はてなキーワード: 知的とは
子供を作るのが難しい体だとと分かった。
妊娠はできてもお腹で育てるのが難易度高いらしく、流産を繰り返した人が病院に行くと見つかるような病気らしい。
子供を産むなら、妊娠後かなり早い段階から長期入院になって大変だとか。
けっこう前に子供は作らないと決めたけど、どうするか迷ってる時に産婦人科に行ったことがある。なんか子宮にも問題があるらしく、発達障害の生まれる確率が普通の人より高いらしい。
当時は発達障害って大人のADHDくらいしか知らなかったからあまり気にしてなかったけど、広義の発達障害では知的や自閉も含むと最近知った。
YouTubeで障害児チャンネルを見て、いやこんなん絶対無理だろと。特に夫に逃げられてシングルで育ててる母親すごすぎる。真似できない。
子供作ろうと思わなくて良かった……と心底思いつつ、子孫を残せない体というのは人間として出来損ないだなあとも思ったりする。
新しい入力がなければ同じことをぐるぐるぐるぐる
でもまぁ、
🔺理屈の上では理解できる:ある程度の文章が書けるためわかりにくいが広範囲に知的な凹がある
❌ 理解できない:せいぜい普通学級で成績が良くない程度で済みそうで、場合によっては(大学の質はともかくとして)高等教育を受けていることもあるが、文章が読めない
これの❌について考えるきっかけになったのはよかったと思う
増田にとって辛かったのは、単に男女の友情が成立するかしないかという世間的真理の問題よりも、「一番の友達だ」「人と付き合ったりすることができない」「俺もだ」と言語化されていた関係を裏切られたことだったんじゃないかな。「嫌だ」って言ってるのに受け止めてくれなかったことじゃないかな。
世の中にいるんだよな、言葉を字面通りに受け取ってくれないやつ。恋愛が苦手だ、って言ってたのに告白してくるやつ。性的なことが苦手だって言ってたのに、それでもいいから付き合ってって一旦了承してから、やっぱセックスしたいとか言い出すやつ。NoがNoであると理解できないやつ。
そういう連中は決まって「でも常識的にはこうだから、その発言は無効だ」みたいなことを言い出すわけ。「口ではそういってても、実際には違うでしょ、カマトトぶってるだけでしょ」「そうはいっても一緒に映画をみたじゃないか、世間ではそれは通用しない」みたいな。世の中の人間の価値観や思考様式はさまざまなんだから、その差異を埋めるために言語を使うのが知的生物たる人間だ。それでも、放たれた言葉を真正面から受け止めず、自分の価値観が「多数派」であることを盾にして相手を飲み込もうとする。それは単なる暴力だ。
悲しいことに、確かに増田にできることは自衛しかない。そういう奴らは話が通じないから、話を通じさせる前提条件が飲み込めないのだから、説得してどうこうなる相手じゃないわけだ。襲いくるモンスターからは早めに逃げるしかない。どんなにあなたに非がなかったとしても。
だとしても、「男女の機微」なんてフレーズで、真正面からの合意形成をサボタージュしようとする連中の言葉をありがたがってみせる必要はない。自分ではない誰かと共に生きるならば、まるで異なる他者と生きるならば、それが恋愛であれ友情であれ、言語による合意形成の不断の努力なしには成り立たないのだから。
少し前に海外ドラマ(主にアメリカの)が観たいけど、ツボに入るものが見つからないって増田を書いたよ。
「クリミナル・マインド」や「メンタリスト」みたいに、基本1話完結で、チームで事件を解決するものが好き。シリアスに寄り過ぎるのも苦手だけど、アメリカンコメディ的なのも好きじゃない。
その後、いくつか観たのでちょこっと感想。シリーズ途中までのものばかりだけど。
「キャッスル 〜ミステリー作家は事件がお好き」のネイサン・フィリオン主演。
主人公のジョンが40歳でロサンゼルス市警の新人巡査になって、同期や指導巡査との日々で成長していくはなし。
キャッスルも好きだったから最初はジョンがキャッスルにしか見えなかったんだけど、周囲のキャラが良くて話数を増やすごとにみんな大好きになった。
巡査は胸にボディカメラを付けてて、チェイスや捕り物のシーンでそのカメラの映像を使うことで臨場感が出てとても良い。
ほぼ毎回、タイトル前のアバンでちょっとした小さくて笑える事件なんかが起きるのが、おきまりって感じで良い。
ジョンは序盤、とある女の子と付き合ってるんだけど、その子がひとまわり下の27か28(+童顔小柄なアジア系)なので最初は正直なんとも言えないきもちになった。父と娘みたいなんや…。
特に、キャッスルを見てて年相応の美女・ベケット刑事とのラブロマンスを見慣れてたから特にな。スタナ・カティックはうつくしい。
ところどころストレスはあるんだけど総じておもしろかったから一気にシーズン4まで観た。ただしシーズン3最終話はもうちょっとどうにかならんかったか。(キャストに降板の意思があったことは知ってます)
・シカゴ・ファイア
途中で脱落気味。火事場やレスキューのシーンは迫力あるし、チーフの男気にぐっときたけど、悪徳警官のくだりがストレス
確か勧めてくれてた人がいたような気がする(今見たら消えてた)
ただ腐乱死体とかバンバン出てくるし、食事しながら見るのはちょっと向かないね。
引き続き視聴予定だよ。
ワイの仮説だが……
知的能力が高い人間は、因果関係や他人の悪意を見つけ出す能力が高いのだが、時々暴走して「過剰な因果関係」「過剰な悪意」を見つけて信じ込んでしまい、陰謀論にはまるパターンがあるな。
世の中は複雑系で、大部分、偶然とアドリブと誤解で動いているということが受け入れられない。誰か超人的な知力の集団が社会を操っていると信じてしまう。
もちろん、みんな金儲けに必死だから、そうやって金儲けのために社会を操ろうとしている人や集団は多数あって、しかし大部分の陰謀や仕掛けやナッジはうまくいってなくて(みんなで自分有利にしようとてんでバラバラに引っ張るからだw)、たまに世間の流れに乗った仕掛けが成功する。後から成功したものだけをつなげると、そいつらが社会を操っているように見えちゃう。
大手企業のエリート社員なんて普通に地方支店のアルバイトやパートと関わるし
公務員のエリート集団は金持ちってわけじゃないから普通に同窓会が縦の旅行になる
高校になるとある程度は階層化されるけれど進学校とそれ以外ぐらいの階層で
大手企業創業者の富裕層貴族エリートグループにもなると縦の旅行はしないだろうが
そういうグループは昔から縦の旅行なんてしてないしする必要もない
の言葉そのまんまで底辺社会を体験しなくても数字で理解できればそれでいい
彼らは知的活動に専念する余り知的行動こそが美しく正義であるという宗教に取り憑かれているから
だから感情的・本能的な行動をする集団に対して知的であるように呼びかけるし、そうであってもらわないとリベラルそのものが成立しない
びっくりした
陰謀論ってもっと無知な人、知的でない人、老人、子供、無職、みたいな属性の人たちのものと思っていた
40歳はもうおっさんだが、インターネットは小学生の頃に普及し始め、中学時代にポケベル普及、高校時代に携帯普及、mixiやSNS、スマホ普及のときはまだ20代だったわけで、一応デジタルネイティブ初代くらいの年代だ
俺と彼が卒業した高校は偏差値70くらいの学区の頂点にある高校
そして彼も当然国立大に進学していた
世間的な属性や、元々の知的度で言えば、そんなくだらない物に真実を感じちゃう人間では決してないはずだった
ところが10年ぶりくらいに会った彼は、俺はコロナワクチンを打っていないんだ、すごいだろ偉いだろのようなことを誇ったり、飼い犬の狂犬病ワクチン接種が毎年なのはおかしいとか、コロナワクチンを何回も打つのはおかしいとか、ああいうものは全て利権構造があって無意味なことだ、のようなことを言い出した
俺は結構驚いたけど、友人だし否定も肯定もしたくなかったので、
「でも当時は発症者を特定してネットで祭り上げる空気もあったやん、クラスター発生源の飲み会した大学生とかネットリンチになる時代やったやん。意味があるかどうかよりも、自分が感染者になった時に世間的に言い訳がたつ振る舞いをしなければならない時代だったよね。自分がクラスター起こして、ワクチン未接種でしたが許される時代じゃなかったよね。だから自分は打つしかなかったけど、別に本心はどっちでもよかったんだよ」くらいなことを言って濁した
あとは神社の特定の神様が全国に多いのはキリスト教徒が暗躍してて、とか、反ワクチンよりもコメントに困る話をしだし
さらには、生命は極小で不死の生命の源があり、それが出入りして生き物は生きている、急に圧死した貝の化石にはその源が残されているので、貝の化石を食べればガンが治る、みたいな訳の分からない動画を見せてきた
いや、俺は仮にも生物学者なのよ
よりによってこの俺に、DNAより小さいサイズの源で、とか言いながら動く血球を光学顕微鏡で映して、コレって示すような動画見せてさあ
最初ネタなんかと思って笑ってみてたけど、どうやら大真面目に見ているようで
ええ、これどうすんの、と思ってたら彼は動画中に寝落ちしたので何もコメントせずに俺も寝たが
(追記:舞台は彼の家です。久々に実家に用があって帰ったついでに彼の家に飲みに行って泊まった)
いや、まじでこれどうすんのよ
いま思い返せば、「俺は好きじゃない」で済む話を「人類にはそもそも向いてなくておかしくないか?」みたいなことを20代の頃にも言われた記憶はある
その時は何も思わんかったけど、今思えば素質はあったのかもしれない
友人だし、正論とかで叩き潰してもすんなり気持ちが戻ってくるとは思わないし、変に恨み買ってこじれるのも嫌だしさ
まあ直接俺に害がないから放っておけばいいのかもしれないけど、なんとなく彼があのままあんな感じでこじらせていくのはちょっと引き留めてやりたい気もする
なんでこんなことなってんのよほんと
10年ほど前に離婚しているんだけど、あれ以来メンタルを持ち崩してしまったんだろうか
心配だわ
陰謀論はまる人、リアルでは初めて見たから、ちょっと戦慄だった
助けてやりたいけど、難しいわなあ、うーん
冷笑する皮肉屋が注目コメントに集まるサイトは、確かに知的に誠実とは言えない。
マウンティング野郎どもを咎めつつも、ここはエコーチェンバーではないと頭の片隅で慢心していた。
移動しなくちゃならない。どこかへ。
真理を求める知的に誠実な思想家たちが議論を重ねる、信頼できる知恵の集積サイトへ。
そして私は、参加資格を備えてるだろうか。
Twitterアカウントを6つ持っていて界隈ごとに使い分けているのだが、あるアカウントでだけ、おすすめタブに流れてくるツイートの種類が他と違うのだった。
他のアカウントではおおむね自分がフォローしていたりリストに入れていたり過去にリツイートしたりした人のツイート、あるいはそれらと同様の趣旨のツイートがメインで流れてくるのだが、そのアカウントでだけはやたら斎藤元彦と立花孝志を応援するツイートや「既得権益」「マスゴミ」をディスるツイートばかり流れてくるのだった。
さてそのアカウントというのは職場との連絡用ということで仕方なく作った(作らされた)鍵垢で、職場の人間とDMのやりとりをするだけにしか使っておらず、相手からフォローされたら一応こちらからもフォローしかえすようにしていた。
おすすめタブを積極的に見る訳では無いが見えてしまうものは仕方ない。しかし目障りなのでどんどんブロックしていく。気になったのは、それらの #斎藤知事がんばれ 群の中にときおり反トランスジェンダー系のツイートが散見されたことだ。そういえば職場の某氏が大のトランスフォビアだったなと思い出す。その某氏とは相互フォローだが、氏自身のツイートやリツイートにそういうのは一切見受けられない。付き合いで行かされた飲み会で氏が一度だけポロッとこぼすのを聞いただけだ。(確かその月に死んだりゅうちぇるの話題だった。覚えているだろうか。りゅうちぇるが死んだのは経産省トランストイレ最高裁判決の翌日である。)
氏のフォロワーとフォロイーを見てみたが、私と同様に職場の人がメインで、あとはディズニー公式とかそういう「無難な」アカウントがいくつかあるだけだ。これといって活動家らしき人は見受けられない。つまり、氏のふぁぼか非公開リストかが他人のおすすめに影響を与えているのではないか。ふぁぼが他人から見えなくなってなお!
このような仮説を立てた私はこのようなことを試してみた。まず新しく非公開リストを作り、その中に「知的」と思われるアカウントを100くらい入れる。読書猿とか書物蔵とかスゴ本の中の人とか。フォローはしない。これだけで私のおすすめタブ世論はたちまち逆転した。そして更に彼らのツイート(の中から過激でないもの)を片っ端からふぁぼりまくった。リツイートはしない。するとおすすめタブは私のふぁぼったツイート群以上に先鋭化したものばかりになった。これら一連の流れで「マスコミはちゃんとしろ」「特にミヤネ屋」といった趣旨の内容は常に存在していたのが興味深かった。
さて私の仮説が正しければ某氏のおすすめタブにもこれらのツイートが少しは流入するはずだ。と、ここでようやく気づいた。もしそうなら私のおすすめタブにもまだ僅かに #斎藤知事頑張れ や反トランスが残っていなければならない。しかし実際は(私がブロックしているというのを考慮しても)微塵も残っていない。なーんだ、せっかく他人をこっそり逆洗脳できるかと思ったのに。まあしかし、もしかしたら私と同様おすすめタブを #さいとう再当選 に染められていた同僚が他にも居て、そいつのおすすめタブ内では今ごろ私のふぁぼデッキとバトっているかもしれない。今後も続けようと思う。こういうことの積み重ねが、あるいは積み重ねないことが、世論を大きく左右するというのが今回の選挙で特にはっきりしたことなのだから。みんなも真似していいよ。
午前中は、量子物理学の新しい論文を読みながら、ココアを楽しむ至福のひとときを過ごした。
もちろん、ココアは僕が厳選した高品質なカカオ豆から作ったもので、完璧な温度で提供される。
午後には、友人たちとワールド・オブ・ウォークラフトをプレイした。
今日は特にナグランの影に挑戦し、グロムゴルを倒すことに成功した。
僕の計算された指示に従ったおかげで、チームは見事な勝利を収めた。
もちろん、僕はその瞬間、ゲーム内で天才と称賛されることに喜びを感じた。
ゲームの後は、最近手に入れたバットマン:ハッシュを読み始めた。
悪役との対決は単なる肉体的な戦いではなく、知的な戦闘でもあるということを改めて実感した。
それでは、また明日。
IQ(知能指数)は、個人の認知能力を測定する指標ですが、成長や環境の変化によって変動することがあります。以下にその詳細を説明します。
1. 成長過程における変動:
- 幼少期には環境や教育の影響を受けやすく、スコアが上下することが多いです[1][3]。
2. 環境の影響:
- 教育や生活環境の変化は、IQスコアに影響を与える要因です。例えば、刺激的な学習環境や栄養状態の改善はIQを向上させる可能性があります[2][5]。逆に、ストレスや不適切な環境はスコアを低下させることがあります。
3. 年齢による変動:
- 研究によれば、例えばWISC(ウェクスラー式知能検査)では、数年内に15ポイント以上の変動が観察されることもあります[3][4]。
4. 個人差:
- IQの変動には個人差があり、一部の人々はより大きな変化を示すことがあります。同じIQ区分に留まる割合は50%程度とされています[3][5]。
IQは固定的なものではなく、成長過程や環境要因によって変動する可能性があります。このため、IQスコアは個人の知的能力を理解する一つの指標として有用ですが、その解釈には注意が必要です。
Citations:
[2] https://toyokeizai.net/articles/-/593556?display=b
[3] https://www.giftedpower.net/entry/WISC-IQ-stability
[4] https://ryouikukyuujin.com/article/715/
[5] https://copelplus.copel.co.jp/column/2403_23/
[6] https://ikomaiin.com/2015/07/19/working-memory/
情報の信頼性を判断する際、私たちは思いがけない認知の罠に陥ることがある。その顕著な例が、AI生成情報の評価における逆説的な現象だ。
AI生成の情報は、それと明示されている場合、多くの人々から低い信頼性評価を受ける。これは一見、健全な懐疑主義のように見える。しかし、同じ情報が人間を経由して伝えられ、その出自が明らかにされない場合、私たちはそれを驚くほど高く評価してしまう。この現象は、人間の認知システムに深く根ざした複数の特性が重なり合って生じている。
まず、私たちには権威への根深い服従傾向がある。専門家や有識者として認識される人物から発信される情報は、その内容の本質的な価値とは独立に、高い信頼性を付与されやすい。これは進化の過程で獲得した、経験者の知識を重視する適応的な特性が基盤となっている。
また、党派性の影響も無視できない。私たちは無意識のうちに、自分が所属する、あるいは共感する集団の成員からの情報を、より信頼性の高いものとして受け取る。この傾向は、情報の出自がAIであることが明かされないケースでより顕著になる。
さらに、同調圧力が状況を複雑にしている。ある情報が社会で受け入れられ、多くの人々が信頼を示し始めると、個人はその流れに逆らうことが心理的に困難になる。これは集団での生存を重視してきた人類の社会的本能とも言える。
認知バイアスも重要な役割を果たす。人々は一度受け入れた情報の出自を徐々に忘れていく傾向がある。情報源の記憶が薄れると、人々は無意識のうちにそれを信頼できる人間からの情報として再構築してしまう。これは確証バイアスとも結びつき、いったん信頼性が確立された情報は、その信頼性を強化する方向で処理されていく。
対面コミュニケーションの影響力も見逃せない。人間を介した情報伝達には、表情、声色、身振りなどの非言語的要素が伴う。これらは情報の信頼性評価に無意識の影響を与え、往々にして信頼性を高める方向に作用する。
このような複合的な認知特性は、情報社会において予期せぬ結果をもたらす。本来なら慎重に検討されるべきAI生成情報が、人間を経由することで過度に信頼されるという逆説的な状況を生み出すのだ。
この問題に対処するには、まず現象の存在を認識し、意識的な対策を講じる必要がある。情報の出自を継続的に意識すること、伝達経路を確認する習慣を持つこと、そして何より、権威や集団の影響から一定の距離を保つ姿勢が重要になる。
情報の信頼性は、その出自や伝達経路によって自動的に決定されるものではない。内容自体の価値、証拠の質、論理の整合性といった本質的な要素に基づいて評価されるべきだ。この認識を持ち続けることが、AI時代における健全な情報判断の基礎となるだろう。
こうした認知の特性を理解し、意識的に対処していく姿勢は、単にAI生成情報の評価にとどまらず、私たちの知的活動全般の質を高めることにつながる。それは、技術の進化と人間の認知能力の共生を模索する上で、重要な一歩となるはずだ。