はてなキーワード: 知的とは
半年前、当時付き合っていた彼女との話。寝る前にいつものように彼女と電話をしていたところ、彼女がその日、彼女の父親に取られた言動についての不満を語り始めた。
彼女が溢した不満の内容は結構重く、彼女の話を聞く限りでは「酷い親だな」と感じるようなものだった。とは言っても人の家の話だし、彼女側の言い分しか聞いていないこともあって、あれこれ心配しながらも、一緒になって父親を貶すようなことをするのは避けていた。また、「辛かったね〜よしよし」みたいに甘やかすような対応も、不誠実に感じられたので避けた。
そういう訳で、私は適宜相槌を打ちながら聞き役に徹していた。聞き役に徹していたと言うだけで、内心私は「彼女が辛い目に遭っている」という事実で自分もかなり辛い気持ちになっていたし、適当に聞き流していた訳では決してない。
すると突然、彼女が「君のそういう冷静で理知的に話を聞くところが嫌。こっちは辛い思いしてるんだからもっと寄り添って共感して」と言った感じのことを言い出したのだ。
正直は?と思った。辛かった出来事や悩みを聞かされるのって、こっちのメンタルまでしんどくなって結構大変なのに、なんでそれに対するレスポンスに文句言われなきゃいけないんだよ、と思った。
そりゃ人間生きてりゃ誰かに悩みや愚痴を吐露したくなることくらいある。お互いちょっとずつ相手に寄り掛かって人は生きているものだ。でもそうやって人に頼っておきながら、自分の想定通りの対応が返ってこなかったらキレるなんて勝手過ぎやしないかと思う。
私の好きなYouTubeチャンネルの動画で、ある方が「勝手にコミュニケーションをクイズにするな」と言っていた。この言葉は「共感してほしいのにアドバイスされるのが嫌です」という視聴者からの相談に対しての回答である。本当にその通りだと思う。
勝手に相手の反応の正解を設定した上で、愚痴ったり相談したりして相手に労力を割かせ、相手がそれに沿わない誤答をしたら「こっちは共感してほしかったんだけど」と文句を垂れるなんて、目の前の人間をカウンセラーか何かだと思ってるのかと思う。
そういう人たちって多分「相手は自分の悩みを、わざわざ労力を割いて聞いてくれている」ということまで考えが及ばず、自分の話は聞いてくれて当然だと思ってるんだろうな。繰り返しになるけど、人の悩みや愚痴を聞くのって結構大変なんだよ。
因みにその1か月後ぐらいに彼女とは別れた。私が何の気なしにふと「就活が辛い」みたいなことを溢してしまった時「やめれば?」と彼女に言われて、「あぁこいつは分かりやすく自分を甘やかしてくれる人が欲しいだけで、相手のことを同じように思い遣るつもりはないんだな」と判断し、前々から他にも不満が溜まっていたことから見切りを付けた。
まぁ言ってしまえばこの文章自体も愚痴な訳だが。この文章で書いたような理由から、友人や恋人に愚痴や人間関係の不満を溢すのが申し訳ないので、私はこうしてネットの海に匿名で放流するようにしている。
この人の知的覚醒とその後の成長の速さが凄くて圧倒されるんだけど、読書に目を開かれたきっかけが御本人のパニック障害だったというのが、なんというか、人生を感じさせるなぁ。
そういう辛い状況があったゆえに必死になって調べ物をして読書に目覚めたようなので、災い転じてというか、人生万事塞翁が馬というか、なかなか深いですね。
なんか人生に希望を感じさせてくれる話でした。ありがとうございます。
頭の悪そうな弱者
って、そうか? この人は結構頭良いと思うぞ。
だって誰に言われるともなく本の良さに自分で気付いて読書を始めているし、読書に慣れるための方法も自発的に考えて実行しているし、読書傾向もかなり知的で固い分野じゃん。宗教学、経済学、法律、社会学、とか。 それに様々な分野間のつながりも自分の頭で考えているしさ。
前の職場でお世話になった人から突然コロナのワクチンに注意した方が良いというメッセージが届いた。
実はコロナワクチンの危険性がよくわかってないとかじゃなくて、コロナワクチンは闇の政府による人口削減のための策とかそういうやつ。
別に医学の専門知識を持ってるとかではないけど知的な人だという印象だったのでまず驚いた。でもそこそこ知的好奇心があって情報収集にも意欲のある人がかえってはまったりするんですかね。
で、これ送ってきた人はまあまあ年配の人で職場ではそれなりの肩書きがある人なわけ。自分はそもそも直接の上司ではなかったし、今後会うこともまあそれほどなさそうだし「勉強になりました!」でなんとか乗り切れると思うけど、これもし部下とかにもやってたらきつくない?
前にまったく別のつながりの飲み会で突然911陰謀論について語り出した人がいたんだけど、ああいう陰謀論て「なるほどー」「そうかもしれないっすねー」とかでけっこう流せる。でもワクチンだと打ったかどうかの話がその後に出てくる可能性があるよね。打ってても「いや打ってないです」って言えばいいのかもしれないけど副反応で発熱したりすることを考えるとその人だけじゃなくて職場の関係者全員にワクチン打ったって言えなくなるよね。実際にやるの意外に難しそう。
いやーやっぱり医療系の陰謀論はきついっすよ。日本じゃもうHIV陰謀論なんか知ってる人の方が少なそうだけど実害につながる可能性が高すぎる。でもたぶんそういうことを教えてくれる動機は善意なんだよね。「気付けない人たち」を馬鹿にしてくれても良いから、頼むから陰謀論者だけで盛り上がっててくれないかな。
で、ちょっと心配になったんでつながりのある人にそれとなく聞いてみようかなと思ったんだけど、これが意外と難しい。「○○さんも聞きました?ワクチンこわいですよね!まさか打ってませんよね?」とかなったらやびへびだもの。
実はこれ増田に書こうと思ったのも意外とこういうのって誰かに愚痴るの難しいなと思ったからだ。適当な人に愚痴ってその人も陰謀論者だったらややこしいからね。
自分自身の知性信奉主義者になって他者を見下すようになりエリート(知的階級)独裁が生まれ、
結果として理想だけが暴走して空虚な社会が出来上がって内部から崩壊する
っていうのはすでにソビエトその他で見てきただろうに、
なんでまだリベラルは「俺頭いい」「わかってないお前らに教えてやる」という態度で居続けられるのか。
近々図書館の司書さん達にお礼を言おうと思っている。その前にでも自分の頭の整理のために書いておきたい。
そして誰かの参考になればいいな思う。
タイトルの通り自分は3年前まで本が全くと言っていいほど読めなかった。本を開いても1~2行読んで「あ~もう無理」って感じですぐ閉じて、すぐ自己啓発系youtubeに逃げていた。当時だと西野亮廣、与沢翼、メンタリストDaigo、よくわからない弱小自己啓発系youtuber、俺的名言集など。
今でこそ笑い話だが、当時は「こんなに役に立つ情報が無料で見られるなんて、youtubeってマジ天国じゃん! これを吸収して俺は人生を逆転するんだ!」とか本気で思っていて、与沢翼がアップした1時間尺くらい(人生の本質とか何とか)の動画×5本くらい(10本くらいあったが途中で断念した)を1つ10時間くらいかけて見て、ノートに一言一句書き写すとかっていうことをやっていた。
「本なんて読まなくても、youtubeの動画を見れば人生逆転できる!」って本気で信じていた。
そして自分はそんな自分のことを「俺、周りよりも頭いい!」と思い込んでいた。
今思えば、陰謀論者みたいだな。
高卒。ここまで正社員経験無し。公務員試験受験に落ちてから、ずっとコールセンターでフリーター人生。
仕事も降格1回。会社もクビ2回。ナンパにも10年くらいハマったり。ってくらいに馬鹿である。
どうだ?
みんなよりもクソな人生だろう。
※メンタルヘルス、精神医学系の本を何冊か拾い読みした結果、おそらく自分にはADHD、ASD系統の性格傾向があると思われることがわかった。だがこれはあくまで「傾向」だ。でも少なくとも100%定形ではないだろう。自分の感覚だと3割くらいはその気があると思う。
話を戻す。
書いた通りのバカで、でも謎に「いつかは人生逆転してやる!」って息巻いていた。
でも実際はなかなか行動に移せず、その鬱憤を自宅に帰ってきてはyoutubeの自己啓発動画を見て「俺はやれるんだ!」って自分を高めては、翌日また現実の世界に打ちひしがれて帰ってくる・・そしてまたyoutubeを見る、という日本全国どこにでも居そうな陰キャ生活を送っていた気がする。
仕事のプレッシャーと職場の人間関係からなるストレスから発症したと思う。
(日付を見て気づいたが、ちょうど3年前の今頃だったと思う)
http://www.toyama.med.or.jp/wp/?page_id=1347
※「パニック障害」ってどんな病気? ~公益社団法人富山県医師会~
症状としては死への恐怖が一番強かったかな。
主治医に診てもらっても、自分の辛さがなんだか伝わっていないような気がして。とりあえず薬を出されて終わり。そんな感じだった。
「めちゃくちゃしんどいのに、お医者さんは何もしてくれない。それなら自分で調べるしかない」
それが図書館に行くことの始まりだった。最初はポジティブな理由でもなんでもない。
「この病気を自分で調べなきゃ自分が死んじゃう」そこがスタート地点。
最初はメンタルヘルス、うつ病、パニック発作、パニック障害とかの本をとりあえずひたすら読んでいった。
本の読み方とかもよくわからずに。ただむさぼるように読んで行った記憶がある。今の症状について、医者からほとんど何の説明もなかったからだ。だから知識が欲しかった。
本を読みいろいろな知識を得ていくうちに「あれ? 本ってもしかして人生を逆転出来るツールなのでは?」と思うようになる(単純)
ちなみに、この時の自分は読書の本当の凄さにはまだ気づいていなかった。
ただなんとなく、当時見ていた自己啓発系youtubeよりも多種多様な情報が図書館にはあるな。これを頭に入れることが出来れば、自分は今のクソみたいな環境から脱出出来るのでは?
それくらいの解像度だった。
たまたま18時に終わる仕事だったので、図書館に直行して閉館の21時まで入り浸る毎日を過ごすようになった。
1冊読み終わったらまた1冊。そしてまた1冊と次々に違う本を読んでいった。
いわゆる「乱読」というやつである。ただその時は「よーし、乱読するぞ」なんて思っていなかった。
「目の前にモンスターが出てきたから、とりあえず倒す!」くらいの感覚だった。
幼少期に多少読書をしていたとはいえ、こんなにも本を読んでいない。ましてや大学にも行っていないし、仕事で文章を読んでもいる訳でもない自分が、急に読めるようになる訳はない。
パニック症関連の本はある意味必要に迫られていたので、中身をなんとか頭に入れることが出来たが、当時の自分にとって自分に関連性のない分野の本は全くと言っていいほど頭に入ってこなかった。
図書館には「旅」のコーナーがあるので、旅日記、旅行記。それから写真集、絵本など、文章が少なく、写真や絵が多い本から初めてみることにした。これが意外と自分には合っていて徐々に自分を本に慣れさせて行くことが出来た。
旅行系の本は結構充実していて「一度は行ってみたい世界の絶景」みたいな本とか、「島、海、空」に特化した写真集なんかも何度も読んだ。とっても楽しかった(書きながら思い出している)。ああいう本はたぶん知らないうちに、自分の心を豊かにしてくれたんだなと思う。
俺の実家は宗教が複雑に入り乱れており、新興宗教に入信した兄弟もいたような家庭だったので、宗教には興味があったんだ。
「宗教学? 宗教を信じるための学問?」って思っていたくらいよく知らなかった。
その後も、少しずつ少しずつ。1日30ページずつとかではあるけれど、読書は続けていった。
その頃のジャンルは宗教学、人間関係、旅、メンタルヘルス、ハンディキャップ、働き方、思考方法など。
そうして徐々に、文字が多い本(いわゆる新書など)も読めるようになっていったと思う。
余談だが図書館の環境も良かったと思う。自分が通っている図書館は音楽が流れソファが用意され、読書をするには最高の環境だった。
読書をするためにわざわざカフェに行って、お金を払う必要がなかったのは大きい。
選書もとても良く、新しい本から古い本、海外の翻訳本まで次から次に読みたい本が見つかる。こんな素晴らしい図書館に出会えたのは本当に運が良かった。
そうして3年が経った今年。
3年前には本を開いても1~2行しか読むことが出来ず、youtubeの自己啓発動画に逃げ、動画の先にいる配信者を盲信していた自分が、今では読書を3~4時間は平気で行うことが出来るようになり、読むジャンルも法律、社会学、経済学、起業関連など、多少難しい本を読めるようにもなった。
それから、これまで乱読に近い読み方をしてはきたが、これがいわゆる「リベラルアーツ」という学問に当たるということも最近知った。
https://www.obirin.ac.jp/academics/arts_sciences/what_is_liberal_arts.html
そして自己啓発系動画は現在も見るには見るけど、以前と違い盲信することは無くなった。
Twitter(現X)のバズツイートや、インフルエンサーの情報発信を見ても、安直に信じることも無くなったし、必ず別の可能性を考えられるようになったと思う。
自分にとって本を読むことは、偉人、先輩方との対話であり、その本が入っている本棚、図書館は偉人たち、先人たちといつでも話が出来る場所だと思うようになって来た。
何かを考えるときも「あの本にはこんなことが書いてあったよなぁ・・」と頭の中で引用出来るようになってきた。
頭の中に様々な専門家が常時いるようなイメージだ。口寄せの術。
この3年。変な自己啓発本やビジネス書の類(書店で平積みされているようなやつ)は、ほとんど読んで来なかったことも大きい。
今までは「与沢翼のブチ抜く力」とか「西野亮廣の革命のファンファーレ」「あなたを癒やす100の名言」みたいな本ばかり読んで、わかった気になっていたが、そのような本に盲信することはもう無いだろう。
ただ、おかげさまで有益な情報はある程度取捨選択出来るようになったので、その意味では今後は目を通すことはあると思う。
岡田斗司夫は図書館のことを「貧乏人が行くところ」と評したが、自分は「司書さんがプロの目線で有象無象の中から、適切な本を選んでくれる最高の場」と言いたい。
最近は「得た知識を抽象化していつでも引き出せるように」訓練している。
読書を始めたきっかけは精神疾患とはいえ、本が読めるようになったこと。
また、読書のおかげで新たに人とのつながりも出来るようになってきた。これは予想外の副産物でもあった。
新しい人に出会った時に「本を読んでいます」というと、話が発展することが多くなったし(今までは、AVの話しやナンパの話し。風俗や借金の話ししか持ちネタがなかった)、読書サークルなんかにも通えるようになった。
そして今までは読んだ本(学問)同士のつながりを感じることが出来なかったのだけど、リベラルアーツという言葉を知ったおかげで、これまでの読書が一本の線でつながるような気がしてとても嬉しいんだ。
今後も引き続き勉強をして行きたい。 あと今後は文学作品も読んでいきたい。
だいたい、みんな「読書」って言うと、小説などの文学作品のことを語る人が多い。
自分のようにリベラルアーツ系の読書から入って数を重ねる人は一般的では無いのかもしれない。だからこそ小説を読むのは知らない世界を知れそうで楽しみである。
自分はこれまで、生活に苦労してきて、かつ学歴にもコンプレックスがあったりしたが。
ここから先の人生は読書が出来るということを武器にして、豊かに生きていきたい。
そして「自分って高卒なんだよな。結局大卒には勝てないんだよな」
読書は楽しい。死ぬまで続けたい。これからも自分に心の豊かさをもたらしてくれるものだと思っている。
そして読書ができる人は実はそんなに多くない。だいたいの情報はyoutubeなどのネットで得られる世の中だからだ。
電車に乗っても、子供から学生、そしてサラリーマンに至るまでみんなスマホをいじっている。スマホに夢中だ。
youtubeの切り抜き動画や対談動画にも、有益なものは非常に多いが、元をたどると古典などの本からの情報であることが多く、だからこそ読書は他人と差別化が図れるものだと思っている。
これからも続けて行きたい。
いつか、通信制でもいいので大学にでも行こうかな。そんなことを最近は思う。
そして図書館の司書のみなさん。ほんとうにほんとうにありがとう。
いろいろな人が読んでくれたようで本当にうれしい。
書いた後に、改めて自分でも振り返ってみたが、これほどまでに読書が継続できた理由のひとつは、やはり図書館の環境がとても良かったこと。
それから、オンラインで参加していた読書サークルに私よりも知的な方々が沢山いて(博士課程の学生や、大学の講師など)、「このまま読書を続けたらどう変わって行けるのか」という、少し先の未来を自分に見せ続けてくれたということが、大きかったんだという事にも気づいた。
読書サークル内では日夜テキストチャットで議論のようなものが繰り広げられていて、最初は会話に全くついて行けなかったけれど、だんだん話していることが理解できるようになってきた自分が嬉しかったりした。
いろいろな意味で運もあったのだと思う。
読書サークルにたまたま知的で素晴らしい方がいらっしゃった事。
友だちが少なく、親の介護も無く、仕事で要職についている訳でも無かったがために、逆にプライベートの時間を、読書にフルベット出来たこと。などなど。
この文章を書いてから、ナンパをしていた時代に毎日の様に行って、よくたむろしていたビル(飲み屋やカラオケ、ホストクラブやダンスクラブが入店していて、たまり場になっていた)に用事があって行ってみたんだ。
派手な服装の女性と、その女性を口説き落とそうとしている男性。
ウェーイって騒いでいる学生。
怖めの車で迎えに来た怖めのお兄さん。
仲間で歩いているホストくん達。
簡単な足し算引き算ができない、仕事の都合で童謡や合唱曲を歌うのだが歌詞が全く覚えられない、いろんな場所にいろんなものを置きっぱなしにして紛失する…
とにかく仕事が出来る、出来ないのレベルではない人がやってきてここ数ヶ月問題になっている
他人の感情を読むのも苦手なようで他のスタッフを怒らせることはしょっちゅう、自分の感情も処理できず突然パニックになりキレたり逃げ出したりもある
都合が悪くなると「アタシ、馬鹿だからわかりませぇえん!!!!」と大声で叫び出すなど常識では考えられない行動をとってくる為、その人が仕事に入る日はみんな嫌々出勤している状態
部長が上層部に報告しているものの、人権侵害だ法律だと色々言われて何ともならないからとりあえず様子見て!がずーっと続いている
本人も「アタシはどこに行ってもみんなに嫌われる」など嫌われていることは理解している様子があり気の毒でもあるが、事故につながることでも注意すると逆上したり嘘をついてきて手がつけられないので会話するのも苦痛
知的ボーダー系の人間は情報の抽出、比較検討、決断って思考プロセスを一切無視していきなり結論を出したり他人にいきなり結論求めたりする。
よく見てみると思考する時間はほんの数秒でパターン認識の判断をするだけで、あとは全てパターンで生きてるからほとんどの時間思考していない。
ご存知もクソも、DSM-5において知的能力障害群は神経発達障害群という大カテゴリの一番最初に記述されてるからな……。
一部には〜とかいうレベルではなく、特にASDは知的能力障害を伴う人のほうが多い。
だからひと昔前までは「高機能自閉症」などという誤解を招く言葉が使われてたわけ。
※この高機能っていう言葉の意味は、知能が高いという意味じゃなくて「知的障害を伴わない」という意味でしかない(マジで)
ここははてなだから、自分で対処する能力くらいはあるという前提で話をしてた。
だって、はてなでアカウントを作ってわざわざ匿名ダイアリーで反論できる人間が知的障害があるって思わないやん。
それにADHDは薬じゃないと治療できない、ADHDには投薬治療以外に選択肢はないって本気で思ってんの? 全然違うよ。
はてなですらそこらへんの誤解してる人が多いって相当だよ。発達障害ブームで病名だけ有名になっちゃって、みんな何ひとつ知らないし勉強もしてないのに一丁前に語るようになっちゃって。
別に俺が「売春してくれ」と頼んだわけじゃないので、売春婦が何をしてようが俺の知ったことじゃない。
地上で全ての売春婦が今この瞬間何をしているか?完全に把握できる男はいない。(もしもいたら名乗り出て明日から警察の取り締まりに協力してくれ)
地球から遠く離れた宇宙のどこかに、人間と同じような知的生命体がいたとして、今そいつらが何をしているのか?知らなくても地球人が生きていけるのと同じ。
思想(しそう、英: thought)は、人間が自分自身および自分の周囲について、あるいは自分が感じ思考できるものごとについて抱く、あるまとまった考えのことである。
一部の動物は「お腹がすいた」「敵が来た」「疲れた」などの意味を持つ言葉(鳴き声など)を使えるが、動物の語彙数は人間と比べて非常に少ないものだ。
人間は言葉を使って思索や表現ができたので、それらをまとめた「思想」を作り上げることができた。
の3つで構成されている。
これら3つは直交する概念だが、発生する順番は経験→感情→論理となっている。
すなわち、
その次に論理は時間が経っても変化しない(=不変の)認識を形成する。
人間のロゴスを使った知的活動は、この3つが土台になっている。
従って、論理を扱う言語=数学は、自然言語(話し言葉)から派生した第2の言語と言える。
数学を理解できる動物は少ない。(京都大学霊長類研究所のチンパンジーのアイちゃんは簡単な計算ができるらしいが、さすがに大学受験レベルの数学とかは無理だと思う)
飽きたので書くのをいったんやめる。
気が向いたら、デカルトやパスカルの話(考える葦)とか、その辺から語ってみたい。
要するに、ある程度頭が良ければ「無矛盾の系」は誰でも作れるので、いろんな仮説(思想)が登場したわけ。
マルクスの共産主義とか、後出しジャンケンで結末(ソ連崩壊)とか知ってる我々から見ると、欠点だらけ、嘘だらけで酷い思想だったと分かる。今でもいろいろ嘘くさい話~思想があるね。