はてなキーワード: 提示とは
増田だったと思う、定時に帰ることを続けたらどうなったかというエントリーが相当前にあった。
俺もやってみた
きまずい。皆残っているのにそうそうに変える。「お、お先失礼します〜」とった感じ。
捌ききれないほど溜まりそうなら1日〜何日か夜遅くまで残業して対応し、基本定時で帰れるようにした。
気まずくなくなる。定時後5分で片付けしていたのが、定時5分前から片付けして帰るようになる。
自分の仕事のスピードも上がり効率は良くなる(残業2時間してた頃よりこなせる仕事は少ないが)
「子供のお迎えあるのは分かってるんですけど、こんな時間に話かけて大丈夫ですか?」
「増田さんはお子さんのお迎え協力してやってるんですって。偉いですね」
俺が全く話していないことが脚色されて周りに伝わるようになる。発信源は不明。
(お迎え行ってるのは事実だが俺がいけなくても妻が行くので定時に帰る理由ではない)
非科学的な方法で不安を煽った上で、それに対して実現性がないけど魅力的だけではある解決方法を提示した上で、「あなた達は真実に目覚めた優秀な人達!共に日本を変えていきましょう!」って全面肯定してくれるれいわの山本太郎が、まっとうな教育を受けて来た人達から散々馬鹿にされつつも、着実に支持を伸ばして来ている理由が分かる。参政党のコアな人気だって同じ理由だろう。立憲や共産は少しはその貪欲さを見習って欲しい。
なぜかというと取引先の相手が経営者であれば交渉する余地はあるが、普段相手をするのは調達担当者。
調達担当者の視点に立つと上司からは仕入価格の値下げ要求をするように言われ、値上げを提示をすれば営業を交渉と称して尋問しながら提示価格が下がるまで軟禁する。
調達担当者は値上げを許容できる権限が与えられていないのである。上司を呼んでも予定原価が決まっているので状況は変わらない。
仮に価格を飲んでも送料無料や、購入ロットを無理やり変更させ1個から注文、納期短縮など無茶な要求もしばしば。
送料無料は下請法で守られている部分があったりもするが、無茶な要求は続く
また中小企業の経営者も売上が止まるのが怖いからある程度は許容してしまう。
そうなると仕事は忙しくなる割に売上はそうでもない結果になり、原資が確保できず満足な昇給ができない。
そんな状態が今の日本の中小企業を取り巻く環境のような気がする。
完成品を売っているメーカーは安く買い叩いた部材から価格を転嫁できる分だけ、かなりまし。
「宅急便」はヤマト運輸の商標だってことは常識だろうけど、荷物サイズの単位がセンチでそれが荷物の縦横高さの合計だってことも知ってほしい。
夜中のコンビニに荷物を持ち込んだら、店員がぶつくさ言いながらあたふたし始めたので私は全てを理解して、iPhoneの計測ツールで荷物のサイズを提示した。
「専用のメジャーがないと測れないんですよ。」
なるほど、私もこの計測ツールの精度は保証できないから、売り場の15センチ定規で測ろうとしてみせた。
「これじゃあその大きな段ボールは測れませんね…。」
・依頼した仕事
↓
・頭を使うのがきらい
↓
↓
ひっじょーに分かりやすいよね
解像度高く紹介とソレを語るわけ
でも実際には
と言い出すんだよ
あれれ?
話違くない?
話の階層が違うんだ
ブコメでもそれを読み取れない(日本語が読めてない)人たちがいる
それが出来るのは今も昔も「貴重な人材」だよ
そういうのを「社会的な話」と主語を大きくするの、頓珍漢だよね
多分この記事は狙ってやっているのだろうが
狙ってるとしたらばより醜悪
で、今後はそっち側に居ないと大変だぞー、がおーって話だから
サロンとかでするには向いてるんだけど
「お、おぅ」みたいになる奴よ
ちなみに、これがオカシク運用されると
「年に2件特許を取れ」とかそういう風に歪むのね
「依頼した仕事」と言ってる奴は、多分そんな風に歪んだ奴なのよ
広告代理店とかはさ、そういう風に価値創造()しなくっちゃいけないんだろうし
コンサル業とかも、古い事をまとめてさも新しいことかのように話すのが仕事だから
そう言うの要るんだろうけれど
論文でも指摘されてた
そして少女表象 https://core.ac.uk/download/pdf/267829539.pdf
彼の描く女性の成熟と堕落を軸に展開してい る点だ。 これらの女性達は南部の人種・階級及びジェンダー観に則っており、 その意味 で彼女達はリアリスティックに再現 (前) された南部の女性像というよりは、 寧ろ特定 のイデオロギー的偏向そのものとして表象される。 従って彼女達は一般的な意味で「リ アル」な存在としては描かれない。 その身体性はしばしば捨象され、 イメージと感覚的 形容の集合体として提示されるか、 或いは逆に過剰で耐え難いまでに強調されて前景化 される。 その意味では、 フォークナーの世界に登場する女性とは、 殆ど常にこうしたイ デオロギー的歪曲の対象であると同時にその効果である。 換言すれば、 それはフォーク ナーの幻視するアナクロニスティックな南部という、 客観的には存在しない不在の「欲 望の対象」である。 それ故彼女達は所謂 「リアリズム小説」 の規範に則って、 キャラク ターとして十全に表象されることはなく、 寧ろある種の象徴や記号として存在する。 そ の意味で、 フォークナーの女性/他者表象は常に失敗を運命づけられているとも言える。
本論はそのような 「表象の失敗」 としてのフォークナーの女性像に焦点を絞って、 作 家のアメリカ南部創出と喪失のレトリックについて、 特に彼が創造した少女像を採り上 げて議論する。 フォークナーが描く少女達は、 作中の男性キャラクターにとっては永遠 に手の届かない存在として崇拝され或いは憧憬の対象とされるが、 一方でしばしば彼女 達は、 南部の社会的規範に照らして不適切な形でその処女性を、 しかもしばしば不用意 な形で喪失する。 彼女達を取り巻くこの皮肉な矛盾に満ちた状況に、 女性のセクシュア リティに対する作家の一種の強迫観念を見ることが出来る
嫌とは言ってないし思ってもいない
意味も価値もないんじゃないかって疑問を提示してるだけなんだが
取引先の自宅のトイレに棚をつけてほしいと言われた。わたしは設計者で施工はやらない、というかできない。いったん断ったもののスライド丸鋸の経費も持つという好条件を提示され引き受けることにした。1時間ほどの現調ののち1週間ほどかけて材料をそろえ、新造アトリエで部材を加工し現場で半日ほどかけて棚を完成させた。棚は秋田杉無垢材だけをつかい、竹釘とちいさな真鍮釘のみを外に見せた。杉の香りも高い。去年から設計している山科の新築茶室と同じノリで施工したため完全な数奇屋造になってしまった。帰り際に施主一家は口をあんぐりあけてトイレの棚を鑑賞していた。数日後に具合をたずねた。棚があまりにも綺麗で何も置くことができない、ひたすら鑑賞しているとのことだった。
私は今日何をしに来たのか。 興味のある人が一人だけいる。それを目指して来た。これで4回目である。だからなんなのか。私には絶えず指令が入っていていくら出来上がったタテマエを
私の周辺にいる残酷なもぐらは何を考えているのか、それが分からない。 40歳のもぐらは、何も有形力がない私に、一定の状況で、有形力を許している。あるわけがないものがある。
それを知った時点でげんなりする。もうお前が、34歳~39歳の間にやった活動は終わったから、次の事をしろ、それをしなかったから、令和5年7月15日以降に何度も鳥葬にされたのに
ひとつも次にいかないから鳥葬が続いている、そういう風にも解釈できるし、解釈できないときもある。私は法学部で、文がないわけではない。誰かが決めたことをやりたくない。しかし、
GLAYの場合は、明らかに状態がいいから5年間やってきた。他方で、文章を書くのは、若いときに散々やって、こりごり、仮にやったとしても、何の利益もない、それなのに、弱くて残酷なもぐらは
34-39歳の計画は終わったから次に移れ、という。それが単純に言って、むかつく。
ネット通販の拡声器や、音楽は、誰が見ても、迷惑をかけるためにある、そういう状態やものとして提示されている。これに対して、なんでものを書かないといけないのか、何もメリットがないのに
である。