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はてなキーワード: ノアだけはガチとは

2024-11-03

日本プロレス史上最も重要試合10選【追記あり

試合の内容の是非というよりは、後世に残した影響の強さを重視して選出しました。

力道山vs木村政彦 1954年12月22日 蔵前国技館

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』でもお馴染みだが「プロレスとは何か」を深淵の底に落とした試合である。この試合真実に関しては諸説あるが、ともかく力道山木村シュートで潰したことは単純に眼前の事実である。「プロレスとは八百長ではなかったのか?」日本プロレス史における「プロレスとは何か」という問いへの解答がこの一戦で全て分からなくなってしまい、今もその謎が解けたとは言い難い。また、当時のプロレス界は柔道出身が多かったものの、木村がこのような形で潰されたため、もし木村が勝っていたら今のプロレス界は柔道系譜もっと強くなってまるで違う別物に変わっていた可能性が高い。当時の日本の強さの象徴といえば柔道であり、その柔道プロレスが上回ったのだから当時の衝撃たるや、である。少なくとも逆水平チョップという技がこれほどスタンダードな技として使われる(アメリカなどはナックルが主流)のは間違いなく力道山の影響だろう。

アントニオ猪木vsモハメド・アリ 1976年6月26日 日本武道館

わずとしれた世紀の凡戦であるが「猪木・アリ状態」が発生しただけでこの試合人類史に残す価値のある試合である。この辺はあらかた語り尽くされているので多くは書かない。また、試合を実現させる猪木マジックとも呼ぶべき「巻き込み力」はエネルギッシュだった昭和の世相を反映していると言えよう。

タイガーマスクvsダイナマイトキッド 1981年4月23日 蔵前国技館

初代のタイガーマスクデビューした試合で、今見ても全く色褪せない。漫画キャラクターが実現するメディアミックスという手法も新しかったが、マスクを被った佐山の才能は20年ほど時代を先取りしていた。四次元殺法とも評されたその戦いぶりは軽量級レスラーに偉大な影響を残した。

ジャイアント馬場vsスタン・ハンセン 1982年2月4日 東京体育館

選手としてはピークを過ぎて会社内での立場も危うくなってきた馬場が、自身レスラー生命の生き残りを懸けて行われた一戦。ハンセンはこの当時、選手として全盛期であったため馬場は殺されてしまうのではとさえ言われていたが、試合開始直後に放った16文キッククリーンヒットし、会場の空気が一気に馬場一色となった。この試合引き分けという不透明決着に終わるも、馬場はその人気再沸騰で会社内でのイニシアチブを取り戻すこととなる。レスラーリング上でこそ輝きを取り戻すという、レスラーの原点を示した一戦。個人的には倒れているハンセンの左腕をガッツリ踏み潰すキラー馬場が滲み出た瞬間が一番アツい。

アントニオ猪木vsマサ斎藤 1987年10月4日 巌流島

公私ともに何もかも上手くいかず、自暴自棄になっていた時期の猪木が行った一戦(元々の発案者は藤波であったとも言われているが、なぜか猪木がやることに)。猪木巌流島に立てられたリング上で時間制限、ノールールレフェリー無し、無観客試合という前代未聞の試合に付き合えるのはマサ斎藤くらいしかいなかった。後年、この試合を振り返るマサ斎藤インタビューがあるのでこちらも読んで欲しい(https://number.bunshun.jp/articles/-/842688)。試合は2時間を過ぎたところでマサ斎藤裸絞めで失神し、猪木勝利した。観客を排して一切のしがらみを捨て、レスラー純粋に二人のためだけに試合をしたらどうなるのか、という後年でも見られない極めて前衛的な試合になったと言える。

武藤敬司vs高田延彦 1995年10月9日 東京ドーム

プロレスを守るためにプロレスをした武藤と、プロレスを強くするためにシューティングをした高田一騎打ち新日本UWFインターの対抗戦として行われたこ興行のメインイベントは、新日本4勝、UWFインター3勝で迎えられた。高田としてはこの試合に勝てば4勝4敗で終われるが、この試合武藤の保持するIWGP王座がかかっていたため、4勝4敗でもベルトが動いた分UWFの方が上を取れるという状況であった。お互いのスタイルをお互いが貫き合い、武藤の持つドラゴンスクリューという極めてプロレス的な技が、高田の多用するキックへのカウンターとして機能することが勝敗を分けた。最後も足4の字固めというプロレス代表する固め技で武藤ギブアップを奪った。戦いのスタイルが全く違っても、そのスタイルを両者がいかに主張できるかで試合面白くなる、ということを示した貴重な一戦。

橋本真也vs小川直也 2000年4月7日 東京ドーム

橋本の1勝3敗で背水の陣を敷くべく「負けたら即引退」を掲げて小川へのリベンジを臨んだ一戦。この二人のシングルマッチで一番面白いのはやはりこの5戦目である橋本ジャンピングエルボーを炸裂させて小川の肩を脱臼させるも、その後の三角絞めで腕を取った際に外れた肩を偶然嵌めてしまうという珍事も小川に味方し、最終的には小川がSTOの連発で橋本をKOした。完敗した橋本は本当に引退するも、折り鶴兄弟(詳細は省略)の助力もあり復帰。最終的には小川とタッグチームを組み、親友となった。戦いの末に友情が生まれるというジャンプ漫画でありそうな展開は現実でも起こるという、プロレスフェイク無しを魅せつけた一戦。

長州力vs大仁田厚 2000年7月30日 横浜アリーナ

既に引退していた長州をなぜか大仁田ストーキングとも言える言動を繰り返すことで呼び戻すことに結果的成功し、大仁田お家芸である電流爆破デスマッチが実現した。プロレスは「ネバー・セイ・ネバー」(絶対に無いということは絶対に無い)という矛盾を孕んだ言葉まやかし大仁田の執念が証明してみせた一戦。試合長州勝利。なお、この大仁田長州へしつこく対戦を要求する様子は当時のプロレス番組で放映されており、それをレポートする真鍋アナウンサーとのやり取りも「大仁田劇場」として注目された。最初大仁田から理不尽な扱いに「サラリーマンって大変だなぁ」とファンに同情されていたほどだったが、最終的に真鍋大仁田へ「電流爆破、見たいです!」と直言するまで成長し、この試合の実況も大仁田に傾倒する内容で行った。

渕正信vs蝶野正洋 2000年9月2日 日本武道館

2000年はプロレス界激動の年だった。6月全日本プロレスから選手クーデター同然に大量離脱し、残った選手川田利明渕正信の2名だけとなった。全日本はなんとかして起死回生を図らなければならず、鎖国状態にあった同じ老舗団体である新日本プロレスとの交流に活路を見出した。8月11日、渕がスーツ姿で新日本リングへ上がり「(鎖国状態にあった)壁をぶち破りに来ました」と話し、新日本現場監督である長州力と固い握手を交わしたところへ抗議しに現れたのが蝶野だった。乱闘しかけようと興奮する蝶野だったが、渕は冷静に受け流し、蝶野が落とした帽子を「蝶野忘れ物だ!」と帰ろうとする蝶野へ投げつけるシーンが完全にプロレスファンの心を掴んだ。これを受けて行われたのが全日本リングでの二人のシングルマッチである。結果は蝶野勝利であったが、全盛期をとうに過ぎた渕が堂々とした態度とマイク第一線を張ったおかげで全日本は辛うじて生き残ることができた。いつ誰がどんな形で主役を張らなければならないかは分からない、運命の数奇というものプロレスにはあり、渕は突如訪れたその大役を果たすことができたから今も全日本という団体は存続している。

三沢光晴vs小橋健太 2003年3月1日 日本武道館

一方、全日本プロレスを大量離脱した選手たちによって旗揚げされたプロレスリング・ノアは、旗揚げして1年足らずで日本テレビの中継がつき、ほどなくして日本武道館興行が行われるなど、ハッキリ言って順風満帆だった。試合クオリティも高く、当時の2chプロレス板で「ノアだけはガチ」というフレーズも生まれた。この試合三沢小橋花道から場外マットへタイガースープレックスで投げ飛ばすという荒業を敢行。実況していたアナウンサーが「死んでしまう!」と絶叫した。しか最後小橋バーニングハンマーを繰り出して逆転勝利ベルトの価値、そして団体価値というものをどうやって高めるのか、を方舟に乗ったレスラーが探し求めて辿り着いたのがこの試合である。純プロ路線でありながらその究極系を突き詰めた結果という意味において、選出すべき試合であることは間違いない。

以下、選外

ジャックブリスコvsジャイアント馬場 1974年12月2日 鹿児島県体育館

この当時、最も権威のあったNWAヘビー級ベルトを日本人で初めて戴冠した試合

ザ・ファンクスvsブローザー・ブロディジミー・スヌーカー 1981年12月13日 蔵前国技館

全日本プロレスで開催されたこの年の最強タッグリーグ戦の優勝決定戦で、ブロディ親友であるハンセンセコンドに帯同。場外戦にもつれ込んだ際、ハンセン試合ラリアートで介入し、ブロディスヌーカー組の優勝をアシストした。この暴挙馬場が怒り狂い、試合終了後にハンセン乱闘を繰り広げ、前述のシングルマッチへ発展する。

三沢光晴vs川田利明 1999年1月22日 大阪府立体育館

故意事故か、川田三沢に対して垂直落下式パワーボム通称三冠ボム)を敢行した試合勝利した川田だったが、試合中に実は腕を骨折しており全治3ヶ月となった。

本田多聞泉田純vsハヤブサ新崎人生 1999年2月13日 後楽園ホール

ハヤブサFMW)、新崎人生みちのくプロレス)というインディー団体レスラーでもメジャー団体ベルトを巻けることを証明した試合。この当時のインディー団体立ち位置は非常に弱いもので、これを覆すのは至難の業だった。この両名はインディー団体の中でも頭2つ抜き出た存在で、全日本プロレスの至宝を獲得することに成功した。なお、このコンビは米マット界でも活躍しており、日本代表するタッグチームと呼んで良い。

ザ・グレート・サスケvsスペル・デルフィン 2003年11月2日 有明コロシアム

犬猿の仲となり、顔を合わせるのもNGであった二人のシングルマッチが、みちのくプロレス創立10周年という大舞台で実現。ホーム戦であったサスケが敗れ、試合後のマイクで弱音を吐いたところ、客席より「みちのくプロレス50年化計画はどうなるんだ!」という野次勇気づけられ、顔を上げたサスケは「みちのくプロレス永久に不滅です!」と改めて宣言した。客もまたプロレスを作り上げる1人であることを明示した試合である

伊藤竜司vs葛西純 2009年11月20日 後楽園ホール

デスマッチの「やれるところまでやる」をやり切った試合。頭の中に引退がチラついていた葛西後楽園ホールバルコニーからテーブルダイブ攻撃を浴びせるなど、デスマッチ限界を攻めた試合となった。30分1本勝負のところを29分45秒で葛西勝利し、この年の週刊プロレス大賞ベストバウトを受賞した(デスマッチが受賞するのは極めて珍しい)。試合後のインタビュー葛西現役続行宣言したことからデスマッチというジャンルにおいて次の時代への扉を開けたワンマッチであったと言えよう。

前田日明vs坂田亘 1995年5月20日 控室

今もなお語り継がれる衝撃映像のアレだが、そもそも試合ではないことと、別に重要ではないため選外。

追記

10選じゃなくて10戦にすればよかったなぁ。でも検索に引っかかりにくくなるからいか

全日本プロレス軽視では?

⇒そういうつもりもなかったが、全日本は良くも悪くもプロレスというものを護ろうとして頑張っていた保守団体なので、地道な積み重ねをしていて変革が起きる瞬間というのが限られていたので仕方ない。逆に全日本があったか新日本ハチャメチャでも許されたのだと思ってるし、ハチャメチャし過ぎた結果、何度も会社ごとハチャメチャになりかけていた点をプロレスファンは忘れていない。選外には全日本が多いのでご容赦を。

最近試合/◯◯の試合が無い

自分最近試合を追いきれていないのもあるが、どちらかといえば後年振り返ってみて「アレがあったからだよなぁ……」と思わされる要素があるかどうかで選出した。タイガーマスクがいなければ今のジュニア戦線はヘビーの焼き直しかルチャのマネごとレベルになっていた可能性もあるし、渕があそこで全日本崖っぷちで踏みとどまらたから後々の団体交流戦の活性化が生まれたのだと思う。歴史を紐解いた時に外せないかどうか、って感じ。例えば「猪木vsホーガン」みたいな試合事件としてはとてつもなく大きなものだけど、じゃあアレが後年に何か影響を与えたかって言ったら、そういう種類の話ではないので。

総合格闘技戦について

自分桜庭和志には胸熱した世代ではあるものの、さすがにPRIDEリングでの試合を選出するのは違うだろうと思った。そもそもアレは総合格闘技という競技たまたまプロレスラーと柔術家がやっていただけである桜庭が勝ったのはもちろん嬉しかったが「プロレスラーは強いんです」と言われたのは複雑で正直、気持ちとしては受け入れ難かった。それは桜庭個人総合格闘技という競技に向かい合って努力した結果であって、プロレスラーというもの一般化してしまうのは危険なのでは……と思っていたら翌年、普通に永田ミルコに負けていた。

女子プロレスは?

女子女子で深いジャンルなので、もうそこまで踏み込んじゃうと10選じゃ足りなくなるので恐くなって考えるのを止めました。そもそも女子はそこまで詳しくないので。というわけで、これを見ている増田! 書かないのか!?しかないぞ、俺達がやるのは!

・信彦じゃなくて延彦な

正直すまんかった、正直ポカした。

2020-05-07

anond:20200507172039

プロレスファンが細分化されすぎてて、しかもお互いが嫌いあってるからだよ 最大公約数的な作品が作りづらい

野球アニメなら普通に野球やっとけばどの球団ファンも楽しく見てくれる

プロレスアニメ作ってロープに振られて戻ってきたら「なんだそれは」とUWFファンがキレる

大技繰り出しまくりのハイスパートレスリングやったら「ノアだけはガチ」とノアファンがキレる

ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチやったら「こんなのは邪道だ」と新日ファンがキレる

安生がヒクソンに半殺しにされたら「俺キレさせたら大したもんだよ」と長州がキレる

みんなが反目しあってプロレスファンみんなが楽しめる作品というのが成り立たない

2018-12-03

anond:20181203102648

そこでの「ガチ」とは「レベルが高い」「本気でやってる」「殺すぐらいの踏み込みでやってる」「覚悟がある」っていうニュアンスになり

ヤオ」はその逆で「レベルが低い」「真剣味がない」「だらけてる」「おあそび」みたいなニュアンスになる。

こんなの誤用も甚だしい。

ノアだけはガチだよ。覚悟とかレベルとかって次元じゃない。

キュアアンフィニヤオ

みんなが凄いこと・革新的ことみたいに言ってるからチェックしてみたら完全なヤオだった。

これただの王子様やん。

衣装からも、どうしようもない野暮ったさ、振り切れない奴のダサさみたいなものしか感じられない。

単純にバランスも悪くてかっこわるいしさ。

こんなことしか出来ねえならやるなよスタッフ説教したいレベル


そもそももうさ、魔法少年なんて発想はとっくにあるわけじゃん。

シチュエーション衣装も開発進みまくってるよ。

このご時勢に、プリキュアでこんなヤオドヤ顔されましても。

馬鹿馬鹿しい。

本当に馬鹿馬鹿しいよ。


何がキュアアンフィニだよ。「アンフィニ」って語句にも大した覚悟が感じられないし。

萌えギャグアニメ変化球にすぎないゾンビランドサガのリリィちゃんでもお前よりはちゃんとしてるわ。

なんか「プリキュアが一石を投じる」みたいな感じでこれをやるならせめてデザイン福島鉄平かにやらせろよ。

金髪ハーフ王子様でみたいな言い訳・逃げ道を作りまくってんじゃないよ。

本当にヤオだわ。

ガチ性の欠片も無かったわ。


はてな民もこんなもんで言い争うのは時間無駄からやめろよ。

ていうかそうやって言い争う具にするのは過大評価だよ。

こんな振り切れてないヤオには「画期的」とか褒め称えられるのも「気持ち悪い」とか嫌悪されるのも勿体無いわ。

陣営とも、こういうしょっぱい踏み込みしか出来ないスタッフには「この半端もの雑魚が」という軽蔑目線だけをくれてやるのが作法だよ。


社会情勢に沿うって言うならまずガチガチ貧困家庭ルンペン少女プリキュアとか見せてくれよ。

多少問題抱えつつも根底ハッピーな家、みたいなのばっかなのに社会派ぶるのがすでに滑稽なんだよ。

しるかばうどん漫画に出てくるような女の子プリキュアの力を与えてみろよ。

魔法少年やるならちゃん黒髪言い訳属性のない”普通”の男の子をナマ足出した魔法少年にするんだよ。


わかってるよ、やりたくねえしやる意味もねえよな。

どうせヤオなんだよプリキュアなんて。

大人が真面目に取り合うようなものじゃないわ。



ヤオ」がどういう意味合いで使われてるのかよくわかんないや。一般的用語なのかしら。はてなキーワードに書いてある意味合いなのかしら。

プロレス由来なんだけど、近年の用語で言う「ヤオ」「ガチ」は「ノアだけはガチ」という定型句に端を発すると見てよく、

ノアだけはガチ」という句が生まれ時代には既にプロレスガチ競技でないことはプロレスファンですら認めていた訳で、

そこでの「ガチ」とは「レベルが高い」「本気でやってる」「殺すぐらいの踏み込みでやってる」「覚悟がある」っていうニュアンスになり

ヤオ」はその逆で「レベルが低い」「真剣味がない」「だらけてる」「おあそび」みたいなニュアンスになる。


ちなみにプロレスリングノア世代交代の失敗と次第にたがが外れていった乱脈経営とに圧迫される中でただひとつの売りとなった「ガチ」なプロレス象徴としての危険すぎる首での受身を連発していった結果社長でありエースレスラーである三沢光晴頚椎離断・ほぼ即死というリング禍を招いた。


ノアだけはガチ」というのはあれは総合プロレスが押されてたころに生まれ自虐的ジョークで、四天王プロレス由来のひたすら受ける芸風を本気で賛美した言葉じゃないよ

ノアオタは本気で言ってたよ

ギャグとして回収されたのはその後

もうノアの全盛期なんか思い出せないだろうけど


"男の子をナマ足出した" スネ毛カニ毛の事、お忘れ無く。無かった事にするならば、それこそ増田のいう"ヤオ"だ

毛なんか女にもあるがな

なんやこいつ剃刀無い家で育った童貞か?

2018-01-28

anond:20180120110728

シマウチの話はよく分かったけど、シマの外の理論で板井ぶん殴ってスッキリしてたのは相撲でしょう。

なら外側から「お前らガチだって言ってたじゃねーか」ってぶん殴られるリスク覚悟の上じゃないの?

三沢だってノアだけはガチ」のはずが裁判でボロ負けて「ノアだけはガチw」ってなってたじゃない。

曖昧ものをいったん外に出して白黒つけちゃったら、いつまで経っても外からヤイヤイ言われるのは当たり前。

曖昧なまま済ませときゃ良かったんだ。

身内のしきたりにケチつけられてカッカするのもいいけど、なら最初に外側にすがって権威を補強するような真似をしたことを悔いたほうがよい。

2016-10-09

鈴木君の限界

中学生のころ「ノアだけはガチ」というネットスラングが仲間内流行した。

中学生からプロレス見るのすきだし、取っ組み合いというか、プロレスもどきをやるのもすきだった連中だ。

間内しか通じない冗談で「ノアだけはガチ」と突発的に言い合い、笑い合うようになった。

しかプロレスゲームストリートファイター的なゲームをやりながら、勝ったり必殺技を決めたりした瞬間、突如叫んでみんなの笑いを誘った。

その内「ノアだけは八百」とふざけて言う奴が現れた。これもまた爆笑

鈴木君はそんななか一歩進んで「ガチだけはノア」からガチだけはガチ」「八百だけはガチ」という新手の改変ネタで仲間内爆笑を誘った。

ノアを使用しないところに新味があった。鈴木君はグループの時の人になった。

しかしこれが鈴木君の限界だった。

岡崎君がある日「ヤチだけはガオ」という、文字シャッフルした新語完璧タイミングで投下した。

仲間にしか解らない改変の、その行き着く先。女子や他の男子グループはこれを聴いても意味をなさなかっただろう。

しかし仲間たちには届いた。爆笑は起こらなかったように記憶している。「はははなんだよそれー」くらいのリアクション

しかし私は、慄然としていた。多分、他のメンバーもだ。

岡崎君は「ノアだけはガチ」改変の流れを把握した上で言葉をつくってきた。この発想に驚いたのだ。

なんというか、ルール改変の手際の良さに感服したのだ。これは例えば「ゾウだけはカバ」とか、ルール脱臼するものではない。

既存の「八百」「ガチ」をあくま使用して言葉をつくってきた。この「縛り」から新語を編み出してきた。

岡崎君がグループの時の人になることはなかった。


岡崎君は北海道大学に進学した。鈴木君は成蹊大学に進学した。

2011-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20110414105748

哲学プロレスミーハーから読んでみたけど、プロレスラーのUがわからなくて、自分の知識不足が残念だった。

プロレスラーで思いつくのは、馬場猪木長州政治家になった人、三沢武藤健介サングラスヒゲケンカキックのひと、東北政治家金髪で背が高い人、小川くらい(おおむね古い順だと思うよ)しか思い出せないので、たぶんUは俺が思いついた人とは別の人なんだろう。プロレスで大きな活動をした人っていうのは、馬場猪木が団体をそれぞれ作って、あと三沢ノアだけはガチとかしか知らないんだけど、このUってひとはなにをした人なんだろう。

2009-06-16

NOAHだけはガチ」の発祥は、いつ、どこだったのだろう。

少年時代ヒーローの一人だった三沢光晴の死がまだ心に圧し掛かっているなかで、ふとタイトルの疑問を覚えた。

2000年6月にノアが旗揚げした後であることは確実なのだが(それ以前に「全日だけはガチ」を見たような気もするけれど)、

ミスター高橋が『流血の魔術 最強の演技』を書いた2003年より早い段階で、もう使われていたような気がする。

ニコニコ大百科には

元々は新日ファンが「まさかノアだけはガチだとでも思っている訳?(笑)」見たいな文脈で使ったのが最初

http://dic.nicovideo.jp/a/noah

とあるけれど、結局いつごろのことかはわからなかった。

 
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