はてなキーワード: 意図的とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/0305d79f0142c98855cfd29dd7284cefa1176d57
id:gomaberry ほら、もう二日前と180度違うこと言ってるでしょ。これは国民民主党がずっとヒヨリミだったの知ってる人から見たら、あらまたか。信用できないなってことです。
id:donovantree やっぱりこの人は政党の代表をやるほどの器がないんだよ。純心な若者達が選挙戦略を素直に信じて投票したのに。2日で裏切っちゃうとは。投票した人達が可哀想じゃないの。
id:dnf63bxf2fbnd3 俺は昨日はずっとTBSラジオ聞いてて、そこで玉木がインタビューで「出るのは知らなかった」って言ってたのにこれかよ。あまりにもひどすぎる嘘だな。信用できなさすぎる。
id:chiguhagu-chan こないだは頼んでもないのに勝手に上がり込んできたみたいな言い草だったから180度言ってること違うけど。こういうコメントに星ついちゃうからやっぱ偏ってんだなぁと毎度のことながら実感
id:differential 『そんなことしたらあっという間に転落することが分かってる』人が、石丸氏の応援演説回りで選挙期間中に下らない嘘つくとは思いにくいし、日頃のSNSでの不誠実な発言もあるから信用できないんよ。
これ、最初の報道が悪かったと思うのだが、時系列で振り返ってみたい。玉木は「選挙期間中にくだらない嘘」をついたのか?玉木は「石丸が勝手に上がりこんできた」と発言したのか?「二日前と180度違うこと言ってる」のか?
■10月26日(土)
衆院選前夜、東京駅の国民民主党の最終演説に突如石丸が登場。喋った内容は「皆さん明日は投票に行きましょう!これから電車に乗って帰る人は、一緒にいる人と「明日は選挙だね!」という話を、最寄りの駅につくまでし続けてください!いいですか、皆さん選挙に行きましょう!」といったもの。
その後、玉木が到着して、石丸を見てびっくりしたようなパフォーマンスをする。
↓
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/321613
玉木氏は「凄いね。これだけの人が集まるのは見たことがない。石丸さんも(選挙カーに)上がってビックリした。(参加は)知らなかったからね。ここに来たら上がっていたから。でも、何でもありです。みんなが選挙に関心をもってもらって本当に投票率が上がればそれで十分です。みんなの民主主義だからね」
終始笑顔で、石丸とも和気あいあいとした雰囲気。(これ自体は場を考えたら無理もない態度)
↓
https://x.com/noguchinobuyuki/status/1850255376945693115
朝日新聞「先ほど石丸さんがマイク握られましたが、どういった経緯で?」
玉木「いや知りません。まったく知りません。着いたらいたので。事務方から「いるんで、ひとこと挨拶もらっていいですか」って言われたんで、だめって言うわけにはいかないのでどうぞということだけでしたので。事前の話も連絡も打ち合わせも一切していないので。以上です。本当に。本当に知らない」
その後、Xで「国民民主党の東京駅街宣に石丸登場」が話題になる。
ただし国民民主支持者の多くはドン引きで、「石丸と絡むのは本当にやめてください」「今までの頑張りが無駄になりますよ」と批判の声が大半。
(後述するが、事情を鑑みると、石丸からしてみたらたまったもんではない話である)
↓
https://x.com/tamakiyuichiro/status/1850188486630056005
玉木「石丸さんの登場に対してコメントいただいていますが、私も正直、びっくりしました。私自身、現場に到着するまで全く知らず、石丸さんが偶然来てくれたので、現場を盛り上げたいという判断でご登壇いただいたとのことです。政治のエンタメ化を唱える石丸さん流の投票率を上げるためのメッセージなんだと捉えていますが、まだまだ国民民主党を知らない人もいっぱいいるので、名前の知れた方にご協力いただけるのはどんな形でもありがたいと考えています。とにかく、国民民主党として、政策を実現するための力をもっともっとつけていきたいと思いますので、ご協力お願いします。」
と危機感のない反応。支持者からは「事情はわかったが石丸はやめて」とのリプライが並ぶ。
ただし、ここでも「現場に到着するまで全く知らず」と言っており、発言は一貫している。
また、この時点で「石丸さんが偶然来てくれたので、現場を盛り上げたいという判断でご登壇いただいたとのことです」と、渡部区議の名前は出していないものの、登壇の経緯を正確に説明している。
一方で「偶然石丸が通りすがるなんてことがあるわけねーだろ!」とこの時点でも玉木を嘘つき扱いする声は多かった。
■10月27日(日)
https://www.youtube.com/watch?v=3YDZtjNAYUo
選挙当日。
TBS「東京駅の演説では石丸さんが来たということですけれども、これはどういういきさつだったんですか」
榛葉「あれは石丸さんがですね、個人の考えで来て、マイク持ってくださったというふうに聞いてます。我々からなんら頼んでいませんし、石丸さんがやっぱり政治を変えたいと。この国の政治を、党は関係なく、投票率上げて、政治を変えたいという思いでマイクを持ったんだろうと思います。ある意味、これから日本の政治を変えていくために、切磋琢磨する相手だと思いますので、その点については、感謝したいと思います。それ以上でもそれ以下でもありません」
映像を見ればわかるが、榛葉は別に迷惑そうではなく、石丸フレンドリーな態度で上記発言をしている。しかし文字で見たら登壇の経緯があやふやで、石丸には失礼な内容。
■10月28日(月)
選挙翌日。Xでクソミソに言われて立腹していた石丸が、榛葉発言に対してついに爆発。「石丸が勝手にマイク持って喋った」ように受け取られるので、当然の怒りであろう。
石丸「様子を見に寄った所、渡部恵子議員から「ぜひ話して下さい」と頼まれました。一度は断りましたが、再び声を掛けられたので「玉木代表が来るまでなら少し」と受けたのが実際の経緯です。https://youtu.be/3YDZtjNAYUo?si=iXxqhgl7xcAgZz5b&t=81 投票日を過ぎたので言っておきます。一個人に批判の肩代わりをさせんな😏」
↓
玉木「渡部区議にも確認しましたが、石丸さんが応援演説に来てくれたと思い込んでいて、お声かけしたそうです。いずれにしても、こちらから登壇をお願いしたことは事実です。お力をお借りしたにも関わらず、石丸さんに説明までさせて申し訳ありません。改めて直接お会いした場できちんとお詫びさせていただければと思いますが、この選挙戦、石丸さんとの対談や、石丸さんの手法を研究したことで注目してもらえたと思います。感謝の気持ちもお伝えできればと思っています」
ここで問題の「こちらから登壇をお願いしたことは事実です」発言が出る。そして冒頭の日刊スポーツの記事へ。
まとめると、
・10月26日当日、玉木は「なんで石丸がいたのか知らない」とコメント。
・10月28日、石丸が「様子を見に寄ったら、現場で渡部区議に頼まれたから上がっただけ」と激怒し、玉木が謝罪。謝罪ツイートから「お願いしたことは事実です」という部分をニュースの見出しにされる。中身を読まない人々から「石丸に演説をお願いしたのは事実!?あれあれ~、なんでいるのか知らないとか言ってたよね?やっぱり玉木は大嘘つきじゃん」と拡散される。
これは「お願いしたことは事実です」という見出しを付けた日刊スポーツのプロのマスコミ・テクニックだと思うが、爆釣ネット民の読解力もおかしい。
■誰が悪かったのか
・渡部に「なんで石丸さんが喋ってたの!?いかんでしょ」と言うべきだったのに、選挙活動最終日の夜のノリで「でも、何でもありです」などと追認してしまった玉木も悪い。(ただ、石丸が喋り終わってから到着してるし、状況的に仕方ない面もある)
・渡部の擁護をすると、以前に石丸と玉木は対談したことがあり、榛葉も石丸を持ち上げていた時期があった。ただしその後、石丸の攻撃的な姿勢に対してドン引きしたらしく、苦言を呈している。→https://www.kochinews.co.jp/article/detail/760245?qrkydog_paris2024_page 渡部の勘違いは、そもそも玉木榛葉の石丸への友好的姿勢が前フリとなっている。
・石丸は1回はマイクを断っており、渡部に押し切られてやむなくマイクを持った。石丸は何も悪くない。
・榛葉の「われわれからなんら頼んでいません」は、党として呼んだわけではなく、石丸が予告や約束なしに来たという意味合いだろうが、本来は様子を見に来ただけで選挙カーに上がるつもりはなかった石丸が、榛葉の言い草に怒るのも無理はない。
最初の問いに戻ると
玉木は「選挙期間中にくだらない嘘」をついたのか?
ノーである。少なくとも「二日前と発言が180度変わった」という事実はない。ネットでデマに基づいた誹謗中傷は危険です。
ノーである。「なんでいたのか知らない」とは言っている。また、玉木ではなく榛葉が「頼んだわけではない」とは発言している。
玉木は二日前と180度違うこと言ってるのか?
ノーである。26日の発言は「いることを知らなかったのでびっくりした」「盛り上げるために登壇いただいたとのことです」である。28日の謝罪は榛葉の「こちらから頼んだわけではない」について「渡部区議に確認したところ、たまたま石丸さんが来たので、応援だと勘違いしてその場でお願いしたとのことです」と補足したものであり、二日前の見解と齟齬はない。普通180度違うっていうのは、「二日前はいるのを知らなかったとか言っていたくせに、実は石丸が来ることは知っていたと言い出した」「それどころか、実は事前に党として応援演説を依頼していた」という話だった場合だろう。そんなんだったら180度違うよね。だが、そういう話でないことは明らかで、記事を読んだ上でそんな解釈してるのはちょっと信じられない。大丈夫かよ?
俺の雑感:石丸と絡むだけで支持者が激減するのは間違いないが、一方で石丸のYouTubeを夢中で見ている層を取り込めるという甘い罠もあり、今後も国民民主支持者にとって憂鬱な火種として残り続けるだろう。
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id:segawashin 石丸「だから」選挙カーに上げたしマイクも持たせたんでしょ。「偶然東京駅を正装で歩いてた」石丸を。そんな偶然ピタゴラスイッチを信じるほど皆さんピュアなのか。これ極左活動家や統一協会員でも同様に遇してた?
マジで何言ってるの……?
そりゃ、極左活動家や統一教会員を同様に遇するわけないでしょ。
俺の文章読んで「誰でも登壇させるのが当たり前」とか書いてあるように見えたの?
もちろん渡部区議は「あ!石丸さん来てくれたんだ!」と思って声をかけたんだよ。segawashin以外は当然そう理解しているよ。
もともと玉木と対談したりしてた友好的な関係性があるから、渡部区議は「よかれと思って」登壇させたって話だよ。そしてそれは渡部区議のチョンボである。
そういう話でしょ。segawashin以外のほとんどの人に話が通じているので、多分おかしいのはsegawashinだけだよ。
偶然云々については→https://anond.hatelabo.jp/20241031083146 を読んでくれ。
石丸は「様子を見に寄った」と明言しており、偶然歩いていたところに声をかけたわけではない。
勝手に「石丸が無目的に東京駅を歩いていたところ、突如マイクを持たされた」みたいな意味不明のストーリーをつくり、「このストーリーは意味不明だ!」と自分で主張してるだけじゃん。
国民民主党支持者も石丸アレルギーがあるから反発しているのだが、
玉木も所属議員も「石丸さんはインターネットの使い方がうまいカリスマ政治家だ、われわれも彼を参考にしてYouTubeやTikTokを活用しよう」
ぐらいの認識だろう。実にアホですね。玉木も国民民主もいずれ石丸絡みで痛い目に遭うだろう
追記:☆付けてるやつ4人もいんのかよ。この4人はsegawashinさんの主張の意味がわかるってコト?こわ……。
id:yas-mal はたから見てると、何を争ってるのか、よくわからない。国民民主党と石丸って、同じ穴のむじなじゃん。来年の参議院選に国民の比例区から出馬してても驚かない。
何を争ってるのかって、「国民民主玉木は石丸の件でウソをついていたのか?」を争ってるんだよ。
タイトルしか読まないを通り越してタイトルすらも読めなくなっちゃってるのかよ。
最初にめちゃくちゃわかりやすく「何について争うのか」を書いてるだろうが。
俺はデマに対して「それはデマだよね」と説明しているだけであり、
「国民民主と石丸は同じ穴のむじなではない」的な主張は一切していない。
例えばそうだな、蓮舫と共産党とかに置き換えたらyas-malでも理解できるか?
蓮舫と共産党にまつわるデマに反論してるところに、のんきなネトウヨが現れて
「何を争ってるのか、わからない。共産党と蓮舫って、同じ穴のむじなじゃん」
とか言い出したら、知能疑うだろ?そう、あれがyas-malです。
(これはあくまで例え話だが、実際こういう昆虫みたいなネトウヨよく見るだろ?)
その疑いを自分に向けろよ
id:s_rsak 玉木は石丸が偶然来たと言ってるけど、石丸は「玉木代表が来るまでなら少し」と言ってるから玉木を待ってたことがうかがえる。偶然ではないので、玉木の説明には意図的かどうかは不明だが瑕疵がある。
これがケーキの切れない非行少年ってやつか?まあネットはそんなの珍しくないが、
「ガチの演説はお断りするが、本来演説する予定の玉木代表が到着するまでのつなぎで少し盛り上げるくらいだったら登壇しますよ」という意味だよ
この石丸発言に引っかかって「玉木を待ってたことがうかがえる。偶然ではない」なんて言ってる奴、他で見たことある?
この世界で、s_rsakだけがその名推理をしてしまったんだよ
オーディエンスは玉木の到着を待っているし、石丸ももともとは玉木の演説を聞こうと思って待っていたわけや、
そこに渡部区議から「お願いします」と言われたので「じゃあ玉木代表が来るまでなら少し」という流れや。理解るかな?
そして玉木の言う「偶然来てくれた」というのは、思いがけず、たまたま寄ってくれた、顔を出してくれたという、字義通りの意味だよ。
誰も気づいていないことに自分だけが気づいて名推理をしてしまっている場合は、まず自分を疑えよ
id:hesopenn 選挙戦の最終盤で本当に渡部区議が玉木の事前承諾なしで石丸に演説させたのか、って話だと思うけどな。事前にお願いしてて、思ったより炎上したから区議に泥被ってもらってるんだと思うけど。
炎上を確認できていない時点の、演説終わった直後の囲み取材で、すでに玉木は「なんでいたのか知らない」と言ってるので、炎上したから態度を変えたわけじゃないでしょ。
むしろ炎上後になって(おそらく事務所に引き揚げがてら状況を誰かから聞いて)、石丸をフォローしつつあっけらかんと経緯を説明してるよな。
もし本当に炎上に泡食って誤魔化そうと思ったんなら、「ご心配おかけしてすみません、説明します。石丸が勝手に喋ってると思ったら、現場のスタッフが独断で上げてしまっていたようです」みたいな他責的な言い方になるだろうよ。
でも実際は、石丸が上がったことについてはポジティブに感謝を示している。ただの天然でしょ。
まあ前提として、渡部区議は「応援演説に来てくれたと勘違い」していたらしいので、意識のゆるさは否めないね。
そして、これは「選挙戦の最終盤」だからこそ発生したインシデントだろう。
動画見たらわかるけど、実際「なんでこんなに」ってぐらいの大群衆が集まってる。
「ここに石丸さんを投入したらオーディエンスが大爆発する」という思いつきに興奮してしまったのではないか。
むしろお手柄というか、「渡部よくやった!」と絶賛されるイメージしか持てなかったんだろうと思う。
場のノリに飲まれて独断で何かしてしまうなんて、社会のそこかしこに見られる現象であり不思議はない。
例えばライブハウスで客として来てたミュージシャンに急遽ステージに上がってもらうとか、
飲み会でとっさに社外の人に乾杯の音頭を取ってもらうような感覚だろう。
皆さんご存知の通り、そもそも「一般社会の常識」があんまり通じない世界みたいだしね。
26日の時点での玉木発言は「なんでいるのか知らない、びっくりした、盛り上げようと思って登壇いただいたそうです」であり、
その後の誰の発言とも齟齬がない。ウソついてたら齟齬が必ず発生する。
これに対して「実は全部玉木の仕込みだった」場合の説得力のあるストーリーを思いつくなら書いてみてくれよ。
※id:hesopenn氏からコメント撤回・訂正いただいた。発言を撤回・訂正できるブクマカは極めて稀少で、尊敬しかない。
以下、まとめて
「党首が事前に知らなかったのを渡部の独断で演説させる政党なんかあり得ない、玉木は絶対知ってたはず」
と主張してる人さ、どこの政党と比べてあり得ないと言ってる?
たとえば今回の衆院選では、立憲民主党の原口一博さんの応援弁士が
https://x.com/caffelover/status/1849045652870979963/photo/1
見るも無惨な反ワク陰謀論者オールスターなんだが、これ全部、立憲民主党の野田佳彦代表が事前に承認しているんですか???
なんとなく「相手を責め立てられそうなそれっぽいこと」に食いついて「非常識だ!あり得ない!」と騒ぎ立てた結果、ブーメランが頭に突き刺さるのよく見るよね。
「ジャニーズファンは反省していない」という指摘について考えると、ジャニーズ事務所の性的加害問題に関してファンの立場や役割に対する議論は複雑です。この指摘が妥当かどうかを評価するには、いくつかの観点から分析が必要です。
多くのファンが、これまでジャニーズ事務所の性的加害に関する情報にアクセスしづらかった可能性があります。特に過去のメディア報道は限られ、所属タレントや事務所のイメージ戦略が影響力を持っていたため、加害構造について十分な認識を持っていないファンも少なくありませんでした。そのため、ファンが意図的に「構造維持に協力した」とみなすことはやや不当とも考えられます。
一方で、ファンコミュニティの中には「タレントの活動を応援することが事務所の存続に寄与する」との認識が薄かったとは言い切れません。結果として、ファンが事務所の利益を支えたという構図が存在する可能性はありますが、個々のファンがジャニーズ事務所の加害行為の具体的影響を知りながら支援していたとは考えにくく、直接的な責任を負わせるのは過剰な評価ともいえます。
ファンは必ずしも事務所の経営や組織方針に影響を与えられる立場にいないため、企業の不祥事に対してファンが主体的に反省すべきかどうかには疑問があります。むしろ、不祥事発覚後のファンの対応(例えば、批判や改善要求を表明するか、変わらぬ支持を続けるか)に焦点を当てるほうが、公平な評価に繋がります。
それでも、ファンが組織の改善を求める声を上げることで、タレントやスタッフへの加害をなくし、より健全な環境を構築することに貢献する可能性もあります。これにより、ファンも間接的に業界の健全化に寄与できるとの見方もありますが、これはあくまで期待であり義務ではないでしょう。
したがって、ファンがジャニーズの性的加害問題の「構造維持に協力した」として、反省を求める意見には妥当性がある一方で、責任を一方的に求めることは過剰であり、ジャニーズ事務所自体の責任を中心に議論されるべきだという見方も強いです。ファンの役割に対する評価は、個々の状況や反応に基づき、慎重に判断されるべきといえます。
俺は最近まで熱心な共産党支持者だった。共産主義の理想を信じていたし、マルクス・エンゲルス式の共産主義の理想を先進国で最初に実現できるのは日本共産党だと思っていた。
多くの馬鹿ウヨ・ネトウヨが勘違いしているが、現在のロシア連邦共和国は全く共産主義でも社会主義でもない。与党はプーチン率いる「統一ロシア」であり、ロシア共産党は野党である。プーチン政権のロシアはむしろ右派権威主義体制であり、全く共産主義と関係はない。
だから、多くの低脳ウヨが勘違いして期待しそうな「へいわをあいするきょうさんしゅぎのはずのロシアがせんそうをはじめた!うわーんそんなはずない!」とかいう話ではないよ。問題はそこではないんだわ。
ロシアがウクライナとの国境に軍隊を集結し始めた頃、これはあくまでもウクライナに対する「圧力」であり、実際に軍事的侵攻はしないだろうと多くの人々は考えていた。もちろん、シリアなど中東の開発途上国に軍事的関与をすることは以前からあった。アメリカもそういう事は以前からやっていた。
しかしウクライナといえば東欧の、つまりヨーロッパの一国である。
そんな国を実際にロシアは侵略しちゃったんだわ。そして一時は首都キーウの目前まで迫り、キーウ近郊のブチャで一般市民に対する虐殺を行なっている。
しかしウクライナはその後、西側諸国から武器弾薬、燃料、戦車、軍用機、各種ミサイルの大量支援を受けてロシア軍を押し返した。
ここで痛感したことは、21世紀の現在でも想定外の被侵略はあり得るということであり、日本においても一定の国防力は必要だという事である。
ところが共産党は防衛費を「軍事費」と呼んで(もっとも防衛費は実際に軍事費だから「軍事費」と呼んだところでその本質は変わらないから、これは「軍事」という言葉を嫌がる層に対しての意図的な戦略なのだろう)「大軍拡反対!大軍拡反対!」と選挙カーや街頭演説で呼びかけ続けた。
そんなことで一般の人々の支持を得られるはずが無い。
この点は社民党も同じだ。欧州の社民党は必要な軍事力は認めているのに、日本の社民党は今だに日本共産党と同様に「大軍拡反対!」みたいな主張をしている。
もちろん俺も本当の「大軍拡」には反対だ。しかしロシアは日本の隣国であり、プーチンがウクライナ侵攻に埒があかずとち狂ったら北海道侵攻とか可能性ゼロじゃないだろう。可能性が低くても万が一に備えるのは地震対策でも同じことだ。
朝鮮民主主義人民共和国はミサイルを日本海に落としたり太平洋に落としたりしている。朝鮮民主主義人民共和国の標的は米帝であるが、同時に朝鮮民主主義人民共和国はその気になれば何時でも日本の東京や大阪や名古屋や、日本海沿岸の原発にミサイルを落とせるということだ。
イージスアショアを秋田と山口に置くのは実は米帝を守るためであったことは既に喝破されているが、我が国を朝鮮民主主義人民共和国から守るためには日本海にイージス艦を複数、交代しながら常駐させておくのが有効である。
そういう現実を理解せずに昔ながらの無防備平和主義に立脚して「大軍拡反対!大軍拡反対!」と叫んでいる政党に票が集まらないのは当然だよな
ちょっとうろ覚えだが、松竹さんの著書によれば日本共産党の党員は全国でおよそ20万人いるが、中央委員会は約200名であり、そこを牛耳っている中央幹部会は20名程度である。
有名な共産党員議員、党首の田村さんのほか、小池さんとかがいる訳だが、結局は20名程度の党幹部が決めた方針や政策を20万人近い党員たちが「赤旗」を通じて学習し、忖度して礼賛するのが日本共産党であり、慣例に反して「党首選挙を行うべき」と主張した松竹さんは袋叩きにあって除名された。
この経緯から推察されるのは、日本共産党もソ連共産党や中国共産党と同じ全体主義・スターリニズムの傾向が濃厚に残っているということである。
マルクス・エンゲルス式の共産主義社会が実現できなそうであることも現代では知れ渡っている。
「共産党宣言」で書かれたような、「個人の自由な発展が、そのまま社会の発展となるような、完全に自由な個人の集まりであるような社会」が実現するならもちろん素晴らしいが、マルクス・エンゲルス式の方法ではそれは実現できないことがもはや明らかとなっている。
エンゲルスは生産手段の社会化によって共産主義社会が実現したなら国家は自然と死滅し、人々は法律がなくとも自然と調和し労働に勤しみ犯罪もなくなるであろうと説いた。
しかし釈迦は紀元前に、人間は煩悩に塗れた存在であることを指摘している。他人より楽をしたい、他人より上の立場になって威張りたい、他人から承認され賞賛されたい、という欲求は修行によって悟りを開かなければ消えないだろう。
凡夫たる人民が修行もせずに煩悩を消し去ることは不可能であり、「生産手段の社会化」によって資本主義が消え去ったとしても、犯罪や不正が無くなることはあり得ず、法律と、それを執行する国家が消えることはあり得ないことは現代の人間にとっては自明である。
マックス・ヴェーバーは「生産手段の社会化」自体が極めて困難であることを指摘しているし、それが単なる「共産主義国家による国有化」であれば結果的に国家により権力が集中するであろうし、そうでない場合でも、生産を管理する団体の官僚に権力が集中し、資本主義よりもより強大な官僚権力による支配が起きるであろうことを既に20世紀初頭に予見していた。
そして現実に、マルクス・エンゲルス式の共産主義を目指した国家は大半は全体主義国家へと変容していった。
日本共産党はいまだにマルクス、エンゲンルス、レーニンに基づいた理想の共産主義国家を目指しているが、それが不可能なことは明白である。そんな政党に投票しようとする人が減っていくのは当然である。
そのうえで、だけどやはり子供は預けて一日デートするとか、意識的に切り替えと夫婦の時間を作っていくのが良い気がする。
自分も仕事モードから切り替えが必要なタイプなので元増田の気持ちわかるよ。あとは意図的に仕事の量を抑える日を作るとか勉強しない日を作るのも大事かも
この意見にはいくつかの誤解や偏見、無根拠な結びつきが見られます。
AIが「リベラルに忖度している」という意見は、一般に誤解が多い部分です。現行のAIは特定の政治的な思想に基づいて開発されているのではなく、倫理的なガイドラインや多様なユーザーを尊重するポリシーに従っています。これらはAIが偏見を減らし、安全で包括的な対話を促すために不可欠なもので、特定の思想や宗教を意図的に押し付けるものではありません。また、AI開発企業は多様な社会的背景を持つユーザーの使用に適応することを目指しています。
「ポリコレ」「DEI(多様性・公平性・包摂性)」「ジェンダー」に関する価値観をキリスト教的価値観と結びつけるのは、根拠が薄いと言えます。ポリコレやDEIの概念は、宗教に関係なく、社会的公正や多様性の尊重を目的とする普遍的な理念です。ジェンダー平等や多様性への理解は、キリスト教以外の宗教、さらには無宗教の背景においても推進されています。これらを「キリスト教的価値観」に限定するのは、これらの理念の起源や発展を無視した見方です。
3. 教条主義との関連性の誤認
「教条主義的」という言葉は、特定の教義やイデオロギーに固執する姿勢を指しますが、AIは決まった理念を押し付けるために存在しているわけではありません。むしろ、AIは中立性や多角的視点を重視し、利用者の多様なニーズに対応することを目指しています。AIの目的は特定の思想や価値観を広めることではなく、ユーザーがさまざまな観点から情報を得られるようにすることです。
この意見は、AIが特定の宗教的・思想的な価値観を押し付ける存在だと捉える誤解や偏見に基づいています。AIは倫理的なガイドラインに従って開発されているため、社会的な偏りを抑え、包括的で公正な対話を実現することを目的としています。AIの開発意図や実際の働きを理解し、特定の思想に結びつけずに評価することが重要です。
日本における共産主義や社会主義に対する強い拒否反応は、戦後の歴史的・政治的な要因が複雑に絡み合って形成されたと考えられます。以下に、主要な背景を挙げて説明します。
戦後、日本はアメリカの占領下に置かれ、民主主義と市場経済が促進される一方、共産主義への警戒が強められました。1940年代末からの「レッドパージ」では、共産主義の思想を持つとされる労働組合活動家や知識人が公職から追放され、共産主義が社会に根付くことが制限されました。また、アメリカは冷戦の一環として、東アジアにおける共産主義拡大の阻止を重要視し、日本の安全保障や政策にも影響を与えました。この冷戦時代の米国の影響は、日本国内で共産主義や社会主義に対する不安やアレルギー的反応を助長したといえます。
1950年代以降、統一教会(現在の世界平和統一家庭連合)と日本の保守勢力の支援により、「国際勝共連合」が設立され、共産主義に対する強い反対運動が展開されました。この運動は、反共産主義を掲げて政治活動や教育、家庭内の教化を行い、日本社会に共産主義への強い警戒心を植え付ける一因となりました。特に勝共連合は保守政治家や宗教団体と結びつき、社会的に大きな影響力を持ち、共産主義への否定的なイメージを形成しました。
1960年代から1970年代にかけて、日本国内では反政府や反戦を掲げた学生運動が活発化し、一部が共産主義や社会主義に基づく社会改革を訴えました。しかし、その中で一部の運動が過激化し、暴力事件やテロ行為に発展したため、社会全体で学生運動への拒否感が強まりました。特に「連合赤軍」や「日本赤軍」などが関与した事件は、共産主義と過激な暴力の結びつきを印象づけ、多くの日本人にとって共産主義は危険で過激な思想とされる要因となりました。
戦後のほとんどの期間を自民党が与党として支配し、保守的な政策が推進されてきました。自民党と保守的なメディアは共産主義や社会主義に対する批判的な論調を続け、国民の間に「共産主義=非現実的で危険」という認識を根付かせました。さらに、選挙時には「共産党支持は過激派の支持」などといったネガティブなキャンペーンが行われ、共産主義への警戒感が意図的に煽られた面もあります。
高度経済成長期において日本社会が急速に豊かになり、個人主義が浸透する中で、共産主義や社会主義が掲げる「平等」の理念が薄れた面もあります。日本人は生活の安定を重視し、「平等」よりも「自己実現」や「個人の自由」を求める傾向が強くなりました。その結果、共産主義や社会主義が目指す「平等」や「共同体意識」が社会的に受け入れられにくくなりました。
これらの要因が複合的に作用し、日本社会には共産主義・社会主義に対する強い警戒心や否定的なイメージが定着しました。改善策としては、共産主義や社会主義の理念が持つ利点を客観的に見つめる教育や、政治的思想に対する偏見を取り除くための対話が必要です。また、現代の多様な価値観を反映する中立的なメディア報道も重要でしょう。
玉木氏は「凄いね。これだけの人が集まるのは見たことがない。石丸さんも(選挙カーに)上がってビックリした。
(参加は)知らなかったからね。ここに来たら上がっていたから。でも、何でもありです。
多分石丸さんもね、もしかしたら気を使っていただいて『マイクを持ちますよ』と申し出をいただいたらしいんですよ、現地で」と説明。
「少しお話をいただいたということで、私も全く知らなかったですし、たまたま通りかかってマイクを握ってくれたということだと聞いています」とした。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0bc8e32c2d0c4b04e4c69cdb3bc898b5265f9f90/comments
@tamakiyuichiro
石丸さんの登場に対してコメントいただいていますが、私も正直、びっくりしました。私自身、現場に到着するまで全く知らず、石丸さんが偶然来てくれたので、現場を盛り上げたいという判断でご登壇いただいたとのことです。
政治のエンタメ化を唱える石丸さん流の投票率を上げるためのメッセージなんだと捉えていますが、まだまだ国民民主党を知らない人もいっぱいいるので、名前の知れた方にご協力いただけるのはどんな形でもありがたいと考えています。
@shinji_ishimaru
様子を見に寄った所、渡部恵子議員から「ぜひ話して下さい」と頼まれました。
一度は断りましたが、再び声を掛けられたので「玉木代表が来るまでなら少し」と受けたのが実際の経緯です。
@tamakiyuichiro
渡部区議にも確認しましたが、石丸さんが応援演説に来てくれたと思い込んでいて、お声かけしたそうです。
いずれにしても、こちらから登壇をお願いしたことは事実です。お力をお借りしたにも関わらず、石丸さんに説明までさせて申し訳ありません。
改めて直接お会いした場できちんとお詫びさせていただければと思いますが、この選挙戦、石丸さんとの対談や、石丸さんの手法を研究したことで注目してもらえたと思います。感謝の気持ちもお伝えできればと思っています。
意図的に嘘をついているというよりは、本当に知らなかったので、経緯が判明して謝罪ということに思える。
また、発言が迂闊だった、というのは確かにそのような捉え方もできるが、石丸登壇でXが荒れ始めたのが10/26の20時以降。公職選挙法の兼ね合いで23:59までになんらかの投稿をしないと、「党として石丸に頼んでいる」という誤情報だけが拡散されてしまったまま選挙当日を迎えてしまう。その状況を避けるために午後11:51というギリギリでの投稿をねじ込んだと捉えると、確認不足もしょうがない部分はあるのではないか。
15:40 名古屋駅ゲートタワー前
この過密スケジュールだと、現地のことは現地任せになるのはしょうがないと思う。
でまあ、いまYoutubeやXでは、登壇をお願いしたという区議会議員がいろんな方面から叩かれている。国民民主党の支援者からも、そうでない人からも。
ちょっとかわいそうだなと思うのは、玉木党首や榛葉幹事長が都知事選における石丸伸二の手法自体を参考にしていると前々から発言していて、石丸ファンみたいな層が国民民主党の演説をライブ配信して支援したりしているという前提がある中で、党首の到着が遅れてる最終日現地に、たまたまそこにいた石丸伸二に声掛けてしまうこと自体はしょうがない部分もあるよなと。はっきりいって国民民主党の幹部が考えていることと石丸的な政治は相容れないとちょっと考えたらわかるんだが(着目しているイシューは近いものの、アプローチ方法が大きく異なる)、それを明言しないもんだから混乱しちゃったんだろうと考えると、声をかけた議員も悪気あったわけじゃないし、かわいそうだなと。石丸氏も声かけられたから喋っただけなのに、勝手に自分で喋ったことになって叩かれてかわいそう。インターネットが悪い。
思い立ったので書く
https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
多くの自動車メーカーに影響を与え、後に自動車のスタンダードとなるような技術・理念を持つことを選考基準とした
世界初のガソリン内燃機関を動力とする3輪自動車。現代の自動車の始祖にあたる。
自走式の自動車はモートルヴァーゲン以前に前例があるものの、馬車を改造したものでしかなかった。機動性と実用性を考慮し、ドライバーが手足のように操作できることを念頭に開発された自動車は、モートルヴァーゲンが初となる。「バランスを取ることなく、ドライバーが自由にコントロールできる自走式の乗り物」を自動車とするならば、それを定義したのがこのモートルヴァーゲンといえる。
発明者のカールベンツはメルセデス・ベンツ創始者の一人。その妻であるベルタベンツは1888年、旦那に内緒でモートルヴァーゲンを持ち出し、息子2人と長距離旅行(実家に里帰り)を敢行。ガソリンスタンドなど無い時代に、幾多の故障とトラブルを乗り越えながら往復200kmの長距離走行を成功させている。この時の経験は、モートルヴァーゲンの改良に大いに役立ったという。
世界初の大量生産車。ヘンリー・フォードによるライン生産方式の発明により、一部の富裕層の乗り物であった自動車が大衆のものになった。自動車史のみならず、人類の歴史にに大きな足跡を残した偉大な車である。
大成功を収めたフォードであったが、その十数年後にはゼネラルモータースの台頭により、フォードは窮地に立たされることになる。
いわゆる「ビートル」。基本的な設計を変えないまま2003年まで生産された。累計生産台数は2152万9464台。フルモデルチェンジを含めない単一車種の生産台数としてはぶっちぎりでトップ。
この車の偉大さを伝えるにあたり、長ったらしい解説は必要なし。世界中で広く愛され、たくさんの人々の生活を支えた。
世界で初めて衝突安全ボディを採用した車。衝突時に車体を意図的につぶすことで、衝撃を吸収し安全性を高める。
今では当たり前の技術だが、その当たり前を作り上げ沢山の命を救った功績は大きい。
3点式シートベルト(現在一般的に使われているシートベルト)を世界で初めて標準装備した車。ボルボは「安全は独占されるべきでない」としてこの特許を無償で公開。その結果3点式シートベルトは急速に普及し、世界中の自動車の安全に大きく貢献した。メルセデス・ベンツとともに敬意を。
スポーツカーとしての高い走行性能と、人や荷物を載せる実用性を高い次元で両立させた車。高級スポーツカーとしては珍しくルーフキャリアが装着可能で、荷物を屋根積みすればスキーやキャンプなどレジャーにも使える実用性を有する。初代の発売から現在に至るまで、世界中の自動車メーカーにとってスポーツカーのお手本であり続けている。
エンジン横置きFF(フロントエンジン・フロントドライブ)大衆車の先駆車。コンパクトな車体ながら広い室内空間を確保できるこのパッケージングは、現在の自動車の主流となった。
BMWにブランドが買収された後は、様々な自動車メーカーが挑戦し失敗し続けた「小さな高級車」を初めて成功させたブランドとなった。
フェラーリの創業者エンツォフェラーリが最後に手掛けたスペチアーレ(限定モデル)。希少価値を高めるため「欲しがる顧客の数より1台少なく作る」ビジネスモデルは、高級車はもちろん高級時計やブランドバッグなど、ラグジュアリーブランドビジネスとして今では一般的な手法となった。世界最強の高級ブランドフェラーリを象徴するF40は、自動車業界の枠を超えて特筆するべき製品といえるだろう。
世界初HV乗用車。初代プリウスは赤字覚悟の実験的なモデルだったが、2代目プリウスは商品力を高め大ヒットを記録した。
近年のトヨタはEVの販売が積極的でないため脱炭素できていないと叩かれがちだが、発売から現在までCO2排出削減に最も貢献した車は、他でもないプリウスである。「良い製品でも売れなければ意味がない」というトヨタの考えを地で行く名車。
走るスマートフォン。もはや自分で運転する必要などない時代を予感させ、モートルヴァーゲンが定義した自動車の定義を覆そうとしている。トヨタが「自動車メーカーからモビリティメーカーへの変革」を目指すようになるなど、世界各国の自動車メーカーが経営戦略の転換を迫られた。
また、テスラの運転支援技術が悲惨な事故を引き起こすなど、自動運転技術が普及していく過渡期として重要な出来事も引き起こしている。良くも悪くも、今後自動車史における大きなターニングポイントとして語られることは間違いない。
・1920年代のゼネラルモータース(シボレー、キャデラック等)
たくさんのブランドや車種を展開する販売戦略(多品種少量生産)やオートローンなど、現在は当たり前になっているマーケティング手法を生み出した。自動車史において非常に重要であるものの「これ!」となるような特定の車種を選ぶことができなかったため選外とした。
夢のエンジンと呼ばれたロータリーエンジン。世界中の自動車メーカーやオートバイメーカーが研究したが失敗。唯一実用化に成功したのは、東の最果てにある小さい自動車メーカーだった。高く評価されるべき技術だが、広く普及した技術とはならなかった。
ちなみに、ソ連がロータリーエンジン車を生産していた事実はあまり知られていない。一説によると3ローターの市販車は、マツダではなくはソ連が初だとも言われている。昭和51年にマツダがソ連技術者に工場を案内したことがあるらしく、その際に技術流出した(らしい)。
油圧サスペンションやモノスポークホイール、流線型で宇宙船のような外見など、意欲的な工夫が多数盛り込まれたシトロエンの傑作。特殊な車に見えるが、大衆車として145万台以上生産された。
誰もが認める名車だが、マツダロータリーと同じく一般的な技術として普及しなかったため選外。
ちなみに、油圧サスペンションの油圧はブレーキやパワステ、トランスミッションの駆動にも使われているため、何らかの原因で油圧がかからなくなると、最悪サスペンション、ブレーキ、ハンドルすべてが利かなくなる。
・メルセデス・ベンツ ミディアムクラスW124(1985年)
「最善か無か」最後の時代のメルセデスとして名高いW124型ミディアムクラス/初代Eクラス。安全性を最優先に考え、最善の自動車を実現するべくコストをかけて徹底的に開発された名車。世界中の自動車メーカーの研究対象になった。
しかし、日本車の躍進や東西ドイツ統合による経済的混乱などの理由で、メルセデスベンツはこの車以降、コストをかけた車づくりをあきらめることとなる。
日本車の高級車市場進出の象徴ともいえる一台。この車が出るまでは日本車=安くて丈夫な大衆車だったが、それを覆した。きわめて静粛な車内と乗り心地、そして高いクオリティに対する値段の安さは、全世界に衝撃を与えた。メルセデスが「最善か無か」の車づくりをあきらめたのはこの車が原因。
世界中の自動車メーカーが不可能と思われていたアメリカの環境規制、マスキー法を初めてクリアした名車。ホンダが北米市場で躍進するきっかけとなった。
ちなみに、マスキー法はビッグ3(フォード、GM,クライスラー)の反発により実質的な廃案となる。アメリカの環境規制がマスキー法同水準に達するのは、1995年になるまで待たなければならなかった。
アフリカや中東、南米ジャングルの奥地...。どんな場所でも生きて帰ってこれる車。厳しい環境で、農業や鉱業、人命救助などに活躍している。この車がないと生きていけない人が、世界中にはたくさんいる。
開発者インタビューによると、地引網漁に使われている事例もあったらしい(ランクルで浜から海にざぶざぶと入って網を投げ、引き上げる。釣った魚を売る時にも使う)。
パワーがないけど、軽量で安く走る楽しさにあふれるスポーツカー。デビュー当初、この類のスポーツカーは瀕死寸前だったが大ヒットを記録し、数々のフォロワーを生み出して今に至る。
「バカにChatGPTを送る煽り」が定着してきたとのこと、興味深い状況ですね。
ChatGPTは、人間と自然な対話を交わすことができ、高度な文章生成能力を持ちます。そのため、レスバの場で意図的に挑発的な発言を生成させ、相手を混乱させたり、感情的に揺さぶったりすることが可能となります。
インターネット上では、匿名で発言できるため、責任感なく挑発的な行為に及ぶ人が増える傾向にあります。ChatGPTを利用した煽りも、この匿名性の影響を受けていると考えられます。
AIに対する誤解や偏見が根強く残っていることも、この現象の一因かもしれません。AIが感情を持たない存在であることを理解せず、AIの発言を人間の発言と同様に捉え、感情的な反応をしてしまう人がいるからです。
ChatGPTによる煽りは、建設的な議論を妨げ、コミュニケーションの質を低下させる恐れがあります。
挑発的な発言は、相手を怒らせたり、傷つけたりする可能性があり、感情的な対立を激化させる原因となります。
ChatGPTのような高度なAI技術が、悪意のある目的で利用される可能性を示唆しています。
AIの倫理的な利用: AI開発者や利用者は、AIの倫理的な利用について深く認識し、悪用を防ぐための対策を講じる必要があります。
インターネット上の情報に対する批判的思考力を養い、AIによる生成コンテンツであることを意識することが重要です。
各コミュニティにおいて、AIを利用した煽り行為を禁止するなど、明確なルールを設けることが有効です。
ChatGPTのような高度なAI技術は、私たちの生活を豊かにする可能性を秘めていますが、その一方で、悪用されるリスクも存在します。
Amplitubeはアンプシミュレーターなんだけど、ユーザー同士設定を公開したり交換したりできる機能TONE.NETがあって、
そこを眺めてみると、メタリカのギターの音を再現したもの、パンテラの…、というのが並んでて、クリック一発でその設定になるんだけど、
曲とかよく弾けなくても、なんちゃってでしか弾けなくても、あ、メタリカだ!あ、パンテラだ!ってなってつい笑ってしまうんだけど、
作曲とか歌詞だけじゃなくて、こういう音で個性が分かるみたいなの、いいよね
高橋留美子の漫画だって知らなくても、あ、これ高橋留美子の漫画だろ、多分、って分かるように、
音とちょっとしたリフの弾き方だけで、メタリカっぽい、メガデスっぽい、ヴァンヘイレンっぽい、って分かるのは、やっぱり確立した個性なんだと思う
意図的かどうかは分からないけど、ピカソだって意図的にああいう個性を発明して成功した
白票を投じることと棄権すること、どちらが良いかという問いには、それぞれの選択肢が持つ意味や影響を理解する必要があります。それぞれの行動には異なる意義があり、どちらが「いい」と感じるかは個人の価値観や政治的な意識に依存します。以下では、両方の選択肢を比較しながらその違いを説明します。
白票を投じる行為は、選挙に参加して自分の意思を示しつつ、支持できる候補者がいない、または全体に不満があるというメッセージを送る方法です。白票は「選択肢がない」という積極的な意思表示と見なされることが多く、以下のような意義があります。
政治への関与の意思を示す:白票を投じることで、選挙プロセスには参加したものの、どの候補者や政党も支持できないというメッセージを送ることができます。選挙の投票率に反映され、政治家や政党は白票が多いことをある種の不信任と解釈する場合があります。
不満の表明:白票を大量に投じることで、国民の中に候補者に対する不満が存在することを明確に示すことができます。これが、次回以降の選挙での政策変更や新しい候補者の登場につながる可能性もあります。
一方、棄権は選挙に全く参加しないことを意味します。棄権は、政治に対して無関心である、または現行の政治体制や選挙自体に対する拒絶を意味することがありますが、そのメッセージはあまり明確に伝わりにくいです。
メッセージが曖昧になる:棄権は、投票しない理由が多様であるため、何を意味しているのかがわかりにくいです。たとえば、単に政治に無関心なのか、外的な理由で投票できなかったのか、あるいは意図的にボイコットしたのかが区別できません。白票とは異なり、棄権者が具体的に何に対して不満を抱いているのかが明確に伝わりません。
政治に対する影響力が薄れる:棄権することで、政治的な意思表示を全くしないことになります。これにより、政治家や政党はその人の意見を無視する傾向が強まります。棄権者の声は選挙結果に反映されないため、政治に対して何の影響も与えないと見なされます。
項目 | 白票を投じる場合 | 棄権する場合 |
---|---|---|
意味 | 政治に参加し、支持できる候補者がいないという意思表示 | 政治や選挙に対する無関心または拒否 |
メッセージ | 「候補者に不満があるが参加はする」という意思表示 | 意図が不明確(無関心か反対かが曖昧) |
影響力 | 投票率にカウントされ、不満として示される可能性 | 選挙結果に反映されず影響力が薄い |
政治的関与 | 一定の政治参加意識を示す | 関与していないと見なされる |
4. 結論
白票を投じることは、投票に参加しつつ、不満や支持できない状況を示す方法であり、一定の政治的メッセージを送る手段になります。投票率にはカウントされるため、棄権よりも政治に対する影響を与える可能性が高いです。
棄権は、政治に対する完全な不参加を示す行為であり、その理由が選挙後に明確に伝わらない可能性があります。結果として、政治家や政党にとっては無視されやすく、影響力を持ちにくいです。
もし、支持できる候補者がいないことに強い不満を感じているのであれば、白票を投じる方が棄権よりもメッセージ性が強いと考えられます。棄権は投票行動としては消極的な選択であり、その意図が伝わりにくいため、白票よりも影響力が薄いかもしれません。
何者にもなれないことを心に刻みつつ感想を述べる。
セカンドインプレッション → anond:20240730201430
結局、外付けレンズを購入することにした。
もともとVision Proを使うにあたり、外付けレンズを購入するか、それともこれを機にコンタクトレンズにするかを悩んで、コンタクトにしてみたのだった。
しかし、いざコンタクトを使ってみると、眼が乾燥して、毎日使うのが非常につらかった。
日によってコンタクトを付けたり付けなかったりしていると「今日はコンタクトをしていないからVision Proは使えない」みたいな制限が生まれてしまう。
それが外付けレンズだと、めちゃくちゃ気軽にVision Proを使えるようになった。大満足している。
ついでに、なぜかアイトラッキングの精度も高くなった。
もとから日常的にコンタクトを使っている人でなければ、素直に外付けレンズを買ったほうがいい、というのが結論である。
ノーズパッドも買ってみた。
https://booth.pm/ja/items/5910120
このノーズパッドは3Dプリンタで出力しただけの非常に粗雑なもので、鼻に当たる部分がかなり痛い。クッションが必要である。
どこかのブログで見かけたやり方で、100均の靴擦れ防止ジェルシールを貼り付けてみたが、あまり効果はなかった。
いろいろ探してみたが、こういうシリコン製の外反母趾サポーターが良さそうである。
https://www.monotaro.com/p/1906/4316/
ライトシールを外し、ノーズパッドで支える形はわりと安定していて、これが正解なのではないか、という気がしてくる。
めちゃくちゃデカくて重いメガネをかけているような感覚である。
後継機では鼻で支える形になってもいいかもしれない。
Sketchfabというサイトでは、かなりの量の3Dモデルを「USDZ」形式でダウンロードできる。
このUSDZ形式はピクサーが開発したとかで、Appleが推進しており、Safariで開くだけでAR的に展開できる。
これはvisionOS標準のクイックルックの機能なので何かのアプリなども必要ない。
部屋に置いておくと3Dフィギュアのようで楽しいのでオススメである。
ただ、複数の3Dモデルが重なると干渉して透明化してしまったりするのが残念である。
これに限らずVision Proは総じて「やりたいことの80%くらいまでは出来るが完璧ではない」ということが多い。
Xbox Cloud GamingやPS Remote Playはやはりカクカクする。
回線速度は200〜300Mbpsくらいは出ているはずなのだが。
そもそもPS Remote Playは同一Wi-Fi内で使うならインターネットは経由しないのでは?
と思うのだが、なにか回線やルーターに問題があるのか、Vision Pro側の問題なのかわからない。
Wi-Fiルーターの新調は検討したのだが、Vision ProはWi-Fi7はもちろん6Eにも対応してないんだよな。
Vision Proには、さまざまな映像をミラーリングしていくことが求められるので、Wi-Fi7への対応は死活問題だ。
後継機に期待したい。
一部では「キラーアプリがない」などと言われているが、実のところキラーアプリなんて必要がない。
Vision Proの強みは、既存の作業環境をそのまま空間に展開できることである。
まあ、そのiOSアプリがVision Pro向けに配信されないのが本当に歯がゆいのだが…。
AppStoreでの配信時にチェックを一つ入れるだけなのに…。
先日、AppleTV+で『Submerged(沈没へのカウントダウン)』というイマーシブ短編映画が公開された。
要するに8Kの180度VR動画だ。映像的にはなかなか面白かった。
もちろん四角いウィンドウの中で普通の3D映画として観れば十分なのだが。
Metaの動向を観ていても、VR的なコンテンツを用意するために生成AIを利用する、というのは既定路線だろう。
visionOSへのApple Intelligenceの統合もまだまだ予定段階なのでなかなか難しいだろうが。
と、いろいろ書いてみたが、ファースト・セカンドで書いたことを、ほとんど繰り返しているだけだな。
まだまだマニア向けのプロトタイプでしかないので足りないところがあるのも当たり前である。
ただVision Proは完全に実用的な製品であり「買えば使える」ということは言える。
いくつかの不満も、順調にアップデートを重ねれば解消できるであろうことばかりである。
60万円なんて出せないという方々(言うまでもないがそのほうがマトモである)も数年後を期待していてほしい。
突然だが、山上たつひこについて書く。
山上たつひことは誰だ。ギャグ漫画家だ。代表作は「がきデカ」。
なぜ急に山上たつひこについて書くのだ。
その直接のきっかけは
「週刊少年チャンピオン、マンガ10選(試案)」https://anond.hatelabo.jp/20241022172620
個人的には「がきデカ」はチャンピオンの歴代漫画の中で「ドカベン」の次に重要なマンガではないかと思う。
売上貢献的にも社会に与えたインパクト的にも、後進漫画家への影響でも、ブラックジャックより上じゃなかろうか。
まあそれはおいといて、悲しいのは「がきデカ」も山上たつひこも、若い人たちには知られていないことである。
山上はギャグマンガ史の超重要人物である。「日本漫画史上重要なギャグマンガ家10選」みたいな記事を作るなら、絶対入ってくる漫画家である。しかし、令和の今においては、その功績に比べて、過小評価されているというか、全然知られていない気がして、この文章を書き残しておこうと思った。
なお、最初は本当に「日本漫画史上重要なギャグマンガ家10選」を書こうと思ったけど、そんなに漫画のこと詳しくないんでやめた。詳しい人が書いてくれると嬉しい。とても読みたい。
さて、さっそく本題に入る。
山上たつひこは何をやった人なのか、なぜギャグマンガ史で重要なのか。
今の若い人は漫画でボケ・ツッコミがあっても、なんも思わないでしょう。物心ついたときから、漫画にはボケ・ツッコミがあるから。漫画ってそういうもんだと思っているから。でも、これって元をたどれば山上から始まっていることなのだ。
「バカボン」とか読むとわかるんだけど、山上以前のギャグ漫画ってボケ・ツッコミなんてないのよ。変な人が出てきて変なことをやるとか、なんかすごくシュールな世界が繰り広げられてたりするのがギャグ漫画だった。
1972年に山上が「喜劇新思想大系」で初めて、ボケとツッコミっていうシステムを漫画に持ち込んだ。(ちなみに「喜劇新思想大系」は山上のギャグ漫画デビュー作。それまではシリアスな漫画を描いてた)
例えば、銀さんがぼけて、新八が「おいいっーーー!」て言ったり、ボーボボにビュティが突っ込んだり、ターちゃんにヂェーンが突っ込んだり……まあ、なんでもいいけど、こういうの基本的になかったのよ。こういうのの元が山上たつひこなんすよ。これ、すごくないすか。
山上がボケ・ツッコミをどこから持ってきたかっていうと、これはもう明らかに吉本新喜劇をはじめとする、関西のお笑いからだ。山上は大阪育ちで関西の笑いに馴染みが深かったのである。
それはともかく、山上が漫画界にボケ・ツッコミを持ち込んだら、すごい影響力があって、みんな真似した。というより、山上の真似であることも意識されないぐらい「ボケ・ツッコミ」は浸透した。
山上の影響は非常に広範囲に及んでいる。例えば高橋留美子も山上たつひこの影響を受けている漫画家の一人だ。がきデカを読んでから、高橋作品のギャグシーンを読むと山上の影響がわかる。
一方で、「がきデカ」以降も、赤塚不二夫系統のボケ・ツッコミ区分の薄い関東型のギャグ漫画もそれはそれで生き残っていた。「マカロニほうれん荘」なんかは関東よりのイメージだ。
(追記:読み返してみたらマカロニほうれん荘は結構、律儀につっこみ入れてた。だからこの記述は無視してもらったほうがいいかも)
ギャグ漫画史を関東型と関西型のせめぎあいの歴史として見るのも面白いと思っている。誰か詳しい人がいたら描いてほしい。
上記のとおり、山上が出てきてすぐに「ボケ・ツッコミ」の天下になったわけではなくて、しばらくは南北朝時代みたいな感じだったんだけど、今ではギャグ漫画は圧倒的に「ボケ・ツッコミ型」が多い。特に少年誌では。
これはうすた京介の存在が大きいのかもしれないが、そのうすたも元をたどれば山上の系譜である。
(もっともうすた京介が直接影響を受けたのは山上ではなく、ダウンタウンをはじめとするお笑い芸人なんだろうが)
今のギャグ漫画家は大体、山上の創始したボケ・ツッコミ漫画をやっていて、山上チルドレンと言っても過言ではない。
もちろん、当の漫画家は山上なんて意識していないかもしれない。「がきデカ」なんて読んだことないという漫画家も多数いると思う。それでも、それらの漫画家が山上が作ったものの延長線上にいるということには変わりがない。
山上の作ったものがフォロワーのもとで再生産され、世の中のスタンダードになる。そうすると、新しかった山上の表現はありきたりなものになり、山上は忘れられていく。しかし、山上を知らない漫画家が作る漫画も、山上が切り開いた世界で作られた漫画だ。バッハを聞いたことがない作曲家もバッハの影響を受けているのと同じことである。
話が長くなったが、何が言いたいかというと、山上という漫画家がいたんだよということだ。別に山上を尊敬しろとかはいわない(そもそも自分も別に山上のこと尊敬してるとかではないし)。ただ、そういう漫画家がいたということを、なんとなく書き残しておきたくなっただけである。
なお、これまで述べてきた通り、山上はすごい漫画家なのだが、知名度がさほどでもないのは、山上自身が漫画界と距離を取っていたことによるものだろう(長らく小説家に転身していた。最近たまに漫画も描く)。
こんなこと言っても詮無いことであるが、もし山上がずっと漫画を描き続けていたら、いまごろは永井豪みたいなレジェンド扱いだったんではないだろうか。
【追記】
この疑問に答えるのは難しい。当たり前だが、この世の中の全部の漫画読んでいるわけじゃないし、特に昔の漫画については知らないことのほうが多い。
何をもってツッコミとみなすかについても、定義がないから主観的に判断するしかないし。
細かく探せば、山上以前のギャグ漫画にも、ツッコミに見えるコマもあるんだろうとは思う。
ただ、それらは作品中に出てくる頻度がすごく少ないし、作者としては狙ってツッコミを描いたわけではないんじゃないかと思う。後世の我々から見たら、これはツッコミになっていると判断できるというだけなんではないだろうか。
意図的に「ボケ・ツッコミ」をやり始めたのは山上で間違いないと思われる。
もっとも、今では名前の残っていないマイナーな漫画家がやり始めて、それを山上が真似した可能性はある。
しかし、その場合でも世間への影響度からみて、「ボケ・ツッコミ漫画」の創始者は山上と言ってよいのではないか。
・この文章を読んで「ボケ・ツッコミ型」のギャグ漫画のほうが面白い、とか新しいとか、私が主張しているのだと思われた方がいるなら、それは否定しておく。そんな意図はない。
ツッコミのあるなしに関係なく、面白いギャグ漫画はいっぱいある。「伝染るんです。」や「稲中卓球部」をはじめツッコミがほとんどないギャグ漫画にも面白いものはたくさんある。
・今ではギャグ漫画は圧倒的に「ボケ・ツッコミ型」が多い。特に少年誌では。
この書き方はおかしかったかもしれない。「ボケ・ツッコミ型」が多いのはあくまで少年誌であって、青年誌や少女漫画を見れば、昔から今までずっと「ボケ・ツッコミ型」じゃない漫画のほうが多い気がする。
この意見にはいくつかのポイントがあり、問題点や矛盾点も含まれています。以下、詳しく解説します。
この部分は事実として正しい側面もあります。政党や政治家に対する寄付は、基本的に支持者や企業からのものであり、直接的には国民の税金ではありません。しかし、献金された資金の扱いには厳格なルールがあり、適切な記録と透明性が求められます。資金の流れが不透明になることは、政治の信頼性に重大な影響を及ぼすため、国民の関心を集めやすい問題です。
政治資金の問題が「国民生活に直接影響を与えない」と考えるのは短絡的です。政治家の資金運用に不正があれば、政界全体の信頼が揺らぎ、ひいては政策決定に影響を及ぼします。これは国民の信頼を失い、長期的には政治不信を招くため、間接的に国民生活に影響を与える可能性があります。さらに、政治資金規正法に基づく不記載は法律違反であり、重大な法的問題でもあります。
政治資金の不記載は、政治資金規正法違反にあたる可能性がありますが、すぐに脱税と結びつくわけではありません。ただし、もし資金が適切に記録されず、私的に流用されたり、税金逃れのために意図的に不記載が行われた場合は、脱税の疑いが生じます。このような資金の使途不明な部分がある場合、国民は疑念を抱き、政治不信を助長する可能性が高いです。
安倍元首相は確かに強力なリーダーシップを持ち、政治的なスキャンダルに対しても強硬な姿勢を見せることがありました。しかし、それが「問題を解決する」わけではなく、問題を軽視することでさらに不信感を抱かせるリスクもあります。政治資金の不正については、どの政党や政治家であっても、適切な説明責任が求められるため、強いリーダーシップがあっても無視できる問題ではありません。
この意見は、一部事実を反映していますが、政治資金の透明性の重要性や、法的問題に対する責任の重さを軽視しています。政党や政治家の資金運用に不透明な部分がある場合、国民の信頼を損ない、長期的には国民生活にも影響を与える可能性が高いです。
「耐震等級」とは、建物が地震に対してどれくらいの強度を持っているのかを示す指標です。2000年に施行された「住宅の品質確保の促進等に関する法律(品確法)」に基づいて定められています。
耐震等級は、1から3までの3つのレベルに分かれており、数字が大きいほど耐震性能が高いことを示します。
建築基準法で定められた最低限の耐震性能を満たしています。数百年に一度程度発生する大地震に対して、建物が倒壊や崩壊しないことを目指したレベルです。
耐震等級1よりも高い耐震性能を有しています。長期優良住宅の認定を受けるためには、耐震等級2以上が求められます。
最も高い耐震性能を有しています。大規模な地震に対して、建物がほとんど損傷を受けずに耐えうることを目指したレベルです。
耐震等級 | 特徴 |
1 | 建築基準法の最低基準を満たす |
2 | 長期優良住宅の基準を満たす |
3 | 最も高い耐震性能 |
地震のリスクが高い地域であれば、より高い耐震等級を選ぶことを検討しましょう。
家族構成やライフスタイルによって、必要な耐震性能は異なります。
住宅は長期的に住むものです。将来的な安心のために、ある程度の耐震性能を確保しておくことが大切です。
高い耐震等級の建物は、地震による倒壊や損傷のリスクを低減できます。
一部の金融機関では、耐震等級の高い住宅ローンに対して金利優遇を行っている場合があります。
耐震性の高い住宅は、中古市場での評価が高くなる傾向があります。
耐震等級は建物の構造的な強さを示すものであり、地震時の揺れやすさや家具の転倒など、他の要素も考慮する必要があります。
住宅を購入する際には、必ず耐震等級が明記されているかを確認しましょう。
1すら見てないけど面白そう
意図的に「つまらない思い」をさせるのはエンドレスエイトとかArrest of a stone Buddhaにもあったなあ
エンドレスエイトはほぼ同じ話を8回繰り返して、ループを自覚しながらも変えられずに1万回以上ループを繰り返す長門のしんどさを視聴者にも味わせた
Arrest〜は戦闘パートの忙しさに対して日常パートはやることないのに長くてつまらず、戦いの中にしか生を感じられないことへ自殺願望持つほど苦しんでる主人公の気持ちをわからせてきた
前評判がしっちゃかめっちゃかになっているジョーカー2を観た。ジョーカー1とはほとんど別物だと言っていいような変な映画だった。
記憶がおぼろげで悪いけど、1ってたしか馬鹿にされて虐げられて抑圧されてギュッッッッッッッッッッッとなったアーサーがとうとう弾けて、あとはもう空想をヒュンヒュン加速させながらあちこちで殺しをやりまくるみたいな話じゃなかったっけ。
だとしたら、2はアーサーが看守や囚人からヌメッとチヤホヤされながらガチ恋女とヌメヌメ愛し合い、歌を覚え、歌いまくり、寝ながら歌い、空想の中で歌い、電話口で歌い、なんかもうあちこちで歌い、その合間に裁判台に立たされたり殴られたりする、そんな映画だった。
とにかく歌の挟まり方がすごい。映画一本の中に、阿漕なyoutuberの広告ぐらいギチギチに歌が挟まっている。ロバートのコント「柳田節」ぐらい歌う。歌が終わるとどうなる?知らんのか、次の歌が始まる。
でもホアキンもガチ恋女役のレディガガも歌がうまいから、評判より全然楽しめるもんだな、と思った。3曲目ぐらいまでは。なにせ1曲1曲の演出カロリーが高いので、すぐお腹いっぱいになるのだ。そもそも歌を見にきたわけじゃないし。それでも歌はお構いなしに出てくる。二郎ラーメンでわんこそばをやっているような気分だ。「もう歌の口じゃないんだけどな」と思っていても「アイヨ歌一丁!」と強制的に歌をねじ込まれる。アーサーの歌わんこそばにストップはない。
さらに1と違うのは、全体的にアーサーが受け身なことだ。感情はしっかり出す。けれど、行動はどこか後手に回っている。質問されたから答える、囚人にキスを頼まれたからする、ガチ恋女が火をつけたから一緒に逃げる、法廷に立たされたから喋る、というように起点が他者や状況に置かれがちなのだ。
頼みの空想も、今回はそこまで現実に干渉してこない。いっぺん法廷でキレて暴れたときはちょっと気持ちよかったが、それも所詮は空想の中だけの出来事だった。だから、観客はほとんどの時間を「様子がおかしいけれど害はない、等身大のアーサー」と過ごすことになる。そして、彼の行動が「アーサーってそういうもんだよな」という我々の予想を超えてくることはほぼなかったように思う。
つまり、ジョーカー1のようなムチャクチャな破滅が彼自身の手で引き起こされることはなく、代わりに本人は歌ってばっかりいる、そういう変な映画なのだ。
火をつけたのはガチ恋女だし、裁判所に突っ込んだ車は信者のものだ。インパクトのあるシーンはことごとくジョーカーの手を離れて始まっている。裁判が突然の爆弾カー突入で強制終了になったときは流石に「ウオーッ!これだこれ!ゴッサムシティに法律はねェーッ!」と客席から立ち上がりかけたけれど、その後の展開で「あっ普通に法律とかあるんすね」「失礼しました」「そっすか……」とすぐさま心を着席させることになった。ここまでくると製作側から意図的にカタルシスを取り上げられているような気さえしてくる。
そしてある意味、それは当たっていたのかもしれなかった。物語の終盤、別れに際して歌おうとするガチ恋女にアーサーが言うのだ。「歌はもういい!歌うな!話せ!」みたいなことを。
ここで初めてアレッ?と思った。なんとなくそれまで、ジョーカー(アーサー)になんも面白いことをさせず、ただ歌わせるだけの映画を撮った製作陣にある種の無邪気さを感じていた。このナンセンスさは彼らの読み違え、あるいは天然ボケなんだろうと、無意識に考えてしまっていたのだ。
けれどそれなら「もう歌うな!」なんて客席の9割の人間が思っていそうなことを台詞にするだろうか。まるでこっちの考えが読めているようにも見えてくる。もしかして彼らは、ジョーカーを暴れさせずに歌わせてもそこまで面白くないことを最初から分かっててこれを作ったんじゃないだろうか。
そう考え始めた途端にいろいろなことが腑に落ちてきた。作中、アーサーは恋愛に溺れる以外はほとんど何もしてないのに、周りが勝手に感化されて狂ったり崇めたりする。そして、ジョーカーがただの人間アーサーだったとわかると潮が引くように離れていく。その心の動きが、映画館の席についてからここまでの自分の心境といやにぴったり重なっているのだ。
勝手に期待して近づいて勝手に失望して帰っていく、ジョーカー2の大衆と今ここにいる自分とfilmarksの低評価レビュアーたちはきっとそう変わらない。そして、思い返せばこの映画はずっと「シラフのアーサーと狂った取り巻き」に焦点を当て続けていた。
結局のところ、「おもんない取り巻きばっか映して何がしたいねん、はよジョーカー暴れさせろや」とぼやきながら、自分はずっとスクリーンに大映しになった鏡を見つめ続けていたのだ。
ジョーカー1はいろんな人間に「自分はジョーカーかもしれない」と思わせた。けれど、ジョーカー2は「お前ジョーカーちゃうで」「自分をジョーカーやと思いたいただの取り巻きやで」「あとジョーカーも蓋開けたら多分そんな大したことないで」という常温の現実をバシャバシャと浴びせてくる。
そういうメタだと捉えれば、この映画は面白かったと思う。実際のところは知らんけど。ジョーカーは1も2も一回ずつしか観てないからうろ覚えだったり的外れだったりするかもしれないし、ひとまずこういう印象を受けたとだけ言いたい。他の感想も気になってきたな。
早朝から中国人が免許試験場に大行列…目的は“外免切替”のニュースについたブコメで気になるものがあった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.fnn.jp/articles/-/775482
「中国の運転ルールは日本とは全く異なる。例えば信号が青でも歩行者は優先されない。圧倒的な車優位ルールなの。本当に怖い事だ。」
というブコメが76のスターを集め、上位3位ブコメになっている。
どの国でも(実態は別として)ルールでは歩行者優先が当たり前だと思ってたので、中国が例外的に車優先のルールを採用してるとは聞いたことがなかったので本当か?と疑問に思い、調べてみた。
AFP通信の2017年12月3日ニュース 『車と人、どうしたら譲り合いできる 中国「歩行者優先」を強化』
https://www.afpbb.com/articles/-/3153624
「中国の運転免許試験に10月1日から、「運転手は横断歩道を通過する際や交差点を直進、左折、右折する際、優先されるべき車両や歩行者、軽車両へ道を譲らなければ不合格となる」という新たなルールが導入された」
「『道路交通安全法』によると、自動車は横断歩道を通過する際は減速しなければならない。歩行者が通行中であれば停止しなければならない、と規定されている。」
とのことで、中国の法律でもやはり歩行者が優先で、車が停止しなければならないルールとなっていて、上位ブコメにある「歩行者は優先されない、圧倒的な車優先ルール」なるものは存在しないようだ。
実態としては横断歩道で止まらない車が多いとの内容があるのも確かだが、それは日本も同じだし、
ルールである法律が守られてない実態を「圧倒的な車優先ルールがある」というのは全く不誠実で、不正確だろう。
日本の信号のない横断歩道(ルール上では歩行者絶対優先)に歩行者がいるときの自動車の停車率については、県別の調査結果があり(https://uub.jp/pdr/t/stop.html)、
AFP通信のニュースがあった2017年で見ると数%台の都道府県が多くものすごく酷い状態で、そこから取り締まりの徹底で少しずつ上昇しているが、最新の2023年では長野県は止まる車が80%と多いに対し、北海道、茨城、福井、大阪、佐賀、新潟県はいまだに20%台の車しか止まらないなど、地域差もある。
歩行者優先が徹底されているヨーロッパに比べれば日本は実態としてだいぶ歩行者優先が弱いといえるだろう。実態をルールと言ってしまうなら、「日本でも(一部地域では)圧倒的に車優先ルールなの」も成り立ってしまう。
(中国も2017年の記事で歩行者優先のルールを守らせるべく警察が取り締まり徹底とあるので、日本のように停車率が向上してると思われるが、最新の調査結果等は見つからなかった)
こういう調べればすぐにわかる誤りブコメがスター集めて上位ブコメになるの、なんなんだろうね。
こういう事実誤認、もしくは意図的なデマであっても、中国やロシアが対象なら指摘されずスルーされ、むしろ「そうだそうだ、中国は酷い国だ!(嘲笑」とはやしたてられるような雰囲気があるよね、はてブって…
私はこの約十年間、市町村議会選挙・知事選挙・衆参院選挙を問わず、あらゆる選挙の投票先を、ランダムに決めている。
文字通りサイコロを使って(候補者が七人以上の場合はちょっと複雑になるけど)、とにかく自分の意志であるとかを介在させないようにやっている。
(一方で最高裁判事国民審査は全部バツを付けているがちょっとこれは別の話にしたい)
なぜこのようなことをしているのかの発端は、前の自民民主の政権交代劇の際に、「無党派層」というものの存在というか意義?について、考える機会があったからだ。
私は大学のゼミで、戦前の男子普選の時代に「無党派層」というものは勢力としてあまり認知されなかった、と学んだ。
(↑かなりはしょっているが、つまりそれらが育つ前に社会が硬直化し戦争に突入してしまったのと、地域社会や院外団活動の関係で○○党の支持をやめたら××党の支持者になるしかないみたいな短絡さがあったらしい。これも本題じゃない)
選挙権を行使する機会を得たばかりの私にとって、「無党派って一体、どういう立場なのだろう?」と常々考えていた。無党派って、本当に「党派」じゃないのか?みたいな。
報道、職場や労組、近所付き合い、フットサルやジムのサークル……もろもろの影響を受ける中で「無党派」というのはただ「選挙に行く気がないか、投票所の門をくぐった瞬間何かの党派に空気で入った人」を指す言葉でしかない。
党名を隠して政策だけでアンケートを取ると、共産党が一位になったという結果がどこかであったらしいが、しかしその結果を知ると、「共産党?うーんやっぱり自民党」みたいな行動を取る人がいるわけである。
あるいは単に「負ける候補者に入れたくないから都知事選では石原に入れるし、2009年の選挙では民主党に入れる」みたいな人もいる。
筋金入りの、自党が優位であろうが劣勢であろうが投票し続ける支持者をのぞいて、選挙に本当に「意志」を見出せるのか?その様な選挙が何十年と続いて日本は良くなっているのか?
良く分からない。その分からなさを理解するために、試しにやり始めたのがきっかけなのだ。
やり方は前述の通り、本当にランダムである。私の場合は選挙公報に番号振ってサイコロを使い決めるだけだ。
具体的な党名は出さないが、泡沫というか「無党派層」が入れなさそうな党に「入れることになった」(ランダムなのでこういう表現ができる)こともあれば、勝ち馬の議員に入れることになったこともある。
私の選挙区は、勢力があまり拮抗しておらず、ある党や議員が優位を保っている。この勢力を基準に考えると、数万票単位の優位さに、私の「ランダムな一票」が加勢するのか・抵抗するのかみたいな問題になってしまっている。
つまりランダム投票行動は選挙区によっても意義がかなり変わってくる。
日本ではなくアメリカになるが、今度の大統領選挙でも、カマラとトランプの双方の選挙パフォーマンスを見るたびに支持候補を変える人々や、「隠れトランプ」(おそらく「隠れハリス」も)支持者など、
選挙活動にほぼランダムと言っていい影響を与える人が・・・言ってしまえば、「選挙に行く日の朝、最後にテレビかネットで見た顔の候補者の方に入れる」人が何百万人といるのだ。
私は個人的に、皆さんには、制度的に意味のない白票であるとか、「支持政党なし」のような党名ハックではなく(ランダムな投票先であれば仕方ないが)、
自分の意思を介さない、何か人為的ではない要素や乱数による「ランダム投票活動」をお勧めしたい。この活動が何万票という力を持った時に、はじめて「選挙」の意義や「無党派層」の価値というものがわかってくると思えるからだ。
そして議員が、「自分の存在が乱数の上の存在でしかない」ことを意識すれば、よりマシな政治活動を行うようになるのではないかとも思っている。そう考えながら、私は今度の投票にも臨んでいく。
「旦那さんが公務員なので、今は低賃金でも年功序列で将来的には昇給確実でクビにもならない。育休が取りやすく職場復帰もしやすい」
ってあたりを踏まえて
「それ本当に下方婚か?」
という指摘が入ったんだろ。
「ぶつかりおじさん」「幽霊」「ニュートリノ」は一見無関係なものですが、物理的接触や存在の性質に関連した相同点と相違点を見出すことができます。
相同点
1. 観測されるかどうかが難しい点:
• ぶつかりおじさんは、故意に人にぶつかる行為を行うため、その動機や行動を「観測」することはできるが、意図や原因が明確に分からない場合が多い。
• 幽霊は、存在が目に見えない、感じられないことが多く、実体としての観測は非常に困難とされます。
• ニュートリノは、極めて小さい素粒子で、物質との相互作用が極端に少ないため、観測が非常に難しいです。ニュートリノ検出には特殊な設備が必要です。
• ぶつかりおじさんは物理的に他人にぶつかるが、その動作の結果や影響は大きな損害を伴わないことが多い。
• 幽霊は、伝統的に「無形」な存在とされ、物理的に人に影響を与えることはないとされていますが、感じることができると信じられている。
• ニュートリノも、物質との相互作用が非常に弱いため、通常は物理的な影響をほとんど与えず、大量に存在していても気づかれません。
相違点
1. 意図と行動:
• ぶつかりおじさんは、意図的に他人と接触を図る行動を示します。社会的行動の一つとして、心理的な動機が関わる。
• 幽霊は、存在自体が伝承や想像の産物であり、意図的に何かを行うかどうかは曖昧で、多くの場合、非物質的な存在です。
• ニュートリノは物理的現象として自然に存在しており、意図や意識を持つわけではありません。宇宙の現象や放射性崩壊の結果として生まれ、無意識の物理的存在です。
• ぶつかりおじさんは、行動や現象としては実際に目撃され記録されるものです。
• 幽霊は科学的に存在が証明されていないため、未確認の現象や伝承として扱われています。
• ニュートリノは科学的に検証され、存在が証明されています。ニュートリノ検出装置により観測が行われている点で科学的に裏付けられた存在です。
「ぶつかりおじさん」は社会的現象、「幽霊」は伝承的存在、「ニュートリノ」は科学的に実証された物理現象です。それぞれの接触の仕方や存在の確認方法には大きな違いがありますが、共通して「観測されにくい」点や「物理的接触のあいまいさ」があるのが面白い点です。
書きたい内容をざっくり言うと、画像生成AI問題のお気持ち合戦は砂掛け論になって収拾つかないよな・どうにかならんかって話と、AI絵師について疑問に思ってることがあるって話。
俺の観測範囲で、画像生成AIについて言及してる人たちは大まかにこんな感じの区分だと思う。
(推進派なだけでAI絵師なわけじゃない派閥を見たことがあるのでカッコ表記)
【過激派】
①絵師は○ね!○害予告したろw
③手描きはオワコンwとっとと消えろw
⑤AIの将来性と時代の流れを理解してない懐古厨絵師が多すぎて無理
【穏健派】
■ 手描き絵師
【過激派】
❺自分の絵を勝手に読み込まれて悪用されるかもしれないのが無理
【穏健派】
俺は❻の立場だ。
別に自分の絵を読み込まれても良いと思ってるし、AIは便利な技術だと思ってる。自分で描きたいから使ってないけど。
絵描き仲間の中で「AI技術自体はそんな悪くないよな」って言えない空気感が肩身狭くも感じてる。
まず大前提、AIに対してどんな感覚でいようとも①②❶❷はアウトだろう。
気に食わない相手にでも言って良いことと悪いことはあるし、①❶は普通に犯罪だ。(場合によっては②❷も)
で、③④❸辺りの言動を日頃からやってる奴らが、やたら人口多い上にお気持ち問題を加速させてる。
(❸も言い過ぎなのは前提として)
本当にAIの利便性を訴えかけたいなら、やるべきことは絵師をバカにしたり嫌がらせして淘汰することじゃないと思うんだよな。
マジで①②③④の奴らがどういう感情でああいうことやってるのか理解不能なんだけど……AI推進の癌なんじゃないのか?
お前らAIのことどうしたいんだ?っていう。
(よくここら辺について「反AIも暴言言ってるだろ!」と言い返して口論してる手合いを見かける。
否定はしないけど、相手も言ってるから何言っても良いわけじゃないのはお互い様って理解が欠如してる連中が双方多すぎる。
ここまで暴言人口が増えてしまった以上、もう卵と鶏として扱うしかない。
というか、みんな自分の正義の主張に必死すぎて、内心はどっちが先とかどうでもいいだろ多分。
こういうところが、このお気持ち問題について特にアホくさいと思ってしまう部分なんだけども。)
そもそも、食わせる絵を描く絵師が消えたら、画像生成AIのクオリティは打ち止めになる。
ネット上に転がってるストックが尽きるまでは発展できるかもしれないけど、いつか底が見える。
有り難がって絵師にペコペコ頭下げろとは言わないけど、わざわざ「絵師の絵とかただの餌だからw餌配り乙でーすw」とか言って対立構造を煽ったり、あの手この手で引退させようと追い込んだりするのって、結果的に自界隈の首を絞めてることにならないんだろうか?
特にタゲられて嫌がらせされがちな、実力持ってる絵師はいなくなったら困るだろ。
俺が絵師っていう立場なせいで、この手の話題を出すと喧嘩腰な返事しか来ないから、一生迷宮入りの謎なんだよな。
ただ絵師のことが嫌いすぎて暴走してる連中がいるだけなのか、何かAI界隈での共通認識の元行われてる問題のない行為なのか……興味本意ではあるけどかなり気になっている。
ちなみに、⑤の言い分は理解できる。
というか、とにかくめちゃくちゃ繊細なガラスハートが多すぎる。
やれ絵柄が似てるだとか、やれ構図が似てるだとか、色の塗り方パクリだとか、この目の描き方は私だけのものだとか……絵師同士でも正当性があるのかないのか分からん揉め事が後をたたない。
そこにAIとかいう模倣特化の調整も可能なツールが出てきたら、ムキーッ!となる絵師が大量発生するのは火を見るより明らか……。
真面目に技術の発展に貢献したい人からしたらなんじゃこりゃ?って感じだろう。
ただ、この繊細さは過剰な防衛本能みたいなところもちょっとありそうではある。
というのも、ネットで生きてりゃ知ってるだろうが、トレパク・目トレ(見ながら真似するやつ。模写レベルだったりそうじゃなかったり)・無断転載の自作発言etc...を実際にやって問題起こしてる奴が存在してるからだ。
素人目にもさすがにパクリ・盗用だなってわかるレベルのやつを、「自分で描きました〜」ってやらかす連中は恐ろしいことに結構な人数実在している。
だって元々人に迷惑かけることに躊躇いがない奴らだから。傍迷惑な話である。
こいつらのせいで画像生成AIに悪印象を持ってる層(❺)は間違いなくいる。
これが行き過ぎた先にあるのが、ディープフェイクのヤバ画像とかそこら辺のコンテンツだ。
この手の話をすると「包丁だって犯罪に使われてるだろ。お前二度と包丁使うなよw」とかいう反論がよく飛んでくるんだが……
この例で挙げるなら、「包丁は人を○す力があるから危ないって思ってる人も多いぞ」って話だ。
(頭ごなしに全てを否定してる前提で来る人が多いのはどうして……こんな注意書きが必要な世界が間違ってる……)
俺からすると、ただ絵が描けなかったが故にトレパクやら自作発言に走ってた奴らが、AI使って満足できるようになったんなら、それは健全な解決のような気がする。AIに読み込まれること自体が嫌な絵師の感情は度外視になっちゃうけど。
AI使うのとトレパク盗用、どっちが悪いって話なら、悪いと分かってて盗用してる方が1億悪いだろう。AIはあくまでキメラだから、意図的に設定さえしなければ現物に酷似する可能性はかなり低いはず。
読み込まれて勝手に使われるのがなんか嫌……って感情より、利便性が上がったり、明確なアウト行為の抑止力になってくれるありがたさの方が上。ってのが俺の感覚。
世の絵師が俺のような感覚にならないのは、周りの意見を聞いた感じ、絵師って生き物が繊細すぎるのもあるだろうけど、『悪いAI推進派』の存在がかなりデカそうだと感じる。
俺たちみたいな「AI便利じゃね?絵師」は、発信するだけで居場所を失いかねない立場にいる。
そんなこと言おうものなら、暴言吐きまくりのAI絵師に賛同してると思われるとかいう呪いを背負っている。
しかもAI使ってるわけでもないし、技術者でもなんでもないから理詰めする能力もない。
元々AI派閥にいる人たちは、対立を恐れてないから如何様にでもできるだろう。
他力本願なのは承知の上だが、本当に画像生成AIの未来を考えるなら、対立構造煽りじゃないやり方でAIの素晴らしさを伝えようとしてくれないだろうか。
あるいは、そういう活動をしてる人を応援したり、広めたりして、俺たち絵師の視界に届くようにしてくれ。
一見穏健派っぽい人もホームに飛んだら「絵師様がよwくたばれやw」って感じで、マジでほとんど穏健派を見たことないんだ。いつもがっくりする。
この戦いに終止符を……。
P.S. AIイラストを“手描きと偽って”販売してる輩のことを俺は特別に軽蔑している。