はてなキーワード: ターニングポイントとは
30代女だけど私も似たような経験がある
中学生の時、学校の出し物で当時大流行していた青春アミーゴをクラスのみんなで楽しく踊って撮影して上映会をしよう!っていうことになったんだけど
女子で振り付けをまったく知らないというのは私と生徒会長のたった2人で
頭脳明晰で運動神経抜群の生徒会長はすぐさま振り付けを覚えたけど私だけ何回やっても覚えられなくて当日涙と鼻水を垂らしながらぐねぐねと奇怪な動きをすることになった
私が小中学生の時ってジャニーズに興味がないのは私みたいなアニメばかり見てるブスで根暗なキモヲタかスポーツに打ち込んでる爽やかボーイッシュ女子くらいで
普通の女の子らしい女の子(流行に敏感でおしゃれ、コミュ力高い)はジャニーズが好きなのが当たり前で共通言語であり
その共通言語を持たないのであればスポーツの成績で尊敬されるとかそれ以外に誇れるものがないとクラス内で最下層に所属することになるっていうイメージだったから
最近「弱者女性の趣味と言えばジャニーズ」「ジャニヲタは弱者女性」「鉄ヲタの対義語はジャニヲタ」みたいに言われてるのを見ると
ええっ!!?ジャニーズと言えば強者女性の趣味では!!?と驚いてしまう
どこかでターニングポイントがあったのだろうか?K-POPの影響?
クラシックの作曲家は同性愛者が多いとされている。同性愛者のほうが優れた作品を残しやすいという研究すらある。
昔は同性愛者カミングアウトの習慣がなかったため、死後に周辺人物から「実はあいつは同性愛者だった。私もヤラレた」と暴露されるケースが多い。
そして数は多くないが、同性愛の相手が少年だったケースもある。ここで紹介する事例はいずれもジャニー喜多川同様の性加害だった可能性が高いものだ。
ある貴族の甥と肉体関係を持っていたが、その甥の年齢はなんと14歳。ジャニー喜多川のストライクゾーン(13〜15歳)と同じである。
チャイコフスキーの死因は諸説あるが、その一つがこの性加害について当該貴族から告発され、裁判所から自殺勧告を受けて自殺したこととされている。
アメリカツアーの最中に出会った13歳の少年をホテルに呼び出して性加害をしていた話がある。キスと首筋舐めの話までだが、その先もやってるのは容易に推測出来る。
この少年はその後作曲家デイヴィッド・ダイアモンドとして性交、いや成功を収める。ダイアモンドは同性愛者であることをカミングアウトしてるが、ラヴェルによる洗礼が大きなターニングポイントになっていた。
連休の始まり、私は普段の日常から一つの大きなジャンプを試みることに決めた。それは、一流のシェフとの野球対決だ。シェフと野球? その組み合わせの不思議さが、私の心をくすぐったのだ。
私たちのスタメンは、高学歴の友人たちと私。逆に、シェフたちは彼らの料理の腕前と同じくらいの野球の技術を持っているという。試合前の練習時、私は彼らのパフォーマンスに圧倒された。しかし、チャレンジ精神に満ちていた私たちは、勝利を目指すことに決めた。
試合の日、スタジアムにはガチャのような驚きと興奮が満ちていた。シェフたちは彼らの得意技、すなわち料理のテクニックを駆使してボールを投げ、打つ。野球帽に取り付けられた小さな料理のツールや、グローブに隠れた調味料のボトルなど、彼らのアイディアには驚かされた。
私たちも負けてはいなかった。高学歴の知識を活かし、相手の動きを分析した。ジャンプ力やスピードを計算し、ボールの軌道やバッターの打撃傾向を予測。それによって、何度かのアウトを取ることができた。
試合中盤、私はマウンドに立った。その時、空に流星が輝いた。まるで、勇者が魔物と戦う場面のような瞬間だった。その流星を見て、ターニングポイントを感じた。私は最高のピッチングをし、三者三振を達成。
試合の結果、私たちはシェフたちには敗れたが、その後の経験は私たちの絆を深めた。その夜、シェフたちが特別に作った料理を囲んで、私たちは山のように盛り上がった。連休の終わりに、一つの新しい絆が生まれた。
そして、この経験を通じて、私は自らの人生における新しいターニングポイントを迎えた。それは、チャレンジすることの大切さや、異なる背景や職業を持つ人々との絆の深さを学ぶ機会となった。
この連休の出来事は、私の人生の中で最も印象的なものの一つとなった。結婚やキャリアの進展と同じくらいの価値があると感じている。なぜなら、人生の中で最も価値のあるものは、経験や学び、そして人との絆だと思うからだ。
※ChatGPTで作成
「憧れ」とか言うけど、マジでその生き方したかったのか?本当か?と思うんだよな。実際は大して何も考えてなくて、今一番イケてるスタイルらしいからなんかそういう感じになりてえな〜くらいの頭空っぽなノリなんじゃないの?と思う。世の中そんなもんなんだろうけど。
個人的には、「りゅうちぇる」の件がターニングポイントで子育て至上主義の歪みが溢れ出すことになったと15年後くらいに総括されるのではと思ってる最近は。
https://anond.hatelabo.jp/20220827155414
巷では「ゆで理論」とか「ゆでたまごだから……」の一言でバカにされがちなゆでたまご先生だが、最近のシリーズの話の展開を見るたびにそのストーリーの構成力というか、腕力というか、力技でも納得させる力には感服させられる。
今のシリーズでは本来は生来不変のはずの超人強度が、なぜかキン肉スグルを始めとしたアイドル超人(とその対戦相手たち)は時に本来の超人強度以上の力を発揮するが、それが友情パワーとか火事場のクソ力とか言われるもので、それが故に世界の均衡を乱し……と話が繋がっているのだが、もともとこのあたりの設定が固まったのが王位継承編の初戦、マリポーサチームと戦う中で敵のミキサー大帝の能力でキン肉スグルから火事場のクソ力が分離される描写があったのが始まりだと思う。
元々スグルは超人強度95万パワー程度のはずが、全員が5000万パワー以上を誇るマリポーサチームになぜか連勝する、という謎に対する答えが火事場のクソ力というブースト能力の存在で、それを奪うためにミキサー大帝の必殺技でスグルから火事場のクソ力だけを分離し、邪悪の神々の力も借りて封印する、という話の流れだったはず。うろ覚え。
ここで注目すべきはミキサー大帝の能力で、彼は文字通り家庭用のジューサーミキサーに手足と顔がついたような形で、胴体のジューサー部分に犬をいれてスイッチを押すと中が回転し、骨とそれ以外(肉と毛皮)に分離して取り出す、という技をデモンストレーションで行う。
これを利用してスグルから火事場のクソ力を分離抽出するのだが、まあそういう話のために出てきた超人なのでスグルには勝ったものの次戦で名前だけの大将と思われていたアレキサンドリア・ミートに負けるというお前本当に5000万パワー以上あるんか、という退場の仕方をする。いや、これはこれでいい戦いなんだが。
だがここで注目したいのは、ミキサー大帝はこの火事場のクソ力の定義のために登場したとおぼしきキャラだということだ。
このあたりで超人強度と強さの設定が固まり、新キャラが出ては超人強度でその強さを表現し、こんなの勝てっこない……と思わせてからの大逆転勝利、なんでだよ超人強度にすげぇ開きあるじゃんと言われてもいやいや友情パワーと火事場のクソ力でブーストされてたからですよ、という話がスムースに繋がるようになる、大きなターニングポイントになった。
そしてその後数十年を経てまたその設定を元に話が動いているのである。
つまりミキサー大帝はそういう設定を無理なく説明するためのギミックだったと捉えることもできる。
そうなるとここで1つ、大きな疑問が出るのだ。
「ミキサーってかき混ぜるための機械であって、分離するものじゃないよな……?」
私は子供のころリアルタイムで読んでいたが、全く気づかなかった。つい最近になり、ようやく「?」となったのだ。
聡い人たちは気づいていただろう。
そして多分、ゆでたまご先生だって分かってやっていたに違いない。(少なくともお絵描き担当の方のゆでは)
だが、考えてみてほしい。
既に超人オリンピック、七人の悪魔超人、マッスルトーナメント(タッグマッチ)と人気を博してきた長期連載のテコ入れとも言える新設定の導入にあたり、その説明のために出すキャラに、説得力がありそうでよく考えると全く無い技を使わせて話を転がすというその度胸の凄さを。
そしてそれを描ききり、特にフォローも説明もせず流し、そして話を進めて行く強さを。
やれジェロニモが分身しただの(説明ついたけど)、やれザ・ニンジャの戦績が3戦3敗3死亡だの(更新されたけど)、和式便器のフォルムのベンキマンがなんで古代インカ出身なんだだの(解明されたけど)
そんなことに突っ込んでるのがアホらしくなってくる剛腕である。感服するしか無い。
なお余談だが30年ほど前ゆでたまご先生はジャンプフェスのゲストとして登場した際、会場の子供からの質問コーナーで「どちらが『ゆで』でどちらが『たまご』なんですか」と聞かれ、嶋田先生のほうが「僕が『ゆでたま』で彼(中井)が『ご』です」と言っていた。
アニメ化された頃には作品に冷めてるということがよくあるんだけど、推しの子久々にアプリでまだ読んでなかったところ読んだら、インターネットで全てを分かった気になる人みたいで萎えた
一応自分の言ってることは実体験の裏付けがあるようにしてるんだけど、それがあるのか疑わしい推しの子
三田紀房作品にも、ひろゆきや落合陽一にも通じることなんだけど
「ざっくりとでいいからズバッと言って欲しい」
「分かった気にさせてくれるコンテンツが好き」
推しの子からそういうにおいがプンプンして全然好きになれない。今も昔も
僕の言ってることとか考えてることはそれはそれで偏ってるので、ご指摘やお叱りも受けるのですが…実体験かデータもしくはその両方がある上で言うようにしてるから、推しの子は「さもありなん。されど偏見多し」みたいに見えるのよ
嘘だったとしても本当だったとしても推しの子の、85から89話ぐらいは読むのしんどいわ。
何て言えばいいの?
作者の偏見か、もしくはブラック企業に勤めた人の愚痴か、インターネットでよく書いてあるマスコミの悪口?
そういうのをひたすら聞かされてる気分になって不快
単行本半分ぐらいの尺なのに
テレビが面白くなくなってるのは、コンプライアンスのせいだみたいなことを言ってる現場関係者って本当にいるのかね?
なんならコンプライアンスをテレビが守ってると本当に思ってんのかな?
推しの子がインターネットに書いてあるテレビへの偏見を集めて作ってるようにしか見えない。(90話感想)
テレビが面白くなくなった分岐点は2006年の結婚できない男を見ればすぐにわかります。
2006年の深夜アニメってめちゃくちゃ面白かったんだけど、テレビドラマは80年代90年代から価値観がアップデートできてないままずっと来てる。
テレビが面白くなくなった。理由はつまり、テレビ自身が変化できなかったからです。
その結果、テレビが栄えた年代やテレビに出演する人の階級、そういうものを描くことしかできなくなっちゃって「おじさんがおじいさんおばあさんのために、芸をするとこ」
になっちゃったの。
アニメや漫画は常に子供のために解放している。部分と大人のために上に積み上がっていく部分と両方はある。
でもテレビって子供の頃にNHK とか朝のアニメ見た後に10代20代に見る番組って深夜アニメ以外なんだよって話になってくる
なんかテレビ番組内で原因の究明とかディレクターの謝罪とか、そういうのを企画としてやれば面白いんじゃないか?みたいなネタなんだけど…まずテレビが1億パーセントやらんやろ
子供も騙されない。
マスコミ様、そんな聞き分け良くないよ
マスコミの取材のヤバさで有名な話っていっぱいあるけど、噴火の取材をしていて非難している民家を漁ったり、マスコミから町を守るために立ち上がった消防団の人達まで後に発生する噴火事故に巻き込まれたりそういう事件があったんですよ
2017年にコミック百合姫編集長がインタビューに応えた時の男女比は、男6:女4
梅澤 もともと百合というジャンル自体が、少女マンガや少女小説の流れから作られてきました。なので当初は女性の読者が多かったんです。百合の歴史でメジャーなのは、古くはたぶんアニメ『美少女戦士セーラームーン』ですね。女性も男性も百合萌えしていました。長く活躍されている作家さんで、セーラームーンで百合にはまったという方は多くいらしゃいます。次に大きくヒットしたのが小説『マリア様がみてる』。男性読者が「百合を楽しむ」という作品の読み取り方を知ったターニングポイント的な作品だと思います。
百合の魅力は、男女どちらも楽しめるところですね。成り立ちが似ているBLとの違いでもあるのですが、いまの百合は、男性にも女性にも読まれているのがおもしろいところなんです。強みでもあると思っています。男性読者は箱庭的な世界を外側から覗き込むような視点で楽しんでいらっしゃる方が多いのかなと感じます。女性読者は同じ女性の物語なので、もうちょっとリアルなものとして読まれているようです
梅澤 いわゆる日常系として楽しめる部分もありながら、きちんと百合萌えもできる作品ということで、『ゆるゆり』から百合にはまった方も多くて、そこで読者の男女比が逆転しました。少しずつ女性が盛り返してきていますが、いま男女比はだいたい6:4くらいです。前編集長の中村成太郎が立ち上げた『百合姫』の前身の『百合姉妹』時代から、13年くらい百合の編集をやっているのですが、百合作品がテレビアニメとして放送される時代が来るなんて想像できませんでした。本当にマイナーなジャンルで、読者の方と作家さんに細々と支えられて続けてきた印象なので、まさかここまでと……。
私は普通の働き方をしてない。
正社員で8時間とかそういう時代もあったけど色々あって出来なくなった。
まあ試行錯誤してるときに親の借金問題や死別、そして付随する色々な問題などで家族がバラバラになるはずだった。
なんでならなかったというと切羽詰まった親が自分の家を売り払って(片方が死んでるので当時の価格で売ったら全ての借金帳消しの上数百万手元に残る予定)
人生ハッピーになろうとしていたが、立地と需要がミスマッチ過ぎて頓挫した。
そこら辺で兄弟が各々独立する予定だったので、お荷物の私は従兄弟かあるいは公営住宅で生活するはずであった。
結局兄弟が私を含めて見切りをつけて栄光への脱出を決める前に親が
「他の資産売って兄弟への負担を何とかするし、家事もやるからいてくれんか?」
と頼んだらしい(それでも兄弟は独立しようとしたらしいが目処がついたので現状維持)
私は正直蚊帳の外だったがまあ年を重ねるにつれて皆寂しくなったから家族で暮らすことを容認したみたい。
兄弟も親も昔の覇気や我がなくなりなんとなくの惰性で動いている。
ifの話だが高校選びや就職活動のときに持ちかけられた話に乗って一人暮らしできるようになってたら兄弟とともに家を出てただろう。
もうこれは頭がどうかしたとしか思えない話なのだが、私は小学生のときにその選択を選んだ人生を見た。
それなりの広さのアパートに帰ってきて兄弟と今日あったことを話していると電話がなる。
見たことないが既視感がある番号を見て夢の中の私は嫌な気持ちになりながら電話を取ると向こうから声がかかる。
「〇〇、〇〇。家にこないか?散らかったものとかも片付けたし、お前たちの部屋も前見たときよりきれいだ。
✕✕(兄弟の名前)は連絡するなと薄情なこと言うがお前は気が弱いが優しいし~」
横目で兄弟の顔を見ると臭い顔をした後ジェスチャーで「もう辞めろ」と指示を出した。
私は「もう連絡してこないでくれ。各々自由にやれと言ったのはあなただろ?」と言うと返事を待たずに切った。
そして兄弟と共に親が追ってこれない所に住居を移すことを決める。
場面が飛ぶと若干老けた顔をした兄弟が親が死んだことと遺産相続について聞いてきた。
私は事前に取り決めた通り相続放棄をして家族の縁を切ると言う。
兄弟はようやく肩の荷が下りたような顔をして「やっとあいつと縁が切れて良かった」と言う。
私はその話を聞いてるときに前日に親から涙ながらの電話がかかってきたのを無言でガチャ切りしたのを思い出して、何故か気分が清々していた。
そこで夢は終わった。
良かった~~!
無印アイカツ!からみましたが、見てなくても69.70話以外は問題ない構成に脱帽。
「スタートライン!」を構成の念頭に置いたような「夢は見るものじゃなくて叶えるもの」を体現するゆめ。
でも、決してゆめ1人だけでは叶えられなかった夢を叶えるストーリーがすごく刺さりました。
エルザが求めた「太陽のドレス」、説明の回で「1人だけが手にする」とは一言も言ってなかったので、もしかしたらゆめが決勝で覚醒させるんじゃ…?と思ってましたが、まじで。Music of Dream!!のサビで覚醒させるのはズルでは?と思ってしまった。
私の中の藍染惣右介が「一体いつから太陽のドレスは1着だと思っていた?」って言い出して悔しい半面すごい感服しました。
太陽のドレスを覚醒させる条件が、「ドレスを着るアイドルが輝くこと」と思っていましたが、個人的にはそうではなくて、「人を照らす事が出来るアイドル」という条件、エルザは一見独善的に見えて、実はレイたちヴィーナスアークのアイドルからしてみればまさに太陽だった。一方で虹野ゆめはストーリーで描かれるように、自分ひとりじゃここまでこれなかったけど、自分がここに来るまでに信じて助けてくれた仲間がいたからこそ、「照らし、照らされるアイドル」として太陽のドレスの覚醒条件を満たした。
決勝の勝敗を分けたのは、それを自覚していたかどうか。そんな気がしました。
真昼は準決勝で負けてしまいますが、ゆめと戦いたいという気持ちを自覚し、下馬評でも自覚の面でも負ける可能性の方が大きいと思いながらも、負けたあと「悔しい」と思えることが素敵ですよね。
「実は真昼に負けた時すこし悔しかったんだよ?」と伝える夜空。
そこまで夜空は「真昼は私を越えてくれて嬉しい、もう自分の道を歩き始めている」と言い続けていた夜空の少しの本音を受け止めた真昼。
やっぱり、姉を引きずり下ろしてしまったことへの負い目的なのはあったのかもしれませんね。
なにより香澄姉妹が和解できたのが本当に良かったです。和解して放ったらかしじゃなくて、その後香澄家を掘り下げてくれたのも嬉しかったです。
小春のデザインへの想いを受け止めて完成した、いわば2人のドレスを皆の想いで太陽のドレスに覚醒させる。これは無印のデザイナーとアイドルの関係に似てますが、無印はアイドルの資質と努力でアピールの次元を越えれるか大きなターニングポイントでした。
一方で、ドレスが進化するという設定においては小春がデザイナーでありアイドルであるということが大きいポイントですね。小春も27代S4戦前には、「私もS4を目指す」とアイドルへの意欲も見せてくれました。結果も僅差って言ってるので、アイドルの才能もあるんですよね小春ちゃん。幼なじみの関係ではゆずとリリィも外せませんが、こちらは2人ともアイドルで、同じ道を歩むことを選びますが、一方でこの二人の関係はアイドルとデザイナーに近いですよね。そんな2人が2ndシーズンで再開する流れ、良かったです。
ローラは結局ゆめに勝つ舞台は少なかったですが、最初にゆめの実力、努力を認めた彼女がいなければゆめはS4になれなかったかもしれません。
「ライバル」でい続け、「仲間」でい続け、「幹部」として支え続けてくれたローラに、最後にS4で世界最高のアイドルのゆめがほんの少しのお返しでイギリスでのローラの活動を影ながら根回しする展開。
最後の勝敗を描かない演出もそうですが、ローラとゆめのライブじゃなくて、ゆめとひめの戦いを見届けてイギリスへ旅立つローラも粋です。
やり残したことが「ライバルの夢の先」で、その勝負を見届けることで本当の意味でスタートラインが始まるという最高のENDも良かったです。本当にローラという1人の少女がゆめを認めていたからこそゆめが太陽であれたんだと思います。
見終わってすぐなので拙い文章でアレですが、本当に良かった~~~!!
結婚してても人生に疲れるとそうなるから安心して(?)ほしい。
気が弱ると胃腸を病みやすい。そして胃腸を病むと食事がつらいし朝も気分が悪いから、余計に気が弱る。何も楽しめなくなる。
胃腸がスーッとするような薬を飲んで、少し気分を落ち着けて、そして医療機関にかかるなり思い切って長期休みを取るなりしてみてくれ。
自分も何年か前に全く同じ状態になった。ちょうど私も35の頃だ。
独身じゃなくても鬱にはなるし、妻の優しい声かけがあったとしてもますます惨めになることもある。
30代なかばは仕事や人生でターニングポイントになるようなイベントが起きたり、逆に起きなくて無自覚に焦っていたりしがちだ。
そういうときに「何も楽しくなかろうが無駄な時間を過ごしてみる」ことができるかが生きる上で大事だと思う。そうやって生きれば、また何か楽しみを思い出したり見つけたりすることもあると思う。
増田が少しでも楽になれる日を願っている。
○ご飯
○調子
・はじめに
携帯電話で配信されていたアプリをニンテンドースイッチに復刻したADVで、シリーズ化されているものの第十弾。
シリーズとしてはこれ以降も続いてはいくのだが、原作者である石山貴也が関わった癸生川凌介シリーズとしてはこれが最後となる。
そんなわけで、今までのシリーズで度々言及され、いろいろな人物のターニングポイントとして語られてきた永劫会事件が遂に題材になっている。
1999年に新興団体が絡む大量殺人、その新興団体の会員はまだいること、生王と癸生川の出会いのエピソード、生王がヤバいことになる。
そんな前置きを踏まえて今作は、新米刑事で殺人事件の捜査をする工藤貴樹、恋人の不穏な様子を探ってほしいと癸生川に依頼に来た石上雅人、その恋人妹浦澄佳、事件を嗅ぎ回っている謎の人物、都合4人の主人公の視点を行き来しながら物語が進んでいく。
そして全てのルートをプレイすることで真実が見えてくる構成だ。
まずは警察として王道の捜査を行う工藤貴樹パートは、聞き込みや調査で証言や証拠を集めていく安定の面白さ。
石上雅人パートではシリーズでは珍しく癸生川が同行するため彼の聞き込みの態度がじっくり楽しめるのが好き。今までも稀にはあったが今回は沢山あって満足。
謎の人物パートは流石に工数の関係かコマンド選択部分はかなりあっさり目で捜査結果を確認するような部分が序盤は続く。
とはいえ、スムーズで端的な捜査結果でありつつ、そもそもの目的が不明なため、この捜査の情報は何のためなのか? という大きな謎が物語を引っ張ってくれる。
このシリーズといえば最後の最後に癸生川や伊綱さんが今での過程を大きくひっくり返す展開が待っている。
今作でもそれは健在で、一気に事件を見る目が変える必要が出てくる大きな展開が待っている、それも何個も。
さらにそれが、今までのシリーズを遊んでいるからこそファーストインプレッションの解釈がブレる楽しさも、シリーズものならではの面白味だ。
特に今作は「生王と癸生川の出会いのエピソード」ということが散々言われて来ていることを踏まえるとなるほど納得である。
また、ちゃんとそれらの事実が今作のテーマに大きく絡んでおり、単なるサプライズに終わらないところが、このシリーズの妙だろう。
そんなわけでテーマの話も書く。
今までも多くの社会的な有り様を問うような問題を掲げて来たが、今作では被害者救済という重たいテーマが早々に提示される。
しかし、この被害者救済という重たいテーマを書き連ねてはいるが、今作ではその背後に明確な営利目的に起因する犯罪者の存在が用意されていた。
これでは答えの出ない問題に向き合った割には結局悪い奴がいたという、収まるべきところに収まっていたと思った。
それが悪いと書いているのではなくて、この社会的なテーマを扱っていて、各々の登場人物たちの苦悩や答えもキチンと表現されていて、読み応えはあった。
しかしながら、それはそれとして今作においては反論の余地のない巨悪が裏で操作していたと言われてしまうと、被害者救済のための自由意志すらも剥奪されるかのような、ある種、慈悲深いが故にそれを許されてしまったかのような勿体なさを感じてしまった。
行きすぎた被害者救済は良くないがその悩みに寄り添うことの難しさはわかるものの、今作においてはそれを誘導した全ての根源がいてソイツが悪いという展開で、その悩みからの行き過ぎた行為を罰せられることすらも許されてしまうのは、ある種発端となる加害行為と表裏関係にあるのかもしれないとすら思ってしまった。
もちろん大前提として発端となった加害者が悪いことは当たり前なのだけど、その先にある被害者救済のための行きすぎた報復の結果、それが平等に裁かれないのは、それはそれで差別的だと思ってしまった。
あくまで今作がそのような設定をとったことはエンターテイメントとして犯人を用意するミステリ作品のある種の義務なのだけど、その犯人による誘導に全てを委ねてしまうのは、被害者救済のための報復を誓った、その誓いの気持ちを無碍にしてしまうようなモドかしさがあった。
それが面白い/面白くなかったとか、フェアであるアンフェアであるとかではなく、魅力的で自立したキャラクタを多く描いている本作だからこそ、報復もまた犯罪と知りながらも被害者救済だと信じて犯罪をおこうなうような存在が、このテーマを描くにあたって期待してしまう犯人象だった。
これは単に僕が作者のやろうとしたことと異なる部分を期待してしまっただけで、繰り返し書くが面白い/面白くなかったという話をしているわけではない。
・さいごに
探偵・癸生川凌介事件譚シリーズを通して遊んできた。
総じて、アドベンチャーゲームというよりは、本格ミステリの文脈に近い作品が多く、それが好きな自分としては楽しめた。
携帯電話ゲームという制約もある意味プラスに働いていて、余計な不純物がないアドベンチャーゲームとして必要最小限ながら十分な遊びで楽しめた。(僕は、後半突然3Dダンジョンや脱出ゲームを遊ぶ必要がある類のADV極端に嫌う性質があるので)
シリーズを通してのベストは当然今作永劫会事件だが、作品の幅が広く多種多様な物語を楽しめた。
愛すべきマンネリとしてお馴染みの展開を繰り返してもいいものを、手を変え品を変え楽しませてくれたサービス精神も素晴らしかった。
以降も別の作者で看板はそのままシリーズがまだあり、そちらも復刻が決まっているため今後もう暫くは定期的にいつもの面々と会えそうなのも嬉しいところ。
部活の総体で全国大会に個人団体両方出たし、勉強も学年5位以内は常にキープしてたし、生徒会役員もやってたし、本当中学までよく頑張ってたな。
中学3年の身体測定で中学2年の時と身長が1ミリも変わってなくて、164で身長止まり、夏休み前に自分より小さかったクラスの男子ほとんどに身長抜かれた時がターニングポイントだった。「自分は女にモテない」ことが確定した途端、勉強もコミュニケーションも行事も何もかもやる気なくなった。服にも興味なくなった。偏差値72の県立高校目指して、中3に上がる前にTEL帳(通じるかな?)二周くらいしてたけど、そっから勉強しなくなって偏差値60の自称進学校に行き、友達も作らず部活も入らず、大学にも行かず就職もしなかった。成人式も行かなかったな。
日本人のヒステリーが正当化された、日本にとってのターニングポイントになる出来事だった。
RRD 2022/04/05 14:46
https://b.hatena.ne.jp/entry/4717731505904100130/comment/RRD
あれは監査委員が出した助け舟なので乗っておけば穏便に幕引きができたのに
(2)暇空とは関係ないけど会計に問題が見つかったから説明やり直せよ
(1)と(2)を組み合わせて落とし所を作ってくれたのだ
暇空には謂れのない攻撃を受けましたが、それはそれとして会計は適当でした。ごめんちゃい。なんならちょっとお金返すね。
これで終わるはずだった。
東京都側に立つ監査委員としては東京都の責任を最小限にしつつ、コラボを温存させ、尚且つ世論にも花を持たせるギリギリのシナリオだったはずだ。
ところがフェミとコラボと擁護者がバカだったので、(1)の棍棒で持って批判者に反撃だけやり返してしまったからさあ大変
提訴や会見もやるべきではなかった