はてなキーワード: ターミネーター2とは
キャラは3DCG。背景は3DCG。これがアニメじゃなかったらなにがアニメなんだよ
3DCGモデルを作って、それをモーションキャプチャーで役者に演技させて、最終的にはアニメーターの手を加えて完成品になる
実写パートがあるからアニメじゃない?じゃあ蒼井翔太が出てくるポプテピピックは実写ドラマか?
部分的にアニメを使ってるだけなら実写映画という括りになるのはわかる。たとえばCGアニメーションで描かれた液体金属製の敵が印象的なターミネーター2は間違いなく実写映画だろう
ならば逆に人物だけが「部分的に実写」で、背景も恐竜もCGなジュラシック・ワールド ( https://gigazine.net/news/20160221-ilm-behind-the-magic/ ) はアニメ映画か
ロジャー・ラビットやスペース・ジャムが実写とアニメを融合させた映画と言われたのなら、現代のハリウッドの大作もほぼ全部実写とアニメを融合させた映画だろう
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/9192.html
これに騙されないのはターミネーターもドラえもんも有名作品で、挙げられている点"以外"が全然違うことをみんな知っているからだ
しかしちょっとマイナーな分野になるとみんなころっとこの手に騙される
「怪しい点がこんなに沢山ある」
という主張の仕方には注意するべきだ
注 この文章は『疾風!アイアンリーガー』を第十三話まで鑑賞した人間が書いています。
『アイアンリーガー』というアニメを知る人ならば、この「初見人」の慟哭の意図を察してくれるに違いない。
これを呟いたのが、学生生活の記憶もとうに色褪せ、メディアを賑わせる人々が自分よりはるかに若いことに日々愕然とするようになった齢の人間であり、かつ令和の時代に『アイアンリーガー』というアニメを初めて目の当たりにし、そして今こんな文章を書くに至っているという事実を踏まえれば、なおさら。
多少の表現の違いこそあれ、アイアンリーガーというアニメは「ロボットがスポーツをする子ども向け熱血(スポ魂)アニメ」というような説明をされる。
おそらく、それは間違いではない。間違いではないが――世に溢れる詭弁の数々が皆そうであるようにーー嘘を言っていないことと、それが真実であることは必ずしも一致しない。
はじめに断っておくが、僕は別にアイアンリーガーというアニメについて「実はこういう真のテーマが隠されている」などと声高に主張する気は全くない。
「現実の世界に『テーマ』などないように、映画はそこに、ある物語にそった映像を映し出しているだけです。」と、かの伊藤計劃氏も述べているし(伊藤計劃:第弐位相「自腹は神様ではない」https://projectitoh.hatenadiary.org/entry/20060211/p1)、それはアニメも同じであろう※。僕がここに書き散らしているのは、アイアンリーガーというアニメに勝手に情緒を乱された人間のお門違いの怨念に過ぎない。諸賢におかれては、どうか哀れみの心で受け止めて(あるいはスルーして)いただければ幸いである。
「ロボットがスポーツをする」。何ら間違ってはいない。この物語の主人公はロボットであり、「アイアンリーガー」とはロボットのスポーツ選手のことである。彼らはスタジアム(他の場所のこともあるが)でスポーツの試合をし、勝利を目指しながら、物語は進んでいく。
だが、少なくとも十三話までを観て、それはこの作品の本質ではないと僕は思っている。(ちなみに、なぜ十三話という中途半端な時点でこんなものを書いているのかと言うと、YouTubeでの無料配信が十三話で終わったからである。)
作中のロボットたちは、確かにロボットである。彼らはバッテリーで動き、金属の身体にはギアが埋め込まれ、コードが張り巡らされている。外側は一応人間の姿形をベースにデザインされているが、人間そっくりのアンドロイドではなく、ひと目見て「ロボット」と分かる。大きさも、人間と比較すると(その可愛らしい見た目とのギャップに唖然とするほど)かなり、でかい。
それでありながら、彼らには意思と感情がある。人間と同じように傷ついたり喜んだりし、迷い、成長し、心を通わせる。彼らの持つ「心」は、ほとんど人間と変わりがない。フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』で、限りなく人間に近い意思を持つアンドロイドと人間の、それでも厳然と残っている(とされている)「共感力の有無」という差異も、『アイアンリーガー』では存在しない。
そんなロボットたちが存在する世界の側も、彼らをほとんど人間と変わりのないモノとして扱っている。アイアンリーガーはロボットでありながら、チームと「契約」関係にあり、チームの所有物ではない。チームから脱退することも(少なくとも建前上は)、第一話でマッハウインディたちがそうしたように、契約が許す限りにおいては可能なのだ。アイアンリーガーは金も稼ぐし、転職もするし、山にも帰る。
そうしたロボットとロボットを取り巻く世界の在り方は、作品内で自明の理とされている。それについて何ら特別の説明をされることもないまま、当然のごとく物語は進む。ロボットたちはガショガショと金属音を立てて歩き、「オイルを飲んだり燃料を食ったり」しながら、人間と全く同一のレイヤーで生き、スポーツをする。
そして、人間と人間の関係性の中で生まれる、いわゆる「人間ドラマ」を繰り広げている。
そのあまりのギャップは作品に可笑しみをもたらし、人間とそれ以外のモノがボーダーレスに意思疎通しながら共存する世界観は、絵本のおとぎ話のような「子ども向け」の空気を感じさせる。
僕はいわゆる「ロボットアニメ」をこれまでほとんど観たことがないので、そうした世界観が『アイアンリーガー』特有のものなのか、この手のロボットアニメではよくあることなのかは分からない。
だがいずれにしても、この奇妙なまでの人間とロボットのボーダーレスな世界観こそが、『アイアンリーガー』という作品の(はまる場所、という意味での)「深み」である。
『アイアンリーガー』における人間とロボットの関係性は、もはや「共生」というレベルを超えている。人間とロボットの違いはもはや生命の有る無し「程度」にしかなく、作中でも殊更に「人間とロボットの」違い(と共通点)や、その関係性に焦点を当てることは(少なくとも十三話の時点では)ない。
もちろん、『アイアンリーガー』の世界には人間もいるので、人間とロボットの交流も描かれる。第八話のキアイリュウケンとオーナーの話などは、それがメインテーマだ。
だが、そこで描かれているのは「人間とロボットの」交流ではない。あくまで「同じように意思(心)を持つもの同士」としての、オーナーとキアイリュウケンの交流、つまり個人対個人の交流だ。
人間ならではの心、ロボットならではの心、という概念は『アイアンリーガー』にはない。『アイアンリーガー』は、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のように、アンドロイド(ロボットと似た存在と考えてよかろう)と人間の間で登場人物が苦悩する物語ではない。あるいは『ターミネーター2』のように、本来自分の意思や感情のない「はずの」ロボットが、人間との交流の中でそれらを獲得していく、という物語でもない。『アイアンリーガー』では、人間とロボットの交流も、ロボット同士の交流も、人間同士の交流も、全く同じものであり、それが世界の前提なのである。
しかし一方で、人間と全く同じ「心」を持つロボットは、人間に「発注」され「納品」され――そして恐らく「売買」される存在であるということが、ブルアーマーの過去が明らかになる第三話、そして(よりにもよって)キアイリュウケンとオーナーの絆を描いた第八話で明言されている。
第三話では、なぜブルアーマーのバグを直さなかったのかという問いに対し「バグを直すよりも新しいリーガーを入れた方が早い」とエドモンドが答える。第八話では、キアイリュウケンが「空手リーガー」であり、本来サッカーや野球「用」には作られていない、ということが明らかにされる。作中では明言されていないが、恐らく間違って納品された先がシルバーキャッスルでなければ、彼は工場に「返品」されていたはずである。
ロボットたちは、人間と同じ意思と感情を持ちながら、同時に「工業製品」「商品」であるという事実が、スポーツの試合の影で徐々に明らかになっていくのである。
彼らが工業製品であり、商品である以上、逃れられない宿命がある。ロボットは、人間に役割を与えられ、それに相応しいように設計・プログラムされて生み出される。
その現実が、第九話から急激に深刻になっていく。トップジョイ、そしてS-XXXの登場である。彼らの存在が、今まで「人間とロボットがボーダーレスに生き、スポーツをしている」という、どこか楽しげで夢のあるアイアンリーガーの世界観を大きく覆す。
なぜか途中で切れてしまうので 2(https://anond.hatelabo.jp/20210828220400)につづく
初代ライダーやV3、X、ウルトラマン、セブン、タロウなどは見た記憶があるし、友人との話題にも上がっていた。
この増田自身も雑な先入観が多くて、批判してる「特撮嫌い」と同じことをしてると思う。
庵野だってすべての「和製特撮」を手放しで褒めてるわけじゃないでしょ。むしろ偏ってると思う。
ただ、俺自身もそこまで詳しいわけではないので、あまり増田を批判できないが。
シリーズで言えばウルトラマンは海外での「USA」や「グレート」があったりして、見てはいなくとも話題には上がってブランドを延命していたし、辛うじて「ウルトラマンキッズ」とか「パワード」があって、「ティガ」に繋いでいた。
ソフビを集めてる子とかはそういうのすごい詳しくて、「USAみてー!」とか話してた記憶がある。
玩具とかアニメとか海外展開、あと「ヒーロー戦記」とかのゲームも結構キモだったと思う。
※「パワード」に関しては、庵野と仲いい樋口真嗣(ガメラの特撮)が関わってたんだけど、まあ本人たちがネタにするような出来だったりする。
映画で言えば平成ゴジラなんかはあれでもみんな割と楽しんでてメカキングギドラとかデストロイヤかっこええーってなってたし、忘れてはならない「平成ガメラ」も登場してる。
ただまあ石森系は「真 仮面ライダー」とか「ZO」とかあとなんか「ハカイダー」とか、ビジュアルグロめだったり「大人に向けた内輪向け」感が強い作品だったのが、なんだかなあ感はあった。
でも子供向け漫画雑誌で仮面ライダーのシリーズがあったり、やはり漫画・アニメの役割は大きい。
「ポワトリン」とかもあったな。
そんな中でも一番偉かったのは東映スーパー戦隊とメタルヒーローか。
「女リーダー」「全編ギャグ」といったエポックな「カクレンジャー」や「カーレンジャー」は94年、96年に登場してる。
「特撮」の本道とは少し違うかもしれないが、でもまあ本当に東映はよくやってたよ。
ここからはさらに個人的な偏見だが、昭和50年代かそれ以前の人の方が「本物の特撮」をリアルタイムで体験してる分、その後の特撮(平成ガメラ以外)にケチをつけてる印象がある。
ただこれも仕方ないというか、少年時代に「本物」を見た後には「劣化コピー」が続き、さらには「海外の本物」を同時に見てるんだもんな。
映像的にも「アビス」86年、「ターミネーター2」91年、「ジュラシックパーク」が93年。
「ジュラシックパーク」を見た前後に、じゃあ日本はどうなのかっていえば「REX 恐竜物語」とか「水の旅人 侍KIDS」とか「北京原人 Who are you?」なんだぜ・・・そりゃキツイよ。
で、まあ80~90年代と世の中全体の物差しが「世界基準」になってる中、その世界の映画監督が影響を受けたと公言してて、世界で戦えてたのが「漫画・アニメ」なわけで。
「青少年時代」にそんな体験をすりゃあ「漫画・アニメすごい」ってなるのも当然の成り行きよ。
繰り返すが、「ジュラシックパーク」のあとに「REX 恐竜物語」を見せられる気持ち、想像してみてくれよ・・・
レゴを使ったストップモーションの映像と、ファミコンのようなサウンドのBGM。こんな映像作品を、Youtubeで見かけたことがないだろうか。
「Rymdreglage - 8-bit trip」ーhttps://www.youtube.com/watch?v=4qsWFFuYZYI
この映像を作ったのはスウェーデンの二人組バンド、Rymdreglage。音楽と映像とゲームをこよなく愛する彼らが送り出す素晴らしい作品群は、彼らのYoutubeチャンネルにて鑑賞することができる。
彼らの作品は度々メディアに取り上げられるものの、日本語ではもちろん英語でも彼らにまつわる情報が出てこないため、かなりマイナーな存在だ。しかし、恐ろしいほどに手間がかけられた映像と音楽は、メジャーにはなりえないかもしれないけれど、誰かの心に深く刺さるかもしれない。このまま人の目に触れないのはあまりにも惜しく感じるので、勝手ながら、場末のネットコミュニティで彼らの作品を紹介することにした。
Terminator 2 - 20 years ( July 3 1991 - July 3 2011)ーhttps://www.youtube.com/watch?v=a4mWyeVitNQ
ターミネーター2の20週年を記念し作成された作品。Eテレの番組「テクネ 映像の教室」にて取り上げられた作品でもある。色付きの画用紙にターミネーター2の名場面が描かれ、溶け落ちるロウソクと積み上がる紙くずが途方もない時間を演出している。
Rymdreglage - Insert Coinーhttps://www.youtube.com/watch?v=0sNxRji1STg
アーケードゲームを題材にした作品。コインがヌルヌル動く映像を演出する様は圧巻。Rymdreglageの、ゲームへの愛に溢れる作品となっている。
Rymdreglage_Kallbrand ー https://www.youtube.com/watch?v=QcvnDNPbsOo
Rymdreglage_Kallbrand_inst ー https://www.youtube.com/watch?v=plGRtq6jVF8
80年代の様々なゲーム映像をレゴブロックで表現した作品。もしかしたら、あなたが昔遊んだことのあるゲームもあるかもしれない。本家とインストで2種類の動画が公開されているが、どちらも別の映像となっており非常に手が込んでいる。
その他にも、ユニークで面白い作品はたくさんある。よかった見てみてほしい。
Rymdreglage - Respawn ー https://www.youtube.com/watch?v=nhJj13iChCk
Rymdreglage - Old days ー https://www.youtube.com/watch?v=ohlQczU45SA
また、彼らの音楽作品はAmazonミュージックやSpotifyなどで絶賛配信中だ。
Rymdreglage公式サイトーhttps://www.rymdreglage.se/
敢えてキツいこと書くけど、
と俺は思ってるんだけど
というか、宮崎駿氏にしても坂本龍一氏にしても安易に、原発なくせ、だの「たかが電気」だの、
人類なんか滅びちゃえばいいんです、だの、コンピュータとかゲームは頭がおかしい人が作ったもんなんです、だの、
マクロスやアクエリオンの河森正治氏も地球少女アルジュナみたいなエコでロハスでスピな新興宗教のアニメ?みたいなの作っちゃうし、
例えば、オネアミスとかロケットの話だけど、やっぱり庵野氏というかガイナックスというかアニメーターなわけで、
自分のような理系の視点から見た宇宙やロケットの壮大さに対する感動とは同じようで異なっているのではないか、
つまり、彼らは理系というより文系視点というか、センス・オブ・ワンダーなところに惹かれているのであって、
一からピラミッドのレンガを積み上げるような泥臭い本当の開発現場感が、
アニメーターはアニメ制作に関しては当然あるのだろうけど、別の世界のそういう地に足のついた視点には欠けていて、
というのも、リアルな研究や開発を脚色なく描いてもドラマがないというか物語として面白くなくなる可能性がある
つまり、天才的な科学者とか理系の女性が登場したり、こんなこともあろうかとでミラクルな超兵器がいつの間にか登場したり、
実際の研究や開発は、たしかに歴史的な天才、偉人と呼ぶべき人々も存在するのだけれど、
ほとんどは凡人、サラリーマンの集合であって、地味でつまらない日々の仕事がベースになっていると自分は思っていて、
ちょっとした思いつきや閃きで壮大な宇宙艦隊戦の形勢が逆転したりとか、そんなことはありえないと思うのです
でも、リアルすぎる研究や開発、リアルすぎる戦争を描いても面白くならない
だから、ビジュアルとして美しい部分だけを切り取るのはアニメというか映像を作る側としては当然の選択なわけです
しかし、敢えてキツい言い方をするなら、アニメ作ってる人もスタジオの中に閉じ込もって、その世界しか知らないのではないか
恐れ多いのだけど、宮崎駿氏だって朝から晩までスタジオにこもってアニメを作ってる
もちろん、通勤の途中に障害のある人に出会って云々みたいな話もあった気がするのだけど、
電気なくても構わないから原発なくせみたいな主張をされても、電気なければアニメは作れない、作曲や録音もできない、
アルジュナには水中分娩の話があるらしいけど、なんの資格もない助産師が水中分娩をさせて死亡事故が起きたりしてたと思うのだけど、
そういった左翼的というか、極端な自然回帰というか、そういったエコでロハスでスピリチュアルなのに走っていってしまうのは
そういえば最近だと膣にパワーストーンだのジェムリンガだのもあったけど、膣の声に従って、仕事辞めて、孤島に集まってしまうとか、
SFというか、どちらかというとSF寄りのファンタジーを描いてる人たちってオウムみたいなのと親和性がある気がするんだよなあ
SF寄りのファンタジーって何のことを言ってるのかというと、スターウォーズ、そしてガンダムのことだったりするのだけど、
宇宙や宇宙船が登場してるけど、一方で超能力とか、それが宇宙空間で開花するとか、
こういった話はLSDとかアイソレーションタンクとかアルタード・ステーツとか、ジョン・C・リリー、ティモシー・リアリー、
それとジョン・レノンとかヒッピー、メリー・プランクターズ、フラワー・チルドレンとかサマー・オブ・ラブとか、
LSDのような幻覚剤がなにか人類の発展に寄与するのではないか、そういう時代背景だったというのもあるけど、
結局は理系の研究者でさえ幻覚剤に溺れ、なんでか自然を超常的なものとして扱うスピリチュアルな方向へ走ってしまう
人間には何か根源的にそういうところがあるのだろうか
考えてみればユナ・ボマーことセオドア・カジンスキーも天才的な数学の能力がありながら、
世捨て人のように山奥で自給自足の生活を送るようになり、しかしながら当然その生活は長く続かず、
将来的にテクノロジーが人類を破滅的に不幸にすると思ったことから、
だったら将来性がある科学者を爆弾で○せば、悲劇的な未来は回避できるんでないの?と考えたんだかどうなんだか定かでないが、
これはターミネーター2のストーリーのベースになっているが、フィクションなら面白いが、現実なら単なる爆弾魔の犯罪である
話が大幅に脱線したが、エヴァは終わっても就職氷河期が救われない、というのは言い得て妙であって、
エヴァをリアルタイムで放映していたときが就職氷河期近辺ではなかっただろうか
その時期に庵野氏は、今は飽食の時代なので心の問題を描いた、アニメではなく現実を見ろ、みたいに語っていたわけだが、
こちとら現実の就活戦線は異常ありというか悲惨な状況だったわけで、
庵野氏はエヴァを作っているとき、ちゃんとニュースとか新聞とか世相を眺めてましたか?
なんだかんだ、バブル世代の自分の価値観でアニメを作ることしか考えてなかったんじゃないですか?
と恐れ多いながらも思ってしまうのが正直なところであって
まあ、たしかに現実を見ずにアニメだとかフィクションに没入しているだけの人というのもいるのかもしれない
というか、そういう人たちに人生で出会ったこともあるが、自分がいうのもなんだが、たしかにちょっとおかしいというか、
差別的になるけど軽度の知的障害?ケーキを切れない非行少年少女?みたいなタイプも多かったし、
そういうところで昨今のDQNやヤンキーの方がアニメと親和性がある状況というのを理解できる気もする
自分で言うのもなんだが、昔は良かった話みたいになるが、
SFとかサイエンスなフィクションなわけだけど、どちらかというと理系との親和性というか、
理系からするとそのフィクションに野暮なツッコミを入れるのがネタとして話が盛り上がるというか、
自分は大学時代にみんなで誰かの家に集まって、アニメとか映画の上映会というか、
どちらかというと映像を流しっぱなしにして、各自やりたいことを黙々とやるみたいなことをやってたわけだけど、
「このディスクには地球誕生からの全てのことが記録されてます」
とか言うと、「すっげー、どういう原理だよw」みたいにツッコミを入れる奴が現れ、
その後に真面目な記録媒体の話とかネタが続いたりするという、そんな日常だったわけだけど、
多分、大阪芸術大学とか偏差値も低いし、そういう視点では観てない気がするんだよなあ
やっぱり根底にあるのはビジュアルとしてのセンス・オブ・ワンダーであって、それはチャイナさんみたいなもんであって、
電子工学科、情報工学科、機械工学科、バイオなどのオタクが集まって話すツッコミとはちょっと異なるのだと思う
まあ、ストーリーの本質は技術ではなく、結局は人間関係なわけで、
今回のケンケンとアスカではないが、そういうところにツッコミを入れるのは理系文系偏差値関係ないのだけど、
まあ、でも、やっぱりなんか違う世界に生きてるんだなあ、
当たり前だけど、恐れ多いけど、庵野氏と自分の関心の距離感みたいなのがあるとしたら、
リアルタイムでエヴァを観ていたときは近いのかと思っていたのに、
シンエヴァは未見だけど、シンゴジラ観たときでも、意外と遠いというか、同じものを見ているようで違うものを見ていたのではないか、
つまり、庵野氏と自分が同じ赤いバラを見ているのに、互いに赤いと認識しているのに、脳内の赤はまったく異なっていた、
みたいな、まあ、勝手に自分が同じような価値観を持ってるのかな、と思って勘違いしていただけなんだろうけど
そんな感じで、最近の自分はアニメやゲームへの興味が皆無になりつつあるし、
それは東日本大震災だったり、原発事故だったり、コロナだったり、自分の個人的な人生のイベントだったり色々なわけだけど、
そう考えると、シンエヴァは未見だけど、同窓会みたいなもんなんだろうかと思ったり、
自分は死んでも大学、大学院以外の同窓会には出ないと心に決めてるので、
最近、女性がスゥーッと浮かんでフワッと降りてくるCMを見てムラムラしたとかいう奴がいたけど、また新手の性癖使いかと思われたかもしれないが、その記事を書いた増田です。
とっくに興味を失って、そんな奴いたなくらいになってると思うけど、いくらかお話させていただいたものの、実際の1割程度しかお話できておらず、まだ納得がいっていない方も多数いらっしゃると思うし、今回ようやく納得の得られそうな説明ができそうになったので、あちらはあちらで完結として、改めてお話したいと思った次第だ。別に借金のカタに書けとか脅迫されているわけではないのでそこは安心してほしい。というか、ぶっちゃけ俺が話したいだけなのである。
多少長くなってしまうかもしれない。理解し難い人の好みを延々と聞かされるほど苦痛なことはないと思うので、不快になりそうな方はUターンをおすすめする。
改めて、生まれてこのかた言語化したことがなかったのだが、あえて言うなら俺の性癖は、「特殊効果などの映像技術で加工された女性に興奮する性癖」のようだ。
合成なりCGなり、何かしらの特殊効果によって展開された非現実的なシチュエーションに置かれた女性に興奮するようなのである。
先の回答編でいくつか動画を載せたと思うが、まったく関連性が見出せなかったと思う。要は特殊効果が使われている映像や画像が、女性が増殖したり変形したりしているのであって、これというひとつのジャンルに属するのが困難なのである。
いろんなジャンルに片足を突っ込んでいるような感じなので、その道を極めている方々にはとても申し訳なくなる。何度かコメントでも言及されていた、巨大な顔の美女フェチの方の研究熱には頭が上がらない。実は以前の回答編の文章構成は、巨大な顔フェチの増田氏に多大な影響を受けていることを最大の敬意とともに遅ればせながら報告させていただく。それと、緑地に白文字の北海道生まれの家具屋さん。俺を増田内で紐付けするためにダシにしてしまって、ほんとごめんなさい。せめてあの記事にトラバはつけないようにします。ソファベッドは買ってないけどネジを使わずに組み立てられるボックスは買ったよ。組み立てが簡単でとても良かったよ。
申し訳程度の宣伝を入れたところで、大きくジャンル分けしながらお話していきたいと思う。
変形フェチだろと指摘されて正直ドキッとなった。そうかわかっちゃうもんかと。ただ変形って具体的にどんなものを指すのか、質問された方と俺の間で齟齬があるかもしれない。
変形というと、いわゆる「状態変化」というジャンルが有名かと思う。人が液体とか球体とか膨らむとか、いろんな形に変形するというものだが、俺もそのジャンルを見つけたときはその精神に自らと深く通ずるものを感じたが、大半はイラストでの供給であった。
これは俺のただの好みの問題なのでひたすら不毛な話になって申し訳ないが、できれば実写の生身の人間を扱っているのが好ましい。だが残念ながら実写の供給は少ないような気がする。わかりやすく言うとターミネーター2の液体金属ロボットのT-1000なんかが理想形なんだが、残念ながらT-1000は男の姿をコピーして気に入ってしまった。ターミネーター3で女性ロボットが敵と聞いて期待したものだったが、あまり変形シーンがなくて俺としては肩透かしだった。そういえばトランスフォーマーリベンジという映画でも、きれいな女性が突然正体を見せてロボットに変形するというシーンがあったのだが、不思議と興奮しなかった。思うに映像が洗練されすぎていたせいなのかもしれない。なんというか、適度な手垢は俺にとって重要なエッセンスになっている気がする(単に俺の目が肥えただけな気がしなくもない)。
実写で変形というと、モーフィングという技術になることが多いかもしれない。
例えばこんなのがある。
以前もちょっと触れたが、細身の女性が力士に変身するというCMが昔あったが、きれいな女性がえらい姿になってしまうというシチュエーションはツボにハマる。
そういえばナッティプロフェッサーという映画でエディ・マーフィーが膨らんだりしぼんだりするシーンがあるけど、これが女性だったらなと思ってしまうけどテーマ的にまずそれはないだろうし、これはエディの名人芸あってこそな感じだしなぁ。(参考)https://youtu.be/EeyNlzFdjtc
他にこういうのとか。
(これの1:30〜1:40辺り)
これはジュブナイルという映画のワンシーンだが、エイリアンが酒井美紀に変身した瞬間に髪がパサッと下りるのが芸が細かくて良いと感じる。
動画がなくて非常に残念だが、マックシェイクのCMで、普通の女性が、マックシェイクを吸っているとその吸引力で顔の皮が口に吸い込まれてえらい顔になってしまうというのがあった。吸い込まれているときに、女性の頭皮までも吸い込まれ、後頭部のポニーテールが引き寄せられて頭上でピンと突っ張っていたのがまた芸が細かくて非常に良かった。
衣装や髪型がワンカットで変化し、何くわぬ顔で、こともなげに変形するカメラを器用に持ち変えているところが良い。
こともなげにというところが実は重要で、変形するカメラという(今のところ)非現実的な物体を当たり前のように扱っているところが、シャラポワ自身をも非現実的な存在に昇華させている。
実はこれは例のあのCMにも通じるところがある。例のCMでは、家具が自ら変形しワンカットの短時間で夜から朝に変わり、女性が短時間で着替えを完了させ下りてくるという非現実的な世界だ。そんな中でも何の戸惑いもなくこともなげに澄ましているところに妙な魅力を感じたのだ。これがきっと最適解だ。実は俺もなぜそこまで反応したのかよくわかっておらず、俺もいよいよ危険なフェーズに突入したなと思っていたのだが、振り返ってみれば確かにこれは俺の範疇だった。いささか俺の中でも極北の感はあるものの、皆さんのお陰で気付くことができた。厚く御礼申し上げる。
やはりそこは女性で、できればきれいな女性がいい。極端な例を挙げてしまうと、トータルリコールでおばさんの顔が割れるシーン。アリかナシか聞かれたら、正直ナシと言うと嘘になってしまう自分がいるのだが(これでやってしまうとその後のやってしまった感が尋常じゃないので最近は自重している)、そこら辺までがギリギリのラインだと思う。これがシャロン・ストーンとかだったらなと思ってしまうけど、シュワちゃんが隠れられないよね。
(参考)https://imgur.com/a/YVmy83p
続き↓
https://anond.hatelabo.jp/20200215074119
sonzincさん