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はてなキーワード: 生命とは

2018-10-17

性欲を認める必要なんてあるのか

性的感想って誰でも持っていてそれでいて基本的に隠すことでしょ……。

限定的コミュニティーだったりそれが許される対象だったりにしか基本言わない言っちゃいけないもの

そういうものを無くしたら妊婦に中〇し女とか言ってる奴らと同じになるのでは……?

そもそも自分が産まれたのって両親が……いやらしいいやらしい……人間いやらしい…生命いやらしい…卑猥…。

そもそも卑猥人類があれはセーフあれはアウトなんて意味不明だね。

2018-10-16

anond:20181016161635

ありがとう優しい人。

まり書くとばれるかなと思って濁してました。

生命誕生で、手書きメッセージ付きなので業者一斉発送ではなさそうです。

高等生物はあと数億年でおわり

海水は減少していて、6億年後にはなくなるらしい。

全部でなくても何割か減ったら気候変動がすごいだろうし、高等生物絶滅だろうな。

何億年も続いてきた生命歴史なのに、さみしい。

2018-10-14

映画 インフィニINFINIの感想(ネタバレ)

Huluでインフィニって映画観た。おすすめ

この理解であっているだろうか。

鉱山だと思っていたのものは、有機生命体だった。

 →有機生命体は人体をのっとり、構造コピーすることができる。

  →人間の行動を制御できる。

   →有責生命体は、強い固体を識別するために殺し合いをさせる。

転送によりデータの損失があり記憶障害が発生することがある

 →これは転送デメリットではなく、実は有機生命体が記憶を消去していた?

 →ラストで隊員たちが記憶喪失になる布石だった?

・途中になぜ汚染された人間が登場する?

 →凍結していただけで、温度が上がり復活した?

食堂の解剖された人体はなに?

 →有機生命体に気がついた研究者研究のために解剖していただけ。

有機生命体が時間を巻き戻した?

 →時間を巻き戻した根拠は2つあると思われる。

  ①隊員が生き返っていて、記憶もない。

  ②血液の流れが逆になるシーンがある。

  →巻き戻していないと思う。

   ①有機生命体が構造コピーして生き返らせた。記憶操作も行った。

   ②有機生命体が隊員を蘇生させていることを意味している。

    これは映像が悪いと思う。血のあった跡がまったく残らないので誤解してしまう。

   →時間軸としても十分な時間がある。また時間を戻せるなら、もっと別な方法を採るはず。

    中盤で早期帰還を試みるが5h掛かることが判明する。

    終盤で早期期間を試みるが5mしかからない。

有機生命体が隊員を帰還させた理由は?

 →個体という概念を学んだ?

  有機生命体は個体という概念がなく、1つの生物である

  しかし、人間構造を学ぶことにより個体という概念を取得する。

  これはラストで透明な人体5体が複数現われることから根拠である

  →そして、共存という概念を学んだ?

   隊員による降伏スピーチに感化され、共存という概念理解する。

   人類排除が必ずしも、有機生命体にとって必要ではないと判断した。

・隊員たちは汚染されたのか?

 →汚染されていないと思う。

  汚染エンドであれば、ラストに登場する透明の人体5つの表現不要なため。

  →この映画ハッピーエンド

2018-10-13

匿名文化神風特攻隊

匿名による彼らの書き込みには生命が宿っているが、その価値は著しく軽い。

なぜなら彼らは匿名で書き込むことで自我を減らしているからだ。

私達は同じ人間である、ということで価値を同じにしている。

匿名である彼らは同じ人間ではあるが、同じ人間から少し引き算をした存在なのだ

何を引き算しているかというと、彼らは名前を持たない。

彼らはいかにアイディンティティと呼ばれるものを保持できているのか?

私が書き込んだものは変わることはない、その不変性によって維持できている。

そうでなければ、私が書き込んだもの侮辱されたり、過小評価されたりしたときになぜ落ち込むのかわからない。

wikipediaは書き込んだもの修正されるが、修正された履歴として残る。

  

匿名の人が人間から少し引き算をした存在だとしても、同じ人間であることは変わらない。

私達と同じ感情を有しているのだ。

これは非常に混沌とした問題だと思う。

一方では匿名は劣った存在だが、もう一方では同じ存在として扱わなければならない。

匿名の人が名前を持たないというのは当たり前のことだ。

彼らはいかにアイディンティティを保持できるのかも私は書いた。

一方で彼らは匿名でのアイディンティティ簡単に捨てることもできる。

なぜかといえば、私が書き込んだものを削除すれば消えるし、私が書き込んだことを忘れてしまえばなくなるだろう。

(忘れる方法について、簡単ではないように思えるだろうが、人は大したことではないことは簡単に忘れられるようにできている。)

本来、アイディンティティ簡単に捨てることはできない。

まず家族がいるだろうし、私のそのままの暮らしのものであったりするからだ。

それが毀損されれば、どうなるかここでは書くことはできない。

そのアイディンティティ匿名では自分意思によれば簡単に捨てられる。

匿名世界でも、アイディンティティ尊重されねばならないが、本人がどうでもよければ価値はないのだ。

  

人は会話をするときある取引をしている。

それは一方の論理を受容するとき、一方の論理もまた受容するというものだ。

それはアイディンティティを守るための取り決めである

匿名世界で会話をすると気にはこの論理取引ほとんど不可能である

なぜならアイディンティティを守る必要がないからだ。

いや、私のアイディンティティは守らねばならないが、相手アイデンティティはどうでもよい。

捨てればいいだけだからだ。私のは今は捨てたくない。

  

匿名同士の会話はこのように成り立っているようで成り立っていない。

常に死者が出ているのだ。

会話をするときに常に人が死んでいく様子は戦場である

彼らがマッチョ思想に染まるのも当然で、むしろそれを貶す奴らのほうが狂っている。

もちろん匿名同士では私の言っていることは逆に間違っている、貶なせるのなら貶すのが正しいだろう。

これがアイディンティティ簡単には捨てられない世界との衝突では大変なことになる。

匿名の人はいかにもアイディンティティ大事のように振る舞うのだ。簡単には捨てられないほうが価値が高いことを知らないか

分かっていない、またはそれが非常に有効戦略なのだ

私のアイディンティティ取引しませんか?

私はあなた論理を受容しましょう、だから私の論理も受容してください。

これを拒否するのなら、匿名の人はアイデンティティを捨て、もう一度同じことを繰り返すだろう。

取引をしたとして、彼らが味方になることは無いのだ。なぜなら彼らはすぐに死んでしまう。

この様子はまさしく神風突撃隊のようだ。

死を覚悟して、人の論理突撃していく、彼が正しいか正しくないかなど関係ない。

アイデンティティ問題なのだから

そして拒否する側は、ひどい罪悪感に苛まれるだろう。

それは死者が出ることが分かっているものに、私の論理はそれほど正しいのだろうかという疑念も出るだろう。

人の死より正しいものがこの世にあるのだろうか?

それに会話するルールを毎回のように破らなければならないのは、一般的なことではない。

  

私はこれは解決すべき問題だと思っているが、私にはやることない。もう世界がすでにそう動いている。

アイデンティティ価値について、よく吟味するしかないだろう。

そういう意味では信頼を可視化するという試みはうまく行きそうだ。

信頼の可視化は、いろんな問題を含んでいるのだが特攻隊を見ることはなくなるだろうと思う。

2018-10-12

anond:20181012174631

男がそういう場に出会いを求めるのはある種当たり前である。その通りだと思う。

.

じゃあ女性に求められるのは、そういう男の当たり前の行動を軽くあしらえる強さなのか。

中世舞踏会で男を簡単に操っちゃうマダムみたいなイメージの強さ。

でもすべての女性にそれを常識として求められるか?

.

と、ここまで考えて気付いた。

男にも強さが求められている。「サークル貪欲出会いを求めにいく強さ」が。

一歩間違えばストーカー扱いされることを知ったうえでそうしに行けるのは、生命としての強さだ。

それが出来ないがために、出会いが無い、としょぼくれて、生涯独身で過ごす草食系のなんと多いことか。

.

所詮この世は弱肉強食

生殖ともなればなおさらであることだな。

大月地獄谷遡行

2018年10月7日六甲山で最難関ルートだとされる大月地獄谷ルート(渦森橋~みよし観音)を登った。2018年台風ののちに、みよし観音を目指して登った人が他にいるかが、検索しても見つからなかったので、私のような登山素人に向けて書き残したい(これが検索でヒットするかはまた別の話)。画像はない。ちなみに天狗岩へ抜けるルートで登っている人は確認されているが、こちらの方が容易だとされているようだ。なお登っても、達成感を感じる前に、泥だらけのボロボロ服装で、おしゃれキラキラカップルと遭遇することになるので、極度のマゾヒストしかおめしない。


登った時の状態

天気 : 快晴 (気温27度)、前日早朝は雨

服装 : 破れてもいい服(長袖)、軍手トレッキングシューズ

持ち物 : 昼食(おにぎり)、補給食(ゼリー系のやつ)、ポカリお茶、参考にしたサイトコピー遭難しても少し生き延びれるようにカロリーメイトいくつか

虫除けスプレー山と高原地図等は同行者が持っていた。感謝。(逆に持ってない私がやばい)

ヘッドライトなども持っている方が良いでしょう。

主に下記のサイトを参考にさせて頂いた。呼び名などもこちから拝借している。

https://tokiwatrekking.web.fc2.com/pages/y20160813.htm

http://shousam.fc2web.com/081018ootukijigoku.html


入渓から荒神山堰堤

霊園の手前から谷に入り、沢沿いを歩いていく。

本格的な山登り荒神山第二堰堤から始まる。ここを右から高巻く。当然ながら整備されている道ではないので、一発目にしては重め。頂点付近で少し無理やり登る必要がある。腕力である

次は荒神山第三堰堤。左から高巻く。途中まではロープがあるが、道自体もそこまで険しくはないので、あくまで補助的に使う。ロープのかかっている木のうちで、少し弱くなっているところがあったので、油断は禁物。

ちなみに、ここを右から高巻くと、死にかける(体験談)。右側は急峻な上、堰堤の上端と同じ高さまで登ったのちに、ほぼ支えになるものが何もない状態トラバースしなければならない。高さ18mなので落ちるときっと楽しい

続く荒神山第四堰堤は、手前にある石積み堰堤を右から高巻くとそのまま巻道が見つかる。

紅葉谷~F2滝まで

次は紅葉谷堰堤。とうとう荒神山堰堤ゾーンを抜けて紅葉谷ゾーン左手にあるロープからかなり上に登りそして降ってくる。一部、ほぼロープに頼らなければ進めない箇所があるので注意。確かに周りを見渡せば紅葉の葉っぱが見つかる。

紅葉谷第四砂防ダムは上目からロープを頼りに越えていく。この辺りになると結構感覚をつかみ出してきていて、どうやらいけそうだと感じ始めたが、それは幻想だった。

このエリアが終わると、滝が続きハードになってくる。複数意味ハードになる。滝を登るため体力と、意味のわからないロープを信じなくてはならないため精神と。

紅葉滝は、右手手前に巻道、滝のすぐそばロープがあった。右手手前の巻道はかなり斜度が高く、その上足元が滑りやすいという有様だった。同行者のうちの一人がロープ、もう一人が巻道から登り始めたが、私はどうにももっと手前に巻道があるような気がしたため、少しためらった。しかし、結局心もとないがロープを信じて登るルートの方が簡単なようで、信じて直登することに。案外いける...だが誰がいつ設置したのかわからないロープに命を預けたという事実が残る。

タラップ付きの堰堤が現れる。ダムから出ている水量が多く、タラップの場所まで行くのに身体中がずぶ濡れになる。体温がかなり上がっていたのでそこまで気にしなかったが、普通に考えて危険であるダム自体特に問題なくタラップから登りきれば、鋼製堰堤。下をくぐるが、足元が濡れる。

大月地獄大滝に到着。実際に滝を見ようとすると、生い茂る藪を超えて行く必要があった。また、この薮の手前から巻道が......滝を見ずに巻道へ。こんな薮、進めやしない、とその時の私は思っていた。

すぐそばF2滝。巻道は見つからず、ロープを信じて直登する。できる限りロープに頼らないでいたかったが、頼らざるをえない部分がいくつか。しかロープの根元を見てみると、理解しがたいほど不安定そう......。よくもまあこれを信じれたものである。ふと自分の体が震えているのに気づく。膝が笑っている。潜在意識生命危機を感じていたのだろうか。同行者の様子を伺うと、全員足が震えていた。愚かにも山を登ろうなどとするからこうなるのだ。

最後の難所とラストスパート

次のダム二つはタラップがついており、越えるのは簡単しかし、越えた先がかなり深い池になっており素直には降りられない。滝を越えてしまった今、もう後にも引けず、無理やり脇道から池を越える。

A-7標識を越えるとF5滝。右の巻道を進むが、斜度がかなりある上に少ない木の根などを頼りに登って行く、本格的なクライミング永遠にきつい時間が続くのかと思うほど、滝のかなり上まで進むが、くだるポイントが見当たらない。途中、堰堤が下に見えたがこれもスルーしてそのまま上から抜けた。ここの滝では、左に巻道があるとされていたのだが、明らかに崩壊しており、右から行くしかなかった。

ここから少し進み、小さい滝を越えて行くと、本格的に薮ゾーン。正しい進路がどこなのか、一見しただけではわからない。無理矢理川のありそうなところを目指して進む。さらに進むと土砂崩れの影響か、川はなくなる。本当に道が分からないのだが、とにかく信じて直進し続ける。テープも見当たらず、この道は正しいのか、という自問自答を繰り返して行くと、大きなダムが見える。

このダム2016年に完成したもののようで、いくつかのサイトによると、2015年時点でみよし観音直下建設中のダムがあるという情報があったので、ここはほぼゴールに間違いない!

ということでダムを目指す。足元は雑草のみで歩きやすく、木もないので視界が晴れてくる。左手タラップがある、という案内板が見え、大きいが楽に越えられそう、と思ったのが甘かった。先の災害の影響か、左手側が完全に崩壊している。仕方なく、右手にあるステップを無理矢理腕力で登る。

この次にも似たようなダムがあるが、高さがさほどなく、そのまま越える。すると、眼前には森のみで、この先には道がないように見える。しかし、GPS確認するとどう考えても正しい場所にいる。このまま突っ込んで行くしかない、と思ったところ右手に木製の階段が!久々に見たダム以外の人工物に喜び、何を口にしているかも分からないままわめきながら階段を上っていった。

人間のいる地へ

抜けた先にあったのはJFE健康保険組合みよし観音ではなかった。もう少し右手側を進んでいればみよし観音だったようだが、未確認。とにかく人のいる地に帰ってきたのだ。泥まみれの状態で、おそらく六甲山キラキラしたイベントに行っていたであろうカップル達と出会う。そのまま下っていき、帰りはロープウェイで帰った。ロープウェイから見える木々に時々ピンクテープが括り付けられており、新たな旅の可能性を見た。

2018-10-11

anond:20181011215916

その前提は「無謬の大天才」じゃないじゃんか。

無謬の大天才自身無謬性を証明できるから無謬であり、それができない時点で無謬とは言えない。

思うに、君は宗教の話をしてるようだ。

それなら「理解できない」という心境はわかる。私は無神論者だし、神の教えなどは理解できない。

から宗教には従わない。

こういう事だろ?

で、どうするか。

ことが論理となるとこれを多少なりとも解しないというのは別の生命体みたいだ。

共栄共存はやはり不可能なんじゃないか

感情は共有できるものでない以上、それしか物差しを持たないもの他者と関わることが出来ないだろ?

それは上とか下とかでは無いんだよ。

別の線上に生きてるんだ。同じ人間では無いんだよ。人間とは別の人間

anond:20181011163939

詭弁のガイドライン

ありえない仮定を持ち出す

 「もしも太陽がなかったら」

自分に有利な将来像を予想する

 「地球はたちまち凍りつく」

全てか無かで途中を認めないか、あえて無視する

 「花は枯れ鳥は空を捨て」

自分見解を述べずに人格批判をする

 「人はほほえみ失くすだろう」

知能障害を起こす

 「イエーイ!」

主観で決め付ける

 「太陽生命の星だ」

 「幸せを守る炎だ」

 イーグルシャークパンサー

 イーグルシャークパンサー

一見関係がありそうで関係のない話を始める

 「俺たちの魂も燃えている」

ありえない解決策を図る

 「Follow The Sun, Catch The Sun

レッテル貼りをする

 「太陽戦隊サンバルカン」

SMに関心があって色々考えたんだけど、そこに至る経緯とか感情とかはどうでも良くて、結果としての「痛み」に興奮するから羞恥プレイとかは全く惹かれないんだよな…。

かといって言葉責め全般が駄目かというとそうでもないし、行動を指摘されるようなものだと興奮する。はしたない、とか。

でも結局自分のことが嫌いで怖いかブタとか言われても普通にこわ…って泣いちゃう

多分こっちが嫌だと泣くなか、あまり言葉を発することなく無理矢理っぽく物理的に痛いことをされるのが理想なんだろうな。

痛みと苦痛自己生命肯定できる。

2018-10-09

社会学者BL研究対象にしながら表現規制賛成派って偽善者クズだと思う

作家は売れなくなったら作家生命が終わるっていうのに

のんきに時代に合わせれば問題ないとか何様なんだよ

anond:20181009175907

今もおかしいよ

男にとって性欲は切っても切れない関係にある

金玉男性ホルモンをせっせこ製造し、それによって脳が動かされていく、つまり性欲は自分構成要素なんだよね

性欲を出すというのは男のアイデンティティ肯定すること

それを否定するのは男のアイデンティティ否定すること

男の性欲を一切認めないという姿勢権力を以って抑圧しようという姿勢こそが、男性ホルモンのない女性から男性への「セクハラ」なんだよ

それによってアイデンティティを傷つけられるのだから

他人尊厳を傷つける人は差別だし悪だしパブリックエネミーだよね?

なぜ性において女が法律で守られているかというと、暴力障害とかかわりが深いから、つまり生命維持のための措置であって

男の尊厳を傷つける権利までが無制限保証されている訳じゃない

性の表明という全く暴力性のない尊厳すら否定したいほど嫌ならその会社社会から去るべきで、同じくらい性にナイーブな人たちだけで集団形成するべき

anond:20181009000122

違う分野には違う分野のお作法文化相場ってものがあるので、安易disらないでくれませんかねぇ。

学問学問たらしめている、その作法文化ってのを教えて欲しい。

増田ではあちこち議論拡散して、英語じゃないと価値がない云々とかあるけど、そんなのは瑣末なことで、大本togetterにある、

ポイント本来学問」の生命である「専門知識を持った第3者らによる検証システムちゃんと構築されているか」であり、その辺が査読論文システムとは別のシステムちゃん担保されてますって話ならそれはそれで分野の固有文化で良いとは思うんだけど、

その反論が「論文誌にたくさんコラム載ってるし!」じゃ全く反論になっとらんやろ。その依頼論文を頼まれるようになる為の学術業績はどう上げてんだよっつう。それが単著売り上げとか講演会人気とかだったら冗談みたいな話になんぞ。

https://togetter.com/li/1274544

これに対する答えを教えて欲しい。

査読システムも万能ではない以上、それに代わるもしくは補完するシステムがあるのであれば、

それについてまじめに知りたいし、取り入れるべきだと思う。

2018-10-08

おひとりさま三連休

三連休本日が最終日。

皆さまどのような連休を過ごされたでしょうか。

 

私は日用品の買い物など最低限の活動にとどめて、

ほぼ引きこもっていました。

 

今年の連休はいつもそんな感じでした。

もう出かける気力がないのです。カラダが重いのです。

 

かと言って連休中ずっと寝ていれば疲れが取れるかと言うと、

そんな事もないのです。いつも疲れてダルいのです。

 

40代独身一人暮らし。絵に描いたような おひとりさま です。

私のような人種日本の将来を危うくさせているのです。

 

決して収入は高くありませんが、なんせ欲が年々枯れて行くので

普通に暮らしているとお金が余ります

 

貯金は一応は老後のためと思ってますが、投資するでも無く塩漬けです。

 

一人で暮らしているとお金生命なのは確かなのですが、

本当に困った時はお金もあまり役に立ちません。

 

やっぱり必要なのは人の繋がりです。

 

私は日頃は家と会社の往復。

地元に知人はおらず両親は他界

兄弟もおらず親戚は遠方で暮らしています

自分の身に何か起きたら、即、死です。

 

こんなムリゲーライフを送っていれば気力もなくなります

最近、鬱っぽいです。

 

過去にも抗うつ剤を服用していた時期があったので分かるのですが、

これが長く続くとヤバイです。

心のバネが伸びきってしまます

 

何とかしたいのですが、気持ちけが焦って足が動きません。

何をすれば良いのか分かりません。

 

人と会うきっかけで一番手っ取り早いのはお酒だと思うのですが、

私は下戸なのでそれも出来ません。

 

飲めないので飲み会にも行きませんので、

ますます公私ともに孤立が深まっています

 

ああ、どこかにコーヒードーナッツ

かに話せる相手はいないのでしょうか。

 

そんなわけで無駄寿命を消費した三連休でした。

明日からまた孤独を紛らわせる為に会社に行きます

ご静聴ありがとうございました。

 

細くて死にそうなので太り方を教えてほしい

身長は150cmぐらいで体重31.5kg(女)。

急に痩せたわけじゃなくて小さい頃から細かった。糖尿病ではないし、摂食障害でもない。

しか胃腸が弱い。食べ過ぎると気持ち悪くなり腹痛になるので、たくさん食べて太るというかカロリー摂取して太ることができない。

外食に行って一人前の食事を選んでも食べきれないぐらいに食が細い。食材にも店に対してもいつも申し訳なく思う。(マックチキンマックナゲット 5ピースで満腹になるぐらいの胃)

子供を産みたいというわけじゃないが、30代40代この細さだったら早死にするだろうな……と危機感を抱いてるし、実際疲れやすくて毎日ヘトヘトなってしまうので生命危機がすごい。

プロテイン摂取すればいいんだろうか……。

#技術書典 に対する疑問

技術書展に対する疑問があるので書いておきたい。反論などあったら聞かせてほしい。

まずネットが当たり前にあるこのご時世で、同人即売会同人誌(物理)というものへの疑問があるのだが、それは一旦置いておく。

まず売られていると嬉しい本について書く

売られていると嬉しい本①

著者自身バリューがあると良さそうだ。「この人はこういう本書くんだ、こういう考え方、切り口なんだ」作家みたいな感じ。

企業出展も多かった。この辺もその会社や扱ってるサービスが好きだと、著者にバリューがある場合と同じで楽しめそう。

この辺までは、考えてみると作家アーティストの本みたいな感じで需要がありそうだ。まず人やプロダクトに対するファンであって、本の内容が良かろうと悪かろうと、その考え方に触れるという意味で楽しめそう。

売られていると嬉しい本②

その他のサークルはどうだろう。

まず内容について、読み物、エッセイ、事例紹介、そして技術書などの種類があるかと思う。読み物、エッセイはもちろん、事例紹介も書き方によるだろうが個人経験視点に基づくものだろうから多様性がありおもしろうそうだ。

多様性同人アマチュア生命線と言えると思う。商業出版が叶わない需要量、クオリティでもどこかでそれを必要とする人がいる。ということでその頒布理解できる。

この先からが本題だ。

存在が疑問な本

存在が疑問なのが、上で挙げられている以外の本、つまり「その他のサークル」の「技術書」だ。「技術書」ってなんとなく使ってる言葉だけど、本屋に並んでる「〜入門」とか「〜アンチパターン」とか動物の絵が描いてる表紙のやつとか、そういうのを指している。技術についての情報が載ってるやつだ。

まず「編集者がいないので正確性の担保はどうなってるんだろう」と思ってたんだけど、自分はよく個人ブログのお世話になってるからそれは言う資格ない。

問題は「情報多様性はあるのか」ということだ。上で「多様性」と書いた。たしかに絵や漫画小説エッセイなどは多様性価値があると思うんだが技術情報はどうだろう?情報の中には多様性はない。真実はいつも一つ。多様性存在するとすれば、その情報を扱う視点、切り口、または情報自体ニッチさだ。

技術書展で頒布されている技術書を精査したわけではないのだが、大体「機械学習」「Webサーバ」「FPGA」「ブロックチェーン」手垢のついた単語ばかりが並んでいる。本自体タイトルも「〜入門」とか「〜アンチパターン」とか本屋で並んでるようなのが目につく。見本誌を手に取ると目次を見るだけで飽きるやつばかりだ(また似たような体裁の本ばかりなのだ)。

これになんの意味があるのだろう。ここで行われていることは、商業出版の本の再生産ばかりじゃないだろうか。いや、ブログならそれでも気にならないけどいきなりそれに数百円とはいえ値段がつくと面食らう。

ニッチな内容なら素晴らしいと思うけどけどそれもタイトルや表紙からからないものばかり。見本誌出してるところ多いけど混雑してるから内容精査できないし。

頒布する人はその内容や公開方法を少し考えてみてほしい。切り口を気にしてほしいし、その切り口を本の表紙やタイトルで伝える努力をしてほしい。

頒布方法が疑問

結局、技術書展で売られている技術書ブログで広く公開されていた内容が都内イベントしか手に入らなくなっただけではないだろうか。(しかも他の同人イベント同様、開演前に長蛇の列を作っていた)

タダで公開しろ、という権利自分にはない。ただ情報へのアクセスを難しくすることはやめてほしい、と思っている。技術書展に出展する人なんてこれまでもブログなりネット情報公開している人が多いんじゃないだろうか。

anond:20181007145612

外見がイケメンなら小学校に押し込んで児童を殺した宅までも結婚できる

KKO凶悪犯罪者や死刑囚以下の生命体なんだ

2018-10-07

バカを叩くことを強いられる社会

キズナアイいちゃもんを付けた女性弁護士炎上した。

便乗して萌えキャラdisった社会学者フェミニスト炎上した。


こうした「自称フェミvsオタク」のプロレスネット(とくにTwitter)では定期的に開催されている。

俺は20回以上コミケサークル参加している程度のオタクで、観測範囲が偏っているからかもしれないが、事あるごとにプロレスに参戦しては、自称フェミを熱心に叩いているオタク日常的に見かける。

俺も、いわゆる二次元規制が強くなれば精神的に辛くなる側の人間だが、最近プロレスの有様を見ていると、不毛というか、もっと他にやることあるんじゃないか?と思うようになってきた。


なぜって、プロレスに出てくる自称フェミの大多数は、取り付く島もないようなバカばかりじゃないか。少なくともプロレスに参戦しているオタクは、自称フェミを「取り付く島もないようなバカ」と認識しているからこそ叩いている。俺にはそう見える。

なぜスルーしない?ネットではないリアルの場で同じことを言ってくるおばさん(おじさんでもいいが)がいたら、「あーはいはい」とスルーするだろう?

「そういう自称フェミが勢いづくことで実害がある」という意見もあるだろう。確かに碧志摩メグでは市を動かしてしまったが、自称フェミがそこまでの権力を持つに至ったのは、事あるごとにプロレスに引きずり出して叩いてきたオタク存在があったからじゃないか?いちいちバズらせて彼ら彼女らを世間様に露出させなければ、どこの界隈にも一定割合でいる「取るに足らないバカ」で済んでいたはずなのに。


この問題根底には、現代ネット空間バカを叩かずにはいられない空気があると思う。

誰もがネット人間関係を構築し、世間の中で一定ポジションを獲得するのに必死だ。必死にならざるを得ない。社会的生命にかかわる帰属欲求。駆り立てられる承認欲求。それ自体古今東西人間の性だが、ネットはその興味の範囲を全世界拡張した。人間は、ネットから得られる莫大な情報量と引き換えに、人間関係ストレスの増大を引き受けた。そのストレス簡単に解消し、かつ帰属欲求承認欲求も満たせる。そのもっとコスパの良い手段が「バカを叩くこと」なのではないか。この手段定番になってしまえば、お付き合いでバカを叩かなくてはならなくなる。円滑な人間関係維持のために。


今こそ、古から伝わるネットユーザーの知恵を再評価しなければならない。

荒らしスルー

…もう、手遅れなのだろうか?

「人が死ぬ」ということ

社会問題を語るとき、「人が死ぬ」話がよく出る。

最近なら北海道停電医療機器が止まって子どもが死んだ、って話から原発必要性を語るツイートがたくさんあった。児童虐待子どもが死んでどうのこうの、という話もあったと思う。

「人が死ぬ」ことは一般的に、絶対に避けないといけないことだとされている。貧困餓死したら、事故死したら、停電生命維持装置が止まって死んだら、全てはいけないことであり、対策検討される。

これ自体はまさに人類人類として生きるための叡智であり、その歩みを止めてはならない。

しかし一方で、そのあまりにも正しすぎる道徳は、往々にして議論無意味にする。

前に出したように、原発を動かさないと人が死ぬ、電力不足は人を殺すのだ、と主張が一時期大いになされた。もちろん道徳的で非常によい意見だ。だが現実的ではない。

現代のようなある程度人権が確保され、安定した平和世界では、「◯◯をしないと人が死ぬ」という意見は、「我々には関係ない人が死ぬようにしろ」と同意なのではないかと思う。

世界が、社会がどんどん安定して簡単には人が死ななくなった結果、1人を救うリソースインフレしているのではないか。残念ながら人類リソースは有限であり、強引にリソースを増加させる行為は別の人を殺す。

話を戻すと、電力不足は確かに人を殺すだろう。だが、現代社会において電力不足の解消が救う命は、解消のために費やしたリソースのために死ぬ人より多いのだろうか。

そうしたとき、「◯◯をしないと人が死ぬ」=「◯◯をして人を助けろ」という意見は、「死ぬべき人はこの人ではない、別の人だ」=「他の誰かを犠牲しろ」に容易に置き換わる。もちろん、人類道徳大事にするので、表立って他人犠牲しろとは言わない。言わないが、やっていることが同じだとすれば、鬼畜所業と言えるだろう。

我々は表立って言わなくとも、社会のために、もっと言えば自分のために、常に誰かを犠牲にしている。もちろんそれは巧妙に隠され、少なくとも日常的に出会ものではない。

だが社会問題を語るとき、そこから目を背けることはできないはずだ。目を背けるべきでないにも関わらず強引にそれをすれば、我々には見えない生贄を際限なく増やすだろう。

私は、不完全な人類社会において、人が死ぬことは仕方ないと思う。だが、それがなぜ仕方ないのか、我々は正しい生贄を選んでいるのか、そして生贄をどう選ぶか、というトロッコ問題に悩み続けなくてはいけない。

無限にある分岐先のうち、どこで何人の人を跳ねるかなんて問題に正解があるわけがない。だが、自分の気に入った人を殺したくないとトロッコをどこかに追いやって満足する人間が、私は死ぬほど嫌いだ。それは間違っている。

私は死ぬべき人が死ぬべきだと思っている。線路ポイントを切り替えるべきではないと思っている。どうしても切り替えたいのなら、相応の覚悟がほしい。

覚悟がない人間がひたすら無秩序ポイントを切り替え続けた結果の世界が、今よりいい世界だとは絶対に思えないからだ。

2018-10-05

キン肉マンウォーズマンに寄せて

息も絶え絶えにリングの上に転がりながら、ウォーズマンロビンマスクにこう尋ねた。

「だれかオレの顔を見て笑ってやしないか?」

ロビンマスクは彼を見つめ、力強く声をかける。

「だれも笑ってやしないよ」

から安堵すると同時にウォーズマンの全身から力が抜けていく。

それを抱きとめながらロビンマスクは涙をこぼす。



こんな感動的な場面から始めたい。

これは漫画キン肉マン」に登場する一人の超人ウォーズマンについての一つの考察である



ウォーズマンロビンマスク弟子として、漫画キン肉マン」の第8巻、

『第二十一超人オリンピック編』から登場する超人だ。

人間ロボットの間に生まれ、そのどちらにも属さない「ロボ超人である彼は登場時、

その残酷さによって読者に強烈なインパクトを与える。

針状の爪を発射する武器ベアクローを使って対戦相手を惨殺、

練習のためにグラウンドを走る死刑囚149人のうち148人を殺害

キン肉マンの仲間であるラーメンマンの側頭部を抉って脳漿に穴を開け、

植物状態にするなど、攻撃残酷さでいえば作中随一ともいえるだろう。



しかし、そのような残虐さに反して、転んだ子供に手を差し伸べて助けようとしたり、

前述した149人の死刑囚の中でも老人だけは見逃したりといった優しさが

時折垣間見えるのもウォーズマンの特徴である

性根は優しい彼を残虐な戦いに駆り立てたのは一体何だったのだろうか。


ロビンマスクは作中、「超人オリンピック」のリング上でキン肉マンへの攻撃の手を止めたウォーズマン

「また くうものもくえず きるものもろくにない すさんだ生活にもどりたいのか」と尋ね、

ウォーズマンはそれに応えるように激しい攻撃を再開した。

ここから想像されるのは、彼が故郷ソ連で置かれていた厳しい状況である

この後、キン肉マンとの闘いを通して彼は残虐さを捨てたクリーンな戦い方の大切さに気付く。

そして、対戦相手マスクを剥いだ方が勝ちというルールの中で、

みずからそれを脱ぎ捨てると共に自分過去を語るのだ。



ウォーズマン自身が単なる超人でもロボットでもない「ロボ超人であることを嘆き、

どこにいっても爪弾きにされ、いじめられ続けた日々を回想して「地獄生活」だったと称した。

そのような彼を唯一救ったものこそが格闘技であり、

いつしか自分超人ロボットを「血まつりにあげることがいきがいとなった」のだと彼は語る。


やがて雷鳴に照らされた彼の素顔は、人間でも均整のとれたロボットでもない、

極めて歪なもの、恐ろしいものとして描かれ、

それを見つめるキン肉マンとその婚約者ビビンバの顔も稲光の中で無言にこわばっている。

彼の素顔から受けた、誰も何も発せないような衝撃、

それが登場人物の表情のみを並べることで読者に鋭く突き付けられるのだ。

ウォーズマンの「素顔」は非常にドラマチックなやり方で我々に提示される。

醜い、恐ろしい、そう思ったとしても彼を気遣えば口に出すことができない、

いわば配慮リアリティとでも呼ぶべきものがこの場面には備わっており、読者ですら、

ウォーズマンの顔からどのような印象を受けたかをあえて言葉にしないように努めてしまうのである



彼の生い立ちや素顔についての問題はここで一度大胆に明かされたのち、しばらくはその影を潜めている。

残虐を捨て、キン肉マンら「アイドル超人」の一員となったウォーズマンは、

「七人の悪魔超人編」においては戦士として、

黄金マスク」編においては作品舞台として(「黄金マスク」を巡る戦いはウォーズマンの体内で行われる)活躍し、

仲間を支えながら友情を深めていく。

そして、もはや誰もが彼にまつわる悲劇を忘れ去った頃、冒頭の事件が起きるのである



コミックス17巻に始まる「夢の超人タッグ編」において、

彼は師であるロビンマスクとタッグを組み、共闘することとなった。

この時の対戦相手ネプチューンマンキング・ザ・武道の二人が結成した「ヘル・ミッショナルズ」であり、

ロビンマスク仮面をつけたネプチューンマンの正体がかつての好敵手、

喧嘩男(ケンカマン)」なのではないかと疑っている。

やがてそれは証明されるが、ネプチューンマンは正体を知られたことを理由ロビンマスクを殺そうとする。

ウォーズマンは師を助けるためにリングに上がるも技を決め損ね、ネプチューンマン仮面を外されてしまう。

彼の素顔を見た観客は衝撃を顔に浮かべ、ウォーズマンはなんとか仮面を奪い取って、再び顔に装着する。

彼が仮面を外され、再び装着するまでの間に挟まる以下のセリフは注目すべきだろう。



ネプチューンマン「(注:ウォーズマンに対し)醜い顔を隠すために覆面超人の道を選んだのであろう」

ロビンマスク「これ(注:仮面)をウォーズマンからとりあげることはあまり残酷だ!!」



ネプチューンマンウォーズマンの素顔を「醜い」と指摘したときロビンマスク特にそれを否定しない。

それどころか、仮面をつけずに戦い続けることはウォーズマンにとって残酷だと断定的に語る。

これはなぜか。ロビンマスクもやはりウォーズマンを醜いと感じ、

それでいて庇うこともせず受け入れているのだろうか。


当然そうではない。再び仮面をはぎ取られたウォーズマンロビンマスクに、

「だれかオレの顔を見て笑ってやしないか?」と問いかける。

そして、「だれも笑ってやしない」という言葉に安堵しながら命を落とすのである



この場面において我々が再確認しなければならないのは、

ウォーズマン自分のロボ超人としての素顔を見せること、

そしてそれを“笑われる”ことをいか忌避しているかということだ。


超人オリンピックのなかでロビンマスクウォーズマンに対し、

過去に過ごしてきた「くうものもくえず きるものもろくにない すさんだ生活」について指摘し、

ウォーズマンは当時の暮らしぶりを取り巻く貧困生活の困窮とを思い返し、それを恐れているかのように見える。

しかし、この時ウォーズマンが真に恐怖していたのは単なる生活苦ではなく、当時の自分が置かれていた立場

すなわち、周囲からいじめられ、疎まれ続ける「地獄生活」の中で精神的なダメージを与えられることだったのだ。



ロボ超人であることが理由で受けた誹りや嘲りは彼の心に未だ深く陰を落としていた。

アイドル超人として仲間たちと友情を深めようと、戦いを乗り越えようと、

その陰を完全には取り除けていなかったことが、この場面では悲しみと共に明らかになる。

彼の陰を知るロビンマスクウォーズマンから仮面を取り上げることを「残酷」だと指摘したのは、

仮面をつけずに生きていくことがウォーズマンにとって、自分がロボ超人であることを

突きつけられながら暮らすことと同義であると考えていたためではないだろうか。

彼はここで一度命を落とし、超人墓場で長く労働をすることになる。



それから少しの時が流れ、「キン肉マン24巻に始まる「王位争奪編」において

ウォーズマンキン肉マンとの再会を遂げる。

彼は超人墓場に追いやられたキン肉マン脱出させるために、

脱出必要な「生命の玉」と呼ばれる宝珠をキン肉マンに分け与えた後、

超人専門の医師であるドクターボンベに人工心臓をもらうことで生き返り、

自身墓場から生還成功する。

この時の手術のミスのせいで彼は一度ほぼ戦闘能力を失ってしまうが、

であるロビンマスク指導を受けることで戦闘技術回復

再び登場時のような残虐な戦い方へ、そこからクリーンな戦い方へ、と復活を遂げる。



この「王位争奪編」は、キン肉マンがキン肉星の王として戴冠する場面で幕を下ろした。

平和になった世界の中、ウォーズマンアイドル超人の一人として、

メディカルサスペンション」と呼ばれる特別治療を受けることになり、長らくの療養生活を送る。

そして順調に体力を回復した彼は、「完璧超人始祖編」で再びリングに立ち、

宇宙から襲来した「完璧超人」たちを迎え撃つことになるのである



しかし、ここで再び悲劇が起こる。ウォーズマンとその対戦相手

ポーラマンとの戦いの直前、ロビンマスクが命を落とすのだ。

対戦相手であった”完璧超人ネメシスロビンマスクを破った後、

塔状に組まれリングからその体を突き落とし、砂丘に埋めてしまう。

墓穴を掘る手間を省いてやったのだ」と語るネメシス言葉を聞き、

慟哭しながら懸命に砂を掘り起こすキン肉マンの姿は非常に印象的なものである



この場面において、ロビンマスクを失った悲しみをこれまでの感謝に代え、

続く戦いに向けて決意を固めていくキン肉マンと、

戦闘が始まろうとする中にあって敵に背を向け、

もはや姿の見えない師を思って涙をこぼすウォーズマンの姿は対置され、

ライバルとして出会ったキン肉マンロビンマスク

対して師匠弟子関係にあったウォーズマンロビンマスクとの関係の違いを示している。



その違いは続くポーラマンとの戦いからも読み取ることができる。

ウォーズマンはこの戦いの中でロビンマスクを失った悲しみから暴走し、自身の戦法を見失ってしまう。

テリーマンは彼を見て、普段の「計算され尽くしたクレバーな戦いぶり」とは逆の、

ガムシャラに向かっていくだけの戦闘本能の塊」のようだと口にするが、それも当然のことである


キン肉マンにとって、ロビンマスクあくま自分と共に成長していく超人の一人であり、

彼を失ったとしても彼はそれをバネに立ち上がって自分なりの戦いを続けることができる。

しかし、ウォーズマンにとってのロビンマスクは戦い方の土台や軸作りに大きく貢献した人物なのだ

結果として彼はここで師と共に育ててきた「計算」や「クレバーさ」を失い、

積み上げてきたものを一度壊すことになるのである



ポーラマンに追い詰められ、ウォーズマンは「オレの命などどうでもいい」、

「刺し違えてでもこの戦いに勝利しなければ…ロビンに合わせる顔がない」とまで言う。

ポーラマンは彼の様子を見て、恐怖心を持たず、

ひたすらプログラムとして戦い続けるだけの「ファイティングコンピューター」だと笑った。


その時、ウォーズマンリングロビンマスクの姿を見る。

実体のない、いわば幻影のような彼はウォーズマンにこう語りかける。

「お前はいつも自分のことをロボ超人だと気にしているようだが」

「私はおまえをロボだと思ったことは一度もない」


回想の中で、ロビンマスクウォーズマン攻撃の仕方を教えている。

森の中で木を次々と攻撃、倒していくウォーズマンだが、

もう少しで目標を達成するという時になってぴたりと攻撃の手を止めてしまう。

ロビンマスクは彼を叱りつけるが、よく見るとウォーズマン攻撃しようとしていた木の陰には子鹿がいる。

ウォーズマン意図に気付き嘆息するロビンマスクの前で、子鹿は森の奥へと駆けて行く…



そのような思い出を証拠に、ロビンマスクは続ける。

「おまえは血肉の通ったわが弟子だ」

「そのことに誇りを持てる超人になってほしい」



「オレハキカイナンカジャナイ」

師の言葉を聞いたウォーズマンは、こう言って立ち上がる。

彼の言葉はこの場面で、機械人間が何を基準として分けられるのか、

この場面において“機械である”ということが何を示すか、

そのような大きなテーマをも巻き込みながら読者の方を向く。



倒されかけたところからウォーズマンは再び立ち上がり、

普段のような冷静な戦いぶりを発揮するが、

その背後にある考えを、彼はこのように説明した。



「今までオレはロビンの恩に報いようとするあまり自分の命を捨てるつもりで戦っていた」

しかロビンはこんなオレに生きろと言った!」

「だからオレはもう死ぬために闘わない!」

「生きるために…ロビンがオレに託してくれた大事な魂を守るために闘う!」



この場面で機械人間の間に置かれるのは、

戦いの中にあって「生きる」ために奮闘することはできるか、

また相手を「生かす」ことを考えられるか、ということである

ロビンマスクとの練習中、子鹿を逃がし、

「生かす」ことを考えていた時点でウォーズマン

作中における「機械」の定義を脱していたことになるが、

自身が「機械でない」との自覚もつにはまだ足りないものがあった。



それが、ロビンマスクウォーズマンに伝えた、「誇り」である

彼は自分という存在に誇りをもって初めて、

体は機械であっても心までは機械でないと宣言できるようになった。

「オレハキカイナンカジャナイ」、

そう宣言する彼の言葉があえて機械的にカタカナ表記されているのは、

あくまでも彼の体は機械でできているが、“それでも”」、という

“それでも”の先、逆説のその先を読者に想像させるためではなかったか



ここで物語は、生まれ持った肉体の性質を変えることはできないけれど、

心は変えることができるのだと我々に伝えるが、

これは奇しくも「超人オリンピック編」の中、

残虐超人として現れたウォーズマン正義に目覚め、

アイドル超人に加わったときと同様のメッセージである



そして、「友情」と「信じる心」をもって自身の体の欠点

すなわち活動限界存在を乗り越えてポーラマンを倒した後、

彼は自分がロボ超人であることを以下のように語る。



ロビンはオレのなかで永久に生き続ける このオレが死なない限り

それが寿命のない 半分機械でできた超人のいいところだ」



幼少のころ、自身を「地獄生活」に追い込んだロボットの体に対する複雑な思い

――憎しみ、悲しみ、怒り――、

それをロビンマスクが与えた誇りによって乗り越え、肯定することに、

ウォーズマンはこの場面でついに成功するのである



最終決戦としておかれたネメシス戦の直前、

ウォーズマンは自らの師を倒したネメシス報復することなく、

その立場キン肉マンに譲る。



弱気キン肉マンの自信のなさに対してウォーズマンは一度、

「半分機械からオレにはわからないのか」と口にするが、

すぐにその発言を打ち消し、「生身である半分」では理解できると語る。

自分人間的な面と機械的な面の双方を理解した彼はここで、

ロボ超人である自分理解するとともにしっかりと受け入れている。



ポーラマン戦で彼は、「超人オリンピック編」を彷彿とさせる雷雨の中、

ポーラマンマスクをはぎ取られ、

「醜いツラだ」、「みんなおまえのツラをみて笑っているぜ」と嘲笑されるが、

彼はその言葉を「それがどうした」と打ち消し、師のために戦いを続ける。



自分の顔を見られること、

そして笑われることを臨終の間際にすら恐れていたあの彼はもはや存在しない。

ロビンマスクを失った代わりに自分のロボの体に誇りを持ち、

敵を「生かし」、自分を「生かす」ことに注力する。

ウォーズマンは変わったのである



キン肉マン」という物語においては、「人は変わる」ということが繰り返し語られる。

正義の側から悪の側へ、反対に悪から正義へ、

そしてそれを超越する新たな勢力へと超人たちはその立場を次々と転じ、

その度に誰かが喜んだり悲しんだりする。

それがウォーズマンにおいて特に顕著に現れるのは彼自身が、

自分の”機械的”な外見を誰よりも気にしていたからだ。



から敬遠されるのは嫌だ、疎まれるのも怖がられるのも嫌だ。

しかし、生まれ持った体だけはどうしても変えることができない。

そんな葛藤劣等感、「変わる」ということに向けた諦観交じりの強い欲求

ウォーズマンは常に抱えているが、

そのような「変わらない」ロボットの体が他方、

物語を通した彼の精神的な成長を浮き彫りにしてもいるのだ。



今の彼は逃れようのないものに対して抗うことをせず、

かに受け入れるだけの強さを持っている。

そして、その強さが一朝一夕に獲得されたものでないと知っているからこそ、

我々はウォーズマンという超人に、より一層強く魅きつけられるのではないだろうか。

2018-10-03

anond:20181003225155

クソ暑い中で選手と観客の生命危険

ボランティアに金出さなすぎでスポンサーは虫が良すぎる

これだけで十分中止に値する

2018-10-02

anond:20090222224732

信じがたいことに、天下の京都大学大学院に苦労して入っても、わずか数ヶ月でほとんどの人間が辞めてしまった訳だ

10年経っても報われることは、なかったのだろうか。この元増田は、生命化学分野でのノーベル賞受賞のニュースをどんな気持ちで、眺めているのだろうか。

2018-09-30

anond:20180930203354

3)

見落としていたこれだけ。

前に何度か書いたとおり、宮崎事件時代少年時代経験したオタクですよ?オタク憎しってなんでそうなるのか。なので

オタクキモがられて嘲笑されメディア面白おかしキャラでっち上げられて、時に学校でそれを理由いじめられ、自分らしさを異常視され、世間から犯罪予備軍扱いされてきただけだと思うのですが。

これは実体験。テレビ面白おかしでっち上げ編集素材にされたこともありますよ。

オタク迫害されていたが)女性在日LGBTが本邦で迫害されてた事実などない

と言う人にそれならオタクだって迫害されたって言えなくなると言っただけ。

迫害基準アウシュビッツに置くなら、オタク生命財産否定せずオタクカルチャーの一部を叩いてオタク尊厳を傷つけてるだけのシュナルムのやってることは攻撃でも何でも無くなる。

オタク虐殺されたわけでもないし。

LGBTキモがられて嘲笑されメディア面白おかしキャラでっち上げられて、時に学校でそれを理由いじめられ、自分らしさを異常視され、世間から犯罪予備軍扱いされてきた時代も知ってるから

オタクの神経過敏は正当だが、LGBT他のそれは不当なお気持ち案件と切り捨てられるポイントが解らなかったんで質問していました。

2018-09-29

anond:20180929095953

かに軽々しく生命を奪う『クンッ』の罪は重い

2018-09-26

うわー最近うんこ出ないし腸に死ぬほどガス溜まってるんだろなー、めっちゃゴロゴロぽこぽこするわあって思ってたら、胎動だった。

これが胎動ッッ

お腹に手を当ててみるとなるほど、内側から蹴られたような感触を感じる。

手…なのか足…なのかわからないけど、めちゃめちゃに動く。

お腹の中で大運動会かよ〜〜!踊ってんのかよ〜〜!

微動だにしない静かな時間フィーバータイムを30分おきぐらいに繰り返してる。

私が仕事してる最中もこやつは気にせずビバサンバである

会社の人がエイリアン寄生されてる気分だった、なんて言ってたけど

うーむたしかに、自分の中に自分とは別の意思を持った生命体がお腹の中で好き勝手に動いてる状態ってのはあながち間違ってないぞエイリアン…。

あ、相変わらずうんこは出ません!

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