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2024-11-20

anond:20241120215220

AKIRAに中身があるのかないのかは知らないけど(たぶんそれは大友さんにしかからない)

AKIRAという映画凄さというのは、

あの熱気だと思う。

俺達は新しいことをやるんだ!!

監督だけじゃなくて

クリエイターたち一人ひとりが持つあの熱量の噴出が

前編クライマックスとも呼ぶべき

異常なまでのテンション高さをあの映画の中で作り上げている。

それは時代の空気でもあったんだと思う。

バブル景気という狂乱の時代にあって

日本人一人ひとりが今よりずっと陽気だった。

決して順風満帆人生でなかったとしても

どこか

どうにかなるさ!!

そう思える楽天的雰囲気時代が満ち溢れていた。

そういう時代の空気真夏の夜に見る夢の如き時代エッセンスが多量に含まれているのがあの映画だ。

時代の空気クリエイターたちの圧倒的な熱量

そのふたつが映画という媒体で重なり合い凝縮して結合し、まるで原子が融合するかのようにエネルギーほとばしる。

その圧倒的な熱。

その「熱」がAKIRAだ。

知らんけど。

2024-11-16

anond:20241116201523

おいおい、闇バイトか…。そんなことしてると、気づかないうちに人生の道を外れちまうぞ。歴史を振り返ってみろ。過去偉人たちは、どんな逆境にも立ち向かい、正道を歩んで成功を掴んだんだ。それに比べて、お前は今、目先の利益に惑わされてるだけだろ?

例えば、古代ローマ政治家カエサル。彼は権力を握るためにいくつもの戦争を経て成功を収めたけど、最終的には自分の道を貫くために命を落とした。どんなに力を持っても、命を軽んじるような行動がどういう結果を招くのか、歴史が教えてくれてるんだ。

また、江戸時代日本でも「因果応報」って言葉があるだろ?今すぐには見えないかもしれないが、闇バイトをして手に入れたお金が、お前の未来にどんな影を落とすのか、考えてみろ。結果的に、お前の人生に「負の遺産」みたいなものを残すだけだ。

さらに、人生は一度きりだぞ。アリストテレスも言ってたけど、「幸福は善良な行いによって得られる」って。お前が今やってることが、ほんとうにお前を幸せにするのかよ。快楽安易な道を選んで、結局何も得られないってことを、歴史は数えきれないほど証明してきたんだ。

でもさ、泣ける部分もあるよな…。どこかで、こういう道に頼るしかない状況に追い込まれたのかもしれない。でも、それが本当にお前を生かす道なのか?偉人たちも、最初からすべてが順風満帆だったわけじゃない。だからこそ、今が一番大事なんだ。今ここで選べる道が、お前の未来を決める。

から、頼むから今すぐその道を踏みとどまれ。正しい道を選ぶことで、お前もきっと他の誰かの力になれる日が来るはずだから

2024-11-15

妻が教育委員会洗脳されて子供受験が危うい

わが子、現在5年生、志望校合格のため日々勉強を頑張っている。

塾の先生によるとこのまま油断しなければ十分に合格できるらしい。そんな順風満帆子供受験に思わぬ障害が発生した。

私の妻である

今年に入り妻は仕事関係教育委員会の方と付き合うようになった。そこで変なことを吹き込まれたようで子供受験否定的になってしまった。

教育員会の話によれば、

わが町にある小学校の成績上位者ほとんどは中学受験をするらしい。指導立ち位置にいた子供たちをごっそり抜かれた公立中学がどうなるか…

動物園になる。彼らはもとから動物だったわけではなくほとんどが中学デビューらしく、指導的な子が公立に入りクラスをまとめるだけそれなりにいい子に育つらしい。

私立に入った子供さらに優秀に育ち、町から出ていく。結果、バカしか残らない町は衰退、動物らしく自然に帰っていく。

その話を聞いて妻は

「一握りの優秀な人間を作って残りをダメにしてしまうのは格差社会元凶だ。子供には弱い人を引っ張っていく人間になってほしい中学受験をやめよう!」

と言ってくるようになった。

格差社会は深刻だと思うが、なぜうちの子犠牲にならなければいけないのか?格差社会は深刻なら子供を少しでも上位ランクにするのが親の務めではないか?」

と答え、喧嘩になってしまった。最終的には、受験するかしないか子供が決めることだということになり喧嘩は終了した。

それからその話はしていなかったが、どうやら妻は私の知らない間に子供子ども食堂的な弱者支援活動に連れ出しているようで、受験をやめさせようと合作しているらしい。

の子供を動物園の慰み者にしようとする親の実在が私には信じられない。それもそれが自分の妻なんて・・

2024-11-08

anond:20241108081626

フェミニズムって結局国家政治レベルでやること、それをメインに主張することじゃねえんだよな

しかも今の政治別に順風満帆でもないわけだし

個々の企業風土としてだったらメリットになるしそこに入りたいと希望する人間がたくさんいるみたいなのがあってもいいけど

2024-11-06

少子化が檄ヤバだから将来的には子供を持った人間上級国民になるぞ!子無しは迫害され打ち捨てられるぞ!という主張があって、そういうこともないとは言えないと思うけど

訳のわからんバイト人生棒に振ったりトー横みたいなとこに溜まってどうにもならなくなってる子供の親もいるわけで、上級国民とは言えない感じの何かになるんじゃないかなあと思う

順風満帆の家庭しか想像できてないんだよな。そういうロールモデルしか用意できなかったのが少子化根本原因なんじゃないかと思うわ

2024-11-03

日本プロレス史上最も重要試合10選【追記あり

試合の内容の是非というよりは、後世に残した影響の強さを重視して選出しました。

力道山vs木村政彦 1954年12月22日 蔵前国技館

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』でもお馴染みだが「プロレスとは何か」を深淵の底に落とした試合である。この試合真実に関しては諸説あるが、ともかく力道山木村シュートで潰したことは単純に眼前の事実である。「プロレスとは八百長ではなかったのか?」日本プロレス史における「プロレスとは何か」という問いへの解答がこの一戦で全て分からなくなってしまい、今もその謎が解けたとは言い難い。また、当時のプロレス界は柔道出身が多かったものの、木村がこのような形で潰されたため、もし木村が勝っていたら今のプロレス界は柔道系譜もっと強くなってまるで違う別物に変わっていた可能性が高い。当時の日本の強さの象徴といえば柔道であり、その柔道プロレスが上回ったのだから当時の衝撃たるや、である。少なくとも逆水平チョップという技がこれほどスタンダードな技として使われる(アメリカなどはナックルが主流)のは間違いなく力道山の影響だろう。

アントニオ猪木vsモハメド・アリ 1976年6月26日 日本武道館

わずとしれた世紀の凡戦であるが「猪木・アリ状態」が発生しただけでこの試合人類史に残す価値のある試合である。この辺はあらかた語り尽くされているので多くは書かない。また、試合を実現させる猪木マジックとも呼ぶべき「巻き込み力」はエネルギッシュだった昭和の世相を反映していると言えよう。

タイガーマスクvsダイナマイトキッド 1981年4月23日 蔵前国技館

初代のタイガーマスクデビューした試合で、今見ても全く色褪せない。漫画キャラクターが実現するメディアミックスという手法も新しかったが、マスクを被った佐山の才能は20年ほど時代を先取りしていた。四次元殺法とも評されたその戦いぶりは軽量級レスラーに偉大な影響を残した。

ジャイアント馬場vsスタン・ハンセン 1982年2月4日 東京体育館

選手としてはピークを過ぎて会社内での立場も危うくなってきた馬場が、自身レスラー生命の生き残りを懸けて行われた一戦。ハンセンはこの当時、選手として全盛期であったため馬場は殺されてしまうのではとさえ言われていたが、試合開始直後に放った16文キッククリーンヒットし、会場の空気が一気に馬場一色となった。この試合引き分けという不透明決着に終わるも、馬場はその人気再沸騰で会社内でのイニシアチブを取り戻すこととなる。レスラーリング上でこそ輝きを取り戻すという、レスラーの原点を示した一戦。個人的には倒れているハンセンの左腕をガッツリ踏み潰すキラー馬場が滲み出た瞬間が一番アツい。

アントニオ猪木vsマサ斎藤 1987年10月4日 巌流島

公私ともに何もかも上手くいかず、自暴自棄になっていた時期の猪木が行った一戦(元々の発案者は藤波であったとも言われているが、なぜか猪木がやることに)。猪木巌流島に立てられたリング上で時間制限、ノールールレフェリー無し、無観客試合という前代未聞の試合に付き合えるのはマサ斎藤くらいしかいなかった。後年、この試合を振り返るマサ斎藤インタビューがあるのでこちらも読んで欲しい(https://number.bunshun.jp/articles/-/842688)。試合は2時間を過ぎたところでマサ斎藤裸絞めで失神し、猪木勝利した。観客を排して一切のしがらみを捨て、レスラー純粋に二人のためだけに試合をしたらどうなるのか、という後年でも見られない極めて前衛的な試合になったと言える。

武藤敬司vs高田延彦 1995年10月9日 東京ドーム

プロレスを守るためにプロレスをした武藤と、プロレスを強くするためにシューティングをした高田一騎打ち新日本UWFインターの対抗戦として行われたこ興行のメインイベントは、新日本4勝、UWFインター3勝で迎えられた。高田としてはこの試合に勝てば4勝4敗で終われるが、この試合武藤の保持するIWGP王座がかかっていたため、4勝4敗でもベルトが動いた分UWFの方が上を取れるという状況であった。お互いのスタイルをお互いが貫き合い、武藤の持つドラゴンスクリューという極めてプロレス的な技が、高田の多用するキックへのカウンターとして機能することが勝敗を分けた。最後も足4の字固めというプロレス代表する固め技で武藤ギブアップを奪った。戦いのスタイルが全く違っても、そのスタイルを両者がいかに主張できるかで試合面白くなる、ということを示した貴重な一戦。

橋本真也vs小川直也 2000年4月7日 東京ドーム

橋本の1勝3敗で背水の陣を敷くべく「負けたら即引退」を掲げて小川へのリベンジを臨んだ一戦。この二人のシングルマッチで一番面白いのはやはりこの5戦目である橋本ジャンピングエルボーを炸裂させて小川の肩を脱臼させるも、その後の三角絞めで腕を取った際に外れた肩を偶然嵌めてしまうという珍事も小川に味方し、最終的には小川がSTOの連発で橋本をKOした。完敗した橋本は本当に引退するも、折り鶴兄弟(詳細は省略)の助力もあり復帰。最終的には小川とタッグチームを組み、親友となった。戦いの末に友情が生まれるというジャンプ漫画でありそうな展開は現実でも起こるという、プロレスフェイク無しを魅せつけた一戦。

長州力vs大仁田厚 2000年7月30日 横浜アリーナ

既に引退していた長州をなぜか大仁田ストーキングとも言える言動を繰り返すことで呼び戻すことに結果的成功し、大仁田お家芸である電流爆破デスマッチが実現した。プロレスは「ネバー・セイ・ネバー」(絶対に無いということは絶対に無い)という矛盾を孕んだ言葉まやかし大仁田の執念が証明してみせた一戦。試合長州勝利。なお、この大仁田長州へしつこく対戦を要求する様子は当時のプロレス番組で放映されており、それをレポートする真鍋アナウンサーとのやり取りも「大仁田劇場」として注目された。最初大仁田から理不尽な扱いに「サラリーマンって大変だなぁ」とファンに同情されていたほどだったが、最終的に真鍋大仁田へ「電流爆破、見たいです!」と直言するまで成長し、この試合の実況も大仁田に傾倒する内容で行った。

渕正信vs蝶野正洋 2000年9月2日 日本武道館

2000年はプロレス界激動の年だった。6月全日本プロレスから選手クーデター同然に大量離脱し、残った選手川田利明渕正信の2名だけとなった。全日本はなんとかして起死回生を図らなければならず、鎖国状態にあった同じ老舗団体である新日本プロレスとの交流に活路を見出した。8月11日、渕がスーツ姿で新日本リングへ上がり「(鎖国状態にあった)壁をぶち破りに来ました」と話し、新日本現場監督である長州力と固い握手を交わしたところへ抗議しに現れたのが蝶野だった。乱闘しかけようと興奮する蝶野だったが、渕は冷静に受け流し、蝶野が落とした帽子を「蝶野忘れ物だ!」と帰ろうとする蝶野へ投げつけるシーンが完全にプロレスファンの心を掴んだ。これを受けて行われたのが全日本リングでの二人のシングルマッチである。結果は蝶野勝利であったが、全盛期をとうに過ぎた渕が堂々とした態度とマイク第一線を張ったおかげで全日本は辛うじて生き残ることができた。いつ誰がどんな形で主役を張らなければならないかは分からない、運命の数奇というものプロレスにはあり、渕は突如訪れたその大役を果たすことができたから今も全日本という団体は存続している。

三沢光晴vs小橋健太 2003年3月1日 日本武道館

一方、全日本プロレスを大量離脱した選手たちによって旗揚げされたプロレスリング・ノアは、旗揚げして1年足らずで日本テレビの中継がつき、ほどなくして日本武道館興行が行われるなど、ハッキリ言って順風満帆だった。試合クオリティも高く、当時の2chプロレス板で「ノアだけはガチ」というフレーズも生まれた。この試合三沢小橋花道から場外マットへタイガースープレックスで投げ飛ばすという荒業を敢行。実況していたアナウンサーが「死んでしまう!」と絶叫した。しか最後小橋バーニングハンマーを繰り出して逆転勝利ベルトの価値、そして団体価値というものをどうやって高めるのか、を方舟に乗ったレスラーが探し求めて辿り着いたのがこの試合である。純プロ路線でありながらその究極系を突き詰めた結果という意味において、選出すべき試合であることは間違いない。

以下、選外

ジャックブリスコvsジャイアント馬場 1974年12月2日 鹿児島県体育館

この当時、最も権威のあったNWAヘビー級ベルトを日本人で初めて戴冠した試合

ザ・ファンクスvsブローザー・ブロディジミー・スヌーカー 1981年12月13日 蔵前国技館

全日本プロレスで開催されたこの年の最強タッグリーグ戦の優勝決定戦で、ブロディ親友であるハンセンセコンドに帯同。場外戦にもつれ込んだ際、ハンセン試合ラリアートで介入し、ブロディスヌーカー組の優勝をアシストした。この暴挙馬場が怒り狂い、試合終了後にハンセン乱闘を繰り広げ、前述のシングルマッチへ発展する。

三沢光晴vs川田利明 1999年1月22日 大阪府立体育館

故意事故か、川田三沢に対して垂直落下式パワーボム通称三冠ボム)を敢行した試合勝利した川田だったが、試合中に実は腕を骨折しており全治3ヶ月となった。

本田多聞泉田純vsハヤブサ新崎人生 1999年2月13日 後楽園ホール

ハヤブサFMW)、新崎人生みちのくプロレス)というインディー団体レスラーでもメジャー団体ベルトを巻けることを証明した試合。この当時のインディー団体立ち位置は非常に弱いもので、これを覆すのは至難の業だった。この両名はインディー団体の中でも頭2つ抜き出た存在で、全日本プロレスの至宝を獲得することに成功した。なお、このコンビは米マット界でも活躍しており、日本代表するタッグチームと呼んで良い。

ザ・グレート・サスケvsスペル・デルフィン 2003年11月2日 有明コロシアム

犬猿の仲となり、顔を合わせるのもNGであった二人のシングルマッチが、みちのくプロレス創立10周年という大舞台で実現。ホーム戦であったサスケが敗れ、試合後のマイクで弱音を吐いたところ、客席より「みちのくプロレス50年化計画はどうなるんだ!」という野次勇気づけられ、顔を上げたサスケは「みちのくプロレス永久に不滅です!」と改めて宣言した。客もまたプロレスを作り上げる1人であることを明示した試合である

伊藤竜司vs葛西純 2009年11月20日 後楽園ホール

デスマッチの「やれるところまでやる」をやり切った試合。頭の中に引退がチラついていた葛西後楽園ホールバルコニーからテーブルダイブ攻撃を浴びせるなど、デスマッチ限界を攻めた試合となった。30分1本勝負のところを29分45秒で葛西勝利し、この年の週刊プロレス大賞ベストバウトを受賞した(デスマッチが受賞するのは極めて珍しい)。試合後のインタビュー葛西現役続行宣言したことからデスマッチというジャンルにおいて次の時代への扉を開けたワンマッチであったと言えよう。

前田日明vs坂田亘 1995年5月20日 控室

今もなお語り継がれる衝撃映像のアレだが、そもそも試合ではないことと、別に重要ではないため選外。

追記

10選じゃなくて10戦にすればよかったなぁ。でも検索に引っかかりにくくなるからいか

全日本プロレス軽視では?

⇒そういうつもりもなかったが、全日本は良くも悪くもプロレスというものを護ろうとして頑張っていた保守団体なので、地道な積み重ねをしていて変革が起きる瞬間というのが限られていたので仕方ない。逆に全日本があったか新日本ハチャメチャでも許されたのだと思ってるし、ハチャメチャし過ぎた結果、何度も会社ごとハチャメチャになりかけていた点をプロレスファンは忘れていない。選外には全日本が多いのでご容赦を。

最近試合/◯◯の試合が無い

自分最近試合を追いきれていないのもあるが、どちらかといえば後年振り返ってみて「アレがあったからだよなぁ……」と思わされる要素があるかどうかで選出した。タイガーマスクがいなければ今のジュニア戦線はヘビーの焼き直しかルチャのマネごとレベルになっていた可能性もあるし、渕があそこで全日本崖っぷちで踏みとどまらたから後々の団体交流戦の活性化が生まれたのだと思う。歴史を紐解いた時に外せないかどうか、って感じ。例えば「猪木vsホーガン」みたいな試合事件としてはとてつもなく大きなものだけど、じゃあアレが後年に何か影響を与えたかって言ったら、そういう種類の話ではないので。

総合格闘技戦について

自分桜庭和志には胸熱した世代ではあるものの、さすがにPRIDEリングでの試合を選出するのは違うだろうと思った。そもそもアレは総合格闘技という競技たまたまプロレスラーと柔術家がやっていただけである桜庭が勝ったのはもちろん嬉しかったが「プロレスラーは強いんです」と言われたのは複雑で正直、気持ちとしては受け入れ難かった。それは桜庭個人総合格闘技という競技に向かい合って努力した結果であって、プロレスラーというもの一般化してしまうのは危険なのでは……と思っていたら翌年、普通に永田ミルコに負けていた。

女子プロレスは?

女子女子で深いジャンルなので、もうそこまで踏み込んじゃうと10選じゃ足りなくなるので恐くなって考えるのを止めました。そもそも女子はそこまで詳しくないので。というわけで、これを見ている増田! 書かないのか!?しかないぞ、俺達がやるのは!

・信彦じゃなくて延彦な

正直すまんかった、正直ポカした。

2024-10-24

高校生に戻れたら、気になるあの子デートに誘いたい

30代。女。既婚。

小学生の頃、中学受験を目指す塾に通っていた。そこには天使のように可愛い顔立ちをした男の子がいた。目がくりくりしていて、女子から「ほっぺがぷにぷにだ」と直接触られていた。塾の中でも愛されキャラで、男子からもいじられてはいたが、同じだけ相手をいじり返す強さのある子だった。

私は薄ぼんやり「好みの顔だ」という意識はあったものの、彼のことは塾の中で仲の良い男子のうちの一人、という認識だった。

中学になってから、彼は男子校に通い、私は女子校に通った。いわゆる中高一貫校で、六年間同性に囲まれるある種快適空間だ。

そんな生活なので「新しい異性との出会い」などなかったが、高校生くらいから状況が一変する。mixiの普及だ。これによって、かつて同じ塾に通い別の学校に進学した友達たちと男女問わず繋がった。

繋がった人同士で塾のプチ同窓会のようなものが開かれる。そこで、例の可愛い男子と再会した。彼の可愛らしさは成長しても変わらず、本当に好みの顔で胸がときめいた。たしかこの頃メアドを交換し、直接連絡を取り合うようになったと思う。

私は味をしめて、プチ同窓会を開いてくれた幹事友達に、「またみんなと会いたくない?」と提案した。友達も乗り気で、またプチ同窓会メンバーで遊ぶ機会を作ってくれた。私は、あの可愛い彼と会ってドキドキしていた。もし彼と恋愛関係になれたら、と妄想は止まらなかった。

私は懲りずに幹事友達に「またみんなと会う機会を!」と提案し、そして友達に嗜められた。

「会いたい人がいるんでしょ? 彼を直接誘えばいいじゃん」

おっしゃる通りです……。

と、図星を突かれてはいたが、私は彼を二人きりのデートに誘うことが出来なかった。

時々彼とメールのやりとりは出来ていたが、彼のことを誘えるほど「好き」に対して覚悟を持てなかったのだ。

やがて彼とのメールは疎遠になり、私は大学生になった。共学に通い、大学出会った人を好きになって、1年生の冬に付き合い始めた。私から告白した。

彼は初対面の時からすごくフィーリングが合い、趣味も合う・優しい・顔も好みと全く非の打ちどころのない彼氏だ。

私は浪人していたので、1年生の冬に成人式があった。彼氏から振袖姿が見たいと言われ、式が終わったら写真を送るねと、とにかく浮かれていた。

その時、あの可愛いからメールが来た。

成人式に、会わないかと。

彼氏と付き合う前であれば間違いなく会いに行った。

でも今の私は彼氏持ちだ。しかも付き合って1ヶ月ホヤホヤの。これでもし、一時は恋愛関係妄想した可愛い彼に会いに行ったら、あまりにも、その、……「ビッチ」すぎないか

彼氏いるから会えない」と返信した。

それ以降、可愛いから連絡が来たことは一度もない。

大学で付き合った初めての彼氏は、その後夫となった。

長い付き合いなので、順風満帆とは言えないタイミングもあった。関係不安定になるたび、可愛い彼のことが頭に浮かぶ

でも、私は可愛い彼のことを、「顔が好み」くらいしか分かっていない。

小学生の幼き頃は気が合ったような感覚はあるが、今の彼の内面を何も分かっちゃいない。

から可愛い彼」は私にとっては幻想に過ぎないのだ。

高校生の時にちゃんデートに誘うべきだった。「女は誘われ待ちが良い」なんて旧価値観になぜどっぷり染まっていたのか。ガンガンから行くべきだ。

そして玉砕するか、上手く付き合えたとしても恋愛を通した関係構築のゴタゴタを経験して、この人と人生パートナーになれるのかしっかり吟味たかった。

そうやって、幻想を打ち破るべきだった。

これからも夫とうまくいかなくなるたびに、「可愛い彼」の幻想に耽りつつも、「とはいえきっと彼とは上手くいかなかったよね」と心を慰めるだろう。

しろ私は、家事能力は壊滅的で、メンヘラで、他責思考で、と欠点を上げればキリがなく、そんな私でも見捨てずに支えてくれたのが夫である

夫は私の欠点に打ちのめされるたび、このまま私との関係を続けるか躊躇していたが、「それでも愛している」と覚悟を決めてくれた。その覚悟に報いたい。治せる欠点は治して、「この人と結婚して良かった」と思ってもらえるような妻になりたい。私は夫を愛している。

間違っても不倫をしたくないので、可愛い彼に連絡を送ることはない。

いや、本音では可愛い彼とまた話したい。私には男女の仲になりたいという欲求全然なくて、性別関係なく人間として彼がどういう人生を歩んだのか知りたいという思いはあるのだけど、そうはいっても男女だしな……対面で会ったら突然私の頭がバグり散らかして、不貞を働くかもしれない。警戒するにこしたことはないだろう。

70歳とか超えたら、さすがに性欲に振り回されない、大人の男女の友達になれるだろうか。

それまでお互い生きてたら声かけてみようかな。

みんな長生きしようぜ。

anond:20241024150508

花形も窓際も役職同じなら同じ給料

窓際はリストラされるリスクは高いけどリストラのリの字が見えないくらい弊社は順風満帆

管理職にならなくても家は建つし子供複数人持てるだけの給料が払われる

ならみんな投入リソース少なくて済む窓際行きたがるよね

2024-10-11

ポリコレが駄目になったのは、差別を書けなくなったか

個人的にはどちらかというとポリコレには賛成だったんだけど、最近は反対派の気持ちの方が分かるようになってきたんだよなー

最近ポリコレには差別がない、要はカタルシスがない

からまらないんだと思う

以前のポリコレ現実差別存在する(した)以上、フィクション作品においてマイノリティを出すならその差別を描くのが普通だったけれど

つのからかそういう表現が出来なくなった

例えば2017年アカデミー賞作品賞の「ムーンライト」は黒人ゲイの半生を描いた映画だけど

これに関してポリコレがーという叩きは全然見掛けなかったんだよ

主人公がそのマイノリティ性によって虐げられ苦悩する様子が丁寧に描かれて、設定が物語意味のあるものになっていたからだと思う

マッドマックス怒りのデスロードも、女性差別とそれに抗う様子が描かれ、設定が意味あるものになっていた

ところが最近はそういった差別のものを描けなくなってきた

例えば同性愛者の人物がその事で差別されたり思い悩んだりする描写があると作品自体差別的とされるので

異性愛と同じように扱われ、特に何の葛藤もなく幸せな話しか許されない

設定に意味を求める事はそれ自体差別であるとのレッテルを貼られる

物語中に差別がないとしても、それならばそれでそういう架空世界だとかの説明が欲しいものなんたが、あまりない

例えばディズニー最新作のウィッシュでは、中世ヨーロッパにおいて黒人アジア人障害者差別されない理想郷が築かれていたが、登場人物がそれを得難い事として感謝する様子はなく、ごく当たり前の事として享受していた

前の朝ドラの虎に翼でも、当時には珍しく女性法曹を目指す主人公侮辱虐待を受ける事はなく、もっぱら順風満帆キャリアを重ねていき、それが社会から受け入れられる

このように、最近ポリコレで描かれるのは、当たり前のように差別のない理想郷ばかりだ

そういえば先日完結した僕のヒーローアカデミアでも、悪役の博士現実731部隊が行った人体実験に関連した名前を付けていたところ海外からクレームを受けて名前を変更したという

あの辺からよくない兆しは見えていたな

悪を悪と描いて出す事すら許されなくなってしまった

2024-10-10

苦労せずに生きてきた

地方都市だけどそこそこ裕福で文化的な家庭に生まれ

家族仲は良く、とても大切に育てられて、不自由な思いはしたことがない

地方都市だけど、歴史が古く文化人も多く輩出している地域で、多様な文化にも触れられたし、大都市にもすぐ出られたので、小さい頃から博物館美術館にはよく連れて行ってもらっていた

特に母親実家名家だったので、そっち経由で触れる文化の水準は高かった

能力的にも恵まれていて、小さい頃から勉強で苦労したことはない

コミュ障だけど見た目と成績が良かったお陰で一目置かれていじめられることもなく高校まで普通に過ごせた

大学特に苦労せずに地元国立大学に進学

就職氷河期だったけど、特に苦労することもなく就職できた

就職先は地元では誰もが知る優良企業

収入は多くはないが、生きていくには十分だし、なにより安定している

結婚就職して1年後に、大学一年から付き合ってる彼女とした

人生最初に好きになった人だけど、特にトラブルもなく仲良くなって付き合って、普通に結婚した

相性は最高で、喧嘩もしない

今は結婚して20年経つけど、やっぱり喧嘩しないし今も本気で好き

最高のパートナー

仕事は忙しくはなく、だいたい6割くらいの力でこなせる程度

それでも周囲よりは効率よくこなせていたらしく、すぐに特別存在扱いされるようになった

おかげで礼儀とかよくわからないコミュ障でも咎められることなく、快適に過ごせている

結婚してから5年後に子どもが産まれ

妻は強い国家資格を持ってるので、いったん仕事を辞めて専業主婦になった

おれの仕事も余裕があるので、子育ては全力でサポートした

子どもが一歳になったころ、実家敷地に家を建てた

しっかり情報を集めて、じっくり話し合って建てたので、なんの不満もないいい家が建った

それから1年後に二人目の子どもが産まれ

子どもたちは二人とも可愛くて賢い

塾には行ってないが、これまでのところ勉強で苦労したことは一度もない

子どもたちの手が離れた今は、妻も仕事を再開して、経済的にも安定している

こうして人生を振り返ってみると、何ひとつ苦労をしてないことがよく分かる

毒親に苦しめられたり、地方出身文化に触れられなかったり、学校いじめられたり、不登校になったり、就職できなかったり、受験に失敗したり、ひどい失恋したり、ブラック企業に苦しめられたり、夫婦喧嘩したり、子ども障害に悩んだり、そういうドラマが一切ないまま生きてきた

苦労しなくてすんだのはいいことだと思うんだけど、なんか、こう、人間としての厚みが得られてない気がする

増田には色んな苦労話が描かれているけど、おれの人生には無かった

順風満帆で常に幸せで、辛かったことなんて本当に小さいこしか記憶にない

これはなんかすごく薄っぺら人生な気がする

そして、これから大きな苦労に直面したら生きていけない気がする

親が認知症になるとか、会社が潰れるとか、妻や子ども事故事件に巻き込まれるとか、そんなことがあると耐えられない

こんなに弱い人間のまま中年になってしまって良かったんだろうか

まあ、いまさらどうしようもないから、このまま死ぬまで順調に人生が続くことだけを願っている

2024-10-06

学力けが高くて高学歴になる人は狂う

能力が満遍なく高い男がエリートになる、それ普通

 

学力けが高くて高学歴になった人って(まあいわゆる高機能自閉症じわじわ狂っていくよね。周りが恋愛スポーツも人付き合いも学力も優秀すぎるから

 

エリート

順風満帆に過ごしてるのって見てて気が狂うけど

なまじ近くで見てると気が狂うんだろうなあ

 

社会的に影響力のある立場になる人物が狂ってるってことは一大事じゃん?

 

アメリカ大学が「学力重視による選抜やめました」っていってるのってそういう狂った人間社会に及ぼす影響を危険視してるからだよね。大学入社試験に近くなっていくんじゃないか

2024-09-26

異業種転生 ~大手ITから地方役所に転生してバリバリ無双!!~

大手IT企業に勤めて10年。入社当時は希望に満ちていたが、今やブラック労働環境が俺の精神を削り取っていく。

上司からの終わりなき要求、毎晩深夜残業休日出勤も当たり前。さらには納期前の修羅場が終わったと思ったら、すぐに次の案件が舞い込んでくる。

俺の心と体は既に限界を迎えていた。

30代に突入した俺、彼女なし、非モテ童貞。そんな俺の未来は一体どうなるんだろう。

そんなある日のことだ。

いつものように深夜になってから会社を出た俺は、無意識道路を横断していた。

前方からヘッドライトが光り、強烈なクラクションが耳を突く。

トラック!?

反射的に飛びのく俺。

でもその瞬間、頭の中に「人生リセット」の文字が浮かんだ。

もしあのまま死んでいたら、俺の人生はどうなっていたんだろう。俺は一度、死んだようなものだ。

…もう限界だ。今までの俺を捨てよう。俺はトラックに轢かれそうになったことを転機に、人生をやり直す決意をした。

決意した俺は、退職届を叩きつけるように提出し、その日のうちに会社を後にした。

大都会喧騒から離れ、田舎に引っ越すことに決めた。

のどか風景に囲まれゆっくりと暮らすのも悪くないだろう。

地方であれば生活費も安く、心のゆとりができるはずだ。

そう思って、俺は山間の町に引っ越した。

ある日、町役場掲示板で「町役場 IT担当者募集」という求人を目にした。

今までのITスキルを活かせる仕事じゃないか。早速、役場電話をかけてみると、なんと即採用田舎求人ってこんなに簡単に決まるのか?

それはともかく、これで俺も新しい生活が始まることになった。

初出勤の日、俺は役場に足を踏み入れた。

周りには地元の人々がいて、みんな穏やかな表情をしている。なんだか、これまでのIT業界のギスギスした雰囲気とは全然違う。

「あ、君が新しく来たIT担当の人だね」

はいよろしくお願いします」

そう挨拶を済ませ、早速仕事に取りかかることになった。

しかし、驚いたのは役場業務環境だった。

古いPC、紙ベース書類さらには手作業で処理される業務の数々。

どうやら3日かかるという資料の整理やデータ入力作業があるらしい。

こんな非効率なことをやっていたのか…と俺は驚きを隠せなかった。

「これ…、自分なら1時間で終わらせられますよ」

「え?」

上司は驚いた顔をしていたが、俺は早速作業に取り掛かることにした。

使い慣れたツールを駆使して、効率化を図る。

例えば、エクセルVBA自動化するマクロ作成し、データ入力の手間を大幅に削減。

ベースデータスキャンしてクラウドアップロードし、共有フォルダ作成

さらGoogleスプレッドシート連携させてリアルタイムでの共同編集可能にした。

その他、タスク管理には「Trello」を導入し、進捗管理視覚的に把握できるようにするなど、次々と改善を行っていった。

「ほら、終わりました」

俺がにっこりと微笑むと、周りの人々は唖然としていた。

「す、すごい…!これまで3日かかっていた作業が、1時間で終わるなんて…!!」

拍手が湧き起こり、俺は周囲の称賛を浴びることになった。

俺は動揺した。

「あれ?な、なんか俺…やっちゃいました?」

と、とぼけてみせる俺に、上司や同僚たちは感嘆の声を上げた。

その日を境に、俺の田舎生活は一変した。

周囲の評価は急上昇し、町役場スーパースター扱いに。さらには、なんと女の子たちから告白されるという事態に発展したのだ。

「すごいですね、増田さん。いつも頑張っていて…尊敬します」

と、いつも仕事のことしかさなかった女史社員が、俺に突然告白してきた。

これには正直驚いた。俺みたいな非モテ童貞が、まさかこんな田舎女性告白されるなんて夢にも思っていなかったからだ。

それだけじゃない。田舎空き家引っ越しからというもの、なんと3人の女性同棲することに成功した。

彼女たちはみんな俺に好意を抱いてくれていて、こうして俺の田舎転生生活順風満帆に進んでいる。

ブラックIT企業での地獄のような日々がまるで嘘のようだ。

毎日仕事も早く終わり、夕方には家に帰って猫と一緒にのんびりする。

あの頃の俺に伝えたい。無理をして都会で働かなくても、田舎にはこんな幸せ生活が待っているんだぞ、と。

今ではもう、仕事も順調で、俺に嫉妬する奴なんて誰もいない。

仕事恋愛も、全てが俺の思い通り。人生ピークとはまさにこのことだろう。

そして、今日もまた俺は役場IT無双し、家に帰ると3人の彼女たちが俺のことを待っているのだ。

2024-09-16

弱い人はずるい

『弱い人はずるい』

そのような感覚を一生涯拗らせて生きていくような気がする。

まれてこの方、めちゃくちゃ恵まれて生きてきた。

ガチャSSR

まぁ片親ではあるんだけど、シンプルにこのような人になりたいと素直に吐ける位には母親のこと尊敬してるし好きだし、祖父母若いから幼い頃はしょっちゅう送り迎えだのしてもらったし、現在進行形実家であったかい世話を受けながらぬくぬく生活している。

友人もいるし、なんだったら恋人までいる。めちゃくちゃ順風満帆生活してるし、仕事もまぁブラック寄りではあるけど世を嘆くほどじゃない。いや世の中はメチャクチャなんだけど、私には、なとりキタタツヤと米津玄師がついてるし。

なのに、弱い人は常々ずるいなぁと思ってしまうのだ。

私は恵まれてる。あったかい家の中で、優しさに包まれて生きてきた。

弱い人は、悲惨だ。

寒空の下とまでは行かなくても、親同士が仲が悪いとか、徹底的な監視下の元の教育とか、さぞかし生きづらくて生きづらくて生きづらくてしょうがないような家庭環境で生き抜いてきたんだろう。私には想像もつかない。だって、私は不幸で哀れな人間だなんて口が裂けても言えないくらいには恵まれてるから

ないものねだりなのはわかってる。私のこの強さとズルさが恵まれて生きてきた幸福人間暴力なんだってわかってる。わかってても。

不幸ぶって可哀想がられて生きていくズルさが羨ましい。

いからって他人に甘えて他人を食い物にするその姿が羨ましい。

いか特別配慮してもらうのを当然の顔して受け取るその態度が羨ましい。

いから、弱いから、弱いから。

いから、守ってもらえるのが、すごく羨ましい。

私はだって強いんだもん。1人で立ててしまうんだもん。

他人の助けを借りなくても1人でなんとかしようとしてなんとかなったりするし、眠剤に頼らなくても夜は眠れるし、精神安定剤なんてなくても仕事に行けるし、働けるし、頑張れる。

から、弱い人が守ってもらってる姿を見ると許せなくなってしまう。なんで、私は頑張ってるのにお前は頑張らないんだって思ってしまう。口には出さない。だって私とお前は違う人間から。それぞれに違うものを抱えて生きてきて、お前の方が大変なんだろうことは目に見えてるから

思ってしまうのが嫌だ。

それで、弱いのはずるいって思考になって行ってしま自分の幼稚さと暴力性が嫌だ。

弱い人間が溢れかえるこの世の中で、自分加虐性を抑えながら生きていくの、しんどいよ。

みんな強くなってよ。弱いところばっかり見せないで。言いがかりをつけて、追い詰めて、快感に酔いしれて、悪びれもなく開き直っていたい。

ここから懺悔なんだけど、実際、友達自分の中の暴力性を大いに奮ってしまって10年来の友人を3人ほど無くした。それに寂しがってしま自分がいるのがとんでもなく悍ましい人間であることの証左すぎてマジでつらい。

なぁ、加害者はやり直せない世界なんだよ。

いじめ加害者なんて人生ぶっ壊れて当たり前って論調の世の中で、私が生きていける余地なんてない。

弱い人間は、ずるい。

どんどんと数を増やして、マイノリティになっていく。多数派暴力で殴っていることに気づかないままずっと不幸せそうな顔して人生謳歌するんだろう。

早く、それになりたい。

2024-08-19

コロッケの唄

一.

ワイフもらって 嬉しかったが

何時も出てくる 副食物(おかず)はコロッケ

今日コロッケ 明日コロッケ

これじゃ年がら年中コロッケ

ハハハ アハハハ

こりゃ可笑し(おかし

二.

晦日みそか)近くに 財布拾って

開けて見たらば金貨

ザッククザク ザックザク

株を買おうか 地所を買おうか

思案最中に 眼が覚めた

ハハハ アハハハ

こりゃ可笑し

三.

芸者が嫌なら 身受けしてやろ

帶も買ってやろ

ダイヤもやろう やろう

今日三越 明日帝劇

いふて呉れるやうな客がない

ハハハ アハハハ

こりゃ可笑し

四.

亭主もらって 嬉れしかったが

何時も出て行っちや滅多に

帰らない 帰らない

今日も帰らない 明日も帰らない

これじゃ年がら年中 留守居

ハハハ アハハハ

こりゃ可笑し

NHKドラマおしん」のなかで、大正12年9月1日、田倉商会の新しい工場開業祝いの準備中に子守を任された源じいが歌っていたのが、このコロッケの唄(大正6年版)。wikipediaによるとコロッケの唄は、その後、昭和37年浜口庫之助五月みどり)版、平成版、令和へとなんどかリメイクされて歌い継がれてきたようだ。

大正時代コロッケは、現代と違って、手ごろなお惣菜ではなく、東京などの洋食店しか食べられない高級食品。この夫婦富裕層であることがわかる。二番以降もあわせてみると、大戦後の好景気を反映し、一般投資家が増大した世相を色濃く映した、興味深い唄だ。

先日、以前より気になっていた番組DVDで購入した。

それはおしんの番外編。1983年放送当時の8月おしんを演じていた田中裕子が過労静養のため撮影を中断せざるを得なくなった事態になって、急遽制作され、放送時間帯に15分ずつ6日にわたって放送された番外編「もうひとりのおしん」だ。これは、おしんと同時代を生きた山形東京女性に当時の話を聞くという番組関東大震災前、おしんはラシャ問屋がつぶれたあと、子供服の店を田倉と始める。同番組では当時、日本橋横山町子供服を始めたというおばあちゃん放送当時90歳)の話を聞く場面がある。まさにこういう話を聞きたくて、わざわざDVDまで購入したのだが、見てよかった。

それまで和服日本髪というのが当たり前だった日本人服装が、洋服に変わっていったのは、関東大震災の後だといわれる。

このおばあちゃんインタビューで「大震災があったでしょ、それからみんな裸になっちゃいましたから。それからだいぶん、服が変わっちゃいました」と答えている。この簡潔な一言歴史ダイナミズムが凝縮されている。

おしん物語では、田倉商会が時代を先取りする形で安価既製服商品としての子供服のポテンシャルを見抜き、田倉の再起を賭けた。そのドラマの展開にリアリティを与えるインタビューだった。

もっとも、おしんは当初、夫である田倉竜三の羅紗問屋事業失敗に懲りていて、大して商才もないのに夢ばかり大きい夫の行動が不安で仕方がなく、本当は手堅く地固めをしたい。子供服作業場拡張には反対していた。だがやがて夫を信じようと思いなおし、夫の夢に賭けるようになる。

おしんドラマは、10年に一度くらい再放送で目に留まって数話くらいずつ散発的にみていたのだが、今回、腰を据えて全297話をみていると、ドラマ演出がなかなか面白いことにも気が付いた。例えば、夫に商売の才能がない部分を自分の働きで夫婦の稼ぎをカバーしようと自分なりの仕事を始めて成功してしまう場面。プライドを傷つけられた旦那は「髪結いの亭主さながら飲み歩くだけの怠け者になってしまう。夫を堕落させたのは自分だと気が付いたおしんは、あえて自ら稼ぐことをやめ、夫を立て夫がいつかまじめに稼いでくれるのを信じることにした。その結果、やがて今日明日の米に困るほど夫婦は追い詰められてしまう。田倉はようやく目が覚めて商人の道を諦め、勤め人として働きだすようになった。その様子をみて安心したおしんは、田倉商会の将来的な再興を目指して、子供服商売のための子供服のデザインなどこつこつと準備を始める。おしんデザインをみた田倉はおしんの才能を知り、いったんは勤め人として手堅く暮らそうとしていたのに、勤め人をやめて子供服商売にまた再起を賭けようと夢を語り始めた。おしん相談もせず勝手ミシンを購入したり、ひとを雇ったりとおしんを戸惑わせた。あげくは事業拡大のために借金をして工場建設をすると鼻息荒くしていう。

そんななか、ドラマの背景で、東京の街中で流れてくるのは「船頭小唄」。おしん不安象徴させる、にくい演出だと思った。

そして、大震災当日の朝、順風満帆工場開業の祝賀を催す準備のさなか、田倉竜三の子供のころからのお目付け役である源じいが歌っていたのが冒頭の「コロッケの唄」だ。源じいは昼に発生した地震で亡くなってしまうので、源じいが幸せだった最後の瞬間だったといえる。その浮かれた雰囲気を、その時代の空気とともに、この歌はとてもよく演出している。

その後のドラマの展開は、田倉の本家である佐賀舞台うつし、橋田壽賀子お得意の嫁姑地獄が待っている。

おしんの味方になるはずの夫や舅はことごとくだらしなく、おしんに対する姑のいじめ現代では信じられないほど陰湿だ。

そのうえ男尊女卑がきつく、おしん物語佐賀時代が一番つらい。ここだけみると佐賀が嫌いになる。

2024-08-14

35歳の女の子

35歳になった。

自分で言うのもなんだけど、わりかし容姿に恵まれて生まれて来て、トントンMARCH卒のJTC一般職入社して、順風満帆人生を送ってた。この間までは。

学生時代ビッチwと揶揄して蔑んでた友達は三児の母に。

転勤w残業かわいそwと思ってた総合職入社の同期は出世イケメンの後輩と結婚

スペック問題ないけど、エスコートが物足りずこっぴどく振った男は、良きパパに。

Fランドンマイwブラック企業ドンマイwと馬鹿にしてた友人はバリバリ出世

婚活必死で惨めwと、思ってた友人は幸せ結婚をした。

その間私は、何してたのだろう。35歳彼氏なし、データ入力雑用しかスキルがない不機嫌なおばさんになってしまった。

会社から促された昇進試験総合職試験資格取得も無視し続けた。今は誰も促してくれない。

お盆もみんな忙しそうで遊んでくれない。父母は弟家族と出かけてしまった。私に声かけもせずに。

私も出世したいし、結婚したい。

けれど何をしたらいいかからない。

急に特別スキル発見されて、出世したいし、王子様が現れて幸せになりたい。

2024-08-11

anond:20240811193704

増田という映画を知っていますか?と言いたいところですが、このような映画はありませんね。

しかし、ちょっと別の映画に目を向けてみましょう。例えば「グラン・トリノ」という映画をご存知でしょうか?

クリント・イーストウッド監督・主演を務めるこの作品は、韓国戦争退役軍人で、妻に先立たれ、独り暮らしウォルト・コワルスキーという老人が主人公です。

ウォルトは、口が悪く、偏見に満ちた性格で、隣人との関係もうまくいっていません。

しかし、彼が隣人のモン族少年タオ・ローと出会い友情が生まれることで、彼の生き方は大きく変わります

彼はタオに生きる意味価値見出し、最終的には自らの命をかけて彼を守る決意をします。

増田ウォルト人生も決して順風満帆ではありませんでした。彼も孤独偏見に満ちた日々を過ごし、過去のさまざまな出来事に苦しんでいました。

しかし、人との出会い交流が彼を変え、人間らしい感情や新しい生き方を取り戻すことができたのです。

人生は厳しいものですが、何か新しいことに挑戦し、他人と関わることで、自分自身を少しずつ変えていくことができるかもしれません。

価値だと思っているその人生、もしかするとまだ見ぬ価値が隠れているのかもしれませんよ。

増田、どんなに孤独でも、どこかに手を差し伸べてくれる人や、あなたが手を差し伸べるべき人がいるのかもしれません。

同じ日々の繰り返しに見えても、新しい一日が必ず訪れます。そしてその一日はまた新たな可能性を秘めているのです。

どうか諦めず、少しずつでも前向きな一歩を踏み出してください。

さよならさよならさよなら

2024-08-02

すね毛が生えると嬉しそうにする彼氏

はじめて投稿するので、本当にオチもクソもまとまりもないと思う

彼氏がいる。

数年ほど付き合って、同棲もしてる。今までそんな喧嘩もせず破局危機もない、平凡なカップルだと思う。かと言って全てが順風満帆というわけでもなく、時々喧嘩とか荒んだ空気を味わったり仲直りしたり価値観をすり合わせる努力をしたり、基本的に穏やかに暮らしている。少なくとも付き合った時から今まで私は彼のことが大好きだ。

でも彼はなんか変だと思う。あれ様子がおかしいぞと思い始めたのは同棲してからだった。

いつものように一緒に横になってゴロゴロしてると、彼がそっとすねをさわさわ触り始めた。やべえ今日毛まみれだと思い「やめてよ今剃ってないよ」と嫌がると彼は「何で?剃らなくていいじゃん」とさらりと言った。気を使った感じは無かった。彼はそういう感じの繊細さはない。いつもあるがままで生きている。デリカシーあんまりない。

私は脱毛をしてない。一回くらい美容脱毛は行ってみたけど効果はよく分からなかったし面倒くささが買ったので止めた(後でそこの脱毛サロンは潰れてた)。脱毛するほど見た目に気を使ってるわけじゃないけど、露出するときは一応ちゃんと剃るか、くらいの美意識である。それまでデートの前は一応剃るようにしていた。

そんな奴が同棲すると、当然サボる。ていうか忘れる。そしてまんまと見つかり、ショリショリと撫でられた。うわっやらかしたと思い慌てて逃げた時、彼は「どうして!」と叫び絶望していた。こっちの台詞である

それから彼は私のすね毛をさりげなくチェックするようになった。

剃っているかではなく、生えていることを期待しているのである理解できなかった。女性無駄毛ってよくない、普通引くじゃんと思った。

「何でそんなにすね毛に執着するの」と聞いたら、彼は至極真面目な顔をして「夏休みってさ、朝顔の観察ってあったでしょ。日記つけたりするやつ。あれと同じで、芽吹いてきたら嬉しいじゃん」と答えた。感覚が違いすぎて何てコメントすればいいかからなかった。

更に「すね毛が生えていく様子をVlogとしてYouTubeに載せるのはどうか」と嬉々として提案してきてますます言葉を失った。とりあえず「どうやって生きてたら彼女にそんな血も涙もない提案ができるのか」と大真面目に説いたが、彼は「これは凄く良い話だと思う。これで立派なYouTuberや」と話が通じなかった。

彼が自分世界観で生きているのは今に始まったことではない。でもすね毛YouTuberって聞いたことない。

彼は今でも私が剃るのをサボったり忘れていたりすると心から嬉しそうにショリショリと撫でる。

私が恥ずかしくなって「やめてよね、もう剃るからね」と言ってツルツルになって戻ると「あっ…」とお気に入りぬいぐるみ洗濯されちゃった犬みてえな顔をする。でも私のすね毛はお前のものではない。

あと脇毛も好きだ。時々「よっこいしょ」と私の腕を上げて確認する。そして生えてると本当に嬉しそうな顔をする。カビゴンみてえな、満足感たっぷりのあのゆったりとした笑顔だ。ポケモン全然からないけど、コダックカビゴンには親近感が湧く。

彼が初めて付き合う人なので、一般的恋愛とか価値観があまりからない。これが変なのか普通なのか分からない。

彼が自分ふくめ人類みなちいかわだと主張するのも、なんかおかしいと思う。あなたも私もちいかわじゃない。

何も言わなくてもずっと家事回してくれるのも当たり前じゃない気がする。当然そうにしているが、見返りも求める様子もなく淡々も出来るのは素晴らしいことだ。

普段は私が調理を主に担当してるけど、疲れて「唐揚げ食いてえよ〜!」と叫んで寝てるとマジで唐揚げ作ってくれたのはたまげた。お世辞抜きに美味しくて嬉しくて「凄いね、美味しいね」とニコニコしてたら彼は「まぁ自分シェフなので…」とカビゴンスマイルを見せ、翌日も私の好きなものを作ってくれた。死ぬほど分かりやすい。

でも寿司が好きすぎて「週イチで握ってほしい、毎日でもいい」と本気で頼んでくるのは困る。中途半端ものは握りたくないから困る。最近減ったけど。

そしてすね毛である

理解できないけど、もうこれも愛なんだと思う。

まだまだ世間一般的NGとされる女性無駄毛をここまで寛容に、いやむしろ愛でてくれるのはありがたい。

ありがたいが、自分価値観と違うので未だにどうすればいいのか分からない。めちゃくちゃ有り難いし大好きだけど、いやでもなんかおかしい、これでいいのか、いやいいのでは…と意味のない反復横跳びを繰り返している。可能なら世の中の男性に、彼女無駄毛が愛おしい気持ちについて知りたい。理解して、そんなもんなんだねとちょっと納得したい。

本音を言うとあんまり無駄毛をショリショリするのは控えてほしい、やっぱりいたたまれなくなる。でもそれが彼なりの愛情なり普通ならもうしようがないか…となるべく思うように最近努力してる。

とりあえず彼氏のことはこれから大事にしようと思う。幸せにしたいし、存分に幸せになってやる。私もなんだかんだ彼の腹毛が好きだし、仕方ないから時々なら毛も好きにさせてやろうと思う。

がんばる。


追記

こんなにいっぱいコメントつくと思ってなかったので、びっくりしてます。ひとまず反応くださった方、ありがとうございます

ひとつひとつコメント返したい気持ちもあるんですが、あんまりはてなの使い方が分からないのとキリが無さそうなので、この追記簡単に返しますね。

大前提として、彼も私も大人びたところや子どもっぽいところもあるのでお互いさまになります。今回は私が一方的エピソードすね毛を公開しただけなので、彼視点だと私に対して困ったエピソード全然出ると思います。何が言いたいかというと、彼が特別めちゃくちゃ困った人ではなく、私もまた結構な我儘変人可能性もあるのであんまり鵜呑みにしないでねってことです。風呂上がりに「なんか服を着たくないなぁ」と思って全裸家事をするのは多分普通じゃないので…。おっさんが書いてると言われてもあんまり否めないなぁと思います。多分変わり者同士です。

そして、男性女性の毛を愛おしく思う気持ちがわりとメジャーだと知れて良かったです!ありがとうございます!なんか安心しました。皆さんそれぞれのエピソード意見も参考にしてみますね。はてな匿名ダイアリーありがとう

皆さんのおけけ生活にも幸あれ!

2024-07-30

私の狂った恋愛観。

あなたの「あなたの狂ってる」を知りたい。

もちろん墓まで持っていく決意や、ヤダで済ませてもらってもおk

話して楽になるのなら、で。

今ね、『恋愛行為』を維持するための「恋人役」としてではなく、

素直に好きって言えてるのが楽しくて嬉しい。

恋愛できない、

その制約があるから言える、飾ったりタイミング計らなくて良い素直な感想

小林様を語る熱っぽい声色も愛おしく心に痛い。

狙って引き出したわけじゃない笑顔が素直で可愛くて好き。

恋愛してるとさ、言えないタイミングとか考えちゃうじゃん?

そのせいやくがないから、一緒にいて癒されれる。

いっぱい助けられてるしね、ありがとう

歌を歌う楽しさを知った事

踊ってみたい気ももちが芽生えた事。

ハキリアリの可愛らしさを再確認できたのも、

25年前ファンだったユニットベースさんのLiveに行き当時の感想を伝えられた事(Vo.自死解散)。

コロナ明け昼夜逆転当たり前な現場で、たまたま聞いた名古屋自称地下アイドルの復活ライブに行けた事

バラが好きだと再確認出来た事。

なにによりも、忙しいなか走って駆け寄って所場所わず

こんな私を「可愛い」って損得ない感情で初めて褒めてくれた事。

互いにロリータ服着て、楽しくおしゃべりして原宿歩いて、

可愛いお店覗くたびに真面目に悩んで可愛い笑顔も魅せてくれて、

私の叶いっこないっておもっていた夢を叶えてくれた事も。

バラ園へも…たのしかったな、横浜から飛ばして向かった池袋

疲れていたのにキラキラした目で可愛い服眺めてる姿も、

しかった鞄、見るめも、可愛かった。お揃いっていうワガママも黙認してもらっちゃったし。

お嬢様には、感謝しかありません。

あ!ラブライブにハマったのと、BiS熱再発も感謝。すぱすた2期のAmazon特典は逃しました。

では、本題。

私の狂気を書いてみる。あなた狂気を知りたい。その対価になりえるの?

しろ不快な文じゃない?まぁでも、こんな事、書くこと最後かもだし、

死にたいけれど死にたくないを紛らわせる為にも、書いてみる。

「人の言いなりと恋愛行為依存

読む読まない信じる信じないはあなた次第で。時系列は、かなり曖昧

もちろん脚色するくらいのプライドは多めにみてほしいし、

書けない書きたくない事も、ある。

私もそれなりに生きてきて、恋愛行為は人並み未満だけど経験してきたつもり。

でもちゃんと好きになって恋愛したのは多分1回。

幼馴染が好きすぎて大学進学時に告白、「私軽いよ。それでもいいなら遊びでなら」と交際開始。

「ねぇ重い。そんなに私の事好きなら、私の親友と付き合って幸せにしてあげてよ、大好きな私の命令だよ命令

幼馴染グループの下っ端パシリのA子と数回会いAの好きそうなシュチュ探って告白

大型輸送機爆撃機エンジンプロペラ音でかき消されながらの告白、若かったね。

交際開始。

自己肯定感低めに感じたので、私の得意分野のワークショップボラへ誘ったり、

好きでもない流行りの服きてつまらなそうだったから、好きそうな服装押し付け自己肯定感上げて、

バイト先にバイトで入ってでサポートしてバイトリーダーに推したり、接客や人を使う素質あったんだろうね。

私達さ氷河期時代だったから、お互い他大だったけど、就活不安なのみてOB懇親会にこっそり連れ出したり、

そこでキーエンス?アズビル?3年目の先輩(堅物、親族コネ入社安泰)BがAに気がある事に気がつく。

AはAで業界雰囲気は私には向かないと愚痴をこぼすように。Bも交えて飯食う中で会社雰囲気聞いたり距離を詰めてみたり。

ゼミとかサークル上手くいってたじゃん、就活指導じゃなくてそっちに相談してみたらと母校の就活指導室まで付き合って、教授教育お話させて、Aは見事母校でチューターポジ正規採用

からの「お兄さんにしか見えない、Bに交際申し込まれてる、真面目に付き合いたいごめんなさい」って。

幼馴染には「は?キスしかしてない?1回2年で?就活の手伝いに婚活が忙しかった?馬鹿じゃ無い。私も就活で詰まってるのに」と叱られる。(でも褒められたと勘違い二股とか好きそうに見える?だってさ、いやいや立派に幸せしましたよお姫様!)

その後幼馴染は、親の脛齧り潰してでも、学力届かないなら専門でもと、私が背中を蹴った結果再進学 製薬会社MR学生結婚

Aと幼馴染は10年前までは幸せな家庭を築いてたよ、給湯器選択とか、犬の飼い方とか、

たまに話をしたり。mixi終焉と共にどちらとも疎遠に。

その後の私?2留してたわたし学祭光画部展示日中OBにそんなの作品じゃないっって破かれたり、

他のサークル合宿で仲良くしてた先輩に襲われて挙句誘ったのはお前だと村八分

ノイローゼ中退。ま、単位も取れてなかったし。

そのあとは、積極的他人を好きになる事はなくて、でも恋愛行為は楽しくて。

対象者との恋愛活動が楽しそうであれば、基本告白誘われる形で恋愛はしてきた。

しかったよ。梨屋のひねた次男に俺との夢を抱かせて、行くつもりなかった大学行かせて、

大学デビューと共に変な女に引っかかって破局して、幸せになれよって別れたり、

二股三股あたりまえなイケメンに溺れてるボロボロな今でいうサークルの姫の愚痴ぎきして、

最終的にイケメンだか売春先でコンジローマ感染して、捨てられて泣きついてきて。

死ぬだなんだ騒ぐから、逆性石鹸と手持ちの抗生物質のん風呂場で手を切ってるのを圧迫止血で応急措置してそのままあんな男捨てて俺を選べって抱いて。怖かったねー感染

治療費もだして適当理由相手の親に説明して入院期間誤魔化して。

社会人枠で看護学校ふたりで受けておちたり、私だけ介福落ちたり順風満帆

の子としてたボランティアサークル日和スタッフが、家族亡くなったとかで、

俺の稼業頼ってきて、一家総出で買取片付け。財産分与とかで弁護士まで紹介してやったのに、

サークル内で『安く買い叩かれた」と陰口三昧。親戚のおばちゃんもっと高く売れたって騒いだんだって。なんか一気にばらばらになって、不妊治療もうまく行かず、彼女大阪転勤が決まり

自然消滅治療費も妹の院費も帰ってこなかったな、そういや。

あと其の頃から性感染症検査は定期的に受けてる。まぁここ5年以上そーいうことしてないし、定期的には無くなりそう。

はま寿司で口走った件は、バイトから正社になった時の先輩に酔った口で、

過去話したら変に同情され流された。相性は悪くて付き合おうの言葉曖昧に誤魔化してた、

切ったつもりでいた。

そんななか、書類ミス多い俺へ、手直しの穴埋めしろと事務方に呑みに誘われれて、

終電逃して実家だけど呑まないと誘われて、だらだらと何回か実家呑みして、

実家継がなきゃいけないんだけど、うまく行かなくてねーなんて話を否定してたら、

気がついたらデートしてた、楽しかった。である日、長期出張だか休暇取ってた先輩が、

ふたりで居た部屋に来たんだよね。嘘かホントか知らないけど、離婚届は書いたけど、先輩が出してなかったんだってさ。

「なに俺の男に手出してんだ、あてつけか」「おまえの趣味は悪い合わないて散々なじるくせに男の趣味は同じじゃない」

修羅場、楽しかった。でも変な具合に会社漏れて退社。仕事しかったんだけどな。

恋愛をたのしむんじゃなくて、恋愛という行為を楽しむ感じ、無責任よね。

20240729ー20240730

キノコ帝国ヘビロテしながら、最後の曲が金木犀の夜はずるいと思う朝。

2024-06-28

anond:20240628120023

いじめ認識がないと思われる。ちょっとしたイジりとか

女にも自分いじめてきた陽キャ一軍美少女大人になって結婚して家たてて順風満帆とかある

欲がある弱者女性もいると思う

https://anond.hatelabo.jp/20240625135549

自称弱者男性の一番キツイとこって、欲があるとこじゃん? 性欲とか自己顕示欲とか物欲とかさ。貧乏かつ欲があると一番大変だと思う。

国際ロマンス詐欺に騙されている女性いるから、欲がある高齢弱者女性もいるんじゃないかな。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/feature/2024/03/22/38517.html

https://www.secom.co.jp/anshinnavi/net_security/backnumber400.html

NHK記事男性女性なりすまし男性から金を詐取しているケースだったけど、「日本でも被害額は去年1年間で177億円を超えた」とある

https://www.youtube.com/watch?v=AruFY70nLB0

ロマンス詐欺被害者は『40代女性が最多』兵庫県警が発表…全体の3割以上に 次に多かったのは『60代の男性』(2024年5月1日

スマホフェイビデオ通話ができるようになる前のガラケーメール時代から

嵐の松潤から間違いメールが送られてきて出会い系サイト誘導されて金をだまし取られる女性、みたいなもの存在したんだよね。

成功体験がなくてうらぶれた腐った感じの女性というよりは、割と自信があって若いころの成功体験があり楽観的な女性が騙されているという印象がある。

(あと軽度知的障害グレーゾーン可能性もあるのかも。普通に考えて嵐の松潤が間違いメールきっかけで一般女性に悩み相談をするわけがない)

さらにこれからは生成AI進歩で、詐欺師が一人一人の被害者に接客する必要性すらなくなり、全自動で金をだまし取られるケースも増えてくるのでは?

 

から女性は」欲が少ないから騙される危険が少なくて安心、みたいな考え方はどうかと思うんだよね。

あと傾向として感じるのは、騙される女性経済的に詰んでいく女性恋愛経験が意外と豊富な人、バツイチ等が多いということ…。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/jiken_kisha/kishanote/kishanote15/

去年11月都内バス停路上生活者の60代の女性が男に突然殴られ、死亡した事件

大林さんはその後、27歳で結婚し、夫とともに上京。健二さんにとっては、順風満帆人生を送っているかのように見えた。

しかし、結婚してまもなく、先に上京していた健二さんに「自宅に泊めてほしい」という連絡が来る。夫から暴力を受けたと説明していたという。

5日間ほど寝泊まりした後、大林さんはそのまま広島実家へ帰り、翌年離婚

わずか1年余りの結婚生活だった。

この方の場合も、婚姻歴のある美女だった。

若いころの写真掲載されているけど、「アナウンサーを目指していて、結婚式場で3年ほど司会を務めていた」とあるのも納得する華やかさがある。

男性女性では人生がどういう風に行き詰っていくのかにかなり性差がある気がする。

弱者男性話題では小学生の頃から女子排除されていて、一生を通じて一度も良い思いをしたことがない、みたいな層が呪い言葉を吐いているけど、

女性場合はそこそこの成功体験があって、そこから離婚シングルマザー化によって経済的に転落というケースが多いように思う。

時間一夫多妻」の概念がすでにあるけど、そこには歳をとってから夫に捨てられる元妻の存在がある。

結婚出来れば、子供が生まれればゴールというわけじゃないんだよなぁ。

そのあたり、弱者男性は本当に認識が薄いなと思うけど、人生経験が浅いから仕方ないよね。

今後も「夫に捨てられたとはいえ、一度は結婚できただろ」と貧困高齢女性を叩き続けそう。

 

要するに女性場合は、若い頃でもあまり容姿で得した成功体験がなく、地味に暮らしてきて「セルフ去勢」みたいな姿勢で生きてる人が割とうまくいきそう。

逆に若い頃に容姿で得した成功体験があって、加齢した自分を受容できずに夢見がちな少女性を残していて、

未診断なだけで思考力がグレーゾーンな方が、イケメンへの夢を残したまま高齢になっているだけに危ない気がする。

セクハラをするオジサンも、成功体験ゼロセルフ去勢してる男性ではなく、若い頃は「イケメン無罪」で許されてきた人が加齢でアウトになったケースが多いような…過去成功体験にしがみついている自信家)

ホストにハマる10代の女の子たちが「イケメンにメンケアされるために生きてる」みたいなことを言い、そのために立ちんぼで稼いで貢いでいるわけだけど、

イケメンにメンケアされるために生きてる」が高齢者になっても残ってる感じの女性が居ないこともなくて、そのパターンがかなり厳しい。

今の40代50代の女性って、女性主体的な性欲を抑圧されてきた人も多い世代だと思うんだけど、今の1020代女性推し活全盛期というか、女性イケメンを求めるのは当たり前という時代に生きてる。

抑圧が良いとまでは言わないけど、資本主義ドライブされて「イケメンをどんどん求めろ!」という社会背景で育って、これが中年女性になったとして、まともに適応できるんだろうか。

現在40代50代の弱者男性のような悲惨な結末(欲深くて、自分スペックが見合わず、ずっとキレている)になるんじゃないかって気が勝手にしています粛々とは生きられないんじゃないか

2024-06-22

27才、男性高卒アルバイトシナリオライターをやっている。

彼女いない歴=年齢、メンクリに通っていて、ADHD借金もある。いわゆるチー牛顔で、趣味カードゲーマーだ。

まだ若い、と言われるくらいの歳だろう。

同時に若者からすれば、もうアラサーおっさんに片足突っ込んでるくらいの歳でもある。

ここから先、人生はいくらでも変えられるし、変わっていくだろう……と、言われるだろう。

その上で。自分人生が、このまま緩やかに閉ざされていくことを、確信して、耐えられなくなって、壊れてしまいそうだった。

自分語りの前半は割愛しようと思う。

父親虐待を受け、一度母は離婚した。1才下の妹とは生き別れた。再婚し、そこそこ大きい家に連れ子として入った。

なにせ形式上長男の息子、長男長男ものから、そこそこ可愛がられた。感謝している。

9才と10才違う、種違い可愛い弟と妹が出来た。今でも本当に可愛い

順風満帆ではないが、極端に悪い育ち方はしていなかったと思う。問題は、その後の話だった。

元々大学に行こうと思っていたのだが、あまりにも学力が酷いもので、自分から諦めて高卒自動車工場就職した。

田舎住みで、同級生殆どが同じ選択をしていたし、それでそこそこ田舎者としては裕福で安定した生活を送れるものから自分もそれでいいやと思っていた。

とにかく、高卒工場に入れば安定。それがお決まり定番ルートだった。

だが、甘かった。一言で言えば、そのルート自分は乗れなかった。

まずは新人研修があった。毎日朝の8時から17時までの研修特に何の変哲があるでもなかった。

これに耐えられないというわけではなかった。実際に作業をするというわけでもなかったし、研修中の相手を詰めるような社員もいなかった。

ただ、高校卒業してすぐのことだから、少し長いなと思ったこと。それから学生時代にも悩まされていた、突然の眠気。

これがずっと治らなかった。まあ、それも現場に出て体を動かすようになれば……と、深くは考えていなかった。

現場作業には全くと言っていいほどついていけなかった。

自動車工場単純作業は、自分にとって全くと言っていいほど単純作業ではなかった。

いくつかの工場ラインを同時に監視し、製造数を確認し続ける。

規定の数まで部品が溜まったら、その中からいくつかを検査する。

検査合格したら、次のラインまで持っていき、不合格なら工作機械の刃を替える。

その他エラー問題が起きたら、ボタンを押して機械担当者確認をしてもらう。

使った工具は元の場所に戻しておく――――こんな単純なことが、自分には出来なかった。

それでも、3ヶ月ほどは続けていただろうか。度重なるミスも、新人からある程度は多めに見られていた中で。

とある日に、機械の刃を替えるために使った工具を戻し忘れて機械の傍に置いていた。

それが原因で班長に呼び出され、怒鳴りつけられた……自分は、大声で「すみませんでした!」と叫び、頭を下げたのを覚えている。

次の日、下手くそな字と何も整っていない紙面で辞表を提出した。

スマホの電源を断ち、実家住みだったが、家にも帰らず、車に乗ったまま、ゲームセンター駐車場で寝泊まりしていた。

それを1ヶ月ほど続けてから理由は忘れたが、実家に戻った。

しばらくは呆然としていたが、数週間ほどでバイトを初めて、すぐに警備会社就職した。

警備会社での仕事工場施設警備……夜の間、基本はひたすらぼーっと監視を続ける仕事だ。基本は、それだ。

自分には複雑過ぎた。

まず、鍵の管理があった。やってきた工場社員に鍵を渡し、受け取り、記録をつける。これはまだいい。

問題巡回の際に、自分が鍵を持ち出したとき。これを戻し忘れることが、何度も何度もあった。

鍵の閉め忘れもあった。何度もあった。日報の書き忘れもあった。何度もあった。

別にやる気がなかった、とかそういうことじゃない。出来ないのだ。どれだけ確認しても、どれだけメモをとっても。

何かが必ず抜け落ちていて、そのせいで誰かが苦情を受け、叱られる。

ミスをしても若い新人だった自分は、いつの間にか使えないトラブルメーカーとして、嫌われていく。

首を吊ろうとして、巡回中に飛び降りようとして、失敗した。死ぬ勇気すら無いんだと絶望した。

怒られているときに、ボロボロと泣き出してしまった。そこが限界だった。

研修を終えて、正社員になり、1週間も経たないくらいで、辞めた。

数ヶ月間、ニートをしていた。

家族には当然疎まれていたから、できる限り行動の時間が被らないように生きた。

自分の分の料理は用意されていない(当たり前だ)ものから、夜中に弟や妹が残したものを食っていた。

食事の回数を抑えるために、食事は2日に1回だったし、昼間は腹が減るので寝ていた。

それでも、働いている間よりは楽だった。働かなくてもいい、というのは、金が無いことよりも遥かに楽だった。

から追い出されて、神社で寝ていたこともある。それでも、働くよりはマシだった。

小学校時代からの友人である不良に、アルバイトを紹介された。

ヤンキーだがちゃんと働いて稼いでいるらしく、高校の時には毎日遊びに来て、ニートときも時折連れ出されていた。

正直アルバイトなんてやりたくなかったが、押しが強い店長と友人に負けて、渋々居酒屋厨房仕事を始めた。

これが意外とどうにかなって、元々料理は好きだったからか、それなりに出来るようになり、1年ほどは続いた。そして店が潰れた。

その時にもらったジョッキは今でも実家で使ってる。便利よね、大きいと。

ここまで書いてそこそこ出来た体験があっちゃだめだろ……と思って書く気無くした。

潰れてから足場屋と溶接屋を1年やった後泣かされて辞めたかアルバイトシナリオライター4年やってる。月収11万。

あとそのヤンキーに騙されて100万借金負った。残りあと30万くらいあるよ。ちなそいつ強盗致傷で9年実刑

自分がどれだけ情けなくてゴミみたいな人生かということを書こうかと思ったけどなんかどうでもよくなっちゃった

ぎっしり満足!チョコミント食べよ~っと。

追記:ぎっしり満足!チョコミントじゃなくてセルフチョコレートクラッシュチョコミントでした。

2024-06-18

アファーマティブアクション主張する女性研究者

アファーマティブアクション主張する女性研究者の経歴見ると、都内出身で、私立の中高をご卒業後、大学博士過程まで進まれたのち、結婚してお子様も設けながら、若くして教授になると言う傍目からすると順風満帆アカデミックキャリアお進みになっていた。

地方公立高校出身で働きながら博士を取って、なんとかアカデミアで食い繋いでいる男性研究者である自分からすると、女性アカデミックポスト作るなら、地方出身勤労学生ポストも作ってくれよと思った。

個人的には昨今進むアカデミア理工系でのアファーマティブアクションには面従腹背の態度なんだけど、それくらいは許していただきたい。

2024-06-12

旦那趣味のために限界集落引っ越したけど毎日しにたい

旦那趣味のために限界集落引っ越した。私は仕事を続けたかたか都内に残ったが、旦那と一緒に住みたかたこともあり後追いで旦那の住むクソクソクソ田舎引っ越した。(旦那にも私にも縁もゆかりもない土地

ゆうて働かなくて住むし、何かあればネットショッピングできるしwifiは繋がるし、何より旦那と住めるしなんとかなるかと持ったけど、本当に後悔している。なぜこんな田舎に来てしまったのだろうか。

この衝撃的な出来事によって私は旦那のへの恨みが心の奥底に常にある状態になってしまった。そしてそれは、突発的に溢れ出て止まらなくなる。

元々私の両親も旦那の両親も仲が悪かったので、私は絶対相思相愛の愛に溢れる家庭を持ちたいと思っていた。夫もそれに賛同していた。妻が夫の悪口子供に言うような、そんな家庭には絶対にしたくない。そう思っていたけど、無理かもしれない。まだ子はいないけど、いずれそれになりそうで怖い。実際夫への恨みつらみを某Xで言いまくってる。付き合ってる期間も含め6年くらい一緒にいるけど、私は配偶者愚痴SNS暴露する人たちを正直軽蔑していた。でも私がそれになってしまった。基本的に不満があればお互いに話し合うようにしてたけど、この感情はどうにもできない。何をされても裏切られたと言う恨みは無くならない。田舎に住む苦しさもあるが、旦那には裏切られたと言う恨みが死ぬほど湧いてくる。

では、この田舎移住けが恨みの原因かというとそうではない。旦那がこのある趣味に目覚めてからの様々な愚行を書いていく。

1.趣味に集中したいという理由で、離婚を切り出された

これが本当に本当に最悪で気持ち悪いし、最も私と旦那の間に溝を生んだ出来事だと思う。これを言われたのは、すでに旦那のみ移住して数ヶ月たった頃だったと思う。私は元々精神不安定旦那にほぼ依存してたから、離れて暮らすことが本当に辛かった。いつも私に可愛いとか愛してるとか言ってたくせに、自分がやりたいこと見つけた瞬間私のお世話は嫌ってか。だから鬼電しまくったり、暴食したり、泣いて旦那に帰ってこいと言った。そして、痺れをきらした旦那に、これ以上俺の邪魔するなら離婚すると言われた。なんと、私は彼の人生邪魔者になっていたのだ。びっくりした。付き合っていた時、私が泣いて電話するととんできてくれていたのに。のちに、あの時の俺はおかしかったごめんねとか言われたけど、一度そう言われたからもう辛い。普通に思い出すだけで悲しくなる。お前の中で、私<<<趣味なんだね。

2.私の仕事がうまくいってない時だった

当時、私の大好きだった職場の先輩の退職部署移動&パワハラで有名なモンスター社員(私は会ったことない)が産休からの復帰という最悪な状況に陥っていた。本当に最悪だった。でもまだ1年くらいしか勤めていなかったので、流石にやめるわけにはいかないということで会社残留を決意。だが、旦那は構わず引っ越して行った。ま、自分はいいとこに就職できて順風満帆だったもんね〜。

3.自分のみ成功し、とっとと引越し

私たちは、結婚と同時に上京した。旦那転職しようとしたが仕事が見つからずに日雇い仕事をしていたが、バックれたり追い出されたりしてた。私は旦那と付き合っている時から家庭環境からくるパーソナリティ障害とかでメンタル不安定だったこともあり普通に鬱になったし、働けなかった。この時まではっきりと知らなかったけど、2人とも社不すぎた。金がなかった。このままじゃやばいとなり、旦那も私もそれぞれ別の社会人スクールに通い、旦那もクソみたいな仕事を頑張ってくれて、私もバイトできるようになってそのおかげで経済的に少し持ち直しつつあった。(経済的に余裕ないと本当精神病むね)旦那スクール卒業後、なんやかんやあって運よく高収入企業就職した。私も少し遅れて就職できた。今までお金なくてほんと惨めだったよね、こんなくそ狭い1Kは捨ててこれからもっと広い部屋に引っ越して、可愛い家具とかかって旅行とかもしたいなとか思ってたけど、旦那は1人で引っ越した。クソど田舎にね。一緒に頑張ってきたと思ってたのはどうやら私だけだったということがわかった。

4.「なんで30歳までに子どもを産むことにこだわるの?俺の周りは30歳以上で産んでる人結構いるよ」というクソ雑魚弱モラ発言

私がくそ田舎引っ越してすぐに、ここでは子供を産めないと言った時の発言。これは本当に腹が立つ。じゃ、お前が産めば?女に生まれ出産リアルにあるからこそ、女は自然にそれ関連の知識がついていくと思う。SNSサジェストとか、子供がいる人の言葉とかなんかそういうのが自分ごとになっていると思う。(最近ミキティと横澤なっちゃん番組の切り抜き死ぬほど見てる)若い時に産めるなら、若い時に産みたいだろうが。もちろん、世の中の30歳以降に出産している人に対しての非難はしていない。ただ、旦那より子育ての知識も少しはある、当事者である妻がこの時期までに産みたいと言っているのを、なぜお前が否定する?それくらい私の好きにさせてくれよ。あと普段から俺は普通じゃないからとか、周りと違うとか言ってるくせに、こういう時だけ自分の周りは言い出すのきついて。ついでに、家族も親戚も友達もいないこの辺境の地で子育てしたいとかほざいてたから本当に草。無理だろ、普通に

5.「俺はどこにもいかいから俺にだけ依存すればいいよ」という大嘘つき発言

ただの嘘つき。私が依存体質なのを知っていてのこの発言シンプルに私を置いてとっとと引っ越しやがった。あー、これよくあるフリだった?笑気づかなくてごめんね。

6.「俺がいつこっちにきて欲しいって言った?」発言

そうだね、言ってないね。私が勝手に一緒に暮らしたくて、勝手についてきたよね。はいはいすみませんね。勝手に越してきて病んで文句言ってすみませんでしたね。ま、お前と私、結婚しているんだけど、忘れてないか???

7.田舎メリットを感じさせる気がない

田舎生活コストがかからないとはよく言ったものである。正直私は金の管理をしていないからよくわからない。ただ、豪雪地帯だったので、冬の灯油代、電気代は流石に高すぎて引いた。どこにいくにも車で往復2時間はかかるからガソリン代もバカにならないしね。移住補助金申請もいまだにしてないやつあるし、お前、やる気ある?笑

旦那は私のために働いてくれるし、私がこのど田舎でなるべく生活やすいように色々なことをしてくれている。今までも色々なたくさんのことをしてくれたし、愛してくれている。

でもやっぱり許せない。私としては、このクソど田舎が早く山火事か何かで消滅することを祈る。全員嫌いだし、旦那が変わらないなら、旦那

をこんなふうにした原因を潰すしかない。

旦那への恨みを書いたけど、普通に田舎も嫌いだからね。

2024-05-27

同棲することを実父に言えない

27歳。マチアプで付き合った男性と8ヶ月になる。

先日、同棲しないか提案された。彼には気が早いところがあり、親族結婚式に参加した際には交際1ヶ月の時点で「ウェディングドレス着せたいなと思った♡」と言うし、同棲だって本当は3ヶ月目の頃から打診されていた。身近な誰かに影響されたことはわかっていたので、あまり間に受けずにいたのだが、内心気持ちが着いていかず戸惑っていた。私は母と死別しているからか、明るい未来なんて考えたことないし、どうなりたいとかもない。どうせ何があったって人は死ぬ。25歳を過ぎた頃、逃避先だったアイドルに傾倒できなくなってしま継続的努力もできない趣味目標もないいっそ早く死にたいと思っていた。30までに死ぬなら最後に後悔しないようにいっちょ恋愛しとくか〜という勝手理由アプリ登録して、たまたま話が合いそうな彼と3回会ったら告白された。彼が私のなにをそんなに好きなのかもよくわからなかった。でも、すぐに死にたいと思わなくなった。今までだったら深夜に1時間ひとりで散歩することもあったけど、それもやめた。というか、できなくなった。今死んだらもったいないなと思うようになったからだ。それどころか、いつまでに彼とどうなりたいとかも考えるようになった。たまたま知り合った彼は、私の生きる理由になったのだ。その彼は、決して順風満帆に生きているわけではないのに死にたいと考えることがないと言う。驚いた。あろうことか、「天寿を全うしよう」などと言ってくる。そこで初めて、人はみんな死にたがっているわけではないと気づく。衝撃だった。それどころか、私が考えたことのない、私との明るい未来の話をしてくるのだ。怖くて仕方ない。母親が死んだって明るくうまく生きていく人間はいくらでもいるが、私にはダメだった。自分努力不足や運のなさで成功体験がないことを全て母の死のせいにしているのかもしれない。わからないけど、とにかく彼が少しだけ語った明るい未来が怖くて仕方なくて、1週間くらい泣き続けた。私が結婚まさか。翌週も似たようなことを言うので、怖いから軽々しく言わないでくれと伝えた。すると、「幸せになっていいんだよ」と言って抱きしめてくれた。そんなことを言ってくれても、彼の好意を信じられずに「どうせそのうち好きじゃなくなるんでしょ」と2ヶ月くらい言い続けた。たまに「どう反応して欲しいわけ?」と言われることもあったが概ね優しく対応してくれたと思う。彼が独りよがりな発想をしているときは都度伝え、そこから数ヶ月。改めて同棲の打診があった。彼が住む家の更新11月にあることは意識していたので、私もそのつもりだった。だが、そうなると父にも祖母にも言わなければいけない。80間近の祖母病院地域活動ゴルフに大忙しだが、最近物忘れも増えてきた。父もライブプロレス野球趣味の多い人間であるとはいえ、彼や彼女がこれからもそうだとは限らない。私は、家から人が一人いなくなる寂しさを知っている。父や祖母が、家から人が一人いなくなり悲しむ姿を間近で見てきている。どういう行動をとるのかもなんとなく想像がつく。父は目を潤ませて私の名前を呟くこともあるだろうし、「早いなぁ」と成長や時の流れに思いを馳せるだろう。自分の妻との出会いを思い返すかもしれない。昔こそ交友関係が広かったが、現在は定期的に飲みにいくようなコミュニティには所属していない。祖母だって悲しみこそしないだろうけど、ちょっと出張に行くだけでも「会えなくて寂しいじゃない」という。父と祖母はあまり仲良くないので、会話量が減ってしまボケてしまわないか心配だ。そんなことは自分自身がどうにかすることであり、知ったことではないと思うこともある。実際、兄が単身赴任で家を空けたって寂しくもなんともなかった。もしかしたら彼らにとって私もそういう存在かもしれない。でも、どうしたって想像してしまうのだ。私がいなくなったあの家を。一つの終わりを。今生の別れじゃない。新居だってから1時間半までの距離で探すつもりだ。いつだって帰れる。27まで実家にいたのだ。十分世話してもらっただろう。タイミングを流して家を出られず後悔しても、彼らは責任をとってくれない。自分決断をせねばならない。そもそも人を気遣うふりして、私が住みなれた地元実家を離れるのが寂しいだけかもしれない。でも、寂しがるふたり想像しては、今も電車で泣いている。言えない。すごく困っている。

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