はてなキーワード: 道筋とは
その大半は、グラビアで泣かず飛ばずだったモデルが(着エロ出演などを経て)AV入りするっていう、順当に重力に従う道筋。
AV入りの段階で顔や肉体に大きなテコ入れを行うケースも多いので、前歴とは関係なくAV界で大人気になる人もいるよ。
高崎聖子→高橋しょう子や二宮さくら→三田サクラのように、グラドルとしての活動も長くしっかりファンがいる幕内クラスのモデルがAV転向するのはごくごく稀。
かつて(おそらくすごい高額のギャラを積んで)芸能人やグラドルをキャスティングするAVレーベルがあったけど、作品内容がおとなしいので商売が立ち行かなくなったみたいだね。
ほかに、あらかじめイメージビデオを1、2本リリースして実績を作ってから「元グラドル!」と謳ってAVデビューする、いかにもインチキくさいAV転向もあるよ(古くから使われている手だけれど)。
逆に、別名でイメージビデオ(着エロ)に出るAV女優さんもたくさんいるよ。かわいいのにエロい演技がうまく、脱ぎっぷりに躊躇がないのですぐにそれとわかるよ。
そういう明白な別名兼業とは別に、AV出演の過去がある人がまっとうなグラビア作品に紛れ込むことがたまにあって、油断できない。
個人的には寄付等よりも、仕組みづくりを急いで行う必要があると考えます。
日本のエンタテインメント業界、もっといえば日本自体の人権意識の低さが露呈し、世界の目は厳しくなっているはずです。問題自体の解決は勿論のこと、全員が自分ごととして問題を捉え、日本全体を良くすべく協力すべきです。— Kei (ブログ【イマオト】/ラジオ/ポッドキャスター) (@Kei_radio) September 12, 2023
日本のエンタテインメント業界を中心とした人権意識の問題を深く切り込んでいる。寄付や声明のような個人的な取り組みが注目される中、仕組みづくりの重要性を強調する視点は非常に的確だと思う。確かに、個人の行動は短期的な影響をもたらすかもしれないが、持続的な変革のためには組織全体、あるいは業界や社会全体の仕組みを再構築することが求められるだろう。
さらに、日本は経済大国である一方、国際的な人権意識の観点から見ると改善の余地があるという指摘も重要だと思う。自国の問題に真摯に向き合い、国際社会の中での位置づけを常に意識して行動することが大切だと感じる。
トランスジェンダーに対する非難や不適切な公人の発言など、個別の問題点も明確に示されていて、これらは日本社会の一部で人権意識が未だに根付いていないことを示している。特に公人の役割は重要で、その言動は社会全体の価値観を映し出す鏡のようだ。だから、彼らにはより高い意識と責任感が求められると思う。
https://youtu.be/M6SWucqqKN4?si=uJySbnWrvB9P1Ort&t=1892
この3分くらい前。
なんにお金がかかるのか?
政務調査費を減らせとか議員報酬を減らせとか言っているけど、公金チューチュースキームでお金をもらうんだから全くいらないんだよね。この手の泥棒女は。
そして、結局答えていない。
実践政治学講座として、選挙プランナーの三浦博史先生をお招きして「選挙とは何か」という題で講義を頂きました。
講義の前半では、今年8月の埼玉県知事選挙の事例など、三浦先生が経験された多くの選挙事例を基に、「どうすれば政策を有権者に伝えることが出来るのか」について学びました。
後半では、塾生一人一人が事前に提出した法定ビラを例に、三浦先生からアドバイスを頂きながら効果的なビラの作り方について理解を深めました。
ビラについては、自らの思いや政策を正確に有権者に伝えるために、使う写真や文言の一言一句まで拘りが必要です。三浦先生には法定ビラの写真や政策、文言など細部に至るまで丁寧なアドバイスを頂きました。
選挙においては、自らの思いを正確に有権者に伝え、共感を得ることが大切であると改めて感じました。今後も、自らの志を研修で磨くと共に、多くの人に対して志を理解していただくために必要なことも考えていきます。
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/98750.html
選挙プランナーは情勢の調査・分析を行うほか、どう選挙戦を戦っていくか、その全体の方向性についてアドバイスし、当選への道筋をつけていく。
三浦はその役割について、立候補したいという人が合法的に、なおかつ「地盤(組織力)・看板(知名度)・かばん(資金力)」がなくても選挙で戦うことができるようにすることだと話す。
この三浦だ。
そういうお金を払っているわけか。
しかも留学とかもしているからお金がなかったから免許を獲れないという言い訳はない。
そして長くやる気がない。といいつつ20年(はぁ?)2か月で辞職だろマジで。
ちょっと嘘。
ソリティアを全く知らなくて恥をかいたみたいなエピソードトークではない。
ソリティアを紹介してみようと思う。
みたいなこと。
一人遊びで、くだらなくて、黙々とやっているイメージがあって、なんとも時間の無駄に見える。
トレーディングカードゲームで自分のターンに大量の操作を長々やるようなことが「ソリティア」と呼ばれ、
映画『ニンフォマニアック』の主人公の母は、「いつも背を向けてソリティアをやっているような冷たい人間」と主人公に言い捨てられていた。
不快に思ったら、
★★★★★
まで飛ばしてくれればよい。
その際にスマホなどをいじってしまうと、知らぬ間にラジオのトークは過ぎ去ってしまう。
スマホを閉じても、目の前の景色や、多少の考え事の余地があれば、ラジオは背景になってしまう。
そうして自分はラジオを聴く間、アプリで数独をやるようになった。
言語野はラジオに割きながら、視覚や簡単な情報処理が数独によって押さえられるので、
一人遊びで、くだらなくて、黙々とやっているイメージがあって、なんとも時間の無駄に見える。
そのまんま、数独もそう。
数秒の動画広告が入るとラジオアプリの音声は停止されてしまうのを煩わしく思いながら、
それは動画広告ではなく、プレイ可能なソリティアアプリの広告だった。
最初のうちは当然それも指定の秒数を待ってから閉じていたのだが、
ソリティアなら数独と同じ目的を果たせることに気付き、広告が入るたびにプレイするようになった。
数独ばかりやるよりも、ソリティアをたまに挟む方が飽きが来なくて良かった。
ただ、クリアせずに閉じることも多々あった。
それはすぐにまた数独をやるためではない。
それでも決してそのソリティアアプリをインストールすることはなかった。
そして今から5日ほど前のこと、
不意にソリティアをもっとクリアできるようになりたいと思った。
出てきたのは7年前の動画で、
ソリティアは運ゲーじゃなかったのか、とカルチャーショックを受けながら、
「一手戻す」が多用されていた。
「一手戻す」は一手だけ戻すわけじゃない。
詰まったら「一手戻す」を連打して、何十も手を戻してクリアする。
それはありえないズルに見えた。
自分は今まで一度も「一手戻す」を使って来なかった。
「一手戻す」を使えばスコアは減少するし、
伏せられた状態で与えられた場のカードをめくって戻すような「一手戻す」という行為が、
ズルをしながら偉そうに解説動画を出している人の目にもの見せてやろう、
ちょうど1か月前に購入したばかりのPCは、
5年使った先代のPCよりもずっと性能が良く、
一方で、数独なんてやってるくせに生意気に「忙しい」とのたまう自分は、
PCを前にただ漠然と、なにかゲームがしたいと常々考えていた。
それがソリティアなんかをやることになるとは。
同じWindowsのPCだが、ゲームなんて買ってすぐに削除して容量を空ける、
新しいPCにソリティアが入っていたのは、その存在すらも意識していなかったからだ。
壁を破る前の自分がそれに気付いていたら、すぐに削除していたに違いない。
Windowsの検索窓に「ソリティア」と打ち込んでも何も出ない。
思い直して「soli」と打って出てくるのは、
「Solitaire & Casual Games」だ。
★★★★★
飛ばさず読んでくれたあなたにはお礼を申し上げる。
Windowsに最初からインストールされている「Solitaire & Casual Games」を開くと分かるのだが、
クラシックないわゆる「ソリティア」は、「Klondike」というらしい。
他にもソリティアの一種として「Spider」「FreeCell」「Pyramid」「TriPeaks」がある。
どれも聞いたことはあるが、それぞれ詳しいルールはわからないし、
それらがソリティアの一種で、それぞれ異なるものだと意識したこともなかった。
「初級」「中級」「上級」「エキスパート」「名人」「師範」「ランダム」があり、
それぞれには難易度ごとに異なった、獲得できるXPが併記されている。
また、「*ランダムな山札は片付けが不可能な場合があります」とあった。
これが、自分には衝撃的だった。
まあそれはある程度正しい。
当然、実際にフィジカルのトランプを使ってプレイするのは「ランダム」であるはずで、
その点では正しい。
カジュアルなパズルゲームでいう「ステージ」のようなものがあるタイプの、
数独にも近いような。
まずは初級を選んでプレイする。
これから始まるソリティアは、絶対にクリア可能なソリティアだ。運ゲーではない。
統計としてプレイしたゲーム(数)、勝ったゲーム(数)、勝率なども表示された。
リザルト画面で「新しいゲーム」を選択すると、再び難易度選択画面が表示される。
今度は中級を選択すると、大きな音を鳴らしながら、30秒の動画広告が表示された。
大きな大きなため息をつきながら、ミュートボタンをクリックして、
「絶対過去のWindowsのソリティアに広告なんかなかっただろ」
「最後の動きを元に戻す」を選んで、ズルをするか。
勝率に傷がつくのは受け入れられなかった。
ズルに手を出してゲームに戻る。
一手だけ戻しても当然クリアはできない。
「すべて元に戻す」を押して、慎重にゲームをやり直して、クリアした。
「すべて元に戻す」ではなく、「元に戻す」を使うようになった。
無論、連打して使う。
そうして気付いたのだが、「元に戻す」をしてもスコアは減らないのだ。
プレイしながら、どうやらそうではないらしいことが分かった。
有効な操作を行っても、その操作を戻せば当然その分のスコアは減算される。
そしてカードが動かせなくなるゲームオーバーを招くような操作とは、
皮肉にも感じられるが、ほとんどがこの有効な操作にあたるのだ。
このことから、ただ手を戻した時にだけスコアを見ていた自分は、
ズルなのだから当然スコアが減るべきと思っていたのもあるかもしれない。
音量ミキサーでソフトの音量を下げても、広告の音量だけは下がらない。
何度も手を戻しているうちに、
その攻略のコツを理解して、初めてソリティアが面白いゲームだと理解をした。
振り返ると、壁はなくなっていた。
一度表を見たカードを裏にして戻すことも、
そこに何のカードがあるのか、
ここまで長々と読ませながら、
ソリティアの面白いゲーム性の部分の説明に具体性が乏しくがっかりした人もいるかもしれない。
まずはお詫び申し上げる。
その機会を奪うのが憚られた。
例えば、初期の盤面で♡Kと♧Qが表向きにあるが、
これを重ねることでゲームが詰む、
といった場合があるのだ。
これは非常に面白い、と感動しても、
Windowsのソリティアでは問題を他人に共有することはできない。
Windows以外のものでもそのような機能があるものはなかなかないだろう。
どうにか自分でメモをして出題を再現できるようにしたとしても、
コンピュータゲームとしてのみ、その面白さが実現され、また共有できるのだ。
しょうがない、と、
みたいなこと。」
ソリティアを知らなかった。
とりあえずおつかれ
試験も、勉強してた1年間も、どっちも大変し、できるかぎり頑張った。
でも、多分今年もダメだと思う。
試験はそもそも適切な解決ができなかった、論点の記述が不十分だった、考えやその道筋を上手く書けなかった。思うところは色々あるけど総じてうまくいかなかった。
めちゃくちゃ悔しくて多分、今が一番後悔の気持ちが強いだろうから今の気持ちをとりあえず文章として書き出してみようと思う。
冷静じゃないし正しいかどうかはわからないけど今のそのままの気持ちとして。
文章に吐き出してスッキリして、それで片付けちゃだめだぞ。何回も思い返して心に刻んで、そんでまた頑張れ。来年は絶対に受かろう。
司法試験は前に一度受けた。
院しかしらず試験を受けたから自分が全然できなくてきつかった。
だから1年は家で復習したら思い出すし定着もすると思ってた。
自分なりに適度に勉強して少しずつできるようになってる気がした。
成績が良くないのはもちろん、添削のコメントに出来が不十分なのではなく、そもそも答案としておかしいという趣旨のことが書かれていた。
しっかり絶望した。
勉強しようと思ってもこれまでの方法ではダメだってことばかりが浮かんで集中できなかった。
このままでは落ちると思うとずっと怖かった。
周りの人と差がどんどん広がる。一人取り残される。
そんなことばっかり考えて試験を迎えた。
①短答式
民法の問題はごちゃごちゃしたしてる。冷静に考えればわかる問題も試験会場でやったらすんなりいかない。
家で合格点とれるかなレベルじゃ全然ダメ。もっとスラスラと出てくるようにしなきゃ。考えてたら間に合わなかった。
特に憲法は論文で問われない範囲や事案に則した細かい判例の構造、言い回しが重要なのにあいまいな理解でわからなかった。
統治分野については全くと言ってもいいほどわからなかった。他の法律とちょっと違うから感覚が通用しなかった。
刑法は対立する自身がとらない学説について理解が不十分で思い出す時間が無駄だった。
②論述
必要ないことまで書いたせいで無駄に時間がかかって、結局いびつな解答になってしまった。
これは3つ理由があると思う。
1つ目は論点に対する知識自体が偏っていて、その結果として答案のバランスも崩れてる
結果的に、問題の事案について不十分な検討のまま、知ってることを一方的に吐き出すだけの答案になってしまった。
他にも単純に論点についての知識が不十分だったから正確に解決できない部分があったり、条文に引き付けて記述できなかった。
もう少し勉強してたら出来たところがいっぱいあった。
もっとやればよかった。
くやしいんだけどもう遅い。
全部終わってる。
これまではわからない論点をただ覚えて理解してる気になっていた。
ちょっとばかし論点を知ってるだけで勉強した、わかってる、そんな気になってた。
はずかしい。全然足りない。
問題を解くためのには事案の分析して、結論までの道筋立て、そこで問題になり得る点を判例の考えに当てはめて解決しなくちゃいけない。
自分は頭が良くないから事案の分析には十分時間を使いたい。そのためには判例の知識をいつでも素早く引き出せなきゃいけない。
道筋を立てるのも苦手だから事例の答案例の流れを見て、実際に手を動かして染みつかせるしかない。
判例の事案を覚えて検討・解決の手順のバリエーションをストックするのも必要。
・今年やること
まずは、まだまだ足りない判例や学説の知識を正確に抑えて素早く正確に引き出せるようにならないとだめ。
判例なら事案の内容、解決へ流れの把握、問題点とその判断方法の理解。
このときの理解は判例の言葉の意味と論理をしっかりと抑えること。それがスラスラ出てくるようにすること。
これは学説も同じで言葉や概念を正確にとらえ問題点についてそれらの概念を扱って論理な思考回路をスラスラと追えるようにする。
学説の場合には対立する説も同じように理解するべきだし、両説の異同、とくに結論の違いの把握は必須。
次にそれらの個別化された論点や理論が検討すべき異なる事例においてどのように適用されるか使い方を自分の頭で考えて、手を動かす。
そうじゃないと実際の問題解決に役立たない別に事例、もしくは抽象的な話しかできなくなる。
これは頭が良くない自分にとって一番重要というか難易度が高いように感じる。
・今の気持ち
やることは概念を正確に理解して問題の解き方を学んで、自分でも使えるようにする。より速く正確に。
なんだか書いてたら結局は勉強の当たり前のことばっかりになってしまった。
試験を受ける前も試験を受けてるときもどうしようもなく苦しかった。
でも試験前のどうにもできない、何もできない苦しみは少し減った。
うまくいくかわからないけどやってみようを思えることは出てきた。
ちょっと前向きにはなった。
来年の試験までは今年と同じような道を歩まないようにここに書いておく。
途中から思いつくまま書いててよくわかんなくなった。
この辺が頭の悪さを表してる。
文章もスッキリしてまとまったのなら、気持ちもやることもスッキリして頑張れてることを期待する。
今後、人間観察するとき、男のプライド(自尊心)の発現の仕方を徹底的にマークしてください。
日本人の場合、九州男児は男尊女卑的なプライドが顕著で有名ですね。
男の弱点を熟知している九州の女は、男をおだてて操縦しています。(豚もおだてりゃ木に登る)
貴女がターゲットとしている男性が、普段どのような形で、その隠し持っているプライドを発露させているか?知ることができれば攻略の道筋が見えてきます。
「他人からよく思われたい」→どんなシチュエーションで、他人の目を気にした行動を取っているか?
一口に「好き」と言っても、細分化して観察すると、様々な種類の感情があります。
人間を揺り動かしている相対的な感情は、(分類方法にもよりますが)、「好き」と「嫌い」の2種類に分類されると言われています。
元ネタ:「うまくやるための強化の原理―飼いネコから配偶者まで」 カレン・プライア (著) https://www.amazon.co.jp/dp/4931199550
性愛的な「Love」~相手と付き合いたい、セックスがしたいという感情は好子に分類されます。
Loveと似た好子の感情、同じベクトルの感情は他にもあります。
などです。
あなたが困っているときに誰かがとても親切にしてくれたらありがたいと思いませんか?(思わなければそれでもOKですがここで会話終了)
他人から「ありがとう」という感謝の言葉をたくさん集められるように日々行動してみてください。
その中で、ターゲットとなる男性が、あなたが誰かから感謝されている現場を目撃したら、それでも間接的に好子の感情を共有させることができるのです。
「へー、増田さんはいろんな人から感謝されてるんだな。いい人なんだな」と好感度が上げられます。
あなた自身も他人に対して「ありがとうございます」を口癖にしてください。マクドナルドのスマイル0円じゃないけど、言うだけなら無料でできるので損はありません。
ターゲットの男性とお互いに「ありがとう」と言ったり言われたりする関係を作れたら、一歩前進です。
「わー、この人スゴイ!」という尊敬の感情も好子に分類されます。
感謝と同様に、お互いに尊敬されるシチュエーションを増やしてください。
尊敬と憧れの違いは、一歩踏み込んで「あの人はすごい。あの人のようになりたい」という、相手の状態に近づきたいという運動が発生している状態です。
尊敬だけでは「すごいね!」で終わりですが、憧れはさらに近づきたいという感情が発生しています。
感謝と同様に、お互いに憧れるシチュエーションを増やしてください。
地味ですがこの積み重ねが確実です。
華々しいパンチ一発で仕留めようというインスタントな発想ではなく、地味だけど確実にダメージを蓄積していくボディーブローのようなパンチをコンパクトに打ってください。
あ、プライドとどう関係あるかですが、男はプライドがくすぐられると大きく揺り動かせる、弱点ですという話です。
ついでに言うと、卑屈さはプライドの裏返しであり、卑屈な人って実はとてもプライドが高いんです。
卑屈に見える人は、プライドが満たせないから卑屈になっているだけで、卑屈な人がいざ調子に乗れるシチュエーションが来ると、とんでもない傲慢に化ける場合もあるので注意してください(驚かないでください)。
はてなーって普段リベラルポリコレぶってて一時はホッテントリが入管で亡くなった女性の話題で埋め尽くされてうんざりするほどだったのに、川口蕨のクルド人問題には「不良外国人は日本から退去しろ、川口は女子供が歩けない街」だなんだめちゃくちゃヒステリックに反応するからなんだそれ〜?って思っちゃった周辺地域住民です。
住んでないやつが言ってるっしょこれ。女子供が歩けない?歩けますわ普通に。
ただクルド人ってその他の外国人(主に中国人)と比べると確かに言葉通じないし日本人とはつるまないし、クルド人の若い男たちがコンビニ前でたむろしたり夜遅い時間に駅前で喧嘩したりしてるの見てたから外国人の中でも特にお行儀悪いなーとは前から思ってた。
でもトルコにも日本にも居場所がなくてどんなに学んでも報われない、先行きの見えない不安定な生活をしていたら若者誰だってそうなるやろという気はする。学んだり真面目に仕事したら報われるような道筋を示してあげられればいいのにね。
あと私の観測範囲だけど保育園や幼稚園であまりクルド人を見ない気がするので幼児のうちからもっと日本の文化に触れさせたら全然違うんじゃないの。そうしたら小学校以降でもより馴染みやすくなりそうだけどね。
蕨のことは知らんけど川口は行政が外国人と共生するための催しを開いてるらしいのを市の広報で以前知ったのでそういう取り組みを応援していきたい。
川口市には暴力沙汰起こす不良クルド人のことを厳しくしょっぴきつつ、クルド人の子どもや多少迷惑なりに犯罪は犯していないクルドや真面目なクルド人へのサポートをこれからも続けてほしい。
あとお前ら(はてなブックマーク民)のヒステリーの方が怖い!相手は人間なのを忘れてんじゃねえかと思う。一度見返してみろ自分のコメントを。さいたま市のやつの煽りが一番ムカつく。
(川口ってすげー広いので私の住んでる地域の話をなんとなくした。ホッテントリに上がってたのは安行の話かな。あそこは蕨や西川口からはだいぶ遠い地域。)
これこそが(プロ)サッカーの本質を表す金言なので覚えておいてください。
フィールドにいる9割の人間がボールを持っていませんが、その全員がボールを相手チームのゴールに入れるために動いています。
彼らがやっているのは「ボールがこれから通るルートを構築するための陣取り合戦」なんです。
ボールそのものを見るのは大事ですが、より大事なのはボールをゴールに通すための道をどう作っているかです。
ゴールから逆に辿っていくと「どういう道筋を作りたいのか」「その道をどうやって潰そうとしているのか」が見やすいと思います。
気持ちに余裕があるのでしたらシュートが決まった所から逆再生してどういうい順番で運んでいったのかを逆から見るのを何度かやるといいかと。
「シュートを打ちやすい空間」を作るための伏線はプロは何重にも貼るので難しくはありますが、いくつか見ていけば簡単なパターンにも出会えるかと。
シュートした数秒前からだけ見れば「ガラガラじゃん」と思うような状況も、チームメイトが必死に誘導をした結果だったりします。
オフサイドのルールもあり、基本的にゴールに近づくほど相手選手のほうが数が多くなるのですが、そこで1vs1(ゴールキーパーは除いてディフェンスを1人掻い潜ればの状態です)、もっと言えば2vs1や1vs0の「物凄くシュートが打ちやすいシチュエーション」をどう作っていくのかです。
シュートが打ちやすい状況でゴールキーパーとの最後の戦いになったときの成功率はもちろん重要なのですが、その状況での成功率をどこまで皆で上げられているのかこそがサッカーというスポーツで競っているものなわけです。
それを根底から覆すスーパーフィジカルやスーパーシュートは本当チートなんでめっちゃ盛り上がるんすけど、本当にアレはただのチートで本質ではないと思った方がいいです。
ADHD当事者として、増田の言ってることを改善するかもしれない道筋を書いてみるよ。
僕らに欠けているのは「勇気」だ。
時間感覚の無さというのは、罵られるかもしれない会社に向かうという恐怖に打ち勝てていないから。
責任感の無さだって会社という恐怖からの逃げ故、欠勤したりする。
異常な遠回り行動の節でも、経理の佐々木さんがミスに厳しいのかなんなのか分からないけど、その恐怖から逃げているから故。
その勇気に必要なのは、「注意したり罵ったりするのは、何度も部下を赦してるが故の態度だ」と心から理解することだったり。
それでも、「言うことを聞かない子は見捨てる」って身近な人に脅迫を受けることで出来た古傷には中々抗えなかったりする。
忙しくてなかなか見られなかった『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』をレイトショーで見て「泉ちゃんの存在が良すぎるわ…」と思いつつ映画館から車に乗って帰る途中、立ち寄ったコンビニで急に見知らぬ人から話しかけられた。
「○○に行きたいのだが、道を教えてほしい」と言われ、「スマホ持ってないのか?」とか「お金貸してほしい詐欺か?」とか警戒感を覚えながらも一応の親切心でスマホを片手に○○への道筋を教えてあげて、「車ですか?」と聞いたら「徒歩です」とのこと。
徒歩???となった。
○○は徒歩で行くには明らかに遠すぎるし、そもそもこの辺りは車が無いと不便なくらいに十分な田舎だ。
話を聞いてみると、仕事の関係でこちらまで遠征してきたのだが、泊まった漫喫で置き引きに遭ってしまい、財布も身分証明書もスマホも何も持っていないのだと。
警察に届け出は出したものの、地元に帰ろうにもお金も連絡手段もなく、あいにく身寄りもないそうで、どうにかお金が借りられないか警察に相談したが金銭のやり取りは出来ないらしく(過去にあった某事件で警察からお金を借りて全国各地を転々としたケースがあったらしい)、だったら鉄道会社に働きかけてどうにかしてほしいと要望を伝えても「民事不介入」と返されて、なしのつぶて。
駅員に直接「地元に戻ったら必ず払うから」と言っても身分証明書が無いからと取り合ってもらえなかったとのこと。
さらにはタクシーの運転手にも同じことを伝えてみたが、やはりこちらも取り合ってもらえず、その中で最も親身になって聞いてくれた運転手さんが「一緒に交番行ったるわ」と言ってくれて再び警察に行って直談判するも回答は変わらず。
そこで運転手さんから「○○に行けばヒッチハイクで拾ってもらえるかもしれない」とアドバイスされ、徒歩で○○を目指すが、土地勘もスマホもなく(遠くからやって来て置き引きに遭ってしまったのだからそれはそうだろう)、通りすがりの人やコンビニの店員に道を聞いても適当な返事をされ、結局今こうして○○から30kmも離れた場所にある田舎のコンビニで偶然私に道を聞いているというわけだった。
見知らぬ人の話をここまで聞いて、「本当か?」の気持ちがないわけではなかったし、この世知辛い世の中ではまぁあり得なくもない話だと思ったし、仮に本当だとしたら不幸な目に遭って困ってるのに誰も助けてくれないなんて、こんな悲しいことはないよなと思った。
「○○に行く」という目的のためにこんな面倒くさい言い訳を考えるのは割に合わない。
ただ正直なところ、この話が本当かどうかを確かめる術なんてないし、こんな滅多にない状況で頭もそんなに回らないし、でもこの人困ってるし…で思案した結果、
「とりあえず○○に行ってヒッチハイクする」などという不確実な手段ではなく、確実にこの人が家に帰れるようにするのがいいと思ったので、その場で財布に入ってた2万円を渡した。
「こんな非常事態で空腹感を感じられなくなった」と言っていたけど、食べないのはダメなのでとりあえずコンビニでパンとジュース買って渡した。
あとこの辺には宿もないので、とりあえずターミナル駅に行けるように最寄りの駅まで車で送った。(連絡先も交換した)
家に帰って来て家族にそのことを話したら「え~、騙されたんじゃないの~?」みたいなリアクションだったけど、自分としては騙されたとしても構わないし、お金はなくなってもいいつもりで渡した。
あんなに困ってるのに誰も助けてくれないなんていうのはおかしいと思うし、ちゃんとどこかに一泊して何か食べてお腹満たして電車で家に帰れてたらいいと思うし、
自分にとってもその人にとっても誰にとっても、不幸はただの不幸で一過性のものでしかなく、そのうち必ずなんかいいことがある、っていうことになってたらいいと思う。
Twitterで話題になっていたが、年収800万円は日本人女性の上位1%ということらしい。
それについて様々な議論が交わされ大変興味深かったが、わが家は妻の年収をアテにして、夫(私)がキャリアダウンをし、家計運営をすることにした家庭であり、今年、妻の年収がちょうど800万円を超える想定である。
私たち夫婦としては、「合理的に考えて、男性がリスクを負ってキャリアアップをするより、女性が収入を増やす方が容易であり、家計運営においても有効である」という考えの下、このような決断に至った。
今日は日本型雇用を踏まえてなぜ女性の収入アップが有効なのかについて、わが家の見解と実体験を書いていきたいと思う。
なお、はてな匿名ダイアリー初投稿のため、不備や読みづらさがあったら申し訳ありません。
夫:1200万円 28歳 コンサルとか広告代理店とかそんな感じ。ほぼ毎日終電(裁量労働制のため、残業代ナシ・・)
夫:500万円 38歳 地銀とか地方公務員とか大企業の地方子会社とかそんな感じ
妻:800万円 40歳 大手JTCで一般職が廃止され、強制的に総合職(管理職にならなければ転勤はないという条件付)
そうは言っても人気の地区に住んでおり、地価は順調に上昇中で子育て世帯が多い
家は高級と言われるハウスメーカーの、さらにだいぶデカい家に住んでいる(笑)
夫が転職により時間が余りに余ったため、小さいうちに勉強を仕込み、近隣にある私立小(高校まで一貫)に入学
別に教育熱心ではなく、子どもは将来日東駒専以上に行けばバンザイというレベル
現在は上の子が中学受験をしたいと言い始め、私立小に通いながら受験塾に通っている
基本的に余裕がある
1軒目の家のローンは早々に完済できた(夫の転職で退職金が入った。夫婦の会社の株価がリーマン以降に大幅に上がった等、地合に恵まれた)
地価も上がったため、購入時の倍ほどの値段で家をウリ、同じ自治体内のタワマン⇒子の小学校近くに再建築と移動。
夫が転職して収入が減ってからも、資産額が前年を下回ったことはない。日々家と会社の往復しかしていないため、お金を使う用事がほとんどなく、夫も妻も帰宅時間が読みやすいので、突発的な出費(シッターへの依頼や預かりがわりの習い事への預け)が不要。時間に余裕もあり自炊もできるので、出費は少ない方だと思う。
お金を貯めたいとは思っていないが、自然にどんどん貯まっており、なぜかサラリーマン生涯賃金の半分くらい貯まっている。
夫は20代で1000万円を超える稼ぎがあり、当時も正直言って資産に余裕はあった。
しかし、20代でこれだけ稼いでいるということは、当然激務であり、帰宅は毎日23時を過ぎていた。
仕事は非常に楽しく、周囲のレベルも高く、世の中を動かしている実感も大きかったため、戻れと言われれば今でも喜んで戻りたいとは思うが、どうしても仕事を続けたくない理由があった。
それは「転勤」があることであった。
夫のような大した学もウデもない人間が大企業に所属するためには、総合職として全世界への転勤を受け入れる必要がある。
しかし、転勤をしてしまうと、妻のキャリアが中断してしまうこととなる。
大変失礼な話だが、妻もこれといって学やウデがあるタイプではなく、一度退職した後、どこかに再就職することは難しいのではないかと考えた。
(まして転勤者の妻なんて、いつ辞めるかわからないんだから定食につくのは難しい。)
妻の会社には「配偶者の転勤で一旦退職しても復職できる制度」があったが、妻が「そんな図々しいことができない」と頑として拒否したため、わが家にとって転勤は大きなハードルであった。
また、上の子が超超超がつくほどの人見知り。新しい環境が苦手。どこかに行ったら間違いなくイジメにあって不登校になりそうなタイプであり、この子を連れて全国を回るのは、子どもの人生が壊れてしまうというリスクがあると思った。
(これは子どもが小さいうちならではの心配な気もしていたが、やはり根本的な人間の気性は変わらず今でも同じようなタイプなので、全世界転勤がある仕事は離れて良かったと、今も思う)
わが家も、上の子が小さいうちに夫が転勤する機会があったが、上記の理由で単身赴任をし、その後東京の会社に転職し、さらにその後現在の会社に転職をした。
さらに、例えば私が病気になり働けなくなった場合、家族の収入が一気にゼロになってしまう。
親が若くしてガンになり、その後家族が崩壊⇒進路が大幅に制限された私にとっては、これも大きなリスクとして考えられた。
つまり、夫一人で1500万円稼ぐことを目指すよりも、夫婦で1000万円稼ぐほうが転勤リスクもなく、また、片方が病気で倒れた時も家族が崩壊しづらい環境を作る方が、「家族というチーム」においては強いと思ったのである。
結論から言うと、この10年くらいはボーナスタイムであり、例えば男性が700万円⇒1000万円(+300万円)を目指すより、女性が500万円⇒800万円(同じく+300万円)を目指す方が容易だったと思っている。
そして今後もしばらく、この流れは続くのではないだろうか。
実際、鼻で笑われそうな学歴のうちの妻でも十分に達成できたのは、正直なところ時代が良かったからであると思う。
前述の通り、妻の会社は一般職制度を廃止し、旧一般職を全員総合職に登用した。
※大半は仕事内容がそのままで年収が増えた状況。簡単に800万円は稼げないが、これはこれでオイシイ状況になっている。
わが家では夫婦で話し合った結果、これを収入増のチャンスと捉えた。
わが家は夫ではなく、妻の収入増を目指したが、これには大きく3つの理由がある。
(1)社会的に女性の昇進・昇格が求められているので、すなわち昇進・昇格しやすい
(2)家庭があると、休みやすい・リモートしやすい(※コロナ禍以降)・男性よりも周囲が理解してくれやすい
(3)残業したり、成果を出せると、女性というだけで評価が上がりやすい。
会社としても元一般職女性の昇進は「ロールモデル化」しやすいので大歓迎。ゲタも積極的に履かせてくれる。
社会に求められているのは、男性の出世ではなく、女性の出世なのである。
実際に誰でも800万円の年収を達成できるかは不明であるが、例えば年収500万円の夫婦がいたとしたら、男性より女性の方が、圧倒的に年収800万円の到達はしやすいのではないかと思う。
正直それくらい、世の中の女性へのハードルは低い。低いというと失礼に聞こえるかもしれないが、女性は家事育児の中心を担う存在・男性は仕事をすべき存在という前提は根強い。
そのため、世の中の常識と逆のことをすると、大きなメリットを享受することができるのである。
妻の会社の総合職には昇進試験があり、妻が総合職になった2年目に受験のチャンスが回ってきた。
試験の内容はグレードによって異なるが、現在、妻は既に以下の2つの受験が完了している。
(1)テーマに合わせて自身の業務を絡めて記述する作文試験(一発勝負・2時間程度)
(2)自身の業務改善提案をして生産性200%を達成するための考案+プレゼン試験(準備2か月以上・本番1時間程度)
総合職に新卒入社した人たちは、およそ入社6年目・10年目頃に受けるのが一般的なようだが、元一般職の妻は入社9年目・13年目頃に受験をしていた。
ちなみに同年代以上の女性たちは、これらの受験をことごとく断ったそうだ。
理由は「一般職として入社したので総合職の試験を受けるのはおかしい(抗議?)」「そもそもキャリアアップするつもりがない」「内容が難しそう」ということだったそうである。
受験内容と、同僚が受験しない旨の相談を受けた時、私はすぐに受験を薦めた。
理由は「他に受験する人が少ないのであれば、受験さえすればそれだけでプラス評価が得やすいのではないか」「他の元一般職が受け始めると比較されてしまうので、いつか受ける可能性があるのであれば、早い方が良い」というものだ。
作文試験もプレゼン試験も取り組んでみるとなかなか難しい内容であったものの、「一般職でこういった試験に取り組む姿勢」「元一般職にしては異常に高いクオリティ(夫が作文・業務改善・プレゼンの指導を全力で行ったため、対策は万全であった)」が評価され、非常に高い点数を取得できた。
なお、妻が受けた翌年以降、元一般職の試験は年々厳しくなっているらしく、現在は普通に落ちたり、低得点(今後の昇格にあまり良い影響を与えない)人もいるらしいので、早めに受験する作戦は、それだけで大成功だったと言える。
というか、うちの妻(と同じく、機を見るに敏だった優秀な女性たち)が、ハードルを上げた面もあるだろう。
正直、妻の方が稼ぎもよく、リモートワークにも取り組みやすいため、家庭における私は実際のところ、必要ではない。
そうなった時に夫が発揮できる価値はなにか。
夫婦で家事を分担したことがある人はわかると思うが、家事はその日の体調や気分によってムラが生じる。また、得意分野や苦手分野がある。
例えばわが家の妻は、料理は大好きだが皿洗いは嫌いだ。
低収入の夫の価値は、ここで徹底的にフォローし、家庭運営を軌道に乗せることである。
妻が料理をしている間に机の上を片付け・箸やお茶を出す・その間に風呂を沸かす準備をしたり・子どもの連絡帳や宿題のチェック・明日の準備の声掛けをする。
妻は体力がなく食事が終わると早々に寝てしまうので、その後に中学受験の子どもの学習を見るのは私の仕事である。
子どもが寝た21時半以降に、食後の片付け・翌日の米研ぎ・みそ汁の準備・肉の解凍等の下準備・お茶づくり・ルンバをかける・翌日のゴミ出し準備・下駄箱に靴をしまう・気になるところの掃除(日常レベル)や片付け・洗濯機を回す。
その後ジムに行って汗を流し、帰宅後風呂に入り、風呂掃除をするまでが私の仕事である。
もちろん、毎日こんなに完璧にルーティンをこなせているワケではない。
妻もよく掃除をするし、洗濯ものやゴミのまとめをすることもある。
収入の低い人間(夫)のすることは、収入の高い人間(妻)の状況を把握し、その他の対応をこなすことで、家庭を円滑に回すことなのである。
ちなみに、別に収入が多い妻が偉いとか、男性である夫が偉いとかはない。
あくまで家庭というチームを経営する上で、細かいことをイチイチ気にせずに、双方の得意分野や知見を持ち寄っているに過ぎないのである。
妻は望んでもいない昇進をさせられているのではないかと思った方もいるかもしれない。
よく妻の仕事の相談に乗るが、そこで出て来る話は「昇進試験で作文やプレゼンをした内容を実際に業務に活かせて面白い」「というか、私みたいな経歴でもここまで昇進できるなんてラッキー!」みたいなテンションである。
夫としては時流をとらえて上手にライフハックしているつもりであるが、妻としてはあまり深く考えず、ラッキー!
実際、妻の仕事は年間での繁忙期が非常に明確で、その時期は毎月多大な残業を強いられるが、ある程度昇進してからは、妻の意見が採用されて業務改善を進めやすくなったり、短期で派遣さんを雇ったりと、自分の仕事にも良い循環が果たせるようになったそうである。
担当以外にも、新しい華やか系の仕事が入ってきた際には、まず妻に声がかかるそうである。色々と新しいことをやっており大変そうではあるが、グループ全社に配られる社内広報紙に載ったりと、正直うらやましい。
一方夫はというと、仕事面に関してはほぼ捨てている。
これまでの人生観と180度変わったような転職をしたから当たり前である。
年収が下がったという意味でSNSでは圧倒的に地位が低い(笑)
最近ではリモートできる職種が増えたのでうらやましい(夫はリモートができない)が、当時の自分が選ぶことができた選択肢の中では、もっとも良い選択ができたのではないかと思っている。
現状金銭面では困っていないが、子どもも大きくなることで家庭運営は年々ラクになっているため、チャンスさえあればやりがいのある仕事に再度チャレンジしたいと考えてすらいる。
ここまで妻の800万円への道筋や、そのために夫が大幅年収ダウンしたこと等について語ったが、「結局夫が大幅年収ダウンしているから、意味なくない?」と思った方もいるであろう。
確かにその通りである。本来は夫が1200万円を稼いだまま、妻が800万円を稼いでこそ、こういった場所で偉そうに他人にアドバイスができるはずだ。
しかし皆さんに問いたい。
わが家は転職した当初、世帯年収が1000万円を切ったこともあったが、生活には特に困らなかった。
自分の幼少期を思い出してほしいが、みなさんそんなに子どもの頃って裕福だっただろうか。
つい30年ほど前の日本は、東京で治安良く住める地区はごく一部・どこもタバコくさい・きれいなトイレがない・貧乏っぽい家にはバキュームカーが来ていた・マクドナルドがmade for youではなく作り置きだった等、正直、誰もが裕福な感じはしなかった。
ところが今は、どこでもだいたい治安が良く、タバコの臭いを一切かがない日もある・イオンに行けばトイレはキレイ・子どもがモンクレールを着ていたり・カロリーなんぞないスタバに長蛇の列・車もこぞってアルファードという家庭が増えている気がしないだろうか。
この30年で、日本人はものすごい贅沢になったと、個人的には思う。
しかし、適切に支出をコントロールすれば、わが家のようなちょい贅沢的暮らしはできてしまうのである。
家族全員でモンクレールを着て、ゲレンデを所有して、高級腕時計をつけて、都心に居住して、私立小に通って、食材は最低でも成城石井、外食はチェーンではないお店でしか食べないというのであれば、稼ぎは多いに越したことはないだろう。
そのレベルに行きたいのであれば、そもそも「雇われの年収800万円」程度では全く足りない。自らリスクをとって、事業を起こすべきなのだ。
6500字を超える記事をここまで読んでくださった方は、夫婦でサラリーマンをしながら、妻も年収800万円を超えたいなと思っている方だろう。
そのレベル(=もちろん私も含まれているので、皆さんを下に見ているつもりはない)で良いのであれば、支出のコントロールを考えることが、ある意味最も大事なことである。
ここまでの話をまとめると、
・夫は転勤懸念があり、共働きを維持するためにキャリアダウンを受け入れた
・妻は「女性活躍」の流れに先んじて乗り、キャリアアップがしやすかった
・夫の家庭参画時間を増やし、妻に稼ぎを集中してもらっている
・それでも夫婦で年収1000万円は軽く超え、郊外であれば圧倒的に余裕のある生活ができる
となる
欧米のように真のトップクラスのみが転勤をし続けるような働き方ではないからこそ、私のようなレベルの人材でも手に入れられていた1000万円。
要するにわが家では、かつての日本型雇用に守られた男性中心の働き方よりも、女性の地位向上の流れに乗った方がQOLは上がり、ウェルビーイングであり、人生設計も安心安全であると判断し、そして現状ではそれで上手く行っている、ということである。
今後社会情勢がどのように変わるかによって、夫婦がとるべき策も変わってくるかもしれないが、幸いにもアラフォーにして、今後つつましく暮らしていける程度のお金は手にしているため、今後も現状のキャリアをのんびりこなしていくことも悪くない。
もしくは、お金はあるので、本当にやりたい仕事に戻り、やりがいを追求しても良いだろう。
いずれにしても、人生のどこかで時流を読み、そこに上手に乗れることで、学歴がなくとも女性の年収800万円は達成可能であり、持続可能であろうということが、少しでも伝わればと思う。
大変な状況だと伺いますが、無理に自己のキャリアプランを決定しようとすると、逆にストレスを感じることがあります。どうすれば良いか、具体的な提案をする前に、まずは心の状態から考えてみたいと思います。
鬱気味とお感じの場合、まずは心の健康を優先してください。社内カウンセラーや外部の専門家、信頼できる友人や家族などと話すことで、現状のストレスを少しでも軽減できることがあります。その上で、少しずつ自分のキャリアについて考えていくことが大切です。
その上で、キャリアプランについて具体的に考えるためには、以下のような視点が役立つかもしれません:
現在の業務について:現在の仕事の中で、何が得意で、何が好きなのか、逆に苦手で嫌いなものは何か、考えてみてください。これは、あなたが自分の能力をどう評価しているか、そして何を楽しむかについてのヒントを与えてくれます。
将来の業務について:必ずしも具体的な目標を設定する必要はありませんが、将来、どのような業務を行いたいと思いますか? これは、仕事に対する希望や志向を示しています。
キャリアの可能性:キャリアの幅は広く、自分が適性を持っていると感じる分野へ進むことも可能です。また、業務の中で新たな興味を持ったこと、学びたいことなども含めて考えてみてください。
ライフワークバランス:仕事だけでなく、プライベートの時間や趣味、家庭とのバランスも考慮に入れると良いでしょう。自分のライフスタイルに合わせたキャリアプランを考えることができます。
上記のような視点を持つことで、あなた自身のキャリアについて少し考えやすくなるかもしれません。
また、会社のアンケートの回答として「現状の業務に集中したい」や「自己の健康管理を優先したい」などの意見も有効です。その意見が受け入れられる企業文化がある場合、あなたの現状を理解し、サポートするための取り組みを考えてくれるかもしれません。
忘れないでください、キャリアプランはあくまであなた自身のためのもので、自分が心地良く働き続けるための道筋です。他人と比較するのではなく、自分自身の幸福と健康を優先して考えてみてください。
死んだように寝た。
渡辺明が敗れて、私は死んだように寝た。
第81期名人戦七番勝負第5局。18時53分、藤井聡太竜王が決め手となる一手を放つと、名人・渡辺明はすぐさま頭を下げ、駒を投じた。この瞬間、名人戦七番勝負が決着。藤井は名人位を奪取し、史上最年少名人、そして七冠を達成した。一方の渡辺は、唯一のタイトルだった名人を失冠。2004年以来、約18年半ぶりに無冠へと転落した。
重苦しい沈黙が対局室を支配した後、対局者へのインタビューが行われた。まずは勝者の藤井。いつもどおり、慎重に、丁寧に言葉が紡がれていく。一方、座して待つのは渡辺。藤井へのインタビューがひとしきり終わった後、ようやくマイクは向けられた。この将棋のこと、名人失冠のこと、そして無冠のこと。待ち続けた後に投げかけられる問いは、どこまでも厳しく、容赦がない。それでも渡辺は、こちらもいつもどおり、きっぱりと、はっきりと言葉を発していた。
対局後の儀式を、半ば虚空を見つめるように眺めていた私だが、しばらくしてニュースに現れた「渡辺九段」の文字に心は決壊した。体と心の全部がそれを拒絶した。到底受け入れられないと思った。あらゆる思考を強制的に断ち切りたいと思った。布団をかぶって、枕に顔をうずめた。そのまま、死んだように寝た。渡辺明が敗れて、私は死んだように寝た。
翌朝になって、渡辺のツイッターを見た。なんと渡辺は、終局直後にツイートをしていた。しかもそれは、私を含む将棋ファンへの言葉だった。「長い間、タイトル保持者として充実した時間を過ごすことができたのは、将棋ファンのみなさまのおかげです。ありがとうございました」。
どうして、終局直後に当人がこれだけの発信をできるのだろうか。無冠になった夜に。ただの一ファンがショックで不貞寝していた夜に。その胆力に打ち震え、「あなたのファンでよかった」と思うとともに、無冠への転落もまた現実であることを同時に突き付けられるのだった。
2004年に、弱冠20歳で初タイトルとなる竜王を獲得した渡辺。以降現在まで、一度も無冠となることなくタイトルを守り続けてきた。渡辺の同世代に、渡辺ほど突出した棋士はいない。若き頃は、最強と呼ばれる羽生世代相手にまさしく孤軍奮闘、その剣を振るった。2015年になって、ようやく年下の棋士とタイトル戦を戦うようになるが、ここも譲らない。奪取や防衛を重ね、後輩の棋士を寄せ付けなかった。渡辺は、「たった一人」を除いて、年下の棋士にタイトル戦で敗れたことがない。竜王9連覇、棋王10連覇。圧倒的な戦績で、2つの永世称号資格を獲得。通算タイトル獲得数は31で、歴代4位を誇る。
これだけの戦績を残す渡辺だが、早い段階から、自らの立ち位置を冷静に見つめていた。「羽生と藤井の間」。つまり、時代を築く絶対王者の系譜に自らはいないということを公言して憚らなかった。時代のいわば谷間で、孤独に闘い続けた。残酷な言い方をすれば、「次の時代の到来を待っていた」そういうことになるのかもしれない。
渡辺の言葉を裏付けるように、その「たった一人」がタイトル戦の舞台に現れたのは2020年の夏だった。それから今日まで、思い返せば一瞬のように過ぎた。「すごい人が出てきた」の棋聖戦。自身初のストレート負けで散った翌年のリターンマッチ。2日制七番勝負、王将戦で並んだ4つの黒星。「冬将軍」と呼ばれ、10連覇の強さを誇った棋王の失冠。そして名人戦。この間、ただ座して死を待っていた渡辺ではない。研究を深め、自らの将棋をアップデートさせてきた。悲願の名人位を獲得し、3連覇を達成。「第二の全盛期」とも呼べるような充実ぶりだったが、たった一人、藤井がそれをあっという間に塗り替えていった。
藤井20勝、渡辺4勝。気付けば、圧倒的な星の差が付いていた。藤井と渡辺の対戦には、星の差が信じられないような名局が多い。中盤から終盤にかけての、白熱の競り合いと斬り合い。しかしそれらは、渡辺の敗局となっていった。星の差は、勝負の運で生まれたものでないこと。紙一重の差は、とてつもなく大きなものであること。不思議の勝ちはあっても、不思議の負けはないこと。そのことは、渡辺自身が一番よく分かっているはずで、だから渡辺は言い訳をしなかった。「実力不足」そうきっぱりと言い残して、名人戦の舞台を去った。
今回の名人戦、渡辺が唯一勝利した第3局が忘れられない。終盤、渡辺が勝ちの局面になり、決め手となる一手が生まれた。その手自体は一瞬で見えていた渡辺だが、なかなか盤上に手が伸びない。勝利の一手を決断するまで、実に93分を要した。これは渡辺の勝局だが、ファンにとってはまるで負けを味わわされているような、非常に重たく、苦しい時間だった。藤井という圧倒的な存在。目の前にいる「時代」。そこに一矢でも報いるのはこれ程までに過酷なことなのかと、勝利したことで逆に思い知らされる一局となった。
壮絶な戦いを終え、無冠となってしまった渡辺に、今どんな言葉がかけられるというのだろう。自分では、なかなか言葉を見つけることができなかった。しかし、しっくりくる言葉があった。今回、藤井に最年少名人の記録を破られた谷川浩司十七世名人の言葉だ。
将棋とは、対局者二人で創り上げるものである。そして、藤井に真の力を引き出させることができるのは、渡辺を含むほんの一部のトップ棋士しかいない。トップ棋士が諦めたとき、藤井は盤上で孤独になる。七冠達成とは、類まれなる偉業であり、それと同時に、プロの将棋にとって存亡の機でもあるのではないだろうか。
しっくりくる言葉とは言ったが、よく考えてみれば、こんなに残酷な言葉はなかったかもしれない。なぜなら、これまで孤独に闘い続けてきた渡辺に、これからは「藤井さんを孤独にさせてはいけない」と言っているのだから。どれだけ過酷なものを背負わせようとしているのだろうか。残酷な響きに後ろめたさを覚えつつ、それでもなお、私はこの言葉を選ぶ。「無冠になったことで将棋への向き合い方が変わるわけではない」。失冠の日、こう言い残した渡辺にすがる。
何が好きかと問われれば、その将棋の質、それに人柄と振る舞いだ。理路整然とした勝ちへの道筋。細い攻めをつなげ、厚い攻めをさらに分厚くしていく技術。「将棋は仕事」とドライに割り切りながらも、その仕事できっちりと結果を出す仕事人ぶり。本質を包み隠すことのないきっぱりとした物言い。画面の向こうにいる将棋ファンのために行われる明朗快活な感想戦やツイート。そこにある第一人者としての責任感。弱さも含めて自分をさらけ出す強さ。それらの全てだ。
将来、将棋の歴史がどう定義付けられようと構わない。渡辺明は、私にとっての「時代」だ。過去形にはしない。今はただ、渡辺の次の一手が見たい。
時代の流れに合わせて生まれ変わる言葉の一つ、「ダイバーシティ」。それは一体何を指しているのだろう。今回はその「ダイバーシティ」の意味について深堀りする。
初めに、その音色に耳を傾けてみよう。「ダイバーシティ」。独特の響きがあり、切れ目のない流れるような音列が特徴的だ。この言葉は、まるで自然の流れ、風の音、流水の音を思わせる。
次に、その言葉の形状に目を向けてみよう。「ダイバーシティ」。一つの言葉だが、「ダイバー」と「シティ」という二つの要素に分割することもできる。それぞれどのような意味を持つのだろうか。
「ダイバー」は、深く潜る者を示す。見知らぬ世界を探索し、自身を未知の領域に投じる。これは探求心や冒険心、未知への挑戦を表現していると考えられる。
一方、「シティ」は都市を思い起こさせる。人々が集い、さまざまな文化や考えが混ざり合う場所。それは人々の集まりであり、一つの場所に多くの要素が混在する状態を示す。
それぞれを見てみると、「ダイバーシティ」は「未知への挑戦」と「多くの要素が混在する状態」の二つの要素を持つと解釈できる。未見の世界への探求と、そこに存在するさまざまな要素が混在する状態、それが一つの全体を形成するという考え方を含んでいる。
しかしながら、「ダイバーシティ」が本当に指すものは、単純な二つの要素の組み合わせ以上のものかもしれない。それぞれの要素が交錯し、融合することで新たな意義を生む。未知の世界に対する挑戦と、そこに存在する多くの要素を受け入れること。「ダイバーシティ」は、この二つの概念を統合した挑戦的な思考や行動を表現しているともいえる。
このような視点から「ダイバーシティ」を捉えることで、その深い意味が見えてくる。それは私たちが遭遇するさまざまな事象に対する新たな視点を提供し、私たちの生活に新たな色彩をもたらす。そしてこの言葉を理解し、行動に反映することで、私たちはより豊かな人生を歩むことができるだろう。
言葉は、その形成と進化を通じて、私たちの意識に強力な影響を及ぼす。そして、「ダイバーシティ」はその良い例である。
考察を深めることで、この言葉が内包する本質は、「未知への挑戦」そして「多くの要素が混在する状態」であることが明らかになった。しかし、それだけではなく、これら二つの要素が相互に作用し合うことで生まれる新たな価値もまた、「ダイバーシティ」の一部と考えられる。未知への挑戦が多くの要素の混在を可能にし、その混在が新たな挑戦を生む、この循環こそが「ダイバーシティ」の真髄である。
これは、何か新しいものを追求し、その過程でさまざまな要素が交錯する経験を重ねることの重要性を私たちに教えてくれる。また、新たな挑戦が更なる混在を生み出し、その結果として生まれる新しい価値が、次の挑戦への道筋を示す。この循環的なプロセスは、私たちが日々の生活の中で経験し、学び、成長するための鍵となる。
私たちが「ダイバーシティ」を理解し、その思考を行動に反映することで、私たちは自身の視野を広げ、新たな価値を見つけ出すことができる。また、それは他者との関わりの中で生まれる新たな絆や共感を可能にし、共存共栄の社会の実現へとつながる。つまり、「ダイバーシティ」は新たな挑戦と多様な要素の混在を通じて、私たち個々の成長だけでなく、社会全体の発展をも促進すると言えるだろう。
私たちは日々進化し続けるこの世界で生きていく中で、新たな言葉に出会い、その意味を理解することで自己成長を遂げる。そして、「ダイバーシティ」は、その一つの言葉として私たちの生活に深い影響を与え、私たちの思考や行動に対する新たな視点を提供してくれるのだ。
ADHDという言葉が広まった時から、まぁそうだろうなと思っていたので特にショックではない。
「俺多分ADHDだわ」と友達、家族、同僚には言っていたので、皆「だろうと思った」程度の反応で、特に何が変わるわけでもない。
・忘れそうなことはメモする(スマホでメモすれば失くさないし、初対面でも「あ、自分ADHDなんでメモしないと忘れるんですよ~」といえば受け入れてくれる)
これを守っている。忘れることもあるけど。
息子が生まれてから、改めて自分のADHDを振り返ってみると、正直一度もこのことで苦労したこととか悩んだことはない。
なぜ苦しまなかったかというと、身も蓋もないが「性格」と「好きなことが見つかった」だと思う。
自由奔放に好きな様にやらせてくれた両親のおかげで、自分で言うのもあれだが天真爛漫で愛嬌のある性格に育ったと思う。
そして自分は音楽に目覚め、ギターが人並み以上に弾けるようになった。そのおかげで色々な仲間と出会うこともできたし、仕事に繋がる人脈もできた。
発達障害だからと悲観することは全くなくて、文句を言う人間はほとんどネット上だけの存在なので、親は子供に愛情をたっぷり注いであげてほしい。
個人的には周りの人間関係がとても大事だと思うので、高校生位までは過ごしやすい場所を親が導いてあげるのが良いと思う。
ストリートファイター6、通称スト6で導入されたワンボタンで必殺技が出る操作形式・モダン操作の是非をめぐる論争だ。
個人的には自分が格ゲーやる上で躓いた部分に配慮された素晴らしいシステムだと思ってる。
この操作方法については肯定・否定いろんな意見があるが、挫折しかけつつも浅瀬でぱちゃぱちゃしてる底辺ゲーマーからの意見があまりないなと思ったので書くことにした。
一応実力を書いておくと、スマブラをきっかけに格ゲーを始めて実力は
スト5 ・・・ リュウ→キャミィでシルバーまで あまり肌に合わなくてしばらくトレモしか触ってない
ぐらい。
コマンドや基礎コンボならある程度は安定してるし、完璧に読んだ上で噛み合えば対空昇竜も出せなくはない…程度。
スト6はベータテストには参加せず、体験版が出てからモダン操作で始めた。今はCPU Lv.7にまあまあ勝てるぐらい。
まず、モダン操作で素晴らしいなと思ったことは「モダンのまま上手くなる道筋が用意されていること」と「コマンドを否定していないこと」だ。
一部出せない必殺技こそあるものの、基本的にコマンド入力することで普段よりも強力なダメージの必殺技が出せるし、弱中強の使い分けもできる。
つまり、最終的にはある程度はコマンド入力をすることを想定して設計されている。
コマンドは格ゲーの醍醐味だというのは自分もある程度は正しいと思っているし、実際にコマンドを入力して技を出すのは気持ちいい。
コマンド技が出るようになる → トレモでコマンド技が安定する → 実戦でコマンド技が安定する
という3段階が必要だ。
特に2番目と3番目の間が厄介で、実戦で緊張せずにコマンドが出せるようになるまでは、暴発や不発を受け入れ続けなければならない。
しかも、入力を失敗すると相手に至近距離で巨大な隙をさらして負けるというオマケがついてくる。(GGSTはこの辺はまだ入りやすかった)
そういうしょうもないミスを拾って勝つのを楽しいと思う人もいるかもしれないが、少なくとも自分はそうではない。
この「しょうもない負けをする期間」が減るだけでもモダンの価値はあると思った。
咄嗟の時にでもワンボタン必殺を出せるという保険があるのはものすごくありがたい。
さらに、昔はどうだったか知らないが、今はまずコマンド技が出ることが前提でゲームの基礎が構築されているため、コマンド技が出せたところでそれはスタートラインに立っただけで勝てるわけじゃない。
格ゲー経験者からすれば慣れ親しんだ基礎システムの上に新システムが乗っかっているのかもしれないが、初心者からすればまずその基礎システムが複雑で、読み合いすらわからずにしばかれる。
「勝つために練習するのは当たり前だ」という意見をよく目にするし、実際に自分もそう思う。
だが、それを楽しめるのは「これを克服すれば勝率が上がる」という明確なビジョンがあるからだ。
土俵に立った人間が練習して上手くなるのと、まず練習しないと土俵にすら立てないのでは話が違うと思った。
自分が格ゲーにすんなり入っていけたのは、スマブラで格ゲーキャラを触っていたおかげで最低限コマンドの技術は安定していたからだと思う。
上にも書いたが、自分が格ゲーを触ったきっかけはスマブラのテリーを使ったことだった。
テリーである程度勝てたので「これなら本家の格ゲーもいけんじゃね?」と思い上がってスト5を買った。
ちなみにスマブラのテリーはひたすら密着で回避と弱攻撃を入れ込んでお手軽コンボを擦りまくるキャラで、スマブラ勢には割と嫌われているキャラだ。
だが、このキャラには「コマンドさえ安定すれば(ある程度のランク帯までは)手軽に勝てるようになる」という特性がある。
しかも、コマンドが不発でも弱攻撃は最終段まで出るため、相手は吹っ飛んで状況がリセットされ、クソデカリスクを背負うことも滅多にない。
つまりミスしても致命的に結果が悪くことはなく、でもコマンドさえ安定して出せれば絶対に勝てたという反省ができるキャラなのだ。
練習すれば勝てるという希望が見えたからこそ、自分は喜んでコマンドとコンボを練習したし、それで勝率を安定させられた。
実はスマブラのテリーとカズヤという存在は、格ゲー界にすごく貢献してると思う。スマブラにおける影響はノーコメント。
最初は中攻撃連打や強攻撃連打でコンボが出るため、それで最低限試合になる。
しかもアシストボタンを使えばゲージまでちゃんと吐いてくれる。
これだけでもコマンド暴発やコンボミスで致命傷を負うことがなくなる。
人間、パニくった時は連打をする生き物なので、それだけで最低限の火力と仕切り直しまで行けるのはありがたい。
だが、これで最大リターンまで取れてしまっていたら、間違いなくこのゲームをすぐにやめていたと思う。
モダン操作の素晴らしいのは、「モダン操作のまま強くなれる道筋があること」だ。
簡単なところでは、コンボの締めだけをコマンド技にすることで少しずつリターンを伸ばしていける。
波動拳をコマンド入力で出すことで、弱中強の使い分けができるようになる。
自分も今はCPU相手に中攻撃→アシスト中攻撃→OD足刀→コマンド昇竜みたいなコンボ決めて楽しんでいる。
なんだかんだコマンドで技が出るのは気持ちいい。その楽しみを奪っていないのがモダン操作のよくできたところだと思う。
さらには高等テクニックとして、ドライブラッシュを絡めたコンボまで習得すればモダンでも十分に高火力を狙いに行ける。
(ドライブラッシュについては、入力の難しさに加えて、出せたところでCPUにほぼほぼ技を置かれてつぶされたので、今の自分には不要なものと判断して触ってない)
このように少しずつ練習を積み重ねて上達する余地があるというのが、モチベとして大きい。
もし、これでモダンの経験値を捨ててクラシックに移行する以外の成長の道が残されていなかったとしたら「じゃあ卒業でいいや」って言ってたと思う。
なので、「結局やり込むならクラシック」とか「クラシックでやってるやつだけが本物」という風潮にはなってほしくないと思ってる。
あくまで「初心者救済お手軽モード」ではなく「モダン操作」としてデザインされているのが個人的にはすごくデカかったし、しかもコマンド入力自体も否定されていないのがとてもいいバランスだった。
あと、巷で言われているワンボタン無敵技について。
上級者帯でどうなるかは知らないが、ゲージさえ溜まっていれば何とか仕切り直せる技が出せるというのは個人的にはありがたい。
画面端や起き攻めのタイミングでどう打開していいかわからずにそのまま殺されるというのは初心者あるあるだと思う。
また、少なくともリュウとルークを使っている時点では無敵技は何かしらのゲージを払っているし、ガードされるとガッツリリスクがある。
少なくとも相手のコンボ中にEX昇竜入れ込みまくってお祈りしたり、ひたすらコマンドだけ入れて待って覚醒必殺ぶっぱなしてきた身としては、根本的にやってることは変わらない。
(逆にそんなプレイをしているので、モダンは発生を遅らせれば平等じゃない? という意見については、そんな単純な話じゃないなと思った)
そんなわけで、自分は今のところGGSTでいうバーストのような感覚で使っている。
特に今作はラッシュにインパクトに飛び込みにと非常に相手の攻めの選択肢が非常に多く、非常時にその大半に対応できる「なんとかなるボタン」の存在は非常に助かっている。
(自分はSA発動を右スティック押し込みに設定しているため本当にワンボタン)
バーストと違って無視できないレベルのダメージがついてくるため、単純比較できないのはわかる。そこは調整のし甲斐がある部分だと思う。
モダンとクラシックにあえて絶対に超えられない火力差が設定されてる理由はむしろこっちなんじゃないの?って思った。
ワンボタンSAの存在が上級者のレベルでどんな影響をもたらすかについては、当然自分は上手くないので何とも言えない。
ただ、スマブラでPVだけ見て「ぶっ壊れ!」と上位層が的外れに騒ぐ文化を見まくってきた自分としては、今の時点で決めつけるのは早いんじゃないかと思った。
(大体の場合はわかりやすく派手な技にはしっかり対処法が存在していて、むしろ騒がれた部分以外の強みが徐々に明らかになっていく。経験者の「予言」はあてにならない)
結局、ワンボタン無敵で待つという行為がどの程度強い行動になるのか、それを打開する術があるのかないのかは、発売してしばらくしないとわからない。
少なくとも、発売してないゲームのゲーム性を知ったような口で叩くのは、見ていていい気分はしなかった。
余談だが、「初心者救済用のシステムを設けたら、上級者がそれを悪用してさらに勝つようになる」という話がある。
だが、上級者が初心者用のシステムを悪用して勝つ分には、自分はあまり気にならない。
なぜなら、ゲームシステムをうまく使いこなす人が勝つのは当然だと思っているし、その上手い人たちの活用方法を学べば、自分でも勝てるようになるかもという希望が見えるからだ。
むしろ、「共通知識」である基礎システム関連の経験値の差でメタメタにされたほうが心に来る。
これに関しては、どちらが評価されるのが絶対に正義とも思わないので何とも言えないけど。
色々言ってきたが、言いたいのは「モダンは入門者の学習曲線まで考え抜かれた素晴らしい独立した操作大系」だということだ。
スト6運営にはこれが新しいスタンダードだという姿勢は崩さないでほしいし、モダンは初心者のための補助輪、クラシックに移行するのが正義、という風潮にはならないでほしいと思う。
自分も最初はモダンの操作感に馴染めず戸惑ったが、モダンが強いと思うのならば、せっかくだから「勝つために地道に練習」してみるのも一興ではないか。
最後の配信での言葉が「(なんで配信してるんですか?)配信が好きだから みんながコメントしてくれるから そういうことだから」で終わる配信者の鑑みてえな最後だった無職飲んだくれヨボヨボハゲジジイ
あと何年かは生きるんじゃねえか、だなんて思っていたけど、いやぁまぁ、想定より早く亡くなってしまったな。
でもそこに配信っていう魔がやってきて、その魔に誘われるままにとんでもない配信を幾つも作ってきた
よくよく考えたら、普通に生きるってのも真っ平らな道ではないからな、凸凹道の凹凸をデッカくしたり小さくしたりするのが配信で
それを視聴者達がクセエだのハゲだの隠居しろだの言いながら眺めていたのが配信という魔だった。
ある種、救いなんだよな
金くれっつったら百円でも投げてくれるんだもの
そして、その言葉の後に『もうやめ、やめるよ もう やめるよ うん、ほんと ちょっとさ これで配信はぁ 別にぃなぁんもぉ…くせ クセ…ミ…くせぇ…クセエ野郎がぁ…』と言っていたので、本当に配信活動(というか死期を悟っていて人生)自体はそこで終わるつもりだったんだろう。多分『もうこれで配信やめても別に後腐れはないよ』って言いたかったんだと思う。
何が後腐れだとは思うけれども、まぁそういう迷惑な人があの人達配信者という人達だし
だから、これからも救いようのない人たちは配信などをして救いようなく暴れて、救いようなく小銭でこき使われて、それでもそんな暗がりの中を照らしてくれるコメント達を有り難がりながら眠るように亡くなっていっていいんだと思う。
素晴らしい道筋を作ったものだ、それは加藤純一やもこうにはもう出来ないことだから
本当の意味での底辺配信者はやはり最後まで配信というものを楽しんで死ぬべきだから、人生に齧り付きで行った趣味で、人生の大半を配信に捧げたのだから
そこに言葉をくれる奇妙奇天烈な奴らがいてそいつらとニヤニヤ過ごせただなんて素敵な事だと思うよ。
何かを勘違いした人は『だから配信者の真の姿をちゃんと見るべき!』だなんて言い出すかもしれないけど
見に行って、クソと思って、変なコメントして、ちょっと揉めて、ああもうこんな奴の配信見るものかと思いながら、また次の日にちらっと見に行って、全然コメントなくて、全然コメントなくて草ってコメントして、またキレられて、そういうくだらない繰り返しが本当の配信者とリスナーの真の姿なんだよ。
ただ暴れて女とヤッて酒飲んで警察の世話になって揉めて揉めて揉めて揉めてなんてのは、人間の底辺の、人間が底辺になった時によく発生する部分で、僕らが歩く時にぶつかる膝から下の部分の話でしかないから。
でも人生とかいう奴は膝から下でしか呼吸ができない生物とも、腰から下に顔が付いてるような生物とも、胸でしか世界を見れない生物とも、頭の上から理解ってるように見ていてそのくせ何にもわからないまま死んでいくえらそうな生物ともぶつかり時に肩を組むものだから
そう考えると配信者の真の姿ってのは『面白いと思ったコメントがスベってキレられてるけど、配信者はそんなに気にしてないし、むしろ何もないよりは助かってる』って姿なんだと思う。
これからも底辺は続く、俺たちの生活は何も良いことが起きず、何も上昇せずにひたすら泥と酒とゲロの中を泳いで生きる。
時々足元が見えていない奴のために罠を作って引っかかってる様を見てゲラゲラ笑う。
そして偉そうに講釈を垂れた後に自分も同じトラップに引っかかり暴れ出さんばかりにキレて誰も見ていないところで静かに反省する。
その実単に酒飲んで生きたいだけだったりしたあの人の姿は
多分俺の中で徐々になりつつある反面教師の姿として
一生残り続けるんだろうなぁ。