はてなキーワード: 事故とは
世の中腐ってるし日本終わってる
事故事件被害者なんだけど、あまりの対応の杜撰さに国家批判したら何故かよく分からない罪でっちあげられて殺人示唆だとか言われてなのに殺人罪で、令状もないしパトカーないし手錠ないし、調書も事情聴取もなにもないし、裁判もないし、弁護士もいないし
君は異常者だとか言われて
なんかいきなり反社がいる施設に連れて行かれてお務めさせられて~
出てきた
増田自由に書けると思ってたんだが、申し出あると消されると見たから具体的なこと書けないんだけど、これは一体なんなの?何が起きたの?
証拠あるんだが
〜っぽく見えるってのはわかる。
例えば鈴木亮平はすごいと思う。
ヤクザ役やった時ほんま怖かった。
逆に例えば、北野武。
特に事故起こした後は呂律回ってないから何言ってるかわからん。
キムタクとか全部いっしょだけど華があれば名優扱いされるんかな。
びっくりするくらいに子供を車に乗せることに対する想像力が働かないのかなというのはあるんだが、そりゃわからんよな。
子供を車に乗せるっていうのは「重い荷物を車に乗せる」というのとは全く違う。言っとくが子供を車に乗せるだけでもかなり事故の可能性がある。
それは間口が狭くて子供をうまく扱えずに落としてしまう(子供は常に動いてるしそれが危険かどうかなんて全く想像しないからな?言っとくけど)なんてのもあるだろうし、狭い車内に体をねじって乗せるなんていうのは毎日何回もやるならかなりの負担になる。
出産直後の女性は筋肉なんかも相当減ってるから男性には想像つかないレベルできついはずだ。
元増田は「広いとこに移動して乗せりゃいいじゃん」なんて言うことも考えているようだが、これはかなり思いやりのないアイデアだ。「お前がもうちょい頑張りゃいいじゃん」と同じだからな。
今みたいに核家族化が進んだ時代の子育てっていうのは、周囲の人はなにかにつけて助けてくれる心強い仲間じゃなくて、油断したら何されるかわかったもんじゃない魔物と同じだ。これは時代とともに人々から子育てに対する想像力がなくなっていったことやマスコミが「そういう人」ばかりクローズアップして人々の不安や不信感をひたすらに育て上げていることが原因だとも思っているが、なんにせよあまり悠長なこと言っていられない。
スライドドアじゃないというのは、間口が狭くて作業が大変になる、ということの他にも、扉を周囲の車にぶつけてしまわないように扉の行き先にも気を使うという余計なポイントが増えるということでもある。
試しにだけど釣り上げたばかりのカツオを毎日車に乗せるとかできりゃもうちょいわかるかもしれんけど元増田の場合は自分の意見に固執しているようなので、そうなると今度は自分の体力をものさしにもの考えそうだから先に言っておく、将来に禍根を残したくないなら死んでも言うな。
ちなみに、何も掴まないし人間じゃない分カツオのほうが楽だぞ?
本人が大変だ、と言っているなら、大変だ、という前提で話をしろ。奥さんは面白半分に話してないからな。真剣に話しているからな。どう考えても子育ての初期は母親を中心に回る、こればかりはもうどうしようもない、俺達男には予備知識もなければ情報源もない、そんな世界でやらなくてはならない。残念ながら日本では子育てにおいて男は凄まじいハンディキャップ戦を強いられているし、これを改善しようという動きもほとんど見られない。育休だの産休だのはほんとに誰も傷つかないようにこっそり入れた変化でしかない。
お前は助けることに喜びを感じなくてはならない。
乗りたい車に乗れないことが嫁さんより重大な問題か?
子育て中の親御さんが車のボンネットや屋根の上にかばんやベビーカー、買い物した荷物を置いたまま発進しているのを見たことがあるか?もうそのくらいにパンパンでやっているって言うことを理解してあげてほしい。
元増田に車を選べるだけの余裕があるなら、もう子供が生まれたら奥さんに選ばせてやれ、その後の生活がそれだけでかなり楽になるのは増田にとってもかなりのストレス軽減になるからな。
皆この恐怖をどう処理して何人も子供を産んでいるんだろう…。TORCHや出生前診断でわかるものは良いけど、出産時の事故の脳性麻痺とか原因不明の知的障害とか避けようがないのに自分の人生を賭けてギャンブルするの怖すぎるよ…。
たしかに子供がいない配偶者や孫がいない親は可哀想だし、普通の子供が生まれたら子供がいない人生より彩り豊かになる気はする。
けど、そもそも子供が好きじゃないしたぶん自分の子供にも豊かで正しい愛情を注ぐことができないから子供による最大の効用が「配偶者や親が一瞬喜ぶ(かも知れない)」「人生に彩りを添える」くらいなんだよね…(ふつうの子供が生まれたからといって必ず良好な関係が築けるというわけでもないだろうし後天的な障害や突然の死もあり得るし)。それに対して賭けに負けたときのマイナスの効用がデカすぎる。
こんなゴミカス人非人の元に生まれてくる子供もかわいそうすぎるし、やっぱり生まないほうが良いんだろうな。万が一知的障害があったら病院か施設に預けて一生逃げ回るだろうし…。でも生まなかったことで後悔するのかなあ…。子供の頃から10年以上悩んでる。皆なんで平然とこんなデカすぎる賭けに出られるんだ。不思議だ。犬猫で満足すべきだろうか(犬猫に障害があっても飼い主の人生は終わらないと思うので)。というかよく考えると犬猫を飼うことで生じる生活の不自由さに躊躇して結局犬猫を飼っていないのに、子供を産もうなんて異常者の思考かも…。
少子化、この恐怖に由来するところも結構あるんじゃないかと思うけど、だからといってどうすることもできないよね…。医療の力で知的障害をどうにかしてほしい。知的障害者のケアに人生を捧げているあらゆる家族のためにお願いします…(他力本願寺)
ワイ自閉症、いつもと同じものが一番落ち着くから遠いところに行ってもお馴染みのチェーン店に入りがち
旅先といういつもと違う環境だからこそ、飯時くらいかえって見慣れたところで安心したい気持ちがある
あと食えないもの(食材もだし皿の色とか形とかも)あるから、うっかり知らない土地の初見の店に入ると事故が起きたりする
我ながらめんどくさ 死ぬわけでもないのにな
でもイヤ
昭和は良かったみたいなこと言うけどさ
同級生にいじめ殺されても、子どものいたずらが過ぎたからどうしようもないくらいの反応だったり
体罰教師にぶん殴られて脳障害になった子の親が告訴しようとしたら逆に周囲に諌められ、体罰教師は転任だけで済んだり
実際怖いなとは思うことはある地元民です。自転車も車も運転します。
あの記事( https://roadbike-navi.xyz/archives/40429/ と https://roadbike-navi.xyz/archives/38623/ )は駐車している車のドア開けと直前横断だけにフォーカスしてたけど、3者の視点それぞれで見て困ることがあるなと思っています。ブクマでもすでに言及されていて重複するけど、改めて書いてみます。
駐車している車に乗っている人からすると、歩道側が危険であるという認識は薄くなります。車道(ドライバー)側の扉を開ける時は注意するけど、歩道側はドアを固定物にぶつけないように注意するくらいで、あまり確認せずに開けるんじゃないでしょうか。さらに、後部座席から歩道側に降りる人は、子供も含めて運転しない方も多いはずで、猶更そちらに意識が向きません。当然、歩道側から車に向かうときも同様で、車道横断ほど注意を払わないはずです。ドアを開け放す以外にも、積み込みのためにレーンに立ったり荷物を置いたり、植栽の切れ目に移動するためにレーン内を後方確認せず歩く人もいます。
走行している車からすると、死角が増えます。駐車している車と歩道の間を、ある程度速度を持ったものが走ってくることを想定しない人も多いはず。大きい交差点なら視界が開けることである程度軽減されるものの、脇道への進入時は、歩道より一歩手前で確認する必要があります(イメージ: https://goo.gl/maps/ECFMNGUb3e31CPfr6 )。 正規の駐車枠はそれを意識してか、交差点より手前の設置にとどめているものの、その先に枠外駐車があると死角が強化されます。私有地への入口だとそこまで猶予が設けられていないケース https://goo.gl/maps/VRcCqmZy5BmZtDcS9 があったり 、安全を意図してか駐車枠が設定されていない地点にて地元町内会がレーン外駐車を呼びかける例 https://goo.gl/maps/rnxYjsQCHM6V4fzYA もあったりします。
自転車側から見ると、走行中に右前後方の視野が制限される、右方向への移動(回避行動)が制限されるということが他とは異なります。低速なら大丈夫という声が散見されますが、電動アシストのママチャリで 15km/h で走行してたら、突然のドア開けや横断への対処には急ブレーキしてもギリギリ。夜や雨だとさらに厳しい。また右後方から接近する車・前方から右折しようとしている車が見えないことがあるのはなかなか怖いです。安全に走るなら、前2項の心理を想定して警戒走行し、レーンをふさぐ駐車がある場合は車線に出るか歩道に上がるか総合的に判断することが求められることになります。
何度か通行し、このあたりの特徴と対策を把握できていると、より安全には走れると思います。逃げられるなら避難先としての歩道も比較的広いですし。通勤に使っている方のインプレがさほど悪くないこともそのあたりが理由ではないでしょうか。ただ、各利用者が傾向を把握できないうちは、ヒヤリハットや事故は起きる気がします。他の設置例と比べて、事例が多いか少ないか、事故が起きた際の深刻度がどうか、などについてはわかりません。
「自転車レーン」というものが場所ごとに異なるので、設置個所ごとに異なる対応を求められるのも悩ましいです。ここ以外のパターンを覚えているものからいくつか例示。
https://goo.gl/maps/cxq1SXkFVieCmpqZ6
https://goo.gl/maps/WZjUtdsbD1wN3smz5
https://goo.gl/maps/SDZu8pxvcXV6RJi48
https://goo.gl/maps/ouMPEo1fpnduVDWX9
自転車での通り方が初見殺しである例は、自転車レーン、または都内に限った話ではなく、数多くあります。
二重左折レーンが設置されている場合の安全な直進方法がわからないことが多いとか。安全に右折するなら下車して歩道橋を渡らないとダメだけど、車道から歩道に上がれない構造になっているとか。
土日だけならなおさら。
どうせ、最初の半年は遠出はできないし、2歳になれば一人でよじ登る。
1800mmの車幅の4ドアで開け閉めしにくい駐車場はワンボックスだって楽じゃないよ。そもそもそんなにあるのかな。
事故で横倒しになったワンボックスを何度か見たことがあるので、元増田のいうクロストレックは安全という面では良い選択だと思うが。
そのあたりを奥様にプレゼンしたらどうだろう。
僕の知っている人で死を体験した人がいない。
どんなことだって、あらかじめ先人の知恵を調べて準備をするが、この世のすべてのアドバイスは死の際までしか教えてくれない。
宗教は教えてくれるが、あれは願望だ。当てにはならない。
だから、なるべく死を後回しにして、おそらく辛いと予想される死に方を回避するしかない。
でも、死後何がおきるかはわからない。もしかしたら死後の世界があったらどうしよう。その死後の世界は今よりも楽とは限らない。
生前の行いに関係なく地獄と呼ばれるようなところに行くかもしれない。
もしかしたら輪廻転生するかもしれない。記憶がなくなるなら別の人になることだからそれはそれで怖くないかもしれない。
人間は単なる生物で、僕の自意識は僕の体、脳に依存しているからだ。
停止するだけならばいいが、もしかしたら死の間際に主観時間は引き延ばされるのではないかという懸念がある。
それと同じように極限状態で脳の主観時間が引き延ばされて、極限まで引き延ばされて死の際を無限の時間に感じていつまでも死なないということもあり得る。
第三者から見れば、僕は死んでいるが、僕は死んでいる時間まで到達することができずずっとそこにとどまってしまうこともあるかもしれない。
死んだ昨日の僕は、無限に死なない時空で閉じ込められたり、地獄のような場所に転送されたりするかもしれない。
寝た後、知らない場所に行き苦行を強いられるかもしれない。
そして僕は「なんでこんなところに来たんだ?死んでしまったのか?家族にお別れを言いたかった」と思うが、別の僕はまた生まれて家族には無事な顔をみせていることをしらない。
一通り目を通しました。
私は30代シングルマザーです。
現在両親と同居し正社員フルタイムで働きながら子育てをしている立場です。
前置きが長くなりました。
産む産まない、結婚するしないどちらも個人の自由でどうぞという前提のもと
私が産んでよかった、ちょっと後悔した話です。
産んでよかったなと思う事は
一番は悲しませたくない・幸せにしたいと心から思える存在がいることにより
恥ずかしながら子を持つ以前の私は人には言えないような
ましてや子供には見せられないような人間でした。(法は犯してません)
でもある意味犯罪者にならない為の抑止力、ストッパーみたいな存在ですね。
ちょっと後悔した点は、
子供が被害にあった事件のニュースや、事故・自然災害が発生すると
うちの子になにかあったら…と不安になり眠れなくなる日があることです。
そりゃ子育ては自分とは別個体の人間と干渉し合うのでうまくいかないことばっかりですよ。
でも毎日が新鮮で貴重な体験をさせてもらってるな~と感じます。
これに関しては子がいない人生でもきっと違う事に精を出し
楽しいことたくさんしたり、色んな経験積んでるだろうから一緒だと思います。
長々と語ってしまいました。
いろんな方の意見を聞いて知ってなるほどな~ってするの
とても楽しかったです。
あと5㎏で100㎏の壁を突破するがなかなか太れないでいる。
とある広い公園で、年配の女性をナンパしてるスポーツ新聞片手じっじがワイ氏の後ろをついてくることに気が付いた。
ちらっと、ベンチに腰掛け隣に座れとジェスチャーしてるのが見えた。
ワイ氏は非常に麗しいツラをしている。
ハンターでいうところの優しい顔のミルキがボンレスハムと思ってくれればいい。
これが15-20歳ぐらい年上の一部の男性の性癖にずっきゅん刺さるらしい。
職場で、電車で、街角で、初対面であるというのに初手「ホテル行こう」という直球を投げてくる輩がいる。
道を歩いてても、いきなりジュースを買ってくれたり、小遣いを上げようと財布を出すおじさんもいる。
すぐスケベ話をしてくるので、そういう目的だ。
昭和生まれの男に、女のデブデブ脂肪が好きな層が一定数いるようだ。
もしくはデブ女はすぐヤれる、という成功体験をもっているのかもしれない。
平成、令和ときて、もろアウトなセクハラではあるが、ワイ氏はちょっと興味を持った。
スルーしていたが、戻って、ベンチの隣に座った。
じっじに比べれば若い女だ。
大喜びである。
会話は、競馬、競艇、どこに住んでるのか、独身か、男はいるか、などと個人情報を探ってくる。
じっじの一方的な会話と質問に、ワイ氏は嘘を並べて、真実は何ひとつ語らない。
嘘だらけのワイ氏の個人情報を聞き出して、じっじから結論であるところの「ヤりたい(意訳)」という言葉が出てきた。
先に、ワイ氏は興味を持った、と書いた。
興味は満たされた。
ワイ氏は少女時代からホワイトカラーからもブルーカラーからもお誘いを受けてきたが、
今回の60代半ばじっじも、隣に座れと席をべしべし叩いてみせたが、ワイ氏には指一本も触れないことが確認できた。
彼らは前時代の性規範で生きているが、痴漢行為と受け取られるような行為はしない。
これは失敗から学んだ学習成果か、それとも一応道徳心ある紳士であろうとしているのか。
判別がつきづらい。
『なぜ触らないのか』
誤解を恐れて尋ねることはできない。
「結婚したけど別れた。寂しい。女が欲しい」
「いいえ。いりません」
道を行く年配女性をナンパし、初対面のワイ氏をベッドに誘うようなじっじの人間性には間違いなく問題がある。
野良猫の交尾でもあるまいし、良識ある人間は名前も知らない異性と寝ようとは思わないのだ。
恋人でも結婚相手でもない男と金銭のやり取りもなくセックスする女はまずいない。
じっじの提案は「ガストで飯を奢る」という他愛ないものだった。
お互いに安いですねえ、とワイ氏は一人でちょっと笑った。
空の雲行きも怪しいし、帰ると告げて席を立ったら、また付いてくる、まだ話しかけてくる。
警告のちに面倒くさいけど警察コールかと思ったら、ヘルパーさんとそのお世話になる品の良いおばあ様が車椅子でやってきた。
ワイ氏はぱああああっと顔が明るくなる。
いいところに来てくれた。
じっじの目の前でその二人に話しかけた。
付きまとい終了。
何度か付きまとわれてるが警察が来る前に逃げてしまうパターンがほとんどだ。
一応、逃げてしまった場合でも警察に通報していいことになっている。
今回はワイ氏が付きまといに応じてしまったのがアカン要素で、本来ならば厳しく拒絶が望ましい案件である。
警察に通報した場合も、ワイ氏はたぶん怒られるか注意を受ける。
人間の食べ残しの味を覚えたクマが人里に降りてくるようなもので、
性欲と孤独に負けたじっじが再び年配女性や勢い余って未成年に近づいて警察に通報され、性犯罪者となり、逮捕される事態を招きかねないからだ。
一日の終わりに書き記して覚えられたら覚えていようと思う。