はてなキーワード: 担当とは
古い新しいが関係あるのかは知らんけど、かなり古い。
このブラインドが出入り口の引き戸にかかっているので、毎日上げ下げする。
毎日上げ下げするのに、その担当がかなりの頻度で下げるのに手間取る。
上げるだけならまっすぐ引っ張ればいいだけだから間違えようがない。
下げる時もめっちゃ簡単なんだけど、手荒くやって斜めに落ちてきてまごまごしてたり、紐をうっかり結んじゃってまごまごしてたり、
もうブラインド担当になってから1年以上経つと思うんだけど、どうしてブラインド上げ下げする程度のことをいつまで経っても習得できないのか。
悲しいなぁ。
役所のとある部署で住民からの苦情相談を受ける担当をしている。
案件の中には行政の立場と法律と制度的に対応しかねるものもあり、
その時は丁寧にお断りをするのだが、要望が叶わないと知ったとたんにキレて怒鳴ってくる人も当然のごとくいるわけだ。
いきなりキレるのは老人に多い。
そして俺への罵倒の言葉に「なんだお前朝鮮人か⁉」と続くこともある。
あの老人どもは何をもって俺を朝鮮民族だと判断したのだろうか。(十中八九何の考えなしに言ってるイチャモンだろうが)
そんな疑問よりも前に驚いたのは、一部の老人たちにとっては『朝鮮人』が罵倒のレパートリーとして有効であるということだ。
しかし国籍はよっぽどのことがない限り選択の自由は無いし、ルーツなんて選べる人はいない。
それにもかかわらず、一部の老人(もしくは異常者)には、『朝鮮人』という言葉が罵倒足りえるという奇妙な価値観があるのだ。
ましてやそれを実際に口に出すなんて更に一本頭のネジが外れないとできない行為だろう。
そんなことを考えても仕方ない。相手は脳が弱った老人だ。衰えたくて衰えたわけではないのだ。
好き放題キレ散らかした老人が帰り、対応を終えた俺をねぎらってくれる同僚たちに返す。
乳がんに またなった。
敢えて再発と書かないのは、別の種類だから。
2年前は、腫瘍は転移したリンパ節のみで胸には無かったけれど持病により放射線治療ができないので全摘という話で最初は進んでいた。
だけれど もう片側のおっぱいもがんになる可能性が頭を過ぎり、また再建手術の内容を聞くうちに拒否感を覚え 再発まで少しでも元々の胸のままでいようと摘出はやめた。
そして今回、悪い予感が当たり もう片側のおっぱいにも腫瘍を認め最初は再発だと思ったけれど生検の結果 別のタイプだという。
辛かった抗がん剤や地味に辛いホルモン治療が無駄だったのかもしれないという気持ちがあったので正直ホッとしたところがある。
どうせ手術をするなら豊胸手術をする手間が省けたって思えるような美乳にしてもらおうって思ってるけど、どれだけのことが出来るんだろう。
保険適用じゃなくてもいいからカッコイイおっぱいにしてほしい。
とりあえず抗がん剤がまた始まって 今日で2回目だけど、副作用がほぼゼロで実感はない。効いていない気がして腫瘍の状態を確認できずにいる。
今回は男の子とヤリまくるエネルギーがなくて、でも今度こそ自分が生まれ持った女の部分が望んでいないのに作り変えられてしまうというか感覚麻痺とかして性感帯をひとつ失うかもしれないと思うと動きたいけど、もう完全にがんを舐めているところがありヤル気が出ない。
とにかくこれだけ、無理矢理おっぱいを残してよかったと心から思う。
担当のお医者さんをとても信頼しているけれど、その人の言いなりになる必要はないから話を聞いて自分で考えた上で今回も最善ルートを選べるといいな
とりいそぎメモ。
2017年4月。新卒で入社した会社の内定式。就職活動に失敗した私はこんな会社はなんとして辞めなくてはいけないと入社前から決意していた。
なにせその会社は世間から聞こえはいい会社なものの実態は年間休日104日、残業月70時間以上(残業代が全部つくとは言ってない)で車を一年に一台買わされる(補助はあるが)という私の旅行・車という生きる楽しみを潰しにかかる地獄のような会社だった。
2016年8月に某一般社団法人の最終面接でやらかした自分が恨めしかった。私の就職活動は11月近くまで続き、とうとう内定を得た行きたくない前職に就くしかないと諦めたのは内定者懇談会の後だった。
他にも某黒い猫の会社の子会社にも内定していたが、親の強い勧めに負けるところがあり前職に就いた。ネームバリュー、東証一部上場とかそんなことはどうでも良いと気付くのは就職してからしばらくしてからだった。ネームバリューも東証一部上場も人を幸せにはしてくれない。現時点で私を幸せにするのは休みと旅行と乗り物だった。
誰かがアドバイスをくれても最終的に判断するのは自分で自分の判断を誰かを忖度して曲げてはいけない。自分の人生だ。
前職には本当に就きたくなくて4月に入社式を控えた1月末の午前4時に泣いたのをよく覚えている。
レールから外れることが怖かった私は結局卒論を出して卒業の日を迎えたが、嬉しいものではなかった。
嫌いな仕事だったが社会が転職を許容してくれる年次まではやむを得ず勤めようと丸2年勤めて3年目の冬に転機は訪れた。
転職活動を始めたキッカケはとある写真展だった。MPG写真展という名前のそれは2019年の1月末にあった。半ば強引に連れてきた同僚を乗せて会場の京都へと車を走らせ八坂神社近くのコインパーキングに車を停めた。
会場にはバイクと風景の素晴らしい写真が多数展示されていてこんな写真を撮れるように腕を磨かないと…!と思えてきた。(今年もやるそうです)
出展者の皆さんは所謂ホワイト企業に勤める方が多く、休暇をフル活用して各地に出かける「週末エクストリーマー」の異名を持つ方も居た。世の中にはそんな会社もあるのか…!と希望が湧いてきた。
自分も旅行が大好きな人間だったが、就職してからはどうだろうか?と振り返ってみた。
海外には全く行ってないし国内にも数回しか行ってなかった。余裕がなかった。休日は身体を休めることと家事に追われていた。
そんな「お休み過激派」の私はどんなに仕事をして成果を出しても「お休み」には繋がらないと分かると全く仕事にやる気が出ず、仕事が徐々にテキトーになってきた。
これではマズイと思うこともあったが、「お休み過激派」は止められない。
年間休日104日という少ない「お休み」を改善するには転職しかない。MPG写真展に行った翌日の昼休みには営業車の中から転職エージェントに連絡をしていた。
いざ転職活動を始めるとなかなか忙しいものだった。「お休み」が取れない中で転職活動をしなくてはならない。あらゆる嘘をつき「お休み」を作り出しなんとか面接に臨んだ。いくつかの取引先にもお願いをして「お休み」を無理やり作ったりもした。
転職エージェントとの面談を優先して面談中は絶対に職場、取引先からの連絡には応答しなかった。自分の最優先はこの職場をなんとしても抜け出すことでそれ以外は最早どうでも良いことだった。
仕事に粗が出てきたのか「君がわからない」と上司に言われたことがあった。分かってもらったら非常に困る。
30社以上に書類を出して面接にこぎ着けたのは7社程度だった。
一次面接も5社連続で落ちてかなり落ち込むと同時に受からなければこの会社で働き続けなくてはならないという絶望で頭がおかしくなりそうだった。
そんな中転職活動を始めてから3ヶ月後になんとか内定を貰った。最終面接を受けてから18日後のことだった。
自分の就職活動での失敗を自分で取り返した自分を誇らしく思う。よくやった。ありがとう。
内定を獲得してから30分も経たずにシベリア鉄道旅行の見積もりを取り旅行社に電話をかけていた。絶対行きますなんとかチケットを取ってほしいと電話口で担当の人に言っていた。
新卒入社してから数ヶ月後には転職に伴う旅行計画を策定しおおまかな計画は立てていた。ようやくソレが日の目を見るときが来た。
なんかバズった醤油屋
これぐらいしか知らないが、オリンピックの聖火リレーに参加しないって表明して一部から叩かれているらしい
興味が出た
🐘ぱおーんに🐜ありんこが挑むようなもんちゃうけ?
https://www.youtube.com/watch?v=RF0D77VvP94&feature=youtu.be
ミカサみたいに「むしろ主人公より強くて主人公を守ってる」ヒロインもとっくに出てるのにね
バトル漫画なのに全く戦闘能力がない守られ役か応援団しか脳がないヒロインって相当昔だけだよなあ
ジョジョ序盤のエリナやスージーQ、北斗の拳のユリアとか?それはそれでリサリサとかマミヤとかの戦闘も出来る女キャラも別にいたし
DBのブルマは戦闘能力はないけど頭脳担当で役立たずなわけではないし(そもそも主人公の恋愛相手じゃない)
幽白の螢子、遊戯王の杏子辺りは元々バトル漫画じゃなかった故だし
(杏子は後付けでデュエリストにする事も出来たかもしれないが…螢子は設定からして「霊力も何もない普通の女の子」なのでどうしようもない)
俺は昔、はてなブログでブログを書いて、昔でいう「プロブロガー」をやっていた。
1級身体障害者の炎上ブロガーって言えば、古参のはてなーなら知っている人もいるかもしれない。
元フジテレビアナウンサー・フリーアナウンサーの「長谷川豊」にブログ記事をパクられた人、っていえば思い出す人もいるかもしれない。
もう過去の記事は全て消したが、「だいちゃん.com」(https://xn--n8jvce0l6c.com/)っていうブログを運営していた。
そんな俺は今、大手企業の障害者雇用枠でリモートワークで働いている。
知っている人もいるかもしれないが俺はとあるきっかけで、はてなブログを追い出されてWordPressにブログ記事を全部引っ越しさせてブログ運営を続けていた。
だが、はてなブログ時代は主にはてなブックマークからの流入がメインだったから当然、WordPressではブログ運営が上手くいかなかった。
Googleアップデートなんかの煽りも受けて、ブログ運営のみの収入で生活をすることが困難になった。
ブロガー時代の俺に「自分のところでライターをしないか?」というお誘いを受けて、アフィリエイト記事を執筆するライターなんかもやっていた。
ライター収入で一時期は生計を立てていたが、他人のブログの記事を書くということに面白みを見出すことが出来ず、ライターとして生計を立てるということも辞めてしまった。
でも、どうにかして収入を得て生活をしていかなければならないから、俺は頑張って就職活動を始め、今は大手企業の障害者雇用枠でリモートワークで働いている訳だ。
もう、昔のはてなアカウントも消してしまって、はてなには全く顔を出していなかったが、少し懐かしくなって今、増田で記事を書いている。
ちなみに、俺は1級身体障害者ということもあって、今の会社に就職するまでまともな職歴はほぼ無い状態だ。
20歳の時には1級身体障害者になって、そこから半寝たきり状態で20代前半を過ごしたりしてきたし、リーマンショックなんかの煽りも受けて、なかなか就職が決まらず……。
そんな俺でも障害者雇用枠でなんとか大手企業に就職することが出来たから、どうやって就職をしたのかをちょっと書いてみようと思う。
まず、俺のスペックを書いていこうと思う。
・性別:男
・年齢:30代半ば
・職歴:ほぼ無し
・所持資格:「日商簿記2級」「MOS Word」「MOS Excel」等
こんな風に、俺のスペックはボロボロだ。しいていうなら、顔が若干良いくらいだ。
しかも、
・不眠症
・呼吸器障害
・乾燥性皮膚炎
でも、こんな俺でもなんとか就職することが出来た。
一番この増田を読んでいる人達が気になっているのはここじゃないだろうか?
こんなボロボロのスペックでどうやって大手企業の障害者雇用枠、しかもリモートワークという狭き門での就職を成功させることが出来たのか。
その道のりは簡単ではなかったよ。かなりの苦労がここにはあった。
まず、どうにかして障害年金以外の収入をすぐに確保しなければならなかった。
幸い、ブロガーやライターをやっていた時の収入は殆どを貯蓄に回していたから、なんとか貯蓄を切り崩しながら生活をできていたが、自分の経歴の酷さは分かっていたから、すぐに就職先が決まることは無いと判断した。
そんな俺でも就職するまでの間、障害者だったら収入を得る方法があった。
それが、
という方法だ。
障害者職業能力開発校は、通っている間は失業保険の手当を貰える状態にある人は、失業保険の手当の受給期間を通っている間は延長してもらうことが出来る。
でも俺は、失業保険なんていうものに加入はしていなかった。当然だ。俺はブロガーでライター、個人事業主だったからな。
答えは「NO」。
障害者職業能力開発校に通っている間、失業保険の手当を受給出来ていなくても、障害者なら「職業訓練手当」という給付金を貰いながら通うことが出来る。
貰える金額は障害の等級によって違うが、1級身体障害者の場合は月に約12万円ほどは貰うことが出来た。
都心に住んでいる人からしたら、こんな金額じゃ生活出来ない! と感じる人もいるかもしれない。
幸い、俺は九州の田舎に住んでいるから、月に20万円もあれば十分に生活は出来る。
そうやって、収入の基盤をなんとか確保した。
ちなみに、俺が通っていた障害者職業能力開発校は、訓練期間が1年~2年。
通常は1年だが、「プログラム設計科」という、プログラミングを学ぶ訓練だけは2年コースになっている。
そこでプログラミングを学びながらプログラマーを目指していた。
でも、俺は「基本情報技術者試験」の午後問題の「アルゴリズム」と「プログラミング」の問題を殆ど説くことが出来なかったんだ。
「ああ、俺、多分プログラマーには向いてないわ。」
そして、就活をし始めた年齢が30代だったということもあって、30代で未経験プログラマー、しかも1級身体障害者で残業の出来ない状態では無理ゲーだろうなー、と思って、次第に「パソコンに強い事務員」として次第に就活をし始めた。
この部分がいつも就活において引っ掛かって、いつもいつも不採用だった。
それ以外もだいぶ酷い経歴だが、この部分が一番引っ掛かっていたと思う。
あとはやはり、
・不眠症
・呼吸器障害
・乾燥性皮膚炎
を抱えているという部分だ。
でもこの部分は通院しなければならない為、しっかりと企業側に伝えておかなければ就職した際に通院出来ない、という状態になる。
でもある日、学校からの紹介でとある大企業の特例子会社への就職の話が入ってきた。
職歴ほぼ無しの俺にはかなり良い条件だった。
でも、問題点が。
俺の住んでいる地域からかなり遠い企業で、引っ越しをしなければならなかった。
俺が健康体なら別に引っ越しをするくらいはかまわなかった。だが、俺のような1級身体障害者で病院をいくつも通っている人間は、遠い地域へ引っ越しをする場合、病院を全て1から探し直さないといけない。
特に、人工透析を行っている病院の変更はとても手続きが大変だ。
病院との相性もある。
週に3日、1日5時間も延命治療を受けなければならない病院だ。ここの部分で相性が悪ければ恐らくストレスで精神がやられてしまう。
実際、俺が今通っている人工透析の病院を見つけるまで相性の悪い病院に通っていて精神がやられた過去があるから、その部分だけは本当に注意していた。
そういった事情もあって、最初は就職に前向きに検討していたが、だんだんとそういったことを考え始めて、そこの会社への就職は断った。
その頃、今世界中で流行している感染症が流行り始めていた。それも俺が就職を断った理由の一つだ。
俺が引っ越しをしなければならなかった就職先の地域は、かなり感染者が増加していた。
それに、会社がかなりバスなどを乗り継がないといけない場所にあって、人工透析を行う病院まで距離が遠かった。
恐らく、毎日が病院と会社の往復という日々。1日が仕事と通院で終わるような毎日になっていたに違いない。
そうだと俺は察知して、自分を守る為にそこの会社へ就職しなかったというのもある。
こういうことを書くと、甘えだとかなんだと言う奴らが出てくるかもしれないが、俺の身体や精神は君たちが思っている以上に脆く、弱く、儚い。
これを「甘え」だというのであれば、もういい。好きに言ってくれ。
だんだん、俺の住んでいる地域でも感染症の感染者数が増加していっていた。
でも、俺の通っていた学校は建物が古く、建物自体がいわゆる3密状態になっていた。これだけは避けることが出来なかった。
それと、どうしても知的な部分に障害がある人達もいるから、感染症対策をちゃんとしない生徒もいた。
しかも、他の患者さんと一緒に治療を受けているから、下手したら自分が感染すると病院全体が一時閉鎖しなければならない、という状態だ。
家には高齢の親もいる。
だから俺は、絶対に感染する訳にはいかないと思い、少しでも感染リスクのあることをだんだんと辞めていった。
俺はそうやって学校を辞めた。
ここの部分も、Twitterなどで発信していたら、
「お前と同じ障害を抱えているけど、俺は感染リスクのある仕事をしているんだ!! 甘えるな!!」
みたいに言ってきた奴がいた。
お前はお前、俺は俺だぜ?
お前はリスク管理が出来ていない。
俺はリスクのあることは全て排除して、徹底的にリスク管理を行った。ただそれだけの話だ。
お前は勝手に感染リスクのある仕事をしてくれ。俺は感染リスクのあることが徹底的にしない。だって命が惜しいからな。
人の命だってかかっているんだ。
俺は自分が感染するリスクも取りたくないし、他の患者さんや親を感染にまきこみたくなかった。
俺は障害年金は貰っていたけれど、それ以外の収入が学校を辞めたことで本当に無くなってしまった。
障害年金は月に約7万円ほどだ。でも、俺は実家暮らしだが実家もそこまで裕福ではないから障害年金の殆どを家に入れていた。
正直、感染症が収まるまで通勤での勤務もするつもりが無かったから、そこで一旦、就職活動したいを辞めていた。
すると、以前ライターをさせて貰っていたクライアントさんの一人が俺に仕事を振ってくれるようになった。
以前のようにライターの仕事では無いが、生活出来るくらいの金額になるように仕事を振ってくれていた。
ちなみに、その人は俺がライター自体を辞めて障害者職業能力開発校に入るとき、
といった意味を込めてなのか、カニを大量に送ってくれた為、俺の家族の間では、
「カニの人」
として周知されている。
その人がまた、ライターの仕事ではないが仕事を振ってくれるようになった。
その収入だけでも正直、個人事業主として生活は出来ていた。だが、その人は法人の社長ではない。あくまで個人事業主だ。
クライアントが個人事業主だと、どうしても将来的な収入が不安になる。
でも、俺は感染症のリスクを負ってまで就職する気は更々無い。でもやっぱり将来的な収入が不安だ……。
そんな葛藤をずっと抱いていた。
ある日、Twitterをいつものようにやっていると、とある就職エージェントの広告が目に入ってきた。
取り敢えず、登録だけしておいても損はしないな。まあ、今すぐに就職をする気は無いが、感染症が収まったらやっぱり企業勤めをしたいから、恐らく就活を再開するからな。
そんなことを考えて、本当に取り敢えずで登録だけしてみた。
俺は、
「すぐに就職をする気は無い。でも、リモートワークなら就職したいかも。」
みたいなことを、エージェントの就職担当者に話したような気がする。
へ流れで登録することになった。
なんか、いちいちあっちのサイトこっちのサイトって登録するの面倒だな……なんてことも思ったりしたし、リモートワークでの就職は倍率がめちゃくちゃ高くてなかなか決まらないということを、俺は実体験から分かっていた。
今まで、リモートワークでの就職を何度も試みて、全部の企業から落とされているからだ。
でも、やっぱり登録をするだけしておこうと思って、その会社へ登録だけ済ませた。
リモートワークで仕事をすることが出来たら、感染症リスクもだいぶ抑えられるからな。
個人事業主としての収入もあったが、安定はしていないと判断して、俺は安定収入を取ることにした。
ちなみに、就職エージェントの就職担当の方が、俺の履歴書の書き方が下手だからと、履歴書を添削してくれた。
そしてアドバイスもしてくれて今まで出していたものとは見違えるような履歴書になった。
俺みたいに酷い経歴でも、書き方次第である程度は改善できるのだな、と思った。
ちなみにアドバイスの中でも、抱えている障害や病気のことはしっかりと書くように言われた。
書くと就職には不利に働くかもしれないが、そこをちゃんと理解してくれる企業じゃないと長く働けないから、ということだった。
話を戻すけど、その就職エージェントが紹介してくれるのは、大手企業ばかりだった。
でも、来る日も来る日も全ての企業へ応募しても、書類選考の時点で落とされていた。
心が折れそうだった。
だけど俺は諦めなかった。
俺は正直、名前すら聞いたことが無かった。というのも、俺は主にIT企業へ事務員として就職を試みていたが、ITとは程遠い企業だったからだ。
俺はどうにかして就職をしようと、面接マニュアルを読み込み、YouTube撮影用のカメラの前で面接の練習をしてそれを録画。
動画にして自分の面接での喋り方、話す内容等を面接の日まで毎日見直していた。
そういった努力も実ったからなのか、俺はその1社へ就職内定が決まったんだ。
パソコンに強い人材があまりいなさそうな業界、という部分も良かったのかもしれない。
晴れて俺は、大手企業で障害者枠でリモートワークで就職が決まった。
後編へ続く。
今でもそうなのか分からないけど…私が就活していた時代、一番求められていたものだった。
リーダーシップを発揮して経験を教えてください、と言われて私は頭を抱えた。
皆無…。
そう、皆無だった。
そもそも、目立つことが大嫌いだ。
自分はそういうつもりがなくてもいつの間にかそういうポジションに…というタイプでもなかった。
しかし就活で「そういうタイプだったんです」と言って、採用されるわけがない時代だった。
仕方がないので、無から有とは言わないが、1を100にしてエピソードを語った。
運よく採用された職場で働き始めて、全くタイプが違うところに採用されてしまったなと感じた。
当たり前だ。リーダーシップなんて発揮したことがない。時代が求めていない人材だから。
しかしそういう職場で採用されたため、強制的にリーダーをしなくてはいけなくなった。
恐ろしい体験だった。
また、「私そういうタイプじゃないんで…」とは仕事じゃ言えないって本当なんだなということも知った。
私が担当したのは、やったことがないしそういうタイプじゃないと思う仕事ばかりだったので、
腐るほどチャンスがあった、ともいえる。
チャンスがやってくるたびに、ああそんなタイプじゃないしどうやったらいいんだよ…と悩んだ。
よっこらしょと必死に持ち上げ、なんとかこなし、また次…とやってきたら、
必要なピンチもといチャンスがやってきて、しぬほど悩み、そこから何かを学ぶ、の繰り返しは
辛いだけだったが、この状態を一言で言えば、着実な成長だった。
想像と全然違った。着実な成長ポスター展があったとしたら、そこに私のような人間は描かれない。
自分の思いとは全然違うところで、着実に成長している私は、一体何なんだろう。
少し息抜きをしたいのかもしれない。
1月中旬、東京都豊島区のビルの一室。「ご担当者様はいらっしゃいますか」「今後もどうぞよろしくお願い致します」。コールセンター会社「テレコメディア」で、ヘッドホンをつけた除村(よけむら)保乃香さん(28)が、電話をかけていた。
除村さんは日本航空の客室乗務員だ。入社6年目。国際線担当だった昨年9月、日航が取り組む外部出向の募集に手を挙げ、異業種のテレコメディアに来た。
同社では企業への電話調査を担当。最初は緊張で早口になったが、次第に落ち着いて話せるようになったという。除村さんは「コロナだからこそできる経験だと思い、希望した。調査内容に応じてお金や社会の制度など新たに学ぶことが多い。自分を磨く有意義な期間にしたい」と語った。
日航は昨年、人件費抑制などを目的に外部出向を始め、多い日で約1000人がホテルやコールセンター、家電量販店、地方自治体などで勤務する。寺社で巫女(みこ)や奉仕員の業務に当たった社員もいる。
気の毒ではあるが、もともとのスペックがいいのでどこでもやっていけるのだと思うが、
今年度非常勤教員として1コマもった某大学から来年度も同じ授業を担当してほしいという依頼があったので引き受けた。
その授業は前期開講のもので今年度は当然のようにオンライン授業だったのだが、来年度は教室授業とオンライン授業を選べると言われた。ただし、教室で授業をした場合は授業に出席できない学生のためにオンラインコンテンツによるフォローアップを行なう義務が発生するのだという。そんな条件付きで本務校とはぜんぜん違うところにある大学に行って1コマだけ授業をする物好きはいないわけで、当然のようにオンライン授業を選択した。
では来年度のオンライン授業をどういうふうにやるのがいいだろうか。当然今年度の授業の動画ファイルはすべて残っている。動画ファイルは毎回3本あって、1本は学生からのコメント・質問について答えたり、説明したりしている30分程度のもの。残り2本は講義本編前半と後半で、それぞれ30分程度。ものすごく手抜きをするとしたら、2020年度の講義本編をそのまま21年度授業として提示し、課題としてコメント・質問の提出を求める。それでコメント・質問への応答動画だけ新しく準備して公開するというものである。こうすると、たぶん労力的には3分の1くらいで同じ給料(1ヶ月約3万円、最終的な手取りは約2万円)がもらえる。
はっきりいえば、楽ができるという話なのだが、それは許されるものだろうか。授業内容は1980年頃から始まったある研究分野について、約40年の研究の流れを話していくものである。古い話をするときでも今の学生にもわかるように説明するために時事ネタに頻繁に言及している。21年度の学生も知ってはいるだろうが1年前のネタなので、例示されてもすぐにピンとこないこともあるだろう。それ以上に、「授業の再放送」をメインコンテンツにして手を抜くというのは倫理的にどうなのだろうか。とはいえ、3分の2くらいのところまでは授業内容に本質的な変更もないのに新しく動画を作り直すのも非常にバカらしいような気がする。
もちろん、すでにある講義動画はそのまま使って、時間がなくて話せなかったことを説明する動画を30分ぶんくらい新しく作ってそれを公開するという手もある。でもそうすると授業コンテンツとしては1回あたり120分くらいになるので、「授業負担が大きい」と学生から不満が出るかもしれない。さてどうしたものかな。
新卒4年目。
新卒後配属された部署の環境(上司からの圧、担当する現場からの圧)に耐えられず一度精神を病んで一カ月半休職。
今の部署は3年目に入ったところ。
昨日は夜寝られず、今朝も起きられず、会社休んだ。
一言連絡入れて「ゆっくり休んで」とは言ってもらえたものの、2~3通メールきてそれに返してた。職場のほうは自分のせいでトラブってるんだろうかと自己嫌悪になった。
やっぱり休むのは良くないんだろうけど、それってほんとにそうか?
担当がいないと回らないわけでもないと思う。チームで仕事してるし、そもそも管理職の人らがいるんだから。
でも実際はそういうわけにもいかないんだよな。
突然いなくなっても大丈夫な仕組みを作るべきで(管理職が?私が?は置いといて)、それなら何があっても回せるんだろうけど、できない。
今の会社って、お金はそれなりで(去年の源泉徴収額500万くらい。たいしたことない?)、メンタル一度壊してもちゃんと復職して仕事できるし、意外といいところなのか・・・?とか思う。
なにか失敗しても鬼のように詰められたり、窓際に飛ばされることもないし。
でも、形だけの定時退社日、19時残業規制。36協定はもちろん順守、福利厚生ははてな、教育制度もはてな。いったい今の会社は他と比べて何がいいのか。
お金はそこそこだと思ってる。仕事も先輩、上司のフォローがあるし。
じゃあなんで私のメンタルがおかしくなったんだよってなっちゃって、自分の問題=自己嫌悪に行きついちゃうよな。
転職したらどうなるんやろう。すべてにおいて今よりいいところってあるんかな。そう考えると転職って踏み切れないし、転職しないとわからないことだらけ。
ただ、「来月から関東の工場に異動」「同じ地方だけどちょっと遠い工場に異動」って言われたらたぶん退職する。そう思うってことはキッカケがないだけ?責任転嫁できるキッカケがほしいだけ?
何に悩んでいて、何を解決したいのかわからなくなってきた。薬飲むしかできないし飲むしかないんだけど。
誰かにわかってもらいたい?みんなに「こんなにしんどいよ」ってわかってもらいたい?でもそれって、みんなそうじゃない?みんな大変な思いしてない?え、大変な思いしてないの?え、月残業100時間も超えてないのにごちゃごちゃ言うなって?すいません、どんなに多くても60時間行きません。こんなので弱音はいてすいません。
今日1日サボっても職場は大丈夫だったと思うし、やっぱり大丈夫な職場=会社なのでは?まだ4年目だから許されているだけ?1回おかしくなったし、2~3カ月に1回はサボっちゃうから腫れ物になってるだけ?
上司も俺みたいなのをどう扱えばいいかわかんないんだろうな。そういうのわかってなさそうな感じあるし。
このまましがみ付いて窓際族になるのもいいかもしれない。でもその頃には・・・会社あるかな?業界再編の流れは強いし、大手3社の3つ目はいつワンツーに吸収されてもおかしくないし。
明日からまた仕事に波に巻き込まれてこういう気持ちも薄れるんだろうな。
しばらくは薬飲んで気持ちを紛らわせて、仕事続けて、また2~3カ月した溜まったものが爆発して。を繰り返す。
その2~3カ月で溜めちゃうのは自分のせいだと思うけどね。ほんと、結局自分がクソなだけだよ。いや、やめた。自己嫌悪は解決にならないから。
”PCが買いたいというお客さんのニーズに応えることができないのが悔しいですね」(BTO担当店員)”
企業から公務員に転職した俺が、元増田と他の参加者の違いが生まれる背景を頼まれてもないのに説明します。
まず結論から言うと、根本的に事業構造が違うから違うのだということで、優秀かどうかなんてのは微塵も関係ないのです。
それに対してお役所は、先に収入(税収)があって、それを配分して事業をやります。
企業において一番大切なのは、もちろん収入と直結する事業のアウトプットですが、お役所では、何に税金を使うのかという配分の部分が一番重要なのです。
お役所では、事業実施の前年度にはその事業の予算化をしておく必要があります。
また、予算額を超えて事業をすることも、予算要求時と大きく異なる内容で実施することもできません。予算を大きく余らせてしまっても良い顔されません。
このため、予算要求時には、事業の計画を概ね固めてしまい、ちゃんとした算出根拠を持っておく必要があります。
また、予算を配分してもらうまでにはいくつかハードルがあり、上司、財政部局、首長、議会と、順番に説明して承認してもらわなければなりません。
事業が実施できるかどうかわからないこの段階で、かなり正確な見積りと、必要性、公益性、実現可能性の全てをクリアして説明できることが求められるのです。
民間だと、とりあえず走り出してから考えたり修正したりしながら、最終的にアウトプットがちゃんとできればOKなところがあるので、一番最初に机の上で完璧な企画を考えるなんてのはただの時間の無駄でしかないですが、お役所はそうではないのです。
元増田はそれが染み付いているから、初期段階から色んなアラが目につくのだと思われます。普段から彼女が上司に言われてるような事なんでしょう。
でも、最終的なアウトプットまで至る場合は、おそらく初期の企画とは全く異なるものになって、一応形になってるはずです。もちろん、アウトプットまで至らないことも多いですが、そういうもんです。
元増田からすると、雑な企画で走り出すことはまるで理解できないだろうし、逆に、走りながら考えるのに慣れている人からすると、最初からそんなに考えてたら何もできないと感じるだろうと思います。
これは、良いとか悪いとか優秀とかそうでないとかではなく、構造の違いです。
民間企業が役所と同じやり方をすると、一つの失敗も許されなくなって新規事業なんて何もできなくなるし、お役所が民間企業のスピードでやると公平性や公益性を損ないクレームだらけになるでしょう。
就職活動でたくさんお祈りされると自尊心がズタズタにされてしまうのはわかるんですが、優秀かどうかとか民間企業落ちたとか、そういう瑣末なことに囚われないで、違いを理解してそれぞれの役割を全うすることを心がけたほうが良いと思います。
最後に蛇足ですが、お役所仕事について、役所に入って感じたことを。
お役所の仕事がダメになりがちなのは、予算を取るところが山場であって、肝心な事業の実施時には適切に予算を消化することが目的化してしまっていることが往々にしてあるからじゃないかと感じました。
予算がついてから突然担当にさせられることもよくあるし、予算が中途半端な額に減らされてまともに事業ができないのにやらないといけないこともあるので、本来の目的とかどこかに消えてしまうことも少なくないです。
補助金がつくから、国がやれっていうから、的な理由で予算を付けられてそもそも何のためにやるのかもよくわからないままにやることもあります。
アウトプットの品質はあくまで担当者の能力や意識にかかっているので、この辺をもうちょいなんとかして、アウトプットの質を担保する方法ないかなあと思って過ごしてます。
税金で運営されているところで働いている者なのだが、周りの者の行動にもやもやする
•自称虚弱体質で、休みがちな同僚。なぜか休むのは月曜ばかり。月曜だけ虚弱になる体質かな?
もちろん、有休はふんだんにあるので、お給料が減ることもないです。
•日中トロトロ働き、結局30分とか、1時間とかの残業を繰り返す先輩。もちろん、残業代はちゃんと払われます。注意しない上司がいけないと思う。
•毎月毎月仕事が遅いから、俺がそいつの担当分を少しやってやることになったところ、
「今月なんか暇なんすよねー」と言って休みを取りまくるようになった後輩。暇なのは俺が仕事もらったからなんやけど!
ソフトウエア開発部門のマネージャーだった時、派遣テスター絡みの事件があった。
始まりはプロジェクトマネージャーからの派遣テスターのスキルにミスマッチがあるとの報告だった。
全く仕様書を読む気がなく当然、テスト仕様書作成もできないから派遣テスターとして使えないと。
頑張ってもできないならともかく、やる気がないなら話にならないので派遣会社にその旨を連絡した。
派遣会社に連絡した翌日、彼女(問題の派遣テスター)から直接「相談」があると言われた。
プロジェクトマネージャーを飛び越して直接自分が話をするのはレポートラインが違うので担当社員であるプロジェクトマネージャーと話してくれと言ったが聞かなかった。
話を聞くとプロジェクトマネージャーからパワハラを受けているという。
僕はそのプロジェクトマネージャーと長く一緒に仕事をしてきたので嘘じゃないかと疑ったが、周辺の人間からそれとなく聞き取りした。
すると出てくる話は彼女がテスト仕様書作成作業を徹底拒否し、他の派遣に押し付けようとするので困っているという不満ばかり。
プロジェクトマネージャーによるパワハラの疑いは見つけられなかった。
そこで彼女にプロジェクトマネージャーにも話を聞いていいか確認すると「パワハラというよりはプロジェクトマネージャーの性格が悪い」と話を変えてきた。
具体的に何が悪いのかと聞くと指示の仕方に優しさがないとか言い方にトゲがあるとかパワハラの話は完全にどこかへいってしまい人格批判のオンパレードになった。
そしてプロジェクトマネージャーへの確認は徹底拒否。つまり彼女はレポートライン無視で告げ口はするけど相手の反論は認めないと。
おそらく自分が切られそうなのを知ってプロジェクトマネージャーを貶めることで自分のクビをつなげようとしたんだろう。
後日、プロジェクトマネージャーに顛末を話したら「やっぱりそんなことやってましたか」という反応だった。
結局、彼女の嘘の告げ口のために彼女の退場までに余計な日数を費やすことになった。
完全なスキルミスマッチなのでうちの会社から派遣会社への支払いはなかったけど、彼女は派遣会社からその日数分の給料を受け取ったんだろうか。
それから1年ほど過ぎた頃、会社の同じ敷地内にある別のビルへ行く用事があった。
するとなんとあの彼女が働いていた。
そこのマネージャーは僕の同期だったので話を聞くと別の派遣会社から派遣されてきたという。
そして僕の時と同様にプロジェクトマネージャーとトラブルを起こしていて仕事もできないので契約解除を検討中だった。
それはいいとして問題はなぜダメだとわかっている派遣と2度目の契約をしてしまったのか。
すると人事部が一括で採用する正社員ならチェックできるが、派遣は各部署で調達するためチェックできないことがわかった。
すべての派遣を同じ派遣会社から調達すれば派遣会社でチェックできる可能性があるが、そのために派遣会社の一本化なんて無理ということだった。
15年位前に彼女はうちの会社に派遣されていて、やはりトラブルを起こして派遣契約を解除されていた。
つまり実際は僕の部署で2回目、同期の部署で3回目の契約だった。
当時のマネージャーは既に退職していて詳細はわからなかったけど、派遣契約の作業内容がテスト仕様書作成となっていたから彼女にできるはずがない。
そして15年以上もの間、他の派遣先でも同様のことをやってきたんだろうと容易に想像できる。
仕事ができなくてもすぐに切られず、長期間しがみつける派遣先もあったのかもしれない。
レポートライン無視の嘘の告げ口で他人に責任をなすりつけることで自分のクビをつなげられたこともあったかもしれない。
そこまでしてスキルがなく勉強する気もない派遣テスターという仕事にしがみついてきたのは通常の派遣に比べて時給がいいからだと思う。
派遣プログラマーも同じくらいの時給だけど、さすがに全くプログラムコードが書けないのは誤魔化しがきかないと考えたんだろうか。
だとしたら真面目に派遣テスターをやっている人をバカにしているとしか言いようがない。
もし自分が同じような人生を送っていたら、何かのきっかけで自分の人生を振り返った時にやってきたことの卑劣さと情けなさに後悔して自殺でもしてしまいそうで怖い。
5年前に産まれた第一子が奇声を挙げる赤ちゃんだった。赤ちゃんなんてこういうもんだろうと思って我慢してたら似たような感じでどんどん産後うつが悪化してしまった。かわいいと感じる余裕がなかったし、こいつのせいで眠れない、トイレにも行けないという苛立ちで心が真っ黒だった。
4ヶ月前に産まれた第二子はそういう声を出さない。お腹が空いて泣いてもホゲーホゲー、癇癪起こすとぴー!うぴー!って感じなので第一子の始終キーキーとは頻度が違う。負担が少ないからめちゃくちゃかわいく感じる。
母子手帳に「育てにくい」という項目があるよね。奇声を挙げる子は育てにくい子に丸をしていい。実際に困ってるし、何らかの手伝いを母子手帳をチェックするような機会にしてもらったほうがいい。
保健師さんとは連絡取ってるかな。このコロナ禍で気が引けるかもしれないけど電話したほうがいい。連絡取ってなくても市区町村名と保健センターでググって自分の名前言ってキーキー言うからしんどいですって言えば担当が何とかしてくれる。
私は第一子の時に一瞬だけ見ていてもらって和室の別室で話を聞いてもらったんだけど、それだけでも凄い解放感だったし、職員さんが書類を持ってくるからその間に横になっていていいと言われた時の仮眠は目が溶けそうなくらい気持ちよくて最高だった。多分職員さんもわざと書類を取りに行ってくれたんだと思う。
第一子のキーキーは1歳過ぎて喃語や指差しなどで自分の意思を伝えられるようになって減った。でも最初の真っ黒がきれいに拭えず、5歳相手に今も変な距離を置いてしまっている。愛情はあるがうまく愛せない。
増田ももっと負担を軽くしないとやばい。保健師でも児童センターでも頼ってキーキーと離れる時間を取らないと精神が駄目になる。こんなふうに増田までうまく愛せなくなるなんて嫌だ。なんとかヘルプサインを出してほしい。
弊社はやや古い体質の会社なので、海外の顧客とやり取りするだけの通訳を二人雇っている。中国語担当の中国人の女性と、英語担当の帰国子女の男性。海外の顧客もそこまで多くなく、二人とも週に二日ずつ勤務している。彼らは基本的には通訳以外の仕事はしない。メールの翻訳と、交渉時の通訳が担当だ。
中国人の女性は、今日日こういうことを言うと怒られかねないくらいの「典型的な中国人」で、声が大きく、面子を重要視し、中国本国のお客さんが「恥をかいた」と判断すると平社員だろうと社長だろうと全力で食ってかかってくる。2時間でも3時間でも怒鳴り散らす。そういう性格なので本国のお客さんからの信頼は厚いのだが、しかし私たちは彼らとだけ取引しているわけではない。中国企業との取引は、どちらかというと小口の取引だ。
英語担当の男性は50歳くらいで、当時は珍しい帰国子女だったそうだ。大学もカナダに渡って、その後10年くらいカナダに住んでいて、帰国後にうちの会社にやってきたらしい。いささか鼻につくところがあるが(6年も英語を習うのにみんな英語ができないのは日本の教育の敗北、が彼の口癖だ)、大人しい人だ。ただ、彼は体が弱い。今年は半年ほど療養休暇を取っている。その間の仕事は、私が代わりにやった。彼には伝えたことはないが私も英語は普通に話せるしビジネス文書も作れる。おまけに最近の翻訳機は優秀なので、最悪Google翻訳でもそれっぽいものはできてしまう。私が忙しい時は、そういうものを駆使して同僚が彼の仕事を代行していた。
私は総務なので、来年の彼らの契約更新用の書類を作成している。部長は、「まあ正直、時代的にもわざわざ通訳のためだけに人を雇うのはナンセンスだと思うよ。でも、もうずっといる人だからね」と半笑いで書類に印を押した。
過去には一芸だったものも、時代とともに価値を失う。私だって、別に英語を生かした仕事なんかしていない。それでも、こうしてあと一年、年間200万円くらいのお給料を出してまで、我が社は彼らに通訳を頼む。私は、来年は同じ書類を作るんだろうか。いつかは無くなる仕事の「いつか」がもう近い。その日が来るのが、怖いような、早く来てほしいような、変な気分だ。