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はてなキーワード: 戦国時代とは

2024-03-17

インターネット民、基本的人権とか平等とかそういうの嫌いな戦国時代思想なので、障害者貧乏人がなにかを求めるだけで批判対象になる

なお自分とその仲間についてはフルスペック+αくらいの人権権利を求めがち問題も合わせてある

2024-03-12

 NHK12日、2026年放送予定の大河ドラマ(第65作)『豊臣兄弟!』の主演が俳優・仲野太賀31)に決まったと発表した。


 大河ドラマ第65作で描くのは、戦国時代のど真ん中。強い絆で天下統一という偉業を成し遂げた豊臣兄弟奇跡―。夢と希望下剋上サクセスストーリー


 主人公天下人の弟・豊臣秀長(ひでなが)

2024-03-09

anond:20240309123808

科学の力でも時間遡行は無理だろうけど、戦国時代完璧シミュレーションとかは出来そうだしそれくらいで満足できんじゃねーかと思うのな

ジュラシックパークみたいな

2024-03-06

anond:20240306110023

内藤 昌豊(ないとう まさとよ)は、戦国時代武将武田氏の家臣で武田四天王の一人。

2024-03-05

戦国武将幸せな死に方をしたのは誰?

ただの暇つぶしにお前らすぐレポートだのアンケートだのうっさいからもうChatGPTに聞くわ。

 

戦国時代日本の歴史上で最も激動した時期の一つで、多くの武将戦闘裏切り病気などで悲惨最期を遂げました。しかし、幸せというのは個人価値観や状況によって大きく異なるため、「幸せな死に方」と定義するのは難しいです。それにもかかわらず、比較平和な時期に自然死を迎えたり、自身の志を成し遂げた後に亡くなった武将もいました。

例えば、以下のような人物が挙げられます

1. 徳川家康 - 戦国時代の最終局面を制し、江戸幕府を開いた家康は、1616年に75歳で自然死しました。彼の死により、彼が築いた体制さらに固まり、260年以上続く平和時代が始まりました。彼の生涯と成就を考えると、彼が満足する形でこの世を去ったと考えることもできます

2. 豊臣秀吉 - 秀吉は、天下統一をほぼ成し遂げた後、1598年に病死しました。彼の死は自然死であり、彼自身が築き上げた豊臣政権の頂点にいた時でした。しかし、彼の死後、彼の築いた体制は徐々に崩れ、関ヶ原の戦いによって最終的には滅びました。

これらの武将が「幸せ」な死に方をしたかどうかは、彼らの遺した言葉や行動、後世の評価などから推測することしかできません。また、歴史的文脈や個々の価値観によっても見解は変わり得るため、一概には言い切れません。

 

うーん、いまいち孫市。

茶器と爆死はわりと幸せな気がするな。(諸説あります

anond:20240304121042

戦国時代はすでに過去時代として確定してるんだが

お前は「小学校同級生斉藤光宙(ぴかちゅう)君がいて欲しい」とか言うのか

2024-03-03

うちの実家は太かった

古くからその土地に住み、大きな家と田地を持ち、しか戦後農地改革ほとんどの財産を失い、裕福だった証拠はやたらと広い一族墓地くらいのもの田舎にはこういう家が溢れている。僕の家はそんな所だった。戦国時代から続いていて僕で 17 代目だとか?それを証明する家系図はもう火事で焼けてしまったみたいだが。

少し古い映画だが、「サマーウォーズ」で主人公訪問する田舎一族イメージとしてはアレに近い。正月一族で集まり当主から順にズラリと並び、その当主がくれるお屠蘇を漆塗りの器におしいただいて、一族健康繁栄を願うのだ。僕は当主からすると直系の最初の孫に当たり、父に続いてお屠蘇をいただくのを誇らしく思ったものだ。

しかし当時から不思議に思っていたのだが、父を含む僕の家族はこの家に住んでいなかった。父は長男、つまり次期当主だったのにも関わらずだ。家業は稲作なのに農作業を手伝うことは無く、そもそも他県に住み教師をして生計を立てていた。自然と僕もこの大きな家を他人行儀に感じ、普段公営住宅の狭い家に住んでいることから、この家のことを盆と正月にだけ滞在する言葉の通じない外国の別荘のように考えていた。「外国」と言うのは、県も違うので僕の方言が通じなかったのだ。

父が家を出た理由は本人からは結局聞けず仕舞いだったが、叔父などから断片的に聞く限りではかなり複雑な家庭環境だったようだ。確かに、僕の知るお婆ちゃんは本当の祖母では無いとか、床の間に知らない男性遺影が飾ってあるとか、そんなミステリアスな所も「外国の別荘」のような連想助長していた。これらについては、故人の尊厳のためにも深く穿鑿すべきではないと、当時も今も考えている。

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そんな父は、人の親としてはかなり優秀だった。それまでの経緯から実家支援は受けられなかっただろうに、独り立ちできるよう手に職を付け、教師としては結構な金を稼ぎ、できるだけ教育投資して僕を大学に入れたと思ったら、力尽きたようにポックリ逝ってしまった。それでいてそんなに禁欲的だった訳ではなく、夏休みには家族旅行もし、仕事研修で何度か海外に行き、長期の休みを取っては毎年一人でスキー釣りを楽しんでいた。

自身が興味を持ったことは何でもやらせてくれる父で、書道ピアノ幼児の頃から大学に入るまで続けさせてくれた。サッカーがやりたいと言えばボールを買い、野球に興味を持てばユニフォームを揃え、夜に星空を見たいと言えば立派な天体望遠鏡を買ってくれた。これらはほとんどモノになることはなく、ただ一つ、当時流行り始めていた 8bit マイコンを買ってくれたことが、僕が今でも IT エンジニアとして生きて行くきっかけとなった。

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そんな父にも欠点はあった。とにかく迷信深く、いくつもの新興宗教にハマったのだ。父自身、また僕が病弱だったことや、ひょっとすると実家事情も影響していたのかも知れない。今でも覚えているのは、自宅に仏壇とは別に祭壇を用意し、そこにお供え物を上げて妙な文章を読み上げる儀式を、僕が担当して毎日夕方にやっていたことだ。

他にも気功か何かで癌が治ると言う宗教に熱心で、こちらは父自身信者同士の合宿に何度も出掛けていた。教義をまとめたノートを作り、会合で発表する様が写真にも残っている。

世紀末で世の中にはこういうインチキ宗教が沢山罷り通っていた。父の信仰心はその病状を好転させることは無く、父が死んだ後、これらの宗教団体は解散して費した金は全て無駄になってしまったようだ。

これらにどの位散財したのだろうか?僕にはもう分からない。それでいて子供二人を中高一貫校に進学させ、上に書いたように習い事もさせながら、東京大学に入るまで面倒を見てくれたのだ。教師としての稼ぎだけでできる気がしないのだが、実家の助けがあったとも思えない。専業主婦だった母も死んでしまったので、この辺の事情を聞ける人はもう居なくなってしまった。

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十年振りに、「外国の別荘」、つまり父の実家の大きな家を訪問した。昔僕にお屠蘇を注いでくれた祖父はとうの昔に他界し、今ではそこに僕とは違う方言を話す叔母が住んでいる。彼女の息子が将来は家を継ぐという話を聞いた。

子供の頃、父が作ってくれた滑り台で遊んだ庭は潰されてアパートが立っていた。耕す者の居ない農地は全て売却したそうだ。父の遺骨はもう一族墓地には入っていない。

2024-03-02

15分拡大で放送された最終話・第48回「神の君へ」では、家康にとって最後の戦いとなった「大坂の陣」の顛末、そしてついに乱世に終止符を打った家康の哀しくも美しい最期が描かれた。茶々北川景子)や息子・秀頼(HiHi Jets作間龍斗)らが炎上する大坂城で迎えた壮絶な死にざま、北川と作間の迫真の演技が注目を浴びた前半から一転、後半では家康が死に向かう中で最も幸福だったであろう日の思い出が描かれた。

 後半のエピソードは、これまで随所に伏線が張られてきた家康の息子・信康と信長の娘・五徳の祝言の日に起きた鯉を巡るハプニング酒井忠次大森南朋)、石川数正松重豊)、本多忠勝山田裕貴)、榊原康政杉野遥亮)、鳥居忠吉イッセー尾形)、夏目広次(甲本雅裕)、本多忠真(波岡一喜)ら初期のメンバーも含む家臣団をはじめ、妻・瀬名有村架純)、母・於大の方松嶋菜々子)ら家康が愛した人たちが集結する大団円SNSでは大盛り上がり。「みんないる~(涙)」「初期メン勢ぞろい」「総出演ありがたい!」「まさかオールスター」など沸いたが、さら視聴者を驚かせたのがラストシーンだった。

 幼い信康と五徳の祝言えびすくいで盛り上げる家臣たちを見ながら幸せそうな家康瀬名。「なんと良き光景でしょう……。こんな良き日は二度ありましょうや」と目を細める瀬名に、家康が「わしがなしたいのは今日この日のような世かもしれんな」と未来に思いを馳せる。二人から遠ざかったカメラがとらえたのは高層ビルやタワーが立ち並ぶ光景。初めは「見間違いかと思った」という声も多くみられたが、戦国時代未来現代をつなぐ平和への祈りを表すかのような演出SNSでは「凄い」「技あり」「粋な演出」「印象的なラストカット」「面白い」「殿が平和な世を作ってくれたからこそ今がある」など、驚きやさまざまな解釈で盛り上がっている。

2024-03-01

家庭って誰かが誰かを支配したりされたりする空間じゃないんだわ

なんか女に男の人生握られて一生奴隷になるとか、男に自分人生犠牲にさせられるとか行ってるけどさ、サヨク言動を信じ込みすぎだ。

信じ込みすぎちゃってるがゆえに「無意識にそう振る舞っている」って言うことに気づかないんだろうな。

家庭なんて言うのは結局は共同体しかない。他の共同体と何が違うかって言うと子供を設けるっていうものかもしれないが、動物の群れとしちゃ最小単位だ。

最近子供を作らない群れなんてのもあるんだけど、そこにあるのって「一緒に協力して生きていく」ということでしかない。

フェミたちは「男がいい思いするために女を囲い込んでいる」みたいな悪意ある解釈説明しているが、一緒に協力して生きていくことに同意した二人がそれぞれの役割を全うしているだけなんだよ。

ある点じゃ女性が損するし、ある点じゃ男性が損している。だけど全体的にはプラスになるから共同体って作られるんだろう。

けど女ばかりが損しているとか、男ばかりが損しているとかそんなことばっかりいっているか共同体じゃなくてどちらが支配するかみたいな戦国時代しかなっていないんだよ。

結論から言うならば日本では結婚しないほうがいい、結局支配権獲得争いに巻き込まれ疲弊して終わるだけだからな。

特に正義自覚した変な一掃に洗脳されたようなメンバーは一切手段を選ばなくなるから多分犯罪行為だって手を染めるかもしれない。そんな不安世界結婚なんかしようがないだろう

2024-02-27

陸奥圓明流ポリコレ

平安時代にすでに女系継承を認めていて

戦国時代には双子を対等に扱いともに家伝の技を伝え

江戸時代には女性継承者にしている

まりにもアップデートが早い

陸奥圓明流ポリコレ

2024-02-26

anond:20240226142707

福島区 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E5%8C%BA

菅原道真がこの地に立ち寄った際、元の地名福島改名したことが由来とされる。

(ちなみに、「菅原 道真(すがわら の みちざね、承和126月25日〈845年8月1日〉- 延喜3年2月25日903年3月26日〉)」)

福島https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C

吉清は杉目を「福島」と改称し、今日の県名の由来となっている。

(ちなみに、「木村 吉清(きむら よしきよ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将大名」)

2024-02-22

anond:20240222220552

戦国時代じゃないんだから暴力を実際に振るうな

ひけらかして抑止力にするんだ

振るう前の力にこそ価値があるのは江戸時代の侍も核兵器ヤクザも同じだ

2024-02-18

anond:20240218233832

まぁ年収1000万は弊社だと部下3人くらいいる主任クラスから結構イメージ通り

戦国時代から変わってなかったんだな

2024-02-17

戦国時代、斉の威王が魏の恵王と共に城外で狩をしたときのこと。恵王が威王に向かって尋ねました。

あなたの国には何か宝がありますか」

「いいえ、何もありません」

すると恵王は「私の国は小さい国ではありますが、それでも直径一寸ばかりの宝玉で、車の前後12台の距離を明るくできるもの10個あります」と言いました。

これに対して威王は

「私の宝はあなたのとは違っております。私の臣下に檀子という者がおりますが、この檀子に南城の地を守らせたところ、南隣りの楚は敬遠して、わが泗水のほとりに攻め入ろうとしません。そのうえ、12諸侯来朝するようになったのです。

また、肦子という者がおりますが、これに高唐の地を守らせたところ、西隣りの趙は黄河のわが漁場を荒らさなくなりました。

また、黔夫という者がおりますが、この黔夫に徐州を守らせたところ、北隣りの燕はわが北門へ来て、西隣りの趙はわが西門へ来て、わが国から征伐されないように祈るようになりました。

さらにまた、種首という者がおりますが、これに盗賊の取り締まりをさせたところ、道に落し物があっても拾う者がいなくなりました。

これら4人の臣下は、まさに千里距離を照らすでありましょう。わずか車の前後12台を照らすどころではありません」

と言ったところ、恵王は恥ずかしくて赤面してしまいました。

2024-02-10

戦国時代兄弟

秀吉・秀長兄弟

 能力信頼関係とも安定の最強コンビ。秀長死後の秀吉の態度がちょっと怪しいが。信長協奏曲の秀長は新解釈すぎる。なお、秀長は改名する前の名乗りが長秀であり、羽柴長秀では丹羽長秀にパルワールドしすぎである

毛利三兄弟

 他にもたくさんいた兄弟パージして三人!だから三人の結束は固い?

島津兄弟

 お前ら本当はそこまで仲良くないだろ?実力も実久以外は…?その実久も統制の面ではちょっと

三好兄弟

 ああ短命…。我ら生まれた日は違えども死すときは同じ日・同じ時とまでは行かないが近い時期(3年以内)に死ねたね。

織田兄弟

 最終的に信勝が誘殺された信長と信勝の争いは有名だが、信広も一度反乱している。一方で信長のために戦って死んだ弟たちも多数。

みんなはどの戦国兄弟が好きかな?

2024-02-09

吉原エンタメ化するな」とか言い出したら戦国時代はどうなるんだ

戦争に駆り出された人がいっぱい死んでるんやで

anond:20240208150342

UIはReactが天下取った(?)けどどうせまた新しいの出てきて永遠戦国時代なんだろうけど、サーバーサイドってどうなんだろうな?

REST APIフレームワークデファクトスタンダードに近いもんて何かあるのかな?

テンプレートエンジンで画面作っちゃうような古臭いアーキテクチャで時が止まってるから最近トレンドを知りたいわ。

2024-02-08

anond:20240208130842

ブクマのこれじゃないか

滝川クリステル。お手軽アンケート増田戦国時代の人と「プレゼン」を結び付けるんじゃない。説得を「プレゼン」と呼ぶのも間違い。それだと権力支配するのもプレゼンになってしまう。

2024-02-07

anond:20240207090400

前提が違うのはそうなんだけど

女性生物学的に苦手分野があるのでそこは社会で補助しましょう、

男性の苦手分野は自助努力でなんとかしましょう、いままで優遇されていたのだから

という姿勢批判されやすいんじゃないのかな

差別をなくすなら、すべての人が不平等を感じないようにしなきゃいけない

現状は女性団体女性が得する社会を目指し、障害者団体障害者に金が回ってくる社会を目指している

イデオロギー戦国時代なっちゃってるんだよね

2024-02-04

東京の「大手町」を筆頭に全国にある「大手」が付く地名って何が由来なんだろう?

門前みたいなもんだろうけど

つーか普通に大手門ってあるよな

で、大手門てなんだろう?

大手門(おおてもん)とは、日本城郭における内部二の丸または、三の丸などの曲輪へ通じる大手虎口に設けられた城門。正門にあたる

wikipediaより

(「曲輪」「大手虎口」というワードが出てきて謎が深まったけど別にいいや)

上記wiki概要欄には「追手門」(そして裏側は「搦手門」)というのもあって、城の門としてはそっちの方がしっくり来る感じだな

で、勿論のこと

大手町(おおてまち、おおてちょう)とは、日本各地にある城郭大手付近にある地名である

当県にも新発田城高田城があったので、ちゃん大手町存在する

(考えてみれば現在一番栄えている新潟市には城無かったんか?少なくとも戦国時代には万代島は無かったし、そもそも城を築く様な立地ではなかったかな?

その当時の新潟市辺りはたぶん新発田さんが管轄していた土地だよな。だからメインの城はやっぱり新発田城なんだろうな

調べてみると現在中央区から遠く離れた辺鄙場所に城が築かれていたようだけど、白山辺りや上所辺りにも平城はあったみたいだ。でも大手町が出来る規模の城ではなかっただろう)

そして今回罹災した七尾市にも大手町がある。七尾城門前七尾城山城みたいで、その7つの尾根から名を取って「七尾」だそうだ。素敵な名前だな

2024-01-30

小説】どうしても生きてる

YouTube動画みる話

・「こんな社会、良くねえよなあ?!」が分節から滲み出とる

・正欲の時も思ったけどこの作者さんの小説、「平成自然体のままで最大公約数にあてはまり生きていけた人が弱者マウント戦国時代の令和に適応した小説書こうとしてる」感すごい

セクシー田中さん一件、中世ヘルジャップそのままだな!

中世期に於いて、「指し腹」という慣習があった。

これは、何らかの係争於いて、一方当事者がそれを理由切腹した場合、もう一方の当事者もまた切腹しなければならないというモノである。これは必ず割腹でなければならなかった。この時代切腹の定式は未だなく故に介錯人も不在である。まあまあ痛い。なお、中国史上でもしばしば割腹という自殺手法は誠意を誇示するための手法として古くは春秋期の記録があり、汎アジア的な死生観垣間見られる。


この際、切腹者の言い分は詮議されず、問答無用で被指名者も腹を切らざるを得なかった。係争神明裁判などにもみられるように一種投機行為である。そこで、証憑に対する掛け金を天井まで釣り上げるにはどうするか。究極にして絶対誰でも出せる"テメェの腹"こそシンプルな回答になる。前払いの命によって裏打ちされた証憑は、ために既にして真実にまで昇華している。となれば係争相手も己の証憑に文字通り命を懸けるか、あるいは係争に敗れ命を落とすかのどちらかだ。どっちにしろ死ぬ。そうなった以上、抗弁は不可能無意味なのである

逆に腹一つで取れるのは首一つまでであって同害報復原則ちゃんと生きている。故に係争拡大にはならないという自力救済を旨とする中世ジャップランドにしてはまあまあ抑制の効いたシステムでもあった。


可笑しいのは、このような投機状態に陥ったなら乾坤一擲私闘に至るか闇討ちでもすればいいものを、わざわざ自死してしま中世ジャップの異常行動である。なんならそれを聞いただけで被指名側も恐怖のあまり頓死してしま場合があるというから惰弱にもほどがあるというモノだ。その辺があまり類例を見ない慣習である


さてこれは名前現代にまで伝わっていることからも分かる通り、慣習とは言え相当に強力かつよく知られた代物であった。発祥は少なくとも室町期までは遡ることが出来、後に戦国時代の分国法に採用されている場合散見される。これから逃げんとする者は、上位権力である戦国大名が指揮して成敗するとまで定められている例もあり、むろん実施例もある。一方被指名者が腹を斬ればまあまあそれで済むので、一族郎党にいやいや切らされた奴もいたに違いあるまい。

さて指し腹は近世江戸期に入り、その慣例法治主義によって、切腹者が事前に被指名者を明言して割腹家人使用した脇差文字通り脇を刺した奴だなガハハ)を相手方に届けた場合に成立し、相手方はそれを以て割腹するという様式が完成する。ホント官僚主義社会ってどうしようもねぇな。

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