はてなキーワード: お絵描きとは
プログラミング能力の向上には元々のセンスの影響が大きいです。
ここでいうセンスとはプログラミングへの好奇心、クリエイティビティです。
それらがない子は、プログラミング教室に通っていても時間とお金がもったいないので、別の習い事をさせた方が良いと思います。
どのクラスにも授業に参加せず「先生やって」と言う子が1人はいます。
または、キャラクターのお絵描きばかりしてプログラミングをしない子、自分で作らず他人が作ったゲームをプレイしている子、そういう子供達はそもそもプログラミングへの好奇心がないので伸びません。
反対に伸びる子はどのような子なのかというと、プログラムを文章のように読んで理解し、実行結果を想像できます。
自力で取り組みたがり、先生にアドバイスされることを嫌います。
お手本を越えて独自のアレンジを加え、作品のクオリティをどんどん上げていきます。
こういう子は好奇心、クリエイティビティを備えているのでとても伸びます。
なぜクリエイティビティが大事かというと、プログラミングは目的ではなく、手段だからです。
何ができるかではなく、何を作るかが最終的な価値になるからです。
ただし、これを気にするのはプログラミングを理解してからでも遅くはありません。
伸びる子は環境さえ整えてあげれば1人で学習していくので、プログラミング教室に通う必要はむしろないかも知れません。
もしくは、クラス形式ではなく、マンツーマンで先生が見てくれる教室が良いと思います。
話は変わりますが、クラス形式の教室ではプログラミングができない先生が教えている場合があります。
しかし運営側もプログラミングのことを分かっていないので、教材は間違いだらけです。
何度か教材の間違いを指摘しましたが、私の指摘が正しいのかどうかすら判断できる人がおらず、全く改善されません。
一方でマンツーマン形式の教室の先生はプログラミングができないと務まらないのではないかと思います。実際のところは分かりませんが…
やる気がある子供達は、プログラミングができない先生が教えている怪しい教室に通うよりも、Web検索で独学するほうが良いです。
普通に素で・見て絵が描ける程度の画力がある方が補助として3Dモデル使うのは問題ないのですが
お絵描き初心者の方が3Dモデルを「なぞる」という形でご使用にになられますと
その方の画力レベルに対して妙に立体感のあるポーズが描けすぎてしまいますのと
3Dモデル特有の不自然さも再現されてしまってめちゃくちゃ浮いてしまっていることがよくありますわ。
なので、お絵描き初心者の方が3Dモデルを使うときは、3Dモデルをそのままなぞって下描きにするのではなく
次の工程を踏むと絵になじんで良いのではないかと思いますことよ
3Dモデルを元にアタリをとる(そのままなぞらないでちょっと肉付きのある棒人間くらいにする)
↓
3Dモデルのレイヤーを消す(なぞってしまうのを防止するため)
↓
ご参考になさってくださいまし~
某カエルの人の漫画で、カエルがボンボンだの云々については、エッセイ漫画の性質上、そんな感想抱いても当然だなと。
エッセイ漫画の事実と嘘のまぜかたの副作用がよく出ている。これは良くもあり悪くも。
前提
漫画のキャラのカエルは作者の投影を暗示するので、未来は約束されている。
結果漫画家になる、は一貫した伏線であり、すべての作劇は未来をわかった上での日常であり、それ単体では意味を持たない。
虚実について
未来は暗示されているので、キャラのカエルは作者本人と思わせるが、当たり前だが漫画なので本人の実際の行動とは限らないし、ウケ狙いのために実際の生活上の複雑なところはことごとく省略される。
省略により、キャラの読み取り方が変わる。
やっかいなことに、日記漫画書いていたから、さらに強く、カエルキャラが本人と同一であると。
くどくど書いたけど、これはエッセイ漫画面倒くさいなって言いたいのと、カエルキャラは本人ではないと解釈すればカエルは運のいいボンボンだなと解釈して、それを感想として堂々と言ってもいいのよね
学生としてのカエルは、実際の作者本人がどうだがは別にして、ずっと漫画とかアニメとかお絵描きの娯楽しかせず、それ以外の学問はやらない。好きなことだけやっていて将来のことはまるで考えないですんできたと解釈しても成り立つ。エッセイ漫画上のキャラとしてそうデザインたから。
Twitter、pixiv等等SNSが普及している昨今、トレパク問題よく見るよね
お絵描きがフルデジで出来るんだから、これいいなって画像落としてトレースするの楽ちんだもん。二次創作ともなれば、これトレパクですよね?って勇気ある聡明な方が指摘しても、原作の模倣のくせにパクもクソもないとか界隈外から野次馬が口出してくる
二次創作であっても描き手には描き手のプライドがあるし、二次だからこそ描き手のオリジナリティが問われるものでしょ?それを絵の勉強中だからとか言って平然と人様の描き方パクって、あげくFF外から味方呼びこんで数で殴りつけてくる
だからこそ声を大にして言わせてもらう
誰にも似つかない自分だけの絵柄、しかも二次創作で。小説ならまだしも漫画、アニメ、ソシャゲとかすでに原作の確立された絵柄ありきの二次創作ですよ?
原作の絵柄をベースにしつつオリジナリティを出すってそれなりの技術が必要です。絵を勉強されてる方なら身に染みて分かると思います。知らんけど。
話は変わりますが、ちょっと調べてみたら商業作家は数万人にのぼるそうです。ネットで作品発表が容易になり、年々作家の数が増えてる状態だとか。
数万人の作家さん、それも商業で活動している以上それぞれ絵柄が確立しているのは当然でしょうね。では、その数万人の方々は誰一人として絵柄が被ってないのでしょうか?
そんなわけありません。
とある漫画家さんはインタビューでこんなエピソードを明かしていました。
「友人達にどの雑誌へ投稿したらいいか相談したら『お前の絵柄は明らかに○ガ○ンだろ』と言われた」
つまり出版社のレーベルごとに絵柄ないしは作風が似通っているということです。というか、アシスタント経験のある作家さんは師事してた方の影響を受けてたりしますし。
数万人の作家さんがいるからといって、数万通りの絵柄が存在しているわけありません。というか、数万通りの中でオンリーワンの絵柄を確立するのは至難の業です。
それでいて独自のオリジナリティを出して描く?非絵描きからしたら高等技術ですよ。
しかも同じ界隈にいるということは性癖も同じ、あるいは似た嗜好を持ってるということです。過去に通ってきた作品、ジャンルも被ってることでしょうね。そして絵柄にも流行があります。ときどきTwitterに年代別の絵柄の変遷イラスト流れてきますし。
同じ作品を愛好していて、
似た性癖を持っていて、
同好の絵描きが何人何十人いて、
こんなの無理ゲーですよ。
旬のいち作品だけで二次創作の絵描きの数も作品数も軽く数百、数千は超えます。いち作品だけで、ですよ。
これが週刊月刊レーベルの作品群、春夏秋冬のアニメ群、ソシャゲ全般と枠を広げたらその数は万、千万単位です。
できるもんなんですか?
絵柄だけじゃなく、構図、色遣い、加工、ポーズ等等、それらを他の二次創作作品と一切被ることなく描けますか?
似たような性癖持ってる何十何百人の絵描きと、何十何百件も流れてくるイラストや漫画と、一切被らずにですよ?
私の頭ではどう考えても無理ゲーです。
地元の高校を卒業した男性従業員が20人ほどと、事務の中年女性が1人居た。
実家に隣接した工場の車庫には祖父が乗る国産の高級車が4台と、父のランクルが並んでいた。
祖父から工場を継いだ父は高校を卒業した一人っ子の俺に会社を継がせようとした。
就活や受験に焦る中、工場の跡継ぎを任された俺は余裕をかまして残りの高校生活を消化していた。
中学校は友人に誘われ野球部に入ったが、運動神経の悪い俺は試合で活躍した経験はほぼなく、
祖父と父に似ず文科系に育った私は工場の体育会系の風土に馴染めず、
工業高校の機械科を卒業し、ExcelなんてSUMくらいしか知らなかった俺でさえ
20人程度の会社の事務職は慣れてしまえばあまりにも簡単な作業で、
パソコンに疎いおじさんばかりで俺が何をしているのか分かっていなかった様子だった。
工場の隅に置かれた、機械油の臭いが漂う事務室でネットサーフィンをするうち
Yahoo!ジオシティーズを使い、漫画の登場人物のプロフィールをまとめ、
興味本位でHTMLとCSSに再度手を出し、WordPressの使い方を覚えた。
サーバーに上げたページを事務所のパソコンでも自分のスマホでも自宅のパソコンでも開いて
何度も上下にスクロールした。架空の地図も拡大して見たりした。
夕食の場で父に話があると切り出し、
「やりたいことを見つけた、俺に工場を継がせることを諦めてほしい」と伝えた。
最初は驚き、複雑な表情をしていたが、
「工場のことはもう気にするな、ただしやりたいことを全力でやれ」と言われた。
しかし田園風景の広がる田舎町、WEB制作の仕事なんて転がっていなかった。
転職サイトで見つけた求人に応募し、何度か片道5時間ほどのバスに揺られ、
たった5人の小さな制作会社だった。給料は19万円スタート。嬉しかった。
「まだ若いし、気合があれば入ってからいくらでも覚えられるから頑張ろう。」と励まされた。
俺は貯金をほぼ全て使い果たし東武沿線で6万5千円の狭い1Kを借りた。
5歳年上のS先輩と、一回りほど上のT先輩と社長が3人でWEB制作をしていたが
T先輩は俺に付き合って毎日遅くまで、日によっては朝まで指導してくれた。
それなのに毎朝俺よりも早く出勤していた。
どれだけ頑張って早起きしてもT先輩の方が早かった。
眠そうな表情は全く見せなかった。東京には化け物が住んでいると思った。
残り二人の先輩は社長の昔の同僚らしいが何をしているか分からなかった。
眠気と分からないコードと戦い、もがきながらしがみつくうちどうにかS先輩と同じくらいのクオリティの作業はこなせるようになった。
jQueryもPHPもフォトショの使い方も覚えた。イラレを使って簡単なチラシも作ったりもした。
お客さんとの打ち合わせもメールもそれなりにできる。
27歳になっていた。給料は25万円に増えた。後輩は2人できて、S先輩は会社を辞めた。
あるアニメイベントがきっかけで2歳年上の同じ趣味の彼女が出来た。偶然にも同郷だった。
ある日退勤中になんとなくメールを開いた。
目ぼしい求人は無かった。
なんとなく、ドロップダウンリストから勤務地の地元の県を選択し、年収欄に400万円と打ち込み、求人を検索する。
「株式会社〇〇 〇〇営業所 システムエンジニア 年収400万円~」
今年31歳になる。
彼女は嫁になった。
地元の駅徒歩18分の場所に駐車場込み9万円で3DKを借りて、駐車場にアクアとN-ONEを並べて一緒に暮らしている。
月に1、2回は父の顔を見に実家に帰っている。
この町の郊外に工場があり、そこから5キロほど離れた営業所でSEをしている。
SEは俺1人で、本社と連携を取りながら工場のシステム周りを担当している。
今扱っている言語は転職前はほぼ扱ったことのないものだったが、
研修制度のおかげもあり、JSやPHPを覚えたあとなら、さほど抵抗なく覚えることができた。
工場のシステム管理とは言え、大枠の部分は東京本社のSEがやってくれている。
俺のやっていることを分かる人間は誰も居ない。
俺のことはみんな「東京から帰ってきて、真っ黒な画面に何かを打ち込んでいるすごいやつ」だと思っている。
こうして業務中にはてなに文章を打ち込みながら転職サイトを眺めている。
それなりに幸せではあるが、今でもTwitterで繋がっているS先輩の仕事を楽しんでいるツイートを見ると複雑な気持ちになる。
俺はこういう働き方しかできないのかと思う。
旦那とは元彼のツテで知り合って、交際期間2年ぐらいででき婚、ドレス着れなくなる前に挙げろ(義両親)とのことで結婚式も披露宴もした
でも旦那浮気癖があって、まあ私も浮気の1人だったのかもね、当たっちゃったのが私だっただけなのかもね
浮気って病気らしいね、でも病気だからって同情も何もないんだけどね
私1人の稼ぎじゃ息子養ってくの難しい
すごく嫌だけど離婚はな…
世の中の離婚したシンママさん、すごく勇気と度胸と強いハートがあるなあ
苦しくてもやらなきゃいけないんだよね
大変なこといっぱいあるし、辛いし、悲しいし、私はそんな経験談を見るたびに、私じゃ…って思う
父親のこと嫌いになる前に離婚してくれて良かったってかつての子供の意見も見て、そうだよねーって思ったり
親の離婚に子供が巻き込まれてることを自覚してほしいってかつての子供の意見を見て、それもそうだなーって思ったり
でも私、女の人が好きなんです
性自認は女です
でもなんで男と付き合ってるかって聞かれたら、性自認が女で、自分の女としての体は男の人じゃないとダメなんだって思ってるからなんですよ
だって女同士じゃ相手の子供を身籠るってことはできないわけじゃんどうしても、精子ないし
まあそこはよくて
可愛くて、でもかっこよくて、真面目で、傷つきやすくて
私たちはよくぶつかり合ったけど、気づいたら元に戻ってた
その空気感が心地よかった、素でいられるというより
その人のこと好きな私でいられた、というか
息子が産まれた
めちゃくちゃ喜んでくれて
いいよって言ったけど、お金かかるから、友達なら受け取ってって言われてありがたく受け取った
お金はめちゃくちゃかかった、ありがとうあの時支援してくれた友人達
みんな、子供1人産み育てるというのは驚くほど金がかかるぞ、支援してやれ
息子が1歳になるかならないかの頃
そしたらでかけようってその子に誘われて海に行った
息子は人懐こくて、にこにこしてた
初めての海、入らなかったけど、楽しかった
いつも抱っこだと疲れるでしょってずっとその子が抱っこしてくれてた
高い高いしてくれて、息子も声あげて喜んで笑ってた
(高い高いと言ってもそんなに上に激しくじゃないです)
ヤドカリも取ってくれて息子も興味深そうに見てた
晩御飯は海の近くにあった個人経営のレストランみたいなところに行った
その子が入ってすぐ店員さんに、私の先でこの人(私)の少し後にってできますか?って聞いてた
なんで?って聞いたら私が先に食べて、あなた(私)が食べてる間に息子の面倒見るよ、そしたらゆっくりあたたかいの食べられるでしょって
ねーーーーーーーーーーーーなんでええええええええええ
ってなった
もちろん顔に出さずに
私すごく久しぶりにゆっくり食べた
さっさと食べてスマホいじり
私は息子にかまいっきり
いつだって呼びたいし会いたいよほんとにもおおおおおおおおおおおお
ってなった
顔には出さずに
てか、息子のこと高い高いしてくれたのもこの子だけだし
旦那抱っことかはするけど、そうやって遊んであげたの一度もない
その子は昔カブトムシ飼ってたからカブトムシも触れるんだぜーーーーーー
夜泣きうるさいとか、外で騒がしいとか
泣き止ませろとか、なんで泣いてんだとか
そんなの私も知りたいんですけどね???
はあーーーーーーーーーなあんで私、この子と結婚できないのーーーーーーーーーーーーー
いやーーーーすごく大変だった
その話したら親も友達達も助けてくれて
その子も助けてくれた
まあね、あれだけ揃ってたらどうにもならず離婚
その子とはもちろん今も会ってる
いやもう会わないとかないから
そしたら私に息子これ行きたいらしいから行こうかーって
はあーーーーーーーーーーーーーー
こういう時いつもさーーーーーー
会場のトイレとか事前に調べてくれてんのーーーーー
息子も私もトイレ近くてさーーーーーー
美味しいご飯どころも調べてくれてんのーーー
いいの私の気持ちが報われなくてもいいの
今も恋愛で好きだけど言えない、でもいいの
海で息子抱っこしてる姿とか
息子と遊ぶ姿とか
息子が寝た後にお酒飲みに来てくれることとか
そういうのがあればもういいの
私はこういう形があってもいいと思います
いいよね????
言わないけどね、重たいし
広くて寒いディカプリオのおうち
「家政婦さん!あ、奥さんか。ごめんね」
家事の傍らで英語を勉強しているが、あたまが良くないので、まだ完璧には英語は聞き取れない
しかし、どことなく蔑むような、バカにするようなイントネーションであることはかんじられる
自分の家庭内の立場や、発音や語彙に不慣れなせいで、日本人の典型的な反応である「曖昧な微笑み」しか返すことができない
しばらくすると、催したのでディカプリオに向かって挙手をする
「おトイレに行ってもいいでしょうか?」
ディカプリオは遠くでめんどくさそうに頷いた
私は暗いトイレにかけこむと、用を足しながら泣いた
もう消えてしまいたい
当時私は小学校6年生で、英語、ピアノ、水泳、珠算と週5で習い事に通わされていた。
その多忙を極める日々の中でも学校で友人が出来、皆で動物園に行こうという事になった。
県外に5人で外出するというのは初めての経験だった。
親から門限は厳しく設定されており、5時を過ぎると鍵をかけて入れなくなってしまう。
自分用の鍵は渡されておらず門限を破れば夕飯も自動的に抜きとなっていた。
で、動物園へ行く日。口が酸っぱくなる程門限を破るなと言われたが
同行した友人達は我が家の家庭事情を知っていたので「そんなの気にするな」と口々に言った。
正直言って、頭の良い集団では無かった。授業中もお絵描きをし手紙を回し続ける。私は休み時間、図書室で借りて来た本を読んで読書に耽るタイプだったが何故かその時は「仲間」として誘われる運びとなった。
ドキドキしながら駅に着き、電車に乗る。渡されたお小遣いで食べる物を買い、色々な動物を見た。夕刻が過ぎ、その内に戻るべき駅から段々離れている事に気付いた。そして閉園の時間が迫っていた。
学校の遠足ではタイムスケジュールが定められていたが、計画性もない小学生だった我々はただただ進みたいように歩き回ってしまった。
閉園の時間。園内放送が流れ、私達はとにかく園の外に出なければと駅とは真反対のゲートへ向かう。
子供の頭と足では、駅までどうやっても遠かった。
そうして園の外に出てから駅へ向かう事を決めた。園をぐるっと取り囲む柵に沿うようにひたすら歩いた。
グループの中で最も貧乏で頭の悪い子供が私達を励ます。「何とかなるって!」
駅に着いた時点で6時なら、そこから自宅まで1時間かかる事になり、最終的に7時前後。塾の時間であればもっと遅くなる事もあったがこれは単なる遊び。
こっぴどく怒られる事は想像に難くなかったが矢張り、その通りになった。
「勘当だ」と締め出され叱られる。恐らく他の子供達は温かい食事に有り付けただろうに、自分だけが空腹のまま。父が怒れば必ず母が従う形になった。
そして遂には「お前には愛想も尽きた」と吐きつけるように言われた。
元々、父が家に帰ってくる事すら稀だった。やれ海外出張だ、やれ残業だと顔を合わせる機会は無く会ったとしても二、三小言を言われるのみ。その日の楽しかった気分は既に疲労で滅茶苦茶になっていたがそれに加えてこの言葉で身体から力が抜けていく思いだった。親の言う通りにしなければ、敷かれたレールの上を少しでも外れれば否定され貶される。助けてやろうという気持ちや心配に思う気持ちは微塵も無い。
自分には皆との楽しい思い出がある、なんて全く思えなかった。どこまで行っても何をしても叱られる。
親としての愛情など受けたつもりは無かった。自らの塾通いのお陰か、親より高い偏差値の高校に入学したが今でもあの時の事を思い出す。そしてたまにその激重感情が自分を苦しめる。私は頑張ってたじゃないか。何故何一つ褒めてくれなかったのか、と。
長すぎん?これ全部読む人おるんか
超ご注意下さい。
ワクワクは取っておいて下さい。
。
。。
。。。
『ソ連の諜報員(KGB⁇)とのカーチェイス』や、『米国に爆弾が仕掛けられました。』とか、『米国への侵入ルート』みたいな話しになった時、
『え???? んな話し聞いたこと無いけど⁇⁇』自分達が知らないだけで、そんな『アルカポネ時代のマフィアとの抗争』みたいな、秘密裏の激戦が繰り広げられていたんだろうか…⁇
脚色⁇⁇
とか思ってたら、、、
騙された笑笑
この野郎…ww
自分の中では『ザ・ロックの大佐』『トゥルーマン・ショーのディレクター』とかのイメージがあるけど、
この人って頭良さそうで、凄い綺麗な目をしてるから、なんか『悪人』に見えないんだよね。
なんか訳があって『悪人』してる人。
みたいな。
個人的にメリッシュ出てるの良かったです。プライベートライアンの。
この人好き。
しかし初めて『ラッセル・クロウってスゲーんだな…』って思った。
中々出来ないよこの役と、この演技。
『誰々に子守を頼んだ、誰々に子守を頼んだ』みたいな事言ってんのとか、
奥さんに世話して貰って、足引きずりながら、あの中年がせっせと大学行く姿の物悲しさ…泣
しかもそれを後ろのバカな『自分よりずっと若い大学生』にバカにされてる…とか、、
あれは悲しいし、あの哀愁を漂わせたラッセル・クロウは本当に凄いと思った。
またあのシーンに、あの人の今までの人生の全てが要約されてると思う。
統合失調症で、幻覚や幻聴が聞こえてるのは、多分『24人のビリーミリガン』の『多重人格症状』と、かなり似ているケースだと思う。
『自分がこうなりたい自分』て願望が強く反映される…って聞いたことある。
そのクソ親父が『縄で吊るし上げの拘束をする』異常暴力者(多分極度のサディスト)だったから、
人格の1つに『縄抜けの達人』てのがいる。
他にも『ナンパが上手いやつ』とか、
場面、場面に分けて、色々な人格が用意されている。
ラッセル・クロウ演じる『ジョン・ナッシュ』の『ルームメイト』も、
彼にとって『必要だった』んじゃなかろうか??
『イマジナリーフレンド(完全に妄想の場合もある。)』ってヤツで、結構『一人っ子』の『女の子』に多い。
『本や授業に出る暇はボクには無い』ってのも、あの集団の場では、極端な疎外感に苛まれるんじゃなかろうか。
実際以前海外で、『自閉症のピアニスト』の子供がテレビに出ていたんだけど、
『幼稚園や学校に行くのは、宇宙人の集団にほっぽり出されてる気分だった』って話してた。
本人は『どうしてもピアノが弾きたい』のに、
つって怒られてたのに対して、
『プリーーーズッッ‼︎泣』とかって泣き叫んでた。
が、教授の世間話しや、特に興味の無い討論とかで潰れるのが我慢ならないんだと思う。
『分かんない』だよ。仕方ない。
『分かろうとしない』んじゃないんだもん。
『それしか無い』んだよ。本当に。
だから多分、尚更『めちゃくちゃコンプレックス』が強いんだと思う。
『自分には無いものを沢山持ってる"生徒"』に対して『嫌悪感』みたいのが強く出て、『バカにしたような態度』を取ってたんだと思う。
『お前らにはどうせこの問題は分かんないだろ??笑』みたいな。
だけど結局『人前で話すこと』も、
『自信』も無いし、尚更『劣等感』が強くなっていって、
あの自室に籠るようになってったんじゃ無いかね…、、
だから多分『数学しか無い』この人が、自分を正当化させるには、
まあただ、実際あの『妄想の世界』の方が面白そうだし笑笑 自宅近くの納屋の中の秘密基地みたいな奴とか笑笑
ちなみに昔自分は精神障害を患った人の福祉施設で働いてたことがあるんだけど、
『負けず劣らず』凄い人がいる笑笑
例えば、弁護士会や医師会の『名簿リスト』の『チェック作業』てのがあって、
どちらも、専門・所属・所在地・勤務地・電話番号・年齢・名前・出身校、、、みたいな感じで、A4くらいの紙に、超細かく、嫌んなるくらいビッシリ情報が羅列されてんだけど、
それを逐一チェックしなきゃなんないんだけど、
ある利用者さんは、
5×5ぐらいに床とかに綺麗に並べて、
手元に『正しい見本の用紙』を手にすると、
だいたい10秒くらいで、
「あ、ここ間違ってます…」
とか言って『一文字だけ数字が違うヤツ』とか、名前がズレてるヤツとかを、かなり高速で、超正確にやる人が居た。
これが逆にコンピューターが無理で、
最終的に『人』しか居ないんだけど、それやれる人がその人しか居なくて、
バックが『弁護士会』と『医師会』とかだし、超正確無比なもんだから、
月に20万以上貰ってた。
オレは側から見てるだけで発狂するくらい興味も無いし、やりたくもない作業だったから、マジでその人は『神』
だと思った。
この『ビューティフル マインド』観た時は『モロにそれ思い出した』笑笑
まあ一種のサヴァン症候群のようなもの…てかサヴァン症候群だろ笑
瞬間記憶で超正確な絵が描ける人とか、、、
ちなみにこの症状、
『人と接する』事で、能力が弱くなったりするそうです。
『満足』しちゃうんだろうね。
人間は『承認欲求』はどうしてもあるんだよ。『役に立ちたい』とか。
この映画でも結局『数学』が主人公を救ったんだけど、実際は『生徒(てか同級生)』が彼をまた『教鞭の世界』に連れ戻したんだと思う。
ちなみに実際には奥さんとはこの頃既に離婚してるらしいので、私は彼を救ったのは、『同じ学び舎に居る生徒(学生)』だと思っています。
(日本の大学だったら例え『東大』でも、生徒の質がクソ過ぎてこうなって無かったかも笑笑)
また、この手の『病気』は、『脳の神経回路』や『脳内物質』の影響がほとんどなので、
『とにかく薬を飲まないと』良くなりません。
躁鬱の人がこの映画と同じく『自己判断で急に薬を辞めたり』して、
結果更に悪化したり、特に『躁状態』の時に『薬を辞めたり』するので、
最悪マジで『飛び降りちゃったり』します。若しくは『飛び込ん』じゃったり。
また日本の文豪の『芥川龍之介』も、晩年は『見ると死ぬ』と言われている『ドッペルゲンガー』に悩まされて居たらしいんだけど…、、
『自分とそっくりなドッペルゲンガーを見た者は死ぬ』。ってめちゃくちゃ有名な昔からの伝説なんだけど、
自分はただ単に、
『多分脳(若しくは精神)が完全に限界を超えてオーバーヒートしちゃってる人』がただ単に『幻覚』として見るんだと思う。
昔は『脳の知識』や『精神の知識』なんて、特に無いしね。医学も薬も発達して無いし。
脳の角度は、僅か数%違うだけで、偉い支障が出る。
要は恐らく、『実は我々にもこの能力は備わっているんだけど、普段は脳がそれを"敢えて制御してる"状態』なんだと思う。
こんな風にやたらめったら脳にとめどなく情報が入って来たら『キツい』でしょ?? パンクすんだよ。
数字に色が着いてたり、とある文字だけ浮かびあって来たり、とある音だけ必ず拾っちゃったりね。
『人を人と捉えられていない』のかも知れない。
それにしても素晴らしい映画でした。
エド・ハリスに会えるんだったら、
困った事あったら助言してくれそうだし…、、笑笑
まあ、この人達は、『仕事出来なくなる』からキツいんだろうな。
生活出来ないもんね。
『目付き』から『歯並び』、
犬猫なんか、お父さんお母さんの毛並みそっくりで産まれてくるからね。
あれ不思議なんだけど、豹柄やブチがそのまんま子に反映されたりね。
『たまに患者さんで、』
『あっ!あなた〇〇さんの娘さんでしょ⁉︎』ってすぐ分かる程、
『耳ん中が』似てたり、
『鼻ん中』の『曲がり具合』とかが、
『ほぼ全く同じ(遺伝)』だったりする例が多い!
つって笑ってよ笑
そりゃ『名前』とか『顔』じゃなく、
『臓器(内臓とか肺とか胃、脳)』
も押し並べて、良く似るんだよ。
だからこの映画の天才数学者のジョン・ナッシュの、この『強烈な』思考性や、特徴は、かなり色濃く『子供』に遺伝しやすいと思うよ。
ラッセル・クロウが凄い。
エド・ハリスは素晴らしい笑
奥さん役の人も良いよね。
あと大学時代のライバルみたいな人が結構好き。主人公より全然『大人』なんだよな。(主人公はこの人に対して『強烈な劣等感』があったんだと思う。)
あの図書室みたいなところで、学生さん皆んなで丸テーブル囲んで話し合ってるのとか、めちゃくちゃほんのりする。
『ハンハラララ〜♫ハンハラララ〜♬』みたいな、謎の森の歌みたいなヤツ笑笑
スゲえ耳に入って来て好きだったわあ笑笑
素晴らしい映画でした。
次の日普通に仕事なのに、止めらんなくて夜中までぶっ通しで見ちゃいました。
勿論仕事はソ連とナチスの日本進行を食い止める大事な諜報活動です。
あー、忙し忙し…。。
『ジョン・ナッシュ』と、
『ジョン・フォン・ノイマン』を知っておくと、より映画が面白くなるかも知れない。
だろうけどね。
端的に言うと、
『今我々が使っているコンピューターや、AIの基礎を作った人』で、
我々は未だにそれを使ってる。
て感じの人。
ちなみに両者共映画になってる笑
年代も割と被ってるよ。
『社会科学』ってやつさ。
その人というか、その人のマンガが好きなのでTwitterもフォローしてた。
コンスタントにマンガを更新してたけれど、ある日突然鬱になったような、メンタルが怪しい投稿が増えてきた。
頑張って欲しいと思ったし、本人もカウンセリング受けたり友人に相談したり本を読んだり、なんとかしようとしていた。
でも、やっぱり以前のようにはいかなくて、悩んでいるようなツイートが多く見受けられた。
病み期間長くて応援するの疲れた、とかはなかったけど、ブログを書き始めたということで、それを見始めたらなんかダメになってしまった。
なんというか、その人を深く知りすぎてしまったが故に、鬱鬱した気持ちが感染しそう……と言うのは失礼なんだけど、でもそんなかんじ。
もともと自分も鬱鬱してたので、これはまずいと思ってしまった。
そして、自分はマンガの更新とか、日々のお絵描きが見られると思ってフォローしてたのであって、その人の個人の私生活に興味があったわけではなかったのだなあと気づいて悲しくなってしまった。
もともと作者と作品は分けて考えたい派だったので、今更だけどフォロー解除しようと決めた。