(杉山径一 文/小林与志 絵)』 販売ページ | 復刊ドットコム
https://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=68309858
https://bookmeter.com/books/40435
入手性は悪いので図書館などで探してくれ。
あとは、「辺境の老騎士」と同じ作者の「狼は眠らない」にもダンジョン内でわざわざ焚火をおこして
温かい飯を食ったりドラゴンステーキ食べたり、後半で飯が美味い宿屋に長居する章とかもあるけど
戦闘や冒険がメインで食事シーンの割合は少ない。マンガ版は序盤のみで終了。
ゲームではヴァニラウェアのアクションRPGは通称ヴァニラ飯と言われるほど食事シーンの描写にこだわりがある。
1946年ごろのプリンストン高等研究所で天才が実在だの知性の限界だのの話をする日常物語。主な主人公はフォン・ノイマン、クルト・ゲーデル、アインシュタインの三人。
肝心なのは、実在の人物が登場するが、これは物語であってドキュメンタリーではないこと。
彼らの会話内容や経歴には元ネタがあるにせよ、要するに著者の妄想である。
メイン主人公のフォン・ノイマンはプリン☆ストン高等研究所の数学教授。アカデミアでは知らない人はいない超天才。最近は計算機開発にご執心。フォン・ノイマンちゃんは天気予報をやってみたい!
クルト・ゲーデルは不完全性定理を発表した当代随一の論理学者、にして奇人。最近は教授になりたくてしょうがない。
世界的アイドル アルバート・アインシュタインさんは、ここでは時代に取り残された古典物理学者。つまり金看板ですよ金看板。
あとはオッペンハイマーとかワイルとか、なんか色々出てきて、不確定性原理とかヒルベルトプログラムとか知性とか認知とかの話をしながら和やかに穏やかに日々が流れる。
クルト・ゲーデルが教授に昇進し、フォン・ノイマンの計算機開発が採択され、アインシュタインは主人公格なのに影が薄いまま物語は幕を閉じる。
気晴らしにはちょうど良いが内容が適当っぽくて人には勧めにくい。
図書館には娘を連れて行ったわけだが、本当に久しぶりだ。紙の娯楽本を読むのも久々だ。
年のせいか読書ヂカラが衰えてきたな、なんて思うこともあるのだが、この本はすいすい読めた。
どうもやはり紙の本は、Kindleとは違う。読んでいるときの脳のモードとか没入感が違う。
なんでだろうね。
俺は中学生の時にネトウヨになりその後間髪入れずに共産趣味にハマったどうしようもない人間だ。
自分でも節操なしだと思うけれど、当時はマジも大マジで思想をころりと変えた。
今思い返すと痛々しすぎて目も当てられないけど、結果的にはあの時「未熟過激思想にハマる」という人生のイベントを消化しておいたことで良かったなと感じることもあるので当時を振り返りがてら書いてみたい思う。
ネトウヨになったきっかけは多分インターネット、特にようつべ、YouTubeだ。
YouTubeを見始めたガキがまず通る道であるヒカキンさんの動画を早々に卒業してしまった俺は、ゆっくり実況に手を出した。あの頃YouTubeにはゆっくり解説などなく、ゆっくりといえばゲーム、特にマイクラ実況だったもんだ。とはいえ、そこそこ昔の動画サイトには今ほどの動画が投稿されていなかったので、めぼしい動画を見つくしてしまった。そんな手持ち無沙汰になったまま関連動画を漁っているガキの目の前に出てきたのはサムネにでかでかと「自衛隊」の文字が載っている謎のコンテンツ、ネトウヨ動画だった。
当時(今もかもしれないが)のYouTubeにはネトウヨ動画が溢れていた。どれもこれもやれ韓国人はバカだ中国人は不潔だなどと適当なことを言い散らかし、それに比べて日本人は素晴らしいとおべんちゃらを並べ立てるような内容だったが、当時の中二病入りかけ戦記物大好きクソガキには親和性が高かったらしい。
俺はすぐにネトウヨになった。女騎士よりメンタル耐性が弱かった俺は驚くほどの早さで堕ちた。
韓国や中国を心底軽蔑した。自分が日本人であるだけで確立されてないアイデンティティの穴は埋められた。
インターネットがこの考えを支えてくれた。ひん曲がった思想はより頑迷になっていった。
どうしようもない人間に成り下がってしまった俺を救い出してくれたのは学校の図書館で借りた本だった。日本は自分が心の中でさんざんバカにしてた中国や韓国に各種産業で後れを取っているということを知った。
もちろん日本が世界をリードする分野も存在数多く。しかし、当時の俺にとって日本が世界で一番ではないこと、全ての分野で近隣諸国を圧倒してるわけではないこと、それを知れただけでネトウヨを脱出するには十分だったんだ。
俺はネトウヨを辞めた。
辞めるきっかけをくれた本には感謝してる。タイトル忘れたけど。
あの本のおかげでとりあえず真人間になれた。
でも、俺が共産趣味にハマるきっかけになったのもまた本だったんだ。
こっちのタイトルは忘れもしない。マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』だ。
俺は元々読書が好きな生徒だった。通学に使う電車で本を読むのが日常だった。
中三になっても読書癖は失っておらず、痛々しさも失っていなかった。何を思ったのか俺は共産主義に興味を持った。
別に特定の思想に興味を持つことは悪くないと思う。でも、当時の俺は若く愚かだった。何故か『共産党宣言』から読み始めた。
『資本論』はちょっと太くて読みたくなかったんだと思う。そういうマセガキなので、『共産党宣言』を読むだけでマルクスの思想を理解した気になっていた。
俺は革命を目指した。目指したからと言って何か行動を起こすことはなかった。
ニコニコ動画で共産MADを見漁るだけだった。中学生も後半になるとニコニコ動画に手を出すのがちょっと乙に感じる年頃だったような気がする。
こっちはネトウヨだった時より多分ずっと痛かった。同時に平沢進にもハマってたからもっとキモかったと思う。
「君、『資本論』は読まないのか?」
余りの恥ずかしさから、その日以来共産主義について語るのを止めた。
僕はもう一度真人間になれた。
ここからが本題。
僕はこの経験から今生きていく中で大切なことをいくつも学んだと思う。生まれた国、育った場所で人を差別するべきではない。国などの大きなカテゴリに当てはめて目の前の人間を評価するべきではない。不用意なことは言わない。もし何か発言するときは論理やソースを用意しておく。
こういう当たり前の考えを手に入れた。
自分が余りに無知だということも知れた。インターネットにはクソが転がっているということも身に染みて分かった。
人生の最序盤でこういう極端な思想を振りかざしておいたおかげで、僕はこれから極右にも極左にも振れることがないだろうというのは結構なアドバンテージだと思う。
多分この経験がなければ今頃どっかのカルトに引っかかっていたのではないかと思う。
自分を客観視する能力や真偽を確認しようとする意識というのはドツボにハマって初めて手に入れたものなので。
幸運にも人生の序盤でドツボにハマって恥をかけたから、後の人生で何とかなってる。
実際問題、周りを見渡すと今ネトウヨ思想にハマってたりする人間は結構いる。
余りにも見てられない場合にはちょっとお小言を漏らしたりしてしまう。
でも聞く耳を持たないのがほとんどだ。ネトウヨは自分で気づく日が来ない限り抜け出せることはきっとないだろう。
もし子供にインターネットを与えて変なものに触れないか気をもんでる親御さんがいたら安心してほしい。
子供は勝手に染まって勝手に抜け出していく。その時に免疫ができる。その後はもう大丈夫だ。(n = 1)
後々染まる方が面倒くさい、僕の周りにいるそういう人たちのように。歳をとればとるほど抜け出しにくくなるのだから難しい。