はてなキーワード: 乱暴とは
ゲイはセックス時のポジションでタチ(挿れる方)、ウケ(挿れられる方)の2種類に分かれる。
どちらのポジションもできることをリバ、挿入行為をしないことをバニラと呼んだりもする。
ほぼウケしかしてこなかった自分が、ここ1年くらいでタチができるようになって世界が広がったのでその感想を残しておこうと思う。
初めてセックスしたのは19か20の時で、それ以来、人並みにセックスをしてきた。
20代半ばになってウケの気持ちよさを覚えて、それ以来もっぱらウケだった。
たまにタチをしてもイマイチうまくいかない(中折してしまう)ことが多かった。
ちなみに自分の中でのタチが成功することの定義は「手を使うことなく挿入したまま射精までできるようになる」ということである。(もちろんゴム着けた状態でね!)
前者についてはそのままで、自分がウケとして相手をしているタチの姿や、エッチなビデオの中で見るタチの姿を見るにつけ、「そんなに気持ちよさそうなら自分もタチができるようになりたい」という気持ちが日に日に強まっていた。
後者については「性自認」に関係した問題である。自分の性自認は「男性」である。
男性として男性が好きな、シスジェンダーのゲイ男性ということになる。
「挿れられる」という男女間においては女性側が担う行為を行うことは、なんとなく自分の性自認およびそれに基づく性表現にそぐわない感覚があった。
そんな自分だったが、ここ1年くらいでタチができるようになった。
タチができるようになる過程を振り返ってみて、習得のコツ的なものが2つあった。
逆説的なんだけど、タチができるようになるためには、とりあえず1回タチを成功させることが重要だと思う。
自転車に乗るのと一緒で、1回成功するとタチとしての身体的感覚をつかむことができる。
そして何より「自分はタチが全くできないわけじゃないんだ」という安心感を得ることができる。
自分自身1回成功するまでは「今回も中折しちゃうんじゃないか」というプレッシャーがあり、プレッシャーでますますスムーズにことが進まなくなるという悪循環だった。
1回成功して以来は「少なくとも自分はタチのポテンシャルはあるんだ」という自信につながり、仮に一度中折してしまったとしても余裕を持って挽回できるようになった。
これは1回成功した後に始めた習慣なのだけれど、マスタベーションのときに手ではなくTENGA*を使うようになった。
男女のセックスにおいて男性が女性の膣内で射精まで至らない、いわゆる「膣内射精障害」の原因の1つに「強グリップ」マスタベーションがある**。
ゲイなので膣内ではないのだが、多分同じことは言えるだろうと思い、手からTENGAに切り替えた。
そうすることで、これまでグリップ力で快感を得ていたのが、TENGAのヌルヌルした摩擦によって快感を感じられるようになった。
手でやるときよりもタチをしている最中に感じる刺激と近いものを疑似体験でき、本番に備えられている感覚がある。
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*自分が使っているのは洗って繰り返し使えるTENGA SPINNER(https://store.tenga.co.jp/product/EC-SPN-001)という商品。タチ云々より、単純に手より遥かに気持ちいいからおすすめ
**膣内射精障害の原因となるマスタベーションは他にも「足ピン」「床・壁」があるらしい。タチができるようになりたいならそれらも避けた方がいいはず
当たり前なのだけど、ウケしかできなかったときはタチを探すほかなかったのが、ウケも相手ができるようになり、乱暴に言えば楽しめる相手が2倍に増えた。
また、長らくウケをやってきたからこそ感じるタチにやってほしいこと・やってほしくないことをタチ側として実践できるようになった。
具体的には、一度挿入したらいきなり腰を振らずにウケが慣れるまでじっとしている*とか、ウケが射精した後は相手が望まない限りは挿入はしない**とか。
ゲイ向けのデートアプリではプロフィール内にタチ・リバ・ウケを記載している場合が多い。
しかしながら自分がタチをやるようになってから会ったプロフィール上でリバの人の半数以上が実際はウケであった。
「タチもやったことはあるけどほぼウケしかやらない」みたいな。
理由をくわしく聞いたことはないんだけど、なんとなくウケって後ろめたさがあるのかなと思った。
先述の男性性の話にも通じるんだけど、ウケってやっちゃいけないことをやってる感というか、ちょっとヘンタイっぽい印象がある気がする。
実際のところはわかんないし、そんなスティグマがあるならばなくなってしまえばいいと思うけど、自分自身、ウケしかやらない時期も「タチ願望」から来るささやかな抵抗としてプロフィールではリバにしていて、各人フクザツな心理が働いているのかなと推測している。
自分はウケからリバになり、最近のセックスのポジションを振り返るとなんならタチが多いくらいだけれど、タチ・ウケどちらが好きかと聞かれると答えに窮する。気持ちよさの質が異なる。
例えば「醤油ラーメンととんこつラーメンどっちが好き?」と聞かれたら「醤油ラーメン」と答えられるけれど、「ラーメンとスパゲッティどっちが好き?」と聞かれると「その日の気分による」としか答えられない感じ。
自分の中でタチ・ウケは完全なアップルトゥアップルな比較になっていない。
ただ確実に言えるのは、タチの方が楽である。
ウケをするときは事前の準備もさることながら、やはり挿れられることによる身体的負担が大きい。
タチも腰を振るという運動量はあるが、そのエネルギーを受け止めるウケの方がどっと体力を使う感覚がある。
自分の場合「タチをやりたい」ではなく「ウケをやるのがめんどうだから」というモチベーションでその日はタチをやったりすることもある。
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書き殴り。
■総評
おもろかった。ウルトラマンの怪獣図鑑が大好きな30代だか、怪獣もたくさん見れてよかった。
■冒頭
西島秀俊、なんかセリフがセリフセリフ1人だけしてる感。他のかとくたいのメンバーは自然に感じたが1人だけ役に入ってない様な感覚。
冒頭の5匹?くらいの怪獣を自衛隊が倒したのはうれしい。ゴジラではよくやられ役、効果なし攻撃をしている事が多いのでうれし。
倒すまでの分析、仮説、実施、撃破がサクサクと言われて良い。実際にでたらこんな感じで倒すのかな、とかリアリティある想像も捗る。元ネタウルトラマンは沢山怪獣出てきたので沢山出て良い。ゴジラは1匹をしっかり時間かけるが、ウルトラマンの見せ方としてはステキ。
ウルトラマンのゴジラ、恐竜形使い回しの「アタッチメント」ネタにも言及していてよい。
■斎藤工
■ザブラ星人
そうそう。怪獣だけでなく、知能犯もいるのよね。侵略の手順とか大国同士の外交の感じとかそれっぽくて、リアリティある感じ!分からんけど。ここまででもう大好きになる。
途中で、え、君後ろ半分の身体無いやん!と、デザインのちょいおしゃれになっとる。
ウルトラマンが、原子力パクパク怪獣と戦うとき、人間の被害を最小限に抑えるために、身を挺して守る戦いをする。ドリルを手で受け止めたり(熱いやろ!あれ)放射線を気にしてスペシウム光線ではなく、正拳突きで倒して、死骸も宇宙にもっていく。最後に飛び立つ時に禍特隊をチラ見で確認。
ひたむきに守ってくれる姿を見て、幼稚園の時の「あ、この純粋に守ってくれる感覚。そうだよ、これがウルトラマンなんだよ!((🥺))」と急に4歳児の時のウルトラマンに対する、信頼感、安堵感を急激に思い出す。
最近は終わらないコロナ、ロシアのウクライナ侵攻、上島竜兵の自死ニュースなど、気分が本当に塞ぎ込む事が多かった。
懐かしい、当時のウルトラマンに対する純粋な気持ちが思い出される。不覚にもうるっときてしまった。
■巨大長澤まさみ
巨大フジ隊員に当時の子供たちが性癖拗らせたのであろう。したからのスーツスカートを下から覗く、無表情でスーツ、ブラウス推定gカップ長澤まさみの巨乳感。丸の内を舞台にエルボー、前蹴り、気絶横倒れ、意識不明でブルーシートで爆睡。いたずらしたくなる感じ。72年放送、幼少期の欲望を良くぞ鮮度そのままで、いままでとって昇華発展させたたものだ。
俺も仕事の上でしょうがなく長澤まさみをクンカクンカ合法的にしたい🐶
ウルトラマンシリーズでよくラスボス感ある悪役。ボンボンのウルトラマン超闘士でも強かった。山本耕の演技もええ!1番のハマり役ちゃうか!
怪獣、ウルトラマンのサイズ感。よって、あおって撮るから、サイズ感がいい。ザブラ星人戦の空中戦や、地面に叩きつけるのではなく、街への被害を考慮して空に蹴り上げるの好き。かっこいい。ベジータとセルの戦いを彷彿とさせる。
■ゾフィー
メフィラス戦。おー!強!
わー!だれや?ジャックか?
ゾフィーだった。
胸のつぶつぶないのね。🤔
流石のメフィラス星人もゾフィー+マンの2人を相手にするのは旗色悪かろう。爆発せず、撤退するのも原作通りか。好き。😎😎
■ゾフィー②
俺の好きなゾフィー像が😂
ゼットン星人どこいった😭
それでも戦う、マン。
さすがだせ!😎
ウルトラマンがやられて、ゼットンに対しやけっぱちになる滝明久隊員。冒頭の怪獣、登場時、対策を2パターン提案するも、先輩に即反論されておじゃん。この感じ、新卒時代を思い出して胃がキリキリ。
だが、ウルトラマンが返り討ちにあったゼットン。ウルトラマンは瀧くんを信じていたのだ。
■終わり
とか思った。
■結論
シンゴジほどの人に伝えたい熱狂はなくも、幼稚園の時の気持ちを思い出させてくれてほっこりしてよかった。
よかった!!
「白色人種がそれ以外の人種より優れているという理念」とあった。
それ以前は、自民族中心主義や外国人嫌悪はあっても、「人種」という概念は存在しなかったらしい。
その大航海時代あたりの事を考えると、白人が世界各地に繰り出し、植民地を作ったり、現地人を騙して
白人優位な契約などを結ばせ、白人が現地人(白人以外)から搾取しまくった。そらあ儲けは凄まじかったろう。
アメリカ大陸なんぞは白人の居なかった世界。現地人を騙して搾取し、ついには領土まで全てもぎ取ってしまった。
その頃の日本は、世界の雰囲気を察してか鎖国を行う。奴らと仲良くしていればロクな事にならんと判断した訳だ。
現地人を騙して搾取する。当時それが容易に行えた(それなりの失敗や抵抗もあったろうが)と言うことは、つまり、
白人が優れていた。と言ってもいいのではないだろうか。
その当時において、白人至上主義はたんに事実を元に語られ始めたのでは無いだろうか。
そもそも教育や軍隊の規律など当然、黒人国家やアジア人国家より優れていたのであろう、そういうものを背景に
有利に立ち回って来たのだから、当たり前といえば当たり前の話ではないだろうか。
人類の誕生はアフリカのどこかと聞く。そしてそれは黒人であるとも聞く。
その頃は、単なる動物であった人類の祖先は、ある時からヒトとして動き始める事になるけど、想像するに最初の人類は
やや動物寄りであったんだろうという想像は当たらずとも遠からずのように思える。
現代でも黒人は運動能力が高いとされている。体もデカいし、力もあるだろう。身体能力を生かして厳しい自然の中で
勝ち抜き、生き抜いてきたはずだ。その当時の各個人の評価は、力が強い、獲物をたくさん取ってくる、子供を沢山産む、
などなど、そういった人間の動物的な能力が評価されていたに違いない。その能力でアフリカから全世界に広がっていった。
黒人達の動きがなければ、今の人類は成り立たない。そういう意味では白人もアジア人も黒人に感謝しなくてはならない。
黒人が全世界に渡り、色々と枝分かれしていく。人類はどんどん進化していく。
その進化の際に、文明が生まれ、現代で定義しただけの話であるが、世界四大文明が生まれる事になる。
そこには黒人文明は無い(これそのものが黒人差別なのかもしれない。文化、文明的なものが全く無いとは思えないし)
黒人以外の視点から見ると、近代文明を作り上げ、知恵で世界を切り拓いていったのは白人やアジア人である。
であるならば、やはり白人至上主義や中華思想のようなものは単なる当時からすれば事実でしか無いように思える。
人類が誕生してからのしばらくは黒人が優れていたのは間違いない。黒人しかいないし、その黒人が世界に広がらなければ、
現代の白人もアジア人もいない。間違いなく黒人は優れている。優れていないのならば、地球上に生まれては絶滅していく
様々な動物の1つでしか無かった事になってしまう。ご先祖様を敬う宗教があるのであれば黒人に感謝しなくてはならない。
しかし、様々な文明が世界各地で起こり、融合、分離、していくうちに黒人の影は薄くなっていく。
身体能力そのものはそれほど重視されなくなっていく。各個人の能力評価は、体力だけでなく知恵が重要になってくる。
体力だけでは他の文明、国家には太刀打ち出来なくなってくる。知恵がなければ、武器や作戦で勝てないし、騙されもする。
大航海時代より、本格的に非白人国家が搾取される事になるのは知恵の問題である。(知恵の足りない白人国家も搾取されるが)
こういった面において、白人は優れているといえる。
現代では、白人国家に搾取されていない非白人国家は無いと言えるくらい、白人国家は成功しているのではないか。
古代では、力や体力が全てなので、体に障害を持つものは一人前とは見做されなかった。
知的障害や精神障害などの概念が無かった。パワーこそが全てなのだから。
中世では、知恵が重要になって来たので(体力は当然として)、知的障害を持つものは一人前と見做されなかった。
知恵が重要なので、精神的なナニは重要視されない。現代になって、偉人とされている誰それは〇〇障害では無いのか-
などという話はよく聞く話である。精神的な情緒より、知恵が重要視されていたのでは無いだろうか。
時代が進むとともに人類として様々な能力が備わっていないと、一人前と見做されなくなっていく。
現代になって、発達障害や適応障害などという言葉が出てきた。昔から症状はあったんだろうが、現実には変わり者、頑固者、
気弱な人、大人しい人、まあああいう人だから、という認識でさほどカテゴライズされる人達では無かったように思える。
つまり、現代では、体力+知力+他者とうまくやる能力が求められている。これがセットで揃っていないと一人前と見做されない。
こんな話を見た時、白人至上主義と何かがリンクしたように思えた。
中世以降、現代まで白人優位の時代が続くものの、搾取の網も世界中に広がり簡単には行かなくなってきた。
強い搾取者が弱い搾取者を取り込んでいく、搾取していくにも限界が近いのではないか。
限界が近い為、国家内でも喰い合いが続き、上が下を食い尽くす。その先に何があるのか。
中世はずっと続くのであろうか。
この先、いつか時代が変わる。その時、必要になる優位差はなんなのか。他者とうまくやる能力では無いだろうか。
白人国家や黒人国家に比べ、アジア人国家は歴史が長いように思える。様々な事に巻き込まれ、流されながらも国を
維持してきた。それはつまり、他者とうまくやってこれたからではないか。
少々乱暴ではあるが、これからはアジア人の時代では無いだろうか。
それを敏感に感じている白人どもが暴れてるんじゃ無いだろうか。
白人至上主義、それが事実である時代が続いて欲しいのでは無いだろうか。
今後は、日本、中国、インド、中東のイスラム国家が世界を席巻していくのでは無いだろうか。
「白色人種がそれ以外の人種より優れているという理念」とあった。
それ以前は、自民族中心主義や外国人嫌悪はあっても、「人種」という概念は存在しなかったらしい。
その大航海時代あたりの事を考えると、白人が世界各地に繰り出し、植民地を作ったり、現地人を騙して
白人優位な契約などを結ばせ、白人が現地人(白人以外)から搾取しまくった。そらあ儲けは凄まじかったろう。
アメリカ大陸なんぞは白人の居なかった世界。現地人を騙して搾取し、ついには領土まで全てもぎ取ってしまった。
その頃の日本は、世界の雰囲気を察してか鎖国を行う。奴らと仲良くしていればロクな事にならんと判断した訳だ。
現地人を騙して搾取する。当時それが容易に行えた(それなりの失敗や抵抗もあったろうが)と言うことは、つまり、
白人が優れていた。と言ってもいいのではないだろうか。
その当時において、白人至上主義はたんに事実を元に語られ始めたのでは無いだろうか。
そもそも教育や軍隊の規律など当然、黒人国家やアジア人国家より優れていたのであろう、そういうものを背景に
有利に立ち回って来たのだから、当たり前といえば当たり前の話ではないだろうか。
人類の誕生はアフリカのどこかと聞く。そしてそれは黒人であるとも聞く。
その頃は、単なる動物であった人類の祖先は、ある時からヒトとして動き始める事になるけど、想像するに最初の人類は
やや動物寄りであったんだろうという想像は当たらずとも遠からずのように思える。
現代でも黒人は運動能力が高いとされている。体もデカいし、力もあるだろう。身体能力を生かして厳しい自然の中で
勝ち抜き、生き抜いてきたはずだ。その当時の各個人の評価は、力が強い、獲物をたくさん取ってくる、子供を沢山産む、
などなど、そういった人間の動物的な能力が評価されていたに違いない。その能力でアフリカから全世界に広がっていった。
黒人達の動きがなければ、今の人類は成り立たない。そういう意味では白人もアジア人も黒人に感謝しなくてはならない。
黒人が全世界に渡り、色々と枝分かれしていく。人類はどんどん進化していく。
その進化の際に、文明が生まれ、現代で定義しただけの話であるが、世界四大文明が生まれる事になる。
そこには黒人文明は無い(これそのものが黒人差別なのかもしれない。文化、文明的なものが全く無いとは思えないし)
黒人以外の視点から見ると、近代文明を作り上げ、知恵で世界を切り拓いていったのは白人やアジア人である。
であるならば、やはり白人至上主義や中華思想のようなものは単なる当時からすれば事実でしか無いように思える。
人類が誕生してからのしばらくは黒人が優れていたのは間違いない。黒人しかいないし、その黒人が世界に広がらなければ、
現代の白人もアジア人もいない。間違いなく黒人は優れている。優れていないのならば、地球上に生まれては絶滅していく
様々な動物の1つでしか無かった事になってしまう。ご先祖様を敬う宗教があるのであれば黒人に感謝しなくてはならない。
しかし、様々な文明が世界各地で起こり、融合、分離、していくうちに黒人の影は薄くなっていく。
身体能力そのものはそれほど重視されなくなっていく。各個人の能力評価は、体力だけでなく知恵が重要になってくる。
体力だけでは他の文明、国家には太刀打ち出来なくなってくる。知恵がなければ、武器や作戦で勝てないし、騙されもする。
大航海時代より、本格的に非白人国家が搾取される事になるのは知恵の問題である。(知恵の足りない白人国家も搾取されるが)
こういった面において、白人は優れているといえる。
現代では、白人国家に搾取されていない非白人国家は無いと言えるくらい、白人国家は成功しているのではないか。
古代では、力や体力が全てなので、体に障害を持つものは一人前とは見做されなかった。
知的障害や精神障害などの概念が無かった。パワーこそが全てなのだから。
中世では、知恵が重要になって来たので(体力は当然として)、知的障害を持つものは一人前と見做されなかった。
知恵が重要なので、精神的なナニは重要視されない。現代になって、偉人とされている誰それは〇〇障害では無いのか-
などという話はよく聞く話である。精神的な情緒より、知恵が重要視されていたのでは無いだろうか。
時代が進むとともに人類として様々な能力が備わっていないと、一人前と見做されなくなっていく。
現代になって、発達障害や適応障害などという言葉が出てきた。昔から症状はあったんだろうが、現実には変わり者、頑固者、
気弱な人、大人しい人、まあああいう人だから、という認識でさほどカテゴライズされる人達では無かったように思える。
つまり、現代では、体力+知力+他者とうまくやる能力が求められている。これがセットで揃っていないと一人前と見做されない。
こんな話を見た時、白人至上主義と何かがリンクしたように思えた。
中世以降、現代まで白人優位の時代が続くものの、搾取の網も世界中に広がり簡単には行かなくなってきた。
強い搾取者が弱い搾取者を取り込んでいく、搾取していくにも限界が近いのではないか。
限界が近い為、国家内でも喰い合いが続き、上が下を食い尽くす。その先に何があるのか。
中世はずっと続くのであろうか。
この先、いつか時代が変わる。その時、必要になる優位差はなんなのか。他者とうまくやる能力では無いだろうか。
白人国家や黒人国家に比べ、アジア人国家は歴史が長いように思える。様々な事に巻き込まれ、流されながらも国を
維持してきた。それはつまり、他者とうまくやってこれたからではないか。
少々乱暴ではあるが、これからはアジア人の時代では無いだろうか。
それを敏感に感じている白人どもが暴れてるんじゃ無いだろうか。
白人至上主義、それが事実である時代が続いて欲しいのでは無いだろうか。
今後は、日本、中国、インド、中東のイスラム国家が世界を席巻していくのでは無いだろうか。
先日、馴染みの嬢に入りに行ったら、たまたまその日ラストの客となった。
「そうなんや」
「してないけど何で?」
「最後だから生中でも次のお客さんに迷惑にならないし。洗い流すの大変なんだよね」
ワイは葛藤した。病気が恐ろしいのでソープではゴム有りでしかしないことにしている(生サービスが噂される嬢には入らないことにしている)からである。
「〇〇〇ちゃんて他の男とも生やるの?」
「無くはないけどホントに大丈夫ってわかってる常連さんとたまにだけ」
「そうなんやー」
「ネットとかでも私が生やってる情報とか無いっしょ? あれ、生でした人が数人しかいなくて、ちゃんと口止めしてるからなんだよねー」
「そんだけ少ないなら書き込んだらバレるんやろね」
「そうだよー。だから書き込んだらダメ。どうする? 生が嫌ならゴム有りでいいよ」
そこまで言われたらヤるしかないではないか。正直めっちゃ久しぶりの生挿入の誘惑は強かった。
「うわーやべーやっぱ気持ちいいわ」
「男の人って皆そう言うよねー」
「意外と変わるよー。カリの引っ掛かりとか」
「そうなんや。相変わらずイクの遅くてすまんやで」
「ワイさん遅漏だけどエッチが丁寧で気持ちいいから遅くても全然大丈夫だよー」
「そう言ってもらえると助かるわー」
「やっぱエッチするなら30歳以上、アラフォーくらいの人がいいんだよね。だいたい丁寧で気持ちよくしてくれるから」
「全員じゃないけどだいたい乱暴でヘタだね」
君が女神か。
なお、次に入りに行った時は
とのことでした。はい、わかりました。
以上が前置きでさ、プロ故の経験回数の結果としてのコメントなのか、こちらへの接客トークの一部なのか判断つきかねたんで女子の方にお聞きしたいんだけど実際ゴム有り無しで女子も感触変わるもんなの?
今日駅前で人を待ってたら駐輪所に置いてある自転車のところに幼稚園児くらいのお兄ちゃんと弟を連れたお母さんがきた。
前後に子供が乗るやつをつけたママチャリで、弟はママに抱っこされてすぐ乗り込んだんだけどお兄ちゃんのほうがまだ遊びたいらしくて
お母さん「早く乗って」
お兄ちゃん「いや!」
お母さん「乗って」
お兄ちゃん「いや!」
お母さん「乗れ」
お兄ちゃん「いや!」
お母さんの口調がどんどん荒くなっていくのと手に持った子供用のヘルメットで壁をガンガンぶん殴ってるのは気になったけど
毎日これだったら大変だよな、お母さん根気強いな…と思ってたら「乗れっつってんだろ!」と男の子の腕を引っ張り自転車に叩きつけた。
自転車スタンドの片方が浮くくらいの衝撃で、大きい音もしたので周りにいた人みんな注目してたけど
お母さんは何事もなかったように(さっきまで壁ぶん殴ってた)ヘルメットを幼稚園児らしきお兄ちゃんの首がガクッとなるほど乱暴にかぶせて自転車に乗ってどっか行った。
叩きつけられたお兄ちゃんがびっくりも泣きもしていなかったので日常茶飯事なのかな。
できるってのは、優れた問題対処能力を持っているか、あるいはそれらを法家的手段で対処できる恵まれた環境にいるからだと思う
これらを持ってないのに悪意者に対処しようとすると、どこか乱暴であったり、あるいはエキセントリックな解決方法を採りがちになって、それが悪意者のサディズムを亢進させて、更に悪質なサボタージュを引き起こすことになる
でも、無能なりに責務を全うしようとすれば怒鳴ることもする、ということを、「怒るな、怒鳴るな」と主張する人間も承知しておくのがフェアだと思う
ADHDや発達障害の診断が下りた人の契約能力を一律に否定する法律に賛成しますか?社会復帰は絶望的になりますけど、生活保護あるんでいいですよね?
AV新法の話であって以上でも以下でも無いよ
例えば、発達障害の検査ではIQ検査をしたりするので軽度知的障害があることが判明したりもする
だけど『療育手帳(愛の手帳)』を取る(軽度知的障害と認定される)ことによって法律行為が制限されたりは別にしないぞ
むしろ、軽度知的障害の方は、身の回りのことを行うことに支障はないことが多い、
家事や子育て、金銭管理、健康管理上や法的な決断は支援があればうまくできることが多い、そんな風に想定されているので、
携帯電話の障害者割引が受けれたり、電車の運賃が半額になったり、様々な支援が受けやすくなるぞ
障害福祉サービスを利用してヘルパーさんに来てもらうことに
市の相談支援事業所で相談したところ、生活の自立能力が低いということでヘルパーさんが派遣されることになりました。最初の月2回からだんだん増やして、今月からは週2回の計4時間になります。
私の場合は、料理を主にお願いすることにしました。材料は適当に野菜や肉を買っておきます。それが難しければ買い物に同行してもらうことも可能です。
ヘルパーさんが来たら、一緒に冷蔵庫を見ながら「今日は小松菜はベーコンいためにして肉は唐揚にしよっか」という風にヘルパーさんに案を出してもらい作ってもらうものを決めていきます。そのときに古くなった調味料やダメになってしまった肉や野菜など、冷蔵庫の腐海を整理してもらうこともあります。
あとはおしゃべりしながらヘルパーさんがメインで料理を作っていきます。毎週決まった日に4~5品の作り置き料理を作ってもらうことで、「あと3日間は何もしなくてもごはんがある」と思うことができるようになり、ものすごく心が軽くなりました。
それまで、疲れたときはお惣菜を買ったり、冷凍食品に頼っていましたが、コンスタントに手作りの料理が食べられるようになり、罪悪感が減って心が明るくなってきました。
娘は味覚が敏感なので、「ママが作った料理が食べたい」と言うこともあります。これだけ料理の負担が減ると、ストックがなくなった日にリクエストされた料理を作る余裕もできてきました。それにヘルパーさんが作る料理にもだいぶ慣れてきたようです。今では、料理が出来上がったらすぐ味見に来るほどになりました。
また、うちの場合は、ヘルパーさんが来てる間に見守ってもらいながら掃除をすることにしました。そうすると過集中を起こすことを避け、掃除をすることができることに気づいたのです。
ADHDとうつ病で、今の私は掃除ができない、料理作れない、お風呂に入れない。
保健所の人が家を訪問して必要と判断されれば、ヘルパーさんが来て掃除、料理の作りおき、お風呂に入るとき家にいてくれて、保健が効くから月3000〜4000円でお願いできるという。こういう行政の支援、知らない人多いと思う
完全な健常者と成年後見人制度の間にこぼれて不利な契約を結ばされる障害者や虐待被害者が多いので彼らを守るための仕組みを作る
というならまた話が変わってくるんだけどそういう話を一切しないから乱暴なんだよな、今回の話は
なんで丁寧に話を進めようとしないんだろう
それは書いた自分でもそうだと思った。
非行に走ったり性風俗に取り込まれるような子は親からも放っておかれているパターンが多いからね…
そんな状態で誰がその子の後見人になるか、という問題がでかいね。
そもそも親側に後見人になるような能力の無いパターンすらあるしね
後見人が付く障害のレベルが相当重い状態というのも増田の言う通り。
その辺の軽度知的障害や発達障害などではとても被後見人の対象にはならないんだろうし…
そういう軽度の障害者や虐待の被害者を誰がどのような仕組みで守るか、という仕組み作りからはじめるしか無いんじゃないかな
(俺が言ってるグレーゾーンというのはそういうことね)
「デルタ時の感染者1000人は恐かったけど、今は4000人でもそこまで恐がらなくてもいいよね?」
「そこまでって、じゃあ、どのくらい?」
知っての通り、個人にとってコロナ感染によるリスクは、年齢や基礎疾患、ワクチン接種の有無などによって大きく異なっている。したがって、全人口をひっくるめて「デルタの致死率はXX%」「オミクロンの重症化率はYY%」とか言われても、それは国や自治体、医療関係者が気にするべき数字であって、個人にとっては若者と高齢者では文字通り100倍もリスクが違うので、まったく実感を伴わない数字なのである。
本来であれば「50代・男性・ワクチン3回接種後1ヵ月・対オミクロンなら、あなたの入院リスクはX%・重症化はY%・死亡はZ%」くらいに細分化された一覧表が公開されてしかるべきだと思うが、あいにく海外も含めてそのような一覧表は見当たらない。しかしこの世には十分なデータが蓄積されているはずで、実際にバラバラに公開されているデータをつなぎ合わせることで、個人にとってのリスクをかろうじて推計することができそうである。
新型コロナワクチンの有効性-ブレイクスルー感染調査から (神奈川県)
https://www.pref.kanagawa.jp/docs/ga4/covid19/vaccines/efficasy.html
デルタ時のリスクを年代別かつワクチン接種別に示すデータは本当に限られている。ここでは神奈川県のデータのうち、50代の感染と入院に注目して後のオミクロンと比較していく。
デルタに感染するリスク比 ワクチン0回接種: 1.15 ワクチン2回接種: 0.05 (←0回に比べて1/23。デルタにはワクチンがめちゃくちゃよく効く)
デルタに感染した上でなおかつ入院に至るリスク比 ワクチン0回接種: 1.15 * 15.46 = 17.78 ワクチン2回接種: 0.05 * 2.99 = 0.15 (←感染者を分母にするとリスクは1/5だが、そもそも2回接種者は感染リスクが1/23しかないので、実質的なリスクは1/119となる)
オミクロンにおける年代別のワクチン効果を「まともなデータで」比較できる資料は見つからないが(HER-SYSは抜け漏れがひどい)、70歳以上の高齢者を除けばおおむね感染に対するワクチン効果は同等と考えられる(接種後の経過日数の影響のほうが大きい)。よって、年代別ではない全体データを50代のデータとして代用する。なお、このデータでは時を経るにつれて少しずつワクチン接種者と未接種者の差が縮まっていて、感染によって獲得した自然免疫の影響などが考えられるが、ここでは後に用いるデータの期間も考慮して、3/1-3/28の4週分を採用する。
オミクロンに感染するリスク比 ワクチン0回接種: 0.572 ワクチン2回接種: 0.358 (←0回に比べて1/1.6、ワクチン接種後の効果減衰の影響もある) ワクチン3回接種: 0.092 (←0回に比べて1/6、デルタほどの効果はない)
オミクロンの入院率を年代別かつワクチン接種別にまとめたデータは非常に貴重である。このデータと神奈川県のデルタのデータを直接比較できるのが50代しかなかったために、本記事では50代を軸にしている。
オミクロンに感染した上でなおかつ入院に至るリスク比 ワクチン0回接種: 0.572 * 8.0 = 4.58 ワクチン2回接種: 0.358 * 3.0 = 1.07 (←デルタではリスクを1/119にしてくれたが、ワクチン接種後の効果減衰の影響もあって1/4にしかならない) ワクチン3回接種: 0.092 * 1.6 = 0.15 (←3回接種でやっと1/30)
https://catalog.data.metro.tokyo.lg.jp/dataset/t000010d0000000068
デルタを2021年7月-12月、オミクロンを2022年1月-3月と仮定して、感染者全体のうち50代が占める割合の違いを確認しておく。
感染者全体のうち50代が占める割合 デルタ時: 22993 / 205141 = 11.2% オミクロン時: 81837 / 867843 = 9.4% (←デルタに比べて子供の感染が多い分、他の年代は少なくなる)
(必要なデータが揃いましたが、ここから結論に至る中間の計算の紹介は省きます)
感染するリスク ワクチン未接種者にとって: 都内1日あたりデルタ1000人の環境 = オミクロン2035人の環境 = 2回接種後: デルタ2万3000人 = オミクロン3254人 = 3回接種後: オミクロン1万2642人 (←未接種だったころの都内デルタ1000人と同じリスク)
感染した上でなおかつ入院に至るリスク ワクチン未接種者にとって: 都内1日あたりデルタ1000人の環境 = オミクロン1493人の環境 = 2回接種後: デルタ11万8923人 = オミクロン6367人 = 3回接種後: オミクロン4万6381人 (←未接種だったころの都内デルタ1000人と同じリスク)
というわけで、ワクチン接種を3回済ませた都内在住50代にとっては、個人のリスクだけを考えるなら、ワクチン未接種だったデルタ当時に比べて、同じ都内感染者数でも感染リスクは1/10未満、入院リスクは1/40未満になっていると言える。ただしいっぽうで、3回接種後のオミクロンのリスクは、2回接種後のデルタのリスクに比べると2-3倍ほど高い。オミクロンは軽症だのなんだの言われるが、ワクチンをしっかり打っているあなたにとっては、デルタはそもそもめったに感染しなかったのに対して、オミクロンはそこそこ感染するし入院もしうるのだ。結局のところ、個人にとってはワクチンを接種することこそが圧倒的な恩恵で、オミクロンによる弱毒化の恩恵は、ワクチンの効きの悪さによって相殺されていると言える。また、2回接種に留まっている人は、むしろデルタ時よりはるかに高いリスク(同じ感染者数の環境に対する入院リスクは19倍)に身を晒していることになる。こうしたことはもっと周知されるべき「モノの見方」ではないか。
国や自治体にとってはワクチン未接種者のことも考慮しなくちゃいけないし、年代による差もあるので、医療の逼迫度合いが1/40になるわけでは決してないのだが、そんな心配は国や自治体が担っておけばよいのである。冒頭にも書いたが、国民向けには本来であれば「50代・男性・ワクチン3回接種後1ヵ月・対オミクロンなら、あなたの入院リスクはX%・重症化はY%・死亡はZ%」くらいに細分化された一覧表が公開されてしかるべきなのだ。リスクの違う我々をひとまとめにするんじゃない!
5月23日追記: 記事の主張がブレてしまいました。一番に主張したいのは冒頭に示したような「デルタ時と比べてどうなのか」「ワクチン接種の有無によってどう違うのか」といった相対的な比較です。「ワクチン未接種だったデルタ当時に比べて、同じ都内感染者数でも感染リスクは1/10未満、入院リスクは1/40未満」という比率自体は、40代男性でも30代女性でも、基礎疾患があろうとなかろうとおおむね同じになるはずです。
あと anond:20220523104838 のせいで赤字部分に黒字が混ざって見づらくなってしまいました。
コロナ感染陽性者のワクチン接種回数と致死率 (2021年7月) (全国)
(※ 7月はアルファも24%含む。またHER-SYSのデータは信頼性が低い)
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000826597.pdf
※ 全般に乱暴な計算ではあるが、これは公開されたデータが限られているせいであって、国が集計できるはずのデータがすべて使えるなら、このような乱暴は不要となる。
※ 感染や入院に地域差はあったとしても、ワクチン接種回数による効果の「比」は同じだろうという仮定に基づいている。
※ 無症状のまま気付かず検査もしない感染者は考慮されていないが、市中感染の陽性者は大半が症状ありであることと、「検査してみようと思う程度の症状」は地域や時期によらず同じだろうという仮定に基づいている。
https://togetter.com/li/1884575
agricola 日頃「法律で規制されていなければ自由なんですドヤァ」と言ってた連中が「最低限の信用すら失った」とか言い出す無様。それってあなたのお気持ちじゃないですか(嘲笑
お前が馬鹿にした「hoppeta_yellow」さんは君たちの仲間のツイフェミだぞ(嘲笑)
https://twitter.com/hoppeta_yellow/status/1523777966832230400
議論を成立させるにはお互いに最低限の信用が必要です。その最低限の信用とは、匿名アカウントでも、言葉の乱暴な人でも、やや事実誤認の多い人でも、ほんの一握りの誠実ささえあれば当然に成立するレベルのものです。
そして、青識亜論の人はその最低限の条件にすら達していない。そういうことです。
いいねしてる
demakirai
bogus-simotukare
も残念でした(嘲笑)
観ながら気になった事がいくつかあったのでメモしていく
お気に入りの服を着ていた子を恥ずかしめる主人公達(子供がお洒落する事を批判している?)
自分の理想の自然な子育て像が描かれているが現代では危険で破綻したものだと思う。
デイケアセンターと併設して美しいだろうと見せているが現代ではお金かけて豪華な施設に通える老人と働きながら子育てする若者の対比になってしまってむしろグロテスク
気風のいいリサのファッションや言動がこういう純粋な女性がいてほしいというオジさん目線を感じる。
問題の子供を家に置いて夜に仕事に向かうシーン。男も女も仕事を優先する事がカッコいいという思想を感じる。実際に働きながら子育てした人ではなくて想像の働きながら子育てを描いている感じで違和感バリバリ。父親も帰れるけど帰らなかったとも取れるセリフがあってどうかと思う。
山道に慣れた地元の人の運転が速いみたいな感じでリサの運転を描いているようだけれど実際の山間部に住む人の運転はもっと綺麗で速い(自然にアウトインアウトで走れたり見通しの悪いところでは見えるポジション取りをしたり加減速が丁寧)
あの運転は上手いというよりはただ危険で乱暴な走り。運転が乱暴なのは地方都市の人。
海の汚れ方が恣意的すぎる。ヘドロの海で底引き網漁なんてしないだろ。昔の人は馬鹿だったから海は汚れているんですよ、ガハハみたいな強い思い込みを感じる。
・子供の恋愛を描こうとしているようで大人がくっつけたい感じの目線で気持ち悪い
〇〇くんのお嫁さんになりたいって無理矢理言わせる大人みたいな感じ。子供の恋愛を描きたいならもっと子供の心の機知を描く事はできるはずだが突拍子もない事をするのが子供という思い込みがありそうした描写は皆無。観察が足りなく想像で描いているように見えてガッカリする。
かつて庵野秀明が富野監督は裸踊りができるが宮さんは隠していると評したがこの映画は裸踊りになっていると思う。他の映画は冒険活劇やSF、神話的表現によってそうした部分が隠されていたがこの映画のプロットは伝統的人魚姫の物語を下敷きに言いたい事を全部言っている気がする。
一番やりたい事は子供の可愛さを描く事だと思うが宮崎吾郎氏のインタビューで父親にあまり愛されなかった話を思い出すと他人の子の可愛いらしさを描く前に家に帰れ、自分の子を可愛いがれ、と思う。
まさにその通り。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cd19a43ba743942c2f2c87bc69989544f5a4d724?page=2
>確かに、今回SaRa選手は即日Twitterで謝罪しており、会社の対応も早かった。“失言”以外の失策は見当たらない。ではなぜ失言は起きたのか。
>「一般のスポーツだと、練習と公式の試合でまったく意識が違うと思います。でもeスポーツは、そこの境目が難しい。普段とまったく同じ環境で、趣味のプレイなのか大会なのかという違いになるんです。使い分けがいっそう難しいかもしれません。
>また誰でも、身内で遊んでいるときには、多少乱暴な言葉遣いをすることもあるでしょう。僕も、ひとりでプレイしているときは、人に聞かせられない暴言を吐くことがあります。でもeスポーツは、そうした白熱したプレイを配信するところに難しさがあります」(山田氏)
>「野球やサッカーといったスポーツ選手でも、プレイ中に言葉が荒々しくなることはあるのではないかと思います。でもそれは配信されないから問題になりにくい。プレイ中の言葉をすべて拾って公開されるeスポーツのプレイヤーは、ひときわ自制心とマナーが求められるんです」(竹谷氏)
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結局、プロ野球選手やプロサッカー選手に毎日配信させてたら、もっとエラいことになるってだけの話。
野球界隈でもサッカー界隈でも人格否定、差別的な暴言や暴力が、プロゲーマー界隈以上に昔から蔓延していたのが現実だからね。
いまだに秀岳館高校みたいにコーチや先輩が下の人間に対して人格批判、差別的な暴言どころか身体的暴力を振るう学校が多いのが日本の実態。野球部でもそう。未成年飲酒、喫煙、暴行、窃盗、レイプ。そんなのがずっと続いてきたのが日本の野球やサッカー界隈。
つい先日もプロ野球の新庄剛志監督が職業差別発言をしていたし、選手が外国人選手に対して嘲笑めいた差別発言をしていた。だが、それは”何故か”メディアで大きく取り上げられず、炎上もしなかった。
これは大手メディアがスポンサードしているからというのが大きい。だから炎上しにくい。大手メディアが騒ぐことを、巨大メディアがカネのチカラで黙らせるから。
プロゲーマー界隈はまだ成長途上で大手メディアがスポンサードしていない+毎日選手が生放送してトークを展開している、という環境があるから炎上しやすい。それだけの話。
最初にも書いたが「結局、プロ野球選手やプロサッカー選手に毎日配信させてたら、もっとエラいことになるってだけの話。」という結論にまとまる。
それに「生娘シャブ漬け」発言にあるように他業種でもとんでもない人間は一定数居る。コンサルタント業界では常識的な用語だったという話もあるほどだ。
Eスポーツ界隈だけをやたら叩いてるコメントを見るたびに、野球離れが進んでるのにEスポーツ人口が増えてる状況に焦って、大手メディアがバイトでも雇ってツイートやヤフコメして、それが目立つようにイイネ押しまくってるのではないかとね。
日本の大手メディアのカネの力を使えばそれができるし、そういった情報工作をするのに何の抵抗もないほどモラルが腐ってるのが日本のマスゴミでもある。
日本は大手メディアの中枢人物に「日本の癌でありお荷物なほどの野球カルト」が一定数居てしまっているのが日本の不幸なところでもある。
撮り鉄、そろそろ取り締まって良いのでは?
鉄道会社的にも、一般市民的にもなんのメリットもない連中なのだが。
撮り鉄たちのお目当ては、JR東日本が6年前に定期運行を終了した寝台特急「カシオペア」。ツアー専用列車として復活させ、この日は、上野を発ち盛岡に向けてこの線路を通過する予定だったという。
待ちわびるその瞬間が近づくにつれ、辺りが騒然とし始める。騒ぎを迷惑に感じた近隣の住民が、その様子を記録しようとカメラを向けた、次の瞬間、決定的瞬間を邪魔されたくなかったのか撮り鉄たちの一部が「撮ってんじゃねーよ!」と住民らに怒号を浴びせた。
こうした一部の撮り鉄たちの度を越した行為について、動画を撮影した人は「(乱暴な撮り鉄には)その場で言っても言い返されたり、もっとひどい言葉を言われたりすることがあるんです。そういう人が減ってくれればいいなと思って(動画を撮影した)。
日本では女優がヤメテ!って叫ぶからJ-AVみすぎてる外人さんはYAMETE!をエロい言葉だと思ってるって話を読んだ。
あとは、いや!って言葉を女優が多用するから実際の性行為でいやだといっても伝わらないとかね。
それにくらべて米国ではNOといったらプレイをやめなきゃなんないという契約をするから云々みたいな話も聞いた。
それはいいことだとは思うけどね、そのせいで洋ポルノそうとうおかしなことになってるよ。
NOといわないだけ、なんだもん。
例えば、PAINANALというジャンルがある。文字通り、PAINFULなANALプレイで外人さんのクソでか性器をNO MERCYでがんがんシリアナにごりごりやるんだけど、女優はイヤとかノーとかいわないんよ。オゥイエスッオーファッキンイエスって喜んでるんよ。あんなん痛いだけに決まってるのに。それ以外にも、顔が赤紫になるまで首しめたり、足を口につっこんだり、足で顔を踏んだり、口が裂けそうなイラ◯したり、間接技きめられてるみたいな体位や、、とにかくただ痛いだけのプレイでも、ファッキンイエスって微笑んだりノリノリよってな感じの態度で臨んでるんよ。
まだ、いやとかやめてといってる方が認知が歪まねぇような気さえするんだが。だって、強い痛みを感じるような乱暴なプレイをしても、タイトルにPAINが入っていても、女優はノリノリで喜んでるんだぜ?エロ漫画文化における快楽落ちとかって、いちおう最初の方はいやがってるけど快楽のあまり結局は…って言う段階のあるファンタジーだけど、洋ポルノってその段階すらないやん。いやべつに日本のポルノ業界やポルノ文化のほうが健全とか安全とかそういうことがいいたいんじゃないよ。
友達のAくんはトランスジェンダー男性(生まれたときの身体は女性で、自認する性別は男性)
やや小柄だけど、ホルモン治療を受けているためか体格はがっしりしていて髭も生えている 声も低い 仕草や話し方も男性そのもの
性別適合手術を希望しているが、諸般の事情でまだ受けられていないらしい
すなわち髭が生えていてがっしりしていて声も低くて男性にしか見えないけど、性器は女性のものということ
なんかバズってた、お洒落なレストランのトイレのマークが男女の性器を抽象化したやつだった、ってツイートを見て思ったんだけど
Aくんが自分の性器に合わせて女子トイレに入ったら即通報されるに決まってる(もちろんAくんはそんなことしないのだが)
「社会」が誰かの性別を判断するとき、いちいちパンツを脱がせて確かめたりしない
顔立ちや体格、服装、仕草や話し方といった総合的な見た目で判断してる
性器に合わせたトイレを使え、は本人に苦痛を与えるだけじゃなくて、普通に社会を混乱させると思う