はてなキーワード: プレイヤーとは
倍速で見るか論あるじゃない。
あれって倍速で聞く論は私分かるけど、
音声でも間がなんとも言えない鴨しか醸し出す論あるので、
その間を味わえないなんてもったいないわ。
あそこが物語の旨味だったりするじゃない。
だから
朝ドラの総集編って見ないのよね。
とりあえず、
時間の損もなく知っておけば良い味わい方なら
今はその方が多いのかも知れないわね。
間が抜けないけど間抜けだわ。
そんでさ、
オーナーの女将さんが暢子の持っていた包丁に刻印されている賢三の文字を見て、
なんともいえない
演技かもし出して目線を何も言わない味わい深いところを味わうのが私は美味しいので、
そこのがしたらもったいないんだな!って思うのよ。
週末のその週のまとめはあれは、
どうしても総集編は面白味に欠けるのよね。
なんか最近は時間を持っていなく使いたくない失敗したくないって無駄な時間に割くのを恐れている症候群の人が多いので、
とりあえず短期間で摂取できるものを好む傾向にあるのカモシカ。
だから私考えたの。
1.1倍速!
1.1倍速モードで細かく調整できるプレイヤーがないところがなんともないんだけど、
音声アプリとかだと再生モードを細かく1.1倍に出来たりするけど、
映像ではなかなかそういった芸当のできる
ハードディスクレコーダーなんて無いわよね。
時短は許さないマンと時短するマンの妥協点が私1.1倍だと思うんだな。
これだと早いけどその速さがあんまり実感できない通常速度としても感じるので、
まあこれぐらいがいいのかもしれないわね。
1.1倍!
おすすめよ!
音声再生アプリでなんかちょっと前のバージョンだと3倍速まであったけど
あれはあれで超集中して聞かないと、
逆に聞き読み取れないわ!
鬼気迫る感じよ。
あの早さは。
聞き取れないわ、
字幕も付けて追っかけるけど
お湯かける暇も無いぐらいよ。
盛り上がるまでの前半の何話がかったるくて、
1話も見きるのに耐えられなかったわ。
あまりに何も起こらなさすぎるのも、
うふふ。
早く着たからせっかくだし
それに厚切り輪切りマジレモン斬りしたモノをそえて、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
100m競走に例えると、
100m先のあの線を人より早く越えればいいんだよ、というルールを教えてもらえるかどうか
走り方を簡単にスタート前に習う、ってのもひょっとしたらあるかもしれないけど、人生に練習はないから、スタートライン以前に走る練習する、ってのはない
・才能に当たるもの
持って生まれた走る速さ
道中、一生懸命走ること
例えば幼稚園児を陸上コースに連れてって、スタートラインに連れてっても、これが100m競走と知らなければ誰も走らないわけ
そう思うと、これが100m競走で、勝ち負けのルールを知っている、というのはめちゃくちゃデカいアドバンテージ
それだけで勝負が決まることもある
それが環境だよね
でも、その環境に恵まれなくとも、走り出した友人を見て即座にルールを理解する人もいる
理解さえすれば、走るのが速い子は、何も知らなくても靴を履いてなくても勝つことがあるわけ
ハックルさんの言ってた才能が全てってのはこれ
結局はルールも靴も揃わなくたって、走るのが速いやつが1番強い
で、努力なんだけど
これが100m競走だと理解して勝とうとする人は、大体の人が一生懸命走るよね
走らない人はゴールできないしさ
でも、ルールさえ知ってたら勝てるのか?というと、知ってたって走るのが嫌な人、しんどいのが嫌な人は走らないから問題外なのよ
そう思うとちゃんと頑張って走ることが、本人や、プレイヤー目線では1番大事で尊いことだとも思う
でも、頑張って走ったか?のファクターは、勝負の比率として弱い、ってのも勿論そうだよね
最初とかきょろきょろしながら不安げに走ったりするから、全区間全力疾走する人も少ないよ
全区間本気で全力疾走する人はほぼいないんだから、誰もが頑張って走ると言っても、本当に本気で走った人はすごいと思う
途中で休んだり遊んだりが普通なわけなのに、歩みを止めない人が立派なのは間違いない
でもやっぱり、走りの本気度の、突発100m競走の結果に占める重要度は高くはないよね
環境がダメだとそもそも努力なんてできない!って主張する人なんだけど、これってつまり、「これが100m走だなんて知らなかった!」って言ってるわけじゃん
そりゃあ、知らないとどうにもならないわなあ
でも、それはかわいそう、と思う反面、競走だとさえ知らない人に、ゴールした人の走り方がどうとか評価する資格もないとは思うわね
で、ゴールした人の言う、一生懸命走ればゴールできます!って言う発言は、これが競走と理解しているライバルや、次の競走で勝ってやろうって気持ちのある後輩にだけ向けた言葉だから、競走かどうかさえも知らない人に配慮してるはずがないわけよ
それは無遠慮だし、そこで傷つく人は配慮がない、ってのはもちろんそう
でも、これってほとんどの場面で皆んながしてることじゃないかな
ゲームの大会で勝った人が、ゲームに勝つコツを話す時、そのゲーム機を買ってもらえなかった子に配慮なんかしない
野球選手が勝負所で打った秘訣を話す時、グローブを買ってもらえなかった子に配慮はしない
プレイヤーが発する全ての言説って、プレイヤーに向けた言葉であって、ルールさえ知らない人には話してないのよ
なのになぜか、比較的広い人々にとって、人生の成功度の指標になりそうな、受験とか学歴とかに関する項目だけ、努力する環境をもらえなかった人に配慮がない、って言われてしまう
それは何か不思議だなって思うよ
毎年吹奏楽コンクールがあるおかげでどちらも盛んで良い文化だと思う。
アマチュア吹奏楽団がコンクールに出る際、「職業演奏家」の参加はチーム失格となるほど大きな罰となっている。
近年、演奏家はYoutuberとして現役の音楽学校に通っている学生や、その後フリーランスで頑張っている方々が投稿していたりする。
自称プロ、という方もいれば、やってみた、という方もいて様々だ。
時代の認知の差でもあるが、私は、難易度の高いソロコンクールの受賞歴があったり、伝統あるオーケストラや吹奏楽団に所属しているプレイヤーはプロだと思っている。
前者はソリストやプレイヤーとしての腕が認められている結果、後者は狭き門であるオーディションを突破し、生業に出来た人たちだ。
定期演奏会等での演奏の質で「さすがプロ」と思いたいところだが、
最近は集客の懸念からゲーム音楽や歌謡曲ばかりを大きなコンサートホールで聴いている。
ゲーム音楽も歌謡曲ももちろん好きだが、何かが知らないうちに変わっていた。
特に吹奏楽は吹奏楽コンクールでの課題曲とゲーム音楽等で1年間の演奏会を回している印象が強い。
若手への教育教養や文化を育てる方法が、少しずつ変化している。
私はそういった演奏会が決して嫌いではない。
しかし、鬼滅の刃やその他の歌謡曲を演奏するために芸術大学や音楽学校は存在するのだろうか?
クラシック音楽だけで生計を立てるのは難しいのは十分に理解しているが、クラシック音楽を普及させない政治が悪いのだろうか?
アニメソングを吹いてすごい、と言われるには将来西洋楽器は必要ないのでは?と思うととても不安である。
先週、とあるプロ吹奏楽団のプレイヤーとお話する機会があった際に
その方の楽器のクラシック音楽がとても好きなので、あれこれ会話が盛り上がると思ったら
PS Now | PS5、PS4、PC向けのオンデマンドのPlayStationゲーム
簡単に言えば「サブスク」と「クラウドゲーミング」だ。つまり月定額で遊び放題、対応するゲームを自由にダウンロードしてプレイすることができるし、そのゲームをクラウド上で動かしてプレイすることもできる、といったサービスである。
このPS Nowがリリースされたのは2015年である。競合のXboxのサブスクである「Xbox Game Pass」は2017年(日本では2020年)、「Xbox Cloud Gaming」は2019年(日本では2021年)なので、遥かに先行していたわけだ。
しかしいま「ゲームのサブスク」といえばXboxの「Game Pass」を、「クラウドゲーミング」といえばGoogleの「Stadia」やAmazonの「Luna」などを、それぞれ思い浮かべる人のほうが多いのではないかと思う。場合によっては「PlayStationにはサブスクやクラウドゲーミングは存在しない」と思われているかもしれない(プロのゲームライターですらそう書いていたのには驚いたが…)。
圧倒的に先行していたはずのPS Nowが、なぜこれほどまでに低迷しているのだろうか。いくつか理由を挙げてみよう。
PS Nowは当初「クラウドゲーミング」であることを強調していたものの、「定額で遊び放題」という点はあまり前面に出していなかったと思う。つまり「PS Nowはクラウドゲーミングのサービスである」と知っていた人でも、「PS Nowは定額遊び放題のサブスクサービスである」とは知らないことが多かった。
現在でも「ラグが酷い」「回線が重い」となかなか普及しないクラウドゲーミング。ましてや2015年の段階ではトラブル続出で「面白いサービスだけどまだまだ使い物にならない」というのが多くの利用者の実感だった。そのためコアなゲーマーからは早々に見切られることになり、一般の利用者層にまで広まらなかった。
サービス開始当初のPS Nowはクラウドゲーミング専用で、対応ゲームをダウンロードしてプレイすることができなかった。2018年からダウンロードに対応するようになったのだが、その頃には多くの利用者がPS Nowを見切ってしまっていた。なので「Nowはクラウドゲーミング専用」という意識が根強く残っていた。
Xbox Game Passは「大作ゲームでも発売日からGame Passでプレイできる」というのを売りにしている。一方で、PS Nowは新作がそこまで早く入ることはない。必ずしもGame Passの安売り的な戦略が正しいとは言いきれないと思うが、プレイヤーから見てPS Nowのラインナップにインパクトが薄いのは事実である。
意外にありそうな要因。特に「PS Plus」と「PS Now」はしばしば混同されているように思う。「PS Plus フリープレイ」や「PS Plus コレクション」などの「PS Plusに加入していれば無料でダウンロードできるゲーム」があるのも混乱の原因となっている。
……これらの理由から、リリースから数年もした頃には、PS Nowはすっかり目立たないサービスとなっており、Xboxがサブスクに力を入れて話題になった頃には、もう「PSにもNowというサブスクサービスがある」という認識が薄れていたのだと思う。
さて、今年6月2日に、PS PlusとPS Nowが統合される。わかりにくかったサービスを整理するチャンスであり、知名度向上を図るチャンスでもあると思う。しかし、ここでコケればもはや挽回のチャンスはない。社運を賭けるつもりで頑張ってもらいたい。
TwitterでフォロワーがFF14とかPSO2やってるからプレイ画面見るけど
やたら情報量多くてごちゃごちゃしてて、よくあんなのやってるなって感心する
スキル?とか状態変化とか表示されてるんだけど、大量過ぎてすごい
人数が多いのもあるんだろうが、プレイヤー1人だけ見ても異常な程ある
それとも元々あんなに多かったの?
これは結構難しい話な気もする。
まず、ゼロ年代までの日本において、政治組織は主婦層の奪い合いを行っていた。
数が多く、政治活動を行う暇があり、組織に拘束されておらず、思想的に特定の傾向がないが横のつながりはあるという、まさに格好の動員対象だったからだ。
ただし当たり前だが動員というのは上から自由に政治的思想を植え付けられるわけでなく、自由なタイミングで動員できるわけでもない。
比較的どうでもいい案件については積極的に下から吸い上げて常に運動欲を満たし、「自分たちが動かしている、声が届いている」という実感をもたせるのが重要。
主婦層に共有された嫌悪感があり、社会悪だという方向に持っていきやすく、婦人会による規制運動を展開することで低コストで定期的に運動実績を満たしやすい。
要するに叩くのに丁度いいから自民も公明も各種の野党も性表現規制論をだし、逆に政敵の手柄になりそうな風向きのときだけそれを批判してきた。
矯風会もこのころ潜り込んでいろいろやっているが、別に思想的には主体性を発揮したわけではない。
あくまで普通の女性が、「素朴な感性」を運動で増幅させた結果に相乗りしただけだ。
大半の政治家にとっては「自分の票にならなければどうでもいい、だがある程度便利使いするため風向きを読んでたまにコメントする」程度の話題だった。
リベラルと呼ばれてるが中身は様々な人々にとっても大半は同じだろう。
しかし、ネット時代で性表現市場が拡大し、規制論者もオタクの声もでかくなったことで、この話題はそれなりのネタに昇格した。
ただ、山田太郎はうまくやったが、ワン・イシューで国会に1議席確保できるぐらいというのは、小さくもなく大きくもない、なかなか微妙なラインである。
これも基本的には思想や強力なトップダウン利権があるわけではない。
普通のオタクが「素朴な感性」を運動で増幅させた流れをうまく利用したということになる。
こういうネタは言論屋や政治プレイヤーとしては非常に扱いが難しい。
「普通の人々」の「素朴な感性」というのは、たいてい思想的にはメチャクチャであり、民主主義にも自由主義にも完全に敵対している。
なんとなく思ってるだけならまだしも、運動で増幅させるとカルトの原理主義と対して変わらない。
それでいてカルトと違って思想的核のない多数派だから、批判にも難儀する。
山田太郎も統一教会と絡んだりしているが、こういう連中がオタクを「操って」いるというのはいろいろな意味で間違っている。
オタクの普通の言動に素直に乗っかれば自分の主張が認められる部分がありそうだから、のこのこやってきたというだけだろう。
矯風会が政治に熱心な主婦層によってくるというのも、主流はあくまで強大で消し難い「素朴な感性」のほうで、矯風会なんてのは張り付いた雑菌の如き存在だ。
「素朴な感性」に公然と敵対する人間は、たとえ理屈の上で正しいことを言っていても、政治レベルではあっさり抹消される。
逆に、そうなってない人間というのは、理屈以前の話で、「素朴な感性」にうまく忖度しているからこそ生き残れている。
だから、問うべきは、リベラルの人々は、一般人の、あるいは自身の中の「素朴な感性」と自由主義が対立する事実にどう向き合うか?
という話だが、これに真剣に答えること自体も「素朴な感性」への敵対の一種であるから、政治プレイヤーとしては公然と議論することは難しいだろう。
いや、ほんと酷い。なんでこうなってしまったのか。
情報集めのためにWebを見ていれば、どのサイトでもToxicなプレイヤーがひどい言葉で言い合いをしている。
SNSでは女性プレイヤーへのハラスメントがやむこともない。コメントによるセクハラ、匿名での嫌がらせも日常茶飯事だ。
5chには様々なプレイヤー晒しスレが立ち、SNS上で活動しているプレイヤーどころか、普通に店舗に出入りするプレイヤーにまで言及が及ぶ。
4月から、いろいろなカードゲームでテコ入れがあり、私のやってるゲームもかなり盛り上がっていたので、この1年は楽しくなりそうだなと思っていた矢先、
イベントでまたToxicなプレイヤーと対戦し、ひどい目に遭う。(身バレ防止のため詳しくは書かない。晒されるし)
終了後落ち込みながら「なにやってるんだろ」という気分になってしまい、なんのためにカードゲームをやっているのか完全にわからなくなってしまった。
ここ数年で楽しかったのは、ブーム前にポケモンカードをやっていた時ぐらいだ。
はいー。
最初何も起きない。
フレンド・バザー
さがす+
この状態で
と考えて、赤いベレーの人って書いたんです。
念のために赤いベレーの人の
「🔍くわしく」で、
赤いベレーの人のキャンプに入ったところで、
あ、この人だったのかー!ってなりました。
コメント欄はネタバレに溢れてる中で見ないふりしてスルーする能力が必要で
その為には予習が必須だもんな。
でも初見実況で初見じゃない演技してるのも既プレイヤーには結構バレるよ。
知ってて当たり前みたいな行動しだすと違和感が出るしそれが続いたら気づく。
まあ、コメントする熱心なリスナーはそう思っても配信者に合わせてそれっぽいコメントを載せて何にも言わないけど。
自分としてはごく自然に、さも当然のように、課金もしていたんだけど、ついにその課金欲がなくなったので心境を記しておきます。
まず私がどれくらいの課金ユーザーだったかというと、だいたい年間で60万以上を使っていました。
主に「推しキャラ」のガチャが使い道で、推しは出るまで回す派でした。
複数のソシャゲを同時にやっていたのでガチャが被ると大変だった……。
普通の会社員なので使いすぎた月はカードの明細を見て「うわ、やばい……」と青ざめていたけれど、転職してボーナスが貰えるようになってからは比較的余裕がありました。
ソシャカスを公言していると周りに同じような課金ユーザーが集まってくるので、自分が特別もったいないお金の使い方してるなーとは当時思わなかったですね。
一番はその時もっともハマっていたゲームがサ終して強制的に課金を封じられたことでしょうか。
もはや固定費となっていたソシャゲ課金分のお金が、まるっと浮いたんですよね。
お金って使わないと口座の預金額がどんどん増えるんですよ(ふしぎだね)。
やばいやばい、貯金増えてる!! って喜んだのを覚えています。
並行してやってたソシャゲの方はその後もしばらく続けていたけれど、その時使っていたスマホとの相性が悪く、家に置いてあるタブレットの方にデータ移行をしたんですね。コロナ禍で出掛けることも少なくなっていたので、あまり支障ないかなと思って。
すると実際出先でのスキマ時間にプレイできなくなり。家でも触ることが減っていきまして、自然にゆるプレイヤーになることができました。
今はゲームに課金するのもったいないなーという気持ちなのでもうしばらく課金はやめていられそうです。ちなみに浮いたお金でバッグとかコスメとかガジェットとか買ってるので、お金の使い道が変わっただけで貯金はできていない。浪費家なのは死ぬまで変わらないようです。
ソシャゲはやってる時は毎日の楽しみであり励みだったので既に支払ったお金に対する後悔はないんですが、さすがに総課金額は親には言えないですね。
>今のゲーム
主語でかすぎ
>モンハンみたいに体の各部のアクセサリー数を男女同数になるよう調節して
売れてるから開発に金も時間もかけられるし、プレイヤーも男女ともに多い
昨日、ある有名な格闘プロゲーマーが配信で「格ゲーのイベントにはキモオタしか来ない」と暴言を吐いた。
ヴァロラントは若い女性プレイヤーが多い、一方格ゲーは…という話の流れで出た発言だ。
ひどい言葉だが、これがたぬかなのように炎上することはないだろう。
人権発言で炎上した後たぬかなの過去の暴言が次々に投下されたとき、「よく今まで許されてきたな」という意見をちらほら目にした。
狭い業界なので、何を言っても何をやっても身内がかばい、許されてきた。元々アングラな業界だから仕方ない、プロゲーマーは社会不適合者だから仕方ないと、そういう言葉が免罪符になっていた。
たまたまたぬかなが外の世界に見つかって大炎上したとき、これを機に業界の意識も変わってほしいと強く願っていた。しかし、それは叶わなかったようだ。
冒頭のプロゲーマーの発言を受けて、匿名掲示板では先日行われたオフイベントの様子の写真が貼られ、参加した一般プレイヤーを「キモオタ」と嘲笑するという被害も出ている。
コロナで停止していたオフイベントやオフ大会が最近徐々に再開し始めていて、自分も久しぶりに参加するかと思っていた矢先だったが、こんな風に晒されたり中傷されるリスクを考えるとそんな考えは一切断ち消えてしまった。
少し前にも話題になったが、元々eスポーツは参加選手への誹謗中傷が絶えないという大きな問題を抱えている。本来ならば咎めならなければならないプロゲーマーという立場で、容姿叩きに追従するような発言をしたのは到底許されるべきではないと思う。
一部で騒がれていることを察知したのか、冒頭のプロゲーマーは配信アーカイブを消したようだ。
このまま発言は無かったことになり、大して怒られもせず、反省もせず、またこのようなことを繰り返すのだと思うとうんざりしてくる。
格ゲーが好きなだけでなんでこんな思いをしなきゃいけないんだ。
プロゲーマーに言わせれば、俺は人権がないしキモオタなんだろう。
こんなプロたちでもプレイヤーとして全く敵わないと分かっているからこそ、一層傷付いている。
こんな思いをするぐらいなら、他の趣味を探した方が良いのかもしれない。
関係ない話を長々するのやめてくれる?
↓
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こういう流れなんだから、「やっぱり配信ではなくモラルの問題」と言いたければ、
いくらアマチュア界の柄が悪かろうと、そこからプロになった人物の言動には問題がない。
たまに問題発言が飛び出ることがあるが、それは配信によって表に出やすいだけ。
まるでフィジカルスポーツでは自浄作用が働くみたいな口ぶりだが、そんなわけがない。
代わりが効かない才能の持ち主であれば、まず囲って後で教育すればいいと考えるはず。
大体そこらのマイナースポーツより、LoLやCS:GOの方が人口が多く、プレイヤー層は厚いんだが。
お前は何と何を比較してるか不明瞭だから、スケールや細部の話がフワッとしてるわけ。
で、お前がしてる「持続可能性のあるeスポーツ」はこの話にどう関係するんだ?
脇道の議論だから多くは触れないが、LoLは持続可能性のあるeスポーツだ。
軽く現状を流し読みして、まだ未練があったもんみたいだと気づいた。
ツールを導入できないやつは仲間外れになるしかないのだろうか。
そんなこんなで派閥が出来たり陰口の飛ばし合いだったりに疲れて自分は泥船から逃げ出しました。
だけどお世話になったあの人は元気だろうか?とか、たまに気になってしまうんですよね。
自分も最低限のツールは使ってた。だって使わないとランキングサイトに参加できないんだもん。
ただそのネトゲのツールってのも凄い進化(?)してるんだね、たくさんのボタンを駆使しないと高得点は出せないはずなのに1つのボタンに全部を集約したりとかね。ボタンを押すタイミングを音ゲーのように教えてくれるものまであるんだって。
ツールにチートにズルまみれのあいつは、世界ランキングで2位を取った。
自分に暴言吐きまくって引退決心させてくれて、知り合いの女子プレイヤーを苛めて、それでもいろんな人たちに誘われて世界2位まで来たのか。って感じだわ。
ズル野郎が世界トップクラスのプレイヤーからお祝いの言葉も貰ってたらしいけど、そのトップクラスプレイヤーが昨日今日で運営から停止ペナルティを食らったと話題になってた。もちろん罪状はツール・チートの利用みたいです。