はてなキーワード: 古事記とは
人の畏れが神を産み出す
信仰を集めるほどに神は強大になり
忘れ去られた神は力を失いやがて消滅する
などがある。
日本人にとっては常識(?)なためか、作品内でこれらの設定が言葉ではっきり解説されていないこともある。それが一部の海外の人にとってはわかり辛い場合があるようだ。
先日、*eddit (*はR) で漫画アニメ系サブレを徘徊していた時にとある議論スレを見つけた
ちょうど上記の設定の話をしていたので「それで合っているよ。それは日本人の宗教観なんだ」とコメントしたところ、すごい反応をもらった
とリプライされて困ってしまった。どう返信しようか悩んでいるうちに
それからコメントせずにずっと悩んでいるんだけれど、たぶん神道ではないよなぁ・・・?
少なくとも古事記や日本書紀を読んでもそんなことは書いていないだろう。ニンジャスレイヤーじゃあるまいし。
でもコロナ禍でコロナ神が誕生し、妖怪だったアマビエが神になっていく様は確かに見たんだ。
畏れが神を生み、信仰が神を強大にするという設定は私の実感に近い。
これらの宗教観の元ネタとなる聖典、宗教的記述はどこかにあるのだろうか?
それとも日本人が無意識に共有しているアミニズム的世界観なのだろうか
「君たちはどう生きるか」なんて変にうがった見方※(後述)をしなけりゃ普通の「行きて帰りし物語」でしないよね?
戦争が若干ノイズになってるけど、基本骨子は「はてしない物語」や「黄泉平坂(古事記)」と同じだって気づけば、どういう物語として見ればいいかは明白じゃない?
これが複雑に見える人って他のジブリ映画もアレコレ考えまくって見方を見失ってない?
「もののけ姫」や「平成狸合戦ぽんぽこ」だって物語の大筋自体は冒険譚だからね?
その冒険譚の中で自然と人間の対立について問を投げかけてはいるけど、それと物語自体は別のレイヤーにあるものであって、ごたまぜに混線させて考えるようなものじゃないけど大丈夫か?
「ナウシカ」が人類の愚かさと滅びと愚行権を描いていようが、映画のストーリー自体は優しくて勇敢な姫様のおかげで世界は救われましためでたしめでたし以上でも以下でもないぞ?
人伝に聞いた高尚な見方を意識しすぎて、最初の1回目は素直に物語を受け止めようって気持ちがなくなってんじゃないの?
たしかにまあ「コクリコ坂」だの「思い出のマーニー」なんかは全体として退屈で、あまりに暇だから一周目からその奥にあるモチーフ探しが始まったりしてもおかしくなかったが、君生きは序盤ちょっとスローなだけで中盤以降はストーリーにだけ集中しても全然楽しめるぐらいの映画だったろ?
なーんか変な見方する癖がつきすぎてるんじゃないの皆?
鳥の羽ばたきの作画がヤベーとか、木材バラバラカットが全部手書きとか狂ってるとか、そういうのを単純に楽しんでりゃいいだけなのに、宮崎駿の遺言探しでもやってたんか?
そんなのは金曜ロードショーに来た時にでもツイッターでやってりゃいいんだよ。
※変にうがった見方の例「塔はスタジオジブリ」「インコはジブリのアニメーター」「インコ大王は例の映画の監督」「ばあやは宮崎駿の師匠世代のアニメーター」「鳥は鈴木」
これ面白くて、未来が自分の後ろ側にあった時代には矛盾がなかったんですよ
我々現代人は普通「未来が前、過去が後ろ」なのが当たり前だと思ってますが、昔は過去が前、未来が後ろにあったんです
全く日本独自のことではなく、古代ギリシャやソマリ語など世界の地域/言語であった/あることらしいですが https://t.co/3iG9Uaqgae pic.twitter.com/hkoAEAJjB0— 重藤小藤太 (@Kotouta_Sige1) February 18, 2024
この言説は正しいのだろうか。この場合、過去に書かれた文学などにおいてどのような用法があったかを確認すればいいだろう。というわけで『源氏物語』から「先」が未来をあらわしている箇所を引用する。
わが御世もいと定めなきを、ただ人にて朝廷の御後見をするなむ行く先も頼もしげなめることと思し定めて、いよいよ道々の才を習はさせ給ふ。
「私の治世もいつまで続くかわからないのだから、(光源氏が)臣下として朝廷の後見をすれば、この先も頼もしいだろうと考えて、さまざまな学問を習わせた」といったところだろうか。この「行く先」は未来を指している。
中に十ばかりにやあらむと見えて、白き衣、山吹などのなえたる着て走り来たる女子、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生ひ先見えてうつくしげなる容貌なり。
「その中で、十歳くらいに見えて、白い衣に山吹襲の着慣れた上着で走ってくる女の子は、その他の多くの子供とは違って、将来が楽しみな可愛らしい容姿をしている」といったところだろうか。この「生ひ先」も未来を指している。
我が心ながら、かかる筋に、おほけなくあるまじき心の報いに、かく、来し方行く先の例となりぬべきことはあるなめり
「自分のことながら、このような身の程知らずのあってはならない恋の報いとして、このように後にも先にも例になりそうなことが起きたのだろう」といったところだろうか。「来し方」は過去、「行く先」は未来、という時間の感覚がよく分かる。
一方で、もちろん「先」と書いて過去を指している箇所もある。
あこは知らじな。その伊予の翁よりは、先に見し人ぞ。されど、頼もしげなく頚細しとて、ふつつかなる後見まうけて、かく侮りたまふなめり。さりとも、あこはわが子にてをあれよ。この頼もし人は、行く先短かりなむ
「おまえは知らないのだろう。(姉君と私は)その伊予の老人よりも先に会っていたのだ。けれど、(姉君は私のことを)頼りなく弱々しいと思って、あのどっしりとした男を夫として、このように(私を)馬鹿にしているらしい。とはいえ、おまえは私の子でいてくれよ。あの頼もしい人は老い先短いだろうから」といったところだろうか。この箇所には二つの「先」があるが、「先に見し」は過去、「行く先」は未来を指しているのが面白い。
このあたりを見るかぎり、単に「先」といえば「過去」あるいは順序的な「前」を指しているが、「行く先」のような言い方だと「未来」になるようだ。これは現代的な感覚としてもわかるのではないだろうか。「先に〜〜する」と「この先、〜〜する」の違いだ。
ではさらに遡って中国では「先」という漢字はどのように使われてきたのだろうか。
先(拼音:xiān)是汉语一级通用规范汉字(常用字) 。此字初文始见于商代甲骨文及商代金文,古字形从止(指脚)从人,人举足则前进,表示在前面的意思。 先的基本义是走在前面,引申为时间或空间的次序在先。引申用作名词,特指祖先,又指过世的,多指长辈。
先(拼音:xiān)は、中国語の一級通用規範漢字(常用字)です。この字は商代の甲骨文と商代の金文で初めて見られ、古い字形は「止」(足を指す)と「人」から成り立っています。人が足を上げると前進することから、先は前にあることを示しています。先の基本的な意味は先頭を歩くことであり、時間や空間の順序が先にあることを意味します。名詞としても使われ、特に祖先を指し、また亡くなった人々、特に長老を指すことが多いです。
意味などを調べてみたかぎり、どうも中国語では「先」が「未来」を表すことはなさそうだ。空間的な順序では「前方」側、時間的な順序では「過去」側、で統一されているらしい。このあたりは中国語に詳しい人の解説を求む。
原義が「先頭を歩く人」で、時間的には「過去」を表すというのは、どう考えればいいだろう。イメージとしては、人々が一列に並んでいて、自分はその真ん中あたりにいる。空間的には、列の先頭の人は、自分の前方にいる。しかし、時間的には、先頭の人が先に動き、自分はその後に付いていくことになる。先祖代々が一列に並んでいるところを想像すると、その「先頭」はいちばん古い人だと考えるのが自然だろう……ということではないか。
精選版 日本国語大辞典
先・前(読み)さき
日本語の「先」には「目的地」という意味がある。たとえば「出掛け先」だとか「勤務先」のような言い方である。そして先ほどの「行く先」はまさにこの用法だろう。つまり「先」という漢字から、まず「目的地」用法が生まれ、それから「目的の地点」を「時点」にするイメージで「未来」用法が生まれた、と考えるべきかもしれない。
まとめ。
1. 日本語では「先」が「過去」を意味したり「未来」を意味したりする
3. 中国語では今でも「先」といえば「過去」だけを意味するらしい
残りの課題。
ウクライナ人の両親を持ち日本で生まれ育った女性が日本らしさを体現できるのか?
出来る、出来るのだ
ニンジャとは、平安時代の日本をカラテによって支配した半神的存在である。
しかし彼らはキンカク・テンプルで謎のハラキリ儀式を行い、歴史から姿を消した。
やがて世界を電子ネットワークが覆いつくし、サイバネ技術が普遍化した未来。
数千年の時を超えて復活した邪悪なるニンジャソウルが、突如、ネオサイタマの闇へと解き放たれたのだ……!
一命をとりとめたフジキドは「ニンジャスレイヤー」……ニンジャを殺す者となり
復讐の戦いに身を投じる。
オオ、ゴーランガ!
これほど日本を表現した作品を今まで日本人が作れたであろうか!!!???
否!
異なるバックグラウンドを持っているからこそ、真の日本を描くことができるのだ!
古事記にもそう書かれている!
オタッシャデー!
古事記にもそう書かれている
ならないと思う。あれは、ニュージーランド人としての統一意識を持つための、政治的なものであるから。
あのハカって、先住民がやっていたものそのままではなくて、部族を超えてニュージーランドが最近作ったものでしょう?
古事記・日本書紀を「日本の神話」として、九州の人も東北の人も大事にしているのに近い。
九州の人や東北の人は、古事記・日本書紀成立前には別の神話があったはずで(そうじゃなきゃ、九州とか東北の人が成敗される話にはならない)、なのに古事記や日本書紀を自分のものとしているのは、政治的背景があるからに他ならない。
ハカも同じように活用されている。ニュージーランドでは学校教育の中で、先住民を尊重すべく、自国の文化として先住民の文化を学んでいるはずだ。白人が先住民の暮らしをめちゃくちゃにした多くの国で、今、そういう教育が行われている。白人も、自分の文化として、それを学ぶ。
ハカを日本の薄荷会社が「ハカ薄荷」とか言い出してハカをアレンジした踊りをCMで使ったり(無理矢理な例だな)、いきなりフランス代表もハカをやり出したりするなら、それは文化の盗用になるんじゃないのかな。
一応言っておく。
するぞ?
ちょっとだけするぞ?
日本における最古の『行きて帰りし物語』とされる『ヨモツヒラサカへの旅』がこの作品の骨子(ベース)だと思う。
元ネタというよりも「とりあえずこれを背骨にしてここに肉と別の他の骨もつけてこ」みたいな感じ。
いきなりジブリベースで読み解いてしまうと「ヒミ様ってなんで火属性なの?」という所で、「炎上のメタファーでは」「本能寺の変がモチーフ。君たちは宮崎駿の敦盛」と意味不明な方向に考察がすっ飛んでいきかねない。
ヨモツヒラサカベースであれば、「母親が火で死ぬ所から物語が始まっているのは、カグツチを産む所から物語が始まるヨモツヒラサカへの旅そのままじゃないか」となるからこの辺の混乱は少ない。
開いてはいけない産屋だったり、母親が帰れと言うのとかも、ヨモツヒラサカベースあるあるだなあでまずは終わらせてそれからじっくり考えようと思えば地に足をつけて考えられる。
小学生低学年ぐらいの子は仕方ないにしても、高学年ぐらいだったら日本の歴史として「イザナギとイザナミがいたという設定があって、イザナミがカグツチファイヤーで自爆して死んでまあそこから色々ダークファンタジーじみて来たんすよ」と授業で習っていると思うし、子供もついていける内容だったのではと。
宮崎駿が最後の物語に選んだテーマとして古事記に挑戦ってのも、ラスボスのチョイスとして納得感はあると思う。
いや本当、この「ヨモツヒラサカ」解釈って全く大発明感がないというか、「素直に見てたら普通に分かるよね?」と俺は思ってたんだよ。
誰もその話しないでひたすら「後継者争いがテーマで主人公は宮崎吾朗」「インコはテレビ局の社員」みたいな考察ばっかが飛び交ってるんだもの。
「こんなオタクにしか伝わらない映画やっちゃってさ―」じゃなくて、中学生以上なら皆知ってる内容がベースだから。
じゃあ俺から言うよ。
作画は凄かった。
吉野ヶ里発掘のニュースで、自分の中の邪馬台国畿内説vs九州説へのロマンが盛り上がったので書く
まず自分は古代日本史や考古学の全くの素人であることをお断りしておく。
古事記・日本書紀が伝説として好きで子どものころから繰返し現代語訳で読んでいた。
学生時代、九州旅行で記紀に地名が出てくる場所を訪れロマンを掻き立てられたこともあり、自分は昔から九州説派である。
奈良県がまとめている古事記ゆかり地マップは全国のゆかり地がマッピングされていて親切だ。
だが、ここ5年ぐらいで専門家の間では畿内説がほぼ鉄板となったという話は何度も聞いていた。
専門家の意見に一定の価値を置く自分としては寂しさを感じつつ受け入れていたが、今回のニュースで改めてググってみると、やはり改めて九州説を自分は強く推したいと思う。
(因みにネット上の情報は圧倒的に九州説が多いので、ネット情報を中心に接種すると九州説派になる模様。)
こう書くとバカみたいだが、
⇒ 埋葬されている王は歴史に残る大王であったと考えるのが普通
⇒ 中国との交易品を考えると邪馬台国は大国であったはず。纏向にあったのが邪馬台国でないなら、中国は地方の小国と交易していたことになり不自然。
ということなので、考古学的証拠から邪馬台国=大和国で、纏向に首都があったと考えるのは納得できる。
・新版 古代史の基礎知識 (角川選書)の前半(倭の五王まで)
まず邪馬台国=大和国は自分も同意。「たい」なんて音は日本語の発音になじまない。
そのうえで、自分はこのYoutubeで関川尚功氏が指摘している「女王の住居が奈良なら、伊都国(大宰府周辺と推定されている)で女王への贈答品の確認はしないだろう」という意見に強く賛成する。
https://www.youtube.com/watch?v=dA3e14517Ek
現代にも通じる物流の常識感で、中国から奈良まで水路でこの後運ぶ荷物の確認は、一旦寄港した福岡でなく最終水揚港の大阪付近になるはずだろう。
伊都国で贈答品の確認をしたという魏志倭人伝の記載はこのリンクでも紹介されている。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~smkodai/25route.html
記紀ではうっかりか意図的にかの違いはあれ、三輪山の神に去られた百襲姫が女性器を箸でついて死んだとある。これはどう見ても性交または出産に関したトラブルで死んだように読める。
また、その墓は夜は神が昼は人が作ったとある。この表現は緊張関係にある2つの部族が彼女のために距離を置きつつも協力して墓を作ったように読める。
卑弥呼が何歳で他界したかはわからないが、魏志倭人伝から長い治世だったと考えると性交出産トラブルで死ぬような年齢だったのか疑問がある。
次に、魏志倭人伝に卑弥呼が死んですぐまた国が乱れ台与を女王にたてたとあるので、争いあう二つの部族が卑弥呼の墓を一定期間協力して作ったというのが想像しにくい。
九州の大和国が卑弥呼を女王に立て勢力を伸ばし、彼女の在位中に近畿に東征し、奈良の三輪山周辺に拠点を持っていた大物主一族と姻戚関係を結びながら(神武天皇の皇后も大物主の姫)、最終的には大物主一族も亡ぼしたのではないかと思う。それが記紀で神武東征伝説として書かれた内容だろう。
卑弥呼が自分の兄弟である神武(または崇神)(※二人とも「はつくにしらすすめらみこと」)と共に近畿に移動したかわからないが、中年女は引越しを嫌うので九州に残ったかもしれない。
だが、ある程度近畿で大和国が勢力を持ってから即位しただろう台与は近畿で生活していただろう。
彼女が死んだとき、大物主一族と大和国の間は既に緊張がありつつ協力して墓を作るぐらいの関係性はあったのではないか。
その後、大和が謀略か戦争かで大物主一族を滅亡させたため、その祟りを恐れ、記紀にあるように一緒に祀っていた大物主と天照(卑弥呼か?)を分けて、それぞれ三輪山と伊勢神宮に祀ったのではないか。
吉野ヶ里で今発掘中の貴人の墓は、卑弥呼の墓として魏志倭人伝に書かれている径百余歩の大きさに到底及ばない規模らしい。自分は吉野ヶ里は卑弥呼の墓ではないだろうと思う。
卑弥呼の墓はまだ発見されておらず、台与の墓は先代と同じ規模にということで箸墓が径百余歩の大きさなのではないか。
魏志倭人伝にある邪馬台国の場所の説明は、神武東征が始まる前、または、まだ卑弥呼が九州に残っている時のものなのではないか。