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はてなキーワード: コンクールとは

2021-05-06

潰されたブログが真実を語るとき。

https://archive.is/gudachan.hatenablog.com

私はリアルタイムで読まなかったのでわからないが、これは潰されたブログらしい。

しかし、このブログが行った指摘で当たったことがある。それは「東京が、東京以外の地域に手を差し伸べる」ことである

おそらく増田の方々は、リアルタイムではNHK-FMの「午後のリサイタル」を知らないはずである。私も知らない。だいたい生まれていない。その出演の面々を見てみよう。もう、富裕層が勢ぞろいである。

https://www.youtube.com/channel/UCjVP-Pijo1tRkLmgE1ZjXQQ/videos

ここに出演する人たちに、田舎者地方人は一切入らなかったと推察される。今では大学院教授の方々もいる。NHKとはそのような組織だったのだ。恐ろしいまでの東京一極集中で、訛ったら潰すといわんばかりのゴールデンメンバーだ。腕前の怪しい人もいるが、腕前の見事な人たちが帳消しにしている。


それから時代がたって、バブル経済のころになると、「FMリサイタル」になった。このリサイタルは懐かしい。結構聞いたように思う。そのころから田舎地方出身演奏家NHK-FMは手を差し伸べてくれるようになった。関西在住の人間にも出演依頼をしたのだそうであるしかし、このFMリサイタル1990年代に入ると縁故を重視する方針のおかげで、レヴェルはひどく下がっていた。音大生レヴェルでもないよねこれというのもあった。NHK1990年代に悩んでいたはずである。こんな音源電波に乗せて、よく苦情が来なかったものである。そうしたら、放送時間帯は朝の5時になった。5時ならばれないよねって。ネットのない時代はこうしていた。


今その枠は「リサイタル・パッシオ」になったが、南は沖縄から北は北海道まで、とにかく音楽に意欲のある若者を釣る番組に変わり果ててしまった。底辺メジャーが受かってればまあいいかって選考方針なのだろうが、もうクラシック音楽をやる人々がいない。いないのに、どっからでも見つけてくるという方針を続けると、どうなるか?なんと、司会のトークが混じっているのである!音だけかければいいのに、余計なことをするせいで、番組はあまり面白いとは言えない。


もう日本人は国際音楽コンクールの話が一切できなくなった。台湾人にも負けるのだから当たり前である。そのくせ、一切の謝罪がない。こんな民族西洋音楽を渡すべきではなかった。西洋クラシック音楽は、あと20年後苦学するインドネシアミャンマー学生が率いることになるのだろう。暴力が起きれば響きが生まれるはずだが、いじめの多発する日本にその響きはもうない。


となると、NHK-FMが最も素晴らしかったのは「夜の間奏曲」を放送していた時代だったのかもしれない。私はあの番組でかけられたスコット・ロススカルラッティソナタ全集が楽しみだったことを、今でも忘れていない。自由に使えるお金がないので、コンパクトディスクが買えなかったのである電波の入り方も良好だったのでなおさらである

2021-05-04

anond:20200504195332

中学の時かなと思う。

日本音楽コンクール作曲部門投函する人に、大学院に在学中ですとか、シエナフランコドナトーニのマスタークラスにいますとか、パリ音楽院でジェラール・グリゼイについてますとか、そういうのを聞いたのが中学の時だよ。

小学校の時は、名前を聞いたが、何をするところなのかイメージできてないくらいかな。中学で間違いないと思う。


昔話で申し訳ないが、まだ大学院に行かないと何もわからないとか、そういうのは全くなかった。京大放任主義で「大学入学したら勝手あなたたちで勉強してください」時代で、早いやつは大学1年で将来の設計ができるのがいた。

1980年代常識だと、大学1-2年で没した数学者遺産はくみ取ってしまい、大学3-4年で存命の数学者アタック大学院1-2年で自分の同世代タイマン争いするってのが定番だったような気がするし、1950年代まれ教授もそうしているのが多い。

音楽も実は一緒で、大学1-2年で死んだ音楽家は全部覚えてしまい、大学3-4年で存命の作曲家を研究するのが定番だった。ちょうどメシアンケージ、アイネムやユンがなくなってしまい、そのあたりを大学2年までに知らないとダメで、大学3年以降は存命の作曲家、当時はラッヘンマン、ファーニホウ、ディトリッヒ、グロカール、シャッリーノ、サーリアホ、ディロンが攻略対象で、バーレットは日本人では誰も攻略できなかったんじゃないかな。


今日本人は退化してしまって、大学院の1年だとジェルヴァゾーニってとこらしい。こんなぼっちゃまおじょうちゃまレヴェルでは困るんだよねえ。大学院修士1年だと、クライドラーかステン=アナーセンでお願いしますよ。ほんとはサンダースかエカルまでやってほしいんだけど。ここら辺は博士の1年になってしまう。

2021-04-26

翻訳した

おいおいよしてくれ。

俺は天才だけどそこまで賢くはないよ。

俺みたいな天才の上には更に上がいる。

遊んでても、賞を沢山貰えるような超天才は世の中にはいくらでもいるのさ。

例えばニコラス・ツォルティスって作曲家を知ってるかい

ギリシャ出身現代音楽作曲家さ。

008年度の国際作曲コンクール(ウディネ、ヴィオティ、イヤープレイ、トンニ)の全てで優勝し頭角を現してきた俊英なのだ

こういう本物を見ると、人間って才能や能力個体差が激しすぎて、何なんだろうと虚しくなってしまうね。

anond:20210426152821

anond:20210426152247

よく「機会と環境さえあればそんなの誰でもできる」ってのあるでしょ。

それを実行したのが中国だと思ったほうがいいよ。

芸術から学術まで。

この間のバーゼル国際作曲コンクールの優勝も中国人やったわ。

どこからどこまでも中国人だらけになるわ。

2021-04-11

こっちのほうが良いよと

ボツにした(実際はそちらのほうがスペックが悪い)案を推薦してくる人が後をたたない

コンクールで入選するんだから、どんだけ、調査してあると思ってんだろう

というのがわかって

自分の案がだいたい一発採用なのに

他の人の案が、なかなか採用されないとぼやいている理由がわかった

ふざけんな

2021-04-05

anond:20180104132743

いかげん納得のいく理由を教えてくれ。

その理屈で言うと

子供山笠トーチトワリングよりも、語学プログラミングを教えろ」

ってことになるし、実際そうしてしま大人はいるだろうか?

日本ガラパゴス吹奏楽合唱よりも、厳格書法を教えろ」

ってことになるし、実際そうしてしま大人はいるだろうか?

古文漢文よりも、フランス語中国語を教えろ」

ってことになるし、実際そうしてしま大人はいるだろうか?

ベクトルよりも、初等幾何を今の倍やれ!それが国際標準だろ!」

ってことになるし、実際そうしてしま大人はいるだろうか?


これらは全然実現していない。

なぜ実現しないのか?

それは「今の大学生の9割が全然勉強していないから」だ。

もちろん彼らは結婚子供を産んでも子供勉強の面倒を見ることすらできない。


富裕層は2%しか努力しないといわれている。(ニッセイの国際コンクール支援奨学金受給者勝率)

富裕層10%しか努力しないといわれている。(田舎から大学受験勝利する確率)

(10+2)÷2=6で、まぁ日本人で努力するのは、たったの6%しかいないんだよね。

これでは古文漢文がなくなることは50年無いだろう。その程度の民族からね。

2021-03-28

基本的に 音楽美術がわかりやすい。

大学までいくのは、基本としても

小学校ウイーンコンクールに選ばれるやつもいる。ひとそれぞれ。

学校標準的震度に合わないと感じたら

全教科なら、学校進学校に帰ればいいし

1教科なら、スクールがある。

2021-03-23

anond:20210323165426

昔の富裕層って、結構真剣だったんじゃないのと思うことがあるね。

少なくとも1990年までは真剣だったんだろうね。

ところが、地下鉄サリン事件でこんな国でコンクールできないって言われて、日本国音楽コンクールがつぶれたあたりから下落してきた。

anond:20210323161040

実は、Youtubeで見える景色は広い。

もうNaxosYoutube提携してしまっているので、Jaenの優勝者は確実に聞けるし、ほかマイナーコンクールでもストリーミングは一杯やってくれる。(頼んでもないのに)

日本勢は見かけるけれど、1-2人を除いて苦戦している。

今年のエリザベート国際は、一次から全部インターネットに出る予定なので、みんな聞いてみるといいよ。

最初から海外とつながっている学問だと、あんまり東京関係いかもしれない。ストレート留学学部ってのも増えてるし。(30年前は本当にすくなかった)

anond:20210323011458

30年前だったらさ、小金持ちでも国際マイナーコンクールを苦も無く一発で優勝できたわけですよ。

ところが今は、マイナーも受からないでしょ。確実に、子供に甘くなってる。

むかし「全日本学生音楽コンクールチェルニー40番クラスは出場させない」とか言ってたのがいたけど、今それ小学校部門課題曲なんだよ。

Youtube配信してくれるから、今の東京勢がどのくらいかリアルタイムで聴けちゃうんだよね。

さすがの私も「これはやばい」って気が付いた。最近多いよね。メジャーからマイナーへの都落ち

あれほんときついわー。メジャーせっかく受かってんのに、なんでわざわざクラス落とすのよ。みっともないでしょ。

まともにショパンリストエチュードとかやってますかね?

2021-03-21

anond:20210320233647

たとえば生徒の中から何人かピックアップしてコンクール参加を打診することになったとき、成績優秀な優等生と手のつけられない不良とどっちに話を持っていくか、みたいなことは大いにあるだろ。

そりゃあ不良にも公平に接する聖人君子のような教師は素晴らしいけど、そうでなくたって人間なんだから仕方ねえよ。

ましてや編集作家は、教師と生徒のような非対称的関係ではなく対等なビジネスパートナーなんだから、仮に作家がめちゃくちゃロクでもない性格だったらさっさと縁を切るだろうよ。

これはまあ出版に限らずどの業種でも通じる話だわな。

2021-03-20

anond:20210320180807

ピアノヴァイオリンミスタッチが一番厳しかったのはぶっちぎりで1990年代だよ。

そのうえ曲も難しいしね。

2020年代ミスタッチには甘いような気がする。

みんなぼろぼろに間違えてるし、ジャン・チャクムルはおまけしてもらえていた。

ヴァイオリンも完全無欠の凄腕はもうコンクールに来なくなってしまっているかもしれない。

最近指揮者コンクールでも振り間違えてるのがいる。

衰えてるんだろうね。

anond:20210320181657

東京1990年代に頂点を迎えた。

東大絶対に解けない問題オンパレードで、東工大後期に至っては問題文の意味すら分からない。

どうやっても田舎者地方人に解ける水準ではなく、田舎地方は黙ってろという常識日本支配していた。


デュボワの「対位法フーガ」を常設していたのは1995年までで、京都大阪東京神奈川本屋だけだった。

ほかの地域にいる人は読むことすらできないばかりか、本の存在も知らなかった。

作曲家になりたいと思っても、教材すら手に入らない昭和馬鹿人間になるしかなかった。馬鹿でも、平然と街を歩けた。


デュボワの「対位法フーガ」はある日突然パブリックドメインになった。

「この本も、もう無料!」「ここに書かれている情報をわざと教えないことで、日本音楽界を操作していたのか!」残念な話だが、これは実話である

デュボワばかりではなく、プロコフィエフもあと3年でパブリックドメインなので、学部ピアノ科ならもう楽譜を買わなくてもいいかもしれない。

情報は一気にタダになった。


ただになった情報にどっと押し寄せ、中国人日本を倒しにかかってきた。

いくつかの局面では日本は敗北したのだろう。中国人ピアノコンクールで見ない日は一日たりともない。

それは東京が優秀ではなく「普通の人」の集まりであることが、中国人によって暴露されたことに等しい。

これに気が付いている日本人は少ない。

2021-03-11

anond:20210311194527

男のパラメータはなんかいろいろ書いてあるけど、ウェイトで言えば学生時代はほぼ見た目だし、社会人になってからはほぼ収入オンリーだよね。

それ以外がよっぽどダメでもない限り逆転はない。

優しい、に至っては本当にプラス評価なのかすら怪しい。

おしゃれ?ほんま?洋服代に月数万かける男と結婚したいん?って感じだし、

絵や歌にしたってそれが収入になるレベルならともかく、町内カラオケコンテストや町内美術コンクール入賞一般レベルから見れば十分うまい)ってプラス評価になるの?って感じだし、

無理やりひねり出した感がすさまじい。

2021-03-05

東京にすら文化教養がないということ

https://togetter.com/li/918117

増田民は長い文章を読むのが苦手なので、どのようにまとめるのかは悩んだ。少々長くなるかもしれない。

今の2020年代東京レベッカサンダースマートン・イレシュやカタリーナ・ローゼンベルガーやマークアンドレ演奏するオーケストラはない。(追記:2029年くらいにはだれか一人くらいは大丈夫かもというのはあります)

かつての東京はなんとかメシアンストラヴィンスキーとデ・パブロとタバシュニクは1980年代演奏できたようである。(追記:ミュライユではありませんでした)

どうして、こうなってしまったのか。それは東京文化教養が、もともと何もないかである

東京文化教養がないので、地方田舎は「ない人たちの追っかけ」になる。「知られてしまえば先を越される」ため、田舎にはメシアン楽譜はなにもない。ストラヴィンスキーすらない。地方だと、メシアンの名著は置いてくれるようだったが、全部ではない。東京にはそのすべてがある。

まり、「知られてしまえば先を越されるのが嫌」なので、東京の人たちはわざと地方田舎に本を置かないように工作をしていたというわけである。これを否定する人は多いが、本当の話である

単に西洋文化の盗人に過ぎない昭和東京の人たちは、「田舎より10年、地方より5年」進んでいることをえらいことだと思っていた。40年前なら情報統制を行えば、いとも簡単に引っかかったのである

ところが、スマートフォンの出現で、誰も引っかからなくなってしまった。

かつて高価な洋書だったものが、今では立派にパブリック・ドメインである。かつての東京芸大パブリックドメイン程度のことしか教えていなかったが、それでも授業が成立するほどにまで日本人全体が馬鹿だった。ところが、かたっぱしからなんでもpdfで落ちてくるのなら、もう芸大存在不要だ。

こうして、学部からヨーロッパ留学する日本女子日本男子より性成熟が早いおかげで勉強もはかどり、日本男子より先に国際作曲賞を取って帰ってくる。常に「先」であることに注目していただきたい。決して後ではない。これが性差である。賞獲りは日本女子のほうがうまい。曲も面白い

馬鹿がよく「改善策を出せ」と言うが、改善策は実はもうある。それは民主主義をやめることであるミャスコフスキー交響曲は27曲もあるが、あれは「地方学生オーケストラの体力づくり」のために書かれた作品である。指揮法の教材としても使える。実際コンクールに21番が出題されたこともある。こうまでしないと、文化の基礎力は育たないのである

しかし、ベクトル整数共通テストから出題されなくなった2025年に、この思想理解できる人は少なくなっていることだろう。「サンダース女性で初めてジーメンスの賞をとったんだからポリコレ女子はとったことに敬意を示して一曲くらいレディースオーケストラ日本初演しろ!」と言われたら、ここの増田民はどのように答えるのだろうか。おそらく、「ムカつく」という意見でいっぱいになるだろう。

ムカついている間は、永遠に地方田舎は衰退し、そのうちゴーストタウンもできて、東京文化も今後30年間はたいして変わり映えしないだろう。無職転生も、立派に日活ロマンポルノの焼き直しである東京人は創造から遠ざかっている。


レベッカサンダースマートン・イレシュやカタリーナ・ローゼンベルガーやマークアンドレ。さて。これら4人のオーケストラ曲をこのエントリを読んだ時点で知っている増田民は何人?

2021-03-04

2020年代で、もう2010年代の言説が通用しなくなる例。

https://mazmot.hatenablog.com/entry/2018/05/12/161932

2010年代後半ではこれでよかっただろうね。

やっぱり大都市地方の「文化教育格差」なんて、幻に過ぎないのだと改めて思う。

2020年代では、「幻」から「獣」に変わる。

なぜなら、教育とは人間の成長そのものであり、個別人間に即してみれば、それぞれの成長が異なっているのは当り前であり、また、その成長の様式もちがう。

この種の言論を真に受けたのがゆとり教育である。成長が異なっているのだから、もう文系ベクトル整数を教えるのをやめようといってしまった。整数は別のカテゴリ(論証)で出題できるので問題はないとされているものの、共通テストから2025年に削除されることが決まっている。成長が異なっているので、いくらでも削除しましょう、って。こうまで馬鹿にされた高校生の誰かが、成人したとき凶悪事件を起こすのは目に見えている。

田舎文化程度が都市に比べて低いなどというのは、寝言しかない。

地方都市だと、もう国際メジャー音楽コンクール優勝者は、来てくれない。4位か5位なら来る。格差1980年代からしっかりとつけられていた。地方なら4位程度でもまあばれないだろう、という奴。実際よっぽどのことがない限りばれない。ちなみに、「過去に非常に有名だった優勝者コンスタンチン・シチェルバコフ、アンドレイ・ガヴリーロフ)」なら、いくらでも北海道名古屋地方都市に来てくれる。

地元に定着している田舎暮らし系のアーティストたちは都会にもっていけば吹けば飛ぶようなレベルなのかもしれないが、十人前後の集まりで目の前で演奏してもらう機会、作品解説お茶なんか飲みながら作者自身がしてくれるような機会は、それなり以上のインパクトがあった。

飛ぶようなレヴェルだということを、今の子供はスマホで前もって学習してしまう。先取り教育というのを、なんと、児童が率先してやってしまう。「うわー、こいつ下手だなー」とかスマホをかざしながら言うわけであるスマホがなければ、インパクトがあるだろう。


結論


2010年代に書かれた文章でも、2020年代にはたちまち通用しなくなる文章になることが、令和の恐怖である。この恐怖に気が付いている日本人はまだ少ない。

2021-02-28

自分がどのような音に囲まれていたのかを抜き書きしてみる。その11

https://anond.hatelabo.jp/20210223005708

もうここまでくると、「音に囲まれた」ことではなく「情報に囲まれた」ことに近いではないかと思うが、私の中では依然として「音」なので抜き書きができると思う。

ピアノコンクールの待ち時間は、図書館相場が決まっていた。

審査まで待たなければならない。

そうすると、子供たちは、自然と近場の図書館に集まる。

あの図書館は閉館はしていないと思われるが、やはり、小さな図書館であり、その日はコンクールの結果待ちの子供でいっぱいだった。

毎年がこの調子だったらしい。

そこには、禁持ち出しの、最新名曲解説全集があった。

現在は、作曲家名曲解説ライブラリーとして改訂された本である

なぜ改訂されたのかは理由がある。それは、著作権法改訂国連から勧告を受けたため、存命の作曲家に関する記述が認められなくなってしまったのである

悔しいが仕方がない。音楽之友社は、急いで「作曲家名曲解説ライブラリー」として、著名な作曲家だけを厳選することにした。

しかし、まだ最新名曲解説全集がそのまんまの図書館は多かった。

どこの地方都市図書館にもあったらしい。

学校図書館にも多くあった。

そうしたら、どういうわけか、管弦楽曲Ⅳの項を読むことになった。どうしてそんな本を読むことになったのかわからないが、今の音楽家は何をしているのかなという意識が、中学1年ではあったんだろう。

そこには、クセナキスのアホリシス解説があった。

正確には思い出せないが、「この曲を理解するには高校3年から大学初年度の数学の専門知識必要で、ポアソン分布が」と書いてあった。

理系に進もうと思ったのはこの時だったに違いない。たった一冊の本人生が変わってしまったのである

かに本を読み続ける小学生中学生に交じって、私もじっと黙って本を読んでいた。

私の故郷の不気味な薬屋の沈黙というほどではなく、冷房が適度にかかった快適な環境で照明が明るかったことを思い出した。

はいまだにクセナキスのアホリシス生演奏に接したことはない。

2021-02-26

anond:20210226054004

偏差値とかで学科選ぶ

結局偏差値で選ぶことになってしまい、昔屈辱的な経験があった。

「ここの大学に行く」といったら、「お前はそこの教員も知らないのか」と説教をされたのである

日本から捨てられた街の増田と同じ問題が発生していた。要するに、バスが1時間に1本の田舎(むかしはもうちょっと本数があった)ではそんなものは知りようがないのである

今はインターネットでだれがどこの学部にいるのか全部スマホでわかる。

これほどまでに憎たらしいことはなかった。だから私は過去日本人を認めない。

例外はあって「国際コンクールアウェーグランプリなら無条件に信用する」ことにしているが、こういう人はまれ

anond:20210226032234

実は日本漫画大国音楽大国である

みんな言わないだけである

もう国際作曲コンクール日本人の優勝者は珍しくなくなった。

ほとんど出せない国もあるというのに。

2021-02-23

anond:20210223112534

私も買った。二次創作

文体が硬すぎて同人受けしないのは自覚してたけどどうも界隈で過小評価を受けていると感じたため。結果「プロレベル。圧倒的な構成力と表現力。何もアドバイス出来ることがない(要約)」と返事が来てめっちゃ承認欲求満たされたけどそれでも受けが悪いのは変わらないので悲しい

一次創作とかコンクールとか行ったら何かまた変わるのかもしれないけど自分で設定考えることには興味ないんだよな…やりたいのは二次創作

2021-02-21

anond:20210221185854

まさに一人あたりGDP世界2位、世界トップシェア産業をいくつも抱えていて、トップ1%引用論文を大量に出していて、日本が強かった時代だよ。

私はこの時代のことをとてもよく覚えている。ニュース日本万歳ばっかりやってた。

田舎地方は捨てられていた。

田舎にもファミコンがやってきた。GDPは高いはずなのに、田舎の人々の表情は明るくなかった。明るくないのは当たり前である。親は馬鹿高卒か中卒が当たり前で、親はプログラミングも知らないし、ワープロもわからない。私はワープロを譲ってもらったが、このようなケースすら稀。

日本が強かったのは「ロシア東ヨーロッパが弱かっただけ」で、何の意味もなかった。私は子供だったが予想していた。ロシア東ヨーロッパ共産主義思想のおかげでお金が無くなっただけ、お金があれば彼らのほうが賢いはずだと。この予想は2000年代に的中した。

ロシア人が大量に国際コンクール勝利するようになった。チェコ人の作ったペトロフピアノは今でもヤマハ以上の高品質だ。エストニア人のピアノエストニア」は評判が高い。

お金があれば彼らのほうが良いものを作れるではないかと。

これに気が付くまでに時間はかからなかったというだけ。

anond:20210221083819

それね。ほんとだよ。

コンクールで賞を取ったばかりの駆け出しの若手って、まだまだ自分音楽というかスタイルが熟してなくて、じっくり楽しめる程の演奏ができる人は決して多くはないよね。その後の成長次第というか、大化けする人もいれば鳴かず飛ばずの人もいるし。

anond:20210221074759

コンクールで一位でもね、20年くらいたつと。

これのどこが優勝者なんだよ、、、やばすぎだろってのがいっぱいいますからね。

今日もひどい例を聴いてしまったよ。

私は甘いので、アウェーグランプリならなんだろうと認める。留学先や国内で勝つのは何の意味もない。アウェー絶対一位なのは難しい。マイナーでも高難易度に跳ね上がる。Verona International Piano Competitionとか、まだ日本人の優勝はないからね。

anond:20210221005053

コンクールはね、よく言われるように登龍門からね。客観的な箔付けというか、上手い新人の顔見せというか、音楽界への実力デビューというか、そんな感じに過ぎない。野球界で言えば甲子園みたいなもの。ここで活躍すれば注目されるからプロへの道がひらけるけど、決して野球界の頂点ではなくて、あくまでも登龍門

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