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はてなキーワード: 東西ドイツとは

2019-01-10

おれ天才からヤバイことに気付いてしまった

何年か前の韓国アンケートで、「南北統一を望むか?」という質問過半数の人がNoと答えたという記事を見た記憶がある。

東西ドイツ統一の後、何年かドイツ西側共産圏だった東側に足を引っ張られた歴史があって、似た立場韓国国民がそう考えるのは無理ないなぁ、と思った。

けど、最近南北統一歓迎ムードはなんなの?

北朝鮮って冬が来るたびに何万人って餓死する国だぞ?

しか韓国だって、ここ数年景気よくなくて大学出ても就職みつからないんでしょ?

そんな二つの国がくっついたら地獄があるだけなのに、なんで統一歓迎なのさ???

大統領北朝鮮への経済制裁をやめるように各国を説得してまわっていたり、猛烈に北朝鮮バックアップしていて何かおかしい。

しろ北朝鮮しか見えていないような、盲目的な外交を繰り広げている理由はなんだろう。

元々、統一したいと思う人が半数もいなかった国だぞ?

なんか長文書くのが面倒なので、結論を書いてしまうけど「棚ボタ核保有国」。

これが、いま韓国が目指しているところじゃないかな。

北朝鮮非核化するまえに統一する。そうすれば堂々核保有国になって、米中とも互角に渡り合える。

隣国が核を持っているという緊張感にも関わらず、アメリカ朝鮮半島非核化には消極的理由もこう考えると辻褄があう。

そんなシナリオを描いているんじゃなかろうか。核を自前で持つことに憧れがあるんだろうな。

そんな形で核保有国になっても、他国からならず者しか見られないだろうに・・・

2018-04-27

anond:20180427122635

韓国の人に個人的意見を聞くと「北との統一なんて逆立ちしてもあり得ない」って言う人多いっていうし、本当に東西ドイツみたいになるとは思えないんだけどなぁ…

2013-12-19

http://anond.hatelabo.jp/20131219112221

南北朝鮮、東西ドイツ国境線遺伝子で引く気か? 無茶なこというなよ、まだ2世代世代くらいだろ。

国境線は遺伝的特性とは無関係な理由で変動することの実例じゃないかそれは。

2013-08-23

竹中平蔵が人いないか移民増やせばいいって言うけど

安い賃金で働かせるのはいずれにしても日本では違法だぞ

東北北陸の桃園梨園さくらんぼ農場で続々と労基法違反裁判沙汰になってる。

明らかに労基法抵触する犯罪みたいな事を、移民政策によって成立させようとしているが、

欧米で言えば、ドイツトルコ人が増えすぎた影響で東西ドイツ統合した時トルコ人がネオナチによって迫害されるとか、

フランスでは黒人移民受け入れを実施した所、殆ど乗っ取られる形で労働環境私生活上でも悪化の一途を辿った。

日本はこれを見倣えというのか?

日本移民を受け入れた結果、中国韓国ブラジル移民が急増して外国人による犯罪数が日本人犯罪数に比肩するほど増加した件について

竹中平蔵はどう考えてるんでしょうかね。

自分派遣会社社長から派遣移民を増やして中間搾取しまくって金儲けしたいって魂胆が見え見えで他切り捨ててる所とか

どう考えても先の欧州の状況と似てるんですがね。

自民党は党としてこれをどう見てるんですかね。

どう考えても悪法しかならないんですよ

2013-03-20

僕とストリッパー女の子の話。

飛行機トランジットを待っていて暇なので、ちょっと昔のことでも書いてみようと思う。数年前、この空港にはじめて来たとき、僕は今とはまったく違う人間だった。あの頃の僕は、希望理想好奇心に満ちあふれていた。でも今は? 僕の心は冷たく凍っている。そしてこれには訳があるのだ。

僕は父親を早くに亡くし母子家庭で育ったが、まじめに勉強したので成績はいつも一番だった。そのまま東大法学部に入ったあとも、僕は常に一番だった。東大主席卒業したとき、母はどれほど喜んだことだろう。その後、僕は外務省に入省し、上層部の大きな期待をうけて、ドイツ大使館派遣されることになった。当時のベルリンはいまだ東西ドイツ分断の爪あとも生々しく、その一方で、新たな統一国家を創りあげるのだという若々しいエネルギーにもまた満ち満ちていた。その高揚感に僕は目を見張り、自分が今歴史のまっただ中にいるのだということに感激を覚えた。僕はドイツ語フランス語がとてもよくできたので、大使館でも重宝された。そして、これはすでに上層部の許可を得ていたのだが、大学に籍を置き、仕事の合間にはさらなる勉学に精を出した。

あっという間に三年がすぎた。僕は相変わらず真面目に働き学んでいたが、心の何処かに落ち着かないものがあった。激動の時代を経たベルリン大学にはさまざまな思想が渦巻いていた。その気風にあたって、僕の心になにがしかの変化が生まれたようだった。それまでの僕は、ただ真面目に生きてきただけだった。母親は僕を歩く辞書にしたかったのだろうし、今、官僚となった僕は歩く法律であることを求められている、そんな気がした。僕が、自分の頭で物を考えること、そんなことは求められていなかった。そのことに気付き、僕は少しずつ別のことを学び始めた。歴史文学を学ぶことで、自分なりの思想を作り上げようとしはじめた。

上層部人間がそれをおもしろいと思うはずもなかった。彼らは僕が機械歯車であることを望んでいたのだから。そもそも僕は同僚たちの間でも受けがよくなかった。彼らが飲み歩いて遊んでいるとき、僕はそれに加わらず、ひたすら勉強していたのだから上層部の不興と、同僚たちの嫉みによって、大使館のなかでの自分立場は危うくなってきていた。

僕が遊び歩かなかったのは、実のところ、僕が臆病だったからというだけだ。僕は子供の頃からずっと優等生だった。僕はまるで処女みたいなものだった。僕はただ極端な臆病者だったのだ。少しでも道を踏み外すのが怖かった。だから敷かれたレールの上を必死で走ってきたのだ。ばかにされてもしかたがないと思う。だが、うらやまれるのは納得がいかない。僕は遊ぶことができなかった。旧東ベルリンのすさんだ地域で、けばけばしい化粧をした娼婦たちに声をかけられても、それを買う勇気すらなかった。

ある日のこと、家に帰る途中ベルリンの壁に程近い、そんな貧しい地域を通りかかった。教会廃墟の前で、一人の少女が泣いていた。十五、六歳に見える。ジーパンはは着古されているけれど清潔で、パーカーのフードからこぼれる髪は、明るい金髪だった。僕の足あとに気づいて振り返ったその顔を、どう表現したらいいのだろう。真っ青な目は清らかで憂いをたたえていて、その長いまつげからは今まさに涙のしずくが滴り落ちようとしていた。

僕は思わず声をかけていた。

「どうしたのですか。なにかお助けしましょうか」

彼女は驚いて僕を見つめたが、僕が真摯なのがわかったのだろう、こう答えた。

「助けてください。パパが死んだのに、お葬式をあげるお金がないの。私が言うことを聞かないから、ママは私を殴るの」

僕は彼女うなじを見つめていた。

「こんなところで泣くのはおやめなさい、人目もあることだし」

「ごめんなさい、あなたはいい人ね。頼りにしていたオーナーに、借金を断られたんです。私は彼のところでもう二年も働いているのに。身体で払えと言って来ました。ねえ、お金を貸していただけませんか。かならずお給料からお返ししまから……」

彼女は涙ぐみながら上目遣いに僕を見た。なんともいえず色っぽかった。

僕は財布にたいした現金を持っていなかったので、時計を外して彼女に渡した。

「これをお金に替えなさい」

彼女は感動してポロポロと涙をこぼしながら、僕の頬にキスをした。

その後、彼女は僕が渡した名刺を頼りに僕のアパートを訪ねてきた。僕たちは頻繁に会うようになった。やがて、このことは同僚たちにも知れ渡るようになった。僕が場末ストリッパーと交際していること、もともと僕を快く思っていなかった連中は、それをあることないことで脚色して大使の耳に入れた。僕が学問をつけ生意気なことをいうようになったことが気に入らなかった上層部はこれをいい機会と僕を免職した。

本当は、このころ僕たちはまだ身体の関係をもっていなかった。彼女とその家族社会主義下の東ベルリンで貧しくも慎ましく生きていたが、壁崩壊後の資本主義の流入で食べるにも困る状況に陥った。そんな時新しくできたストリップクラブストリッパーとして働かないかと声をかけられたのである。昼は稽古、夜の舞台とこき使われて、そんななかでも努力が実り二番人気まで上り詰めたが、それでも少ない給料家族を養うのにはとてつもない苦労があったようだ。

僕が首になったことを伝えた日、僕たちははじめて結ばれた。はじめて見たその日から僕は彼女のことを愛していたのだけれど、その気持ちを抑えこもうとしていた。僕の免職をきいて悲しみに震える彼女の姿をみて、僕ははっきりと自覚したのである彼女を愛している、と。

僕は困窮した。給料はとめられ、滞在許可の期限も切れようとしていた。そんなとき僕を救ったのは、Aという友人だった。

Aは大学時代の同期で大蔵省に勤務していたが、僕が困り果てているのを人伝てに聞いたらしい。知り合いの新聞社編集長に頼んで、僕をその新聞社特派員という形にしてくれた。なんとか滞在許可を延長できたものの、給料は雀の涙であった。今度は彼女が僕を助けてくれた。僕はアパートを引き払い彼女の家に転がり込んだ。僕は彼女と、彼女母親の住む部屋で、互いの少ない給料を持ちあってそれでも楽しい日々を過ごした。僕はもう学問にも本にも見向きもしなくなった。けれど、いわゆる世俗的なもの、今まで見向きもしなかった、見ないようにしていた世界が、僕の前に広がった。

冬が来た。ある日僕はAから電話をもらった。今、大蔵省次官に同行しベルリンに来ているという。「君の名誉を回復するチャンスだ」、彼はそう言った。彼女にそのことをいうと小躍りして喜んで、戸棚に仕舞いこんであった僕のスーツに念入りにアイロンをかけて着せてくれた。Aが与えてくれた仕事次官通訳翻訳だった。そして、ロシアへの出張の同行を打診された。まとまったお金が入ったので帰ってくるまでの生活費として、僕は彼女にそれを与えた。彼女の体調が優れないようなので、それが気がかりだった。

ロシアへの出張はすばらしいものだった。なによりも国際政治舞台に再び立っているということが、僕の心を高揚させた。彼女のことを忘れていたわけではない、けれども、僕は迷い続けていた。日本に帰ってふたたびキャリアを積み重ねることができたなら……

ようやく出張から帰ったその瞬間まで、僕はそんなことを考えていた。けれど、彼女が戸口から飛び出して抱きついてきたその時、そんな迷いは吹き飛んでしまった。彼女とともに生きよう。僕は彼女を愛しているんだ……部屋のテーブルには、編みかけの靴下があった、それも、ミニチュアのような靴下だった。彼女幸せそうに微笑みながらいった。「どう?」

数日後、僕は次官に呼ばれた。彼は言った。君の能力はすばらしい。ポストを用意するから日本に帰ってこないかね。

僕はとっさに思った。このチャンスを逃したら、僕はこのまま落ちぶれて、日本に帰ることもできず、異国に散ることになってしまう。その瞬間、僕は、「光栄至極です」と言っていたのだった……

真冬のウンター・デン・リンデンを、僕はさまよい歩いた。僕の肩には厚く雪が積もった。固く凍った路面で、何度も滑り膝を着いた。ようやく家に帰ったとき、僕はまるで死人のような有様でそのまま床に倒れこんでしまった。

それから数日間の記憶はない。高熱を出してうわ言をいっているのを、彼女必死に看病してくれていたらしい。そんなときAが訪ねてきて、僕が次官に帰国の約束をしたことを告げた。意識を取り戻したとき、僕は彼女の変わり様に驚愕した。Aは彼女精神的に殺してしまったのだった。彼女は、「なんていうこと、そこまで私を騙していたなんて」と叫び、倒れてしまったのだという。ふたたび目をさましたときには、もう正気を失っていて、僕の名を呼んで罵ったり、髪をかきむしったり、小さな靴下に頬ずりをしてさめざめと泣いたりするばかりだった。

僕のほうの病気はすっかり治った。日本に帰国する際には彼女母親に、幾ばくかの金を与え、可哀想な彼女の胎内の子供のことも頼んでおいた……

Aほどいい友達はいない。それは確かだ。でも、僕は心のどこかで彼のことを憎んでいるような気がするのだ。

2012-01-03

訳してみた。

http://www.youtube.com/watch?v=Xxh-sS8Qoco&feature=player_embedded

1911年12月14日 ロアール・アムンセン、南極点に到着。

1912年4月14日 タイタニック号沈没

1913年 フォード、流れ作業方式を導入

1914年6月28日 サラエボ暗殺事件から第一次世界大戦勃発

1915年4月22日~1915年5月25日 初めて毒ガス使用

1916年2月16日1916年12月20日 ベルダンの戦い

1917年11月7日 ロシアで10月革命

1918年11月11日 第一次世界大戦終結

1918年11月9日 ヴァイマル共和制の樹立を宣言

1919年1月5日~10日 スペイン風邪の流行が頂点

1920年12月16日 寧夏、海原地震

1921年11月9日 アルベルト・アインシュタイン ノーベル物理学賞受賞

1922年10月27日~31日 ベニート・ムッソリーニローマ進軍

1923年 ドイツでハイパーインフレ

1924年1月21日 レーニン死去

1925年1月~2月 ノーム犬ぞりバルト)疾走

1926年 アル・カポネが権力の頂点に

1927年3月20~21日 チャールズ・リンドバーグがパリへ向け飛行

1928年11月18日 蒸気船ウィリー初演(ミッキーマウス初登場)

1929年10月29日 1929年のウォール街大暴落「暗黒の木曜日

1930年3月12日 ガンジー、「塩の行進」

1930年6月30日 第一回サッカーワールドカップウルグアイにて)

1931年5月1日 エンパイアーステートビル開業

1932年 ワイマール共和国崩壊

1933年1月30日 ヒトラー内閣発足

1934年10月27日 毛沢東の長征

1935年9月15日 ニュルンベルグ法制定

1936年6月~1936年4月 スペイン内戦

1937年5月6日 ヒンデンブルク号爆発事故

1938年3月12日 オーストリア併合

1939年9月1日 第二次世界大戦勃発

1940年6月14日 パリ占領

1940年 ヒトラー権力の頂点へ

1941年6月22日 ドイツ、ソ連へ侵攻

1941年12月7日 真珠湾攻撃

1942年9月13日1943年2月2日 スターリングラード(現ボルゴグラード)の戦い

1943年2月13日 「全面戦争するか?」演説

1944年6月6日 ノルマンディー上陸作戦オペレーションオーバーロード)決行

1945年5月8日 第二次大戦ヨーロッパでの戦い終結

1945年8月6日 広島に原爆投下 同9日 長崎に原爆投下

1945年11月20日~1946年10月1日 ニュルンベルク裁判

1947年8月15日 インド独立

1948年6月24日~1949年5月12日 ベルリン封鎖

1949年10月1日 毛沢東、中華人民共和国の樹立宣言

1950年6月25日1953年7月27日 朝鮮戦争

1951年 朝鮮の人口?

1952年10月31日 初めて水素爆弾が炸裂

1953年6月17日 東ベルリン暴動

1954年6月4日 西ドイツワールドカップ西ドイツが優勝「ベルンの奇跡」

1955年5月14日 ワルシャワ条約制定

1956年10月29日1957年3月 スエズ危機(第二次中東戦争

1957年10月4日 スプートニク・ショック

1958年10月19日 中国で大飢饉の始まり

1959年1月1日 キューバ革命の勝利

1960年 モハメド・アリ ローマ金メダル

1961年8月13日 ベルリンの壁構築

1961年10月27日 チェックポイントチャーリーでの対峙(ベルリン危機)

1962年10月14日~28日 キューバ危機

1963年6月26日 「私はベルリン市民である」演説

1963年11月22日 J・F・ケネディ暗殺

1964年8月2~4日 ベトナムアメリカ爆撃される(トンキン湾事件)

1965年 ベトナム戦争拡大 地上戦力投入

1967年6月5日~10日 六日戦争(第三次中東戦争

1968年1月30日9月23日 テト攻勢

1969年7月20日 初めて月に着陸

1970年4月 カンボジア侵攻

1970年4月29日 ワルシャワ礼拝?

1971年10月14日 グリーンピース設立

1972年9月5日 ミュンヘンオリンピック事件

1973年10月6日~26日 ヨム・キプル戦争(第四次中東戦争

1974年8月8日 ウォーターゲート事件

1975年4月30日 ベトナム戦争終結

1975年4月17日 クメール・ルージュ プノンペン制圧

1976年6月16日 ソヴェト蜂起

1977年3月27日 テネリフェの惨事(テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故

1978年10月16日 法王パウロ二世 パウロ一世を嗣ぐ

1979年9月8日 「暗黒の金曜日」 イスラム革命頂点

1980年5月18日 セント・ヘレンズ山噴火

1981年3月30日 ロナルド・レーガン大統領暗殺未遂事件勃発

1982年4月2日6月20日 フォークランド紛争

1983年4月18日 アメリカ大使館爆破事件(ベイルート

1984年12月3日 ボパール化学工場事故(インド

1985年3月11日 ミハエルゴルバチョフ氏、ソビエト共産党書記長に就任

1986年1月28日 チャレンジャー事故

1986年4月26日 チェルノブイリ事故

1987年6月12日 「この壁を壊せ!」演説

1988年12月21日 ロッカビー事件(パンナム機爆破事件)

1989年11月9日 ベルリンの壁崩壊

1990年10月3日 東西ドイツ統一

1990年8月2日1991年5月5日 「砂漠の嵐」作戦(第1次湾岸戦争

1992年4月1日~1995年12月14日 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争

1993年10月3~4日 モガディシュの戦闘

1994年4月6日7月15日 ルワンダ虐殺

1995年4月19日 オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件

1996年1月21日 フランス、最後の核実験

1997年7月4日 マーズ・ローバー(火星探査車) 火星に着陸

1998年8月 モニカ・ルインスキー 不倫スキャンダル

1999年5月3日~6日 オクラホマ州で竜巻被害

2000年1月1日 ミレニアム

2001年9月11日 911攻撃(アメリカ同時多発テロ事件

2002年1月1日 ヨーロッパユーロ発行

2003年3月20日 イラク戦争勃発

2004年12月26日 インド洋大地震と津波

2005年8月29日 ハリケーンカトリーナ ニューオリンズを破壊

2006年6月12日8月14日 レバノン侵攻

2007年6月 ヨーロッパ熱波

2008年10月 金融危機

2009年1月20日 バラク・オバマ大統領就任

2010年1月12日 ハイチ大地震

2010年4月20日 メキシコ湾原油流出事故 ディープウォーター・ホライズン炎上沈没事故

2011年 アラブの春

2011年3月11日 東日本大震災と津波

2011年3月 福島第一原発事故

2012 ?

10分どころか、6時間くらいかかったorz

それに、作ったの多分アメリカ人だから、日本にとっての重大事件(オウムとか)は入ってないんだよね。ハイチ地震があるのに、阪神・淡路大震災がないのも明らかに片手落ちでしょう。

(調べてみたら、どちらもM7クラス

2010-12-14

大手がボイコットしても東京国際アニメフェアには問題ないだろう

菅総理が国際アニメフェアが東京で開催できない事態にならないよう、関係者努力して欲しいと発言しているけど、

俺は大手出版社ボイコットしても開催には支障は出ないと思う。

 

だって日本の大手ばかりがアニメをやってるわけじゃないんだぜ!?

当然、中小や海外の(俺たちから見れば)マイナーな所がアピールする格好の機会となる。

逆にそういったところにとってはチャンスになるんじゃないのかな。

 

モスクワオリンピックの時に、西側諸国がボイコットして東側諸国がメダルを独占したことからも分かるだろ。

ソ連ダントツなのはともかく、次が東ドイツ、大きく離れてブルガリアキューバと続いたんだ。

 

ちなみに、ロサンゼルスオリンピックの時は1位はダントツアメリカ、次が東側でボイコットせずに参加したルーマニア西ドイツと続く。

 

まあ、アメリカ旧ソ連も国の規模が大きいかメダルの数が多いのは当たり前だが東西ドイツメダル獲得数が多い国だし。

 

いずれにせよ、大手が出展を取りやめるなら、残るマイナーなところが一層引き立つだろう。

そういったところにとっては、災い転じて福となすというわけだ。

何か腑に落ちないけど、そうなるだろう。

2010-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20100122143150

国家が存亡の危機に直面した時にどうするかが前提の話でしょ。「共にしない」って事は、逃げるって事でしょ。違う?

違う。

「命運を共にする」というのは、「共に死する」「殉じる」という意味だ。

だから、生命を優先するといってる。

うん、共にしたよ。「大日本帝国」を維持するために300万人以上が死んた。

生き残った人達も、「大日本帝国民」という肩書きを全員が失った。

亡くなられた方は、命運を共にしたといえるけど、生き残った方で生を選んだ方は殉じていない。

よって、「命運を共に」していない。

戦争に負けた場合、場合によっては戦勝国間で領土を割譲されたり(東西ドイツ香港マカオとか)、強制移住させられたり(旧ソ連朝鮮族とか)、民族浄化(世界各地で進行中)の憂き目にあう場合もある。もしヤルタ会談戦勝国側が「もう日本人要らなくね?」という結論を出してたら、今のこの国の繁栄はあり得なかった。

民族浄化は「特定地域から特定の民族をほぼ丸ごと排除して、その地域の住民の民族構成を『純粋化』すること」なんだから、国民国家の形成過程くらいでしか生じないんじゃないの。

今はむしろ、EUをはじめとして、AUなど統合の方へ漸進している。

民族間対立は発生するとしても、民族浄化まではそうそういかないだろう。

運命を共にしない」というのは、そうなる前、もしくはなった後で他国に逃げる事を意味する。

以下略

こちらはその意味で使用していない。

「命運を共にしない」というのは、国が存在が否定されようと己の存在を否定しないこと、すなわち、生命を捨てるようなことはしないことを意味する。

国が滅びるからといって、国民に死を共にせよってのは、到底受け入れることはできない。

http://anond.hatelabo.jp/20100122110216

国家が存亡の危機に直面した時にどうするかが前提の話でしょ。「共にしない」って事は、逃げるって事でしょ。違う?

逆に言えば、何の危機も発生していないような平時では、たかが一個人が「国家と命運を共にする」なんて事は不可能だよ。相当高いポジションにある人間でもない限り。

大日本帝国の臣民は、皆命運を共にしたのか?

うん、共にしたよ。「大日本帝国」を維持するために300万人以上が死んた。

生き残った人達も、「大日本帝国民」という肩書きを全員が失った。

大多数が日本国民として出直しただろ。

そりゃ単にGHQの都合で運良く出直せたってだけの話。

戦争に負けた場合、場合によっては戦勝国間で領土を割譲されたり(東西ドイツ香港マカオとか)、強制移住させられたり(旧ソ連朝鮮族とか)、民族浄化(世界各地で進行中)の憂き目にあう場合もある。もしヤルタ会談戦勝国側が「もう日本人要らなくね?」という結論を出してたら、今のこの国の繁栄はあり得なかった。

運命を共にしない」というのは、そうなる前、もしくはなった後で他国に逃げる事を意味する。リカバリー絶望的な状況なら逃げるのもアリだとは思うが、往々にしてそういう状況は逃げる事自体ままならないし。

また、リカバリーが可能なうちから「俺は国家運命を共にしないぜ!」とさっさと逃げ出すような奴はどの国へ行ってもそれなりの扱いしか受けないだろうね。「敗戦前に国外逃亡した政府の高官」を想像すればわかりやすいと思うけど。

とにかく、「俺は国家運命を共にしない(キリッ!」みたいな事は自慢げに言う事じゃないよ。程度が知れるから。

2009-04-16

http://anond.hatelabo.jp/20090416130601

「全員帰せばいいのに」って言う根拠は、在日の人の主張が判を押したように「強制連行!」「謝罪!」「賠償!」って言われるので、

だったら終戦時に全員帰らせるのが一番よかったんだなーと理解したからなんだけれども。

で、繰り返すが、「日本在住の朝鮮籍の外国人」が終戦時に大量に発生したのは日本国政府の選択の結果なの。その選択が理にかなっていたとしても、その行為によって「在日」という存在が発生したんだから、日本人に「お前らは勝手に来た」とか「帰ればいいじゃん」とか言われる筋合いは無いの。

スタンダードじゃないし、みんな強制連行だというのは事実じゃない。

えっと、「日本在住の朝鮮籍の外国人」が全員が強制連行の結果というわけではないのなら、強制連行以外は自由意志で来たってことですよね?

そこに「日本国政府の選択」の余地はあるんですか?

頼んで(または強制的に)来させた人については責任を取れ!といわれても納得するけど、自由意志で来た人の分の責任と言われてもー。

あれ? 選択って「朝鮮戸籍の人を朝鮮人にした」こと? なんか混乱してきた。<頭悪ッ!

でも、住んでいるところで戸籍を分けちゃうのも問題があると思うですよ。東西ドイツとか、親戚とかでも国籍が別れちゃったんですよね?

なにをやっても問題は出るだろうけど、一番無難そうな「もともとのデータに戻そう」というのが合理的だと思うんだけどなあ。


それとも、朝鮮人でも希望者は日本国民にしろ、という主張なのかな?

してるじゃないですか。帰化のしくみがありますよね。希望すれば(例外はあるけれど)日本国籍取れるのはもちろんご存知ですよね。

その人のルーツも尊重して、日本国籍をとる選択肢も与えていて、他に何が必要なんです? そこがわかんないんですよねー。

ルーツを大事にしたいから在日のままでいる、でも権利は日本人と一緒のが欲しい? その主張は通りませんよ。


で、これはすごくプリミティブな疑問なんだけれども、そもそも在日一世は日本国籍が欲しかったのかな?

2009-03-13

ギュンター・グラス青年時代はナチ太鼓持ちだった。

書評川口マーン惠美 著『日本はもうドイツに学ばない?』(徳間書店

小生のようにドイツを知らず、漠然とした技術大国=ドイツの印象を身勝手に抱いてきた者にとって、この評論集は新鮮な驚きのパケッジであり、あのメルセデス・ベンツをつくる器用なドイツ人が、他方では奇妙な思考体系をもつことなど想定外のこと。またドイツおよびドイツ人の意外な側面を知り、本書はとても有益である。

一般的に日本人ドイツの印象は良い。いや、良かった、と過去形で書くべきだろう。

森鴎外留学し、伊藤博文プロシア帝国憲法を範にとって明治欽定憲法を起草、制定した。ゲーテトーマスマン、ヘルマンヘッセ、ワグナー。

手塚富雄高橋義考という人たちの名訳でドイツ文学にしたしみ、西尾幹二の新訳でニーチェに親しむことができだ。三島由紀夫第二外国語ドイツ語だった。

ところが現代日本ではドイツがまるで語られなくなった。

大学ではドイツ語第二外国語に選択する学生は稀となり、中国語語学ブームは移った。

ドイツ政治を分析する論客も目立って減少した。

日本戦後政治混沌としてきたが、ドイツもご多分に漏れ混沌そのもの、いや東西ドイツ統一以後は、旧東ドイツの貧困を旧西ドイツが吸収し、そのためドイツ経済優等生の質が劣化した。さらには欧州通貨統一によって、ドイツ経済中国に抜かれるほどに疲弊した。米国日本に次ぐGDP世界三位は北京が獲得した。

ドイツにも政治家の右往左往、右顧左眄、売国奴の跳梁跋扈があり、構図的にいえば、ちょうど日本売国媚中派保守派とに二分され、さらにその保守が真性保守、体制保守、偽装保守などに細分化されるように、ドイツ政治は、ロシア利益と通底する二流の政治家がいる。

言うまでもなく売国奴政治家とは、シュレーダー首相である。

川口さんは舌鋒鋭くこう批判する。

シュレーダー首相在任中、毎年中国を訪れたが、当地では、徹頭徹尾相手の嫌がることには口を噤み、大型商談をまとめることだけに心を尽くし、中国人のやんやの喝采を浴びて満面の笑みを浮かべているのが常だった。そして、このシュレーダー外交を、官邸で、裏からしっかり支えていた」男が、後述するシュタインマイヤーというニヒルな政治家だった。

戦後、アデナゥワーは米国協調したが、ブラント政権東方外交へ急傾斜をはじめた。そしてブラントの個人秘書東ドイツスパイだった。

後継シュミット時代に「ドイツ経済は完全な停滞状態にはいったしまった。それを引き継いだのがCDUのコール首相。行き過ぎた福祉にブレーキをかけ、19990年には華々しく東西ドイツを統一下」(本書140p)

だが、いまやドイツ統一の偉業をなしとげたコール首相は顧みられず、現首相メルケルへの罵詈雑言左派からなされる。仕掛け人は現連立政権にありながら次期首相の座を虎視眈々と狙うシュタインマイヤーSPDの面々である。

ドイツ政権は左右大連立で「十五の大臣のうち8つがSPD」。外交を取り仕切るのは左派なのである。

ナチス靖国は、これほど違う!

日本との比較で二点、異なるポイントがあると川口さんは指摘する。

ドイツには日本とは決定的に違う二つの負い目がある」、それは「ホロコーストと戦時賠償未払い」

東方外交をすすめたブラント首相ユダヤ人慰霊塔に跪き、ヒトラーを擁したドイツ軍がなした狼藉を謝罪したが、「ヒットラーの率いたドイツ自分とを同一視していない」。

いや一般的にも「ドイツ人政治家の謝罪はヒットラーが起したことに対する謝罪であり、自分国民の罪に対するものではない」。

つまり「親族人非人がいたことに対する悲しみの表現のようなものであり、つまり『あいつのしたことは本当に悪いことだった。恥ずかしい、許してくれ』と誤っているのだ。日本は幸いなことに、あとにも先にも身内にこのたぐいの人非人を持たなかった」(本書73p)。

 

本書にはホーネッカー(旧東ドイツ独裁者)が、旧東ドイツ市民秘密警察に監視されつつ、生活がうまく行かずモノもなく、途端の苦しみを味わっていても、一人だけ核戦争にも生き残り、モスクワへ逃げる場合に備えた豪華な核シェルターを築いた事実が暴かれる。その妄想ともいえる塹壕が、ドイツ統一後、埋められる前の見学ツアーが行われ、川口女史はでかけて、壮大な無駄独裁の虚無を見いだす。

それにしても直撃取材のフットワークの良いこと!

また“ドイツ良心”などと左翼ジャーナリズムに持て囃された“ドイツ大江健三郎的な作家ギュンター・グラス青年時代はナチの「太鼓持ち」だったこと、シュレーダー首相プーチンの代理人のごとき政治屋ロビィストであること、ダライラマとの関係ベルリン北京へ頭を下げるのも、日本と同様であり、北京とはビジネスさえ旨くいけば中国に叩頭しても構わないと考えているのがドイツ人の大半であること等々。

次々と暴かれるドイツの真相を知れば知るほどに、表題のようにドイツに学ぶことなんぞ、もはや無いという結論が出てくるのだった。

 
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