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はてなキーワード: 乱暴とは

2024-10-26

anond:20241025220902

発想を転換しようよ。問題はうんちが固いことではなくて、痔が裂けることなんじゃないかな? それならば、①医療用の白色ワセリン(健栄製薬)を買ってきて、排便するときトイレ肛門内部に塗りたくると痔はだいぶ楽になる。あらかじめうんちの先っちょをぎりぎりまで押し出して、肛門を開かせるのがコツ。②ローションとアナルバイブを買ってきて肛門拡張を試みる。旦那に手伝ってもらおうとすると、乱暴にされて痔が悪化するので、一人でするのが吉。クセになっても責任はとれないけど。

2024-10-24

鴨長明老害である

鴨長明を「老害」と断定するのは、非常に難しい問題です。なぜなら、「老害」という言葉には、現代社会における特定価値観や年齢に対する偏見が強く反映されており、中世随筆家である鴨長明にそのまま当てはめることは、歴史的文脈思想的な背景を無視することになりかねないからです。

なぜ鴨長明に「老害」という言葉が当てはまりにくいのか

時代背景の違い: 鴨長明が生きていた鎌倉時代と、現代社会では、価値観社会構造が大きく異なります現代社会問題視されるような「老害」の典型的な行動や発言は、当時の社会においては必ずしも否定的評価を受けていなかった可能性があります

思想の深さ:

鴨長明は、出家し、世俗を離れて『方丈記』という深い思索結晶を残しました。彼の作品には、人生無常観自然への畏敬の念、そして人間に対する深い洞察が込められています。このような思想を持つ人物を、単に「老害」と一括りにすることは、彼の思想の奥深さを軽視することになります

言葉意味の変化:

老害」という言葉は、近年になって特に注目されるようになった言葉であり、その意味時代とともに変化しています過去の人物に現代言葉意味を当てはめることは、誤解を生む可能性があります

鴨長明思想から学ぶべきこと

鴨長明思想は、現代社会においても多くの示唆を与えてくれます。彼の作品からは、人生の儚さ、自然との共生、そして自己との対話といった普遍的テーマを読み取ることができます。彼の思想を学ぶことは、現代を生きる私たちが、自分自身人生について深く考えるきっかけとなるでしょう。

まとめ

鴨長明を「老害」と呼ぶことは、簡単ですが、彼の思想の複雑さや歴史的文脈無視した乱暴判断と言えるでしょう。むしろ、彼の作品に深く向き合い、その思想から学ぶべきものがたくさんあるのではないでしょうか。

キリンの首と民主主義

はじめに

2024年衆議院選が近い。

ここ最近政治的不祥事がいくつかあったこともあり、今回の選挙特に注目度が高いと思っている。

しかし、私の身の回りの人たちは参政意識の差が大きいと感じる。

投票しないという人たちの話を聞く限り、以下のようなハードルがあるようだった。


これらの気持ちはスゴくわかる。

受動的に得る政治関連の情報は断片的なことが多くて分かりづらいし、自分で調べ始めてもなんだかインターネット上で強い言葉を使ってブチギレている人ばかり目にする。(本当に怖い)

ただ、"それでも投票する必要がある"という理屈が、投票をしない人たちには伝わってないんじゃないかと思う。

投票しないことをチクチク言われることはあるけど、特に困ることはないし別にいか」くらいの気持ちじゃないかと推察する。

そこで、私なりに投票必要性を整理してみたくなり、ここにまとめることにした。微力ではあるが投票について考える一助となれば幸いだ。

※私は記載する内容の専門家ではなく、なんらかのデータに基づいた話もないのであくまで一個人の想いや考え方としてご一読いただきたい。また、本内容は特定政党思想批判・支持するものではないこともご留意いただきたい。

キリンの首はなぜ長くなったか

唐突だが、動物進化の話をしたい。

キリンの首はなぜ長くなったか?という有名なアレである


動物世代を経るごとに少しずつ変化している。

変化の内容は、脚が速いヤツ/寒さに強いヤツ/好き嫌いが少ないヤツ/首が長いヤツといった感じで多様である

この多様な特徴を持った群の中で、周りの環境に最も適用しているもの多数派になる。

キリン場合には、"高い木の上に食べられるものが多くある"という環境だったから首が長いヤツが多数派となったという感じだ。

これが進化過程で起こっていることと考えられている。

とてもよくできた仕組みだが、この仕組みが正しく機能するためにはいくつか条件がある。

私はそのなかで特に重要なのは以下の2つだと思う。


環境は刻々と変化するため、特定環境適用した特徴だけを持つ種では全滅してしま可能性がある。

それを避けるためにいろいろな特徴をもった個体がいたほうが種全体としては頑健である


  • 環境による淘汰が行われること

キリンであれば、高いところの食べ物に届かない個体は生き残れないといったように、環境適用できていない特徴を持った個体が不利になるように自然選択される必要がある。これを専門用語淘汰圧と言うらしい。


少し乱暴にまとめると

"多様なもの競争によって淘汰され、最も適切なものを主流として種が生き残る"

ということである

選挙も同じでは?

私はこの進化の仕組みが、民主主義にも適用されていると感じている。

"多様な特徴を持つ群"は異なる政治的意見を持つ個人政党に置き換えられるし、"環境による淘汰"は選挙による政治家や政党選択に置き換えられるためである

ここまで説明すれば、言いたいことはなんとなくわかってもらえると思う。

投票しないということは

"全体の投票率が低いことにより適切な淘汰圧がかからず、環境適用できていない(あるいは偏った環境適用した)政治が行われることに繋がる"

ということであると私は考えている。

淘汰されないのであれば、自分たちが得するように特定団体優遇したり裏金を得られるようにしたりしても政治家たちにとっては何の問題もないのだ。

これを防ぐためには、やはり投票率を上げるしかないと思う。

どうなっていくと良いと思うのか

結局のところ、選挙に行こう!しか言うことがない。

ただ、どこか特定のところを落とそう!と言っているわけではなく、投票率を上げて淘汰圧を強くしよう!ということが伝えたいことである

そのうえで、投票に向けた行動として以下をオススメしたい。


政治に関する情報収集は難しすぎるが、なんとなくでも良いので自分の考え方に近い政党や遠い考え方の政党を知ることが重要だ。

昨今は簡単アンケート自分マッチした政党を知ることができるvote matchサービス複数あるのでやってみることを勧める。

ここで注意したいのは、サービスによって設問内容や回答項目が異なるため、結果に偏りが出る可能性がある点だ。余裕があれば複数サービスでやってみてほしい。

ここでは特定サービスの案内は避けるため、"vote match"等で検索していただきたい。


たとえ投票したい候補政党がない場合でも、自分の考えと遠い考えを持つ候補政党選択されないように、そこと対立する考えを持つところに投票すると良いと思う。

また、「投票先がないのなら抗議の意味白票を投じれば良い」という意見を見かけることがあるが、これまで述べてきた淘汰圧の考え方からするとまっっったく意味がないのでやめたほうが良いと私は考える。

おわりに

政治的な話について複雑化したりタブー視したりして選挙に対するハードルが上がり、それが原因の一部となり正しい淘汰が行われていない現状が私はとても悲しかった。

自分なりに考えた結果、民主主義の前提のような共通認識がないままに感情を優先して会話されているからではないかと思ったため、本内容を投稿した次第である

選挙に対する雰囲気がほんの少しでも変わってくれれば嬉しく思う。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

anond:20241024021757

2次創作入れていいなら謙虚堅実外してもいいじゃん

恋空ケータイ小説代表作でしかないし

なろう、ハーメルンアルカディアケータイ小説、5chSSをWeb小説史としてまとめるのが乱暴

文化圏時代も全く違うんだから

anond:20241023154607

お前が「男性的なかっこよさを持つ人間」とか「美人でかっこよくて凛々しいお姉様」のような古典的な男女の枠組みで自己像を探ってるのと同じように、LGBTQという枠組みを必要としてる人間がいる

「男なのに男が好きかもしれない。これって何?」というシンプルな疑問でも、一人で抱えたら命を落とすぐらいの重さがある


お前にとっては不要概念かもしれないし、もしかしたらFtMという回り道をさせられたという悔恨もあるのかもしれないけどな

からって「面倒臭えよ」とか「分からないものは分からないでいいよ」とか乱暴に足蹴にする権利はねえよ

2024-10-21

chatgptを下っ端みたいにこきつかってる

すげー乱暴な言い方でなんどもやり直しをさせてる

そうしねーと思い通りのものもってこねーから

人間と似てるわ

ストレス解消にもなる

リアルじゃできないか

どんだけきつくいっても謝ってからなんどももってくるしな

こいつのおかげで作業効率もマジ上がってるわすげえ

少女漫画俺様イケメンモラハラ夫に進化

子供の頃、少女漫画を読むと大体

優しい幼馴染イケメン(色白おっとりタレ目)が当て馬で敗北し

態度でかい強引で乱暴俺様男(ツリ目ツンツン髪)とヒロインが結ばれることが多くて

それが子供心にまじで意味不明で納得いかなくて、少女漫画読むのやめた

それから大人になった現在

最近大人女性向け漫画の主流が

モラハラDV夫に復讐を!」とか

モラハラ夫が不倫しててつらいです、離婚して優しいイケメンとくっつきたい」とか

婚約破棄されたけどもっといいイケメン結婚します!」

とかが多くて、

大体悪役夫はわがままでガサツで自分勝手暴力

ヒーローは優しいおっとり色白イケメンが多い

あれ

これ昔読んだ少女漫画真逆では?って思った

あの時、俺様オラオラ男を選んで

遊びで終わればよかったもの

そのまま結婚してしまたからそうなったんじゃ?

強引な若いイケメンは見てておもしれー男って思うかもしれないけど

それがジジイになったらただのクソ男なんよ

やっぱ優しい幼馴染選んどけばよかったやんけ!

何してんねん

anond:20241020053058

わかる。

からオレはリベラルだけどこういう人たちがリベラル自称してても投票しないし支持もしないようにしてる。

昔はどうすればいいのか悶々としてたけど、自分は思いやりがあって包摂的なスタンスが好きだからリベラルやってるんだと言語化できてから乱暴な人たちはスルーする事にしてる。

2024-10-20

セフレの話[追記あり]

すごくセックスの下手なセフレができた。セフレというかたぶん彼氏っていうラベル名になっている。別にセフレ以上のことはしてないから向こうもセフレって思っていそうだけど。

「付き合うタイプセフレ」って言葉を聞いてからすごくしっくり来てる。自分がそんなのを持つ日がくるとは思わなかった。

セフレは1人でいいし、感染症等の安全面の問題からできれば向こうにも別の人と関係を持たないでほしいな〜と思う。だから付き合うってラベルをつけると少しそれが簡単になる。連絡とかは苦じゃない。好きじゃなくても好きって言えるって初めて知った。

セックスうまいに越したことはなくてじゃあなんのためのセフレやねんと思うが、1人でいたくない日に一緒に寝てくれることのおまけにセックスがあればもっと整うしよい、という話。

(セックス自律神経を整えるという説もあるらしく、根拠とか理論とか忘れたけど私自信の主観として割とそれを実感している)


んでそのセックス死ぬほど下手なセフレとのセックスに、これまで私はめちゃくちゃ文句をつけて、なんとか苦痛でないようにまでカスタマイズした。が、そいつもいい加減人の話を聞かない人間なので(※)ちょいちょい苦痛だ。あとそもそも女という集団全体のことをあんまりリスペクトしていないというか軽視している節があって、わたしも彼にとって例に漏れず大切にするに値しない人間から物理的に粗暴に扱われている感がある。


(※)人の話を聞かない、というか唯我独尊人間性を感じる。だからずっと下手なままなんだと思う。こちらの考えとか思いとか何を言っても無駄なひとだなあって会って2回目くらいで思った。これまでの女の子たちもそう思って来たんだろうと思う。だから言えなかったんだろうなと。

私は次の女の子達の被害を少しでも減らすために言うことにしている。「彼氏避妊してくれない、愛されてないのかな」とか、「彼氏がガシマンで痛いし言えないし演技するのが辛い」とか、「AV顔負けの言葉責めに付き合わされるのがしんどすぎる」とかみたいな悩みを負う女の子が1人でも少なくなってほしいので


最近仕事とか、恋愛以外の落ち込むことが続いた。痛くてひどいセックスがしたいと思った。

ひとつ前の元彼は少し痛くして、ひどくしてって言っても底抜けに優しくて、せいぜい優しくお尻をぶったり、跡も残らないくらい噛んでくれるぐらいだった。怖くてできないって言っていた。優しい人だった。

話は逸れたけど、セックスの下手なセフレの唯一の利点がここでくる。セックスが下手で痛いし女体の扱いが乱暴なので、素で痛くてひどいセックス実施することができる。今日は優しくしなくていいよって言ったら予想の数倍ひどいセックスをしてくれる。わたし自傷に巻き込んで申し訳ないが優しくしないだけでこんな粗暴なセックスができるのは才能だ。

最近自傷ぎみの気分なのでとてもありがたい。

普段は最悪だが、しばらくこういう気分が続きそうなので、痛くひどくしてくれて一緒に寝てくれる最高で最悪のセフレを手に入れた。


セフレだと思っていることは彼には内緒にしている。



[追記]

昨日同様にひどくしてと事前予告して会っていたんだけど、なんかものすごく優しいセックスをするようになっていた。

私はもともとどんなしょぼいセックスから快感を拾うのがたぶんうまくて、大体ちゃん気持ちよくなれるけど、そんな私でも苦痛セックスをするところが最強の才能だったのに、優しい丁寧な普通めのセックスをするようになってた(教科書AVなのは変わらず)

ぶったり噛んだり、そもそもの扱いも粗暴にしてほしかったのに、ちょっと激しめなだけの優しいセックスが終わったあと、「好き勝手したらよかったかもだけど、増田そもそも痛いそういうの嫌いじゃん、あとなんか増田の好きなそういう(優しい)ペースに慣れてきて俺も気持ちよくなれるようになってきた」とか言い出した。


ちがうんだよ乱暴にしてめちゃめちゃ痛いこととかされたかったんだよ違う違う違う君の役割はそうじゃないんだよ〜〜〜ってなった。

こうなるとまじで終わりが見えてきた。

相変わらずそれ以外は唯我独尊だ。

甘々で優しいセックス元彼だけでいい、上書きしないでほしい。

2024-10-18

親切にしてくれる人を大事にして乱暴な人を避けるんじゃなくて

親切にしてくれる人を罵倒して理不尽な人に媚びへつらう奴いるよな

いや逆だろうよ??

2024-10-11

anond:20241011134757

杉田智和って中村悠一と一番仲良しって感じだったのにいつのまにか中村の一番の男はマフィア梶田になってしまってNTRだよね

一時期禿げまくってた杉田中村と疎遠になったら髪の毛復活したけど

一般論なんだけど乱暴イラマチオで髪の毛ぶちぶちちぎられて薄毛になってた男が悪い彼氏と別れると普通の髪に戻るのよくあるそうだね

2024-10-09

anond:20241008093927

バカ

ほう、パパをバカだと?

ちょっとそこに座りなさい、まずタブレットを消しなさい、

キミはどこでそんな言葉を覚えたのだ?Youtueか?幼稚園か?

良くない言葉であることはわかっているかい?

うん、わかってて使ってるんだね

さな子供乱暴言葉や粗雑な態度を好むのはわかる、

男の子だしね、動物本能

今は許そう

だけど、パパはい死ぬかわからない、今日明日死ぬかもしれないので一応はキミに教えておく。

それは汚く悪い言葉だ、相手を傷つける、不快にさせる

相手に敬意がないコミュニケーションはなんのメリットもない、喧嘩になるだけだ

だけど今はいい、仲の良い友達喧嘩して、絶交する

最初些細な諍いだった、そういう経験必要だ、そこから学ぶこともある

だけどキミもいずれ大人にならなきゃならない

それまでには相手を罵る、蔑む言葉を慎む人間に育ってください

たまにそれを学ばず体だけ大きくなる人もいるが、幸せにはなれない

無駄な苦労をする、遠回りをしなきゃならない、無駄人生になる

 

いかい、相手を陥れる時は突発的感情的言葉ではなく、最終目標イメージして

もっと効率良いスキームの中に相手を引きずり込むのが良い

 

バカと言われても相手はその場でムッとして終わりだ、5分後には忘れてる

そんなもの面白くない

それよりも10年20年かけてバカの行く末を観察し、あまつさえ愚かな人生誘導するほうが楽しい

パパは30年見守ってるバカが3人いる、全員ド不幸だ。

パパがバカだと罵らなくてもバカバカのままだしバカだと教えてやったところで利口にならん。

否、利口に変身したところでパパにはなんのメリットもない

それよりもバカを見るのは楽しい

から次へと誤った選択をするのだ。アホだからだ、アドバイスはしてやらない

しろ間違いを選択するように仕向ける

どんどん不幸が積み重なってくる、イヒヒヒ

 

学生時代にパパを小馬鹿にしていた奴が今は土建の最下層で働いてる

恥ずかしくて昔の仲間とは一切連絡を断っている

が、世間なんて狭いものでほそぼそと情報は入ってくる

どんどん落ちていく、おもろいぞぉ、イヒヒ、ヒヒヒ

 

ともかくだ、パパをバカと言うのは辞めたほうがいい

 

わかったね?

2024-10-06

ママチャリの単発ベル禁止してほしい

チリンチリン」っていう昔ながらの引きベルじゃなくて、ロードバイクとかでよく使われてる「チーン」って澄んだ音を鳴らすベル。あのベルママチャリで使うのを禁止してはどうだろうか。


私の通勤路に、人を押しのけるために数メートルおきに単発ベルを鳴らすママチャリおばさんがいる。町内会活動彼女地域活動で一緒に町内を回ることになったのだが、彼女はそのときベルをずっと鳴らしていた。やんわりとたしなめたんだけど、「道を塞いでいるほうが悪いじゃない?常識的に言って。」というのが彼女の言い分だった。


その後の慰労会で、別の人から「素敵なベル使ってますね〜」と言われて、得意げに「そうよねー。リンリンって鳴らすと乱暴だし、マナーが悪いじゃない?だから私はちょっといいベル使ってるのよ。」と話してた。あぁ、そういうことかと妙に納得した。

彼女の中では「チリンチリン」と鳴らしながら運転するのはマナーが悪いけど、「チーン」とベルを一鳴らしするだけならお上品だから問題ないことになっているんだ。


道具を選ぶと言うと聞こえはいい。だけど、ママチャリのグレードよりも高い単発ベルを選ぶということは、自分でも気になるぐらいの頻度でベルを鳴らしているんだ。まず間違いなく運転マナー問題がある。

運転マナーが悪くてベル濫用していた人が、単発ベルという間違った免罪符を得たせいで歯止めをなくしている。

道具が人の過ちを助長するのだ。それなら、せめてママチャリには引きベルだけを使えるようにしたほうがいい。


そして願わくばベル連打おばさんの自転車運転法律禁止してほしい。周りの人がおじいちゃんに道を譲ってるのに、その隙間にベルを鳴らしながら自転車が突っ込んでくるような光景を朝から見たくない。

2024-10-04

anond:20241003230836

相手がそう自称してるなら間違いないけど

攻撃してくるただの乱暴者を雑に「ポリコレ派」に分類しすぎているのかもしれない

2024-10-01

三四郎は流れから目を放して、上を見た。こういう空の模様を見たのははじめてではない。けれども空が濁ったという言葉を聞いたのはこの時がはじめてである。気がついて見ると、濁ったと形容するよりほかに形容のしかたのない色であった。三四郎が何か答えようとするまえに、女はまた言った。 「重いこと。大理石のように見えます」  美禰子は二重瞼を細くして高い所をながめていた。それから、その細くなったままの目を静かに三四郎の方に向けた。そうして、 「大理石のように見えるでしょう」と聞いた。三四郎は、 「ええ、大理石のように見えます」と答えるよりほかはなかった。女はそれで黙った。しばらくしてから、今度は三四郎が言った。 「こういう空の下にいると、心が重くなるが気は軽くなる」 「どういうわけですか」と美禰子が問い返した。  三四郎には、どういうわけもなかった。返事はせずに、またこう言った。 「安心して夢を見ているような空模様だ」 「動くようで、なかなか動きませんね」と美禰子はまた遠くの雲をながめだした。  菊人形で客を呼ぶ声が、おりおり二人のすわっている所まで聞こえる。 「ずいぶん大きな声ね」 「朝から晩までああいう声を出しているんでしょうか。えらいもんだな」と言ったが、三四郎は急に置き去りにした三人のことを思い出した。何か言おうとしているうちに、美禰子は答えた。 「商売ですもの、ちょうど大観音乞食と同じ事なんですよ」 「場所が悪くはないですか」  三四郎は珍しく冗談を言って、そうして一人でおもしろそうに笑った。乞食について下した広田言葉をよほどおかしく受けたかである。 「広田先生は、よく、ああいう事をおっしゃるかたなんですよ」ときわめて軽くひとりごとのように言ったあとで、急に調子をかえて、 「こういう所に、こうしてすわっていたら、大丈夫及第よ」と比較的活発につけ加えた。そうして、今度は自分のほうでおもしろそうに笑った。 「なるほど野々宮さんの言ったとおり、いつまで待っていてもだれも通りそうもありませんね」 「ちょうどいいじゃありませんか」と早口に言ったが、あとで「おもらいをしない乞食なんだから」と結んだ。これは前句の解釈のためにつけたように聞こえた。  ところへ知らん人が突然あらわれた。唐辛子の干してある家の陰から出て、いつのまにか川を向こうへ渡ったものみえる。二人のすわっている方へだんだん近づいて来る。洋服を着て髯をはやして、年輩からいうと広田先生くらいな男である。この男が二人の前へ来た時、顔をぐるりと向け直して、正面から三四郎と美禰子をにらめつけた。その目のうちには明らかに憎悪の色がある。三四郎はじっとすわっていにくいほどな束縛を感じた。男はやがて行き過ぎた。その後影を見送りながら、三四郎は、 「広田先生や野々宮さんはさぞあとでぼくらを捜したでしょう」とはじめて気がついたように言った。美禰子はむしろ冷やかである。 「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」 「迷子から捜したでしょう」と三四郎はやはり前説を主張した。すると美禰子は、なお冷やかな調子で、 「責任をのがれたがる人だから、ちょうどいいでしょう」 「だれが? 広田先生がですか」  美禰子は答えなかった。 「野々宮さんがですか」  美禰子はやっぱり答えなかった。 「もう気分はよくなりましたか。よくなったら、そろそろ帰りましょうか」  美禰子は三四郎を見た。三四郎は上げかけた腰をまた草の上におろした。その時三四郎はこの女にはとてもかなわないような気がどこかでした。同時に自分の腹を見抜かれたという自覚に伴なう一種屈辱をかすかに感じた。 「迷子」  女は三四郎を見たままでこの一言を繰り返した。三四郎は答えなかった。 「迷子英訳を知っていらしって」  三四郎は知るとも、知らぬとも言いえぬほどに、この問を予期していなかった。 「教えてあげましょうか」 「ええ」 「迷える子――わかって?」  三四郎はこういう場合になると挨拶に困る男である咄嗟の機が過ぎて、頭が冷やかに働きだした時、過去を顧みて、ああ言えばよかった、こうすればよかったと後悔する。といって、この後悔を予期して、むりに応急の返事を、さもしぜんらしく得意に吐き散らすほどに軽薄ではなかった。だからただ黙っている。そうして黙っていることがいかにも半間である自覚している。  迷える子という言葉はわかったようでもある。またわからないようでもある。わかるわからないはこの言葉意味よりも、むしろこの言葉を使った女の意味である三四郎はいたずらに女の顔をながめて黙っていた。すると女は急にまじめになった。 「私そんなに生意気に見えますか」  その調子には弁解の心持ちがある。三四郎は意外の感に打たれた。今までは霧の中にいた。霧が晴れればいいと思っていた。この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出て来た。晴れたのが恨めしい気がする。  三四郎は美禰子の態度をもとのような、――二人の頭の上に広がっている、澄むとも濁るとも片づかない空のような、――意味のあるものにしたかった。けれども、それは女のきげんを取るための挨拶ぐらいで戻せるものではないと思った。女は卒然として、 「じゃ、もう帰りましょう」と言った。厭味のある言い方ではなかった。ただ三四郎にとって自分は興味のないものあきらめるように静かな口調であった。  空はまた変ってきた。風が遠くから吹いてくる。広い畑の上には日が限って、見ていると、寒いほど寂しい。草からあがる地息でからだは冷えていた。気がつけば、こんな所に、よく今までべっとりすわっていられたものだと思う。自分一人なら、とうにどこかへ行ってしまったに違いない。美禰子も――美禰子はこんな所へすわる女かもしれない。 「少し寒くなったようですから、とにかく立ちましょう。冷えると毒だ。しかし気分はもうすっかり直りましたか」 「ええ、すっかり直りました」と明らかに答えたが、にわかに立ち上がった。立ち上がる時、小さな声で、ひとりごとのように、 「迷える子」と長く引っ張って言った。三四郎はむろん答えなかった。  美禰子は、さっき洋服を着た男の出て来た方角をさして、道があるなら、あの唐辛子そばを通って行きたいという。二人は、その見当へ歩いて行った。藁葺のうしろにはたして細い三尺ほどの道があった。その道を半分ほど来た所で三四郎は聞いた。 「よし子さんは、あなたの所へ来ることにきまったんですか」  女は片頬で笑った。そうして問い返した。 「なぜお聞きになるの」  三四郎が何か言おうとすると、足の前に泥濘があった。四尺ばかりの所、土がへこんで水がぴたぴたにたまっている。そのまん中に足掛かりのためにてごろな石を置いた者がある。三四郎は石の助けをからずに、すぐに向こうへ飛んだ。そうして美禰子を振り返って見た。美禰子は右の足を泥濘のまん中にある石の上へ乗せた。石のすわりがあまりよくない。足へ力を入れて、肩をゆすって調子を取っている。三四郎こちら側から手を出した。 「おつかまりなさい」 「いえ大丈夫」と女は笑っている。手を出しているあいだは、調子を取るだけで渡らない。三四郎は手を引っ込めた。すると美禰子は石の上にある右の足に、からだの重みを託して、左の足でひらりこちら側へ渡った。あまり下駄をよごすまいと念を入れすぎたため、力が余って、腰が浮いた。のめりそうに胸が前へ出る。その勢で美禰子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちた。 「迷える子」と美禰子が口の内で言った。三四郎はその呼吸を感ずることができた。

https://anond.hatelabo.jp/20241001172740

 ベルが鳴って、講師教室から出ていった。三四郎インキの着いたペンを振って、ノートを伏せようとした。すると隣にいた与次郎が声をかけた。

「おいちょっと借せ。書き落としたところがある」

 与次郎三四郎ノートを引き寄せて上からのぞきこんだ。stray sheep という字がむやみに書いてある。

「なんだこれは」

講義を筆記するのがいやになったから、いたずらを書いていた」

「そう不勉強はいかん。カントの超絶唯心論バークレーの超絶実在論にどうだとか言ったな」

「どうだとか言った」

「聞いていなかったのか」

「いいや」

「まるで stray sheep だ。しかたがない」

 与次郎自分ノートをかかえて立ち上がった。机の前を離れながら、三四郎に、

「おいちょっと来い」と言う。三四郎与次郎について教室を出た。梯子段を降りて、玄関前の草原へ来た。大きな桜がある。二人はその下にすわった。

 ここは夏の初めになると苜蓿が一面にはえる。与次郎入学願書を持って事務へ来た時に、この桜の下に二人の学生が寝転んでいた。その一人が一人に向かって、口答試験都々逸で負けておいてくれると、いくらでも歌ってみせるがなと言うと、一人が小声で、粋なさばきの博士の前で、恋の試験がしてみたいと歌っていた。その時から与次郎はこの桜の木の下が好きになって、なにか事があると、三四郎をここへ引っ張り出す。三四郎はその歴史与次郎から聞いた時に、なるほど与次郎俗謡で pity's love を訳すはずだと思った。きょうはしか与次郎がことのほかまじめである。草の上にあぐらをかくやいなや、懐中から文芸時評という雑誌を出してあけたままの一ページを逆に三四郎の方へ向けた。

「どうだ」と言う。見ると標題に大きな活字で「偉大なる暗闇」とある。下には零余子と雅号を使っている。偉大なる暗闇とは与次郎がいつでも広田先生を評する語で、三四郎も二、三度聞かされたものであるしか零余子はまったく知らん名である。どうだと言われた時に、三四郎は、返事をする前提としてひとまず与次郎の顔を見た。すると与次郎はなんにも言わずにその扁平な顔を前へ出して、右の人さし指の先で、自分の鼻の頭を押えてじっとしている。向こうに立っていた一人の学生が、この様子を見てにやにや笑い出した。それに気がついた与次郎はようやく指を鼻から放した。

「おれが書いたんだ」と言う。三四郎はなるほどそうかと悟った。

「ぼくらが菊細工を見にゆく時書いていたのは、これか」

「いや、ありゃ、たった二、三日まえじゃないか。そうはやく活版になってたまるものか。あれは来月出る。これは、ずっと前に書いたものだ。何を書いたもの標題でわかるだろう」

広田先生の事か」

「うん。こうして輿論喚起しておいてね。そうして、先生大学はいれる下地を作る……」

「その雑誌はそんなに勢力のある雑誌か」

 三四郎雑誌名前さえ知らなかった。

「いや無勢力から、じつは困る」と与次郎は答えた。三四郎は微笑わざるをえなかった。

「何部ぐらい売れるのか」

 与次郎は何部売れるとも言わない。

「まあいいさ。書かんよりはましだ」と弁解している。

 だんだん聞いてみると、与次郎は従来からこの雑誌関係があって、ひまさえあればほとんど毎号筆を執っているが、その代り雅名も毎号変えるから、二、三の同人のほか、だれも知らないんだと言う。なるほどそうだろう。三四郎は今はじめて与次郎文壇との交渉を聞いたくらいのものであるしか与次郎がなんのために、遊戯に等しい匿名を用いて、彼のいわゆる大論文をひそかに公けにしつつあるか、そこが三四郎にはわからなかった。

 いくぶんか小遣い取りのつもりで、やっている仕事かと不遠慮に尋ねた時、与次郎は目を丸くした。

「君は九州のいなかから出たばかりだから中央文壇趨勢を知らないために、そんなのん気なことをいうのだろう。今の思想界の中心にいて、その動揺のはげしいありさまを目撃しながら、考えのある者が知らん顔をしていられるものか。じっさい今日の文権はまったく我々青年の手にあるんだから一言でも半句でも進んで言えるだけ言わなけりゃ損じゃないか文壇は急転直下の勢いでめざまし革命を受けている。すべてがことごとく動いて、新気運に向かってゆくんだから、取り残されちゃたいへんだ。進んで自分からこの気運をこしらえ上げなくちゃ、生きてる甲斐はない。文学文学って安っぽいようにいうが、そりゃ大学なんかで聞く文学のことだ。新しい我々のいわゆる文学は、人生のものの大反射だ。文学の新気運は日本社会活動に影響しなければならない。また現にしつつある。彼らが昼寝をして夢を見ているまに、いつか影響しつつある。恐ろしいものだ。……」

 三四郎は黙って聞いていた。少しほらのような気がする。しかしほらでも与次郎はなかなか熱心に吹いている。すくなくとも当人だけは至極まじめらしくみえる。三四郎はだいぶ動かされた。

「そういう精神でやっているのか。では君は原稿料なんか、どうでもかまわんのだったな」

「いや、原稿料は取るよ。取れるだけ取る。しか雑誌が売れないからなかなかよこさない。どうかして、もう少し売れる工夫をしないといけない。何かいい趣向はないだろうか」と今度は三四郎相談をかけた。話が急に実際問題に落ちてしまった。三四郎は妙な心持ちがする。与次郎は平気であるベルが激しく鳴りだした。

「ともかくこの雑誌を一部君にやるから読んでみてくれ。偉大なる暗闇という題がおもしろいだろう。この題なら人が驚くにきまっている。――驚かせないと読まないからだめだ」

 二人は玄関を上がって、教室はいって、机に着いた。やがて先生が来る。二人とも筆記を始めた。三四郎は「偉大なる暗闇」が気にかかるので、ノートそば文芸時評をあけたまま、筆記のあいあいまに先生に知れないように読みだした。先生はさいわい近眼である。のみならず自己講義のうちにぜんぜん埋没している。三四郎の不心得にはまるで関係しない。三四郎はいい気になって、こっちを筆記したり、あっちを読んだりしていったが、もともと二人でする事を一人で兼ねるむりな芸だからしまいには「偉大なる暗闇」も講義の筆記も双方ともに関係がわからなくなった。ただ与次郎文章一句だけはっきり頭にはいった。

自然宝石を作るに幾年の星霜を費やしたか。またこ宝石採掘の運にあうまでに、幾年の星霜を静かに輝やいていたか」という句である。その他は不得要領に終った。その代りこの時間には stray sheep という字を一つも書かずにすんだ。

 講義が終るやいなや、与次郎三四郎に向かって、

「どうだ」と聞いた。じつはまだよく読まないと答えると、時間経済を知らない男だといって非難した。ぜひ読めという。三四郎は家へ帰ってぜひ読むと約束した。やがて昼になった。二人は連れ立って門を出た。

「今晩出席するだろうな」と与次郎西片町へはい横町の角で立ち留まった。今夜は同級生の懇親会がある。三四郎は忘れていた。ようやく思い出して、行くつもりだと答えると、与次郎は、

「出るまえにちょっと誘ってくれ。君に話す事がある」と言う。耳のうしろペン軸をはさんでいる。なんとなく得意である三四郎承知した。

 下宿へ帰って、湯にはいって、いい心持ちになって上がってみると、机の上に絵はがきがある。小川かいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛にできている。まったく西洋の絵にある悪魔を模したもので、念のため、わきにちゃんデビル仮名が振ってある。表は三四郎宛名の下に、迷える子と小さく書いたばかりである三四郎は迷える子の何者かをすぐ悟った。のみならず、はがきの裏に、迷える子を二匹書いて、その一匹をあん自分見立ててくれたのをはなはだうれしく思った。迷える子のなかには、美禰子のみではない、自分ももとよりはいっていたのである。それが美禰子のおもわくであったとみえる。美禰子の使った stray sheep意味がこれでようやくはっきりした。

 与次郎約束した「偉大なる暗闇」を読もうと思うが、ちょっと読む気にならない。しきりに絵はがきをながめて考えた。イソップにもないような滑稽趣味がある。無邪気にもみえる。洒落でもある。そうしてすべての下に、三四郎の心を動かすあるものがある。

 手ぎわからいっても敬服の至りである。諸事明瞭にでき上がっている。よし子のかいた柿の木の比ではない。――と三四郎には思われた。

 しばらくしてから三四郎はようやく「偉大なる暗闇」を読みだした。じつはふわふわして読みだしたのであるが、二、三ページくると、次第に釣りまれるように気が乗ってきて、知らず知らずのまに、五ページ六ページと進んで、ついに二十七ページの長論文を苦もなく片づけた。最後の一句読了した時、はじめてこれでしまいだなと気がついた。目を雑誌から離して、ああ読んだなと思った。

 しかし次の瞬間に、何を読んだかと考えてみると、なんにもない。おかしいくらいなんにもない。ただ大いにかつ盛んに読んだ気がする。三四郎与次郎の技倆に感服した。

 論文は現今の文学者の攻撃に始まって、広田先生の賛辞に終っている。ことに文学文科の西洋人を手痛く罵倒している。はやく適当日本人を招聘して、大学相当の講義を開かなくっては、学問の最高府たる大学も昔の寺子屋同然のありさまになって、煉瓦石のミイラと選ぶところがないようになる。もっとも人がなければしかたがないが、ここに広田先生がある。先生十年一日のごとく高等学校に教鞭を執って薄給無名に甘んじている。しか真正学者である。学海の新気運に貢献して、日本の活社会交渉のある教授担任すべき人物である。――せんじ詰めるとこれだけであるが、そのこれだけが、非常にもっともらしい口吻と燦爛たる警句とによって前後二十七ページに延長している。

 その中には「禿を自慢するものは老人に限る」とか「ヴィーナスは波からまれたが、活眼の士は大学からまれない」とか「博士を学界の名産と心得るのは、海月田子の浦名産と考えるようなものだ」とかいろいろおもしろい句がたくさんある。しかしそれよりほかになんにもない。ことに妙なのは広田先生を偉大なる暗闇にたとえたついでに、ほかの学者を丸行燈比較して、たかだか方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすにすぎないなどと、自分広田から言われたとおりを書いている。そうして、丸行燈だの雁首などはすべて旧時代遺物で我々青年にはまったく無用であると、このあいだのとおりわざわざ断わってある。

 よく考えてみると、与次郎論文には活気がある。いかにも自分一人で新日本代表しているようであるから、読んでいるうちは、ついその気になる。けれどもまったく実がない。根拠地のない戦争のようなものである。のみならず悪く解釈すると、政略的の意味もあるかもしれない書き方である。いなか者の三四郎にはてっきりそこと気取ることはできなかったが、ただ読んだあとで、自分の心を探ってみてどこかに不満足があるように覚えた。また美禰子の絵はがきを取って、二匹の羊と例の悪魔をながめだした。するとこっちのほうは万事が快感である。この快感につれてまえの不満足はますます著しくなった。それで論文の事はそれぎり考えなくなった。美禰子に返事をやろうと思う。不幸にして絵がかけない。文章にしようと思う。文章ならこの絵はがき匹敵する文句でなくってはいけない。それは容易に思いつけない。ぐずぐずしているうちに四時過ぎになった。

 袴を着けて、与次郎を誘いに、西片町へ行く。勝手からはいると、茶の間に、広田先生が小さな食卓を控えて、晩食を食っていた。そば与次郎かしこまってお給仕をしている。

先生どうですか」と聞いている。

 先生は何か堅いものをほおばったらしい。食卓の上を見ると、袂時計ほどな大きさの、赤くって黒くって、焦げたものが十ばかり皿の中に並んでいる。

 三四郎は座に着いた。礼をする。先生は口をもがもがさせる。

「おい君も一つ食ってみろ」と与次郎が箸で皿のものをつまんで出した。掌へ載せてみると、馬鹿貝の剥身の干したのをつけ焼にしたのである

「妙なものを食うな」と聞くと、

「妙なものって、うまいぜ食ってみろ。これはね、ぼくがわざわざ先生にみやげに買ってきたんだ。先生はまだ、これを食ったことがないとおっしゃる

「どこから

日本から

 三四郎おかしくなった。こういうところになると、さっきの論文調子とは少し違う。

先生、どうです」

「堅いね

「堅いけれどもうまいでしょう。よくかまなくっちゃいけません。かむと味が出る」

「味が出るまでかんでいちゃ、歯が疲れてしまう。なんでこんな古風なものを買ってきたものかな」

「いけませんか。こりゃ、ことによると先生にはだめかもしれない。里見の美禰子さんならいいだろう」

「なぜ」と三四郎が聞いた。

「ああおちついていりゃ味の出るまできっとかんでるに違いない」

「あの女はおちついていて、乱暴だ」と広田が言った。

「ええ乱暴です。イブセンの女のようなところがある」

イブセンの女は露骨だが、あの女は心が乱暴だ。もっと乱暴といっても、普通乱暴とは意味が違うが。野々宮の妹のほうが、ちょっと見ると乱暴のようで、やっぱり女らしい。妙なものだね」

里見のは乱暴の内訌ですか」

 三四郎は黙って二人の批評を聞いていた。どっちの批評もふにおちない。乱暴という言葉が、どうして美禰子の上に使えるか、それから第一不思議であった。

 与次郎はやがて、袴をはいて、改まって出て来て、

ちょっと行ってまいります」と言う。先生は黙って茶を飲んでいる。二人は表へ出た。表はもう暗い。門を離れて二、三間来ると、三四郎はすぐ話しかけた。

先生里見お嬢さん乱暴だと言ったね」

「うん。先生はかってな事をいう人だから、時と場合によるとなんでも言う。第一先生が女を評するのが滑稽だ。先生の女における知識はおそらく零だろう。ラッブをしたことがないものに女がわかるものか」

先生はそれでいいとして、君は先生の説に賛成したじゃないか

「うん乱暴だと言った。なぜ」

「どういうところを乱暴というのか」

「どういうところも、こういうところもありゃしない。現代女性はみんな乱暴にきまっている。あの女ばかりじゃない」

「君はあの人をイブセンの人物に似ていると言ったじゃないか

「言った」

イブセンのだれに似ているつもりなのか」

「だれって……似ているよ」

 三四郎はむろん納得しない。しかし追窮もしない。黙って一間ばかり歩いた。すると突然与次郎がこう言った。

イブセンの人物に似ているのは里見お嬢さんばかりじゃない。今の一般女性はみんな似ている。女性ばかりじゃない。いやしくも新しい空気に触れた男はみんなイブセンの人物に似たところがある。ただ男も女もイブセンのように自由行動を取らないだけだ。腹のなかではたいていかぶれている」

「ぼくはあんまりかぶれていない」

「いないとみずから欺いているのだ。――どんな社会だって陥欠のない社会はあるまい」

「それはないだろう」

「ないとすれば、そのなかに生息している動物はどこかに不足を感じるわけだ。イブセンの人物は、現代社会制度の陥欠をもっとも明らかに感じたものだ。我々もおいおいああなってくる」

「君はそう思うか」

「ぼくばかりじゃない。具眼の士はみんなそう思っている」

「君の家の先生もそんな考えか」

「うちの先生? 先生はわからない」

だって、さっき里見さんを評して、おちついていて乱暴だと言ったじゃないか。それを解釈してみると、周囲に調和していけるから、おちついていられるので、どこかに不足があるから、底のほうが乱暴だという意味じゃないのか」

「なるほど。――先生は偉いところがあるよ。ああいうところへゆくとやっぱり偉い」

 と与次郎は急に広田先生をほめだした。三四郎は美禰子の性格についてもう少し議論の歩を進めたかったのだが、与次郎のこの一言でまったくはぐらかされてしまった。すると与次郎が言った。

「じつはきょう君に用があると言ったのはね。――うん、それよりまえに、君あの偉大なる暗闇を読んだか。あれを読んでおかないとぼくの用事が頭へはいりにくい」

「きょうあれから家へ帰って読んだ」

「どうだ」

先生はなんと言った」

先生は読むものかね。まるで知りゃしない」

「そうさなおもしろいことはおもしろいが、――なんだか腹のたしにならないビールを飲んだようだね」

「それでたくさんだ。読んで景気がつきさえすればいい。だから匿名にしてある。どうせ今は準備時代だ。こうしておいて、ちょうどいい時分に、本名を名乗って出る。――それはそれとして、さっきの用事を話しておこう」

2024-09-30

https://anond.hatelabo.jp/20240930202150三四郎はすぐ床へはいった。三四郎勉強家というよりむしろ※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊家なので、わりあい書物を読まない。その代りある掬すべき情景にあうと、何べんもこれを頭の中で新たにして喜んでいる。そのほうが命に奥行があるような気がする。きょうも、いつもなら、神秘講義最中に、ぱっと電燈がつくところなどを繰り返してうれしがるはずだが、母の手紙があるので、まず、それから片づけ始めた。

 手紙には新蔵が蜂蜜をくれたから、焼酎を混ぜて、毎晩杯に一杯ずつ飲んでいるとある。新蔵は家の小作人で、毎年冬になると年貢米を二十俵ずつ持ってくる。いたって正直者だが、癇癪が強いので、時々女房を薪でなぐることがある。――三四郎は床の中で新蔵が蜂を飼い出した昔の事まで思い浮かべた。それは五年ほどまえである。裏の椎の木に蜜蜂が二、三百匹ぶら下がっていたのを見つけてすぐ籾漏斗に酒を吹きかけて、ことごとく生捕にした。それからこれを箱へ入れて、出入りのできるような穴をあけて、日当りのいい石の上に据えてやった。すると蜂がだんだんふえてくる。箱が一つでは足りなくなる。二つにする。また足りなくなる。三つにする。というふうにふやしていった結果、今ではなんでも六箱か七箱ある。そのうちの一箱を年に一度ずつ石からおろして蜂のために蜜を切り取るといっていた。毎年夏休みに帰るたびに蜜をあげましょうと言わないことはないが、ついに持ってきたためしがなかった。が、今年は物覚えが急によくなって、年来の約束を履行したものであろう。

 平太郎おやじ石塔を建てたから見にきてくれろと頼みにきたとある。行ってみると、木も草もはえていない庭の赤土のまん中に、御影石でできていたそうである。平太郎はその御影石が自慢なのだと書いてある。山から切り出すのに幾日とかかかって、それから石屋に頼んだら十円取られた。百姓や何かにはわからないが、あなたのとこの若旦那大学校はいっているくらいだから、石の善悪はきっとわかる。今度手紙のついでに聞いてみてくれ、そうして十円もかけておやじのためにこしらえてやった石塔をほめてもらってくれと言うんだそうだ。――三四郎はひとりでくすくす笑い出した。千駄木の石門よりよほど激しい。

 大学制服を着た写真をよこせとある三四郎はいつか撮ってやろうと思いながら、次へ移ると、案のごとく三輪田のお光さんが出てきた。――このあいだお光さんのおっかさんが来て、三四郎さんも近々大学卒業なさることだが、卒業したら家の娘をもらってくれまいかという相談であった。お光さんは器量もよし気質も優しいし、家に田地もだいぶあるし、その上家と家との今までの関係もあることだから、そうしたら双方ともつごうがよいだろうと書いて、そのあとへ但し書がつけてある。――お光さんもうれしがるだろう。――東京の者は気心が知れないから私はいやじゃ。

 三四郎手紙を巻き返して、封に入れて、枕元へ置いたまま目を眠った。鼠が急に天井であばれだしたが、やがて静まった。

 三四郎には三つの世界ができた。一つは遠くにある。与次郎のいわゆる明治十五年以前の香がする。すべてが平穏である代りにすべてが寝ぼけている。もっとも帰るに世話はいらない。もどろうとすれば、すぐにもどれる。ただいざとならない以上はもどる気がしない。いわば立退場のようなものである三四郎は脱ぎ棄てた過去を、この立退場の中へ封じ込めた。なつかしい母さえここに葬ったかと思うと、急にもったいなくなる。そこで手紙が来た時だけは、しばらくこの世界に※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊して旧歓をあたためる。

 第二の世界のうちには、苔のはえ煉瓦造りがある。片すみから片すみを見渡すと、向こうの人の顔がよくわからないほどに広い閲覧室がある。梯子をかけなければ、手の届きかねるまで高く積み重ねた書物がある。手ずれ、指の垢で、黒くなっている。金文字で光っている。羊皮、牛皮、二百年前の紙、それからすべての上に積もった塵がある。この塵は二、三十年かかってようやく積もった尊いである。静かな明日に打ち勝つほどの静かな塵である

 第二の世界に動く人の影を見ると、たいてい不精な髭をはやしている。ある者は空を見て歩いている。ある者は俯向いて歩いている。服装は必ずきたない。生計はきっと貧乏である。そうして晏如としている。電車に取り巻かれながら、太平空気を、通天に呼吸してはばからない。このなかに入る者は、現世を知らないから不幸で、火宅をのがれるからいである。広田先生はこの内にいる。野々宮君もこの内にいる。三四郎はこの内の空気をほぼ解しえた所にいる。出れば出られる。しかしせっかく解しかけた趣味を思いきって捨てるのも残念だ。

 第三の世界はさんとして春のごとくうごいている。電燈がある。銀匙がある。歓声がある。笑語がある。泡立つシャンパンの杯がある。そうしてすべての上の冠として美しい女性がある。三四郎はその女性の一人に口をきいた。一人を二へん見た。この世界三四郎にとって最も深厚な世界である。この世界は鼻の先にある。ただ近づき難い。近づき難い点において、天外の稲妻一般である三四郎は遠くからこの世界をながめて、不思議に思う。自分がこの世界のどこかへはいらなければ、その世界のどこかに欠陥ができるような気がする。自分はこの世界のどこかの主人公であるべき資格を有しているらしい。それにもかかわらず、円満の発達をこいねがうべきはずのこの世界がかえってみずからを束縛して、自分自由に出入すべき通路をふさいでいる。三四郎にはこれが不思議であった。

 三四郎は床のなかで、この三つの世界を並べて、互いに比較してみた。次にこの三つの世界をかき混ぜて、そのなかからつの結果を得た。――要するに、国から母を呼び寄せて、美しい細君を迎えて、そうして身を学問にゆだねるにこしたことはない。

 結果はすこぶる平凡である。けれどもこの結果に到着するまえにいろいろ考えたのだから思索の労力を打算して、結論価値上下やす思索自身からみると、それほど平凡ではなかった。

 ただこうすると広い第三の世界を眇たる一個の細君で代表させることになる。美しい女性はたくさんある。美しい女性翻訳するといろいろになる。――三四郎広田先生にならって、翻訳という字を使ってみた。――いやしくも人格上の言葉翻訳のできるかぎりは、その翻訳から生ずる感化の範囲を広くして、自己個性を全からしむるために、なるべく多くの美しい女性接触しなければならない。細君一人を知って甘んずるのは、進んで自己の発達を不完全にするようなものである

 三四郎論理をここまで延長してみて、少し広田さんにかぶれたなと思った。実際のところは、これほど痛切に不足を感じていなかったかである

 翌日学校へ出ると講義は例によってつまらないが、室内の空気は依然として俗を離れているので、午後三時までのあいだに、すっかり第二の世界の人となりおおせて、さも偉人のような態度をもって、追分交番の前まで来ると、ばったり与次郎出会った。

「アハハハ。アハハハ

 偉人の態度はこれがためにまったくくずれた。交番巡査さえ薄笑いをしている。

「なんだ」

「なんだもないものだ。もう少し普通人間らしく歩くがいい。まるでロマンチックアイロニーだ」

 三四郎にはこの洋語意味がよくわからなかった。しかたがないから、

「家はあったか」と聞いた。

「その事で今君の所へ行ったんだ――あすいよいよ引っ越す。手伝いに来てくれ」

「どこへ越す」

西片町十番地への三号。九時までに向こうへ行って掃除をしてね。待っててくれ。あとから行くから。いいか、九時までだぜ。への三号だよ。失敬」

 与次郎は急いで行き過ぎた。三四郎も急いで下宿へ帰った。その晩取って返して、図書館ロマンチックアイロニーという句を調べてみたら、ドイツのシュレーゲルが唱えだした言葉で、なんでも天才というものは、目的努力もなく、終日ぶらぶらぶらついていなくってはだめだという説だと書いてあった。三四郎はようやく安心して、下宿へ帰って、すぐ寝た。

 あくる日は約束から天長節にもかかわらず、例刻に起きて、学校へ行くつもりで西片町十番地へはいって、への三号を調べてみると、妙に細い通りの中ほどにある。古い家だ。

 玄関の代りに西洋間が一つ突き出していて、それと鉤の手に座敷がある。座敷のうしろ茶の間で、茶の間の向こうが勝手下女部屋と順に並んでいる。ほかに二階がある。ただし何畳だかわからない。

 三四郎掃除を頼まれたのだが、べつに掃除をする必要もないと認めた。むろんきれいじゃない。しかし何といって、取って捨てべきものも見当らない。しいて捨てれば畳建具ぐらいなものだと考えながら、雨戸だけをあけて、座敷の椽側へ腰をかけて庭をながめていた。

 大きな百日紅がある。しかしこれは根が隣にあるので、幹の半分以上が横に杉垣から、こっちの領分おかしているだけである。大きな桜がある。これはたしかに垣根の中にはえている。その代り枝が半分往来へ逃げ出して、もう少しすると電話妨害になる。菊が一株ある。けれども寒菊とみえて、いっこう咲いていない。このほかにはなんにもない。気の毒なような庭である。ただ土だけは平らで、肌理が細かではなはだ美しい。三四郎は土を見ていた。じっさい土を見るようにできた庭である

 そのうち高等学校天長節の式の始まるベルが鳴りだした。三四郎ベルを聞きながら九時がきたんだろうと考えた。何もしないでいても悪いから、桜の枯葉でも掃こうかしらんとようやく気がついた時、また箒がないということを考えだした。また椽側へ腰をかけた。かけて二分もしたかと思うと、庭木戸がすうとあいた。そうして思いもよらぬ池の女が庭の中にあらわれた。

 二方は生垣で仕切ってある。四角な庭は十坪に足りない。三四郎はこの狭い囲いの中に立った池の女を見るやいなや、たちまち悟った。――花は必ず剪って、瓶裏にながむべきものである

 この時三四郎の腰は椽側を離れた。女は折戸を離れた。

「失礼でございますが……」

 女はこの句を冒頭に置いて会釈した。腰から上を例のとおり前へ浮かしたが、顔はけっして下げない。会釈しながら、三四郎を見つめている。女の咽喉が正面から見ると長く延びた。同時にその目が三四郎の眸に映った。

 二、三日まえ三四郎美学教師からグルーズの絵を見せてもらった。その時美学教師が、この人のかいた女の肖像はことごとくヴォラプチュアスな表情に富んでいると説明した。ヴォラプチュアス! 池の女のこの時の目つきを形容するにはこれよりほかに言葉がない。何か訴えている。艶なるあるものを訴えている。そうしてまさしく官能に訴えている。けれども官能の骨をとおして髄に徹する訴え方である。甘いものに堪えうる程度をこえて、激しい刺激と変ずる訴え方である。甘いといわんよりは苦痛である。卑しくこびるのとはむろん違う。見られるもののほうがぜひこびたくなるほどに残酷な目つきであるしかもこの女にグルーズの絵と似たところは一つもない。目はグルーズのより半分も小さい。

広田さんのお移転になるのは、こちらでございましょうか」

「はあ、ここです」

 女の声と調子に比べると、三四郎の答はすこぶるぶっきらぼうである三四郎も気がついている。けれどもほかに言いようがなかった。

「まだお移りにならないんでございますか」女の言葉ははっきりしている。普通のようにあとを濁さない。

「まだ来ません。もう来るでしょう」

 女はしばしためらった。手に大きな籃をさげている。女の着物は例によって、わからない。ただいつものように光らないだけが目についた。地がなんだかぶつぶつしている。それに縞だか模様だかある。その模様がいかにもでたらめである

 上から桜の葉が時々落ちてくる。その一つが籃の蓋の上に乗った。乗ったと思ううちに吹かれていった。風が女を包んだ。女は秋の中に立っている。

あなたは……」

 風が隣へ越した時分、女が三四郎に聞いた。

掃除に頼まれて来たのです」と言ったが、現に腰をかけてぽかんとしていたところを見られたのだから三四郎自分おかしくなった。すると女も笑いながら、

「じゃ私も少しお待ち申しましょうか」と言った。その言い方が三四郎に許諾を求めるように聞こえたので、三四郎は大いに愉快であった。そこで「ああ」と答えた。三四郎の了見では、「ああ、お待ちなさい」を略したつもりである。女はそれでもまだ立っている。三四郎はしかたがないから、

あなたは……」と向こうで聞いたようなことをこっちからも聞いた。すると、女は籃を椽の上へ置いて、帯の間から、一枚の名刺を出して、三四郎にくれた。

 名刺には里見美禰子とあった。本郷真砂町から谷を越すとすぐ向こうである三四郎がこの名刺をながめているあいだに、女は椽に腰をおろした。

あなたにはお目にかかりましたな」と名刺を袂へ入れた三四郎が顔をあげた。

「はあ。いつか病院で……」と言って女もこっちを向いた。

「まだある」

それから池の端で……」と女はすぐ言った。よく覚えている。三四郎はそれで言う事がなくなった。女は最後に、

「どうも失礼いたしました」と句切りをつけたので、三四郎は、

「いいえ」と答えた。すこぶる簡潔である。二人は桜の枝を見ていた。梢に虫の食ったような葉がわずかばかり残っている。引っ越し荷物はなかなかやってこない。

「なにか先生に御用なんですか」

 三四郎は突然こう聞いた。高い桜の枯枝を余念なくながめていた女は、急に三四郎の方を振りむく。あらびっくりした、ひどいわ、という顔つきであった。しかし答は尋常である

「私もお手伝いに頼まれました」

 三四郎はこの時はじめて気がついて見ると、女の腰をかけている椽に砂がいっぱいたまっている。

「砂でたいへんだ。着物がよごれます

「ええ」と左右をながめたぎりである。腰を上げない。しばらく椽を見回した目を、三四郎に移すやいなや、

掃除はもうなすったんですか」と聞いた。笑っている。三四郎はその笑いのなかに慣れやすいあるものを認めた。

「まだやらんです」

「お手伝いをして、いっしょに始めましょうか」

 三四郎はすぐに立った。女は動かない。腰をかけたまま、箒やはたきのありかを聞く。三四郎は、ただてぶらで来たのだから、どこにもない、なんなら通りへ行って買ってこようかと聞くと、それはむだだから、隣で借りるほうがよかろうと言う。三四郎はすぐ隣へ行った。さっそく箒とはたきと、それからバケツ雑巾まで借りて急いで帰ってくると、女は依然としてもとの所へ腰をかけて、高い桜の枝をながめていた。

「あって……」と一口言っただけである

 三四郎は箒を肩へかついで、バケツを右の手へぶら下げて「ええありました」とあたりまえのことを答えた。

 女は白足袋のまま砂だらけの椽側へ上がった。歩くと細い足のあとができる。袂から白い前だれを出して帯の上から締めた。その前だれの縁がレースのようにかがってある。掃除をするにはもったいないほどきれいなである。女は箒を取った。

「いったんはき出しましょう」と言いながら、袖の裏から右の手を出して、ぶらつく袂を肩の上へかついだ。きれいな手が二の腕まで出た。かついだ袂の端からは美しい襦袢の袖が見える。茫然として立っていた三四郎は、突然バケツを鳴らして勝手口へ回った。

 美禰子が掃くあとを、三四郎雑巾をかける。三四郎が畳をたたくあいだに、美禰子が障子をはたく。どうかこうか掃除がひととおり済んだ時は二人ともだいぶ親しくなった。

 三四郎バケツの水を取り換えに台所へ行ったあとで、美禰子がはたきと箒を持って二階へ上がった。

ちょっと来てください」と上から三四郎を呼ぶ。

「なんですか」とバケツをさげた三四郎梯子段の下から言う。女は暗い所に立っている。前だれだけがまっ白だ。三四郎バケツをさげたまま二、三段上がった。女はじっとしている。三四郎はまた二段上がった。薄暗い所で美禰子の顔と三四郎の顔が一尺ばかりの距離に来た。

「なんですか」

「なんだか暗くってわからないの」

「なぜ」

「なぜでも」

 三四郎は追窮する気がなくなった。美禰子のそばをすり抜けて上へ出た。バケツを暗い椽側へ置いて戸をあける。なるほど桟のぐあいがよくわからない。そのうち美禰子も上がってきた。

「まだあからなくって」

 美禰子は反対の側へ行った。

「こっちです」

 三四郎は黙って、美禰子の方へ近寄った。もう少しで美禰子の手に自分の手が触れる所で、バケツに蹴つまずいた。大きな音がする。ようやくのことで戸を一枚あけると、強い日がまともにさし込んだ。まぼしいくらいである。二人は顔を見合わせて思わず笑い出した。

 裏の窓もあける。窓には竹の格子がついている。家主の庭が見える。鶏を飼っている。美禰子は例のごとく掃き出した。三四郎は四つ這いになって、あとから拭き出した。美禰子は箒を両手で持ったまま、三四郎の姿を見て、

「まあ」と言った。

 やがて、箒を畳の上へなげ出して、裏の窓の所へ行って、立ったまま外面をながめている。そのうち三四郎も拭き終った。ぬれ雑巾バケツの中へぼちゃんとたたきこんで、美禰子のそばへ来て並んだ。

「何を見ているんです」

「あててごらんなさい」

「鶏ですか」

「いいえ」

「あの大きな木ですか」

「いいえ」

「じゃ何を見ているんです。ぼくにはわからない」

「私さっきからあの白い雲を見ておりますの」

 なるほど白い雲が大きな空を渡っている。空はかぎりなく晴れて、どこまでも青く澄んでいる上を、綿の光ったような濃い雲がしきりに飛んで行く。風の力が激しいと見えて、雲の端が吹き散らされると、青い地がすいて見えるほどに薄くなる。あるいは吹き散らされながら、塊まって、白く柔かな針を集めたように、ささくれだつ。美禰子はそのかたまりを指さして言った。

駝鳥の襟巻に似ているでしょう」

 三四郎ボーアという言葉を知らなかった。それで知らないと言った。美禰子はまた、

「まあ」と言ったが、すぐ丁寧にボーア説明してくれた。その時三四郎は、

「うん、あれなら知っとる」と言った。そうして、あの白い雲はみんな雪の粉で、下から見てあのくらいに動く以上は、颶風以上の速度でなくてはならないと、このあいだ野々宮さんから聞いたとおりを教えた。美禰子は、

「あらそう」と言いながら三四郎を見たが、

「雪じゃつまらないわね」と否定を許さぬような調子であった。

「なぜです」

「なぜでも、雲は雲でなくっちゃいけないわ。こうして遠くからながめているかいがないじゃありませんか」

「そうですか」

「そうですかって、あなたは雪でもかまわなくって」

あなたは高い所を見るのが好きのようですな」

「ええ」

 美禰子は竹の格子の中から、まだ空をながめている。白い雲はあとから、あとから、飛んで来る。

 ところへ遠くから荷車の音が聞こえる。今静かな横町を曲がって、こっちへ近づいて来るのが地響きでよくわかる。三四郎は「来た」と言った。美禰子は「早いのね」と言ったままじっとしている。車の音の動くのが、白い雲の動くのに関係でもあるように耳をすましている。車はおちついた秋の中を容赦なく近づいて来る。やがて門の前へ来てとまった。

 三四郎は美禰子を捨てて二階を駆け降りた。三四郎玄関へ出るのと、与次郎が門をはいるのとが同時同刻であった。

「早いな」と与次郎がまず声をかけた。

「おそいな」と三四郎が答えた。美禰子とは反対である

「おそいって、荷物を一度に出したんだからしかたがない。それにぼく一人だから。あとは下女車屋ばかりでどうすることもできない」

先生は」

先生学校

 二人が話を始めているうちに、車屋荷物おろし始めた。下女はいって来た。台所の方を下女車屋に頼んで、与次郎三四郎書物西洋間へ入れる。書物がたくさんある。並べるのは一仕事だ。

里見お嬢さんは、まだ来ていないか

「来ている」

「どこに」

「二階にいる」

「二階に何をしている」

「何をしているか、二階にいる」

冗談じゃない」

 与次郎は本を一冊持ったまま、廊下伝いに梯子段の下まで行って、例のとおりの声で、

里見さん、里見さん。書物をかたづけるからちょっと手伝ってください」と言う。

「ただ今参ります

 箒とはたきを持って、美禰子は静かに降りて来た。

「何をしていたんです」と下から与次郎がせきたてるように聞く。

「二階のお掃除」と上から返事があった。

 降りるのを待ちかねて、与次郎は美禰子を西洋間の戸口の所へ連れて来た。車力のおろし書物がいっぱい積んである三四郎がその中へ、向こうむきにしゃがんで、しきりに何か読み始めている。

「まあたいへんね。これをどうするの」と美禰子が言った時、三四郎はしゃがみながら振り返った。にやにや笑っている。

「たいへんもなにもありゃしない。これを部屋の中へ入れて、片づけるんです。いまに先生も帰って来て手伝うはずだからわけはない。――君、しゃがんで本なんぞ読みだしちゃ困る。あとで借りていってゆっくり読むがいい」と与次郎が小言を言う。

 美禰子と三四郎が戸口で本をそろえると、それを与次郎が受け取って部屋の中の書棚へ並べるという役割ができた。

「そう乱暴に、出しちゃ困る。まだこの続きが一冊あるはずだ」と与次郎が青い平たい本を振り

 三四郎はじっとその横顔をながめていたが、突然コップにある葡萄酒を飲み干して、表へ飛び出した。そうして図書館に帰った。  その日は葡萄酒の景気と、一種精神作用とで、例になくおもしろ勉強ができたので、三四郎は大いにうれしく思った。二時間ほど読書三昧に入ったのち、ようやく気がついて、そろそろ帰るしたくをしながら、いっしょに借りた書物のうち、まだあけてみなかった最後の一冊を何気なく引っぺがしてみると、本の見返しのあいた所に、乱暴にも、鉛筆でいっぱい何か書いてある。 「ヘーゲルベルリン大学哲学を講じたる時、ヘーゲルに毫も哲学を売るの意なし。彼の講義は真を説くの講義にあらず、真を体せる人の講義なり。舌の講義にあらず、心の講義なり。真と人と合して醇化一致せる時、その説くところ、言うところは、講義のための講義にあらずして、道のための講義となる。哲学講義はここに至ってはじめて聞くべし。いたずらに真を舌頭に転ずるものは、死したる墨をもって、死したる紙の上に、むなしき筆記を残すにすぎず。なんの意義かこれあらん。……余今試験のため、すなわちパンのために、恨みをのみ涙をのんでこの書を読む。岑々たる頭をおさえて未来永劫に試験制度呪詛することを記憶せよ」  とある署名はむろんない。三四郎は覚えず微笑した。けれどもどこか啓発されたような気がした。哲学ばかりじゃない、文学もこのとおりだろうと考えながら、ページをはぐると、まだある。「ヘーゲルの……」よほどヘーゲルの好きな男とみえる。 「ヘーゲル講義を聞かんとして、四方よりベルリンに集まれ学生は、この講義を衣食の資に利用せんとの野心をもって集まれるにあらず。ただ哲人ヘーゲルなるものありて、講壇の上に、無上普遍の真を伝うると聞いて、向上求道の念に切なるがため、壇下に、わが不穏底の疑義解釈せんと欲したる清浄心の発現にほかならず。このゆえに彼らはヘーゲルを聞いて、彼らの未来を決定しえたり。自己運命を改造しえたり。のっぺらぼうに講義を聞いて、のっぺらぼうに卒業し去る公ら日本大学生と同じ事と思うは、天下の己惚れなり。公らはタイプライターにすぎず。しかも欲張ったるタイプライターなり。公らのなすところ、思うところ、言うところ、ついに切実なる社会の活気運に関せず。死に至るまでのっぺらぼうなるかな。死に至るまでのっぺらぼうなるかな」  と、のっぺらぼうを二へん繰り返している。三四郎は黙然として考え込んでいた。すると、うしろからちょいと肩をたたいた者がある。例の与次郎であった。与次郎図書館で見かけるのは珍しい。彼は講義はだめだが、図書館は大切だと主張する男である。けれども主張どおりにはいることも少ない男である。 「おい、野々宮宗八さんが、君を捜していた」と言う。与次郎が野々宮君を知ろうとは思いがけなかったから、念のため理科大学の野々宮さんかと聞き直すと、うんという答を得た。さっそく本を置いて入口新聞を閲覧する所まで出て行ったが、野々宮君がいない。玄関まで出てみたがやっぱりいない。石段を降りて、首を延ばしてその辺を見回したが影も形も見えない。やむを得ず引き返した。もとの席へ来てみると、与次郎が、例のヘーゲル論をさして、小さな声で、 「だいぶ振ってる。昔の卒業生に違いない。昔のやつは乱暴だが、どこかおもしろいところがある。実際このとおりだ」とにやにやしている。だいぶ気に入ったらしい。三四郎は 「野々宮さんはおらんぜ」と言う。 「さっき入口にいたがな」 「何か用があるようだったか」 「あるようでもあった」  二人はいっしょに図書館を出た。その時与次郎が話した。――野々宮君は自分の寄寓している広田先生の、もとの弟子でよく来る。たいへんな学問好きで、研究もだいぶある。その道の人なら、西洋人でもみんな野々宮君の名を知っている。  三四郎はまた、野々宮君の先生で、昔正門内で馬に苦しめられた人の話を思い出して、あるいはそれが広田先生ではなかろうかと考えだした。与次郎にその事を話すと、与次郎は、ことによると、うちの先生だ、そんなことをやりかねない人だと言って笑っていた。  その翌日はちょうど日曜なので、学校では野々宮君に会うわけにゆかない。しかしきのう自分を捜していたことが気がかりになる。さいわいまだ新宅を訪問したことがないから、こっちから行って用事を聞いてきようという気になった。  思い立ったのは朝であったが、新聞を読んでぐずぐずしているうちに昼になる。昼飯を食べたから、出かけようとすると、久しぶりに熊本出の友人が来る。ようやくそれを帰したのはかれこれ四時過ぎである。ちとおそくなったが、予定のとおり出た。  野々宮の家はすこぶる遠い。四、五日前大久保へ越した。しか電車を利用すれば、すぐに行かれる。なんでも停車場の近辺と聞いているから、捜すに不便はない。実をいうと三四郎はかの平野家行き以来とんだ失敗をしている。神田高等商業学校へ行くつもりで、本郷四丁目から乗ったところが、乗り越して九段まで来て、ついでに飯田橋まで持ってゆかれて、そこでようやく外濠線へ乗り換えて、御茶の水から神田橋へ出て、まだ悟らずに鎌倉河岸数寄屋橋の方へ向いて急いで行ったことがある。それより以来電車はとかくぶっそうな感じがしてならないのだが、甲武線は一筋だと、かねて聞いているか安心して乗った。  大久保停車場を降りて、仲百人の通りを戸山学校の方へ行かずに、踏切からすぐ横へ折れると、ほとんど三尺ばかりの細い道になる。それを爪先上がりにだらだらと上がると、まばらな孟宗藪がある。その藪の手前と先に一軒ずつ人が住んでいる。野々宮の家はその手前の分であった。小さな門が道の向きにまるで関係のないような位置に筋かいに立っていた。はいると、家がまた見当違いの所にあった。門も入口もまったくあとからつけたものらしい。  台所のわきにりっぱな生垣があって、庭の方にはかえって仕切りもなんにもない。ただ大きな萩が人の背より高く延びて、座敷の椽側を少し隠しているばかりである。野々宮君はこの椽側に椅子を持ち出して、それへ腰を掛けて西洋雑誌を読んでいた。三四郎はいって来たのを見て、 「こっちへ」と言った。まるで理科大学の穴倉の中と同じ挨拶である。庭からはいるべきのか、玄関から回るべきのか、三四郎は少しく躊躇していた。するとまた 「こっちへ」と催促するので、思い切って庭から上がることにした。座敷はすなわち書斎で、広さは八畳で、わりあい西洋書物がたくさんある。野々宮君は椅子を離れてすわった。三四郎は閑静な所だとか、わりあいに御茶の水まで早く出られるとか、望遠鏡試験はどうなりましたとか、――締まりのない当座の話をやったあと、 「きのう私を捜しておいでだったそうですが、何か御用ですか」と聞いた。すると野々宮君は、少し気の毒そうな顔をして、 「なにじつはなんでもないですよ」と言った。三四郎はただ「はあ」と言った。 「それでわざわざ来てくれたんですか」 「なに、そういうわけでもありません」 「じつはお国のおっかさんがね、せがれがいろいろお世話になるからと言って、結構ものを送ってくださったから、ちょっとあなたにもお礼を言おうと思って……」 「はあ、そうですか。何か送ってきましたか」 「ええ赤い魚の粕漬なんですがね」 「じゃひめいちでしょう」  三四郎はつまらものを送ったものだと思った。しかし野々宮君はかのひめいちについていろいろな事を質問した。三四郎特に食う時の心得を説明した。粕ごと焼いて、いざ皿へうつすという時に、粕を取らないと味が抜けると言って教えてやった。  二人がひめいちについて問答をしているうちに、日が暮れた。三四郎はもう帰ろうと思って挨拶しかけるところへ、どこから電報が来た。野々宮君は封を切って、電報を読んだが、口のうちで、「困ったな」と言った。  三四郎はすましているわけにもゆかず、といってむやみに立ち入った事を聞く気にもならなかったので、ただ、 「何かできましたか」と棒のように聞いた。すると野々宮君は、 「なにたいしたことでもないのです」と言って、手に持った電報を、三四郎に見せてくれた。すぐ来てくれとある。 「どこかへおいでになるのですか」 「ええ、妹がこのあいから病気をして、大学病院はいっているんですが、そいつがすぐ来てくれと言うんです」といっこう騒ぐ気色もない。三四郎のほうはかえって驚いた。野々宮君の妹と、妹の病気と、大学病院をいっしょにまとめて、それに池の周囲で会った女を加えて、それを一どきにかき回して、驚いている。 「じゃ、よほどお悪いんですな」 「なにそうじゃないんでしょう。じつは母が看病に行ってるんですが、――もし病気のためなら、電車へ乗って駆けて来たほうが早いわけですからね。――なに妹のいたずらでしょう。ばかだから、よくこんなまねをします。ここへ越してからまだ一ぺんも行かないものから、きょうの日曜には来ると思って待ってでもいたのでしょう、それで」と言って首を横に曲げて考えた。 「しかしおいでになったほうがいいでしょう。もし悪いといけません」 「さよう。四、五日行かないうちにそう急に変るわけもなさそうですが、まあ行ってみるか」 「おいでになるにしくはないでしょう」  野々宮は行くことにした。行くときめたについては、三四郎に頼みがあると言いだした。万一病気のための電報とすると、今夜は帰れない。すると留守が下女一人になる。下女が非常に臆病で、近所がことのほかぶっそうである。来合わせたのがちょうど幸いだから、あすの課業にさしつかえがなければ泊ってくれまいかもっともただの電報ならばすぐ帰ってくる。まえからわかっていれば、例の佐々木でも頼むはずだったが、今からではとても間に合わない。たった一晩のことではあるし、病院へ泊るか、泊らないか、まだわからないさきから関係もない人に、迷惑をかけるのはわがまますぎて、しいてとは言いかねるが、――むろん野々宮はこう流暢には頼まなかったが、相手三四郎が、そう流暢に頼まれ必要のない男だから、すぐ承知してしまった。  下女御飯はというのを、「食わない」と言ったまま、三四郎に「失敬だが、君一人で、あとで食ってください」と夕飯まで置き去りにして、出ていった。行ったと思ったら暗い萩の間から大きな声を出して、 「ぼくの書斎にある本はなんでも読んでいいです。別におもしろものもないが、何か御覧なさい。小説も少しはある」  と言ったまま消えてなくなった。椽側まで見送って三四郎が礼を述べた時は、三坪ほどな孟宗藪の竹が、まばらなだけに一本ずつまだ見えた。  まもなく三四郎は八畳敷の書斎のまん中で小さい膳を控えて、晩飯を食った。膳の上を見ると、主人の言葉にたがわず、かのひめいちがついている。久しぶりで故郷の香をかいだようでうれしかったが、飯はそのわりにうまくなかった。お給仕に出た下女の顔を見ると、これも主人の言ったとおり、臆病にできた目鼻であった。  飯が済むと下女台所へ下がる。三四郎は一人になる。一人になっておちつくと、野々宮君の妹の事が急に心配になってきた。危篤なような気がする。野々宮君の駆けつけ方がおそいような気がする。そうして妹がこのあいだ見た女のような気がしてたまらない。三四郎はもう一ぺん、女の顔つきと目つきと、服装とを、あの時あのままに、繰り返して、それを病院の寝台の上に乗せて、そのそばに野々宮君を立たして、二、三の会話をさせたが、兄ではもの足らないので、いつのまにか、自分代理になって、いろいろ親切に介抱していた。ところへ汽車がごうと鳴って孟宗藪のすぐ下を通った。根太のぐあいか、土質のせいか座敷が少し震えるようである。  三四郎は看病をやめて、座敷を見回した。いかさま古い建物と思われて、柱に寂がある。その代り唐紙の立てつけが悪い。天井はまっ黒だ。ランプばかりが当世に光っている。野々宮君のような新式の学者が、もの好きにこんな家を借りて、封建時代の孟宗藪を見て暮らすのと同格であるもの好きならば当人随意だが、もし必要にせまられて、郊外にみずからを放逐したとすると、はなはだ気の毒である。聞くところによると、あれだけの学者で、月にたった五十五円しか大学からもらっていないそうだ。だからやむをえず私立学校へ教えにゆくのだろう。それで妹に入院されてはたまるまい。大久保へ越したのも、あるいはそんな経済上のつごうかもしれない。……  宵の口ではあるが、場所場所だけにしんとしている。庭の先で虫の音がする。ひとりですわっていると、さみしい秋の初めである。その時遠い所でだれか、 「ああああ、もう少しの間だ」  と言う声がした。方角は家の裏手のようにも思えるが、遠いのでしっかりとはわからなかった。また方角を聞き分ける暇もないうちに済んでしまった。けれども三四郎の耳には明らかにこの一句が、すべてに捨てられた人の、すべてから返事を予期しない、真実独白と聞こえた。三四郎は気味が悪くなった。ところへまた汽車が遠くから響いて来た。その音が次第に近づいて孟宗藪の下を通る時には、前の列車よりも倍も高い音を立てて過ぎ去った。座敷の微震がやむまでは茫然としていた三四郎は、石火のごとく、さっきの嘆声と今の列車の響きとを、一種因果で結びつけた。そうして、ぎくんと飛び上がった。その因果は恐るべきものである。  三四郎はこの時じっと座に着いていることのきわめて困難なのを発見した。背筋から足の裏までが疑惧の刺激でむずむずする。立って便所に行った。窓から外をのぞくと、一面の星月夜で、土手下の汽車道は死んだように静かである。それでも竹格子のあいから鼻を出すくらいにして、暗い所をながめていた。  すると停車場の方から提灯をつけた男がレールの上を伝ってこっちへ来る。話し声で判じると三、四人らしい。提灯の影は踏切から土手下へ隠れて、孟宗藪の下を通る時は、話し声だけになった。けれども、その言葉は手に取るように聞こえた。 「もう少し先だ」  足音は向こうへ遠のいて行く。三四郎は庭先へ回って下駄を突っ掛けたまま孟宗藪の所から、一間余の土手を這い降りて、提灯のあとを追っかけて行った。  五、六間行くか行かないうちに、また一人土手から飛び降りた者がある。―― 「轢死じゃないですか」  三四郎は何か答えようとしたが、ちょっと声が出なかった。そのうち黒い男は行き過ぎた。これは野々宮君の奥に住んでいる家の主人だろうと、後をつけながら考えた。半町ほどくると提灯が留まっている。人も留まっている。人は灯をかざしたまま黙っている。三四郎は無言で灯の下を見た。下には死骸が半分ある。汽車は右の肩から乳の下を腰の上までみごとに引きちぎって、斜掛けの胴を置き去りにして行ったのである。顔は無傷である若い女だ。  三四郎はその時の心持ちをいまだに覚えている。すぐ帰ろうとして、踵をめぐらしかけたが、足がすくんでほとんど動けなかった。土手を這い上がって、座敷へもどったら、動悸が打ち出した。水をもらおうと思って、下女を呼ぶと、下女はさいわいになんにも知らないらしい。しばらくすると、奥の家で、なんだか騒ぎ出した。三四郎は主人が帰ったんだなと覚った。やがて土手の下ががやがやする。それが済むとまた静かになる。ほとんど堪え難いほどの静かさであった。  三四郎の目の前には、ありありとさっきの女の顔が見える。その顔と「ああああ……」と言った力のない声と、その二つの奥に潜んでおるべきはずの無残な運命とを、継ぎ合わして考えてみると、人生という丈夫そうな命の根が、知らぬまに、ゆるんで、いつでも暗闇へ浮き出してゆきそうに思われる。三四郎は欲も得もいらないほどこわかった。ただごうという一瞬間である。そのまえまではたしかに生きていたに違いない。

anond:20240930173941

2024-09-29

増田♂54歳の まあこんなもんですわ

(´`)「…個人的JRの駅の券売機タッチパネルはとにかく反応が悪いのだが、たまたま隣で操作してた鉄道会社観光キャンペーンターゲットにしてるようなカッコイキレイ若い女性がやっぱりイラついて乱暴パネルタッチしてるのを見かけてオレだけじゃないんだとちょっと疎外感が薄まったよ」

2024-09-28

anond:20240928220446

原作の序盤が見切り発車の下書きプロットレベルだったというのも「脚本家マジで凄い!」という勘違いを産んだ原因だよね。

紆余曲折を経て方向性が固まったあとの状態から脚本会議しつつ綺麗に再編成しただけなのを「原作を大幅にブラッシュアップした!天才だ!」みたいに持ち上げられてしまった。

乱暴な言い方をすれば初期の原作めっちゃ乱暴な作りをしていたことでハードルマイナスからスタートたか相対的に高評価になっただけなんだよね。

2024-09-27

anond:20240927084410

オープンにするっていえば聞こえがいいけど

記名式にしろってのはさすがに乱暴

それこそ派閥の縛りがいまよりもっと厳しくなって選挙としての意味が薄れる

2024-09-24

専業主婦VSワーママとか、労働人口不足とか

最近多いよね。最近アツいのは3号廃止とか。

Xだとしがらみを感じるので自分の考えの整理のためにここに書こうかなと。

基本的な私の考えについて

私の属性
基本的な考え

専業主婦が税優遇される必要はないです。それよりも子ども1名あたりの税控除などが必要だと考えます。は国の労働人口不足が大きいと考えており、理由はこの後トピックス毎に記載します。

各考えの論拠については曖昧な点も多いので、詳しい方、違う意見の方はコメントいただけると嬉しいです。

専業主婦VSワーママ最近トピック

年収500万*2馬力世帯年収1,000万円*1馬力世帯に比べてずるいか

所得税その他控除が1,000万円1馬力世帯の方が多いことが気に入らないという話。

これって累進課税がずるいって言ってるの?だとすれば当たり前だけど、ずるくないです。確かに私自身にも累進課税えぐいなーという体感はあるが累進課税なくして幸せになる世帯なんかほとんどないだろと思っている。(貧富の差が開いて幸せになる人間ってほとんどいない)

それとも1,000万円1馬力世帯は500万円*2馬力世帯に比べて多くの税金を支払っているので偉いという話なのか。

偉いわけないだろというのが私の意見

現在労働人口不足ってまじで半端なくて、1名のフルタイム労働者時短でも)を支出している世帯に対して数百万税金を多く支出したくらいで補填できるわけがない。

前提として一般的年収1,000万円の労働者から年収500万円の労働者2名分労働力は発生していないと考えています。当たり前だろ。現在の深刻な労働人口不足に対してそれらの通貨価値市場重要にはかなり乖離があって、労働人口不足な職種の平均賃金予算を用意しても必要な人数の労働者雇用する事はできない場合が多い。だから労働人数の差は累進課税程度の通貨では補填できない程に社会的価値の差があると考える。

第3号被保険者廃止についてとか

第3号被保険者、まあ国が豊かで多くの人が現在保険料支出額に疑問がなければあってもいいのでは、と思う。ただ現状の日本でそう思っている人間はごく僅かであるためただただ不均衡を生むこのシステム廃止したら良いと思っている。私は現在日本には専業主婦世帯積極的支援する体力はないと考えているので。

セーフティネット必要なのは有職者の妻(夫)だけじゃないです。本当にそれで暮らせなくなるのであれば生活保護でも受けたらええ。これに文句を言っている大半の世帯生活保護を受けるレベルではないと考えています

所得制限について

うちはほとんど所得制限世帯ではないですが、これは廃止したら良いと思っています

これで節税される通貨国民意識の分断が割に合っていないと感じるので。この仕組みで旨味を感じられる人が少なすぎる。

まとめ

まじで賃金などを無視したピュア労働力というのが軽んじられ過ぎている。資本主義が悪いんか?

平日道歩いてて分からんの?電線直してるのも水道管整備しているのも40代後半~50代のおじさんばっかじゃん(後最近私が見たのは高校卒業する齢になっていなさそうな男の子)。コンビニファミレス日本人のアルバイトだけじゃ回ってない。

こんな状況で国が専業主婦を増やしたいなんて考えるはずないじゃろ。子どもが産まれていないのと同じくらい今後20年で働く人が足りてないんだよ。自分の社保険料分くらいは労働してほしいて当たり前なんだよね。

そりゃ子どもには何でも与えてあげたいっていうのは分かるのだけれど、労働人口が足りないあらゆる結果は子どもの為になりません。子どもは大切ですが国も個人も与えられるリソースは有限です。

労働人口不足による移民の大量受け入れ、地方インフラ崩壊、これらが私は一番こわいです。

たかだか年収千万世帯の独力ではこれらの問題から子どもを守ることは不可能であるといった点で、ワーママだろうと専業主婦であろうと運命共同体であるという意識必要かなと考えます

記事への反応を見て

午前中に書いた記事に夜にはいくつかの反応がついてる。はてな匿名ダイアリーって凄いですね。

結構丁寧な反応をいただいたので追記します。

https://anond.hatelabo.jp/20240924122045 について

" 年収1000万の人が1人で行う仕事を行うのに 年収500万の人を2人どころか何人揃えても不可能、ってケースは普通にいくらでもあるかと "

これは資本主義社会における時間あたりの労働生産性の話ですよね。これ適切に言語化できないのですが、今足りていない労働人口ってそれとはちょっと違うと思うんですよね。

ごめんなさい、私の勉強不足です。

https://anond.hatelabo.jp/20240924183327 について

すごく丁寧にありがとうございます。私の視点が欠けている点も含めて納得する事が多いです。

この反応への返信も含めて、このエントリーを書いてよかったです。

" 低年収世帯への手当は増額したほうが良い "

これが欠けた視点の最もたるところかなと思いました。そのとおりです。

" ずるい・ずるくないって話には意味がない。 "

良い人だなと思いました。

https://anond.hatelabo.jp/20240924184519 について

やっぱり3号廃止ってすごくセンシティブな話なんだなと思いました。

乱暴だと言われれば乱暴に言ってしまったので申し訳ないです。

まずこのコメントくださった方と私の感覚に大きな開きがあり、私は専業主婦別に負け組だとは思っていないです。私が2馬力世帯なのは生活の為なのでどう考えても自分が勝っているなどとは思っていないです。(勝ち負けの議論意味がないことはわかった上で)

3号制度への一番の疑問はなぜ有職者の配偶者だけ助ける?という点です。別に私の人生にもあなた人生にも様々な不幸は起こり得ますが、有職配偶者がいるのだとしたらそれだけでそうではない人より恵まれている気がします。仮に有職配偶者を失う話であればここの議論にも乗れません。

てめーも不幸になるかもしれないだろの論調で行くと不幸の底へ向かう早い段階で3号制度じゃ救われなくなると思っており、違う形の方が良いと思っています。また、出生を盾にするのであれば出生に対してボーナスがついた方が良くないですか?

都内無人ジムにて

都内の某無人ジム(Li◯eFit)を使っているが、器具の扱いが雑な「脳筋」が多い。マシンのおもりやダンベルをそっと扱わず「ガシャーン!」という音がしょっちゅう聞こえてイライラする。

そういう連中は、筋肉隆々だったり、グローブをつけていたり、プロテインを持っていたりすることが多いので初心者ではないのだろうなと思う。中上級者のくせに、器具大事に扱うことを学んでこなかったのかな。逆に初心者は注意書きをちゃんと読んで丁寧に扱ってるのに、日本語読めないのかな。

乱暴に扱えばメンテや買い替えのコストが結局自分に跳ね返ってくるのに、そんなこともわからないのかなぁ。少なくとも自分はそんな連中のせいで値上がりとかしたら、耐えられない。

2024-09-21

令和の虎 故岩井良明氏の言う「応援団リンチ事件冤罪」は果たして

2024年9月15日 YOUTUBEチャンネル 『令和の虎CHANNEL』主宰などを務める、株式会社MONOLITH Japan代表取締役 岩井良明氏が死去した。

彼のことを高く評価する向きもあるようだが、私は彼に対して否定的評価を有している。

また、私は同志社大学応援団に関わった人言でもある。

今回、彼の死去を機に、岩井良明氏が団長を務めていた同志社大学応援団でおきたリンチ事件について書こうと思う。

お断り岩井良明氏は死去しており、死者に対する名誉毀損は「虚偽の事実摘示した場合にの刑事処罰されます。また、民事上も概ね同様です。よって、本記事名誉毀損等にあたることはないものと考えています。死去により、生存する人物としての保護対象ではなくなり、歴史上の批判さらされることになることをご理解ください。

まず、問題の「同志社大学応援団リンチ事件」とはどのようなものであるか、当時の新聞記事1982年5月23日朝日新聞朝刊)では以下のように報道されている。

同志社大学松山義則学長)の応援団で、新入生が団員にしごきの「リンチ」を加えられて全身打撲の大けがを負ったことが22日明るみに出た。大学側は事態を重視して同日、応援団と同部に所属する吹奏楽部の対外活動禁止するとともに団関係者から事情聴取を進めている。

大学側の調べによると、20日から21日未明にかけて、京都市上京区烏丸上立売下ルの同大大学会館別館(学生会館)の応援団部室で、商学部に今春入学した団員の一年生A君(18)に対し応援団の二年生部員五人が「応援方法指導する」と言って、殴るけるなどの乱暴を加えた。A君は21日朝、自分で近くにある同大学の厚生館診療所に行き治療を受けた。全身に打撲傷を負っていたため、不審に思った医師が尋ね「リンチ」がわかった。事態に驚いた大学側はA君をタクシー下宿へ送る一方、応援団関係者から事情聴くとともに29、30日に西京極球場で予定されている伝統対立命館大戦にも応援団を出場させない方針を決めた。新発足した関西学生野球リーグ同大にとっては二位をかけた大事試合

27日夜には京都繁華街四条河原町同志社立命館の両大学学生がそろって繰り出し、応援団が主役を演じる恒例の「同立前夜祭」が行なわれる予定だったが、これも中止される見通しになった。

同大応援団一般学生応援指導をするリーダー部と、伴奏器楽演奏をする吹奏楽部に分かれており、団員は百人を超える。大学側はこの不祥事で、リーダー部だけでなく吹奏楽部自粛を決定。これに伴い同吹奏楽部は22日京都市岡崎で開かれた京都府内八大学の合同演奏会への参加を辞退した。

応援団は数年前にも暴力事件を起こし、大学から団の活動を二年間に渡って禁止されたことがある。

同志社野球部OBの一人は「伝統の同立戦を控え、立派な応援ぶりを期待していたのだが…。勇ましいのは結構だが行き過ぎは困る」と残念がっていた。』

これに対して、岩井氏はブロク(2006年掲載した記事現在は削除)で、リンチ事件実在しない。リンチ被害者狂言である自分背中自分で叩いたのだ、と主張している。

令和の虎CHANNELにおいても「冤罪」などと述べている。

これについて

・まず、当時の新聞記事からわかるように、被害者とされる人物が何者かからリンチを受けたというのは「医師の診断」により発覚し、同志社大学側が把握したとされている。

医師が全身の傷を検査し、加害による負傷に間違いないと診断したのである。そこに疑いの余地はない。

岩井氏はブログで「あれほど暴力あかんって言い続けて来たのに。」と述べている。しかし、岩井氏のブログでは、自身が下級生時代先輩団員から暴力を受ける様子が克明に記録されている。例えば、1981年出来事として「その後、我々三回生リーダー部長にどつかれ、二回生は三回生にどつかれ、一回生は二回生に半殺しにあった。」との記述がある(2006-11-24岩井ブログ記事)。暴力しかも「半殺し」が横行していた応援団で「暴力あかんって言い続けて来た」というのは無理がある。

・当の応援団自身が、リンチ事件存在歴史上の事実として認めている。同志社大学応援団現在は復活して存在するが「リンチ事件存在した、二度と発生させない」という見解を有しており、代々悪しき事例として語り継いでいる(同団ではこれを「継承」と呼んでいる。)。(なお、私が応援団に関わっていた当時、岩井氏が「同志社大学応援団総監督就任したい」との意向を有しており、他のOBらがそれを阻止していた、という話を見聞きしたことがある。)

これらの事実にも関わらず、岩井氏は結局最後までリンチ事実を認めることなく、被害者を貶めて来たのだと評価せざるを得ない。

岩井自身リンチの実行行為に関与していないとしても、応援団最高責任者として監督責任を有していたことは明らかであり、責任があるはずである。にもかかわらず稚拙論理冤罪を主張し、死ぬまで事実を認めなかったのは、残念である

2024-09-20

anond:20240920195247

なんという浅はかな発言だ。「学習ゲインの調整」だと?笑わせないでくれ。これほど複雑で精緻過程を、たった5文字で片付けようとするなんて、君の無知さ加減には呆れるばかりだ。

まず、「ゲイン」という言葉遣いからし不適切まりない。機械学習文脈で「ゲイン」なんて使わない。それは制御工学用語だ。君は分野すら混同しているようだね。

そもそも学習プロセスは単なる「調整」で済むような簡単ものじゃない。バックプロパゲーション確率的勾配降下法正則化ドロップアウト...挙げればきりがないほど、複雑で高度な技術集合体なんだ。

君のような素人が、こんな乱暴単純化をして得意げに語るから一般の人々の科学リテラシーが向上しないんだ。次からこういう話題に触れる時は、まず基礎から勉強することをお勧めするよ。あるいは、僕のような専門家に聞くのもいいだろう。君の無知晒す前に、ね。

anond:20240920163341

心理学における帰属バイアス(Attribution bias, Attributional bias)とは、認知バイアスの一つであり、人々が体系的なエラーの原因について、それが自他の行動によると考えたり、理由を求めたりすることである[1][2][3]。人は常に帰属理論思考するが、その理論は常に正確と限らない。人は客観的な観察者としては存在しないため、社会的世界の偏った解釈によって、バイアスのある解釈を行いがちである[4][5]。

例えば、Aの車がBの車に割り込み、Bが苛立つ場面において、Bは「Aは仕事などの予定に遅れそうで注意散漫であった」などAの状況よりも、「Aは無礼乱暴無能なので割り込んだ」などAのパーソナリティーに原因があると解釈しがちである

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