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はてなキーワード: ターニングポイントとは

2019-03-19

自称サヨクにとっての慰安婦問題

自分はどっちかというと左寄りで左翼だと思う。

選挙でも常に労働者側の主張をする政党に入れてきているので自民党に入れたことは20年間1度もない。

所謂氷河期世代」というやつで、今は転職を繰り返して割とまともな職場で働けているがそれまでは労働環境でいろいろと苦労もした。

歴史観

自分戦争オタクなので戦争兵器のことを調べるのは好きだが、まず根底には少なくとも米国との戦争は間違っていたと考える。

米国との戦争が避けられなくなった直接の原因は南部仏印進駐だが、そもそも日中戦争が泥沼化しなければそれも必要なかった。

そしてその日中戦争(正確には、日米開戦までは志那事変)についても何度か終了できるはずのターニングポイントがあった。

トラウトマン和平工作を潰したのは陸軍だが、講和戦争が終わってしまえば困るという陸軍の思惑通りに蔣介石との和平条件を大幅に釣り上げた近衛内閣責任も重い。

そもそも何故軍が勝手に兵を進めるのか、「功績さえ挙げてしまえばそれでOK」という流れを作り出した石原莞爾責任が重い。

満州事変のものの是非についての賛否理解するが、関東軍独断専行政府許可を得ようとしても得られないことから自体はれっきとした罪であり罰せられるべきであった。

日韓関係について

日韓の離間で喜ぶのは北朝鮮であることは理解するものの今の韓国北朝鮮はどちらも同じくらいに嫌いだとはっきりと言っておく。

リベラル自称する自分としては、民族主義国粋主義的な考えが好きになれない。

から民族主義国粋主義韓国は嫌いだ。

韓国人の友人はいるし韓国人そのものが嫌いというわけではない…が、自分の知る限りは彼等も韓国を嫌っている。

情報が偏っている理由としては、日本に来ている韓国しか知らないからというのはあると思う。

慰安婦問題について

色々とおかしい点があるのは理解するが、まず結論としては「慰安婦に謝ること自体」には賛成だ。

ただ、現在韓国の求めに応じた場合日本軍は朝鮮半島女性狩りをして20万人強制連行して戦地強姦しまくった上で用済みになれば殺した」ことについての謝罪になってしまう。

そんなことはしていない以上は、韓国の求めに応じてはいけない。

ただ、だからといって慰安婦を「遠征売春婦」というような呼び方をするのも好きになれない。

公募高収入あったもの過酷な重労働を強いたことは事実で、そこは現代における経営者-労働者視点で見るべきなことだと考えている。

「強いられた」という表現を使うと反感を生みそうではあるが、これについては南方で飢えと戦いながら戦争を続けた兵士たちについても同じことが言える。

戦地が飢えとの戦いになったのは米軍輸送船が沈められたからではあるのだが、そもそも無茶な戦争/戦略国民を突き合わせた責任は当時の政府や軍にある。

なので、「慰安婦については、当時戦場で戦って散って行ったり帰ってきた兵士たちと同じくらいには敬意をもって接するべきでは?」とかんがえている次第です。

米国との戦争は確かに国民が焚きつけたということもあるが、「一億総責任論」は当時の軍や政府責任曖昧にする悪習だと思っている。

慰安婦にも謝罪」「兵士にも謝罪」「徴用者への謝罪」…少なくともその人たちが本物であれば必要なことだと思う。

ただ、謝罪をするからには「20万」「強制連行」「朝鮮人だけ」のような誤解を解くこととセットである必要もある。

2019-02-14

ドワンゴは死に角川は後継者を失った(かもしれない)

そしてこの結果を招いたのは、さかのぼって、さかのぼって、起点は西村博之ではないかと思う。戦犯の話ではなくどの辺からぐちゃぐちゃになったのかなと考えた場合です。

かのぼるのは後回しにして、さかのぼらなければ川上氏の辞任を角川は許すべきではなかったであろう。難しい事は承知の上だがKADOKAWA・dwango一蓮托生の覚悟があれば困ったときお互い様よ。のルートもあるのではないかと思う。その空気を醸成できなかったのもまたお互い様ではあるが。

その前になぜこれを書こうと思ったかの話なんだけど、それは、 https://www.orangeitems.com/entry/2019/02/14/002152

この記事を見てとても納得して私なりにもっと深堀して欲しいという思いとじゃあおまえがやれば?と言われるかもしれない、否、誰だこの雑魚無視されるかもしれない恐怖とを量りにかけた結果である。いちおうこれでもニコ厨ですし。

 

とりあえず一つさかのぼます

 

ひろゆきを追い出した。

ここもダメターニングポイントだったと思います。なぜなら私はひろゆき信者の気(ケ)もあるしその気が芽生えたのはニコ生ニコ動についての彼の考えを見た聞いた時に、なるほどなあと思ったことが発端でした。ちなみに私は2ちゃんねらーではありません。その事は本題と関係ないし省きます割愛します。私の黒歴史は今はどうでも良い些事だ。そして彼には実績もあります。充分でしょう。この当時は一ユーザーとしてへーって感じでぼんやりひろゆき忠告を見てた記憶がありますが、今思うと衰退は始まってたんですね。彼を追い出すことになったのは川上氏に非があると思います。それは参照記事にもあるようにこの時、川上氏はフィクサー役割を担っててひろゆき氏と夏野氏の良い所取りをするのがお仕事だったのだろうとの推測の元による話です。もちろん夏野氏を召喚したのはサービス重視のひろゆきを追い出し収益化のプロの夏野氏に自由仕事をしてもらう事が目的だったのなら話は別です。そこはわかりません。

 

さらにさかのぼます

 

dwango巨大企業でもないくせに、ニコ動赤字続きだった。

その赤字にGOGO言ってたのがひろゆき氏ではないかと私は推測するのです。推測の推測ですがひろゆき氏には彼なりの勝算があったのだと思います。もちろん当時勢いもあったし。

しかしその勝算の計算式を見てみると、彼の成功ヒストリーに見え隠れする踏み倒し論があったのではないかと思うんですよ。その踏み倒し論が計算式の中に組み込まれてるのを川上氏は察してていや個人企業は別であなたの踏み倒し論は成立しませんよ。それは困ります資金繰りの奔走なんてしたくないです。GOGO言うならあなた資産dwango出資してください。と伝えようとしたがそのことをさらに察したひろゆき氏は電話に出ずそうこうしてるうちに川上氏は、いや待てよ、それも嫌だな。ここは私の国だ、ひろゆき邪魔やな。どうしたもんか、収益化のプロを呼んでひろゆきを追い出すなりバランス取るなりするしかないなとか妄想してて楽しかったです。どっちにしろ川上氏がケツ拭く話か。そっか。

 

すいません飯食って風呂入って歯磨いて屁こいて寝ますおやすみなさい

2019-01-23

anond:20190122141644

これは1つのターニングポイントだと思う。なろう作家青田買いが過剰に進行し、転生物以外が書けない作家が飽和状態になっている現れなのかも知れない。書かなきゃ本なんか出ないんだから本来断筆宣言なんか必要ない。

2019-01-18

ハセカラ騒動侮辱

在日コリアン中学生ブログ誹謗中傷し、ブログ管理者の老人が略式命令を受けるという事件がありました。

考えてみると、この事件ネット上で有名なハセカラ騒動と構図が似ています。似ていますが、結末が全く異なります

ハセカラ騒動ではチンフェが唐澤貴洋を雇い、自分への誹謗中傷を行った人物IP開示を請求したことが話の大きなターニングポイントになっています。この後、IP開示が行われてもそれ以上の実害がないということになんJ民が気付き、唐澤貴洋への反撃を始めたこから現在の「炎上弁護士」の状態に繋がっています

他方、今回の在日コリアン誹謗中傷事件では被害者弁護士が同様に開示請求を行った後、刑事告訴を行っています。結果加害者は略式命令を受け、刑事罰を受けることになりました。

ハセカラ騒動において仮に同様の経緯を辿っていた場合、チンフェへ誹謗中傷をしていたなんJ民は刑事罰を受けるという実害を被り、騒動は急速に沈静化していたものと想定されます。結果、今のように恒心教としてネット上のおもちゃにはならず、唐澤貴洋は有能弁護士として名を馳せていたはずです。

やはりネット上での誹謗中傷というのは全体的に社会的対応が遅れているなあという印象を受けます

2019-01-16

日本ってどうしたら民主主義化できるのだろうか?

今世紀中は可能かな?

地震とか戦争みたいな何かターニングポイントになるような過酷事件が起きてから始まるのだろうか?

2019-01-10

シストランス

初めて匿名を書く。私はフェミニズムの基本理念には賛同するがフェミニストではない、のでフェミニストじゃないやつの文章なんかまず読みたくねーよ!という方々はブラウザバックをお願いします。

1.トランス女性は「女性」です

そもそも私はツイッターフェミ界隈を見ているだけの一般人なので、年末年始から騒がしい「MtFが女湯・女性更衣室・女性トイレetcに入っても良いか」論争についてイマイチ良く分かってない。

全部を話すことは難しいため、トイレ論争にのみ絞って書こうと思う。温泉は入らなきゃ死ぬってものでもないので、生理的なやつから

1-1.my idea

私の考えは「今まで通りでいいのでは?誰でも入れるトイレを増やすのは急務だと思うけど」という考えである。今まで通りというのは、それぞれの良心に任せる、というやつ。シス女性(この呼び方が正しいか正しくないかは置いといて、議論やすいのでこう呼ぶ)、パス度が高いと自分で思うMtFくらいが女性トイレのメインの利用者になるのではなかろうか。パス度の問題外野から言われるのは嫌だろうと重々承知だが、MtFの方が「私は女性トイレに入れるだろう・入っていこう」と決めたとしたらその時点でかなりのパス度なのではないかと思う。パス度が高くないと女性トイレに入るなという話ではなく、自分がどう見えるか特段に気にしている人が、女性トイレを使おうと思えるならもうその時点でパス度は高いと思うのである。(私も人から目線でとても悩んだ時期があるので、多分その辺当事者の方は慎重だと推測する。)

良心に任せたトイレの使い方(分け方?)のメリットデメリットについて書く。

メリット良心で成り立っているため、「良心でない、即ち盗撮犯や性犯罪者」を排除する名目になる。

デメリット:明確でない。個人物差しで測ることになってしまう。「私は女性トイレに入っても良いのか」とMtFの方が悩む原因となり得る。

1-2.セルフIDによるトイレの分け方

性自認による分け方でトイレを分ける;つまりMtFならばホルモン治療やオペをしなくとも自認が女だと言えば女性トイレに入ってよいという案がある。果たしてそう明文化して、実際未ホル・未オペの方が入ってくるかは「うーーーーーん?」というところだ。理由は1-1で書いた、人目を気にする方が「許可されたから〜!」とノリノリで入ってくるとは思えないし…入ってきてもらっても全然いいですけどね。

さてこちらもメリットデメリットを。

デメリット:「心は女だから〜」と言ってシス男性が入ってくる可能性(詳しくは後で記述する)

何故メリットを書かなかったのか。書けなかったのである

セルフIDによる分け方のメリットはあるだろうか。勿論ある、トランス尊厳だ。何人たりと踏み付けることはできない尊厳

しかし、メリットを書こうとして、「MtFの方が安心して使える」ー果たしてそうなのか。私はトランスではないので分からないし、トランスの知り合いがいない、確かめる術がない。だが私はこう思う:本当にトランスの方が「安心して」トイレを使えるか?MtFの方なら「男に見えないだろうか」などと思わなくなるのだろうか?分からない、分からないのでメリットには書かなかった。ただ、尊厳は踏みつける意図はない、トランスの方でセルフIDによる分け方のメリットデメリットを教えてくれる方がいたら教えてほしい。

1-3.争い

ツイッターフェミ垢はちょっと覗くといった程度なので、誰と誰がこの考えで、それに対立してるのが〜とかさっぱりワケワカメなので(ネタが古い)、私の観測内の話。

①上に述べた「トイレ利用についての分類方法」論争

トランス女性へのヘイトをするな論争

が大まかな争いだと思う。

まず言っておかねばならないと思うが、②に関しては普通に「そりゃそうよ」という話なのだ。①の論争のどちら側に居ようと、ヘイトはいかんのですよ。「トランス女性は女じゃない」「男体」とか言うのはいかんわけ。それは①のどちら側とか関係ないのよね。ただ、②の論争が収束していかない原因として

ヘイトとは思えない文脈に対してもヘイトだと言い、話し合いが出来ない

・「セルフIDによりトイレを使えるべきだ」派の人のうち、「セルフIDによる分類はどうかと思う」派はトランス差別から言っているのだと勘違いしている人がいる

の2つの理由があると思う。

①と②を分けて話さないと、議論収束しない。何でもかんでも「ヘイトだ」と言われれば、口を塞がれていると感じる人も多く出てくるはずだ。

さて本題の①の話。

私が今まで通りの良心によるトイレ利用を推す理由としては、やはり「良心でないもの」の存在が大きい。後述すると言った「自認が女だと言い張るシス男性存在である

これが、シス女だろうとトランス女だろうと関係なく脅威なのは共通認識でいいだろうか?盗撮なんかされたらひとたまりもないだろうよ、これはシストランス関係ないはず。

現実にあり得るのか?という話だが、更衣室やトイレ温泉やらの盗撮被害というのはもう聞き慣れてしまうほどある。某国で「女性トイレの壁に沢山の穴があった、幼い頃から工事などの跡だろうと思っていた、それは盗撮のためのものだったー男性トイレに穴はなかった」という話がある。

もしセルフIDによる分け方でトイレに入っていいとなれば、盗撮犯が堂々と女性トイレに入り込み、ギョッとされても「心が女なので〜」と言えば誰も通報することができず、その男(女装しているのかもしれない)が入っていったのを見た女性は「なんか嫌だからこのトイレ使わないでおこう」が出来るが、数分後その男が個室に隠れるなりカメラを仕掛けるなりした後のトイレに入った女はまんまとその盗撮の餌食になるのでは?????というのを私は危惧している。

盗撮は今もあるし、当たり前に許されない犯罪なのだが、不安なのは通報ができない」というこの一点なのだ

勘違いが多いのもこの点のような気がしているので念入りに言う、「トランス女性が怖いんじゃない。ギョッとした時に、犯罪が起きるかもしれない時に、『差別だ』と言われるのを恐れて周りに言えないことが恐怖なんだ」と。

この文章トイレ問題をメインにすると言ったが、これは温泉しろ更衣室にしろ同じことだと私は思う。犯罪が起きるかもしれない時に周りに言えないこと が恐怖なのだ、ということが最も伝わって欲しくて、かつ最も伝わっていないことだと思う。

1-4.Trans women are women.

これを和訳すると「トランス女性女性です」となり、この文章の題にもなる。ふむ。そうなんだけどそうじゃない感がすごい。この文章違和感を書いていく。

まずこの和訳暴力的すぎる。その通りなんだけどそうじゃねえよ…と、この文面を見る度に呟いてしまう。うん、トランス女性(即ちMtF)はwomenだよ、でも「女性」は暴力的でしょ、ちゃん英語に謝って。

検診の尿検査の時、あのスポイトみたいなやつにFかMかチェックをつけるじゃないですか?female or maleって意味female女性male男性。ではwomenとmenは??womenは女性、menは男性。そう、英語では折角区別される単語日本語では区別されていないのだ。

female/male生物学的なものに、women/menは人間に対して使う、という分け方かな。sexgenderと言えば分かりやすいかもしれない。gender社会的性別というやつだ。

まり、"Trans women are women."という文の本意は「トランス女性に対して『体が男』と言ったり、故意性別を間違うようなことを言ったり、差別的な行為を許さない」というところではなかろうか。最近ツイッター界で使われる「トランス女性は未ホル・未オペでも女性専用スペースを使える」という文脈はかなり疑問に感じる。それだと"Trans women are females."となってしまうのだ。

あと、「トランス女性性器確認させろというのか?!」という話についてだが、誰がそんなこと言ったんだ。タックしてたら分からんだろ、それこそち○こ股に挟んでちっすだわ(暴言)。「トランス女性女性です」の「女性」という定義があまりあやふやからどうするの、femaleなら生物学的な分け方だから性器になるんじゃない?というやつじゃないのか?知らんけど。

1-5.まとめ

トランス尊厳を守らねばならない、と思う。言い砕くと、ビクビクしながらトイレに入らねばならないような状況はいかんと思うのだ。しかしそれが、セルフIDによるトイレ許可で達成されるのか?本当に?倫理的教育必要なんじゃない?セルフIDあかんという話ではない。達成目標を「自認によるトイレ温泉更衣室の利用」に置くのは大切だが、それは先に推し進めることではないはずだ、同時に他のこともせなあかんはず。

2.LGBT差別解消法案

まり長く語るつもりはない。

ええと思う。この国の歴史で強い差別が解消される時、法改正法制定が大きなターニングポイントとなっているから。雇用教育機関での不当な差別を許さないと、法律で決めさえすればそれはマイノリティにとっての武器になる。正しく使われていくことを願うばかり。

3.フェミニズム

私がフェミニストではないと最初に言った理由は、ただ単純に日本フェミニズムに疑問があるからであるそもそも日本ってフェミニズムを受け入れる段階ですらない気がしてる。男女不平等を甘んじて受けろという意味ではなく、男女差が大きすぎるからフェミニズムは早すぎない?と思うのだ。

海外諸国のように有名人社会的発言ができないこの国で、リーダーフラッグシップ的な役割がいないこの状況で。一人一派なんてやってたらそりゃバラバラになるじゃんって。

大体男女差別だけじゃない、この国には差別が残りすぎている。精神疾患差別障害者差別外国人差別職業差別、、、女で精神疾患もちの私は今までしなくていい苦労をたくさんしてきた。マイノリティであるが故の、マイノリティ理解しようとしない社会にいるが故の苦労を、もう他の人にしてほしくない。

トランスの方は遠くの精神科に通っている、大変だ、という文を見つけて悲しい気持ちに浸る。私だって。私だって未成年のうちから精神科だけで年間10万を超える出費、高速道路で行かねばならない距離精神科まで2週間に1回通ってるわ、県外まで行ってるわ。精神科に通わないとまともな生活が送れない私は、簡単保険にも入れない(持病の人でも入れるやつなら入れるけどさ)。

まれるのは慣れている、踏まれた時に感情的になるのはすごく分かる、でも何でもかんでもヘイトだと叫ぶのは…

4.トランス女性が亡くなった話

本当か嘘かという野暮な議論はするつもりがない。もし誰も亡くなってなかったのだとしても、亡くなったという文章を書かせるほど精神的に追い詰められたということだから

その上で、「こちらでは死者が出た、お前らのヘイトのせいだ!」と各方面に言うのは違うということを言いたい。まず、どの陣営に居ようがどの思想だろうが、ヘイトあかんよという大前提を思い出して欲しい。そしてそのヘイトを、ある主張の全員がしていたわけではないことも。

違う話題の時にヘイトをしたくせにと詰るのも違う、詰りたかったら@をつけるなと言いたい。議論が追いにくいのだ。

4-1.人の死をもって、生きる人の口を塞ぐな

人の死をもって一貫した文脈で人の口を塞ぐのは良い。でも違う、今ツイッターで見るのは「人の死をもって、話し合いを拒絶する」だと思う。

「友人のトランス女性が亡くなった」のブログ理由に怒るフェミニスト達、彼女たちは素晴らしいと思う。実際に私はツイッタートランス女性へのヘイトを見ていないため(何度も言うがあまりツイッターを見ていない)、どれ程のものだったのか私には分からない。怒れる彼女達はそのヘイトを見ていたのだと思う。

私がその怒れる彼女たちを見て思ったことは一つ;「私が死んだら私の意見は通るの?」

私が死んだら、私がもし「セルフIDで分けるなんて、怖くて生きていけない!」と言って死んだら、どうなるのだろう。

※そんなことは全く思いもしていないが例えである

冷酷なことを言うが人は死ぬ10年以上自殺未遂自傷ODを繰り返してきた私が断言する、人間死ぬ。いとも簡単に。

ヘイトで亡くなってしまった女性がいるように。口を塞がれて死ぬ女性もいる。

もし私がツイッターランドでそこそこ有名なアカウントで、「ヘイトだ」「お前のせいでトランス女性が死んだ」だなんて言われ続けたら、あと半年前なら、多分死んでたと思う。自死を選ぶ。半年前までの私ならいとも簡単に死んでいた。

死ぬ死ぬ発言脅迫からしたくないけど、そちらも同じことをしていないか?少しゆっくりと考えてみてほしい。

4-2.どれがヘイトに値したのか

genderという意味MtFの方に男だと言ったのならばそれはヘイトだと思う。それはいけないこと。

だが、sexgenderを分けていない(ように見える)ツイッターランドで、なんかもうそ議論まだ続けるの?って呆れてしまっている自分がいるのも確かだ。

折角英語使えるんだから使ってこーよ!male, female,men,womenってさ。sex, genderとかさ。

Trans women are women.だよ。male, femaleという面での議論差別だというなら、議論が成り立たない。世の中には差別だと感じても議論をしなければ永久平行線なことがある。

お互いに自分の方が弱者で、相手強者だと思い込んではいいか。本当にそうなのか。どっちがどれだけ傷付いた、というのは議論になり得ない。ということをここに記しておく。

5.最後

思っていた100倍量書いた。自分が驚いている。こんなとこまで読む人はまあいねーな。いいんだ自己満から

アメリカ国籍の友人とこの間話したこと最後に書く、「日本フェミニスト感情的すぎだよ、伝わらない」

そうかもしれない。踏まれすぎて、怒ることを抑圧されすぎて、怒り方を知らないのかもしれない。

まともなジャーナリズム機能しない国で、差別蔓延り誰に踏まれたのか 何回踏まれたのかわからないこの国で、フェミニズム否定されるこの国で、私は生きていく。弱者として生きていく。

2019-01-07

anond:20190106220022

タイムパトロールぼん読んでないのか。

歴史に影響のない改変なら殺人も罪にならない。

逆に、歴史ターニングポイントに影響を与える人物は、それがどんなにショボい内容でもタイムパトロールは手出し出来ない。

例えば、石を蹴った結果それが歴史的影響力のある偉い人を助けることになった・・・とかね。

2018-12-26

右翼左翼について

右翼日本に昔から居る人間左翼は新しい人間という

考え方があるのを聞いたが、全くもってそのとおりである

日本戦争に負けた時、それと同時に日本は滅亡したのである

有史以来、一度も対外戦争で負けたことの無い日本が負けたのだから

これまでとは違う日本人が出てくるのは当然である

まり、今の日本敗戦後の新しい日本人と

敗戦前の古い日本人が混じっているのである

右翼の敵である左翼などというもの

右翼共が戦時暴走して日本敗戦に導いたがために生まれた賜物であろう。

君らが失敗しなければ左翼など生まれなかったのである

日本史において、最大のターニングポイントは二つある。

一つは開国二つ目敗戦である

この間の時代日帝時代という人間もいる。

近代国家に成長した日本敗戦を受けて、全く違う国になった。

かに形式的には風習や慣習が残っては居るが、

やはりその精神はもはやこの世界から駆逐されたともいえる。

そしてその駆逐された精神を取り戻そうという運動は滑稽他ならない。

この世界から駆逐された精神はどこをどう探しても見つけることはできない。

ましてやそののちに生まれ新参者が見よう見まねで真似したところで

それは中身の無い妄想に過ぎない。

2018-12-09

ゴルフスイング

どうやったら真っ直ぐ飛ぶようになった?

おまいらのターニングポイントレスしてくれ!

2018-11-20

カルロスゴーンによる2回目の日産救出劇だった

後日、真相が明らかになるであろう、ゴーン氏逮捕真実である

今回のカルロスゴーン氏の逮捕劇は、帰国便が周到にカメラ撮影されるところから、歯切れのよい西川CEO記者会見まで、非常によく準備された逮捕劇場であった。

金融商品取引法違反逮捕ということだが、実態を見ていくと、専門家の間でも「逮捕するには軽すぎるのではないか実態としてそこまでのものではないのではないか?」という意見が上がり始めている。有価証券報告書虚偽記載をしていたとしても、日産側で源泉徴収をしているのだから脱税にはなっておらず、ゴーン氏に大きなメリットが無いというのがその一つだ。

なぜ今なのか?

これは、ルノー日産経営統合問題が絡んでいることは間違いないだろう。過去経営不振の影響から日産筆頭株主は、ルノーであり、また、ルノー筆頭株主フランス政府だ。ルノーが本腰を入れれば、日産フランス政府企業となってしま可能性が強く存在しており、日産三菱自動車、何より日本政府の長年の悩みの種であった。

この統合問題2018年水面下で急速な進展及びターニングポイントを迎えていることは、定期的に報じられていた。

今回(いちおう)法律違反という立て付けで逮捕が行われたことで、日産および日本政府にとって、ルノーとの経営統合問題が有利になったことは間違いない。犯罪者CEOとして任命していたフランス政府責任論も出てくるだろう。

では、誰がこれを仕組んだのだろうか。

西川CEOだろうか。ルノーとの統合を憂い、西川CEO特捜と手を組んで起こしたクーデターだろうか?

これが表向きにはしっくり来る。非常にしっくり来る。。。

しかし、何かが腑に落ちないのはなぜだろうか。

昨晩の会見では、西川CEOは、動揺のようなものがなく、覚悟を決めた節が感じられた。また、自身経営責任を問われてもおかしくない中で、最初から最後まで徹底して、ゴーン体制批判した。ゴーン体制への批判は、記者から質問ではなく、自身言葉から語られていたのも印象的だ。

( ゚д゚)ハッ!

ここで大きな仮説を一つ。

「実はゴーン氏は、日本企業としての日産を愛していたのではないか?それを守りたいと思っていたのではないか?」

そう。

これは、ゴーン氏が20年来の日産復活劇の最終章に用意した、2回目の救出劇だったのだ。

ゴーン氏は、フランス人としての矜持からルノー社を救いたいと思っていた、これも事実だと思う。しかし、ここにきて、フランス政府による統合圧力が非常に強まっていた。

事実ゴーン氏はこれまで何度も統合に対して否定的な態度を取っている。これは非常に不思議である。実務的な難しさはあれど、フランス人のゴーン氏が、ルノー社へ日産統合したいと思ってもおかしくはなかった。ゴーン氏の態度次第では、すでに日産フランス企業になっていたかもしれない。

では、単純に退任すればよいのだろうか。単純に退任すれば、フランス政府統合推進派のCEOを送り込んでくることは目に見えている。

決断を迫られたゴーン氏は考えたことだろう。愛してしまった日産をどうやって救えばよいのか...

自身悪者になり、この場から退場すればどうか?」

犯罪者として解任をされたとすれば、フランス政府も強い立場には出られなくなる。日産側に交渉カードが増えることは間違いない。

当面の統合見送りになることは間違いないだろう。

...

こうして、西川CEO特捜日本政府、ゴーン氏による救出劇が行われたのである

ゴーン氏よ、ありがとう

2018-10-26

anond:20181026120703

電車男は明らかに仕掛け人がいて作られたコンテンツだったわけで

まりそれ以前にオタクコンテンツ化していけるって空気はある程度あったわけだ

やっぱりターニングポイントエヴァあたりだと思うな

2018-10-20

千田氏の問題提起説明してみる

はじめに

 キズナアイNHKウェブサイトにおいてノーベル賞解説記事に登場しておりましたが、そのことをきっかけに、千田有紀氏などが指摘をし、さまざまな方面から千田議論に対する批判が寄せられ、さらには社会学のものに対する批判もされているところです(これらをキズナアイ論争と呼びます)。

 ですが、そのざまざまな批判を読んでいると、「これって実はコミュニケーション不足で、伝わっていないんじゃない?」と思うことが多くなりました。いろいろあって社会学を学んだ人間として、それはちょっと悲しいなという思いがあったので、千田氏の問題提起ちょっと分かりやすくお伝えできればと思います

筆者の立場

 筆者は、社会学修士号を得ています。今は大学から離れているのですが、離れてそう長くはありません。専門は千田とも重なる領域家族ジェンダー)もありますが、教育メディアでした。

本稿のスタンス

 あくまで、千田問題提起がどのようなものに基づいて行われているのかを解説するもので、その意見妥当性とかは議論しません。私個人としては、千田立場に立てば理解でき一理ある議論ではあるが、だからといって、それは多くの人の理解を得る話法ではないし、その背景事情を一切踏まえていないのは、学術的に一定ポジションにある人のする作法としては疑問を感じているというところです。また、千田学術的貢献はいろいろな批判があるようですが、私は一定程度は評価しています

 なお、アカデミック作法は基本呼び捨てですので、ここでも、基本千田として書かせていただきます

千田氏の問題提起について

 キズナアイ論争のはじまりは、千田投稿記事です。https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/]

 ちなみに、現在10月13日)、追記もなされており、社会学者にはそれなりに分かる文章にはなっているのですが、一般の人はなおのこと分かりづらいことになっています。後に公表された、『「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて』記事による補足を踏まえて、まず、千田議論の要点をまとめてみましょう。

 (1) キズナアイNHK解説記事において「相づち」をする役割となっている

 (2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 (3) 従ってキズナアイ解説記事における役割は、従来の女性が担ってきた役割を担っていることになる

 (4) そのことは、理系と呼ばれる分野で活躍する女性などに対して、好ましい状況を生むようなものになっていないのではないか

というところに整理できるかと思います

 社会学特にジェンダーフェミニズムを学んだ人だと、この4つの間を頭の中でこうかな?と繋ぐわけですが、普通の人はフェミニズムを体系立って勉強するわけでもないと思うので、「はて?」となるわけです。更にいえば、一つ一つの要点が「え?!」という感じになるかと思います

 千田議論理解するためには、とりあえず(1)は正しいものとして引き受けておいてください。そこが正しくないとなると、そもそも議論の前提が崩れてしまい、議論そもそも成立しなくなってしまうので、ご理解ください。

千田議論理解するための知識

千田議論理解するためには、いくつかの知識必要となります。一つは、千田の専門でもあるフェミニズム、もう一つは会話分析というものです。順に簡単に紹介しておきましょう。

社会学とは

 社会学は、社会対象とした学問です。といえば、早いのですがそれではよく分かりませんよね。社会学は、社会がどのように成り立っているのか、つまり社会の秩序はどのような形で形成されているのかを探求する学問です。例えば、古典的社会学特に日本戦後社会学では「農村」が特に注目されました。農村における人々のネットワークや、家族の在り方、そういうものに関心を持っているのが社会学です。

フェミニズムってそもそも

 フェミニズムを正確に定義することは困難ですが、フェミニズムを雑にまとめると、「女性地位を向上させようとする取り組みであったりそれを支える理論」というような言い方ができると思います歴史的には大きく2つのターニングポイントがあったとされています。それが「第1波フェミニズム」と「第2波フェミニズム」です。

 第1波フェミニズムは、1900年代ごろ、19世紀から20世紀へ移りゆくタイミングに起こりました。西欧諸国で主に婦人参政権を獲得する運動が中心に展開され、1920年代にはイギリスアメリカで実現をすることとなります。(ちなみに、日本はというと戦後婦人参政権が認められるようになるのですが、新婦協会青鞜社運動は同時代運動です。)

 第2波フェミニズムは、1960年代頃、社会運動が盛んになった時期に、女性らしさへの問い直しが運動として行われます代表例ではキリスト教社会では長らくタブーとされていた中絶合法化が挙げられます。また、この時代には女性が自らの自由に性を語るということが積極的になされるようになります

 いずれにせよ、その理論根底には、女性男性と同等の状況にないという認識に立っているということがあります

 第1波フェミニズムで焦点化されたのは、法律社会制度というものでした。第2波フェミニズムはというと、法的制度平等であっても、職場ではお茶くみに甘んじてしまっているし、男性と同じように性を語ることはできないというような、日常性差別特に焦点を当てていくようになるわけです。

 現代は第2波フェミニズムの延長線上にあります。#Metoo運動を始めとして、第3波フェミニズムがやってきているというような主張も時折みるのですが、第2波フェミニズムより後のフェミニズム運動について、多くの社会学者が納得しているような分類はまだ確立していないのが現状です。

マルクス主義フェミニズム

 上野千鶴子理論などを理解する上で重要キーワードが、マルクス主義フェミニズムです。そういう立場だと、だから上野千鶴子はそういう立場なのね、と理解できます千田議論もとりあえず、マルクス主義フェミニズム解釈すると、理解がしやすくなると思いますので、こちらを説明します。

 (フェミニズムにはさまざまな立場があります。ラディカル・フェミニズムリベラルフェミニズム等です。フェミニズム一枚岩ではないと、理解しておくと良いでしょう。)

 マルクス主義フェミニズムとは、先ほど、フェミニズム女性男性と同等の状況にないという認識に立っていると説明しましたが、そのような社会状況を生み出しているのは、今日資本主義社会システムなのであるといいます。で、これを理解するためには家父長制というキーワード理解しないといけないのですが、本題より長い解説になるので、そこら辺は上野千鶴子の『家父長制と資本制』をとりあえず参照してください。

上野理論を厳密に言うと、上野は、従前のマルクス主義フェミニズム教条的であるということで、それを乗り越える必要があると、主張をしています。)

 シンプルにいってしまますと、そのシステム資本制)の成立と密接に性差別を生む家父長制制度が続くため、性差別再生産(半分マルクス主義用語ではありますが)されていくということになります

会話分析

 会話分析というのは読んで字のごとく、会話を分析するというものです。まずは、社会学会話分析がなぜ重要になってくるのかをエスノメソドロジーというワードを使って説明したいと思いますそもそも社会学社会秩序はいかにして可能かを明らかにする学問です。そこで出てくる問いの一つにこの社会生活を営む人びとがやっていることを、研究者はどのように理解できるのかという問題です。

 この問題に答えたのが、ガーフィンゲルという人です。ガーフィンゲルエスノメソドロジーという手法提唱しました。エスノメソドロジーというのは、日常生活している人々が言動をどのように理解し、成立させているのかを、日常生活している人々の視点に立って記述するという手法です。

 エスノメソドロジーは、私たちの当たり前が、いかに「うまいこと」成立しているのかを見せてくれます。例えば次のような実験は非常に有名です。

A(被験者)「おはよう! 調子はどう?」

B(実験者)「調子ってなんだい?」

A     「いや、元気かどうかってことだよ。」

B     「元気かどうかって? どういうこと?」

こんな調子で話されると、本当に調子おかしくなりそうですが、こういう実験します。ここで浮かび上がってくるのは「調子」という言葉が、体調や近況を意味しており、それをお互い分かっているという「期待」をもって、Aは会話をしているということです。このような形で、秩序が形成されており、それらは記述可能な形で示すことができるとするというのがエスノメソドロジーです。

 会話分析の多くはこのエスノメソドロジーの考え方を踏まえて行われます。つまり、先ほどの会話のスクリプトのようなものを読んで、そのなかで、AとBはどのような「期待」をそれぞれ持っており、そこにどのような秩序があるのか? ということを考えているわけです。

千田議論を振り返ろう

 冒頭で、千田議論を強引に4点にまとめました。ここまでの道具を用意すればある程度説明ができます。それぞれの項目ごとにみていきましょう。

(1) キズナアイが「相づち」をする役割となっている件について

 そもそも実在人物は「先生役」とNHKサイトでも記載がありますように、ここで想定されているのは「先生」と「生徒」というコミュニケーションです。したがって「生徒役」となるキズナアイ基本的に「相づち」をする役割に当然のことながらなるでしょう。そもそも「生徒」の方が詳しいというのなら、「先生」が「生徒」の役割を担うことになるはずですし、「先生」と「生徒」という形で双方「期待」をもっていることは分かります別にこれが、男子生徒であろうと、まあこういう会話になるだろうなという感じではありますよね。

(2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 これは、先ほどのフェミニズム議論が役に立ちますお茶くみとかの補助業務に当たっていたということは、先の説明でもしましたが、今日でも、「相づち」をする役割は、女性となっていることが多いです。例えば、新春の、一体誰がみるのかよく分からない県知事が語る!みたいな番組がありますが、あのとき大抵女性アナウンサーが話を聞いたりしていないでしょうか。このとき女性アナウンサーは、多くは男性である知事に対して、その発言がしやすいようさまざまな配慮をしながら、質問を重ねていきます

 そこでは、主役はあくま知事です。アナウンサーが主役となって、知事いじめていくというような内容になっていないでしょう。これが、でも、田原総一朗との対談だったらどうでしょう。一気に様相が変わってきますよね。また、地元財界知事の対談だったらどうでしょう。そこに「相づち」はあっても、「相づち」をする役割知事の対談者は決して担っていないと思います。会話の主体になっているわけですね。地元財界の人が女性でも、この場合だと「相づち」の役割はまあしないかと。

 ここでポイントになるのは、知事一方的に語るというような形式を取る時には、女性アナウンサーがその役割を担うことになり、他方、双方共にしゃべる場合には、女性活躍機会が途端に減ってしまうというということです。これは、私たちイメージレベルでも大体共通しているのではないでしょうか。(もちろん、個別具体で違う話も多く、徹子の部屋黒柳徹子をどう評価するかは難しいところですが。)

 もちろん、これは、女性知事と同等の立場役割を担っている機会が開かれていないから、そのようにならざるを得ないという側面も当然ありますが、男性アナウンサーがそうそうなっていないということは、一つこのことを証明するものであるとも言えます

(「相づち」をする役割も高度な役割であるということは決して忘れないでください。)

(3) 従来の女性が担ってきた役割キズナアイ

 ここで、議論はもどってきて、キズナアイは「生徒」役ではありますが、「先生」の発言を引き出すという意味で「相づち」をするということで、記事トップにも出てくる主役のはずが、補助的な業務を担わされていることになります。このときキズナアイ女性と見なすと、これまで女性が置かれていた立場女性積極的に前に出られる環境制度上はなっているにもかかわらず、結局はそうはなっていないという状況と重なる部分はあるでしょう。

 再び、徹子の部屋黒柳徹子イメージすると良いかも知れません。徹子の部屋における黒柳徹子は独特の立ち位置で、徹子の部屋を見て黒柳徹子は単に「相づち」をうつ役割だけではない、ということが理解できるでしょう。なんなら、黒柳徹子の方が目立っていたりします。対談の形式が、黒柳徹子お客様を招いて話をしてもらうというホストであるためであり、従属的関係になっていないというところに、このキズナアイ対談と徹子の部屋の決定的違いがあるのだろうと思います

 そうして比べてみると、キズナアイ女性役割再生産するということになったというわけです。これは、性別役割分業を進めていくものであり、女性にとって活躍の機会が減ってしまうというのがフェミニストたちの主張と結びつけて考えることが可能なのです。

(4) 活躍する女性への影響

 この時、女性は従たる役割を担わされるわけで、その期待が持たれます。そうなると、女性は、主たる役割を担える存在なのにもかかわらず、その期待から、従たる役割を担い続けなければならない、そういった状況にはまってしまうのです。そして、そうした悪循環から脱却しなければならない、というのがフェミニズム基本的な主張です。

 このような女性観で考えられると、女性にとって好ましい立場ではないという千田の主張はそう的外れものではないということは理解できるでしょう。

千田氏の議論の失敗

 千田議論をするという状況を作り出したことでは成功していると評価できますが、その議論の中で、自らの論理妥当性を提示し納得してもらえたかというとそうではないと思います。後の対応によるところも多いのですが、それは、実は最初きっかけともなった記事の一番最後文章であると私は考えます

なお10月3日、9時の時点で、スマートフォンから見ると、キズナアイバストショットしか見えない(パソコンでは、へそなどの下半身が見える)。

 この一文が最後にあることで、キズナアイの見た目(容姿)を問題にしたいのか、と思ってしまう人も多いと思います千田氏は、後の議論でも、キズナアイ役割に焦点を当てており、容姿問題にしていないといっているのですが、冒頭の太田氏の議論あいまって、多くの人が混乱したと推察します。そもそもキズナアイってあくまAIであって性別を超越した存在なはずなのに、性別二元論に回収されちゃうのって、なんだかなと。

 さらにいえば、表現問題に回収してしまったのがかなり難しい問題にしています表現問題にすると、結局妥当表現は何かということに行き着き、その線引きは複雑になってしまい、誰も理解できなくなるため、神々の審判でも仰がなければ、なんとも言えないと思います

 まあ、この発言が全てのオチかと思います

本人が個人的に自説を語るのは「自由」の範疇だが、それを公共空間に置いたらどんな意味もつのか、少しは配慮すべきだったのでは?

https://twitter.com/chitaponta/status/1051615591004438529]

YUIMETAL

スーパーで夕飯の買い物をしている最中LINEの通知が届いた。

BABYMETAL新体制のお知らせ」という件名を見て、とたんに胸騒ぎがした。嫌な予感だったから、ボタンを押すのを何度かためらった。


結局、後回しにしても結末は一緒だと思ったので、買い物かごの野菜を袋に入れるついでに、LINEを開いた。

YUIMETALが脱退したニュースを私はそうやって知った。

そのまま家に帰り、風呂に入り、泣いて夕食を食べて、今少し落ち着きを取り戻してこれを書いている。


私がBABYMETALにハマったきっかけは、サマソニ2014の出演者紹介ビデオのギミチョコMV

不敵な顔で客席を煽る女の子の顔を目にしたかである

それがYUIMETALだった。

それからはよくあるメイトの話といっしょで、昼夜YoutubeLIVEビデオあさり、一週間後にはアルバムを買って

サマソニに参加した後は幕張に申し込んだ。

イベントホール最上階で見る米粒のような彼女たちのパフォーマンスに心打たれた。以来4年間、ずっとファンである

私はラウド系の音楽が大好きで、独身のころはよくモッシュピットでその場の有象無象がもみくちゃになる激しいライブが大好きだったが、

BABYMETALライブで初めて、地蔵になるファンの心境を理解したし、実際自分がそうなった。

ノリのいい爆音の中で、体を動かすことより彼女たちのダンスから目が離せなかった。

そういう体験BABYMETALが初めてだった。


本当は彼女活動中にこういう記事を書くべきだったが、私は心底YUIMETALのダンスに惚れた。

彼女ダンスは、静と動の緩急が見事だった。

私はダンス素人批評できるほど色々を知っているわけではないが、

激しく頭をふったかと思いきや、音ハメをするステップ乱れることもなく、

時ににこやかに時にクールに表情を作る彼女プロフェッショナルだと思った。

マニアックな話だが、彼女ダンスの中で私が一番好きなところは

ヘドバンギャーという曲の最後最後操り人形がこと切れるように、腕を持ち上げてぶらぶらと揺らす振付の部分だ。

彼女たちのことを良く知らない人に説明すると、BABYMETALライブは毎回ほとんど同じ曲で展開するが、

パフォーマンス中は曲転換の演出を除いてトークなしのノンストップライブである

およそ一時間半ほどのライブ中、インターバル3分程度の状態で、十数曲やるのが彼女たちのライブスタイルである

スポットライトや火柱などの演出の中、たまにバラードバンドソロを挟むとはいえ、ずっと踊りっぱなし、歌いっぱなしになる。

その運動量は凄まじいの一言に尽きる。

ヘドバンギャーは大抵ライブラスト前など、最後のほうに持ってくる曲だ。

BABYMETAL振付PerfumeMIKIKO先生がほぼ振り付けている。

ヘドバンギャーのダンスは、ジャンプ土下座などのダイナミックな振付から

先のMIKIKO先生らしい上半身の、特に腕の先までビタッと止める動きまで多様だ。

曲の中で腕をまっすぐ伸ばしながらも、肘から下をぶらぶらさせて

段々と力を抜いて座り込む一連の動作を見ていて気付くのだが、

YUIMETALはこの四年間ほとんど、あらゆるライブにおいて

持ち上げる腕を水平に保つ、姿勢を保持する長さが変わらない。

ピタっと水平のまま持ちこたえて、ゆっくりとしゃがみ込む。

その間の腕は吊り下げられたかのように持ち上げられ、キープされている。


真夏酷暑の中のフェスステージだろうが、パイロの炎をガンガン焚いて観客まで熱風の餌食になった幕張だろうが、

90分ノンストップで繰り広げるどのライブステージでも、タイミングは変わらなかった。

疲れていれば、腕を早く下してしまうほうが楽だろうに、彼女はそういうことをしなかった。

どの状況でも、いつものベスト振付を全うする。

そういうダンスへのプライド垣間見れるようで、私はそのパフォーマンスを楽しみにするようになった。

私といえば毎回のライブの総括としてそれを見逃さないように躍起になった。

祈るような気持ちヘドバンの腕の角度を見ては、その夜のライブもいいライブだったと満足するのが常だった。


YUIMETALのダンスは、上半身が激しい動きをする中一切下半身をぶらさな体幹の強さと動きのキレ、

バランスを保ちつつも、着地の位置まで決まっているかのように無駄のないステップなど

あらゆる点が華麗だった。

何度も上演する曲を、私が想像できないほど修練したのだろうと思う。

まりにも洗練されているので、見ていて重力を感じることがないほどだった。

そういう彼女パフォーマンスを、私はいつも楽しみにしていた。


YUIMETALのBABYMETALからの脱退はショックだ。

しかし、彼女は恐らくとても自分を強く持つ女性だということは、パフォーマンスの端々で感じていた。

その人が、あんなに大成功したグループを抜けるという意思を持ったら

これはもう何があっても覆らないのだろうと思う。

彼女がどんな夢を叶えたくて、あるいはどんな事情があって脱退するのか、私にはわからない。

でもあらゆる状況でも素晴らしいパフォーマンスをやり遂げた人が意思を持ったら

それは貫かれるものだと思う。

から彼女の脱退を承認した、このバンドに関わる全ての人に、彼女意思尊重してくれてありがとうと言いたい。

SU-METAL、MOAMETAL、そしてマネージメントスタッフにはこの状況下で、ひっそりと新体制リリース準備を進めたことは

頭が下がる思いだ。


私は来週、幕張イベントホールBABYMETALライブを観に行く。

奇しくも初めてBABYMETALライブを観たのと同じ会場だ。

大好きなYUIMETALはいない。そのダンスは二度と見れない。

新しい体制となったBABYMETALを、私は目撃しに行くのみだ。



BABYMETALは、パフォーマンス以外の意思表示の機会は少ない。

ファンとして感じていたYUIMETALの信念を、意思の強さに、私は心底惚れていた。

一回り以上も年の違う女性に対して、同じ女性として尊敬をしている。

彼女の体調の詳細は知らない。回復を祈っている。

水野由結の名義で発表されたメッセージどおり、己で決めた自分の夢に向かって、これから突き進んでいてほしいと思う。

これから人生女性としてのターニングポイントは多くあると思うが

どうかあなた未来が素晴らしく輝いていますように。

夢を見せてくれてありがとうあなたファンより。

2018-10-08

キズナアイ問題どこまで行くんだろうな

のうりんのアレもそこまで表に出ないで沈静化されたし今回もネットの一部でのボヤで終わるのかな。

個人的には今回の騒動はアホくさと思ってるし、ホッテンに上がってるのを見ると付いているであろうブコメの論争を勝手想像して疲れる。

もう見てるだけで疲れたので、自分の思っていることを適当増田に吐いて明日からもっと明るい話をブックマークしよう。

一連の騒動で思ったことを無理やり詰め込んでるので、話が唐突だったり繋がってなかったりすると思うけど適当脳内補完してください。

自分としては今回の騒動はその辺にあるネット炎上案件の一つに過ぎないけど、もしかたらここがターニングポイントになって後のネット上の大きな対立構造が今この時確立されるんじゃと思わなくもない。

その対立構造

フェミニスト vs ミソジニストなのか

フェミニスト vs オタクなのか

男 vs 女なのか

若者 vs 年寄りなのか

は分からないし、こんな簡単カテゴライズで済む話ではないのは分かっているけども。

個人的には「解説男性女性は聞き役に徹しろみたいな風潮考え直しませんか?」的な話には同意なんだけど、「キズナアイNHKの今回の聞き役に相応しくないだろ」的な意見は間違っていると思ってる。

事の発端の社会学の人はあくまNHKを叩いているんだと言っていたけど、どう見てもオタクキズナアイも一緒に叩いていたし、オタクに叩かれてキズナアイ叩きは本質じゃないと言うにはちょっと無理があると思う。

で、ここでいうオタクって多分男で2次元大好きなキモメンの事をイメージして使ってるんだろうなと雰囲気で察してたけど、「ファッションオタクが増えたよな」とオタク同士が言っているように

アキバ適当に歩いてても目につく様に電車男時代ステレオタイプ的なオタクって全体の比率的に減っていて、その辺の高校生も「俺オタクだわwww」と自虐なのか自虐に見せてオタクステータスみたいなよく分からないことを言ったりする。

しかも、オタク=男の概念ちょっとずつズレてきていて、動画サイトの普及なんかで女性でも普通に深夜アニメの話するようになってる。それが10年前自分高校生だった頃の認識。今はもっと若者に普及していることだろう。

はてなではなぜか女性オタクという概念無視されているように感じていて、女性オタクって腐女子の事でしょ?みたいな人も割といると思う。

でも女性でもオタクコンテンツは好きだけどBL別に…って人自分の周りに何人もいる。

そういった人たちに対して「オタクコンテンツオタクちんちん気持ちよくなるために作られている女性の敵だ」みたいな事言っても意味が無いと言うか、女性オタクコンテンツを好きになってはいけないのか?みたいな別の話になってくる。

自分はその立場にいないので全くわからないけど、女性オタクの人たちは今回の騒動を「オタク」側で見ているのか「女性」側で見ているのかどっちもなのか知りたい。誰か教えて。

そういった背景を無視してオタクキモメンを前提に「オタクは~」と言い出すと必要以上に多くの人を参戦させるし、実際意味もなく炎が各所に広がっているのを見るとそうなんだろと思う。

あ、勘違いしないで欲しいのは別に最近一般人オタクコンテンツに触れてるからオタクキモメンじゃないよ!」と変な擁護をするつもりはないよ。

こんなところでオタクキモオタだけじゃねぇ!みたいな事を言うヤツの滑稽さは知ってるつもりだからキモオタ現代にもまだ存在する。そこの意識を変えるつもりはない。


そんでもって最初の方に書いた「女性は聞き役というジェンダーロールを変えていくべき」については自分は何も言うことはない。それは正しいと思っている。

だけど「キズナアイ性的な特徴を持っているのでNHKに出すな」的な意見については間違っていると思っている。

ただし、そこから先の「キズナアイ性的なのか?」の話は各々の「性的」の閾値が異なりすぎていて面倒くさいので、今回は省略する。

ぶっちゃけkawaiiエロイの明確な線引が自分にはわからない。ちなみに自分の中ではキズナアイkawaiiに分類されている。

そして、例えキズナアイエロいのだとしても(エロいの程度は人それぞれだけど)、今の状態キズナアイNHKに出演しても何もおかしくないキャラと見た目だと思っている。

しろ少しでもエロい要素があれば表に出してはいけないという前提がおかしいと思う。それこそサザエさんなんてパンツ丸出しの子がいても国民アニメだし。

18禁でない以上、そこから先の「相応しいかどうか」は主観の話だし、自粛するかどうかは出す側の問題だと思う。

そしてそれはあくま自粛であり、「表に出してはいけない物」ではないと思う。だから自分は一部がどう言おうとキズナアイNHKに出てもいいと思っている。

例えばこれから股間が不必要モッコリしているBLVTuberが出てきたとして、NHK教育番組に抜擢されたとしても「出すべきではない」にはならないと言うのが自分意見です。

世間からキモいという意見は出てくるかもしれないけど、それはあくま意見であって「出してはいけない」理由にはならないしなってはいけないと思う。

しかすると案外LGBT配慮した素晴らしいキャラとして讃えられたりしてね。

個人的にはおっぱい性器ではないので俗に言う乳袋に対して股間モッコリならどうなんだ!って意見ちょっと違うと思っている。

自分のこの騒動に対しての立ち位置とか書いちゃったけど、何が言いたいかと言うと、この話このまま進むと

フェミ vs 男、もしくはオタク」のシンプル対立構造と思って戦っていると「オタクコンテンツ親和性のある若者(男女共に)」という第三の軸が加えられて、若者との分断が広がり更なる地獄に発展するんじゃないのって危惧です。

考えただけでも疲れる。はてなと一部の界隈だけで収まらいかなこの話。

オタク架空キャラクター人権を主張した(!!!

https://togetter.com/li/1274053

二次使用が許諾されているキズナアイモデルに「フェミニストキズナアイです。女の子の体は、女の子のものです」と喋らせる動画作成して炎上した件。革命的な流れになりつつある。

オタクが。あのオタクが。架空キャラクターキズナアイの「「「「「権利」」」」なるものを想起して、彼女人格はどうなるんだと主張している!!!これはすごい進歩ですよ!!!!!

これまでオタクは星の数ほどのキャラクターを使って裸に剥いたりセックスさせたりもう好き放題やってきたわけで、フェミ文句をつけようものなら「これはただの絵だ」と鼻で笑ってきたんですね。キズナアイ薄い本だって既に量産されているし、散々ズリネタにしてきた。架空キャラクター人格権に言及するオタクなんて全くいなかった。

そのオタクがですよ。オタクの大好きなキズナアイが「フェミニストです」と、ただ一言話すだけの動画を見ただけで急にリベラルに目覚めて、フェミみたいなことを言い出したわけですよ。オタク、超お気持ち駆動じゃん!めっちゃ面白くないですか。これはなにか大きなターニングポイントになる予感がします。

2018-10-01

[]7

世間内定式らしい。去年の自分を思い出す。あの時も大学院適応障害フラフラしていた。

人に相談しながら物事を進めるのが得意じゃない性分は思えばかなり昔からだ。

中学の時はそんなに苦にした記憶はなかったんだが、あれは間違いなく塾の対応が良かったからだ。

集団塾だったが宿題のわからない項目の質問時間を授業内に設け、皆気兼ねなく質問していた。

その雰囲気に乗っかれたことが一番要因として大きかった気がする。

実際個人的質問に行ったことは一度とてなかった。単純に解説を読むなり設けられた時間理解して解決できていたというのが大きいが。

高校は周りの出来の良さと自身の出来の悪さに質問どころか勉強することを放棄してしまった。

大学教員になるという大義名分しかなかった。

大学院は専修免許を取るという大義名分だった。

思えば年を経るにつれ心的状況は悪化の一途だったし、何をやるにしろ自信がどんどん失われていく。

結構いろんなところで自身性格形成ターニングポイントはあったんだなぁと書きながら思う。

今後いい方向に修正できるものなのだろうか。

2018-09-26

anond:20180926104541

ずいぶんと長いこと女性向け男性同士のポルノヤオイと言って山なしおちなし意味なしと卑下しなければならなかったが、そのポルノ自体卑下からはようやく脱却し、自らを腐ってると自虐することに移行してきた。その自虐自虐ではなくなったきて、堂々と宣言しはじめてきたのを見ると女性ポルノと性欲を勝ち取ってきたのだと思える。

やおい」と「腐女子」はそれぞれ意味が違う。「やおい」の代替として生まれたのは「BL」だろう。

(因みに「やおい」と「BL」も当初は意味が違ったが。「JUNE」と言う言い方もあったね。それぞれ意味が違うよ。)

今でこそ形骸化してる雑誌アンアンセックス特集最初の衝撃はすさまじく、女に性欲があることを宣言する一つのターニングポイントだった。

その前から多数あった非オタク向け女性向けエロ雑誌存在無視されても。

セックス特集自体エロ雑誌ではない有名女性誌でもそれ以前にも多数あったし。

アンアンは「有名男性芸能人を脱がせたグラビア載せた」「女性向けAVDVDをつけた」って所が目新しかったけど、目新しかったのはそれだけだよ。

あとアンアンは中身の大多数は割と真面目なセックスハウツーであって、ただのポルノではなかったりする。

知識無いのに適当な事言ってんなー。

LGBTと性欲とゾーニングのこと

まず、昨今のLGBTQの動きと性の多様性を認めようという動きにわたし賛同している。

休刊が発表された新潮45ではLGBTと題しながら、同性愛クローズアップされて語られた。それは、同性愛が性欲の話になるからだと思っている。

両性愛からすると恋愛を、同性しか愛せない、異性しか愛せないと語ることは、人格ではなく性別恋愛対象をふるいにかけることを肯定しろという発言性差別にも思えるある種暴力的な言説ではあるが、それでもその言説が支持されるのは、性的欲求対象個人の理性でコントロールすることは、人間もまた性的動物であり不可能であることを認められているからだ。

人間の性欲を尊重しようということだと思っている。

フランス1789年人権宣言宣言したように

第4条(自由定義権利行使限界) 自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって、各人の自然的権利行使は、社会の他の構成員にこれらと同一の権利享受を確保すること以外の限界をもたない。これらの限界は、法律によってでなければ定められない。
第5条(法律による禁止) 法律は、社会有害行為しか禁止する権利をもたない。法律によって禁止されていないすべての行為は妨げられず、また、何人も、法律が命じていないことを行うように強制されない。

他害しない限りは自由は守られるべきことであり性欲はその人そのものに根差すものだ。だから性愛対象区別する権利、性欲を他者に抱かない権利、すべての対象に性欲を抱く権利、性欲を抱かない権利を、加害性がない限り肯定されるべきことだと思っている。

日本明治以前は同性愛に寛容だったのは性欲を悪とする価値観がなかったからだ。明治以降のキリスト教的な価値観によって性欲が恥ずべきものにされていった。

まり生産目的ではない快楽を求めるためだけのセックス道徳的によくないという価値観だ。このセックスを楽しむためだけのセックス道徳的でないといった価値観新潮45の論説に繋がる。

彼らにとって痴漢同性愛もはしたない行為であり道徳的ではないから同じなのだ

そして昨今のラノベの表紙もまた同じ問題になる。

子供性的ものを見せない配慮とは、責任を果たせない子供セックスをすることを推進しないためなのと、過激暴力描写現実ファンタジー混同やす子供には良くないといった理由であり、それは必要であると思っている。

ただ、それらを推進していない女性の体が強調されているだけの絵については、問題はないと考える。

気持ち悪いと切り捨て道徳を持ち出すことはかつて同性愛者を弾圧した言説と同じだ。

サイゼリヤボッティチェリヴィーナスの裸体のレプリカ絵が許されるように、露骨性的表現がされていない表紙も許されるべきである

性欲で誕生した我々が性欲を否定することは愚かでしかない。

日本では明治以降に抑圧された女性の性欲を漫画が勝ち取ってきた歴史がある。

ずいぶんと長いこと女性向け男性同士のポルノヤオイと言って山なしおちなし意味なしと卑下しなければならなかったが、そのポルノ自体卑下からはようやく脱却し、自らを腐ってると自虐することに移行してきた。その自虐自虐ではなくなったきて、堂々と宣言しはじめてきたのを見ると女性ポルノと性欲を勝ち取ってきたのだと思える。

今でこそ形骸化してる雑誌アンアンセックス特集最初の衝撃はすさまじく、女に性欲があることを宣言する一つのターニングポイントだった。

気持ち悪いと道徳モラルを持ち出して性欲と性的まなざし否定し、ゾーニングを推奨する人々をわたしフェミニズムだとは思わない。

anond:20180926105206

いやだからヤオイBLとなってその創作物自体卑下する段階を抜けて、それを愛好する自分への自虐に移行していったことを言ってるので、同一視はしてない。

JUNEがまた別であることもわかっているよ。

アンアンの衝撃については鴻上尚史著作と当時の新聞評論からなので、間違ってたら申し訳ない。あとアンアンについてはポルノとは言ってない。

anond:20180926113659

24年組風と木の詩からの流れを持ったJUNE女性二次創作が爆発的に増えたキャプ翼聖闘士星矢で広がったヤオイが元々が別なのはわかっているよ。

ここらへんの知識中島梓の「コミュニケーション不全症候群」の影響が強いので絶対とは言えないが、違ったことは知っている。

ただそれらがBLに吸収されるより前にまだヤオイと広く使われていた時代腐女子自虐の広がりは同時期だったと認識してる。

追記14:21

性的まなざしを通した視点性的欲求自身に齎す存在表現することを「主体性のないモノ」扱いにしていると否定規制させようとすること自体が、性的抑圧行為同意味だと思っている。

そして性的まなざしを通した表現は男女に差がなく溢れている。なぜそれが正常な状態ではないと断言できるのかその根拠がわからない。

2018-09-14

anond:20180914095208

郵便局は現状かろうじて中立だけどじわじわ失敗に落ちそうな感じ

と書いて思ったけど長期間だとどこまでが政策成功失敗といえるのか

まぁ郵政民営化は明らかなターニングポイントではあろうけど

2018-08-20

anond:20180820040656

かなり拙くて分かりづらいけど前バイオメガについて書いた増田があるからまずURL貼っとく。

https://anond.hatelabo.jp/20160124183345

僕が思うにデビューからシドニアまでの弐瓶作品で起こることは作品が違えど同一世界の出来事だと捉えている。そしてBLAME!世界シドニア世界はがっつり分断されている、まるで違う。

過程のうえでBLAME!で描かれていたような世界が滅びシドニア世界が生まれターニングポイントがあって、それを描写したのがバイオメガなんだと思う。

先の増田で書いたようにバイオメガはしぶとく生き延び世界支配しようとするガウナの脅威や、庚造一の旧態依然とした態度と新世界様相を対比することでなお強調される、合成人間という存在の拠り所のなさ、そして一貫して人間味を感じさせないアンチヒーローであった弐瓶作品主人公が復物主の世界転送後は唯一人間らしい存在となる関係性の逆転などが見受けられる。メタ的に捉えればバイオメガ後半は舞台をがらりと変えることで自らの作風を逆説的に洗い出す作業だったのかもしれない。

バイオメガシドニアの前日譚だと僕は思っている。復物主の発芽に伴う地球での人類文明崩壊によりシャトル避難したものの成れの果てがシドニアに出てくる人々だと。

そしてフニペーロと造一の共闘やフニペーロとニアルディの対峙する様はシドニアストーリー示唆している、というかシドニアデモストレーション意味合いがあったように見える。(加えて言えばABARAで描きたかったものBLAME!世界ハルマゲドンかもしれない、するとその点でバイオメガ前半のデモ版といえるのではないか。)

ガウナの復物主ももとは何らかの思念体でそこに植物に近い驚異的な力を持った肉体が付与された生き物なのだろう。

ニアルディが復物主に融合しようとしたり吸収されたりしたのはニアルディが思念束という相手意識に入り込める能力を持っていたからで、思念体を乗っ取れば自由自在という目論見が逆に自分相手に乗っ取られてしまったというわけだ。

シドニアでエナ星白やつむぎが誕生できるのも、シドニアに出てくる人型生物植物に近い肉体を持っていて、ガウナとの肉体の親和性の高さから思念を共有することが可能だったってことなんじゃないだろうか。

バイオメガの大筋はDRFという世界征服を狙う悪徳企業の討伐で、世界が復物主の物になっても幅をきかせているDRFボスニアルディ(とそれを吸収して操る復物主)」を復物主の子であるフニペーロの力で倒すというオチなのね、多分そう。復物主とフニペーロは同じものから出来ているから融和した。造一との旅でフニペーロは強くなってたから復物主の思念体が飲み込まれて消えた。僕はそういうことにしている。

なんにせよ僕が確信するのはバイオメガを描いたからこそ、弐瓶勉はシドニア以降のスタイルに移行できたのではないだろうかということだ。

とりとめのない妄言になってしまって申し訳ない。

トップをねらえ!を30年前に見ることができた幸せ

久々に見たくなって引っ張り出してみた

今見てみるとそれこそ使い古された手法ばかりに感じるかもしれない

これが30年前のアニメなんだよと説明しても、昔からこういうアニメがあったんですねくらいで済まされるかもしれない

でも違うんだ

当時だって宇宙ロボットアニメはいくらでもあったけど、それまでのロボットアニメは、例えるならベタ足で殴り合うような戦闘シーンしかなかったんだ

戦争だというのに、サーベル一本でちゃんばらをしているようなそんなアニメばっかりだった

から、広大な宇宙空間縦横無尽に駆け回り、今までの常識をぶち壊すような火力で敵を焼き払っていくガンバスターの姿には心底痺れた

自分の中の常識が立て続けに打ち壊される衝撃は、痛みどころか快感ですらあった

以降どれだけ話題アニメを見ても、これを超える衝撃を受けたことはかつてなかった

あたりまえだ

この作品こそが、現存する色々な名作の原点になっていると言えるのだから

今の人達が、いくらこの作品を見たところでその感動を得ることはないだろう

今の世界ではすでにそれが当たり前で、常識が打ち壊される瞬間に立ち会うことは不可能から

あのとき自分の中で歴史が変わったとは思わなかった

まりも周りの常識が強すぎて、世の中に受け入れられるとは到底思わなかったからだ

でも、久々に見たこ作品に携わる人間名前を見るとこの作品が世の中にとってどれだけのターニングポイントになっているかがわかる

その瞬間にリアルタイムで立ち会えたことは幸せ

いまではその歴史価値しか作品からは感じられないかもしれないが、それでもよいという物好きな人にはぜひおすすめしたい

岡田斗司夫という人間がどれだけ人の心を弄ぶことに長けているか、その身で感じることができるはずだ

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